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 3若菜下(明融臨模本)3 
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 7渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)7 
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若菜下

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 11光る源氏の准太上天皇時代四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語
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 13 [主要登場人物]
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14 
 15
 光る源氏<ひかるげんじ>
15 
 16
呼称---六条院・主人の院・院・大殿・大殿の君、四十一歳から四十七歳
16 
 17
 朱雀院<すざくいん>
17 
 18
呼称---入道の帝・山の帝・院の上・院・帝・上、源氏の兄
18 
 19
 女三の宮<おんなさんのみや>
19 
 20
呼称---六条院の姫宮・姫宮・宮・二品の宮・姫宮の御方・女宮・若君・女、源氏の正妻
20 
 21
 柏木<かしわぎ>
21 
 22
呼称---衛門督・督の君・中納言・君、太政大臣の長男
22 
 23
 夕霧<ゆうぎり>
23 
 24
呼称---右大将の君・左大将・大将の君・君、光る源氏の長男
24 
 25
 雲居雁<くもいのかり>
25 
 26
呼称---北の方、夕霧の北の方
26 
 27
 太政大臣<だじょうだいじん>
27 
 28
呼称---太政大臣・致仕の大殿・父大臣・大殿・大臣
28 
 29
 紫の上<むらさきのうえ>
29 
 30
呼称---対の上・対の方・対・二条の院の上・上の御方・御方・女君・君、源氏の妻
30 
 31
 花散里<はなちるさと>
31 
 32
呼称---六条の東の君・夏の御方・御方
32 
 33
 朧月夜の君<おぼろづきよのきみ>
33 
 34
呼称---二条の尚侍の君・尚侍の君・君
34 
 35
 秋好中宮<あきこのむちゅうぐう>
35 
 36
呼称---冷泉院の后・中宮
36 
 37
 冷泉院<れいぜいいん>
37 
 38
呼称---内裏の帝・院の帝・帝の君・内裏・院
38 
 39
 明石の尼君<あかしのあまぎみ>
39 
 40
呼称---明石の尼君
40 
 41
 明石御方<あかしのおおんかた>
41 
 42
呼称---明石の御方・御方・母君・明石
42 
 43
 明石女御<あかしのにょうご>
43 
 44
呼称---桐壺の御方・内裏の御方・淑景舎・六条の女御・春宮の女御・女御の君・女御殿・女御、源氏の娘
44 
 45
 今上帝<きんじょうてい>
45 
 46
呼称---春宮・宮・帝・主上・内裏・内裏の帝・朝廷・国王、朱雀帝の御子
46 
 47
 玉鬘<たまかずら>
47 
c148<DD>呼称--左大将殿の北の方・右の大臣の北の方・右大臣殿の北の方・北の方・尚侍の君・継母・君、鬚黒の北の方<BR>48<DD>呼称---左大将殿の北の方・右の大臣の北の方・右大臣殿の北の方・北の方・尚侍の君・継母・君、鬚黒の北の方<BR>
 49
 蛍兵部卿宮<ほたるひょうぶきょうのみや>
49 
 50
呼称---兵部卿宮・親王・宮
50 
 51
 落葉宮<おちばのみや>
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 52
呼称---二宮・女二宮・女宮・宮、朱雀院の第二内親王
52 
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54 
 55第一章 柏木の物語 女三の宮の結婚後
55 
 56
56 
 57
  • 六条院の競射---ことわりとは思へども、「うれたくも言へるかな
  • 57 
     58
  • 柏木、女三の宮の猫を預る---女御の御方に参りて、物語など聞こえ紛らはし試みる
  • 58 
     59
  • 柏木、真木柱姫君には無関心---左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも
  • 59 
     60
  • 真木柱、兵部卿宮と結婚---兵部卿宮、なほ一所のみおはして、御心につきて
  • 60 
     61
  • 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活---宮は、亡せたまひにける北の方を、世とともに恋ひ
  • 61 
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     63第二章 光る源氏の物語 住吉参詣
    63 
     64
    64 
     65
  • 冷泉帝の退位---はかなくて、年月もかさなりて、内裏の帝
  • 65 
     66
  • 六条院の女方の動静---姫宮の御ことは、帝、御心とどめて思ひ
  • 66 
     67
  • 源氏、住吉に参詣---住吉の御願、かつがつ果たしたまはむとて
  • 67 
     68
  • 住吉参詣の一行---上達部も、大臣二所をおきたてまつりては
  • 68 
     69
  • 住吉社頭の東遊び---十月中の十日なれば、神の斎垣にはふ葛も色変はりて
  • 69 
     70
  • 源氏、往時を回想---大殿、昔のこと思し出でられ、中ごろ沈みたまひし
  • 70 
     71
  • 終夜、神楽を奏す---夜一夜遊び明かしたまふ。二十日の月
  • 71 
     72
  • 明石一族の幸い---ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、本末も
  • 72 
     7373 
     74第三章 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画
    74 
     75
    75 
     76
  • 女三の宮と紫の上---入道の帝は、御行なひをいみじくしたまひて
  • 76 
     77
  • 花散里と玉鬘---夏の御方は、かくとりどりなる御孫扱ひを
  • 77 
     78
  • 朱雀院の五十賀の計画---朱雀院の、「今はむげに世近くなりぬる心地して
  • 78 
     79
  • 女三の宮に琴を伝授---宮は、もとより琴の御琴をなむ習ひたまひけるを
  • 79 
     80
  • 明石女御、懐妊して里下り---女御の君にも、対の上にも、琴は習はし
  • 80 
     81
  • 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定---院の御賀、まづ朝廷よりせさせたまふ
  • 81 
     8282 
     83第四章 光る源氏の物語 六条院の女楽
    83 
     84
    84 
     85
  • 六条院の女楽---正月二十日ばかりになれば、空もをかしきほどに
  • 85 
     86
  • 孫君たちと夕霧を召す---廂の中の御障子を放ちて、こなたかなた
  • 86 
     87
  • 夕霧、箏を調絃す---大将、いといたく心懸想して、御前の
  • 87 
     88
  • 女四人による合奏---御琴どもの調べども調ひ果てて、掻き合はせ
  • 88 
     89
  • 女四人を花に喩える---月心もとなきころなれば、灯籠こなたかなたに懸けて
  • 89 
     90
  • 夕霧の感想---これもかれも、うちとけぬ御けはひどもを
  • 90 
     9191 
     92第五章 光る源氏の物語 源氏の音楽論
    92 
     93
    93 
     94
  • 音楽の春秋論---夜更けゆくけはひ、冷やかなり。臥待の月
  • 94 
     95
  • 琴の論---「よろづのこと、道々につけて習ひまねばば
  • 95 
     96
  • 源氏、葛城を謡う---女御の君は、箏の御琴をば、上に譲りきこえて
  • 96 
     97
  • 女楽終了、禄を賜う---この君達の、いとうつくしく吹き立てて、切に心入れたるを
  • 97 
     98
  • 夕霧、わが妻を比較して思う---大将殿は、君達を御車に乗せて、月の澄めるに
  • 98 
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     100第六章 紫の上の物語 出家願望と発病
    100 
     101
    101 
     102
  • 源氏、紫の上と語る---院は、対へ渡りたまひぬ。上は、止まりたまひて
  • 102 
     103
  • 紫の上、三十七歳の厄年---かやうの筋も、今はまたおとなおとなしく
  • 103 
     104
  • 源氏、半生を語る---「みづからは、幼くより、人に異なるさまにて
  • 104 
     105
  • 源氏、関わった女方を語る---「多くはあらねど、人のありさまの、とりどりに
  • 105 
     106
  • 紫の上、発病す---対には、例のおはしまさぬ夜は、宵居したまひて
  • 106 
     107
  • 朱雀院の五十賀、延期される---女御の御方より御消息あるに、
  • 107 
     108
  • 紫の上、二条院に転地療養---同じさまにて、二月も過ぎぬ
  • 108 
     109
  • 明石女御、看護のため里下り---女御の君も渡りたまひて、もろともに
  • 109 
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     111第七章 柏木の物語 女三の宮密通の物語
    111 
     112
    112 
     113
  • 柏木、女二の宮と結婚---まことや、衛門督は、中納言になりにきかし
  • 113 
     114
  • 柏木、小侍従を語らう---かくて、院も離れおはしますほど、人目少なく
  • 114 
     115
  • 小侍従、手引きを承諾---「いで、あな、聞きにく。あまりこちたくものを
  • 115 
     116
  • 小侍従、柏木を導き入れる---いかに、いかにと、日々に責められ極じて
  • 116 
     117
  • 柏木、女三の宮をかき抱く---宮は、何心もなく大殿籠もりにけるを、
  • 117 
     118
  • 柏木、猫の夢を見る---よその思ひやりはいつくしく、もの馴れて
  • 118 
     119
  • きぬぎぬの別れ---明けゆくけしきなるに、出でむ方なく、なかなかなり
  • 119 
     120
  • 柏木と女三の宮の罪の恐れ---女宮の御もとにも参うでたまはで、大殿へ
  • 120 
     121
  • 柏木と女二の宮の夫婦仲---督の君は、まして、なかなかなる心地のみまさりて
  • 121 
     122122 
     123第八章 紫の上の物語 死と蘇生
    123 
     124
    124 
     125
  • 紫の上、絶命す---大殿の君は、まれまれ渡りたまひて
  • 125 
     126
  • 六条御息所の死霊出現---いみじく調ぜられて、「人は皆去りね。院一所の御耳に
  • 126 
     127
  • 紫の上、死去の噂流れる---かく亡せたまひにけりといふこと、世の中に
  • 127 
     128
  • 紫の上、蘇生後に五戒を受く---かく生き出でたまひての後しも、恐ろしく思して
  • 128 
     129
  • 紫の上、小康を得る---五月などは、まして、晴れ晴れしからぬ空のけしきに
  • 129 
     130130 
     131第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見
    131 
     132
    132 
     133
  • 女三の宮懐妊す---姫宮は、あやしかりしことを思し嘆きしより
  • 133 
     134
  • 源氏、紫の上と和歌を唱和す---池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに
  • 134 
     135
  • 源氏、女三の宮を見舞う---宮は、御心の鬼に、見えたてまつらむも恥づかしう
  • 135 
     136
  • 源氏、女三の宮と和歌を唱和す---夜さりつ方、二条の院へ渡りたまはむとて
  • 136 
     137
  • 源氏、柏木の手紙を発見---まだ朝涼みのほどに渡りたまはむとて
  • 137 
     138
  • 小侍従、女三の宮を責める---出でたまひぬれば、人びとすこしあかれぬるに
  • 138 
     139
  • 源氏、手紙を読み返す---大殿は、この文のなほあやしく思さるれば
  • 139 
     140
  • 源氏、妻の密通を思う---「さても、この人をばいかがもてなしきこゆべき
  • 140 
     141141 
     142第十章 光る源氏の物語 密通露見後
    142 
     143
    143 
     144
  • 紫の上、女三の宮を気づかう---つれなしづくりたまへど、もの思し乱るるさまの
  • 144 
     145
  • 柏木と女三の宮、密通露見におののく---姫宮は、かく渡りたまはぬ日ごろの経るも
  • 145 
     146
  • 源氏、女三の宮の幼さを非難---「良きやうとても、あまりひたおもむきに
  • 146 
     147
  • 源氏、玉鬘の賢さを思う---「右の大臣の北の方の、取り立てたる後見もなく
  • 147 
     148
  • 朧月夜、出家す---二条の尚侍の君をば、なほ絶えず、思ひ出できこえ
  • 148 
     149
  • 源氏、朧月夜と朝顔を語る---二条院におはしますほどにて、女君にも、今はむげに
  • 149 
     150150 
     151第十一章 朱雀院の物語 五十賀の延引
    151 
     152
    152 
     153
  • 女二の宮、院の五十の賀を祝う---かくて、山の帝の御賀も延びて、秋とありしを
  • 153 
     154
  • 朱雀院、女三の宮へ手紙---御山にも聞こし召して、らうたく恋しと
  • 154 
     155
  • 源氏、女三の宮を諭す---「いと幼き御心ばへを見おきたまひて、いたくは
  • 155 
     156
  • 朱雀院の御賀、十二月に延引---参りたまはむことは、この月かくて過ぎぬ
  • 156 
     157
  • 源氏、柏木を六条院に召す---十二月になりにけり。十余日と定めて、舞ども習らし
  • 157 
     158
  • 源氏、柏木と対面す---まだ上達部なども集ひたまはぬほどなりけり
  • 158 
     159
  • 柏木と御賀について打ち合わせる---「月ごろ、かたがたに思し悩む御こと
  • 159 
     160160 
     161第十二章 柏木の物語 源氏から睨まれる
    161 
     162
    162 
     163
  • 御賀の試楽の当日---今日は、かかる試みの日なれど、御方々物見たまはむに
  • 163 
     164
  • 源氏、柏木に皮肉を言う---主人の院、「過ぐる齢に添へては、酔ひ泣きこそ
  • 164 
     165
  • 柏木、女二の宮邸を出る---ことなくて過ぐす月日は、心のどかにあいな頼みして
  • 165 
     166
  • 柏木の病、さらに重くなる---大殿に待ち受けきこえたまひて、よろづに騷ぎたまふ
  • 166 
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    168 
     169【出典】
    169 
     170【校訂】
    170 
     171

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     172 

    第一章 柏木の物語 女三の宮の結婚後

    172 
     173 [第一段 六条院の競射]
    173 
     174 ことわりとは思へども、「うれたくも言へるかな。いでや、なぞ、かく異なることなきあへしらひばかりを慰めにては、いかが過ぐさむ。かかる人伝てならで、一言をものたまひ聞こゆる世ありなむや」
    174 
     175 と思ふにつけて、おほかたにては、惜しくめでたしと思ひきこゆる院の御ため、なまゆがむ心や添ひにたらむ。
    175 
     176 晦日の日は、人びとあまた参りたまへり。なまもの憂く、すずろはしけれど、「そのあたりの花の色をも見てや慰む」と思ひて参りたまふ。
    176 
     177 殿上の賭弓、如月にとありしを過ぎて、三月はた御忌月なれば、口惜しくと人びと思ふに、この院に、かかるまとゐあるべしと聞き伝へて、例の集ひたまふ。左右の大将、さる御仲らひにて参りたまへば、次将たちなど挑みかはして、小弓とのたまひしかど、歩弓のすぐれたる上手どもありければ、召し出でて射させたまふ。
    177 
     178 殿上人どもも、つきづきしき限りは、皆前後の心、こまどりに方分きて、暮れゆくままに、今日にとぢむる霞のけしきもあわたたしく、乱るる夕風に、花の蔭いとど立つことやすからで、人びといたく酔ひ過ぎたまひて、
    178 
     179 「艶なる賭物ども、こなたかなた人びとの御心見えぬべきを。柳の葉を百度当てつべき舎人どもの、うけばりて射取る、無人なりや。すこしここしき手つきどもをこそ、挑ませめ」
    179 
     180 とて、大将たちよりはじめて、下りたまふに、衛門督、人よりけに眺めをしつつものしたまへば、かの片端心知れる御目には、見つけつつ、
    180 
     181 「なほ、いとけしき異なり。わづらはしきこと出で来べき世にやあらむ」
    181 
     182 と、われさへ思ひつきぬる心地す。この君たち、御仲いとよし。さる仲らひといふ中にも、心交はしてねむごろなれば、はかなきことにても、もの思はしくうち紛るることあらむを、いとほしくおぼえたまふ。
    182 
     183 みづからも、大殿を見たてまつるに、気恐ろしくまぶゆく、
    183 
     184 「かかる心はあるべきものか。なのめならむにてだに、けしからず、人に点つかるべき振る舞ひはせじと思ふものを。ましておほけなきこと」
    184 
     185 と思ひわびては、
    185 
     186 「かのありし猫をだに、得てしがな。思うこと語らふべくはあらねど、かたはら寂しき慰めにも、なつけむ」
    186 
     187 と思ふに、もの狂ほしく、「いかでかは盗み出でむ」と、それさへぞ難きことなりける。
    187 
     188

    188 
     189 [第二段 柏木、女三の宮の猫を預る]
    189 
     190 女御の御方に参りて、物語など聞こえ紛らはし試みる。いと奥深く、心恥づかしき御もてなしにて、まほに見えたまふこともなし。かかる御仲らひにだに、気遠くならひたるを、「ゆくりかにあやしくは、ありしわざぞかし」とは、さすがにうちおぼゆれど、おぼろけにしめたるわが心から、浅くも思ひなされず。
    190 
     191 春宮に参りたまひて、「論なう通ひたまへるところあらむかし」と、目とどめて見たてまつるに、匂ひやかになどはあらぬ御容貌なれど、さばかりの御ありさまはた、いと異にて、あてになまめかしくおはします。
    191 
     192 内裏の御猫の、あまた引き連れたりけるはらからどもの、所々にあかれて、この宮にも参れるが、いとをかしげにて歩くを見るに、まづ思ひ出でらるれば、
    192 
     193 「六条の院の姫宮の御方にはべる猫こそ、いと見えぬやうなる顔して、をかしうはべしか。はつかになむ見たまへし」
    193 
     194 と啓したまへば、わざとらうたくせさせたまふ御心にて、詳しく問はせたまふ。
    194 
     195 「唐猫の、ここのに違へるさましてなむはべりし。同じやうなるものなれど、心をかしく人馴れたるは、あやしくなつかしきものになむはべる」
    195 
     196 など、ゆかしく思さるばかり、聞こえなしたまふ。
    196 
     197 聞こし召しおきて、桐壺の御方より伝へて聞こえさせたまひければ、参らせたまへり。「げに、いとうつくしげなる猫なりけり」と、人びと興ずるを、衛門督は、「尋ねむと思したりき」と、御けしきを見おきて、日ごろ経て参りたまへり。
    197 
     198 童なりしより、朱雀院の取り分きて思し使はせたまひしかば、御山住みに後れきこえては、またこの宮にも親しう参り、心寄せきこえたり。御琴など教へきこえたまふとて、
    198 
     199 「御猫どもあまた集ひはべりにけり。いづら、この見し人は」
    199 
     200 と尋ねて見つけたまへり。いとらうたくおぼえて、かき撫でてゐたり。宮も、
    200 
     201 「げに、をかしきさましたりけり。心なむ、まだなつきがたきは、見馴れぬ人を知るにやあらむ。ここなる猫ども、ことに劣らずかし」
    201 
     202 とのたまへば、
    202 
     203 「これは、さるわきまへ心も、をさをさはべらぬものなれど、その中にも心かしこきは、おのづから魂はべらむかし」など聞こえて、「まさるどもさぶらふめるを、これはしばし賜はり預からむ」
    203 
     204 と申したまふ。心のうちに、あながちにをこがましく、かつはおぼゆるに、これを尋ね取りて、夜もあたり近く臥せたまふ。
    204 
     205 明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひたまふ。人気遠かりし心も、いとよく馴れて、ともすれば、衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたく眺めて、端近く寄り臥したまへるに、来て、「ねう、ねう」と、いとらうたげに鳴けば、かき撫でて、「うたても、すすむかな」と、ほほ笑まる。
    205 
     206 「恋ひわぶる人のかたみと手ならせば
    206 
     207  なれよ何とて鳴く音なるらむ
    207 
     208 これも昔の契りにや」
    208 
     209 と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れて眺めゐたまへり。御達などは、
    209 
     210 「あやしく、にはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」
    210 
     211 と、とがめけり。宮より召すにも参らせず、取りこめて、これを語らひたまふ。
    211 
     212

    212 
     213 [第三段 柏木、真木柱姫君には無関心]
    213 
     214 左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君をば、なほ昔のままに、疎からず思ひきこえたまへり。心ばへのかどかどしく、気近くおはする君にて、対面したまふ時々も、こまやかに隔てたるけしきなくもてなしたまへれば、大将も、淑景舎などの、疎々しく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに、さま異なる御睦びにて、思ひ交はしたまへり。
    214 
     215 男君、今はまして、かのはじめの北の方をももて離れ果てて、並びなくもてかしづききこえたまふ。この御腹には、男君達の限りなれば、さうざうしとて、かの真木柱の姫君を得て、かしづかまほしくしたまへど、祖父宮など、さらに許したまはず、
    215 
     216 「この君をだに、人笑へならぬさまにて見む」
    216 
     217 と思し、のたまふ。
    217 
     218 親王の御おぼえいとやむごとなく、内裏にも、この宮の御心寄せ、いとこよなくて、このことと奏したまふことをば、え背きたまはず、心苦しきものに思ひきこえたまへり。おほかたも今めかしくおはする宮にて、この院、大殿にさしつぎたてまつりては、人も参り仕うまつり、世人も重く思ひきこえけり。
    218 
     219 大将も、さる世の重鎮となりたまふべき下形なれば、姫君の御おぼえ、などてかはかなくはあらむ。聞こえ出づる人びと、ことに触れて多かれど、思しも定めず。衛門督を、「さも、けしきばまば」と思すべかめれど、猫には思ひ落としたてまつるにや、かけても思ひ寄らぬぞ、口惜しかりける。
    219 
     220 母君の、あやしく、なほひがめる人にて、世の常のありさまにもあらず、もて消ちたまへるを、口惜しきものに思して、継母の御あたりをば、心つけてゆかしく思ひて、今めきたる御心ざまにぞものしたまひける。
    220 
     221

    221 
     222 [第四段 真木柱、兵部卿宮と結婚]
    222 
     223 兵部卿宮、なほ一所のみおはして、御心につきて思しけることどもは、皆違ひて、世の中もすさまじく、人笑へに思さるるに、「さてのみやはあまえて過ぐすべき」と思して、このわたりにけしきばみ寄りたまへれば、大宮、
    223 
     224 「何かは。かしづかむと思はむ女子をば、宮仕へに次ぎては、親王たちにこそは見せたてまつらめ。ただ人の、すくよかに、なほなほしきをのみ、今の世の人のかしこくする、品なきわざなり」
    224 
     225 とのたまひて、いたくも悩ましたてまつりたまはず、受け引き申したまひつ。
    225 
     226 親王、あまり怨みどころなきを、さうざうしと思せど、おほかたのあなづりにくきあたりなれば、えしも言ひすべしたまはで、おはしましそめぬ。いと二なくかしづききこえたまふ。
    226 
     227 大宮は、女子あまたものしたまひて、
    227 
     228 「さまざまもの嘆かしき折々多かるに、物懲りしぬべけれど、なほこの君のことの思ひ放ちがたくおぼえてなむ。母君は、あやしきひがものに、年ごろに添へてなりまさりたまふ。大将はた、わがことに従はずとて、おろかに見捨てられためれば、いとなむ心苦しき」
    228 
     229 とて、御しつらひをも、立ちゐ、御手づから御覧じ入れ、よろづにかたじけなく御心に入れたまへり。
    229 
     230

    230 
     231 [第五段 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活]
    231 
     232 宮は、亡せたまひにける北の方を、世とともに恋ひきこえたまひて、「ただ、昔の御ありさまに似たてまつりたらむ人を見む」と思しけるに、「悪しくはあらねど、さま変はりてぞものしたまひける」と思すに、口惜しくやありけむ、通ひたまふさま、いともの憂げなり。
    232 
     233 大宮、「いと心づきなきわざかな」と思し嘆きたり。母君も、さこそひがみたまへれど、うつし心出で来る時は、「口惜しく憂き世」と、思ひ果てたまふ。
    233 
     234 大将の君も、「さればよ。いたく色めきたまへる親王を」と、はじめよりわが御心に許したまはざりしことなればにや、ものしと思ひたまへり。
    234 
     235 尚侍の君も、かく頼もしげなき御さまを、近く聞きたまふには、「さやうなる世の中を見ましかば、こなたかなた、いかに思し見たまはまし」など、なまをかしくも、あはれにも思し出でけり。
    235 
     236 「そのかみも、気近く見聞こえむとは、思ひ寄らざりきかし。ただ、情け情けしう、心深きさまにのたまひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや、聞き落としたまひけむ」と、いと恥づかしく、年ごろも思しわたることなれば、「かかるあたりにて、聞きたまはむことも、心づかひせらるべく」など思す。
    236 
     237 これよりも、さるべきことは扱ひきこえたまふ。せうとの君たちなどして、かかる御けしきも知らず顔に、憎からず聞こえまつはしなどするに、心苦しくて、もて離れたる御心はなきに、大北の方といふさがな者ぞ、常に許しなく怨じきこえたまふ。
    237 
     238 「親王たちは、のどかに二心なくて、見たまはむをだにこそ、はなやかならぬ慰めには思ふべけれ」
    238 
     239 とむつかりたまふを、宮も漏り聞きたまひては、「いと聞きならはぬことかな。昔、いとあはれと思ひし人をおきても、なほ、はかなき心のすさびは絶えざりしかど、かう厳しきもの怨じは、ことになかりしものを」
    239 
     240 心づきなく、いとど昔を恋ひきこえたまひつつ、故里にうち眺めがちにのみおはします。さ言ひつつも、二年ばかりになりぬれば、かかる方に目馴れて、ただ、さる方の御仲にて過ぐしたまふ。
    240 
     241

    241 
     242 

    第二章 光る源氏の物語 住吉参詣

    242 
     243 [第一段 冷泉帝の退位]
    243 
     244 はかなくて、年月もかさなりて、内裏の帝、御位に即かせたまひて、十八年にならせたまひぬ。
    244 
     245 「嗣の君とならせたまふべき御子おはしまさず、ものの栄なきに、世の中はかなくおぼゆるを、心やすく、思ふ人々にも対面し、私ざまに心をやりて、のどかに過ぎまほしくなむ」
    245 
     246 と、年ごろ思しのたまはせつるを、日ごろいと重く悩ませたまふことありて、にはかに下りゐさせたまひぬ。世の人、「飽かず盛りの御世を、かく逃れたまふこと」と惜しみ嘆けど、春宮もおとなびさせたまひにたれば、うち嗣ぎて、世の中の政事など、ことに変はるけぢめもなかりけり。
    246 
     247 太政大臣、致仕の表たてまつりて、籠もりゐたまひぬ。
    247 
     248 「世の中の常なきにより、かしこき帝の君も、位を去りたまひぬるに、年深き身の冠を挂けむ、何か惜しからむ」
    248 
     249 と思しのたまひて、左大将、右大臣になりたまひてぞ、世の中の政事仕うまつりたまひける。女御の君は、かかる御世をも待ちつけたまはで、亡せたまひにければ、限りある御位を得たまへれど、ものの後ろの心地して、かひなかりけり。
    249 
     250 六条の女御の御腹の一の宮、坊にゐたまひぬ。さるべきこととかねて思ひしかど、さしあたりてはなほめでたく、目おどろかるるわざなりけり。右大将の君、大納言になりたまひぬ。いよいよあらまほしき御仲らひなり。
    250 
     251 六条院は、下りゐたまひぬる冷泉院の、御嗣おはしまさぬを、飽かず御心のうちに思す。同じ筋なれど、思ひ悩ましき御ことならで、過ぐしたまへるばかりに、罪は隠れて、末の世まではえ伝ふまじかりける御宿世、口惜しくさうざうしく思せど、人にのたまひあはせぬことなれば、いぶせくなむ。
    251 
     252 春宮の女御は、御子たちあまた数添ひたまひて、いとど御おぼえ並びなし。源氏の、うち続き后にゐたまふべきことを、世人飽かず思へるにつけても、冷泉院の后は、ゆゑなくて、あながちにかくしおきたまへる御心を思すに、いよいよ六条院の御ことを、年月に添へて、限りなく思ひきこえたまへり。
    252 
     253 院の帝、思し召ししやうに、御幸も、所狭からで渡りたまひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき御ありさまなり。
    253 
     254

    254 
     255 [第二段 六条院の女方の動静]
    255 
     256 姫宮の御ことは、帝、御心とどめて思ひきこえたまふ。おほかたの世にも、あまねくもてかしづかれたまふを、対の上の御勢ひには、えまさりたまはず。年月経るままに、御仲いとうるはしく睦びきこえ交はしたまひて、いささか飽かぬことなく、隔ても見えたまはぬものから、
    256 
     257 「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行なひをも、となむ思ふ。この世はかばかりと、見果てつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべきさまに思し許してよ」
    257 
     258 と、まめやかに聞こえたまふ折々あるを、
    258 
     259 「あるまじく、つらき御ことなり。みづから、深き本意あることなれど、とまりてさうざうしくおぼえたまひ、ある世に変はらむ御ありさまの、うしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにそのこと遂げなむ後に、ともかくも思しなれ」
    259 
     260 などのみ、妨げきこえたまふ。
    260 
     261 女御の君、ただこなたを、まことの御親にもてなしきこえたまひて、御方は隠れがの御後見にて、卑下しものしたまへるしもぞ、なかなか、行く先頼もしげにめでたかりける。
    261 
     262 尼君も、ややもすれば、堪へぬよろこびの涙、ともすれば落ちつつ、目をさへ拭ひただして、命長き、うれしげなる例になりてものしたまふ。
    262 
     263

    263 
     264 [第三段 源氏、住吉に参詣]
    264 
     265 住吉の御願、かつがつ果たしたまはむとて、春宮女御の御祈りに詣でたまはむとて、かの箱開けて御覧ずれば、さまざまのいかめしきことども多かり。
    265 
     266 年ごとの春秋の神楽に、かならず長き世の祈りを加へたる願ども、げに、かかる御勢ひならでは、果たしたまふべきこととも思ひおきてざりけり。ただ走り書きたる趣きの、才々しくはかばかしく、仏神も聞き入れたまふべき言の葉明らかなり。
    266 
     267 「いかでさる山伏の聖心に、かかることどもを思ひよりけむ」と、あはれにおほけなくも御覧ず。「さるべきにて、しばしかりそめに身をやつしける、昔の世の行なひ人にやありけむ」など思しめぐらすに、いとど軽々しくも思されざりけり。
    267 
     268 このたびは、この心をば表はしたまはず、ただ、院の御物詣でにて出で立ちたまふ。浦伝ひのもの騒がしかりしほど、そこらの御願ども、皆果たし尽くしたまへれども、なほ世の中にかくおはしまして、かかるいろいろの栄えを見たまふにつけても、神の御助けは忘れがたくて、対の上も具しきこえさせたまひて、詣でさせたまふ、響き世の常ならず。いみじくことども削ぎ捨てて、世の煩ひあるまじく、と省かせたまへど、限りありければ、めづらかによそほしくなむ。
    268 
     269

    269 
     270 [第四段 住吉参詣の一行]
    270 
     271 上達部も、大臣二所をおきたてまつりては、皆仕うまつりたまふ。舞人は、衛府の次将どもの、容貌きよげに、丈だち等しき限りを選らせたまふ。この選びに入らぬをば恥に、愁へ嘆きたる好き者どもありけり。
    271 
     272 陪従も、石清水、賀茂の臨時の祭などに召す人びとの、道々のことにすぐれたる限りを整へさせたまへり。加はりたる二人なむ、近衛府の名高き限りを召したりける。
    272 
     273 御神楽の方には、いと多く仕うまつれり。内裏、春宮、院の殿上人、方々に分かれて、心寄せ仕うまつる。数も知らず、いろいろに尽くしたる上達部の御馬、鞍、馬副、随身、小舎人童、次々の舎人などまで、整へ飾りたる見物、またなきさまなり。
    273 
     274 女御殿、対の上は、一つに奉りたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗りたまへり。女御の御乳母、心知りにて乗りたり。方々のひとだまひ、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束、ありさま、言へばさらなり。さるは、
    274 
     275 「尼君をば、同じくは、老の波の皺延ぶばかりに、人めかしくて詣でさせむ」
    275 
     276 と、院はのたまひけれど、
    276 
     277 「このたびは、かくおほかたの響きに立ち交じらむもかたはらいたし。もし思ふやうならむ世の中を待ち出でたらば」
    277 
     278 と、御方はしづめたまひけるを、残りの命うしろめたくて、かつがつものゆかしがりて、慕ひ参りたまふなりけり。さるべきにて、もとよりかく匂ひたまふ御身どもよりも、いみじかりける契り、あらはに思ひ知らるる人の御ありさまなり。
    278 
     279

    279 
     280 [第五段 住吉社頭の東遊び]
    280 
     281 十月中の十日なれば、神の斎垣にはふ葛も色変はりて、松の下紅葉など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり。ことことしき高麗、唐土の楽よりも、東遊の耳馴れたるは、なつかしくおもしろく、波風の声に響きあひて、さる木高き松風に吹き立てたる笛の音も、ほかにて聞く調べには変はりて身にしみ、御琴に打ち合はせたる拍子も、鼓を離れて調へとりたるかた、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごうおもしろく、所からは、まして聞こえけり。
    281 
     282 山藍に摺れる竹の節は、松の緑に見えまがひ、插頭の色々は、秋の草に異なるけぢめ分かれで、何ごとにも目のみまがひいろふ。
    282 
     283 「求子」果つる末に、若やかなる上達部は、肩ぬぎて下りたまふ。匂ひもなく黒き袍に、蘇芳襲の、葡萄染の袖を、にはかに引きほころばしたるに、紅深き衵の袂の、うちしぐれたるにけしきばかり濡れたる、松原をば忘れて、紅葉の散るに思ひわたさる。
    283 
     284 見るかひ多かる姿どもに、いと白く枯れたる荻を、高やかにかざして、ただ一返り舞ひて入りぬるは、いとおもしろく飽かずぞありける。
    284 
     285

    285 
     286 [第六段 源氏、往時を回想]
    286 
     287 大殿、昔のこと思し出でられ、中ごろ沈みたまひし世のありさまも、目の前のやうに思さるるに、その世のこと、うち乱れ語りたまふべき人もなければ、致仕の大臣をぞ、恋しく思ひきこえたまひける。
    287 
     288 入りたまひて、二の車に忍びて、
    288 
     289 「誰れかまた心を知りて住吉の
    289 
     290  神代を経たる松にこと問ふ」
    290 
     291 御畳紙に書きたまへり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて、今はと別れたまひしほど、女御の君のおはせしありさまなど思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世のほどを思ふ。世を背きたまひし人も恋しく、さまざまにもの悲しきを、かつはゆゆしと言忌して、
    291 
     292 「住の江をいけるかひある渚とは
    292 
     293  年経る尼も今日や知るらむ」
    293 
     294 遅くは便なからむと、ただうち思ひけるままなりけり。
    294 
     295 「昔こそまづ忘られね住吉の
    295 
     296  神のしるしを見るにつけても」
    296 
     297 と独りごちけり。
    297 
     298

    298 
     299 [第七段 終夜、神楽を奏す]
    299 
     300 夜一夜遊び明かしたまふ。二十日の月はるかに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたく置きて、松原も色まがひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあはれさも立ち添ひたり。
    300 
     301 対の上、常の垣根のうちながら、時々につけてこそ、興ある朝夕の遊びに、耳古り目馴れたまひけれ、御門より外の物見、をさをさしたまはず、ましてかく都のほかのありきは、まだ慣らひたまはねば、珍しくをかしく思さる。
    301 
     302 「住の江の松に夜深く置く霜は
    302 
     303  神の掛けたる木綿鬘かも」
    303 
     304 篁の朝臣の、「比良の山さへ」と言ひける雪の朝を思しやれば、祭の心うけたまふしるしにやと、いよいよ頼もしくなむ。女御の君、
    304 
     305 「神人の手に取りもたる榊葉に
    305 
     306  木綿かけ添ふる深き夜の霜」
    306 
     307 中務の君、
    307 
     308 「祝子が木綿うちまがひ置く霜は
    308 
     309  げにいちじるき神のしるしか」
    309 
     310 次々数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ。かかるをりふしの歌は、例の上手めきたまふ男たちも、なかなか出で消えして、松の千歳より離れて、今めかしきことなければ、うるさくてなむ。
    310 
     311

    311 
     312 [第八段 明石一族の幸い]
    312 
     313 ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、本末もたどたどしきまで、酔ひ過ぎにたる神楽おもてどもの、おのが顔をば知らで、おもしろきことに心はしみて、庭燎も影しめりたるに、なほ、「万歳、万歳」と、榊葉を取り返しつつ、祝ひきこゆる御世の末、思ひやるぞいとどしきや。
    313 
     314 よろづのこと飽かずおもしろきままに、千夜を一夜になさまほしき夜の、何にもあらで明けぬれば、返る波にきほふも口惜しく、若き人々思ふ。
    314 
     315 松原に、はるばると立て続けたる御車どもの、風にうちなびく下簾の隙々も、常磐の蔭に、花の錦を引き加へたると見ゆるに、袍の色々けぢめおきて、をかしき懸盤取り続きて、もの参りわたすをぞ、下人などは目につきて、めでたしとは思へる。
    315 
     316 尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表折りて、精進物を参るとて、「めざましき女の宿世かな」と、おのがじしはしりうごちけり。
    316 
     317 詣でたまひし道は、ことことしくて、わづらはしき神宝、さまざまに所狭げなりしを、帰さはよろづの逍遥を尽くしたまふ。言ひ続くるもうるさく、むつかしきことどもなれば。
    317 
     318 かかる御ありさまをも、かの入道の、聞かず見ぬ世にかけ離れたうべるのみなむ、飽かざりける。難きことなりかし、交じらはましも見苦しくや。世の中の人、これを例にて、心高くなりぬべきころなめり。よろづのことにつけて、めであさみ、世の言種にて、「明石の尼君」とぞ、幸ひ人に言ひける。かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つ時の言葉にも、
    318 
     319 「明石の尼君、明石の尼君」
    319 
     320 とぞ賽は乞ひける。
    320 
     321

    321 
     322 

    第三章 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画

    322 
     323 [第一段 女三の宮と紫の上]
    323 
     324 入道の帝は、御行なひをいみじくしたまひて、内裏の御ことをも聞き入れたまはず。春秋の行幸になむ、昔思ひ出でられたまふこともまじりける。姫宮の御ことをのみぞ、なほえ思し放たで、この院をば、なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて、うちうちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ。二品になりたまひて、御封などまさる。いよいよはなやかに御勢ひ添ふ。
    324 
     325 対の上、かく年月に添へて、かたがたにまさりたまふ御おぼえに、
    325 
     326 「わが身はただ一所の御もてなしに、人には劣らねど、あまり年積もりなば、その御心ばへもつひに衰へなむ。さらむ世を見果てぬさきに、心と背きにしがな」
    326 
     327 と、たゆみなく思しわたれど、さかしきやうにや思さむとつつまれて、はかばかしくもえ聞こえたまはず。内裏の帝さへ、御心寄せことに聞こえたまへば、おろかに聞かれたてまつらむもいとほしくて、渡りたまふこと、やうやう等しきやうになりゆく。
    327 
     328 さるべきこと、ことわりとは思ひながら、さればよとのみ、やすからず思されけれど、なほつれなく同じさまにて過ぐしたまふ。春宮の御さしつぎの女一の宮を、こなたに取り分きてかしづきたてまつりたまふ。その御扱ひになむ、つれづれなる御夜がれのほども慰めたまひける。いづれも分かず、うつくしくかなしと思ひきこえたまへり。
    328 
     329

    329 
     330 [第二段 花散里と玉鬘]
    330 
     331 夏の御方は、かくとりどりなる御孫扱ひをうらやみて、大将の君の典侍腹の君を、切に迎へてぞかしづきたまふ。いとをかしげにて、心ばへも、ほどよりはされおよすけたれば、大殿の君もらうたがりたまふ。少なき御嗣と思ししかど、末に広ごりて、こなたかなたいと多くなり添ひたまふを、今はただ、これをうつくしみ扱ひたまひてぞ、つれづれも慰めたまひける。
    331 
     332 右の大殿の参り仕うまつりたまふこと、いにしへよりもまさりて親しく、今は北の方もおとなび果てて、かの昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや、さるべき折も渡りまうでたまふ。対の上にも御対面ありて、あらまほしく聞こえ交はしたまひけり。
    332 
     333 姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします。女御の君は、今は公ざまに思ひ放ちきこえたまひて、この宮をばいと心苦しく、幼からむ御女のやうに、思ひはぐくみたてまつりたまふ。
    333 
     334

    334 
     335 [第三段 朱雀院の五十の賀の計画]
    335 
     336 朱雀院の、
    336 
     337 「今はむげに世近くなりぬる心地して、もの心細きを、さらにこの世のこと顧みじと思ひ捨つれど、対面なむ今一度あらまほしきを、もし恨み残りもこそすれ、ことことしきさまならで渡りたまふべく」
    337 
     338 聞こえたまひければ、大殿も、
    338 
     339 「げに、さるべきことなり。かかる御けしきなからむにてだに、進み参りたまふべきを。まして、かう待ちきこえたまひけるが、心苦しきこと」
    339 
     340 と、参りたまふべきこと思しまうく。
    340 
     341 「ついでなく、すさまじきさまにてやは、はひ渡りたまふべき。何わざをしてか、御覧ぜさせたまふべき」
    341 
     342 と、思しめぐらす。
    342 
     343 「このたび足りたまはむ年、若菜など調じてや」と、思して、さまざまの御法服のこと、斎の御まうけのしつらひ、何くれとさまことに変はれることどもなれば、人の御心しつらひども入りつつ、思しめぐらす。
    343 
     344 いにしへも、遊びの方に御心とどめさせたまへりしかば、舞人、楽人などを、心ことに定め、すぐれたる限りをととのへさせたまふ。右の大殿の御子ども二人、大将の御子、典侍の腹の加へて三人、まだ小さき七つより上のは、皆殿上せさせたまふ。兵部卿宮の童孫王、すべてさるべき宮たちの御子ども、家の子の君たち、皆選び出でたまふ。
    344 
     345 殿上の君達も、容貌よく、同じき舞の姿も、心ことなるべきを定めて、あまたの舞のまうけをせさせたまふ。いみじかるべきたびのこととて、皆人心を尽くしたまひてなむ。道々のものの師、上手、暇なきころなり。
    345 
     346

    346 
     347 [第四段 女三の宮に琴を伝授]
    347 
     348 宮は、もとより琴の御琴をなむ習ひたまひけるを、いと若くて院にもひき別れたてまつりたまひしかば、おぼつかなく思して、
    348 
     349 「参りたまはむついでに、かの御琴の音なむ聞かまほしき。さりとも琴ばかりは弾き取りたまひつらむ」
    349 
     350 と、しりうごとに聞こえたまひけるを、内裏にも聞こし召して、
    350 
     351 「げに、さりとも、けはひことならむかし。院の御前にて、手尽くしたまはむついでに、参り来て聞かばや」
    351 
     352 などのたまはせけるを、大殿の君は伝へ聞きたまひて、
    352 
     353 「年ごろさりぬべきついでごとには、教へきこゆることもあるを、そのけはひは、げにまさりたまひにたれど、まだ聞こし召しどころあるもの深き手には及ばぬを、何心もなくて参りたまへらむついでに、聞こし召さむとゆるしなくゆかしがらせたまはむは、いとはしたなかるべきことにも」
    353 
     354 と、いとほしく思して、このころぞ御心とどめて教へきこえたまふ。
    354 
     355 調べことなる手、二つ三つ、おもしろき大曲どもの、四季につけて変はるべき響き、空の寒さぬるさをととのへ出でて、やむごとなかるべき手の限りを、取り立てて教へきこえたまふに、心もとなくおはするやうなれど、やうやう心得たまふままに、いとよくなりたまふ。
    355 
     356 「昼は、いと人しげく、なほ一度も揺し按ずる暇も、心あわたたしければ、夜々なむ、静かにことの心もしめたてまつるべき」
    356 
     357 とて、対にも、そのころは御暇聞こえたまひて、明け暮れ教へきこえたまふ。
    357 
     358

    358 
     359 [第五段 明石女御、懐妊して里下り]
    359 
     360 女御の君にも、対の上にも、琴は習はしたてまつりたまはざりければ、この折、をさをさ耳馴れぬ手ども弾きたまふらむを、ゆかしと思して、女御も、わざとありがたき御暇を、ただしばしと聞こえたまひてまかでたまへり。
    360 
     361 御子二所おはするを、またもけしきばみたまひて、五月ばかりにぞなりたまへれば、神事などにことづけておはしますなりけり。十一日過ぐしては、参りたまふべき御消息うちしきりあれど、かかるついでに、かくおもしろき夜々の御遊びをうらやましく、「などて我に伝へたまはざりけむ」と、つらく思ひきこえたまふ。
    361 
     362 冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なれば、おもしろき夜の雪の光に、折に合ひたる手ども弾きたまひつつ、さぶらふ人びとも、すこしこの方にほのめきたるに、御琴どもとりどりに弾かせて、遊びなどしたまふ。
    362 
     363 年の暮れつ方は、対などにはいそがしく、こなたかなたの御いとなみに、おのづから御覧じ入るることどもあれば、
    363 
     364 「春のうららかならむ夕べなどに、いかでこの御琴の音聞かむ」
    364 
     365 とのたまひわたるに、年返りぬ。
    365 
     366

    366 
     367 [第六段 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定]
    367 
     368 院の御賀、まづ朝廷よりせさせたまふことどもこちたきに、さしあひては便なく思されて、すこしほど過ごしたまふ。二月十余日と定めたまひて、楽人、舞人など参りつつ、御遊び絶えず。
    368 
     369 「この対に、常にゆかしくする御琴の音、いかでかの人びとの箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ。ただ今のものの上手どもこそ、さらにこのわたりの人びとの御心しらひどもにまさらね。
    369 
     370 はかばかしく伝へ取りたることは、をさをさなけれど、何ごとも、いかで心に知らぬことあらじとなむ、幼きほどに思ひしかば、世にあるものの師といふ限り、また高き家々の、さるべき人の伝へどもをも、残さず試みし中に、いと深く恥づかしきかなとおぼゆる際の人なむなかりし。
    370 
     371 そのかみよりも、またこのころの若き人びとの、されよしめき過ぐすに、はた浅くなりにたるべし。琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。この御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじ」
    371 
     372 とのたまへば、何心なくうち笑みて、うれしく、「かくゆるしたまふほどになりにける」と思す。
    372 
     373 二十一、二ばかりになりたまへど、なほいといみじく片なりに、きびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ。
    373 
     374 「院にも見えたてまつりたまはで、年経ぬるを、ねびまさりたまひにけりと御覧ずばかり、用意加へて見えたてまつりたまへ」
    374 
     375 と、ことに触れて教へきこえたまふ。
    375 
     376 「げに、かかる御後見なくては、ましていはけなくおはします御ありさま、隠れなからまし」
    376 
     377 と、人びとも見たてまつる。
    377 
     378

    378 
     379 

    第四章 光る源氏の物語 六条院の女楽

    379 
     380 [第一段 六条院の女楽]
    380 
     381 正月二十日ばかりになれば、空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく。おほかたの花の木どもも、皆けしきばみ、霞みわたりにけり。
    381 
     382 「月たたば、御いそぎ近く、もの騒がしからむに、掻き合はせたまはむ御琴の音も、試楽めきて人言ひなさむを、このころ静かなるほどに試みたまへ」
    382 
     383 とて、寝殿に渡したてまつりたまふ。
    383 
     384 御供に、我も我もと、ものゆかしがりて、参う上らまほしがれど、こなたに遠きをば、選りとどめさせたまひて、すこしねびたれど、よしある限り選りてさぶらはせたまふ。
    384 
     385 童女は、容貌すぐれたる四人、赤色に桜の汗衫、薄色の織物の衵、浮紋の表の袴、紅の擣ちたる、さま、もてなしすぐれたる限りを召したり。女御の御方にも、御しつらひなど、いとどあらたまれるころのくもりなきに、おのおの挑ましく、尽くしたるよそほひども、鮮やかに二なし。
    385 
     386 童は、青色に蘇芳の汗衫、唐綾の表の袴、衵は山吹なる唐の綺を、同じさまに調へたり。明石の御方のは、ことことしからで、紅梅二人、桜二人、青磁の限りにて、衵濃く薄く、擣目などえならで着せたまへり。
    386 
     387 宮の御方にも、かく集ひたまふべく聞きたまひて、童女の姿ばかりは、ことにつくろはせたまへり。青丹に柳の汗衫、葡萄染の衵など、ことに好ましくめづらしきさまにはあらねど、おほかたのけはひの、いかめしく気高きことさへ、いと並びなし。
    387 
     388

    388 
     389 [第二段 孫君たちと夕霧を召す]
    389 
     390 廂の中の御障子を放ちて、こなたかなた御几帳ばかりをけぢめにて、中の間は、院のおはしますべき御座よそひたり。今日の拍子合はせには童べを召さむとて、右の大殿の三郎、尚侍の君の御腹の兄君、笙の笛、左大将の御太郎、横笛と吹かせて、簀子にさぶらはせたまふ。
    390 
     391 内には、御茵ども並べて、御琴ども参り渡す。秘したまふ御琴ども、うるはしき紺地の袋どもに入れたる取り出でて、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に箏の御琴、宮には、かくことことしき琴はまだえ弾きたまはずやと、あやふくて、例の手馴らしたまへるをぞ、調べてたてまつりたまふ。
    391 
     392 「箏の御琴は、ゆるぶとなけれど、なほ、かく物に合はする折の調べにつけて、琴柱の立処乱るるものなり。よくその心しらひ調ふべきを、女はえ張りしづめじ。なほ、大将をこそ召し寄せつべかめれ。この笛吹ども、まだいと幼げにて、拍子調へむ頼み強からず」
    392 
     393 と笑ひたまひて、
    393 
     394 「大将、こなたに」
    394 
     395 と召せば、御方々恥づかしく、心づかひしておはす。明石の君を放ちては、いづれも皆捨てがたき御弟子どもなれば、御心加へて、大将の聞きたまはむに、難なかるべくと思す。
    395 
     396 「女御は、常に上の聞こし召すにも、物に合はせつつ弾きならしたまへれば、うしろやすきを、和琴こそ、いくばくならぬ調べなれど、あと定まりたることなくて、なかなか女のたどりぬべけれ。春の琴の音は、皆掻き合はするものなるを、乱るるところもや」
    396 
     397 と、なまいとほしく思す。
    397 
     398

    398 
     399 [第三段 夕霧、箏を調絃す]
    399 
     400 大将、いといたく心懸想して、御前のことことしく、うるはしき御試みあらむよりも、今日の心づかひは、ことにまさりておぼえたまへば、あざやかなる御直衣、香にしみたる御衣ども、袖いたくたきしめて、引きつくろひて参りたまふほど、暮れ果てにけり。
    400 
     401 ゆゑあるたそかれ時の空に、花は去年の古雪思ひ出でられて、枝もたわむばかり咲き乱れたり。ゆるるかにうち吹く風に、えならず匂ひたる御簾の内の香りも吹き合はせて、鴬誘ふつまにしつべく、いみじき御殿のあたりの匂ひなり。御簾の下より、箏の御琴のすそ、すこしさし出でて、
    401 
     402 「軽々しきやうなれど、これが緒調へて、調べ試みたまへ。ここにまた疎き人の入るべきやうもなきを」
    402 
     403 とのたまへば、うちかしこまりて賜はりたまふほど、用意多くめやすくて、「壱越調」の声に発の緒を立てて、ふとも調べやらでさぶらひたまへば、
    403 
     404 「なほ、掻き合はせばかりは、手一つ、すさまじからでこそ」
    404 
     405 とのたまへば、
    405 
     406 「さらに、今日の御遊びのさしいらへに、交じらふばかりの手づかひなむ、おぼえずはべりける」
    406 
     407 と、けしきばみたまふ。
    407 
     408 「さもあることなれど、女楽にえことまぜでなむ逃げにけると、伝はらむ名こそ惜しけれ」
    408 
     409 とて笑ひたまふ。
    409 
     410 調べ果てて、をかしきほどに掻き合はせばかり弾きて、参らせたまひつ。この御孫の君達の、いとうつくしき宿直姿どもにて、吹き合はせたる物の音ども、まだ若けれど、生ひ先ありて、いみじくをかしげなり。
    410 
     411

    411 
     412 [第四段 女四人による合奏]
    412 
     413 御琴どもの調べども調ひ果てて、掻き合はせたまへるほど、いづれとなき中に、琵琶はすぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄み果てておもしろく聞こゆ。
    413 
     414 和琴に、大将も耳とどめたまへるに、なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音の、めづらしく今めきて、さらにこのわざとある上手どもの、おどろおどろしく掻き立てたる調べ調子に劣らず、にぎははしく、「大和琴にもかかる手ありけり」と聞き驚かる。深き御労のほどあらはに聞こえて、おもしろきに、大殿御心落ちゐて、いとありがたく思ひきこえたまふ。
    414 
     415 箏の御琴は、ものの隙々に、心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ。
    415 
     416 琴は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよくものに響きあひて、「優になりにける御琴の音かな」と、大将聞きたまふ。拍子とりて唱歌したまふ。院も、時々扇うち鳴らして、加へたまふ御声、昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしきけ添ひて聞こゆ。大将も、声いとすぐれたまへる人にて、夜の静かになりゆくままに、言ふ限りなくなつかしき夜の御遊びなり。
    416 
     417

    417 
     418 [第五段 女四人を花に喩える]
    418 
     419 月心もとなきころなれば、灯籠こなたかなたに懸けて、火よきほどに灯させたまへり。
    419 
     420 宮の御方を覗きたまへれば、人よりけに小さくうつくしげにて、ただ御衣のみある心地す。匂ひやかなる方は後れて、ただいとあてやかにをかしく、二月の中の十日ばかりの青柳の、わづかに枝垂りはじめたらむ心地して、鴬の羽風にも乱れぬべく、あえかに見えたまふ。
    420 
     421 桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の糸のさましたり。
    421 
     422 「これこそは、限りなき人の御ありさまなめれ」と見ゆるに、女御の君は、同じやうなる御なまめき姿の、今すこし匂ひ加はりて、もてなしけはひ心にくく、よしあるさましたまひて、よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりて、かたはらに並ぶ花なき、朝ぼらけの心地ぞしたまへる。
    422 
     423 さるは、いとふくらかなるほどになりたまひて、悩ましくおぼえたまひければ、御琴もおしやりて、脇息におしかかりたまへり。ささやかになよびかかりたまへるに、御脇息は例のほどなれば、およびたる心地して、ことさらに小さく作らばやと見ゆるぞ、いとあはれげにおはしける。
    423 
     424 紅梅の御衣に、御髪のかかりはらはらときよらにて、火影の御姿、世になくうつくしげなるに、紫の上は、葡萄染にやあらむ、色濃き小袿、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに、大きさなどよきほどに、様体あらまほしく、あたりに匂ひ満ちたる心地して、花といはば桜に喩へても、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ。
    424 
     425 かかる御あたりに、明石はけ圧さるべきを、いとさしもあらず、もてなしなどけしきばみ恥づかしく、心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。
    425 
     426 柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て、羅の裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ、思ひなしも、心にくくあなづらはしからず。
    426 
     427 高麗の青地の錦の端さしたる茵に、まほにもゐで、琵琶をうち置きて、ただけしきばかり弾きかけて、たをやかに使ひなしたる撥のもてなし、音を聞くよりも、またありがたくなつかしくて、五月待つ花橘、花も実も具しておし折れる薫りおぼゆ。
    427 
     428

    428 
     429 [第六段 夕霧の感想]
    429 
     430 これもかれも、うちとけぬ御けはひどもを聞き見たまふに、大将も、いと内ゆかしくおぼえたまふ。対の上の、見し折よりも、ねびまさりたまへらむありさまゆかしきに、静心もなし。
    430 
     431 「宮をば、今すこしの宿世及ばましかば、わがものにても見たてまつりてまし。心のいとぬるきぞ悔しきや。院は、たびたびさやうにおもむけて、しりう言にものたまはせけるを」と、ねたく思へど、すこし心やすき方に見えたまふ御けはひに、あなづりきこゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり。
    431 
     432 この御方をば、何ごとも思ひ及ぶべき方なく、気遠くて、年ごろ過ぎぬれば、「いかでか、ただおほかたに。心寄せあるさまをも見たてまつらむ」とばかりの、口惜しく嘆かしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなき心地などは、さらにものしたまはず、いとよくもてをさめたまへり。
    432 
     433

    433 
     434 

    第五章 光る源氏の物語 源氏の音楽論

    434 
     435 [第一段 音楽の春秋論]
    435 
     436 夜更けゆくけはひ、冷やかなり。臥待の月はつかにさし出でたる、
    436 
     437 「心もとなしや、春の朧月夜よ。秋のあはれ、はた、かうやうなる物の音に、虫の声縒り合はせたる、ただならず、こよなく響き添ふ心地すかし」
    437 
     438 とのたまへば、大将の君、
    438 
     439 「秋の夜の隈なき月には、よろづの物とどこほりなきに、琴笛の音も、あきらかに澄める心地はしはべれど、なほことさらに作り合はせたるやうなる空のけしき、花の露も、いろいろ目移ろひ心散りて、限りこそはべれ。
    439 
     440 春の空のたどたどしき霞の間より、おぼろなる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、艶に澄みのぼり果てずなむ。
    440 
     441 女は春をあはれぶと、古き人の言ひ置きはべりける。げに、さなむはべりける。なつかしく物のととのほることは、春の夕暮こそことにはべりけれ」
    441 
     442 と申したまへば、
    442 
     443 「いな、この定めよ。いにしへより人の分きかねたることを、末の世に下れる人の、えあきらめ果つまじくこそ。物の調べ、曲のものどもはしも、げに律をば次のものにしたるは、さもありかし」
    443 
     444 などのたまひて、
    444 
     445 「いかに。ただ今、有職のおぼえ高き、その人かの人、御前などにて、たびたび試みさせたまふに、すぐれたるは、数少なくなりためるを、そのこのかみと思へる上手ども、いくばくえまねび取らぬにやあらむ。このかくほのかなる女たちの御中に弾きまぜたらむに、際離るべくこそおぼえね。
    445 
     446 年ごろかく埋れて過ぐすに、耳などもすこしひがひがしくなりにたるにやあらむ、口惜しうなむ。あやしく、人の才、はかなくとりすることども、ものの栄ありてまさる所なる。その、御前の御遊びなどに、ひときざみに選ばるる人びと、それかれといかにぞ」
    446 
     447 とのたまへば、大将、
    447 
     448 「それをなむ、とり申さむと思ひはべりつれど、あきらかならぬ心のままに、およすけてやはと思ひたまふる。上りての世を聞き合はせはべらねばにや、衛門督の和琴、兵部卿宮の御琵琶などをこそ、このころめづらかなる例に引き出ではべめれ。
    448 
     449 げに、かたはらなきを、今宵うけたまはる物の音どもの、皆ひとしく耳おどろきはべるは。なほ、かくわざともあらぬ御遊びと、かねて思うたまへたゆみける心の騒ぐにやはべらむ。唱歌など、いと仕うまつりにくくなむ。
    449 
     450 和琴は、かの大臣ばかりこそ、かく折につけて、こしらへなびかしたる音など、心にまかせて掻き立てたまへるは、いとことにものしたまへ、をさをさ際離れぬものにはべめるを、いとかしこく整ひてこそはべりつれ」
    450 
     451 と、めできこえたまふ。
    451 
     452 「いと、さことことしき際にはあらぬを、わざとうるはしくも取りなさるるかな」
    452 
     453 とて、したり顔にほほ笑みたまふ。
    453 
     454 「げに、けしうはあらぬ弟子どもなりかし。琵琶はしも、ここに口入るべきことまじらぬを、さいへど、物のけはひ異なるべし。おぼえぬ所にて聞き始めたりしに、めづらしき物の声かなとなむおぼえしかど、その折よりは、またこよなく優りにたるをや」
    454 
     455 と、せめて我かしこにかこちなしたまへば、女房などは、すこしつきしろふ。
    455 
     456

    456 
     457 [第二段 琴の論]
    457 
     458 「よろづのこと、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれも際なくおぼえつつ、わが心地に飽くべき限りなく、習ひ取らむことはいと難けれど、何かは、そのたどり深き人の、今の世にをさをさなければ、片端をなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手触れにくきものはありける。
    458 
     459 この琴は、まことに跡のままに尋ねとりたる昔の人は、天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深き者も喜びに変はり、賤しく貧しき者も高き世に改まり、宝にあづかり、世にゆるさるるたぐひ多かりけり。
    459 
     460 この国に弾き伝ふる初めつ方まで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ぐし、身をなきになして、この琴をまねび取らむと惑ひてだに、し得るは難くなむありける。げにはた、明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたる例、上りたる世にはありけり。
    460 
     461 かく限りなきものにて、そのままに習ひ取る人のありがたく、世の末なればにや、いづこのそのかみの片端にかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、思ひかなはぬたぐひありけるのち、これを弾く人、よからずとかいふ難をつけて、うるさきままに、今はをさをさ伝ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。
    461 
     462 琴の音を離れては、何琴をか物を調へ知るしるべとはせむ。げに、よろづのこと衰ふるさまは、やすくなりゆく世の中に、一人出で離れて、心を立てて、唐土、高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。
    462 
     463 などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調べ一つに手を弾き尽くさむことだに、はかりもなきものななり。いはむや、多くの調べ、わづらはしき曲多かるを、心に入りし盛りには、世にありとあり、ここに伝はりたる譜といふものの限りをあまねく見合はせて、のちのちは、師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほ上りての人には、当たるべくもあらじをや。まして、この後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」
    463 
     464 などのたまへば、大将、げにいと口惜しく恥づかしと思す。
    464 
     465 「この御子たちの御中に、思ふやうに生ひ出でたまふものしたまはば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、とどめたてまつるべき。三の宮、今よりけしきありて見えたまふを」
    465 
     466 などのたまへば、明石の君は、いとおもだたしく、涙ぐみて聞きゐたまへり。
    466 
     467

    467 
     468 [第三段 源氏、葛城を謡う]
    468 
     469 女御の君は、箏の御琴をば、上に譲りきこえて、寄り臥したまひぬれば、和琴を大殿の御前に参りて、気近き御遊びになりぬ。「葛城」遊びたまふ。はなやかにおもしろし。大殿折り返し謡ひたまふ御声、たとへむかたなく愛敬づきめでたし。
    469 
     470 月やうやうさし上るままに、花の色香ももてはやされて、げにいと心にくきほどなり。箏の琴は、女御の御爪音は、いとらうたげになつかしく、母君の御けはひ加はりて、揺の音深く、いみじく澄みて聞こえつるを、この御手づかひは、またさま変はりて、ゆるるかにおもしろく、聞く人ただならず、すずろはしきまで愛敬づきて、輪の手など、すべてさらに、いとかどある御琴の音なり。
    470 
     471 返り声に、皆調べ変はりて、律の掻き合はせども、なつかしく今めきたるに、琴は、五個の調べ、あまたの手の中に、心とどめてかならず弾きたまふべき五、六の発刺を、いとおもしろく澄まして弾きたまふ。さらにかたほならず、いとよく澄みて聞こゆ。
    471 
     472 春秋よろづの物に通へる調べにて、通はしわたしつつ弾きたまふ。心しらひ、教へきこえたまふさま違へず、いとよくわきまへたまへるを、いとうつくしく、おもだたしく思ひきこえたまふ。
    472 
     473

    473 
     474 [第四段 女楽終了、禄を賜う]
    474 
     475 この君達の、いとうつくしく吹き立てて、切に心入れたるを、らうたがりたまひて、
    475 
     476 「ねぶたくなりにたらむに。今宵の遊びは、長くはあらで、はつかなるほどにと思ひつるを。とどめがたき物の音どもの、いづれともなきを、聞き分くほどの耳とからぬたどたどしさに、いたく更けにけり。心なきわざなりや」
    476 
     477 とて、笙の笛吹く君に、土器さしたまひて、御衣脱ぎてかづけたまふ。横笛の君には、こなたより、織物の細長に、袴などことことしからぬさまに、けしきばかりにて、大将の君には、宮の御方より、杯さし出でて、宮の御装束一領かづけたてまつりたまふを、大殿、
    477 
     478 「あやしや。物の師をこそ、まづはものめかしたまはめ。愁はしきことなり」
    478 
     479 とのたまふに、宮のおはします御几帳のそばより、御笛をたてまつる。うち笑ひたまひて取りたまふ。いみじき高麗笛なり。すこし吹き鳴らしたまへば、皆立ち出でたまふほどに、大将立ち止まりたまひて、御子の持ちたまへる笛を取りて、いみじくおもしろく吹き立てたまへるが、いとめでたく聞こゆれば、いづれもいづれも、皆御手を離れぬものの伝へ伝へ、いと二なくのみあるにてぞ、わが御才のほど、ありがたく思し知られける。
    479 
     480

    480 
     481 [第五段 夕霧、わが妻を比較して思う]
    481 
     482 大将殿は、君達を御車に乗せて、月の澄めるにまかでたまふ。道すがら、箏の琴の変はりていみじかりつる音も、耳につきて恋しくおぼえたまふ。
    482 
     483 わが北の方は、故大宮の教へきこえたまひしかど、心にもしめたまはざりしほどに、別れたてまつりたまひにしかば、ゆるるかにも弾き取りたまはで、男君の御前にては、恥ぢてさらに弾きたまはず。何ごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子ども扱ひを、暇なく次々したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、腹悪しくて、もの妬みうちしたる、愛敬づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふめる。
    483 
     484

    484 
     485 

    第六章 紫の上の物語 出家願望と発病

    485 
     486 [第一段 源氏、紫の上と語る]
    486 
     487 院は、対へ渡りたまひぬ。上は、止まりたまひて、宮に御物語など聞こえたまひて、暁にぞ渡りたまへる。日高うなるまで大殿籠れり。
    487 
     488 「宮の御琴の音は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞きたまひし」
    488 
     489 と聞こえたまへば、
    489 
     490 「初めつ方、あなたにてほの聞きしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かく異事なく教へきこえたまはむには」
    490 
     491 といらへきこえたまふ。
    491 
     492 「さかし。手を取る取る、おぼつかなからぬ物の師なりかし。これかれにも、うるさくわづらはしくて、暇いるわざなれば、教へたてまつらぬを、院にも内裏にも、琴はさりとも習はしきこゆらむとのたまふと聞くがいとほしく、さりとも、さばかりのことをだに、かく取り分きて御後見にと預けたまへるしるしにはと、思ひ起こしてなむ」
    492 
     493 など聞こえたまふついでにも、
    493 
     494 「昔、世づかぬほどを、扱ひ思ひしさま、その世には暇もありがたくて、心のどかに取りわき教へきこゆることなどもなく、近き世にも、何となく次々、紛れつつ過ぐして、聞き扱はぬ御琴の音の、出で栄えしたりしも、面目ありて、大将の、いたくかたぶきおどろきたりしけしきも、思ふやうにうれしくこそありしか」
    494 
     495 など聞こえたまふ。
    495 
     496

    496 
     497 [第二段 紫の上、三十七歳の厄年]
    497 
     498 かやうの筋も、今はまたおとなおとなしく、宮たちの御扱ひなど、取りもちてしたまふさまも、いたらぬことなく、すべて何ごとにつけても、もどかしくたどたどしきこと混じらず、ありがたき人の御ありさまなれば、いとかく具しぬる人は、世に久しからぬ例もあなるをと、ゆゆしきまで思ひきこえたまふ。
    498 
     499 さまざまなる人のありさまを見集めたまふままに、取り集め足らひたることは、まことにたぐひあらじとのみ思ひきこえたまへり。今年は三十七にぞなりたまふ。見たてまつりたまひし年月のことなども、あはれに思し出でたるついでに、
    499 
     500 「さるべき御祈りなど、常よりも取り分きて、今年はつつしみたまへ。もの騒がしくのみありて、思ひいたらぬこともあらむを、なほ、思しめぐらして、大きなることどももしたまはば、おのづからせさせてむ。故僧都のものしたまはずなりにたるこそ、いと口惜しけれ。おほかたにてうち頼まむにも、いとかしこかりし人を」
    500 
     501 などのたまひ出づ。
    501 
     502

    502 
     503 [第三段 源氏、半生を語る]
    503 
     504 「みづからは、幼くより、人に異なるさまにて、ことことしく生ひ出でて、今の世のおぼえありさま、来し方にたぐひ少なくなむありける。されど、また、世にすぐれて悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし。
    504 
     505 まづは、思ふ人にさまざま後れ、残りとまれる齢の末にも、飽かず悲しと思ふこと多く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしくもの思はしく、心に飽かずおぼゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それに代へてや、思ひしほどよりは、今までもながらふるならむとなむ、思ひ知らるる。
    505 
     506 君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、もの思ひとて、心乱りたまふばかりのことあらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれより次々は、やむごとなき人といへど、皆かならずやすからぬもの思ひ添ふわざなり。
    506 
     507 高き交じらひにつけても、心乱れ、人に争ふ思ひの絶えぬも、やすげなきを、親の窓のうちながら過ぐしたまへるやうなる心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。
    507 
     508 思ひの外に、この宮のかく渡りものしたまへるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、思し知らずやあらむ。ものの心も深く知りたまふめれば、さりともとなむ思ふ」
    508 
     509 と聞こえたまへば、
    509 
     510 「のたまふやうに、ものはかなき身には、過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」
    510 
     511 とて、残り多げなるけはひ、恥づかしげなり。
    511 
     512 「まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御許しあらば」
    512 
     513 と聞こえたまふ。
    513 
     514 「それはしも、あるまじきことになむ。さて、かけ離れたまひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れの隔てなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。なほ思ふさま異なる心のほどを見果てたまへ」
    514 
     515 とのみ聞こえたまふを、例のことと心やましくて、涙ぐみたまへるけしきを、いとあはれと見たてまつりたまひて、よろづに聞こえ紛らはしたまふ。
    515 
     516

    516 
     517 [第四段 源氏、関わった女方を語る]
    517 
     518 「多くはあらねど、人のありさまの、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちゐたるこそ、いと難きわざなりけれとなむ、思ひ果てにたる。
    518 
     519 大将の母君を、幼かりしほどに見そめて、やむごとなくえ避らぬ筋には思ひしを、常に仲よからず、隔てある心地して止みにしこそ、今思へば、いとほしく悔しくもあれ。
    519 
     520 また、わが過ちにのみもあらざりけりなど、心ひとつになむ思ひ出づる。うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかなとおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまり乱れたるところなく、すくすくしく、すこしさかしとやいふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。
    520 
     521 中宮の御母御息所なむ、さま異に心深くなまめかしき例には、まづ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。怨むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。
    521 
     522 心ゆるびなく恥づかしくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦びを交はさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見落とさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがて隔たりし仲ぞかし。
    522 
     523 いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、いみじく思ひしめたまへりしがいとほしく、げに人がらを思ひしも、我罪ある心地して止みにし慰めに、中宮をかくさるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり、人の恨みをも知らず、心寄せたてまつるを、かの世ながらも見直されぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」
    523 
     524 と、来し方の人の御上、すこしづつのたまひ出でて、
    524 
     525 「内裏の御方の御後見は、何ばかりのほどならずと、あなづりそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深きところある人になむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下に籠もりて、そこはかとなく恥づかしきところこそあれ」
    525 
     526 とのたまへば、
    526 
     527 「異人は見ねば知らぬを、これは、まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしきありさましるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見たまふらむと、つつましけれど、女御は、おのづから思し許すらむとのみ思ひてなむ」
    527 
     528 とのたまふ。
    528 
     529 さばかりめざましと心置きたまへりし人を、今はかく許して見え交はしなどしたまふも、女御の御ための真心なるあまりぞかしと思すに、いとありがたければ、
    529 
     530 「君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により、ことに従ひ、いとよく二筋に心づかひはしたまひけれ。さらにここら見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。いとけしきこそものしたまへ」
    530 
     531 と、ほほ笑みて聞こえたまふ。
    531 
     532 「宮に、いとよく弾き取りたまへりしことの喜び聞こえむ」
    532 
     533 とて、夕つ方渡りたまひぬ。我に心置く人やあらむとも思したらず、いといたく若びて、ひとへに御琴に心入れておはす。
    533 
     534 「今は、暇許してうち休ませたまへかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり」
    534 
     535 とて、御琴どもおしやりて、大殿籠もりぬ。
    535 
     536

    536 
     537 [第五段 紫の上、発病す]
    537 
     538 対には、例のおはしまさぬ夜は、宵居したまひて、人びとに物語など読ませて聞きたまふ。
    538 
     539 「かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語りどもにも、あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女、かやうなることを言ひ集めたるにも、つひに寄る方ありてこそあめれ。あやしく、浮きても過ぐしつるありさまかな。げに、のたまひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬことにするもの思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」
    539 
     540 など思ひ続けて、夜更けて大殿籠もりぬる、暁方より、御胸を悩みたまふ。人びと見たてまつり扱ひて、
    540 
     541 「御消息聞こえさせむ」
    541 
     542 と聞こゆるを、
    542 
     543 「いと便ないこと」
    543 
     544 と制したまひて、堪へがたきを押さへて明かしたまひつ。御身もぬるみて、御心地もいと悪しけれど、院もとみに渡りたまはぬほど、かくなむとも聞こえず。
    544 
     545

    545 
     546 [第六段 朱雀院の五十賀、延期される]
    546 
     547 女御の御方より御消息あるに、
    547 
     548 「かく悩ましくてなむ」
    548 
     549 と聞こえたまへるに、驚きて、そなたより聞こえたまへるに、胸つぶれて、急ぎ渡りたまへるに、いと苦しげにておはす。
    549 
     550 「いかなる御心地ぞ」
    550 
     551 とて探りたてまつりたまへば、いと熱くおはすれば、昨日聞こえたまひし御つつしみの筋など思し合はせたまひて、いと恐ろしく思さる。
    551 
     552 御粥などこなたに参らせたれど、御覧じも入れず、日一日添ひおはして、よろづに見たてまつり嘆きたまふ。はかなき御くだものをだに、いともの憂くしたまひて、起き上がりたまふこと絶えて、日ごろ経ぬ。
    552 
     553 いかならむと思し騒ぎて、御祈りども、数知らず始めさせたまふ。僧召して、御加持などせさせたまふ。そこところともなく、いみじく苦しくしたまひて、胸は時々おこりつつ患ひたまふさま、堪へがたく苦しげなり。
    553 
     554 さまざまの御慎しみ限りなけれど、しるしも見えず。重しと見れど、おのづからおこたるけぢめあらば頼もしきを、いみじく心細く悲しと見たてまつりたまふに、異事思されねば、御賀の響きも静まりぬ。かの院よりも、かく患ひたまふよし聞こし召して、御訪らひいとねむごろに、たびたび聞こえたまふ。
    554 
     555

    555 
     556 [第七段 紫の上、二条院に転地療養]
    556 
     557 同じさまにて、二月も過ぎぬ。いふ限りなく思し嘆きて、試みに所を変へたまはむとて、二条の院に渡したてまつりたまひつ。院の内ゆすり満ちて、思ひ嘆く人多かり。
    557 
     558 冷泉院も聞こし召し嘆く。この人亡せたまはば、院も、かならず世を背く御本意遂げたまひてむと、大将の君なども、心を尽くして見たてまつり扱ひたまふ。
    558 
     559 御修法などは、おほかたのをばさるものにて、取り分きて仕うまつらせたまふ。いささかもの思し分く隙には、
    559 
     560 「聞こゆることを、さも心憂く」
    560 
     561 とのみ恨みきこえたまへど、限りありて別れ果てたまはむよりも、目の前に、わが心とやつし捨てたまはむ御ありさまを見ては、さらに片時堪ふまじくのみ、惜しく悲しかるべければ、
    561 
     562 「昔より、みづからぞかかる本意深きを、とまりてさうざうしく思されむ心苦しさに引かれつつ過ぐすを、さかさまにうち捨てたまはむとや思す」
    562 
     563 とのみ、惜しみきこえたまふに、げにいと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見えたまふ折々多かるを、いかさまにせむと思し惑ひつつ、宮の御方にも、あからさまに渡りたまはず。御琴どももすさまじくて、皆引き籠められ、院の内の人びとは、皆ある限り二条の院に集ひ参りて、この院には、火を消ちたるやうにて、ただ女どちおはして、人ひとりの御けはひなりけりと見ゆ。
    563 
     564

    564 
     565 [第八段 明石女御、看護のため里下り]
    565 
     566 女御の君も渡りたまひて、もろともに見たてまつり扱ひたまふ。
    566 
     567 「ただにもおはしまさで、もののけなどいと恐ろしきを、早く参りたまひね」
    567 
     568 と、苦しき御心地にも聞こえたまふ。若宮の、いとうつくしうておはしますを見たてまつりたまひても、いみじく泣きたまひて、
    568 
     569 「おとなびたまはむを、え見たてまつらずなりなむこと。忘れたまひなむかし」
    569 
     570 とのたまへば、女御、せきあへず悲しと思したり。
    570 
     571 「ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものしたまはじ。心によりなむ、人はともかくもある。おきて広きうつはものには、幸ひもそれに従ひ、狭き心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかにゆるべる方は後れ、急なる人は、久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」
    571 
     572 など、仏神にも、この御心ばせのありがたく、罪軽きさまを申し明らめさせたまふ。
    572 
     573 御修法の阿闍梨たち、夜居などにても、近くさぶらふ限りのやむごとなき僧などは、いとかく思し惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ、心を起こして祈りきこゆ。すこしよろしきさまに見えたまふ時、五、六日うちまぜつつ、また重りわづらひたまふこと、いつとなくて月日を経たまへば、「なほ、いかにおはすべきにか。よかるまじき御心地にや」と、思し嘆く。
    573 
     574 御もののけなど言ひて出で来るもなし。悩みたまふさま、そこはかと見えず、ただ日に添へて、弱りたまふさまにのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじく思すに、御心の暇もなげなり。
    574 
     575

    575 
     576 

    第七章 柏木の物語 女三の宮密通の物語

    576 
     577 [第一段 柏木、女二の宮と結婚]
    577 
     578 まことや、衛門督は、中納言になりにきかし。今の御世には、いと親しく思されて、いと時の人なり。身のおぼえまさるにつけても、思ふことのかなはぬ愁はしさを思ひわびて、この宮の御姉の二の宮をなむ得たてまつりてける。下臈の更衣腹におはしましければ、心やすき方まじりて思ひきこえたまへり。
    578 
     579 人柄も、なべての人に思ひなずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ、慰めがたき姨捨にて、人目に咎めらるまじきばかりに、もてなしきこえたまへり。
    579 
     580 なほ、かの下の心忘られず、小侍従といふ語らひ人は、宮の御侍従の乳母の娘なりけり。その乳母の姉ぞ、かの督の君の御乳母なりければ、早くより気近く聞きたてまつりて、まだ宮幼くおはしましし時より、いときよらになむおはします、帝のかしづきたてまつりたまふさまなど、聞きおきたてまつりて、かかる思ひもつきそめたるなりけり。
    580 
     581

    581 
     582 [第二段 柏木、小侍従を語らう]
    582 
     583 かくて、院も離れおはしますほど、人目少なくしめやかならむを推し量りて、小侍従を迎へ取りつつ、いみじう語らふ。
    583 
     584 「昔より、かく命も堪ふまじく思ふことを、かかる親しきよすがありて、御ありさまを聞き伝へ、堪へぬ心のほどをも聞こし召させて、頼もしきに、さらにそのしるしのなければ、いみじくなむつらき。
    584 
     585 院の上だに、『かくあまたにかけかけしくて、人に圧されたまふやうにて、一人大殿籠もる夜な夜な多く、つれづれにて過ぐしたまふなり』など、人の奏しけるついでにも、すこし悔い思したる御けしきにて、
    585 
     586 『同じくは、ただ人の心やすき後見を定めむには、まめやかに仕うまつるべき人をこそ、定むべかりけれ』と、のたまはせて、『女二の宮の、なかなかうしろやすく、行く末長きさまにてものしたまふなること』
    586 
     587 と、のたまはせけるを伝へ聞きしに。いとほしくも、口惜しくも、いかが思ひ乱るる。
    587 
     588 げに、同じ御筋とは尋ねきこえしかど、それはそれとこそおぼゆるわざなりけれ」
    588 
     589 と、うちうめきたまへば、小侍従、
    589 
     590 「いで、あな、おほけな。それをそれとさし置きたてまつりたまひて、また、いかやうに限りなき御心ならむ」
    590 
     591 と言へば、うちほほ笑みて、
    591 
     592 「さこそはありけれ。宮にかたじけなく聞こえさせ及びけるさまは、院にも内裏にも聞こし召しけり。などてかは、さてもさぶらはざらましとなむ、ことのついでにはのたまはせける。いでや、ただ、今すこしの御いたはりあらましかば」
    592 
     593 など言へば、
    593 
     594 「いと難き御ことなりや。御宿世とかいふことはべなるを、もとにて、かの院の言出でてねむごろに聞こえたまふに、立ち並び妨げきこえさせたまふべき御身のおぼえとや思されし。このころこそ、すこしものものしく、御衣の色も深くなりたまへれ」
    594 
     595 と言へば、いふかひなくはやりかなる口強さに、え言ひ果てたまはで、
    595 
     596 「今はよし。過ぎにし方をば聞こえじや。ただ、かくありがたきものの隙に、気近きほどにて、この心のうちに思ふことの端、すこし聞こえさせつべくたばかりたまへ。おほけなき心は、すべて、よし見たまへ、いと恐ろしければ、思ひ離れてはべり」
    596 
     597 とのたまへば、
    597 
     598 「これよりおほけなき心は、いかがはあらむ。いとむくつけきことをも思し寄りけるかな。何しに参りつらむ」
    598 
     599 と、はちふく。
    599 
     600

    600 
     601 [第三段 小侍従、手引きを承諾]
    601 
     602 「いで、あな、聞きにく。あまりこちたくものをこそ言ひなしたまふべけれ。世はいと定めなきものを、女御、后も、あるやうありて、ものしたまふたぐひなくやは。まして、その御ありさまよ。思へば、いとたぐひなくめでたけれど、うちうちは心やましきことも多かるらむ。
    602 
     603 院の、あまたの御中に、また並びなきやうにならはしきこえたまひしに、さしもひとしからぬ際の御方々にたち混じり、めざましげなることもありぬべくこそ。いとよく聞きはべりや。世の中はいと常なきものを、ひときはに思ひ定めて、はしたなく、突き切りなることなのたまひそよ」
    603 
     604 とのたまへば、
    604 
     605 「人に落とされたまへる御ありさまとて、めでたき方に改めたまふべきにやははべらむ。これは世の常の御ありさまにもはべらざめり。ただ、御後見なくて漂はしくおはしまさむよりは、親ざまに、と譲りきこえたまひしかば、かたみにさこそ思ひ交はしきこえさせたまひためれ。あいなき御落としめ言になむ」
    605 
     606 と、果て果ては腹立つを、よろづに言ひこしらへて、
    606 
     607 「まことは、さばかり世になき御ありさまを見たてまつり馴れたまへる御心に、数にもあらずあやしきなれ姿を、うちとけて御覧ぜられむとは、さらに思ひかけぬことなり。ただ一言、物越にて聞こえ知らすばかりは、何ばかりの御身のやつれにかはあらむ。神仏にも思ふこと申すは、罪あるわざかは」
    607 
     608 と、いみじき誓言をしつつのたまへば、しばしこそ、いとあるまじきことに言ひ返しけれ、もの深からぬ若人は、人のかく身に代へていみじく思ひのたまふを、え否び果てで、
    608 
     609 「もし、さりぬべき隙あらば、たばかりはべらむ。院のおはしまさぬ夜は、御帳のめぐりに人多くさぶらひて、御座のほとりに、さるべき人かならずさぶらひたまへば、いかなる折をかは、隙を見つけはべるべからむ」
    609 
     610 と、わびつつ参りぬ。
    610 
     611

    611 
     612 [第四段 小侍従、柏木を導き入れる]
    612 
     613 いかに、いかにと、日々に責められ極じて、さるべき折うかがひつけて、消息しおこせたり。喜びながら、いみじくやつれ忍びておはしぬ。
    613 
     614 まことに、わが心にもいとけしからぬことなれば、気近く、なかなか思ひ乱るることもまさるべきことまでは、思ひも寄らず、ただ、
    614 
     615 「いとほのかに御衣のつまばかりを見たてまつりし春の夕の、飽かず世とともに思ひ出でられたまふ御ありさまを、すこし気近くて見たてまつり、思ふことをも聞こえ知らせては、一行の御返りなどもや見せたまふ、あはれとや思し知る」
    615 
     616 とぞ思ひける。
    616 
     617 四月十余日ばかりのことなり。御禊明日とて、斎院にたてまつりたまふ女房十二人、ことに上臈にはあらぬ若き人、童女など、おのがじしもの縫ひ、化粧などしつつ、物見むと思ひまうくるも、とりどりに暇なげにて、御前の方しめやかにて、人しげからぬ折なりけり。
    617 
     618 近くさぶらふ按察使の君も、時々通ふ源中将、責めて呼び出ださせければ、下りたる間に、ただこの侍従ばかり、近くはさぶらふなりけり。よき折と思ひて、やをら御帳の東面の御座の端に据ゑつ。さまでもあるべきことなりやは。
    618 
     619

    619 
     620 [第五段 柏木、女三の宮をかき抱く]
    620 
     621 宮は、何心もなく大殿籠もりにけるを、近く男のけはひのすれば、院のおはすると思したるに、うちかしこまりたるけしき見せて、床の下に抱き下ろしたてまつるに、物に襲はるるかと、せめて見上げたまへれば、あらぬ人なりけり。
    621 
     622 あやしく聞きも知らぬことどもをぞ聞こゆるや。あさましくむくつけくなりて、人召せど、近くもさぶらはねば、聞きつけて参るもなし。わななきたまふさま、水のやうに汗も流れて、ものもおぼえたまはぬけしき、いとあはれにらうたげなり。
    622 
     623 「数ならねど、いとかうしも思し召さるべき身とは、思うたまへられずなむ。
    623 
     624 昔よりおほけなき心のはべりしを、ひたぶるに籠めて止みはべなましかば、心のうちに朽たして過ぎぬべかりけるを、なかなか、漏らしきこえさせて、院にも聞こし召されにしを、こよなくもて離れてものたまはせざりけるに、頼みをかけそめはべりて、身の数ならぬひときはに、人より深き心ざしを空しくなしはべりぬることと、動かしはべりにし心なむ、よろづ今はかひなきことと思うたまへ返せど、いかばかりしみはべりにけるにか、年月に添へて、口惜しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに深く思うたまへまさるに、せきかねて、かくおほけなきさまを御覧ぜられぬるも、かつは、いと思ひやりなく恥づかしければ、罪重き心もさらにはべるまじ」
    624 
     625 と言ひもてゆくに、この人なりけりと思すに、いとめざましく恐ろしくて、つゆいらへもしたまはず。
    625 
     626 「いとことわりなれど、世に例なきことにもはべらぬを、めづらかに情けなき御心ばへならば、いと心憂くて、なかなかひたぶるなる心もこそつきはべれ、あはれとだにのたまはせば、それをうけたまはりてまかでなむ」
    626 
     627 と、よろづに聞こえたまふ。
    627 
     628

    628 
     629 [第六段 柏木、猫の夢を見る]
    629 
     630 よその思ひやりはいつくしく、もの馴れて見えたてまつらむも恥づかしく推し量られたまふに、「ただかばかり思ひつめたる片端聞こえ知らせて、なかなかかけかけしきことはなくて止みなむ」と思ひしかど、いとさばかり気高う恥づかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひの、あてにいみじくおぼゆることぞ、人に似させたまはざりける。
    630 
     631 賢しく思ひ鎮むる心も失せて、「いづちもいづちも率て隠したてまつりて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えて止みなばや」とまで思ひ乱れぬ。
    631 
     632 ただいささかまどろむともなき夢に、この手馴らしし猫の、いとらうたげにうち鳴きて来たるを、この宮に奉らむとて、わが率て来たるとおぼしきを、何しに奉りつらむと思ふほどに、おどろきて、いかに見えつるならむ、と思ふ。
    632 
     633 宮は、いとあさましく、うつつともおぼえたまはぬに、胸ふたがりて、思しおぼほるるを、
    633 
     634 「なほ、かく逃れぬ御宿世の、浅からざりけると思ほしなせ。みづからの心ながらも、うつし心にはあらずなむ、おぼえはべる」
    634 
     635 かのおぼえなかりし御簾のつまを、猫の綱引きたりし夕べのことも聞こえ出でたり。
    635 
     636 「げに、さはたありけむよ」
    636 
     637 と、口惜しく、契り心憂き御身なりけり。「院にも、今はいかでかは見えたてまつらむ」と、悲しく心細くて、いと幼げに泣きたまふを、いとかたじけなく、あはれと見たてまつりて、人の御涙をさへ拭ふ袖は、いとど露けさのみまさる。
    637 
     638

    638 
     639 [第七段 きぬぎぬの別れ]
    639 
     640 明けゆくけしきなるに、出でむ方なく、なかなかなり。
    640 
     641 「いかがはしはべるべき。いみじく憎ませたまへば、また聞こえさせむこともありがたきを、ただ一言御声を聞かせたまへ」
    641 
     642 と、よろづに聞こえ悩ますも、うるさくわびしくて、もののさらに言はれたまはねば、
    642 
     643 「果て果ては、むくつけくこそなりはべりぬれ。また、かかるやうはあらじ」
    643 
     644 と、いと憂しと思ひきこえて、
    644 
     645 「さらば不用なめり。身をいたづらにやはなし果てぬ。いと捨てがたきによりてこそ、かくまでもはべれ。今宵に限りはべりなむもいみじくなむ。つゆにても御心ゆるしたまふさまならば、それに代へつるにても捨てはべりなまし」
    645 
     646 とて、かき抱きて出づるに、果てはいかにしつるぞと、あきれて思さる。
    646 
     647 隅の間の屏風をひき広げて、戸を押し開けたれば、渡殿の南の戸の、昨夜入りしがまだ開きながらあるに、まだ明けぐれのほどなるべし、ほのかに見たてまつらむの心あれば、格子をやをら引き上げて、
    647 
     648 「かう、いとつらき御心に、うつし心も失せはべりぬ。すこし思ひのどめよと思されば、あはれとだにのたまはせよ」
    648 
     649 と、脅しきこゆるを、いとめづらかなりと思して物も言はむとしたまへど、わななかれて、いと若々しき御さまなり。
    649 
     650 ただ明けに明けゆくに、いと心あわたたしくて、
    650 
     651 「あはれなる夢語りも聞こえさすべきを、かく憎ませたまへばこそ。さりとも、今思し合はすることもはべりなむ」
    651 
     652 とて、のどかならず立ち出づる明けぐれ、秋の空よりも心尽くしなり。
    652 
     653 「起きてゆく空も知られぬ明けぐれに
    653 
     654  いづくの露のかかる袖なり」
    654 
     655 と、ひき出でて愁へきこゆれば、出でなむとするに、すこし慰めたまひて、
    655 
     656 「明けぐれの空に憂き身は消えななむ
    656 
     657  夢なりけりと見てもやむべく」
    657 
     658 と、はかなげにのたまふ声の、若くをかしげなるを、聞きさすやうにて出でぬる魂は、まことに身を離れて止まりぬる心地す。
    658 
     659

    659 
     660 [第八段 柏木と女三の宮の罪の恐れ]
    660 
     661 女宮の御もとにも参うでたまはで、大殿へぞ忍びておはしぬる。うち臥したれど目も合はず、見つる夢のさだかに合はむことも難きをさへ思ふに、かの猫のありしさま、いと恋しく思ひ出でらる。
    661 
     662 「さてもいみじき過ちしつる身かな。世にあらむことこそ、まばゆくなりぬれ」
    662 
     663 と、恐ろしくそら恥づかしき心地して、ありきなどもしたまはず。女の御ためはさらにもいはず、わが心地にもいとあるまじきことといふ中にも、むくつけくおぼゆれば、思ひのままにもえ紛れありかず。
    663 
     664 帝の御妻をも取り過ちて、ことの聞こえあらむに、かばかりおぼえむことゆゑは、身のいたづらにならむ、苦しくおぼゆまじ。しか、いちじるき罪にはあたらずとも、この院に目をそばめられたてまつらむことは、いと恐ろしく恥づかしくおぼゆ。
    664 
     665 限りなき女と聞こゆれど、すこし世づきたる心ばへ混じり、上はゆゑあり子めかしきにも、従はぬ下の心添ひたるこそ、とあることかかることにうちなびき、心交はしたまふたぐひもありけれ、これは深き心もおはせねど、ひたおもむきにもの懼ぢしたまへる御心に、ただ今しも、人の見聞きつけたらむやうに、まばゆく、恥づかしく思さるれば、明かき所にだにえゐざり出でたまはず。いと口惜しき身なりけりと、みづから思し知るべし。
    665 
     666 悩ましげになむ、とありければ、大殿聞きたまひて、いみじく御心を尽くしたまふ御事にうち添へて、またいかにと驚かせたまひて、渡りたまへり。
    666 
     667 そこはかと苦しげなることも見えたまはず、いといたく恥ぢらひしめりて、さやかにも見合はせたてまつりたまはぬを、「久しくなりぬる絶え間を恨めしく思すにや」と、いとほしくて、かの御心地のさまなど聞こえたまひて、
    667 
     668 「今はのとぢめにもこそあれ。今さらにおろかなるさまを見えおかれじとてなむ。いはけなかりしほどより扱ひそめて、見放ちがたければ、かう月ごろよろづを知らぬさまに過ぐしはべるぞ。おのづから、このほど過ぎば、見直したまひてむ」
    668 
     669 など聞こえたまふ。かくけしきも知りたまはぬも、いとほしく心苦しく思されて、宮は人知れず涙ぐましく思さる。
    669 
     670

    670 
     671 [第九段 柏木と女二の宮の夫婦仲]
    671 
     672 督の君は、まして、なかなかなる心地のみまさりて、起き臥し明かし暮らしわびたまふ。祭の日などは、物見に争ひ行く君達かき連れ来て言ひそそのかせど、悩ましげにもてなして、眺め臥したまへり。
    672 
     673 女宮をば、かしこまりおきたるさまにもてなしきこえて、をさをさうちとけても見えたてまつりたまはず、わが方に離れゐて、いとつれづれに心細く眺めゐたまへるに、童べの持たる葵を見たまひて、
    673 
     674 「悔しくぞ摘み犯しける葵草
    674 
     675  神の許せるかざしならぬに」
    675 
     676 と思ふも、いとなかなかなり。
    676 
     677 世の中静かならぬ車の音などを、よそのことに聞きて、人やりならぬつれづれに、暮らしがたくおぼゆ。
    677 
     678 女宮も、かかるけしきのすさまじげさも見知られたまへば、何事とは知りたまはねど、恥づかしくめざましきに、もの思はしくぞ思されける。
    678 
     679 女房など、物見に皆出でて、人少なにのどやかなれば、うち眺めて、箏の琴なつかしく弾きまさぐりておはするけはひも、さすがにあてになまめかしけれど、「同じくは今ひと際及ばざりける宿世よ」と、なほおぼゆ。
    679 
     680 「もろかづら落葉を何に拾ひけむ
    680 
     681  名は睦ましきかざしなれども」
    681 
     682 と書きすさびゐたる、いとなめげなるしりう言なりかし。
    682 
     683

    683 
     684 

    第八章 紫の上の物語 死と蘇生

    684 
     685 [第一段 紫の上、絶命す]
    685 
     686 大殿の君は、まれまれ渡りたまひて、えふとも立ち帰りたまはず、静心なく思さるるに、
    686 
     687 「絶え入りたまひぬ」
    687 
     688 とて、人参りたれば、さらに何事も思し分かれず、御心も暮れて渡りたまふ。道のほどの心もとなきに、げにかの院は、ほとりの大路まで人立ち騒ぎたり。殿のうち泣きののしるけはひ、いとまがまがし。我にもあらで入りたまへれば、
    688 
     689 「日ごろは、いささか隙見えたまへるを、にはかになむ、かくおはします」
    689 
     690 とて、さぶらふ限りは、我も後れたてまつらじと、惑ふさまども、限りなし。御修法どもの檀こぼち、僧なども、さるべき限りこそまかでね、ほろほろと騒ぐを見たまふに、「さらば限りにこそは」と思し果つるあさましさに、何事かはたぐひあらむ。
    690 
     691 「さりとも、もののけのするにこそあらめ。いと、かくひたぶるにな騷ぎそ」
    691 
     692 と鎮めたまひて、いよいよいみじき願どもを立て添へさせたまふ。すぐれたる験者どもの限り召し集めて、
    692 
     693 「限りある御命にて、この世尽きたまひぬとも、ただ、今しばしのどめたまへ。不動尊の御本の誓ひあり。その日数をだに、かけ止めたてまつりたまへ」
    693 
     694 と、頭よりまことに黒煙を立てて、いみじき心を起こして加持したてまつる。院も、
    694 
     695 「ただ、今一度目を見合はせたまへ。いとあへなく限りなりつらむほどをだに、え見ずなりにけることの、悔しく悲しきを」
    695 
     696 と思し惑へるさま、止まりたまふべきにもあらぬを、見たてまつる心地ども、ただ推し量るべし。いみじき御心のうちを、仏も見たてまつりたまふにや、月ごろさらに現はれ出で来ぬもののけ、小さき童女に移りて、呼ばひののしるほどに、やうやう生き出でたまふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる。
    696 
     697

    697 
     698 [第二段 六条御息所の死霊出現]
    698 
     699 いみじく調ぜられて、
    699 
     700 「人は皆去りね。院一所の御耳に聞こえむ。おのれを月ごろ調じわびさせたまふが、情けなくつらければ、同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに命も堪ふまじく、身を砕きて思し惑ふを見たてまつれば、今こそ、かくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来たるなれば、ものの心苦しさをえ見過ぐさで、つひに現はれぬること。さらに知られじと思ひつるものを」
    700 
     701 とて、髪を振りかけて泣くけはひ、ただ昔見たまひしもののけのさまと見えたり。あさましく、むくつけしと、思ししみにしことの変はらぬもゆゆしければ、この童女の手をとらへて、引き据ゑて、さま悪しくもせさせたまはず。
    701 
     702 「まことにその人か。よからぬ狐などいふなるものの、たぶれたるが、亡き人の面伏なること言ひ出づるもあなるを、たしかなる名のりせよ。また人の知らざらむことの、心にしるく思ひ出でられぬべからむを言へ。さてなむ、いささかにても信ずべき」
    702 
     703 とのたまへば、ほろほろといたく泣きて、
    703 
     704 「わが身こそあらぬさまなれそれながら
    704 
     705  そらおぼれする君は君なり
    705 
     706 いとつらし、いとつらし」
    706 
     707 と泣き叫ぶものから、さすがにもの恥ぢしたるけはひ、変らず、なかなかいと疎ましく、心憂けば、もの言はせじと思す。
    707 
     708 「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔りても見たてまつれど、道異になりぬれば、子の上までも深くおぼえぬにやあらむ、なほ、みづからつらしと思ひきこえし心の執なむ、止まるものなりける。
    708 
     709 その中にも、生きての世に、人より落として思し捨てしよりも、思ふどちの御物語のついでに、心善からず憎かりしありさまをのたまひ出でたりしなむ、いと恨めしく。今はただ亡きに思し許して、異人の言ひ落としめむをだに、はぶき隠したまへとこそ思へ、とうち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かく所狭きなり。
    709 
     710 この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、守り強く、いと御あたり遠き心地して、え近づき参らず、御声をだにほのかになむ聞きはべる。
    710 
     711 よし、今は、この罪軽むばかりのわざをせさせたまへ。修法、読経とののしることも、身には苦しくわびしき炎とのみまつはれて、さらに尊きことも聞こえねば、いと悲しくなむ。
    711 
     712 中宮にも、このよしを伝へ聞こえたまへ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひ嫉む心つかひたまふな。斎宮におはしまししころほひの御罪軽むべからむ功徳のことを、かならずせさせたまへ。いと悔しきことになむありける」
    712 
     713 など、言ひ続くれど、もののけに向かひて物語したまはむも、かたはらいたければ、封じ込めて、上をば、また異方に、忍びて渡したてまつりたまふ。
    713 
     714

    714 
     715 [第三段 紫の上、死去の噂流れる]
    715 
     716 かく亡せたまひにけりといふこと、世の中に満ちて、御弔らひに聞こえたまふ人々あるを、いとゆゆしく思す。今日の帰さ見に出でたまひける上達部など、帰りたまふ道に、かく人の申せば、
    716 
     717 「いといみじきことにもあるかな。生けるかひありつる幸ひ人の、光失ふ日にて、雨はそほ降るなりけり」
    717 
     718 と、うちつけ言したまふ人もあり。また、
    718 
     719 「かく足らひぬる人は、かならずえ長からぬことなり。『何を桜に』といふ古言もあるは。かかる人の、いとど世にながらへて、世の楽しびを尽くさば、かたはらの人苦しからむ。今こそ、二品の宮は、もとの御おぼえ現はれたまはめ。いとほしげに圧されたりつる御おぼえを」
    719 
     720 など、うちささめきけり。
    720 
     721 衛門督、昨日暮らしがたかりしを思ひて、今日は、御弟ども、左大弁、藤宰相など、奥の方に乗せて見たまひけり。かく言ひあへるを聞くにも、胸うちつぶれて、
    721 
     722 「何か憂き世に久しかるべき」
    722 
     723 と、うち誦じ独りごちて、かの院へ皆参りたまふ。たしかならぬことなればゆゆしくや、とて、ただおほかたの御訪らひに参りたまへるに、かく人の泣き騒げば、まことなりけりと、立ち騷ぎたまへり。
    723 
     724 式部卿宮も渡りたまひて、いといたく思しほれたるさまにてぞ入りたまふ。人の御消息も、え申し伝へたまはず。大将の君、涙を拭ひて立ち出でたまへるに、
    724 
     725 「いかに、いかに。ゆゆしきさまに人の申しつれば、信じがたきことにてなむ。ただ久しき御悩みをうけたまはり嘆ぎて参りつる」
    725 
     726 などのたまふ。
    726 
     727 「いと重くなりて、月日経たまへるを、この暁より絶え入りたまへりつるを、もののけのしたるになむありける。やうやう生き出でたまふやうに聞きなしはべりて、今なむ皆人心静むめれど、まだいと頼もしげなしや。心苦しきことにこそ」
    727 
     728 とて、まことにいたく泣きたまへるけしきなり。目もすこし腫れたり。衛門督、わがあやしき心ならひにや、この君の、いとさしも親しからぬ継母の御ことを、いたく心しめたまへるかな、と目をとどむ。
    728 
     729 かく、これかれ参りたまへるよし聞こし召して、
    729 
     730 「重き病者の、にはかにとぢめつるさまなりつるを、女房などは、心もえ収めず、乱りがはしく騷ぎはべりけるに、みづからもえのどめず、心あわたたしきほどにてなむ。ことさらになむ、かくものしたまへるよろこびは聞こゆべき」
    730 
     731 とのたまへり。督の君は胸つぶれて、かかる折のらうろうならずはえ参るまじく、けはひ恥づかしく思ふも、心のうちぞ腹ぎたなかりける。
    731 
     732

    732 
     733 [第四段 紫の上、蘇生後に五戒を受く]
    733 
     734 かく生き出でたまひての後しも、恐ろしく思して、またまた、いみじき法どもを尽くして加へ行なはせたまふ。
    734 
     735 うつし人にてだに、むくつけかりし人の御けはひの、まして世変はり、妖しきもののさまになりたまへらむを思しやるに、いと心憂ければ、中宮を扱ひきこえたまふさへぞ、この折はもの憂く、言ひもてゆけば、女の身は、皆同じ罪深きもとゐぞかしと、なべての世の中厭はしく、かの、また人も聞かざりし御仲の睦物語に、すこし語り出でたまへりしことを言ひ出でたりしに、まことと思し出づるに、いとわづらはしく思さる。
    735 
     736 御髪下ろしてむと切に思したれば、忌むことの力もやとて、御頂しるしばかり挟みて、五戒ばかり受けさせたてまつりたまふ。御戒の師、忌むことのすぐれたるよし、仏に申すにも、あはれに尊きこと混じりて、人悪く御かたはらに添ひゐて、涙おし拭ひたまひつつ、仏を諸心に念じきこえたまふさま、世にかしこくおはする人も、いとかく御心惑ふことにあたりては、え静めたまはぬわざなりけり。
    736 
     737 いかなるわざをして、これを救ひかけとどめたてまつらむとのみ、夜昼思し嘆くに、ほれぼれしきまで、御顔もすこし面痩せたまひにたり。
    737 
     738

    738 
     739 [第五段 紫の上、小康を得る]
    739 
     740 五月などは、まして、晴れ晴れしからぬ空のけしきに、えさはやぎたまはねど、ありしよりはすこし良ろしきさまなり。されど、なほ絶えず悩みわたりたまふ。
    740 
     741 もののけの罪救ふべきわざ、日ごとに法華経一部づつ供養ぜさせたまふ。日ごとに何くれと尊きわざせさせたまふ。御枕上近くても、不断の御読経、声尊き限りして読ませたまふ。現はれそめては、折々悲しげなることどもを言へど、さらにこのもののけ去り果てず。
    741 
     742 いとど暑きほどは、息も絶えつつ、いよいよのみ弱りたまへば、いはむかたなく思し嘆きたり。なきやうなる御心地にも、かかる御けしきを心苦しく見たてまつりたまひて、
    742 
     743 「世の中に亡くなりなむも、わが身にはさらに口惜しきこと残るまじけれど、かく思し惑ふめるに、空しく見なされたてまつらむが、いと思ひ隈なかるべければ」
    743 
     744 思ひ起こして、御湯などいささか参るけにや、六月になりてぞ、時々御頭もたげたまひける。めづらしく見たてまつりたまふにも、なほ、いとゆゆしくて、六条の院にはあからさまにもえ渡りたまはず。
    744 
     745

    745 
     746 

    第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見

    746 
     747 [第一段 女三の宮懐妊す]
    747 
     748 姫宮は、あやしかりしことを思し嘆きしより、やがて例のさまにもおはせず、悩ましくしたまへど、おどろおどろしくはあらず、立ちぬる月より、物きこし召さで、いたく青みそこなはれたまふ。
    748 
     749 かの人は、わりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見たてまつりけれど、宮、尽きせずわりなきことに思したり。院をいみじく懼ぢきこえたまへる御心に、ありさまも人のほども、等しくだにやはある、いたくよしめきなまめきたれば、おほかたの人目にこそ、なべての人には優りてめでらるれ、幼くより、さるたぐひなき御ありさまに馴らひたまへる御心には、めざましくのみ見たまふほどに、かく悩みわたりたまふは、あはれなる御宿世にぞありける。
    749 
     750 御乳母たち見たてまつりとがめて、院の渡らせたまふこともいとたまさかになるを、つぶやき恨みたてまつる。
    750 
     751 かく悩みたまふと聞こし召してぞ渡りたまふ。女君は、暑くむつかしとて、御髪澄まして、すこしさはやかにもてなしたまへり。臥しながらうちやりたまへりしかば、とみにも乾かねど、つゆばかりうちふくみ、まよふ筋もなくて、いときよらにゆらゆらとして、青み衰へたまへるしも、色は真青に白くうつくしげに、透きたるやうに見ゆる御肌つきなど、世になくらうたげなり。もぬけたる虫の殻などのやうに、まだいとただよはしげにおはす。
    751 
     752 年ごろ住みたまはで、すこし荒れたりつる院の内、たとしへなく狭げにさへ見ゆ。昨日今日かくものおぼえたまふ隙にて、心ことにつくろはれたる遣水、前栽の、うちつけに心地よげなるを見出だしたまひても、あはれに、今まで経にけるを思ほす。
    752 
     753

    753 
     754 [第二段 源氏、紫の上と和歌を唱和す]
    754 
     755 池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、
    755 
     756 「かれ見たまへ。おのれ一人も涼しげなるかな」
    756 
     757 とのたまふに、起き上がりて見出だしたまへるも、いとめづらしければ、
    757 
     758 「かくて見たてまつるこそ、夢の心地すれ。いみじく、わが身さへ限りとおぼゆる折々のありしはや」
    758 
     759 と、涙を浮けてのたまへば、みづからもあはれに思して、
    759 
     760 「消え止まるほどやは経べきたまさかに
    760 
     761  蓮の露のかかるばかりを」
    761 
     762 とのたまふ。
    762 
     763 「契り置かむこの世ならでも蓮葉に
    763 
     764  玉ゐる露の心隔つな」
    764 
     765 出でたまふ方ざまはもの憂けれど、内裏にも院にも、聞こし召さむところあり、悩みたまふと聞きてもほど経ぬるを、目に近きに心を惑はしつるほど、見たてまつることもをさをさなかりつるに、かかる雲間にさへやは絶え籠もらむと、思し立ちて、渡りたまひぬ。
    765 
     766

    766 
     767 [第三段 源氏、女三の宮を見舞う]
    767 
     768 宮は、御心の鬼に、見えたてまつらむも恥づかしう、つつましく思すに、物など聞こえたまふ御いらへも、聞こえたまはねば、日ごろの積もりを、さすがにさりげなくてつらしと思しけると、心苦しければ、とかくこしらへきこえたまふ。大人びたる人召して、御心地のさまなど問ひたまふ。
    768 
     769 「例のさまならぬ御心地になむ」
    769 
     770 と、わづらひたまふ御ありさまを聞こゆ。
    770 
     771 「あやしく。ほど経てめづらしき御ことにも」
    771 
     772 とばかりのたまひて、御心のうちには、
    772 
     773 「年ごろ経ぬる人びとだにもさることなきを、不定なる御事にもや」
    773 
     774 と思せば、ことにともかくものたまひあへしらひたまはで、ただ、うち悩みたまへるさまのいとらうたげなるを、あはれと見たてまつりたまふ。
    774 
     775 からうして思し立ちて渡りたまひしかば、ふともえ帰りたまはで、二、三日おはするほど、「いかに、いかに」とうしろめたく思さるれば、御文をのみ書き尽くしたまふ。
    775 
     776 「いつの間に積もる御言の葉にかあらむ。いでや、やすからぬ世をも見るかな」
    776 
     777 と、若君の御過ちを知らぬ人は言ふ。侍従ぞ、かかるにつけても胸うち騷ぎける。
    777 
     778 かの人も、かく渡りたまへりと聞くに、おはけなく心誤りして、いみじきことどもを書き続けて、おこせたまへり。対にあからさまに渡りたまへるほどに、人間なりければ、忍びて見せたてまつる。
    778 
     779 「むつかしきもの見するこそ、いと心憂けれ。心地のいとど悪しきに」
    779 
     780 とて臥したまへれば、
    780 
     781 「なほ、ただ、この端書きの、いとほしげにはべるぞや」
    781 
     782 とて広げたれば、人の参るに、いと苦しくて、御几帳引き寄せて去りぬ。
    782 
     783 いとど胸つぶるるに、院入りたまへば、えよくも隠したまはで、御茵の下にさし挟みたまひつ。
    783 
     784

    784 
     785 [第四段 源氏、女三の宮と和歌を唱和す]
    785 
     786 夜さりつ方、二条の院へ渡りたまはむとて、御暇聞こえたまふ。
    786 
     787 「ここには、けしうはあらず見えたまふを、まだいとただよはしげなりしを、見捨てたるやうに思はるるも、今さらにいとほしくてなむ。ひがひがしく聞こえなす人ありとも、ゆめ心置きたまふな。今見直したまひてむ」
    787 
     788 と語ひたまふ。例は、なまいはけなき戯れ言なども、うちとけ聞こえたまふを、いたくしめりて、さやかにも見合はせたてまつりたまはぬを、ただ世の恨めしき御けしきと心得たまふ。
    788 
     789 昼の御座にうち臥したまひて、御物語など聞こえたまふほどに暮れにけり。すこし大殿籠もり入りにけるに、ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろきたまひて、
    789 
     790 「さらば、道たどたどしからぬほどに」
    790 
     791 とて、御衣などたてまつり直す。
    791 
     792 「月待ちて、とも言ふなるものを」
    792 
     793 と、いと若やかなるさましてのたまふは、憎からずかし。「その間にも、とや思す」と、心苦しげに思して、立ち止まりたまふ。
    793 
     794 「夕露に袖濡らせとやひぐらしの
    794 
     795  鳴くを聞く聞く起きて行くらむ」
    795 
     796 片なりなる御心にまかせて言ひ出でたまへるもらうたければ、ついゐて、
    796 
     797 「あな、苦しや」
    797 
     798 と、うち嘆きたまふ。
    798 
     799 「待つ里もいかが聞くらむ方がたに
    799 
     800  心騒がすひぐらしの声」
    800 
     801 など思しやすらひて、なほ情けなからむも心苦しければ、止まりたまひぬ。静心なく、さすがに眺められたまひて、御くだものばかり参りなどして、大殿籠もりぬ。
    801 
     802

    802 
     803 [第五段 源氏、柏木の手紙を発見]
    803 
     804 まだ朝涼みのほどに渡りたまはむとて、とく起きたまふ。
    804 
     805 「昨夜のかはほりを落として、これは風ぬるくこそありけれ」
    805 
     806 とて、御扇置きたまひて、昨日うたた寝したまへりし御座のあたりを、立ち止まりて見たまふに、御茵のすこしまよひたるつまより、浅緑の薄様なる文の、押し巻きたる端見ゆるを、何心もなく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。紙の香などいと艶に、ことさらめきたる書きざまなり。二重ねにこまごまと書きたるを見たまふに、「紛るべき方なく、その人の手なりけり」と見たまひつ。
    806 
     807 御鏡など開けて参らする人は、見たまふ文にこそはと、心も知らぬに、小侍従見つけて、昨日の文の色と見るに、いといみじく、胸つぶつぶと鳴る心地す。御粥など参る方に目も見やらず、
    807 
     808 「いで、さりとも、それにはあらじ。いといみじく、さることはありなむや。隠いたまひてけむ」
    808 
     809 と思ひなす。
    809 
     810 宮は、何心もなく、まだ大殿籠もれり。
    810 
     811 「あな、いはけな。かかる物を散らしたまひて。我ならぬ人も見つけたらましかば」
    811 
     812 と思すも、心劣りして、
    812 
     813 「さればよ。いとむげに心にくきところなき御ありさまを、うしろめたしとは見るかし」
    813 
     814 と思す。
    814 
     815

    815 
     816 [第六段 小侍従、女三の宮を責める]
    816 
     817 出でたまひぬれば、人びとすこしあかれぬるに、侍従寄りて、
    817 
     818 「昨日の物は、いかがせさせたまひてし。今朝、院の御覧じつる文の色こそ、似てはべりつれ」
    818 
     819 と聞こゆれば、あさましと思して、涙のただ出で来に出で来れば、いとほしきものから、「いふかひなの御さまや」と見たてまつる。
    819 
     820 「いづくにかは、置かせたまひてし。人びとの参りしに、ことあり顔に近くさぶらはじと、さばかりの忌みをだに、心の鬼に避りはべしを。入らせたまひしほどは、すこしほど経はべりにしを、隠させたまひつらむとなむ、思うたまへし」
    820 
     821 と聞こゆれば、
    821 
     822 「いさ、とよ。見しほどに入りたまひしかば、ふともえ置きあへで、さし挟みしを、忘れにけり」
    822 
     823 とのたまふに、いと聞こえむかたなし。寄りて見れば、いづくのかはあらむ。
    823 
     824 「あな、いみじ。かの君も、いといたく懼ぢ憚りて、けしきにても漏り聞かせたまふことあらばと、かしこまりきこえたまひしものを。ほどだに経ず、かかることの出でまうで来るよ。すべて、いはけなき御ありさまにて、人にも見えさせたまひければ、年ごろさばかり忘れがたく、恨み言ひわたりたまひしかど、かくまで思うたまへし御ことかは。誰が御ためにも、いとほしくはべるべきこと」
    824 
     825 と、憚りもなく聞こゆ。心やすく若くおはすれば、馴れきこえたるなめり。いらへもしたまはで、ただ泣きにのみぞ泣きたまふ。いと悩ましげにて、つゆばかりの物もきこしめさねば、
    825 
     826 「かく悩ましくせさせたまふを、見おきたてまつりたまひて、今はおこたり果てたまひにたる御扱ひに、心を入れたまへること」
    826 
     827 と、つらく思ひ言ふ。
    827 
     828

    828 
     829 [第七段 源氏、手紙を読み返す]
    829 
     830 大殿は、この文のなほあやしく思さるれば、人見ぬ方にて、うち返しつつ見たまふ。「さぶらふ人びとの中に、かの中納言の手に似たる手して書きたるか」とまで思し寄れど、言葉づかひきらきらと、まがふべくもあらぬことどもあり。
    830 
     831 「年を経て思ひわたりけることの、たまさかに本意かなひて、心やすからぬ筋を書き尽くしたる言葉、いと見所ありてあはれなれど、いとかくさやかには書くべしや。あたら人の、文をこそ思ひやりなく書きけれ。落ち散ることもこそと思ひしかば、昔、かやうにこまかなるべき折ふしにも、ことそぎつつこそ書き紛らはししか。人の深き用意は難きわざなりけり」
    831 
     832 と、かの人の心をさへ見落としたまひつ。
    832 
     833

    833 
     834 [第八段 源氏、妻の密通を思う]
    834 
     835 「さても、この人をばいかがもてなしきこゆべき。めづらしきさまの御心地も、かかることの紛れにてなりけり。いで、あな、心憂や。かく、人伝てならず憂きことを知るしる、ありしながら見たてまつらむよ」
    835 
     836 と、わが御心ながらも、え思ひ直すまじくおぼゆるを、
    836 
     837 「なほざりのすさびと、初めより心をとどめぬ人だに、また異ざまの心分くらむと思ふは、心づきなく思ひ隔てらるるを、ましてこれは、さま異に、おほけなき人の心にもありけるかな。
    837 
     838 帝の御妻をも過つたぐひ、昔もありけれど、それはまたいふ方異なり。宮仕へといひて、我も人も同じ君に馴れ仕うまつるほどに、おのづから、さるべき方につけても、心を交はしそめ、もののまぎれ多かりぬべきわざなり。
    838 
     839 女御、更衣といへど、とある筋かかる方につけて、かたほなる人もあり、心ばせかならず重からぬうち混じりて、思はずなることもあれど、おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは、さても交じらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし。
    839 
     840 かくばかり、またなきさまにもてなしきこえて、うちうちの心ざし引く方よりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかることは、さらにたぐひあらじ」
    840 
     841 と、爪弾きせられたまふ。
    841 
     842 「帝と聞こゆれど、ただ素直に、公ざまの心ばへばかりにて、宮仕へのほどもものすさまじきに、心ざし深き私のねぎ言になびき、おのがじしあはれを尽くし、見過ぐしがたき折のいらへをも言ひそめ、自然に心通ひそむらむ仲らひは、同じけしからぬ筋なれど、寄る方ありや。わが身ながらも、さばかりの人に心分けたまふべくはおぼえぬものを」
    842 
     843 と、いと心づきなけれど、また「けしきに出だすべきことにもあらず」など、思し乱るるにつけて、
    843 
     844 「故院の上も、かく御心には知ろし召してや、知らず顔を作らせたまひけむ。思へば、その世のことこそは、いと恐ろしく、あるまじき過ちなりけれ」
    844 
     845 と、近き例を思すにぞ、恋の山路は、えもどくまじき御心まじりける。
    845 
     846

    846 
     847 

    第十章 光る源氏の物語 密通露見後

    847 
     848 [第一段 紫の上、女三の宮を気づかう]
    848 
     849 つれなしづくりたまへど、もの思し乱るるさまのしるければ、女君、消え残りたるいとほしみに渡りたまひて、「人やりならず、心苦しう思ひやりきこえたまふにや」と思して、
    849 
     850 「心地はよろしくなりにてはべるを、かの宮の悩ましげにおはすらむに、とく渡りたまひにしこそ、いとほしけれ」
    850 
     851 と聞こえたまへば、
    851 
     852 「さかし。例ならず見えたまひしかど、異なる心地にもおはせねば、おのづから心のどかに思ひてなむ。内裏よりは、たびたび御使ありけり。今日も御文ありつとか。院の、いとやむごとなく聞こえつけたまへれば、上もかく思したるなるべし。すこしおろかになどもあらむは、こなたかなた思さむことの、いとほしきぞや」
    852 
     853 とて、うめきたまへば、
    853 
     854 「内裏の聞こし召さむよりも、みづから恨めしと思ひきこえたまはむこそ、心苦しからめ。我は思し咎めずとも、よからぬさまに聞こえなす人びと、かならずあらむと思へば、いと苦しくなむ」
    854 
     855 などのたまへば、
    855 
     856 「げに、あながちに思ふ人のためには、わづらはしきよすがなけれど、よろづにたどり深きこと、とやかくやと、おほよそ人の思はむ心さへ思ひめぐらさるるを、これはただ、国王の御心やおきたまはむとばかりを憚らむは、浅き心地ぞしける」
    856 
     857 と、ほほ笑みてのたまひ紛らはす。渡りたまはむことは、
    857 
     858 「もろともに帰りてを。心のどかにあらむ」
    858 
     859 とのみ聞こえたまふを、
    859 
     860 「ここには、しばし心やすくてはべらむ。まづ渡りたまひて、人の御心も慰みなむほどにを」
    860 
     861 と、聞こえ交はしたまふほどに、日ごろ経ぬ。
    861 
     862

    862 
     863 [第二段 柏木と女三の宮、密通露見におののく]
    863 
     864 姫宮は、かく渡りたまはぬ日ごろの経るも、人の御つらさにのみ思すを、今は、「わが御おこたりうち混ぜてかくなりぬる」と思すに、院も聞こし召しつけて、いかに思し召さむと、世の中つつましくなむ。
    864 
     865 かの人も、いみじげにのみ言ひわたれども、小侍従もわづらはしく思ひ嘆きて、「かかることなむ、ありし」と告げてければ、いとあさましく、
    865 
     866 「いつのほどにさること出で来けむ。かかることは、あり経れば、おのづからけしきにても漏り出づるやうもや」
    866 
     867 と思ひしだに、いとつつましく、空に目つきたるやうにおぼえしを、「ましてさばかり違ふべくもあらざりしことどもを見たまひてけむ」、恥づかしく、かたじけなく、かたはらいたきに、朝夕、涼みもなきころなれど、身もしむる心地して、いはむかたなくおぼゆ。
    867 
     868 「年ごろ、まめごとにもあだことにも、召しまつはし参り馴れつるものを。人よりはこまかに思しとどめたる御けしきの、あはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに心おかれたてまつりては、いかでかは目をも見合はせたてまつらむ。さりとて、かき絶えほのめき参らざらむも、人目あやしく、かの御心にも思し合はせむことのいみじさ」
    868 
     869 など、やすからず思ふに、心地もいと悩ましくて、内裏へも参らず。さして重き罪には当たるべきならねど、身のいたづらになりぬる心地すれば、「さればよ」と、かつはわが心も、いとつらくおぼゆ。
    869 
     870 「いでや、しづやかに心にくきけはひ見えたまはぬわたりぞや。まづは、かの御簾のはさまも、さるべきことかは。軽々しと、大将の思ひたまへるけしき見えきかし」
    870 
     871 など、今ぞ思ひ合はする。しひてこのことを思ひさまさむと思ふ方にて、あながちに難つけたてまつらまほしきにやあらむ。
    871 
     872

    872 
     873 [第三段 源氏、女三の宮の幼さを非難]
    873 
     874 「良きやうとても、あまりひたおもむきにおほどかにあてなる人は、世のありさまも知らず、かつ、さぶらふ人に心おきたまふこともなくて、かくいとほしき御身のためも、人のためも、いみじきことにもあるかな」
    874 
     875 と、かの御ことの心苦しさも、え思ひ放たれたまはず。
    875 
     876 宮は、いとらうたげにて悩みわたりたまふさまの、なほいと心苦しく、かく思ひ放ちたまふにつけては、あやにくに、憂きに紛れぬ恋しさの苦しく思さるれば、渡りたまひて、見たてまつりたまふにつけても、胸いたくいとほしく思さる。
    876 
     877 御祈りなど、さまざまにせさせたまふ。おほかたのことは、ありしに変らず、なかなか労しくやむごとなくもてなしきこゆるさまをましたまふ。気近くうち語らひきこえたまふさまは、いとこよなく御心隔たりて、かたはらいたければ、人目ばかりをめやすくもてなして、思しのみ乱るるに、この御心のうちしもぞ苦しかりける。
    877 
     878 さること見きとも表はしきこえたまはぬに、みづからいとわりなく思したるさまも、心幼し。
    878 
     879 「いとかくおはするけぞかし。良きやうといひながら、あまり心もとなく後れたる、頼もしげなきわざなり」
    879 
     880 と思すに、世の中なべてうしろめたく、
    880 
     881 「女御の、あまりやはらかにおびれたまへるこそ、かやうに心かけきこえむ人は、まして心乱れなむかし。女は、かうはるけどころなくなよびたるを、人もあなづらはしきにや、さるまじきに、ふと目とまり、心強からぬ過ちはし出づるなりけり」
    881 
     882 と思す。
    882 
     883

    883 
     884 [第四段 源氏、玉鬘の賢さを思う]
    884 
     885 「右の大臣の北の方の、取り立てたる後見もなく、幼くより、ものはかなき世にさすらふるやうにて、生ひ出でたまひけれど、かどかどしく労ありて、我もおほかたには親めきしかど、憎き心の添はぬにしもあらざりしを、なだらかにつれなくもてなして過ぐし、この大臣の、さる無心の女房に心合はせて入り来たりけむにも、けざやかにもて離れたるさまを、人にも見え知られ、ことさらに許されたるありさまにしなして、わが心と罪あるにはなさずなりにしなど、今思へば、いかにかどあることなりけり。
    885 
     886 契り深き仲なりければ、長くかくて保たむことは、とてもかくても、同じごとあらましものから、心もてありしこととも、世人も思ひ出でば、すこし軽々しき思ひ加はりなまし、いといたくもてなしてしわざなり」と思し出づ。
    886 
     887

    887 
     888 [第五段 朧月夜、出家す]
    888 
     889 二条の尚侍の君をば、なほ絶えず、思ひ出できこえたまへど、かくうしろめたき筋のこと、憂きものに思し知りて、かの御心弱さも、少し軽く思ひなされたまひけり。
    889 
     890 つひに御本意のことしたまひてけりと聞きたまひては、いとあはれに口惜しく、御心動きて、まづ訪らひきこえたまふ。今なむとだににほはしたまはざりけるつらさを、浅からず聞こえたまふ。
    890 
     891 「海人の世をよそに聞かめや須磨の浦に
    891 
     892  藻塩垂れしも誰れならなくに
    892 
     893 さまざまなる世の定めなさを心に思ひつめて、今まで後れきこえぬる口惜しさを、思し捨てつとも、避りがたき御回向のうちには、まづこそはと、あはれになむ」
    893 
     894 など、多く聞こえたまへり。
    894 
     895 とく思し立ちにしことなれど、この御妨げにかかづらひて、人にはしか表はしたまはぬことなれど、心のうちあはれに、昔よりつらき御契りを、さすがに浅くしも思し知られぬなど、かたがたに思し出でらる。
    895 
     896 御返り、今はかくしも通ふまじき御文のとぢめと思せば、あはれにて、心とどめて書きたまふ、墨つきなど、いとをかし。
    896 
     897 「常なき世とは身一つにのみ知りはべりにしを、後れぬとのたまはせたるになむ、げに、
    897 
     898  海人舟にいかがは思ひおくれけむ
    898 
     899  明石の浦にいさりせし君
    899 
     900 回向には、あまねきかどにても、いかがは」
    900 
     901 とあり。濃き青鈍の紙にて、樒にさしたまへる、例のことなれど、いたく過ぐしたる筆つかひ、なほ古りがたくをかしげなり。
    901 
     902

    902 
     903 [第六段 源氏、朧月夜と朝顔を語る]
    903 
     904 二条院におはしますほどにて、女君にも、今はむげに絶えぬることにて、見せたてまつりたまふ。
    904 
     905 「いといたくこそ恥づかしめられたれ。げに、心づきなしや。さまざま心細き世の中のありさまを、よく見過ぐしつるやうなるよ。なべての世のことにても、はかなくものを言ひ交はし、時々によせて、あはれをも知り、ゆゑをも過ぐさず、よそながらの睦び交はしつべき人は、斎院とこの君とこそは残りありつるを、かくみな背き果てて、斎院はた、いみじうつとめて、紛れなく行なひにしみたまひにたなり。
    905 
     906 なほ、ここらの人のありさまを聞き見る中に、深く思ふさまに、さずがになつかしきことの、かの人の御なずらひにだにもあらざりけるかな。女子を生ほし立てむことよ、いと難かるべきわざなりけり。
    906 
     907 宿世などいふらむものは、目に見えぬわざにて、親の心に任せがたし。生ひ立たむほどの心づかひは、なほ力入るべかめり。よくこそ、あまたかたがたに心を乱るまじき契りなりけれ。年深くいらざりしほどは、さうざうしのわざや、さまざまに見ましかばとなむ、嘆かしきをりをりありし。
    907 
     908 若宮を、心して生ほし立てたてまつりたまへ。女御は、ものの心を深く知りたまふほどならで、かく暇なき交らひをしたまへば、何事も心もとなき方にぞものしたまふらむ。御子たちなむ、なほ飽く限り人に点つかるまじくて、世をのどかに過ぐしたまはむに、うしろめたかるまじき心ばせ、つけまほしきわざなりける。限りありて、とざままうざまの後見まうくるただ人は、おのづからそれにも助けられぬるを」
    908 
     909 など聞こえたまへば、
    909 
     910 「はかばかしきさまの御後見ならずとも、世にながらへむ限りは、見たてまつらぬやうあらじと思ふを、いかならむ」
    910 
     911 とて、なほものを心細げにて、かく心にまかせて、行なひをもとどこほりなくしたまふ人々を、うらやましく思ひきこえたまへり。
    911 
     912 「尚侍の君に、さま変はりたまへらむ装束など、まだ裁ち馴れぬほどは訪らふべきを、袈裟などはいかに縫ふものぞ。それせさせたまへ。一領は、六条の東の君にものしつけむ。うるはしき法服だちては、うたて見目もけうとかるべし。さすがに、その心ばへ見せてを」
    912 
     913 など聞こえたまふ。
    913 
     914 青鈍の一領を、ここにはせさせたまふ。作物所の人召して、忍びて、尼の御具どものさるべきはじめのたまはす。御茵、上席、屏風、几帳などのことも、いと忍びて、わざとがましくいそがせたまひけり。
    914 
     915

    915 
     916 

    第十一章 朱雀院の物語 五十賀の延引

    916 
     917 [第一段 女二の宮、院の五十の賀を祝う]
    917 
     918 かくて、山の帝の御賀も延びて、秋とありしを、八月は大将の御忌月にて、楽所のこと行なひたまはむに、便なかるべし。九月は、院の大后の崩れたまひにし月なれば、十月にと思しまうくるを、姫宮いたく悩みたまへば、また延びぬ。
    918 
     919 衛門督の御預かりの宮なむ、その月には参りたまひける。太政大臣居立ちて、いかめしくこまかに、もののきよら、儀式を尽くしたまへりけり。督の君も、そのついでにぞ、思ひ起こして出でたまひける。なほ、悩ましく、例ならず病づきてのみ過ぐしたまふ。
    919 
     920 宮も、うちはへてものをつつましく、いとほしとのみ思し嘆くけにやあらむ、月多く重なりたまふままに、いと苦しげにおはしませば、院は、心憂しと思ひきこえたまふ方こそあれ、いとらうたげにあえかなるさまして、かく悩みわたりたまふを、いかにおはせむと嘆かしくて、さまざまに思し嘆く。御祈りなど、今年は紛れ多くて過ぐしたまふ。
    920 
     921

    921 
     922 [第二段 朱雀院、女三の宮へ手紙]
    922 
     923 御山にも聞こし召して、らうたく恋しと思ひきこえたまふ。月ごろかくほかほかにて、渡りたまふこともをさをさなきやうに、人の奏しければ、いかなるにかと御胸つぶれて、世の中も今さらに恨めしく思して、
    923 
     924 「対の方のわづらひけるころは、なほその扱ひにと聞こし召してだに、なまやすからざりしを、そののち、直りがたくものしたまふらむは、そのころほひ、便なきことや出で来たりけむ。みづから知りたまふことならねど、良からぬ御後見どもの心にて、いかなることかありけむ。内裏わたりなどの、みやびを交はすべき仲らひなどにも、けしからず憂きこと言ひ出づるたぐひも聞こゆかし」
    924 
     925 とさへ思し寄るも、こまやかなること思し捨ててし世なれど、なほ子の道は離れがたくて、宮に御文こまやかにてありけるを、大殿、おはしますほどにて、見たまふ。
    925 
     926 「そのこととなくて、しばしばも聞こえぬほどに、おぼつかなくてのみ年月の過ぐるなむ、あはれなりける。悩みたまふなるさまは、詳しく聞きしのち、念誦のついでにも思ひやらるるは、いかが。世の中寂しく思はずなることありとも、忍び過ぐしたまへ。恨めしげなるけしきなど、おぼろけにて、見知り顔にほのめかす、いと品おくれたるわざになむ」
    926 
     927 など、教へきこえたまへり。
    927 
     928 いといとほしく心苦しく、「かかるうちうちのあさましきをば、聞こし召すべきにはあらで、わがおこたりに、本意なくのみ聞き思すらむことを」とばかり思し続けて、
    928 
     929 「この御返りをば、いかが聞こえたまふ。心苦しき御消息に、まろこそいと苦しけれ。思はずに思ひきこゆることありとも、おろかに、人の見咎むばかりはあらじとこそ思ひはべれ。誰が聞こえたるにかあらむ」
    929 
     930 とのたまふに、恥ぢらひて背きたまへる御姿も、いとらうたげなり。いたく面痩せて、もの思ひ屈したまへる、いとどあてにをかし。
    930 
     931

    931 
     932 [第三段 源氏、女三の宮を諭す]
    932 
     933 「いと幼き御心ばへを見おきたまひて、いたくはうしろめたがりきこえたまふなりけりと、思ひあはせたてまつれば、今より後もよろづになむ。かうまでもいかで聞こえじと思へど、上の、御心に背くと聞こし召すらむことの、やすからず、いぶせきを、ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ。
    933 
     934 いたり少なく、ただ、人の聞こえなす方にのみ寄るべかめる御心には、ただおろかに浅きとのみ思し、また、今はこよなくさだ過ぎにたるありさまも、あなづらはしく目馴れてのみ見なしたまふらむも、かたがたに口惜しくもうれたくもおぼゆるを、院のおはしまさむほどは、なほ心収めて、かの思しおきてたるやうありけむ、さだ過ぎ人をも、同じくなずらへきこえて、いたくな軽めたまひそ。
    934 
     935 いにしへより本意深き道にも、たどり薄かるべき女方にだに、皆思ひ後れつつ、いとぬるきこと多かるを、みづからの心には、何ばかり思しまよふべきにはあらねど、今はと捨てたまひけむ世の後見に譲りおきたまへる御心ばへの、あはれにうれしかりしを、ひき続き争ひきこゆるやうにて、同じさまに見捨てたてまつらむことの、あへなく思されむにつつみてなむ。
    935 
     936 心苦しと思ひし人びとも、今はかけとどめらるるほだしばかりなるもはべらず。女御も、かくて、行く末は知りがたけれど、御子たち数添ひたまふめれば、みづからの世だにのどけくはと見おきつべし。その他は、誰も誰も、あらむに従ひて、もろともに身を捨てむも、惜しかるまじき齢どもになりにたるを、やうやうすずしく思ひはべる。
    936 
     937 院の御世の残り久しくもおはせじ。いと篤しくいとどなりまさりたまひて、もの心細げにのみ思したるに、今さらに思はずなる御名の漏り聞こえて、御心乱りたまふな。この世はいとやすし。ことにもあらず。後の世の御道の妨げならむも、罪いと恐ろしからむ」
    937 
     938 など、まほにそのこととは明かしたまはねど、つくづくと聞こえ続けたまふに、涙のみ落ちつつ、我にもあらず思ひしみておはすれば、我もうち泣きたまひて、
    938 
     939 「人の上にても、もどかしく聞き思ひし古人のさかしらよ。身に代はることにこそ。いかにうたての翁やと、むつかしくうるさき御心添ふらむ」
    939 
     940 と、恥ぢたまひつつ、御硯引き寄せたまひて、手づから押し擦り、紙取りまかなひ、書かせたてまつりたまへど、御手もわななきて、え書きたまはず。
    940 
     941 「かのこまかなりし返事は、いとかくしもつつまず通はしたまふらむかし」と思しやるに、いと憎ければ、よろづのあはれも冷めぬべけれど、言葉など教へて書かせたてまつりたまふ。
    941 
     942

    942 
     943 [第四段 朱雀院の御賀、十二月に延引]
    943 
     944 参りたまはむことは、この月かくて過ぎぬ。二の宮の御勢ひ殊にて参りたまひけるを、古めかしき御身ざまにて、立ち並び顔ならむも、憚りある心地しけり。
    944 
     945 「霜月はみづからの忌月なり。年の終りはた、いともの騒がし。また、いとどこの御姿も見苦しく、待ち見たまはむをと思ひはべれど、さりとて、さのみ延ぶべきことにやは。むつかしくもの思し乱れず、あきらかにもてなしたまひて、このいたく面痩せたまへる、つくろひたまへ」
    945 
     946 など、いとらうたしと、さすがに見たてまつりたまふ。
    946 
     947 衛門督をば、何ざまのことにも、ゆゑあるべきをりふしには、かならずことさらにまつはしたまひつつ、のたまはせ合はせしを、絶えてさる御消息もなし。人あやしと思ふらむと思せど、「見むにつけても、いとどほれぼれしきかた恥づかしく、見むにはまたわが心もただならずや」と思し返されつつ、やがて月ごろ参りたまはぬをも咎めなし。
    947 
     948 おほかたの人は、なほ例ならず悩みわたりて、院にはた、御遊びなどなき年なれば、とのみ思ひわたるを、大将の君ぞ、「あるやうあることなるべし。好色者は、さだめてわがけしきとりしことには、忍ばぬにやありけむ」と思ひ寄れど、いとかく定かに残りなきさまならむとは、思ひ寄りたまはざりけり。
    948 
     949

    949 
     950 [第五段 源氏、柏木を六条院に召す]
    950 
     951 十二月になりにけり。十余日と定めて、舞ども習らし、殿のうちゆすりてののしる。二条の院の上は、まだ渡りたまはざりけるを、この試楽によりてぞ、えしづめ果てで渡りたまへる。女御の君も里におはします。このたびの御子は、また男にてなむおはしましける。すぎすぎいとをかしげにておはするを、明け暮れもて遊びたてまつりたまふになむ、過ぐる齢のしるし、うれしく思されける。試楽に、右大臣殿の北の方も渡りたまへり。
    951 
     952 大将の君、丑寅の町にて、まづうちうちに調楽のやうに、明け暮れ遊び習らしたまひければ、かの御方は、御前の物は見たまはず。
    952 
     953 衛門督を、かかることの折も交じらはせざらむは、いと栄なく、さうざうしかるべきうちに、人あやしと傾きぬべきことなれば、参りたまふべきよしありけるを、重くわづらふよし申して参らず。
    953 
     954 さるは、そこはかと苦しげなる病にもあらざなるを、思ふ心のあるにやと、心苦しく思して、取り分きて御消息つかはす。父大臣も、
    954 
     955 「などか返さひ申されける。ひがひがしきやうに、院にも聞こし召さむを、おどろおどろしき病にもあらず、助けて参りたまへ」
    955 
     956 とそそのかしたまふに、かく重ねてのたまへれば、苦しと思ふ思ふ参りぬ。
    956 
     957

    957 
     958 [第六段 源氏、柏木と対面す]
    958 
     959 まだ上達部なども集ひたまはぬほどなりけり。例の気近き御簾の内に入れたまひて、母屋の御簾下ろしておはします。げに、いといたく痩せ痩せに青みて、例も誇りかにはなやぎたる方は、弟の君たちにはもて消たれて、いと用意あり顔にしづめたるさまぞことなるを、いとどしづめてさぶらひたまふさま、「などかは皇女たちの御かたはらにさし並べたらむに、さらに咎あるまじきを、ただことのさまの、誰も誰もいと思ひやりなきこそ、いと罪許しがたけれ」など、御目とまれど、さりげなく、いとなつかしく、
    959 
     960 「そのこととなくて、対面もいと久しくなりにけり。月ごろは、いろいろの病者を見あつかひ、心の暇なきほどに、院の御賀のため、ここにものしたまふ皇女の、法事仕うまつりたまふべくありしを、次々とどこほることしげくて、かく年もせめつれば、え思ひのごとくしあへで、型のごとくなむ、斎の御鉢参るべきを、御賀などいへば、ことことしきやうなれど、家に生ひ出づる童べの数多くなりにけるを御覧ぜさせむとて、舞など習はしはじめし、そのことをだに果たさむとて。拍子調へむこと、また誰にかはと思ひめぐらしかねてなむ、月ごろ訪ぶらひものしたまはぬ恨みも捨ててける」
    960 
     961 とのたまふ御けしきの、うらなきやうなるものから、いといと恥づかしきに、顔の色違ふらむとおぼえて、御いらへもとみに聞こえず。
    961 
     962

    962 
     963 [第七段 柏木と御賀について打ち合わせる]
    963 
     964 「月ごろ、かたがたに思し悩む御こと、承り嘆きはべりながら、春のころほひより、例も患ひはべる乱り脚病といふもの、所狭く起こり患ひはべりて、はかばかしく踏み立つることもはべらず、月ごろに添へて沈みはべりてなむ、内裏などにも参らず、世の中跡絶えたるやうにて籠もりはべる。
    964 
     965 院の御齢足りたまふ年なり、人よりさだかに数へたてまつり仕うまつるべきよし、致仕の大臣思ひ及び申されしを、『冠を掛け、車を惜しまず捨ててし身にて、進み仕うまつらむに、つくところなし。げに、下臈なりとも、同じごと深きところはべらむ。その心御覧ぜられよ』と、催し申さるることのはべしかば、重き病を相助けてなむ、参りてはべし。
    965 
     966 今は、いよいよいとかすかなるさまに思し澄まして、いかめしき御よそひを待ちうけたてまつりたまはむこと、願はしくも思すまじく見たてまつりはべしを、事どもをば削がせたまひて、静かなる御物語の深き御願ひ叶はせたまはむなむ、まさりてはべるべき」
    966 
     967 と申したまへば、いかめしく聞きし御賀の事を、女二の宮の御方ざまには言ひなさぬも、労ありと思す。
    967 
     968 「ただかくなむ。こと削ぎたるさまに世人は浅く見るべきを、さはいへど、心得てものせらるるに、さればよとなむ、いとど思ひなられはべる。大将は、公方は、やうやう大人ぶめれど、かうやうに情けびたる方は、もとよりしまぬにやあらむ。
    968 
     969 かの院、何事も心及びたまはぬことは、をさをさなきうちにも、楽の方のことは御心とどめて、いとかしこく知り調へたまへるを、さこそ思し捨てたるやうなれ、静かに聞こしめし澄まさむこと、今しもなむ心づかひせらるべき。かの大将ともろともに見入れて、舞の童べの用意、心ばへ、よく加へたまへ。物の師などいふものは、ただわが立てたることこそあれ、いと口惜しきものなり」
    969 
     970 など、いとなつかしくのたまひつくるを、うれしきものから、苦しくつつましくて、言少なにて、この御前をとく立ちなむと思へば、例のやうにこまやかにもあらで、やうやうすべり出でぬ。
    970 
     971 東の御殿にて、大将のつくろひ出だしたまふ楽人、舞人の装束のことなど、またまた行なひ加へたまふ。あるべき限りいみじく尽くしたまへるに、いとど詳しき心しらひ添ふも、げにこの道は、いと深き人にぞものしたまふめる。
    971 
     972

    972 
     973 

    第十二章 柏木の物語 源氏から睨まれる

    973 
     974 [第一段 御賀の試楽の当日]
    974 
     975 今日は、かかる試みの日なれど、御方々物見たまはむに、見所なくはあらせじとて、かの御賀の日は、赤き白橡に、葡萄染の下襲を着るべし、今日は、青色に蘇芳襲、楽人三十人、今日は白襲を着たる、辰巳の方の釣殿に続きたる廊を楽所にて、山の南の側より御前に出づるほど、「仙遊霞」といふもの遊びて、雪のただいささか散るに、春のとなり近く、梅のけしき見るかひありてほほ笑みたり。
    975 
     976 廂の御簾の内におはしませば、式部卿宮、右大臣ばかりさぶらひたまひて、それより下の上達部は簀子に、わざとならぬ日のことにて、御饗応など、気近きほどに仕うまつりなしたり。
    976 
     977 右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿宮の孫王の君たち二人は、「万歳楽」。まだいと小さきほどにて、いとろうたげなり。四人ながら、いづれとなく高き家の子にて、容貌をかしげにかしづき出でたる、思ひなしも、やむごとなし。
    977 
     978 また、大将の典侍腹の二郎君、式部卿宮の兵衛督といひし、今は源中納言の御子、「皇じやう」。右の大殿の三郎君、「陵王」。大将殿の太郎、「落蹲」。さては「太平楽」、「喜春楽」などいふ舞どもをなむ、同じ御仲らひの君たち、大人たちなど舞ひける。
    978 
     979 暮れゆけば、御簾上げさせたまひて、物の興まさるに、いとうつくしき御孫の君たちの容貌、姿にて、舞のさまも、世に見えぬ手を尽くして、御師どもも、おのおの手の限りを教へきこえけるに、深きかどかどしさを加へて、珍らかに舞ひたまふを、いづれをもいとらうたしと思す。老いたまへる上達部たちは、皆涙落としたまふ。式部卿宮も、御孫を思して、御鼻の色づくまでしほたれたまふ。
    979 
     980

    980 
     981 [第二段 源氏、柏木に皮肉を言う]
    981 
     982 主人の院、
    982 
     983 「過ぐる齢に添へては、酔ひ泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門督、心とどめてほほ笑まるる、いと心恥づかしや。さりとも、今しばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老いはえ逃れぬわざなり」
    983 
     984 とて、うち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈じて、まことに心地もいと悩ましければ、いみじきことも目もとまらぬ心地する人をしも、さしわきて、空酔ひをしつつかくのたまふ。戯れのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば、けしきばかりにて紛らはすを、御覧じ咎めて、持たせながらたびたび強ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし。
    984 
     985 心地かき乱りて堪へがたければ、まだことも果てぬにまかでたまひぬるままに、いといたく惑ひて、
    985 
     986 「例の、いとおどろおどろしき酔ひにもあらぬを、いかなればかかるならむ。つつましとものを思ひつるに、気ののぼりぬるにや。いとさいふばかり臆すべき心弱さとはおぼえぬを、言ふかひなくもありけるかな」
    986 
     987 とみづから思ひ知らる。
    987 
     988 しばしの酔ひの惑ひにもあらざりけり。やがていといたくわづらひたまふ。大臣、母北の方思し騷ぎて、よそよそにていとおぼつかなしとて、殿に渡したてまつりたまふを、女宮の思したるさま、またいと心苦し。
    988 
     989

    989 
     990 [第三段 柏木、女二の宮邸を出る]
    990 
     991 ことなくて過ぐす月日は、心のどかにあいな頼みして、いとしもあらぬ御心ざしなれど、今はと別れたてまつるべき門出にやと思ふは、あはれに悲しく、後れて思し嘆かむことのかたじけなきを、いみじと思ふ。母御息所も、いといみじく嘆きたまひて、
    991 
     992 「世のこととして、親をばなほさるものにおきたてまつりて、かかる御仲らひは、とある折もかかる折も、離れたまはぬこそ例のことなれ、かく引き別れて、たひらかにものしたまふまでも過ぐしたまはむが、心尽くしなるべきことを、しばしここにて、かくて試みたまへ」
    992 
     993 と、御かたはらに御几帳ばかりを隔てて見たてまつりたまふ。
    993 
     994 「ことわりや。数ならぬ身にて、及びがたき御仲らひに、なまじひに許されたてまつりて、さぶらふしるしには、長く世にはべりて、かひなき身のほども、すこし人と等しくなるけぢめをもや御覧ぜらるる、とこそ思うたまへつれ、いといみじく、かくさへなりはべれば、深き心ざしをだに御覧じ果てられずやなりはべりなむと思うたまふるになむ、とまりがたき心地にも、え行きやるまじく思ひたまへらるる」
    994 
     995 など、かたみに泣きたまひて、とみにもえ渡りたまはねば、また母北の方、うしろめたく思して、
    995 
     996 「などか、まづ見えむとは思ひたまふまじき。われは、心地もすこし例ならず心細き時は、あまたの中に、まづ取り分きてゆかしくも頼もしくもこそおぼえたまへ。かくいとおぼつかなきこと」
    996 
     997 と恨みきこえたまふも、また、いとことわりなり。
    997 
     998 「人より先なりけるけぢめにや、取り分きて思ひならひたるを、今になほかなしくしたまひて、しばしも見えぬをば苦しきものにしたまへば、心地のかく限りにおぼゆる折しも、見えたてまつらざらむ、罪深く、いぶせかるべし。
    998 
     999 今はと頼みなく聞かせたまはば、いと忍びて渡りたまひて御覧ぜよ。かならずまた対面賜はらむ。あやしくたゆくおろかなる本性にて、ことに触れておろかに思さるることありつらむこそ、悔しくはべれ。かかる命のほどを知らで、行く末長くのみ思ひはべりけること」
    999 
     1000 と、泣く泣く渡りたまひぬ。宮はとまりたまひて、言ふ方なく思しこがれたり。
    1000 
     1001

    1001 
     1002 [第四段 柏木の病、さらに重くなる]
    1002 
     1003 大殿に待ち受けきこえたまひて、よろづに騷ぎたまふ。さるは、たちまちにおどろおどろしき御心地のさまにもあらず、月ごろ物などをさらに参らざりけるに、いとどはかなき柑子などをだに触れたまはず、ただ、やうやうものに引き入るるやうに見えたまふ。
    1003 
     1004 さる時の有職の、かくものしたまへば、世の中惜しみあたらしがりて、御訪らひに参りたまはぬ人なし。内裏よりも院よりも、御訪らひしばしば聞こえつつ、いみじく惜しみ思し召したるにも、いとどしき親たちの御心のみ惑ふ。
    1004 
     1005 六条院にも、「いと口惜しきわざなり」と思しおどろきて、御訪らひにたびたびねむごろに父大臣にも聞こえたまふ。大将は、ましていとよき御仲なれば、気近くものしたまひつつ、いみじく嘆きありきたまふ。
    1005 
     1006 御賀は、二十五日になりにけり。かかる時のやむごとなき上達部の重く患ひたまふに、親、兄弟、あまたの人びと、さる高き御仲らひの嘆きしをれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、次々に滞りつることだにあるを、さて止むまじきことなれば、いかでかは思し止まらむ。女宮の御心のうちをぞ、いとほしく思ひきこえさせたまふ。
    1006 
     1007 例の、五十寺の御誦経、また、かのおはします御寺にも、摩訶毘盧遮那の。
    1007 
     1008

    1008 
     1009 【出典】
    1009 
     1010出典1 いかにしてかく思ふてふことをだに人伝てならで君に語らむ(後撰集恋五-九六一 藤原敦忠)(戻)
    1010 
     1011出典2 今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花の蔭かは(古今集春下-一三四 凡河内躬恒)(戻)
    1011 
     1012出典3 楚有養由基者 善射者也 去柳葉百歩而射之 百発而百中之 左右観者数千人 皆曰 善射(史記-周本紀)(戻)
    1012 
    c11013<A NAME="no4">出典4</A> 逢萌字子康 北海都昌人也 中略 即解冠挂東都城門 帰 将家属浮海 客於遼東(後漢書-逢萌伝)<A HREF="#te4">(戻)</A><BR>1013<A NAME="no4">出典4</A> 逢萌字子康 北海都昌人也 (中略) 即解冠挂東都城門 帰 将家属浮海 客於遼東(後漢書-逢萌伝)<A HREF="#te4">(戻)</A><BR>
     1014出典5 千早振る神の忌垣に這ふ葛も秋にはあへず移ろひにけり(古今集秋下-二六二 紀貫之)(戻)
    1014 
     1015出典6 紅葉せぬ常盤の山は吹く風の音にや秋を聞きわたるらむ(古今集秋下-二五一 紀淑望)下紅葉するをば知らで松の木の上の緑を頼みけるかな(拾遺集恋三-八四四 読人しらず)(戻)
    1015 
     1016出典7 あはれ ちはやぶる 賀茂の社の 姫小松 あはれ 姫小松 よろづ世経とも 色はかは あはれ 色は変はらじ(求子)(戻)
    1016 
     1017出典8 ひもろぎは神の心にうけつらむ比良の高嶺に木綿鬘せり(袋草子-一四〇)(戻)
    1017 
    c11018<A NAME="no9">出典9</A> 本方千歳 千歳 千歳や 千年の 千歳や (末方万歳 万歳 万歳や 万代の 万歳や (本方なほ千歳 (末方なほ万歳(神楽歌-千歳法)<A HREF="#te9">(戻)</A><BR>1018<A NAME="no9">出典9</A> (本方)千歳 千歳 千歳や 千年の 千歳や<BR>(末方)万歳 万歳 万歳や 万代の 万歳や<BR>(本方)なほ千歳<BR>(末方)なほ万歳(神楽歌-千歳法)<A HREF="#te9">(戻)</A><BR>
     1019出典10 秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鶏や鳴くらむ(伊勢物語-四六)(戻)
    1019 
     1020出典11 琴書曰師曠晋之楽官也 上於琴能易寒暑占風雨為(琴書-花鳥余情所引)(戻)
    1020 
     1021出典12 花の香を風の便りにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる(古今集春上-一三 紀友則)(戻)
    1021 
     1022出典13 鴬の羽風になびく青柳の乱れて物を思ふころかな(具平親王集-河海抄所引)(戻)
    1022 
     1023出典14 春女感陽気而思男 秋士感陰気而思女(毛詩-題七月)(戻)
    1023 
    c11024<A NAME="no15">出典15</A> 感天地以致和 **=虫+支行之衆類(文選-五三 琴賦)<A HREF="#te15">(戻)</A><BR>1024<A NAME="no15">出典15</A> 感天地以致和 *(*=虫+支)行之衆類(文選-五三 琴賦)<A HREF="#te15">(戻)</A><BR>
     1025出典16 葛城の 寺の前なるや 豊浦の寺の 西なるや 榎の葉井に 白璧沈くや おおしとど おしとど しかしてば 国ぞ栄えむや 我家らぞ 富せむや おおしとど としとんど おおしとど としとんど(催馬楽-葛城)(戻)
    1025 
     1026出典17 寄る方もありといふなるありそ海の立つ白波も同じ心よ(出典未詳-源氏釈所引)大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを(古今集恋四-七〇七 在原業平)(戻)
    1026 
     1027出典18 人知れぬ我が思ひに逢はぬ間は身にさへぬるみて思ほゆるかな(小町集-四九)(戻)
    1027 
     1028出典19 我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て(古今集雑上-八七八 読人知らず)(戻)
    1028 
     1029出典20 これを見よ人もすさめぬ恋すとて音を泣く虫のなれ姿を(後撰集恋三-七九三 源重光)(戻)
    1029 
     1030出典21 夏虫の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり(古今集恋一-五四四 読人しらず)(戻)
    1030 
     1031出典22 木の間より漏り来る月の影見れば心尽くしの秋は来にけり(古今集秋上-一八四 読人知らず)(戻)
    1031 
     1032出典23 飽かざりし袖の中にや入りにけむ我が魂のなき心地する(古今集雑下-九九二 陸奥)(戻)
    1032 
     1033出典24 むばたまの闇の現はさだかなる夢にいくらもまさらざりけり(古今集恋三-六四七 読人知らず)(戻)
    1033 
     1034出典25 待てといふに散らでし止まる物ならば何を桜に思ひまさまし(古今集春下-七〇 読人しらず)(戻)
    1034 
     1035出典26 残りなく散るぞめでたき桜花ありて世の中果ての憂ければ(古今集春下-七一 読人しらず)散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世に何か久しかるべき(伊勢物語-一四六)(戻)
    1035 
     1036出典27 夕闇は道たどたどし月待ちて帰れ我が背子その間にも見む(古今六帖一-三七一)(戻)
    1036 
     1037出典28 ねぎ事をさのみ聞きけむ社こそ果ては嘆きの杜となるらめ(古今集俳諧-一〇五五 讃岐)(戻)
    1037 
     1038出典29 いかばかり恋てふ山の深ければ入りと入りぬる人惑ふらむ(古今六帖四-一九八〇)(戻)
    1038 
     1039出典30 夏の日も朝夕涼みあるものをなど我が恋のひまなかるらむ(出典未詳-源氏釈所引)(戻)
    1039 
    c11040<A NAME="no31">出典31</A> 逢萌字子康 北海都昌人也 中略 即解冠挂東都城門 帰 将家属浮海 客於遼東(後漢書-逢萌伝)<A HREF="#te31">(戻)</A><BR>1040<A NAME="no31">出典31</A> 逢萌字子康 北海都昌人也 (中略) 即解冠挂東都城門 帰 将家属浮海 客於遼東(後漢書-逢萌伝)<A HREF="#te31">(戻)</A><BR>
     1041出典32 七十老致仕 懸其所仕之車 置諸廟永使子孫監 而則焉立身之終(古文孝経)(戻)
    1041 
     1042出典33 冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける(古今集俳諧-一〇二一 清原深養父)(戻)
    1042 
     1043出典34 匂はねどほほゑむ梅の花をこそ我もをかしと折りてながむれ(好忠集-二六)(戻)
    1043 
     1044出典35 さかさまに年も行かなむとりもあへず過ぐる齢やともに返ると(古今集雑上-八九六 読人知らず)(戻)
    1044 
     1045出典36 かりそめの行き交ひ路とぞ思ひ来し今は限りの門出なりける(古今集哀傷-八六二 在原滋春)(戻)
    1045 
     1046

    1046 
     1047 【校訂】
    1047 
     1048備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
    1048 
     1049校訂1 こそ--*そ(戻)
    1049 
     1050校訂2 削ぎ--そ(そ/+き)(戻)
    1050 
     1051校訂3 御琴--こ(こ/$御)こと(戻)
    1051 
     1052校訂4 何せむに--なにせむ(む/+に)(戻)
    1052 
     1053校訂5 難き--かた(た/+き)(戻)
    1053 
     1054校訂6 思ひ捨つれ--おもひ(ひ/+す)つれ(戻)
    1054 
     1055校訂7 御まうけの--御まうけ(け/+の)(戻)
    1055 
     1056校訂8 なりたまふ--なり(り/+給)(戻)
    1056 
     1057校訂9 御遊び---*あそひ(戻)
    1057 
     1058校訂10 いと--(/+いと)(戻)
    1058 
     1059校訂11 喩へても--たとへて(て/+も)(戻)
    1059 
     1060校訂12 ここに--(/+こゝに)(戻)
    1060 
     1061校訂13 にや--(/+にや)(戻)
    1061 
     1062校訂14 あり--(/+あり)(戻)
    1062 
     1063校訂15 涙ぐみ--な(な/+み)たくみ(戻)
    1063 
     1064校訂16 発刺--*はち(戻)
    1064 
     1065校訂17 御方の--(/+御かたの)(戻)
    1065 
     1066校訂18 ここら--こゝと(と/$ら)(戻)
    1066 
     1067校訂19 聞こえ--き(き/+こ)え(戻)
    1067 
     1068校訂20 日一日--ひゝとひひ(ひ/$<後出>)(戻)
    1068 
     1069校訂21 人ひとりの--人ひとり(り/+の)(戻)
    1069 
     1070校訂22 ゆるべる--ゆ(ゆ/+る)へる(戻)
    1070 
     1071校訂23 ならず--か(か/$な)らす(戻)
    1071 
     1072校訂24 きよらに--きよらぬ(ぬ/$に)(戻)
    1072 
     1073校訂25 さに、え言ひ果てたまはで、「今はよし。過ぎにし--(/+さにえいひはてたまはていまはよしすきにし)(戻)
    1073 
     1074校訂26 心--*ころ(戻)
    1074 
     1075校訂27 聞きにく--きゝにくの(の/$)(戻)
    1075 
     1076校訂28 思ほし--お(お/+も)ほし(戻)
    1076 
     1077校訂29 夕べの--ゆふへ(へ/+の)(戻)
    1077 
     1078校訂30 ならば--なと(と/$ら)は(戻)
    1078 
     1079校訂31 身かな--みかなき(き/$)(戻)
    1079 
     1080校訂32 御ため--*ため(戻)
    1080 
     1081校訂33 御物語の--御もの(の/+かたりの)(戻)
    1081 
     1082校訂34 なむ聞き--(/+なんきゝ)(戻)
    1082 
     1083校訂35 いみじき--いみしくさ(くさ/$き)(戻)
    1083 
     1084校訂36 この--(/+こ)の(戻)
    1084 
     1085校訂37 うちつけに--うちつけ(け/+に)(戻)
    1085 
     1086校訂38 出でたまふ--いてた(た/$)給(戻)
    1086 
     1087校訂39 御ありさま--(/+御)ありさま(戻)
    1087 
     1088校訂40 避り--(/+さ)り(戻)
    1088 
     1089校訂41 置きあへで--をきあから(から/=へ)て(戻)
    1089 
     1090校訂42 かなひ--め(め/$か)なひ(戻)
    1090 
     1091校訂43 さやかには--さやかに(に/+は)(戻)
    1091 
     1092校訂44 ありし--あ(あ/$)ありし(戻)
    1092 
     1093校訂45 とやかくや--ゝやか(か/+く)や(戻)
    1093 
     1094校訂46 かくなりぬる--*なりぬる(戻)
    1094 
     1095校訂47 つけて--け(け/$つ)けて(戻)
    1095 
     1096校訂48 よりは--よか(か/$り)は(戻)
    1096 
     1097校訂49 宮--(/+宮)(戻)
    1097 
     1098校訂50 思ひ--(/+思)(戻)
    1098 
     1099校訂51 など--(/+なと)(戻)
    1099 
     1100校訂52 女方--女(女/+かた)(戻)
    1100 
     1101校訂53 譲り--(/+ゆつり)(戻)
    1101 
     1102校訂54 御名の--御な(な/+の)(戻)
    1102 
     1103校訂55 よりてぞ--より(り/+て)そ(戻)
    1103 
     1104校訂56 そそのかし--そ(そ/+そ)のかし(戻)
    1104 
     1105校訂57 典侍--御(御/$)ないしのすけ(戻)
    1105 
     1106校訂58 月日--*へきひ(戻)
    1106 
     1107校訂59 ことわりなり---ことわり(戻)
    1107 
     1108校訂60 高き--か(か/#)たかき(戻)
    1108 
     1109

    1109 
     1110源氏物語の世界ヘ
    1110 
     1111ローマ字版
    1111 
     1112現代語訳
    1112 
     1113注釈
    1113 
     1114明融臨模本
    1114 
     1115大島本
    1115 
     1116自筆本奥入
    1116 
     11171117 
     1118
    1118 
     11191119 
     11201120