Last updated 8/20/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)

  


 [底本]
財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第五巻 一九九六年 角川書店

 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第二巻「校異篇」一九五六年 中央公論社

阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第七巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第二巻 一九九四年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第五巻 一九八五年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第四巻 一九七九年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第三巻 一九七二年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第五巻 一九六五年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第二巻 一九五九年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第三巻 一九五〇年 朝日新聞社

伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院

第一章 玉鬘の物語 蛍の光によって姿を見られる

  1. 玉鬘、養父の恋に悩む---今はかく重々しきほどに
  2. 兵部卿宮、六条院に来訪---兵部卿宮などは、まめやかに
  3. 玉鬘、夕闇時に母屋の端に出る---夕闇過ぎて、おぼつかなき空の
  4. 源氏、宮に蛍を放って玉鬘の姿を見せる---何くれと言長き御いらへ
  5. 兵部卿宮、玉鬘にますます執心す---宮は、人のおはするほど
  6. 源氏、玉鬘への恋慕の情を自制す---姫君は、かくさすがなる御けしきを
第二章 光る源氏の物語 夏の町の物語
  1. 五月五日端午の節句、源氏、玉鬘を訪問---五日には、馬場の御殿に出で
  2. 六条院馬場殿の騎射---殿は、東の御方にもさしのぞき
  3. 源氏、花散里のもとに泊まる---大臣は、こなたに大殿籠もりぬ
第三章 光る源氏の物語 光る源氏の物語論
  1. 玉鬘ら六条院の女性たち、物語に熱中---長雨例の年よりもいたくして
  2. 源氏、玉鬘に物語について論じる---「その人の上とて、ありのままに
  3. 源氏、紫の上に物語について述べる---紫の上も、姫君の御あつらへにことつけて
  4. 源氏、子息夕霧を思う---中将の君を、こなたには気遠くもてなし
  5. 内大臣、娘たちを思う---内の大臣は、御子ども腹々いと多かるに

 

第一章 玉鬘の物語 蛍の光によって姿を見られる

 [第一段 玉鬘、養父の恋に悩む]
【今はかく重々しきほどに】−源氏、太政大臣、三十六歳夏五月。
【頼みきこえさせたまへる人びと】−六条院や二条東院の御夫人方をさす。
【対の姫君こそ】−玉鬘をさす。夏の町の西の対屋の元文殿であった所を居所とする(「玉鬘」第四章四段)。
【いとほしく】−『完訳』は「気の毒にも。語り手の評」と注す。
【かの監が憂かりし】−筑紫にいたころの大夫督をさす。
【心ひとつに思しつつ】−接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返しの意。『完訳』は「度重なる源氏の求愛を暗示」と注す。
【何ごとをも思し知りにたる御齢なれば】−玉鬘二十二歳。前の「胡蝶巻」では、年齢のわりには男女関係に疎遠で無知であると語られていた。その間の経緯が想像される。
【ただならずけしきばみきこえたまふごとに】−源氏が密かに玉鬘に対して恋情を訴える意。
【胸つぶれつつけざやかにはしたなく聞こゆべきにはあらねば】−主語は玉鬘。源氏の身分や人柄を思い、また自分への厚意をも思うゆえの苦慮。
【いたくまめだち心したまへど】−主語は玉鬘。『完訳』は「まじめに構えても、やはり可憐な魅力は紛れようもない、の意」と注す。

 [第二段 兵部卿宮、六条院に来訪]
【五月雨になりぬる愁へ】−五月は結婚を忌む風習があった。「神代より忌むといふなる五月雨のこなたに人を見るよしもがな」(信明集、五六)。
【すこし気近きほどを】−以下「はるけてしかな」まで、蛍兵部卿宮の詞。
【なにかは】−以下「時々聞こえたまへ」まで、源氏の詞。
【母君の御叔父なりける宰相ばかりの人の娘にて】−夕顔の父三位中将の兄弟で、宰相になった人の娘。すなわち玉鬘とは従姉妹に当たる人。
【宰相の君とて】−父親の官職名にちなむ女房名。上臈の格式。
【御返りなど書かせたまへば】−『新大系』は「(源氏が宰相の君に)書かせていらっしゃるので、(この度も)お召し出しになり、宰相君が代筆しなれているので、受け取った宮は玉鬘の自筆と思うはずだとする源氏の思惑による」と注す。
【ものなどのたまふさまをゆかしと思すなるべし】−『集成』は「宮が玉鬘に言い寄られる様子を、見たいとお思いなのであろう。草子地。手紙が宮の訪問を許すような趣の文面であることを暗示して、次の場面の伏線」。『完訳』は「宮の反応に源氏が興味を抱くらしい、とする語り手の推測」と注す。
【この宮などは】−係助詞「は」峻別の意。他の人はともかくもこの蛍兵部卿宮だけは、のニュアンス。
【かく心憂き御けしき見ぬわざもがな】−玉鬘の心中。「御けしき」は源氏の懸想ばみた振る舞いをさす。
【さすがにされたるところつきて思しけり】−『集成』は「なかなかのところがあってお思いなのだった」。『完訳』は「源氏を拒みながらも、やはり女らしく宮に情ある態度をとる」と注す。
【殿はあいなくおのれ心懸想して】−形容詞「あいなく」は語り手の言辞、挿入語句。『完訳』も「「あいなく」は語り手の評」と注す。
【知りたまはで】−主語は蛍兵部卿宮。
【妻戸の間に御茵参らせて】−妻戸を入った所の廂間に敷物を用意した。
【むつかしきさかしら人の】−『完訳』は「手に負えないおせっかい者が。語り手の揶揄」と注す。
【人の御いらへ聞こえむこともおぼえず】−「人」は玉鬘をさす。玉鬘の宮へのお返事をお取り次ぎ申し上げること。
【埋もれたりとひきつみたまへばいとわりなし】−源氏が宰相の君を。『集成』は「気が利かぬと、おつねりになるので、困り果てている。やや諧謔を弄した筆致。「埋る」は、引っ込んでいる、の意。「いとわりなし」は、仕方なく取次ぎの役を勤めねばならぬ宰相の君の気持を直接書くことによって地の文としたもの」と注す。

 [第三段 玉鬘、夕闇時に母屋の端に出る]
【夕闇過ぎておぼつかなき空のけしき】−五月四日ごろの夕方。四日の月が西の空にあるのだが、五月雨のころゆえ雲ではっきり見えない。
【宮の御けはひも】−『完訳』は「以下「けはひ」の語の繰返しに注意。宮も玉鬘も、微光と微香のなかのほのかな存在として形象」と注す。
【のたまひ続けたる言の葉】−『完訳』は「「聞こゆ」など謙譲語がないので、話す相手が宰相の君と分る」と注す。
【ゐざり入りたるにつけて】−源氏が宰相の君がいざって入って行く後について、の意。
【いとあまり】−以下「気近くだにこそ」まで、源氏の詞。
【ことづけてもはひ入りたまひぬべき御心ばへなれば】−『集成』は「(源氏は)こんなことにかこつけてでも入っておいでになりかねない魂胆をお持ちの方だから。源氏を警戒する玉鬘の気持を書いたもの」。『完訳』は「注意するのにかこつけて部屋の中にはいりかねない源氏の気持」と注す。
【とざまかうざまにわびしければ】−『完訳』は「このままでは源氏が近づき、出れば宮に応ずるほかない状態」と注す。
【かたはら臥したまへる】−連体中止形。状態の持続から次の事態の展開へと一続きの文脈。

 [第四段 源氏、宮に蛍を放って玉鬘の姿を見せる]
【何くれと言長き御いらへ聞こえたまふこともなく思しやすらふに】−「言長き」は宮の長口舌、「御いらへ」はそれに対する玉鬘の返事。格助詞「に」時間を表す。
【寄りたまひて】−源氏が。
【さと光るもの】−この語句をうける述語なし。間合い。
【薄きかたに】−諸説あり、不明の語句。『新大系』は「「かた」は「かたびら」の誤りか。帷子の裏のこととも。諸説あるが未詳」と注す。
【とかくひきつくろふやうにて】−この語句を受ける述語なし。
【扇をさし隠したまへるかたはら目】−扇で顔を隠しなさった横顔、の意。
【おどろかしき光】−以下「惑はさむ」まで、源氏の心中。『集成』は「以下、源氏の目論見の説明」と注す。
【わが女と思すばかりのおぼえに】−『集成』は「玉鬘をご自分(源氏)の実の娘とお思いになるだけのことで」。『完訳』は「宮は、姫君をこの自分の娘だとお思いになっているぐらいの考えから」と注す。副助詞「ばかり」は程度を表す。
【人ざま容貌など】−玉鬘をさす。
【まことのわが姫君をば、かくしも、もて騷ぎたまはじ、うたてある御心なりけり】−『集成』は「草子地」。『完訳』は「以下、語り手の推測と評言。読者の反発を見越しながら、源氏の特殊な心に注目させる」と注す。
【こと方よりやをらすべり出でて】−『集成』は「以上、源氏に即した視点から事の始終を書く。次の「宮は」以下は、同じ場面を宮に即した視点から再現する」と注す。

 [第五段 兵部卿宮、玉鬘にますます執心す]
【ほどもなく紛らはして隠しつ】−主語は女房たち。
【艶なることのつまにもしつべく見ゆ】−『集成』は「風流な恋のやりとりのきっかけにもできそうに見える」。『完訳』は「恋の語らい事の糸口にもなりそうな風情である」と訳す。
【鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに人の消つには消ゆるものかは】−蛍の宮から玉鬘への贈歌。「思ひ」に「火」を掛ける。まして私の恋の炎は消えるものではない、の意。
【思ひ知りたまひぬや】−歌に添えた言葉。
【声はせで身をのみ焦がす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ】−玉鬘の返歌。「鳴く声」「虫」「思ひ」の語句を受けて「声はせで」「身をのみ焦がすこそこそ」「言ふよりまさる思ひなるらめ」と返す。「思ひ」に「火」を掛ける。「音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけれ」(重之集、二六四)。
【好き好きしきやうなれば】−蛍兵部卿宮の心中に即した叙述。
【軒の雫も苦しさに】−「ながめつつわが思ふことはひぐらしに軒の雫の絶ゆる世もなし(新古今集雑下、一八〇一、具平親王)。『集成』は「「軒の雫」は歌語で、悲しみの涙の譬喩。五月雨と宮の悲しみの涙を重ねた趣の文飾」と注す。
【時鳥などかならずうち鳴きけむかし。うるさければこそ聞きも止めね】−「五月雨に物思ひをればほととぎす夜深く鳴きていづち行くらむ」(古今集夏、一五三、紀友則)。『集成』は「以下、草子地」。『完訳』は「以下、語り手の弁。果たせぬ恋のまま立ち去る類型的な場面ゆえの省筆」と注す。
【御けはひなどの】−以下「似たてまつりたまへる」まで、女房たちの感想。

 [第六段 源氏、玉鬘への恋慕の情を自制す]
【かくさすがなる御けしきを】−『集成』は「うわべは親のようでありながら、ひそかに自分に思いを寄せる源氏の気持を」。『完訳』は「表向き親らしくしながらも、やはり懸想を禁じえない源氏の」と訳す。
【わがみづからの憂さぞかし】−以下「世語りにやならむ」まで、玉鬘の心中。『完訳』は「己が運命を痛恨。源氏への恨みではない」と注す。
【親などに知られたてまつり】−『完訳』は「以下、反実仮想の構文。世間尋常の、親に養われる身で源氏と相対せるならば妻として似つかわしいと、その幸運を夢想する」と注す。
【かやうなる御心ばへならましかば】−源氏の寵愛をさす。反実仮想「ならましかば--あらまし」の構文。
【さるはまことにゆかしげなきさまにはもてなし果てじと】−『集成』は「とはいえ、ほんとに世間にありふれたつまらぬことにはしてしまうまいと」。『完訳』は「とはいっても本当のところ、大臣は、姫君を真実聞きよくもない形に落ち着かせることだけはぜひ避けたいと」と訳す。
【中宮などもいとうるはしくや思ひきこえたまへる】−挿入句。秋好中宮に対する懸想心も養女への恋であるとする、語り手の弁。
【やむごとなき方のおよびなくわづらはしさに】−『集成』は「中宮という歴としたご身分の方が、及びもつかぬ高さで事面倒でもあるので」。『完訳』は「先方は高貴なご身分の及びもつかないお方として厄介なので」と訳す。
【おり立ちあらはし聞こえ寄り】−主語は源氏。
【さすがなる御仲なりけり】−『集成』は「あぶないものの、何事もないお二人の仲だった」。『完訳』は「なんといってもやはり美しいお二人の御仲なのだった」と訳す。

 

第二章 光る源氏の物語 夏の町の物語

 [第一段 五月五日端午の節句、源氏、玉鬘を訪問]
【五日には馬場の御殿に】−五月五日、端午の節句。
【いかにぞや】−以下「かたくこそありけれ」まで、源氏の詞。
【活けみ殺しみ戒めおはする御さま】−『集成』は「手綱をゆるめたりしめたりといった具合に、玉鬘に注意していられるご様子は。前には宮を近づけるようなことを言い、今は危険な人だという」。『完訳』は「さきには宮をお近づけになるようおっしゃったかと思うと、今度はこれに水をさすといったおっしゃりかたをしてご注意をお与えになる大臣のご様子は」と訳す。
【いづこに加はれるきよらにかあらむ】−語り手の挿入句。
【思ふことなくはをかしかりぬべき御ありさまかな】−玉鬘の心中。源氏からの厄介な懸想が悩みの種。
【見るほどこそをかしかりけれまねび出づればことなることなしや】−語り手の弁。『集成』は「草子地。その場にいた女房が語り伝える体。次の歌の批評である」。『完訳』は「語り手が宮の歌を平凡と評す」と注す。
【今日さへや引く人もなき水隠れに生ふる菖蒲の根のみ泣かれむ】−蛍宮から玉鬘への贈歌。「根」と「音」、「流れ」と「泣かれ」の掛詞。「水隠れて生ふる五月のあやめ草長きためしに人は引かなむ」(古今六帖一、菖蒲草、一〇〇)。
【今日の御返り】−源氏の詞。
【これかれも】−周囲の女房をさす。
【御心にもいかが思しけむ】−語り手の玉鬘の心中を忖度した挿入句。『完訳』は「語り手の玉鬘の心への疑問」と注す。
【あらはれていとど浅くも見ゆるかな菖蒲もわかず泣かれける根の】−玉鬘の返歌。「菖蒲」「根」「泣く」の語句を受けて返す。「洗はれて」と「現れて」、「文目」と「菖蒲」、「泣かれ」と「流れ」、「音」と「根」の掛詞。「洗ふ」は「水」の縁語。「現れて」は「水隠れに」の対語。
【若々しく】−歌に添えた言葉。『集成』は「お年に似合わぬなさりようですこと」と訳す。
【手を今すこしゆゑづけたらば】−蛍宮の感想。筆跡がもうすこし良かったらなあ、という気持ち。
【いささか飽かぬことと見たまひけむかし】−語り手の推測。
【多かるに】−接続助詞「に」順接の意。
【同じくは】−以下「やみにしがな」まで、玉鬘の心中。「人」は源氏をさす。
【いかが思さざらむ】−語り手が玉鬘の心中を忖度した文章。反語表現。

 [第二段 六条院馬場殿の騎射]
【中将の今日の司の】−以下「用意したまへ」まで、源氏の詞。「中将の」の格助詞「の」は主格を表す。
【さる心したまへ】−近衛府の官人たちが多数夏の町に来るので、楽しみにまた注意もして下さいという意。
【この親王たち】−蛍宮たち。
【用意したまへ】−『集成』は「お心づかい下さい」。『完訳』は「支度をしておいてください」と訳す。
【こなたの廊より】−夏の町の渡廊からの意。
【若き人びと】−以下「劣るまじ」まで、源氏の詞。「若き人びと」は女房をさす。
【対の御方よりも】−西の対の御方、玉鬘をさす。
【裾濃の御几帳ども】−御几帳の上は白く下にいくほど紫または紺に濃く染めたもの。
【菖蒲襲の衵】−以下、玉鬘方の童女の装束。「菖蒲襲」は表青、裏紅梅または白の襲。「衵」は童女の表着。
【二藍の羅の汗衫】−紅と藍の中間色、また二度染の薄紫色の童女の表着。「汗衫」は女房の唐衣と裳に相当する童女の晴着。
【西の対のなめる】−推量の助動詞「めり」は語り手の推量。
【楝の裾濃の裳】−以下、下仕えの女房の装束。下にいくほど濃く染めた楝の花の色に似た薄紫色の裳、また表紫、裏薄紫色の裳。
【撫子の若葉の色したる唐衣】−薄萌黄色の唐衣。裳、唐衣を付けた正装。
【こなたのは】−花散里方の童女の装束、玉鬘方と対照的。
【濃き一襲】−濃い紫色の単襲。
【撫子襲の汗衫】−表紅梅、裏青の汗衫。
【目をたててけしきばむ】−目をつけて流し目を送る、意。
【未の時に馬場の御殿に出でたまひて】−主語は源氏。午後二時ころに馬場殿にお出になる。
【げに】−先に源氏が言っていたことを受ける。
【手結ひの】−格助詞「の」主格を表す。
【身を投げたる手まどはしなどを見るぞ】−『集成』は「我を忘れてうろたえる姿などを見るのは」。『完訳』は「懸命の秘術を尽くしているのを見ることは」と訳す。

 [第三段 源氏、花散里のもとに泊まる]
【大臣はこなたに大殿籠もりぬ】−源氏は花散里のもとに泊まる。久し振りのことである。
【兵部卿宮の】−以下「なほこそあれ」まで、源氏の詞。
【よしといへどなほこそあれ】−『集成』は「人はほめますが、たいしたことはありません。「なほあり」は、平凡だの意。言葉の裏に源氏のわれぼめの気持がある」と注す。
【御弟にこそものしたまへど】−以下「ものしたまひける」まで、花散里の詞。
【ねびまさりてぞ見えたまひける】−『完訳』は「源氏より老けて見える、の意。源氏の若さを賞賛。宮は年齢不詳」と注す。
【渡り睦びきこえたまふと】−蛍宮が六条院に。
【帥の親王よくものしたまふめれど】−桐壷院の皇子、源氏や蛍宮たちの弟宮。ここだけに登場する人物。
【大君けしきにぞものしたまひける】−『集成』は「諸王くらいの風格でいらっしゃいます。「大君」は親王宣下のない皇子、皇孫の意」と注す。
【ふと見知りたまひにけり】−源氏の心中。花散里の眼力に感服。
【ほほ笑みて】−主語は花散里。
【なほあるを良しとも悪しともかけたまはず】−『集成』は「取り柄のない人については、よいとも悪いとも批評がましいことはお口になさらない」と訳す。
【人の上を】−以下の文の主語は源氏。
【右大将などをだに心にくき人にすめるを】−以下「飽かぬことにやあらむ」まで、源氏の心中。「右大将」は鬚黒大将、玉鬘の求婚者の一人。
【近きよすがにて見むは】−近い縁者、すなわち婿として見たら、の意。
【今はただおほかたの御睦びにて御座なども異々にて大殿籠もる】−源氏と花散里の夫婦生活。
【などてかく離れそめしぞ】−源氏の心中。夫婦の契りの無くなったことをうらむ気持ち。
【おほかた何やかやとも】−以下、花散里の性格。
【その駒もすさめぬ草と名に立てる汀の菖蒲今日や引きつる】−花散里から源氏への贈歌。「香をとめてとふ人あるを菖蒲草あやしく人のすさめざりけり」(後拾遺集夏、二一〇、恵慶法師)を引歌とする。『完訳』は「「あやめ」は自分。「駒もすさめぬ」は、男に顧みられぬ女の嘆きの類型表現」と注す。
【鳰鳥に影をならぶる 若駒はいつか菖蒲に引き別るべき】−源氏の返歌。「駒」「菖蒲」「引き」を受けて返す。「引き」は「菖蒲」の縁語。「若駒とけふに逢ひくるあやめ草おひおくるるや負くるなるらむ」(和漢朗詠集上、端午、一五七)を引歌とする。『完訳』は「「若駒」が自分。「あやめ」が花散里。仲のよい「にほどり」に、二人の仲を擬える」と注す。
【あいだちなき御ことどもなりや】−語り手の揶揄。『集成』は「夫婦仲のことを遠慮なく詠んだ、色気のない歌だという揶揄気味の草子地」と注す。
【朝夕の隔てあるやうなれど】−以下「こそあれ」まで、源氏の詞。
【気近くなどあらむ筋をば】−共寝をすることをさす。

 

第三章 光る源氏の物語 光る源氏の物語論

 [第一段 玉鬘ら六条院の女性たち、物語に熱中]
【晴るる方なく】−『集成』は「空も心も」と注す。五月雨時期の景情一致、心象風景の描写。
【絵物語】−『集成』は「絵物語(挿絵のついた物語)」。『完訳』は「絵や物語。一説に、絵物語」と注す。
【西の対にはまして】−玉鬘をさす。筑紫の田舎育ちゆえに絵や物語に対して一層の興味と関心をしめす。
【つきなからぬ若人あまたあり】−『集成』は「(物語の蒐集、書写、挿絵かきなどに)うってつけの若い女房は大勢いる」と注す。
【わがありさまのやうなるはなかりけり】−玉鬘の心中。
【さしあたりけむ折はさるものにて】−『集成』は「その当時の評判のすばらしかったことは当然として」。『完訳』は「いろいろなめにあったその時の話は話として」「玉鬘が物語の世界と現実の世界をやや混同するところを、次に源氏がからかう」と注す。
【なほ心ことなめるに】−推量の助動詞「めり」の主観的推量は語り手の玉鬘の心中に即した叙述。
【あなむつかし】−以下「書きたまふよ」まで、源氏の詞。
【五月雨の、髪】−「ほととぎすをち返り鳴けうなゐ子がうち垂れ髪の五月雨の空」(拾遺集夏、一一六、躬恒)。
【かかる世の古言ならでは】−以下「さしもあらじや」まで、源氏の詞。
【慰めまし】−推量の助動詞「まし」反実仮想の意。
【偽りども】−『完訳』は「女たちの理解に即して「いつはり」としたが、文意からは「そらごと」とあるべき。作り事が、人を勘当させる真実味や説得力をはらみうる、虚構の真実をいう」と注す。
【かた心つくかし】−『集成』は「多少とも心がひかれるものですよ。以上、主人公が物思いに沈むといった情緒的な場面。物語の一つの要素である」と注す。
【いとあるあじきことかなと】−『集成』は「以下、奇抜な人目を驚かすような物語の趣向。伝奇的な要素。これも物語の持つもう一つの要素である」と注す。
【幼き人の女房などに時々読まするを立ち聞けば】−明石姫君をさす。格助詞「の」主格を表す。当時の物語の観賞法が窺える。
【虚言をよくしなれたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれど】−『集成』は「根も葉もない嘘をつきなれた口から言い出すのであろうとおもわれますが」。『完訳』は「こんな物語も、さぞかし巧みにありもせぬ作り事を言いなれた人の、口からの出まかせなのだろうと思うのですが」と訳す。
【げに偽り馴れたる人や】−以下「お思うたまへられけれ」まで、玉鬘の詞。「たまへ」謙譲の補助動詞。「られ」自発の助動詞。「けれ」過去の助動詞、詠嘆の意。
【こちなくも】−以下「詳しきことはあらめ」まで、源氏の詞。
【記しおきけるななり】−「な」断定の助動詞、連体形。「なり」伝聞推定の助動詞。『集成』は「伝承の記録という意味では国史と変らない、むしろ国史よりも委しいと次に言う」と注す。
【日本紀などはただかたそばぞかし】−『集成』は「『日本書紀』。わが国最初の正史」「ほんの片端にすぎないものです」。『完訳』は「六国史など官製国史の総称」「日本紀などはほんの一面にすぎないものです」と注す。

 [第二段 源氏、玉鬘に物語について論じる]
【その人の上とて】−以下「空しからずなりぬや」まで、源氏の詞。『集成』は「以下、物語の細論。物語には誇張はあるが、この世の人間の姿を伝える点では国史と変らないという主旨を展開する」と注す。
【見るにも飽かず聞くにもあまることを】−『完訳』は「人を感動させてやまぬ内容をいう」と注す。
【善きさまに言ふとては】−以下、物語の誇張表現についていう。
【人の朝廷の才、作りやう変はる、同じ大和の国のことなれば】−『集成』は「異朝(中国の朝廷)では、学問(歴史についての考え)も記述の体裁もわが国と違います。この一句、解しがたく、異文も多く、諸説も多い」「(国史と物語とでは)同じ日本の国のことですから、昔からの国史と今出来の物語とでは違いがあるはずですし」。『完訳』は「異朝の物語でさえも--国が違うから書き方は変っているが、また日本の物語でも同じ国のことだから、昔のは今のと違っていて当然ですし」と注す。
【深きこと浅きことのけぢめこそあらめ】−『集成』は「意味深い国史と浅はかな物語という差はありましょうが」。『完訳』は「その内容に深い浅いの相違はあるでしょうが」と訳す。
【さてかかる古言の中に】−以下「世に伝へさせむ」まで、源氏の詞。
【まろがやうに実法なる痴者の物語はありや】−『完訳』は「源氏は、自ら誠実を尽すが女に顧みられぬ男として、玉鬘へ哀訴」と注す。
【さらずとも】−以下「はべりぬべかめれ」まで、玉鬘の詞。
【かく珍かなることは】−父親が娘に言い寄ることをさす。
【珍かにやおぼえたまふ。げにこそ、またなき心地すれ】−源氏の詞。『集成』は「(私も)ほんとにこれほどまでにひとを思ったことはありません。玉鬘の言葉をそらして、からんでゆく」。『完訳』は「いかにもあなたのように冷淡な娘はまたとないような気がいたします」「玉鬘の「めづらか」に納得するかにみせ、「またなき心地」に親に冷淡な、の意をこめて歌に続ける」と注す。
【いとあざれたり】−語り手の批評の文。
【思ひあまり昔の跡を訪ぬれど親に背ける子ぞたぐひなき】−源氏から玉鬘への贈歌。
【不孝なるは】−以下「いみじくこそ言ひけれ」まで、歌に続けた源氏の詞。
【御髪をかきやりつつ】−源氏が玉鬘の御髪を。
【古き跡を訪ぬれどげになかりけりこの世にかかる親の心は】−玉鬘の返歌。「昔」を「古き」に変え、「跡」「訪ぬ」「親」の語句はそのまま受けて返す。
【心恥づかしければ】−以下、主語は源氏。
【かくしていかなるべき御ありさまならむ】−語り手の弁。『集成』は「草子地」。『完訳』は「物語の後続に、読者の期待をつなぐ語り手の弁」と注す。

 [第三段 源氏、紫の上に物語について述べる]
【くまのの物語】−河内本と別本は「こまののものかたり」あるいは「こまのものかたり」とある。『枕草子』には「こまのの物語」と見える。
【よく描きたる絵かな】−紫の上の感想。
【かかる童どちだに】−以下「人に似ざりけれ」まで、源氏の詞。
【例にしつべく】−『完訳』は「好色の経験がないとする冗談」と注す。
【げにたぐひ多からぬことどもは好み集めたまへりけりかし】−語り手の批評。『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の評。「源氏の「なほ例に--」を、類例の少ない好色事の意に解して、皮肉る」と注す。
【姫君の御前にて】−以下「ゆゆしきや」まで、源氏の詞。
【こよなしと対の御方聞きたまはば心置きたまひつべくなむ】−『完訳』は「以下、語り手の推測。玉鬘がこれを知れば、源氏の姫君への処遇は段違いだ、とひがまれよう」と注す。
【心浅げなる人まねどもは】−以下「一様なめる」まで、紫の上の詞。
【藤原君の女こそ】−『集成』は「ふじはらぎみ」「幼名としては「の」を入れないのが慣例であるから、本来は底本(大島本)のように「の」のない表記が正しいであろう。『完訳』は「藤原の君」と校訂。
【一様なめる】−『集成』は「どうにも一本調子にすぎるように思われます。お手本にならない人物だという批評」。『完訳』は「「心浅げなる人まねども」と同様、魅力に欠ける」と注す。
【うつつの人も】−以下「人ほめさせじ」まで、源氏の詞。
【よきほどにかまへぬや】−終助詞「や」詠嘆の意。
【親の心とどめて】−格助詞「の」主格を表す。
【すべて、善からぬ人に、いかで人ほめさせじ】−『集成』は「下手の人間に下手な評判は立ててもらいたくないという気持」と注す。
【心見えに心づきなし】−『集成』は「そういう継母の心底がよく分って、気に入らぬとお思いになるので。紫の上の間柄を考慮した、姫君への教育的な配慮」と注す。

 [第四段 源氏、子息夕霧を思う]
【こなたには】−紫の上方をさす。
【わが世のほどは】−以下「おぼゆべけれ」まで、源氏の心中。
【御簾の内は許したまへり】−御簾の内側(南の廂間)に出入りすることは許していたの意。
【台盤所、女房のなかは許したまはず】−紫の上付きの女房の詰所への入室及びそれらの人との接触は禁じた。
【いとやむごとなくかしづききこえたまへり】−主語について、『集成』は源氏と解し、『完訳』は夕霧と解す。
【うしろやすく思し譲れり】−源氏は夕霧に明石姫君の相手を安心して任せていたの意。
【まだいはけたる御雛遊びなどのけはひの見ゆれば】−明石姫君八歳。
【かの人のもろともに】−雲居雁をさす。格助詞「の」主格を表す。
【さもありぬべきあたりには】−『完訳』は「恋の相手にしてもよさそうな」と注す。
【頼みかくべくもしなさず】−夕霧は相手の女に期待を抱かせるようには仕向けない意。
【さる方になどかは見ざらむと】−『集成』は「夫人あるいは愛人として世話してもよいなと」。『完訳』は「中には、この女なら自分の思い人としてもどこが悪かろうと」と訳す。
【なほかの緑の袖を見え直してしがな】−夕霧の心中。「緑の袖」はかつて夕霧が六位であった時に雲居雁の乳母から「六位宿世」と軽蔑されたことをさす(「少女」第五章五段)。
【つらしと思ひし折々】−以下「たてまつらむ」まで、夕霧の心中。
【おほかたには焦られ思へらず】−『集成』は「表向きはあせらずおっとり構えている」。『完訳』は「大方の人々には焦ったところを見せようとはしない」と訳す。
【右中将】−柏木。
【この君をぞ】−夕霧をさす。
【人の上にてはもどかしきわざなりけり】−夕霧の詞。

 [第五段 内大臣、娘たちを思う]
【その生ひ出でたるおぼえ】−『集成』は「母方の身分による声望や」と訳す。
【人柄に従ひつつ】−子供本人の性質に応じて。
【心にまかせたるやうなるおぼえ、 御勢にて】−『集成』は「子供たちそれぞれ思い通りというに近い声望や権勢の身の上で」。『完訳』は「それに大臣の何事も思いどおりになる声望や御権勢にまかせて」と訳す。
【女御も、かく思ししことのとどこほりたまひ】−弘徽殿女御、「澪標」巻で冷泉帝に逸早く入内して、后の地位を望んでいたが、「少女」巻で、後から入内した源氏の養女梅壷女御に立后されたことをさす。
【姫君もかくこと違ふさまに】−雲居雁を春宮妃にと志していたにもかかわらず、夕霧との恋仲になってしまったことをさす。
【かの撫子を】−夕顔との間にできた遺児、玉鬘をさす。
【ものの折にも語り出でたまひしことなれば】−「帚木」巻の「雨夜の品定め」の段で頭中将が常夏の女について語ったことをさす。
【いかになりにけむ】−以下「聞こえ出で来ば」まで、内大臣の心中。
【君達にも】−内大臣の御子息たち。
【もしさやうなる名のりする人あらば】−以下「口惜しきこと」まで、内大臣の詞。
【心のすさびにまかせて】−内大臣の若いころの女遊びをさす。
【これはいとしかおしなべての際にも思はざりし人の】−夫人の一人に数える待遇を考えていたことをいう。
【もの倦むじをして】−下に、姿を隠したの意が省略されている。
【もののくさはひ】−大切に世話すべき種としての娘の意。
【人のさまざまにつけて】−『集成』は「源氏などが、あれこれと」。『完訳』は「他の人々がさまざまに」と訳す。
【もし年ごろ御心に】−以下「聞こし召し出づることや」まで、夢解きの詞。
【女子の人の子になることは】−以下「いかなることにかあらむ」まで、内大臣の詞。
【思しのたまふべかめる】−語り手の主観的推量のニュアンスでこの巻を語り収める。

源氏物語の世界ヘ
本文
ローマ字版
現代語訳
大島本