53 手習(大島本)


TENARAHI


薫君の大納言時代
二十七歳三月末頃から二十八歳の夏までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from about the last in March at the age of 27 to summer at the age of 28

4
第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す


4  Tale of Ukifune  Ukifune becomes a nun while Ama-gimi is absent

4.1
第一段 九月、尼君、再度初瀬に詣でる


4-1  Ama-gimi visits to Hase Temple again at September

4.1.1   九月になりて、この尼君、初瀬に詣づ。年ごろいと心細き身に、 恋しき人の上も思ひやまれざりしを、 かくあらぬ人ともおぼえたまはぬ慰めを得たれば、観音の御験うれしとて、返り申しだちて、詣でたまふなりけり。
 九月になって、この尼君は、初瀬に参詣する。長年とても心細い身の上で、恋しい娘の身の上も諦めきれなかったが、このように他人とも思われない女性を心の慰めに得たので、観音のご霊験が嬉しいと、お礼参りのような具合で、参詣なさるのであった。
 九月になって尼夫人は初瀬はせまいることになった。さびしく心細いばかりであった自分は故人のことばかりが思われてならなかったのに、この姫君のように可憐で肉身とより思えぬ人を得たことは観音の利益であると信じて尼君はお礼詣りをするのであった。
  Ku-gwati ni nari te, kono Ama-Gimi, Hatuse ni maudu. Tosi-goro ito kokoro-bosoki mi ni, kohisiki hito no uhe mo omohi yama re zari si wo, kaku ara nu hito to mo oboye tamaha nu nagusame wo e tare ba, Kwanon no ohom-sirusi uresi tote, kaheri mausi-dati te, maude tamahu nari keri.
4.1.2  「 いざ、たまへ。人やは知らむとする。同じ仏なれど、さやうの所に行ひたるなむ、験ありてよき例多かる」
 「さあ、ご一緒に。誰に知られたりするものですか。同じ仏様ですが、あのような所で勤行するのが、霊験あらたかで、良いことが多いのです」
 「さあいっしょに行きましょう。だれにわかることがあるものですか。同じ仏様でもあのお寺などにこもってお願いすることは効験ききめがあってよい結果を見た例がたくさんあるのですよ」
  "Iza, tamahe. Hito ya ha sira m to suru. Onazi Hotoke nare do, sayau no tokoro ni okonahi taru nam, sirusi ari te yoki tamesi ohokaru."
4.1.3  と言ひて、そそのかしたつれど、「 昔、母君、乳母などの、かやうに言ひ知らせつつ、たびたび詣でさせしを、かひなきにこそあめれ。 命さへ心にかなはず、たぐひなきいみじきめを見るは」と、いと心憂きうちにも、「 知らぬ人に具して、さる道のありきをしたらむよ」と、そら恐ろしくおぼゆ。
 と言って促すが、「昔、母君や、乳母などが、このように言って聞かせては、たびたび参詣させたが、何にもその効がなかったようだ。死のうと思ったことも思う通りにならず、又とないひどい目を見るとは」と、ひどく厭わしい心中にも、「知らない人と一緒に、そのような遠出をするとは」と、何となく恐ろしく思う。
 と言って、尼君は姫君に同行を勧めるのであったが、昔母や乳母めのとなどがこれと同じことを言ってたびたびお詣りをさせたが、自分には、何のかいもなかった、命さえもこころのままにならず、言いようもない悲しい身になっているではないか、と浮舟は思ううちにもこの一家の知らぬ人々に伴われてあの山路やまみちを自分の来たことは恥ずかしい事実であったと身にんでさえ思われた。
  to ihi te, sosonokasi-tature do, "Mukasi, Haha-Gimi, Menoto nado no, kayau ni ihi-sirase tutu, tabi-tabi maude sase si wo, kahinaki ni koso a' mere. Inoti sahe kokoro ni kanaha zu, taguhi naki imiziki me wo miru ha." to, ito kokoro-uki uti ni mo, "Sira nu hito ni gu-si te, saru miti no ariki wo si tara m yo!" to, sora-osorosiku oboyu.
4.1.4  心こはきさまには言ひもなさで、
 強情なふうにはあえて言わないで、
 強情ごうじょうらしくは言わずに、
  Kokoro-kohaki sama ni ha ihi mo nasa de,
4.1.5  「 心地のいと悪しうのみはべれば、さやうならむ道のほどにもいかがなど、つつましうなむ」
 「気分がとてもすぐれませんので、そのような遠出もどんなものかしらなどと、気がひけまして」
 「私は気分が始終悪うございますから、そうした遠路とおみちをしましてまた悪くなるようなことがないかと心配ですから」
  "Kokoti no ito asiu nomi habere ba, sayau nara m miti no hodo ni mo ikaga nado, tutumasiu nam."
4.1.6  とのたまふ。「 物懼ぢはさもしたまふべき人ぞかし」と思ひて、しひても誘はず。
 とおっしゃる。「恐がる気持ちは、きっとそうなさるにちがいない方だ」と思って、無理にも誘わない。
 と断わっていた。いかにもそうした物恐れをしそうな人であると思って、尼君はしいても言わなかった。
  to notamahu. "Mono-odi ha samo si tamahu beki hito zo kasi." to omohi te, sihite mo izanaha zu.
4.1.7  「 はかなくて世に古川の憂き瀬には
 「はかないままにこの世につらい思いをして生きているわが身は
  はかなくて世にふる川のうき瀬には
    "Hakanaku te yo ni Huru-kaha no uki se ni ha
4.1.8   尋ねも行かじ 二本の杉
  あの古川に尋ねて行くことはいたしません、二本の杉のある
  訪ねも行かじ二本ふたもとすぎ
    tadune mo yuka zi huta-moto no sugi
4.1.9  と手習に混じりたるを、尼君見つけて、
 と手習いに混じっているのを、尼君が見つけて、
 と書いた歌が手習い紙の中に混じっていたのを尼君が見つけて、
  to tenarahi ni maziri taru wo, Ama-Gimi mituke te,
4.1.10  「 二本は、またも逢ひきこえむと思ひたまふ人あるべし」
 「二本とは、再びお会い申したいと思っていらっしゃる方がいるのでしょう」
 「二本ふたもととお書きになるのでは、もう一度お逢いになりたいと思う方があるのですね」
  "Huta-moto ha, mata mo ahi kikoye m to omohi tamahu hito aru besi."
4.1.11  と、戯れごとを言ひ当てたるに、胸つぶれて、面赤めたまへる、いと愛敬づきうつくしげなり。
 と、冗談に言い当てたので、胸がどきりとして、顔を赤くなさったのも、とても魅力的でかわいらしげである。
 と冗談じょうだんで言いあてられたために、姫君ははっとして顔を赤くしたのも愛嬌あいきょうの添ったことで美しかった。
  to, tahabure-goto wo ihi-ate taru ni, mune tubure te, omote akame tamahe ru, ito aigyau-duki utukusige nari.
4.1.12  「 古川の杉のもとだち知らねども
 「あなたの昔の人のことは存じませんが
  ふる川の杉の本立もとだち知らねども
    "Huru-kaha no sugi no moto-dati sira ne domo
4.1.13   過ぎにし人によそへてぞ見る
  わたしはあなたを亡くなった娘と思っております
  過ぎにし人によそへてぞ見る
    sugi ni si hito ni yosohe te zo miru
4.1.14  ことなることなきいらへを口疾く言ふ。忍びて、と言へど、皆人慕ひつつ、ここには人少なにておはせむを心苦しがりて、心ばせある少将の尼、 左衛門とてある大人しき人、童ばかりぞ留めたりける。
 格別すぐれたのでもない返歌をすばやく言う。人目を忍んで、と言うが、皆がお供したがって、こちらが人少なにおなりになることを気の毒がって、気の利いた少将の尼と左衛門という大人の女房と、童女だけを残したのであった。
 平凡なものであるが尼君は考える間もないほどのうちにこんな歌を告げた。目だたぬようにして行くことにしていたのであるが、だれもかれもが行きたがり、留守るす宅の人の少ない中へ姫君を置いて行くのを尼君は心配して、賢い少将の尼と、左衛門さえもんという年のいった女房、これと童女だけを置いて行った。
  Koto naru koto naki irahe wo kuti-toku ihu. Sinobi te, to ihe do, mina-hito sitahi tutu, koko ni ha hito-zukuna nite ohase m wo kokoro-gurusigari te, kokorobase aru Seusyau-no-Ama, Sawemon tote aru otona-siki hito, waraha bakari zo todome tari keru.
注釈417九月になりて浮舟、小野草庵に移って約半年経過。4.1.1
注釈418恋しき人の上も亡き娘。4.1.1
注釈419かくあらぬ人浮舟。4.1.1
注釈420いざたまへ以下「多かる」まで、妹尼君の詞。長谷寺参詣に浮舟を誘う。4.1.2
注釈421昔母君乳母などの以下「いみじきめを見るは」まで、浮舟の心中の思い。4.1.3
注釈422命さへ心にかなはず死のうとしたことまでも叶わなかった。4.1.3
注釈423知らぬ人に具して以下「したらむよ」まで、浮舟の心中の思い。4.1.3
注釈424心地のいと悪しう以下「つつましうなむ」まで、浮舟の詞。同行を断る。4.1.5
注釈425物懼ぢはさもしたまふべき人ぞかし妹尼君の心中の思い。『完訳』は「宇治で物の怪に襲われた人だから、恐怖心も無理からぬとする」と注す。4.1.6
注釈426はかなくて世に古川の憂き瀬には尋ねも行かじ二本の杉浮舟の独詠歌。『異本紫明抄』は「初瀬川古川野辺に二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」(古今集旋頭歌、一〇〇九、読人しらず)を指摘。4.1.7
注釈427二本は以下「人あるべし」まで、妹尼君の詞。引歌の下句による推測。4.1.10
注釈428古川の杉のもとだち知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る妹尼君の返歌。「古川」「杉」の語句を用いて返す。「古川の杉」は浮舟を喩える。「過ぎにし人」は亡き娘。4.1.12
注釈429左衛門とてある大人しき人初出の女房。『完訳』は「中将の訪問を予測しての用意である」と注す。4.1.14
出典17 二本の杉 初瀬川古川野辺に二本ある杉年を経てもまたも逢ひ見む二本ある杉 古今集旋頭歌-一〇〇九 読人しらず 4.1.8
4.2
第二段 浮舟、少将の尼と碁を打つ


4-2  Ukifune plays igo with Shosho-no-ama

4.2.1  皆出で立ちけるを眺め出でて、 あさましきことを思ひながらも、「 今はいかがせむ」と、「 頼もし人に思ふ人一人ものしたまはぬは、心細くもあるかな」と、いとつれづれなるに、中将の御文あり。
 皆が出立したのを見送って、わが身のやりきれなさを思いながらも、「今さらどうしようもない」と、「頼りに思う人が一人もいらっしゃらないのは、心細いことだわ」と、とても所在ないところに、中将からのお手紙がある。
 皆が出立して行く影を浮舟うきふねはいつまでもながめていた。昔に変わった荒涼たる生活とはいいながらも、今の自分には尼君だけがたよりに思われたのに、その自分を愛してくれる唯一の人と別れているのは心細いものであるなどと思い、つれづれを感じているうちに中将から手紙が来た。
  Mina ide-tati keru wo nagame ide te, asamasiki koto wo omohi nagara mo, "Ima ha ikaga se m." to, "Tanomosi-bito ni omohu hito hitori monosi tamaha nu ha, kokoro-bosoku mo aru kana!" to, ito ture-dure naru ni, Tyuuzyau no ohom-humi ari.
4.2.2  「 御覧ぜよ」と言へど、聞きも入れたまはず。いとど人も見えず、つれづれと来し方行く先を思ひ屈じたまふ。
 「御覧ください」と言うが、聞き入れなさらない。いっそう女房も少なくて、何もするこなく過去や将来を考え沈み込んでいらっしゃる。
 「お読みあそばせよ」と言うが、浮舟は聞きも入れなかった。そして常よりもまた寂しくなった家の庭をながめ入り、過去のこと、これからあとのことを思っては歎息ばかりされるのであった。
  "Go-ran-ze yo." to ihe do, kiki mo ire tamaha zu. Itodo hito mo miye zu, ture-dure to kisikata-yukusaki wo omohi kun-zi tamahu.
4.2.3  「 苦しきまでも眺めさせたまふかな。御碁を打たせたまへ」
 「つらいほど物思いに沈んでいらっしゃること。御碁をお打ちなさい」
 「拝見していましても苦しくなるほどお滅入めいりになっていらっしゃいますね。碁をお打ちなさいませよ」
  "Kurusiki made mo nagame sase tamahu kana! Ohom-go wo uta se tamahe."
4.2.4  と言ふ。
 と言う。
 と少将が言う。
  to ihu.
4.2.5  「 いとあやしうこそはありしか
 「とても下手でした」
 「下手へたでしょうがないのですよ」
  "Ito ayasiu koso ha ari sika."
4.2.6  とはのたまへど、 打たむと思したれば、盤取りにやりて、 我はと思ひて先ぜさせたてまつりたるに、 いとこよなければまた手直して打つ
 とはおっしゃるが、打とうとお思いになったので、碁盤を取りにやって、自分こそはと思って先手をお打たせ申したが、たいそう強いので、また先手後手を変えて打つ。
 と言いながらも打つ気に浮舟はなった。盤を取りにやって少将は自信がありそうに先手を姫君に打たせたが、さんざんなほど自身は弱くて負けた。それでまた次の勝負に移った。
  to ha notamahe do, uta m to obosi tare ba, ban tori ni yari te, ware ha to omohi te sen-ze sase tatematuri taru ni, ito koyonakere ba, mata te nahosi te utu.
4.2.7  「 尼上疾う帰らせたまはなむ。この御碁見せたてまつらむ。かの御碁ぞ、いと強かりし。僧都の君、早うよりいみじう好ませたまひて、 けしうはあらずと思したりしを、いと棋聖大徳になりて、『 さし出でてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし』と聞こえたまひしに、つひに僧都なむ 二つ負けたまひし棋聖が碁には勝らせたまふべきなめり。あな、いみじ」
 「尼上が早くお帰りあそばしたらよいに。この御碁をお見せ申し上げよう。あの方の御碁は、とても強かったわ。僧都の君は、若い時からたいそうお好みになって、まんざらではないとお思いになっていたが、ほんと碁聖大徳気取りで、『出しゃばって打つ気はないが、あなたの御碁にはお負けしませんでしょうね』と申し上げなさったが、とうとう僧都が二敗なさった。碁聖の碁よりもお強くいらっしゃるようです。まあ、強い」
 「尼奥様が早くお帰りになればよい、姫君の碁をお見せしたい。あの方はお強いのですよ。僧都様はお若い時からたいへん碁がお好きで、自信たっぷりでいらっしゃいましたところがね、尼奥様は碁聖きせい上人になって自慢をしようとは思いませんが、あなたの碁には負けないでしょうとお言いになりまして、勝負をお始めになりますと、そのとおりに僧都様が二目にもくお負けになりました。碁聖の碁よりもあなたのほうがもっとお強いらしい。まあ珍しい打ち手でいらっしゃいます」
  "Ama-Uhe tou kahera se tamaha nam. Kono ohom-go mise tatematura m. Kano ohom-go zo, ito tuyokari si. Soudu-no-Kimi, hayau yori imiziu konoma se tamahi te, kesiu ha ara zu to obosi tari si wo, ito Kisei-Daitoko ni nari te, 'Sasi-ide te koso uta zara me, ohom-go ni ha make zi kasi.' to kikoye tamahi si ni, tuhi ni Soudu nam hutatu make tamahi si. Kisei ga go ni ha masara se tamahu beki na' meri. Ana, imizi."
4.2.8  と興ずれば、さだ過ぎたる尼額の見つかぬに、もの好みするに、「 むつかしきこともしそめてけるかな」と思ひて、「 心地悪し」とて臥したまひぬ。
 とおもしろがるので、盛りを過ぎた尼額が見苦しいのに、遊びに熱中するので、「厄介なことに手を出してしまったわ」と思って、「気分が悪い」と言って横におなりになった。
 と少将はおもしろがって言うのであった。昔はたまにより見ることのなかった年のいった尼梳あますきの額に、面と向かって始終相手をさせられるようになってはいやである。興味を持たれてはうるさい、めんどうなことに手を出したものであると思った浮舟の姫君は、気分が悪いと言って横になった。
  to kyou-zure ba, sada sugi taru ama-bitahi no mi-tuka nu ni, mono-gonomi suru ni, "Mutukasiki koto mo si some te keru kana!" to omohi te, "Kokoti asi." tote husi tamahi nu.
4.2.9  「 時々、晴れ晴れしうもてなしておはしませ。あたら御身を。いみじう沈みてもてなさせたまふこそ口惜しう、玉に瑕あらむ心地しはべれ」
 「時々は、気分が晴々するようにお振る舞いなさいませ。あたら若いお身を。ひどく沈んでおいであそばすのは残念で、玉の瑕のような気がいたします」
 「時々は晴れ晴れしい気持ちにもおなりあそばせよ。惜しいではございませんか、青春を沈んでばかりおいでになりますことは。ほんとうに玉にきずのある気がされます」
  "Toki-doki, hare-bare siu motenasi te ohasimase. Atara ohom-mi wo. Imiziu sidumi te motenasa se tamahu koso kutiwosiu, tama ni kizi ara m kokoti si habere."
4.2.10  と言ふ。夕暮の風の音もあはれなるに、思ひ出づることも多くて、
 と言う。夕暮の風の音もしみじみとして、思い出すことが多くて、
 などと少将は言った。夕風の音も身にんで思い出されることも多い人は、
  to ihu. Yuhugure no kaze no oto mo mo ahare naru ni, omohi-iduru koto mo ohoku te,
4.2.11  「 心には秋の夕べを分かねども
 「わたしには秋の情趣も分からないが
  心には秋の夕べをわかねども
    "Kokoro ni ha aki no yuhube wo waka ne domo
4.2.12   眺むる袖に露ぞ乱るる
  物思いに耽るわが袖に露がこぼれ落ちる
  ながむるそでに露ぞ乱るる
    nagamuru sode ni tuyu zo midaruru
4.2.13  こんな歌もまれた。
注釈430あさましきことを思ひながらも『完訳』は「物思いのうちに、わが身の上の情けなさを思う。失踪以来のあまりにも心外ななりゆき」と注す。4.2.1
注釈431今はいかがせむ浮舟の思い。4.2.1
注釈432頼もし人に思ふ人以下「心細うもあるかな」まで、浮舟の心中の思い。4.2.1
注釈433御覧ぜよ少将尼の詞。4.2.2
注釈434苦しきまでも以下「打たせたまへ」まで、少将尼の詞。4.2.3
注釈435いとあやしうこそはありしか浮舟の詞。碁は下手だったという。4.2.5
注釈436打たむと思したれば主語は浮舟。4.2.6
注釈437我はと思ひて主語は少将尼。『集成』は「自分の方が強いだろうと思って、浮舟に先手でお打たせ申してみると。少将の尼が白、浮舟が黒」と注す。4.2.6
注釈438いとこよなければ主語は浮舟。たいそう碁が強い。4.2.6
注釈439また手直して打つ先手後手を変えて打ち直す。4.2.6
注釈440尼上疾う以下「あないみじ」まで、少将尼の詞。4.2.7
注釈441けしうはあらず碁の腕前はまんざらではない。4.2.7
注釈442さし出でてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし僧都の詞を引用。
【御碁には負けじかし】−妹尼の御碁には負けまい。
4.2.7
注釈443二つ負けたまひし三番勝負のうち二敗。4.2.7
注釈444棋聖が碁には勝らせたまふべきなめり浮舟の碁の腕前の方が僧都に勝るだろう、の意。4.2.7
注釈445むつかしきこともしそめてけるかな浮舟の心中の思い。『集成』は「対人関係の総てをうとましく思う気持」と注す。4.2.8
注釈446心地悪し浮舟の詞。4.2.8
注釈447時々晴れ晴れしう以下「心地しはべれ」まで、少将尼の詞。4.2.9
注釈448心には秋の夕べを分かねども眺むる袖に露ぞ乱るる浮舟の独詠歌。「露」に涙を、「乱るる」に自分の心を比喩する。4.2.11
4.3
第三段 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む


4-3  Chujo visits to Ono villa, Ukifune runs into old nun's room

4.3.1  月さし出でてをかしきほどに、昼文ありつる中将おはしたり。「 あな、うたて。こは、なにぞ」とおぼえたまへば、奥深く入りたまふを、
 月が出て美しいころに、昼に手紙のあった中将がおいでになった。「まあ、嫌な。これは、どうしたことか」と思われなさって、奥深いところにお入りになるのを、
 月が出て景色けしきのおもしろくなった時分に、昼間手紙をよこした中将が出て来た。いやなことである、なんということであろうと思った姫君が奥のほうへはいって行くのを見て、
  Tuki sasi-ide te wokasiki hodo ni, hiru humi ari turu Tyuuzyau ohasi tari. "Ana, utate. Koha nani zo?" to oboye tamahe ba, oku hukaku iri tamahu wo,
4.3.2  「 さも、あまりにもおはしますものかな。御心ざしのほども、あはれまさる折にこそはべるめれ。ほのかにも、 聞こえたまはむことも聞かせたまへ。 しみつかむことのやうに思し召したるこそ」
 「そうなさるとは、あまりのお振る舞いでいらっしゃいますわ。ご厚志も、ひとしお身にしむときでございましょう。ちらっとでも申し上げなさるお言葉をお聞きなさいませ。それだけでも深い仲になったようにお思いあそばしているとは」
 「それはあまりでございますよ。あちらのお志もこんなおりからにはことに深さのまさるものですもの、ほのかにでもお話しになることを聞いておあげなさいませ。あちらのお言葉がしみになってお身体からだへつくようにも反感を持っていらっしゃるのですね」
  "Samo, amari ni mo ohasimasu mono kana! Mi-kokorozasi no hodo mo, ahare masaru wori ni koso haberu mere. Honoka ni mo, kikoye tamaha m koto mo kika se tamahe. Simi-tuka m koto no yau ni obosimesi taru koso."
4.3.3  など言ふに、いとはしたなくおぼゆ。 おはせぬよしを言へど、 昼の使の、一所など問ひ聞きたるなるべし、いと言多く怨みて、
 などと言うので、とても不安に思われる。いらっしゃらない旨を言うが、昼の使者が、一人残っていると尋ね聞いたのであろう、とても長々と恨み言をいって、
 少将にこんなふうに言われれば言われるほど不安になる姫君であった。姫君もいっしょに旅に出かけたと少将は客へ言ったのであるが、昼間の使いが一人は残っておられる、というようなことを聞いて行ったものらしくて中将は信じない。いろいろと言葉を尽くして姫君の無情さを恨み、
  nado ihu ni mo, ito hasitanaku oboyu. Ohase nu yosi wo ihe do, hiru no tukahi no, hito-tokoro nado tohi kiki taru naru besi, ito koto ohoku urami te,
4.3.4  「 御声も聞きはべらじ。ただ、気近くて聞こえむことを、聞きにくしともいかにとも、思しことわれ」
 「お声も聞かなくて結構です。ただ、お側近くで申し上げることを、聞きにくいとも何なりとも、どうぞご判断くださいませ」
 「お話をしいて聞かせてほしいとは申しません。ただお近い所で、私のする話をお聞きくだすって、その結果私に好意を持つことがおできにならぬならそうと言いきっていただきたいのです」
  "Ohom-kowe mo kiki habera zi. Tada, ke-dikaku te kikoye m koto wo, kiki-nikusi to mo ikani to mo, obosi kotoware."
4.3.5  と、よろづに言ひわびて、
 と、あれこれ言いあぐねて、
 こんなことをどれほど言っても答えのないのでくさくさした中将は、
  to, yorodu ni ihi-wabi te,
4.3.6  「 いと心憂く。所につけてこそ、もののあはれもまされ。あまりかかるは」
 「まことに情けない。場所に応じてこそ、物のあわれもまさるものです。これではあんまりです」
 「情けなさすぎます。この場所は人の繊細な感情を味わってくださるのに最も適した所ではありませんか。こんな扱いをしておいでになって何ともお思いにならないのですか」
  "Ito kokoro-uku. Tokoro ni tuke te koso, mono no ahare mo masare. Amari kakaru ha."
4.3.7  など、あはめつつ、
 などと、非難しながら、
 とあざけるようにも言い、
  nado, ahame tutu,
4.3.8  「 山里の秋の夜深きあはれをも
 「山里の秋の夜更けの情趣を
  「山里の秋の夜深き哀れをも
    "Yamazato no aki no yo-bukaki ahare wo mo
4.3.9   もの思ふ人は思ひこそ知れ
  物思いなさる方はご存知でしょう
  物思ふ人は思ひこそ知れ
    mono omohu hito ha omohi koso sire
4.3.10   おのづから御心も通ひぬべきを
 自然とお心も通じ合いましょうに」
 御自身の寂しいお心持ちからでも御同情はしてくだすっていいはずですが」
  Onodukara mi-kokro mo kayohi nu beki wo."
4.3.11  などあれば、
 などと言うので、
 と姫君へ取り次がせたのを伝えたあとで、少将が、
  nado are ba,
4.3.12  「 尼君おはせで 紛らはしきこゆべき人もはべらず。いと世づかぬやうならむ」
 「尼君がいらっしゃらないので、うまく取り繕い申し上げる者もいません。とても世間知らずのようでしょう」
 「尼奥様がおいでにならない時ですから、紛らしてお返しをしておいていただくこともできません。何とかお言いあそばさないではあまりに人間離れのした方と思われるでしょう」
  "Ama-Gimi ohase de, magirahasi kikoyu beki hito mo habera zu. Ito yo-duka nu yau nara m."
4.3.13  と責むれば、
 と責めるので、
 こう責めるために、
  to semure ba,
4.3.14  「 憂きものと思ひも知らで過ぐす身を
 「情けない身の上とも分からずに暮らしているわたしを
  うきものと思ひも知らで過ぐす身を
    "Uki mono to omohi mo sira de sugusu mi wo
4.3.15   もの思ふ人と人は知りけり
  物思う人だと他人が分かるのですね
  物思ふ人と人は知りけり
    mono omohu hito to hito ha siri keri
4.3.16  わざといらへともなきを、 聞きて伝へきこゆれば、いとあはれと思ひて、
 特に返歌というのでもないのを、聞いてお伝え申し上げると、とても感激して、
 と浮舟が返しともなく口へ上せたのを聞いて、少将が伝えるのを中将はうれしく聞いた。
  Wazato irahe to mo naki wo, kiki te tutahe kikoyure ba, ito ahare to omohi te,
4.3.17  「 なほ、ただいささか出でたまへ、と聞こえ動かせ」
 「もっと、もう少しだけでもお出でください、とお勧め申せ」
 「ほんの少しだけ近くへ出て来てください」
  "Naho, tada isasaka ide tamahe, to kikoye ugokase."
4.3.18  と、この人びとをわりなきまで恨みたまふ。
 と、この女房たちを困り果てるまで恨み言をおっしゃる。
 と中将が言ったと言い、少将らは姫君の心を動かそうとするのであるが、姫君はこの人々を恨めしがっているばかりであった。
  to, kono hito-bito wo warinaki made urami tamahu.
4.3.19  「 あやしきまで、つれなくぞ見えたまふや
 「変なまでに、冷淡にお見えになることです」
 「あやしいほどにも御冷淡になさるではありませんか」
  "Ayasiki made, turenaku zo miye tamahu ya!"
4.3.20  とて、入りて見れば、例はかりそめにもさしのぞきたまはぬ老い人の御方に入りたまひにけり。あさましう思ひて、「 かくなむ」と 聞こゆれば
 と言って、奥に入って見ると、いつもは少しもお入りにならない老人のお部屋にお入りになっていたのであった。驚きあきれて、「これこれです」と申し上げると、
 と言いながら女房がまた忠告を試みにはいって来た時に、姫君はもう座にはいなくて、平生はかりにも行って見ることのなかった大尼君のへやへはいって行っていた。少将がそれをあきれたように思って帰って来て客に告げると、
  tote, iri te mire ba, rei ha karisome ni mo sasi-nozoki tamaha nu oyi-bito no ohom-kata ni iri tamahi ni keri. Asamasiu omohi te, "Kaku nam." to kikoyure ba,
4.3.21  「 かかる所に眺めたまふらむ心の内のあはれに、おほかたのありさまなども、 情けなかるまじき人の、いとあまり思ひ知らぬ人よりも、けにもてなしたまふめるこそ。それ物懲りしたまへるか。なほ、いかなるさまに世を恨みて、いつまでおはすべき人ぞ」
 「このような所で物思いに耽っていらっしゃる方のご心中がお気の毒で、世間一般の様子などにつけても情けの分からない方ではないはずなのに、まるで情けを分からない人よりも、冷淡なおあしらいなさるようです。それも何かひどい経験をなさってのことだろうか。やはり、どのようなことで世の中を厭って、いつまでここにいらっしゃる予定の方ですか」
 「こんな住居すまいにおられる人というものは感情が人より細かくなって、恋愛に対してだけでなく一般的にも同情深くなっておられるのがほんとうだ。感じ方のあらあらしい人以上に冷たい扱いを私にされるではないか。これまでに恋の破局を見た方なのですか。そんなことでなく、ほかの理由があるのかね。このうちにはいつまでおいでになるのですか」
  "Kakaru tokoro ni nagame tamahu ram kokoro no uti no ahare ni, ohokata no arisama nado mo, nasake nakaru maziki hito no, ito amari omohi-sira nu hito yori mo, keni motenasi tamahu meru koso. Sore mono-gori si tamahe ru ka. Naho, ika naru sama ni yo wo urami te, itu made ohasu beki hito zo?"
4.3.22  など、ありさま問ひて、いとゆかしげにのみ思いたれど、こまかなることは、 いかでかは言ひ聞かせむ。ただ、
 などと、様子を尋ねて、たいそう知りたげにお思いになっているが、詳細なことはどうして申し上げられよう。ただ、
 などと言って聞きたがる中将であったが、細かい事実を女房も話すはずはない。
  nado, arisama tohi te, ito yukasige ni nomi oboi tare do, komaka naru koto ha, ikade-kaha ihi-kikase m. Tada,
4.3.23  「 知りきこえたまふべき人の年ごろは、疎々しきやうにて過ぐしたまひしを、初瀬に詣であひたまひて、尋ねきこえたまひつる」
 「お世話申し上げなさらねばならない方で、長年、疎遠な関係で過していらっしゃったのを、互いに初瀬に参詣なさって、お探し申し上げなさったのです」
 「思いがけず奥様が初瀬はせのお寺でお逢いになりまして、お話し合いになりました時、御縁続きであることがおわかりになりこちらへおいでになることにもなったのでございます」
  "Siri kikoye tamahu beki hito no, tosi-goro ha, uto-utosiki yau nite sugusi tamahi si wo, Hatuse ni maude-ahi tamahi te, tadune kikoye tamahi turu."
4.3.24  とぞ言ふ。
 と言う。
 とだけ言っていた。
  to zo ihu.
注釈449あなうたてこはなにぞ浮舟の心中の思い。4.3.1
注釈450さもあまりにも以下「思したるこそ」まで、少将尼の詞。4.3.2
注釈451聞こえたまはむことも主語は中将。4.3.2
注釈452しみつかむことのやうに『集成』は「(お言葉を聞くだけで)もう何か深い仲になるかのようにお思いなのですね」と注す。4.3.2
注釈453おはせぬよし妹尼君が。4.3.3
注釈454昼の使の一所など問ひ聞きたるなるべし挿入句。語り手の推測を挿入。4.3.3
注釈455御声も聞きはべらじ以下「思しことわれ」まで、中将の詞。返事は結構、ただ自分の言うことを聞いてほしい、と言う。4.3.4
注釈456いと心憂く以下「あまりかかるは」まで、中将の詞。4.3.6
注釈457山里の秋の夜深きあはれをももの思ふ人は思ひこそ知れ中将から浮舟への贈歌。4.3.8
注釈458おのづから御心も通ひぬべきを歌に続けた詞。4.3.10
注釈459尼君おはせで以下「世づかぬやうならむ」まで、少将尼の詞。4.3.12
注釈460紛らはしきこゆべき人うまく取り繕って返歌を差し上げる人。4.3.12
注釈461憂きものと思ひも知らで過ぐす身をもの思ふ人と人は知りけり浮舟の返歌。「もの思ふ人」の語句を用いて返す。自分では物思いをしているのかいないのか分からないでいるのに、あなたは物思いをしている人だというのですね、と切り返す。4.3.14
注釈462聞きて伝へきこゆれば主語は少将尼。4.3.16
注釈463なほただ以下「動かせ」まで、中将の詞。4.3.17
注釈464あやしきまでつれなくぞ見えたまふや少将尼の詞。「や」間投助詞、詠嘆の意。4.3.19
注釈465かくなむ浮舟が老母尼君の部屋に引き篭もってしまっている、という内容。4.3.20
注釈466聞こゆれば少将尼が中将に。4.3.20
注釈467かかる所に以下「おはすべき人ぞ」まで、中将の詞。4.3.21
注釈468情けなかるまじき人の格助詞「の」同格の意。4.3.21
注釈469いかでかは言ひ聞かせむ語り手の思い入れをこめた叙述。4.3.22
注釈470知りきこえたまふべき人の以下「尋ねきこえたまひつる」まで、少将尼の詞。『完訳』は「遠縁にあたるぐらいの趣」と注す。4.3.23
注釈471年ごろは、疎々しきやうにて長年疎遠であった、の意。出会う以前のこと。4.3.23
校訂18 おはせで おはせで--おか(か/$は)せて 4.3.12
校訂19 聞こゆれば 聞こゆれば--(/+きこゆれは) 4.3.20
4.4
第四段 老尼君たちのいびき


4-4  Two old nuns snore loudly by Ukifune all night

4.4.1  姫君は、「いとむつかし」とのみ聞く老い人のあたりにうつぶし臥して、寝も寝られず。宵惑ひは、えもいはずおどろおどろしきいびきしつつ、前にも、うちすがひたる尼ども二人して、劣らじといびき合はせたり。いと恐ろしう、「 今宵、この人びとにや食はれなむ」と思ふも、惜しからぬ身なれど、例の心弱さは、 一つ橋危ふがりて帰り来たりけむ者のやうに、わびしくおぼゆ。
 姫君は、「とても気味悪い」とばかり聞いている老人の所に横になって、眠ることもできない。夕方から眠くなるのは、何とも言えないほど大きな鼾をしいしい、その前にも、似たような老尼どもが二人横になっていて、負けじ劣らじと鼾をかき合っていた。たいそう恐ろしく、「今夜、この人たちに喰われてしまうのではないか」と思うのも、惜しい身の上ではないが、いつもの心弱さは、一本橋を危ながって引き返したという者のように、心細く思われる。
 浮舟の姫君はめんどうな性質の人であると聞いていた老尼の所でうつ伏しになっているのであったが、眠入ねいることなどはむろんできない。宵惑いの大尼君は大きいいびきの声をたてていたし、その前のほうにも後差あとざしの形で二人の尼女房が寝ていて、それも主に劣るまいとするようにいびきをかいていた。姫君は恐ろしくなって今夜自分はこの人たちに食われてしまうのではないかと思うと、それも惜しい命ではないが、例の気弱さから死にに行った人が細い橋をあぶながって後ろへもどって来た話のように、わびしく思われてならなかった。
  Hime-Gimi ha, "Ito mutukasi." to nomi kiku oyi-bito no atari ni utubusi husi te, i mo nara re zu. Yohi-madohi ha, e mo iha zu odoro-odorosiki ibiki si tutu, mahe ni mo, uti-sugahi taru ama-domo hutari site, otora zi to ibiki ahase tari. Ito osorosiu, "Koyohi, kono hito-bito ni ya kuha re na m." to omohu mo, wosikara nu mi nare do, rei no kokoro-yowasa ha, hitotu-basi ayahugari te kaheri ki tari kem mono no yau ni, wabisiku oboyu.
4.4.2   こもき、供に率ておはしつれど、色めきて、このめづらしき男の艶だちゐたる方に帰り去にけり。「 今や来る、今や来る」と待ちゐたまへれど、 いとはかなき頼もし人なりや。中将、 言ひわづらひて帰りにければ、
 こもきを、供に連れて行かれたが、色気づく年頃で、このめずらしい男性が優雅に振る舞っていらっしゃる方に帰って行ってしまった。「今戻って来ようか、今戻って来ようか」と待っていらしたが、まことに頼りないお付であるよ。中将は、言いあぐねて帰ってしまったので、
 童女のこもきを従えて来ていたのであるが、ませた少女は珍しい異性が風流男らしく気どってすわっているあちらの座敷のほうに心がかれて帰って行った。今にこもきが来るであろう、あろうと姫君は待っているのであるが、頼みがいのない童女は主を捨てはなしにしておいた。中将は誠意の認められないのに失望して帰ってしまった。そのあとでは、
  Komoki, tomoni wi te ohasi ture do, iro-meki te, kono medurasiki wotoko no en-dati wi taru kata ni kaheri-ini keri. "Ima ya kuru, ima ya kuru." to mati-wi tamahe re do, ito hakanaki tanomosi-bito nari ya. Tyuuzyau, ihi wadurahi te kaheri ni kere ba,
4.4.3  「 いと情けなく、埋れてもおはしますかな。あたら御容貌を」
 「まことに情けなく、引き籠もっていらっしゃること。あたら惜しいご器量を」
 「人情がわからない方ね。引っ込み思案でばかりいらっしゃる。あれだけの容貌きりょうを持っておいでになりながら」
  "Ito nasakenaku, umore te mo ohasimasu kana! Atara ohom-katati wo!"
4.4.4  などそしりて、皆一所に寝ぬ。
 などと悪口を言って、一同一緒に寝た。
 などと姫君をそしって皆一所で寝てしまった。
  nado sosiri te, mina hito-tokoro ni ne nu.
4.4.5  「夜中ばかりにやなりぬらむ」と思ふほどに、尼君しはぶきおぼほれて起きにたり。火影に、頭つきはいと白きに、黒きものをかづきて、 この君の臥したまへる、あやしがりて、鼬とかいふなるものが、さるわざする、額に手を当てて、
 「夜半になったか」と思うころに、尼君が咳こんで寝惚けて起き出した。灯火の光で、頭の具合はまっ白い上に、黒いものを被って、この君が横になっているのを、変に思って、鼬とかいうものが、そのようなことをする、額に手を当てて、
 夜中時分かと思われるころに大尼君はひどいせきを続けて、それから起きた。の明りに見える頭の毛は白くて、その上に黒い布をかぶっていて、姫君が来ているのをいぶかって鼬鼠いたちはそうした形をするというように、額に片手をあてながら、
  "Yonaka bakari ni ya nari nu ram." to omohu hodo ni, Ama-Gimi sihabuki obohore te oki ni tari. Hokage ni, kasira-tuki ha ito siroki ni, kuroki mono wo kaduki te, kono Kimi no husi tamahe ru, ayasigari te, itati to ka ihu naru mono ga, saru waza suru, hitahi ni te wo ate te,
4.4.6  「 あやし。これは、誰れぞ
 「おや。これは、誰ですか」
 「怪しい、これはだれかねえ」
  "Ayasi. Kore ha, tare zo?"
4.4.7  と、執念げなる声にて見おこせたる、さらに、「ただ今食ひてむとする」とぞおぼゆる。 鬼の取りもて来けむほどは、物のおぼえざりければ、なかなか心やすし。「 いかさまにせむ」とおぼゆるむつかしさにも、「 いみじきさまにて生き返り、人になりて、また ありしいろいろの憂きことを思ひ乱れ、むつかしとも恐ろしとも、ものを思ふよ。 死なましかば、これよりも恐ろしげなる者の中にこそは あらましか」と思ひやらる。
 と、しつこそうな声で見やっているのが、その上、「今すぐにでも取って喰ってしまおうとする」かのように思われる。鬼が取って連れて来た時は、何も考えられなかったので、かえって安心であった。「どうするのだろう」と思われる不気味さにも、「みじめな姿で生き返り、人並に戻って、再び以前のいろいろな嫌なことに悩み、厭わしいとか恐ろしいとか、物思いすることよ。死んでしまっていたら、これよりも恐ろしそうなものの中にいたことだろうか」と想像される。
 としつこそうな声で言い姫君のほうを見越した時には、今自分は食べられてしまうのであるという気が浮舟にした。幽鬼が自分を伴って行った時は失心状態であったから何も知らなかったが、それよりも今が恐ろしく思われる姫君は、長くわずらったあとで蘇生そせいして、またいろいろな過去の思い出に苦しみ、そして今またこわいともおそろしいとも言いようのない目に自分はあっている、しかも死んでいたならばこれ以上恐ろしい形相ぎょうそうのものの中に置かれていた自分に違いないとも思われるのであった。
  to, sihunege naru kowe nite mi-okose taru, sarani, "Tada ima kuhi tem to suru." to zo oboyuru. Oni no tori mote ki kem hodo ha, mono no oboye zari kere ba, naka-naka kokoro-yasusi. "Ikasama ni se m." to oboyuru mutukasisa ni mo, "Imiziki sama nite iki-kaheri, hito ni nari te, mata ari si iro-iro no uki koto wo omohi midare, mutukasi to mo osorosi to mo, mono wo omohu yo! Sina masika ba, kore yori mo osorosige naru mono no naka ni koso ha ara masika." to omohi-yara ru.
注釈472今宵この人びとにや食はれなむ『集成』は「地獄草子に老婆の姿をした鬼が見える」。『完訳』は「老尼を鬼かと恐れる。鬼が老女に化ける話は、説話集に散見」と注す。4.4.1
注釈473一つ橋危ふがりて『細流抄』は「本縁たしかならず。心はただ、身を投げんとせし人の、行く道に一橋の危ふきを見て、道より帰りたるといふことあるべし」と指摘。出典未詳。4.4.1
注釈474こもき供に率て浮舟に仕える女童を一緒に老母尼の部屋に。4.4.2
注釈475今や来る今や来ると浮舟の心中の思い。こもきの帰りを。4.4.2
注釈476いとはかなき頼もし人なりや『紹巴抄』は「双地てならひの心中をかけり」と指摘。4.4.2
注釈477いと情けなく以下「あたら御容貌を」まで、少将尼や左衛門女房たちの不満の詞。4.4.3
注釈478この君浮舟。4.4.5
注釈479あやしこれは誰れぞ母尼君の詞。4.4.6
注釈480鬼の取りもて来けむほどは入水しようとしていた時に物の怪に連れ出されたことを回想。4.4.7
注釈481いかさまにせむどうしたらよかろう。意識が働いているので、かえって不気味。4.4.7
注釈482いみじきさまにて以下「あらましか」まで、浮舟の心中の思い。4.4.7
注釈483ありしいろいろの憂きことを匂宮や薫とのことで悩んだこと。4.4.7
注釈484死なましかば--あらましか反実仮想の構文。係助詞「か」疑問の意。『完訳』は「鬼と見える尼君から、鬼たちによる地獄の責め苦を連想」と注す。4.4.7
校訂20 言ひ 言ひ--(/+いひ) 4.4.2
4.5
第五段 浮舟、悲運のわが身を思う


4-5  Ukifune thinks her unfortunate life

4.5.1  昔よりのことを、まどろまれぬままに、常よりも思ひ続くるに、
 昔からのことを、眠れないままに、いつもよりも思い続けていると、
 昔からのことが眠れないままに次々に思い出される浮舟は、
  Mukasi yori no koto wo, madoroma re nu mama ni, tune yori mo omohi-tudukuru ni,
4.5.2  「 いと心憂く、親と聞こえけむ人の御容貌も見たてまつらず、遥かなる東を返る返る年月をゆきて、たまさかに尋ね寄りて、うれし頼もしと思ひきこえし 姉妹の御あたりをも、思はずにて絶え過ぎ、 さる方に思ひ定めたまひし人につけて、やうやう身の憂さをも慰めつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば、 宮を、すこしもあはれと思ひきこえけむ心ぞ、いとけしからぬ。ただ、この人の御ゆかりにさすらへぬるぞ」
 「とても情けなく、父親と申し上げた方のお顔も拝し上げず、遥か遠い東国で代わる代わる年月を過ごして、たまたま探し求めて、嬉しく頼もしくお思い申し上げた姉君のお側を、不本意のままに縁が切れてしまい、しかるべき方面にとお考えくださった方によって、だんだんと身の不運から抜け出そうとした矢先に、驚きあきれたように身を過ったのを考えて行くと、宮を、わずかにいとしいとお思い申し上げた心が、まことに良くないことであった。ただ、あの方に巡り合った御縁で流れ流れて来たのだ」
 自分は悲しいことに満たされた生涯しょうがいであったとより思われない。父君はお姿も見ることができなかった。そして遠い東の国を母についてあちらこちらとまわって歩き、たまさかにめぐり合うことのできて、うれしくも頼もしくも思った姉君の所で意外なさわりにあい、すぐに別れてしまうことになって、結婚ができ、その人を信頼することでようやく過去の不幸も慰められていく時に自分は過失をしてしまったことに思い至ると、宮を少しでもお愛しする心になっていたことが恥ずかしくてならない。あの方のために自分はこうした漂泊さすらいの身になった、
  "Ito kokoro-uku, oya to kikoye kem hito no ohom-katati mo mi tatematura zu, haruka naru Aduma wo kaheru gaheru tosi-tuki wo yuki te, tamasaka ni tadune yori te, uresi tanomosi to omohi kikoye si harakara no ohom-atari wo mo, omoha zu nite taye sugi, saru kata ni omohi sadame tamahi si hito ni tuke te, yau-yau mi no usa wo mo nagusame tu beki kihame ni, asamasiu mote-sokonahi taru mi wo omohi mote-yuke ba, Miya wo, sukosi mo ahare to omohi kikoye kem kokoro zo, ito kesikara nu. Tada, kono hito no ohom-yukari ni sasurahe nuru zo."
4.5.3  と思へば、「小島の色をためしに 契りたまひしを、などてをかしと思ひきこえけむ」と、こよなく飽きにたる心地す。初めより、 薄きながらものどやかにものしたまひし人は、この折かの折など、思ひ出づるぞ こよなかりける。「 かくてこそありけれ」と聞きつけられたてまつらむ恥づかしさは、人よりまさりぬべし。さすがに、「この世には、 ありし御さまを、よそながらだにいつか見むずる、と うち思ふ、なほ、悪ろの心や。かくだに思はじ」など、心一つをかへさふ。
 と思うと、「橘の小島の色を例にお誓いなさったのを、どうしてすてきだと思ったのだろう」と、すっかり熱もさめたような気がする。初めから、深い愛情ではなかったがゆったりとした方のことは、この折あの折になどと、思い出すことは比べものにならなかった。「こうして生きていたのだ」と、お耳にされ申すときの恥ずかしさは、誰よりも一番であろう。何といっても、「この世では、以前のご様子を他人ながらでもいつかは見ようと、ふと思うのは、やはり、悪い考えだ。それさえ思うまい」などと、自分独りで思い直す。
 たちばなの小嶋の色に寄せて変わらぬ恋を告げられたのをなぜうれしく思ったのかと疑われてならない。愛も恋もさめ果てた気がする。はじめからうすいながらも変わらぬ愛を持ってくれた人のことは、あの時、その時とその人についてのいろいろの場合が思い出されて、宮に対する思いとは比較にならぬ深い愛を覚える浮舟うきふねの姫君であった。こうしてまだ生きているとその人に聞かれる時の恥ずかしさに比してよいものはないと思われる。そうであってさすがにまた、この世にいる間にあの人をよそながらも見る日があるだろうかとも悲しまれるのであった。自分はまだよくない執着を持っている、そんなことは思うまいなどと心を変えようともした。
  to omohe ba, "Kozima no iro wo tamesi ni tigiri tamahi si wo, nadote wokasi to omohi kikoye kem?" to, koyonaku aki ni taru kokoti su. Hazime yori, usuki nagara mo nodoyaka ni monosi tamahi si hito ha, kono wori kano wori nado, omohi-iduru zo koyonakari keru. "Kaku te koso ari kere." to, kiki-tuke rare tatematura m hadukasisa ha, hito yori masari nu besi. Sasuga ni, "Kono yo ni ha, ari si ohom-sama wo, yoso nagara dani itu ka mi m zuru, to uti omohu, naho, waro no kokoro ya! Kaku dani omoha zi." nado, kokoro hitotu wo kahesahu.
4.5.4  からうして 鶏の鳴くを聞きて、いとうれし。「 母の御声を聞きたらむは、ましていかならむ」と思ひ明かして、心地もいと悪し。 供にて渡るべき人もとみに来ねば、なほ臥したまへるに、いびきの人は、いと疾く起きて、粥などむつかしきことどもをもてはやして、
 やっとのことで鶏が鳴くのを聞いて、とても嬉しい。「母親のお声を聞いた時には、それ以上にどんな気がするだろう」と思って夜を明かして、気分もとても悪い。付人としてあちらに行くはずの人もすぐには来ないので、依然として臥せっていらっしゃると、鼾の老婆は、たいそう早く起きて、粥など見向きもしたくない食事を大騒ぎして、
 ようやく鶏の鳴く声が聞こえてきた。浮舟は非常にうれしかった。母の声を聞くことができたならましてうれしいことであろうと、こんなことを姫君は思い明かして気分も悪かった。あちらへ帰るのに付き添って来てくれるものは早く来てもくれないために、そのままなお横たわっていると前夜のいびきの尼女房は早く起きて、かゆなどというまずいものを喜んで食べていた。
  Karausite tori no naku wo kiki te, ito uresi. "Haha no ohom-kowe wo kiki tara m ha, masite ika nara m?" to omohi akasi te, kokoti mo ito asi. Tomo ni te wataru beki hito mo tomi ni ko ne ba, naho husi tamahe ru ni, ibiki no hito ha, ito toku oki te, kayu nado mutukasiki koto-domo wo mote-hayasi te,
4.5.5  「 御前に、疾く聞こし召せ
 「あなたも、早くお召し上がれ」
 「姫君も早く召し上がりませ」
  "O-mahe ni, toku kikosi-mese."
4.5.6  など寄り来て言へど、まかなひもいとど心づきなく、うたて見知らぬ心地して、
 などと寄って来て言うが、給仕役もまこと気に入らず、嫌な見知らない気がするので、
 などとそばへ来て世話のやかれるのも気味が悪かった。こうした朝になれない気がして、
  nado yori ki te ihe do, makanahi mo itodo kokoro-dukinaku, utate mi-sira nu kokoti si te,
4.5.7  「 悩ましくなむ
 「気分が悪いので」
 「身体からだの調子がよくありませんから」
  "Nayamasiku nam."
4.5.8  と、ことなしびたまふを、しひて言ふも いとこちなし
 と、さりげなく断りなさるのを、無理に勧めるのもとても気がきかない。
 と穏やかな言葉で断わっているのに、しいて勧めて食べさせようとされるのもうるさかった。
  to, kotonasibi tamahu wo, sihite ihu mo ito koti-nasi.
注釈485いと心憂く以下「などてをかしと思ひきこえけむ」まで、浮舟の心中の思い。途中「と思へば」の地の文を鋏む。「親」は父親の宇治八宮をさす。4.5.2
注釈486姉妹の御あたりをも異母姉の中君。4.5.2
注釈487さる方に思ひ定めたまひし人に薫。『集成』は「北の方ではないにしても妻の一人に、という薫の思惑をいう」と注す。4.5.2
注釈488宮をすこしもあはれと匂宮。係助詞「も」強調の意。4.5.2
注釈489契りたまひしを主語は匂宮。4.5.3
注釈490薄きながらものどやかにものしたまひし人は薫をさす。『河海抄』は「夏衣薄きながらぞ頼まるる一重なるしも身に近ければ」(拾遺集恋三、八二三、読人しらず)を指摘。4.5.3
注釈491こよなかりける匂宮と比較して。4.5.3
注釈492かくてこそありけれと以下「かくだに思はじ」まで、浮舟の心中に添った叙述。心中文と地の文が交錯。4.5.3
注釈493聞きつけられたてまつらむ薫に。4.5.3
注釈494ありし御さまを薫の姿。4.5.3
注釈495うち思ふなほ悪ろの心や『完訳』は「彼(薫)への憧れが心をかすめるが、それを打ち消す」と注す。4.5.3
注釈496鶏の鳴くを聞きて『集成』は「鶏鳴で魔の跳梁する夜の支配が終る。まだ暗い時刻である。次の「思ひ明かして」のところで明るい朝を迎える」と注す。4.5.4
注釈497母の御声を以下「いかならむ」まで、浮舟の心中の思い。『花鳥余情』は「山鳥のほろほろと鳴く声けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(玉葉集釈教、二六二七、行基菩薩)を指摘。4.5.4
注釈498供にて渡るべき人女童のこもき。4.5.4
注釈499御前に疾く聞こし召せ老母尼の詞。4.5.5
注釈500悩ましくなむ浮舟の詞。4.5.7
注釈501いとこちなし語り手の批評の言。4.5.8
出典18 母の御声を聞き 山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ 玉葉集釈教歌-二六二七 行基 4.5.4
4.6
第六段 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る


4-6  Souzu calls at Ono villa on his way to the Imperial Palace

4.6.1  下衆下衆しき法師ばらなどあまた来て、
 身分の低いらしい法師どもなどが大勢来て、
 下品な姿の僧がこの家へおおぜい来て、
  Gesu-gesusiki hohusi-bara nado amata ki te,
4.6.2  「 僧都、今日下りさせたまふべし
 「僧都が、今日下山あそばしますでしょう」
 「僧都そうずさんが今日きょう御下山になりますよ」などと庭で言っている。
  "Soudu, kehu ori sase tamahu besi."
4.6.3  「 などにはかには」
 「どうして急に」
 「なぜにわかにそうなったのですか」
  "Nado nihaka ni ha?"
4.6.4  と 問ふなれば
 と尋ねるようなので、

  to tohu nare ba,
4.6.5  「 一品の宮の、御もののけに悩ませたまひける、山の座主、御修法仕まつらせたまへど、なほ、僧都参らせたまはでは験なしとて、昨日、二度なむ召しはべりし。右大臣殿の四位少将、昨夜、夜更けてなむ登りおはしまして、后の宮の御文などはべりければ、下りさせたまふなり」
 「一品の宮が、御物の怪にお悩みあそばしたのを、山の座主が、御修法をして差し上げなさったが、やはり、僧都が参上なさらなくては効験がないといって、昨日、二度お召しがございました。右大臣殿の四位少将が、昨夜、夜が更けて登山あそばして、后宮のお手紙などがございましたので、下山あそばすのです」
 「一品いっぽんみや様が物怪もののけでわずらっておいでになって、本山の座主ざすが修法をしておいでになりますが、やはり僧都が出て来ないでは効果の見えることはないということになって、昨日は二度もお召しの使いがあったのです。左大臣家の四位少将が昨夜夜ふけてからまたおいでになって、中宮ちゅうぐう様のお手紙などをお持ちになったものですから、下山の決意をなさったのですよ」
  "Ippon-no-Miya no, ohom-mononoke ni nayama se tamahi keru, Yama-no-Zasu, mi-syuhohu tukau-matura se tamahe do, naho, Soudu mawira se tamaha de ha sirusi nasi tote, kinohu, huta-tabi nam mesi haberi si. Udaizin-dono no Siwi-no-Seusyau, yobe, yo huke te nam nobori ohasimasi te, Kisai-no-Miya no ohom-humi nado haberi kere ba, ori sase tamahu nari."
4.6.6  など、いとはなやかに言ひなす。「 恥づかしうとも、会ひて、尼になしたまひてよ、と言はむ。さかしら人少なくて、よき折にこそ」と思へば、起きて、
 などと、とても得意になって言う。「恥ずかしくても、お目にかかって、尼にしてください、と言おう。口出しする人も少なくて、ちょうどよい機会だ」と思うと、起きて、
 などと自慢げに言っている。ここへ僧都の立ち寄った時に、恥ずかしくても逢って尼にしてほしいと願おう、とがめだてをしそうな尼夫人も留守で他の人も少ない時で都合がよいと考えついた浮舟は起きて、
  nado, ito hanayaka ni ihi nasu. "Hadukasiu tomo, ahi te, ama ni nasi tamahi te yo, to iha m. Sakasira-bito sukunaku te, yoki wori ni koso." to omohe ba, oki te,
4.6.7  「 心地のいと悪しうのみはべるを、僧都の下りさせたまへらむに、 忌むこと受けはべらむとなむ思ひはべるを、さやうに聞こえたまへ」
 「気分が悪くばかりいますので、僧都が下山あそばしますときに、受戒をしていただこうと思っておりますが、そのように申し上げてください」
 「僧都様が山をおりになりました時に、出家をさせていただきたいと存じますから、そんなふうにあなた様からもおとりなしをくださいまし」
  "Kokoti no ito asiu nomi haberu wo, Soudu no ori sase tamahe ra m ni, imu koto uke habera m to nam omohi haberu wo, sayau ni kikoye tamahe."
4.6.8  と語らひたまへば、 ほけほけしう、うちうなづく
 と相談なさると、惚けた感じで、ちょっとうなずく。
 と大尼君に言うと、その人はぼけたふうにうなずいた。
  to katarahi tamahe ba, hoke-hokesiu, uti-unaduku.
4.6.9   例の方におはして髪は尼君のみ削りたまふを、異人に手触れさせむもうたておぼゆるに、手づからはた、えせぬことなれば、ただすこし解き下して、 親に今一度 かうながらのさまを見えずなりなむこそ、人やりならず、いと悲しけれ。 いたうわづらひしけにや、髪もすこし落ち細りたる心地すれど、何ばかりも衰へず、いと多くて、六尺ばかりなる末などぞ、 いとうつくしかりける。筋なども、いとこまかにうつくしげなり。
 いつもの部屋のいらして、髪は尼君だけがお梳きになるのを、他人に手を触れさせるのも嫌に思われるが、自分自身では、できないことなので、ただわずかに梳きおろして、母親にもう一度こうした姿をお見せすることがなくなってしまうのは、自分から望んだこととはいえ、とても悲しい。ひどく病んだせいだろうか、髪も少し抜けて細くなってしまった感じがするが、それほども衰えていず、たいそう多くて、六尺ほどある末などは、とても美しかった。髪の毛などもたいそうこまやかで美しそうである。
 常の居間へ帰った浮丹は、尼君がこれまで髪を自身以外の者にくことをさせなかったことを思うと、女房に手を触れさせるのがいやに思われるのであるが、自身ではできないことであったから、ただ少しだけ解きおろしながら、母君にもう一度以前のままの自身を見せないで終わるのかと思うと悲しかった。重い病のために髪も少し減った気が自身ではするのであるが、何ほど衰えたとも見えない。非常にたくさんで六尺ほどもある末のほうのことに美しかったところなどはさらにこまかく美しくなったようである。
  Rei no kata ni ohasi te, kami ha Ama-Gimi nomi keduri tamahu wo, koto-bito nite hure sase m mo utate oboyuru ni, tedukara hata, e se nu koto nare ba, tada sukosi toki-kudasi te, oya ni ima hito-tabi kau nagara no sama wo miye zu nari na m koso, hitoyari-nara-zu, ito kanasikere. Itau wadurahi si ke ni ya, kami mo sukosi oti hosori taru kokoti sure do, nani bakari mo otorohe zu, ito ohoku te, roku-syaku bakari naru suwe nado zo, ito utukusikari keru. Sudi nado mo, ito komaka ni utukusige nari.
4.6.10  「 かかれとてしも
 「こうなれと思って髪の世話はしなかったろうに」
 「たらちねはかかれとてしも」(うば玉のわが黒髪をでずやありけん)
  "Kakare tote simo."
4.6.11  と、独りごちゐたまへり。
 と、独り言をおっしゃっていた。
 独言ひとりごとに浮舟は言っていた。
  to, hitori-goti wi tamahe ri.
4.6.12  暮れ方に、僧都ものしたまへり。南面払ひしつらひて、まろなる頭つき、行きちがひ騷ぎたるも、例に変はりて、いと恐ろしき心地す。 母の御方に参りたまひて
 暮れ方に、僧都がおいでになった。南面を片づけ準備して、丸い頭の恰好が、あちこち行ったり来たりしてがやがやしているのも、いつもと違って、とても恐ろしい気がする。母尼のお側に参上なさって、
 夕方に僧都が寺から来た。南の座敷が掃除そうじされ装飾されて、そこをまるい頭が幾つも立ち動くのを見るのも、今日の姫君の心には恐ろしかった。僧都は母の尼の所へ行き、
  Kure-kata ni, Soudu monosi tamahe ri. Minami-omote harahi siturahi te, maro naru kasira-tuki, yuki-tigahi taru mo, rei ni kahari te, ito osorosiki kokoti su. Haha no ohom-kata ni mawiri tamahi te,
4.6.13  「 いかにぞ、月ごろは
 「いかがですか、このごろは」
 「あれから御機嫌ごきげんはどうでしたか」
  "Ikani zo, tuki-goro ha?"
4.6.14  など言ふ。
 などと言う。
 などと尋ねていた。
  nado ihu.
4.6.15  「 東の御方は物詣でしたまひにきとか。 このおはせし人は、なほものしたまふや」
 「東の御方は物詣でをなさったとか。ここにいらっしゃった方は、今でもおいでになりますか」
 「東の夫人は参詣さんけいに出られたそうですね。あちらにいた人はまだおいでですか」
  "Himgasi-no-Ohomkata ha mono-maude si tamahi ni ki to ka? Kono ohase si hito ha, naho monosi tamahu ya?"
4.6.16  など問ひたまふ。
 などとお尋ねになる。

  nado tohi tamahu.
4.6.17  「 しか。ここにとまりてなむ。心地悪しとこそものしたまひて、忌むこと受けたてまつらむ、とのたまひつる」
 「ええ。ここに残っています。気分が悪いとおっしゃって、受戒をお授かり申したい、とおっしゃいました」
 「そうですよ。昨夜ゆうべは私の所へ来て泊まりましたよ。身体からだが悪いからあなたに尼の戒を受けさせてほしいと言っておられましたよ」
  "Sika. Koko ni tomari te nam. Kokoti asi to koso monosi tamahi te, imu koto uke tatematura m, to notamahi turu."
4.6.18  と語る。
 と話す。
 と大尼君は語った。
  to kataru.
注釈502僧都今日下りさせたまふべし僧の詞。4.6.2
注釈503などにはかに女房の詞。4.6.3
注釈504問ふなれば「なれ」伝聞推定の助動詞。浮舟の耳に聞こえてくる趣。4.6.4
注釈505一品の宮の以下「下りさせたまふなり」まで、僧の詞。明石中宮腹の女一宮の病気。4.6.5
注釈506恥づかしうとも以下「よき折にこそ」まで、浮舟の心中の思い。出家を決意。4.6.6
注釈507心地のいと悪しうのみはべるを以下「聞こえたまへ」まで、浮舟の詞。老母尼君に言う。4.6.7
注釈508忌むこと受けはべらむ蘇生の折には五戒だけを受けた。今度は本格的な出家を考える。4.6.7
注釈509ほけほけしううちうなづく主語は老母尼君。4.6.8
注釈510例の方におはして主語は浮舟。母尼君の部屋から自分の部屋へ。4.6.9
注釈511髪は尼君のみ削りたまふを浮舟の髪は妹尼君だけが梳る。4.6.9
注釈512親に今一度以下「悲しけれ」あたりまで、浮舟の心中の思い。引用句がなく、末尾は心中文から地の文に流れる叙述。4.6.9
注釈513かうながらのさまを出家前の姿。4.6.9
注釈514いたうわづらひしけにや浮舟の目、心中に即した叙述。4.6.9
注釈515いとうつくしかりける『集成』は「「うつくし」は、愛撫したい感じ。自らの髪をいとおしむ気持」。『完訳』は「次行に「うつくしげ」と繰り返され、削ぎ捨てがたい豊かな黒髪」と注す。4.6.9
注釈516かかれとてしも浮舟の独り言。『源氏釈』は「たらちめはかかれとてしもうばたまのわが黒髪を撫でずやありけむ」(後撰集雑三、一二四〇、僧正遍昭)を指摘。4.6.10
注釈517母の御方に参りたまひて主語は僧都。老母尼君のもとに。4.6.12
注釈518いかにぞ月ごろは僧都の詞。母尼君に加減を問う。4.6.13
注釈519東の御方は以下「ものしたまふや」まで、僧都の詞。妹尼君は東の対を居所としている。4.6.15
注釈520このおはせし人浮舟。4.6.15
注釈521しかここにとまりてなむ以下「とのたまひつる」まで、母尼君の詞。4.6.17
出典19 かかれとてしも たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪を撫でずやありけむ 後撰集雑三-一二四〇 僧正遍昭 4.6.10
4.7
第七段 浮舟、僧都に出家を懇願


4-7  Ukifune desires and appeals to become a nun to Souzu

4.7.1   立ちてこなたにいまして、「 ここにや、おはします」とて、几帳のもとについゐたまへば、 つつましけれど、ゐざり寄りて、いらへしたまふ
 立ってこちらにいらして、「ここに、いらっしゃいますか」と言って、几帳の側にお座りになると、遠慮されるが、膝行して近寄って、お返事をなさる。
 そこを立って僧都は姫君の居間へ来た。「ここにいらっしゃるのですか」と言い、几帳きちょうの前へすわった。
  Tati te konata ni imasi te, "koko ni ya, ohasimasu." tote, kityau no moto ni tui-wi tamahe ba, tutumasikere do, wizari yori te, irahe si tamahu.
4.7.2  「 不意にて見たてまつりそめてしも、さるべき昔の契りありけるにこそ、と思ひたまへて。御祈りなども、ねむごろに仕うまつりしを、法師は、そのこととなくて、御文聞こえ受けたまはむも便なければ、自然になむおろかなるやうになりはべりぬる。 いとあやしきさまに世を背きたまへる人の御あたり、いかでおはしますらむ」
 「思いもよらずお目にかかったのも、こうなるはずの前世からの宿縁があったのだ、と存じられまして。御祈祷なども、親身にお仕えいたしましたが、法師は、特別の用件もなく、お手紙を差し上げたり頂戴したりするのは不都合なので、自然と御無沙汰が続いてしまいました。実に見苦しい様子で、出家をなさっている方のお側に、どのようにしておいででしたか」
 「あの時偶然あなたをお助けすることになったのも前生の約束事と私は見ていて、祈祷きとうに骨を折りましたが、僧は用事がなくては女性に手紙をあげることができず、御無沙汰ごぶさたしてしまいました。こんな人間離れのした生活をする者の家などにどうして今までおいでになりますか」
  "Hui ni te mi tatematuri some te si mo, saru-beki mukasi no tigiri ari keru ni koso, to omohi tamahe te. Ohom-inori nado mo, nemgoro ni tukau-maturi si wo, hohusi ha, sono koto to naku te, ohom-humi kikoye uke tamaha m mo bin nakere ba, zinen ni nam oroka naru yau ni nari haberi nuru. Ito ayasiki sama ni, yo wo somuki tamahe ru hito no ohom-atari, ikade ohasimasu ram."
4.7.3  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 こう僧都は言った。
  to notamahu.
4.7.4  「 世の中にはべらじと思ひ立ちはべりし身の、いとあやしくて今まではべりつるを、心憂しと思ひはべるものから、よろづにせさせたまひける御心ばへをなむ、いふかひなき心地にも、思ひたまへ知らるるを、 なほ、世づかずのみ、つひにえ止まるまじく思ひたまへらるるを、尼になさせたまひてよ。世の中にはべるとも、例の人にてながらふべくもはべらぬ身になむ」
 「この世に生きていまいと決心いたしました身が、とても不思議にも今日まで生きておりましたが、つらいと思います一方で、あれこれとお世話いただいたご厚志を、何とも申し上げようもないわが身ながら、深く存じられますが、やはり、世間並のようには生きて行けず、とうとうこの世になじめそうになく存じられますので、尼にしてくださいませ。この世に生きていましても、普通の人のように長生きできない身の上です」
 「私はもう生きていまいと思った者ですが、不思議なお救いを受けまして今日きょうまでおりますのが悲しく思われます。一方ではいろいろと御親切にお世話をしてくださいました御恩は私のようなあさはかな者にも深く身にんでかたじけなく思われているのでございますから、このままにしていましてはまだ生き続けることができない気のいたしますのをお助けくだすって尼にしてくださいませ。ぜひそうしていただきとうございます。生きていましてもとうてい普通の身ではおられない気のする私なのでございますから」
  "Yononaka ni habera zi to omohi tati haberi si mi no, ito ayasiku te ima made haberi turu wo, kokoro-usi to omohi haberu monokara, yorodu ni se sase tamahi keru mi-kokorobahe wo nam, ihu-kahi naki kokoti ni mo, omohi tamahe sira ruru wo, naho, yoduka zu nomi, tuhini e tomaru maziku omohi tamahe raruru wo, ama ni nasa se tamahi te yo. Yononaka ni haberu tomo, rei no hito nite nagarahu beku mo habera nu mi ni nam."
4.7.5  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 と姫君は言う。
  to kikoye tamahu.
4.7.6  「 まだ、いと行く先遠げなる御ほどに、いかでかひたみちにしかば、思し立たむ。かへりて罪あることなり。思ひ立ちて、心を起こしたまふほどは強く思せど、年月経れば、 女の御身といふもの、いとたいだいしきものになむ
 「まだ、たいそう将来の長いお年なのに、どうして一途にそのように、ご決心なさったのですか。かえって罪を作ることになります。思い立って、決心なさった時は強くお思いになっても、年月がたつと、女のお身の上というものは、まことに不都合なものなのです」
 「まだ若いあなたがどうしてそんなことを深く思い込むのだろう。かえって罪になることですよ。決心をした時は強い信念があるようでも、年月がたつうちに女の身をもっては罪にちて行きやすいものなのです」
  "Mada, ito yukusaki tohoge naru ohom-hodo ni, ikade ka hitamiti ni sika ba, obosi-tata m. Kaheri te tumi aru koto nari. Omohi-tati te, kokoro wo okosi tamahu hodo ha tuyoku obose do, tosituki hure ba, womna no mi to ihu mono, ito tai-daisiki mono ni nam."
4.7.7  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 などと僧都は言うのであったが、
  to notamahe ba,
4.7.8  「 幼くはべりしほどより、ものをのみ思ふべきありさまにて、 親なども、尼になしてや見まし、などなむ思ひのたまひし。まして、すこしもの思ひ知りて後は、例の人ざまならで、後の世をだに、と思ふ心深かりしを、亡くなるべきほどのやうやう近くなりはべるにや、心地のいと弱くのみなりはべるを、 なほ、いかで
 「子供の時から、物思いばかりをしているような状態で、母親なども、尼にして育てようか、などと思いおっしゃいました。ましてや、少し物心がつきまして後は、普通の人と違って、せめて来世だけでも、と思う考えが深かったが、死ぬ時がだんだん近くなりましたのでしょうか、気分がとても心細くばかりなりましたが、やはり、どうか出家を」
 「私は子供の時から物思いをせねばならぬ運命に置かれておりまして、母なども尼にして世話がしたいなどと申したことがございます。まして少し大人になりまして人生がわかりかけてきましてからは、普通の人にはならずにこの世でよく仏勤めのできる境遇を選んで、せめて後世ごせにだけでも安楽を得たいという希望が次第に大きくなっておりましたが、仏様からそのお許しを得ます日の近づきますためか、病身になってしまいました。どうぞこのお願いをかなえてくださいませ」
  "Wosanaku haberi si hodo yori, mono wo nomi omohu beki arisama nite, oya nado mo, ama ni nasi te ya mi masi, nado nam omohi notamahi si. Masite, sukosi mono-omohi siri te noti ha, rei no hito-zama nara de, noti no yo wo dani, to omohu kokoro hukakari si wo, nakunaru beki hodo no yau-yau tikaku nari haberu ni ya, kokoti no ito yowaku nomi nari haberu wo, naho, ikade."
4.7.9  とて、うち泣きつつのたまふ。
 と、泣きながらおっしゃる。
 浮舟の姫君はこう泣きながら頼むのであった。
  tote, uti-naki tutu notamahu.
注釈522立ちてこなたにいまして主語は僧都。『集成』は「妹尼と一緒にいた東の対であろう」と注す。4.7.1
注釈523ここにやおはします僧都の詞。4.7.1
注釈524つつましけれどゐざり寄りていらへしたまふ主語は浮舟。4.7.1
注釈525不意にて以下「おはしますらむ」まで、僧都の詞。『集成』は「「不意にて」は男性用語」。『完訳』は「思いもよらず。宇治院での邂逅をさす。僧侶らしい表現」と注す。4.7.2
注釈526いとあやしきさまに『集成』は「とても不似合いと思われますのに」。『完訳』は「なんとも見苦しい有様で」と訳す。4.7.2
注釈527世を背きたまへる人の御あたり老母尼君や妹尼君をさす。4.7.2
注釈528世の中にはべらじと以下「はべらぬ身になむ」まで、浮舟の詞。4.7.4
注釈529なほ世づかずのみつひにえ止まるまじく『完訳』は「やはり世間並のようにはいかず、所詮はこの世に生きてはいられまい。出家以外にないと訴える」と注す。4.7.4
注釈530まだいと行く先遠げなる御ほどに以下「たいだいしきものになむ」まで、僧都の詞。4.7.6
注釈531女の御身といふものいとたいだいしきものになむ『集成』は「将来、不慮の間違いでもあってはと危ぶむ」。『完訳』は「女の身は実に不都合。前に妹尼も若い女の出家には疑問を抱いていた」と注す。4.7.6
注釈532幼くはべりしほどより以下「なほいかで」まで、浮舟の詞。4.7.8
注釈533なほいかで下に「尼になさせたまひてよ」の意が省略。出家を懇願。4.7.8
校訂21 親なども、尼になしてや見まし、など 親なども、尼になしてや見まし、など--おやなと(と/+もあまになしてやみましなと<朱>) 4.7.8
4.8
第八段 浮舟、出家す


4-8  Ukifune becomes a nun at last

4.8.1  「 あやしく、かかる容貌ありさまを、などて身をいとはしく思ひはじめたまひけむ。もののけもさこそ言ふなりしか」と思ひ合はするに、「 さるやうこそはあらめ。今までも 生きたるべき人かは。悪しきものの見つけそめたるに、いと恐ろしく危ふきことなり」と思して、
 「不思議な、このような器量とお姿なのに、どうして身を厭わしく思い始めなさったのだろうか。物の怪もそのように言っていたようだが」と思い合わせると、「何か深い事情があるのだろう。今までも生きているはずもなかった人なのだ。悪霊が目をつけ始めたので、とても恐ろしく危険なことだ」とお思いになって、
 不思議なことである、人に優越した容姿を得ている人が、どうして世の中をいとわしく思うようになったのだろう、しかしいつか現われてきた物怪もののけもこの人は生きるのをいとわしがっていたと語った。理由のないことではあるまい、この人はあのままおけば今まで生きている人ではなかったのである。悪い物怪にみいられ始めた人であるから、今後も危険がないとは思えないと僧都は考えて、
  "Ayasiku, kakaru katati arisama wo, nado te mi wo itohasiku omohi hazime tamahi kem? Mononoke mo sa koso ihu nari sika." to omohi ahasuru ni, "Saru yau koso ha ara me. Ima made mo iki taru beki hito kaha. Asiki mono no mituke some taru ni, ito osorosiku ayahuki koto nari." to obosi te,
4.8.2  「 とまれ、かくまれ、思し立ちてのたまふを、 三宝のいとかしこく誉めたまふことなり。法師にて聞こえ返すべきことにあらず。御忌むことは、いとやすく授けたてまつるべきを、急なることにまかんでたれば、今宵、かの宮に参るべくはべり。明日よりや、御修法始まるべくはべらむ。 七日果ててまかでむに、仕まつらむ」
 「ともあれ、かくもあれ、ご決心しておっしゃるのを、三宝がたいそう尊くお誉めになることだ。法師の身として反対申し上げるべきことでない。御受戒は、実にたやすくお授けいたしましょうが、急ぎの用事で下山したので、今夜は、あちらの宮に参上しなければなりません。明日から、御修法が始まる予定です。その七日間の修法が終わって帰山する時に、お授け申しましょう」
 「ともかくも思い立って望まれることは御仏の善行として最もおほめになることなのです。私自身僧であって反対などのできることではありません。尼の戒を授けるのは簡単なことですが、御所の急な御用で山を出て来て、今夜のうちに宮中へ出なければならないことになっていますからね、そして明日から御修法みしほを始めるとすると七日して退出することになるでしょう。その時にしましょう」
  "Tomare, kaku mare, obosi-tati te notamahu wo, sampou no ito kasikoku home tamahu koto nari. Hohusi nite kikoye kahesu beki koto ni ara zu. Ohom-imu koto ha, ito yasuku sazuke tatematuru beki wo, kihu naru koto ni makande tare ba, koyohi, kano Miya ni mawiru beku haberi. Asu yori ya, mi-syuhohu hazimaru beku habera m. Nanu-ka hate te makade m ni, tuka-matura m."
4.8.3  とのたまへば、「 かの尼君おはしなば、かならず言ひ妨げてむ」と、いと口惜しくて、
 とおっしゃると、「あの尼君がおいでになったら、きっと反対するだろう」と、とても残念なので、
 僧都はこう言った。尼夫人がこの家にいる時であれば必ずとめるに違いないと思うと、遂行が不可能になるのが残念に思われる浮舟の君は、
  to notamahe ba, "Kano Ama-Gimi ohasi na ba, kanarazu ihi samatage te m." to, ito kutiwosiku te,
4.8.4  「 乱り心地の悪しかりしほどに見たるやうにて、いと苦しうはべれば、重くならば、忌むことかひなくやはべらむ。なほ、今日はうれしき折とこそ思ひはべれ」
 「あの気分が悪かったときと同じようで、ひどく悪うございますので、重くなったら、受戒を授かってもその効がなくなりましょう。やはり、今日は嬉しい機会だと存じられます」
 「ただ病気のためにそういたしましたようになりましては効力が少のうございましょう。私はかなり身体からだの調子が悪いのでございますから、重態になりましたあとでは形式だけのことのようになるのが残念でございますから、無理なお願いではございますが今日こんにちに授戒をさせていただきとうございます」
  "Midari-gokoti no asikari si hodo ni mi taru yau ni te, ito kurusiu habere ba, omoku nara ba, imu koto kahinaku ya habera m. Naho, kehu ha uresiki wori to koso omohi habere."
4.8.5  とて、いみじう泣きたまへば、聖心にいといとほしく思ひて、
 と言って、ひどくお泣きになるので、聖心にもたいそう気の毒に思って、
 と言って、姫君は非常に泣いた。単純な僧の心にはこれがたまらず哀れに思われて、
  tote, imiziu naki tamahe ba, hiziri-gokoro ni ito itohosiku omohi te,
4.8.6  「 夜や更けはべりぬらむ。山より下りはべること、昔はことともおぼえたまはざりしを、年の生ふるままには、堪へがたくはべりければ、うち休みて内裏には参らむ、と思ひはべるを、 しか思し急ぐことなれば、今日仕うまつりてむ」
 「夜が更けてしまいましょう。下山しますことは、昔は何とも存じませんでしたが、年をとるにつれて、つらく思われましたので、ひと休みして内裏へは参上しよう、と思いましたが、そのようにお急ぎになることならば、今日お授けいたしましょう」
 「もう夜はだいぶふけたでしょう。山から下って来ることを、昔は何とも思わなかったものだが、年のいくにしたがって疲れがひどくなるものだから、休息をして御所へまいろうと私は思ったのだが、そんなにも早いことを望まれるのならさっそく戒を授けましょう」
  "Yo ya huke haberi nu ram. Yama yori ori haberu koto, mukasi ha koto to mo oboye tamaha zari si wo, tosi no ohuru mama ni ha, tahe gataku haberi kere ba, uti-yasumi te Uti ni ha mawira m, to omohi haberu wo, sika obosi isogu koto nare ba, kehu tukau-maturi te m."
4.8.7  とのたまふに、いとうれしくなりぬ。
 とおっしゃるので、とても嬉しくなった。
 と言うのを聞いて浮舟はうれしくなった。
  to notamahu ni, ito uresiku nari nu.
4.8.8   鋏取りて、櫛の筥の蓋さし出でたれば、
 鋏を取って、櫛の箱の蓋を差し出すと、
 はさみくしの箱のふたを僧都の前へ出すと、
  Hasami tori te, kusi no hako no huta sasi-ide tare ba,
4.8.9  「 いづら、大徳たち。ここに
 「どこですか、大徳たち。こちらへ」
 「どこにいるかね、坊様たち。こちらへ来てくれ」
  "Idura, Daitoko-tati? Koko ni."
4.8.10  と呼ぶ。初め見つけたてまつりし二人ながら供にありければ、呼び入れて、
 と呼ぶ。最初にお見つけ申した二人がそのままお供していたので、呼び入れて、
 僧都は弟子でしを呼んだ。はじめに宇治でこの人を発見した夜の阿闍梨あじゃりが二人とも来ていたので、それを座敷の中へ来させて、
  to yobu. Hazime mituke tatematuri si hutari nagara tomo ni ari kere ba, yobi-ire te,
4.8.11  「 御髪下ろしたてまつれ
 「お髪を下ろし申せ」
 「髪をお切り申せ」
  "Mi-gusi orosi tatemature."
4.8.12  と言ふ。 げに、いみじかりし人の御ありさまなれば、「 うつし人にては、世におはせむもうたてこそあらめ」と、この阿闍梨もことわりに思ふに、几帳の帷子のほころびより、御髪をかき出だしたまひつるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし、鋏をもてやすらひける。
 と言う。なるほど、あの大変であった方のご様子なので、「普通の人としては、この世に生きていらっしゃるのも嫌なことなのであろう」と、この阿闍梨も道理と思うので、几帳の帷子の隙間から、お髪を掻き出しなさったのが、たいそう惜しく美しいので、しばらくの間、鋏を持ったまま躊躇するのであった。
 と言った。道理である、まれな美貌びぼうの人であるから、俗の姿でこの世にいては煩累となることが多いに違いないと阿闍梨らも思った。そうではあっても、几帳きちょう垂帛たれぎぬ縫開ぬいあけから手で外へかき出した髪のあまりのみごとさにしばらく鋏の手を動かすことはできなかった。
  to ihu. Geni, imizikari si hito no mi-arisama nare ba, "Utusi-bito nite ha, yo ni ohase m mo utate koso ara me." to, kono Azari mo kotowari ni omohu ni, kityau no katabira no hokorobi yori, ohom-kami wo kaki-idasi tamahi turu ga, ito atarasiku wokasige naru ni nam, sibasi, hasami wo mote yasurahi keru.
注釈534あやしく以下「言ふなりしか」まで、僧都の心中の思い。「なり」伝聞推定の助動詞。4.8.1
注釈535さるやうこそはあらめ以下「危ふきことなり」まで、僧都の心中の思い。4.8.1
注釈536生きたるべき人かは反語表現。4.8.1
注釈537とまれかくまれ以下「仕まつらむ」まで、僧都の詞。4.8.2
注釈538三宝仏宝・法宝・僧宝。4.8.2
注釈539七日果てて七日間祈祷する一七日の御修法。4.8.2
注釈540かの尼君おはしなば、かならず言ひ妨げてむ浮舟の心中の思い。4.8.3
注釈541乱り心地の以下「思ひはべれ」まで、浮舟の詞。4.8.4
注釈542夜や更けはべりぬらむ以下「仕うまつりてむ」まで、僧都の詞。4.8.6
注釈543しか思し急ぐこと主語は浮舟。出家を急ぐ意。4.8.6
注釈544鋏取りて以下の動作の主体は浮舟。4.8.8
注釈545いづら大徳たちここに僧都の詞。4.8.9
注釈546御髪下ろしたてまつれ僧都の詞。4.8.11
注釈547げにいみじかりし人の阿闍梨の感慨。発見当時を想起。4.8.12
注釈548うつし人にては以下「こそあらめ」まで、阿闍梨の心中の思い。俗人のままでの生き方。4.8.12
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渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
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渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2004年8月26日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月14日

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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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