52 蜻蛉(大島本)


KAGEROHU


薫君の大納言時代
二十七歳三月末頃から秋頃までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from about the last in March to fall at the age of 27

4
第四章 薫の物語 薫、浮舟の法事を営む


4  Tale of Kaoru  Kaoru holds the forty-ninth day of Buddhist service for Ukifune's death

4.1
第一段 薫、宇治を訪問


4-1  Kaoru visits to Uji

4.1.1   大将殿も、なほ、いとおぼつかなきに、思し余りておはしたり。道のほどより、昔の事どもかき集めつつ、
 大将殿も、同じように、まことに不審でしょうがないので、思い余りなさってお出でになった。道中から、昔の事を一つ一つ思い出して、
 途中からもう昔のことがいろいろと胸へ集まってきて、
  Daisyau-dono mo, naho, ito obotukanaki ni, obosi-amari te ohasi tari. Miti no hodo yori, mukasi no koto-domo kaki-atume tutu,
4.1.2  「 いかなる契りにて、この父親王の御もとに来そめけむ。かかる思ひかけぬ果てまで思ひあつかひ、このゆかりにつけては、ものをのみ思ふよ。いと尊くおはせしあたりに、仏をしるべにて、後の世をのみ契りしに、心きたなき末の違ひめに、思ひ知らするなめり」
 「どのような縁で、この父親王のお側に来初めたのだろう。このように思いもかけなかった人の最期まで世話をし、この一族のことにつけては、物思いばかりすることよ。たいそう尊くおいでになった所で、仏のお導きによって、来世ばかりを祈願していたのに、心汚い末路の思惑違いによって、世の無常を思い知らせるようだ」
 どんな因縁で八の宮の所へ自分は行き始めたのであろう、二人の女王に失恋をして、父宮から子とも認められなかった人にまで縁が生じ、この一家との結ばれによって物思いばかりを自分はし続ける、尊い悟りをお持ちになった方へ仏の導きで近づき、未来の世界での交わりを約していながら、女王に心を引かれ始めて、信仰をよそにした報いを受けるのであろう
  "Ika naru tigiri nite, kono Titi-Miko no ohom-moto ni ki some kem. Kakaru omohi-kake nu hate made omohi atukahi, kono yukari ni tuke te ha, mono wo nomi omohu yo. Ito tahutoku ohase si atari ni, Hotoke wo sirube nite, noti no yo wo nomi tigiri si ni, kokoro-gitanaki suwe no tagahi-me ni, omohi sira suru na' meri."
4.1.3  とぞおぼゆる。右近召し出でて、
 と思われなさる。右近を召し出して、
 と、こんなことも思われた。大将は右近を前に呼んで話そうとしたが、悲しみが先に立ちはかばかしい質問もできない。
  to zo oboyuru. Ukon mesi-ide te,
4.1.4  「 ありけむさまもはかばかしう聞かず、なほ、尽きせずあさましう、はかなければ、忌の残りもすくなくなりぬ。過ぐして、と思ひつれど、静めあへずものしつるなり。いかなる心地にてか、はかなくなりたまひにし」
 「生前の様子もはっきりとは聞かず、やはり、尽きせず呆れて、あっけないので、忌中期間も少なくなった。過ぎてから、と思っていたが、抑えきれずにやって来たのです。どのような気持ちで、お亡くなりになったのですか」
 「もう忌の残りの日も少なくなったのだから済んでからと思ったが、どうしても待ちきれないものがあって来た。どんな病状でにわかにあの方は死ぬようになられたか」
  "Ari kem sama mo haka-bakasiu kika zu, naho, tuki se zu asamasiu, hakanakere ba, imi no nokori mo sukunaku nari nu. Sugusi te, to omohi ture do, sidume-ahe zu monosi turu nari. Ika naru kokoti nite ka, hakanaku nari tamahi ni si."
4.1.5  と問ひたまふに、「 尼君なども、けしきは見てければ、つひに聞きあはせたまはむを、なかなか隠しても、こと違ひて聞こえむに、そこなはれぬべし。 あやしきことの筋にこそ、虚言も思ひめぐらしつつならひしか。かくまめやかなる御けしきにさし向かひきこえては、かねて、と言はむ、かく言はむと、まうけし言葉をも忘れ、わづらはしう」おぼえければ、ありしさまのことどもを聞こえつ。
 とお尋ねなさると、「尼君なども、経緯は知ってしまったので、結局はお聞き合わせになるであろうから、なまじ隠しだてしても、話がくいちがって聞かれるのも、具合の悪いことになろう。変な話には、嘘を考えて何度も言ってきたが、このような真面目な態度のお前に対座申し上げては、前もって、ああ言おう、こう言おうと、用意していた言葉も忘れ、困ること」と思われたので、生前の様子のあれこれを申し上げた。
 と問われ、右近は弁の尼なども姫君の遺骸のなくなっていたことはどっているのであるから、隠してもしまいには薫の耳にはいることに違いない、かえってことをおおおうとして誤解を招くことになっては姫君が気の毒である、あの不始末を処理するためにはいろいろなうそも言われたのであるが、このまじめな人に対しては、今までもった時にはこうも弁解しああも言ってと考えていたことは皆忘れてしまい、嘘は恐ろしくなり真実の話をした。
  to tohi tamahu ni, "Ama-Gimi nado mo, kesiki ha mi te kere ba, tuhini kiki-ahase tamaha m wo, naka-naka kakusi te mo, koto tagahi te kikoye m ni, sokonaha re nu besi. Ayasiki koto no sudi ni koso, sora-goto mo omohi-megurasi tutu narahi sika. Kaku mameyaka naru mi-kesiki ni sasi-mukahi kikoye te ha, kanete, to iha m, kaku iha m to, mauke si kotoba wo mo wasure, wadurahasiu." oboye kere ba, arisi sama no koto-domo wo kikoye tu.
注釈290大将殿もなほ『完訳』は「「なほ」とあり、前に宇治行を決しかねていた気持が揺曳」と注す。4.1.1
注釈291いかなる契りにて以下「思ひ知らするなめり」まで、薫の心中の思い。『集成』は「世の無常を悟らせようとするのであろう」。『完訳』は「仏が懲らしめようとする」と訳す。4.1.2
注釈292ありけむさまも以下「はかなくなりたまひにし」まで、薫の詞。浮舟の死にいたるまでの経緯。4.1.4
注釈293尼君なども以下「わづらはしう」あたりまで、右近の心中の思い。4.1.5
注釈294あやしきことの筋にこそ匂宮との関係。『集成』は「不埒なこと」。『完訳』は「匂宮との秘密の情事」と注す。4.1.5
4.2
第二段 薫、真相を聞きただす


4-2  Kaoru asks Ukifune's death to Ukon

4.2.1   あさましう、思しかけぬ筋なるに、物もとばかりのたまはず。
 驚き呆れて、思いもかけなかったことなので、一言も暫くの間はおっしゃれない。
 これは薫の想像にものぼらなかったことであったから、驚きのためにしばらくはものも言われなかった。
  Asamasiu, obosi-kake nu sudi naru ni, mono mo to bakari notamaha zu.
4.2.2  「 さらにあらじとおぼゆるかな。なべての人の思ひ言ふことをも、こよなく言少なに、おほどかなりし人は、いかでかさるおどろおどろしきことは思ひ立つべきぞ。 いかなるさまに 、この人びと、もてなして言ふにか」
 「難とも信じがたいと思われることだ。普通誰でもが思ったり言ったりすることも、この上なく言葉少なく、おっとりしていた人が、どうしてそのような恐ろしいことを思い立ったのだろう。どのような様子のために、この人びとは、取り繕って言うのであろうか」
 それを真実とは信じがたい、普通の人が煩悶はんもんをしたり、悲しんだりする場合にも多くは口に言わずおおようにしていた人にどうしてそんな恐ろしいことが思い立たれるか、そのほかの事実を自分へこう取り繕って言うのではなかろうか
  "Sarani ara zi to oboyuru kana! Nabete no hito no omohi ihu koto wo mo, koyonaku koto-zukuna ni, ohodoka nari si hito ha, ikadeka saru odoro-odorosiki koto ha omohi-tatu beki zo. Ika naru sama ni, kono hito-bito, motenasi te ihu ni ka?"
4.2.3  と御心も乱れまさりたまへど、「 宮も思し嘆きたるけしき、いとしるし、事のありさまも、しかつれなしづくりたらむけはひは、おのづから見えぬべきを、 かくおはしましたるにつけても、悲しくいみじきことを、上下の人集ひて泣き騒ぐを」と、聞きたまへば、
 とお気持ちもいっそう困惑なさるが、「宮もお嘆きになっていた様子、まことにはっきりしていたし、事の成り行きも、そんなそ知らぬふりを装った態度は、自然と分かってしまうものだから、このようにお出でになったにつけても、悲しくてやりきれないことを、身分の上下の人が皆集まって泣き騒いでいるのだから」と、お聞きになると、
 と、いっそう心の乱れてゆくのを覚える薫であったが、しかしあの人をお隠しになったようでもなく宮が悲しんでおいでになったことは著しいことであったし、この家の様子も、死が作り事であれば自然に気配けはいが違っているはずであるのに、自分の来たのを見ると人は上から下まで集まって来て泣き騒いでいるではないかと考え、
  to mi-kokoro mo midare masari tamahe do, "Miya mo obosi nageki taru kesiki, ito sirusi, koto no arisama mo, sika turenasi dukuri tara m kehahi ha, onodukara miye nu beki wo, kaku ohasimasi taru ni tuke te mo, kanasiku imiziki koto wo, kami simo no hito tudohi te naki sawagu wo." to, kiki tamahe ba,
4.2.4  「 御供に具して失せたる人やある。なほ、ありけむさまをたしかに言へ。我をおろかに思ひて背きたまふことは、よもあらじとなむ思ふ。いかやうなる、たちまちに、言ひ知らぬことありてか、さるわざはしたまはむ。我なむえ信ずまじき」
 「お供をしていなくなった人はいないか。さらに、その時の状況をはっきり言いなさい。わたしを薄情だと思ってお裏切になることは、決してないと思う。どのような、急に、わけの分からないことがあってか、そのようなことをなさったのだろう。わたしは信じることができない」
 「奥さんといっしょに行ってしまった人があるか、もっと詳細にその時のことを言ってくれ。私に誠意がないからほかへ行ってしまう気にあの人がなったとは思われない。何もなくてにわかにそんなことができるか、私は信じることができない」
  "Ohom-tomo ni gu-si te use taru hito ya aru. Naho, ari kem sama wo tasika ni ihe. Ware wo oroka ni omohi te somuki tamahu koto ha, yomo ara zi to nam omohu. Ika yau naru, tatimati ni, ihi sira nu koto ari te ka, saru waza ha si tamaha m. Ware nam e sin-zu maziki."
4.2.5  とのたまへば、「 いとどしくさればよ」とわづらはしくて、
 とおっしゃるので、「一段として、心配していたとおりであったよ」と厄介なことに思って、
 と言った。予期した詰問であると右近は恐れた。
  to notamahe ba, "Itodo-siku, sarebayo!" to wadurahasiku te,
4.2.6  「 おのづから聞こし召しけむ。もとより思すさまならで生ひ出でたまへりし人の、世離れたる御住まひの後は、いつとなくものをのみ思すめりしかど、たまさかにもかく渡りおはしますを、待ちきこえさせたまふに、もとよりの御身の嘆きをさへ慰めたまひつつ、心のどかなるさまにて、時々も見たてまつらせたまふべきやうには、いつしかとのみ、言に出でてはのたまはねど、思しわたるめりしを、その御本意かなふべきさまに承ることどもはべりしに、かくてさぶらふ人どもも、うれしきことに思ひたまへいそぎ、 かの筑波山も、からうして心ゆきたるけしきにて、 渡らせたまはむことをいとなみ思ひたまへしに、 心得ぬ御消息はべりけるに、この宿直仕うまつる者どもも、女房たちらうがはしかなり、など、戒め仰せらるることなど申して、ものの心得ず荒々しきは田舎人どもの、 あやしきさまにとりなしきこゆることどもはべりしを、その後、久しう 御消息などもはべらざりしに、心憂き身なりとのみ、いはけなかりしほどより思ひ知るを、人数にいかで見なさむとのみ、よろづに思ひ扱ひたまふ母君の、なかなかなることの、人笑はれになりては、いかに思ひ嘆かむ、 などおもむけてなむ、常に嘆きたまひし。
 「自然とお耳に入っておりましょう。初めから不如意な境遇でお育ちになりました方で、人里離れたお住まいで暮らした後は、いつとなく物思いばかりをなさっていたようでしたが、たまにこのようにお越しになりますのを、お待ち申し上げなさることで、もともとのお身の上の不幸までをお慰めになりながら、のんびりとした状態で、時々お逢い申し上げなされるように、早く早くとばかり、言葉に出してはおっしゃいませんが、ずっとお思いでいらしたらしいのを、そのご念願が叶うように承ったことがございましたのに、こうしてお仕えする者どもも、嬉しいことと存じて準備致し、あの筑波山の母君も、やっとのことで念願が叶ったような様子で、お移りになることをご準備なさっていたのに、納得できないお手紙がございましたので、ここの宿直などに仕える者どもも、女房たちがふしだらなようだ、などと、厳しくご命令なさったことなどを申して、物の情理をわきまえない荒々しいのは田舎者どもの、間違いでもあったかのように取り扱い申すことがございましたが、その後、長らくお手紙などもございませんでしたので、情けない身の上だとばかり、幼かった時から思い知っていたが、何とか一人前にしようとばかり、いろいろとお世話なさっていた母君が、なまじその事によって、世間の物笑いになったら、どんなに嘆くだろう、などと悪いほうに考えて、いつも嘆いていらっしゃいました。
 「もうおわかりになっていらっしゃいましたでしょうが、宮様の姫君としてお育てられになったのではございませんでしたから、心でいろいろ御苦労をなされた方でございます。それが寂しいお住まいをなさることになりましてからはいつからともなく物思いをなさいますことになりましたのですが、たまさかにもせよあなた様がおいでになります時のお喜びで過去の不幸も御自身でお慰めになりながらも始終お逢いあそばすことのできますような日の出現を、口に出してはおっしゃいませんでしたが始終そればかり待っておいでになったふうでございました。ようやくそのお望みのかないます御様子と私どもにもうかがえますことがございまして、うれしく存じて御用意にかかっておりまして、常陸守ひたちのかみの奥様もやっとお喜びになることができた御様子でお仕度したくのことなどをあちらからもいろいろとお世話をしていらっしゃいましたころになりまして、姫君には御合点のゆかぬような御消息がございましたそうで、それと同時に宿直とのいをいたしている侍たちが女房の中に品行の修まらぬ者があるとか京のおやしきで申されたとか言いだしまして、ものの理解のない田舎いなかの人が無遠慮なことをよく言ってまいったりすることになりますし、あなた様から久しくおたよりもございませんことなどから、自分は薄命なものだと小さい時から知っていたのを、人並みの幸福を得させようと心を砕いておいでになる母君が、また今になって自分が世間の笑われものになったりしては、どんなに力を落とすだろうと、こんなお心持ちをそれとなく私どもへ始終言ってお歎きになりました。
  "Onodukara kikosi-mesi kem. Moto yori obosu sama nara de ohi-ide tamahe ri si hito no, yo-banare taru ohom-sumahi no noti ha, itu to naku mono wo nomi obosu meri sika do, tamasaka ni mo kaku watari ohasimasu wo, mati kikoye sase tamahu ni, motoyori no ohom-mi no nageki wo sahe nagusame tamahi tutu, kokoro nodoka naru sama nite, toki-doki mo mi tatematura se tamahu beki yau ni ha, itusika to nomi, koto ni ide te ha notamaha ne do, obosi wataru meri si wo, sono ohom-ho'i kanahu beki sama ni uketamaharu koto-domo haberi si ni, kakute saburahu hito-domo mo, uresiki koto ni omohi tamahe isogi, kano Tukuba-yama mo, karausite kokoro-yuki taru kesiki nite, watara se tamaha m koto wo itonami omohi tamahe si ni, kokoro-e nu ohom-seusoko haberi keru ni, kono tonowi tukau-maturu mono-domo mo, nyoubau-tati raugahasika' nari, nado, imasime ohose raruru koto nado mausi te, mono no kokoro-e zu ara-arasiki ha winaka-bito-domo no, ayasiki sama ni torinasi kikoyuru koto-domo haberi si wo, sono noti, hisasiu ohom-seusoko nado mo habera zari si ni, kokoro-uki mi nari to nomi, ihakenakari si hodo yori omohi siru wo, hito-kazu ni ikade mi-nasa m to nomi, yorodu ni omohi-atukahi tamahu Haha-Gimi no, naka-naka naru koto no, hito-warahare ni nari te ha, ikani omohi nageka m, nado omomuke te nam, tune ni nageki tamahi si.
4.2.7   その筋よりほかに、何事をかと、思ひたまへ寄るに、堪へはべらずなむ。鬼などの隠しきこゆとも、 いささか残る所もはべるなるものを
 その方面より他に、何があろうかと、考えめぐらして見ますに、思い当たることはございません。鬼などがお隠し申したとしても、少しは残るものがございますと聞いておりますものを」
 それ以外に何があるかと考えましても、何も思い当たることはございません。鬼が隠すことがありましても片端くらいは残すでしょうのに」
  Sono sudi yori hoka ni, nani-goto wo ka to, omohi tamahe yoru ni, tahe habera zu nam. Oni nado no kakusi kikoyu to mo, isasaka nokoru tokoro mo haberu naru mono wo."
4.2.8  とて、泣くさまもいみじければ、「いかなることにか」と 紛れつる御心も失せて、せきあへたまはず。
 と言って、泣く様子もたいそうなので、「どのようなことでか」とお疑いになっていた気持ちも消えて、お涙が抑えがたい。
 と言って右近の泣く様子は、見ていても堪えられなくなるほどのものであったから、宮との例の恋愛の事実は無根でないらしいと悟った時から少し紛れていた薫の悲しみがよみがえり、せきあえぬふうにこの人も泣いた。
  tote, naku sama mo imizikere ba, "Ika naru koto ni ka." to magire turu mi-kokoro mo use te, seki-ahe tamaha zu.
注釈295あさましう思しかけぬ筋なるに入水事件をさす。4.2.1
注釈296さらにあらじと以下「いふにかあらむ」まで、薫の心中の思い。4.2.2
注釈297いかなるさまに『集成』は「入水ではなくて、匂宮がどこかへ隠しているのではないか、と疑う」と注す。4.2.2
注釈298宮も思し嘆きたる以下「泣き騒ぐを」まで、薫の心中の思い。4.2.3
注釈299かくおはしましたるにつけても主語は薫。心中文に語り手の薫に対する敬語が紛れ込んだ表現。4.2.3
注釈300御供に具して以下「え信ずまじき」まで、薫の詞。『集成』は「逃げ隠れているなら、供の女房を連れているはず」と注す。4.2.4
注釈301いとどしく『集成』『完訳』等は「いといとほしく」と校訂。『集成』は「大層困ってしまって」。『完訳』は「右近は大将がおいたわしくて」と訳す。4.2.5
注釈302さればよ『完訳』は「薫の詰問は懸念どおり」と注す。4.2.5
注釈303おのづから聞こし召しけむ以下「はべるなるものを」まで、右近の詞。4.2.6
注釈304かの筑波山も浮舟の母。夫が常陸介なのでこう呼ぶ。また「筑波山」は常陸国の歌枕。風情ある言い方。4.2.6
注釈305渡らせたまはむことを浮舟が京の薫のもとに。4.2.6
注釈306心得ぬ御消息はべりけるに『完訳』は「納得できぬ文。薫からの「波こゆる--」と心変りを非難された。それが浮舟を一方的に追いつめた、の気持もこもる」と注す。4.2.6
注釈307あやしきさまにとりなしきこゆることども『集成』は「おかしな具合に歪めて推測申し上げることもいろいろございましたが。宿直人が気をまわして山荘の警備を厳重にしたことをいう」と注す。4.2.6
注釈308御消息などもはべらざりしに薫からの手紙。接続助詞「に」原因理由の意をこめた順接条件。下文の浮舟の悲観・絶望の気持ちへと続く。4.2.6
注釈309などおもむけてなむ『完訳』は「悪いほうに考えて、の気持」と注す。4.2.6
注釈310その筋よりほかに『完訳』は「薫の不信をかった以外には」と注す。4.2.7
注釈311いささか残る所もはべるなるものを『完訳』は「証拠を残していくもの。入水以外には考えられぬという気持」と注す。「なる」伝聞推定の助動詞。4.2.7
注釈312紛れつる御心も失せて匂宮が隠しているのではないかと疑って紛らされていた悲しみの気持ち。わずかの希望も消え失せる。4.2.8
校訂14 さまに さまに--さる(る/#ま<朱>)に 4.2.2
4.3
第三段 薫、匂宮と浮舟の関係を知る


4-3  Kaoru recognized that Ukifune was Niou-no-miya's girlfriend

4.3.1  「 我は心に身をもまかせず、顕証なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと思ふ折も、 今近くて、人の心置くまじく、目やすきさまにもてなして、行く末長くを、と思ひのどめつつ過ぐしつるを、 おろかに見なしたまひつらむこそ、なかなか 分くる方ありける、とおぼゆれ。
 「わたしは思いどおりに振る舞うこともできず、何事も目立ってしまう身分であるから、気がかりだと思う時にも、いずれ近くに迎えて、何の不満足もなく、世間体もよく持てなして、将来末長く添い遂げよう、とはやる心を抑えながら過ごして来たが、冷淡だとおとりになったのは、かえって他に分ける心がおありだったのだろう、と思われます。
 「自分の身が自分の思っているとおりにはできず、晴れがましい身の上になってしまったのだから、逢って慰めたいという心の起こる時も、そのうち近くへ呼び寄せ、家の妻にも不安を覚えさせないようにしてから、長い将来を幸福にしたいと、自分をおさえてきたのを、誠意がなかったように思われたのも、かえってあの人に二心があったからではないかという気がされる。
  "Ware ha kokoro ni mi wo mo makase zu, kenseu naru sama ni motenasa re taru arisama nare ba, obotukanasi to omohu wori mo, ima tikaku te, hito no kokoro-oku maziku, meyasuki sama ni motenasi te, yuku-suwe nagaku wo, to omohi nodome tutu sugusi turu wo, oroka ni mi-nasi tamahi tu ram koso, naka-naka wakuru kata ari keru, to oboyure.
4.3.2  今は、かくだに言はじと思へど、また人の聞かばこそあらめ。宮の御ことよ。いつよりありそめけむ。さやうなるにつけてや、 いとかたはに人の心を惑はしたまふ宮なれば、常にあひ見たてまつらぬ嘆きに、身をも失ひたまへる、となむ思ふ。なほ、言へ。我には、さらにな隠しそ」
 今さら、こんなことは言うまいと思うが、他に人が聞いているのならともかくだが。宮のお事ですよ。いつから始まったのでしょうか。そのようなことが原因でか、まことに不都合にも、女の心を迷わしなさる宮だから、いつもお逢いできない嘆きで、身をなきものにされたのか、と思う。ぜひ、言え。わたしには、少しも隠すな」
 もうそんなことは言わずにおこうと思ったが、だれも聞いていないのだから事実を私に聞かせてくれ、それは兵部卿ひょうぶきょうの宮様のことだ。いつごろからのことだったのか、恋愛の技術には長じておいでになる方だから、女の心をよくお引きつけになって、始終お逢いできぬ歎きがこうさせておしまいになり、命もなくしたのではないかと思う。隠さずに真実を言ってくれ。自分に少しの欺瞞ぎまんもないことを言ってほしい」
  Ima ha, kaku dani iha zi to omohe do, mata hito no kika ba koso ara me. Miya no ohom-koto yo. Itu yori ari some kem? Sayau naru ni tuke te ya, ito kataha ni, hito no kokoro wo madohasi tamahu Miya nare ba, tune ni ahi mi tatematura nu nageki ni, mi wo mo usinahi tamahe ru, to nam omohu. Naho, ihe. Ware ni ha, sarani na kakusi so."
4.3.3  とのたまへば、「 たしかにこそは聞きたまひてけれ」と、 いといとほしくて
 とおっしゃると、「確かな事をお聞きになっているのだ」と、とても困ってしまって、
 とかおるの言うのを聞いて、確かなことを皆知っておしまいになったようである、この方もお気の毒であるし、故人もおかわいそうであると右近は思った。
  to notamahe ba, "Tasika ni koso ha kiki tamahi te kere." to, ito itohosiku te,
4.3.4  「 いと心憂きことを聞こし召しけるにこそははべるなれ。右近もさぶらはぬ折ははべらぬものを」
 「まことに情けないことをお聞きになったようでございます。右近めもお側に伺候していません折はございませんでしたものを」
 「情けないことをお聞きあそばしたものでございますね。右近がおそばにおらぬ時といってはございませんでしたのに」
  "Ito kokoro-uki koto wo kikosi-mesi keru ni koso ha haberu nare. Ukon mo saburaha nu wori ha habera nu mono wo."
4.3.5  と眺めやすらひて、
 と物思いにふけりためらって、
 と言い、右近はしばらく黙っていたが、
  to nagame yasurahi te,
4.3.6  「 おのづから聞こし召しけむこの宮の上の御方に、忍びて渡らせたまへりしを、あさましく思ひかけぬほどに、入りおはしたりしかど、 いみじきことを聞こえさせはべりて出でさせたまひにきそれに懼ぢたまひてかのあやしくはべりし所には渡らせたまへりしなり。
 「自然とお聞き及びになったことでございましょう。この宮の上のお所に、こっそりとお行きになったとき、呆れたことに思いがけない間に、お入りになって来ましたが、たいそう手厳しいことを申し上げまして、お出になりました。その事に恐がりなさって、あの見苦しうございました隠れ家にお移りになったのです。
 「そんなこともお聞きになっていらっしゃいましょうが、お姉様の二条の院の奥様の所へ行っておいでになりました時、思いがけずそのお部屋へやへ宮様がお見えになったことがあるのでございますが、失礼なことも皆でいろいろ申し上げましてお立ち去りを願ったのでございました。実はそれを恐ろしいことに思召して、あの三条の仮屋かりやのような所にしばらくお住いになったのでございます。
  "Onodukara kikosi-mesi kem. Kono Miya-no-Uhe no Ohom-Kata ni, sinobi te watara se tamahe ri si wo, asamasiku omohi-kake nu hodo ni, iri ohasi tari sika do, imiziki koto wo kikoye sase haberi te, ide sase tamahi ni ki. Sore ni odi tamahi te, kano ayasiku haberi si tokoro ni ha watara se tamahe ri si nari.
4.3.7  その後、 音にも聞こえじ、と思してやみにしを、いかでか聞かせたまひけむ。ただ、 この如月ばかりより、訪れきこえたまふべし。御文は、いとたびたびはべりしかど、御覧じ入るることもはべらざりき。いとかたじけなく、 うたてあるやうになどぞ、右近など聞こえさせしかば、一度二度や聞こえさせたまひけむ。 それより他のことは見たまへず
 その後は、噂としてでも知られまい、とお思いになって終わったのを、どうしてお耳にあそばしたのでしょうか。ちょうど、この二月頃から、お便りを頂戴するようになりましたのでしょう。お手紙は、とても頻繁にございましたようですが、御覧になることもございませんでした。まことに恐れ多く、失礼な事になりましょうと、右近めなどが申し上げましたので、一度か二度はお返事申し上げましたでしょうか。それ以外の事は存じません」
 それからは決してお在処ありかをお知らせしますまいと警戒をいたしておりましたのに、どういたしましたことか今年ことしの二月ごろからおたよりがまいるようになりました。お手紙はたびたびまいったのですが、丁寧にお頼みになることもございませんでしたのを、もったいないことで、そうしてお置きになりますことはかえって悪い結果を生みますと私などがお勧めいたしましたので、一度か二度はお返事をあそばしたことがあったようでございます。それ以外のことは何もございません」
  Sono noti, oto ni mo kikoye zi, to obosi te yami ni si wo, ikadeka kika se tamahi kem. Tada, kono Kisaragi bakari yori, otodure kikoye tamahu besi. Ohom-humi ha, ito tabi-tabi haberi sika do, go-ran-zi iruru koto mo habera zari ki. Ito katazikenaku, utate aru yau ni nado zo, Ukon nado kikoye sase sika ba, hito-tabi huta-tabi ya kikoye sase tamahi kem. Sore yori hoka no koto ha mi tamahe zu."
4.3.8  と聞こえさす。
 と申し上げる。
 こう言った。
  to kikoye sasu.
4.3.9  「 かうぞ言はむかし。しひて問はむもいとほしく」て、つくづくとうち眺めつつ、
 「このように言うに決まっていることなのだ。無理に問い質すのも気の毒だから」と、つくづくと物思いに耽りながら、
 そう言うべきことである、しいてそれ以上を聞くのもこの人がかわいそうであると薫は思い、じっとひと所をながめながら、
  "Kau zo iha m kasi. Sihite toha m mo itohosiku." te, tuku-duku to uti-nagame tutu,
4.3.10  「 宮をめづらしくあはれと思ひきこえても、わが方をさすがにおろかに思はざりけるほどに、 いと明らむるところなく、はかなげなりし心にて、この水の近きをたよりにて、思ひ寄るなりけむかし。わがここに さし放ち据ゑざらましかば、いみじく憂き世に経とも、いかでか、かならず 深き谷をも求め出でまし
 「宮をめったにないいとしい方と思い申し上げても、自分のほうをやはりいい加減には思っていなかったために、どうしたらよいか分からなくなって、頼りない考えで、この川に近いのを手だてにして、思いついたのであろう。自分がここに放って置かなかったら、たいそうつらい生活であっても、どうして、必ず深い谷を探して身投げをしなかっただろうに」
 宮をお愛ししたのであろうが、自分をもおろそかには思えなかったらしい、迷い迷って死におもむいたのであろう、自分がこうした寂しい場所へさえ置かなんだならば、世の中の波にもまれることはあっても、自殺までもすることはなかったであろうと思うと、
  "Miya wo medurasiku ahare to omohi kikoye te mo, waga kata wo sasuga ni oroka ni omoha zari keru hodo ni, ito akiramuru tokoro naku, hakanage nari si kokoro nite, kono midu no tikaki wo tayori nite, omohi-yoru nari kem kasi. Waga koko ni sasi-hanati suwe zara masika ba, imiziku uki yo ni hu tomo, ikadeka, kanarazu hukaki tani wo mo motome-ide masi."
4.3.11  と、「 いみじう憂き水の契りかな」と、この川の疎ましう思さるること、いと深し。年ごろ、あはれと思ひそめたりし方にて、荒き山路を行き帰りしも、今は、また心憂くて、 この里の名をだにえ聞くまじき心地したまふ。
 と、「ひどく嫌な川の名の縁であるよ」と、この川が疎ましく思われなさること、甚だしい。長年、恋しいと思われなさっていた所で、荒々しい山路を行き来したのも、今では、また情けなくて、この里の名を聞くのさえ耐えがたい気がなさる。
 この川のあったがために悲しい結末を見ることになったのであると、宇治の流れを憎く思う薫であった。恋しい人の縁で荒い山路やまみち往復ゆきかえりすることを何とも思わなかった薫は、この時になって宇治という名を聞くことさえいやであるように思った。
  to, "Imiziu uki midu no tigiri kana!" to, kono kaha no utomasiu obosa ruru koto, ito hukasi. Tosi-goro, ahare to omohi some tari si kata nite, araki yamadi wo yuki-kaheri simo, ima ha, mata kokoro-uku te, kono sato no na wo dani e kiku maziki kokoti si tamahu.
注釈313我は心に身をもまかせず以下「さらにな隠しそ」まで、薫の詞。4.3.1
注釈314今近くて近々京に浮舟を迎えて、の意。4.3.1
注釈315おろかに見なしたまひつらむこそ主語は浮舟。4.3.1
注釈316分くる方ありける『集成』は「悠長な自分より、熱心だと思う恋人がいたからだろうと、匂宮のことをほのめかす」と注す。4.3.1
注釈317いとかたはに『集成』は「全くけしからぬほど」。『完訳』は「まったく不都合にも」と訳す。4.3.2
注釈318人の心を女性の心を。4.3.2
注釈319たしかにこそは聞きたまひてけれ右近の心中。4.3.3
注釈320いといとほしくて『集成』は「とても困ってしまって」。『完訳』は「まことにお気の毒に思われるので」と訳す。4.3.3
注釈321いと心憂きことを以下「はべらぬものを」まで、右近の詞。浮舟身辺の出来事は委細に見届けている自分の話こそ真実だ、という含み。4.3.4
注釈322おのづから聞こし召しけむ以下「見たまへず」まで、右近の詞。4.3.6
注釈323この宮の上の御方に京の二条院の中君の所に。4.3.6
注釈324いみじきことを聞こえさせはべりて『集成』は「お側の女房たちの才覚で事無きを得た、と言う」と注す。4.3.6
注釈325出でさせたまひにき主語は匂宮。4.3.6
注釈326それに懼ぢたまひて主語は浮舟。4.3.6
注釈327かのあやしくはべりし所に三条の小家。隠れ家。4.3.6
注釈328音にも聞こえじと匂宮に噂としても知られまい、の意。4.3.7
注釈329この如月ばかりより『完訳』は「匂宮が浮舟の宇治の住いをかぎつけたのは一月上旬、同月下旬に宇治行を実行。事実を意識的にぼかして過小の言い方をした」と注す。4.3.7
注釈330それより他のことは見たまへず『集成』は「きっぱりと密通の事実を否定する」。『完訳』は「密通などなかったとする言いぶり。事実をまげて語り収める」と注す。4.3.7
注釈331かうぞ言はむかし『集成』は「以下、薫の心中に添って書く」。『完訳』は「こんな場合はこう答えるもの。主人を弁護し自分たち女房の過失を隠のが女房の常」と注す。4.3.9
注釈332宮をめづらしく以下「求め出でまし」まで、薫の心中の思い。4.3.10
注釈333いと明らむるところなく『集成』は「〔もともと〕はっきりした考えもなく」。『完訳』は「浮舟はまるで判断力に乏しく」と注す。4.3.10
注釈334さし放ち据ゑざらましかば--深き谷をも求め出でまし反実仮想の構文。浮舟を放置していたことに対する後悔。
【深き谷をも求め】−『紫明抄』は「世の中の憂きたびごとに身を投げば深き谷こそ浅くなりけれ」(古今集俳諧、一〇六一、読人しらず)を指摘。
4.3.10
注釈335いみじう憂き水の契りかな薫の感想。4.3.11
注釈336この里の名をだに宇治の地名。「宇治」は「憂し」に通じる。4.3.11
出典6 深き谷をも求め 世の中の憂きたびごとに身をば投げば深き谷こそ浅くなりなめ 古今集俳諧-一〇六一 読人しらず 4.3.10
校訂15 うたて うたて--み(み/#う<朱>)たて 4.3.7
4.4
第四段 薫、宇治の過去を追懐す


4-4  Kaoru recalls the past days at Uji

4.4.1  「 宮の上の、のたまひ始めし、 人形とつけそめたりしさへゆゆしう、 ただ、わが過ちに失ひつる人なり」と思ひもてゆくには、「 母のなほ軽びたるほどにて、 後の後見もいとあやしく、ことそぎてしなしけるなめり」と心ゆかず思ひつるを、詳しう聞きたまふになむ、
 「宮の上が、おっしゃり始めた、人形と名付けたのまでが不吉で、ただ、自分の過失によって亡くした人である」と考え続けて行くと、「母親がやはり身分が軽いので、葬送もとても風変わりに、簡略にしたのであろう」と合点が行かず思っていたが、詳しくお聞きになると、
 宮の夫人があの姫君のことを初めに戯れて人型ひとがたと名づけて言ったのも、川へ流れてゆく前兆を作ったものであったかと思うと、何にもせよ自分の軽率さから死なせたという責任も感じられた。母の現在の身分が身分であったから、葬式なども簡単にしてしまったのであろうと不快に思ったこともくわしく聞いたことによって、そうした想像をしたことが気の毒になり、
  "Miya-no-Uhe no, notamahi hazime si, hitokata to tuke some tari si sahe yuyusiu, tada, waga ayamati ni usinahi turu hito nari." to omohi mote-yuku ni ha, "Haha no naho karobi taru hodo nite, noti no usiromi mo ito ayasiku, koto-sogi te si-nasi keru na' meri." to kokoro-yuka zu omohi turu wo, kuhasiu kiki tamahu ni nam,
4.4.2  「 いかに思ふらむ。さばかりの人の子にては、いとめでたかりし人を、忍びたることはかならずしもえ知らで、 わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ思ふなるらむかし」
 「どのように思っているだろう。あの程度の身分の子としては、まことに結構であった人を、秘密の事は必ずしも知らないで、自分との縁でどのようなことがあったのであろう、と思っているであろう」
 母としてはどんなに悲しがっていることであろう、あの身分の母の子としてはりっぱ過ぎた姫君であったのを、陰のことは知らずに自分との縁により、姫君が煩悶をしたこともあったとして悲しんでいることかもしれぬ
  "Ikani omohu ram? Sabakari no hito no ko nite ha, ito medetakari si hito wo, sinobi taru koto ha kanarazu simo e sira de, waga yukari ni ika naru koto no ari keru nara m, to zo omohu naru ram kasi."
4.4.3  など、よろづにいとほしく思す。 穢らひといふことはあるまじけれど、 御供の人目もあれば昇りたまはで、御車の榻を召して、妻戸の前にぞゐたまひけるも、見苦しければ、いと茂き木の下に、苔を御座にて、とばかり居たまへり。「 今はここを来て見むことも心憂かるべし」とのみ、 見めぐらしたまひて、
 などと、いろいろとお気の毒にお思いになる。穢れということはないであろうが、お供の人の目もあるので、お上がりにならず、お車の榻を召して、妻戸の前で座っていたのも、見苦しいので、たいそう茂った樹の下で、苔をお敷物として、暫くお座りになった。「今ではここに来て見ることさえつらいことであろう」とばかり、まわりを御覧になって、
 などと同情がされるのであった。けがれというものはこの家にないはずであるが、供の人たちへの手前もあって家の上へは上がらず車のしじという台を腰掛けにして妻戸の前で今まで薫は右近と語っていたのである。これを長く続けているのも見苦しく思われて茂った木の下のこけの上を座にしてしばらく休んでいた。もう山荘に来てみることも心を悲しくするばかりであろうから、今後来ることはないであろうと思い、その辺を見まわして、
  nado, yorodu ni itohosiku obosu. Kegarahi to ihu koto ha aru mazikere do, ohom-tomo no hitome mo are ba, nobori tamaha de, mi-kuruma no sidi wo mesi te, tumado no mahe ni zo wi tamahi keru mo, mi-gurusikere ba, ito sigeki kono sita ni, koke wo o-masi nite, to-bakari wi tamahe ri. "Ima ha koko wo ki te mi m koto mo kokoro-ukaru besi." to nomi, mi-megurasi tamahi te,
4.4.4  「 我もまた憂き古里を荒れはてば
 「わたしもまた、嫌なこの古里を離れて、荒れてしまったら
  われもまたうきふるさとをあれはてば
    "Ware mo mata uki hurusato wo are hate ba
4.4.5   誰れ宿り木の蔭をしのばむ
  誰がここの宿の事を思い出すであろうか
  たれ宿り木のかげをしのばん
    tare yadorigi no kage wo sinoba m
4.4.6   阿闍梨、今は律師なりけり。召して、この法事のことおきてさせたまふ。念仏僧の数添へなどせさせたまふ。「 罪いと深かなるわざ」と思せば、軽むべき ことをぞすべき、七日七日に経仏供養ずべきよしなど、こまかにのたまひて、いと暗うなりぬるに帰りたまふも、「 あらましかば、今宵帰らましやは」とのみなむ。
 阿闍梨は、今では律師になっていた。呼び寄せて、この法事の事をお命じ置きになる。念仏僧の数を増やしたりなどおさせになる。「罪障のとても深いことだ」とお思いになると、その軽くなることをするように、七日七日ごとにお経や仏を供養するようになど、こまごまとお命じになって、たいそう暗くなったのでお帰りになるのも、「もしも生きていたら、今夜のうちに帰ろうか」とばかりである。
こんな歌を口ずさんだ。以前の阿闍梨あじゃりも今は律師になっていた。その人を呼び寄せて浮舟うきふねの法事のことを大将は指図さしずしていた。念仏の僧の数を増させることなども命じたのであった。自殺者の罪の重いことを考えてその滅罪の方法も大将はとりたい、七日七日に経巻と仏像の供養をすることなども言い置いて、暗くなったのに帰って行く時、あの人がいたならば今夜は帰ることでないのであると悲しかった。
  Azyari, ima ha Rissi nari keri. Mesi te, kono hohuzi no koto oki te sase tamahu. Nenbutu-sou no kazu sohe nado se sase tamahu. "Tumi ito hukaka' naru waza." to obose ba, karomu beki koto wo zo su beki, nanu-ka nanu-ka ni kyau Hotoke kuyau-zu beki yosi nado, komaka ni notamahi te, ito kurau nari nuru ni kaheri tamahu mo, "Ara-masika ba, koyohi kahera masi ya ha!" to nomi nam.
4.4.7  尼君に消息せさせたまへれど、
 尼君にも挨拶をおさせになったが、
 尼君の所へ人をやったが、
  Ama-Gimi ni seusoko se sase tamahe re do,
4.4.8  「 いともいともゆゆしき身をのみ思ひたまへ沈みて、いとどものも思ひたまへられず、ほれはべりてなむ、 うつぶし臥してはべる」
 「とてもとても不吉な身だとばかり存じられ沈み込んで、ますます何も考えられず、茫然として、臥せっております」
 「私と申すものが凶事のしるしのように思われまして、心をめいらせておりますこのごろは、以前よりもいっそうぼけてしまいまして、うつ伏しにやすんだままでおります」
  "Ito mo ito mo yuyusiki mi wo nomi omohi tamahe sidumi te, itodo mono mo omohi tamahe rare zu, hore haberi te nam, utubusi husi te haberu."
4.4.9  と聞こえて、出で来ねば、しひても立ち寄りたまはず。
 と申し上げて、出て来ないので、無理してはお立ち寄りにならない。
 と言い、話しに出てこなかったので、しいて逢おうとは言わなかった。
  to kikoye te, ide-ko ne ba, sihite mo tati-yori tamaha zu.
4.4.10  道すがら、とく迎へ取りたまはずなりにけること悔しう、水の音の聞こゆる限りは、心のみ騷ぎたまひて、「 骸をだに尋ねず、あさましくてもやみぬるかな。いかなるさまにて、 いづれの底のうつせに混じりけむ 」など、やる方なく思す。
 道中、早くお迎えしなかったことが悔しく、川の音が聞こえる間は、心も落ち着きなさらず、「亡骸さえも捜さず、情けないことに終わってしまったなあ。どのような状態で、どこの川底に貝殻とともにいるのであろうか」などと、やるせなくお思いになる。
 みちすがら薫は浮舟を早く京へ迎えなかったことの後悔ばかりを覚えて、水の音の聞こえてくる間は心が騒いでしかたがなかった。遺骸だけでも捜してやることをしなかったと残念でならないのであった。どんなふうになってどこの海の底の貝殻かいがらに混じってしまったかと思うと遣瀬やるせなく悲しいのであった。
  Mitisugara, toku mukahe tori tamaha zu nari ni keru koto kuyasiu, midu no oto no kikoyuru kagiri ha, kokoro nomi sawagi tamahi te, "Kara wo dani tadune zu, asamasiku te mo yami nuru kana! Ika naru sama nite, idure no soko no utuse ni maziri kem." nado, yaru-kata-naku obosu.
注釈337宮の上の中君が。4.4.1
注釈338人形とつけそめたりしさへ「人形」は祓いの後に水に流されもの。4.4.1
注釈339ただわが過ちに失ひつる人なり薫の後悔の念。4.4.1
注釈340母のなほ以下「しなしけるなめり」まで、薫の心中の思い。4.4.1
注釈341後の後見も死後の世話、葬送の儀式。4.4.1
注釈342いかに思ふらむ以下「思ふなるらむかし」まで、薫の心中の思い。浮舟の母の心中を忖度。4.4.2
注釈343わがゆかりに自分の縁者、薫の正室女二宮の方から何かあったのではないか、と。4.4.2
注釈344穢らひといふことは浮舟が死んだ場所の穢れ。4.4.3
注釈345御供の人目もあれば世間や供人には病死と言ってある。4.4.3
注釈346昇りたまはで穢れに触れないよう室内に上がらない。4.4.3
注釈347今は以下「心憂かるべし」まで、薫の思い。4.4.3
注釈348我もまた憂き古里を荒れはてば誰れ宿り木の蔭をしのばむ薫の独詠歌。八宮、大君、中君に続いて自分薫までが、の意。4.4.4
注釈349阿闍梨今は律師なりけり律師は、僧正、僧都に次ぐ地位。4.4.6
注釈350罪いと深かなるわざ薫の思い。「自殺者殺生之随一也」(河海抄所引)。「なる」伝聞推定の助動詞。4.4.6
注釈351あらましかば今宵帰らましやは薫の思い。浮舟が生きていたら。反実仮想の構文。反語表現。4.4.6
注釈352いともいとも以下「臥してはべる」まで、弁尼の返事。4.4.8
注釈353うつぶし臥して『河海抄』は「世を厭ひ木のもとごとに立ちよりてうつぶし染めの麻の衣なり」(古今集雑体、一〇六八、読人しらず)を指摘。4.4.8
注釈354骸をだに以下「混じりけむ」まで、薫の心中の思い。4.4.10
注釈355いづれの底のうつせに混じりけむ「うつせ」は「うつせ貝」、空になった貝。『弄花抄』は「今日今日とわが待つ君は石川の貝に交じりてありといはずやも」(万葉集巻二、依羅娘子)を指摘。4.4.10
出典7 うつせに混じり 今日今日と我が待つ君は石川の貝に混じてありといはずやも 万葉集巻二-二二四 依羅娘子 4.4.10
校訂16 見めぐらし 見めぐらし--見(見/+め)くらし 4.4.3
校訂17 ことを ことを--(/+こ<朱>)とを 4.4.6
4.5
第五段 薫、浮舟の母に手紙す


4-5  Kaoru sends a mail to Ukifune's mother

4.5.1  かの母君は、京に子産むべき娘のことにより、 慎み騒げば例の家にもえ行かず、すずろなる 旅居のみして、思ひ慰む折もなきに、「また、これもいかならむ」と思へど、平らかに産みてけり。ゆゆしければ、え寄らず、 残りの人びとの上もおぼえず、ほれ惑ひて過ぐすに、大将殿より御使忍びてあり。ものおぼえぬ心地にも、いとうれしくあはれなり。
 あの母君は、京で子を産む予定の娘のことによって、穢れを騒ぐので、いつものわが家にも行かず、心ならずも旅寝ばかり続けて、思い慰む時もないので、「また、この娘もどうなるのだろうか」と心配するが、無事に出産したのであった。穢れているので、立ち寄ることもできず、残りの家族のことも考えられず、茫然として過ごしていると、大将殿からお使いがこっそりと来た。何も考えられない気持ちにも、たいそう嬉しく感動した。
 常陸夫人は京に産をする娘のあるために潔斎潔斎ときびしく言われる家へははいれないで、他のところにいて悲しみの休むひまもないのである、その娘もまたどうなることかと不安だったがそれは安産した。けがれがあってはこれも見に行くことができないのである、そのほかの子供たちのことも皆忘れたようになり、茫然ぼうぜんとしている時に右大将からそっと使いが来て手紙をもらった。ぼけている心にもそれはうれしかったが、また悲しくもなった。
  Kano Haha-Gimi ha, kyau ni ko umu beki musume no koto ni yori, tutusimi sawage ba, rei no ihe ni mo e ika zu, suzuro naru tabi-wi nomi si te, omohi-nagusamu wori mo naki ni, "Mata, kore mo ika nara m." to omohe do, tahiraka ni umi te keri. Yuyusikere ba, e yora zu, nokori no hito-bito no uhe mo oboye zu, hore madohi te sugusu ni, Daisyau-dono yori ohom-tukahi sinobi te ari. Mono oboye nu kokoti ni mo, ito uresiku ahare nari.
4.5.2  「 あさましきことは、まづ聞こえむと思ひたまへしを、心ものどまらず、目もくらき心地して、まいていかなる 闇にか惑はれたまふらむと 、そのほどを過ぐしつるに、はかなくて日ごろも経にけることをなむ。世の常なさも、いとど思ひのどめむ方なくのみはべるを、思ひの外にもながらへば、 過ぎにし名残とは、かならずさるべきことにも尋ねたまへ」
 「あまりの出来事に、さっそくお見舞い申そうと存じてましたが、気持ちも落ち着かず、目も涙に暮れた心地がして、それ以上にどんなにか心が闇に暮れていらっしゃるだろうかと、暫く待っていましたうちに、あっという間に幾日もたってしまったこと。世の中の無常も、ますます呑気に構えていられない気がしますが、案外に生き永らえましたら、亡くなった方の縁者として、きっと何かの時には声をかけてください」
 思いがけぬ不幸にあい、まずあなたに悲しみを訴えたいと思ったのですが、心が落ち着かず、また涙に目も暗くなる気がして実行はできませんでした。ましてあなたはどんなに悲しんでおいでになることだろう。涙に沈んでおいでになることだろうと思いますと、手紙をあげてもお読みにはなれまいと遠慮も申しているうちに日がずんずんとたちました。人生の常なさがことごとに形となってわれらをおびやかします。この悲しみにも堪える力の許されて、私が生きていましたなら、故人の縁のあった者として何かのことは御相談もしてください。
  "Asamasiki koto ha, madu kikoye m to omohi tamahe si wo, kokoro mo nodomara zu, me mo kuraki kokoti si te, maite ika naru yami ni ka madoha re tamahu ram to, sono hodo wo sugusi turu ni, hakanaku te hi-goro mo he ni keru koto wo nam. Yo no tune nasa mo, itodo omohi nodome m kata naku nomi haberu wo, omohi no hoka ni mo nagarahe ba, sugi ni si nagori to ha, kanarazu saru-beki koto ni mo tadune tamahe."
4.5.3  など、こまかに書きたまひて、御使には、 かの大蔵大輔をぞ賜へりける。
 などと、こまごまとお書きになって、お使いには、あの大蔵大輔を差し向けなさった。
 などとこまやかな心で書かれたものだった。使いにはあの大蔵大輔たゆうが来たのである。
  nado, komaka ni kaki tamahi te, ohom-tukahi ni ha, kano Ohokura-no-Tihu wo zo tamahe ri keru.
4.5.4  「 心のどかによろづを思ひつつ、 年ごろにさへなりにけるほど、かならずしも心ざしあるやうには見たまはざりけむ。されど、今より後、何ごとにつけても、かならず忘れきこえじ。また、さやうにを人知れず思ひ置きたまへ。幼き人どももあなるを、朝廷に仕うまつらむにも、かならず後見思ふべくなむ」
 「悠長に万事を構えて、幾年もたってしまったので、必ずしも誠意があるようには御覧にならなかったでしょう。けれども、今から後は、何事につけても、必ずお忘れ申し上げまい。また、そのように内々にお思いおきください。幼いお子様もいると聞いていますが、朝廷にお仕えなさるにつけても、必ず力添えしましょう」
 「すべてを気長に考えていたものですから、かなり月日はたっていても、必ずしも私を誠意のある婿とは思ってくださらなかったでしょう。しかし今は何につけてもあなたの御一家のことは念頭に置いて忘れますまい。またそのように内々信じてくだすって、お力になるものと思っていてください。小さい息子むすこさんたちもあるそうですが、仕官をおさせになる場合には必ず後援をするつもりで私はいます」
  "Kokoro nodoka ni yorodu wo omohi tutu, tosi-goro ni sahe nari ni keru hodo, kanarazu-simo kokorozasi aru yau ni ha mi tamaha zari kem. Saredo, ima yori noti, nani-goto ni tuke te mo, kanarazu wasure kikoye zi. Mata, sayau ni wo hito-sire-zu omohi-oki tamahe. Wosanaki hito-domo mo a' naru wo, ohoyake ni tukau-matura m ni mo, kanarazu usiromi omohu beku nam."
4.5.5  など、 言葉にものたまへり。
 などと、口頭でもおっしゃった。
 と、言葉でも伝えさせた。
  nado, kotoba ni mo notamahe ri.
注釈356慎み騒げば京の娘は出産を控えて死穢に触れることを避けている。4.5.1
注釈357例の家にも夫常陸介の家。4.5.1
注釈358旅居のみして『集成』は「三条の小家にでもいるのであろう」と注す。4.5.1
注釈359残りの人びとの上も浮舟以外の娘たちの身の上。4.5.1
注釈360あさましきことは以下「尋ねたまへ」まで、薫の手紙。浮舟の死をさす。4.5.2
注釈361闇にか惑はれたまふらむと『河海抄』は「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)を指摘。4.5.2
注釈362過ぎにし名残とは『集成』は「亡き人(浮舟)の形見とも思われて」と注す。4.5.2
注釈363かの大蔵大輔薫の家司、仲信。4.5.3
注釈364心のどかに以下「思ふべくなむ」まで、薫が仲信に伝えさせた口上。4.5.4
注釈365年ごろにさへなりにけるほど昨秋から今年の四月までの間。浮舟を宇治に置いておいた間。4.5.4
出典8 闇にか惑はれ 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 4.5.2
校訂18 言葉に 言葉に--ことはる(はる/$はに<朱>) 4.5.5
4.6
第六段 浮舟の母からの返書


4-6  Ukifune's mother replies to Kaoru

4.6.1   いたくしも忌むまじき穢らひなれば、「 深うしも触れはべらず」など言ひなして、せめて呼び据ゑたり。 御返り、泣く泣く書く。
 たいそう厳重に慎まなくてもよい穢れなので、「大して穢れに触れていません」などと言って、強いて招じ入れた。お返事は、泣きながら書く。
 ひどく忌む性質の穢れでもないからと言って、夫人はしいて大輔を座敷へ招じた。そして返事を泣く泣く書いていた。
  Itaku simo imu maziki kegarahi nare ba, "Hukau mo hure habera zu." nado ihi-nasi te, semete yobi suwe tari. Ohom-kaheri, naku-naku kaku.
4.6.2  「 いみじきことに死なれはべらぬ命を、心憂く思うたまへ嘆きはべるに、かかる仰せ言見はべるべかりけるにや、となむ。
 「大変な悲しみにも死ぬことができません命を、情けなく存じ嘆いておりますが、このような仰せ言を拝見するためだったのでしょうか、と思います。
 悲しい思いをいたしますだけでは死なれませぬ命を歎いております私へ、もったいないおいたわりの言葉などのいただけますとは夢想もいたしませんでした。
  "Imiziki koto ni sina re habera nu inoti wo, kokoro-uku omou tamahe nageki haberu ni, kakaru ohose-goto mi haberu bekari keru ni ya, to nam.
4.6.3  年ごろは、心細きありさまを見たまへながら、それは数ならぬ身のおこたりに思ひたまへなしつつ、 かたじけなき御一言を、行く末 長く頼みきこえはべりしに、いふかひなく見たまへ果てては、 里の契りもいと心憂く悲しくなむ。
 長年、心細い様子を拝見しながら、それは一人前でない身のつたなさのせいであると存じましたが、恐れ多いお言葉を、将来末長くご信頼申し上げておりましたが、何とも言いようのない事になってしまって、里の名の縁もまことに情けなく悲しうございます。
 故人がおりました間、心細い様子は見ておりながら、それは私自身の無力からであると存じまして、ただおそれ多い行く末かけてのあたたかいお言葉一つを頼みにいたしておりましたが、死なせましてあとではあの地との因縁が悲しくばかり思われてなりません。
  Tosi-goro ha, kokoro-bosoki arisama wo mi tamahe nagara, sore ha kazu nara nu mi no okotari ni omohi tamahe nasi tutu, katazikenaki ohom-hito-koto wo, yukusuwe nagaku tanomi kikoye haberi si ni, ihukahinaku mi tamahe hate te ha, sato no tigiri mo ito kokoro-uku kanasiku nam.
4.6.4   さまざまにうれしき仰せ言に、命延びはべりて、今しばしながらへはべらば、なほ、頼みきこえはべるべきにこそ、と思ひたまふるにつけても、 目の前の涙にくれて、え聞こえさせやらずなむ」
 いろいろと嬉しい仰せ言を戴き、寿命も延びまして、もう暫く長生きしましたら、やはり、お頼り申し上げますこと、と存じますにつけても、目の前が涙に暮れまして、何事も申し上げ切れません」
 いろいろと将来のことでうれしい仰せを賜わりましたことで、命の延びることにもなりまして、今しばらく生きてまいれますことになりましたら、その息子たちのことであなた様のお力におすがり申し上げる日もあろうと思いますにつけましても、あの人の亡くなってありませぬ現在の悲しみに目も涙で暗くなるばかりでございまして、感謝の思いも書き尽くすことができませんのをお許しください。
  Sama-zama ni uresiki ohose-goto ni, inoti nobi haberi te, ima sibasi nagarahe habera ba, naho, tanomi kikoye haberu beki ni koso, to omohi tamahuru ni tuke te mo, me no mahe no namida ni kure te, e kikoye sase yara zu nam."
4.6.5  など書きたり。御使に、なべての禄などは見苦しきほどなり。飽かぬ心地もすべければ、 かの君にたてまつらむと心ざして持たりける、 よき班犀の帯、太刀のをかしきなど、袋に入れて、車に乗るほど、
 などと書いた。お使いに、普通の禄では見苦しいときである。不満足な気もするにちがいないので、あの君に差し上げようと用意して持っていた、立派な斑犀の帯や、太刀の素晴らしいのなどを、袋に入れて、車に乗る時に、
 などと書いた。使いへの贈り物に普通の品を出すべき場合ではないし、またそれだけでは不満足な感じをあとでみずから覚えさせられることであろうからと思い、貴重品として将来は故人の姫君に与えようと考えていた高級な斑犀はんさい石帯せきたいとすぐれた太刀たちなどを袋に入れ、車へ使いが乗る時いっしょに積ませた。
  nado kaki tari. Ohom-tukahi ni, nabete no roku nado ha mi-gurusiki hodo nari. Aka nu kokoti mo su bekere ba, kano Kimi ni tatematura m to kokorozasi te mo' tari keru, yoki hanzai-no-obi, tati no wokasiki nado, hukuro ni ire te, kuruma ni noru hodo,
4.6.6  「 これは昔の人の御心ざしなり
 「これは故人のお志です」
 「これは故人の志でございます」
  "Kore ha mukasi no hito no mi-kokorozasi nari."
4.6.7  とて、 贈らせてけり
 と言って、贈らせた。
 と言わせて贈ったのであった。
  tote, okura se te keri.
4.6.8  殿に御覧ぜさすれば、
 殿に御覧に入れると、
 帰った使いは贈られた品を大将に見せると、
  Tono ni go-ran-ze sasure ba,
4.6.9  「 いとすぞろなるわざかな
 「今さらしなくてもよいことをしたものだな」
 「よけいなことをするものだね」
  "Ito suzoro naru waza kana!"
4.6.10  とのたまふ。 言葉には
 とおっしゃる。口上には、
 と薫は言った。使いの伝えた言葉は、
  to notamahu. Kotoba ni ha,
4.6.11  「 みづから会ひはべりたうびて、いみじく泣く泣くよろづのことのたまひて、 幼き者どものことまで仰せられたるが、いともかしこきに、また数ならぬほどは、なかなかいと恥づかしう、 人に何ゆゑなどは知らせはべらであやしきさまどもをも皆参らせはべりて、さぶらはせむ、となむものしはべりつる」
 「ご自身がお会いくださって、ひどく泣きながらいろいろなことをおっしゃって、幼い子のことまでご心配になったのが、まこともったいなくて、また一人前でもない身分の者にとっては、かえってまことに恥ずかしく、誰にもどのような関係でなどとは知らせませんで、不出来な子供たちをも皆参上させまして、お仕えさせましょう、と言っておりました」
 「奥さんが自身でお逢いになりまして、非常に悲しい御様子で、泣く泣くいろいろの話をなさいました。若い息子たちのことまでも御親切におっしゃっていただきましたことはもったいないことで、うれしく存じますが、しかしながらまたあまりに恐縮な当方の身分でございますから、人には何のためにとは絶対に知らせぬようにいたしまして、できのよろしい子供たちだけを皆おやしきへ差し上げることにしましょうということでした」
  "Midukara ahi haberi taubi te, imiziku naku-naku yorodu no koto notamahi te, wosanaki mono-domo no koto made ohose rare taru ga, ito mo kasikoki ni, mata kazu nara nu hodo ha, naka-naka ito hadukasiu, hito ni nani yuwe nado ha sira se habera de, ayasiki sama-domo wo mo mina mawira se haberi te, saburaha se m, to nam monosi haberi turu."
4.6.12  と聞こゆ。
 と申し上げる。

  to kikoyu.
4.6.13  「 げに、ことなることなき ゆかり睦びにぞあるべけれど、帝にも、 さばかりの人の娘たてまつらずやはある。それに、さるべきにて、時めかし思さむは、 人の誹るべきことかは。ただ人、はた、あやしき女、 世に古りにたるなどを持ちゐるたぐひ多かり。
 「なるほど、見栄えのしない親戚付き合いのようだが、帝にも、その程度の身分の人の娘を差し上げなかったことがあろうか。それに、前世からの因縁で、寵愛なさるのを、人が非難することであろうか。臣下では、また、卑しい女や、いったん結婚した女などをもっている例は多かった。
 その言葉どおりに奇妙な親戚しんせき関係と人には見られることであろうが、宮中へそうした地方官が娘を差し上げないこともないのであるし、また素質がよくて帝王がそれをお愛しになることになってもおそしりする者はないはずである、人臣である人たちはまして世間から無視されている階級の家の娘を妻にしている類も多いのである、
  "Geni, koto naru koto naki yukari mutubi ni zo aru bekere do, Mikado ni mo, sabakari no hito no musume tatematura zu yaha aru. Sore ni, saru-beki nite, tokimekasi obosa m ha, hito no sosiru beki koto kaha. Tadaudo, hata, ayasiki womna, yo ni huri ni taru nado wo moti wiru taguhi ohokari.
4.6.14  かの守の娘なりけりと、人の言ひなさむにも、 わがもてなしの、それに穢るべくありそめたらばこそあらめ、一人の子をいたづらになして思ふらむ親の心に、なほこのゆかりこそおもだたしかりけれ、と思ひ知るばかり、用意はかならず見すべきこと」と思す。
 あの介の娘であったと、人が取り沙汰しても、自分の取り扱いが、そのことで汚点とされるような形で始まったのならともかく、一人の子を亡くして悲しんでいる親の気持ちを、やはり娘の縁で面目を施すことができた、と分かる程度に、配慮は必ずしてやろう」とお思いになる。
 常陸守ひたちのかみの娘であったと人が言っても自分の恋愛の径路が悪いものであれば指弾もされようが、そんなことではないのであるからはばかる必要もない、一人の大事な娘を不幸に死なせた母親を、その子ののこした縁故から一家に名誉の及ぶことで慰めるほどの好意はぜひとも自分の見せてやらねばならないのが道であると薫は思った。
  Kano Kami no musume nari keri to, hito no ihi-nasa m ni mo, waga motenasi no, sore ni kegaru beku ari some tara ba koso ara me, hitori no ko wo itadura ni nasi te omohu ram oya no kokoro ni, naho kono yukari koso omodatasikari kere, to omohi siru bakari, youi ha kanarazu misu beki koto." to obosu.
注釈366いたくしも忌むまじき穢らひなれば浮舟の死は邸宅内での死ではないので。4.6.1
注釈367深うしも触れはべらず浮舟母の詞。4.6.1
注釈368御返り浮舟母から薫への返書。4.6.1
注釈369いみじきことに以下「やすからずなむ」まで、浮舟母の返書。4.6.2
注釈370かたじけなき御一言を薫が浮舟を京の邸に迎えようと言ったこと。4.6.3
注釈371里の契りも宇治という地名。「憂し」に通じる。4.6.3
注釈372さまざまにうれしき仰せ言に自分のことや子供たちの将来のことに目をかけてくれるという言葉に。4.6.4
注釈373目の前の涙にくれて『全書』は「行く先を知らぬ涙の悲しきはただ目の前に落つるなりけり」(後撰集、離別羇旅、一三三三、源済)を指摘。4.6.4
注釈374かの君に浮舟に。4.6.5
注釈375よき班犀の帯太刀のをかしきなど斑犀の帯、太刀。『集成』は「浮舟にさし上げて、家臣の料などに与えてもらう積りだったのであろう。「斑犀の帯」は、斑文のある犀角を飾りにした石帯。四位五位の束帯に用いる」と注す。4.6.5
注釈376これは昔の人の御心ざしなり浮舟母の詞。
【昔の人】−故人浮舟。
4.6.6
注釈377贈らせてけり召使をして贈らせた。使者に帰り際に贈り物ををする作法。4.6.7
注釈378いとすぞろなるわざかな薫の詞。4.6.9
注釈379言葉には口上には、の意。4.6.10
注釈380みづから会ひはべりたうびて浮舟母自身が。4.6.11
注釈381幼き者どもの以下「さぶらはせむ」まで、浮舟母の詞を引用。4.6.11
注釈382人に何ゆゑなどは知らせはべらで『完訳』は「浮舟が薫の妻妾にまでならなかったことからの配慮」と注す。4.6.11
注釈383あやしきさまどもを浮舟の異母弟たちを謙遜していう。4.6.11
注釈384げにことなることなき以下「見すべきこと」まで、薫の心中の思い。4.6.13
注釈385ゆかり睦び親戚付き合い。4.6.13
注釈386さばかりの人の娘たてまつらずやはある反語表現。受領の娘が後宮に入内した例はある。4.6.13
注釈387人の誹るべきことかは反語表現。非難できない。4.6.13
注釈388世に古りにたるなどをいちど結婚したことのある女。4.6.13
注釈389わがもてなしのそれに穢るべく『集成』は「浮舟とは正式な結婚をしたわけではないから、女の身分を云々されても、自分の落度にはならない、の意」と注す。4.6.14
校訂19 長く 長く--なかう(う/$く) 4.6.3
4.7
第七段 常陸介、浮舟の死を悼む


4-7  Hitachi-no-kami mourns for the death of Ukifune

4.7.1   かしこには、常陸守、 立ちながら来て、「 折しも、かくてゐたまへることなむ」と腹立つ。年ごろ、 いづくになむおはするなど、ありのままにも知らせざりければ、「 はかなきさまにておはすらむ」と思ひ言ひけるを、「 京になど迎へたまひて後、面目ありて、など知らせむ」と思ひけるほどに、かかれば、今は隠さむもあいなくて、ありしさま泣く泣く語る。
 あちらでは、常陸介が、やって来て立ったままで、「こんな時に、こうしておいでになるとは」と腹を立てる。長年、どこそこにいらっしゃるなどと、事実を知らせなかったので、「見すぼらしい有様でおいでになろう」と思い言ってもいたが、「京などにお迎えになった後は、名誉なことで、などと知らせよう」と思っていたうちに、このような事になってしまったので、今は隠すことも意味がなくて、生前の有様を泣きながら話す。
 母の隠れ家へは常陸守が来て立ちながら話すのであったが、娘に出産のあったおりもおりにだれかの触穢しょくえを言い立てて引きこもっていることなどで腹だたしいふうに言っていた。去年の夏以来姫君がどこにいるかをありのままには夫人の言ってなかった常陸守であったから、寂しい生活をしていることであろうと思いもし、言いもしていたのを大将に京へ迎え入れられたあとで、名誉な結婚をしたと知らせようとも夫人が思っていたうちに浮舟は死んでしまったのであったから、隠しておくのもむだなことであると夫人は思い、薫と結婚をして宇治に住まわせられていたこと、そして病んで死んだ話を泣く泣く語るのであった。
  Kasiko ni ha, Hitati-no-Kami, tati nagara ki te, "Wori simo, kaku te wi tamahe ru koto nam." to hara-datu. Tosi-goro, iduku ni nam ohasuru nado, ari no mama ni mo sira se zari kere ba, "Hakanaki sama nite ohasu ram." to omohi ihi keru wo, "Kyau ni nado mukahe tamahi te noti, menboku ari te, nado sira se m." to omohi keru hodo ni, kakare ba, ima ha kakusa m mo ainaku te, arisi sama naku-naku kataru.
4.7.2  大将殿の御文もとり出でて見すれば、 よき人かしこくして、鄙び、ものめでする人にて、おどろき臆して、うち返しうち返し、
 大将殿のお手紙も取り出して見せると、貴人を崇めて、田舎者で、何事にも感心する人なので、びっくりして気後れして、繰り返し繰り返し、
 薫からもらった手紙も出して見せると、貴人を崇拝する田舎いなか風な性質になっている守は驚きもしおくしもしながら繰り返し繰り返し薫の手紙を読んでいる。
  Daisyau-dono no ohom-humi mo tori-ide te misure ba, yoki hito kasikoku si te, hinabi, mono-mede suru hito nite, odoroki oku-si te, uti-kahesi uti-kahesi,
4.7.3  「 いとめでたき御幸ひを 捨てて亡せたまひにける人かな。おのれも殿人にて、参り仕うまつれども、近く召し使ふこともなく、いと気高く思はする殿なり。若き者どものこと仰せられたるは、頼もしきことになむ」
 「まことにめでたいご幸運を捨ててお亡くなりになった人だなあ。自分も殿の家来として、参上してお仕えしていたが、近くにお召しになってお使いになることはなく、たいそう気高く思われる殿である。幼い子供たちのことをおっしゃってくださったのは、頼もしいことだ」
 「幸福で名誉な地位を得ていて死んだ方だ。自分も大将の家人けにんの数にはしていただいている者で、お邸へはまいることがあっても近くお使いになることもなかった。とても気高けだかい殿様なのだ。息子たちのことを言ってくだすったのは非常にあれらのために頼もしいことだ」
   "Ito medetaki ohom-saihahi wo sute te use tamahi ni keru hito kana! Onore mo tono-bito nite, mawiri tukau-mature domo, tikaku mesi-tukahu koto mo naku, ito kedakaku omohasuru Tono nari. Wakaki mono-domo no koto ohose rare taru ha, tanomosiki koto ni nam."
4.7.4  など、 喜ぶを見るにも、「まして、おはせましかば」と思ふに、臥しまろびて泣かる。
 などと、喜ぶのを見るにつけても、「それ以上に、生きておいでになったら」と思うと、臥し転んで泣けてくる。
 こう言って喜ぶのを見ても、まして姫君が大将夫人として生きていたならばと思わないではいられない夫人は、しまろんで泣いていた。
  nado, yorokobu wo miru ni mo, "Masite, ohase masika ba." to omohu ni, husi marobi te naka ru.
4.7.5  守も今なむうち泣きける。 さるは、おはせし世には、なかなか、かかるたぐひの人しも、尋ねたまふべきにしも あらずかし。「 わが過ちにて失ひつるもいとほし。慰めむ」と思すよりなむ、「 人の誹り、ねむごろに尋ねじ」と思しける。
 介も今になって泣くのであった。その反面、生きていらした時には、かえって、このような類の人を、お尋ねになるようなことはなかってたのだ。「自分の過失によって亡くしたのもお気の毒だ。慰めよう」とお思いになったため、「他人の非難は、こまごまと考えまい」とお思いなのであった。
 守もこの時になってはじめて泣いた。しかしながら浮舟が生きているとすれば、かえって異父弟の世話を引き受けようなどと薫はしなかったことであろうと思われる。自身の過失から常陸夫人の愛女を死なせたのがかわいそうで、せめて慰めを与えることだけはしたいと思う心から、他のそしりがあろうとも深く気にとめまいという気になっているのである。
  Kami mo ima nam uti-naki keru. Saruha, ohase si yo ni ha, naka-naka, kakaru taguhi no hito simo, tadune tamahu beki ni simo ara zu kasi. "Waga ayamati ni te usinahi turu mo itohosi. Nagusame m." to obosu yori nam, "Hito no sosiri, nemgoro ni tadune zi." to obosi keru.
注釈390かしこには三条の小家。浮舟母のいる所。4.7.1
注釈391立ちながら来て『集成』は「ちょっとやって来て」と訳す。4.7.1
注釈392折しもかくてゐたまへることなむ常陸介の詞。娘の出産という重大な時期に、の意。4.7.1
注釈393いづくになむおはするなど主語は浮舟。4.7.1
注釈394はかなきさまにておはすらむ常陸介の心中。主語は浮舟。4.7.1
注釈395京になど迎へたまひて後以下「など知らせむ」まで、浮舟母の心中。4.7.1
注釈396よき人かしこくして鄙びものめでする人にて高貴な人を崇めて田舎人らしく何にでも感心する性格。4.7.2
注釈397いとめでたき御幸ひを以下「頼もしきことになむ」まで、常陸介の詞。4.7.3
注釈398喜ぶを見るにも主語は浮舟母。4.7.4
注釈399さるはおはせし世には--あらずかし『万水一露』は「薫の心を草子の地にいへる也」と注す。4.7.5
注釈400わが過ちにて以下「慰めむ」まで、薫の心中。4.7.5
注釈401人の誹りねむごろに尋ねじ薫の心中。4.7.5
校訂20 捨てて亡せ 捨てて亡せ--すてみ(み/#てう<朱>)せ 4.7.3
4.8
第八段 浮舟四十九日忌の法事


4-8  Kaoru holds the forty-ninth day of Buddhist service for Ukifune's death

4.8.1  四十九日のわざなどせさせたまふにも、「 いかなりけむことにかは」と思せば、 とてもかくても罪得まじきことなれば、いと忍びて、かの律師の寺にてせさせたまひける。六十僧の布施など、大きにおきてられたり。母君も来ゐて、事ども添へたり。
 四十九日の法事などもおさせになるにつけても、「いったいどういうことになったのか」とお思いになるので、いずれにしても罪になることではないから、たいそうこっそりと、あの律師の寺でおさせになった。六十人の僧のお布施など、大がかりに仰せつけになっていた。母君も来ていて、お布施を加えた。
 薫は四十九日の法事の用意をさせながらも実際はどうあの人はなったのであろう、まだ一点の疑いは残されていると思うのであるが、仏への供養をすることは人の生死にかかわらず罪になることではないからと思い、ひそかに宇治の律師の寺で行なわせることにしているのであった。六十人の僧に出す布施の用意もいかめしく薫はさせた。母夫人も法会には来ていて、式をはなやかにする寄進などをした。
  Sizihu-ku-niti no waza nado se sase tamahu ni mo, "Ika nari kem koto ni kaha." to obose ba, totemo-kakutemo tumi u maziki koto nare ba, ito sinobi te, kano Rissi no tera ni te se sase tamahi keru. Roku-zihu sou no huse nado, ohoki ni okite rare tari. Haha-Gimi mo ki wi te, koto-domo sohe tari.
4.8.2   宮よりは、右近がもとに、白銀の壷に黄金入れて賜へり。人見とがむばかり大きなるわざは、えしたまはず、右近が心ざしにてしたりければ、心知らぬ人は、「いかで、かくなむ」など言ひける。 殿の人ども、睦ましき限りあまた賜へり。
 宮からは、右近のもとに、白銀の壷に黄金を入れて賜った。人が見咎めるほどの大げさな法事は、おできになれず、右近の志として催したので、事情を知らない人は、「どうして、このような」などと言った。殿の家来どもで、気心の知れた者ばかり大勢お遣わしになった。
 兵部卿の宮からは右近の手もとへ銀のつぼへ黄金の貨幣を詰めたのをお送りになった。人目に立つほどの派手はでなことはあそばせなかったのである。ただ右近が志として供物にしたのを、事情を知らぬ人たちはどうしてそんなことをしたかと不思議がった。薫のほうからは家司けいしの中でも親しく思われる人たちを幾人もよこしてあった。
  Miya yori ha, Ukon ga moto ni, siro-gane no tubo ni kogane ire te tamahe ri. Hito mi-togamu bakari ohoki naru waza ha, e si tamaha zu, Ukon ga kokorozasi nite si tari kere ba, kokoro-sira nu hito ha, "Ikade, kaku nam." nado ihi keru. Tono no hito-domo, mutumasiki kagiri amata tamahe ri.
4.8.3  「 あやしく。音もせざりつる人の果てを、かく扱はせたまふ。誰れならむ」
 「不思議なこと。噂にも聞かなかった方の法事を、こんなに立派にあそばす。いったい誰であろう」
 在世中はだれもその存在を知らなんだ夫人の法事を、薫がこんなにまで丁寧に営むことによって、どんな婦人であったのか
  "Ayasiku. Oto mo se zari turu hito no hate wo, kaku atukaha se tamahu. Tare nara m."
4.8.4  と、今おどろく人のみ多かるに、 常陸守来て、主人がり居るなむ、あやしと人びと見ける。 少将の子産ませて、いかめしきことせさせむとまどひ、家の内になきものはすくなく、唐土新羅の飾りをもしつべきに、限りあれば、いとあやしかりけり。 この御法事の、忍びたるやうに思したれど、けはひこよなきを見るに、「 生きたらましかば、わが身を並ぶべくもあらぬ人の御宿世なりけり」と思ふ。
 と、今になって驚く人ばかりが多かったが、常陸介が来て、主人顔でいるので、変だと人びとは見るのだった。少将が子を産ませて、盛大なお祝いをさせようと大騷ぎし、邸の中にない物は少なく、唐土や新羅の装飾をもしたいのだが、限界があるので、まことにお粗末な有様であった。この御法事が、人目に立たないようにとお思いであったが、感じが格別であるのを見ると、「もし生きていたらどんなにかと、わが身に比肩できない方のご運勢であったなあ」と思う。
 と驚いて思ってみる人たちも多かったが、常陸守が来ていて、はばかりもなく法会ほうえの主人顔に事を扱っているのをいぶかしくだれも見た。少将の子の生まれたあとの祝いを、どんなに派手に行なおうかと腐心して、家の中にない物は少なく、支那しな、朝鮮の珍奇な織り物などをどうしてどう使おうとおごった考えを持っていた守ではあったが、それは趣味の洗練されない人のことであるから、美しい結果は上がらなかった。それに比べてこの法会の場内の荘厳をきわめたものになっているのを見て、生きていたならば、自分らと同等の階級に置かれる運命の人でなかったのであったと守は悟った。
  to, ima odoroku hito nomi ohokaru ni, Hitati-no-Kami ki te, aruzi-gari woru nam, ayasi to hito-bito mi keru. Seusyau no ko uma se te, ikamesiki koto se sase m to madohi, ihe no uti ni naki mono ha sukunaku, Morokosi Siragi no kazari wo mo situ beki ni, kagiri are ba, ito ayasikari keri. Kono ohom-hohuzi no, sinobi taru yau ni obosi tare do, kehahi koyonaki wo miru ni, "Iki tara masika ba, waga mi wo narabu beku mo ara nu hito no ohom-sukuse nari keri." to omohu.
4.8.5   宮の上も誦経したまひ、 七僧の前のことせさせたまひけり。今なむ、「 かかる人持たまへりけり」と、帝までも聞こし召して、 おろかにもあらざりける人を宮にかしこまりきこえて、隠し置きたまひたりける、いとほしと思しける。
 宮の上も、誦経をなさり、七僧への饗応の事もおさせになった。今になって、「このような人を持っていらしたのだ」と、帝までがお耳にあそばして、並々ならず大切に思っていた人を、宮にご遠慮申して隠していらしたのを、お気の毒にとお思いになった。
 兵部卿の宮の夫人も誦経ずきょうの寄付をし、七僧への供膳きょうぜんの物を贈った。今になって隠れた妻のあったことをみかどもお聞きになり、そうした人を深く愛していたのであろうが、女二にょにみやへの遠慮から宇治などへ隠しておいたのであろう、そして死なせたのは気の毒であると思召した。
  Miya-no-Uhe mo zyukyau si tamahi, siti-sou no mahe no koto se sase tamahi keri. Ima nam, "Kakaru hito mo' tamahe ri keri." to, Mikado made mo kikosi-mesi te, oroka ni mo ara zari keru hito wo, Miya ni kasikomari kikoye te, kakusi-oki tamahi tari keru, itohosi to obosi keru.
4.8.6   二人の人の御心のうち、古りず悲しく、 あやにくなりし御思ひの盛りにかき絶えては、いといみじければ、 あだなる御心は、慰むやなど、こころみたまふこともやうやうありけり
 二人のお方のご心中は、いつまでも悲しく、あいにくな横恋慕の最中に亡くなってしまっては、ひどく悲しいが、浮気なお心は、慰められるかなどと、他の女に言い寄りなさることもだんだんとあるのだった。
 浮舟の死のために若い二人の貴人の心の中はいつまでも悲しくて、正しくない情炎の盛んに立ちのぼっていたころにそのことがあったため、ことに宮のお歎きは非常なものであったが、元来が多情な御性質であったから、慰めになるかと恋の遊戯もお試みになるようなこともようやくあるようになった。
  Hutari no hito no mi-kokoro no uti, huri zu kanasiku, ayaniku nari si ohom-omohi no sakari ni kaki taye te ha, ito imizikere ba, ada naru mi-kokoro ha, nagusamu ya nado, kokoromi tamahu koto mo yau-yau ari keri.
4.8.7   かの殿は、かくとりもちて、何やかやと思して、残りの人を育ませたまひても、なほ、 いふかひなきことを、忘れがたく思す
 あの殿は、このようにお心にかけて、何やかやとご心配なさって、残った人をお世話なさっても、やはり、言って効のないことを、忘れがたくお思いになる。
 薫は故人ののこした身内の者の世話などを熱心にしてやりながらも、恋しさを忘られなく思っていた。
  Kano Tono ha, kaku torimoti te, naniya-kaya to obosi te, nokori no hito wo hagukuma se tamahi te mo, naho, ihukahinaki koto wo, wasure-gataku obosu.
注釈402いかなりけむことにかはと『集成』は「あるいは生きているかもしれない、とも思う」。『完訳』は「遺骸がないだけに不審が残る」と注す。4.8.1
注釈403とてもかくても生きているにせよ亡くなったにせよ、法事は罪障消滅になる。4.8.1
注釈404宮よりは匂宮から。4.8.2
注釈405殿の人ども薫の家人。4.8.2
注釈406あやしく以下「誰れならむ」まで、殿人の心中。4.8.3
注釈407常陸守来て主人がり居る『完訳』は「浮舟の養父というだけでなく、薫からの後援があるという頼もしさも加わって、得意然とする」と注す。4.8.4
注釈408少将の子産ませて左近少将、常陸介の婿。産養いを盛大に行おうとする。4.8.4
注釈409この御法事の、忍びたるやうに思したれど『集成』は「この(浮舟の)ご法要が。以下わが家の産養と比べる常陸の介の心中」と注す。「思し」の主語は薫で、薫に対する敬語であろう。4.8.4
注釈410生きたらましかば以下「宿世なりけり」まで、常陸介の心中。4.8.4
注釈411宮の上も中君。4.8.5
注釈412七僧法会を行う役僧。講師、読師、呪願、三礼、唄、散花、堂達。4.8.5
注釈413かかる人持たまへりけり帝の感想。「持つ」の主語は薫。4.8.5
注釈414おろかにもあらざりける人を以下「いとほし」まで、帝の心中。「人」は浮舟をさす。4.8.5
注釈415宮にかしこまりきこえて女二宮、薫の正妻。4.8.5
注釈416二人の人の御心のうち薫と匂宮。4.8.6
注釈417あやにくなりし御思ひの匂宮についていう。4.8.6
注釈418あだなる御心は慰むやなどこころみたまふこともやうやうありけり匂宮の好色な性格。4.8.6
注釈419かの殿は薫。4.8.7
注釈420いふかひなきことを忘れがたく思す薫の性格。匂宮との対照性を語る。4.8.7
Last updated 5/6/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 5/6/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 5/6/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年8月20日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月12日

Last updated 11/13/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって10/14/2005に自動出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 2.06: Copyrighy (c) 2003,2005 宮脇文経