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渋谷栄一注釈(ver.1-1-4)

  

明石


 [底本]
財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第三巻 一九九六年 角川書店

 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第一巻「校異篇」一九五六年 中央公論社

阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第四巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第二巻 一九九四年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第三巻 一九八四年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第二巻 一九七七年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第二巻 一九七二年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第三巻 一九六五年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第二巻 一九五九年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第二巻 一九四九年 朝日新聞社

伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院

第一章 光る源氏の物語 須磨の嵐と神の導きの物語

  1. 須磨の嵐続く---なほ雨風やまず、雷鳴り静まらで
  2. 光る源氏の祈り---「かくしつつ世は尽きぬべきにや」と思さるるに
  3. 嵐収まる---やうやう風なほり、雨の脚しめり、星の光も見ゆるに
  4. 明石入道の迎えの舟---渚に小さやかなる舟寄せて、人二、三人ばかり
第二章 明石の君の物語 明石での新生活の物語
  1. 明石入道の浜の館---浜のさま、げにいと心ことなり
  2. 京への手紙---すこし御心静まりては、京の御文ども聞こえたまふ
  3. 明石の入道とその娘---明石の入道、行なひ勤めたるさま
  4. 夏四月となる---四月になりぬ。更衣の御装束、御帳の帷子など
  5. 源氏、入道と琴を合奏---入道もえ堪へで、供養法たゆみて
  6. 入道の問わず語り---いたく更けゆくままに、浜風涼しうて
  7. 明石の娘へ懸想文---思ふこと、かつがつ叶ひぬる心地して
  8. 都の天変地異---その年、朝廷に、もののさとししきりて
第三章 明石の君の物語 結婚の喜びと嘆きの物語
  1. 明石の侘び住まい---明石には、例の、秋、浜風のことなるに
  2. 明石の君を初めて訪ねる---忍びて吉しき日見て
  3. 紫の君に手紙---二条の君の、風のつてにも漏り聞きたまはむことは
  4. 明石の君の嘆き---女、思ひしもしるきに、今ぞまことに
第四章 明石の君の物語 明石の浦の別れの秋の物語
  1. 七月二十日過ぎ、帰京の宣旨下る---年変はりぬ。内裏に御薬のことありて
  2. 明石の君の懐妊---そのころは、夜離れなく語らひたまふ
  3. 離別間近の日---明後日ばかりになりて
  4. 離別の朝---立ちたまふ暁は、夜深く出でたまひて
  5. 残された明石の君の嘆き---正身の心地、たとふべき方なくて
第五章 光る源氏の物語 帰京と政界復帰の物語
  1. 難波の御祓い---君は、難波の方に渡りて御祓へしたまひて
  2. 源氏、参内---召しありて、内裏に参りたまふ
  3. 明石の君への手紙、他---まことや、かの明石には

 

第一章 光る源氏の物語 須磨の嵐と神の導きの物語

 [第一段 須磨の嵐続く]
【なほ雨風やまず】−「須磨」巻末の三月上巳の日の暴風雨を直接受けた語り出し。『河海抄』は『尚書』金縢篇の周公旦の故事を指摘。
【いかにせまし】−以下「あと絶えなまし」まで、源氏の心中。長徳二年(九六六)藤原伊周が大宰帥に左遷されて播磨国に留まっていたが、許可なく密かに上京したことが露顕して、遂に大宰府に流された例がある。
【かかりとて】−風雨雷鳴の脅威をさす。
【なほこれより】−完訳「「なほ」は、今までも考えてきた意」と注す。
【波風に騒がれて】−以下「流し果てむ」まで、源氏の心中。
【名や流し果てむ】−「流し果つ」複合語。「や」(係助詞、疑問)「む」(推量の助動詞、推量)係結び、強調のニュアンス。
【同じさまなる物のみ】−「須磨」巻の源氏の夢に現れた異形の物をいう。
【来つつ】−「つつ」接続助詞、反復の意。異形の物が繰り返し現れた。
【かくながら身をはふらかしつるにや】−源氏の心中。「つる」完了の助動詞、確述。「に」断定の助動詞。「や」(疑問の終助詞)。〜してしまうのであろうかのニュアンス。
【さし出づべくもあらぬ】−「べく」推量の助動詞、可能。「も」(係助詞、強調)。
【人もなし】−「も」(係助詞、強調)。
【二条院よりぞ】−「ぞ」(係助詞)「そほち参れる」、係結び、強調。
【道かひにてだに--御覧じわくべくもあらず】−「だに」副助詞、下に打消や反語の表現を伴って、述語の表す動作・状態に対して、例外的、逆接的な事物、事態であることを示す。「べく」推量の助動詞、可能。「も」係助詞、強調。道ですれちがってでさえも--まったくお見分けになれないの意。主語は源氏。
【追い払ひつべき】−「つ」完了の助動詞、確述。「べき」推量の助動詞、当然。当然追い返してしまうにちがいないのニュアンス。
【むつましうあはれに思さるるも】−源氏の心中を叙述。「るる」自発の助動詞。「も」係助詞、一例を挙げて他を暗示する。自然そのような気持ちになるにつけても。
【我ながらかたじけなく屈しにける心のほど思ひ知らる】−源氏の心中を叙述。『完訳』は「高貴な自分がこんな下々の者にまで親しみを感ずるとは、という気持」「源氏の気持をそのまま地の文として書いているので、「思ひ知らる」と敬語がない」と注す。
【あさましくを止みなきころの】−以下「波間なきころ」まで、紫君の文。
【空さへ】−『完訳』は「胸の中はもちろん、空までも」と注す。
【方なくなむ】−「なむ」係助詞、結びの省略。言いさした形、余情表現。
【浦風やいかに吹くらむ思ひやる袖うち濡らし波間なきころ】−紫君の独詠歌。「浦風」「波間」は縁語。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。紫君が都から須磨の浦の源氏を思いやるニュアンス。
【汀まさりぬべく】−「君惜しむ涙落ち添ひこの川の汀まさりて流るべらなり」(古今六帖・別れ)による。「ぬ」完了の助動詞、確述。「べく」推量の助動詞、推量。涙があふれてしまいそうにの意。
【京にもこの雨風】−以下「絶えてなむはべる」まで、使者の詞。
【物のさとしなり】−「なり」断定の助動詞。
【仁王会など行はるべし】−国家鎮護・七難即滅のために「仁王護国般若経」を宮中で講じる。これは春秋の臨時の仁王会以外の特に行われるもの。「る」(受身の助動詞)「べし」(推量の助動詞)、行われる予定であるの意。
【なむ聞こえはべりし】−「なむ」係助詞。「し」過去の助動詞。係結び、強調。
【絶えてなむはべる】−「なむ」係助詞。「侍る」丁寧語。係結び。強調のニュアンス。
【御前に召し出でて問はせたまふ】−「せ」尊敬の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞。二重敬語。身分の差異を表現したもの。
【吹き出でて】−「つつ」接続助詞、同じ動作の反復の意。繰り返し吹き出して。
【驚きはべるなり】−「なり」断定の助動詞。
【はべらざりき】−「き」過去の助動詞。自ら体験したことがないというニュアンス。
【心細さまさりける】−主語は供人たち。大島本は「ぞ」(係助詞)ナシ。連体中止の余情表現。『集成』『完訳』は「心細さぞ」と訂正。

 [第二段 光る源氏の祈り]
【かくしつつ世は尽きぬべきにや】−源氏の思念。「ぬ」完了の助動詞、確述。「べき」推量の助動詞、推量。「に」断定の助動詞。「や」終助詞、疑問。きっと滅びてしまうのであろうかの意。
【思さるるに】−「るる」自発の助動詞。「に」接続助詞、順接。
【落ちかかりぬ】−「ぬ」完了の助動詞、完了。『完訳』は「落ちかかってきた」と訳す。
【ある限り】−その場にい合わせる者みな、の意。
【我はいかなる罪を】−以下「死ぬべきこと」まで、供人の詞。
【見るらむ】−「らむ」推量の助動詞、原因推量。どうして酷い目に遭うのであろうかの意。
【父母にも--妻子の顔をも】−「も」副助詞、最初は強調と次は類例の意。
【死ぬべきこと】−「べき」推量の助動詞、当然。死なねばならないこと、の意。
【何ばかりのあやまちにてか】−以下「命をば極めむ」まで、源氏の心中。悲運の不当を訴える。「か」(係助詞、疑問)--「極め」「む」推量の助動詞。反語表現。命を落とそうか、そのようなことはけっしてない、の意。『完訳』は「源氏の無実の主張」と注す。
【幣帛ささげさせたまひて】−「させ」使役の助動詞。「たまひ」尊敬の補助動詞。供人をして幣帛を奉らせなさる。
【住吉の神】−以下「助けたまへ」まで、源氏の祈りの詞。神は一定の地域を支配するという神道思想と神は仏の垂迹であるという本地垂迹思想とが見られる。『完訳』は「神が畏怖の対象であっても、仏の垂迹であるなら助けてくれるはず、の意」と注す。
【沈みたまひぬべきことの】−「ぬ」完了の助動詞、確述。「べき」推量の助動詞。「の」格助詞、主格。命を落としてしまいそうな事が、の意。
【悲しき】−大島本の独自異文。青表紙諸本「かなしきに」。『集成』『完訳』は「に」補入。「に」接続助詞、原因・理由。悲しいので、の意。
【身に代へてこの御身一つを救ひたてまつらむ】−供人の心中。「たてまつら」謙譲の補助動詞、源氏に対する敬意。「む」推量の助動詞、意志。お救い申そうの意。
【とよみて】−下の「念じたてまつる」に掛かる。
【帝王の深き宮に】−以下「この愁へやすめたまへ」まで、供人の祈りと訴えの詞。ただし、後半「かく悲しき」あたりから源氏の詞に変わっている。
【養はれたまひて】−「れ」受身の助動詞。「たまひ」尊敬の補助動詞。育てられなさっての意。源氏の仁徳と身の潔白を訴える。
【深き御慈しみ】−源氏の御仁徳。
【何の報いにか--溺ほれたまはむ】−「か」(係助詞、疑問)--「む」(推量の助動詞)、係結び、反語表現。なんで波風に溺れ死ななければならないのか、そんなことがあってよいはずがないというニュアンス。
【罪なくて罪に当たり】−『完訳』は「以下、源氏への敬語が不統一。「罪なくて--嘆きたまふに」を地の文とする説、また「かく悲しき--やすめたまへ」を源氏の言葉とする説などもある」と指摘。初め、供人たちが唱え、途中から源氏も一緒に唱え出した。
【嘆きたまふに】−「に」接続助詞、添加の意。
【悲しき目をさへ】−「さへ」副助詞、添加の意。
【命尽きなむと】−「な」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞。命が尽きてしまいそうになるというニュアンス。
【と御社の方に向きて】−『集成』は「次に「立てたまふ」と敬語があるから主語は源氏。前の祈願の言葉、後半は敬語がなく源氏自身の言葉のように読める。源氏もともに和した趣であろうか」。
【海の中の龍王】−『集成』は「仏経における異類。嵐をその所為かとも見ている」と注す。
【立てさせたまふに】−「させ」使役の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞。「に」接続助詞、順接。願をお立てさせなさると。
【いよいよ鳴りとどろきて】−『完訳』は「神々の感応とみられる」と注す。
【おはしますに】−「に」格助詞、体言「所」「寝殿」などの語句が省略されている。
【落ちかかりぬ】−「ぬ」完了の助動詞、確述。雷が落ちてきた。『完訳』は「無実の罪のまま死んで雷となり寝殿を焼いたという、菅原道真の伝説も投影しているか」と注す。
【後の方なる】−「なる」断定の助動詞、存在。後方にある。
【大炊殿とおぼしき屋に】−「おぼしき」(形容詞)は、語り手の想像を交えた臨場感ある表現。大炊殿らしい家屋に。
【移したてまつりて】−「たてまつり」(謙譲の補助動詞)、源氏の君をお移し申し上げて。
【日も暮れにけり】−「に」(完了の助動詞)「けり」(過去の助動詞)。日も暮れてしまったのであるというニュアンス。

 [第三段 嵐収まる]
【見ゆるに】−「に」接続助詞、順接、原因・理由。見えるので。
【この御座所】−大炊殿をさす。
【かたじけなくて】−「て」接続助詞、順接。恐れ多いので。
【返し移したてまつらむとするに】−「たてまつら」謙譲の補助動詞。「む」推量の助動詞、意志。「に」接続助詞、逆接。源氏の君を寝殿にお戻らせ申し上げようとするが。
【焼け残りたる方も】−以下「夜を明かしてこそは」まで、供人たちの詞。『完訳』は「吹ちらしてけり」までと「夜を」以下の二つの詞文に分ける。
【そこらの人の踏みとどろかし惑へるに】−『集成』は「「とどろかし」は、雷の縁でこう言った」と注す。散文における縁語表現。「る」完了の助動詞。「に」接続助詞、添加。踏み鳴らして右往左往した上に。
【吹き散らしてけり】−「て」完了の助動詞、完了。「けり」過去の助動詞。吹き飛んでしまったというニュアンス。
【夜を明してこそは】−供人の詞。下に「移したてまつらめ」などの語句が省略。
【たどりあへるに】−「る」完了の助動詞、存続。「に」接続助詞、順接、時間。供人が戸惑っている間。
【御念誦したまひて】−「て」接続助詞、動作の並行。御念誦を唱えながら。
【思しめぐらすに】−主語は源氏。「に」接続助詞、逆接。あれこれ御思案なさるが。すっきり解明できない、というニュアンスを含む。
【とやかくやとはかばかしう悟る人もなし】−『集成』は「あれこれとたしかにこの天変の意味を解き明かせる人もいない。当時の政治家が求める賢人である」と注す。『完訳』は「陰陽師や、宿曜道の人」と注す。
【聞きも知りたまはぬ】−「も」係助詞、強調。「給は」尊敬の補助動詞。聞いてもお分かりにならない。
【さへづりあへるも】−「る」完了の助動詞、存続。ぺちゃくちゃしゃべっているのも。
【え追ひも払はず】−主語は供人。「も」係助詞、強調。追い払うこともできない。
【この風、今しばし止まざらましかば】−以下「おろかならざりけり」まで、供人の詞。『集成』は「『細流抄』に「あまどものいふなり」とするが、地元の漁師たちの話を聞いて語る供人の言葉であろう」と注す。『完訳』は海人の詞とする。「ましかば--まし」反実仮想。風が止まなかったら--残る所がなかったでろうに、止んだので残ったの意。
【聞きたまふも】−「も」係助詞、一例を挙げて他を暗示。
【いと心細しといへばおろかなり】−言葉では言い表せない、という語り手の寸評。
【海にます神の助けにかからずは潮の八百会にさすらへなまし】−源氏の独詠歌。「ます」「潮の八百会」は祝詞の用語。「は」係助詞、仮定条件。「な」完了の助動詞、確述。「まし」推量の助動詞、反実仮想。もし助けがなかったら行方知れずになっていただろうに、助けがあったのでそうならずにすんだ、の意。住吉の神に感謝を述べる。
【騷ぎに】−「に」格助詞、原因・理由。騷ぎのために。
【さこそいへ】−源氏の落ち着いて念誦を唱えたり、戸の外を眺めていた態度をさす。
【困じたまひにければ】−「に」完了の助動詞、完了。「けれ」過去の助動詞。「ば」接続助詞、確定条件。疲れてしまったので。
【寄りゐたまへるに】−「る」完了の助動詞、存続。「に」接続助詞、順接。物に寄り掛かって座っていらっしゃると、の意。
【故院ただおはしまししさまながら】−以下、源氏の夢の中の出来事。「おはします」は「おはす」よりさらに重い最高敬語。「し」過去の助動詞。「ながら」接尾語。故院がまるで生前おいであそばした姿そのままで。
【などかくあやしき所にものするぞ】−院の詞。「ぞ」係助詞、文全体を強調。どうしてこのような賤しい所にいるのだ、というユアンス。
【住吉の神の】−以下「この浦を去りね」まで、院の詞。「ね」完了の助動詞、完了。去ってしまいなさい。
【のたまはす】−「のたまふ」よりさらに重い最高敬語。
【かしこき御影に】−以下「身をや捨てはべりなまし」まで、源氏の詞。
【別れたてまつりにしこなた】−「たてまつり」謙譲の補助動詞。「に」完了の助動詞。「し」過去の助動詞。お別れ申し上げて以来。
【悲しきことのみ】−「のみ」副助詞、限定と強調。悲しい事だけそればかりが、の意。
【身をや捨てはべりなまし】−「や」係助詞、疑問。「はべり」丁寧の補助動詞。「な」完了の助動詞。「まし」推量の助動詞、仮想。身を捨ててしまおうかしら、どうしたらよいものだろうか、という非現実的な仮想とためらいのニュアンス。『集成』は「命を終わろうかと存じます」。『完訳』は「身を捨ててしまいとうございます」。
【聞こえたまへば】−「聞こえ」は「言う」の謙譲語。「たまへ」尊敬の補助動詞。源氏が院に申し上げなさると。
【いとあるまじきこと】−以下「急ぎ上りぬる」まで、院の詞。
【これは】−天変地異をさす。
【我は位に在りし時あやまつことなかりしかどおのづから犯しありければ】−『北野天神縁起』に醍醐天皇は生前犯した五つの罪によって地獄に落ちたという説話がある。「し」「しか」過去の助動詞、自己の体験を語るニュアンス。「けれ」過去の助動詞、過去から現在まで継続している事実の回想、また地獄に落ちて初めて伝聞した過去の事実を回想した婉曲的表現というニュアンス。
【顧みざりつれど】−「つれ」完了の助動詞、完了。顧みなかったが。
【いみじき愁へに沈むを】−源氏の難儀をいう。敬語は付けない。
【海に入り渚に上り】−桐壷院の霊魂がやって来た道程、海上の彼方からという思想。
【困じにたれど】−「に」完了の助動詞、完了。「たれ」完了の助動詞、存続。「ど」接続助詞、逆接の確定条件。疲れてしまっているけれど。
【かかるついでに】−天変地異の折をさす。
【奏すべきことの】−「べき」推量の助動詞、当然。帝に奏上しなければならない事が。
【あるにより】−「に」断定の助動詞、「より」格助詞、原因・理由。あるために。
【なむ急ぎ上りぬる】−「なむ」係助詞、「ぬる」完了の助動詞、完了。係結び、強調のニュアンスを添える。『完訳』は「急いで京へ上るところだ」と訳す。
【飽かず悲しくて】−『完訳』は「以下、夢から現実に戻る」と注す。
【参りなむ】−「な」完了の助動詞、完了。「む」推量の助動詞、意志。連語で意志を強調確述する。参ってしまいたい。「参ら」「なむ」(終助詞、他者に対する希望)とはいわない。「参ら」「ばや」(終助詞、自身の希望)より、「参りなむ」の方が、強いニュアンスを表す。「ばや」は実現可能のことを願望するが、連語「な」「む」は不可能なことまで含む。
【見上げたまへれば】−「れ」完了の助動詞、完了。「ば」接続助詞、順接。「たまたま--したところ」というニュアンス。お見上げなさったところ。『集成』は「ここからが、夢からさめた趣」と注す。
【人もなく月の顔のみ】−「も」係助詞、強調。「月の顔」は擬人法。「人」の縁で「月の顔」と表現。「のみ」副助詞、限定と強調のニュアンスを添える。いったい人はいず、月の顔だけ、それだけが。
【たなびけり】−「けり」過去の助動詞、過去から現在まで継続している事実の回想。たなびいていたのである。
【夢にうちにも見たてまつらで】−「も」副助詞、強調。「たてまつら」謙譲の補助動詞、源氏の桐壷院に対する敬意。「で」接続助詞、打消。現実では不可能だが、夢の中でさえお目にかかれないというニュアンス。
【ほのかなれどさだかに見たてまつりつるのみ】−「つる」完了の助動詞、完了、確述のニュアンスも添う。下に「顔」「姿」等の語句が省略。「のみ」副助詞、限定と強調。確かに拝見したことだけ、そればかりがというニュアンス。『完訳』は「「ほのか」は、夢に見る時間の短さ。「さだか」は、夢の中の故院の映像の鮮明さ」と注す。
【面影におぼえたまひて】−『集成』は「ありありと心にお残りになって」。『完訳』は「いつまでも目先に幻となって感じられ」と訳す。
【我がかく悲しびを極め】−以下「翔りたまへる」まで、源氏の心中。
【命尽きなむとしつるを】−「な」完了の助動詞、完了。「む」推量の助動詞。「つる」完了の助動詞。「を」格助詞、目的格。もうすんでのところで命が尽きようとしたところを。
【翔りたまへると】−「たまへ」尊敬の補助動詞、故院に対する敬意。「る」完了の助動詞、完了、連体形中止。下に「事」「なり」等の語句が省略。言外に余情余韻を表す。
【よくぞかかる騷ぎもありける】−源氏の心中。「かかる騷ぎ」は天変地異をさす。「ぞ」係助詞。「も」係助詞、強調。「ける」過去の助動詞、詠嘆。係結び、強調。
【名残頼もしううれしうおぼえたまふこと限りなし】−「おぼえ」動詞、自然そう思われるというニュアンス。源氏は夢の中の院の詞に期待感と希望を抱く。『完訳』は「このあたり、源氏救助の故院の霊力が、天変地異の「物のさとし」であったとも了解されよう」と注す。
【なかなかなる御心惑ひに】−現実では忘れていたが、夢で院に会ったばかりにかえって悲しみに心乱れるというニュアンス。
【夢にも御応へを今すこし聞こえずなりぬること】−源氏の心中。「も」係助詞、願望・仮定を控え目に例示。仮に夢であるにせよどうしてというニュアンス。「聞こえ」謙譲の動詞、院に対する敬意。「ぬる」完了の助動詞。体言止め、余情余韻を残す。
【いぶせさに】−『集成』は「みたされぬ思いで」と注す。
【さらに御目も合はで】−「さらに」副詞、「で」接続助詞、打消し、全然お目も合わないでというニュアンス。

 [第四段 明石入道の迎えの舟]
【渚に小さやかなる舟寄せて】−明石入道の使者、源氏を迎えに来る。
【人二三人ばかり】−「ばかり」副助詞、程度。人が二、三人ほど。
【何人ならむと問へば】−「問ふ」の主語は供人。
【明石の浦より】−以下「とり申さむ」まで、使者の詞。
【前の守新発意の御舟装ひて】−「の」格助詞、主格。「御」は源氏を乗せるべき舟という意で用いた敬語。
【参れるなり】−「参れ」は「来る」の謙譲語。源氏に対する敬意。「る」完了の助動詞。「なり」断定の助動詞。参上したのである。
【源少納言さぶらひたまはば対面して】−良清をさしていう。「さぶらふ」は「あり」の謙譲語、また丁寧語。「たまは」尊敬の補助動詞、良清に対する敬意。
【とり申さむ】−「申さ」は「言ふ」の謙譲語。「む」推量の助動詞、意志。説明申し上げたい。
【入道はかの国の得意にて】−以下「いかなることかあらむ」まで良清の詞。丁寧の補助動詞「はべり」が使用されている。「に」断定の助動詞。「て」接続助詞。
【年ごろあひ語らひはべりつれど】−「はべり」丁寧の補助動詞、「つれ」完了の助動詞。長年互いに交際しておりましたが。
【ことなる消息をだに通はさで】−「だに」副助詞、打消しの語句と呼応して例外的・逆接的意味を表す。普通の消息はもちろんのこと、これぞという特別の消息でさえも通わさないで。
【おぼめく】−『集成』は「不審がる」。『完訳』は「入道の誘いに浮き立つ心を、源氏に気づかれまいと、とぼける」と注す。
【君の】−「の」格助詞、主格。「のたまへば」に続く。「御夢なども」以下「ありて」までは挿入句。
【行きて会ひたり】−「たり」完了の助動詞。主語は良清。
【さばかり激しかりつる波風に】−以下「舟出しつらむ」まで、良清の心中。「つる」完了の助動詞。「つ」完了の助動詞。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。
【心得がたく思へり】−「り」完了の助動詞、存続。
【去ぬる朔日の日の夢に】−以下「このよし申したまへ」まで、入道の詞。三月上旬の日、源氏が海に出て祓いをしたころ。
【十三日にあらたなるしるし見せむ】−以下「この浦にを寄せよ」まで、夢の告げ。「あらた」は霊験あらたかなの意。「む」推量の助動詞、推量また神の意志。
【示すことのはべりしかば】−「の」格助詞、主格。「はべり」は「有り」の丁寧語。「しか」過去の助動詞。示すことがございましたので。
【いかめしき雨風雷のおどろかしはべりつれば】−『集成』は「大変な雨や風、雷が、それと思い当らせてくれましたので。この天変地異が源氏の身の上にかかわることだと悟った、の意」と注す。
【人の朝廷にも夢を信じて国を助くるたぐひ多うはべりけるを】−中国の『史記』殷本紀に武丁が夢に傅説(ふえつ)を得た話が指摘される。
【用ゐさせたまはぬまでも】−主語は源氏。「させ」尊敬の助動詞。「給は」尊敬の補助動詞。最高敬語。「ぬ」打消の助動詞。「まで」副助詞、「も」係助詞と複合。打消の語の下につき、--にしても、の意。お取り上げあそばされぬしても。
【このいましめの日を】−十三日をいう。
【あやしき風細う吹きて】−『集成』は「「細う」は、入道の舟の行路にあたる所だけ順風が吹いたさまをいう」と注す。
【神のしるべ違はずなむ】−「ず」打消の助動詞。「なむ」係助詞、結びの省略。余情余意をこめた表現。
【はべりつらむとてなむ】−「はべり」は「有り」の丁寧語。「つ」完了の助動詞。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。「とて」連語(格助詞+接続助詞)。「なむ」係助詞、下に「参りぬる」などの語句が省略。余情・余意を表す。ございましたでしょうかと存じまして参りました。
【申したまへ】−「申し」は源氏に対する敬意。「たまへ」は良清に対する敬意。
【世の人の聞き伝へむ後のそしりも】−以下「また何ごとか疑はむ」まで、源氏の心中。最初、入道の言葉に盲従することを躊躇、やがて入道の言葉に従うことを決意する。
【神の助けにもあらむを】−「に」断定の助動詞。「も」係助詞、強調。「む」推量の助動詞、仮想・婉曲。「を」接続助詞、逆接。神の御加護であるかもしれないのに。
【これより】−『完訳』は「入道に従っての明石移住を、後人に笑われる以上に」と注す。
【うつつざまの人の心だになほ苦し】−「だに」副助詞、最小限の限定。『完訳』は「人間にそむくことさえつらい。まして神慮にそむくのは、の意」と注す。
【今一際まさる人】−明石入道をさす。
【退きて咎なし】−『河海抄』に「孝経に曰く、退かざれば咎あり」とあるが、現存本『孝経』には見えない語句。『完訳』は「「退キテ謗言ナカリキ」(春秋左氏伝・哀公二十)などによるか」。『新大系』は「老子「富貴にして驕れば自ら其の咎を遺す。功成り名遂げて身退くは天の道なり」(運夷第九)などに由来する言か」と注す。
【こそ--言ひ置きけれ】−「こそ」係助詞、「けれ」過去助動詞、係結び。強調のニュアンス。源氏の得心した気持ち。
【さらに後のあとの名をはぶくとても】−『集成』は「今さら後世に残る悪評を避けたところで(入道の迎えに応じなかったところで)たいしたこともあるまい。これ以上の悪評を受けることもあるまい、の意」と注す。
【また何ごとか疑はむ】−「か」係助詞、反語。「む」推量。また一方で何事を疑おうか、疑うものはない。強い決意。
【知らぬ世界に】−以下「隈はべりなむや」まで、源氏の詞。
【うれしき釣舟をなむ】−「波にのみ濡れつるものを吹く風のたよりうれしき海人の釣舟」(後撰集雑三、一二二四、紀貫之)を踏まえる。好意に感謝する。「を」格助詞、目的格。また間投助詞、感動。「なむ」係助詞。結びの省略。余情・余意を残す。
【隠ろふべき隈】−「べき」推量の助動詞、当然。ひっそり暮らすことのできる隠棲場所。
【ともあれ】−以下「たてまつれ」まで、供人の詞。
【御舟にたてまつれ】−「たてまつれ」は「乗る」の尊敬語。続く次行の「とて」は連語(格助詞+接続助詞)、理由・動機。お舟にお乗りなさい、ということで。
【例の親しき限り四五人ばかりして】−「ばかり」副助詞、程度・限定。「し」動詞、供としての意。「て」接続助詞、順接。須磨に随行したのは七、八人であった(須磨)。そのうち四、五人が身辺に仕えていた。
【例の風】−前に「あやしき風細く吹きて」とあった風をいう。
【風の心なり】−『完訳』は「擬人法で、神慮を強調」と注す。

 

第二章 明石の君の物語 明石での新生活の物語

 [第一段 明石入道の浜の館]
【浜のさまげにいと心ことなり】−明石の浜の様子。「げに」は良清の話を受ける(若紫)。
【人しげう見ゆるのみなむ御願ひに背きける】−「のみ」副助詞、限定・強調。「なむ」係助詞、「ける」過去の助動詞、詠嘆、係結び。強調のニュアンスを添える。
【興をさかすべき渚の苫屋】−「べき」推量の助動詞、当然。きっと興趣を催させるような渚の苫屋。「苫屋」は歌語。
【思ひ澄ましつべき山水】−「つ」完了の助動詞、確述。「べき」推量の助動詞、適当。思いを静かにするにふさわしい山水。
【秋の田の実を刈り収め】−「たのみ」は「田の実」と「頼み」を懸ける。歌語。
【齢積むべき稲の倉町ども】−「つむ」は「齢を積む」と「積む稲の蔵」の両句に掛かる掛詞。「べき」推量の助動詞、当然。
【心やすくおはします】−主語は源氏。『完訳』は「男女を意識しない気安さ」と注す。あらかじめその生活を語る。
【舟より御車にたてまつり移るほど】−話は戻って、源氏が舟から車に乗り換えるところに戻る。「たてまつり」は「乗る」の尊敬語。
【ほのかに見たてまつるより】−主語は明石入道。「ほのか」は「光・色・音・様子などが、うっすらとわずかに現われるさま。その背後に、大きな、厚い、濃い、確かなものの存在が感じられる場合にいう。類義語カスカは、今にも消え入りそうで、あるか無いかのさま」(岩波古語辞典)。「より」格助詞、するやいなや。『集成』は「源氏をそれとなく拝見するやたちまち」。『完訳』は「一目お見上げ申すなり、たちまち」。
【月日の光を手に得たてまつりたる心地して】−無上の喜び。後の「若菜上」に入道は夢に「山の左右より月日の光さやかにさし出でて世を照らす」という様を見て、それが中宮と東宮の誕生の暗示と解したとある。
【絵に描かば心のいたり少なからむ絵師は描き及ぶまじ】−「ば」接続助詞、順接の仮定条件。「む」推量の助動詞、仮定・婉曲。「え」副詞--「まじ」打消推量の助動詞と呼応して、不可能を表す。風景の素晴しさをいう。
【月ごろの御住まひよりはこよなくあきらかになつかしき】−「より」格助詞、比較。「明らか」「懐かし」、須磨の暗く侘しい世界から明るく好ましい世界へと転換。
【御しつらひなどえならずして】−「御」は源氏が住むという意味で付けられた敬語。
【住まひけるさまなど、げに都のやむごとなき所々に】−明石入道の生活。「げに」は良清の言葉を受ける。

 [第二段 京への手紙]
【すこし御心静まりては、京の御文ども聞こえたまふ】−源氏、明石に移ってから京へ手紙を遣る。「京の御文」は京への手紙の意。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。源氏の都の人々に対する敬意。「たまふ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。お気持ちが落ち着いてからどうしたかというと、実は京の人々へお手紙を差し上げたのだ、というニュアンス。
【参れりし使は今は】−「り」完了の助動詞、存続。紫君のもとから参上していた使者。『集成』は「今は」以下「悲しき目を見る」まで、使者の詞とする。『完訳』は「今は」は「言ひつかはすべし」に掛かると解す。
【いみじき道に】−以下「悲しき目を見る」まで、使者の詞。
【身にあまれる物ども多くたまひて遣はす】−「る」完了の助動詞、存続。「ども」接尾語、複数。「遣はす」、都に遣わすとは、あらかじめ結果を語った表現。
【むつましき御祈りの師どもさるべき所々には】−「御祈りの師ども」は源氏の祈祷の師たち。「さるべき所々」とは、『集成』は「そのほか関係の深い陰陽師、呪禁師などの類いであろう。改めて祈祷その他を依頼するためである」と解し、『完訳』は「親族・友人・妻妾など」と解す。
【入道の宮ばかりには】−「ばかり」副助詞、限定・特立。「に」断定の助動詞。「は」係助詞、他との区別。他の人と違って、入道の宮だけには、というニュアンス。
【めづらかにてよみがへるさまなど聞こえたまふ】−「など」副助詞、漠然・婉曲、また例示・同類の存在。「聞こえ」は「言ふ」の謙譲語。源氏の藤壷に対する敬意。「たまふ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。『集成』は「不思議なめぐり合せで命をとりとめた事情などを」と訳すが、『完訳』は「天変での命拾いを蘇生であるとする点に注意。源氏の生命の再生されるイメージ」と注す。
【返す返すいみじき目の限りを】−以下「いかにひがこと多からむ」まで、源氏の文。
【今はと世を思ひ離るる心のみまさりはべれど】−「のみ」副助詞、限定・強調。「はべれ」丁寧の補助動詞。出家願望の気持ちが強まる。
【鏡を見てもとのたまひし】−紫の上が詠んだ「別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし」(須磨、第一章三段)という和歌をさす。
【かくおぼつかなながらや】−『集成』は「こうして遠く離れて逢えぬまま出家してしまうのかと思うと(その悲しみに比べれば)」。『完訳』は「「--や」の下に「別れたてまらむ」ぐらいを補い読む」と注す。
【遥かにも思ひやるかな知らざりし浦よりをちに浦伝ひして】−源氏の贈歌。
【げにそこはかとなく】−「げに」語り手が源氏の手紙の文面に納得した表現。
【書き乱りたまへるしもぞいと見まほしき側目なるを】−「たまへ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。「る」完了の助動詞、存続。「しも」連語(副助詞+係助詞)特立・強調。「ぞ」係助詞、「側目なる」と結ばれるところが「を」接続助詞に続いて、結びの流れとなる。
【言伝てすべかめり】−「べかめり」連語(推量の助動詞「べかる」連体形の撥音便形「べかん」の「ん」が無表記+推量の助動詞「めり」)。語り手の推量。--のように思われる。
【漁する海人ども誇らしげなり】−「漁りする与謝の海人びと誇るらむ浦風ぬるく霞みわたれり」(恵慶法師集)の句による表現。

 [第三段 明石の入道とその娘]
【明石の入道】−『集成』は「あるじの入道」とする。『大成』校異篇にはに「青」異同ナシ。「河」は「入道」とある。『集成』は「この居館の主人である入道。客人たる源氏に対していう」と注す。
【かたはらいたきまで、時々漏らし愁へきこゆ】−「まで」副助詞、極まり及ぶ程度。「きこゆ」は「言ふ」の謙譲語、入道の源氏に対する敬意。
【御心地にもをかしと聞きおきたまひし人なれば】−「御心地」は源氏の心をさす。「たまひ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。「し」過去の助動詞。「若紫」巻の北山での良清の話を受ける。
【かくおぼえなくてめぐりおはしたるもさるべき契りあるにや】−源氏の心中を地の文で語る。間接話法。「おはし」は「来る」の尊敬語。語り手の源氏に対する敬意。「たる」完了の助動詞。「にや」連語(断定の助動詞+係助詞、疑問)。「さるべき」連語(動詞+推量の助動詞、当然)。『完訳』は「前世の因縁。源氏は明石の君との出会いを運命的なと実感する」と注す。
【思しながら】−「思し」は「思ふ」の尊敬語。源氏に対する敬意。「ながら」接続助詞、逆接。「--ものの」などと同様に、心理の両面を語る常套表現の一つ。
【なほかう身を沈めたるほどは】−以下「心恥づかしう」まで、源氏の心中文。ただしその引用句がなく地の文に続く構文。『完訳』は「以下、源氏の心内語。「心恥づかしう」で、間接話法に移る」。「たる」完了の助動詞、存続。
【行なひより他のことは思はじ】−「じ」打消推量の助動詞。意志の打ち消し。勤行以外の事は考えまいとする源氏の決意。
【都の人も】−紫の君をさす。
【ただなるよりは言ひしに違ふと思さむも心恥づかしう思さるれば】−「言ひしに違ふ」は「程ふるもおぼつかなくは思ほえず言ひしに違ふとばかりはしも」(源氏釈所引、出典未詳)を踏まえた表現。『集成』は「都にいる普通の場合より、愛を誓った言葉に嘘があったとお思いになるであろうことも気はずかしく思われなさるので。「ただなるよりは--」は、遠く離れているからこそ操を守りたい、という気持」と注す。「より」格助詞、比較。「は」係助詞、区別・強調。「思さ」は「思ふ」の尊敬語、源氏の紫の君に対する敬意。「む」推量の助動詞、婉曲。「るれ」自発の助動詞。
【心ばせありさまなべてならずもありけるかな】−源氏の心中。明石の君に関心を抱く。「ける」過去の助動詞、詠嘆。「かな」終助詞、詠嘆。
【ゆかしう思されぬにしもあらず】−「れ」自発の助動詞。「ぬ」打消の助動詞。「に」完了の助動詞、確述。「しも」連語(副助詞+係助詞)、強調。「ず」打消の助動詞。二重否定の構文。委曲を尽くした心情表現。『集成』「お気持がひかれないわけでもない」と注す。
【ここにはかしこまりて】−源氏の御座所をさす。「かしこまりて」の主語は明石入道。
【さるは】−その実は、の意。
【明け暮れ見たてまつらまほしう】−『集成』は「朝夕いつも(婿として)源氏をお世話もうしあげたく」と注す。
【思ふ心を叶へむ】−入道の心中。「思ふ心」、『完訳』は「娘を源氏に縁づけたい気持」と注す。「む」推量の助動詞、願望・意志。他の青表紙諸本「いかて--」とある。
【年は六十ばかりになりたれど】−明石入道の年齢、六十歳ほど。
【あらまほしう行なひさらぼひて】−『完訳』は「勤行に痩せ細るのを好ましいとする、語り手の気持」と注す。
【人のほどのあてはかなればにやあらむ】−『集成』は「次の「いにしへのものを見知りて」以下に掛る」と注す。「にや」連語(断定の助動詞+係助詞、疑問)。「む」推量の助動詞。語り手の疑問・推量を差し挟んだ挿入句。
【昔物語などせさせて聞きたまふに】−「させ」使役の助動詞。源氏が明石入道に。
【年ごろ公私御暇なくて】−源氏の過去数年来の生活をさす。
【かかる所をも人をも見ざらましかばさうざうしくや】−源氏の心中。「ざら」打消の助動詞。「ましか」推量の助動詞、反実仮想。「や」係助詞、反語。見なかったらもの足りないことであったろうに、見たので満足だというニュアンス。
【とまで、興ありと思す】−「まで」副助詞、極まり及ぶ程度。--というまでに。
【さこそ言ひしか】−「こそ」係助詞--「しか」過去助動詞、已然形。逆接用法。娘を源氏に縁づけたいと妻に言ったことを受ける。
【えうち出できこえぬを】−「え」副詞、「ぬ」打消の助動詞、不可能を表す構文。
【心もとなう口惜し】−入道の詞。
【母君と言ひ合はせて嘆く】−入道と母君が一致して事に当たっている様子。
【おしなべての人だにめやすきは見えぬ世界に世にはかかる人もおはしけり】−明石の君の心中。「だに」副助詞、最小限の希望・期待。「に」格助詞、場所。「は」係助詞、区別・強調。「も」係助詞、強調。「けり」過去の助動詞、初めて気づいた感動。
【見たてまつりしにつけて】−「たてまつり」謙譲の補助動詞、明石の君の源氏に対する敬意。「し」過去の助動詞、体験の回想。『集成』は「源氏の姿をほのかに見た趣に書いてある」。『完訳』は「実際には岡辺の邸の明石の君は海辺の邸の源氏に会っていないが、噂に高い源氏の来訪を、まぢかに認識した」と注す。
【身のほど知られて】−「れ」自発の助動詞。明石の君の自己意識。帝の御子である光る源氏と受領の娘である自分という歴然たる身分の差異。
【いと遥かにぞ思ひきこえける】−「ぞ」係助詞、「ける」過去の助動詞、連体形。係結び、強調。
【「似げなきことかな」と思ふに】−「に」接続助詞、順接。明石の君の心中。源氏との縁談を不釣り合いと思う。
【ただなるよりはものあはれなり】−『集成』は「何事もなかったこれまでよりは、ものを思うことも多い。源氏のことが気にかかる娘心をいう」。『完訳』は「源氏との縁談がなかった時に比べて。源氏の出現が、自らの身のわびしさを痛感させる」と注す。

 [第四段 夏四月となる]
【四月になりぬ更衣の御装束御帳の帷子など】−季節は夏四月に推移。源氏、琴を弾じて京を思う。
【いとほしうすずろなり】−源氏の心中。『集成』は「困ったものだ、こうまでしなくても、とお思いになるが。入道の献身ぶりをなかば迷惑に思う気持」と注す。
【言はむかたなく恋しきこと何方となく行方なき心地したまひて】−「わが恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(古今集恋二、六一一、凡河内躬恒)による。
【あはと遥かに】−源氏の詞。「淡路にてあはと遥かに見し月の近き今宵は所からかも」(新古今集雑上、一五一五、凡河内躬恒)による。
【あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなく澄める夜の月】−源氏の独詠歌。旅愁を詠んだ歌。
【久しう手触れたまはぬ琴を】−須磨に持参した七絃琴。昨年の秋そして冬に、琴を弾いたことがある。
【見たてまつる人も】−源氏の従者。
【広陵といふ手をある限り弾きすましたまへるに】−「広陵散」は晋の*(ケイ)康という人が夢の中で尭の時代の楽人伶倫から伝え聞いたという秘曲(晋書・*(ケイ)康伝)。
【身にしみて思ふべかめり】−「べかめり」連語(推量の助動詞「べし」の連体形「べかる」の撥音便「ん」の無表記「べか」+推量の助動詞「めり」)。--に違いない。--のように思われる。語り手の推量。
【浜風をひきありく】−「浜風」は「風」と「風邪」の掛詞、言葉遊び。

 [第五段 源氏、入道と琴を合奏]
【さらに、背きにし世の中も】−以下「夜のさまかな」まで、入道の詞。源氏の奏でる琴の音を聞いて極楽もかくやと感嘆する。
【思ひ出でぬべくはべり】−「ぬべく」連語(完了の助動詞「ぬ」確述+推量の助動詞「べく」当然)、当然・強調。「侍り」は「あり」の丁寧語。
【わが御心にも折々の御遊び】−以下、源氏往古を回顧。地の文と心中文とが融合した叙述。
【もてかしづきあがめたてまつりたまひしを】−主語は宮中の身分ある人々。「たてまつり」謙譲の補助動詞。人々の源氏に対する敬意。「たまひ」尊敬の補助動詞。宮中の身分ある人々に対する敬意。「し」過去の助動詞。
【古人は涙もとどめあへず】−明石入道をいう。感激しやすい老人のイメージで「古人」と呼称。
【入道琵琶の法師になりて】−即席の琵琶法師になっての意。
【箏の御琴参りたれば】−「参り」は「出づ」の謙譲語。「たれ」完了の補助動詞、完了。「ば」接続助詞、順接。箏の御琴を差し出し申したところ。
【いとさしも聞こえぬ物の音だに折からこそはまさるものなるを】−「いと」(副詞)、「ぬ」(打消の助動詞)と呼応して、たいして--でないの意。「だに」副助詞、否定構文の中で、例外的・逆接的事態。--でさえ。「こそ」係助詞、「なる」断定の助動詞、に掛かるが、「を」接続助詞、逆接、に続いているので、結びが流れている。たいしてそれほどにも聞こえぬ琴の音でさえ折によっては優れて聞こえるものだが。『完訳』は「実際にはさほどと思えぬ音色でさえ。「--だに」の文脈は、まして源氏の弾奏する秀でた音色は、の気持で、「はるばると」に続く」と注す。
【はるばると物のとどこほりなき海づらなるになかなか春秋の花紅葉の盛りなるよりは】−「なる」断定の助動詞、「に」接続助詞、逆接。何も情趣をおこす物のない広々とした海辺であるにもかかわらず、という文脈。『集成』『完訳』は、添加の意に解す。「なかなか」は「なまめかしき」に掛かる。「なる」断定の助動詞。「より」格助詞、比較。『完訳』は「春秋の情趣を重んずる一般論を否定、夏の木陰の景に注目」と注す。
【誰が門さして】−「まだ宵にうち来てたたく水鶏かな誰が門さして入れぬなるらむ」(源氏釈所引、出典未詳)。誰が門を鎖しての意。
【これは女のなつかしきさまにてしどけなう弾きたるこそをかしけれ】−源氏の詞。箏の琴をさす。男が緊張して弾くより、女性がやさしい感じで、くつろいで弾いたほうが好いものだ。
【おほかたにのたまふを】−一般論としていうの意。「を」格助詞、目的格。また接続助詞、逆接という解も可能。『完訳』は「源氏の発言は、弾き手が女でなくて残念、の意を含むが、娘とは無関係な一般論」と注す。
【入道はあいなくうち笑みて】−「あいなく」、語り手の価値判断を含んだ感情移入の語。『完訳』は「勝手に娘のことと直感する入道への語り手の評」と注す。
【あそばすより】−以下「聞こしめさせてしがな」まで、入道の詞。娘の明石の君をほのめかす。
【四代に】−したいに大 他の青表紙諸本「三代に」とある。『集成』『完訳』等は「三代に」と訂正。
【かき鳴らしはべりしを】−「し」過去の助動詞、入道の過去・体験を振り返ったニュアンス。「を」接続助詞、弱い逆接。
【あやしうまねぶ者のはべるこそ自然にかの先大王の御手に通ひてはべれ】−娘のことを暗に言った表現。「こそ」係助詞、「侍れ」丁寧の補助動詞に掛る。強調のニュアンス。
【山伏のひが耳に松風を聞きわたしはべるにやあらむ】−娘の琴の上手を誉めた入道の謙遜の詞。「松風に耳慣れにける山伏は琴を琴とも思はざりけり」(花鳥余情所引、拾遺集歌人の寿玄法師の歌、出典未詳)。
【忍びて聞こしめさせてしがな】−「これ」は娘の琴。「聞こしめさ」(他サ四段)は「聞く」の最高敬語。「て」完了の助動詞、確述。「し」副助詞、強調。「がな」終助詞、願望。こっそりと娘の琴の音をお耳に入れたいものだ。
【涙落とすべかめり】−「べかめり」連語(「べか」推量の助動詞、強い推量、連体形「べかる」が撥音便化して「ん」が表記されない形+「めり」推量の助動詞、主観的推量)、語り手のその場に居合わせて見ているようなニュアンス。
【琴を琴とも聞きたまふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな】−源氏の謙遜の詞。入道の踏まえた和歌を源氏も踏まえて応答。「たまふ」尊敬の補助動詞。源氏の入道に対する敬意。「まじかり」打消推量の助動詞。「ける」過去の助動詞、詠嘆。「かな」終助詞、感動。『集成』は「私の琴など琴ともお聞きになるはずのない所で、うっかりしたことをしたものです」と注す。
【あやしう昔より】−以下「いかでかは聞くべき」まで、源氏の詞。
【嵯峨の御伝へにて女五の宮さる世の中の上手にものしたまひけるを】−嵯峨天皇の第五皇女繁子内親王。嵯峨天皇、繁子内親王が共に箏の琴に巧みであったということは、『秦箏相承血脈』には見えない。
【掻き撫での心やりばかりにのみあるを】−「ばかり」副助詞、程度。「に」断定の助動詞。「のみ」副助詞、限定・強調。「を」接続助詞、逆接。『集成』は「通りいっぺんの自己満足程度にすぎませんが」と注す。
【弾きこめたまへりける】−「たまへ」尊敬の補助動詞、源氏の明石の君に対する敬意。「り」完了の助動詞、存続。「ける」過去の助動詞。『完訳』は「奏法を人知れず隠し伝える意」と注す。
【聞こしめさむには】−以下「折々もはべり」まで、入道の詞。
【商人の中にてだにこそ、古琴聞きはやす人は、はべりけれ】−白楽天の「琵琶行」を踏まえる。「だに」副助詞、最低限の限定。高貴な中では当然だが、身分の賎しい商人の中でさえも、というニュアンス。「こそ」係助詞、「侍れ」已然形に係る。強調。「ふること」は「古事」に「古琴」を連想させた表現。「は」係助詞、区別・特立。
【琵琶なむまことの音を】−「琵琶行」を引いたことから、話題が娘の琵琶について移る。「なむ」係助詞、「すくなう侍し」に掛かるが、「を」接続助詞、逆接に続き、結びが流れている。
【をさをさとどこほることなう】−娘の琵琶の奏法についていう。
【筋ことになむ】−「なむ」係助詞、下に「ある」などの語句が省略された、余意を残した表現。
【いかでたどるにかはべらむ】−「いかで」副詞、疑問。「たどる」は真似して習得する意。「に」断定の助動詞。「か」係助詞、疑問。「侍ら」は「あり」の丁寧語。「む」推量の助動詞、連体形、係結び。主語は明石の君。娘はどのようにして琵琶の奏法を習得したのだろうか。
【げにいとすぐして】−「げに」、明石の入道が言っていたとおりの意。語り手の納得した気持ち。また、源氏の納得の気持ち。
【伊勢の海ならねど清き渚に貝や拾はむ】−ここは明石の地、伊勢の海ではないが。次の「清き渚に」という語句をいうための枕。催馬楽「伊勢の海」の歌詞。「伊勢の海の清き渚にしほかひになのりそや摘まむ貝や拾はむや玉や拾はむや」。
【琴弾きさしつつめできこゆ】−主語は入道。「つつ」接尾語、同じ動作の繰り返し。「きこゆ」謙譲の補助動詞、入道の源氏に対する敬意。
【もの忘れしぬべき夜のさまなり】−「もの」は憂い、物思い。「ぬべき」連語(完了の助動詞、確述+推量の助動詞、推量)、当然・強調。物思いも忘れてしまうに違いない素晴しい夜の様子である。

 [第六段 入道の問わず語り]
【いたく更けゆくままに】−入道、源氏に娘のことを問わず語りにかたる。
【静かなるほどに】−供の人々が酒に酔い眠ったころ。
【御物語残りなく聞こえて】−「御」は源氏の耳に入れるというで冠せられた敬語。
【をかしきもののさすがにあはれと聞きたまふ節もあり】−「をかし」は滑稽である、ほほえましいのニュアンス。「あはれ」は不憫である、しみじみと胸をうつのニュアンス。相対立する概念。『完訳』は「いささかおかしみを感じられるが、それでもさすがにしみじみと胸をうたれる思いでお聞きになる所どころもある」と注す。
【いと取り申しがたきことなれど】−以下「交り失せねとなむ掟てはべる」まで、入道の詞。娘のことを源氏に語る。
【移ろひおはしましたるは】−主語は源氏。「おはしまし」は「おはす」より更に高い最高敬語。「たる」完了の助動詞、存続。おいであそばしていますのは。
【老法師の祈り申しはべる】−入道の謙遜の自称。源氏が須磨明石とさすらって来られたのは自分が祈ってそうさせたものだという。
【御心をも悩ましたてまつるにやとなむ思うたまふる】−「御心」は源氏の心をいう。「たてまつる」謙譲の補助動詞、入道の源氏に対する敬意。「に」断定の助動詞。「や」係助詞、疑問。「なむ」係助詞、「給ふる」下二段、謙譲の補助動詞、連体形に掛る。強調のニュアンス。『完訳』は「源氏の流離を、わが信仰の利益ゆえと必然化する」と注す。
【住吉の神を頼みはじめたてまつりて、この十八年になりはべりぬ】−娘の出生と年齢に関係する記事だが、「若紫」巻と「須磨」「明石」巻との間で、ややつじつまの合わない年齢記述。今、娘が十八歳ころとすると、「若紫」巻で九歳ころとなり、代々の国司が求婚したという良清の話と合わない。
【女の童いときなうはべりしより】−娘をさしていう。
【かの御社に】−摂津国住吉神社。
【昼夜の六時の勤め】−晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜の勤行。
【蓮の上の願ひをばさるものにて】−極楽往生の願いはそれはそれとして。
【ただこの人を高き本意叶へたまへとなむ念じはべる】−「ただ」副詞は「念じ侍る」に掛かる。「この人」は娘をさす。「を」間投助詞、詠嘆。「高き本意」とは後の「いかにして宮このたかき人にたてまつらむ」をいう。「なむ」係助詞、「侍る」連体形に掛かる。強調のニュアンス。
【親大臣の位を保ちたまへりき】−入道の父は大臣、その弟が按察大納言で源氏の母桐壷更衣の父という家系。
【これは、生れし時より頼むところなむはべる】−「これ」は娘をさす。「なむ」係助詞、「侍る」連体形に掛かる、係結び。強調のニュアンス。後の「若菜」上巻に入道の夢の話として語られる。
【ほどほどにつけてあまたの人の嫉みを負ひ】−「程ほどにつけて」は入道自身の身分についていう。『集成』は「私のようなしがない者でもしがない者なりに」。「あまたの人」は求婚を断った相手の人々。
【命の限りは】−以下「交り失せね」まで、入道の娘に言った詞の引用。「命の限り」は入道の生きている間の意。
【すべてまねぶべくもあらぬことどもを】−語り手の意を介入させた表現。『集成』は「それはもうここにそのまま伝えるのも憚られるような奇妙な話を」。『完訳』は「語り手も語り伝えられぬとする。話の内容の異様さを強調」と注す。
【折からは】−「は」係助詞、区別・強調。時が時なだけに。
【うち涙ぐみつつ聞こしめす】−「つつ」接尾語、二つの動作が並行して行われているさま。「聞こしめす」は「聞く」の最高敬語。
【横さまの罪に当たりて】−以下「一人寝の慰めにも」まで、源氏の詞。入道の申し出、娘との結婚を受諾。「横さま」と清音に読む。北野本「日本書紀」神功摂政元年二月条の訓点。
【契りにこそは】−「こそ」係助詞、「は」係助詞、区別・強調。下に「ありけめ」などの語句が省略。
【あはれになむ】−「なむ」係助詞。下に「思ふ」などの語句が省略。
【思ひ知りたまひけることを】−「たまひ」尊敬の補助動詞。源氏の入道に対する敬意。「ける」過去の助動詞。「を」格助詞、目的。
【月日を経るに】−「経る」連体形。「に」格助詞、時間、--しているうちに。また接続助詞、原因・理由のニュアンスも可能。--していたので。『完訳』は「月日を送っているうちに」と訳す。
【かかる人】−明石の君をさす。
【いたづら人】−源氏自身をいう。
【ゆゆしきものにこそ思ひ捨てたまふらめと】−「こそ」係助詞。「たまふ」尊敬の補助動詞、終止形。源氏の明石の君に対する敬意。「らめ」推量の助動詞、已然形。視界外推量。お思い捨てなさることであろう。
【導きたまふべきにこそあなれ】−「たまふ」尊敬の補助動詞、終止形、源氏の入道に対する敬意。「べき」推量の助動詞、連体形、当然。「に」断定の助動詞。「こそ」係助詞。「あなれ」連語(「ある」動詞、連体形+「なれ」伝聞推定の助動詞、「あんなれ」の撥音の無表記)。
【心細き一人寝の慰めにも】−「に」断定の助動詞。「も」係助詞、強調。下に「あらむ」「せむ」「ならむ」などの語句が省略。余意・余情を表す。
【一人寝は君も知りぬやつれづれと思ひ明かしの浦さびしさを】−入道の贈歌。「も」係助詞、同類。娘の他にあなたもの意。「ぬ」完了の助動詞。「や」係助詞、疑問。「あかし」は「明かし」と「明石」の掛詞。「うら」は「浦」と「心(うら)」の掛詞。
【まして年月思ひたまへわたるいぶせさを】−「まして」は娘や源氏以上にの意。入道自身をいう。「たまへ」下二段、謙譲の補助動詞。
【推し量らせたまへ】−「せ」尊敬の助動詞、「給へ」尊敬の補助動詞、最高敬語。
【聞こゆるけはひうちわななきたれどさすがにゆゑなからず】−「聞ゆる」は「言ふ」の謙譲語。「けはひ」は直観的に捉えられる人や物の様子をいう。「けしき」が事物の外形を視覚によって捉えたものであるのに対して、「けはひ」は漠然とした全体的な感じをいい、主として聴覚によって捉えられた事物の様子をさす。入道の態度・物腰。『集成』は「老人の興奮のてい」。『完訳』は「打ち明けて感動」。「さすがに」はそうはいっても。前の様子を否定する。「ゆゑなからず」は、『集成』は「品格を失わない」。『完訳』は「やはり気品がにじみ出ている」と注す。
【されど浦なれたまへらむ人は】−源氏の詞。「されど」は入道の詞を受けて否定する。「たまへ」尊敬の補助動詞、已然形。「ら」完了の助動詞、存続。「む」推量の助動詞、婉曲。「人」は明石の君をさす。
【旅衣うら悲しさに明かしかね草の枕は夢も結ばず】−源氏の返歌。「浦悲し」「明かし侘び」と受けて返す。「衣」「裏」は縁語。「あかし」に「明かし」と「明石」を掛ける。
【うち乱れたまへる御さま】−『集成』は「うちとけて本心をお明かしになるご様子は」。『完訳』は「くつろいでいらっしゃる君のお姿は」と訳す。
【数知らぬことども聞こえ尽くしたれどうるさしや】−主語は入道。「うるさしや」は語り手の評言。『集成』は「入道はそのほか数多くのことを源氏にいろいろ申し上げたが、わずらわしいので書かない。以下草子地」と注す。『完訳』は「入道の多弁への語り手の評」と注す。
【ひがことどもに書きなしたればいとどをこにかたくなしき入道の心ばへもあらはれぬべかめり】−「僻事どもに書きなしたれば」の主語は語り手自身。「たれ」完了の助動詞、已然形、「ば」接続助詞、順接の確定条件。書きなしたので。『集成』は「入道の言葉を誇張もまじえて書いたから、一層、馬鹿げて愚かしい入道の性格も、はっきりしたことであろう。「ひがこと」は、間違いの意。入道の話の内容の奇怪さを読者に対して弁解する草子地」。『完訳』は「数々取り違えて書きすぎたので、愚かしく偏屈な入道の気性も、いっそうあらわになってしまいそうである」「語り手は、前の「すべて--」とともに、源氏と明石一族の宿運を異様なものとして強調し、さらに、入道の滑稽で偏屈な人柄に帰して、物語の構想を隠蔽する」と注す。

 [第七段 明石の娘へ懸想文]
【思ふことかつがつ叶ひぬる心地して】−主語は明石入道。
【またの日の昼つ方、岡辺に御文つかはす】−入道の申し出のあった翌日の昼ころ。源氏は手紙を送る。
【心恥づかしきさまなめるも】−以下「籠もるべかめる」まで、源氏の心中。「心恥づかしきさま」は明石の君についていう。「なめる」連語(「なる」断定の助動詞、連体形+「める」推量の助動詞、主観的推量)、断定するところを婉曲的にいう表現で、推量の意味は極めて軽いニュアンス。
【なかなかかかるものの隈にぞ】−「なかなか」は都よりかえっての意。
【高麗の胡桃色の紙にえならずひきつくろひて】−高麗産の胡桃色の紙。舶来の高級品を使用。
【をちこちも知らぬ雲居に眺めわびかすめし宿の梢をぞ訪ふ】−源氏の明石の君への贈歌。「かすめし」は入道が源氏に話したという意。
【思ふには】−和歌に添えた言葉。「思ふには忍ぶることぞ負けにける色には出でじと思ひしものを」(古今集恋一、五〇一、読人しらず)の第一句の語句を引き、真意をこめる。
【とばかりやありけむ】−「ばかり」副助詞、程度。「や」係助詞、疑問。「けむ」過去推量の助動詞。語り手の判断と推量。
【来ゐたりけるもしるければ】−主語は明石入道。「たりける」連語(「たり」完了の助動詞、存続+「ける」過去の助動詞)、過去に成立した動作の存在や継続の回想。来ていたのであった。「も」係助詞、強調。「しるけれ」形容詞、予想どうりである。「ば」接続助詞、順接の確定条件。
【内に入りてそそのかせど】−主語は入道。娘を促す。
【さらに聞かず】−「さらに」副詞、「ず」打消の助動詞に係って、全然、少しも--しない、の意。
【人の御ほどわが身のほど思ふにこよなくて】−「人」は源氏、「わが身」は自分、明石の君をさす。明石の君は身分の相違を痛感する。
【いとかしこきは】−以下「好き好きしや」まで、父入道が娘の返事を代筆したもの。
【袂につつみあまりぬるにや】−「うれしきを何に包まむ唐衣袂ゆたかに裁てと言はましを」(古今集雑上、八六五、読人しらず)を踏まえた表現。「ぬる」完了の助動詞。「に」断定の助動詞。「や」係助詞、疑問。入道が娘の気持ちを忖度して書いている表現。
【さらに見たまへも及びはべらぬかしこさになむ】−「さらに」副詞、「ぬ」打消の助動詞に係って、全然、少しも--ない、の意。「たまへ」下二段、謙譲の補助動詞、源氏に対する敬意。「に」断定の助動詞。「なむ」係助詞。下に「はべる」などの語句が省略。強調と余意・余情。「はべら」丁寧の補助動詞。『集成』は「今まで経験したこともございませぬ恐れ多い仰せでございます」。『完訳』は「まったく拝見させていただくこともなりませぬもったいなさでございます」と訳す。
【眺むらむ同じ雲居を眺むるは思ひも同じ思ひなるらむ】−入道の代筆歌。「眺む」「同じ」「思ひ」がそれぞれ二度づつ繰り返し使用。娘も源氏と同じ気持ちであることを強調。
【いと好き好きしや】−出家の身で恋文の代筆をしているので、恐縮して見せた。
【陸奥紙に、いたう古めきたれど、書きざまよしばみたり】−「陸奥紙」は恋文には普通使用しないのだが、父の入道が代筆したので、あえて使用。しかし、風流な書きぶりである。
【げにも好きたるかな】−源氏の心中。「げに」は入道の文句を受ける。
【めざましう見たまふ】−『集成』は「出過ぎた振舞とご覧になる」。『完訳』は「いささか驚き入ったお気持でごらんになる」と訳す。
【なべてならぬ玉裳などかづけたり】−海辺の縁で、「玉裳」(玉藻)「被く」(潜く)という表現。
【宣旨書きは見知らずなむ】−源氏の文中の句。「なむ」係助詞、下に「侍る」などの語句が省略。
【いぶせくも心にものを悩むかなやよやいかにと問ふ人もなみ】−源氏の贈歌。「も」係助詞、強調。「かな」終助詞、詠嘆。「やよや」連語(「やよ」感動詞+「や」間投助詞)。「無み」連語(「な」形容詞語幹+「み」接尾語)無いのでの意。
【言ひがたみ】−和歌に添えた言葉。「恋しともまだ見ぬ人の言ひがたみ心にもののむつましきかな」(『弄花抄』所引、出典未詳)を引く。『集成』は「まだ見ぬあなたに恋しいとも言いかねまして」と注す。
【いといたうなよびたる薄様に、いとうつくしげに書きたまへり】−源氏の二回めの恋文。鳥の子の薄様を使用。
【若き人のめでざらむもいとあまり埋れいたからむ】−最初の「む」推量の助動詞、仮定。後の「む」推量の助動詞、推量。語り手の推量。『集成』は「この手紙を若い女がすばらしいと思わなかったら、あまりに風情が分からぬというものであろう。草子地」、句点で文を独立させる。『完訳』は「若い女の身で、もし心を動かさなかったとしたら、あまり引っ込み思案の木石というものであろう、娘は」云々と、読点で文を下に続ける。
【めでたしとは見れど】−主語は明石の君。
【浅からず染めたる紫の紙に墨つき濃く薄く紛らはして】−明石の君の返書。深く香をたきしめた紫色の紙を使用。濃淡のある墨つき。
【思ふらむ心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きか悩まむ】−明石の君の返歌。源氏の贈歌の第四句の文句と源氏が添えた『弄花抄』所引の出典未詳歌の第二句の文句も引用して応える。教養の深さを窺わせる。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。「や」係助詞、疑問。「やよ」感動詞。「いかに」形容動詞、連用形。「か」係助詞、疑問。「なやま」「む」推量の助動詞、連体形。二つの疑問が呈されている。
【手のさま、書きたるさまなど、やむごとなき人にいたう劣るまじう、上衆めきたり】−源氏が見た評価。筆跡、内容など、都の高貴な人々に対して劣らず上流人である。
【二三日隔てつつ】−「つつ」接尾語、同じ動作の繰り返し。
【紛らはして】−『集成』は「恋文らしくなうよそおって」。『完訳』は「女恋しさの気持を隠す気持」と注す。
【似げなからず】−主語は明石の君。源氏の相手として適当である。
【心深う思ひ上がりたるけしきも】−『完訳』は「思慮深く、気位の高い様子。結婚をはばかる明石の君の態度を、源氏がそのように受けとめる」と注す。
【見ではやまじと思すものから】−主語は源氏。「ものから」接続助詞、逆接の確定条件。同時に源氏の心のもう一面を語る常套表現。
【良清が領じて言ひしけしき】−「若紫」巻参照。以下「紛らはしてむ」まで、源氏の心中間接叙述。
【めざましう】−『集成』は「こしゃくなと思われるし」。『完訳』は「おもしろくないし」と訳す。
【いとほしう思しめぐらされて】−「いとほしう」まで、源氏の心中間接叙述。引用句なし。「思しめぐらされて」という地の文が間に入り、以下再び源氏の心中叙述。
【人進み参らばさる方にても紛らはしてむ】−『集成』は「入道の方から進んでこちらに女房として出仕させるのなら、そういうことで仕方なかったのだということでもして、うやむやのうちに事を運んでしまおうとお思いになるけれども」。『完訳』は「女のほうから進んでこちらにやってくるのなら、そういうことでやむを得なかったというように取りつくろってしまおうとお考えになるけれども」と注す。
【女はたなかなかやむごとなき際の人よりもいたう思ひ上がりて】−「女」明石の君をさす。「女」という、身分関係を抜きにした、男に対する女という対等の関係での呼称に注意。「はた」副詞。「思ひ上がり」は気位いや自尊心を高くもつことで、貴族としては大事なこと。
【心比べにてぞ過ぎける】−「ぞ」係助詞、「過ぎ」「ける」過去の助動詞、過去。係結び。強調のニュアンス。
【関隔たりてはいよいよおぼつかなく】−須磨の関を越えて、須磨から明石に移ったことをいう。関を隔てて、須磨は摂津国、畿内の一国。明石は播磨国、地方の一国である。
【いかにせまし】−以下「迎へたてつりてまし」まで、源氏の心中。
【たはぶれにくくもあるかな】−「ありぬやとこころみがてらあひ見ねばた戯れにくきまでぞ恋しき」(古今集雑体、一〇二五、読人しらず)を踏まえる。
【迎へたてまつりてまし】−「奉り」謙譲の補助動詞、源氏の紫の君に対する敬意。「てまし」連語(「て」完了の助動詞、未然形+「まし」推量の助動詞)、思い迷う気持ちを強調するニュアンス。
【さりともかくてやは年を重ねむ】−以下「人悪ろきことをば」まで、源氏の心中。
「やは」係助詞(「や」係助詞+「は」間投助詞)、反語を表す。「重ね」「む」推量の助動詞、連体形、係結び。強調のニュアンス。
【人悪ろきことをば】−「をば」連語(「を」格助詞+「は」係助詞、連濁)、対象を強調するニュアンス。下に「せじ」などの語句が省略。

 [第八段 都の天変地異]
【その年朝廷に】−朝廷では天変地異を神仏のお告げではないかと取り沙汰する。
【三月十三日雷鳴りひらめき】−前にあった入道の言葉と同じ日。
【院の帝】−故桐壺院の亡霊。
【御前の御階のもとに】−清涼殿の東庭に面した階段の下。
【立たせたまひて】−「せ」尊敬の助動詞、「給ひ」尊敬の補助動詞。院の帝に対する最高敬語。
【にらみきこえさせたまふを】−「きこえ」謙譲の補助動詞。桐壷院の朱雀帝に対する敬意。「させ」尊敬の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞。桐壷院に対する最高敬語。「を」接続助詞、順接。源氏物語では、父の院が子の帝に対しても、このような敬語の使われ方がする。
【かしこまりておはします】−主語は朱雀帝。帝が帝自身恐縮している様を夢に見る。
【聞こえさせたまふことも多かり】−主語は桐壷院。帝自身が聞いている様を夢に見る。
【源氏の御事なりけむかし】−「なり」断定の助動詞。「けむ」過去推量の助動詞。「かし」終助詞、念押し。語り手の推量。『集成』は「政治向きのことは憚って省略した書き方」。『完訳』は「語り手の推測。詳述をはばかりながらも、政治的な内容を暗示」と注す。
【いと恐ろしういとほし】−帝の心中。桐壷院に対する気持ち。『完訳』は「成仏できぬ故院への同情」と注す。
【后に聞こえさせたまひければ】−「后」は弘徽殿大后をさす。「聞こえさせ」連語(「きこえ」動詞+「させ」使役の助動詞)、「聞こゆ」より一段と謙譲の度合が高い表現。「たまひ」尊敬の補助動詞。「けれ」過去の助動詞。
【雨など降り空乱れたる夜は】−以下「思し驚くまじきこと」まで、大后の詞。
【にらみたまひしに目見合はせたまふ】−帝の心中、間接叙述。「に」格助詞、時。「たまひ」は故桐壺院に対する敬意。「せ」尊敬の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞、最高敬語は朱雀帝に対する敬意。
【太政大臣亡せたまひぬ】−もとの右大臣。朱雀帝の外戚、後見者。
【騒がしきことあるに】−「に」格助詞、添加。
【大宮もそこはかとなう患ひたまひて】−弘徽殿大后。
【弱りたまふやうなる】−「なる」断定の助動詞、連体中止形、余意・余情。
【内裏に思し嘆く】−「に」格助詞、敬意。
【なほこの源氏の君】−以下「賜ひてむ」まで、帝の考えと口にした内容。源氏召還のことを弘徽殿大后にいう。
【もとの位をも】−「も」係助詞、強調。源氏のもとの官職は右大将。
【賜ひてむ】−「与える」の尊敬語。帝が自分の動作に敬語を用いた表現になる。「てむ」連語(「て」完了の助動詞+「む」推量の助動詞)、主体者帝の強い意志を表す。『完訳』は「元の位を授けることにいたしましょう」と訳す。
【世のもどき軽々しきやうなるべし】−以下「いかが言ひ伝へはべらむ」まで大后の詞。帝の言動を諌め制す。
【罪に懼ぢて】−「に」格助詞、対象を表す。「怖ぢ」また「落ち」とも解せる。
【三年をだに過ぐさず】−「獄令」によれば、流罪の処せられた者は六年たたないと出仕を許されない、また流罪に処せられないまでも配流された者は三年たたないと出仕を許されないとある。「だに」副助詞、最小限の意、強調。
【御悩みども】−「ども」接尾語、複数を表す。帝と大后の病気をさす。
【重りまさらせたまふ】−「させ」尊敬の助動詞、「給ふ」尊敬の補助動詞、最高敬語。

 

第三章 明石の君の物語 結婚の喜びと嘆きの物語

 [第一段 明石の侘び住まい]
【明石には、例の、秋、浜風のことなるに一人寝もまめやかにものわびしうて】−【明石には、例の、秋、浜風の】−源氏、明石の君を呼び寄せようとするが、明石の君は動じない。第十二段。
【浜風のことなるに一人寝もまめやかにものわびしうて】−「に」格助詞、時また添加。また接続助詞、順接。
【折々語らはせたまふ】−「せ」尊敬の助動詞。また使役の助動詞とも解せる。「たまふ」尊敬の補助動詞。『集成』は「話をおもちかけさせなさる」と使役の意に。『完訳』は「話をもちかけられる」と尊敬の意に訳す。
【とかく紛らはしてこち参らせよ】−源氏の詞。娘を源氏のもとに差し出せという趣旨。
【渡りたまはむことをばあるまじう思したるを】−主語は源氏。「む」推量の助動詞、仮定また婉曲。「まじう」打消の推量、意志の打消。「たる」完了の助動詞、存続。「を」接続助詞、逆接。
【正身はたさらに】−明石の君をさす。「さらに」副詞、下に打消の語に係って、全然の意を表す。また比較の意で、源氏以上に、の意も含もう。
【いと口惜しき際の】−以下「心をや尽くさむ」まで、明石の君の心中。
【田舎人こそ】−「こそ」係助詞、「わざをもす」「なれ」に係る。逆接用法。
【人数にも思されざらむものゆゑ】−明石の君の身の程意識。「思さ」は「思ふ」の尊敬語。主体そのものは源氏。「れ」受身の助動詞、源氏から思われるの意。「む」推量の助動詞、推量。
【もの思ひをや添へむ】−「を」格助詞、目的。「や」間投助詞、詠嘆。「む」推量の助動詞、推量。『集成』は「物思いの種を加えるだけのことだろう」。『完訳』は「たいへんな苦労を背負いこむにちがいない」。「や」を係助詞、疑問の意と解することも可能だろう。
【世籠もりて過ぐす年月こそ】−「こそ」係助詞、「らめ」推量の助動詞、視界外推量に係り、逆接用法で下文に続く。明石の君の未婚時代、源氏が眼前に現れる以前をいう。
【行く末心にくく思ふらめ】−『集成』は「将来立派にと望みをいだいてもいようが」。『完訳』「行く末を楽しみにしているのだろうが」と訳す。
【なかなかなる心をや尽くさむ】−結婚したら、かえって今まで以上に、の意。「や」間投助詞、詠嘆。「む」推量の助動詞。「や」を係助詞、疑問の意と解することも可能だろう。
【ただこの浦におはせむほど】−以下「身にあまることなれ」まで、再び明石の君の心中。
【かかる御文ばかりを聞こえかはさむこそおろかならね】−「ばかり」副助詞、程度。「む」推量の助動詞、婉曲。「こそ」係助詞、「ね」打消の助動詞、已然形に係る。
【かくまで世にあるものと思し尋ぬるなどこそ】−「こそ」係助詞、「なれ」断定の助動詞、已然形に係り、強調のニュアンス。『集成』は「こうまで人並みにお心にかけてお声をかけて下さるなどということは」と訳す。
【叶ふべきを思ひながら】−「べき」推量の助動詞、当然。「ながら」接続助詞、逆接の意を含む。
【ゆくりかに見せたてまつりて】−以下「いかなる嘆きをかせむ」まで、明石入道夫妻の心中。間接叙述。もしもの場合の娘の身を心配。
【めでたき人と聞こゆとも】−以下「宿世をも知らで」まで、主として入道の心中。『完訳』は「直接話法による心内叙述」と注す。
【人の御心をも宿世をも知らで】−「人」は「御」があるので源氏、「宿世」は娘のをさす。
【このころの波の音にかの物の音を聞かばやさらずはかひなくこそ】−源氏の詞。「このころ」は秋の季節をいう。「波」「貝」(効)は縁語、一種の言葉遊び。「ばや」終助詞、願望。「ずは」連語(「ず」打消の助動詞、連用形+「は」係助詞)、順接の仮定条件。「こそ」係助詞、下に「あれ」已然形、などの語句が省略された文。「波の音に合わせて」。

 [第二段 明石の君を初めて訪ねる]
【忍びて吉しき日見て】−明石入道、吉日を占って、八月十三夜に源氏を招く。
【弟子どもなどにだに】−「だに」副助詞、最小限の程度。腹心となって下働きをする弟子にさえの意。
【十三日の月】−十二三日の月横陽−十二三日の月の月の池 河内本も「十二三日の月」。大島本と肖柏本、書陵部本、三条西家本が同文。『完訳』は「十二三日の月」と訂正。
【あたら夜の】−入道の文。「あたら夜の月と花とを同じくは心知れらむ人に見せばや」(後撰集春下、一〇三、源信明)を踏まえる。『集成』は「娘を許す意をほのめかす」と注す。
【好きのさまや】−源氏の心中。入道を批評。『集成』は「風流ぶったものよ」と訳す。
【御直衣たてまつり】−「たてまつり」は「着る」の尊敬語。
【夜更かして出でたまふ】−夜の更けるのを待って。『完訳』は「噂や良清の思惑を憚るためか」と注す。
【惟光などばかりをさぶらはせたまふ】−「など」副助詞、婉曲。「ばかり」副助詞、範囲。「せ」使役の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞。
【思ふどち見まほしき入江の月影にも】−「思ふどちいざ見に行かむ玉津島入江の底に沈む月影」(源氏釈所引、出典未詳)の語句を踏まえる。『集成』は「いとしい人と一緒に眺めたい入江に映る月影につけても」。『完訳』は「古歌にいうように「思ふどち」で行って見たいような入江の月影を御覧になるにつけても」と訳す。
【まづ恋しき人の御ことを思ひ出できこえたまふに】−「まづ」副詞、「思ひ出できこえたまふ」に係る。「に」接続助詞、順接。紫の君のことがまっさきに思い出されるので。
【やがて馬引き過ぎて、赴きぬべく思す】−「やがて」副詞、「赴きぬべく」に係る。「引き過ぎて」は明石の君の家を通り過ぎて都への意。「ぬべく」連語(「ぬ」完了の助動詞+「べく」推量の助動詞)、強い当然のニュアンス。行ってしまいそうに。
【秋の夜の月毛の駒よ我が恋ふる雲居を翔れ時の間も見む】−源氏の独詠歌。紫の君を恋うる歌。「雲居を」の格助詞「を」は空間の移動を表す。「む」推量の助動詞、源氏の意志。見たい。「月毛の駒」に「月」という名を負うなら、天翔って都まで行き、しばしの間でもよいから紫の君に一目逢いたい。
【うちひとりごたれたまふ】−「うち」接頭語、つい、思わずというニュアンス。「れ」自発の助動詞、源氏の心情の底流を語る。
【造れるさま、木深く、いたき所まさりて】−場面変わって明石の君のいる岡辺の家。
【これは心細く住みたるさま】−海辺の家と岡辺の家を比較。『完訳』は「「ものあはれなり」に続く」と注す。
【あらじと】−大島本は独自異文。青表紙諸本多く「あらしとすらむと」とある。視界外推量の助動詞「らむ」がある。『集成』『完訳』「すらむ」を補入。
【思しやらるるに】−「るる」自発の助動詞。「に」接続助詞、順接。『集成』は「娘の人柄がしのばれて」。『完訳』は「おもいやらずにはいらっしゃれないにつけても」と注す。
【岩に生ひたる松の根ざしも心ばへあるさまなり】−岩に生えていえう松の根も風情のあるさまだの意。
【虫の声を尽くしたり】−『集成』は「あらゆる虫を放って鳴かせている」。『完訳』は「秋の虫がいっせいに鳴きたてている」と訳す。
【月入れたる真木の戸口けしきばかり押し開けたり】−「君や来む我や行かむのいさよひに真木の板戸もささず寝にけり」(古今集恋四、六九〇、読人しらず)。『集成』は「月のさし入った妻戸の出入口が、ほんのわずか押し開けてある。「月入れたる」の措辞に、あたかも源氏を閨に誘うかのように、という感じが表されている」「この戸口を木戸口とするのは当たらない」と注す。『完訳』は「月の光のさしこんだ木戸口がおもわせぶりに押し開けてある」と注す。『新大系』は「源氏の訪れに備えて少し開けてある妻戸から月光がさし込んでいる情景」と注す。
【うちやすらひ何かとのたまふにも】−主語は源氏。ためらいながら話かける。
【かうまでは見えたてまつらじ】−明石の君の心中。「かうまで」このように近々との意。「じ」打消推量の助動詞。明石の君の意志。
【うちとけぬ心ざまを】−「ぬ」打消の助動詞。気を許さない態度を。
【こよなうも人めきたるかな】−以下「あなづらはしきにや」まで、源氏の心中。『集成』は「なんとまあいっぱしの貴婦人めいた振舞であることか」と訳す。
【さしもあるまじき際の人だに】−「さしも」副詞(「さ」副詞+「しも」副助詞)は明石の君をさす。「まじ」打消推量の助動詞。「だに」副助詞、最低限を表す。『集成』は「そんな態度をとりそうもない(簡単に男になびきそうもない)高い身分の女性でも」。『完訳』は「容易に近寄りがたい高貴な身の女でさえも」と注す。
【いとかくやつれたるに】−源氏の流離の身をさす。「に」接続助詞、原因理由。
【あなづらはしきにや】−「に」断定の助動詞、「や」係助詞、疑問。『集成』は「見くびっているのだろうか」と訳す。
【情けなう】−以下「人悪ろけれ」まで、源氏の心中。
【げにもの思ひ知らむ人にこそ見せまほしけれ】−語り手の批評。『集成』「前の「あたら夜の」という入道の誘いを受けて「げに」という」。
【近き几帳の紐に、箏の琴の弾き鳴らされたるも】−『完訳』は「几帳の紐が、女君の身動きで、箏の絃にふれ音をたてる。彼女の心の琴線がふれる感じである」と注す。
【けはひしどけなくうちとけながら】−『集成』は「取り片付けた様子もなく、くつろいだふだんのまま」。『完訳』は「「けはひしどけなく」は、上からは述語、下へは連用修飾で続く」「取り散らかしたままうちくつろいだ格好で」と注す。
【この聞きならしたる琴をさへや】−源氏の詞。「聞きならす」は入道から常日頃聞かされていたという意。「たる」完了の助動詞、存続。「こと」は「事」と「琴」の掛詞、言葉遊び。琴が巧みだという話と琴そのもの。「さへ」副助詞、言葉はもちろん琴までもの意。「や」係助詞、疑問。下に「聞かせたまはぬ」などの語句が省略。最後まで明言しないところに余意余情が生まれる。
【むつごとを語りあはせむ人もがな憂き世の夢もなかば覚むやと】−源氏の贈歌。「憂き世の夢」は現実世界の流浪の身をいう。『集成』は「「むつごと」「夢」は縁語」。『完訳』は「「うき世の夢」は、現在の流離の身を夢ととらえた表現。あなたと親しく語り合えば、その夢から覚められる、と親交を訴えた歌。なお逢瀬の歌の「夢」は、情交を暗示する」と注す。
【明けぬ夜にやがて惑へる心にはいづれを夢とわきて語らむ】−明石の君の返歌。源氏の「夢」を受けて、それを「明けぬ夜に」「惑へる」を自分の「夢」として返す。
【ほのかなるけはひ】−『集成』は「ほのかに言う様子」。『完訳』は「暗闇の中で想像される様子」と注す。
【かうものおぼえぬに】−「に」接続助詞、順接、原因理由。このように意外な事なので。
【いとわりなくて】−『完訳』は「源氏の直接行動を無我夢中の女の心に即していう表現」と注す。
【いかで固めけるにか】−「いかで」副詞、方法、どのように。「に」完了の助動詞。「か」係助詞、疑問。源氏の心中、また語り手の疑問。どのように鎖してしまったのか。
【されど、さのみもいかでかあらむ】−「さ」明石の君が曹司の内側から固く閉めたことさす。「のみ」副助詞、限定・強調。そうとばかり。「も」係助詞、強調のニュアンス。「いかでかは」連語(「いかで」副詞+「か」係助詞+「は」係助詞)、反語。やや強調のニュアンス。「む」推量の助動詞、推量。語り手の事態の推量。どうしていつまでそうしてばかりいられようか、ついには開けてしまった。
【人ざまいとあてにそびえて心恥づかしきけはひぞしたる】−閨房の中の明石の君の容姿や態度。「ぞ」係助詞、「たる」完了の助動詞、存続、連体形、係結び、強調のニュアンス。
【かうあながちなりける契りを】−源氏の心に即して語る表現。『集成』は「こんな結ばれるはずもない二人がむすばれたという深い縁をお思いになるにつけても」。『完訳』は「こうして無理強いして一方的に結んだ二人の仲をお思いになるにつけても」と訳す。
【浅からずあはれなり】−「なり」断定の助動詞、語り手の批評。御心さしのちかまさりするなるへし−「なる」断定の助動詞、「べし」推量の助動詞。源氏の心を語り手が推量した表現。集成「草子地」。集成、句点で文を完結。完訳、読点で文を下に続ける。
【常は厭はしき夜の長さもとく明けぬる心地すれば】−季節は秋(八月十三日)、夜が長く感じられるころ。
【人に知られじ】−源氏の心中。
【御文いと忍びてぞ今日はある】−「御文」は後朝の文。「は」係助詞、区別、強調のニュアンス。『集成』は「今までの文通は大っぴらだったのである」と注す。
【あいなき御心の鬼なりや】−「あいなき」形容詞。「なり」断定の助動詞。「や」間投助詞、詠嘆。語り手の批評。『集成』は「草子地。源氏としては京への聞えを憚るのである」。『完訳』は「語り手の評。紫の上など気にせずともよい、無用の良心の呵責」と注す。
【ここにも】−明石入道方をさす。
【かかることいかで漏らさじ】−明石入道の心中。娘と源氏の結婚をさす。源氏の意向に従って、内密にする。
【ことことしうも】−「コトコトシイ」(日葡辞書)。
【胸いたく思へり】−『集成』は「入道は残念に思っている。結婚第一夜の後朝の文の使いは盛大にもてなすしきたりであった」。
【ほどもすこし離れたるに】−以下「立ちまじらむ」まで、源氏の心中。「に」接続助詞、順接、原因理由。
【思し憚るほどを】−「程」名詞、時間・程度を表す。具体的には途絶え。
【さればよ】−明石の君の心中。出来心を想像していた。
【思ひ嘆きたるを】−「を」、『集成』は「悲しむのを」と格助詞に解し、『完訳』は「嘆いているので」と接続助詞、順接に解す。
【げにいかならむ】−入道の心中。『集成』は「げに」を、本当に、全くの意に解し、また「いかならむ」を事態の成り行きを心配する意に解し、「ほんとにどうなることかと」と訳す。『完訳』は「げに」を娘の気持ちを受けて、なるほど、娘が嘆いているように、の意に解し、「いかならむ」を源氏の真意を推測する意に解し、「いかにも、源氏のお気持ちはどうなのだろうと」と訳す。いずれにも解せる両義を含んだ表現。
【この御けしきを待つことにはす】−「御けしき」は源氏の通って来ることをさす。「に」断定の助動詞。「は」係助詞、強調のニュアンス。
【今さらに心を乱るもいといとほしげなり】−語り手の入道に対する同情。

 [第三段 紫の君に手紙]
【二条の君】−紫の君。
【たはぶれにても】−以下「恥づかしう」まで、源氏の心中。自然と心中文に移り、再び引用句がなく地の文に流れる。
【思ひ疎まれたてまつらむ】−「れ」受身の助動詞、「たてまつら」謙譲の補助動詞。源氏が紫の君から疎まれ申す、と自卑した表現。「む」推量の助動詞、仮定・婉曲のニュアンス。『集成』は「不愉快な思いをおさせ申すことになるのは」、「れ」尊敬の助動詞に解し、紫の君を主体にした解釈。『完訳』は「お疎まれ申すようなことがあっては」、「れ」受身の助動詞に解し、源氏自身を主体にした解釈。
【心苦しう恥づかしう思さるるも】−「心苦し」は紫の君に対する源氏の気持ち、「恥づかし」は源氏自身に対する気持ち。
【あながちなる御心ざしのほどなりかし】−語り手の源氏の紫の君を思う気持ちの厚いことについての批評。
【かかる方のことをば】−以下「思はれたてまつりけむ」まで、源氏の心中。「かかる方のこと」とは源氏の浮気沙汰をいう。
【さすがに】−温厚な紫の君とはいえというニュアンス。
【怨みたまへりし折々】−「し」過去の助動詞。『完訳』は「紫の上の嫉妬の事実は、これまで具体的には語られていない」と注す。ここが初見。紫の君の人間性を増幅。
【あやなきすさびごとにつけても】−過去の浮気沙汰をさす。
【さ思はれたてまつりけむ】−「さ」、『完訳』「つらい思い」。嫉妬ともとれる。「れ」尊敬の助動詞と解せば、辛い思い。受身の助動詞と解せば、嫉妬されること。前の「思ひ疎まれたてまつらむ」と同じ表現。
【人のありさまを見たまふにつけても恋しさの慰む方なければ】−明石の君と逢うにつけ紫の君を恋しく思われるの意。源氏の心情。
【まことや】−以下「誓ひし事ことも」まで、源氏の紫の君への手紙。「心より外なる」「なほざりごと」「疎まれ」「思ひ出づるさへ」と続け「また」「あやしうものはかなき夢をこそ見はべりしか」と明石の地の女との情交をほのめかす。
【誓ひしことも】−「忘れじと誓ひし事を過たず三笠の山の神もことわれ」(出典未詳)を踏まえる。
【何事につけても】−手紙文が「しほしほと」の和歌に係る。
【しほしほとまづぞ泣かるるかりそめのみるめは海人のすさびなれども】−源氏の紫の君への贈歌。掛詞、「しほしほと」(擬態語)と「塩」、「見る目」(女に逢う)と「海松布」(海草)。縁語、「塩」「刈り」「海松布」「海人」。大変に技巧的な和歌。他の女と逢った後ろめたさの自己韜晦がある。
【とある御返り】−間髪を入れず一続きに続ける。
【忍びかねたる】−以下「波は越えじものぞと」まで、紫の君の返信。
【御夢語り】−源氏の「問はず語り」の「夢を見はべりし」を「夢語り」とし、源氏の告白を合点する。
【思ひ合はせらるること多かるを】−これも次の和歌の「うらなくも」に係る。手紙の地の文から和歌へ直接続く表現。源氏と同じ手法を用いる。「を」接続助詞は、順接・逆接、いづれにも解せる表現。
【うらなくも思ひけるかな契りしを松より波は越えじものぞと】−紫の君の返歌。「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(古今集、一〇九三、陸奥歌)。「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」(後拾遺集恋四、七七〇、清原元輔)などを踏まえる。「うらなく」(思慮なくの意)に「浦」を響かす。「浦」「波」縁語。
【名残久しう忍びの旅寝もしたまはず】−その後、明石の君を訪うことが久しくなくなったの意。

 [第四段 明石の君の嘆き]
【女思ひしもしるきに】−明石の君の嘆き。女という呼称に変わる。
【今ぞまことに身も投げつべき心地する】−明石の君の深い絶望感。
【行く末短げなる親ばかりを】−以下「世にこそありけれ」まで、明石の君の心中。
【そこはかとなくて過ぐしつる年月】−明石の君の娘時代。
【何ごとをか心をも悩ましけむ】−「か」係助詞、「けむ」過去推量の助動詞、連体形、係結び。反語表現。読点で下文に続く。
【世にこそありけれ】−「こそ」係助詞、「けれ」過去の助動詞、詠嘆、已然形、係結び。強調のニュアンス。
【なだらかにもてなして憎からぬさまに見えたてまつる】−明石の君のたしなみのある態度。
【あはれとは月日に添へて思しませど】−主語は源氏。明石の君に対し月日とともに愛情が増してゆく。「ど」接続助詞、逆接の確定条件。
【やむごとなき方の】−都の紫の君をさす。
【ただならずうち思ひおこせたまふらむが】−『集成』は「心おだやかでなくこちらのことをお思いであろうが」。『完訳』は「ひとかたならず自分に思いを寄せていらっしゃるか」と訳す。「らむ」視界外推量、源氏が都の紫の君を想像しているニュアンス。
【絵をさまざま描き集めて、思ふことどもを書きつけ、返りこと聞くべきさまにしなしたまへり】−絵の余白に和歌を書きつけ、さらにその絵や歌に対する紫の君の返歌も載せるべく余白を残した体裁。
【見む人の心に染みぬべきもののさまなり】−語り手の批評。
【いかでか空に通ふ御心ならむ】−語り手の推量の挿入句。『集成』は「どうしてお話し合いもないのにお互いのお気持が通じ合うのであろうか」と注す。「雲居にもかよふ心のおくれねば別ると人に見ゆばかりなり」(古今集離別、三七八、清原深養父)。
【同じやうに絵を描き集めたまひつつやがて我が御ありさま日記のやうに書きたまへり】−紫の君も源氏同様に、絵の余白に歌日記のような体裁に書きつけた。
【いかなるべき御さまどもにかあらむ】−語り手の推量。『集成』は「草子地。どんな二人の身の上が絵日記に書かれてゆくのだろうか、の意」。『完訳』は「語り手の、今後の源氏と紫の上に期待を抱かせる言辞」と注す。

 

第四章 明石の君の物語 明石の浦の別れの秋の物語

 [第一段 七月二十日過ぎ、帰京の宣旨下る]
【年変はりぬ】−源氏二十八歳。
【内裏に御薬のことありて】−帝の病気の事を間接的婉曲に表現。
【世の中さまざまにののしる】−世間でいろいろと取り沙汰する意。
【当代の御子は】−『集成』は「以下「ゆづりきこえたまはめ」までは世間の取り沙汰を書く趣」。世間の噂から帝の心中そして地の文へと文章が推移していく書き方。
【右大臣の女承香殿の女御の御腹に男御子生まれたまへる二つになりたまへば】−後に登場する鬚黒大将の父。承香殿の女御は「賢木」巻に初出。男御子、二歳。
【春宮にこそは譲りきこえたまはめ】−東宮、後の冷泉院。現在十歳、まだ元服前。『集成』は、ここまで世間の取り沙汰とする。『完訳』は「帝は東宮への譲位を考慮」と注し、「当然御位を東宮にお譲り申しあげることになるのであろうが」、読点で下文に続ける。
【赦されたまふべき定め出で来ぬ】−主語は源氏。「れ」受身の助動詞。
【去年より、后も御もののけ悩みたまひ】−弘徽殿皇太后の病気は前に「大宮もそこはかとなうわづらひたまひて」とあった。
【いみじき御つつしみどもをしたまふしるしにや】−「に」断定の助動詞。「や」係助詞、疑問。語り手の疑問の挿入句。下の「よろしうおはしましける」に係る。
【七月二十余日のほどに、また重ねて、京へ帰りたまふべき宣旨下る】−二度めの召還という書き方。物語は「年変りぬ」から「七月二十余日」までいっきにとぶ。
【つひのことと思ひしかど】−以下「いかになりはつべきにか」まで、源氏の心中。前半は間接的に叙述。「いかに成はつへきにか」の部分が直接叙述。
【かうにはかなれば】−三年に満たずに赦免されたことをいう。
【さるべきこと】−源氏の赦免と復帰の予想。
【思ひのごと】−以下「叶ふにはあらめ」まで、明石入道の心中。

 [第二段 明石の君の懐妊]
【六月ばかりより心苦しきけしきありて悩みけり】−妊娠の悪阻をいう。
【あやにくなるにやありけむ】−語り手の挿入句。『集成』は「源氏はあいにくと愛情が増すのであろうか」。『完訳』は「語り手の感想。間近な離別が、かえって執着をつのらせる。それが「あやにく」(皮肉な)」と注し「あいにくと執着がまさるのであろうか」と注す。
【あやしうもの思ふべき身にもありけるかな】−源氏の心中。
【いとことわりなりや】−語り手の批評。『完訳』は「語り手の、明石の君の苦悩は当然であるとする言辞」と注す。
【つひには行きめぐり来なむ】−源氏の心中。「な」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、強調のニュアンス。きっといつの日にかは帰れよう。
【御出で立ちの】−「の」格助詞、提示。--だが、それは、の意。同例、「相おはします人の、そなたにて見れば」(桐壷)、「煩ひ給ふさまの、そこはかとなく」(柏木)。
【またやは帰り見るべき】−「やは」係助詞、反語。「べき」推量の助動詞、連体形に係る。源氏の心中。
【涙にくれて、月も立ちぬ】−「くれて」は涙に「暮れて」と月が「暮れて」の意を掛けた表現。季節は中秋の八月となる。
【なぞや心づから】−以下「身をはふらかすらむ」まで、源氏の心中。
【心知れる人びとは】−源氏と明石の君の関係を知る供人。
【あな憎例の御癖ぞ】−供人の詞。「帚木」巻に「まれには、あながちに引き違へ心尽くしなることを、御心に思しとどむる癖なむ、あやにくにて」とあった癖。
【見たてまつりむつかるめり】−「めり」推量の助動詞、視界内推量。語り手が眼前に見て供人たちの心中を推量しているニュアンス。臨場感ある描写。
【月ごろは】−以下「人の心づくしにか」まで、供人の詞。
【ただならず思へり】−主語は源少納言良清。

 [第三段 離別間近の日]
【明後日ばかりになりて】−源氏と明石の君の離別が目前となる。
【いとよしよししう】−以下「ありけるかな」まで、源氏の明石の君を明るい中で初めて見た感想。
【さるべきさまにして迎へむ】−源氏の心中。『集成』は「しかるべき扱いにして都に迎えようという気になられた。身分が身分なので処遇の問題は微妙である」と注す。
【さやうにぞ語らひ慰めたまふ】−「さやう」は「さるべきさまにして迎へてむ」をさす。明石の君にも口に出して約束。
【心苦しげなるけしきに】−源氏の態度をいう。
【ただかばかりを幸ひにてもなどか止まざらむ】−明石の君の心中。「などか」連語(「など」副詞+「か」係助詞)、反語。「ざら」打消の助動詞、「む」推量の助動詞、意志。どうしてあきらめられないだろうか、あきらめてもいいではないか、という自問自答のニュアンス。
【見ゆめれど】−「めれ」推量の助動詞、視界内推量。明石の君の推量。
【波の声、秋の風には、なほ響きことなり。塩焼く煙かすかにたなびきて、とりあつめたる所のさまなり】−明石の浜の秋の季節描写。海岸の物寂しい風景に源氏と明石の君の別れを語る。
【このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じ方になびかむ】−源氏の贈歌。「たひ」に「旅」と「度」を掛ける。「立ち」と「煙」が縁語。一時は別れ別れになるがやがて都に迎えようの意。
【かきつめて海人のたく藻の思ひにも今はかひなき恨みだにせじ】−明石の君の返歌。源氏の「焼く」「煙」を受けて「火」と返す。「ものおもひ」に「物思ひ」と「藻」「火」、「かひなき」に「効」と「貝」、「うらみ」に「恨み」と「浦」を響かせる。恨みさえもしませんの意。
【さるべき節の】−別れに臨んでの返歌。心をとり乱さずに申し上げたことをいう。
【この常にゆかしがりたまふ物の音など】−「この」は源氏をさす。「物の音」は琴の音。明石の君は琴が上手だと入道から聞かされていた。
【さらに聞かせたてまつらざりつるを】−「さらに」副詞、「ざり」打消の助動詞に係って、全然、まったく、一度も--でないの意。
【さらば形見にも偲ぶばかりの一琴をだに】−源氏の詞。「だに」副助詞、最小限の願望。「ひとこと」に「一言」と「一琴」を掛ける。
【琴の御琴取りに遣はして】−岡辺の家から浜辺の家に取りにやる。
【みづからもいとど涙さへそそのかされて】−「みづから」は明石の君をさす。「さへ」副助詞、添加。琴ばかりでなく涙までがのニュアンス。「そそのかす」は琴を勧められる、涙が催されるの両方の意。
【誘はるるなるべし】−「なる」断定の助動詞。「べし」推量の助動詞。語り手の推量の挿入句。
【入道の宮の御琴の音を】−『集成』は「以下、明石上の弾奏を藤壷のそれと思い比べる源氏の心」と注す。以下「きゝならさゝりつらむ」まで、源氏の心に添った叙述。
【これは】−明石の君の弾奏をさす。
【この御心にだに】−「この」は源氏をさす。「だに」副助詞、限定。源氏のような人でさえ。源氏のような人とは、音楽に関して幅広い知識と深い教養を身につけた人というニュアンス。下の「初めて」「耳馴れたまはぬ手」に係る。
【弾きさしつつ】−「つつ」接尾語、同一動作の反復の意。
【月ごろなど強ひても聞きならさざりつらむ】−源氏の心中。後悔。
【心の限り行く先の契りをのみしたまふ】−「かぎり」名詞、極限、極み、ありったけというニュアンス。「のみ」副助詞、限定・強調。--だけ、そればかりというニュアンス。『集成』は「心をこめて再会のお約束をなさるばかりだ」。『完訳』は「心底から固く将来のことをお約束になる」と訳す。
【琴はまた掻き合はするまでの形見に】−源氏の詞。『集成』は「ここに残してゆこう」の余意を指摘。
【なほざりに頼め置くめる一ことを尽きせぬ音にやかけて偲ばむ】−明石の君の贈歌。「ひとこと」に「一言」と「一琴」を掛ける。「琴」と「音」は縁語。「に」断定の助動詞。「や」係助詞、疑問。「む」推量の助動詞、推量、連体形、係結び。強調のニュアンス。
【逢ふまでのかたみに契る中の緒の調べはことに変はらざらなむ】−源氏の返歌。「かたみ」に「形見」と「互いに」。「中のを」に琴の「中の緒」と二人の「仲」。「ことに」に「異に」と「琴に」を掛ける。「なむ」終助詞、願望。互いに心変わりせずにいたいものだの意。
【この音違はぬさきにかならずあひ見む】−『集成』は地の文に解す。
【頼めたまふめり】−「めり」推量の助動詞、視界内推量。語り手がその場に居合わせて見ているような語り方。

 [第四段 離別の朝]
【立ちたまふ暁は】−源氏、出立の朝。
【うち捨てて立つも悲しき浦波の名残いかにと思ひやるかな】−源氏の贈歌。「立つ」「浦波」「余波」は縁語。後に残された明石の君の気持ちを思いやった歌。
【年経つる苫屋も荒れて憂き波の返る方にや身をたぐへまし】−明石の君の返歌。「返る方に身をたぐへまし」について、『完訳』は「投身をも想像する」「あなたがお帰りになる京の方へ、できることならこの身もいっしょに添わせてやりたい、お後を慕って身を投げてしまいたいです」と注す。「まし」推量の助動詞、仮想し、躊躇を含み、相手に判断を求める気持ち。--しようかしら。「帰る」の主語が、源氏と波との両方であるため、後を慕って都に上りたいと、海に入りたいとの、両義性を含んだ表現。
【忍びたまへどほろほろとこぼれぬ】−主語は源氏。
【なほかかる御住まひなれど】−以下「あることぞかし」まで、供人の心中。
【おろかならず思すなめりかし】−良清の心中。「思す」の主語は源氏。「な」(断定の助動詞、連体形、活用語尾、撥音便化して無表記)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)。良清が源氏の様を見ながら推量しているニュアンス。
【げに今日を限りにこの渚を別るること】−供人の心中。『完訳』は「源氏の悲嘆が納得される」と注す。
【言ひあへることどもあめり】−「あ」(動詞、連体形、活用語尾、撥音便化して無表記)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)。語り手がその場で見て推量しているニュアンス。
【されど何かはとてなむ】−語り手の省略の言葉。『集成』は「けれども、書きとめるにおよばないと思って。家来たちの歌などは省略したとことわる草子地」。『完訳』は「詳しく語るまでもないとする、語り手の省筆の弁」と注す。
【寄る波に立ちかさねたる旅衣しほどけしとや人の厭はむ】−明石の君の贈歌。「たち」は「裁ち」と「立ち」の掛詞。「波」「立つ」「塩どけし」は縁語。「寄る波に」から「旅衣」まで下句に係る序詞。「人」は源氏をさす。
【かたみにぞ換ふべかりける逢ふことの日数隔てむ中の衣を】−源氏の返歌。「旅衣」に対して「中の衣」と返す。「かたみに」に「形見」と「互いに」。「中の」は「中の衣」と「仲」。「隔てむ」は上からは「日数隔てむ」、下へは「隔てむ中の衣」と両方に係る掛詞。
【心ざしあるを】−源氏の心中。
【げに今一重偲ばれたまふべきことを添ふる形見なめり】−「げに」語り手の納得。「今一重」は一層の意と衣の縁で「一重」との掛詞。「偲ばれ給ふ」の主語は源氏。「れ」受身の助動詞。「なめり」は「な」(断定の助動詞、連体形、活用語尾が撥音便化して無表記)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)。語り手がその場で見て心中を推量しているニュアンス。
【いかが人の心にも染めざらむ】−「人」は明石の君をさす。語り手の推量、反語表現で強調。
【今はと世を離れ】−以下「仕うまつらぬこと」まで、明石の入道の詞。
【かひをつくる】−べそをかく意。また海辺の縁で「貝」を連想させる語句。
【世をうみにここらしほじむ身となりてなほこの岸をえこそ離れね】−入道の贈歌。「うみ」に「海」と「憂み」。「この岸」の「こ」に「子」と「此」を掛け、「此岸」を「彼岸」の対で用いる。「潮じむ」は「海」の縁語。娘のことが案じられてならない。
【心の闇はいとど惑ひぬべく】−以下「境までだに」まで、入道の詞。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)。「境」は、播磨国と摂津国境。「だに」副助詞、最小限の願望。
【好き好きしきさまなれど】−以下「折はべらば」まで、入道の詞。「折はべらば」の下に、お便りをください、の意が込められている。
【思ひ捨てがたき筋】−以下「いかがすべき」まで、源氏の詞。明石の君が源氏の子を懐妊していることをさす。
【見直したまひてむ】−「見直し」の主語は明石の君。「て」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、きっと思い直して下さるであろうの意。
【都出でし春の嘆きに劣らめや年経る浦を別れぬる秋】−源氏の返歌。一昨年の春三月二十日余りに離京した。その時の別離の悲しみに変わらないという。
【いとどものおぼえず】−以下の主語は明石入道。

 [第五段 残された明石の君の嘆き]
【かうしも人に見えじ】−明石の君の心中。
【わりなきことなれど】−語り手の挿入句。『完訳』は「自分の運命に原因があるとしながら、次に源氏への「恨み」を抱くところから、語り手が「わりなき」(理屈に合わぬ)と評す」と注す。
【何にかく】−以下「心のおこたりぞ」まで、母君の詞。偏屈な夫の言い分に従った自分の責任だといって慰める。
【あなかまや】−以下「あなゆゆしや」まで、入道の詞。慰め。
【思し捨つまじきこと】−娘が源氏の子を懐妊していることをさす。
【思すところあらむ】−主語は源氏。
【片隅に寄りゐたり】−『集成』は「口では強がりを言うものの、意気銷沈のてい」。『完訳』は「強弁はしながら、内心では自信を失って小さくなっている様子」と注す。
【いつしかいかで】−以下「もののはじめに見るかな」まで、乳母の詞。「いつしか」は早く早くの意。
【こそ頼みきこえつれ】−「こそ」係助詞。「つれ」完了の助動詞、已然形、係結び、逆接用法で、下文に続く。
【いとどほけられて】−「られ」自発の助動詞。以下、入道の源氏が去って以後の日常の様子。
【数珠の行方も知らずなりにけり】−入道の詞。
【行道するものは】−「は」係助詞、区別・強調のニュアンス。『集成』は「一念発起、月夜に庭に出て行道したまではよかったが、なんと遣水にころげ込んでしまった」。『完訳』は「「--するものは--けり」は、これはしたり、と揶揄する語法」、「月夜に出て行道しようとしたところ、これはしたり、遣水の中にころげ落ちるという始末なのであった」と訳す。

 

第五章 光る源氏の物語 帰京と政界復帰の物語

 [第一段 難波の御祓い]
【君は難波の方に渡りて】−源氏の都への帰路。
【平らかにて】−「て」接続助詞、順接、原因・理由。
【御使して申させたまふ】−「させ」使役の助動詞、「給ふ」尊敬の補助動詞。源氏は後日改めてお礼参りに詣でる。
【かひなきものに思し捨てつる命】−紫の君は源氏と別れる時に「惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしがな」(須磨)と詠んだ。
【思さるらむかし】−「らむ」推量の助動詞、視界外推量、語り手がやや離れた所から見て推量しているニュアンス。
【今はかくて見るべきぞかし】−源氏の心中。「べき」推量の助動詞、可能。一緒に暮らすことができるのだ。
【かの飽かず別れし人】−明石の君をさす。
【思しやらる】−「る」自発の助動詞。
【なほ世とともにかかる方にて御心の暇ぞなきや】−「なほ」副詞。「や」終助詞、詠嘆。語り手の源氏の女性に対する態度への批評。
【その人のことども】−明石の君に関する事柄。
【思し出でたる御けしき】−源氏の態度・表情をいう。
【ただならずや見たてまつりたまふらむ】−「や」係助詞、疑問。「らむ」推量の助動詞、視界外推量。語り手の紫の君の心中を推量した挿入句。
【身をば思はず】−「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しけもあるかな」(拾遺集恋四、八七〇、右近)の第二句を引く。自分のことはかまわないが、神仏に誓ったあなたの命が心配だという意。
【かつ見るにだに】−以下「隔てつる年月ぞ」まで、源氏の心中。『完訳』は「陸奥の安積の沼の花がつみかつ見る人に恋ひやわたらむ」(古今集恋四、六七七、読人しらず)を指摘。
【世の中も】−『集成』は「あの時のいきさつも」。『完訳』は「この世の中が」と注す。
【ほどもなく、元の御位あらたまりて、員より外の権大納言になりたまふ】−いったん元の位であった参議右大将に復し、改めて権大納言右大将に昇進。中納言を経ず異例の昇進。
【次々の人も】−『集成』は「源氏に連座して罷免された家臣たち」。『完訳』は「源氏方には、須磨への供人など、昇進の滞った者も多かった」と注す。

 [第二段 源氏、参内]
【召しありて内裏に参りたまふ】−源氏、参内し、兄の朱雀帝としめやかに語る。
【ねびまさりて】−源氏の姿をいう。
【いかでさるものむつかしき住まひに年経たまひつらむ】−御前の女房の心中。
【主上も恥づかしう】−『完訳』は「源氏を罪に陥れた慚愧の念に、源氏の美麗さがいっそうまぶしい」と注す。
【十五夜の月おもしろう】−二年前、源氏は須磨で眺めた。
【もの心細く思さるるなるべし】−語り手の帝の心中を推測した挿入句。
【遊びなどもせず】−以下「久しうなりにけるかな」まで、帝の詞。
【わたつ海にしなえうらぶれ蛭の児の脚立たざりし年は経にけり】−源氏の贈歌。「かぞいろはあはれと見ずや蛭の子は三歳になりぬ脚立たずして」(日本紀竟宴和歌、大江朝綱)を踏まえる。いざなぎ・いざなみの国生みの神話にもとづく和歌。
【宮柱めぐりあひける時しあれば別れし春の恨み残すな】−帝の返歌。「宮柱」は、いざなぎ・いざなみの国生みの神話にもとづく。皇族にふさわしい和歌の贈答。
【急がせたまふ】−主語は源氏。「せ」使役の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞。
【めづらしう思しよろこびたるを】−東宮の表情。
【あはれと見たてまつりたまふ】−主語は源氏。
【御才もこよなくまさらせたまひて、世をたもたせたまはむに、憚りあるまじく、かしこく見えさせたまふ】−このとき東宮、十歳。即位するにふさわしい成長ぶりと資質を語る。
【あはれなることどもあらむかし】−「む」推量の助動詞。「かし」終助詞、念押し、語り手の推量表現。

 [第三段 明石の君への手紙、他]
【まことやかの明石には】−源氏、明石の君に歌を贈り、また五節の君と和歌を贈答する。
【返る波に御文つかはす】−「返る波」は明石から源氏を送ってきた人々をいう。歌語的表現。
【ひき隠して】−紫の君への遠慮。
【こまやかに書きたまふめり】−「めり」推量の助動詞、視界内推量。語り手が側で見て語っているニュアンス。
【波のよるよるいかに】−以下、源氏の文。「よるよる」は「寄る寄る」と「夜々」の掛詞。和歌に係っていく表現。
【嘆きつつ明石の浦に朝霧の立つやと人を思ひやるかな】−源氏の贈歌。「あかし」は「明かし」と「明石」の掛詞。「君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知らませ」(万葉集、巻十五)、「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ」(古今集羈旅、四〇九、柿本人麿)などを踏まえる。
【かの帥の娘五節】−「須磨」巻に登場。
【あいなく、人知らぬもの思ひさめぬる心地して】−『完訳』は「「あいなく」は、源氏への思慕を不似合いとする、語り手の評言」と注す。
【まくなぎつくらせて】−『集成』は「使いにどこからの文とも言わせず、ただ目くばせさせて」。『完訳』は「紫の上に気づかれぬよう、女房に手紙を渡させる」と注す。
【須磨の浦に心を寄せし舟人のやがて朽たせる袖を見せばや】−五節の贈歌。「舟人」に自分を喩える。
【手などこよなくまさりにけり】−源氏の感想。五節の筆跡の上達に感心。
【帰りてはかことやせまし寄せたりし名残に袖の干がたかりしを】−源氏の返歌。「朽たせる袖」を「却りて」「袖の干難かりし」と返す。「いたづらに立ちかへりにし白波のなごりに袖の干る時もなし」(後撰集恋四、八八四、藤原朝忠)。「かこと」は『日葡辞書』には「カコト」「カゴト」両方ある。
【このころ】−上代は清音。『図書寮本名義抄』に「コノゴロ」とある。
【つつみたまふめり】−「めり」推量の助動詞、視界内推量。語り手が実際に源氏の行動を目にして語っているニュアンス。

源氏物語の世界ヘ
本文
ローマ字版
現代語訳
大島本
自筆本奥入