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渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)

  

東屋

 [底本]
財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第十巻 一九九六年 角川書店

 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第三巻「校異篇」一九五六年 中央公論社

阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第十五巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第五巻 一九九七年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第九巻 一九八八年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第七巻 一九八三年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第六巻 一九七六年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第十一巻 一九六八年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第五巻 一九六三年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第六巻 一九五四年 朝日新聞社

伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院

第一章 浮舟の物語 左近少将との縁談とその破綻

  1. 浮舟の母、娘の良縁を願う---筑波山を分け見まほしき御心はありながら
  2. 継父常陸介と求婚者左近少将---守も卑しき人にはあらざりけり
  3. 左近少将、浮舟が継子だと知る---かくて、この少将、契りしほどを待ちつけで
  4. 左近少将、常陸介の実娘を所望す---この人、追従あるうたてある人の心にて
  5. 常陸介、左近少将に満足す---この人は、妹のこの西の御方にあるたよりに
  6. 仲人、左近少将を絶賛す---よろしげなめりと、うれしく思ふ
  7. 左近少将、浮舟から常陸介の実娘にのり換える---「このころの御徳などの心もとなからむことは
  8. 浮舟の縁談、破綻す---北の方は、人知れずいそぎ立ちて、人びとの装束せさせ
第二章 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる
  1. 浮舟の母と乳母の嘆き---こなたに渡りて見るに、いとらうたげにをかしげにて
  2. 継父常陸介、実娘の結婚の準備---守は急ぎたちて、「女房など、こなたにめやすき
  3. 浮舟の母、京の中君に手紙を贈る---母君、御方の乳母、いとあさましく思ふ
  4. 母、浮舟を匂宮邸に連れ出す---守、少将の扱ひを、いかばかりめでたきことをせむと
  5. 浮舟の母、匂宮と中君夫妻を垣間見る---宮渡りたまふ。ゆかしくてもののはさまより見れば
  6. 浮舟の母、左近少将を垣間見て失望---宮、日たけて起きたまひて、「后の宮、例の
第三章 浮舟の物語 浮舟の母、中君に娘の浮舟を託す
  1. 浮舟の母、中君と談話す---女君の御前に出で来て、いみじくめでたてまつれば
  2. 浮舟の母、娘の不運を訴える---こまかにはあらねど、人も聞きけりと思ふに
  3. 浮舟の母、薫を見て感嘆す---容貌も心ざまも、え憎むまじうらうたげなり
  4. 中君、薫に浮舟を勧める---例の、物語いとなつかしげに聞こえたまふ
  5. 浮舟の母、娘に貴人の婿を願う---「さらば、その客人に、かかる心の願ひ年経ぬるを
  6. 浮舟の母、中君に娘を託す---君は、忍びてのたまひつることを、ほのめかしのたまふ
第四章 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる
  1. 匂宮、二条院に帰邸---車引き出づるほどの、すこし明うなりぬるに
  2. 匂宮、浮舟に言い寄る---夕つ方、宮こなたに渡らせたまへれば
  3. 浮舟の乳母、困惑、右近、中君に急報---乳母、人げの例ならぬを、あやしと思ひて
  4. 宮中から使者が来て、浮舟、危機を脱出---「上達部あまた参りたまふ日にて
  5. 乳母、浮舟を慰める---恐ろしき夢の覚めたる心地して、汗におし浸して
  6. 匂宮、宮中へ出向く---宮は、急ぎて出でたまふなり。内裏近き方にやあらむ
  7. 中君、浮舟を慰める---この君は、まことに心地も悪しくなりにたれど
  8. 浮舟と中君、物語絵を見ながら語らう---絵など取り出でさせて、右近に詞読ませて
第五章 浮舟の物語 浮舟、三条の隠れ家に身を寄せる
  1. 乳母の急報に浮舟の母、動転す---乳母、車請ひて、常陸殿へ住ぬ。北の方に
  2. 浮舟の母、娘を三条の隠れ家に移す---かやうの方違へ所と思ひて、小さき家
  3. 母、左近少将と和歌を贈答す---少将の扱ひを、守は、またなきものに思ひ急ぎて
  4. 母、薫のことを思う---「故宮の御こと聞きたるなめり」と思ふに
  5. 浮舟の三条のわび住まい---旅の宿りは、つれづれにて、庭の草もいぶせき心地
第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く
  1. 薫、宇治の御堂を見に出かける---かの大将殿は、例の、秋深くなりゆくころ
  2. 薫、弁の尼に依頼して出る---「などてか。ともかくも、人の聞き伝へばこそあらめ
  3. 弁の尼、三条の隠れ家を訪ねる---のたまひしまだつとめて、睦ましく思す下臈侍
  4. 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う---宵うち過ぐるほどに、「宇治より人参れり」とて
  5. 薫と浮舟、宇治へ出発---ほどもなう明けぬ心地するに、鶏などは鳴かで
  6. 薫と浮舟の宇治への道行き---「近きほどにや」と思へば、宇治へおはするなりけり
  7. 宇治に到着、薫、京に手紙を書く---おはし着きて、「あはれ、亡き魂や宿りて
  8. 薫、浮舟の今後を思案す---うちとけたる御ありさま、今すこしをかしくて
  9. 薫と浮舟、琴を調べて語らう---ここにありける琴、箏の琴召し出でて

 

第一章 浮舟の物語 左近少将との縁談とその破綻

 [第一段 浮舟の母、娘の良縁を願う]
【筑波山を分け見まほしき御心はありながら端山の繁りまであながちに思ひ入らむも】−『異本紫明抄』は「筑波山端山繁山茂けれど思ひ入るには障らざりけり」(新古今集恋一、一〇一三、源重之)を指摘。
【人聞き軽々しう】−薫は右大将兼権大納言。それが受領常陸介の娘に恋するのは憚られる。『完訳』は「東国の受領の娘が相手では、と憚られる気持。大君の形代としてのみ関心」と注す。
【のたまひしさまなど】−主語は薫。
【まめやかに御心とまるべきこととも思はねば】−主語は浮舟の母北の方。以下、母北の方の心中に即した叙述。
【人の御ほどのただ今世にありがたげなるをも】−薫の社会的地位。
【数ならましかば】−娘浮舟が人並みの貴族の娘であったら、の意。
【守の子どもは】−常陸介。長官は太守、親王が任命され赴任しない。介が赴任して実質上の長官なので「守」と呼称される。
【母亡くなり】−先妻。
【この腹にも】−浮舟の母北の方。後妻。
【さまざまにこの扱ひをしつつ】−主語は常陸介。
【異人と思ひ隔てたる心のありければ】−浮舟を他の自分の子とは分け隔てしていた。
【いとつらきものに守をも恨みつつ】−主語は北の方。
【いかでひきすぐれて】−以下「見えにしがな」まで、北の方の心中。
【さま容貌の】−浮舟の容姿容貌。
【ありぬべくは--なやまじ】−反語表現。意志の打消し。
【同じごと】−他の夫の実の娘と同様に。
【あはれにかたじけなく生ひ出でたまへば】−『完訳』は「もったないほどに。八の宮の高貴の血筋であることを強く意識する。尊敬語を用いるのも同様」と注す。
【なま君達めく人びとも】−『集成』は「ちょっとした家柄の若君といった人々も」。『完訳』は「なまじ公達然としている人々」と訳す。
【大人びさせたり】−主語は北の方。
【わが姫君を】−連れ子の浮舟。常陸守との間にできた姫君と区別してこういう。

 [第二段 継父常陸介と求婚者左近少将]
【仲らひも】−一族の人々も、の意。
【徳いかめしうなどあれば】−財力も大変にあったので、の意。
【事好みしたるほどよりはあやしう荒らかに田舎びたる心ぞつきたりける】−風流を好むわりには田舎びた粗野な性情がある。
【ものうち言ふすこしたみたるやうにて】−『花鳥余情』は「東にて養はれたる人の子は舌だみてこそ物はいひけれ」(拾遺集物名、四一三、読人しらず)を指摘。
【豪家のあたり恐ろしくわづらはしきものに憚り懼ぢすべていとまたく隙間なき心】−田舎びた者の性情。権力に対して怖じおもねる心と抜目なさ。
【琴笛の道は遠う弓をなむいとよく引ける】−音楽には疎遠で弓馬の道に優れている。
【なほなほしきあたりともいはず】−常陸介の家のこのようなありさまをさしていう。
【勢ひに引かされて】−常陸介の財力に引かれて、の意。
【らうらうじく】−以下「いみじかなる」まで、君達の詞。
【通ひし所なども絶えて】−左近少将が今まで通っていた妻たち。
【この君は】−以下「尋ね寄らじ」まで、北の方の心中の思い。
【この御方に】−浮舟をさす。
【心一つに思ひまうく】−主語は北の方。
【守こそおろかに思ひなすとも】−以下「思ふ人あらじ」まで、北の方の心中の思い。
【この御方にと取り隠して】−浮舟をさす。先妻の娘たちの結婚時をさすのだろう。
【目をはつかにさし出づるばかりにて】−『完訳』は「娘たちが道具の中に埋れて、目をわずかに出す趣。戯画的表現」と注す。
【師を立ち居拝みてよろこび、禄を取らすること、埋むばかりにて】−『完訳』は「これも戯画化」と注す。
【吾子をば思ひ落としたまへり】−常陸介の心中の思い。自分の娘が連れ子の浮舟より軽んじられている。

 [第三段 左近少将、浮舟が継子だと知る]
【待ちつけで】−接続助詞「で」打消の意。
【同じくは疾く】−少将の詞。
【人の心の知りがたさを】−相手の少将の心中をさす。
【初めより伝へそめける人】−仲人。
【よろづ多く】−以下「悲しうなむある」まで、北の方の詞。
【親などものしたまはぬ人なれば】−「親」は父親をさす。浮舟が連れ子であることを初めて言った。
【若き人びと】−夫常陸介との間にできた娘たち。
【思ふ人具したるは】−世話する人、父親がいる。
【この君の御ことをのみ】−浮舟のこと。
【もの思ひ知りぬべき御心ざま】−少将は情けのわかる人。
【けしき悪しくなりぬ】−主語は少将。
【初めよりさらに】−以下「伝へける」まで、少将の詞。
【詳しくも知りたまへず】−以下「罪はべるまじきことなり」まで、仲人の詞。
【女どもの知るたよりにて】−仲人の妹が浮舟に仕えていた。その情報から仲人に入った。
【容貌心もすぐれて】−以下「あがめかしづかる」まで、仲人が妹から聞いたこと。
【いかでかの辺のこと伝へつべからむ人もがな】−少将が仲人に言った詞。
【さるたより知りたまへり】−仲人が少将に答えた詞。
【かやうのあたりに】−以下「いと人げなかるべき」まで、少将の詞。
【人のをさをさ許さぬことなれど】−少将の身分で常陸介の娘に婿として通うのは世間の非難することだ、という。
【今様のことにて咎あるまじう】−近年は少将の身分で受領の娘に通うのも、非難されなくなったという。
【もてあがめて後見だつに】−舅が婿を大切にして後見する。
【同じことと】−連れ子を実の父の子の娘と同じく、の意。
【源少納言讃岐守などのうけばりたるけしきにて】−いずれも常陸介の先妻の娘の夫たち。少納言は従五位下、讃岐守は上国の国守、従五位下相当官。少将は正五位下で彼等より上位。
【受けられぬさまにて】−婿と認められない状態で。

 [第四段 左近少将、常陸介の実娘を所望す]
【まことに守の娘と】−以下「かなしうしたまふなる」まで、仲人の詞。
【中にあたるなむ】−北の方の二番目の娘。常陸介との間にできた最初の娘。
【いさや初めより】−以下「何かはさも」まで、少将の詞。
【見るところありて思ひ始めしことなり】−常陸介の経済力に期待。
【寂しうことうち合はぬみやび好める人の果て果てはものきよくもなく人にも人ともおぼえたらぬを見れば】−『集成』は「家運衰えて万事不如意な、風雅を愛した人の行きつく果ては、小綺麗な暮しもできず、世間からも人並みにも思われていない有様を見ると」。『完訳』は「貧しく不如意がちな暮しをしていながら、風流を第一としている人が行きつくところは何かみすぼらしい感じで、世間からも一人前の扱いを受けられないところを見ると」と訳す。
【何かはさも】−婚約した浮舟のことは、かまうことない。

 [第五段 常陸介、左近少将に満足す]
【この人は妹のこの西の御方にあるたよりに】−「この人」は仲人。「西の御方」は浮舟。仲人の妹が浮舟に女房として仕えている関係で。
【とり申すべきことありて】−仲人の詞。
【など言はす】−取り次ぎに言わせる。
【このわたりに】−以下「何ごと言ひにかはあらむ」まで、常陸介の詞。
【左近少将殿の御消息にてなむさぶらふ】−仲人が取り次ぎに言わせた詞。
【語らひがたげなる顔して】−『集成』は「常陸の介の不愛想な態度をちらちらうかがう面持」。『完訳』は「話題を切り出しにくい表情で。介の態度にも、いささかためらう」と注す。
【月ごろ内の御方に】−以下「仰せられつれば」まで、仲人の詞。「内の御方」は北の方をさしていう。
【聞こえさせたまふを】−主語は左近少将。
【この月のほどに】−八月をさす。九月は結婚を忌む季節の末の月となる。
【ある人の申しけるやう】−左近少将の言ったことを、ある人の言ったこととして言う。
【まことに】−以下「便なかりぬべきよし」まで、ある人が言ったという内容。
【君達】−左近少将をさす。君達は良家の子弟。
【ただ私の君のごとく思ひかしづきたてまつり】−ひたすら内々のご主君のように大切にされて。
【手に捧げたるごと】−『河海抄』は「如捧手、掌上珠と云体なり」と注す。
【さる振る舞ひ】−高貴な家の子弟と受領の娘の縁組。
【をさをさ受けられたまはで】−舅から婿と認めてもらえず、の意。
【初めよりただ】−以下「見て参うで来」まで、少将の趣旨。
【きらぎらしう】−「潔 キラギラシ」(図書寮本名義抄)。
【聞こえ始め申ししなり】−求婚し始めた、の意。
【異人ものしたまふらむと】−常陸介の実子でない北の方の連れ子がいらっしゃる。
【御けしき】−常陸介の意向。
【さらにかかる御消息】−以下「思うたまへ憚りはべる」まで、常陸介の詞。
【まことに同じことに思うたまふべき人】−『集成』は「(浮舟は)実子同然に世話すべき人ですが、ほかにも不出来な娘どもがたくさんいまして。以下、つい浮舟のことまで気が廻らぬ、という弁解」と注す。
【これを異人と思ひ分けたることと】−主語は話者の常陸介。浮舟を差別している、意。
【口入れさせぬ人】−浮舟には口出しさせない。
【しかなむ仰せらるることはべりとは】−左近少将が浮舟に求婚していること。
【なにがしを】−常陸介。自分自身をいう。
【これをなむ命にも代へむと】−北の方と常陸介の間に出来た娘。浮舟の異父妹。
【のたまふ人びと】−求婚する人々。
【見たまへおかむと】−主語は話者の常陸介。
【故大将殿にも】−左近少将の父。
【若くより参り仕うまつりき】−主語は話者の常陸介。過去助動詞「き」自己の体験的過去を表す。
【家の子にて見たてまつりしに】−わたしが大将殿の家来として少将の幼いころから拝見してきた、意。
【いと警策に仕うまつらまほしと】−若君の少将がたいそうすぐれた人柄なのでお仕えしたいと、の意。
【遥かなる所に、うち続きて過ぐしはべる年ごろ】−陸奥国、常陸国の国守を歴任。
【うひうひしくおぼえはべりて】−『集成』は「〔お目通りも〕身につかぬ気恥ずかしいことに思われまして」と訳す。
【仰せの事たてまつらむ】−左近少将のおっしゃるとおり娘を差し上げる。
【月ごろの御心違へたるやうに】−「御心」は左近少将の気持ち。主語は常陸介。『集成』は「今までのお気持を妨げでもしたかのように。少将の本意はやはり浮舟であるのに、常陸の介が妨害したかのように、の意」と注す。
【この人、思ひたまへむこと】−妻の北の方が存じますこと。「たまふ」は謙譲の補助動詞。

 [第六段 仲人、左近少将を絶賛す]
【何かと思し憚るべき】−以下「とり申すなり」まで、仲人の詞。
【ただ一所の御許し】−常陸介の許可。
【いはけなく】−以下「すべきにもあらず」まで、少将の詞を引用。
【もはらさやうのほとりばみたらむ振る舞ひ】−『集成』は「絶対に、そんな肝心の方(主人の常陸の介)のご存じないような振舞をすべきではない。「ほとりばむ」は、ここでは、北の方などまわりの者たちだけの結婚話に乗ること。「ほとり」は周辺の意」。『完訳』は「まったくもって、そうしたさき様の顔色をうかがってうろうろするようなまねはしたくないのだ」と注す。
【人柄はいとやむごとなく】−以下、左近少将の人柄をいう。
【領じたまふ所々】−所領の荘園。
【まだころの御徳なきやうなれど】−『集成』は「まだ今のところ、お金まわりもぱっとなさらないようですが」。『完訳』は「まだ現在はたいした威勢でないが、将来は大人物になろう、の意」と注す。
【頭は】−蔵人頭。『完訳』は「蔵人頭への昇進。蔵人頭には熱意ある四位の者が選ばれ、上達部昇進の道も開ける。容易ならざる昇進。「帝の御口づから」ともあり、仲人口の出まかせの発言」と注す。
【よろづのこと】−以下「なし上げてむ」まで、帝の詞として引用。
【仰せらるなれ】−主語は帝。「なれ」は伝聞推定の助動詞。
【かう聞きたまふほどに】−主語はあなた常陸介。結婚の申し込みを聞く。
【かの殿には】−左近少将をさす。
【これただうしろやすきことをとり申すなり】−『完訳』は「私はただ、ご安心のいくご縁談をと、お取り持ち申しているだけです」と訳す。

 [第七段 左近少将、浮舟から常陸介の実娘にのり換える]
【このころの御徳など】−以下「ことにやとも知らず」まで、常陸介の詞。「御徳」は少将の収入。そのため「御」がつく。
【一つにてもまた取り争ふべき人なし】−遺産をすべてこの娘に贈るという趣旨。
【ただ真心に思し顧みさせたまはば】−『集成』は「少将に対して「おぼしかへりみ」「させたまはば」という最高に重い敬語を用いる親心」と注す。
【大臣の位を求めむと思し願ひて世になき宝物をも尽くさむとしたまはむに】−左近少将が贖労によって大臣の地位を獲得する意。
【なきものはべるまじ】−常陸介は何でも調達する意。
【妹にも】−仲人の妹。浮舟付きの女房。
【あなた】−浮舟の母北の方のもと。
【聞こゆれば】−仲人が左近少将に。
【すこし鄙びてぞあるとは聞きたまへど】−左近少将は常陸介を少し田舎じみた人だと聞いていたが、の意。「たまふ」は少将に対す敬語。
【大臣にならむ贖労を】−「贖労」は財物を納めて官職を得ること。
【さてかの】−以下「いさや」まで、少将の詞。
【何か北の方も】−以下「申されけるなりけり」まで、仲人の詞。
【かの姫君をば】−二番目の娘。常陸介との間にできた娘。浮舟の異父妹。
【ただ中のこのかみにて年も大人びたまふを】−浮舟をさしていう。娘たちの中で最年長。二十歳ほど。
【月ごろは】−以下「頼もしき事をこそ」まで、少将の心中。
【つらしと思はれ】−北の方から少将が恨まれる。
【いとまたくかしこき君にて】−『完訳』は「実に抜け目のない、しっかり者。語り手の揶揄。挿入句的辞句」と注す。

 [第八段 浮舟の縁談、破綻す]
【あはれや】−以下「こそ悲しけれ」まで、北の方の心中。
【他の音聞きは守の子とも思ひ分かず】−世間の評判では浮舟を常陸介の子と区別しない。すなわち受領の子と同じ。
【また実を尋ね知らむ人もなかなか落としめ思ひぬべきこそ悲しけれ】−また一方で、八宮の子であることを知っている人も宮の子として認知されない子として卑しめるのが悲しい。
【いかがはせむ】−以下「のたまふめるを」まで、北の方の心中。
【媒のかく言よくいみじきに女はましてすかされたるにやあらむ】−『湖月抄』は「草子地也」。『完訳』は「以下、語り手の評言」と注す。
【明日明後日と思へば】−『完訳』は「中将の君の心に即した行文」と注す。
【こなたにも】−浮舟の部屋。
【ながながととどこほるところもなく言ひ続けて】−『集成』は「仲人の話したことをそのまま伝える体」。『完訳』は「仲人の言う話を一方的に語る」と注す。
【我を思ひ隔てて】−以下「御心と許し申しつる」まで、常陸介の詞。
【吾子の御懸想人を奪はむとしたまひける】−私の実の娘の求婚者を横取りする、意。
【めでたからむ御娘をば】−浮舟をさす。皮肉な物言い。
【卑しく異やうならむなにがしらが女子をぞ】−浮舟が八宮という皇族の血を引くのに対して、常陸介の娘は受領の子。
【いやしうも】−漢文訓読語「苟も」の音便形。男性の物言い。
【もはら本意なしとて】−漢文訓読語「専ら」。男性の物言い。

 

第二章 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる

 [第一段 浮舟の母と乳母の嘆き]
【こなたに渡りて見るに】−北の方が浮舟の部屋に。
【心憂きものは】−以下「ありにしがな」まで、北の方の詞。
【おのれは】−一人称。卑下して言うニュアンス。
【この君のゆかりと思はむ人のためには】−浮舟の婿のためには、の意。
【さし越えて】−浮舟を差し置いて、の意。
【近きあたりに】−同じ家の中で。
【あひあひにたる世の人のありさまを】−『集成』は「どちらもお似合いの当節の人のしそうなことだし」。「完訳』は「介も少将もお似合いの、当節の人のしそうなことだから」と訳す。
【わが君を】−浮舟をさす。
【何かこれも御幸ひにて】−以下「思し寄りねかし」まで、乳母の詞。浮舟の破談も幸運ゆえかもしれない、と強がりを言う。
【君なれば】−左近少将をさす。
【わが君をば】−浮舟をさす。
【大将殿の御さま容貌のほのかに見たてまつりしに】−薫。『完訳』は「かねて交際をと願う薫に想到。乳母は宇治の山荘で宿り合せた折、薫をかいま見たか」と注す。
【あはれにはた聞こえたまふなり】−『集成』は「それに、心から世話したいと仰せだとのことではありまんか」。『完訳』は「それにまた、こちらに深いおぼしめしがおありとの由です」と訳す。「なり」伝聞推定の助動詞。
【あな恐ろしや】−以下「たてまつらむ」まで、北の方の詞。
【人の言ふを聞けば】−世間の人の噂。
【おぼろけならむ人をば見じと】−薫の結婚観。『集成』は「長年、並々の人とは結婚する気はないとおっしゃって。薫が、出生の秘密や大君への執心から、権門との結婚を避けてきたことが、外部にはこう受け取られていたのである」と注す。
【右の大殿】−霧をさす。「宿木」巻に六の君との結婚話が語られていた。
【按察使大納言】−紅梅の大納言。故柏木の弟。「竹河」巻に薫を婿にと願っていた。
【式部卿宮などの】−初出の人。蜻蛉の宮と呼称される。桐壺帝の皇子。薫の叔父に当たる人。
【ほのめかしたまひけれど】−薫の縁談を申し込んだ。
【帝の御かしづき女を】−今上帝の女二宮との結婚。「宿木」巻に語られている。
【いかばかりの--思さむ】−反語表現。
【かの母宮などの御方にあらせて時々も見むとは思しもしなむ】−薫の母女三宮のもとに浮舟をおいて、召人のように扱う。
【それはたげにめでたき御あたりなれども】−召人として仕えるのも結構な勤め先だが。
【胸痛かるべきことなり】−『集成』は「とても気の揉めることでしょう。女房扱いの、かりそめの相手ではたまらない、と言う」と注す。
【宮の上の】−中君。浮舟の異母姉。
【もの思はしげに思したるを見れば】−『完訳』は「中の君の、正妻ならざる嘆き。匂宮と六の君の結婚以来の苦悩」と注す。
【わが身にても知りにき】−北の方の体験。『完訳』は「以下、貴人八の宮の愛人として辛酸をなめた自らの体験による」と注す。
【故宮の御ありさまは】−故八宮の人柄。
【人数にも思さざりしかば】−『集成』は「(私を)人並みには思って下さらなかったから。女房として、一段下に見下していられたから」と注す。
【このいと言ふかひなく】−現在の夫常陸介をいう。
【こそ憎けれ】−係結びの法則、逆接用法。
【よろづのことわが身からなりけりと思へば】−万事こちらの身分によるのだ。『完訳』は「身分を思えば、薫の申し出も躊躇なく受ける気にはならない、と言う」と注す。

 [第二段 継父常陸介、実娘の結婚の準備]
【女房など】−以下「改むまじ」まで、常陸介の詞。
【こなたに】−浮舟方に。
【このほどはあらせたまへ】−『集成』は「当座の間私の方に貸して下さい」と訳す。
【やがて帳なども】−浮舟の結婚のために新調した御帳台をそのまま妹の結婚に使う。
【とかく改むまじ】−実娘の部屋は模様替えせず、浮舟の部屋を結婚の部屋に使う意向。
【西の方に来て】−浮舟の部屋に常陸介が来て。
【御方は北面に居たり】−浮舟は西の対の南北に仕切った北側の部屋にいた。
【人の御心は】−以下「なくやはある」まで、常陸介の詞。「人の御心」とは北の方の気持ちをさす。
【さはれ世に母なき子はなくやはある】−反語表現。『完訳』は「世間には母のない子もいる。母親に顧みられずともと居直る」と注す。
【娘を】−常陸介の娘。
【乳母と】−浮舟の異父妹の乳母。乳母は子それぞれに付く。
【十五六のほどにて】−浮舟の異父妹の年齢。当時としては結婚に早すぎる年齢ではない。
【いと小さやかにふくらかなる人の髪うつくしげにて】−小柄でふっくらして髪は長く豊富、当時の美人の条件をかなえている。
【これを】−この娘を。常陸介の実娘。
【何か人の異ざまに】−以下「口惜しくてなむ」まで、常陸介の詞。「人」は北の方、「人の異ざまに」は浮舟のために、の意。
【思ひ構へられける人をしもと】−左近少将をさす。「しも」副助詞、よりによって、こともあろうに--、というニュアンスを添える。
【人柄のあたらしく警策に】−左近少将の人柄。格別に優れた人物である、という。
【かの仲人にはかられて言ふもいとをこなり】−『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の評言」と注す。
【男君も】−左近少将。
【よろづの罪あるまじう思ひて】−何の支障もないように思って。
【その夜も替へず】−浮舟と予定していた結婚の日取り時刻を変えずに。

 [第三段 浮舟の母、京の中君に手紙を贈る]
【母君御方の乳母】−浮舟の母と浮舟の乳母。
【とかく見扱ふも】−あれこれと婿君の世話をすること。
【宮の北の方の御もとに】−中君をさす。『完訳』は「「北の方」の呼称、やや異例」と注す。「宿木」に薫の詞中に「兵部卿宮の北の方」とあったが、ここは地の文。
【そのこととはべらでは】−以下「頼もしき方にはまづなむ」まで、北の方の手紙文。
【つつしむべきことはべりて】−物忌みと偽って、浮舟をそちらに方違えさたい、と願う。
【頼もしき方には】−中君をさす。
【あはれとは見たまひけれど】−主語は中君。
【故宮のさばかり】−故父八宮が。以下「見苦しかるべけきわざ」まで、中君の心中。末尾は地の文に流れる。
【やみにし人を】−浮舟をさす。
【見苦しきさまにて世にあぶれむも】−主語は浮舟。
【かたみに散りぼはむも】−『集成』は「中の君自身も後見のない心細い身の上である」と注す。
【亡き人の御ために見苦しかるべき】−故父八宮にとって不面目なこと。
【思しわづらふ】−主語は中君。
【大輔】−中君付きの女房。『完訳』は「浮舟の母とは往年の同僚女房」と注す。
【さるやうこそは】−以下「世の常のことなり」まで、大輔の詞。
【なのたまはせそ】−主語は故八宮。
【かかる劣りの者の人の御中に】−『集成』は「このような母の卑しい者が、ごきょうだいのなかに」。『完訳』は「こうした母親の身分の低いご姉妹がおられるというのも」と訳す。「劣り」は母親をさす。
【さらばかの】−以下「しばしのほど」まで、大輔の詞。浮舟の母への返事の趣旨。
【いとうれしと思ほして】−主語は浮舟の母。
【御方もかの御あたりをば】−浮舟も中君を。
【なかなか、かかることどもの出で来たるを】−かえって少将との縁談が破談になって妹が結婚することになったことがうれしい。

 [第四段 母、浮舟を匂宮邸に連れ出す]
【押しまろがして投げ出でつ】−少将の下人たちへの引出物として、無造作に簾の下から投げ出した。巻絹にして与える。腰差という。
【君も】−左近少将。
【北の方このほどを見捨てて知らざらむも】−浮舟の母。『完訳』は「当座の婚儀を知らぬ顔に外出するのも片意地にすねているようだと我慢し、傍観する」と注す。
【ただするままにまかせて】−夫の常陸介のなすままに任せて。
【客人の御出居侍ひと】−客人の少将の接待の部屋や供人の控え所などと。
【源少納言東の対には住む】−先妻の娘婿が東の対に住む。係助詞「は」は他との区別のニュアンス。
【男子などの多かるに】−常陸介の男の子たち。
【この御方に】−これまで浮舟がいた西の対。
【廊などほとりばみたらむに住ませたてまつらむも飽かずいとほしくおぼえて】−母北の方は浮舟を渡廊のような端に住ませるのは気の毒に思って。
【宮にとは思ふなりけり】−『一葉抄』は「注にかけり」と指摘。
【この御方ざまに】−以下「あなづるなめり」まで、母北の方の心中の思い。浮舟にはれっきとした後見人がいない。
【ことに許いたまはざりしあたりを】−故父八の宮は生前に浮舟を認知しなかった。その遺族の中君のもとに行くこと。
【西の廂の北に寄りて】−中君の居所である西の対の西廂の北側。
【疎く思すまじき人なれば】−浮舟の母は中君の母の姪に当たる縁者。
【恥ぢたまはず】−主語は中君。『集成』は「几帳に身を隠したりはなさらないで」と注す。
【けはひことにて】−『集成』は「とても上品な感じで」。常陸介邸の様子とはまるで違った感じ。
【若君の御扱ひを】−この二月に誕生した男の子のお世話。
【うらやましくおぼゆるも】−主語は浮舟の母。
【我も故北の方には】−以下「あなづらるる」まで、浮舟の母の心中の思い。「故北の方」は中君の母北の方。
【仕うまつるといひしばかりに】−女房として仕えたばかりに。
【数まへられたてまつらず】−八の宮から妻の一人として扱ってもらえず。「られ」受身の助動詞。「たてまつる」謙譲の補助動詞は、為手である八の宮に対する敬意。
【かくしひて睦びきこゆるもあぢきなし】−『完訳』は「強引にも哀訴しなければならぬわが身の卑屈さを思う」と注す。
【ここには、御物忌と言ひてければ】−浮舟のいる部屋。
【こたみは心のどかにこの御ありさまを見る】−主語は母北の方。

 [第五段 浮舟の母、匂宮と中君夫妻を垣間見る]
【宮渡りたまふ】−以下、母北の方が見た匂宮邸の様子。「宮」は匂宮。
【わが頼もし人に思ひて】−常陸介をさす。
【あひひざまづきさぶらひて】−『集成』は「〔お前に〕いっせいに膝まずいたまま控えて」と訳す。
【わが継子の式部丞にて蔵人なる】−常陸介の先妻の子。式部丞兼蔵人。六位相当官。
【御あたり】−匂宮の近く。
【あはれこは何人ぞ】−以下「いみじかるべきわざかな」まで、母北の方の心中の思い。匂宮の素晴らしさに感嘆。
【めでたさよ】−中君の幸運を思う。
【この御ありさま容貌を】−匂宮の容姿や容貌をさす。
【女君】−中君。
【短き几帳を隔てておはするを】−三尺の几帳。夫匂宮との間に置く。
【押しやりてものなど聞こえたまふ】−主語は匂宮。
【御容貌どもいときよらに似合ひたり】−匂宮と中君。似合いの夫婦。『完訳』は「中の君の居所は西の対。中将の君は西廂の北側からかいま見る」と注す。
【故宮の寂しくおはせし御ありさまを】−故父八の宮の生前の様子。
【思ひ比ぶるに】−主語は母北の方。
【宮たちと聞こゆれど】−以下「こそありけれ」まで、母北の方の感想。
【几帳の内に入りたまひぬれば】−主語は匂宮。諸本は「丁(帳)」とある。とすると、御帳台の中に、の意となる。
【人びと参り集まれど】−『完訳』は「宮の威勢に追従する官人たち」と注す。
【悩ましとて大殿籠もり暮らしつ】−主語は匂宮。
【わがいみじきことを尽くすと】−以下「口惜しかりけり」まで、母北の方の思い。わが家で浮舟のためにどんなに善美を尽くそうとしても。
【わが娘も】−以下「つかふべかりけり」まで、母北の方の思い。浮舟もこのような尊貴な方の側においても遜色あるまい、の意。
【父ぬしの、后にもなしてむと】−常陸介。娘の父親というニュアンス。『完訳』は「財力を頼んで、父の介が、后にでもさせようとしている娘たちは、同じ自分(中将の君)の子ながら浮舟とは人品が違う。八の宮の血を引く浮舟の高貴さを思う」と注す。
【心は高くつかふべかりけり】−『集成』は「理想は高く持つべきものだったと。身分の高い婿君と結婚させるべきだ、と考えを改める」と注す。

 [第六段 浮舟の母、左近少将を垣間見て失望]
【后の宮】−以下「参るべし」まで、匂宮の詞。母明石中宮がご不例。
【ゆかしうおぼえて】−主語は母北の方。
【こなたより出でたまふ】−匂宮は寝殿に戻らず、中君のいる西の対から出かける。
【今朝より参りて】−匂宮の従者たち。朝から参上して控えている。
【きよげだちてなでふことなき人の】−左近少将。
【御前にて】−匂宮の御前。
【かれぞこの】−以下「たよりのあるぞ」まで、女房たちの詞。
【この御あたりの人は】−中君の二条宮邸の女房たちをさす。
【かの君の方より】−少将方からの情報。
【聞くらむとも知らで】−主語は母北の方。
【げにことなることなかるべかりけり】−母北の方の心中の思い。
【あなづらはしく思ひなりぬ】−主語は母北の方。左近少将を。
【うち見たまひて】−主語は匂宮。
【御心地よろしく見えたまはば】−以下「苦しけれ」まで、匂宮の詞。
【宿直にぞ】−下に「はべらむ」などの語句が省略。
【一夜を隔つるもおぼつかなきこそ】−『集成』は「恋の思いをいう歌語的表現」。『完訳』は「若君への執着を、恋の執心の常套表現で表す」と注す。
【返す返す見るとも見るとも】−主語は母北の方。
【さうざうしくぞ眺めらるる】−主語は母北の方。以上、母北の方の目と心を通しての叙述。

 

第三章 浮舟の物語 浮舟の母、中君に娘の浮舟を託す

 [第一段 浮舟の母、中君と談話す]
【女君の御前に出で来て】−浮舟の母が中君の御前に。
【いみじくめでたてまつれば】−浮舟の母が匂宮の素晴らしさを。
【田舎びたると思して笑ひたまふ】−主語は中君。
【故上の亡せたまひしほどは】−以下「飽かぬことなれ」まで、母北の方の詞。「故上」は中君の母上。
【いかにならせたまはむと】−主語は中君の母上。
【見たてまつる人も】−故母上付きの女房たち。
【故宮も】−故父八の宮。
【こよなき御宿世のほどなりければ】−『集成』葉「不遇な生い立ちはむしろ異数の出世の予兆であった、という考え方」。『完訳』は「異数の運勢なればこそ山里での不遇な生い立ちだった、の理屈」と注す。
【生ひ出でさせたまひしにこそありけれ】−主語は中君。
【故姫君の】−中君の姉大君。
【君もうち泣きたまひて】−中君。
【世の中の恨めしく】−以下「口惜しけれ」まで、中君の詞。
【すこしも思ひ慰めつべき折もあるを】−若宮誕生などをさす。
【いにしへ頼みきこえける蔭どもに】−両親をさす。
【この御ことは】−姉大君の死去をさす。
【大将の】−薫。
【見るにつけても】−主語は話者の中君。
【大将殿は】−以下「したまはざらましや」まで、浮舟の母の詞。
【おはしまさましかば】−大君が生きていらっしゃったら。「--ましや」反実仮想の構文。大君が亡くなられたので、女二宮の降嫁が行われた、の意。
【このことせかれしも】−「このこと」は帝の女二宮の降嫁。「せかれ」は「塞く」、取り止めになる意。
【いさややうのものと】−以下「後見ありきたまふめる」まで、中君の詞。姉妹ともに同じ境遇になろう、の意。姉大君は帝の女二宮が、自分中君は夕霧の六の君が、それぞれ正妻として迎えられ、側室の立場となる。
【なかなかにやあらまし】−反実仮想の構文。
【見果てぬにつけて】−主語は大君。途中で亡くなった意。
【心にくくもある世にこそと思へど】−『集成』は「いつまでも心に残る仲なのだ」。『完訳』は「そのために奥ゆかしくも思われる間柄なのでしょう」と訳す。
【かの君は】−薫。
【故宮の】−故八の宮。
【かの過ぎにし御代はりに】−以下「御心深さなる」まで、浮舟の母の詞。故大君の代わりに娘の浮舟を引き取って。
【この数ならぬ人を】−浮舟をさす。
【さもやと】−薫の意向どおりに。
【思うたまへ寄るべき】−「たまへ」謙譲の補助動詞。
【一本ゆゑに】−『異本紫明抄』は「紫のひともとゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ思ふ」(古今集雑上、八六七、読人しらず)を指摘。
【あはれになむ思うたまへらるる御心深さなる】−『集成』は「しみじみとおやさしいお方と思われます昔を忘れぬお心深さです」と訳す。
【この君を】−娘の浮舟を。

 [第二段 浮舟の母、娘の不運を訴える]
【人も聞きけりと思ふに】−主語は浮舟の母。女房も聞き知っている。
【少将の思ひあなづりけるさま】−左近少将が結婚相手を浮舟から妹に乗り換えたことをさす。
【命はべらむ限りは】−以下「思ひ寄りはべる」まで、浮舟の母の詞。主語は浮舟の母。
【尼になして】−浮舟を尼にして。
【さる方に世の中を思ひ絶えてはべらましなど】−主語は浮舟の母。「はべる」とあるので、自分自身のこと。自分も出家生活をする。
【はべらましなど】−「まし」推量の助動詞、仮想の意。
【げに心苦しき】−以下「御さまにこそ」まで、中君の詞。
【かやうになりぬる人】−父親に先立たれた子。
【むげにその方に】−山住みの生活をさす。
【思ひおきてたまへりし】−主語は父八の宮。
【やついたまはむも】−髪を落とすこと、出家することをいう。
【ねびにたるさまなれど】−浮舟の母の姿態。『完訳』は「以下、語り手のやや諧謔的な批評」と注す。
【常陸殿とは見えける】−『集成』は「いかにも田舎者の受領の妻といった風情、と茶化した草子地」と注す。
【故宮の】−以下「慰みはべる」まで、浮舟の母の詞。
【思し放ちたりしに】−八の宮が浮舟を。
【浮島のあはれなりしことも】−『花鳥余情』は「塩釜の前に浮きたる浮島の浮きて思ひのある世なりけり」(古今六帖三、塩釜)を指摘。
【わが身一つのと】−以下「知りはべらじ」まで、浮舟の母の詞。『源氏釈』は「大方はわが身一つの憂きからになべての世をもうらみつるかな」(拾遺集恋五、九五三、読人しらず)。『異本紫明抄』は「世の中は昔よりやは憂かりけむわが身一つのためになれるか」(古今集雑下、九四八、読人しらず)を指摘。
【筑波山のありさまも】−『紫明抄』は「筑波山端山繁山繁けれど思ひ入るには障らざりけり」(重之集)を指摘。ここは常陸国の歌枕として引用。
【あきらめきこえさせて】−主語は話者の浮舟の母。中君に。
【かしこにはよからぬあやしの者ども】−自邸の常陸介との間にできた娘たち。
【かかるほどのありさまに】−受領の妻という身。
【この君は】−浮舟。
【ただ任せきこえさせて知りはべらじ】−中君に浮舟を。自分は構わない。
【げに見苦しからでもあらなむ】−中君の心中の思い。浮舟によい結婚をしてほしいと思う。

 [第三段 浮舟の母、薫を見て感嘆す]
【容貌も心ざまも】−以下、中君から見た浮舟像。
【昔の人の御さまに】−故大君の様子に。
【おぼえたてまつりてぞあるや】−中君の心中と語り手の驚きとが融合した叙述。間投助詞「や」はその両義性ある表現。
【かの人形求めたまふ人に見せたてまつらばや】−中君の心中の思い。浮舟を薫に逢わせたい。
【大将殿参りたまふ】−女房の詞。
【人聞こゆれば】−女房が中君に。
【いで見たてまつらむ】−以下「え並びたまはじ」まで、浮舟の母の詞。薫を拝見しよう。
【ほのかに見たてまつりける人】−浮舟の乳母。
【いみじきものに】−『集成』は「大層ご立派な方と」と訳す。
【宮の御ありさまに】−匂宮のご様子。
【いさやえこそ聞こえ定めね】−中君付きの女房の詞。
【いかばかり】−以下「たてまつらむ」まで、浮舟の母の詞。
【今ぞ車より降りたまふなる】−女房の詞。「なる」は伝聞推定の助動詞。『集成』は「気配で察する体」と注す。
【げにあなめでた】−以下、浮舟の母の目を通しての叙述。
【をかしげとも見えずながら】−『完訳』は「色めかしい風情とも見えぬが、の意か。誠実さを強調するか」と注す。
【すずろに見え苦しう】−『集成』は「うっかり対面するのも憚られるほど立派なお姿で。薫の優雅さや気品に圧倒される思い」と注す。
【額髪なども】−自分の額髪。
【内裏より参りたまへるなるべし】−浮舟の母の推測。
【御前どものけはひ】−薫の御前駆。前駆の場合、「御前」は「ごぜん」と読む。
【昨夜后の宮の】−以下「聞こえさせてなむ」まで、薫の詞。
【見たてまつりて】−明石中宮を。
【宮の御代はりに】−匂宮の代わり。
【今朝もいと懈怠して参らせたまへるを】−主語は匂宮。匂宮の遅参。
【あいなう】−『集成』は「失礼ながら」「冗談にいう」。『完訳』は「私としてはあらずもがなのことですけれど」と訳す。
【げに】−以下「御用意になむ」まで、中君の詞。『完訳』は「冗談をきまじめに受け流す趣」と注す。
【御用意】−薫の気づかいをいう。
【見おきて】−主語は薫。
【ただならずおはしたるなめり】−『細流抄』は「草子地也」と指摘。「なめり」は語り手の推測。

 [第四段 中君、薫に浮舟を勧める]
【ただいにしへの忘れがたく】−亡き大君を。
【さしもいかでか】−以下「名残なからじとにや」まで、中君の心中の思い。
【浅からず言ひ初めてしことの筋なれば】−『完訳』は「最初に深い思いを訴えたので、忘れたと思われたくないせいか」と注す。
【岩木ならねば】−『異本紫明抄』は「人は木石に非ず、皆情有り」(白氏文集、李夫人)を指摘。
【かかる御心をやむる禊を】−『異本紫明抄』は「恋せじとみたらし河にせし禊神はうけずもなりにけるかな」(古今集恋一、五〇一、読人しらず)を指摘。
【思ほすにやあらむ】−語り手の推測。挿入句的に挟み込む。
【かの人形】−浮舟をさす。
【いと忍びてこのわたりになむ】−中君の詞。
【かれも】−薫をさす。
【いでやその本尊】−以下「濁りぬべく」まで、薫の詞。
【うたての御聖心や】−中君の詞。冗談に言う。
【いでさらば】−以下「ゆゆしく」まで、薫の詞。
【見し人の形代ならば身に添へて恋しき瀬々のなでものにせむ】−薫の詠歌。「見し人」は故大君。「瀬々」と「なでもの」は縁語。
【みそぎ河瀬々に出ださむなでものを身に添ふ影と誰れか頼まむ】−中君の返歌。薫の「身に」「瀬々」「なでもの」の語句を受けて返す。『完訳』は「「なでもの」は水に流すものだから、生涯の伴侶と誰が頼みにしよう、と切り返した歌」と注す。
【引く手あまたに、とかや。いとほしくぞはべるや】−歌に続けた中君の詞。『源氏釈』は「大幣の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ」(古今集恋四、七〇六、読人しらず)を指摘。
【つひに寄る瀬は】−以下「慰むべきことぞ」まで、薫の詞。
【水の泡にも争ひはべるかな】−『全書』は「水の泡の消えて憂き身と言ひながら流れてなほも頼まるるかな」(古今集恋五、七九二、紀友則)を指摘。
【かりそめにものしたる人】−浮舟の母。
【あやしくと思ふらむも】−主語は浮舟の母。薫の長居を。
【今宵はなほとく帰りたまひね】−中君の詞。

 [第五段 浮舟の母、娘に貴人の婿を願う]
【さらばその客人に】−以下「おこがましきまでなむ」まで、薫の詞。
【その客人に】−浮舟に。
【かかる心の願ひ】−浮舟を大君の「形代」として世話したい。
【いとめでたく思ふやうなるさまかな】−浮舟の母の感想。
【乳母ゆくりかに】−以下「思ひけるを」あたりまで、浮舟の心中に即した叙述。途中から直接心中文に競り上がって、再び地の文に吸収されていく。
【あるまじきことに言ひしかど】−主語は浮舟の母。
【天の川を渡りてもかかる彦星の光を】−『異本紫明抄』は「彦星に恋はまさりぬ天の川隔つる関を今はやめてよ」(伊勢物語)を指摘。
【寄りゐたまへりつる真木柱も】−『源氏釈』は「わぎもこが来ては寄り立つ真木柱そもむつまじきゆかりと思へば」(出典未詳)を指摘。
【言へばいとことさらめきたるまでありがたし】−語り手と浮舟の母の感想が一体化した叙述。
【時々見たてまつる人だに】−中君付きの女房。
【めできこゆ】−薫を。
【経などを読みて】−以下「したまひければよ」まで、女房の詞。
【前の世こそゆかしき御ありさまなれ】−女房の詞。
【すずろに笑みて聞きゐたり】−主語は浮舟の母。

 [第六段 浮舟の母、中君に娘を託す]
【君は、忍びてのたまひつることを、ほのめかしのたまふ】−中君は薫が頼んだことを浮舟の母に言う。
【思ひ初めつること】−以下「試みたまへかし」まで、中君の詞。主語は薫。
【同じことに思ひなして】−『集成』は「それと同じ捨て身になった積りで」と訳す。
【つらき目見せず】−以下「せさせたまへ」まで、浮舟の母の詞。
【鳥の音聞こえざらむ住まひまで】−『異本紫明抄』は「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ」(古今集恋一、五三五、読人しらず)を指摘。出家遁世の意。
【人の御ありさまけはひを】−薫の様子や感じ。
【下仕へのほど】−女房以下の下仕えの身分。
【かかる人の御あたりに】−薫の身辺。
【数ならぬ身に】−娘の浮舟の身を思う。『異本紫明抄』は「かずならぬ身には思ひのなかれかし人なみなみに濡るる袖かな」(出典未詳)「今はとて忘るる草の種をだに人の心に蒔かせずもがな」(伊勢物語)を指摘。
【それもただ御心になむ】−浮舟の身のふりを。『完訳』は「中の君の考えしだいと委ねる」と注す。
【いさや】−以下「知りがたきを」まで、中君の詞。
【守の消息などいと腹立たしげに脅かしたれば】−娘の婚礼の日に外出していたので。
【かたじけなく】−以下「教へさせたまへ」まで、浮舟の母の詞。浮舟の身の処遇を依頼する。
【巌の中にともいかにとも】−『異本紫明抄』は「いかならむ巌の中に住まばかは世の憂きことの聞こえ来ざらむ」(古今集雑下、九五二、読人しらず)を指摘。
【数にはべらずとも】−浮舟の身を謙っていう。
【この御方も】−浮舟。

 

第四章 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる

 [第一段 匂宮、二条院に帰邸]
【車引き出づるほどの】−浮舟の母の車。
【例ならでおはしますに】−親王である匂宮の常用の車は檳榔毛の車。ここは微行の体なので、網代車であろう。
【おしとどめて立てたれば】−浮舟の母の車。
【廊に御車寄せて】−匂宮の車。
【なぞの車ぞ暗きほどに急ぎ出づる】−匂宮の詞。
【かやうにてぞ忍びたる所には出づるかし】−匂宮の心中の思い。
【御心ならひに思し寄るもむくつけし】−『全集』は「匂宮の気のまわし方に対する語り手の批評」と注す。
【常陸殿のまかでさせたまふ】−常陸介方の供人の詞。その北の方の呼称を「--殿」という。
【殿こそあざやかなれ】−匂宮方の供人の詞。
【げにこよなの身のほどや】−浮舟の母の心中の思い。
【この御方のことを】−浮舟の身の上。
【おのれも人びとしくならまほしく】−浮舟の母自分も人並みの貴族になりたいと思う。
【正身を】−浮舟本人を。
【常陸殿といふ人や】−以下「見えつれ」まで、匂宮の詞。「常陸殿」という男をここちらに通わせているのか、という問い。
【聞きにくくかたはらいたしと思して】−主語は中君。
【大輔などが】−以下「なき名は立てで」まで、中君の詞。
【人の聞きとがめつべきことを】−まるで中君が常陸殿という男を通わせているかと、誤解されるような言い方をする。
【なき名は立てで】−『源氏釈』は「思はむと頼めしこともある物をなき名は立てでただに忘れね」(後撰集恋二、六六二、読人しらず)を指摘。
【明くるも知らず大殿籠もりたるに】−『異本紫明抄』は「玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひけるかな」(伊勢集)を指摘。
【人びとあまた参りたまへば】−夕霧の従者たち。
【寝殿に渡りたまひぬ】−主語は匂宮。寝殿で客人に応対。
【后の宮は】−明石中宮。

 [第二段 匂宮、浮舟に言い寄る]
【宮こなたに渡らせたまへれば】−匂宮、中君のいる西の対へ。
【折悪しき御ゆする】−以下「眺めむ」まで、匂宮の詞。
【げにおはしまさぬ】−以下「仕まつらせつるを」まで、大輔の詞。
【今日過ぎばこの月は日もなし九十月は】−洗髪入浴は吉日に行われた。『花鳥余情』は「九月は忌む月なり。十月はかみなし月にて髪あらふにはばかる月なるべし」とある。現在は八月。
【そなたに】−若君の寝ている所。
【西の方に】−西の対の西廂。その北側に浮舟がいる。
【さし覗きたまふ】−匂宮が浮舟のいる北側を。
【紫苑色のはなやかなるに】−以下、浮舟の衣装。匂宮が見た袖口の色。
【屏風の一枚たたまれたるより】−屏風の一枚(曲)が畳まれている。
【心にもあらで見ゆるなめり】−地の文が徐々に匂宮の心中文に競り上がってくる叙述。『完訳』は「屏風の一折れだけが畳まれている間から、当の浮舟は気づかないが、匂宮には見えるようだ、の意」と注す。
【今参りの口惜しからぬなめり】−匂宮の心中の思い。
【人知らず】−浮舟付きの女房の誰も気づかず、の意。
【こなたの廊の中の壺前栽】−『完訳』は「西の対のさらに西側に建物があり、それとつなぐ廊か」と注す。
【端近く添ひ臥して眺むるなりけり】−主語は浮舟。匂宮は南から覗き、浮舟は西を向いて庭を眺めている。その横顔が見える。
【宮とは思ひもかけず】−主語は浮舟。
【例こなたに来馴れたる人にやあらむ】−浮舟の思い。中君と浮舟との間を取り次ぎする女房かと思う。
【例の御心は過ぐしたまはで】−匂宮の好色の癖。
【こなたの障子は】−匂宮が入ってきた障子。
【扇を持たせながら捉へたまひて】−浮舟に扇を持たせたまま匂宮がつかまえて。
【誰れぞ名のりこそゆかしけれ】−匂宮の詞。
【さるもののつらに顔を他ざまにもて隠して】−主語は匂宮。『完訳』は「屏風などの際で顔をあちら向きに隠して。自分が誰であるか知られまいとする匂宮の用心深さ」と注す。
【このただならず】−以下「けはひなども」まで、浮舟の心中の思い。末尾は地の文に流れる。
【大将にや】−浮舟は薫かと思う。しかし、匂宮邸にいて薫かと思うのは誤解も甚だしい。

 [第三段 浮舟の乳母、困惑、右近、中君に急報]
【人げの例ならぬを】−『完訳』は「浮舟の乳母。「かうばしきけはひ」から、異常な事態を感取」と注す。
【これはいかなることにか】−以下「わざにもはべるかな」まで、乳母の詞。
【憚りたまふべきことにもあらず】−匂宮はこの邸の主人。しかも好色の性癖がある。
【言の葉多かる本性なれば】−匂宮の好色者らしい言葉上手。
【誰れと聞かざらむほどは許さじ】−匂宮の詞。
【宮なりけり】−浮舟の合点。この邸の主の匂宮だっのだ。
【大殿油は灯籠にて】−大殿油は灯籠に入れて、の意。
【今渡らせたまひなむ】−女房の詞。中宮が洗髪を終えて間もなく戻って来られよう。
【人びと言ふなり】−「なり」伝聞推定の助動詞。語り手が聞いている体。臨場感のある表現。
【御前ならぬ方の御格子どもぞ下ろすなる】−中君の部屋の前の格子以外はみな下ろす。「なり」伝聞推定の助動詞。
【こなたは】−浮舟のいる部屋。
【屏風の袋に入れこめたる】−使わない屏風は袋に入れて立て掛けておいた。
【かく人のものしたまへば】−浮舟をさす。
【右近とて大輔が娘のさぶらふ】−中君付きの女房である大輔の娘、右近。『完訳』は「中の君づきの女房。後の浮舟巻の右近と同一人物か否か、古来論議のある人物」と注す。
【ここに寄り来なり】−浮舟の近くに。「なり」伝聞推定の助動詞。
【あな暗や】−以下「闇に惑ふよ」まで、右近の詞。
【苦しきに】−大変なのに。「に」接続助詞、順接、原因理由を表す。御格子を下ろすのは大変な作業なのに、それを、というニュアンス。
【引き上ぐるに】−右近は格子を上げる。
【宮も】−匂宮。
【もの聞こえはべらむ】−以下「え動きはべらでなむ」まで、乳母の詞。
【いとあやしきことのはべるに】−漠然と言っている。
【袿姿なる男】−直衣を脱いだ姿。
【女の心合はせたまふまじきことと】−浮舟が同意してのことではないと。
【げにいと見苦しき】−以下「聞こえさせめ」まで、右近の詞。
【いかにか聞こえさせむ】−反語表現。自分はあなた匂宮には何とも言えない。
【御前に】−主人の中君に。
【あさましきまで】−以下「あらざめり」まで、匂宮の心中の思い。浮舟に対する感想。
【心づきなげにけしきばみてももてなさねど】−浮舟の態度。はっきりと拒否する素振りでもない。
【しかしかこそ】−以下「思ほすらむ」まで、右近の報告。
【いかに思ふらむ】−主語は浮舟。
【例の心憂き】−以下「言ひおきつるものを」まで、中君の詞。
【かの母も】−浮舟の母親。
【言ひおきつるものを】−主語は浮舟の母親。
【いかが聞こえむ】−以下「思ひよりたまひけめ」まで、中君の心中の思い。匂宮に対して。反語表現。好色癖には何と言うこともできない。
【思ひ寄りたまひけむ】−浮舟の存在に気づいた、の意。

 [第四段 宮中から使者が来て、浮舟、危機を脱出]
【上達部あまた】−以下「思ひたりつれ」まで、右近の詞。
【渡りたまへば】−中君のもとへ。
【やすみたまふぞかし】−主語は女房たち。会話文中なので、敬語が付く。
【かの乳母】−浮舟の乳母。
【少将と二人して】−中君付きの女房と。
【大宮この夕暮より】−以下「おはしますよし」まで、使者の詞の要旨。
【心なき折の】−以下「聞こえさせむ」まで、右近の詞。『完訳』は「匂宮には折悪しき母后のご病気だ、と戯れた言い方である」と注す。
【いでや】−以下「きこえたまひそ」まで、少将の詞。
【今はかひなくもあべいことを】−『完訳』は「もう手遅れだろうから。すでに情交があったと、露骨に言う」と注す。
【いなまだしかるべし】−右近の詞。
【いと聞きにくき】−以下「疎みぬべかめり」まで、中君の心中の思い。
【参りて】−右近が匂宮のもとに。
【動きたまふべきさまにもあらぬ御けしきに】−匂宮の態度。
【誰れか参りたる】−以下「脅かす」まで、匂宮の詞。
【宮の侍に】−以下「名のりはべりつる」まで、右近の詞。中宮職の官人で、の意。
【出でたまはむことの】−浮舟の部屋から出ること。
【この御使を西面にて問へば】−『完訳』は「寝殿の南庭にいたらしい使者(平重経)を、匂宮のいる西の対の西廂の庭前に呼び出す。匂宮に直接聞かせるつもりである」と注す。
【申し次ぎつる人も】−『集成』は「お使いの口上を、女房に取り次いだ宮家の家臣。やはり庭上に控える」と注す。
【中務宮】−以下「見はべりつ」まで、使者の詞。『完訳』は「以下、取次が使者の報告を伝達」と注す。中務宮は、匂宮の弟か、とされる。
【げににはかに】−以下「折々もあるを」まで、匂宮の心中の思い。

 [第五段 乳母、浮舟を慰める]
【恐ろしき夢の覚めたる心地して】−主語は浮舟。
【うち扇ぎなどして】−乳母が扇で扇いだりなどして。
【かかる御住まひは】−以下「おはしますべきものを」まで、乳母の詞。
【かくおはしましそめて】−このように匂宮にいったん目を付けられたからには今後もただでは済むまい、の意。
【よそのさし離れたらむ人にこそ】−『集成』は「中の君との間柄を思えば、匂宮とのことだけは困る、の意」と注す。
【おぼえられたまはめ】−「られ」受身の助動詞。「たまふ」は浮舟に対する敬意。係結びの法則。逆接用法で下文に続く。
【思して手をいといたくつませたまひつる】−主語は匂宮。宮が私乳母の手をつねって。
【直人の懸想だちて】−身分の低い者の懸想めいて。
【かの殿には今日もいみじくいさかひたまひけり】−常陸介邸。日頃から夫婦のいさかいが絶えない。
【ただ一所の御上を】−浮舟をさす。
【客人のおはするほどの】−娘婿の左近少将が通ってくる。
【この御ことはべらざらましかば】−少将との縁談にまつわるごたごた。「御」は「み」と読む。
【君は】−浮舟。
【いかに思すらむ】−中君がどうお思いになるだろう。
【何かかく】−以下「やみたまひなむや」まで、乳母の詞。
【あはれと思ひきこえたまふらむ】−初瀬の観音が浮舟を不憫と。
【人のかくあなづりざまに】−『完訳』は「具体的には左近少将、常陸介、匂宮などをさす」と注す。
【かくもありけりと思ふばかりの御幸ひ】−『完訳』は「実はこんなにも幸運の人なのだったと驚くほど、幸いがあるように祈っているのだ。浮舟を軽視する人々を見返したい気持」と注す。
【やみたまひなむや】−反語表現。

 [第六段 匂宮、宮中へ出向く]
【内裏近き方にやあらむ】−挿入句。内裏へ行くには、西の対から出るのが近道。
【御声も聞こゆ】−浮舟の耳に聞こえる。
【心ばへある古言】−風情ある古歌。
【わづらはしくおぼゆ】−浮舟には匂宮の好色が厄介に思われる。
【上いとほしくうたて思ふらむとて】−中君は浮舟が。『完訳』は「浮舟が彼女の不快を忖度するのとは逆に、中の君は浮舟に同情し、その苦衷を想像する」と注す。
【大宮悩みたまふとて】−以下「思さるらむ」まで、中君の浮舟への詞。
【乱り心地のいと苦しうはべるをためらひて】−浮舟の返事。
【いかなる御心地ぞ】−中君の浮舟へのさらなる問い掛けの詞。
【何心地ともおぼえはべらずただいと苦しくはべり】−浮舟の返事。
【かたはらぞいたくおはすらむ】−少将と右近の詞。『集成』は「(浮舟は)さぞきまり悪くお思いでしょうね」と訳す。
【ただなるよりはいとほし】−『一葉抄』は「草子の詞也」と注す。語り手の同情。女房に知られて、の気持ち。
【いと口惜しう】−以下「思ひ入れずなりなむ」まで、中君の心中の思い。
【いかにあはあはしく思ひ落とさむ】−薫は浮舟を。『完訳』は「薫は、意向を伝えていた自分より前に匂宮を近づけた浮舟の軽率さを侮蔑するだろう、とする」と注す。
【乱りがはしくおはする人】−匂宮。匂宮の好色癖。
【見許しつべうこそおはすめれ】−『集成』は「大ざっぱでいい加減なところのある匂宮の性格を見抜いている」と注す。
【この君は】−薫。
【言はで憂しと思はむこと】−『異本紫明抄』は「心には下行く水の湧き返り言はで思ふぞ言ふにまされる」(古今六帖五、いはで思ふ)を指摘。
【あいなく思ふこと添ひぬる人の上なめり】−浮舟の身の上。心配事が加わった。
【かくものはかなき目も見つべかりける身の】−『集成』は「この妹のようにつまらぬ目に会うかもしれなかった身でありながら。匂宮などから、人並みでない扱いを受けること」と注す。
【この憎き心添ひたまへる人】−薫。中君への懸想心のあるのをいう。

 [第七段 中君、浮舟を慰める]
 この君は、まことに心地も悪しくなりにたれど、乳母、
【この君は】−浮舟。
【かたはらいたし】−以下「語りはべらむ」まで、乳母の詞。
【事しもあり顔に思すらむを】−『完訳』は「上が何かわけがありげにおぼしめしましょうに」と訳す。「思す」の主語は中君。「を」接続助詞、逆接の意。
【こなたの障子のもとにて】−中君の部屋の障子。
【右近の君にもの聞こえさせむ】−乳母の詞。「聞こえさす」は会話文中なので、丁重な謙譲語表現となっている。
【立ちて出でたれば】−右近の動作。
【いとあやしくはべりつることの】−以下「見たてまつる」まで、乳母の詞。
【御前にて】−中君の御前。
【慰めきこえさせたまへとてなむ】−中君から浮舟が慰めて頂きたい、と思って罷り出た。
【いささかにても世を知りたまへる人こそあれ】−『集成』は「少しでも男女のことをご存じの方ならともかく、とてもそう平気ではいらっしゃれまいと」。『完訳』は「少しでも男女関係を経験した者ならともかく。浮舟の動転ぶりがかえって潔白を証すとする」と注す。
【引き起こして参らせたてまつる】−乳母は浮舟を起こして中君のもとへ。
【いとやはらかにおほどき過ぎたまへる君にて】−浮舟の性格。
【火の方に背きたまへるさま】−以下、右近ら女房の目に映る浮舟の姿。
【上をたぐひなく見たてまつるに】−中君を。主語は右近ら女房たち。
【け劣るとも見えずあてにをかし】−浮舟は中君に劣らず上品で美しい。
【これに思しつきなば】−以下「御心を」まで、右近ら女房たちの心中の思い。浮舟に匂宮が執心なさったら。
【めざましげなること】−妹が姉の夫を奪うということ。
【いとかからぬをだに】−浮舟ほど美しい人でなくてさえ。
【例ならずつつましき所など】−以下「いとうれしくなむ」まで、中君の詞。
【故姫君の】−大君。
【いとよく思ひよそへられたまふ御さまを】−浮舟が大君に大変によく似ている。
【思ふ人もなき身に】−自分を大切に思ってくれる人。両親や姉など。
【昔の御心ざしのやうに】−故大君の気持ち同様に。
【年ごろ、いと遥かに】−以下「心地しはべりてなむ」まで、浮舟の返事。

 [第八段 浮舟と中君、物語絵を見ながら語らう]
【絵など取り出でさせて右近に詞読ませて見たまふに】−『完訳』は「この時代の物語鑑賞の実態を示す場面。絵を見ながら、女房の音読する物語の本文を聞く趣である」と注す。
【ここと見ゆる所なく】−これという欠点。
【ただそれとのみ思ひ出でらるれば】−中君は浮舟が故大君の生き写しの人に思われ感慨深い。
【絵はことに目もとどめたまはで】−主語は中君。
【いとあはれなる人の容貌かな】−以下「いみじきものなりけり」まで、中君の心中の思い。
【故宮に】−故父八宮。
【故姫君は宮の御方ざまに我は母上に似たてまつりたると】−大君は父親似、中君は母親似、浮舟は父親似。
【げに似たる人はいみじきものなりけり】−『集成』は「ほんとに似ている人というものはなつかしいものだこと」と訳す。
【かれは限りなく】−故大君は。以下「かたはなるまじ」まで、引き続き中君の心中の思い。浮舟と大君の比較。
【これは】−浮舟。
【ゆゑゆゑしきけはひ】−重々しい感じ。
【思ひ扱はれたまふ】−「れ」自発の助動詞。自然と姉として心が動く。
【かたはらに臥せたまひて】−中君は浮舟を。「臥せ」他動詞。「たまふ」中君に対する敬語。
【故宮の御ことども】−故父八宮の生前のこと。
【昨夜の心知りの人びと】−匂宮と浮舟の事件を知る女房たち。
【いかなりつらむな】−以下「いとほし」まで、女房詞。
【いみじう思すとも、甲斐あるべきことかは】−『完訳』は「中の君がどんなにかわいがろうと、そのかいがない。匂宮との関係ができたのでは仕方がないとする」と注す。
【さもあらじ】−以下「口ずさびたまひしか」まで、右近の詞。『集成』は「見えたまはざりしを」までを右近の詞とする。匂宮との肉体関係を否定する。
【ひき据ゑて】−乳母が右近を呼び出して、の意。
【もて離れてぞ言ひし】−匂宮との肉体関係を否定。
【逢ひても逢はぬやうなる心ばへに】−『源氏釈』は「臥すほどもなくて明けぬる夏の夜は逢ひてもあはぬ心地こそすれ」(出典未詳)を指摘。
【いさやことさらにもやあらむそは知らずかし】−以下「見えたまはざりしを」まで、女房の詞。『集成』は、右近の一続きの詞とする。
『集成』は「いえでも、わざとそんなふうにおっしゃったのか、そこの所は分りません」。『完訳』は「さあどんなものでしょうか、わざとおっしゃってのことかもしれませんよ、よくは分りません」と訳す。
【昨夜の火影の】−物語絵に熱中していた浮舟の姿。右近の詞に同意を示した発言。『完訳』は、以下を別の女房の詞とする。

 

第五章 浮舟の物語 浮舟、三条の隠れ家に身を寄せる

 [第一段 乳母の急報に浮舟の母、動転す]
【人もけしからぬ】−「人」は中君付きの女房。以下「貴人もなきものなり」まで、浮舟母の詞。
【正身も】−中君自身、の意。
【かかる筋のもの憎みは】−男女関係のことでの嫉妬。
【おのが心ならひに】−『集成』は「自分のいつもの考えから推して」。『完訳』は「これまでの自分の経験から」と注す。
【参りぬ】−二条院に。
【あやしく】−以下「恨みられはべる」まで、浮舟母の詞。
【鼬のはべらむやうなる心地】−『細流抄』は「いたちは狐の性の類也。狐は狐疑いとて物をよく疑ふ心のある物也。その如くにいたちも疑ひの心のあるもの也。うしろやすくは思へど疑はしき心のあると也。いたちのまかげなどいふも疑心のある故也」と指摘。『完訳』は「心配なあまり落ち着かぬことか。東国ふうの田舎じみた比喩であろう」と注す。
【いとさ言ふばかりの】−以下「わづらはしけれ」まで、中君の詞。
【御まかげ】−鼬が人を怪しんで目の上に手をかざすしぐさ。浮舟母の「鼬のはべらむやうなる心地」を受けて言った語句。心配ご無用の意。
【笑ひたまへるが心恥づかしげなる御まみを】−格助詞「が」同格を表す。笑っていらっしゃる、その気後れしそうなお目もとを、の文意。
【心の鬼に】−浮舟母の良心の呵責。『完訳』は「内心気が咎める。中の君の言う「--幼げさにはあらざめるを」は、浮舟は夫を横取りできる年齢のくせに、ぐらいにも受け取れよう」と注す。
【いかに思すらむ】−浮舟母の心中の思い。主語は中君。
【かくてさぶらひたまはば】−以下「なむはべるべきを」まで、浮舟母の詞。
【ここには何事か】−以下「いかに推し量りたまふにか」まで、中君の詞。
【思ひ放ちきこえばこそ】−私中君が浮舟を。
【けしからずだちてよからぬ人の】−匂宮の行動をさしていう。
【便なうはもてなしきこえじ】−自分にとって不都合が生じるようには匂宮をお扱い申すまい、の意。
【さらに御心を】−以下「きこえさする」まで、浮舟母の詞。
【許しなかりし筋は】−故八宮から浮舟が実子として認知してもらえなかったことをさす。
【その方ならで思ほし放つまじき綱も】−『完訳』は「八の宮につながる縁以外にも、無関係ではない絆もあるとする。自分が中の君の母の姪にあたることをいう」と注す。
【明日明後日】−以下「参らせはべらむ」まで、浮舟母の詞。『集成』は「物忌は普通二日間のことが多い」。『完訳』は「物忌にかこつけて引き取る」と注す。
【いとほしく本意なきわざかな】−中君の心中の思い。
【あさましう】−以下の文の主語は浮舟母。

 [第二段 浮舟の母、娘を三条の隠れ家に移す]
【かやうの方違へ所と思ひて】−主語は浮舟母。
【あはれこの御身一つを】−以下「仕うまつりてむ」まで、浮舟母の詞。浮舟の身の処遇に困惑する。
【みづからばかりは】−自分浮舟の母自身は、の意。『完訳』は「自分一人は常陸介の後妻の境遇に甘んじて人並以下に生きてよい。しかし浮舟だけは高貴な別世界にと願っている」と注す。
【さる方に】−受領の後妻という境遇をさす。
【このゆかりは心憂し】−『集成』は「このご親戚は(中の君方は)ひどいなさりようとお恨み申した所なのに。子と認めてもらえなかったことをいう」と注す。
【ことやうなりとも】−普通でないさま。粗末な家の造りであるが。
【ここを】−三条の隠れ家。
【君は】−浮舟。
【世にあらむこと所狭げなる身】−浮舟の思い。生きているのも肩身の狭い思い。
【つつがなくて思ふごと見なさむ】−浮舟母の思い。浮舟を無事に縁付けてやりたい。
【さるかたはらいたきこと】−匂宮に迫られた一件をさす。
【心地なくなどはあらぬ人の】−三光院「草子地也」と指摘。『完訳』は「以下、中将の君の人柄。思慮に欠ける人ではないが、少し怒りっぽく、気持を抑えられぬところがいささかある」と注す。
【かの家にも】−常陸介邸。
【ここはまた】−以下「苦しければ」まで、浮舟母の詞。
【言ひおきてはべるも】−浮舟母が宿直人に。
【かしこに】−常陸介から。

 [第三段 母、左近少将と和歌を贈答す]
【少将の扱ひを】−常陸介の娘婿の世話。
【もろ心にさま悪しく営まず】−「さま悪しく」挿入句。「もろ心に」は「営まず」にかかる。
【いと心憂く】−以下「あるぞかし」まで、浮舟母の心中の思い。
【この人により】−少将をさす。
【またなく思ふ方の】−浮舟をさす。
【かの宮の御前にて】−匂宮の御前で。
【私ものに思ひかしづかましをなど思ひしことは】−かつて浮舟母は少将を浮舟の婿にと望んでいた。
【ここにては】−以下「見ぬに」まで、浮舟母の思い。「ここ」は常陸介邸に通って来る少将の様子を想像する。
【うちとけたるさま】−少将の態度。
【のどかにゐたまへる】−主語は少将。
【こなたに渡りて】−主語は浮舟母。
【今様色】−『新大系』は「平安中期に流行した紅花染めの薄色」と注す。
【いづこかは劣る】−以下「いときよげなめるを」まで、浮舟母の少将を見ての感想。
【宮の上の並びておはせし御さまども】−「宮の上」で一語。中君が匂宮と寄り添っていた様子と比較。
【口惜しのさまどもや】−浮舟母の感想。少将と自分の娘夫婦について。
【前なる御達にものなど言ひ戯れて】−主語は少将。
【いと見しやうに匂ひなく人悪ろげにて見えぬを】−副詞「いと」は「見えぬ」にかかる。かつて二条院で見たときのようにここ常陸介邸ではみっともなくも見えない。
【かの宮なりしは異少将なりけり】−実際は同一人物なのだが、まるで別人に見えたろいう驚き。
【思ふ折しも言ふことよ】−『完訳』は「そう思った折も折、こう言うではないか。少将への侮蔑」。語り手の批評の辞。
【兵部卿宮の】−以下「見せたらましかば」まで、少将の詞。匂宮邸での体験を語る。同一人物であったことを自ら証明する。
【出でたまふほどなりしかば】−主語は匂宮。
【ことだに惜しきと】−『源氏釈』は「移ろはむことだに惜しき秋萩に折れぬばかりもおける露かな」(拾遺集秋、一八三、伊勢)を指摘。
【我も】−自分でも、の意。少将が和歌を詠んだ。
【いでや心ばせのほどを】−以下「言ひたるぞ」まで、浮舟母の心中の思い。
【出で消えはいとこよなかりけるに】−『集成』は「宮のお前でのみすぼらしさは、もう言いようもなかたのに」と訳す。「出で消え」は人前に出て見劣りがすること。
【言ひたるぞ】−大島本は独自異文。他本「いひゐたるそ」とある。『集成』『完訳』等は「言ひゐたるぞ」と校訂。
【いかが言ふとて】−『完訳』は「どんな返歌がよめるかと試す」と注す。
【しめ結ひし小萩が上も迷はぬにいかなる露に映る下葉ぞ】−浮舟母から少将への贈歌。「小萩」を浮舟、「露」を実の娘、「下葉」を少将に喩え、寝返った少将をなじる。
【宮城野の小萩がもとと知らませば露も心を分かずぞあらまし】−少将の返歌。「小萩」「露」の語句を受けて、「宮城野の小萩」は、皇族の血を引く浮舟、「露」は自分自身を喩えて、「心を分かずぞあらまし」と返す。「ませば--まし」反実仮想の構文。
【いかでみづから聞こえさせあきらめむ】−歌に続けた詞。

 [第四段 母、薫のことを思う]
【故宮の御こと聞きたるなめりと思ふに】−主語は浮舟母。
【思ひ扱はる】−浮舟を。「る」自発の助動詞。
【あいなう大将殿の】−『完訳』は「筋ちがいながら、薫を想起する中将の君への、語り手の評言」と注す。
【面影に見ゆる】−浮舟母は薫を。
【思ひ離れたまひて】−『集成』は「「離れ」は「はなたれ」の誤脱か。「たまひ」は宮に対する敬語。以下、薫へと傾く母君の長い思案を述べる」と注す。
【あなづりて押し入りたまへりけるを】−浮舟を見下して匂宮は押し入った。
【この君は】−薫。以下「なべかりけれ」まで、浮舟母の心中。『完訳』は「心中叙述が地の文に流れる形」と注す。
【若き人はまして】−以下「ことなるべかりけれ」まで、浮舟母の心中の思い。
【わがものにせむと】−少将を浮舟の婿にしようと、かつては考えたことがある。
【憎き人】−少将。
【やむごとなき御身のほど】−以下「つつましかるべきものかな」まで、浮舟母の心中の思い。薫の身分や風采を思う。
【見たてまつりたまへらむ人は】−薫が結婚申し上げなさった方、女二宮。
【いかばかりにてかは】−浮舟がどれほど薫に認めてもらえようか。
【わが子どもを見るにこの君に似るべきやはある】−反語表現の構文。「わが子」は常陸介との間にできた娘たち、「この君」は浮舟をさす。
【宮に見比べ】−匂宮。

 [第五段 浮舟の三条のわび住まい]
【旅の宿りは】−浮舟の三条の隠れ家の生活。
【いやしき東声したる者ども】−常陸介の家来たちの声。
【宮の上の御ありさま】−中君の二条院における生活ぶり。
【若い心地に】−浮舟。
【あやにくだちたまへりし人】−匂宮が迫ってきたことをさす。
【何事にかありけむ】−以下「のたまひしかな」まで、浮舟の心中。『完訳』は「無我夢中だった浮舟は、匂宮の言葉までは覚えていない」と注す。
【思ひ出でらる】−「らる」自発の助動詞。
【母君たつやと】−以下「たてまつること」まで、浮舟の心中。『集成』は「「たつやと」は、諸本異同はないが、解しがたい。『玉の小櫛』は、「いかにやと」の誤写とするが首肯しがたい。旧説は「母君だつやと」と読んで、母君らしくか、と解する」と注す。
【うち泣かれて】−「れ」自発の助動詞。
【いかにつれづれに】−以下「過ぐしたまへ」まで、浮舟の母君の手紙の一節。
【つれづれは何か】−以下「思はましかば」まで、浮舟の母への返事。「何か」で文は切れる。反語表現。
【ひたぶるにうれしからまし世の中にあらぬ所と思はましかば】−「まし--ましかば」反語仮想の倒置法表現。『河海抄』は「世の中にあらぬ所もえてしがな年ふりにたるかたち隠さむ」(拾遺集雑上、五〇六、読人しらず)。『花鳥余情』は「恋ひわびてへじとぞ思ふ世の中にあらぬ所やいづこなるらむ」(曽丹集)を指摘。
【見るままに】−浮舟の返書を。主語は浮舟母。
【かう惑はしはふるるやうにもてなすこと】−浮舟母の心中。
【憂き世にはあらぬ所を求めても君が盛りを見るよしもがな】−浮舟母の返歌。「世」「あらぬ所」の語句を用いて「君が盛りを見るよしもがな」と返す。
【なほなほしきことどもを言ひ交はしてなむ心のべける】−『弄花抄』は「哥のさまを人にをしへんとの紫式部か心也」と指摘。『集成』は「何の曲もない思ったままの歌を」と注す。

 

第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く

 [第一段 薫、宇治の御堂を見に出かける]
【かの大将殿は例の秋深くなりゆくころ】−薫の宇治行きは慣例化。
【宇治の御堂造り果てつと聞きたまふに】−故八宮の寝殿を解体して阿闍梨の山寺の御堂に造り変えて寄進した。「宿木」巻(第七章第二段)に語られている。
【寝殿こたみはいと晴れ晴れしう造りなしたり】−旧寝殿は解体して山寺に寄進。改めて寝殿を新築した。
【この宮も】−故八宮。
【さま変へてけるも】−寝殿の様子をいう。『完訳』は「往時の面影をとどめないのが残念」と注す。
【もとありし御しつらひは】−元の建物は寝殿の西面と母屋が仏間で西廂間が八宮の居間であった。「椎本」巻に語られている。
【今片つ方を女しく】−寝殿の東廂間が姫君たちの部屋であった。
【ことさらになさせたまへり】−『集成』は「〔供養のため〕特に役立てるようになさった」と注す。
【絶え果てぬ清水になどか亡き人の面影をだにとどめざりけむ】−薫の独詠歌。「亡き人」は八宮や大君。
【いと悲しと見たてまつるに】−弁尼が薫を悲しい気持ちで拝する。
【かの人は】−以下「伝へ果てたまへ」まで、薫の詞。「かの人」は浮舟をさしていう。
【一日かの母君の】−以下「なむとはべりし」まで、弁尼の詞。
【忌違ふとて】−方違いをするといって。
【すこし近きほどならましかば】−宇治が京から近い所であったなら。反実仮想の構文。
【人びとのかく】−以下「あはれになむ」まで、薫の詞。
【まろこそ古りがたく分け来れ】−『集成』は「「まろ」は、親しい間で用いる一人称」。『完訳』は「自分だけはいつまでも昔を忘れず踏み分けてやって来る意。大君への絶えざる追慕をいう。それを「--契り」と、宿世ゆえとする」と注す。
【さらばその心やすからむ所に】−以下「出でたまはぬ」まで、薫の詞。浮舟の隠れ家をさしていう。
【みづからやは】−弁尼自身で、の意。「やは」疑問、依頼の意。
【仰せ言を】−以下「え参らぬを」まで、弁尼の詞。
【宮にだに】−匂宮邸。

 [第二段 薫、弁の尼に依頼して出る]
【などてか】−以下「尊からめ」まで、薫の詞。
【人の願ひを】−「人」は一般の人、凡人をさす。
【人渡すことも】−以下「出でまうで来れ」まで、弁尼の心中の思い。『異本紫明抄』は「人わたすことだになきを何しかも長柄の橋と身のなりぬらむ」(後撰集雑一、一一一七、七条后)を指摘。「人渡す」は衆生済度の和訳。
【なほよき折なるを】−薫の詞。
【明後日ばかり】−以下「ひがわざすまじくを」まで、薫の詞。
【いかに思すことならむ】−弁尼の心中。薫の考えをいぶかしがる。
【奥なく】−以下「包みたまふらむ」まで、弁尼の心中。
【わが御ためにも】−薫御自身のためにも。
【さらば承りぬ】−以下「慎ましくてなむ」まで、弁尼の詞。
【近きほどにこそ】−下に「おはすれ」などの語句が省略。浮舟は薫の三条宮邸の近くの隠れ家にいます、の意。
【御文などを見せさせたまへかし】−『完訳』は「前もって薫から浮舟に手紙を遣わしてほしいとする。尼の身で媒に積極的になりすぎるのを憚る」と注す。三条西家本には仮名で「おほむふみ」とある。
【伊賀専女にや】−言葉巧みに媒をする老女、の意。
【文はやすかるべきを】−以下「荒々しげなめり」まで、薫の詞。
【右大将は常陸守の娘をなむよばふなる】−噂として言うだろうことを仮想して言う。
【その守の主】−常陸介。『集成』は「「ぬし」は軽い敬語」と注す。
【いとほしと思ふ】−『集成』は「お気の毒にと思う。大君追慕のあまり、常陸の介ごとき者の継子に執心するのもいたわしく思う」と注す。
【暗うなれば出でたまふ】−薫、宇治の山荘を出る。
【折らせたまひて宮に御覧ぜさせたまふ】−「せ」使役の助動詞。「宮」は正室の女二宮。
【甲斐なからず】−女二宮との結婚の甲斐。
【かしこまり置きたるさまにて、いたうも馴れきこえたまはずぞあめる】−語り手の推測を交えた叙述。『完訳』は「薫は、畏れ敬って遇するが、打ち解けて親しみ申さない。薫の捨てがたい大君執心ゆえ」と注す。
【内裏よりただの親めきて入道の宮にも聞こえたまへば】−女二宮の父帝からも薫の母入道の宮にも、の意。帝と入道の宮は兄妹の関係。「ただの親めきて」は挿入句。
【こなたかなたとかしづききこえたまふ宮仕ひに添へて】−こちら薫の母入道の宮とあちら父帝から大切に後見申される女二宮への奉仕に加えて。薫には女二宮との結婚が「宮仕え」と意識される。
【むつかしき私の心の添ひたるも】−浮舟への執心。「私の心」と対比される。

 [第三段 弁の尼、三条の隠れ家を訪ねる]
【のたまひしまだつとめて】−約束した日の早朝。前に「明後日ばかり」とあった日。
【遣はす】−宇治へ弁尼を迎えに遣わす。
【荘の者ども】−以下「つけよ」まで、薫が使者に言った詞。
【のたまへりければ】−主語は薫。
【乗りぬ】−主語は弁尼。
【来着きける】−弁尼、浮舟の隠れ家に着く。
【かくなむ参り来つる】−弁尼が案内の男に言わせた詞。
【初瀬の供にありし若人】−浮舟の初瀬詣でに従っていた若い女房。
【うれしくて呼び入れたまひて】−主語は浮舟。
【親と聞こえける人の御あたりの人と】−父八宮に近侍した人、弁尼。
【睦ましきなるべし】−語り手の浮舟の心中を推量した叙述。
【あはれに人知れず】−以下「思ひたまへおこしてなむ」まで、弁尼の詞。
【見たてまつりしのちよりは】−浮舟を。
【思ひ出できこえぬ折なけれど】−浮舟を。
【かの宮に】−中君のいる匂宮邸。
【めでたしと見おききこえてし人】−薫をさす。二条院で拝見した。
【忘れぬさまにのたまふらむも】−主語は薫。薫が浮舟を。
【かく思したばかるらむと】−「かく」は以下の薫の来訪をさす。

 [第四段 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う]
【宇治より人参れりと】−三条の浮舟の隠れ家に来ている弁尼のもとに、宇治から使者が来た、と言わせる。
【さにやあらむ】−弁尼、薫の使者かと合点する。
【引き入るなる】−「なる」は伝聞推定の助動詞。浮舟の女房の認知。臨場感ある表現。
【あやしと思ふに】−『完訳』は「使者なら馬が当然なのに、車なので身分の高い人の来訪かと、浮舟づきの女房が不審がる」と注す。
【尼君に対面賜はらむ】−薫が荘園の管理人に言わせた詞。
【雨すこしうちそそくに、風はいと冷やかに吹き入りて】−湿気と微風によって薫の薫香が一際香る。
【かうなりけりと】−「心騒ぎて」にかかる。
【誰れも誰れも】−以下「ほどなれば」まで、挿入句。
【いかなることにかあらむ】−女房の詞。
【心やすき所にて】−以下「とてなむ」まで、薫が供人に言わせた詞。
【いかに聞こゆべきことにか】−浮舟の心中。
【しかおはしましたらむを】−以下「近きほどなれば」まで、乳母の詞。
【かの殿に】−常陸介邸にいる浮舟母に。
【近きほどなれば】−浮舟の三条の隠れ家は常陸介邸に近い距離にある。
【うひうひしく】−以下「うちとけたまはじ」まで、弁尼の詞。『完訳』は「それでは女君が幼い人のようではないか、の気持。以下、今さら母君との相談など不要だとする」と注す。
【あやしきまで心のどかにもの深うおはする君なれば】−薫の性格。不思議なほど気長で思慮深い人。
【人の許し】−浮舟の承諾、同意。
【家の辰巳の隅の】−以下「心はうたてあれ」まで、宿直人の声。
【佐野のわたりに家もあらなくに】−薫の口ずさみ。『奥入』は「苦しくも降り来る雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」(万葉集巻三、長奥麻呂)を指摘。
【さしとむる葎やしげき東屋のあまりほど降る雨そそきかな】−薫の独詠歌。催馬楽「東屋」の歌詞を踏まえる。
【東の里人も】−宿直人などをさす。
【心やすくしも対面したまはぬを】−主語は浮舟。
【遣戸といふもの鎖していささか開けたれば】−遣戸は高貴な人の邸宅では用いない建具。「といふもの」は薫の気持ちに即した叙述。閉めてあった遣戸を少し開けた、という文脈。
【飛騨の工も】−以下「まだ居ならはず」まで、薫の詞。
【いかがしたまひけむ】−挿入句。『全集』は「そのいきさつに立ち入らぬ語り手の推量的な叙述」と注す。
【おぼえなきもののはさまより】−以下「思ひきこゆる」まで、薫の詞。宇治で垣間見たことをいう。
【さるべきにやあらむ】−前世からの因縁か、の意。口説きの常套句。
【とぞ語らひたまふべき】−『一葉抄』は「双紙の詞也推量したる心也」と指摘。語り手の推量。
【人のさま】−浮舟。相手浮舟の様子、のニュアンス。「女」とはない。

 [第五段 薫と浮舟、宇治へ出発]
【ほどもなう明けぬ心地するに】−『対校』は「長しとも思ひぞはてぬ昔よりあふ人からの秋の夜なれば」(古今集恋三、六三六、凡河内躬恒)を指摘。
【大路近き所に】−三条大路に近い隠れ家。
【おほどれたる声して】−『完訳』は「間のびした物売りの声」と注す。
【名のりをして】−売り物の名を呼び上げる声がして。
【かかる蓬のまろ寝】−「蓬」は荒れた邸、「まろ寝」は帯も解かずに寝る旅寝。歌語的表現。
【かき抱きて乗せたまひつ】−薫は浮舟を牛車に。
【九月にもありけるを】−以下「いかにしつることぞ」まで、女房の詞。九月は季の末なので、結婚は忌まれた。
【おのづから】−以下「聞きしか」まで、弁尼の詞。
【長月は明日こそ節分と聞きしか】−長月は明日が秋の季節の末、明後日は立冬。後文に「今日は十三日」とあるので、十四日は秋の末日、十五日は立冬。『集成』は「ここは、明日立冬の前日ゆえ、多少のことはこだわるに及ぶまい、の意か」と注す。
【こたみはえ参らじ】−以下「うたてなむ」まで、弁尼の詞。
【宮の上】−中君。
【まだきこのことを】−早々にこのこと、浮舟を薫が世話するようになったことを。
【心恥づかしくおぼえたまひて】−主語は薫。
【それはのちにも】−以下「たづきなき所を」まで、薫の詞。『完訳』は「後日でも申し訳が立とう」と訳す。
【かしこもしるべなくては】−宇治の邸をさす。弁尼を宇治へ誘う。
【人一人やはべるべき】−薫の詞。
【この君に】−浮舟。
【侍従】−浮舟付きの女房。初出。

 [第六段 薫と浮舟の宇治への道行き]
【近きほどにやと思へば】−浮舟や侍従などの気持ち。
【おはするなりけり】−「けり」は、初めて気づいた気持ちを表す。
【河原過ぎ法性寺のわたり】−加茂河原を過ぎ、九条河原の法性寺付近。現在の東福寺あたり。
【若き人は】−浮舟の女房、侍従。
【ほのかに見たてまつりて】−侍従が薫を。『完訳』は「薫の美しい風姿に接して、浮き立つ気分である」と注す。
【君ぞ】−浮舟。
【石高きわたりは苦しきものを】−薫の詞。大きな石ころのある道、の意。
【抱きたまへり】−薫が浮舟を。
【故姫君の御供にこそ】−以下「見るかな」まで、弁尼の心中。これが大君のお供であったらよかったのに、と思う。
【ものの初めに】−以下「いやめなる」まで、侍従の思い。浮舟の新婚生活に。
【形異にて】−尼姿をいう。
【老いたる者は--おろそかにうち思ふなりけり】−三光院は「侍従か心を察してかけり」と指摘。『集成』は「草子地」。『完訳』は「弁の複雑な心中を理解しえぬとする」と注す。
【君も】−薫。
【空のけしきにつけても来し方の恋しさ】−『完訳』は「晩秋の景に、大君追慕が触発される。浮舟を抱きながら、薫は亡き人の面影を追い続ける。彼女はしょせん大君の形代にすぎない」と注す。
【霧立ちわたる心地したまふ】−『完訳』は「宇治に近づくにつれて薫は憂愁に捉えられる。「霧」はその象徴」と注す。
【うち眺めて寄りゐたまへる袖の】−主語は薫。薫の直衣の袖。
【重なりながら長やかに】−薫の直衣の袖と浮舟の袖とが重なって。
【御衣の紅なるに御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを】−一つには薫の下着の袿と上着の直衣が重なって、『集成』は「下のお召し物(袿)が紅なのに、表着の御直衣の花色(薄い藍色)が、ひどく色変りして見えるのを。紅と薄藍の重なったのが、二藍(紫に近い色)に見える」と注す。また一つには浮舟の御衣と薫の直衣が重なって、『完訳』は「浮舟の衣の紅に薫の直衣の花色(縹色)が重なり、二藍色(青みがかった紫色)に見える」と注す。
【落としがけ】−『集成』は「おとしかけ」と清音、『完訳』は「おとしがけ」と濁音。
【形見ぞと見るにつけては朝露のところせきまで濡るる袖かな】−薫の独詠歌。『完訳』は「浮舟を亡き大君の形見と見て詠嘆する歌。「露」に涙を響かす」と注す。
【聞きていとどしぼるばかり】−主語は弁尼。「故姫君の御供にこそ」とあったのを受けて「いとど」となる。薫の歌に共感。
【若き人】−侍従。薫の真意を理解していない。
【あやしう見苦しき世かな】−以下「むつかしきこと添ひたる」あたりまで、侍従の心中の思い。『完訳』は「心中叙述がそのまま地の文に続く」と注す。
【忍びがたげなる鼻すすり】−弁尼の鼻水。
【聞きたまひて我も】−薫をさす。
【いかが思ふらむといとほしければ】−薫は浮舟の心中を忖度。
【あまたの年ごろ】−以下「いと埋れたりや」まで、薫の詞。『完訳』は「大君を思い多年通い続けた宇治行を回顧。半ば独り言である」と注す。
【かき起こしたまへば】−薫が浮舟を。
【いとよく思ひ出でらるれど】−浮舟の姿態から薫は亡き大君を思い出す。『集成』は「〔亡き大君に〕とてもよく似ているけれども」。『完訳』は「まったく亡き姫宮を思い起さずにはいられぬ顔だちであるけれども」と訳す。
【心もとなかめる】−推量助動詞「める」の主観的推量は薫と語り手の推測が一体化した表現。
【いといたう児めいたるものから】−以下「ものしたまひしはや」まで、薫の心中。大君の人柄を思う。
【行く方なき悲しさはむなしき空にも】−『源氏釈』は「我が恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし」(古今集恋一、四八八、読人しらず)を指摘。
【満ちぬべかめり】−「べかめり」は語り手の推測。

 [第七段 宇治に到着、薫、京に手紙を書く]
【あはれ亡き魂や】−以下「ものにもあらなくに」まで、薫の感想。亡き大君の霊魂の存在を思う。『完訳』は「大君の亡き魂に見守られている自分であると実感」と注す。
【すこし心しらひて立ち去りたまへり】−『集成』は「少し気を利かせて。浮舟を休息させるため」と注す。
【女は】−浮舟。「女」という呼称に注意。
【語らひたまふに】−主語は薫。
【尼君は、ことさらに降りで、廊にぞ寄するを】−『完訳』は「薫や浮舟は寝殿の正面に下車、弁は自分の住む廊に車を回す」と注す。
【わざと思ふべき】−以下「あまりなれ」まで、薫の感想。
【いぶせさ慰みぬる心地すれど】−主語は浮舟。三条あたりの隠れ家生活と比較。
【浮きてあやしうおぼゆ】−『完訳』は「浮舟特有の語「浮き」に注意」と注す。
【殿は京に御文書きたまふ】−薫は京の母女三宮や正室の女二宮に手紙を書き送る。「殿」のニュアンスについて『集成』は「一家の主人といった語感がある」と注す。
【なりあはぬ仏の】−以下「慎みはべるべき」まで、薫の文。御堂はすでに完成している。ここは内部の仏の飾りについていうものか。
【母宮にも姫宮にも】−薫の母女三宮と正室の女二宮。

 [第八段 薫、浮舟の今後を思案す]
【うちとけたる御ありさま】−薫の態度。
【恥づかしけれど】−主語は浮舟。
【女の装束】−浮舟の衣装。
【色々にきよくと思ひてし】−主語は浮舟の母。その思い入れが窺える。
【うち混じりてぞ】−係助詞「ぞ」は、結びの流れ、あるいは省略、文が切れているとみるべきか。
【昔のいと萎えばみたりし御姿のあてになまめかしかりし】−故大君の生前の姿。
【髪の裾の】−以下「劣るまじかりけり」まで、薫の目に移った浮舟の姿。正室の女二宮と比較。
【宮の】−薫の正室、女二宮。
【この人をいかにもてなして】−以下「隠してあらむ」まで、薫の心中の思い。浮舟の処遇をめぐって悩む。
【かの宮に】−薫の自邸三条の宮邸。
【しばしここに隠して】−浮舟を宇治に。
【故宮の御ことも】−故八宮のこと。
【昔物語】−八宮生前中の話。
【あやまりても】−以下「不用ならまし」まで、薫の心中の思い。
【田舎びたるされ心】−以下「ましかば--不用ならまし」の反実仮想の構文。「品々しからず」「はやりか」は並列の関係。

 [第九段 薫と浮舟、琴を調べて語らう]
【かかることはたましてえせじかし】−薫の心中の思い。浮舟は楽器を嗜むまい、と想像。
【宮亡せたまひてのち】−以下「手触れざりつかし」まで、薫の心中の思い。「宮」は八宮。
【宮の御琴の音の】−以下「あはれに弾きたまひしはや」まで、薫の心中の思い。故八宮の琴の琴を回想。
【昔誰れも誰れもおはせし世に】−以下「年ごろへたまひしぞ」まで、薫の詞。八宮や大君の生存中。「ましかば--まし」反実仮想の構文。
【親王の御ありさま】−八宮の人柄。
【よその人だに】−『集成』は「他人の私でさえ」と訳す。
【いと恥づかしくて】−主語は浮舟。
【白き扇を】−『集成』は「骨に白い紙を張った、いはゆる「かはぼり」の扇である。夏扇」と注す。
【いとよく思ひ出でられてあはれなり】−『集成』は「まざまざと亡き人の面影が思い出されて胸が迫ってくる」。『完訳』は「じっさいに亡き姫宮その人を思い出さずにはいられないので、大将は感慨も無量である」と注す。
【かやうのことも】−琴の嗜み。
【これはすこし】−以下「手ならしたまひけむ」まで、薫の詞。「これ」は後文から東琴と知られる。浮舟が東国育ちなので話題にする。
【ほのめかいたまひたりや】−琴に手を触れる、弾く、の意。
【あはれ吾が妻といふ琴】−吾が妻、東琴、すなわち和琴。
【その大和言葉だに】−以下「ましてこれは」まで、浮舟の詞。「大和言葉」は和歌の意。和歌さえ知らぬ、まして和琴は知らない、の意。
【ここに置きて】−浮舟を宇治に置いて。
【なのめには思さぬなるべし】−『休聞抄』は「双」と指摘。『完訳』は「薫の浮舟執心。語り手の推測」と注す。
【楚王の台の上の夜の琴の声】−薫の口ずさみ。『和漢朗詠集』中の詩句。夏の白扇のように捨てられた女の話が省略されている。
【いとめでたく思ふやうなり】−侍従の感想。薫の口ずさんだ詩句の内容を理解せず、美声に感嘆している。
【さるは扇の色も心おきつべき閨のいにしへをば知らねば】−以下「後れたるなめるかし」まで、語り手の批評。『万水一露』は「草子の詞也」と指摘。『集成』は「今、浮舟は「白き扇をまさぐりつつ」あるので、不吉な符号に気づくべきなのである。以下、草子地」と注す。
【ことこそあれあやしくも言ひつるかな】−薫の心中の思い。「楚王台上夜琴声」の詩句を口ずさんだことを後悔。
【ふつつかに書きたるもの】−『集成』は「筆太に書いてあるのが。老人らしい太い字」と注す。
【くだもの急ぎにぞ見えける】−『一葉抄』は「双紙地也」と指摘。『評釈』は「字を読み解こうとして、のぞきこむ薫を、「くだものいそぎにぞ見えける」とひやかす」。『集成』は「まるで、くだものを早く欲しがっているように見えた。たわむれに取りなした草子地」と注す。
【宿り木は色変はりぬる秋なれど昔おぼえて澄める月かな】−弁尼から薫への贈歌。『集成』は「上の句、大君から浮舟に変ったことを暗に言い、月を薫に喩える。「澄める」に「住める」の意を掛ける。去年の秋の、「宿木」を詠み込んだ薫との贈答を踏まえたもの」と注す。
【恥づかしくもあはれにも】−浮舟のこと、大君のことを思って複雑な心境である。
【里の名も昔ながらに見し人の面変はりせる閨の月影】−薫の返歌。「昔」「月」の語句を受けて返す。
【わざと返り事とはなくてのたまふ】−ことさら返歌として返した、というのでなく。
【侍従なむ伝へけるとぞ】−侍従が薫の歌を弁尼に。『細流抄』は「例の作者のかける也」と指摘。『集成』は「お側にいた侍従が伝えたとか。語り手の存在を示す草子地」。『完訳』は「侍従が語り手に組み込まれる」と注す。

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