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 3若菜上(明融臨模本)3 
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Last updated 11/15/2001
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 7渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)7 
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若菜上

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 10

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 11光る源氏の准太上天皇時代三十九歳暮から四十一歳三月までの物語
11 
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12 
 13 [主要登場人物]
13 
 14
14 
 15
 光る源氏<ひかるげんじ>
15 
 16
呼称---六条院・六条の大臣・主人の院・大殿・大殿の君、三十九歳四十一歳三月
16 
 17
 朱雀院<すざくいん>
17 
 18
呼称---朱雀院の帝・院の帝・一の院・主人の院・父帝・帝・主上、源氏の兄
18 
 19
 女三の宮<おんなさんのみや>
19 
 20
呼称---三の宮・内親王・姫宮・女宮・宮・姫宮の御方・宮の御方・御方、朱雀院の第三内親王
20 
 21
 柏木<かしわぎ>
21 
 22
呼称---右衛門督・衛門督・衛門督の君・督の君・宰相の君、太政大臣の長男
22 
 23
 夕霧<ゆうぎり>
23 
 24
呼称---中納言・中納言の朝臣・権中納言の朝臣・中納言の君・大将・大将の君、光る源氏の長男
24 
 25
 雲居雁<くもいのかり>
25 
 26
呼称---三条の北の方・北の方・女君、夕霧の北の方
26 
 27
 太政大臣<だじょうだいじん>
27 
 28
呼称---太政大臣・太政大臣君・父大臣・大臣・大殿
28 
 29
 紫の上<むらさきのうえ>
29 
 30
呼称---対の上・北の政所・紫・対・女君・御方、源氏の妻
30 
 31
 花散里<はなちるさと>
31 
 32
呼称---上
32 
 33
 朧月夜の君<おぼろづきよのきみ>
33 
 34
呼称---内侍の尚君・尚侍の君・女君
34 
 35
 秋好中宮<あきこのむちゅうぐう>
35 
 36
呼称---中宮・后の宮・宮
36 
 37
 冷泉帝<れいぜいてい>
37 
 38
呼称---朝廷・帝・内裏
38 
 39
 明石の尼君<あかしのあまぎみ>
39 
 40
呼称---大尼君
40 
 41
 明石御方<あかしのおおんかた>
41 
 42
呼称---明石の御方・祖母君・母君・御方・君
42 
 43
 明石女御<あかしのにょうご>
43 
 44
呼称---桐壺の御方・淑景舎・女御の君・春宮の御方・女御・桐壺・若君・君、源氏の娘
44 
 45
 東宮<とうぐう>
45 
 46
呼称---春宮・宮
46 
 47
 玉鬘<たまかずら>
47 
c148<DD>呼称--尚侍の君・北の方、鬚黒の北の方<BR>48<DD>呼称---尚侍の君・北の方、鬚黒の北の方<BR>
 49
 蛍兵部卿宮<ほたるひょうぶきょうのみや>
49 
 50
呼称---蛍兵部卿宮・親王・宮
50 
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 52

52 
 53第一章 朱雀院の物語 女三の宮の婿選び
53 
 54
54 
 55
  • 朱雀院、女三の宮の将来を案じる---朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより
  • 55 
     56
  • 東宮、父朱雀院を見舞う---春宮は、「かかる御悩みに添へて、世を背かせ
  • 56 
     57
  • 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う---六条院よりも、御訪らひしばしばあり
  • 57 
     58
  • 夕霧、源氏の言葉を言上す---中納言の君、「過ぎはべりにけむ方は、ともかくも
  • 58 
     59
  • 朱雀院の夕霧評---女房などは、覗きて見きこえて
  • 59 
     60
  • 女三の宮の乳母、源氏を推薦---姫宮のいとうつくしげにて、若く何心なき
  • 60 
     6161 
     62第二章 朱雀院の物語 女三の宮との結婚を承諾
    62 
     63
    63 
     64
  • 乳母と兄左中弁との相談---この御後見どもの中に、重々しき御乳母の兄
  • 64 
     65
  • 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上---乳母、またことのついでに
  • 65 
     66
  • 朱雀院、内親王の結婚を苦慮---「しか思ひたどるによりなむ。皇女たちの
  • 66 
     67
  • 朱雀院、婿候補者を批評---「今すこしものをも思ひ知りたまふほどまで
  • 67 
     68
  • 婿候補者たちの動静---太政大臣も、「この衛門督の、今までひとりのみありて
  • 68 
     69
  • 夕霧の心中---権中納言も、かかることどもを聞きたまふに
  • 69 
     70
  • 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす---春宮にも、かかることども聞こし召して
  • 70 
     71
  • 源氏、承諾の意向を示す---この宮の御こと、かく思しわづらふさまは
  • 71 
     7272 
     73第三章 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家
    73 
     74
    74 
     75
  • 歳末、女三の宮の裳着催す---年も暮れぬ。朱雀院には、御心地なほ
  • 75 
     76
  • 秋好中宮、櫛を贈る---中宮よりも、御装束、櫛の筥、心ことに調ぜさせ
  • 76 
     77
  • 朱雀院、出家す---御心地いと苦しきを念じつつ、思し起こして
  • 77 
     78
  • 源氏、朱雀院を見舞う---六条院も、すこし御心地よろしくと聞きたてまつらせ
  • 78 
     79
  • 朱雀院と源氏、親しく語り合う---院も、もの心細く思さるるに、え心強からず
  • 79 
     80
  • 内親王の結婚の必要性を説く---御心のうちにも、さすがにゆかしき御ありさまなれば
  • 80 
     81
  • 源氏、結婚を承諾---「さやうに思ひ寄る事はべれど、それも難きことに
  • 81 
     82
  • 朱雀院の饗宴---夜に入りぬれば、主人の院方も、客人の上達部たちも
  • 82 
     8383 
     84第四章 光る源氏の物語 紫の上に打ち明ける
    84 
     85
    85 
     86
  • 源氏、結婚承諾を煩悶す---六条院は、なま心苦しう、さまざま思し乱る
  • 86 
     87
  • 源氏、紫の上に打ち明ける---またの日、雪うち降り、空のけしきもものあはれに
  • 87 
     88
  • 紫の上の心中---心のうちにも、「かく空より出で来にたるやうなることにて
  • 88 
     8989 
     90第五章 光る源氏の物語 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う
    90 
     91
    91 
     92
  • 玉鬘、源氏に若菜を献ず---年も返りぬ。朱雀院には、姫宮、六条院に移ろひ
  • 92 
     93
  • 源氏、玉鬘と対面---人びと参りなどしたまひて、御座に出でたまふとて
  • 93 
     94
  • 源氏、玉鬘と和歌を唱和---尚侍の君も、いとよくねびまさり、ものものしきけさへ添ひて
  • 94 
     95
  • 管弦の遊び催す---朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎ果てたまはぬにより
  • 95 
     96
  • 暁に玉鬘帰る---暁に、尚侍君帰りたまふ。御贈り物などありけり
  • 96 
     9797 
     98第六章 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁
    98 
     99
    99 
     100
  • 女三の宮、六条院に降嫁---かくて、如月の十余日に、朱雀院の姫宮、六条院へ渡りたまふ
  • 100 
     101
  • 結婚の儀盛大に催さる---三日がほど、かの院よりも、主人の院方よりも
  • 101 
     102
  • 源氏、結婚を後悔---三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを
  • 102 
     103
  • 紫の上、眠れぬ夜を過ごす---年ごろ、さもやあらむと思ひしことどもも
  • 103 
     104
  • 六条院の女たち、紫の上に同情---かう人のただならず言ひ思ひたるも
  • 104 
     105
  • 源氏、夢に紫の上を見る---わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れ
  • 105 
     106
  • 源氏、女三の宮と和歌を贈答---今朝は、例のやうに大殿籠もり起きさせたまひて
  • 106 
     107
  • 源氏、昼に宮の方に出向く---今日は、宮の御方に昼渡りたまふ。心ことに
  • 107 
     108
  • 朱雀院、紫の上に手紙を贈る---院の帝は、月のうちに御寺に移ろひたまひぬ
  • 108 
     109109 
     110第七章 朧月夜の物語 こりずまの恋
    110 
     111
    111 
     112
  • 源氏、朧月夜に今なお執心---今はとて、女御、更衣たちなど、おのがじし別れ
  • 112 
     113
  • 和泉前司に手引きを依頼---かの人の兄なる和泉の前の守を召し寄せて
  • 113 
     114
  • 紫の上に虚偽を言って出かける---「いにしへ、わりなかりし世にだに、心交はし
  • 114 
     115
  • 源氏、朧月夜を訪問---その日は、寝殿へも渡りたまはで、御文書き交はしたまふ
  • 115 
     116
  • 朧月夜と一夜を過ごす---夜いたく更けゆく。玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々など
  • 116 
     117
  • 源氏、和歌を詠み交して出る---朝ぼらけのただならぬ空に、百千鳥の声も
  • 117 
     118
  • 源氏、自邸に帰る---いみじく忍び入りたまへる御寝くたれのさまを
  • 118 
     119119 
     120第八章 紫の上の物語 紫の上の境遇と絶望感
    120 
     121
    121 
     122
  • 明石姫君、懐妊して退出---桐壷の御方は、うちはへえまかでたまはず
  • 122 
     123
  • 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る---対の上、こなたに渡りて対面したまふついでに
  • 123 
     124
  • 紫の上の手習い歌---対には、かく出で立ちなどしたまふものから
  • 124 
     125
  • 紫の上、女三の宮と対面---春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば
  • 125 
     126
  • 世間の噂、静まる---さて後は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなど
  • 126 
     127127 
     128第九章 光る源氏の物語 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う
    128 
     129
    129 
     130
  • 紫の上、薬師仏供養---神無月に、対の上、院の御賀に、嵯峨野の御堂にて
  • 130 
     131
  • 精進落としの宴---二十三日を御としみの日にて、この院は
  • 131 
     132
  • 舞楽を演奏す---未の時ばかりに楽人参る。「万歳楽」、「皇じやう」など
  • 132 
     133
  • 宴の後の寂寥---夜に入りて、楽人どもまかり出づ。北の政所の別当ども
  • 133 
     134
  • 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷---師走の二十日余りのほどに、中宮まかでさせたまひて
  • 134 
     135
  • 中宮主催の饗宴---宮のおはします町の寝殿に、御しつらひなどして
  • 135 
     136
  • 勅命による夕霧の饗宴---内裏には、思し初めてしことどもを、むげにやはとて
  • 136 
     137
  • 舞楽を演奏す---例の、「万歳楽」、「賀王恩」などいふ舞、けしきばかり舞ひて
  • 137 
     138
  • 饗宴の後の感懐---大将の、ただ一所おはするを、さうざうしく
  • 138 
     139139 
     140第十章 明石の物語 男御子誕生
    140 
     141
    141 
     142
  • 明石女御、産期近づく---年返りぬ。桐壷の御方近づきたまひぬるにより
  • 142 
     143
  • 大尼君、孫の女御に昔を語る---かの大尼君も、今はこよなきほけ人にてぞありけむかし
  • 143 
     144
  • 明石御方、母尼君をたしなめる---いとものあはれに眺めておはするに、御方参りたまひて
  • 144 
     145
  • 明石女三代の和歌唱和---御加持果ててまかでぬるに、御くだものなど
  • 145 
     146
  • 三月十日過ぎに男御子誕生---弥生の十余日のほどに、平らかに生まれたまひぬ
  • 146 
     147
  • 産養の儀盛大に催される---六日といふに、例の御殿に渡りたまひぬ
  • 147 
     148
  • 紫の上と明石御方の仲---御方の御心おきての、らうらうじく気高く
  • 148 
     149149 
     150第十一章 明石の物語 入道の手紙
    150 
     151
    151 
     152
  • 明石入道、手紙を贈る---かの明石にも、かかる御こと伝へ聞きて
  • 152 
     153
  • 入道の手紙---「この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべり
  • 153 
     154
  • 手紙の追伸---「命終らむ月日も、さらにな知ろしめしそ
  • 154 
     155
  • 使者の話---尼君、この文を見て、かの使ひの大徳に問へば
  • 155 
     156
  • 明石御方、手紙を見る---御方は、南の御殿におはするを、「かかる御消息
  • 156 
     157
  • 尼君と御方の感懐---尼君、久しくためらひて、「君の御徳には
  • 157 
     158
  • 御方、部屋に戻る---「昨日も、大殿の君の、あなたにありと見置き
  • 158 
     159159 
     160第十二章 明石の物語 一族の宿世
    160 
     161
    161 
     162
  • 東宮からのお召しの催促---宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば
  • 162 
     163
  • 明石女御、手紙を見る---対の上などの渡りたまひぬる夕つ方
  • 163 
     164
  • 源氏、女御の部屋に来る---院は、姫宮の御方におはしけるを、中の御障子より
  • 164 
     165
  • 源氏、手紙を見る---ありつる箱も、惑ひ隠さむもさま悪しければ
  • 165 
     166
  • 源氏の感想---「年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思ひ知り
  • 166 
     167
  • 源氏、紫の上の恩を説く---「これは、また具してたてまつるべきものはべり
  • 167 
     168
  • 明石御方、卑下す---「そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを
  • 168 
     169
  • 明石御方、宿世を思う---「さも、いとやむごとなき御心ざしのみまさるめるかな
  • 169 
     170170 
     171第十三章 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る
    171 
     172
    172 
     173
  • 夕霧の女三の宮への思い---大将の君は、この姫宮の御ことを、思ひ及ばぬに
  • 173 
     174
  • 夕霧、女三の宮を他の女性と比較---かやうのことを、大将の君も、「げにこそ、ありがたき
  • 174 
     175
  • 柏木、女三の宮に執心---衛門督の君も、院に常に参り、親しくさぶらひ
  • 175 
     176
  • 柏木ら東町に集い遊ぶ---弥生ばかりの空うららかなる日、六条の院に
  • 176 
     177
  • 南町で蹴鞠を催す---やうやう暮れかかるに、「風吹かず、かしこき日なり」と興じて
  • 177 
     178
  • 女三の宮たちも見物す---いと労ある心ばへども見えて、数多くなりゆくに
  • 178 
     179
  • 唐猫、御簾を引き開ける---御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人気近く
  • 179 
     180
  • 柏木、女三の宮を垣間見る---几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて
  • 180 
     181
  • 夕霧、事態を憂慮す---大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむも
  • 181 
     182182 
     183第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴
    183 
     184
    184 
     185
  • 蹴鞠の後の酒宴---大殿御覧じおこせて、「上達部の座、いと軽々しや
  • 185 
     186
  • 源氏の昔語り---院は、昔物語し出でたまひて、「太政大臣の
  • 186 
     187
  • 柏木と夕霧、同車して帰る---大将の君一つ車にて、道のほど物語したまふ
  • 187 
     188
  • 柏木、小侍従に手紙を送る---督の君は、なほ大殿の東の対に、独り住みにて
  • 188 
     189
  • 女三の宮、柏木の手紙を見る---御前に人しげからぬほどなれば、かの文を
  • 189 
     190190 
     191

    191 
     192【出典】
    192 
     193【校訂】
    193 
     194

    194 
     195 

    第一章 朱雀院の物語 女三の宮の婿選び

    195 
     196 [第一段 朱雀院、女三の宮の将来を案じる]
    196 
     197 朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、例ならず悩みわたらせたまふ。もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細く思し召されて、
    197 
     198 「年ごろ行なひの本意深きを、后の宮おはしましつるほどは、よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、なほその方にもよほすにやあらむ、世に久しかるまじき心地なむする」
    198 
     199 などのたまはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。
    199 
     200 御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四所おはしましける。その中に、藤壷と聞こえしは、先帝の源氏にぞおはしましける。
    200 
     201 まだ坊と聞こえさせし時参りたまひて、高き位にも定まりたまべかりし人の、取り立てたる御後見もおはせず、母方もその筋となく、ものはかなき更衣腹にてものしたまひければ、御交じらひのほども心細げにて、大后の、尚侍を参らせたてまつりたまひて、かたはらに並ぶ人なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気圧されて、帝も御心のうちに、いとほしきものには思ひきこえさせたまひながら、下りさせたまひにしかば、かひなく口惜しくて、世の中を恨みたるやうにて亡せたまひにし。
    201 
     202 その御腹の女三の宮を、あまたの御中に、すぐれてかなしきものに思ひかしづききこえたまふ。
    202 
     203 そのほど、御年、十三、四ばかりおはす。
    203 
     204 「今はと背き捨て、山籠もりしなむ後の世にたちとまりて、誰を頼む蔭にてものしたまはむとすらむ」
    204 
     205 と、ただこの御ことをうしろめたく思し嘆く。
    205 
     206 西山なる御寺造り果てて、移ろはせたまはむほどの御いそぎをせさせたまふに添へて、またこの宮の御裳着のことを思しいそがせたまふ。
    206 
     207 院のうちにやむごとなく思す御宝物、御調度どもをばさらにもいはず、はかなき御遊びものまで、すこしゆゑある限りをば、ただこの御方に取りわたしたてまつらせたまひて、その次々をなむ、異御子たちには、御処分どもありける。
    207 
     208

    208 
     209 [第二段 東宮、父朱雀院を見舞う]
    209 
     210 春宮は、「かかる御悩みに添へて、世を背かせたまふべき御心づかひになむ」と聞かせたまひて、渡らせたまへり。母女御、添ひきこえさせたまひて参りたまへり。すぐれたる御おぼえにしもあらざりしかど、宮のかくておはします御宿世の、限りなくめでたければ、年ごろの御物語、こまやかに聞こえさせたまひけり。
    210 
     211 宮にも、よろづのこと、世をたもちたまはむ御心づかひなど、聞こえ知らせたまふ。御年のほどよりはいとよく大人びさせたまひて、御後見どもも、こなたかなた、軽々しからぬ仲らひにものしたまへば、いとうしろやすく思ひきこえさせたまふ。
    211 
     212 「この世に恨み残ることもはべらず。女宮たちのあまた残りとどまる行く先を思ひやるなむ、さらぬ別れにもほだしなりぬべかりける。さきざき、人の上に見聞きしにも、女は心よりほかに、あはあはしく、人におとしめらるる宿世あるなむ、いと口惜しく悲しき。
    212 
     213 いづれをも、思ふやうならむ御世には、さまざまにつけて、御心とどめて思し尋ねよ。その中に、後見などあるは、さる方にも思ひ譲りはべり。
    213 
     214 三の宮なむ、いはけなき齢にて、ただ一人を頼もしきものとならひて、うち捨ててむ後の世に、ただよひさすらへむこと、いといとうしろめたく悲しくはべる」
    214 
     215 と、御目おし拭ひつつ、聞こえ知らせさせたまふ。
    215 
     216 女御にも、うつくしきさまに聞こえつけさせたまふ。されど、女御の、人よりはまさりて時めきたまひしに、皆挑み交はしたまひしほど、御仲らひども、えうるはしからざりしかば、その名残にて、「げに、今はわざと憎しなどはなくとも、まことに心とどめて思ひ後見むとまでは思さずもや」とぞ推し量らるるかし。
    216 
     217 朝夕に、この御ことを思し嘆く。年暮れゆくままに、御悩みまことに重くなりまさらせたまひて、御簾の外にも出でさせたまはず。御もののけにて、時々悩ませたまふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさざりつるを、「このたびは、なほ、限りなり」と思し召したり。
    217 
     218 御位を去らせたまひつれど、なほその世に頼みそめたてまつりたまへる人びとは、今もなつかしくめでたき御ありさまを、心やりどころに参り仕うまつりたまふ限りは、心を尽くして惜しみきこえたまふ。
    218 
     219

    219 
     220 [第三段 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う]
    220 
     221 六条院よりも、御訪らひしばしばあり。みづからも参りたまふべきよし、聞こし召して、院はいといたく喜びきこえさせたまふ。
    221 
     222 中納言の君参りたまへるを、御簾の内に召し入れて、御物語こまやかなり。
    222 
     223 「故院の上の、今はのきざみに、あまたの御遺言ありし中に、この院の御こと、今の内裏の御ことなむ、取り分きてのたまひ置きしを、公けとなりて、こと限りありければ、うちうちの御心寄せは、変らずながら、はかなきことのあやまりに、心おかれたてまつることもありけむと思ふを、年ごろことに触れて、その恨み残したまへるけしきをなむ漏らしたまはぬ。
    223 
     224 賢しき人といへど、身の上になりぬれば、こと違ひて、心動き、かならずその報い見え、ゆがめることなむ、いにしへだに多かりける。
    224 
     225 いかならむ折にか、その御心ばへほころぶべからむと、世の人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐしたまひて、春宮などにも心を寄せきこえたまふ。今はた、またなく親しかるべき仲となり、睦び交はしたまへるも、限りなく心には思ひながら、本性の愚かなるに添へて、子の道の闇にたち交じり、かたくななるさまにやとて、なかなかよそのことに聞こえ放ちたるさまにてはべる。
    225 
     226 内裏の御ことは、かの御遺言違へず仕うまつりおきてしかば、かく末の世の明らけき君として、来しかたの御面をも起こしたまふ。本意のごと、いとうれしくなむ。
    226 
     227 この秋の行幸の後、いにしへのこととり添へて、ゆかしくおぼつかなくなむおぼえたまふ。対面に聞こゆべきことどもはべり。かならずみづから訪らひものしたまふべきよし、もよほし申したまへ」
    227 
     228 など、うちしほたれつつのたまはす。
    228 
     229

    229 
     230 [第四段 夕霧、源氏の言葉を言上す]
    230 
     231 中納言の君、
    231 
     232 「過ぎはべりにけむ方は、ともかくも思うたまへ分きがたくはべり。年まかり入りはべりて、朝廷にも仕うまつりはべるあひだ、世の中のことを見たまへまかりありくほどには、大小のことにつけても、うちうちのさるべき物語などのついでにも、『いにしへのうれはしきことありてなむ』など、うちかすめ申さるる折ははべらずなむ。
    232 
     233 『かく朝廷の御後見を仕うまつりさして、静かなる思ひをかなへむと、ひとへに籠もりゐし後は、何ごとをも、知らぬやうにて、故院の御遺言のごともえ仕うまつらず、御位におはしましし世には、齢のほども、身のうつはものも及ばず、かしこき上の人びと多くて、その心ざしを遂げて御覧ぜらるることもなかりき。今、かく政事を去りて、静かにおはしますころほひ、心のうちをも隔てなく、参りうけたまはらまほしきを、さすがに何となく所狭き身のよそほひにて、おのづから月日を過ぐすこと』
    233 
     234 となむ、折々嘆き申したまふ」
    234 
     235 など、奏したまふ。
    235 
     236 二十にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひ過ぐして、容貌も盛りに匂ひて、いみじくきよらなるを、御目にとどめてうちまもらせたまひつつ、このもてわづらはせたまふ姫宮の御後見に、これをやなど、人知れず思し寄りけり。
    236 
     237 「太政大臣のわたりに、今は住みつかれにたりとな。年ごろ心得ぬさまに聞きしが、いとほしかりしを、耳やすきものから、さすがにねたく思ふことこそあれ」
    237 
     238 とのたまはする御けしきを、「いかにのたまはするにか」と、あやしく思ひめぐらすに、「この姫宮をかく思し扱ひて、さるべき人あらば、預けて、心やすく世をも思ひ離ればや、となむ思しのたまはする」と、おのづから漏り聞きたまふ便りありければ、「さやうの筋にや」とは思ひぬれど、ふと心得顔にも、何かはいらへきこえさせむ。ただ、
    238 
     239 「はかばかしくもはべらぬ身には、寄るべもさぶらひがたくのみなむ」
    239 
     240 とばかり奏して止みぬ。
    240 
     241

    241 
     242 [第五段 朱雀院の夕霧評]
    242 
     243 女房などは、覗きて見きこえて、
    243 
     244 「いとありがたくも見えたまふ容貌、用意かな」
    244 
     245 「あな、めでた」
    245 
     246 など、集りて聞こゆるを、老いしらへるは、
    246 
     247 「いで、さりとも、かの院のかばかりにおはせし御ありさまには、えなずらひきこえたまはざめり。いと目もあやにこそきらよにものしたまひしか」
    247 
     248 など、言ひしろふを聞こしめして、
    248 
     249 「まことに、かれはいとさま異なりし人ぞかし。今はまた、その世にもねびまさりて、光るとはこれを言ふべきにやと見ゆる匂ひなむ、いとど加はりにたる。うるはしだちて、はかばかしき方に見れば、いつくしくあざやかに、目も及ばぬ心地するを、また、うちとけて、戯れごとをも言ひ乱れ遊べば、その方につけては、似るものなく愛敬づき、なつかしくうつきしきことの、並びなきこそ、世にありがたけれ。何ごとにも前の世推し量られて、めづらかなる人のありさまなり。
    249 
     250 宮の内に生ひ出でて、帝王の限りなくかなしきものにしたまひ、さばかり撫でかしづき、身に変へて思したりしかど、心のままにも驕らず、卑下して、二十がうちには、納言にもならずなりにきかし。一つ余りてや、宰相にて大将かけたまへりけむ。
    250 
     251 それに、これはいとこよなく進みにためるは、次々の子の世のおぼえのまさるなめりかし。まことに賢き方の才、心もちゐなどは、これもをさをさ劣るまじく、あやまりても、およすけまさりたるおぼえ、いと異なめり」
    251 
     252 など、めでさせたまふ。
    252 
     253

    253 
     254 [第六段 女三の宮の乳母、源氏を推薦]
    254 
     255 姫宮のいとうつくしげにて、若く何心なき御ありさまなるを見たてまつりたまふにも、
    255 
     256 「見はやしたてまつり、かつは、まだ片生ひならむことをば、見隠し教へきこえつべからむ人の、うしろやすからむに預けきこえばや」
    256 
     257 など聞こえたまふ。
    257 
     258 大人しき御乳母ども召し出でて、御裳着のほどのことなどのたまはするついでに、
    258 
     259 「六条の大殿の、式部卿親王の女生ほし立てけむやうに、この宮を預かりて育まむ人もがな。ただ人の中にはありがたし。内裏には中宮さぶらひたまふ。次々の女御たちとても、いとやむごとなき限りものせらるるに、はかばかしき後見なくて、さやうの交じらひ、いとなかなかならむ。
    259 
     260 この権中納言の朝臣の独りありつるほどに、うちかすめてこそ試みるべかりけれ。若けれど、いと警策に、生ひ先頼もしげなる人にこそあめるを」
    260 
     261 とのたまはす。
    261 
     262 「中納言は、もとよりいとまめ人にて、年ごろも、かのわたりに心をかけて、ほかざまに思ひ移ろふべくもはべらざりけるに、その思ひ叶ひては、いとど揺るぐ方はべらじ。
    262 
     263 かの院こそ、なかなか、なほいかなるにつけても、人をゆかしく思したる心は、絶えずものせさせたまふなれ。その中にも、やむごとなき御願ひ深くて、前斎院などをも、今に忘れがたくこそ、聞こえたまふなれ」
    263 
     264 と申す。
    264 
     265 「いで、その旧りせぬあだけこそは、いとうしろめたけれ」
    265 
     266 とはのたまはすれど、
    266 
     267 「げに、あまたの中にかかづらひて、めざましかるべき思ひはありとも、なほやがて親ざまに定めたるにて、さもや譲りおききこえまし」
    267 
     268 なども、思し召すべし。
    268 
     269 「まことに、少しも世づきてあらせむと思はむ女子持たらば、同じくは、かの人のあたりにこそ、触ればはせまほしけれ。いくばくならぬこの世のあひだは、さばかり心ゆくありさまにてこそ、過ぐさまほしけれ。
    269 
     270 われ女ならば、同じはらからなりとも、かならず睦び寄りなまし。若かりし時など、さなむおぼえし。まして、女の欺かれむは、いと、ことわりぞや」
    270 
     271 とのたまはせて、御心のうちに、尚侍の君の御ことも、思し出でらるべし。
    271 
     272

    272 
     273 

    第二章 朱雀院の物語 女三の宮との結婚を承諾

    273 
     274 [第一段 乳母と兄左中弁との相談]
    274 
     275 この御後見どもの中に、重々しき御乳母の兄、左中弁なる、かの院の親しき人にて、年ごろ仕うまつるありけり。この宮にも心寄せことにてさぶらへば、参りたるにあひて、物語するついでに、
    275 
     276 「上なむ、しかしか御けしきありて聞こえたまひしを、かの院に、折あらば漏らしきこえさせたまへ。皇女たちは、独りおはしますこそは例のことなれど、さまざまにつけて心寄せたてまつり、何ごとにつけても、御後見したまふ人あるは頼もしげなり。
    276 
     277 上をおきたてまつりて、また真心に思ひきこえたまふべき人もなければ、おのらは、仕うまつるとても、何ばかりの宮仕へにかあらむ。わが心一つにしもあらで、おのづから思ひの他のこともおはしまし、軽々しき聞こえもあらむ時には、いかさまにかは、わづらはしからむ。御覧ずる世に、ともかくも、この御こと定まりたらば、仕うまつりよくなむあるべき。
    277 
     278 かしこき筋と聞こゆれど、女は、いと宿世定めがたくおはしますものなれば、よろづに嘆かしく、かくあまたの御中に、取り分ききこえさせたまふにつけても、人の嫉みあべかめるを、いかで塵も据ゑたてまつらじ」
    278 
     279 と語らふに、弁、
    279 
     280 「いかなるべき御ことにかあらむ。院は、あやしきまで御心長く、仮にても見そめたまへる人は、御心とまりたるをも、またさしも深からざりけるをも、かたがたにつけて尋ね取りたまひつつ、あまた集へきこえたまへれど、やむごとなく思したるは、限りありて、一方なめれば、それにことよりて、かひなげなる住まひしたまふ方々こそは多かめるを、御宿世ありて、もし、さやうにおはしますやうもあらば、いみじき人と聞こゆとも、立ち並びておしたちたまふことは、えあらじとこそは推し量らるれど、なほ、いかがと憚らるることありてなむおぼゆる。
    280 
     281 さるは、『この世の栄え、末の世に過ぎて、身に心もとなきことはなきを、女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、わが心にも飽かぬこともある』となむ、常にうちうちのすさびごとにも思しのたまはすなる。
    281 
     282 げに、おのれらが見たてまつるにも、さなむおはします。かたがたにつけて、御蔭に隠したまへる人、皆その人ならず立ち下れる際にはものしたまはねど、限りあるただ人どもにて、院の御ありさまに並ぶべきおぼえ具したるやはおはすめる。
    282 
     283 それに、同じくは、げにさもおはしまさば、いかにたぐひたる御あはひならむ」
    283 
     284 と語らふを、
    284 
     285

    285 
     286 [第二段 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上]
    286 
     287 乳母、またことのついでに、
    287 
     288 「しかしかなむ、なにがしの朝臣にほのめかしはべしかば、『かの院には、かならずうけひき申させたまひてむ。年ごろの御本意かなひて思しぬべきことなるを、こなたの御許しまことにありぬべくは、伝へきこえむ』となむ申しはべりしを、いかなるべきことにかははべらむ。
    288 
     289 ほどほどにつけて、人の際々思しわきまへつつ、ありがたき御心ざまにものしたまふなれど、ただ人だに、またかかづらひ思ふ人立ち並びたることは、人の飽かぬことにしはべめるを、めざましきこともやはべらむ。御後見望みたまふ人びとは、あまたものしたまふめり。
    289 
     290 よく思し定めてこそよくはべらめ。限りなき人と聞こゆれど、今の世のやうとては、皆ほがらかに、あるべかしくて、世の中を御心と過ぐしたまひつべきもおはしますべかめるを、姫宮は、あさましくおぼつかなく、心もとなくのみ見えさせたまふに、さぶらふ人びとは、仕うまつる限りこそはべらめ。
    290 
     291 おほかたの御心おきてに従ひきこえて、賢しき下人もなびきさぶらふこそ、頼りあることにはべらめ。取り立てたる御後見ものしたまはざらむは、なほ心細きわざになむはべるべき」
    291 
     292 と聞こゆ。
    292 
     293

    293 
     294 [第三段 朱雀院、内親王の結婚を苦慮]
    294 
     295 「しか思ひたどるによりなむ。皇女たちの世づきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもあり、また高き際といへども、女は男に見ゆるにつけてこそ、悔しげなることも、めざましき思ひも、おのづからうちまじるわざなめれと、かつは心苦しく思ひ乱るるを、また、さるべき人に立ちおくれて、頼む蔭どもに別れぬる後、心を立てて世の中に過ぐさむことも、昔は、人の心たひらかにて、世に許さるまじきほどのことをば、思ひ及ばぬものとならひたりけむ、今の世には、好き好きしく乱りがはしきことも、類に触れて聞こゆめりかし。
    295 
     296 昨日まで高き親の家にあがめられかしづかれし人の女の、今日は直々しく下れる際の好き者どもに名を立ち欺かれて、亡き親の面を伏せ、影を恥づかしむるたぐひ多く聞こゆる。言ひもてゆけば皆同じことなり。
    296 
     297 ほどほどにつけて、宿世などいふなることは、知りがたきわざなれば、よろづにうしろめたくなむ。すべて、悪しくも善くも、さるべき人の心に許しおきたるままにて世の中を過ぐすは、宿世宿世にて、後の世に衰へある時も、みづからの過ちにはならず。
    297 
     298 あり経て、こよなき幸ひあり、めやすきことになる折は、かくても悪しからざりけりと見ゆれど、なほ、たちまちふとうち聞きつけたるほどは、親に知られず、さるべき人も許さぬに、心づからの忍びわざし出でたるなむ、女の身にはますことなき疵とおぼゆるわざなる。
    298 
     299 直々しきただ人の仲らひにてだに、あはつけく心づきなきことなり。みづからの心より離れてあるべきにもあらぬを、思ふ心よりほかに人にも見えず、宿世のほど定められむなむ、いと軽々しく、身のもてなし、ありさま推し量らるることなるを。
    299 
     300 あやしくものはかなき心ざまにやと見ゆめる御さまなるを、これかれの心にまかせ、もてなしきこゆなる、さやうなることの世に漏り出でむこと、いと憂きことなり」
    300 
     301 など、見捨てたてまつりたまはむ後の世を、うしろめたげに思ひきこえさせたまへれば、いよいよわづらはしく思ひあへり。
    301 
     302

    302 
     303 [第四段 朱雀院、婿候補者を批評]
    303 
     304 「今すこしものをも思ひ知りたまふほどまで見過ぐさむとこそは、年ごろ念じつるを、深き本意も遂げずなりぬべき心地のするに思ひもよほされてなむ。
    304 
     305 かの六条の大殿は、げに、さりともものの心得て、うしろやすき方はこよなかりなむを、方々にあまたものせらるべき人びとを知るべきにもあらずかし。とてもかくても、人の心からなり。のどかにおちゐて、おほかたの世のためしとも、うしろやすき方は並びなくものせらるる人なり。さらで良ろしかるべき人、誰ればかりかはあらむ。
    305 
     306 兵部卿宮、人柄はめやすしかし。同じき筋にて、異人とわきまへおとしむべきにはあらねど、あまりいたくなよびよしめくほどに、重き方おくれて、すこし軽びたるおぼえや進みにたらむ。なほ、さる人はいと頼もしげなくなむある。
    306 
     307 また、大納言の朝臣の家司望むなる、さる方に、ものまめやかなるべきことにはあなれど、さすがにいかにぞや。さやうにおしなべたる際は、なほめざましくなむあるべき。
    307 
     308 昔も、かうやうなる選びには、何事も人に異なるおぼえあるに、ことよりてこそありけれ。ただひとへに、またなく待ちゐむ方ばかりを、かしこきことに思ひ定めむは、いと飽かず口惜しかるべきわざになむ。
    308 
     309 右衛門督の下にわぶなるよし、尚侍のものせられし、その人ばかりなむ、位など今すこしものめかしきほどになりなば、などかは、とも思ひ寄りぬべきを、まだ年いと若くて、むげに軽びたるほどなり。
    309 
     310 高き心ざし深くて、やもめにて過ぐしつつ、いたくしづまり思ひ上がれるけしき、人には抜けて、才などもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば、行く末も頼もしけれど、なほまたこのためにと思ひ果てむには、限りぞあるや」
    310 
     311 と、よろづに思しわづらひたり。
    311 
     312 かうやうにも思し寄らぬ姉宮たちをば、かけても聞こえ悩ましたまふ人もなし。あやしく、うちうちにのたまはする御ささめき言どもの、おのづからひろごりて、心を尽くす人びと多かりけり。
    312 
     313

    313 
     314 [第五段 婿候補者たちの動静]
    314 
     315 太政大臣も、
    315 
     316 「この衛門督の、今までひとりのみありて、皇女たちならずは得じと思へるを、かかる御定めども出で来たなる折に、さやうにもおもむけたてまつりて、召し寄せられたらむ時、いかばかりわがためにも面目ありてうれしからむ」
    316 
     317 と、思しのたまひて、尚侍の君には、かの姉北の方して、伝へ申したまふなりけり。よろづ限りなき言の葉を尽くして奏せさせ、御けしき賜はらせたまふ。
    317 
     318 兵部卿宮は、左大将の北の方を聞こえ外したまひて、聞きたまふらむところもあり、かたほならむことはと、選り過ぐしたまふに、いかがは御心の動かざらむ。限りなく思し焦られたり。
    318 
     319 藤大納言は、年ごろ院の別当にて、親しく仕うまつりてさぶらひ馴れにたるを、御山籠もりしたまひなむ後、寄り所なく心細かるべきに、この宮の御後見にことよせて、顧みさせたまふべく、御けしき切に賜はりたまふなるべし。
    319 
     320

    320 
     321 [第六段 夕霧の心中]
    321 
     322 権中納言も、かかることどもを聞きたまふに、
    322 
     323 「人伝てにもあらず、さばかりおもむけさせたまへりし御けしきを見たてまつりてしかば、おのづから便りにつけて、漏らし、聞こし召さることもあらば、よももて離れてはあらじかし」
    323 
     324 と、心ときめきもしつべけれど、
    324 
     325 「女君の今はとうちとけて頼みたまへるを、年ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、他ざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに、今さらに立ち返り、にはかに物をや思はせきこえむ。なのめならずやむごとなき方にかかづらひなば、何ごとも思ふままならで、左右に安からずは、わが身も苦しくこそはあらめ」
    325 
     326 など、もとより好き好きしからぬ心なれば、思ひしづめつつうち出でねど、さすがに他ざまに定まり果てたまはむも、いかにぞやおぼえて、耳はとまりけり。
    326 
     327

    327 
     328 [第七段 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす]
    328 
     329 春宮にも、かかることども聞こし召して、
    329 
     330 「さし当たりたるただ今のことよりも、後の世の例ともなるべきことなるを、よく思し召しめぐらすべきことなり。人柄よろしとても、ただ人は限りあるを、なほ、しか思し立つことならば、かの六条院にこそ、親ざまに譲りきこえさせたまはめ」
    330 
     331 となむ、わざとの御消息とはあらねど、御けしきありけるを、待ち聞かせたまひても、
    331 
     332 「げに、さることなり。いとよく思しのたまはせたり」
    332 
     333 と、いよいよ御心立たせまひて、まづ、かの弁してぞ、かつがつ案内伝へきこえさせたまひける。
    333 
     334

    334 
     335 [第八段 源氏、承諾の意向を示す]
    335 
     336 この宮の御こと、かく思しわづらふさまは、さきざきも皆聞きおきたまへれば、
    336 
     337 「心苦しきことにもあなるかな。さはありとも、院の御世残りすくなしとて、ここにはまた、いくばく立ちおくれたてまつるべしとてか、その御後見の事をば受けとりきこえむ。げに、次第を過たぬにて、今しばしのほども残りとまる限りあらば、おほかたにつけては、いづれの皇女たちをも、よそに聞き放ちたてまつるべきにもあらねど、またかく取り分きて聞きおきたてまつりてむをば、ことにこそは後見きこえめと思ふを、それだにいと不定なる世の定めなさなりや」
    337 
     338 とのたまひて、
    338 
     339 「まして、ひとつに頼まれたてまつるべき筋に、むつび馴れきこえむことは、いとなかなかに、うち続き世を去らむきざみ心苦しく、みづからのためにも浅からぬほだしになむあるべき。
    339 
     340 中納言などは、年若く軽々しきやうなれど、行く先遠くて、人柄も、つひに朝廷の御後見ともなりぬべき生ひ先なめれば、さも思し寄らむに、などかこよなからむ。
    340 
     341 されど、いといたくまめだちて、思ふ人定まりにてぞあめれば、それに憚らせたまふにやあらむ」
    341 
     342 などのたまひて、みづからは思し離れたるさまなるを、弁は、おぼろけの御定めにもあらぬを、かくのたまへば、いとほしく、口惜しくも思ひて、うちうちに思し立ちにたるさまなど、詳しく聞こゆれば、さすがに、うち笑みつつ、
    342 
     343 「いとかなしくしたてまつりたまふ皇女なめれば、あながちにかく来し方行く先のたどりも深きなめりかしな。ただ、内裏にこそたてまつりたまはめ。やむごとなきまづの人びとおはすといふことは、よしなきことなり。それにさはるべきことにもあらず。かならずさりとて、末の人疎かなるやうもなし。
    343 
     344 故院の御時に、大后の、坊の初めの女御にて、いきまきたまひしかど、むげの末に参りたまへりし入道宮に、しばしは圧されたまひにきかし。
    344 
     345 この皇女の御母女御こそは、かの宮の御はらからにものしたまひけめ。容貌も、さしつぎには、いとよしと言はれたまひし人なりしかば、いづ方につけても、この姫宮おしなべての際にはよもおはせじを」
    345 
     346 など、いぶかしくは思ひきこえたまふべし。
    346 
     347

    347 
     348 

    第三章 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家

    348 
     349 [第一段 歳末、女三の宮の裳着催す]
    349 
     350 年も暮れぬ。朱雀院には、御心地なほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあわたたしく思し立ちて、御裳着のことは、思しいそぐさま、来し方行く先ありがたげなるまで、いつくしくののしる。
    350 
     351 御しつらひは、柏殿の西面に、御帳、御几帳よりはじめて、ここの綾錦混ぜさせたまはず、唐土の后の飾りを思しやりて、うるはしくことことしく、かかやくばかり調へさせたまへり。
    351 
     352 御腰結には、太政大臣をかねてより聞こえさせたまへりければ、ことことしくおはする人にて、参りにくく思しけれど、院の御言を昔より背き申したまはねば、参りたまふ。
    352 
     353 今二所の大臣たち、その残り上達部などは、わりなき障りあるも、あながちにためらひ助けつつ参りたまふ。親王たち八人、殿上人はたさらにもいはず、内裏、春宮の残らず参り集ひて、いかめしき御いそぎの響きなり。
    353 
     354 院の御こと、このたびこそとぢめなれと、帝、春宮をはじめたてまつりて、心苦しく聞こし召しつつ、蔵人所、納殿の唐物ども、多く奉らせたまへり。
    354 
     355 六条院よりも、御とぶらひいとこちたし。贈り物ども、人びとの禄、尊者の大臣の御引出物など、かの院よりぞ奉らせたまひける。
    355 
     356

    356 
     357 [第二段 秋好中宮、櫛を贈る]
    357 
     358 中宮よりも、御装束、櫛の筥、心ことに調ぜさせたまひて、かの昔の御髪上の具、ゆゑあるさまに改め加へて、さすがに元の心ばへも失はず、それと見せて、その日の夕つ方、奉れさせたまふ。宮の権の亮、院の殿上にもさぶらふを御使にて、姫宮の御方に参らすべくのたまはせつれど、かかる言ぞ、中にありける。
    358 
     359 「さしながら昔を今に伝ふれば
    359 
     360  玉の小櫛ぞ神さびにける」
    360 
     361 院、御覧じつけて、あはれに思し出でらるることもありけり。あえ物けしうはあらじと譲りきこえたまへるほど、げに、おもだたしき簪なれば、御返りも、昔のあはれをばさしおきて、
    361 
     362 「さしつぎに見るものにもが万世を
    362 
     363  黄楊の小櫛の神さぶるまで」
    363 
     364 とぞ祝ひきこえたまへる。
    364 
     365

    365 
     366 [第三段 朱雀院、出家す]
    366 
     367 御心地いと苦しきを念じつつ、思し起こして、この御いそぎ果てぬれば、三日過ぐして、つひに御髪下ろしたまふ。よろしきほどの人の上にてだに、今はとてさま変はるは悲しげなるわざなれば、まして、いとあはれげに御方々も思し惑ふ。
    367 
     368 尚侍の君は、つとさぶらひたまひて、いみじく思し入りたるを、こしらへかねたまひて、
    368 
     369 「子を思ふ道は限りありけり。かく思ひしみたまへる別れの堪へがたくもあるかな」
    369 
     370 とて、御心乱れぬべけれど、あながちに御脇息にかかりたまひて、山の座主よりはじめて、御忌むことの阿闍梨三人さぶらひて、法服などたてまつるほど、この世を別れたまふ御作法、いみじく悲し。
    370 
     371 今日は、世を思ひ澄ましたる僧たちなどだに、涙もえとどめねば、まして女宮たち、女御、更衣、ここらの男女、上下ゆすり満ちて泣きとよむに、いと心あわたたしう、かからで、静やかなる所に、やがて籠もるべく思しまうけける本意違ひて思し召さるるも、「ただ、この幼き宮にひかされて」と思しのたまはす。
    371 
     372 内裏よりはじめたてまつりて、御とぶらひのしげさ、いとさらなり。
    372 
     373

    373 
     374 [第四段 源氏、朱雀院を見舞う]
    374 
     375 六条院も、すこし御心地よろしくと聞きたてまつらせたまひて、参りたまふ。御賜ばりの御封などこそ、皆同じごと、下りゐの帝と等しく定まりたまへれど、まことの太上天皇の儀式にはうけばりたまはず。世のもてなし思ひきこえたるさまなどは、心ことなれど、ことさらに削ぎたまひて、例の、ことことしからぬ御車にたてまつりて、上達部など、さるべき限り、車にてぞ仕うまつりたまへる。
    375 
     376 院には、いみじく待ちよろこびきこえさせたまひて、苦しき御心地を思し強りて、御対面あり。うるはしきさまならず、ただおはします方に、御座よそひ加へて、入れたてまつりたまふ。
    376 
     377 変はりたまへる御ありさま見たてまつりたまふに、来し方行く先暮れて、悲しくとめがたく思さるれば、とみにもえためらひたまはず。
    377 
     378 「故院におくれたてまつりしころほひより、世の常なく思うたまへられしかば、この方の本意深く進みはべりにしを、心弱く思うたまへたゆたふことのみはべりつつ、つひにかく見たてまつりなしはべるまで、おくれたてまつりはべりぬる心のぬるさを、恥づかしく思うたまへらるるかな。
    378 
     379 身にとりては、ことにもあるまじく思うたまへたちはべる折々あるを、さらにいと忍びがたきこと多かりぬべきわざにこそはべりけれ」
    379 
     380 と、慰めがたく思したり。
    380 
     381

    381 
     382 [第五段 朱雀院と源氏、親しく語り合う]
    382 
     383 院も、もの心細く思さるるに、え心強からず、うちしほれたまひつつ、いにしへ、今の御物語、いと弱げに聞こえさせたまひて、
    383 
     384 「今日か明日かとおぼえはべりつつ、さすがにほど経ぬるを、うちたゆみて、深き本意の端にても遂げずなりなむこと、と思ひ起こしてなむ。
    384 
     385 かくても残りの齢なくは、行なひの心ざしも叶ふまじけれど、まづ仮にても、のどめおきて、念仏をだにと思ひはべる。はかばかしからぬ身にても、世にながらふること、ただこの心ざしにひきとどめられたると、思うたまへ知られぬにしもあらぬを、今まで勤めなき怠りをだに、安からずなむ」
    385 
     386 とて、思しおきてたるさまなど、詳しくのたまはするついでに、
    386 
     387 「女皇女たちを、あまたうち捨てはべるなむ心苦しき。中にも、また思ひ譲る人なきをば、取り分きうしろめたく、見わづらひはべる」
    387 
     388 とて、まほにはあらぬ御けしき、心苦しく見たてまつりたまふ。
    388 
     389

    389 
     390 [第六段 内親王の結婚の必要性を説く]
    390 
     391 御心のうちにも、さすがにゆかしき御ありさまなれば、思し過ぐしがたくて、
    391 
     392 「げに、ただ人よりも、かかる筋には、私ざまの御後見なきは、口惜しげなるわざになむはべりける。春宮かくておはしませば、いとかしこき末の世の儲けの君と、天の下の頼みどころに仰ぎきこえさするを。
    392 
     393 まして、このことと聞こえ置かせたまはむことは、一事として疎かに軽め申したまふべきにはべらねば、さらに行く先のこと思し悩むべきにもはべらねど、げに、こと限りあれば、公けとなりたまひ、世の政事御心にかなふべしとは言ひながら、女の御ために、何ばかりのけざやかなる御心寄せあるべきにもはべらざりけり。
    393 
     394 すべて、女の御ためには、さまざま真の御後見とすべきものは、なほさるべき筋に契りを交はし、えさらぬことに、育みきこゆる御護りめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべるを、なほ、しひて後の世の御疑ひ残るべくは、よろしきに思し選びて、忍びて、さるべき御預かりを定めおかせたまふべきになむはべなる」
    394 
     395 と、奏したまふ。
    395 
     396

    396 
     397 [第七段 源氏、結婚を承諾]
    397 
     398 「さやうに思ひ寄る事はべれど、それも難きことになむありける。いにしへの例を聞きはべるにも、世をたもつ盛りの皇女にだに、人を選びて、さるさまのことをしたまへるたぐひ多かりけり。
    398 
     399 ましてかく、今はとこの世を離るる際にて、ことことしく思ふべきにもあらねど、また、しか捨つる中にも、捨てがたきことありて、さまざまに思ひわづらひはべるほどに、病は重りゆく。また取り返すべきにもあらぬ月日の過ぎゆけば、心あわたたしくなむ。
    399 
     400 かたはらいたき譲りなれど、このいはけなき内親王、一人、分きて育み生ほして、さるべきよすがをも、御心に思し定めて預けたまへ、と聞こえまほしきを。
    400 
     401 権中納言などの独りものしつるほどに、進み寄るべくこそありけれ。太政大臣君に先ぜられて、ねたくおぼえはべる」
    401 
     402 と聞こえたまふ。
    402 
     403 「中納言の朝臣、まめやかなる方は、いとよく仕うまつりぬべくはべるを、何ごともまだ浅くて、たどり少なくこそはべらめ。
    403 
     404 かたじけなくとも、深き心にて後見きこえさせはべらむに、おはします御蔭に変りては思されじを、ただ行く先短くて、仕うまつりさすことやはべらむと、疑はしき方のみなむ、心苦しくはべるべき」
    404 
     405 と、受け引き申したまひつ。
    405 
     406

    406 
     407 [第八段 朱雀院の饗宴]
    407 
     408 夜に入りぬれば、主人の院方も、客人の上達部たちも、皆御前にて、御饗のこと、精進物にて、うるはしからず、なまめかしくせさせたまへり。院の御前に、浅香の懸盤に御鉢など、昔に変はりて参るを、人びと、涙おし拭ひたまふ。あはれなる筋のことどもあれど、うるさければ書かず。
    408 
     409 夜更けて帰りたまふ。禄ども、次々に賜ふ。別当大納言も御送りに参りたまふ。主人の院は、今日の雪にいとど御邪加はりて、かき乱り悩ましく思さるれど、この宮の御事、聞こえ定めつるを、心やすく思しけり。
    409 
     410

    410 
     411 

    第四章 光る源氏の物語 紫の上に打ち明ける


    411 
     412 [第一段 源氏、結婚承諾を煩悶す]
    412 
     413 六条院は、なま心苦しう、さまざま思し乱る。
    413 
     414 紫の上も、かかる御定めなむと、かねてもほの聞きたまひけれど、
    414 
     415 「さしもあらじ。前斎院をも、ねむごろに聞こえたまふやうなりしかど、わざとしも思し遂げずなりにしを」
    415 
     416 など思して、「さることもやある」とも問ひきこえたまはず、何心もなくておはするに、いとほしく、
    416 
     417 「この事をいかに思さむ。わが心はつゆも変はるまじく、さることあらむにつけては、なかなかいとど深さこそまさらめ、見定めたまはざらむほど、いかに思ひ疑ひたまはむ」
    417 
     418 など安からず思さる。
    418 
     419 今の年ごろとなりては、ましてかたみに隔てきこえたまふことなく、あはれなる御仲なれば、しばし心に隔て残したることあらむもいぶせきを、その夜はうち休みて明かしたまひつ。
    419 
     420

    420 
     421 [第二段 源氏、紫の上に打ち明ける]
    421 
     422 またの日、雪うち降り、空のけしきもものあはれに、過ぎにし方行く先の御物語聞こえ交はしたまふ。
    422 
     423 「院の頼もしげなくなりたまひにたる、御とぶらひに参りて、あはれなることどものありつるかな。女三の宮の御ことを、いと捨てがたげに思して、しかしかなむのたまはせつけしかば、心苦しくて、え聞こえ否びずなりにしを、ことことしくぞ人は言ひなさむかし。
    423 
     424 今は、さやうのことも初ひ初ひしく、すさまじく思ひなりにたれば、人伝てにけしきばませたまひしには、とかく逃れきこえしを、対面のついでに、心深きさまなることどもを、のたまひ続けしには、えすくすくしくも返さひ申さでなむ。
    424 
     425 深き御山住みに移ろひたまはむほどにこそは、渡したてまつらめ。あぢきなくや思さるべき。いみじきことありとも、御ため、あるより変はることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ。
    425 
     426 かの御ためこそ、心苦しからめ。それもかたはならずもてなしてむ。誰も誰も、のどかにて過ぐしたまはば」
    426 
     427 など聞こえたまふ。
    427 
     428 はかなき御すさびごとをだに、めざましきものに思して、心やすからぬ御心ざまなれば、「いかが思さむ」と思すに、いとつれなくて、
    428 
     429 「あはれなる御譲りにこそはあなれ。ここには、いかなる心をおきたてまつるべきにか。めざましく、かくてなど、咎めらるまじくは、心やすくてもはべなむを、かの母女御の御方ざまにても、疎からず思し数まへてむや」
    429 
     430 と、卑下したまふを、
    430 
     431 「あまり、かう、うちとけたまふ御ゆるしも、いかなればと、うしろめたくこそあれ。まことは、さだに思しゆるいて、われも人も心得て、なだらかにもてなし過ぐしたまはば、いよいよあはれになむ。
    431 
     432 ひがこと聞こえなどせむ人の言、聞き入れたまふな。すべて、世の人の口といふものなむ、誰が言ひ出づることともなく、おのづから人の仲らひなど、うちほほゆがみ、思はずなること出で来るものなるを、心ひとつにしづめて、ありさまに従ふなむよき。まだきに騒ぎて、あいなきもの怨みしたまふな」
    432 
     433 と、いとよく教へきこえたまふ。
    433 
     434

    434 
     435 [第三段 紫の上の心中]
    435 
     436 心のうちにも、
    436 
     437 「かく空より出で来にたるやうなることにて、逃れたまひがたきを、憎げにも聞こえなさじ。わが心に憚りたまひ、いさむることに従ひたまふべき、おのがどちの心より起これる懸想にもあらず。せかるべき方なきものから、をこがましく思ひむすぼほるるさま、世人に漏り聞こえじ。
    437 
     438 式部卿宮の大北の方、常にうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、あぢきなき大将の御ことにてさへ、あやしく恨み嫉みたまふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひ合はせたまはむ」
    438 
     439 など、おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりの隈はなからむ。今はさりともとのみ、わが身を思ひ上がり、うらなくて過ぐしける世の、人笑へならむことを、下には思ひ続けたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり。
    439 
     440

    440 
     441 

    第五章 光る源氏の物語 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う


    441 
     442 [第一段 玉鬘、源氏に若菜を献ず]
    442 
     443 年も返りぬ。朱雀院には、姫宮、六条院に移ろひたまはむ御いそぎをしたまふ。聞こえたまへる人びと、いと口惜しく思し嘆く。内裏にも御心ばへありて、聞こえたまひけるほどに、かかる御定めを聞こし召して、思し止まりにけり。
    443 
     444 さるは、今年ぞ四十になりたまひければ、御賀のこと、朝廷にも聞こし召し過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを、ことのわづらひ多くいかめしきことは、昔より好みたまはぬ御心にて、皆かへさひ申したまふ。
    444 
     445 正月二十三日、子の日なるに、左大将殿の北の方、若菜参りたまふ。かねてけしきも漏らしたまはで、いといたく忍びて思しまうけたりければ、にはかにて、えいさめ返しきこえたまはず。忍びたれど、さばかりの御勢ひなれば、渡りたまふ御儀式など、いと響きことなり。
    445 
     446 南の御殿の西の放出に御座よそふ。屏風、壁代よりはじめ、新しく払ひしつらはれたり。うるはしく倚子などは立てず、御地敷四十枚、御茵、脇息など、すべてその御具ども、いときよらにせさせたまへり。
    446 
     447 螺鈿の御厨子二具に、御衣筥四つ据ゑて、夏冬の御装束。香壷、薬の筥、御硯、ゆする坏、掻上の筥などやうのもの、うちうちきよらを尽くしたまへり。御插頭の台には、沈、紫檀を作り、めづらしきあやめを尽くし、同じき金をも、色使ひなしたる、心ばへあり、今めかしく。
    447 
     448 尚侍の君、もののみやび深く、かどめきたまへる人にて、目馴れぬさまにしなしたまへる、おほかたのことをば、ことさらにことことしからぬほどなり。
    448 
     449

    449 
     450 [第二段 源氏、玉鬘と対面]
    450 
     451 人びと参りなどしたまひて、御座に出でたまふとて、尚侍の君に御対面あり。御心のうちには、いにしへ思し出づることもさまざまなりけむかし。
    451 
     452 いと若くきよらにて、かく御賀などいふことは、ひが数へにやと、おぼゆるさまの、なまめかしく、人の親げなくおはしますを、めづらしくて年月隔てて見たてまつりたまふは、いと恥づかしけれど、なほけざやかなる隔てもなくて、御物語聞こえ交はしたまふ。
    452 
     453 幼き君も、いとうつくしくてものしたまふ。尚侍の君は、うち続きても御覧ぜられじとのたまひけるを、大将、かかるついでにだに御覧ぜさせむとて、二人同じやうに、振分髪の何心なき直衣姿どもにておはす。
    453 
     454 「過ぐる齢も、みづからの心にはことに思ひとがめられず、ただ昔ながらの若々しきありさまにて、改むることもなきを、かかる末々のもよほしになむ、なまはしたなきまで思ひ知らるる折もはべりける。
    454 
     455 中納言のいつしかとまうけたなるを、ことことしく思ひ隔てて、まだ見せずかし。人よりことに、数へ取りたまひける今日の子の日こそ、なほうれたけれ。しばしは老を忘れてもはべるべきを」
    455 
     456 と聞こえたまふ。
    456 
     457

    457 
     458 [第三段 源氏、玉鬘と和歌を唱和]
    458 
     459 尚侍の君も、いとよくねびまさり、ものものしきけさへ添ひて、見るかひあるさましたまへり。
    459 
     460 「若葉さす野辺の小松を引き連れて
    460 
     461  もとの岩根を祈る今日かな」
    461 
     462 と、せめておとなび聞こえたまふ。沈の折敷四つして、御若菜さまばかり参れり。御土器取りたまひて、
    462 
     463 「小松原末の齢に引かれてや
    463 
     464  野辺の若菜も年を摘むべき」
    464 
     465 など聞こえ交はしたまひて、上達部あまた南の廂に着きたまふ。
    465 
     466 式部卿宮は、参りにくく思しけれど、御消息ありけるに、かく親しき御仲らひにて、心あるやうならむも便なくて、日たけてぞ渡りたまへる。
    466 
     467 大将のしたり顔にて、かかる御仲らひに、うけばりてものしたまふも、げに心やましげなるわざなめれど、御孫の君たちは、いづ方につけても、おり立ちて雑役したまふ。籠物四十枝、折櫃物四十。中納言をはじめたてまつりて、さるべき限り取り続きたまへり。御土器くだり、若菜の御羹参る。御前には、沈の懸盤四つ、御坏どもなつかしく、今めきたるほどにせられたり。
    467 
     468

    468 
     469 [第四段 管弦の遊び催す]
    469 
     470 朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎ果てたまはぬにより、楽人などは召さず。御笛など、太政大臣の、その方は整へたまひて、
    470 
     471 「世の中に、この御賀よりまためづらしくきよら尽くすべきことあらじ」
    471 
     472 とのたまひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。
    472 
     473 とりどりにたてまつる中に、和琴は、かの大臣の第一に秘したまひける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾き馴らしたまへる音、いと並びなきを、異人は掻きたてにくくしたまへば、衛門督の固く否ぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。
    473 
     474 「何ごとも、上手の嗣といひながら、かくしもえ継がぬわざぞかし」と、心にくくあはれに人びと思す。調べに従ひて、跡ある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすが掻きに、よろづの物の音調へられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く。
    474 
     475 父大臣は、琴の緒もいと緩に張りて、いたう下して調べ、響き多く合はせてぞ掻き鳴らしたまふ。これは、いとわららかに昇る音の、なつかしく愛敬づきたるを、「いとかうしもは聞こえざりしを」と、親王たちも驚きたまふ。
    475 
     476 琴は、兵部卿宮弾きたまふ。この御琴は、宜陽殿の御物にて、代々に第一の名ありし御琴を、故院の末つ方、一品宮の好みたまふことにて、賜はりたまへりけるを、この折のきよらを尽くしたまはむとするため、大臣の申し賜はりたまへる御伝へ伝へを思すに、いとあはれに、昔のことも恋しく思し出でらる。
    476 
     477 親王も、酔ひ泣きえとどめたまはず。御けしきとりたまひて、琴は御前に譲りきこえさせたまふ。もののあはれにえ過ぐしたまはで、めづらしきもの一つばかり弾きたまふに、ことことしからねど、限りなくおもしろき夜の御遊びなり。
    477 
     478 唱歌の人びと御階に召して、すぐれたる声の限り出だして、返り声になる。夜の更け行くままに、物の調べども、なつかしく変はりて、「青柳」遊びたまふほど、げに、ねぐらの鴬おどろきぬべく、いみじくおもしろし。私事のさまにしなしたまひて、禄など、いと警策にまうけられたりけり。
    478 
     479

    479 
     480 [第五段 暁に玉鬘帰る]
    480 
     481 暁に、尚侍君帰りたまふ。御贈り物などありけり。
    481 
     482 「かう世を捨つるやうにて明かし暮らすほどに、年月の行方も知らず顔なるを、かう数へ知らせたまへるにつけては、心細くなむ。
    482 
     483 時々は、老いやまさると見たまひ比べよかし。かく古めかしき身の所狭さに、思ふに従ひて対面なきも、いと口惜しくなむ」
    483 
     484 など聞こえたまひて、あはれにもをかしくも、思ひ出できこえたまふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにて、かく急ぎ渡りたまふを、いと飽かず口惜しくぞ思されける。
    484 
     485 尚侍の君も、まことの親をばさるべき契りばかりに思ひきこえたまひて、ありがたくこまかなりし御心ばへを、年月に添へて、かく世に住み果てたまふにつけても、おろかならず思ひきこえたまひけり。
    485 
     486

    486 
     487 

    第六章 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁


    487 
     488 [第一段 女三の宮、六条院に降嫁]
    488 
     489 かくて、如月の十余日に、朱雀院の姫宮、六条院へ渡りたまふ。この院にも、御心まうけ世の常ならず。若菜参りし西の放出に御帳立てて、そなたの一、二の対、渡殿かけて、女房の局々まで、こまかにしつらひ磨かせたまへり。内裏に参りたまふ人の作法をまねびて、かの院よりも御調度など運ばる。渡りたまふ儀式、言へばさらなり。
    489 
     490 御送りに、上達部などあまた参りたまふ。かの家司望みたまひし大納言も、やすからず思ひながらさぶらひたまふ。御車寄せたる所に、院渡りたまひて、下ろしたてまつりたまふなども、例には違ひたることどもなり。
    490 
     491 ただ人におはすれば、よろづのこと限りありて、内裏参りにも似ず、婿の大君といはむにもこと違ひて、めづらしき御仲のあはひどもになむ。
    491 
     492

    492 
     493 [第二段 結婚の儀盛大に催さる]
    493 
     494 三日がほど、かの院よりも、主人の院方よりも、いかめしくめづらしきみやびを尽くしたまふ。
    494 
     495 対の上も、ことに触れてただにも思されぬ世のありさまなり。げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるることもあるまじけれど、また並ぶ人なくならひたまひて、はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにて移ろひたまへるに、なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りのほども、もろ心にはかなきこともし出でたまひて、いとらうたげなる御ありさまを、いとどありがたしと思ひきこえたまふ。
    495 
     496 姫宮は、げに、まだいと小さく、片なりにおはするうちにも、いといはけなきけしきして、ひたみちに若びたまへり。
    496 
     497 かの紫のゆかり尋ね取りたまへりし折思し出づるに、
    497 
     498 「かれはされていふかひありしを、これは、いといはけなくのみ見えたまへば、よかめり。憎げにおしたちたることなどはあるまじかめり」
    498 
     499 と思すものから、「いとあまりものの栄なき御さまかな」と見たてまつりたまふ。
    499 
     500

    500 
     501 [第三段 源氏、結婚を後悔]
    501 
     502 三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを、年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。御衣どもなど、いよいよ薫きしめさせたまふものから、うち眺めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
    502 
     503 「などて、よろづのことありとも、また人をば並べて見るべきぞ。あだあだしく、心弱くなりおきにけるわがおこたりに、かかることも出で来るぞかし。若けれど、中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」
    503 
     504 と、われながらつらく思し続くるに、涙ぐまれて、
    504 
     505 「今宵ばかりは、ことわりと許したまひてむな。これより後のとだえあらむこそ、身ながらも心づきなかるべけれ。また、さりとて、かの院に聞こし召さむことよ」
    505 
     506 と、思ひ乱れたまへる御心のうち、苦しげなり。すこしほほ笑みて、
    506 
     507 「みづからの御心ながらだに、え定めたまふまじかなるを、ましてことわりも何も、いづこにとまるべきにか」
    507 
     508 と、いふかひなげにとりなしたまへば、恥づかしうさへおぼえたまひて、つらづゑをつきたまひて、寄り臥したまへれば、硯を引き寄せたまひて、
    508 
     509 「目に近く移れば変はる世の中を
    509 
     510  行く末遠く頼みけるかな」
    510 
     511 古言など書き交ぜたまふを、取りて見たまひて、はかなき言なれど、げにと、ことわりにて、
    511 
     512 「命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき
    512 
     513  世の常ならぬ仲の契りを」
    513 
     514 とみにもえ渡りたまはぬを、
    514 
     515 「いとかたはらいたきわざかな」
    515 
     516 と、そそのかしきこえたまへば、なよよかにをかしきほどに、えならず匂ひて渡りたまふを、見出だしたまふも、いとただにはあらずかし。
    516 
     517

    517 
     518 [第四段 紫の上、眠れぬ夜を過ごす]
    518 
     519 年ごろ、さもやあらむと思ひしことどもも、今はとのみもて離れたまひつつ、さらばかくにこそはとうちとけゆく末に、ありありて、かく世の聞き耳もなのめならぬことの出で来ぬるよ。思ひ定むべき世のありさまにもあらざりければ、今より後もうしろめたくぞ思しなりぬる。
    519 
     520 さこそつれなく紛らはしたまへど、さぶらふ人々も、
    520 
     521 「思はずなる世なりや。あまたものしたまふやうなれど、いづ方も、皆こなたの御けはひにはかたさり憚るさまにて過ぐしたまへばこそ、ことなくなだらかにもあれ、おしたちてかばかりなるありさまに、消たれてもえ過ぐしたまふまじ」
    521 
     522 「また、さりとて、はかなきことにつけても、安からぬことのあらむ折々、かならずわづらはしきことども出で来なむかし」
    522 
     523 など、おのがじしうち語らひ嘆かしげなるを、つゆも見知らぬやうに、いとけはひをかしく物語などしたまひつつ、夜更くるまでおはす。
    523 
     524

    524 
     525 [第五段 六条院の女たち、紫の上に同情]
    525 
     526 かう人のただならず言ひ思ひたるも、聞きにくしと思して、
    526 
     527 「かく、これかれあまたものしたまふめれど、御心にかなひて、今めかしくすぐれたる際にもあらずと、目馴れてさうざうしく思したりつるに、この宮のかく渡りたまへるこそ、めやすけれ。
    527 
     528 なほ、童心の失せぬにやあらむ、われも睦びきこえてあらまほしきを、あいなく隔てあるさまに人びとやとりなさむとすらむ。ひとしきほど、劣りざまなど思ふ人にこそ、ただならず耳たつことも、おのづから出で来るわざなれ、かたじけなく、心苦しき御ことなめれば、いかで心おかれたてまつらじとなむ思ふ」
    528 
     529 などのたまへば、中務、中将の君などやうの人びと、目をくはせつつ、
    529 
     530 「あまりなる御思ひやりかな」
    530 
     531 など言ふべし。昔は、ただならぬさまに使ひならしたまひし人どもなれば、年ごろはこの御方にさぶらひて、皆心寄せきこえたるなめり。
    531 
     532 異御方々よりも、
    532 
     533 「いかに思すらむ。もとより思ひ離れたる人びとは、なかなか心安きを」
    533 
     534 など、おもむけつつ、とぶらひきこえたまふもあるを、
    534 
     535 「かくおしはかる人こそ、なかなか苦しけれ。世の中もいと常なきものを、などてかさのみは思ひ悩まむ」
    535 
     536 など思す。
    536 
     537 あまり久しき宵居も、例ならず人やとがめむと、心の鬼に思して、入りたまひぬれば、御衾参りぬれど、げにかたはらさびしき夜な夜な経にけるも、なほ、ただならぬ心地すれど、かの須磨の御別れの折などを思し出づれば、
    537 
     538 「今はと、かけ離れたまひても、ただ同じ世のうちに聞きたてまつらましかばと、わが身までのことはうち置き、あたらしく悲しかりしありさまぞかし。さて、その紛れに、われも人も命堪へずなりなましかば、いふかひあらまし世かは」
    538 
     539 と思し直す。
    539 
     540 風うち吹きたる夜のけはひ冷ひかにて、ふとも寝入られたまふぬを、近くさぶらふ人びと、あやしとや聞かむと、うちも身じろきたまはぬも、なほいと苦しげなり。夜深き鶏の声の聞こえたるも、ものあはれなり。
    540 
     541

    541 
     542 [第六段 源氏、夢に紫の上を見る]
    542 
     543 わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れたまふけにや、かの御夢に見えたまひければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒がしたまふに、鶏の音待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出でたまふ。いといはけなき御ありさまなれば、乳母たち近くさぶらひけり。
    543 
     544 妻戸押し開けて出でたまふを、見たてまつり送る。明けぐれの空に、雪の光見えておぼつかなし。名残までとまれる御匂ひ、
    544 
     545 「闇はあやなし」
    545 
     546 と独りごたる。
    546 
     547 雪は所々消え残りたるが、いと白き庭の、ふとけぢめ見えわかれぬほどなるに、
    547 
     548 「なほ残れる雪」
    548 
     549 と忍びやかに口ずさびたまひつつ、御格子うち叩きたまふも、久しくかかることなかりつるならひに、人びとも空寝をしつつ、やや待たせたてまつりて、引き上げたり。
    549 
     550 「こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは。懼ぢきこゆる心のおろかならぬにこそあめれ。さるは、罪もなしや」
    550 
     551 とて、御衣ひきやりなどしたまふに、すこし濡れたる御単衣の袖をひき隠して、うらもなくなつかしきものから、うちとけてはたあらぬ御用意など、いと恥づかしげにをかし。
    551 
     552 「限りなき人と聞こゆれど、難かめる世を」
    552 
     553 と、思し比べらる。
    553 
     554 よろづいにしへのことを思し出でつつ、とけがたき御けしきを怨みきこえたまひて、その日は暮らしたまひつれば、え渡りたまはで、寝殿には御消息を聞こえたまふ。
    554 
     555 「今朝の雪に心地あやまりて、いと悩ましくはべれば、心安き方にためらひはべる」
    555 
     556 とあり。御乳母、
    556 
     557 「さ聞こえさせはべりぬ」
    557 
     558 とばかり、言葉に聞こえたり。
    558 
     559 「異なることなの御返りや」と思す。「院に聞こし召さむこともいとほし。このころばかりつくろはむ」と思せど、えさもあらぬを、「さは思ひしことぞかし。あな苦し」と、みづから思ひ続けたまふ。
    559 
     560 女君も、「思ひやりなき御心かな」と、苦しがりたまふ。
    560 
     561

    561 
     562 [第七段 源氏、女三の宮と和歌を贈答]
    562 
     563 今朝は、例のやうに大殿籠もり起きさせたまひて、宮の御方に御文たてまつれたまふ。ことに恥づかしげもなき御さまなれど、御筆などひきつくろひて、白き紙に、
    563 
     564 「中道を隔つるほどはなけれども
    564 
     565  心乱るる今朝のあは雪」
    565 
     566 梅に付けたまへり。人召して、
    566 
     567 「西の渡殿よりたてまつらせよ」
    567 
     568 とのたまふ。やがて見出だして、端近くおはします。白き御衣どもを着たまひて、花をまさぐりたまひつつ、「友待つ雪」のほのかに残れる上に、うち散り添ふ空を眺めたまへり。鴬の若やかに、近き紅梅の末にうち鳴きなるを、
    568 
     569 「袖こそ匂へ」
    569 
     570 と花をひき隠して、御簾押し上げて眺めたまへるさま、夢にも、かかる人の親にて、重き位と見えたまはず、若うなまめかしき御さまなり。
    570 
     571 御返り、すこしほど経る心地すれば、入りたまひて、女君に花見せたてまつりたまふ。
    571 
     572 「花といはば、かくこそ匂はまほしけれな。桜に移しては、また塵ばかりも心分くる方なくやあらまし」
    572 
     573 などのたまふ。
    573 
     574 「これも、あまた移ろはぬほど、目とめるにやあらむ。花の盛りに並べて見ばや」
    574 
     575 などのたまふに、御返りあり。紅の薄様に、あざやかにおし包まれたるを、胸つぶれて、御手のいと若きを、
    575 
     576 「しばし見せたてまつらであらばや。隔つとはなけれど、あはあはしきやうならむは、人のほどかたじけなし」
    576 
     577 と思すに、ひき隠したまはむも心おきたまふべければ、かたそば広げたまへるを、しりめに見おこせて添ひ臥したまへり。
    577 
     578 「はかなくてうはの空にぞ消えぬべき
    578 
     579  風にただよふ春のあは雪」
    579 
     580 御手、げにいと若く幼げなり。「さばかりのほどになりぬる人は、いとかくはおはせぬものを」と、目とまれど、見ぬやうに紛らはして、止みたまひぬ。
    580 
     581 異人の上ならば、「さこそあれ」などは、忍びて聞こえたまふべけれど、いとほしくて、ただ、
    581 
     582 「心安くを、思ひなしたまへ」
    582 
     583 とのみ聞こえたまふ。
    583 
     584

    584 
     585 [第八段 源氏、昼に宮の方に出向く]
    585 
     586 今日は、宮の御方に昼渡りたまふ。心ことにうち化粧じたまへる御ありさま、今見たてまつる女房などは、まして見るかひありと思ひきこゆらむかし。御乳母などやうの老いしらへる人びとぞ、
    586 
     587 「いでや。この御ありさま一所こそめでたけれ、めざましきことはありなむかし」
    587 
     588 と、うち混ぜて思ふもありける。
    588 
     589 女宮は、いとらうたげに幼きさまにて、御しつらひなどのことことしく、よだけくうるはしきに、みづからは何心もなく、ものはかなき御ほどにて、いと御衣がちに、身もなく、あえかなり。ことに恥ぢなどもしたまはず、ただ稚児の面嫌ひせぬ心地して、心安くうつくしきさましたまへり。
    589 
     590 「院の帝は、ををしくすくよかなる方の御才などこそ、心もとなくおはしますと、世人思ひためれ、をかしき筋、なまめきゆゑゆゑしき方は、人にまさりたまへるを、などて、かくおいらかに生ほしたてたまひけむ。さるは、いと御心とどめたまへる皇女と聞きしを」
    590 
     591 と思ふも、なま口惜しけれど、憎からず見たてまつりたまふ。
    591 
     592 ただ聞こえたまふままに、なよなよとなびきたまひて、御いらへなどをも、おぼえたまひけることは、いはけなくうちのたまひ出でて、え見放たず見えたまふ。
    592 
     593 昔の心ならましかば、うたて心劣りせましを、今は、世の中を皆さまざまに思ひなだらめて、
    593 
     594 「とあるもかかるも、際離るることは難きものなりけり。とりどりにこそ多うはありけれ、よその思ひは、いとあらまほしきほどなりかし」
    594 
     595 と思すに、差し並び目離れず見たてまつりたまへる年ごろよりも、対の上の御ありさまぞなほありがたく、「われながらも生ほしたてけり」と思す。一夜のほど、朝の間も、恋しくおぼつかなく、いとどしき御心ざしのまさるを、「などかくおぼゆらむ」と、ゆゆしきまでなむ。
    595 
     596

    596 
     597 [第九段 朱雀院、紫の上に手紙を贈る]
    597 
     598 院の帝は、月のうちに御寺に移ろひたまひぬ。この院に、あはれなる御消息ども聞こえたまふ。姫宮の御ことはさらなり。
    598 
     599 わづらはしく、いかに聞くところやなど、憚りたまふことなくて、ともかくも、ただ御心にかけてもてなしたまふべくぞ、たびたび聞こえたまひける。されど、あはれにうしろめたく、幼くおはするを思ひきこえたまひけり。
    599 
     600 紫の上にも、御消息ことにあり。
    600 
     601 「幼き人の、心地なきさまにて移ろひものすらむを、罪なく思しゆるして、後見たまへ。尋ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ。
    601 
     602  背きにしこの世に残る心こそ
    602 
     603  入る山路のほだしなりけれ
    603 
     604 闇をえはるけで聞こゆるも、をこがましくや」
    604 
     605 とあり。大殿も見たまひて、
    605 
     606 「あはれなる御消息を。かしこまり聞こえたまへ」
    606 
     607 とて、御使にも、女房して、土器さし出でさせたまひて、しひさせたまふ。「御返りはいかが」など、聞こえにくく思したれど、ことことしくおもしろかるべき折のことならねば、ただ心をのべて、
    607 
     608 「背く世のうしろめたくはさりがたき
    608 
     609  ほだしをしひてかけな離れそ」
    609 
     610 などやうにぞあめりし。
    610 
     611 女の装束に、細長添へてかづけたまふ。御手などのいとめでたきを、院御覧じて、何ごともいと恥づかしげなめるあたりに、いはけなくて見えたまふらむこと、いと心苦しう思したり。
    611 
     612

    612 
     613 

    第七章 朧月夜の物語 こりずまの恋


    613 
     614 [第一段 源氏、朧月夜に今なお執心]
    614 
     615 今はとて、女御、更衣たちなど、おのがじし別れたまふも、あはれなることなむ多かりける。
    615 
     616 尚侍の君は、故后の宮のおはしましし二条の宮にぞ住みたまふ。姫宮の御ことをおきては、この御ことをなむかへりみがちに、帝も思したりける。尼になりなむと思したれど、
    616 
     617 「かかるきほひには、慕ふやうに心あわたたしく」
    617 
     618 と諌めたまひて、やうやう仏の御ことなどいそがせたまふ。
    618 
     619 六条の大殿は、あはれに飽かずのみ思してやみにし御あたりなれば、年ごろも忘れがたく、
    619 
     620 「いかならむ折に対面あらむ。今一たびあひ見て、その世のことも聞こえまほしく」
    620 
     621 のみ思しわたるを、かたみに世の聞き耳も憚りたまふべき身のほどに、いとほしげなりし世の騷ぎなども思し出でらるれば、よろづにつつみ過ぐしたまひけるを、かうのどやかになりたまひて、世の中を思ひしづまりたまふらむころほひの御ありさま、いよいよゆかしく、心もとなければ、あるまじきこととは思しながら、おほかたの御とぶらひにことつけて、あはれなるさまに常に聞こえたまふ。
    621 
     622 若々しかるべき御あはひならねば、御返りも時々につけて聞こえ交はしたまふ。昔よりもこよなくうち具し、ととのひ果てにたる御けはひを見たまふにも、なほ忍びがたくて、昔の中納言の君のもとにも、心深きことどもを常にのたまふ。
    622 
     623

    623 
     624 [第二段 和泉前司に手引きを依頼]
    624 
     625 かの人の兄なる和泉の前の守を召し寄せて、若々しく、いにしへに返りて語らひたまふ。
    625 
     626 「人伝てならで、物越しに聞こえ知らすべきことなむある。さりぬべく聞こえなびかして、いみじく忍びて参らむ。
    626 
     627 今は、さやうのありきも所狭き身のほどに、おぼろけならず忍ぶれば、そこにもまた人には漏らしたまはじと思ふに、かたみにうしろやすくなむ」
    627 
     628 とのたまふ。尚侍の君、
    628 
     629 「いでや。世の中を思ひ知るにつけても、昔よりつらき御心を、ここら思ひつめつる年ごろの果てに、あはれに悲しき御ことをさし置きて、いかなる昔語りをか聞こえむ。
    629 
     630 げに、人は漏り聞かぬやうありとも、心の問はむこそいと恥づかしかるべけれ」
    630 
     631 とうち嘆きたまひつつ、なほ、さらにあるまじきよしをのみ聞こゆ。
    631 
     632

    632 
     633 [第三段 紫の上に虚偽を言って出かける]
    633 
     634 「いにしへ、わりなかりし世にだに、心交はしたまはぬことにもあらざりしを。げに、背きたまひぬる御ためうしろめたきやうにはあれど、あらざりしことにもあらねば、今しもけざやかにきよまはりて、立ちにしわが名、今さらに取り返したまふべきにや」
    634 
     635 と思し起こして、この信太の森を道のしるべにて参うでたまふ。女君には、
    635 
     636 「東の院にものする常陸の君の、日ごろわづらひて久しくなりにけるを、もの騒がしき紛れに訪らはねば、いとほしくてなむ。昼など、けざやかに渡らむも便なきを、夜の間に忍びてとなむ、思ひはべる。人にもかくとも知らせじ」
    636 
     637 と聞こえたまひて、いといたく心懸想したまふを、例はさしも見えたまはぬあたりを、あやし、と見たまひて、思ひ合はせたまふこともあれど、姫宮の御事の後は、何事も、いと過ぎぬる方のやうにはあらず、すこし隔つる心添ひて、見知らぬやうにておはす。
    637 
     638

    638 
     639 [第四段 源氏、朧月夜を訪問]
    639 
     640 その日は、寝殿へも渡りたまはで、御文書き交はしたまふ。薫き物などに心を入れて暮らしたまふ。
    640 
     641 宵過ぐして、睦ましき人の限り、四、五人ばかり、網代車の、昔おぼえてやつれたるにて出でたまふ。和泉守して、御消息聞こえたまふ。かく渡りおはしましたるよし、ささめき聞こゆれば、驚きたまひて、
    641 
     642 「あやしく。いかやうに聞こえたるにか」
    642 
     643 とむつかりたまへど、
    643 
     644 「をかしやかにて帰したてまつらむに、いと便なうはべらむ」
    644 
     645 とて、あながちに思ひめぐらして、入れたてまつる。御とぶらひなど聞こえたまひて、
    645 
     646 「ただここもとに、物越しにても。さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」
    646 
     647 と、わりなく聞こえたまへば、いたく嘆く嘆くゐざり出でたまへり。
    647 
     648 「さればよ。なほ、気近さは」
    648 
     649 と、かつ思さる。かたみに、おぼろけならぬ御みじろきなれば、あはれも少なからず。東の対なりけり。辰巳の方の廂に据ゑたてまつりて、御障子のしりばかりは固めたれば、
    649 
     650 「いと若やかなる心地もするかな。年月の積もりをも、紛れなく数へらるる心ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」
    650 
     651 と怨みきこえたまふ。
    651 
     652

    652 
     653 [第五段 朧月夜と一夜を過ごす]
    653 
     654 夜いたく更けゆく。玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々など、あはれに聞こえて、しめじめと人目少なき宮の内のありさまも、「さも移りゆく世かな」と思し続くるに、平中がまねならねど、まことに涙もろになむ。昔に変はりて、おとなおとなしくは聞こえたまふものから、「これをかくてや」と、引き動かしたまふ。
    654 
     655 「年月をなかに隔てて逢坂の
    655 
     656  さも塞きがたく落つる涙か」
    656 
     657 女、
    657 
     658 「涙のみ塞きとめがたきに清水にて
    658 
     659  ゆき逢ふ道ははやく絶えにき」
    659 
     660 などかけ離れきこえたまへど、いにしへを思し出づるも、
    660 
     661 「誰れにより、多うはさるいみじきこともありし世の騷ぎぞは」と思ひ出でたまふに、「げに、今一たびの対面はありもすべかりけり」
    661 
     662 と、思し弱るも、もとよりづしやかなるところはおはせざりし人の、年ごろは、さまざまに世の中を思ひ知り、来し方を悔しく、公私のことに触れつつ、数もなく思し集めて、いといたく過ぐしたまひにたれど、昔おぼえたる御対面に、その世のことも遠からぬ心地して、え心強くももてなしたまはず。
    662 
     663 なほ、らうらうじく、若うなつかしくて、一方ならぬ世のつつましさをもあはれをも、思ひ乱れて、嘆きがちにてものしたまふけしきなど、今始めたらむよりもめづらしくあはれにて、明けゆくもいと口惜しくて、出でたまはむ空もなし。
    663 
     664

    664 
     665 [第六段 源氏、和歌を詠み交して出る]
    665 
     666 朝ぼらけのただならぬ空に、百千鳥の声もいとうららかなり。花は皆散り過ぎて、名残かすめる梢の浅緑なる木立、「昔、藤の宴したまひし、このころのことなりけりかし」と思し出づる、年月の積もりにけるほども、その折のこと、かき続けあはれに思さる。
    666 
     667 中納言の君、見たてまつり送るとて、妻戸押し開けたるに、立ち返りたまひて、
    667 
     668 「この藤よ。いかに染めけむ色にか。なほ、えならぬ心添ふ匂ひにこそ。いかでか、この蔭をば立ち離るべき」
    668 
     669 と、わりなく出でがてに思しやすらひたり。
    669 
     670 山際よりさし出づる日のはなやかなるにさしあひ、目もかかやく心地する御さまの、こよなくねび加はりたまへる御けはひなどを、めづらしくほど経ても見たてまつるは、まして世の常ならずおぼゆれば、
    670 
     671 「さる方にても、などか見たてまつり過ぐしたまはざらむ。御宮仕へにも限りありて、際ことに離れたまふこともなかりしを。故宮の、よろづに心を尽くしたまひ、よからぬ世の騷ぎに、軽々しき御名さへ響きてやみにしよ」
    671 
     672 など思ひ出でらる。名残多く残りぬらむ御物語のとぢめには、げに残りあらせまほしきわざなめるを、御身、心にえまかせたまふまじく、ここらの人目もいと恐ろしくつつましければ、やうやうさし上がり行くに、心あわたたしくて、廊の戸に御車さし寄せたる人びとも、忍びて声づくりきこゆ。
    672 
     673 人召して、かの咲きかかりたる花、一枝折らせたまへり。
    673 
     674 「沈みしも忘れぬものをこりずまに
    674 
     675  身も投げつべき宿の藤波」
    675 
     676 いといたく思しわづらひて、寄りゐたまへるを、心苦しう見たてまつる。女君も、今さらにいとつつましく、さまざまに思ひ乱れたまへるに、花の蔭は、なほなつかしくて、
    676 
     677 「身を投げむ淵もまことの淵ならで
    677 
     678  かけじやさらにこりずまの波」
    678 
     679 いと若やかなる御振る舞ひを、心ながらもゆるさぬことに思しながら、関守の固からぬたゆみにや、いとよく語らひおきて出でたまふ。
    679 
     680 そのかみも、人よりこよなく心とどめて思うたまへりし御心ざしながら、はつかにてやみにし御仲らひには、いかでかはあはれも少なからむ。
    680 
     681

    681 
     682 [第七段 源氏、自邸に帰る]
    682 
     683 いみじく忍び入りたまへる御寝くたれのさまを待ち受けて、女君、さばかりならむと心得たまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。なかなかうちふすべなどしたまへらむよりも、心苦しく、「など、かくしも見放ちたまへらむ」と思さるれば、ありしよりけに深き契りをのみ、長き世をかけて聞こえたまふ。
    683 
     684 尚侍の君の御ことも、また漏らすべきならねど、いにしへのことも知りたまへれば、まほにはあらねど、
    684 
     685 「物越しに、はつかなりつる対面なむ、残りある心地する。いかで人目咎めあるまじくもて隠しては、今一たびも」
    685 
     686 と、語らひきこえたまふ。うち笑ひて、
    686 
     687 「今めかしくもなり返る御ありさまかな。昔を今に改め加へたまふほど、中空なる身のため苦しく」
    687 
     688 とて、さすがに涙ぐみたまへるまみの、いとらうたげに見ゆるに、
    688 
     689 「かう心安からぬ御けしきこそ苦しけれ。ただおいらかに引き抓みなどして、教へたまへ。隔てあるべくも、ならはしきこえぬを、思はずにこそなりにける御心なれ」
    689 
     690 とて、よろづに御心とりたまふほどに、何ごともえ残したまはずなりぬめり。
    690 
     691 宮の御方にも、とみにえ渡りたまはず、こしらへきこえつつおはします。姫宮は、何とも思したらぬを、御後見どもぞ安からず聞こえける。わづらはしうなど見えたまふけしきならば、そなたもまして心苦しかるべきを、おいらかにうつくしきもて遊びぐさに思ひきこえたまへり。
    691 
     692

    692 
     693 

    第八章 紫の上の物語 紫の上の境遇と絶望感


    693 
     694 [第一段 明石姫君、懐妊して退出]
    694 
     695 桐壷の御方は、うちはへえまかでたまはず。御暇のありがたければ、心安くならひたまへる若き御心に、いと苦しくのみ思したり。
    695 
     696 夏ごろ、悩ましくしたまふを、とみにも許しきこえたまはねば、いとわりなしと思す。めづらしきさまの御心地にぞありける。まだいとあえかなる御ほどに、いとゆゆしくぞ、誰れも誰れも思すらむかし。からうしてまかでたまへり。
    696 
     697 姫宮のおはします御殿の東面に、御方はしつらひたり。明石の御方、今は御身に添ひて、出で入りたまふも、あらまほしき御宿世なりかし。
    697 
     698

    698 
     699 [第二段 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る]
    699 
     700 対の上、こなたに渡りて対面したまふついでに、
    700 
     701 「姫宮にも、中の戸開けて聞こえむ。かねてよりもさやうに思ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる折に聞こえ馴れなば、心安くなむあるべき」
    701 
     702 と、大殿に聞こえたまへば、うち笑みて、
    702 
     703 「思ふやうなるべき御語らひにこそはあなれ。いと幼げにものしたまふめるを、うしろやすく教へなしたまへかし」
    703 
     704 と、許しきこえたまふ。宮よりも、明石の君の恥づかしげにて交じらむを思せば、御髪すましひきつくろひておはする、たぐひあらじと見えたまへり。
    704 
     705 大殿は、宮の御方に渡りたまひて、
    705 
     706 「夕方、かの対にはべる人の、淑景舎に対面せむとて出で立つ。そのついでに、近づききこえさせまほしげにものすめるを、許して語らひたまへ。心などはいとよき人なり。まだ若々しくて、御遊びがたきにもつきなからずなむ」
    706 
     707 など、聞こえたまふ。
    707 
     708 「恥づかしうこそはあらめ。何ごとをか聞こえむ」
    708 
     709 と、おいらかにのたまふ。
    709 
     710 「人のいらへは、ことにしたがひてこそは思し出でめ。隔て置きてなもてなしたまひそ」
    710 
     711 と、こまかに教へきこえたまふ。「御仲うるはしくて過ぐしたまへ」と思す。
    711 
     712 あまりに何心もなき御ありさまを見あらはされむも、恥づかしくあぢきなけれど、さのたまはむを、「心隔てむもあいなし」と、思すなりけり。
    712 
     713

    713 
     714 [第三段 紫の上の手習い歌]
    714 
     715 対には、かく出で立ちなどしたまふものから、
    715 
     716 「我より上の人やはあるべき。身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ」
    716 
     717 など、思ひ続けられて、うち眺めたまふ。手習などするにも、おのづから古言も、もの思はしき筋にのみ書かるるを、「さらば、わが身には思ふことありけり」と、身ながらぞ思し知らるる。
    717 
     718 院、渡りたまひて、宮、女御の君などの御さまどもを、「うつくしうもおはするかな」と、さまざま見たてまつりたまへる御目うつしには、年ごろ目馴れたまへる人の、おぼろけならむが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、「なほ、たぐひなくこそは」と見たまふ。ありがたきことなりかし。
    718 
     719 あるべき限り、気高う恥づかしげにととのひたるに添ひて、はなやかに今めかしく、にほひなまめきたるさまざまの香りも、取りあつめ、めでたき盛りに見えたまふ。去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、常に目馴れぬさまのしたまへるを、「いかでかくしもありけむ」と思す。
    719 
     720 うちとけたりつる御手習を、硯の下にさし入れたまへれど、見つけたまひて、引き返し見たまふ。手などの、いとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書きたまへり。
    720 
     721 「身に近く秋や来ぬらむ見るままに
    721 
     722  青葉の山も移ろひにけり」
    722 
     723 とある所に、目とどめたまひて、
    723 
     724 「水鳥の青羽は色も変はらぬを
    724 
     725  萩の下こそけしきことなれ」
    725 
     726 など書き添へつつすさびたまふ。ことに触れて、心苦しき御けしきの、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、ことなく消ちたまへるも、ありがたくあはれに思さる。
    726 
     727 今宵は、いづ方にも御暇ありぬべければ、かの忍び所に、いとわりなくて、出でたまひにけり。「いとあるまじきこと」と、いみじく思し返すにも、かなはざりけり。
    727 
     728

    728 
     729 [第四段 紫の上、女三の宮と対面]
    729 
     730 春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、思ひ隔てず、かなしと見たてまつりたまふ。
    730 
     731 御物語など、いとなつかしく聞こえ交はしたまひて、中の戸開けて、宮にも対面したまへり。
    731 
     732 いと幼げにのみ見えたまへば、心安くて、おとなおとなしく親めきたるさまに、昔の御筋をも尋ねきこえたまふ。中納言の乳母といふ召し出でて、
    732 
     733 「同じかざしを尋ねきこゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえさすれど、ついでなくてはべりつるを、今よりは疎からず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき」
    733 
     734 などのたまへば、
    734 
     735 「頼もしき御蔭どもに、さまざまに後れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける。背きたまひにし上の御心向けも、ただかくなむ御心隔てきこえたまはず、まだいはけなき御ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。うちうちにも、さなむ頼みきこえさせたまひし」
    735 
     736 など聞こゆ。
    736 
     737 「いとかたじけなかりし御消息の後は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ身なむ口惜しかりける」
    737 
     738 と、安らかにおとなびたるけはひにて、宮にも、御心につきたまふべく、絵などのこと、雛の捨てがたきさま、若やかに聞こえたまへば、「げに、いと若く心よげなる人かな」と、幼き御心地にはうちとけたまへり。
    738 
     739

    739 
     740 [第五段 世間の噂、静まる]
    740 
     741 さて後は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞こえ交はしたまふ。世の中の人も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、言ひあつかふものなれば、初めつ方は、
    741 
     742 「対の上、いかに思すらむ。御おぼえ、いとこの年ごろのやうにはおはせじ。すこしは劣りなむ」
    742 
     743 など言ひけるを、今すこし深き御心ざし、かくてしも勝るさまなるを、それにつけても、また安からず言ふ人びとあるに、かく憎げなくさへ聞こえ交はしたまへば、こと直りて、目安くなむありける。
    743 
     744

    744 
     745 

    第九章 光る源氏の物語 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う


    745 
     746 [第一段 紫の上、薬師仏供養]
    746 
     747 神無月に、対の上、院の御賀に、嵯峨野の御堂にて、薬師仏供養じたてまつりたまふ。いかめしきことは、切にいさめ申したまへば、忍びやかにと思しおきてたり。
    747 
     748 仏、経箱、帙簀のととのへ、まことの極楽思ひやらる。最勝王経、金剛般若、寿命経など、いとゆたけき御祈りなり。上達部いと多く参りたまへり。
    748 
     749 御堂のさま、おもしろくいはむかたなく、紅葉の蔭分けゆく野辺のほどよりはじめて、見物なるに、かたへは、きほひ集りたまふなるべし。
    749 
     750 霜枯れわたれる野原のままに、馬車の行きちがふ音しげく響きたり。御誦経われもわれもと、御方々いかめしくせさせたまふ。
    750 
     751

    751 
     752 [第二段 精進落としの宴]
    752 
     753 二十三日を御としみの日にて、この院は、かく隙間なく集ひたまへるうちに、わが御私の殿と思す二条の院にて、その御まうけせさせたまふ。御装束をはじめ、おほかたのことどもも、皆こなたにのみしたまふ。御方々も、さるべきことども分けつつ望み仕うまつりたまふ。
    753 
     754 対どもは、人の局々にしたるを払ひて、殿上人、諸大夫、院司、下人までのまうけ、いかめしくせさせたまへり。
    754 
     755 寝殿の放出を、例のしつらひにて、螺鈿の倚子立てたり。
    755 
     756 御殿の西の間に、御衣の机十二立てて、夏冬の御よそひ、御衾など、例のごとく、紫の綾の覆どもうるはしく見えわたりて、うちの心はあらはならず。
    756 
     757 御前に置物の机二つ、唐の地の裾濃の覆したり。插頭の台は、沈の花足、黄金の鳥、銀の枝にゐたる心ばへなど、淑景舎の御あづかりにて、明石の御方のせさせたまへる、ゆゑ深く心ことなり。
    757 
     758 うしろの御屏風四帖は、式部卿宮なむせさせたまひける。いみじく尽くして、例の四季の絵なれど、めづらしき泉水、潭など、目馴れずおもしろし。北の壁に添へて、置物の御厨子、二具立てて、御調度ども例のことなり。
    758 
     759 南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をはじめたてまつりて、次々はまして参りたまはぬ人なし。舞台の左右に、楽人の平張打ちて、西東に屯食八十具、禄の唐櫃四十づつ続けて立てたり。
    759 
     760

    760 
     761 [第三段 舞楽を演奏す]
    761 
     762 未の時ばかりに楽人参る。「万歳楽」、「皇じやう」など舞ひて、日暮れかかるほどに、高麗の乱声して、「落蹲」舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言、衛門督下りて、「入綾」をほのかに舞ひて、紅葉の蔭に入りぬる名残、飽かず興ありと人びと思したり。
    762 
     763 いにしへの朱雀院の行幸に、「青海波」のいみじかりし夕べ、思ひ出でたまふ人々は、権中納言、衛門督、また劣らず立ち続きたまひにける、世々のおぼえありさま、容貌、用意などもをさをさ劣らず、官位はやや進みてさへこそなど、齢のほどをも数へて、「なほ、さるべきにて、昔よりかく立ち続きたる御仲らひなりけり」と、めでたく思ふ。
    763 
     764 主人の院も、あはれに涙ぐましく、思し出でらるることども多かり。
    764 
     765

    765 
     766 [第四段 宴の後の寂寥]
    766 
     767 夜に入りて、楽人どもまかり出づ。北の政所の別当ども、人びと率ゐて、禄の唐櫃に寄りて、一つづつ取りて、次々賜ふ。白きものどもを品々かづきて、山際より池の堤過ぐるほどのよそ目は、千歳をかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへらる。
    767 
     768 御遊び始まりて、またいとおもしろし。御琴どもは、春宮よりぞ調へさせたまひける。朱雀院よりわたり参れる琵琶、琴。内裏より賜はりたまへる箏の御琴など、皆昔おぼえたるものの音どもにて、めづらしく掻き合はせたまへるに、何の折にも、過ぎにし方の御ありさま、内裏わたりなど思し出でらる。
    768 
     769 「故入道の宮おはせましかば、かかる御賀など、われこそ進み仕うまつらましか。何ごとにつけてかは心ざしも見えたてまつりけむ」
    769 
     770 と、飽かず口惜しくのみ思ひ出できこえたまふ。
    770 
     771 内裏にも、故宮のおはしまさぬことを、何ごとにも栄なくさうざうしく思さるるに、この院の御ことをだに、例の跡をあるさまのかしこまりを尽くしてもえ見せたてまつらぬを、世とともに飽かぬ心地したまふも、今年はこの御賀にことつけて、行幸などもあるべく思しおきてけれど、
    771 
     772 「世の中のわづらひならむこと、さらにせさせたまふまじくなむ」
    772 
     773 と否び申したまふこと、たびたびになりぬれば、口惜しく思しとまりぬ。
    773 
     774

    774 
     775 [第五段 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷]
    775 
     776 師走の二十日余りのほどに、中宮まかでさせたまひて、今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。
    776 
     777 ありがたき御はぐくみを思し知りながら、何ごとにつけてか、深き御心ざしをもあらはし御覧ぜさせたまはむとて、父宮、母御息所のおはせまし御ための心ざしをも取り添へ思すに、かくあながちに、朝廷にも聞こえ返させたまへば、ことども多くとどめさせたまひつ。
    777 
     778 「四十の賀といふことは、さきざきを聞きはべるにも、残りの齢久しき例なむ少なかりけるを、このたびは、なほ、世の響きとどめさせたまひて、まことに後に足らむことを数へさせたまへ」
    778 
     779 とありけれど、公ざまにて、なほいといかめしくなむありける。
    779 
     780

    780 
     781 [第六段 中宮主催の饗宴]
    781 
     782 宮のおはします町の寝殿に、御しつらひなどして、さきざきにこと変はらず、上達部の禄など、大饗になずらへて、親王たちにはことに女の装束、非参議の四位、まうち君達など、ただの殿上人には、白き細長一襲、腰差などまで、次々に賜ふ。
    782 
     783 装束限りなくきよらを尽くして、名高き帯、御佩刀など、故前坊の御方ざまにて伝はり参りたるも、またあはれになむ。古き世の一の物と名ある限りは、皆集ひ参る御賀になむあめる。昔物語にも、もの得させたるを、かしこきことには数へ続けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲らひのことどもは、えぞ数へあへはべらぬや。
    783 
     784

    784 
     785 [第七段 勅命による夕霧の饗宴]
    785 
     786 内裏には、思し初めてしことどもを、むげにやはとて、中納言にぞつけさせたまひてける。そのころの右大将、病して辞したまひけるを、この中納言に、御賀のほどよろこび加へむと思し召して、にはかになさせたまひつ。
    786 
     787 院もよろこび聞こえさせたまふものから、
    787 
     788 「いと、かく、にはかに余る喜びをなむ、いちはやき心地しはべる」
    788 
     789 と卑下し申したまふ。
    789 
     790 丑寅の町に、御しつらひまうけたまひて、隠ろへたるやうにしなしたまへれど、今日は、なほかたことに儀式まさりて、所々の饗なども、内蔵寮、穀倉院より、仕うまつらせたまへり。
    790 
     791 屯食など、公けざまにて、頭中将宣旨うけたまはりて、親王たち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は、例の、内裏、春宮、院、残る少なし。
    791 
     792 御座、御調度どもなどは、太政大臣詳しくうけたまはりて、仕うまつらせたまへり。今日は、仰せ言ありて渡り参りたまへり。院も、いとかしこくおどろき申したまひて、御座に着きたまひぬ。
    792 
     793 母屋の御座に向へて、大臣の御座あり。いときよらにものものしく太りて、この大臣ぞ、今盛りの宿徳とは見えたまへる。
    793 
     794 主人の院は、なほいと若き源氏の君に見えたまふ。御屏風四帖に、内裏の御手書かせたまへる、唐の綾の薄毯に、下絵のさまなどおろかならむやは。おもしろき春秋の作り絵などよりも、この御屏風の墨つきのかかやくさまは、目も及ばず、思ひなしさへめでたくなむありける。
    794 
     795 置物の御厨子、弾き物、吹き物など、蔵人所より賜はりたまへり。大将の御勢ひ、いといかめしくなりたまひにたれば、うち添へて、今日の作法いとことなり。御馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人、上より次々に牽きととのふるほど、日暮れ果てぬ。
    795 
     796

    796 
     797 [第八段 舞楽を演奏す]
    797 
     798 例の、「万歳楽」、「賀王恩」などいふ舞、けしきばかり舞ひて、大臣の渡りたまへるに、めづらしくもてはやしたまへる御遊びに、皆人、心を入れたまへり。琵琶は、例の兵部卿宮、何ごとにも世に難きものの上手におはして、いと二なし。御前に琴の御琴。大臣、和琴弾きたまふ。
    798 
     799 年ごろ添ひたまひにける御耳の聞きなしにや、いと優にあはれに思さるれば、琴も御手をさをさ隠したまはず、いみじき音ども出づ。
    799 
     800 昔の御物語どもなど出で来て、今はた、かかる御仲らひに、いづ方につけても、聞こえかよひたまふべき御睦びなど、心よく聞こえたまひて、御酒あまたたび参りて、もののおもしろさもとどこほりなく、御酔ひ泣きどもえとどめたまはず。
    800 
     801 御贈り物に、すぐれたる和琴一つ、好みたまふ高麗笛添へて。紫檀の箱一具に、唐の本ども、ここの草の本など入れて。御車に追ひてたてまつれたまふ。御馬ども迎へ取りて、右馬寮ども、高麗の楽して、ののしる。六衛府の官人の禄ども、大将賜ふ。
    801 
     802 御心と削ぎたまひて、いかめしきことどもは、このたび停めたまへれど、内裏、春宮、一院、后の宮、次々の御ゆかりいつくしきほど、いひ知らず見えにたることなれば、なほかかる折には、めでたくなむおぼえける。
    802 
     803

    803 
     804 [第九段 饗宴の後の感懐]
    804 
     805 大将の、ただ一所おはするを、さうざうしく栄なき心地せしかど、あまたの人にすぐれ、おぼえことに、人柄もかたはらなきやうにものしたまふにも、かの母北の方の、伊勢の御息所との恨み深く、挑みかはしたまひけむほどの御宿世どもの行く末見えたるなむ、さまざまなりける。
    805 
     806 その日の御装束どもなど、こなたの上なむしたまひける。禄どもおほかたのことをぞ、三条の北の方はいそぎたまふめりし。折節につけたる御いとなみ、うちうちのもののきよらをも、こなたにはただよそのことにのみ聞きわたりたまふを、何事につけてかは、かかるものものしき数にもまじらひたまはましと、おぼえたるを、大将の君の御ゆかりに、いとよく数まへられたまへり。
    806 
     807

    807 
     808 

    第十章 明石の物語 男御子誕生


    808 
     809 [第一段 明石女御、産期近づく]
    809 
     810 年返りぬ。桐壷の御方近づきたまひぬるにより、正月朔日より、御修法不断にせさせたまふ。寺々、社々の御祈り、はた数も知らず。大殿の君、ゆゆしきことを見たまへてしかば、かかるほどのこと、いと恐ろしきものに思ししみたるを、対の上などのさることしたまはぬは、口惜しくさうざうしきものから、うれしく思さるるに、まだいとあえかなる御ほどに、いかにおはせむと、かねて思し騒ぐに、二月ばかりより、あやしく御けしき変はりて悩みたまふに、御心ども騒ぐべし。
    810 
     811 陰陽師どもも、所を変へてつつしみたまふべく申しければ、他のさし離れたらむはおぼつかなしとて、かの明石の御町の中の対に渡したてまつりたまふ。こなたは、ただおほきなる対二つ、廊どもなむめぐりてありけるに、御修法の壇隙なく塗りて、いみじき験者ども集ひて、ののしる。
    811 
     812 母君、この時にわが御宿世も見ゆべきわざなめれば、いみじき心を尽くしたまふ。
    812 
     813

    813 
     814 [第二段 大尼君、孫の女御に昔を語る]
    814 
     815 かの大尼君も、今はこよなきほけ人にてぞありけむかし。この御ありさまを見たてまつるは、夢の心地して、いつしかと参り、近づき馴れたてまつる。
    815 
     816 年ごろ、母君はかう添ひさぶらひたまへど、昔のことなど、まほにしも聞こえ知らせたまはざりけるを、この尼君、喜びにえ堪へで、参りては、いと涙がちに、古めかしきことどもを、わななき出でつつ語りきこゆ。
    816 
     817 初めつ方は、あやしくむつかしき人かなと、うちまもりたまひしかど、かかる人ありとばかりは、ほの聞きおきたまへれば、なつかしくもてなしたまへり。
    817 
     818 生まれたまひしほどのこと、大殿の君のかの浦におはしましたりしありさま、
    818 
     819 「今はとて京へ上りたまひしに、誰も誰も、心を惑はして、今は限り、かばかりの契りにこそはありけれと嘆きしを、若君のかく引き助けたまへる御宿世の、いみじくかなしきこと」
    819 
     820 と、ほろほろと泣けば、
    820 
     821 「げに、あはれなりける昔のことを、かく聞かせざらましかば、おぼつかなくても過ぎぬべかりけり」
    821 
     822 と思して、うち泣きたまふ。心のうちには、
    822 
     823 「わが身は、げにうけばりていみじかるべき際にはあらざりけるを、対の上の御もてなしに磨かれて、人の思へるさまなども、かたほにはあらぬなりけり。人びとをばまたなきものに。思ひ消ち、こよなき心おごりをばしつれ。世人は、下に言ひ出づるやうもありつらむかし」
    823 
     824 など思し知り果てぬ。
    824 
     825 母君をば、もとよりかくすこしおぼえ下れる筋と知りながら、生まれたまひけむほどなどをば、さる世離れたる境にてなども知りたまはざりけり。いとあまりおほどきたまへるけにこそは。あやしくおぼおぼしかりけることなりや。
    825 
     826 かの入道の、今は仙人の、世にも住まぬやうにてゐたなるを聞きたまふも、心苦しくなど、かたがたに思ひ乱れたまひぬ。
    826 
     827

    827 
     828 [第三段 明石御方、母尼君をたしなめる]
    828 
     829 いとものあはれに眺めておはするに、御方参りたまひて、日中の御加持に、こなたかなたより参り集ひ、もの騒がしくののしるに、御前にこと人もさぶらはず、尼君、所得ていと近くさぶらひたまふ。
    829 
     830 「あな、見苦しや。短き御几帳引き寄せてこそ、さぶらひたまはめ。風など騒がしくて、おのづからほころびの隙もあらむに。医師などやうのさまして。いと盛り過ぎたまへりや」
    830 
     831 など、なまかたはらいたく思ひたまへり。よしめきそして振る舞ふと、おぼゆめれども、もうもうに耳もおぼおぼしかりければ、「ああ」と、傾きてゐたり。
    831 
     832 さるは、いとさ言ふばかりにもあらずかし。六十五、六のほどなり。尼姿、いとかはらかに、あてなるさまして、目艶やかに泣き腫れたるけしきの、あやしく昔思ひ出でたるさまなれば、胸うちつぶれて、
    832 
     833 「古代のひが言どもや、はべりつらむ。よく、この世のほかなるやうなるひがおぼえどもにとり混ぜつつ、あやしき昔のことどもも出でまうで来つらむはや。夢の心地こそしはべれ」
    833 
     834 と、うちほほ笑みて見たてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、例よりもいたくしづまり、もの思したるさまに見えたまふ。わが子ともおぼえたまはず、かたじけなきに、
    834 
     835 「いとほしきことどもを聞こえたまひて、思し乱るるにや。今はかばかりと御位を極めたまはむ世に、聞こえも知らせむとこそ思へ、口惜しく思し捨つべきにはあらねど、いといとほしく心劣りしたまふらむ」
    835 
     836 とおぼゆ。
    836 
     837

    837 
     838 [第四段 明石女三代の和歌唱和]
    838 
     839 御加持果ててまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなし、「こればかりをだに」と、いと心苦しげに思ひて聞こえたまふ。
    839 
     840 尼君は、いとめでたううつくしう見たてまつるままにも、涙はえとどめず。顔は笑みて、口つきなどは見苦しくひろごりたれど、まみのわたりうちしぐれて、ひそみゐたり。
    840 
     841 「あな、かたはらいた」
    841 
     842 と、目くはすれど、聞きも入れず。
    842 
     843 「老の波かひある浦に立ち出でて
    843 
     844  しほたるる海人を誰れかとがめむ
    844 
     845 昔の世にも、かやうなる古人は、罪許されてなむはべりける」
    845 
     846 と聞こゆ。御硯なる紙に、
    846 
     847 「しほたるる海人を波路のしるべにて
    847 
     848  尋ねも見ばや浜の苫屋を」
    848 
     849 御方もえ忍びたまはで、うち泣きたまひぬ。
    849 
     850 「世を捨てて明石の浦に住む人も
    850 
     851  心の闇ははるけしもせじ」
    851 
     852 など聞こえ、紛らはしたまふ。別れけむ暁のことも、夢の中に思し出でられぬを、「口惜しくもありけるかな」と思す。
    852 
     853

    853 
     854 [第五段 三月十日過ぎに男御子誕生]
    854 
     855 弥生の十余日のほどに、平らかに生まれたまひぬ。かねてはおどろおどろしく思し騷ぎしかど、いたく悩みたまふことなくて、男御子にさへおはすれば、限りなく思すさまにて、大殿も御心落ちゐたまひぬ。
    855 
     856 こなたは隠れの方にて、ただ気近きほどなるに、いかめしき御産養などのうちしきり、響きよそほしきありさま、げに「かひある浦」と、尼君のためには見えたれど、儀式なきやうなれば、渡りたまひなむとす。
    856 
     857 対の上も渡りたまへり。白き御装束したまひて、人の親めきて、若宮をつと抱きてゐたまへるさま、いとをかし。みづからかかること知りたまはず、人の上にても見ならひたまはねば、いとめづらかにうつくしと思ひきこえたまへり。むつかしげにおはするほどを、絶えず抱きとりたまへば、まことの祖母君は、ただ任せたてまつりて、御湯殿の扱ひなどを仕うまつりたまふ。
    857 
     858 春宮の宣旨なる典侍ぞ仕うまつる。御迎湯に、おりたちたまへるもいとあはれに、うちうちのこともほの知りたるに、
    858 
     859 「すこしかたほならば、いとほしからましを、あさましく気高く、げに、かかる契りことにものしたまひける人かな」
    859 
     860 と見きこゆ。このほどの儀式なども、まねびたてむに、いとさらなりや。
    860 
     861

    861 
     862 [第六段 帝の七夜の産養]
    862 
     863 六日といふに、例の御殿に渡りたまひぬ。七日の夜、内裏よりも御産養のことあり。
    863 
     864 朱雀院の、かく世を捨ておはします御代はりにや、蔵人所より、頭弁、宣旨うけたまはりて、めづらかなるさまに仕うまつれり。禄の衣など、また中宮の御方よりも、公事にはたちまさり、いかめしくせさせたまふ。次々の親王たち、大臣の家々、そのころのいとなみにて、われもわれもと、きよらを尽くして仕うまつりたまふ。
    864 
     865 大殿の君も、このほどのことどもは、例のやうにもこと削がせたまはで、世になく響きこちたきほどに、うちうちのなまめかしくこまかなるみやびに、まねび伝ふべき節は、目も止まらずなりにけり。大殿の君も、若宮をほどなく抱きたてまつりたまひて、
    865 
     866 「大将のあまたまうけたなるを、今まで見せぬがうらめしきに、かくらうたき人をぞ得たてまつりたる」
    866 
     867 と、うつくしみきこえたまふは、ことわりなりや。
    867 
     868 日々に、ものを引き伸ぶるやうにおよすけたまふ。御乳母など、心知らぬはとみに召さで、さぶらふ中に、品、心すぐれたる限りを選りて、仕うまつらせたまふ。
    868 
     869

    869 
     870 [第七段 紫の上と明石御方の仲]
    870 
     871 御方の御心おきての、らうらうじく気高く、おほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬなどを、褒めぬ人なし。
    871 
     872 対の上は、まほならねど、見え交はしたまひて、さばかり許しなく思したりしかど、今は、宮の御徳に、いと睦ましく、やむごとなく思しなりにたり。稚児うつくしみたまふ御心にて、天児など、御手づから作りそそくりおはするも、いと若々し。明け暮れこの御かしづきにて過ぐしたまふ。
    872 
     873 かの古代の尼君は、若宮をえ心のどかに見たてまつらぬなむ、飽かずおぼえける。なかなか見たてまつり初めて、恋ひきこゆるにぞ、命もえ堪ふまじかめる。
    873 
     874

    874 
     875 

    第十一章 明石の物語 入道の手紙


    875 
     876 [第一段 明石入道、手紙を贈る]
    876 
     877 かの明石にも、かかる御こと伝へ聞きて、さる聖心地にも、いとうれしくおぼえければ、
    877 
     878 「今なむ、この世の境を心やすく行き離るべき」
    878 
     879 と弟子どもに言ひて、この家をば寺になし、あたりの田などやうのものは、皆その寺のことにしおきて、この国の奥の郡に、人も通ひがたく深き山あるを、年ごろも占めおきながら、あしこに籠もりなむ後、また人には見え知らるべきにもあらずと思ひて、ただすこしのおぼつかなきこと残りければ、今までながらへけるを、今はさりともと、仏神を頼み申してなむ移ろひける。
    879 
     880 この近き年ごろとなりては、京に異なることならで、人も通はしたてまつらざりつ。これより下したまふ人ばかりにつけてなむ、一行にても、尼君さるべき折節のことも通ひける。思ひ離るる世のとぢめに、文書きて、御方にたてまつれたまへり。
    880 
     881

    881 
     882 [第二段 入道の手紙]
    882 
     883 「この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、何かは、かくながら身を変へたるやうに思うたまへなしつつ、させることなき限りは、聞こえうけたまはらず。
    883 
     884 仮名文見たまふるは、目の暇いりて、念仏も懈台するやうに、益なうてなむ、御消息もたてまつらぬを、伝てにうけたまはれば、若君は春宮に参りたまひて、男宮生まれたまへるよしをなむ、深く喜び申しはべる。
    884 
     885 そのゆゑは、みづからかくつたなき山伏の身に、今さらにこの世の栄えを思ふにもはべらず。過ぎにし方の年ごろ、心ぎたなく、六時の勤めにも、ただ御ことを心にかけて、蓮の上の露の願ひをばさし置きてなむ念じたてまつりし。
    885 
     886 わがおもと生まれたまはむとせし、その年の二月のその夜の夢に見しやう、
    886 
     887 『みづから須弥の山を、右の手に捧げたり。山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす。みづからは山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず。山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆく』
    887 
     888 となむ見はべし。
    888 
     889 夢覚めて、朝より数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむと、心のうちに思ひはべしを、そのころより孕まれたまひにしこなた、俗の方の書を見はべしにも、また内教の心を尋ぬる中にも、夢を信ずべきこと多くはべしかば、賤しき懐のうちにも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、力及ばぬ身に思うたまへかねてなむ、かかる道に赴きはべりにし。
    889 
     890 また、この国のことに沈みはべりて、老の波にさらに立ち返らじと思ひとぢめて、この浦に年ごろはべしほども、わが君を頼むことに思ひきこえはべしかばなむ、心一つに多くの願を立てはべし。その返り申し、平らかに思ひのごと時にあひたまふ。
    890 
     891 若君、国の母となりたまひて、願ひ満ちたまはむ世に、住吉の御社をはじめ、果たし申したまへ。さらに何ごとをかは疑ひはべらむ。
    891 
     892 この一つの思ひ、近き世にかなひはべりぬれば、はるかに西の方、十万億の国隔てたる、九品の上の望み疑ひなくなりはべりぬれば、今はただ迎ふる蓮を待ちはべるほど、その夕べまで、水草清き山の末にて勤めはべらむとてなむ、まかり入りぬる。
    892 
     893  光出でむ暁近くなりにけり
    893 
     894  今ぞ見し世の夢語りする」
    894 
     895 とて、月日書きたり。
    895 
     896

    896 
     897 [第三段 手紙の追伸]
    897 
     898 「命終らむ月日も、さらにな知ろしめしそ。いにしへより人の染めおきける藤衣にも、何かやつれたまふ。ただわが身は変化のものと思しなして、老法師のためには功徳をつくりたまへ。この世の楽しみに添へても、後の世を忘れたまふな。
    898 
     899 願ひはべる所にだに至りはべりなば、かならずまた対面ははべりなむ。娑婆の他の岸に至りて、疾くあひ見むとを思せ」
    899 
     900 さて、かの社に立て集めたる願文どもを、大きなる沈の文箱に、封じ籠めてたてまつりたまへり。
    900 
     901 尼君には、ことごとにも書かず、ただ、
    901 
     902 「この月の十四日になむ、草の庵まかり離れて、深き山に入りはべりぬる。かひなき身をば、熊狼にも施しはべりなむ。そこには、なほ思ひしやうなる御世を待ち出でたまへ。明らかなる所にて、また対面はありなむ」
    902 
     903 とのみあり。
    903 
     904

    904 
     905 [第四段 使者の話]
    905 
     906 尼君、この文を見て、かの使ひの大徳に問へば、
    906 
     907 「この御文書きたまひて、三日といふになむ、かの絶えたる峰に移ろひたまひにし。なにがしらも、かの御送りに、麓まではさぶらひしかど、皆返したまひて、僧一人、童二人なむ、御供にさぶらはせたまふ。今はと世を背きたまひし折を、悲しきとぢめと思うたまへしかど、残りはべりけり。
    907 
     908 年ごろ行なひの隙々に、寄り臥しながら掻き鳴らしたまひし琴の御琴、琵琶とり寄せたまひて、掻い調べたまひつつ、仏にまかり申したまひてなむ、御堂に施入したまひし。さらぬものどもも、多くはたてまつりたまひて、その残りをなむ、御弟子ども六十余人なむ、親しき限りさぶらひける、ほどにつけて皆処分したまひて、なほし残りをなむ、京の御料とて送りたてまつりたてまつりたまへる。
    908 
     909 今はとてかき籠もり、さるはるけき山の雲霞に混じりたまひにし、むなしき御跡にとまりて、悲しび思ふ人びとなむ多くはべる」
    909 
     910 など、この大徳も、童にて京より下りし人の、老法師になりてとまれる、いとあはれに心細しと思へり。仏の御弟子のさかしき聖だに、鷲の峰をばたどたどしからず頼みきこえながら、なほ薪尽きける夜の惑ひは深かりけるを、まして尼君の悲しと思ひたまへること限りなし。
    910 
     911

    911 
     912 [第五段 明石御方、手紙を見る]
    912 
     913 御方は、南の御殿におはするを、「かかる御消息なむある」とありければ、忍びて渡りたまへり。重々しく身をもてなして、おぼろけならでは、通ひあひたまふこともかたきを、「あはれなることなむ」と聞きて、おぼつかなければ、うち忍びてものしたまへるに、いといみじく悲しげなるけしきにてゐたまへり。
    913 
     914 火近く取り寄せて、この文を見たまふに、げにせきとめむかたぞなかりける。よその人は、何とも目とどむまじきことの、まづ、昔来し方のこと思ひ出で、恋しと思ひわたりたまふ心には、「あひ見で過ぎ果てぬるにこそは」と、見たまふに、いみじくいふかひなし。
    914 
     915 涙をえせきとめず、この夢語りを、かつは行く先頼もしく、
    915 
     916 「さらば、ひが心にて、わが身をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、中ごろ思ひただよはれしことは、かくはかなき夢に頼みをかけて、心高くものしたまふなりけり」
    916 
     917 と、かつがつ思ひ合はせたまふ。
    917 
     918

    918 
     919 [第六段 尼君と御方の感懐]
    919 
     920 尼君、久しくためらひて、
    920 
     921 「君の御徳には、うれしくおもただしきことをも、身にあまりて並びなく思ひはべり。あはれにいぶせき思ひもすぐれてこそはべりけれ。
    921 
     922 数ならぬ方にても、ながらへし都を捨てて、かしこに沈みゐしをだに、世人に違ひたる宿世にもあるかな、と思ひはべしかど、生ける世にゆき離れ、隔たるべき仲の契りとは思ひかけず、同じ蓮に住むべき後の世の頼みをさへかけて年月を過ぐし来て、にはかにかくおぼえぬ御こと出で来て、背きにし世に立ち返りてはべる、かひある御ことを見たてまつりよろこぶものから、片つかたには、おぼつかなく悲しきことのうち添ひて絶えぬを、つひにかくあひ見ず隔てながらこの世を別れぬるなむ、口惜しくおぼえはべる。
    922 
     923 世に経し時だに、人に似ぬ心ばへにより、世をもてひがむるやうなりしを、若きどち頼みならひて、おのおのはまたなく契りおきてければ、かたみにいと深くこそ頼みはべしか。いかなれば、かく耳に近きほどながら、かくて別れぬらむ」
    923 
     924 と言ひ続けて、いとあはれにうちひそみたまふ。御方もいみじく泣きて、
    924 
     925 「人にすぐれむ行く先のことも、おぼえずや。数ならぬ身には、何ごとも、けざやかにかひあるべきにもあらぬものから、あはれなるありさまに、おぼつかなくてやみなむのみこそ口惜しけれ。
    925 
     926 よろづのこと、さるべき人の御ためとこそおぼえはべれ、さて絶え籠もりたまひなば、世の中も定めなきに、やがて消えたまひなば、かひなくなむ」
    926 
     927 とて、夜もすがら、あはれなることどもを言ひつつ明かしたまふ。
    927 
     928

    928 
     929 [第七段 御方、部屋に戻る]
    929 
     930 「昨日も、大殿の君の、あなたにありと見置きたまひてしを、にはかにはひ隠れたらむも、軽々しきやうなるべし。身ひとつは、何ばかりも思ひ憚りはべらず。かく添ひたまふ御ためなどのいとほしきになむ、心にまかせて身をももてなしにくかるべき」
    930 
     931 とて、暁に帰り渡りたまひぬ。
    931 
     932 「若宮はいかがおはします。いかでか見たてまつるべき」
    932 
     933 とても泣きぬ。
    933 
     934 「今見たてまつりたまひてむ。女御の君も、いとあはれになむ思し出でつつ、聞こえさせたまふめる。院も、ことのついでに、もし世の中思ふやうならば、ゆゆしきかね言なれど、尼君そのほどまでながらへたまはなむ、とのたまふめりき。いかに思すことにかあらむ」
    934 
     935 とのたまへば、またうち笑みて、
    935 
     936 「いでや、さればこそ、さまざま例なき宿世にこそはべれ」
    936 
     937 とて喜ぶ。この文箱は持たせて参う上りたまひぬ。
    937 
     938

    938 
     939 

    第十二章 明石の物語 一族の宿世


    939 
     940 [第一段 東宮からのお召しの催促]
    940 
     941 宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば、
    941 
     942 「かく思したる、ことわりなり。めづらしきことさへ添ひて、いかに心もとなく思さるらむ」
    942 
     943 と、紫の上ものたまひて、若宮忍びて参らせたてまつらむ御心づかひしたまふ。
    943 
     944 御息所は、御暇の心やすからぬに懲りたまひて、かかるついでに、しばしあらまほしく思したり。ほどなき御身に、さる恐ろしきことをしたまへれば、すこし面痩せ細りて、いみじくなまめかしき御さましたまへり。
    944 
     945 「かく、ためらひがたくおはするほど、つくろひたまひてこそは」
    945 
     946 など、御方などは心苦しがりきこえたまふを、大殿は、
    946 
     947 「かやうに面痩せて見えたてまつりたまはむも、なかなかあはれなるべきわざなり」
    947 
     948 などのたまふ。
    948 
     949

    949 
     950 [第二段 明石女御、手紙を見る]
    950 
     951 対の上などの渡りたまひぬる夕つ方、しめやかなるに、御方、御前に参りたまひて、この文箱聞こえ知らせたまふ。
    951 
     952 「思ふさまにかなひ果てさせたまふまでは、取り隠して置きてはべるべけれど、世の中定めがたければ、うしろめたさになむ。何ごとをも御心と思し数まへざらむこなた、ともかくも、はかなくなりはべりなば、かならずしも今はのとぢめを、御覧ぜらるべき身にもはべらねば、なほ、うつし心失せずはべる世になむ、はかなきことをも、聞こえさせ置くべくはべりける、と思ひはべりて。
    952 
     953 むつかしくあやしき跡なれど、これも御覧ぜよ。この願文は、近き御厨子などに置かせたまひて、かならずさるべからむ折に御覧じて、このうちのことどもはせさせたまへ。
    953 
     954 疎き人には、な漏らさせたまひそ。かばかりと見たてまつりおきつれば、みづからも世を背きはべなむと思うたまへなりゆけば、よろづ心のどかにもおぼえはべらず。
    954 
     955 対の上の御心、おろかに思ひきこえさせたまふな。いとありがたくものしたまふ、深き御けしきを見はべれば、身にはこよなくまさりて、長き御世にもあらなむとぞ思ひはべる。もとより、御身に添ひきこえさせむにつけても、つつましき身のほどにはべれば、譲りきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなむ、年ごろは、なほ世の常に思うたまへわたりはべりつる。
    955 
     956 今は、来し方行く先、うしろやすく思ひなりにてはべり」
    956 
     957 など、いと多く聞こえたまふ。涙ぐみて聞きおはす。かくむつましかるべき御前にも、常にうちとけぬさましたまひて、わりなくものづつみしたるさまなり。この文の言葉、いとうたてこはく、憎げなるさまを、陸奥国紙にて、年経にければ、黄ばみ厚肥えたる五、六枚、さすがに香にいと深くしみたるに書きたまへり。
    957 
     958 いとあはれと思して、御額髪のやうやう濡れゆく、御側目、あてになまめかし。
    958 
     959

    959 
     960 [第三段 源氏、女御の部屋に来る]
    960 
     961 院は、姫宮の御方におはしけるを、中の御障子よりふと渡りたまへれば、えしも引き隠さで、御几帳をすこし引き寄せて、みづからははた隠れたまへり。
    961 
     962 「若宮は、おどろきたまへりや。時の間も恋しきわざなりけり」
    962 
     963 と聞こえたまへば、御息所はいらへも聞こえたまはねば、御方、
    963 
     964 「対に渡しきこえたまひつ」
    964 
     965 と聞こえたまふ。
    965 
     966 「いとあやしや。あなたにこの宮を領じたてまつりて、懐をさらに放たずもて扱ひつつ、人やりならず衣も皆濡らして、脱ぎかへがちなめる。軽々しく、などかく渡したてまつりたまふ。こなたに渡りてこそ見たてまつりたまはめ」
    966 
     967 とのたまへば、
    967 
     968 「いと、うたて。思ひぐまなき御ことかな。女におはしまさむにだに、あなたにて見たてまつりたまはむこそよくはべらめ。まして男は、限りなしと聞こえさすれど、心やすくおぼえたまふを。戯れにても、かやうに隔てがましきこと、なさかしがり聞こえさせたまひそ」
    968 
     969 と聞こえたまふ。うち笑ひて、
    969 
     970 「御仲どもにまかせて、見放ちきこゆべきななりな。隔てて、今は、誰も誰もさし放ち、さかしらなどのたまふこそ幼けれ。まづは、かやうにはひ隠れて、つれなく言ひ落としたまふめりかし」
    970 
     971 とて、御几帳を引きやりたまへれば、母屋の柱に寄りかかりて、いときよげに、心恥づかしげなるさましてものしたまふ。
    971 
     972

    972 
     973 [第四段 源氏、手紙を見る]
    973 
     974 ありつる箱も、惑ひ隠さむもさま悪しければ、さておはするを、
    974 
     975 「なぞの箱。深き心あらむ。懸想人の長歌詠みて封じこめたる心地こそすれ」
    975 
     976 とのたまへば、
    976 
     977 「あな、うたてや。今めかしくなり返らせたまふめる御心ならひに、聞き知らぬやうなる御すさび言どもこそ、時々出で来れ」
    977 
     978 とて、ほほ笑みたまへれど、ものあはれなりける御けしきどもしるければ、あやしとうち傾きたまへるさまなれば、わづらはしくて、
    978 
     979 「かの明石の岩屋より、忍びてはべし御祈りの巻数、また、まだしき願などのはべりけるを、御心にも知らせたてまつるべき折あらば、御覧じおくべくやとてはべるを、ただ今は、ついでなくて、何かは開けさせたまはむ」
    979 
     980 と聞こえたまふに、「げに、あはれなるべきありさまぞかし」と思して、
    980 
     981 「いかに行なひまして住みたまひにたらむ。命長くて、ここらの年ごろ勤むる罪も、こよなからむかし。世の中に、よしあり、賢しき方々の、人とて見るにも、この世に染みたるほどの濁り深きにやあらむ、賢き方こそあれ、いと限りありつつ及ばざりけりや。
    981 
     982 さもいたり深く、さすがに、けしきありし人のありさまかな。聖だち、この世離れ顔にもあらぬものから、下の心は、皆あらぬ世に通ひ住みにたるとこそ、見えしか。
    982 
     983 まして、今は心苦しきほだしもなく、思ひ離れにたらむをや。かやすき身ならば、忍びて、いと会はまほしくこそ」
    983 
     984 とのたまふ。
    984 
     985 「今は、かのはべりし所をも捨てて、鳥の音聞こえぬ山にとなむ聞きはべる」
    985 
     986 と聞こゆれば、
    986 
     987 「さらば、その遺言ななりな。消息は通はしたまふや。尼君、いかに思ひたまふらむ。親子の仲よりも、またさるさまの契りは、ことにこそ添ふべけれ」
    987 
     988 とて、うち涙ぐみたまへり。
    988 
     989

    989 
     990 [第五段 源氏の感想]
    990 
     991 「年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思ひ知りゆくままに、あやしく恋しく思ひ出でらるる人の御ありさまなれば、深き契りの仲らひは、いかにあはれならむ」
    991 
     992 などのたまふついでに、「この夢語りも思し合はすることもや」と思ひて、
    992 
     993 「いとあやしき梵字とかいふやうなる跡にはべめれど、御覧じとどむべき節もや混じりはべるとてなむ。今はとて別れはべりにしかど、なほこそ、あはれは残りはべるものなりけれ」
    993 
     994 とて、さまよくうち泣きたまふ。寄りたまひて、
    994 
     995 「いとかしこく、なほほれぼれしからずこそあるべけれ。手なども、すべて何ごとも、わざと有職にしつべかりける人の、ただこの世経る方の心おきてこそ少なかりけれ。
    995 
     996 かの先祖の大臣は、いとかしこくありがたき心ざしを尽くして、朝廷に仕うまつりたまひけるほどに、ものの違ひめありて、その報いにかく末はなきなりなど、人言ふめりしを、女子の方につけたれど、かくていと嗣なしといふべきにはあらぬも、そこらの行なひのしるしにこそはあらめ」
    996 
     997 など、涙おし拭ひたまひつつ、この夢のわたりに目とどめたまふ。
    997 
     998 「あやしくひがひがしく、すずろに高き心ざしありと人も咎め、また我ながらも、さるまじき振る舞ひを、仮にてもするかな、と思ひしことは、この君の生まれたまひし時に、契り深く思ひ知りにしかど、目の前に見えぬあなたのことは、おぼつかなくこそ思ひわたりつれ、さらば、かかる頼みありて、あながちには望みしなりけり。
    998 
     999 横さまに、いみじき目を見、ただよひしも、この人一人のためにこそありけれ。いかなる願をか心に起こしけむ」
    999 
     1000 とゆかしければ、心のうちに拝みて取りたまひつ。
    1000 
     1001

    1001 
     1002 [第六段 源氏、紫の上の恩を説く]
    1002 
     1003 「これは、また具してたてまつるべきものはべり。今また聞こえ知らせはべらむ」
    1003 
     1004 と、女御には聞こえたまふ。そのついでに、
    1004 
     1005 「今は、かく、いにしへのことをもたどり知りたまひぬれど、あなたの御心ばへを、おろかに思しなすな。もとよりさるべき仲、えさらぬ睦びよりも、横さまの人のなげのあはれをもかけ、一言の心寄せあるは、おぼろけのことにもあらず。
    1005 
     1006 まして、ここになどさぶらひ馴れたまふを見る見るも、初めの心ざし変はらず、深くねむごろに思ひきこえたるを。
    1006 
     1007 いにしへの世のたとへにも、さこそはうはべには育みけれと、らうらうじきたどりあらむも、賢きやうなれど、なほあやまりても、わがため下の心ゆがみたらむ人を、さも思ひ寄らず、うらなからむためは、引き返しあはれに、いかでかかるにはと、罪得がましきにも、思ひ直ることもあるべし。
    1007 
     1008 おぼろけの昔の世のあだならぬ人は、違ふ節々あれど、ひとりひとり罪なき時には、おのづからもてなす例どもあるべかめり。さしもあるまじきことに、かどかどしく癖をつけ、愛敬なく、人をもて離るる心あるは、いとうちとけがたく、思ひぐまなきわざになむあるべき。
    1008 
     1009 多くはあらねど、人の心の、とあるさまかかるおもむきを見るに、ゆゑよしといひ、さまざまに口惜しからぬ際の心ばせあるべかめり。皆おのおの得たる方ありて、取るところなくもあらねど、また、取り立てて、わが後見に思ひ、まめまめしく選び思はむには、ありがたきわざになむ。
    1009 
     1010 ただまことに心の癖なくよきことは、この対をのみなむ、これをぞおいらかなる人といふべかりける、となむ思ひはべる。よしとて、またあまりひたたけて頼もしげなきも、いと口惜しや」
    1010 
     1011 とばかりのたまふに、かたへの人は思ひやられぬかし。
    1011 
     1012

    1012 
     1013 [第七段 明石御方、卑下す]
    1013 
     1014 「そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを、いとよし、睦び交はして、この御後見をも、同じ心にてものしたまへ」
    1014 
     1015 など、忍びやかにのたまふ。
    1015 
     1016 「のたまはせねど、いとありがたき御けしきを見たてまつるままに、明け暮れの言種に聞こえはべる。めざましきものになど思しゆるさざらむに、かうまで御覧じ知るべきにもあらぬを、かたはらいたきまで数まへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなむ。
    1016 
     1017 数ならぬ身の、さすがに消えぬは、世の聞き耳も、いと苦しく、つつましく思うたまへらるるを、罪なきさまに、もて隠されたてまつりつつのみこそ」
    1017 
     1018 と聞こえたまへば、
    1018 
     1019 「その御ためには、何の心ざしかはあらむ。ただ、この御ありさまを、うち添ひてもえ見たてまつらぬおぼつかなさに、譲りきこえらるるなめり。それもまた、とりもちて、掲焉になどあらぬ御もてなしどもに、よろづのことなのめに目やすくなれば、いとなむ思ひなくうれしき。
    1019 
     1020 はかなきことにて、ものの心得ずひがひがしき人は、立ち交じらふにつけて、人のためさへからきことありかし。さ直しどころなく、誰もものしたまふめれば、心やすくなむ」
    1020 
     1021 とのたまふにつけても、
    1021 
     1022 「さりや、よくこそ卑下しにけれ」
    1022 
     1023 など、思ひ続けたまふ。対へ渡りたまひぬ。
    1023 
     1024

    1024 
     1025 [第八段 明石御方、宿世を思う]
    1025 
     1026 「さも、いとやむごとなき御心ざしのみまさるめるかな。げにはた、人よりことに、かくしも具したまへるありさまの、ことわりと見えたまへるこそめでたけれ。
    1026 
     1027 宮の御方、うはべの御かしづきのみめでたくて、渡りたまふことも、えなのめならざめるは、かたじけなきわざなめりかし。同じ筋にはおはすれど、今一際は心苦しく」
    1027 
     1028 としりうごちきこえたまふにつけても、わが宿世は、いとたけくぞ、おぼえたまひける。
    1028 
     1029 「やむごとなきだに、思すさまにもあらざめる世に、まして立ちまじるべきおぼえにしあらねば、すべて今は、恨めしき節もなし。ただ、かの絶え籠もりにたる山住みを思ひやるのみぞ、あはれにおぼつかなき」
    1029 
     1030 尼君も、ただ、「福地の園に種まきて」とやうなりし一言をうち頼みて、後の世を思ひやりつつ眺めゐたまへり。
    1030 
     1031

    1031 
     1032 

    第十三章 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る


    1032 
     1033 [第一段 夕霧の女三の宮への思い]
    1033 
     1034 大将の君は、この姫宮の御ことを、思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの御かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折々に参り馴れ、おのづから御けはひ、ありさまも見聞きたまふに、いと若くおほどきたまへる一筋にて、上の儀式はいかめしく、世の例にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの深くは見えず。
    1034 
     1035 女房なども、おとなおとなしきは少なく、若やかなる容貌人の、ひたぶるにうちはなやぎ、さればめるはいと多く、数知らぬまで集ひさぶらひつつ、もの思ひなげなる御あたりとはいひながら、何ごとものどやかに心しづめたるは、心のうちのあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも、またまことに心地ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうち混じれば、かたへの人にひかれつつ、同じけはひもてなしになだらかなるを、ただ明け暮れは、いはけたる遊び戯れに心入れたる童女のありさまなど、院は、いと目につかず見たまふことどもあれど、一つさまに世の中を思しのたまはぬ御本性なれば、かかる方をもまかせて、さこそはあらまほしからめ、と御覧じゆるしつつ、戒めととのへさせたまはず。
    1035 
     1036 正身の御ありさまばかりをば、いとよく教へきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。
    1036 
     1037

    1037 
     1038 [第二段 夕霧、女三の宮を他の女性と比較]
    1038 
     1039 かやうのことを、大将の君も、
    1039 
     1040 「げにこそ、ありがたき世なりけれ。紫の御用意、けしきの、ここらの年経ぬれど、ともかくも漏り出で見え聞こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、心うつくしう、人をも消たず、身をもやむごとなく、心にくくもてなし添へたまへること」
    1040 
     1041 と、見し面影も忘れがたくのみなむ思ひ出でられける。
    1041 
     1042 「わが御北の方も、あはれと思す方こそ深けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ人なり。おだしきものに、今はと目馴るるに、心ゆるびて、なほかくさまざまに、集ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを、心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は、人の御ほどを思ふにも、限りなく心ことなる御ほどに、取り分きたる御けしきしもあらず、人目の飾りばかりにこそ」
    1042 
     1043 と見たてまつり知る。わざとおほけなき心にしもあらねど、「見たてまつる折ありなむや」と、ゆかしく思ひきこえたまひけり。
    1043 
     1044

    1044 
     1045 [第三段 柏木、女三の宮に執心]
    1045 
     1046 衛門督の君も、院に常に参り、親しくさぶらひ馴れたまひし人なれば、この宮を父帝のかしづきあがめたてまつりたまひし御心おきてなど、詳しく見たてまつりおきて、さまざまの御定めありしころほひより聞こえ寄り、院にも、「めざましとは思し、のたまはせず」と聞きしを、かくことざまになりたまへるは、いと口惜しく、胸いたき心地すれば、なほえ思ひ離れず。
    1046 
     1047 その折より語らひつきにける女房のたよりに、御ありさまなども聞き伝ふるを慰めに思ふぞ、はかなかりける。
    1047 
     1048 「対の上の御けはひには、なほ圧されたまひてなむ」と、世人もまねび伝ふるを聞きては、
    1048 
     1049 「かたじけなくとも、さるものは思はせたてまつらざらまし。げに、たぐひなき御身にこそ、あたらざらめ」
    1049 
     1050 と、常にこの小侍従といふ御乳主をも言ひはげまして、
    1050 
     1051 「世の中定めなきを、大殿の君、もとより本意ありて思しおきてたる方に赴きたまはば」
    1051 
     1052 と、たゆみなく思ひありきけり。
    1052 
     1053

    1053 
     1054 [第四段 柏木ら東町に集い遊ぶ]
    1054 
     1055 弥生ばかりの空うららかなる日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督など参りたまへり。大殿出でたまひて、御物語などしたまふ。
    1055 
     1056 「静かなる住まひは、このころこそいとつれづれに紛るることなかりけれ。公私にことなしや。何わざしてかは暮らすべき」
    1056 
     1057 などのたまひて、
    1057 
     1058 「今朝、大将のものしつるは、いづ方にぞ。いとさうざうしきを、例の、小弓射させて見るべかりけり。好むめる若人どもも見えつるを、ねたう出でやしぬる」
    1058 
     1059 と、問はせたまふ。
    1059 
     1060 「大将の君は、丑寅の町に、人びとあまたして、鞠もて遊ばして見たまふ」
    1060 
     1061 と聞こしめして、
    1061 
     1062 「乱りがはしきことの、さすがに目覚めてかどかどしきぞかし。いづら、こなたに」
    1062 
     1063とて、御消息あれば、参りたまへり。若君達めく人びと多かりけり。
    1063 
     1064 「鞠持たせたまへりや。誰々かものしつる」
    1064 
     1065 とのたまふ。
    1065 
     1066 「これかれはべりつ」
    1066 
     1067 「こなたへまかでむや」
    1067 
     1068 とのたまひて、寝殿の東面、桐壺は若宮具したてまつりて、参りたまひにしころなれば、こなた隠ろへたりけり。遣水などのゆきあひはれて、よしあるかかりのほどを尋ねて立ち出づ。太政大臣殿の君達、頭弁、兵衛佐、大夫の君など、過ぐしたるも、まだ片なりなるも、さまざまに、人よりまさりてのみものしたまふ。
    1068 
     1069

    1069 
     1070 [第五段 南町で蹴鞠を催す]
    1070 
     1071 やうやう暮れかかるに、「風吹かず、かしこき日なり」と興じて、弁君もえしづめず立ちまじれば、大殿、
    1071 
     1072 「弁官もえをさめあへざめるを、上達部なりとも、若き衛府司たちは、などか乱れたまはざらむ。かばかりの齢にては、あやしく見過ぐす、口惜しくおぼえしわざなり。さるは、いと軽々なりや。このことのさまよ」
    1072 
     1073 などのたまふに、大将も督君も、皆下りたまひて、えならぬ花の蔭にさまよひたまふ夕ばえ、いときよげなり。をさをささまよく静かならぬ、乱れごとなめれど、所から人からなりけり。
    1073 
     1074 ゆゑある庭の木立のいたく霞みこめたるに、色々紐ときわたる花の木ども、わづかなる萌黄の蔭に、かくはかなきことなれど、善き悪しきけぢめあるを挑みつつ、われも劣らじと思ひ顔なる中に、衛門督のかりそめに立ち混じりたまへる足もとに、並ぶ人なかりけり。
    1074 
     1075 容貌いときよげに、なまめきたるさましたる人の、用意いたくして、さすがに乱りがはしき、をかしく見ゆ。
    1075 
     1076 御階の間にあたれる桜の蔭に寄りて、人びと、花の上も忘れて心に入れたるを、大殿も宮も、隅の高欄に出でて御覧ず。
    1076 
     1077

    1077 
     1078 [第六段 女三の宮たちも見物す]
    1078 
     1079 いと労ある心ばへども見えて、数多くなりゆくに、上臈も乱れて、冠の額すこしくつろぎたり。大将の君も、御位のほど思ふこそ、例ならぬ乱りがはしさかなとおぼゆれ、見る目は、人よりけに若くをかしげにて、桜の直衣のやや萎えたるに、指貫の裾つ方、すこしふくみて、けしきばかり引き上げたまへり。
    1079 
     1080 軽々しうも見えず、ものきよげなるうちとけ姿に、花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。督の君続きて、
    1080 
     1081 「花、乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ」
    1081 
     1082 などのたまひつつ、宮の御前の方を後目に見れば、例の、ことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾のつま、透影など、春の手向けの幣袋にやとおぼゆ。
    1082 
     1083

    1083 
     1084 [第七段 唐猫、御簾を引き開ける]
    1084 
     1085 御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人気近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人びとおびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしかましき心地す。
    1085 
     1086 猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこしろふほどに、御簾の側いとあらはに引き開けられたるを、とみにひき直す人もなし。この柱のもとにありつる人びとも、心あわたたしげにて、もの懼ぢしたるけはひどもなり。
    1086 
     1087

    1087 
     1088 [第八段 柏木、女三の宮を垣間見る]
    1088 
     1089 几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東の側なれば、まぎれどころもなくあらはに見入れらる。
    1089 
     1090 紅梅にやあらむ、濃き薄き、すぎすぎに、あまた重なりたるけぢめ、はなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。御髪のすそまでけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七、八寸ばかりぞ余りたまへる。御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。夕影なれば、さやかならず、奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。
    1090 
     1091 鞠に身を投ぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人びと、あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたく鳴けば、見返りたまへる面もち、もてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やと、ふと見えたり。
    1091 
     1092

    1092 
     1093 [第九段 夕霧、事態を憂慮す]
    1093 
     1094 大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき入りたまふ。さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の綱ゆるしつれば、心にもあらずうち嘆かる。
    1094 
     1095 まして、さばかり心をしめたる衛門督は、胸ふとふたがりて、誰ればかりにかはあらむ、ここらの中にしるき袿姿よりも、人に紛るべくもあらざりつる御けはひなど、心にかかりておぼゆ。
    1095 
     1096 さらぬ顔にもてなしたれど、「まさに目とどめじや」と、大将はいとほしく思さる。わりなき心地の慰めに、猫を招き寄せてかき抱きたれば、いと香ばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく思ひよそへらるるぞ、好き好きしきや。
    1096 
     1097

    1097 
     1098 

    第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴


    1098 
     1099 [第一段 蹴鞠の後の酒宴]
    1099 
     1100 大殿御覧じおこせて、
    1100 
     1101 「上達部の座、いと軽々しや。こなたにこそ」
    1101 
     1102 とて、対の南面に入りたまへれば、みなそなたに参りたまひぬ。宮もゐ直りたまひて、御物語したまふ。
    1102 
     1103 次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。さるべき乾物ばかりして、御土器参る。
    1103 
     1104 衛門督は、いといたく思ひしめりて、ややもすれば、花の木に目をつけて眺めやる。大将は、心知りに、「あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやあらむ」と思ひたまふ。
    1104 
     1105 「いと端近なりつるありさまを、かつは軽々しと思ふらむかし。いでや。こなたの御ありさまの、さはあるまじかめるものを」と思ふに、「かかればこそ、世のおぼえのほどよりは、うちうちの御心ざしぬるきやうにはありけれ」
    1105 
     1106 と思ひ合はせて、
    1106 
     1107 「なほ、内外の用意多からず、いはけなきは、らうたきやうなれど、うしろめたきやうなりや」
    1107 
     1108 と、思ひ落とさる。
    1108 
     1109 宰相の君は、よろづの罪をもをさをさたどられず、おぼえぬものの隙より、ほのかにもそれと見たてまつりつるにも、「わが昔よりの心ざしのしるしあるべきにや」と、契りうれしき心地して、飽かずのみおぼゆ。
    1109 
     1110

    1110 
     1111 [第二段 源氏の昔語り]
    1111 
     1112 院は、昔物語し出でたまひて、
    1112 
     1113 「太政大臣の、よろづのことにたち並びて、勝ち負けの定めしたまひし中に、鞠なむえ及ばずなりにし。はかなきことは、伝へあるまじけれど、ものの筋はなほこよなかりけり。いと目も及ばず、かしこうこそ見えつれ」
    1113 
     1114 とのたまへば、うちほほ笑みて、
    1114 
     1115 「はかばかしき方にはぬるくはべる家の風の、さしも吹き伝へはべらむに、後の世のため、異なることなくこそはべりぬべけれ」
    1115 
     1116 と申したまへば、
    1116 
     1117 「いかでか。何ごとも人に異なるけぢめをば、記し伝ふべきなり。家の伝へなどに書き留め入れたらむこそ、興はあらめ」
    1117 
     1118 など、戯れたまふ御さまの、匂ひやかにきよらなるを見たてまつるにも、
    1118 
     1119 「かかる人にならひて、いかばかりのことにか心を移す人はものしたまはむ。何ごとにつけてか、あはれと見ゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき」
    1119 
     1120 と、思ひめぐらすに、いとどこよなく、御あたりはるかなるべき身のほども思ひ知らるれば、胸のみふたがりてまかでたまひぬ。
    1120 
     1121

    1121 
     1122 [第三段 柏木と夕霧、同車して帰る]
    1122 
     1123 大将の君一つ車にて、道のほど物語したまふ。
    1123 
     1124 「なほ、このころのつれづれには、この院に参りて、紛らはすべきなりけり」
    1124 
     1125 「今日のやうならむ暇の隙待ちつけて、花の折過ぐさず参れ、とのたまひつるを、春惜しみがてら、月のうちに、小弓持たせて参りたまへ」
    1125 
     1126 と語らひ契る。おのおの別るる道のほど物語したまうて、宮の御事のなほ言はまほしければ、
    1126 
     1127 「院には、なほこの対にのみものせさせたまふなめりな。かの御おぼえの異なるなめりかし。この宮いかに思すらむ。帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで、屈したまひにたらむこそ、心苦しけれ」
    1127 
     1128 と、あいなく言へば、
    1128 
     1129 「たいだいしきこと。いかでかさはあらむ。こなたは、さま変はりて生ほしたてたまへる睦びのけぢめばかりにこそあべかめれ。宮をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく思ひきこえたまへるものを」
    1129 
     1130 と語りたまへば、
    1130 
     1131 「いで、あなかま。たまへ。皆聞きてはべり。いといとほしげなる折々あなるをや。さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。ありがたきわざなりや」
    1131 
     1132 と、いとほしがる。
    1132 
     1133 「いかなれば花に木づたふ鴬の
    1133 
     1134  桜をわきてねぐらとはせぬ
    1134 
     1135 春の鳥の、桜一つにとまらぬ心よ。あやしとおぼゆることぞかし」
    1135 
     1136 と、口ずさびに言へば、
    1136 
     1137 「いで、あなあぢきなのもの扱ひや、さればよ」と思ふ。
    1137 
     1138 「深山木にねぐら定むるはこ鳥も
    1138 
     1139  いかでか花の色に飽くべき
    1139 
     1140 わりなきこと。ひたおもむきにのみやは」
    1140 
     1141 といらへて、わづらはしければ、ことに言はせずなりぬ。異事に言ひ紛らはして、おのおの別れぬ。
    1141 
     1142

    1142 
     1143 [第四段 柏木、小侍従に手紙を送る]
    1143 
     1144 督の君は、なほ大殿の東の対に、独り住みにてぞものしたまひける。思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やりならずさうざうしく心細き折々あれど、
    1144 
     1145 「わが身かばかりにて、などか思ふことかなはざらむ」
    1145 
     1146 とのみ、心おごりをするに、この夕べより屈しいたく、もの思はしくて、
    1146 
     1147 「いかならむ折に、またさばかりにても、ほのかなる御ありさまをだに見む。ともかくもかき紛れたる際の人こそ、かりそめにもたはやすき物忌、方違への移ろひも軽々しきに、おのづからともかくものの隙をうかがひつくるやうもあれ」
    1147 
     1148 など思ひやる方なく、
    1148 
     1149 「深き窓のうちに、何ばかりのことにつけてか、かく深き心ありけりとだに知らせたてまつるべき」
    1149 
     1150 と胸痛くいぶせければ、小侍従がり、例の、文やりたまふ。
    1150 
     1151 「一日、風に誘はれて、御垣の原をわけ入りてはべしに、いとどいかに見落としたまひけむ。その夕べより、乱り心地かきくらし、あやなく今日は眺め暮らしはべる」
    1151 
     1152 など書きて、
    1152 
     1153 「よそに見て折らぬ嘆きはしげれども
    1153 
     1154  なごり恋しき花の夕かげ」
    1154 
     1155 とあれど、侍従は一日の心も知らねば、ただ世の常の眺めにこそはと思ふ。
    1155 
     1156

    1156 
     1157 [第五段 女三の宮、柏木の手紙を見る]
    1157 
     1158 御前に人しげからぬほどなれば、かの文を持て参りて、
    1158 
     1159 「この人の、かくのみ、忘れぬものに、言問ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。心苦しげなるありさまも見たまへあまる心もや添ひはべらむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」
    1159 
     1160 と、うち笑ひて聞こゆれば、
    1160 
     1161 「いとうたてあることをも言ふかな」
    1161 
     1162 と、何心もなげにのたまひて、文広げたるを御覧ず。
    1162 
     1163 「見もせぬ」と言ひたるところを、あさましかりし御簾のつまを思し合はせらるるに、御面赤みて、大殿の、さばかりことのついでごとに、
    1163 
     1164 「大将に見えたまふな。いはけなき御ありさまなんめれば、おのづからとりはづして、見たてまつるやうもありなむ」
    1164 
     1165 と、戒めきこえたまふを思し出づるに、
    1165 
     1166 「大将の、さることのありしと語りきこえたらむ時、いかにあはめたまはむ」
    1166 
     1167 と、人の見たてまつりけむことをば思さで、まづ、憚りきこえたまふ心のうちぞ幼かりける。
    1167 
     1168 常よりも御さしらへなければ、すさまじく、しひて聞こゆべきことにもあらねば、ひき忍びて、例の書く。
    1168 
     1169 「一日は、つれなし顔をなむ。めざましうと許しきこえざりしを、『見ずもあらぬ』やいかに。あな、かけかけし」
    1169 
     1170 と、はやりかに走り書きて、
    1170 
     1171 「いまさらに色にな出でそ山桜
    1171 
     1172  およばぬ枝に心かけきと
    1172 
     1173 かひなきことを」
    1173 
     1174 とあり。
    1174 
     1175

    1175 
     1176 【出典】
    1176 
     1177出典1 わび人の分きて立ち寄る木のもとは頼む蔭なく紅葉散りけり(古今集秋下-二九二 僧正遍昭)(戻)
    1177 
     1178出典2 老いぬればさらぬ別れもありと言へばいよいよ見まくほしき君かな(古今集雑上-九〇〇 在原業平母)(戻)
    1178 
     1179出典3 世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)(戻)
    1179 
     1180出典4 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)
    1180 
     1181出典5 塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花(古今集夏-一六七 凡河内躬恒)(戻)
    1181 
     1182出典6 我が世をば今日か明日かと待つかひの涙の滝といづれ高けむ(新古今集雑中-一六五一 在原行平)人の世の老いを果てにしせましかば今日か明日かと急がざらまし(朝忠集-一〇)(戻)
    1182 
     1183出典7 青柳を 片糸によりて や おけや 鴬の おけや 鴬の 縫ふといふ笠は おけや 梅の花笠や(催馬楽-青柳)(戻)
    1183 
    c11184<A NAME="no8">出典8</A> 我家は 帷とばりちやうも 垂れたるを 大君来ませ 聟にせむ 御肴に 何よけむ 鮑あはび栄螺さだをか 石陰子かせよけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ(催馬楽-我家)<A HREF="#te8">(戻)</A><BR>1184<A NAME="no8">出典8</A> 我家は <ruby><rb><rp>(<rt>とばり<rp>)</ruby><ruby><rb><rp>(<rt>ちやう<rp>)</ruby>も 垂れたるを 大君来ませ 聟にせむ 御肴に 何よけむ <ruby><rb><rp>(<rt>あはび<rp>)</ruby><ruby><rb>栄螺<rp>(<rt>さだを<rp>)</ruby>か 石<ruby><rb>陰子<rp>(<rt>かせ<rp>)</ruby>よけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ(催馬楽-我家)<A HREF="#te8">(戻)</A><BR>
     1185出典9 秋萩の下葉につけて目に近くよそなる人の心をぞ見る(拾遺集雑秋-一一一六 女)(戻)
    1185 
     1186出典10 あけぐれの空にぞ我は迷ひぬる思ふ心のゆかぬまにまに(拾遺集恋二-七三六 源順)(戻)
    1186 
     1187出典11 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる(古今集春上-四一 凡河内躬恒)(戻)
    1187 
     1188出典12 子城陰處猶残雪 衙鼓声前未有塵(白氏文集巻十六-九一一)(戻)
    1188 
     1189出典13 かつ消えて空に乱るる淡雪はもの思ふ人の心なりけり(後撰集冬-四七九 藤原蔭基)(戻)
    1189 
     1190出典14 白雪の色分きがたき梅が枝に友待つ雪ぞ消え残りたる(家持集-二八四)(戻)
    1190 
     1191出典15 折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鴬の鳴く(古今集春上-三二 読人しらず)(戻)
    1191 
     1192出典16 梅が香を桜の花に匂はせて柳が枝に咲かせてしかな(後拾遺集春上-八二 中原致時)(戻)
    1192 
     1193出典17 世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)(戻)
    1193 
     1194出典18 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)
    1194 
     1195出典19 いかにしてかく思ふことをだに人づてならで君に語らむ(後撰集恋五-九六一 藤原敦忠)(戻)
    1195 
     1196出典20 無き名ぞと人には言ひて有りぬべし心の問はばいかが答へむ(後撰集恋三-七二五 読人しらず)(戻)
    1196 
     1197出典21 むら鳥の立ちにし我が名今さらに事なしぶともしるしあらめや(古今集恋三-六七四 読人しらず)(戻)
    1197 
     1198出典22 よも恋ひじ我をば恋ひじ和泉なる信太の森の雫なるらむ(出典未詳-源氏釈所引)(戻)
    1198 
     1199出典23 春の池の玉藻に遊ぶ鳰鳥の足のいとなき恋もするかな(後撰集春中-七二 宮道高風)(戻)
    1199 
     1200出典24 今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花の蔭かは(古今集春下-一三四 凡河内躬恒)(戻)
    1200 
     1201出典25 こりずまに又も無き名は立ちぬべし人憎からぬ世にし住まへば(古今集恋三-六三一 読人しらず)(戻)
    1201 
     1202出典26 人知れぬ我が通ひ路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ(古今集恋三-六三二 在原業平)(戻)
    1202 
     1203出典27 忘るらむと思ふ心の疑ひに在りしよりけにものぞ悲しき(伊勢物語-四一)(戻)
    1203 
     1204出典28 いにしへのしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな(伊勢物語-六五)(戻)
    1204 
     1205出典29 白露はうつしなりけり水鳥の青葉の山の色づく見れば(古今六帖二-九二一)紅葉する秋は来にけり水鳥の青葉の山の色づく見れば(古今六帖三-一四六八)(戻)
    1205 
     1206出典30 秋萩の下葉につけて目に近くよそなる人の心をぞ見る(拾遺集雑秋-一一一六 女)秋萩の下葉色づく今よりや一人ある人のいねがてにする(古今集秋上-二二〇 読人しらず)(戻)
    1206 
     1207出典31 我が宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ(後撰集恋四-八〇九 伊勢)(戻)
    1207 
    c11208<A NAME="no32">出典32</A> 席田むしろだの 席田の 伊津貫川いつぬきがはに や 住む鶴の 住む鶴の や 住む鶴の 千歳をかねてぞ 遊びあへる 千歳をかねてぞ 遊びあへる(催馬楽-席田)<A HREF="#te32">(戻)</A><BR>1208<A NAME="no32">出典32</A> <ruby><rb>席田<rp>(<rt>むしろだ<rp>)</ruby>の 席田の <ruby><rb>伊津貫川<rp>(<rt>いつぬきがは<rp>)</ruby>に や 住む鶴の 住む鶴の や 住む鶴の 千歳をかねてぞ 遊びあへる 千歳をかねてぞ 遊びあへる(催馬楽-席田)<A HREF="#te32">(戻)</A><BR>
     1209出典33 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)
    1209 
     1210出典34 従是西方過十万億仏土 有世界 名曰極楽(阿弥陀経)(戻)
    1210 
     1211出典35 身を捨てて山に入りにし我なれば熊の食らはむこともおぼえず(拾遺集物名-三八二 読人しらず)(戻)
    1211 
     1212出典36 仏此夜滅度 如薪尽火滅(法華経-序品)(戻)
    1212 
     1213出典37 飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ(古今集恋一-五三五 読人しらず)(戻)
    1213 
     1214出典38 世の中は夢のわたりの浮き橋かうち渡りつつものをこそ思へ(出典未詳-源氏釈所引)(戻)
    1214 
     1215出典39 耶輸陀羅が福地の園に種蒔きて逢はむ必ず有為の都に(出典未詳-奥入所引)(戻)
    1215 
     1216出典40 吹く風よ心しあらばこの春の桜はよきて散らさざらなむ(出典未詳-源氏釈所引)春風は花のあたりをよきて吹け心づからやう移ろふと見む(古今集春下-八五 藤原好風)(戻)
    1216 
     1217出典41 久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしかな(拾遺集雑上-四七三 菅原道真母)(戻)
    1217 
     1218出典42 深山木に夜は来て鳴くはこ鳥の明けば帰らむことをこそ思へ(古今六帖六-四四八三)(戻)
    1218 
     1219出典43 楊家有女初長成 養在深窓人未識(白氏文集-五九六 長恨歌)(戻)
    1219 
     1220出典44 ふるさとは春めきにけりみ吉野の御垣の原を霞こめたり(詞花集春-三 平兼盛)(戻)
    1220 
     1221出典45 見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日を眺め暮らさむ(古今集恋一-四七六 在原業平)(戻)
    1221 
     1222

    1222 
     1223 【校訂】
    1223 
     1224備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
    1224 
     1225校訂1 おきたてまつりて--をきて(て/$)たてまつりて(戻)
    1225 
     1226校訂2 御年のほどよりはいとよく大人びさせたまひて--(/+御としの程よりはいとよくおとなひさせ給て)(戻)
    1226 
     1227校訂3 女宮たち--女御(御/$宮)たち(戻)
    1227 
     1228校訂4 おとしめらるる宿世あるなむ、いと口惜しく--おと(と/+しめらるゝすくせあるなんいとくちお)しく(戻)
    1228 
     1229校訂5 おし拭ひ--をしのひ(ひ/$)こひ(戻)
    1229 
     1230校訂6 うつくしき--心(心/$)うつくしき(戻)
    1230 
     1231校訂7 げに--けには(は/$)(戻)
    1231 
     1232校訂8 悩ませたまふ--なやみ(み/$ま)せたまふ(戻)
    1232 
     1233校訂9 たてまつり--(/+たてまつり)(戻)
    1233 
     1234校訂10 御心寄せ--(/+御)心よせ(戻)
    1234 
     1235校訂11 末の世の--すゑのよに(に/$の)(戻)
    1235 
     1236校訂12 秋の行幸--秋(秋/+の)行幸(戻)
    1236 
     1237校訂13 ついでにも--(/+つ)いてにも(戻)
    1237 
     1238校訂14 申さるる折ははべらず--申さゝ(ゝ/$るゝ)るをり(り/+は)はゝへらす(戻)
    1238 
     1239校訂15 仕うまつりさして--つかうまつりて(て/$)さして(戻)
    1239 
     1240校訂16 なれど--な(な/$)なれと(戻)
    1240 
     1241校訂17 きよらなる--きよく(く/$ら)なる(戻)
    1241 
     1242校訂18 にか」と--*にと(戻)
    1242 
     1243校訂19 及ばぬ--をよはす(す/$ぬ)(戻)
    1243 
     1244校訂20 並び--ならひならひ(なたひ<後出>/$)(戻)
    1244 
     1245校訂21 撫でかしづき--なて(て/+かし)つき(戻)
    1245 
     1246校訂22 なめり--なめりかし(かし/$)(戻)
    1246 
     1247校訂23 頼もしげなる--たのもしけれ(れ/$)なる(戻)
    1247 
    c11248<A NAME="k24">校訂24</A> 宮仕へ--みやつかひ(ひ/$へ<)<A HREF="#t24">(戻)</A><BR>1248<A NAME="k24">校訂24</A> 宮仕へ--みやつかひ(ひ/$へ)<A HREF="#t24">(戻)</A><BR>
     1249校訂25 深からざりけるをも--ふかゝらさり(り/+ける)をも(戻)
    1249 
     1250校訂26 負ひ--おも(も/$)ひ(戻)
    1250 
     1251校訂27 おのれらが--をの(の/+れ)らか(戻)
    1251 
     1252校訂28 うけひき--うけけ(け/$)ひき(戻)
    1252 
     1253校訂29 なびき--な(な/+ひ)き(戻)
    1253 
     1254校訂30 はべらめ--はへらす(す/$め)(戻)
    1254 
     1255校訂31 同じ--おなな(な/$)(戻)
    1255 
     1256校訂32 宿世--すき(き/$く)せ(戻)
    1256 
     1257校訂33 ありさま--ありさま/\(/\/$)(戻)
    1257 
     1258校訂34 見ゆめる--みゆめるを(を/$)(戻)
    1258 
     1259校訂35 きこゆなる--きこゆな(な/$なる)(戻)
    1259 
     1260校訂36 のたまはする--の給はすゑの(ゑの/$る)(戻)
    1260 
     1261校訂37 言どもの--*こともの(戻)
    1261 
     1262校訂38 動かざらむ--たゝ(たゝ/$うこか)さらむ(戻)
    1262 
     1263校訂39 限りなく--かきりなき(き/$く)(戻)
    1263 
     1264校訂40 親しく--したしき(き/$く)(戻)
    1264 
     1265校訂41 ことども--*ことも(戻)
    1265 
     1266校訂42 ことなるを、よく思し召しめぐらすべきことなり--ことな(な/+るをよくおほしめくらすへき事也)り(戻)
    1266 
     1267校訂43 御後見--*御うしろ(戻)
    1267 
     1268校訂44 よそに--よそき(き/$)に(戻)
    1268 
     1269校訂45 たてまつる--(/+た)てまつる(戻)
    1269 
     1270校訂46 あらねど--あらぬ(ぬ/$ね)と(戻)
    1270 
     1271校訂47 聞きおきたてまつり--きゝをきて(て/$)たてまつり(戻)
    1271 
     1272校訂48 あめれば--あめる(る/#れ)は(戻)
    1272 
     1273校訂49 御裳着--御も(も/+き)(戻)
    1273 
     1274校訂50 このたび--このた(た/#)たひ(戻)
    1274 
     1275校訂51 唐物--からも(も/$)もの(戻)
    1275 
     1276校訂52 御とぶらひいとこちたし。贈り物ども--(/+御とふらひいとこちたし送り物とも)(戻)
    1276 
     1277校訂53 いみじく--(/いみしくおほしいりたるをこしらへかね給てこを思道はかきりありけりかくおもひしみ給へるわかれのたへかたくもあるかなとて御心みたれぬへけれとあなかちに御けうそくにかゝり給て山のさすよりはしめて御いむことのあさり三人さふらひてほうふくなとたてまつるほとこのよをわかれ給御さほう$)いみしく(戻)
    1277 
     1278校訂54 変はりたま--(/+かはりたま)(戻)
    1278 
     1279校訂55 たてまつり--(/+たてまつり)(戻)
    1279 
     1280校訂56 たまひつつ--給へる(へる/$つゝ)(戻)
    1280 
     1281校訂57 起こして--おこし(し/+て)(戻)
    1281 
     1282校訂58 疎かに--おろ(ろ/+そ)かに(戻)
    1282 
     1283校訂59 御護りめ--御(御/$)御まもりめ(戻)
    1283 
     1284校訂60 なりしかど--な(な/+り)しかと(戻)
    1284 
     1285校訂61 続けしには--つゝけしにも(も/$は)(戻)
    1285 
     1286校訂62 めざましきものに--めさましき?(?/#もの)に(戻)
    1286 
     1287校訂63 言ひ出づる--(/+い)ひいつる(戻)
    1287 
     1288校訂64 うちほほゆがみ--うちともなくをのつから(ともなくをのつから/$)ほをゆかみ(戻)
    1288 
     1289校訂65 思はず--お(お/+も)はす(戻)
    1289 
     1290校訂66 なさじ--なさむ(む/$し)(戻)
    1290 
     1291校訂67 忍びたれど--しのひたれは(は/$と)(戻)
    1291 
     1292校訂68 御儀式--(/+御)きしき(戻)
    1292 
     1293校訂69 払ひしつらはれたり--はこ(こ/$ら)ひしつらひ(ひ/$)はれたり(戻)
    1293 
     1294校訂70 御具--御(御/+く)(戻)
    1294 
     1295校訂71 四つ--よ(よ/+つ)(戻)
    1295 
     1296校訂72 尚侍の君--かむのき(き/+み)(戻)
    1296 
     1297校訂73 うつくしくて--うつくし(し/+く)て(戻)
    1297 
     1298校訂74 参れり--(/+ま)いれり(戻)
    1298 
     1299校訂75 召さず。御笛など、太政大臣の、その--(/+めさす御ふえなとおほきおとゝのその)(戻)
    1299 
     1300校訂76 衛門督の固く否ぶるを責めたまへば--(/+衛門のかみのかたくいなふるをせめたまへは)(戻)
    1300 
     1301校訂77 継がぬ--つ(つ/+か)ぬ(戻)
    1301 
     1302校訂78 伝へ--つる(る/$た)へ(戻)
    1302 
     1303校訂79 賜はり--給はる(る/$り)(戻)
    1303 
     1304校訂80 御遊び--御(御/+あ)そひ(戻)
    1304 
     1305校訂81 御心--御(御/$)御心(戻)
    1305 
     1306校訂82 御帳--御帳丁(丁/$)(戻)
    1306 
     1307校訂83 かの院--こ(こ/=か)の院(戻)
    1307 
     1308校訂84 よりも--よ(よ/+り)も(戻)
    1308 
     1309校訂85 かれは--かれはかれは(かれは<後出>/$)(戻)
    1309 
     1310校訂86 ありしを--ありしに(に/$)を(戻)
    1310 
     1311校訂87 また--又△△(△△/#)(戻)
    1311 
     1312校訂88 うしろめたく--うしろめたな(な/$)く(戻)
    1312 
     1313校訂89 おはす--おも(も/$)はす(戻)
    1313 
     1314校訂90 心寄せ--心よ(よ/+せ)(戻)
    1314 
     1315校訂91 宵居--よ(よ/+ひ)ゐ(戻)
    1315 
     1316校訂92 つらし--つく(く/$ら)し(戻)
    1316 
     1317校訂93 独りごたる--ひとりみ(み/$こ)たる(戻)
    1317 
     1318校訂94 残れる--のこ(こ/+れ)る(戻)
    1318 
     1319校訂95 ことことしく--うと(うと/=こと)/\しく(戻)
    1319 
     1320校訂96 のたまひ--の給て(給て/$)たまひ(戻)
    1320 
     1321校訂97 多うは--おほゆれ(ゆれ/$)うは(戻)
    1321 
     1322校訂98 わづらはしく、いかに聞くところやなど、憚り--かゝり(かゝり/$わつらはしくいかにきくところやなとはゝかり)(戻)
    1322 
     1323校訂99 えはるけで--(/+え)はるけて(戻)
    1323 
     1324校訂100 聞こえにくく--きこえ(え/+に)くゝ(戻)
    1324 
     1325校訂101 うしろめたくは--うしろめたくも(も/$は)(戻)
    1325 
     1326校訂102 女の装束--女はう(はう/$のさ)うそく(戻)
    1326 
     1327校訂103 ととのひ果て--とゝのひ(ひ/+は)て(戻)
    1327 
     1328校訂104 あれど--あは(は/$)れと(戻)
    1328 
     1329校訂105 など--なとに(に/$)(戻)
    1329 
     1330校訂106 しりばかり--しり(り/+はかり)(戻)
    1330 
     1331校訂107 かくおぼめかしき--(/+かく)おほし(し/$)めかしき(戻)
    1331 
     1332校訂108 塞きがたく--せきかたき(き/$く)(戻)
    1332 
     1333校訂109 一たび--ひとた(た/+ひ)(戻)
    1333 
     1334校訂110 心強くも--心つよからぬ(からぬ/$くも)(戻)
    1334 
     1335校訂111 梢--み(み/$こ)すゑ(戻)
    1335 
     1336校訂112 とぢめには--とちめ(め/+に)は(戻)
    1336 
     1337校訂113 なめる--なり(り/$め)る(戻)
    1337 
     1338校訂114 加へ--*(/+く)は(は/$ら)へ(戻)
    1338 
     1339校訂115 対の上--たいのうへに(に/$)(戻)
    1339 
     1340校訂116 聞こえ馴れ--きこえは(は/$)なれ(戻)
    1340 
     1341校訂117 ばかり--(/+はかり)(戻)
    1341 
     1342校訂118 御さま--おほさ(さ/$)むさむ(さむ/$)さま(戻)
    1342 
     1343校訂119 おどろかる--おとろい(い/$)かる(戻)
    1343 
     1344校訂120 香り--かは(は/$を)り(戻)
    1344 
     1345校訂121 さすれど--さすれは(は/$と)(戻)
    1345 
     1346校訂122 身--事(事/$身)(戻)
    1346 
     1347校訂123 言ふ--ゆ(ゆ/$い)ふ(戻)
    1347 
     1348校訂124 夏--なれ(れ/$つ)(戻)
    1348 
     1349校訂125 二つ、唐の地--ふた??(??/#つから)のち(ち/=らイ)(戻)
    1349 
     1350校訂126 など、目--なとの(の/$め)(戻)
    1350 
     1351校訂127 用意--(/+ようい)(戻)
    1351 
     1352校訂128 鶴の毛衣に思ひまがへらる。御遊び--(/+つるのけ衣に思まかへらる御あそひ)(戻)
    1352 
     1353校訂129 ましか--ましかは(は/$)(戻)
    1353 
     1354校訂130 何ごとにつけてか--なにことも(も/$に)つけても(も/$か)(戻)
    1354 
     1355校訂131 させ--きか(きか/$さ)せ(戻)
    1355 
     1356校訂132 など--なとの(の/$)(戻)
    1356 
     1357校訂133 賜ふ--た(た/$)たまふ(戻)
    1357 
     1358校訂134 こちたき--こ△△(△△/#ちた)き(戻)
    1358 
     1359校訂135 ことどもは--ことゝも(も/+は)(戻)
    1359 
     1360校訂136 はべらぬや--はへらぬや△(△/#)(戻)
    1360 
     1361校訂137 渡り参り--つかうまつらせ(つかうまつらせ/$わたりまいり)(戻)
    1361 
     1362校訂138 賜ふ--(/+たまふ)(戻)
    1362 
     1363校訂139 君の--き(き/+み)の(戻)
    1363 
     1364校訂140 京へ--京(京/+へ)(戻)
    1364 
     1365校訂141 泣けば--なき(き/$け)は(戻)
    1365 
     1366校訂142 泣き--なけ(け/$)き(戻)
    1366 
     1367校訂143 人びと--み(み/$人/\)(戻)
    1367 
     1368校訂144 思ひ消ち--おもひて(て/$)けち(戻)
    1368 
     1369校訂145 振る舞ふと--ふるまふは(は/$と)(戻)
    1369 
     1370校訂146 あてなるさまして、目艶やかに--(/+あてなるさましてめつやゝかに)(戻)
    1370 
     1371校訂147 思ひて--思ひ(ひ/+て)(戻)
    1371 
     1372校訂148 ゐたり--ゐたりし(し/$)(戻)
    1372 
     1373校訂149 御迎湯に--御むかへゆ(ゆ/+に)(戻)
    1373 
     1374校訂150 うちうちの--うち/\の△(△/#)(戻)
    1374 
     1375校訂151 さる--さ(/$)さる(戻)
    1375 
     1376校訂152 つたなき--つた△(△/#)なき(戻)
    1376 
     1377校訂153 俗--そゝ(ゝ/$く)(戻)
    1377 
     1378校訂154 信ずべき--しんの心を(の心を/$)すへき(戻)
    1378 
     1379校訂155 思うたまへ--おもむき(むき/$ふ)たまへ(戻)
    1379 
     1380校訂156 果たし--はた(た/+し)(戻)
    1380 
     1381校訂157 娑婆--さはり(り/$)(戻)
    1381 
     1382校訂158 沈の--ちむ(む/+の)(戻)
    1382 
     1383校訂159 はるけき--は(は/+る)けき(戻)
    1383 
     1384校訂160 下りし--くたりしける(ける/$)(戻)
    1384 
     1385校訂161 思へり--おもふ(ふ/$へ)り(戻)
    1385 
     1386校訂162 だに--(/+た)に(戻)
    1386 
     1387校訂163 御方は--御かた(た/+は)(戻)
    1387 
     1388校訂164 よその人--よ(よ/+そ)の人(戻)
    1388 
     1389校訂165 似ぬ--(/+似)ぬ(戻)
    1389 
     1390校訂166 かくて--かくし(し/$)て(戻)
    1390 
     1391校訂167 出でつつ、聞こえさせたまふめる。院も、ことのついでに--いてに(に/$つゝ聞えさせ給める院もことのつゐてに)(戻)
    1391 
     1392校訂168 かね言なれど--*かねこと(戻)
    1392 
     1393校訂169 御心づかひ--御(御/+心)つかひ(戻)
    1393 
     1394校訂170 心苦しがり--心くるし(し/+かり)(戻)
    1394 
     1395校訂171 せさせたまへ--せさり(り/$せ)給へ(戻)
    1395 
     1396校訂172 漏らさせ--もら(ら/+さ)せ(戻)
    1396 
     1397校訂173 ものづつみし--ものつゝま(ま/$み)し(戻)
    1397 
     1398校訂174 こなたに渡りてこそ見たてまつりたま--(/+こなたにわたりてこそ見たてまつりたま)(戻)
    1398 
     1399校訂175 さかしがり--さかしら(ら/$)かり(戻)
    1399 
     1400校訂176 めりかし--めりし(し/$かし)(戻)
    1400 
     1401校訂177 捨てて--す(す/$)すてゝ(戻)
    1401 
     1402校訂178 ななりな--なくも(くも/$なり)な(戻)
    1402 
     1403校訂179 思ひて--思ひ(ひ/+て)(戻)
    1403 
     1404校訂180 泣きたまふ。寄りたまひて--なけ(け/$)き給て(て/$より給て)(戻)
    1404 
     1405校訂181 大臣は--おとゝを(を/$は)(戻)
    1405 
     1406校訂182 たまひける--給ひに(に/$)ける(戻)
    1406 
     1407校訂183 いふべきには--いふへきにも(も/$は)(戻)
    1407 
     1408校訂184 我ながら--われも(も/$)なから(戻)
    1408 
     1409校訂185 知らせ--しらせむ(む/$)(戻)
    1409 
     1410校訂186 一言--(/+ひと)こと(戻)
    1410 
     1411校訂187 ねむごろに--(/+ねむ)ころに(戻)
    1411 
     1412校訂188 けれと--けれれ(れ<後出>/$)と(戻)
    1412 
     1413校訂189 かどかどしく--かと/\しき(き/$く)(戻)
    1413 
     1414校訂190 思はむには--おも(も/+は)むには(戻)
    1414 
     1415校訂191 忍びやかに--しのひ(ひ/+や)かに(戻)
    1415 
     1416校訂192 儀式--きぬ(ぬ/$)しき(戻)
    1416 
     1417校訂193 さればめる--されさり(さり/#は)める(戻)
    1417 
     1418校訂194 つかず--つかぬ(ぬ/$す)(戻)
    1418 
     1419校訂195 院に--院(院/+に)(戻)
    1419 
     1420校訂196 御けはひには--御けはひ(ひ/+に)は(戻)
    1420 
     1421校訂197 大殿の君--も(も/$おとゝ)のきみ(戻)
    1421 
     1422校訂198 つれづれに--つれ/\に△(△/#)(戻)
    1422 
     1423校訂199 小弓--ふ(ふ/$こ)ゆき(き/$)み(戻)
    1423 
     1424校訂200 べかりけり--へかりける(る/=り)(戻)
    1424 
     1425校訂201 町に--ま(ま/+ち)に(戻)
    1425 
     1426校訂202 鞠--ま△(△/#)り(戻)
    1426 
     1427校訂203 たまふ--給て(て/$)(戻)
    1427 
     1428校訂204 所から--*心から(戻)
    1428 
     1429校訂205 間にあたれる桜の蔭に寄りて、人々、花の--(/+まにあたれるさくらのかけによりて人/\花の)(戻)
    1429 
     1430校訂206 に、花--はな(はな/$に花)(戻)
    1430 
     1431校訂207 雪の--ゆきのゆきの(ゆきの<後出>/$)(戻)
    1431 
     1432校訂208 しをれたる--しほ△れ(△れ/$れたる)(戻)
    1432 
     1433校訂209 追ひ続きて--をひき(き/$)つゝきて(戻)
    1433 
     1434校訂210 薄き--うすきに(に/$)(戻)
    1434 
     1435校訂211 ささやか--さく(さく/$さゝ)やか(戻)
    1435 
     1436校訂212 ことや--ことも(も/$)や(戻)
    1436 
     1437校訂213 昔--むかし△(△/#)(戻)
    1437 
     1438校訂214 まかで--まかり(り/$)て(戻)
    1438 
     1439校訂215 まほし--ま(ま/+ほ)し(戻)
    1439 
     1440校訂216 といらへて--(/+と)いらへて(戻)
    1440 
     1441校訂217 ならず--ならぬ(ぬ/$す)(戻)
    1441 
     1442校訂218 あれど--あは(は/$)れと(戻)
    1442 
     1443校訂219 軽々しきに--かる/\しき(き/+に)(戻)
    1443 
     1444校訂220 ともかく--とかく(とかく/$ともかくも)(戻)
    1444 
     1445校訂221 侍従は一日--(/+侍従は一日)(戻)
    1445 
     1446校訂222 知らねば--しらぬ(ぬ/$ね)は(戻)
    1446 
     1447校訂223 なげに--なけれ(れ/$)に(戻)
    1447 
     1448校訂224 ことの--(/+こと)の(戻)
    1448 
     1449校訂225 めざましう--めさましく(く/$う)(戻)
    1449 
     1450

    1450 
     1451源氏物語の世界ヘ
    1451 
     1452ローマ字版
    1452 
     1453現代語訳
    1453 
     1454注釈
    1454 
     1455明融臨模本
    1455 
     1456大島本
    1456 
     1457自筆本奥入
    1457 
     14581458 
     1459
    1459 
     14601460 
     14611461