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渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)

  

鈴虫


 [底本]
財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第七巻 一九九六年 角川書店

 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第二巻「校異篇」一九五六年 中央公論社

阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第十一巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第四巻 一九九六年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第七巻 一九八七年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第五巻 一九八〇年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第四巻 一九七四年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第八巻 一九六七年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第四巻 一九六二年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第四巻 一九五二年 朝日新聞社

伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院

第一章 女三の宮の物語 持仏開眼供養

  1. 持仏開眼供養の準備---夏ごろ、蓮の花の盛りに、入道の姫宮の御持仏ども
  2. 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす---堂飾り果てて、講師参う上り、行道の人びと
  3. 持仏開眼供養執り行われる---例の、親王たちなども、いとあまた参りたまへり
  4. 三条宮邸を整備---今しも、心苦しき御心添ひて、はかりもなくかしづき
第二章 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴
  1. 女三の宮の前栽に虫を放つ---秋ごろ、西の渡殿の前、中の塀の東の際を
  2. 八月十五夜、秋の虫の論---十五夜の夕暮に、仏の御前に宮おはして、端近う眺め
  3. 六条院の鈴虫の宴---今宵は、例の御遊びにやあらむと推し量りて、兵部卿宮
  4. 冷泉院より招請の和歌---御土器二わたりばかり参るほどに、冷泉院より御消息
  5. 冷泉院の月の宴---人びとの御車、次第のままに引き直し、御前の人びと立ち混みて
第三章 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う
  1. 秋好中宮、出家を思う---六条の院は、中宮の御方に渡りたまひて、御物語など
  2. 母御息所の罪を思う---御息所の、御身の苦しうなりたまふらむありさま
  3. 秋好中宮の仏道生活---昨夜はうち忍びてかやすかりし御歩き、今朝は表はれ

 

第一章 女三の宮の物語 持仏開眼供養

 [第一段 持仏開眼供養の準備]
【夏ごろ蓮の花の盛りに】−源氏五十歳の夏、「横笛」巻の翌年。
【入道の姫宮の御持仏どもあらはしたまへる供養ぜさせたまふ】−『集成』は「お念持仏(身辺に安置して、朝夕礼拝する仏像)の数々をお造りになったのを、開眼供養なさる」。「あらはしたまへる」「供養ぜさせたまふ」の主語は、女三の宮。
【調へさせたまへるを】−「させ」使役の助動詞。源氏が家人をして。
【紫の上ぞ急ぎせさせたまひける】−「させ」使役の助動詞。過去の助動詞「ける」は事の終わった後から事情を明かすニュアンス。
【をかしき目染もなつかしう】−「目染(めぞめ)」、鹿の子絞り。絞り染。
【阿弥陀仏脇士の菩薩】−阿弥陀仏とその脇士の観音菩薩と勢至菩薩。
【荷葉の方を合はせたる名香】−「荷葉の方」は夏の薫香。
【六部書かせたまひて】−「せたまひて」最高敬語。主語は女三の宮。
【みづからの御持経は院ぞ御手づから書かせたまひける】−女三の宮御自身の御持経は、源氏の御親筆による。「書かせたまひける」最高敬語、過去の助動詞「けり」後から事情を明かすニュアンス。
【さては阿弥陀経】−これも源氏親筆。
【朝夕の御手慣らしにも】−女三の宮が始終使うには、の意。
【御心とどめて急ぎ書かせたまへるかひありて】−「書かせたまひ」最高敬語。『完訳』は「お心をこめてせっせとお書きになっただけのことはあって」と訳す。
【罫かけたる金の筋よりも墨つきの上に】−罫に引いた金泥の線よりも、源氏の書いた墨筆の方が目も眩むほど素晴らしい。
【軸表紙筥のさま】−巻物にしたお経の軸、表紙、収納箱。
【これはことに】−阿弥陀経をさす。

 [第二段 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす]
【行道の人びと】−大島本「行た(=か、か<朱イ>)うの人/\」とある。『集成』は本文を「行香の人」とし、「法会の時、僧に香を配ること。殿上人が勤める」と注す。『完訳』は「行道の人々」とし、「仏像の周囲を巡り歩く礼法。「行香」とする本も多い」と注す。
【宮のおはします西の廂に】−『集成』は「寝殿の西面の西の廂。女三の宮の常の居間である母屋は法会の場になっているので、西廂に移っている」と注す。
【ことことしく装束きたる女房、五、六十人ばかり集ひたり】−女三の宮付きの女房の勢揃いであろう。五、六十人伺候していた。
【北の廂の簀子まで童女などはさまよふ】−女房以外の女童は北の廂をはみ出して簀子に伺候した。
【火取りども】−香炉。接尾語「ども」は複数を表す。
【空に焚くはいづくの煙ぞと】−以下「静めてなむよかるべき」まで、源氏の詞。「空に焚くは」は空薫物はの意。
【富士の峰よりもけにくゆり満ち出でたる】−富士山の噴煙よりも多く煙が出ている意。当時の富士山は噴煙を上げていた。伊勢物語、更級日記等参照。
【若君らうがはしからむ抱き隠したてまつれ】−源氏の詞。「若君」は薫。
【北の御障子も取り放ちて、御簾かけたり】−『完訳』は「母屋の北側の障子(襖)。北の廂にも女房の聴聞所を設営。御簾で女房たちの姿を隠す」と注す。
【そなたに人びとは入れたまふ】−「そなた」は北の廂の間。「人びと」は女房。
【下形】−予備知識。
【御座を譲りたまへる】−女三の宮の常の御座所を。
【見やりたまふも】−主語は源氏。
【さまざまに】−『完訳』は「源氏は宮の御帳台を見て、これまでの夫婦仲、宮と柏木の密通などを回想、複雑な思念を抱く」と注す。
【かかる方の】−以下「とを思ほせ」まで、源氏の詞。『集成』は「若い女三の宮は、源氏よりもあと、その死後か出家の後に、世を背くことになろうと思っていたのに、逆に今生で自分が宮から厭い捨てられたことを恨む」と注す。
【かの花の中の宿りに隔てなくとを】−『集成』は「極楽の往生人は、蓮華の上に半座をあけて同行の人を待つとされた」と注す。『河海抄』所引、五会讃。
【蓮葉を同じ台と契りおきて露の分かるる今日ぞ悲しき】−源氏から女三の宮への贈歌。主旨は、一蓮托生と約束したが、別々に暮らすのが悲しい。「蓮葉」「置き」「露」が縁語。
【隔てなく蓮の宿を契りても君が心や住まじとすらむ】−女三の宮の返歌。「蓮」「契り」の語句を引用して、「君が心やすまじとすらむ」と切り返す。「すまじ」は「住まじ」と「清まじ」の掛詞。
【いふかひなくも思ほし朽たすかな】−源氏の詞。
【うち笑ひながら、なほあはれとものを思ほしたる御けしきなり】−この「笑ひ」は苦笑。「なほ」以下、語り手の源氏評。女三の宮になお執着している源氏の態度に対する客観的コメント。

 [第三段 持仏開眼供養執り行われる]
【例の、親王たちなども、いとあまた参りたまへり】−「例の」は「参りたまへり」を修飾する。したがって、「例の」の下に読点必要。
【御方々より】−六条院の源氏のご夫人方をさす。
【紫の上せさせたまへり】−「させ」使役の助動詞。
【綾のよそひにて袈裟の縫目まで見知る人は世になべてならずとめでけりとやむつかしうこまかなることどもかな】−『一葉抄』は「作者の詞也」と指摘。『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の言辞。省筆しながら、紫の上の用意した法服を賞賛」と注す。
【この世にすぐれたまへる盛りを】−以下「尊く深きさま」まで、講師の読み上げた趣旨(表白)の内容、間接的に要約して叙述。
【長き世々に絶ゆまじき御契り】−源氏と女三の宮との夫婦の契り。
【才もすぐれ豊けきさきらを】−講師の学才、弁舌文才をいう。
【これは】−今回の持仏開眼供養をさす。
【内裏にも山の帝も】−主上は女三の宮の兄弟、山の帝は父朱雀院である。
【院にまうけさせたまへりける】−六条院。「させ」尊敬の助動詞。最高敬語待遇。
【夕べの寺に置き所なげなるまで所狭き勢ひになりてなむ僧どもは帰りける】−『集成』は「夕方、寺に置き所もなさそうなほど、豪勢な様子で僧たちは帰って行った」。『完訳』は「夕方になって退出する僧たちは、寺に持ち帰っても置場があるまいと思われるくらいお布施をいただいて、豪勢な様子で帰っていったのであった」と訳す。「重畳せる煙嵐の断えたる処に晩寺に僧帰る」(和漢朗詠集下、僧)。

 [第四段 三条宮邸を整備]
【今しも心苦しき御心添ひて】−副助詞「しも」強調のニュアンス。『完訳』は「宮の出家生活が本格化する今になって、源氏の執心が強まる」と注す。
【この御処分の宮に】−朱雀院から女三の宮に遺贈された三条宮邸。
【つひのことにて】−『完訳』は「出家の身ゆえ、どうせ別居するのだから、居間のうちが世間体もよかろうと。その時期が遅れては、世人が疑念を抱くだろう、の判断」と注す。
【よそよそにては】−以下「失ひ果てじ」まで、源氏の詞。下文に「聞こえたまひつつ」とあるので、直接話法というより間接話法的内容。
【あり果てぬ世】−「ありはてぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな」(古今集雑下、九六五、平貞文)。
【聞こえたまひつつ】−接続助詞「つつ」同じ動作の反復。
【この宮を】−三条宮邸をさす。
【いとこまかにきよらに造らせたまひ】−「せ」使役の助動詞。『集成』は「念入りに立派に改築させなさって」と訳す。
【またも建て添へさせたまひて】−源氏がさらにまた御倉を建て加えさせなさって、の意。「させ」使役の助動詞。三条宮邸の家司等をしての意。
【あなたざまの物は】−女三の宮関係の物は、の意。
【そこらの女房】−女三の宮付きの女房は五、六十人いる。
【急ぎ仕うまつらせたまひける】−『完訳』は「お手入れをお進めになるのであった」と訳す。「つかうまつる」は、目上の人に〜してさしあげるというニュアンス。「せ」尊敬の助動詞、源氏に対する最高敬語。

 

第二章 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴

 [第一段 女三の宮の前栽に虫を放つ]
【西の渡殿の前中の塀の東の際を】−寝殿と西の対を結ぶ渡廊の前(南)側でその間にある塀の東側。
【その方に】−仏道方面の生活に。
【さる方にて】−尼として。
【選りてなむなさせたまひける】−主語は源氏。
【あるまじきことなり】−以下「出で来るわざなり」まで、源氏の詞。
【かたへの人苦しう】−「人」「苦しう」は主語−述語の関係。
【虫ども放たせたまひて】−主語は源氏。「せ」使役の助動詞。
【渡りたまひつつ】−主語は源氏。接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返し。源氏の女三の宮に対する執心。
【虫の音を聞きたまふやうにて、なほ思ひ離れぬさまを聞こえ悩ましたまへば】−源氏の女三の宮に対する執心。『完訳』は「「--やうにて」とあり、虫の音の観賞は二の次で、宮との対面が目的」と注す。
【例の御心はあるまじきことにこそはあなれ】−女三の宮の心中。『完訳』は「以下、宮の心内に即した叙述。「例の」の注意。源氏の好色心ゆえの頻繁な訪問と思われ、困惑する」と注す。「なれ」断定の助動詞。
【人目にこそ】−以下、女三の宮の心中に即した叙述。「人目にこそ--もてなし給ひしか、うちには--けしきしるく」という対比の構文。
【こやなう変はりにし御心を】−源氏の心。女三の宮への愛情。愛情のない執心のみが依然として続く。しかし、愛情は最高の概念ではない。
【いかで見えたてまつらじの御心にて】−女三の宮の考え、気持ち。
【なほかやうになど聞こえたまふぞ】−「なほ思ひ離れぬさまを聞こえ悩ましたまへれば」をさす。
【人離れたらむ御住まひにもがな】−女三の宮の心中。

 [第二段 八月十五夜、秋の虫の論]
【十五夜の夕暮に】−八月の十五夜。中秋の名月の夜。
【虫の音いとしげう乱るる夕べかな】−源氏の詞。
【げに声々聞こえたる中に】−「げに」は源氏の詞を受けた語り手の発語。
【鈴虫のふり出でたるほど】−「鈴」と「振り」は縁語。
【秋の虫の声】−以下「らうたけれ」まで、源氏の詞。
【中宮のはるけき野辺を分けて】−秋好中宮。「野辺」歌語。
【しるく鳴き伝ふる】−『集成』は「はっきり野の声さながらに鳴き続ける」と注す。
【名には違ひて】−「松虫」の「松」は長寿をイメージする。
【おほかたの秋をば憂しと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声】−女三の宮から源氏への贈歌。「秋」と「飽き」の掛詞。「鈴」「振り」は縁語。『完訳』は「源氏の「鈴虫は--」を受け、庭に虫を放つなどの源氏の厚志に感謝しながらも、自分を飽きた源氏への恨みを言い込めた歌」と注す。
【いかにとかや】−以下「御ことにこそ」まで、源氏の詞。『完訳』は「宮の歌の「飽き」への反発」と注す。
【心もて草の宿りを厭へどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ】−源氏の返歌。「振り」「鈴虫」の語句を受けて、「声ぞふりせぬ」あなたは昔どおり若く美しい、と返す。「振り」「古り」掛詞、「鈴」「振り」縁語。「草のやどり」は六条院、「鈴虫」は女三の宮を喩える。『完訳』は「源氏には、「心やすく、いまめい」た鈴虫が、女三の宮の美質として顧みられる。秋虫を放った六条院庭園は、執心を捨て得ない源氏の心象風景たりうる」と注す。
【世の中さまざまにつけて】−『集成』は「女三の宮をはじめ、朧月夜や朝顔の前斎院などのこと」と注す。

 [第三段 六条院の鈴虫の宴]
【今宵は例の御遊びにやあらむと】−今夜は八月十五夜である。六条院で管弦の遊びが催されるだろうことを期待。
【兵部卿宮】−蛍兵部卿宮。
【大将の君】−夕霧。
【いとつれづれにて】−以下「いとよう尋ねたまひける」まで、源氏の詞。
【独り琴を】−「を」格助詞、目的格を表す。
【尋ねたまひける】−「ける」過去の助動詞、詠嘆の意。連体中止法、余意・余情の気持ちを表す。
【内裏の御前に、今宵は月の宴あるべかりつるを、とまりて】−宮中の帝の御前における八月十五夜の月の宴が中止となる。その理由は語られていない。
【聞き伝へて】−主語は、これかれの上達部。
【月見る宵の】−以下「いとうるさかりしものを」まで、源氏の詞。
【新たなる月の色には】−「三五夜中新月の色二千里の外故人心」(白氏文集、八月十五夜禁中独直対月憶元九)。
【思ひ流さるれ】−「るれ」自発の助動詞。係結びの已然形、強調のニュアンス。
【故権大納言】−柏木。亡くなる直前に「大納言」となった。
【花鳥の色にも音にも】−「花鳥の色をも音をもいたづらにもの憂かる身には過ぐすのみなり」(後撰集夏、二一二、藤原雅正)。
【御琴の音にも】−柏木は和琴の名手であったことを回想。
【御簾の内にも】−以下「聞きたまふらむ」まで、源氏の心中。「御簾の内」は女三の宮をさす。
【今宵は鈴虫の宴にて明かしてむ】−源氏の詞。

 [第四段 冷泉院より招請の和歌]
【左大弁、式部大輔、また人びと率ゐて】−左大弁は、柏木の弟、後の紅梅大納言。式部大輔は系図不詳のここだけに登場する人物。
【さるべき限り】−『完訳』は「詩文に堪能な人々か」と注す。
【聞こし召してなりけり】−主語は冷泉院。語り手の説明的叙述。
【雲の上をかけ離れたるすみかにももの忘れせぬ秋の夜の月】−冷泉院から源氏への贈歌。『完訳』は「中秋の名月はめぐり来るのに、源氏は訪れぬと訴えた歌」と注す。
【同じくはと】−「あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや」(後撰集春下、一〇三、源信明)。ここに見に来ていただきたい、の意。
【何ばかり所狭き身のほどにも】−以下「かたじけなし」まで、源氏の詞。「何ばかり所狭き身」は源氏自身をさす。
【今はのどやかにおはしますに】−冷泉院をいう。
【月影は同じ雲居に見えながらわが宿からの秋ぞ変はれる】−源氏の返歌。「月影」は冷泉院を喩える。「試みに他の月をも見てしがなわが宿からのあはれなるかと」(詞花集雑上、二九九、花山院)。
【異なることなかめれど、ただ昔今の御ありさまの思し続けられけるままなめり】−『一葉抄』は「作者の詞」と指摘。『集成』は「なにほどのこともないご返歌だが、ご在位の昔に変る冷泉院のご様子に、何かと感慨を催されてのお作であろう。草子地」。『完訳』は「「めり」まで語り手の評。この歌には往時述懐があるとして、源氏の心の深さに注意させる言辞」と注す。

 [第五段 冷泉院の月の宴]
【院の御車に親王たてまつり】−六条院の御車。源氏と蛍兵部卿宮と同乗。
【わざとなく吹かせたまひなどして】−『集成』は「興のままにお吹かせになったりして」。『完訳』は「さりげなく笛をお吹かせになったりして」と訳す。
【御覧ぜられたまひ】−逆接で下文に続く。
【またいにしへのただ人ざまに思し返りて】−「いにしへ」は冷泉帝在位中をさす。源氏は准太上天皇の待遇を得たとはいうものの、皇族に復籍せず、あくまでも臣下のままである。
【ねびととのひたまへる御容貌】−冷泉院三十二歳。
【御盛りの世を御心と思し捨てて】−冷泉院は二十八歳で退位。「若菜下」巻に語られている。
【その夜の歌ども】−『林逸抄』は「さうしの詞」と指摘。『集成』は「以下、草子地」。
【例の、言足らぬ片端は、まねぶもかたはらいたくてなむ】−『集成』は「省筆をことわる草子地。上皇御前では漢詩を第一とするが、それは女性の口にすべきことではないからである」。『完訳』は「語り手の省筆の弁。言葉足らずの片端だけでは気がひける」と注す。

 

第三章 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う

 [第一段 秋好中宮、出家を思う]
【中宮の御方に渡りたまひて】−主語は源氏。冷泉院御所の秋好中宮方に。
【今はかう】−以下「思しとどめてものせさせたまへ」まで、源氏の詞。
【何にもつかぬ身のありさまにて】−『集成』は「どっちつかずの身の有様で。ただの臣下でもなく、真の上皇でもない、准太上天皇の身分をいう。源氏の卑下の言葉」。『完訳』は「中途半端な身分と卑下。准太上天皇は上皇でも臣下でもない」と注す。
【所狭くもはべりてなむ】−下に「参らぬ」という内容が省略。
【我より後の人びとに方々につけて後れゆく心地しはべるも】−『集成』は「柏木との死別、女三の宮、朧月夜、朝顔の前斎院の出家などが念頭にある」と注す。
【残りの人びとのものはかなからむ漂はしたまふなと】−「人びとの」主格を表し、「ものはかなからむ」は原因理由を述べて、下文に「漂はしたまふな」という禁止の句を続ける構文。
【先々も聞こえつけし心違へず】−源氏が秋好中宮に後事を託したことは、「薄雲」巻、「藤裏葉」巻に見える。
【聞こえさせたまふ】−「聞こえさせ」+「たまふ」の形。中宮に対する源氏の厚い謙譲表現。
【九重の隔て】−以下「いぶせくはべる」まで、秋好中宮の詞。
【皆人の背きゆく世を】−「皆人の背き果てにし世の中にふるの社の身をいかにせむ」(斎宮女御集)。
【いぶせくはべる】−連体形止め。余意・余情効果。
【げに公ざまにては】−以下「いとあるまじき御ことになむ」まで、源氏の詞。冷泉院の在位中をさしていう。
【今は何事につけてかは御心にまかせさせたまふ御移ろひもはべらむ】−反語表現。お心のままに里下がりもできない、の意。
【さして厭はしきことなき人】−『完訳』は「中宮を、特に世を厭う理由のない人として、その出家に反対」と注す。
【心やすかるべきほどにつけてだにおのづから思ひかかづらふほだしのみはべるを】−家族に対する思いのため出家のし難さをいう。
【などか】−『集成』は読点で「どうしてそんな人真似をして負けじと競われるようなご出家のお志では」と訳し「御道心」にかけて読む。『完訳』は句点で「なぜ出家などお考えなのか」と訳す。
【人もこそはべれ】−「もこそ」--已然形。懸念の気持ちを表す。
【御ことになむ】−係助詞「なむ」の下に「はべる」などの語句が省略。
【深うも汲みはかりたまはぬなめりかし】−秋好中宮の心中。

 [第二段 母御息所の罪を思う]
【御息所の】−『集成』は「以下、中宮の気持を直接書く体であるが、「かの院には」あたり以下は、自然に地の文ふうの書き方になる」と注す。
【御身の苦しうなりたまふらむありさま】−推量の助動詞「らむ」視界外推量。地獄に堕ちて苦しんでいる母六条御息所を推量しているニュアンス。
【いかなる煙の中に】−『完訳』は「以下、「出で来けること」まで、中宮の心中に即した叙述」と注す。
【亡き影にても人に疎まれたてまつりたまふ御名のりなどの】−死霊となって、紫の上を仮死状態に陥れたり(「若菜下」巻)、女三の宮を出家させたりした(「柏木」巻)という話をさす。
【かの院には】−六条院をさす。冷泉院を基準にした言い方。
【仮にてもかののたまひけむありさま】−『集成』は「憑坐にのり移った物の怪の言葉にせよ」。『完訳』は「憑坐のかりそめの言いぐさでもよい」と訳す。
【亡き人の御ありさまの罪】−以下「思ひ知らるることもありける」まで、秋好中宮の詞。
【もののあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを】−『集成』は読点で「後世の苦しみにまで思いをめぐらしませんでしたとはほんとにいたらぬことでしたので」。『完訳』は句点で「後生のお苦しみまでは考えてあげようともいたしませんでした、それがなんとも至らぬことでございました」と訳す。
【やうやう積もるになむ思ひ知らるることもありける】−『集成』は「出家の志が、長年の間に自然に固まったものだという」と注す。
【げにさも思しぬべきこと】−源氏の心中。中宮の言葉に納得する気持ち。
【その炎なむ】−以下「心幼きことなれ」まで、源氏の詞。
【目蓮が仏に近き聖の身にてたちまちに救ひけむ例にも】−「仏説盂蘭盆経」に見える目蓮が餓鬼道に堕ちた母親を救ったという話。
【え継がせたまはざらむものから】−主語は中宮。目蓮の真似はできない意。
【玉の簪捨てさせたまはむも】−『集成』「「玉の簪」は、玉で飾った中国風の髪飾り。中宮に対してふさわしい言葉遣い」。『完訳』は「出家して后の位を捨てても母を救えず現世に悔恨が残るとする」と注す。
【しか思ひたまふる】−主語は源氏、自分自身。
【げにこそ心幼きことなれ】−『集成』は「「心をさなし」は、無常の世に、いつまでも命があるかのように油断していることへの自嘲」。『完訳』は「中宮の言う「物のあなた--ものはかなさを」に納得し、出家に踏みきれぬ自分を苦々しく顧みる」と注す。
【なほやつしにくき御身のありさまどもなり】−『細流抄』は「草子地也」と指摘。『完訳』は「語り手の評」と注す。

 [第三段 秋好中宮の仏道生活]
【春宮の女御】−明石姫君をさす。
【いづれとなくめやすしと思すに】−源氏の心中。「に」接続助詞、逆接の意。『集成』は「どちらも結構なことと満足にお思いになるのだが」。『完訳』は「どちらがどうと優り劣りなくご満足であるが」と訳す。
【院も】−冷泉院。
【御対面のまれに】−冷泉院の在位中をさす。
【かく心安きさまにと思しなりけるになむ】−『集成』は「草子地」と注す。係助詞「なむ」の下に「ある」などの語句が省略された形。
【ただ人の仲のやうに並びおはしますに】−『集成』は「帝は在位中は後宮の后妃にあまねく心を配らねばならないが、譲位後は、お気に召した方と思いのままに暮すことができる」と注す。
【ただかの御息所の御事を】−中宮の母御息所をさす。
【人の許しきこえたまふまじきことなれば】−「人」について、『集成』『新大系』は「源氏」、『完訳』は「冷泉院」とする。両説ある。
【世の中を思し取れるさまになりまさりたまふ】−『集成』は「人の世の無常をお悟りになったご日常になってゆかれる」。『完訳』は「世の中の無常をお悟りになるお気持もいよいよ深くおなりになる」と訳す。

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大島本
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