53 手習(大島本)


TENARAHI


薫君の大納言時代
二十七歳三月末頃から二十八歳の夏までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from about the last in March at the age of 27 to summer at the age of 28

1
第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる


1  Tale of Ukifune  Ukifune wanted to kill herself but she was rescued by Yokawa-souzu

1.1
第一段 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病


1-1  Yokawa-souzu's mother gets ill on the way from Hatsuse to Ono

1.1.1   そのころ、横川に、なにがし僧都とか言ひて、いと尊き人住みけり。八十余りの母、五十ばかりの妹ありけり。古き願ありて、初瀬に詣でたりけり。
 そのころ、横川に、某僧都とか言って、たいそう尊い人が住んでいた。八十歳過ぎの母と、五十歳ほどの妹とがいたのであった。昔からの願があって、初瀬に詣でたのであった。
 そのころ比叡ひえ横川よかわ某僧都なにがしそうずといって人格の高い僧があった。八十を越えた母と五十くらいの妹を持っていた。この親子の尼君が昔かけた願果たしに大和やまと初瀬はせ参詣さんけいした。
  Sono-koro, Yokaha ni, Nanigasi-Soudu to ka ihi te, ito tahutoki hito sumi keri. Yasodi amari no Haha, isodi bakari no imouto ari keri. Huruki gwan ari te, Hatuse ni maude tari keri.
1.1.2  睦ましうやむごとなく思ふ弟子の阿闍梨を添へて、仏経供養ずること行ひけり。事ども多くして帰る道に、 奈良坂と言ふ山越えけるほどより、この母の尼君、心地悪しうしければ、「 かくては、いかでか残りの道をもおはし着かむ」ともて騷ぎて、宇治のわたりに知りたりける人の家ありけるに、とどめて、今日ばかり休めたてまつるに、なほいたうわづらへば、横川に消息したり。
 親しく重んじている弟子の阿闍梨を連れて、仏やお経を供養することを行うのであった。いろいろなことをたくさんして帰る道中で、奈良坂という山を越えたころから、この母の尼君が、気分が悪くなったので、「こんなでは、どうして帰りの道を行きつけようか」と大騒ぎして、宇治の辺りに知っていた人の家があったので、そこにとどめて、今日一日お休め申したが、依然としてひどく苦しがっているので、横川に消息を出した。
 僧都は親しくてよい弟子でしとしている阿闍梨あじゃりを付き添わせてやったのであって、仏像、経巻の供養を初瀬では行なわせた。そのほかにも功徳のことを多くして帰る途中の奈良坂ならざかという山越えをしたころから大尼君のほうが病気になった。このままで京へまで伴ってはどんなことになろうもしれぬと、一行の人々は心配して宇治の知った人の家へ一日とまって静養させることにしたが、容体が悪くなっていくようであったから横川へしらせの使いを出した。
  Mutumasiu yamgotonaku omohu desi no Azari wo sohe te, Hotoke kyau kuyau-zuru koto okonahi keri. Koto-domo ohoku si te kaheru miti ni, Nara-saka to ihu yama koye keru hodo yori, kono Haha-no-Amagimi, kokoti asiu si kere ba, "Kakute ha, ikadeka nokori no miti wo mo ohasi tuka m." to mote-sawagi te, Udi no watari ni siri tari keru hito no ihe ari keru ni, todome te, kehu bakari yasume tatematuru ni, naho itau wadurahe ba, Yokaha ni seusoko si tari.
1.1.3   山籠もりの本意深く、今年は出でじと思ひけれど、「 限りのさまなる親の、道の空にて亡くやならむ」と驚きて、急ぎものしたまへり。惜しむべくもあらぬ人ざまを、みづからも、弟子の中にも験あるして、加持し騒ぐを、家主人聞きて、
 山籠もりの本願が強く、今年は下山しまいと思っていたが、「晩年の状態の母親が、道中で亡くなるのだろうか」と驚いて、急いでいらっしゃった。惜しむほどでもない年齢の人だが、自分自身でも、弟子の中でも効験のある者をして、加持し大騒ぎするのを、家の主人が聞いて、
 僧都は今年ことしじゅう山から降りないことを心に誓っていたのであったが、老いた母を旅中で死なせることになってはならぬと胸を騒がせてすぐに宇治へ来た。ほかから見ればもう惜しまれる年齢でもない尼君であるが、孝心深い僧都は自身もし、また弟子の中の祈祷きとうの効験をよく現わす僧などにも命じていたこの客室での騒ぎを家主は聞き、
  Yama-gomori no ho'i hukaku, kotosi ha ide zi to omohi kere do, "Kagiri no sama naru oya no, miti no sora nite naku ya nara m?" to odoroki te, isogi monosi tamahe ri. Wosimu beku mo ara nu hito-zama wo, midukara mo, desi no naka ni mo gen aru site, kadi si sawagu wo, ihe-aruzi kiki te,
1.1.4  「 御獄精進しけるを、いたう老いたまへる人の、重く悩みたまふは、いかが」
 「御嶽精進をしたが、たいそう高齢でおいでの方が、重病でいらっしゃるのは、どうしたものか」
 その人は御嶽みたけ参詣のために精進潔斎しょうじんけっさいをしているころであったため、高齢の人が大病になっていてはいつ死穢しえの家になるかもしれぬ
  "Mitake-syauzi si keru wo, itau oyi tamahe ru hito no, omoku nayami tamahu ha, ikaga?"
1.1.5  とうしろめたげに思ひて言ひければ、 さも言ふべきことぞ、いとほしう思ひて、いと狭くむつかしうもあれば、やうやう率てたてまつるべきに、中神塞がりて、例住みたまふ方は忌むべかりければ、「 故朱雀院の御領にて、 宇治の院と言ひし所、このわたりならむ」と思ひ出でて、院守、僧都知りたまへりければ、「 一、二日宿らむ」と言ひにやりたまへりければ、
 と不安そうに思って言ったので、そうも言うにちがいないことを、気の毒に思って、ひどく狭くむさ苦しい所なので、だんだんお連れ申せるほどになったが、中神の方角が塞がって、いつも住んでいらっしゃる所は避けなければならなかったので、「故朱雀院の御領で、宇治院といった所が、この近辺だろう」と思い出して、院守を、僧都は知っていらっしゃったので、「一、二日泊まりたい」と言いにおやりになったところ、
 と不安がり、迷惑そうにかげで言っているのを聞き、道理なことであると気の毒に思われたし、またその家は狭く、座敷もきたないため、もう京へ伴ってもよいほどに病人はなっていたが、陰陽道おんようどうの神のために方角がふさがり、尼君たちの住居すまいのほうへは帰って行かれぬので、おかくれになった朱雀すざく院の御領で、宇治の院という所はこの近くにあるはずだと僧都は思い出し、その院守いんもりを知っていたこの人は、一、二日宿泊をさせてほしいと頼みにやると、
  to usirometage ni omohi te ihi kere ba, samo ihu beki koto zo, itohosiu omohi te, ito sebaku mutukasiu mo are ba, yau-yau wi te tatematuru beki ni, Naka-Gami hutagari te, rei sumi tamahu kata ha imu bekari kere ba, "Ko-Syuzyaku-win no go-ryau nite, Udi-no-win to ihi si tokoro, kono watari nara m." to omohi-ide te, Win-mori, Soudu siri tamahe ri kere ba, "Hito-hi, hutu-ka yadora m." to ihi-yari tamahe ri kere ba,
1.1.6  「 初瀬になむ、昨日皆詣りにける
 「初瀬に、昨日皆詣でてしまいました」
 ちょうど昨日初瀬へ家族といっしょに行った
  "Hatuse ni nam, kinohu mina mawiri ni keru."
1.1.7  とて、いとあやしき宿守の翁を 呼びて率て来たり
 と言って、ひどくみすぼらしい宿守の老人を呼んで連れて来た。
 と言い、貧相な番人のおきなを使いは伴って帰って来た。
  tote, ito ayasiki Yado-mori no okina wo yobi te wi te ki tari.
1.1.8  「 おはしまさば、はや。いたづらなる院の寝殿にこそはべるめれ。物詣での人は、常にぞ宿りたまふ」
 「いらっしゃるなら、早いほうがよい。誰も使っていない院の寝殿でございますようです。物詣での方は、いつもお泊まりになります」
 「おいでになるのでございましたらがらっとしております寝殿をお使いになるほかはございませんでしょう。初瀬や奈良へおいでになる方はいつもそこへお泊まりになります」
  "Ohasimasa ba, haya. Itadura naru Win no sinden ni koso haberu mere. Mono-maude no hito ha, tuneni zo yadori tamahu."
1.1.9  と言へば、
 と言うので、
 と翁は言った。
  to ihe ba,
1.1.10  「 いとよかなり公所なれど、人もなく心やすきを」
 「実に結構なことだ。公の建物だが、誰もいなくて気楽な所だから」
 「それでけっこうだ。官有のやしきだけれどほかの人もいなくて気楽だろうから」
  "Ito yoka' nari. Ohoyake-dokoro nare do, hito mo naku kokoro-yasuki wo."
1.1.11  とて、見せにやりたまふ。この翁、例もかく宿る人を見ならひたりければ、 おろそかなるしつらひなどして来たり。
 と言って、様子を見におやりになる。この老人、いつもこのように泊まる人を見慣れていたので、簡略な設営などをして戻って来た。
 僧都はこう言って、また弟子を検分に出した。番人の翁はこうした旅人を迎えるのにれていて、短時間に簡単な設備を済ませて迎えに来た。
  tote, mise ni yari tamahu. Kono okina, rei mo kaku yadoru hito wo mi-narahi tari kere ba, orosoka naru siturahi nado site ki tari.
注釈1そのころ横川になにがし僧都とか言ひて『完訳』は「「そのころ--けり」の常套的な巻頭形式で、新たな話題を拓く」。横川は比叡山三塔の一つ。「なにがし僧都」は実名をぼかした呼称。『河海抄』は源信(『往生要集』の著者、恵信僧都)を指摘、その妹願西(願証尼・安養尼)も著名。1.1.1
注釈2奈良坂と言ふ山越えけるほどより奈良街道の大和国と山城国の境にある山。1.1.2
注釈3かくてはいかでか以下「おはし着かむ」まで、妹尼一行の心配。1.1.2
注釈4山籠もりの本意深く源信の山籠もりの故事として、九年の山籠もりの後、母親を見取った話(今昔物語集)や千日籠もりで妹を蘇生させた話(古事談)などが知られている。1.1.3
注釈5限りのさまなる親の以下「亡くやならむ」まで、横川僧都の心中の思い。1.1.3
注釈6御獄精進しけるを以下「いかが」まで、家主の詞。1.1.4
注釈7さも言ふべきことぞ僧都の心中の思い。1.1.5
注釈8故朱雀院の以下「このわたりならむ」まで、僧都の推量。『完訳』は「源氏の兄。実在の朱雀院も重ねた表現。宇治院は朱雀院の別荘として伝領」と注す。1.1.5
注釈9宇治の院『集成』は「史上の朱雀院が行幸した記録があり、実在した邸宅である」と注す。1.1.5
注釈10一二日宿らむ僧都の伝言の主旨。1.1.5
注釈11初瀬になむ昨日皆詣りにける院守の返事。使者が伝える。1.1.6
注釈12呼びて率て来たり僧都の使者が院守のもとで留守を預かっている宿守を呼び出して連れて帰ってきた。1.1.7
注釈13おはしまさばはや以下「宿りたまっふ」まで、宿守の詞。1.1.8
注釈14いとよかなり以下「心やすきを」まで、僧都の詞。1.1.10
注釈15公所なれど朱雀院の別荘なので公領、初瀬詣での人々が宿泊した。蜻蛉日記の作者菅原孝標の女も利用している。公共的宿泊所となっている。1.1.10
注釈16おろそかなるしつらひ一通りの設営。1.1.11
1.2
第二段 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う


1-2  Souzu came across a strange happening at the wood in Uji-in

1.2.1  まづ、僧都渡りたまふ。「 いといたく荒れて、恐ろしげなる所かな」と見たまふ。
 まず、僧都がお越しになる。「とてもひどく荒れて、恐ろしそうな所だな」と御覧になる。
 僧都は尼君たちよりも先に行った。非常に荒れていて恐ろしい気のする所であると僧都はあたりをながめて、
  Madu, Soudu watari tamahu. "Ito itaku are te, osorosige naru tokoro kana!" to mi tamahu.
1.2.2  「 大徳たち、経読め
 「大徳たち、読経せよ」
 「坊様たち、お経を読め」
  "Daitoko-tati, kyau yome."
1.2.3  などのたまふ。この初瀬に添ひたりし阿闍梨と同じやうなる、 何事のあるにか、つきづきしきほどの下臈法師に、火ともさせて、人も寄らぬ うしろの方に行きたり。森かと見ゆる木の下を、「疎ましげのわたりや」と見入れたるに、白き物の広ごりたるぞ見ゆる。
 などとおっしゃる。この初瀬に付いていった阿闍梨と同じような者が、何事があったのか、お供するにふさわしい下臈の法師に、松明を灯させて、人も近寄らない建物の後ろの方に行った。森かと見える木の下を、「気持ち悪い所だ」と見ていると、白い物が広がっているのが見える。
 などと言っていた。初瀬へついて行った阿闍梨と、もう一人同じほどの僧が何を懸念けねんしたのか、下級僧にふさわしく強い恰好かっこうをした一人に炬火たいまつを持たせて、人もはいって来ぬ所になっている庭の後ろのほうを見まわりに行った。森かと見えるほどしげった大木の下の所を、気味の悪い場所であると思ってながめていると、そこに白いもののひろがっているのが目にはいった。
  nado notamahu. Kono Hatuse ni sohi tari si Azyari to onazi yau naru, nani-goto no aru ni ka, tuki-dukisiki hodo no gerahu hohusi ni, hi tomosa se te, hito mo yora nu usiro no kata ni iki tari. Mori ka to miyuru ko-no-sita wo, "Utomasige no watari ya!" to mi-ire taru ni, siroki mono no hirogori taru zo miyuru.
1.2.4  「 かれは、何ぞ
 「あれは、何だ」
 あれは何であろう
  "Kare ha, nani zo?"
1.2.5  と、立ち止まりて、火を明くなして見れば、物の居たる姿なり。
 と、立ち止まって、松明を明るくして見ると、何かが座っているような格好である。
 と立ちどまって炬火を明るくさせて見ると、それはすわった人の姿であった。
  to, tati-tomari te, hi wo akaku nasi te mire ba, mono no wi taru sugata nari.
1.2.6  「 狐の変化したる。憎し。見現はさむ」
 「狐が化けた物だ。憎い。正体を暴いてやろう」
 「きつねが化けているのだろうか。不届な、正体を見あらわしてやろう」
  "Kitune no hengwe si taru. Nikusi. Mi-arahasa m."
1.2.7  とて、一人は今すこし歩み寄る。今一人は、
 と言って、一人はもう少し近寄る。もう一人は、
 と言った一人の阿闍梨は少し白い物へ近づきかけた。
  tote, hitori ha ima sukosi ayumi-yoru. Ima hitori ha,
1.2.8  「 あな、用な。よからぬ物ならむ
 「まあ、よしなさい。よくない物であろう」
 「およしなさい。悪いものですよ」
  "Ana, you-na'. Yokara nu mono nara m."
1.2.9  と言ひて、 さやうの物退くべき印を作りつつ、さすがになほまもる。 頭の髪あらば太りぬべき心地するに、この火ともしたる大徳、憚りもなく、奥なきさまにて、近く寄りてそのさまを見れば、髪は長くつやつやとして、大きなる木のいと荒々しきに 寄りゐて、いみじう泣く。
 と言って、そのような物が引き下がるような印を作りながら、そうは言ってもやはり見つめている。頭の髪があったら太くなりそうな気がするが、この松明を灯した大徳は、恐れもせず、深い考えもなく様子で、近寄ってその様子を見ると、髪は長く艶々として、大きな木の根がとても荒々しくある所に寄りかかって、ひどく泣いている。
 もう一人の阿闍梨はこう言ってとめながら、変化へんげを退ける指の印を組んでいるのであったが、さすがにそのほうを見入っていた。髪の毛がさかだってしまうほどの恐怖の覚えられることでありながら、炬火を持った僧は無思慮に大胆さを見せ、近くへ行ってよく見ると、それは長くつやつやとした髪を持ち、大きい木の根の荒々しいのへ寄ってひどく泣いている女なのであった。
  to ihi te, sayau no mono sirizoku beki in wo tukuri tutu, sasuga ni naho mamoru. Kasira no kami ara ba hutori nu beki kokoti suru ni, kono hi tomosi taru Daitoko, habakari mo naku, au-naki sama nite, tikaku yori te sono sama wo mire ba, kami ha nagaku tuya-tuya to si te, ohoki naru ki no ito ara-arasiki ni yori-wi te, imiziu naku.
1.2.10  「 珍しきことにもはべるかな。僧都の御坊に御覧ぜさせたてまつらばや」
 「珍しいことでございますな。僧都の御坊に御覧に入れましょう」
 「珍しいことですね。僧都様のお目にかけたい気がします」
  "Medurasiki koto ni mo haberu kana! Soudu no go-bau ni go-ran-ze sase tatematura baya!"
1.2.11  と言へば、
 と言うと、

  to ihe ba,
1.2.12  「 げに、妖しき事なり
 「なるほど、不思議な事だ」
 「そう、不思議千万なことだ」
  "Geni, ayasiki koto nari."
1.2.13  とて、一人はまうでて、「 かかることなむ」と申す。
 と言って、一人は参上して、「これこれしかじかです」と申し上げる。
 と言い、一人の阿闍梨は師へ報告に行った。
  tote, hitori ha maude te, "Kakaru koto nam." to mausu.
1.2.14  「 狐の人に変化するとは昔より聞けど、まだ見ぬものなり」
 「狐が人に化けるということは昔から聞いたが、まだ見たことがないものだ」
 「狐が人に化けることは昔から聞いているが、まだ自分は見たことがない」
  "Kitune no hito ni hengwe suru to ha mukasi yori kike do, mada mi nu mono nari."
1.2.15  とて、 わざと下りておはす
 と言って、わざわざ下りていらっしゃる。
 こう言いながら僧都は庭へおりて来た。
  tote, wazato ori te ohasu.
1.2.16   かの渡りたまはむとすることによりて、下衆ども、皆はかばかしきは、 御厨子所など、あるべかしきことどもを、かかるわたりには急ぐものなりければ、ゐ静まりなどしたるに、ただ四、五人して、ここなる物を見るに、変はることもなし。
 あちらにお越しになろうとしたところで、下衆どもで、役に立ちそうな者は皆、御厨子所などで、準備すべきことをいろいろと、こちらではかかりきりでいたので、ひっそりしていたので、わずか四、五人で、ここにいる物を見るが、変化する様子も見えない。
 尼君たちがこちらへ移って来る用意に召使の男女がいろいろの物を運び込む騒ぎの済んだあとで、ただ四、五人だけがまた庭の怪しい物を見に出たが、さっき見たのと少しも変わっていない。
  Kano watari tamaha m to suru koto ni yori te, gesu-domo, mina haka-bakasiki ha, mi-dusi-dokoro nado, aru bekasiki koto-domo wo, kakaru watari ni ha isogu mono nari kere ba, wi sidumari nado si taru ni, tada si, go-nin site, koko naru mono wo miru ni, kaharu koto mo nasi.
1.2.17  あやしうて、 時の移るまで見る。「 疾く夜も明け果てなむ。人か何ぞと、 見現はさむ」と、心にさるべき真言を読み、印を作りて試みるに、 しるくや思ふらむ
 不思議に思って、一時の移るまで見る。「早く夜も明けてほしい。人か何物か、正体を暴こう」と、心中でしかるべき真言を読み、印を作って試みると、はっきり見極めがついたのであろうか、
 怪しくてそのまま次の刻に移るまでもながめていた。「早く夜が明けてしまえばいい。人か何かよく見きわめよう」と言い、心で真言しんごんじゅを読み、印を作っていたが、そのために明らかになったか、僧都は、
  Ayasiu te, toki no uturu made miru. "Toku yo mo ake-hate nam. Hito ka nani zo to, mi-arahasa m." to, kokoro ni saru-beki Singon wo yomi, in wo tukuri te kokoromiru ni, siruku ya omohu ram,
1.2.18  「 これは、人なり。さらに非常のけしからぬ物にあらず。寄りて問へ。亡くなりたる人にはあらぬにこそあめれ。もし死にたりける人を捨てたりけるが、蘇りたるか」
 「これは、人である。まったく異常なけしからぬ物ではない。近寄って問え。死んでいる人ではないようだ。もしや死んだ人を捨てたのが、生き返ったのだろうか」
 「これは人だ。決して怪しいものではない。そばへ寄って聞いてみるがよい。死んではいない。あるいはまた死んだ者を捨てたのが蘇生そせいしたのかもしれぬ」
  "Kore ha, hito nari. Sarani hizyau no kesikara nu mono ni ara zu. Yori te tohe. Nakunari taru hito ni ha ara nu ni koso a' mere. Mosi si ni tari keru hito wo sute tari keru ga, yomigaheri taru ka?"
1.2.19  と言ふ。
 と言う。
 と言った。
  to ihu.
1.2.20  「 何の、さる人をかこの院の内に捨てはべらむ。たとひ、真に人なりとも、狐、木霊やうの物の、欺きて取りもて来たるにこそはべらめと、 不便にもはべりけるかな。穢らひあるべき所にこそはべめれ」
 「どうして、そのような人を、この院の邸内に捨てましょうか。たとい、ほんとうに人であったとしても、狐や木霊のようなものが、たぶらかして連れて来たのでございましょうと、不都合なことでございますなあ。穢れのある所のようでございます」
 「そんなことはないでしょう。この院の中へ死人を人の捨てたりすることはできないことでございます。真実の人間でございましても、狐とか木精こだまとかいうものが誘拐ゆうかいしてつれて来たのでしょう。かわいそうなことでございます。そうした魔物の住む所なのでございましょう」
  "Nani no, saru hito wo ka, kono win no uti ni sute habera m. Tatohi, makoto ni hito nari tomo, kitune, kodama yau no mono no, azamuki te tori mote ki taru ni koso habera me to, hubin ni mo haberi keru kana! Kegarahi aru beki tokoro ni koso habe' mere."
1.2.21  と言ひて、ありつる宿守の男を呼ぶ。山彦の答ふるも、いと恐ろし。
 と言って、先程の宿守の男を呼ぶ。山彦が答えるのも、まことに恐ろしい。
 と一人の阿闍梨は言い、番人の翁を呼ぼうとすると山響やまびこの答えるのも無気味であった。
  to ihi te, ari-turu yado-mori no wonoko wo yobu. Yamabiko no kotahuru mo, ito osorosi.
注釈17いといたく荒れて恐ろしげなる所かな僧都の感想。1.2.1
注釈18大徳たち経読め僧都の詞。1.2.2
注釈19何事のあるにか『完訳』は「挿入句。後述の内容を先取りする」と注す。1.2.3
注釈20うしろの方に宇治院の建物の後方。1.2.3
注釈21かれは何ぞ僧の詞。1.2.4
注釈22狐の変化以下「見現はさむ」まで、僧の詞。1.2.6
注釈23あな用なよからぬ物ならむもう一人の僧の詞。1.2.8
注釈24さやうの物退くべき印を作りつつ『完訳』は「変化退散には、不動の印を結び、陀羅尼などを読む」と注す。1.2.9
注釈25頭の髪あらば太りぬべき心地するに恐怖感をいう。僧侶は髪を剃っているので、諧謔を交えた表現。1.2.9
注釈26寄りゐて木の根にもたれかかって座っているさま。1.2.9
注釈27珍しきことにもはべるかな以下「たてまつらばや」まで、僧の詞。1.2.10
注釈28げに妖しき事なり僧の詞。1.2.12
注釈29かかることなむ僧の詞。間接話法。1.2.13
注釈30狐の人に以下「見ぬものなり」まで、僧都の詞。1.2.14
注釈31わざと下りておはす主語は僧都。『完訳』は「寝殿から裏庭へ。高徳の僧ながら好奇心旺盛で、柔軟な人柄」と注す。1.2.15
注釈32かの渡りたまはむとすることによりて尼君一行が宇治院に移ってくるということで。1.2.16
注釈33時の移るまで一時は二時間。ここは長い時間の意。1.2.17
注釈34疾く夜も以下「見現はさむ」まで、僧たちの心中の思い。『完訳』は「妖怪変化は、夜明けとともに、退散するか、力を失うとされる」と注す。1.2.17
注釈35しるくや思ふらむ挿入句。語り手の想像を介入した叙述。1.2.17
注釈36これは人なり以下「蘇りたるか」まで、僧都の詞。1.2.18
注釈37何のさる人をか以下「こそはべめれ」まで、僧の詞。1.2.20
注釈38この院の内に宇治院の邸内。1.2.20
注釈39不便にもはべりけるかな『完訳』は「病気の尼を連れて来ようとしているのに、この女が死んだら死の穢れに触れて不都合」と注す。1.2.20
校訂1 御厨子所 御厨子所--みつゝ(ゝ/$し<朱>)所 1.2.16
校訂2 見現はさむ 見現はさむ--みあらは(は/+さ)む 1.2.17
1.3
第三段 若い女であることを確認し、救出する


1-3  Souzu understands that is a young woman, and rescues the woman

1.3.1  妖しのさまに、 額おし上げて出で来たり。
 変な恰好に、烏帽子を額の上に押し上げて出て来た。
 翁は変な恰好かっこうをし、顔をつき出すふうにして出て来た。
  Ayasi no sama ni, hitahi osi-age te ide-ki tari.
1.3.2  「ここには、若き女などや住みたまふ。かかることなむある」
 「ここには、若い女などが住んでいるのか。このようなことがある」
 「ここに若い女の方が住んでおられるのですか。こんなことが起こっているが」
  "Koko ni ha, wakaki womna nado ya sumi tamahu? Kakaru koto nam aru."
1.3.3  とて見すれば、
 と言って見せると、
  と言って、見ると、
  tote misure ba,
1.3.4  「 狐の仕うまつるなり。この木のもとになむ、時々妖しきわざなむしはべる。一昨年の秋も、 ここにはべる人の子の、二つばかりにはべしを、取りてまうで来たりしかども、見驚かずはべりき」
 「狐がしたことだ。この木の下に、時々変なことをします。一昨年の秋も、ここに住んでいました人の子で、二歳ほどになったのを、さらって参ったが、驚きもしませんでした」
 「狐のわざですよ。この木の下でときどき奇態なことをして見せます。一昨年おととしの秋もここに住んでおります人の子供の二歳ふたつになりますのを取って来てここへ捨ててありましたが、私どもはれていまして格別驚きもしませんじゃった」
  "Kitune no tukau-maturu nari. Kono ki no moto ni nam, toki-doki ayasiki waza nam si haberu. Wototosi no aki mo, koko ni haberu hito no ko no, hutatu bakari ni habe' si wo, tori te maude ki tari sika do mo, mi odoroka zu haberi ki."
1.3.5  「 さて、その稚児は死にやしにし
 「それでは、その子は死んでしまったのか」
 「その子供は死んでしまったのか」
  "Sate, so no tigo ha si ni ya si ni si?"
1.3.6  と言へば、
 と問うと、

  to ihe ba,
1.3.7  「 生きてはべり。狐は、さこそは人を脅かせど、ことにもあらぬ奴」
 「生きております。狐は、そのように人を脅かすが、何ということもないやつです」
 「いいえ、生き返りました。狐はそうした人騒がせはしますが無力なものでさあ」
  "Iki te haberi. Kitune ha, sa koso ha hito wo obiyakase do, koto ni mo ara nu yatu."
1.3.8  と言ふさま、 いと馴れたり。かの 夜深き参りものの所に心を寄せたるなるべし。僧都、
 と言う態度は、とても物慣れたさまである。あちらの深夜に食事の準備している所に、気を取られているのであろう。僧都は、
 なんでもなく思うらしい。「夜ふけに召し上がりましたもののにおいをいで出て来たのでしょう」
  to ihu sama, ito nare tari. Kano yo-bukaki mawiri mono no tokoro ni, kokoro wo yose taru naru besi. Soudu,
1.3.9  「 さらば、さやうの物のしたるわざか。なほ、よく見よ」
 「それでは、そのような物がしたことかどうか。やはり、よく見よ」
 「ではそんなものの仕事かもしれん。まあとっくと見るがいい」
  "Saraba, sayau no mono no si taru waza ka. Naho, yoku miyo."
1.3.10  とて、このもの懼ぢせぬ法師を寄せたれば、
 と言って、この恐いもの知らずの法師を近づけると、
 僧都は弟子たちにこう命じた。初めから怖気おじけを見せなかった僧がそばへ寄って行った。
  tote, kono mono-odi se nu hohusi wo yose tare ba,
1.3.11  「 鬼か神か狐か木霊か。かばかりの天の下の験者のおはしますには、え隠れたてまつらじ。名のりたまへ。名のりたまへ」
 「鬼か神か狐か木霊か。これほどの天下第一の験者がいらっしゃるのには、隠れ申すことはできまい。正体を名のりなさい。正体を名のりなさい」
 「幽鬼おにか、神か、狐か、木精こだまか、高僧のおいでになる前で正体を隠すことはできないはずだ、名を言ってごらん、名を」
  "Oni ka Kami ka kitune ka kodama ka? Kabakari no ame-no-sita no genzya no ohasimasu ni ha, e kakure tatematura zi. Nanori tamahe. Nanori tamahe."
1.3.12  と、衣を取りて引けば、顔をひき入れていよいよ泣く。
 と、衣を取って引くと、顔を隠してますます泣く。
 と言って着物の端を手で引くと、その者は顔をえりに引き入れてますます泣く。
  to, kinu wo tori te hike ba, kaho wo hiki-ire te iyo-iyo naku.
1.3.13  「 いで、あな、さがなの木霊の鬼や。まさに隠れなむや」
 「さてもまあ、何と、たちの悪い木霊の鬼だ。正体を隠しきれようか」
 「聞き分けのない幽鬼おにだ。顔を隠そうたって隠せるか」
  "Ide, ana, sagana no kodama no oni ya? Masa ni kakure na m ya?"
1.3.14  と言ひつつ、顔を見むとするに、「昔ありけむ目も鼻もなかりける女鬼にやあらむ」と、むくつけきを、頼もしういかきさまを人に見せむと思ひて、衣を引き脱がせむとすれば、うつ臥して声立つばかり泣く。
 と言いながら、顔を見ようとすると、「昔いたという目も鼻もなかった女鬼であろうか」と、気味悪いが、頼もしく威勢のよいところを人に見せようと思って、衣を脱がせようとすると、うつ臥して声を立てるほどに泣く。
 こう言いながら顔を見ようとするのであったが、心では昔話にあるような目も鼻もない女鬼めおにかもしれぬと恐ろしいのを、勇敢さを人に知らせたい欲望から、着物を引いて脱がせようとすると、その者はうつ伏しになって、声もたつほど泣く。
  to ihi tutu, kaho wo mi m to suru ni, "Mukasi ari kem me mo hana mo nakari keru me-oni ni ya ara m?" to, mukutukeki wo, tanomosiu ikaki sama wo hito ni mise m to omohi te, kinu wo hiki-nugase m to sure ba, utubusi te kowe tatu bakari naku.
1.3.15  「 何にまれ、かく妖しきこと、なべて、世にあらじ」
 「何にあれ、このような不思議なことは、普通、世間にはない」
 何にもせよこんな不思議な現われは世にない
  "Nani ni mare, kaku ayasiki koto, nabete, yo ni ara zi."
1.3.16  とて、見果てむと思ふに、
 と言って、見極めようと思っていると、
 ことであるから、どうなるかを最後まで見ようと皆の思っているうちに
  tote, mi-hate m to omohu ni,
1.3.17  「 雨いたく降りぬべし。かくて置いたらば、死に果てはべりぬべし。 垣の下にこそ出ださめ
 「雨がひどく降って来そうだ。こうしておいたら、死んでしまいましょう。築地塀の外に出しましょう」
 雨になり、次第に強い降りになってきそうであった。「このまま置けば死にましょう。垣根かきねの所へまででも出しましょう」
  "Ame itaku huri nu besi. Kakute oi tara ba, sini-hate haberi nu besi. Kaki no moto ni koso idasa me."
1.3.18  と言ふ。僧都、
 と言う。僧都は、
 と一人が言う。
  to ihu. Soudu,
1.3.19  「 まことの人の形なり。その命絶えぬを見る見る捨てむこと、いといみじきことなり。 池に泳ぐ魚、山に鳴く鹿をだに、人に捕へられて死なむとするを見て、助けざらむは、いと悲しかるべし。人の命久しかるまじきものなれど、 残りの命、一、二日をも惜しまずはあるべからず。鬼にも神にも、領ぜられ、 人に逐はれ、人に謀りごたれても、これ横様の死にをすべきものにこそあんめれ、仏のかならず救ひたまふべき際なり。
 「ほんとうに人の姿だ。その命が今にも絶えてしまいそうなのを見ながら放っておくことは、もっての外のことだ。池で泳ぐ魚、山で鳴く鹿でさえ、人に捕えられて死にそうなのを見て、助けないのは、まことに悲しいことだろう。人の命は長くはないものだが、残りの命の、一、二日を惜しまないものはない。鬼にもあれ神にもあれ、取り憑かれたり、人に追出されたり、人に騙されたりしても、これらは横死をするにちがいないものだが、仏が必ずお救いになるはずの人である。
 「真の人間の姿だ。人間の命のそこなわれるのがわかっていながら捨てておくのは悲しいことだ。池の魚、山の鹿しかでも人に捕えられて死にかかっているのを助けないでおくのは非常に悲しいことなのだから、人間の命は短いものなのだからね、一日だって保てる命なら、それだけでも保たせないではならない。鬼か神に魅入みいられても、また人に置き捨てにされ、悪だくみなどでこうした目にあうことになった人でも、それは天命で死ぬのではない、横死おうしをすることになるのだから、御仏みほとけは必ずお救いになるはずのものなのだ。
  "Makoto no hito no katati nari. Sono inoti taye nu wo miru miru sute m koto, ito imiziki koto nari. Ike ni oyogu iwo, yama ni naku sika wo dani, hito ni torahe rare te sina m to suru wo mi te, tasuke zara m ha, ito kanasikaru besi. Hito no inoti hisasikaru maziki mono nare do, nokori no inoti, hitohi, hutuka wo mo wosima zu ha aru bekara zu. Oni ni mo Kami ni mo, ryau-ze rare, hito ni oha re, hito ni hakarigota re te mo, kore yoko-zama no sini wo su beki mono ni koso anmere, Hotoke no kanarazu sukuhi tamahu beki kiha nari.
1.3.20  なほ、試みに、しばし湯を飲ませなどして、助け試みむ。つひに、死なば、言ふ限りにあらず」
 やはり、試みに、しばらく薬湯を飲ませたりして、助けてみよう。結局、死んでしまったら、しかたのないことだ」
 生きうるか、どうかもう少し手当をして湯を飲ませなどもして試みてみよう。それでも死ねばしかたがないだけだ」
  Naho, kokoromi ni, sibasi yu wo noma se nado si te, tasuke kokoromi m. Tuhi ni, sina ba, ihu kagiri ni ara zu."
1.3.21  とのたまひて、この大徳して抱き入れさせたまふを、弟子ども、
 とおっしゃって、この大徳に抱いて中に入れさせなさるのを、弟子どもは、
 と僧都そうずは言い、その強がりの僧に抱かせて家の中へ運ばせるのを、弟子たちの中に、
  to notamahi te, kono Daitoko site idaki-ire sase tamahu wo, desi-domo,
1.3.22  「 たいだいしきわざかないたうわづらひたまふ人の御あたりに、 よからぬ物を取り入れて、穢らひかならず出で来なむとす」
 「不都合なことだなあ。ひどく患っていらっしゃる方のお側近くに、よくないものを近づけて、穢れがきっと出て来よう」
 「よけいなことだがなあ。重い病人のおられる所へ、えたいの知れないものをつれて行くのではけがれが生じて結果はおもしろくないことになるがなあ」
  "Tai-daisiki waza kana! Itau wadurahi tamahu hito no ohom-atari ni, yokara nu mono wo tori-ire te, kegarahi kanarazu ide-ki na m to su."
1.3.23  と、もどくもあり。また、
 と、非難する者もいる。また、
 と非難する者もあった。また、
  to, modoku mo ari. Mata,
1.3.24  「 物の変化にもあれ、目に見す見す、生ける人を、かかる雨にうち失はせむは、いみじきことなれば」
 「変化の物であれ、目前に見ながら、生きている人を、このような雨に打たれ死なせるのは、よくないことなので」
 「変化へんげのものであるにせよ、みすみすまだ生きている人をこんな大雨に打たせて死なせてしまうのはあわれむべきことだから」
  "Mono no hengwe ni mo are, me ni misu misu, ike ru hito wo, kakaru ame ni uti-usinahase m ha, imiziki koto nare ba."
1.3.25  など、心々に言ふ。下衆などは、いと騒がしく、物をうたて言ひなすものなれば、人騒がしからぬ隠れの方になむ臥せたりける。
 などと、思い思いに言う。下衆などは、たいそう騒がしく、口さがなく言い立てるものなので、人の大勢いない隠れた所に寝かせたのであった。
 こう言う者もあった。しもの者は物をおおぎょうに言いふらすものであるからと思い、あまり人の寄って来ない陰のほうの座敷へ拾った人を寝させた。
  nado, kokoro-gokoro ni ihu. Gesu nado ha, ito sawagasiku, mono wo utate ihi-nasu mono nare ba, hito sawagasikara nu kakure no kata ni nam huse tari keru.
注釈40額おし上げて『完訳』は「烏帽子を上へずり上げた恰好。宿守の老人のやや滑稽なさまが、緊張した雰囲気をやわらげる」と注す。1.3.1
注釈41狐の仕うまつるなり以下「見驚かずはべりき」まで、宿守の詞。1.3.4
注釈42ここにはべる人の子の『集成』は「この院に仕えています人の子で」。『完訳』は「この辺におります者の子供で」と注す。1.3.4
注釈43さてその稚児は死にやしにし僧の詞。1.3.5
注釈44生きてはべり以下「あらぬ奴」まで、宿守の詞。1.3.7
注釈45いと馴れたりありふれたさまでいる。1.3.8
注釈46夜深き参りものの所に深夜の食事の準備をしている御厨子所。1.3.8
注釈47心を寄せたるなるべし語り手の推測を交えた叙述。1.3.8
注釈48さらばさやうの以下「よく見よ」まで、僧都の詞。1.3.9
注釈49鬼か神か以下「名のりたまへ」まで、僧の詞。1.3.11
注釈50いであな以下「隠れなむや」まで、僧の詞。1.3.13
注釈51何にまれ以下「世にあらじ」まで、僧の心中の思い。1.3.15
注釈52雨いたく降りぬべし以下「出ださめ」まで、僧の詞。1.3.17
注釈53垣の下にこそ出ださめ宇治院の築地塀の外に捨てよう、そうすれば死の穢れに触れずにすむ。1.3.17
注釈54まことの人の形なり「言ふ限りにあらず」まで、僧都の詞。1.3.19
注釈55池に泳ぐ魚山に鳴く鹿をだに典拠未詳。深い慈悲心をいう。1.3.19
注釈56残りの命、一、二日をも惜しまずはあるべからず『完訳』は「母の重病に駆けつけたゆえん」と注す。1.3.19
注釈57人に逐はれ人に謀りごたれても『集成』は「悪人とか継母の奸計といったことが想像される」と注す。1.3.19
注釈58たいだいしきわざかな以下「出で来なむとす」まで、僧の詞。1.3.22
注釈59いたうわづらひたまふ人僧都の母尼。1.3.22
注釈60よからぬ物を「物」は霊力をもったもの、の意。1.3.22
注釈61物の変化にもあれ以下「いみじきことなれば」まで、僧の詞。1.3.24
1.4
第四段 妹尼、若い女を介抱す


1-4  Souzu's sister nun takes care of the young woman

1.4.1   御車寄せて降りたまふほどいたう苦しがりたまふとて、ののしる。すこし静まりて、僧都、
 お車を寄せてお下りになる時、ひどくお苦しがりなさると言って、大騒ぎする。少し静まって、僧都が、
 尼君たちの車が着き、大尼君がおろされる時に苦しがると言って皆は騒いだ。少し静まってから僧都は弟子に、
  Mi-kuruma yose te ori tamahu hodo, itau kurusigari tamahu tote, nonosiru. Sukosi sidumari te, Soudu,
1.4.2  「 ありつる人、いかがなりぬる
 「先程の人は、どのようになった」
 「あの婦人はどうなったか」
  "Ari-turu hito, ikaga nari nuru?"
1.4.3  と問ひたまふ。
 とお尋ねになる。
 と問うた。
  to tohi tamahu.
1.4.4  「 なよなよとしてもの言はず、息もしはべらず。 何か、物にけどられにける 人にこそ
 「なよなよとして何も言わず、息もしません。いやなに、魔性の物に正体を抜かれた者でしょう」
 「なよなよとしていましてものも申しません。確かによみがえったとも思われません。何かに魂を取られている人なのでしょう」
  "Nayo-nayo to si te mono iha zu, iki mo si habera zu. Nanika, mono ni kedora re ni keru hito ni koso."
1.4.5  と言ふを、妹の尼君聞きたまひて、
 と言うのを、妹の尼君がお聞きになって、
 こう答えているのを僧都の妹の尼君が聞いて、
  to ihu wo, imouto no Ama-Gimi kiki tamahi te,
1.4.6  「 何事ぞ
 「何事ですか」
 「何でございますの」
  "Nani-goto zo?"
1.4.7  と問ふ。
 と尋ねる。
 と尋ねた。こんなことがあったのだと僧都は語り、
  to tohu.
1.4.8  「 しかしかのことなむ六十に余る年、珍かなるものを見たまへつる」
 「これこれしかじかの事を、六十歳を過ぎた年齢になって、珍しい物を拝見しました」
 「自分は六十何年生きているがまだ見たこともないことにあった」
  "Sika-sika no koto nam, roku-zihu ni amaru tosi, meduraka naru mono wo mi tamahe turu!"
1.4.9  とのたまふ。うち聞くままに、
 とおっしゃる。それを聞くなり、
 と言うのを聞いて、尼君は、
  to notamahu. Uti-kiku mama ni,
1.4.10  「 おのが寺にて見し夢ありき。いかやうなる人ぞ。まづそのさま見む」
 「わたしが寺で見た夢がありました。どのような人ですか。早速その様子を見たい」
 「まあ、私が初瀬はせでおこもりをしている時に見た夢があったのですよ。どんな人なのでしょう、ともかく見せてください」
  "Onoga tera nite mi si yume ari ki. Ikayau naru hito zo? Madu sono sama mi m."
1.4.11  と泣きてのたまふ。
 と泣いておっしゃる。
 泣きながら尼君は言うのであった。
  to naki te notamahu.
1.4.12  「 ただこの東の遣戸になむはべる。はや御覧ぜよ」
 「ちょうどこの東の遣戸の所におります。早く御覧なさい」
 「すぐその遣戸やりどの向こう側に置きましたよ。すぐ御覧なさい」
  "Tada kono himgasi no yarido ni nam haberu. Haya go-ran-ze yo."
1.4.13  と言へば、急ぎ行きて見るに、人も寄りつかでぞ、捨て置きたりける。いと若ううつくしげなる女の、白き綾の衣一襲、紅の袴ぞ着たる。香はいみじう香うばしくて、あてなるけはひ限りなし。
 と言うので、急いで行って見ると、誰も側近くにおらずに、放置してあった。とても若くかわいらしげな女で、白い綾の衣一襲に、紅の袴を着ている。香はたいそう芳ばしくて、上品な感じがこの上ない。
 兄の言葉を聞いて尼君は急いでそのほうへ行った。だれもそばにいず打ちやられてあった人は若くて美しく、白いあやの服一重ねを着て、紅のはかまをはいていた。薫香くんこうのにおいがかんばしくついていてかぎりもなく気品が高い。
  to ihe ba, isogi yuki te miru ni, hito mo yori-tuka de zo, sute-oki tari keru. Ito wakau utukusige naru womna no, siroki aya no kinu hito-kasane, kurenawi no hakama zo ki taru. Ka ha imiziu kaubasiku te, ate naru kehahi kagirinasi.
1.4.14  「 ただ、わが恋ひ悲しむ娘の、帰りおはしたるなめり」
 「まるで、わたしが恋い悲しんでいた娘が、帰っていらしたようだ」
 自分の恋い悲しんでいる死んだ娘が帰って来たのであろう
  "Tada, waga kohi kanasimu musume no, kaheri ohasi taru na' meri."
1.4.15  とて、泣く泣く 御達を出だして、抱き入れさす。いかなりつらむとも、ありさま見ぬ人は、恐ろしがらで抱き入れつ。生けるやうにもあらで、さすがに目をほのかに 見開けたるに
 と言って、泣きながら年配の女房たちを使って、抱き入れさせる。どうしたことかとも、事情を知らない人は、恐がらずに抱き入れた。生きているようでもなく、それでも目をわずかに開けたので、
 と尼君は言い、女房をやって自身のへやへ抱き入れさせた。発見された場所がどんな無気味なものであったかを知らない女たちは、恐ろしいとも思わずそれをしたのである。生きているようでもないが、さすがに目をほのかにあけて見上げた時、
  tote, naku-naku go-tati wo idasi te, idaki-ire sasu. Ika nari tu ram tomo, arisama mi nu hito ha, osorosigara de idaki-ire tu. Ike ru yau ni mo ara de, sasuga ni me wo honoka ni mi-ake taru ni,
1.4.16  「 もののたまへや。いかなる人か、かくては、ものしたまへる」
 「何かおっしゃいなさい。どのようなお人か、こうして、いらっしゃるのは」
 「何かおっしゃいよ。どんなことでこんなふうになっていらっしゃるのですか」
  "Mono notamahe ya. Ika naru hito ka, kakute ha, monosi tamahe ru?"
1.4.17  と言へど、ものおぼえぬさまなり。湯取りて、手づからすくひ入れなどするに、ただ弱りに絶え入るやうなりければ、
 と尋ねるが、何も分からない様子である。薬湯を取って、ご自身ですくって飲ませなどするが、ただ弱って死にそうだったので、
 と尼君は言ってみたが、依然失心状態が続く。湯を持って来させて自身から口へ注ぎ入れなどするが、衰弱は加わっていくばかりと見えた。
  to ihe do, mono oboye nu sama nari. Yu tori te, tedukara sukuhi-ire nado suru ni, tada yowari ni taye-iru yau nari kere ba,
1.4.18  「 なかなかいみじきわざかな」とて、「 この人亡くなりぬべし。加持したまへ
 「かえって大変な事になりました」と言って、「この人は死にそうです。加持をしなさい」
 「この人を拾うことができて、そしてまた死なせてしまう悲しみを味わわなければならぬだろうか」と尼君は言い、「この人は死にそうですよ。加持をしてください」
  "Naka-naka imiziki waza kana!" tote, "Kono hito nakunari nu besi. Kadi si tamahe."
1.4.19  と、験者の阿闍梨に言ふ。
 と、験者の阿闍梨に言う。
 と初瀬へ行った阿闍梨あじゃりへ頼んだ。
  to, genzya no Azari ni ihu.
1.4.20  「 さればこそ。あやしき御もの扱ひ
 「それだから言ったのに。つまらないお世話です」
 「だからむだな世話焼きをされるものだと言ったことだった」
  "Sareba koso. Ayasiki ohom-mono-atukahi."
1.4.21   とは言へど神などのために経読みつつ祈る。
 とは言うが、神などの御ためにお経を読みながら祈る。
 この人はつぶやいたが、きもののために経を読んで祈っていた。
  to ha ihe do, Kami nado no tame ni kyau yomi tutu inoru.
注釈62御車寄せて降りたまふほど尼君一行が宇治院に。1.4.1
注釈63いたう苦しがりたまふ主語は母尼。1.4.1
注釈64ありつる人いかがなりぬる僧都の詞。1.4.2
注釈65なよなよとして以下「人にこそ」まで、僧の詞。1.4.4
注釈66何か物に--人にこそ『集成』は「軽くあしらってみせる語気」と注す。1.4.4
注釈67何事ぞ妹尼の詞。1.4.6
注釈68しかしかのことなむ以下「見たまへつる」まで、僧都の詞。1.4.8
注釈69六十に余る年僧都自身の年齢。1.4.8
注釈70おのが寺にて以下「そのさま見む」まで、妹尼の詞。長谷寺に参籠中に見た夢。1.4.10
注釈71ただこの以下「御覧ぜよ」まで、僧都の詞。1.4.12
注釈72ただわが恋ひ悲しむ以下「おはしたるなめり」まで、妹尼の詞。1.4.14
注釈73御達を出だして妹尼に仕えている年配の女房を遣戸口の外に。1.4.15
注釈74もののたまへや以下「ものしたまへる」まで、妹尼の詞。1.4.16
注釈75なかなかいみじきわざかな妹尼の詞。『集成』は「なまじこれは大変な心配をしょいこみました。亡き娘の身代りと喜んでみたものの、この人の命を危ぶむ」と注す。1.4.18
注釈76この人亡くなりぬべし加持したまへ妹尼の詞。1.4.18
注釈77さればこそあやしき御もの扱ひ僧の詞。1.4.20
注釈78神などのために経読みつつ『集成』は「神分といって、祈祷の前に『般若心経』を読む。悪神邪神を退け、善神の加護を願う趣旨」と注す。1.4.21
校訂3 見開けたるに 見開けたるに--見あけたるも(も/#に) 1.4.15
校訂4 とは言へど とは言へど--とは(は/+いへと) 1.4.21
1.5
第五段 若い女生き返るが、死を望む


1-5  The young woman returns to life, but she wants to die

1.5.1  僧都もさしのぞきて、
 僧都もちょっと覗いて、
 僧都もそこへちょっと来て、
  Soudu mo sasi-nozoki te,
1.5.2  「 いかにぞ。何のしわざぞと、よく調じて問へ」
 「どうですか。何のしわざかと、よく調伏して問え」
 「どうかね。何がこうさせたかをよく物怪もののけを懲らして言わせるがよい」
   "Ikani zo? Nani no siwaza zo to, yoku teu-zi te tohe."
1.5.3  とのたまへど、いと弱げに消えもていくやうなれば、
 とおっしゃるが、ひどく弱そうに死んで行きそうなので、
 と言っていたが、女は弱々しく今にも消えていく命のように見えた。
  to notamahe do, ito yowage ni kiye mote iku yau nare ba,
1.5.4  「 え生きはべらじすぞろなる穢らひに籠もりて、わづらふべきこと」
 「生きられそうにない。思いがけない穢れに籠もって、厄介なことになりますこと」
 「むずかしいらしい。思いがけぬ死穢しえに触れることになって、
  "E iki habera zi. Suzoro naru kegarahi ni komori te, wadurahu beki koto."
1.5.5  「さすがに、いとやむごとなき人にこそはべるめれ。死に果つとも、ただにやは捨てさせたまはむ。見苦しきわざかな」
 「そうは言っても、とても高貴な方でございましょう。死んだとしても、普通の人のようにはお捨て置きになることはできまい。面倒なことになったな」
 われわれはここから出られなくなるだろうし、身分のある人らしく思われるから、死んでもそのまま捨てることはならないだろう。困ったことにかかり合ったものだ」
  "Sasuga ni, ito yamgotonaki hito ni koso haberu mere. Sini-hatu tomo, tada ni yaha sute sase tamaha m. Mi-gurusiki waza kana!"
1.5.6  と言ひあへり。
 と言い合っていた。
 弟子たちはこんなことを言っているのである。
  to ihi-ahe ri.
1.5.7  「 あなかま。人に聞かすな。わづらはしきこともぞある」
 「お静かに。人に聞かせるな。厄介なことでも起こったら大変です」
 「まあ静かにしてください。人にこの人のことは言わないでくださいよ。めんどうが起こるといけませんから」
  "Ana-kama! Hito ni kikasu na. Wadurahasiki koto mo zo aru."
1.5.8  など口固めつつ、尼君は、親のわづらひたまふよりも、この人を生け果てて見まほしう惜しみて、 うちつけに添ひゐたり。知らぬ人なれど、みめのこよなうをかしげなれば、いたづらになさじと、 見る限り扱ひ騷ぎけり。さすがに、時々、目見開けなどしつつ、涙の尽きせず流るるを、
 などと口封じしながら、尼君は、親が患っていらっしゃるのよりも、この人を生き返らせてみたく惜しんで、もうすっかりこちらに付きっきりになっていた。知らない人であるが、顔容姿がこの上なく美しいので、死なせまいと、見る人びとも皆でお世話した。そうは言っても、時々、目を開けたりなどして、涙が止まらず流れるのを、
 と口固めをしておいて、尼君は親の病よりもこの人をどんなにしても生かせたいということで夢中になり、親身の者のようにじっと添っていた。知らない人であったが、容貌ようぼうが非常に美しい人であったから、このまま死なせたくないと惜しんで、どの女房も皆よく世話をした。さすがにときどきは目をあけて見上げなどするが、いつも涙を流しているのを見て、
  nado kuti-gatame tutu, Ama-Gimi ha, oya no wadurahi tamahu yori mo, kono hito wo ike-hate te mi mahosiu wosimi te, uti-tuke ni sohi wi tari. Sira nu hito nare do, mime no koyonau wokasige nare ba, itadura ni nasa zi to, miru kagiri atukahi sawagi keri. Sasuga ni, toki-doki, me mi-ake nado si tutu, namida no tuki se zu nagaruru wo,
1.5.9  「 あな、心憂や。いみじく悲しと思ふ 人の代はりに仏の導きたまへると思ひきこゆるを。かひなくなりたまはば、なかなかなることをや思はむ。さるべき契りにてこそ、かく見たてまつるらめ。なほ、いささかもののたまへ」
 「まあ、お気の毒な。たいそう悲しいと思う娘の代わりに、仏がお導きなさったとお思い申し上げていたのに。亡くなってしまわれたら、かえって悲しい思いが加わることでしょう。こうなるはずの宿縁で、こうしてお会い申したのでしょう。ぜひ、少しは何とかおっしゃってください」
 「まあ悲しい。私の恋しい死んだ子の代わりに仏様が私の所へ導いて来てくだすった方だと思って私は喜んでますのに、このままになってはかえって以前にました物思いをする私になるでしょう。宿縁があればこそこうして出逢うことになったあなたと私に違いないのですよ。なんとか少しでもものをお言いなさいよ」
  "Ana, kokoro-u ya! Imiziku kanasi to omohu hito no kahari ni, Hotoke no mitibiki tamahe ru to kikoyuru wo. Kahinaku nari tamaha ba, naka-naka naru koto wo ya omoha m. Saru-beki tigiri nite koso, kaku mi tatematuru rame. Naho, isasaka mono notamahe."
1.5.10  と言ひ続くれど、からうして、
 と言い続けるが、やっとのことで、
 こう長々と言われたあとで、やっと、
  to ihi-tudukure do, karausite,
1.5.11  「 生き出でたりとも、あやしき不用の人なり。人に見せで、夜この川に落とし入れたまひてよ」
 「生き返ったとしても、つまらない無用の者です。誰にも見せないで、夜にこの川に投げ込んでくださいまし」
 「生きることができましても、私はもうこの世にいらない人間でございます。人に見せないでこの川へ落としてしまってください」
  "Iki-ide tari tomo, ayasiki huyou no hito nari. Hito ni mise de, yoru kono kaha ni otosi ire tamahi te yo."
1.5.12  と、息の下に言ふ。
 と、息の下に言う。
 低い声で病人は言った。
  to, iki no sita ni ihu.
1.5.13  「 まれまれ物のたまふをうれしと思ふに、あな、いみじや。いかなれば、かくはのたまふぞ。いかにして、さる所にはおはしつるぞ」
 「やっとのこと何かおっしゃるのを嬉しいと思ったら、まあ、大変な。どうして、そのようなことをおっしゃるのですか。なぜ、あのような所にいらっしゃったのですか」
 何にもせよ珍しくものを言いだしたことをうれしく尼君は思った。「悲しいことを、まあどうしてそんなことをお言いになりますの、どうしてそんな所に来ておいでになったの」
  "Mare-mare mono notamahu wo uresi to omohu ni, ana, imizi ya! Ika nare ba, kaku ha notamahu zo? Ikani si te, saru tokoro ni ohasi turu zo?"
1.5.14  と問へども、物も言はずなりぬ。「 身にもし傷などやあらむ」とて見れど、ここはと見ゆるところなくうつくしければ、あさましく悲しく、「 まことに、人の心惑はさむとて出で来たる仮のものにや」と疑ふ。
 と尋ねるが、何もおっしゃらなくなってしまった。「身体にもしやおかしなところなどがあろうか」と思って見たが、これと思える所はなくかわいらしいので、驚き呆れて悲しく、「ほんとうに、人の心を惑わそうとして出て来た仮の姿をした変化の物か」と疑う。
 と尋ねても、もうそれきり何も言わなかった。身体からだにひょっと傷でもできているのではないかと思って調べてみたが、きずらしい疵もなく、ただ美しいばかりであったから、心は驚きに満たされ、さらに悲しみを覚え、実際兄の弟子たちの言うように、変化へんげのものであってしばらく人の心を乱そうがためにこんな姿で現われたのではないかと疑われもした。
  to tohe domo, mono mo iha zu nari nu. "Mi ni mosi kizu nado ya ara m?" tote mire do, koko ha to miyuru tokoro naku utukusikere ba, asamasiku kanasiku, "Makoto ni, hito no kokoro madohasa m tote ide-ki taru kari no mono ni ya?" to utagahu.
注釈79いかにぞ以下「調じて問へ」まで、僧都の詞。1.5.2
注釈80え生きはべらじ以下「見苦しきわざかな」まで、僧たちの詞。1.5.4
注釈81すぞろなる穢らひに籠もりて死穢は三十日間の忌籠もりとなる。1.5.4
注釈82あなかま以下「こともぞある」まで、妹尼の詞。1.5.7
注釈83うちつけに添ひゐたり『集成』は「もうすっかりこちらに付ききりでいる。「うちつけ」は、唐突の意。態度を豹変させて、という感じ」と注す。1.5.8
注釈84見る限り尼君一行の女房たち。『集成』「その場の人は皆」と注す。1.5.8
注釈85あな心憂や以下「もののたまへ」まで、妹尼の詞。1.5.9
注釈86人の代はりに亡き娘の代わりに。1.5.9
注釈87仏の導きたまへると長谷寺の観音。1.5.9
注釈88生き出でたりとも以下「落とし入れたまひてよ」まで、浮舟の詞。1.5.11
注釈89まれまれ物のたまふを以下「おはしつるぞ」まで、妹尼の詞。1.5.13
注釈90身にもし傷などやあらむ妹尼の心中の思い。『集成』は「からだにあるいは不具のところでもあるのか。若い女のことなので気をまわす。「疵」は、欠陥の意」。『完訳』は「身体的欠陥。一説には怪我」と注す。1.5.14
注釈91まことに以下「仮のものにや」まで、妹尼の思い。1.5.14
1.6
第六段 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る


1-6  A man of Uji talks to Souzu that a funeral seremony has been held

1.6.1  二日ばかり籠もりゐて、 二人の人を祈り加持する声絶えず、 あやしきことを思ひ騒ぐ。そのわたりの下衆などの、僧都に仕まつりける、 かくておはしますなりとて、とぶらひ出で来るも、物語などして言ふを聞けば、
 二日ほど籠もっていて、二人の女性を祈り加持する声がひっきりなしで、不思議な事件だと思ってあれこれ言う。その近辺の下衆などで、僧都にお仕え申していた者が、こうしてお出でになっていると聞いて、挨拶に出て来たが、世間話などして言うのを聞くと、
 一行は二日ほどここに滞留していて、老尼と拾った若い貴女きじょのために祈りをし、加持をする声が絶え間もなく聞こえていた。宇治の村の人で、僧都に以前仕えたことのあった男が、宇治の院に僧都が泊まっていると聞いてたずねて来ていろいろと話をするのを聞いていると、
  Hutuka bakari komori wi te, hutari no hito wo inori kadi suru kowe taye zu, ayasiki koto wo omohi sawagu. Sono watari no gesu nado no, Soudu ni tuka-maturi keru, kakute ohasimasu nari tote, toburahi ide-kuru mo, monogatari nado si te ihu wo kike ba,
1.6.2  「 故八の宮の御女、右大将殿の通ひたまひし、ことに悩みたまふこともなくて、にはかに隠れたまへりとて、騷ぎはべる。その御葬送の雑事ども仕うまつりはべりとて、昨日はえ参りはべらざりし」
 「故八の宮の姫君で、右大将殿がお通いになっていた方が、特にご病気になったということもなくて、急にお亡くなりになったと言って、大騒ぎしております。そのご葬送の雑事類にお仕え致しますために、昨日は参上することができませんでした」
 「以前の八の宮様の姫君で、右大将が通って来ておいでになった方が、たいした御病気でもなしににわかにおかくれになったといってこの辺では騒ぎになっております。そのお葬式のお手つだいに行ったりしたものですから昨日は伺うことができませんでした」
  "Ko-Hati-no-Miya no ohom-musume, Udaisyau-dono no kayohi tamahi si, koto ni nayami tamahu koto mo naku te, nihaka ni kakure tamahe ri tote, sawagi haberu. Sono ohom-sausou no zahuzi-domo tukau-maturi haberi tote, kinohu ha e mawiri habera zari si."
1.6.3  と言ふ。「 さやうの人の魂を、鬼の取りもて来たるにや」と思ふにも、かつ見る見る、「 あるものともおぼえず、危ふく恐ろし」と思す。人びと、
 と言う。「そのような人の魂を、鬼が取って持って来たのであろうか」と思うにも、一方では見ながら、「生きている人とも思えず、危なっかしく恐ろしい」とお思いになる。人びとは、
 こんなことも言っている。そうした貴女の霊魂を鬼が奪って持って来たのがこの人ではあるまいかと思われた尼君は、今は目に見ているが跡形もなく消えてしまう人のように思われ、危うくも恐ろしくも拾った姫君を思った。女房らが、
  to ihu. "Sayau no hito no tamasihi wo, oni no tori mote ki taru ni ya?" to omohu ni mo, katu miru miru, "Aru mono to mo oboye zu, ayahuku osorosi." to obosu. Hito-bito,
1.6.4  「 昨夜見やられし火は、しかことことしきけしきも見えざりしを」
 「昨夜見やられた火は、そのように大げさなふうには見えませんでしたが」
 「昨夜ここから見えたはそんな大きい野べ送りの灯とも見えなんだけれど」
  "Yobe mi-yara re si hi ha, sika koto-kotosiki kesiki mo miye zari si wo."
1.6.5  と言ふ。
 と言う。
 と言うと、
  to ihu.
1.6.6  「 ことさら事削ぎて、いかめしうもはべらざりし
 「格別に簡略にして、盛大ではございませんでした」
 「わざわざ簡単になすったのですよ」
  "Kotosara koto-sogi te, ikamesiu mo habera zari si."
1.6.7  と言ふ。 穢らひたる人とて立ちながら追ひ返しつ
 と言う。死穢に触れた人だからというので、立ったままで帰らせた。
 こんな説明をした。死穢に触れた男であるから病人の家に近づかせてはならないと言い、立ち話をさせただけで追い返した。
  to ihu. Kegarahi taru hito tote, tati nagara ohi-kahesi tu.
1.6.8  「 大将殿は宮の御女持ちたまへりしは、亡せたまひて、 年ごろになりぬる ものを、誰れを言ふにかあらむ。 姫宮をおきたてまつりたまひて、よに異心おはせじ」
 「大将殿は、宮の姫君をお持ちになっていたのは、お亡くなりになって、何年にもなったが、誰を言うのでしょうか。姫宮をさし置き申しては、まさか浮気心はおありでない」
 「大将さんが八の宮の姫君を奥様にしていらっしゃったのは、おくなりになってもうだいぶ時がたっていることだのに、だれのことをいうのだろう。姫宮と結婚をしておいでになる方だから、そんな隠れた愛人などをお持ちになるはずもないことだし」
  "Daisyau-dono ha, Miya no ohom-musume moti-tamahe ri si ha, use tamahi te, tosi-goro ni nari nuru mono wo, tare wo ihu ni ka ara m? Hime-Miya wo oki tatematuri tamahi te, yo ni koto-gokoro ohase zi."
1.6.9  など言ふ。
 などと言う。
 とも尼君は言っていた。
  nado ihu.
注釈92二人の人を母尼と浮舟。1.6.1
注釈93あやしきことを思ひ騒ぐ『集成』は「奇妙ないきさつに心を痛める。身許の知れぬ意識不明の女までかかえ込んで、一喜一憂するといった感じ」と注す。1.6.1
注釈94かくておはしますなり僧都がここに滞在している。「なり」伝聞推定の助動詞。1.6.1
注釈95故八の宮の御女以下「参りはべらざりし」まで、下衆の詞。『完訳』は「ここで瀕死の女が浮舟であることが明確となる」と注す。1.6.2
注釈96さやうの人の以下「取りもて来たるにや」まで、僧都の心中の思い。1.6.3
注釈97あるものともおぼえず危ふく恐ろし僧都の心中の思い。1.6.3
注釈98昨夜見やられし火は以下「見えざりしを」まで、尼君一行の人々の詞。1.6.4
注釈99ことさら事削ぎていかめしうもはべらざりし下衆の詞。1.6.6
注釈100穢らひたる人とて死穢に触れた人ということで。1.6.7
注釈101立ちながら追ひ返しつ死穢に触れないため、庭先に立たせたままで、室内に上げない、座らせない。「追ひ返す」は早々に帰らせた意。1.6.7
注釈102大将殿は以下「よに異心おはせじ」まで、女房たちの詞。1.6.8
注釈103宮の御女持ちたまへりしは宇治八宮の大君。1.6.8
注釈104年ごろになりぬる死後三年目。『集成』は「亡くなったのは年立の上では四年前(通説、三年前)のこと」と注す。1.6.8
注釈105姫宮をおきたてまつり女二宮。薫の正室。1.6.8
校訂5 事削ぎ 事削ぎ--(/+事<朱>)そき 1.6.6
校訂6 年ごろ 年ごろ--としうち(うち/$ころ<朱>) 1.6.8
1.7
第七段 尼君ら一行、小野に帰る


1-7  Souzu's mother and the others come back to Ono

1.7.1  尼君よろしくなりたまひぬ。 方も開きぬれば、「かくうたてある所に久しうおはせむも便なし」とて帰る。
 尼君がよくおなりになった。方角も開いたので、「このような嫌な所に長く逗留されるのも不都合である」と言って帰る。
 大尼君の病気はえてしまった。それに方角のさわりもなくなったことであるから、こうした怪異めいたことを見る所に長くいるのはよろしくないといって、僧都の一行は帰ることになった。
  Ama-Gimi yorosiku nari tamahi nu. Kata mo aki nure ba, "Kaku utate aru tokoro ni hisasiu ohase m mo bin-nasi." tote kaheru.
1.7.2  「 この人は、なほいと弱げなり。道のほどもいかがものしたまはむと、心苦しきこと」
 「この人は、依然としてとても弱々しそうだ。道中もいかがでいらっしゃろうかと、おいたわしいこと」
 拾った貴女はまだ弱々しく見えた。途中が心配である、いたいたしいことである
  "Kono hito ha, naho ito yowage nari. Miti no hodo mo ikaga monosi tamaha m to, kokoro-gurusiki koto."
1.7.3  と言ひ合へり。車二つして、老い人乗りたまへるには、 仕うまつる尼二人、次のにはこの人を臥せて、かたはらに いま一人乗り添ひて、道すがら行きもやらず、車止めて湯参りなどしたまふ。
 と話し合っていた。車二台で、老人がお乗りになったのには、お仕えする尼が二人、次のにはこの人を寝かせて、側にもう一人付き添って、道中もはかどらず、車を止めて薬湯などを飲ませなさる。
 と女房たちは言い合っていた。二つの車の一台の僧都と大尼君の乗ったのにはその人に奉仕している尼が二人乗り、次の車には尼夫人が病の人を自身とともに乗せ、ほかに一人の女房を乗せて出た。車をやり通させずに所々でとめて病人に湯を飲ませたりした。
  to ihi-ahe ri. Kuruma hutatu site, oyi-bito nori tamahe ru ni ha, tukau-maturu ama hutari, tugi no ni ha kono hito wo huse te, katahara ni ima hitori nori sohi te, miti-sugara yuki mo yara zu, kuruma tome te yu mawiri nado si tamahu.
1.7.4   比叡坂本に、小野といふ所にぞ住みたまひける。そこにおはし着くほど、いと遠し。
 比叡の坂本で、小野という所にお住みになっていた。そこにお着きになるまで、まことに遠い。
 比叡ひえ坂本さかもとの小野という所にこの尼君たちの家はあった。そこへの道程みちのりは長かった。
  Hie Sakamoto ni, Wono to ihu tokoro ni zo sumi tamahi keru. Soko ni ohasi tuku hodo, ito tohosi.
1.7.5  「 中宿りを設くべかりける
 「休憩所を準備すべきであった」
 途中で休息する所を考えておけばよかった
  "Naka-yadori wo mauku bekari keru."
1.7.6  など言ひて、夜更けておはし着きぬ。
 などと言って、夜が更けてお着きになった。
 と言いながらも小野の家へ夜ふけになって帰り着いた。
  nado ihi te, yo huke te ohasi tuki nu.
1.7.7  僧都は、親を扱ひ、娘の尼君は、この知らぬ人を はぐくみて、皆抱き降ろしつつ休む。老いの病のいつともなきが、苦しと思ひたまへし遠道の名残こそ、しばしわづらひたまひけれ、やうやうよろしうなりたまひにければ、 僧都は登りたまひぬ
 僧都は、母親を世話し、娘の尼君は、この知らない女を介抱して、みな抱いて降ろし降ろしして休む。老人の病気はいつということもないが、苦しいと思っていた遠路のせいで、少しお疲れになったが、だんだんとよくおなりになったので、僧都は山にお登りになった。
 僧都は母を、尼君はこの知らぬ人を世話して皆抱きおろして休ませた。老いた尼君はいつもすぐれた健康を持っているのではない上、遠い旅をしたあとであったから、その後しばらくはわずらっていたもののようやく快癒かいゆしたふうの見えたために僧都は横川よかわの寺へ帰った。
  Soudu ha, oya wo atukahi, musume no Ama-Gimi ha, kono sira nu hito wo hagukumi te, mina idaki orosi tutu yasumu. Oyi no yamahi no itu to mo naki ga, kurusi to omohi tamahe si toho-miti no nagori koso, sibasi wadurahi tamahi kere, yau-yau yorosiu nari tamahi ni kere ba, Soudu ha nobori tamahi nu.
1.7.8  「 かかる人なむ率て来たる」など、法師のあたりにはよからぬことなれば、 見ざりし人には まねばず。尼君も、皆口固めさせつつ、「もし尋ね来る人もやある」と思ふも、静心なし。「 いかで、さる田舎人の住むあたりに、 かかる人落ちあふれけむ。物詣でなどしたりける人の、心地などわづらひけむを、継母などやうの人の、たばかりて置かせたるにや」などぞ思ひ寄りける。
 「このような女を連れて来た」などと、法師の間ではよくないことなので、知らなかった人には事情を話さない。尼君も、みな口封じをさせたが、「もしや探しに来る人もいようか」と思うと、気が落ち着かない。「何とか、そのような田舎者の住む辺りに、このような方がさまよっていたのだろうか。物詣でなどした人で、気分が悪くなったのを、継母などのような人が、だまして置いていったのであろうか」と推測してみるのだった。
 身もとの知れない若い女の病人を伴って来たというようなことは僧としてよいうわさにならぬことであったから、初めから知らぬ人には何も話さなかった。尼君もまた同行した人たちに口固めをしているのであって、もし捜しに来る人もあったならばと思うことがこの人を不安にしていた。どうしてあの田舎人ばかりのいる所にこの人がこぼされたように落ちていたのであろう、初瀬へでも参詣さんけいした人が途中で病気になったのを継母ままははなどという人が悪意で捨てさせたのであろうと、このごろではそんな想像をするようになった。
  "Kakaru hito nam wi te ki taru." nado, hohusi no atari ni ha yokara nu koto nare ba, mi zari si hito ni ha maneba zu. Ama-Gimi mo, mina kuti-gatame sase tutu, "Mosi tadune kuru hito mo ya aru?" to omohu mo, sidu-kokoro nasi. "Ikade, saru winaka-bito no sumu atari ni, kakaru hito oti-ahure kem. Mono-maude nado si tari keru hito no, kokoti nado wadurahi kem wo, mama-haha nado yau no hito no, tabakari te oka se taru ni ya?" nado zo omohi-yori keru.
1.7.9  「 川に流してよ」と言ひし一言より他に、 ものもさらにのたまはねば、いとおぼつかなく思ひて、「 いつしか人にもなしてみむ」と思ふに、 つくづくとして起き上がる世もなく、いとあやしうのみものしたまへば、「 つひに生くまじき人にや」と思ひながら、うち捨てむもいとほしういみじ。 夢語りもし出でて、初めより祈らせし阿闍梨にも、忍びやかに 芥子焼くことせさせたまふ。
 「川に流してください」と言った一言以外に、何もまったくおっしゃらないので、とても分からなく思って、「はやく人並みの健康にしよう」と思うと、ぐったりとして起き上がる時もなく、まことに心配な容態ばかりしていらっしゃるので、「結局は生きられない人であろうか」と思いながら、放っておくのもお気の毒でたまらない。夢の話もし出しては、最初から祈祷させた阿闍梨にも、こっそりと芥子を焼くことをおさせになる。
 かわへ流してほしいと言った一言以外にまだ今まで何も言わないのであったからたよりなく思った。そのうち健康じょうぶにさせて手もとで養うことにしたいと尼君は願っているのであるが、いつまでも寝たままで起き上がれそうにもなく、重態な様子でその人はいたから、このまま衰弱して死んでしまうのではなかろうかと思われはするものの無関心にはなれそうもなかった。初瀬で見た夢の話もして、宇治で初めから祈らせていた阿闍梨にも尼君はそっと祈祷きとうをさせていた。
  "Kaha ni nagasi te yo." to ihi si hito-koto yori hoka ni, mono mo sarani notamaha ne ba, ito obotukanaku omohi te, "Itusika hito ni mo nasi te mi m." to omohu ni, tuku-duku to si te oki-agaru yo mo naku, ito ayasiu nomi monosi tamahe ba, "Tuhini iku maziki hito ni ya?" to omohi nagara, uti-sute m mo itohosiu imizi. Yume-gatari mo si-ide te, hazime yori inora se si Azyari ni mo, sinobiyaka ni kesi yaku koto se sase tamahu.
注釈106方も開きぬれば方塞がりも解けた。1.7.1
注釈107この人は以下「心苦しきこと」まで、女房たちの詞。1.7.2
注釈108仕うまつる尼二人母尼と女房の尼二人が乗る。1.7.3
注釈109いま一人乗り添ひて浮舟と妹尼の他にもう一人の女房の尼が乗る。1.7.3
注釈110比叡坂本に小野といふ所比叡山の西坂本の小野。1.7.4
注釈111中宿りを設くべかりける一行の詞。普通の旅では不要。病人が出たので必要性を感じた。1.7.5
注釈112はぐくみて『集成』は「「はぐくむ」は、親が子を大事に育てる意。妹尼の気持が出ている」と注す。1.7.7
注釈113僧都は登りたまひぬ僧都は比叡山の横川に帰山。1.7.7
注釈114かかる人なむ率て来たる瀕死の女を連れて来た、ということ。1.7.8
注釈115見ざりし人には宇治院での出来事を知らない僧侶には。過去助動詞「き」、体験的ニュアンス。『完訳』は「立ち会っていなかった者には」と注す。1.7.8
注釈116まねばず『集成』は「事情を話さない」と注す。1.7.8
注釈117いかでさる田舎人の以下「置かせたるにや」まで、妹尼の心中の思い。1.7.8
注釈118かかる人『集成』は「こんな身分ありげな美しく若い女性がみじめな姿でいたのだろう」と注す。1.7.8
注釈119川に流してよ浮舟が前に言った詞。1.7.9
注釈120ものもさらにのたまはねば主語は浮舟。『完訳』は「女への敬語の初出。身分ある女と察する妹尼の気持の反映。逆に妹尼に敬語がつかないのは、彼女の心中に即した語り口による」と注す。1.7.9
注釈121いつしか人にもなしてみむ妹尼の心中の思い。1.7.9
注釈122つくづくとして浮舟の様子。1.7.9
注釈123つひに生くまじき人にや妹尼の心中の思い。1.7.9
注釈124夢語りもし出でて長谷寺で見た夢の話。妹尼がなぜこんなに大切に世話をするのか理由が人々に初めて明かされる。1.7.9
注釈125芥子焼くこと『集成』は「密教の修法で護摩を焚くこと。その火で一切の悪業を焼き滅ぼすという」と注す。1.7.9
Last updated 5/17/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 5/17/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 5/17/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2004年8月26日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月14日

Last updated 11/17/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって10/14/2005に自動出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 2.06: Copyrighy (c) 2003,2005 宮脇文経