52 蜻蛉(大島本)


KAGEROHU


薫君の大納言時代
二十七歳三月末頃から秋頃までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from about the last in March to fall at the age of 27

2
第二章 浮舟の物語 浮舟失踪と薫、匂宮


2  Tale of Ukifune  After of Ukifune's disapperarance, Kaoru and Niou-no-miya's perplexity

2.1
第一段 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す


2-1  Kaoru hears of Ukifune's death at Ishiyama-temple

2.1.1  大将殿は、 入道の宮の悩みたまひければ、石山に籠もりたまひて、騷ぎたまふころなりけり。さて、いとど かしこをおぼつかなう思しけれど、はかばかしう、「 さなむ」と言ふ人はなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ 御使のなきを人目も心憂しと思ふに御荘の人なむ参りて、「しかしか」と申させければ、あさましき心地したまひて、 御使、そのまたの日、まだつとめて参りたり。
 大将殿は、母入道の宮がお悩みになったので、石山寺に参籠なさって、おとりこみの最中であった。そうして、ますますあちらを気がかりにお思いになったが、はっきりと、「こうだ」と言う人がいなかったので、このような大変な事件にも、まっさきにご使者がないのを、世間体もつらいと思うが、御荘園の者が参上して、「これこれしかじかです」とご報告申し上げさせたので、驚き呆れた気がなさって、ご使者が、その翌日のまだ早朝に参上した。
 この時に薫は母宮が御病気におなりになって石山寺へ参籠さんろうをあそばされるのに従って行っていて騒がしく暮らしていたのであった。京よりもまだ遠くにいて宇治のことが気がかりでならぬ薫でもあったが、はかばかしく消息をする人もなかったために、葬儀にも大将家の使いの立ち合わなかったのは山荘の人々の情けなく思うところであったが、荘園の人が石山へ行ってはじめて姫君の死は薫へ報じられたのであった。使いはその翌日の早朝に宇治へ来た。
  Daisyau-dono ha, Nihudau-no-Miya no nayami tamahi kere ba, Isiyama ni komori tamahi te, sawagi tamahu koro nari keri. Sate, itodo kasiko wo obotukanau obosi kere do, haka-bakasiu, "Sa nam." to ihu hito ha nakari kere ba, kakaru imiziki koto ni mo, madu ohom-tukahi no naki wo, hitome mo kokoro-usi to omohu ni, mi-syau no hito nam mawiri te, "Sika sika." to mausa se kere ba, asamasiki kokoti si tamahi te, ohom-tukahi, sono mata-no-hi, mada tutomete mawiri tari.
2.1.2  「 いみじきことは、聞くままにみづからもすべきに、 かく悩みたまふ御ことにより、慎みて、かかる所に日を限りて籠もりたればなむ。 昨夜のことはなどか、ここに消息して、日を延べてもさることはするものを、いと軽らかなるさまにて、急ぎせられにける。とてもかくても、同じ言ふかひなさなれど、 とぢめのことをしも、 山賤の誹りをさへ負ふなむ、ここのためもからき」
 「ご一大事は、聞くなりすぐに自分が駆けつけるべきところ、このようにご病気でいらっしゃる御事のために、身を清めて、このような所に日数を決めて参籠しておりますので。昨夜の事は、どうして、こちらに連絡して、日を延期してでもそういうことはするべきものを、たいそう簡略な様子で、急いでなさったのか。どのようにしたところで、同じく言っても始まらないことだが、最後の葬儀さえ、山賤の非難を受けるのが、わたしにとってもつらい」
 非常なことの起こったしらせを受け、すぐにも自分で行くべきですが、母宮の御病気のために日数をきめてこもっているために、それも実行ができません、昨夜にもう葬送を行なったということですが、なぜそれは私へ相談をしませんでしたか、そして日を延べることが普通ではありませんか。しかも簡単に儀式をしてしまったと聞いて残念に思います。どうしてもこうしても同じことですが、一人の人間の最後の式ですから、田舎いなかの人たちのそしりを受けたりすることになっては、自分のためにも迷惑です。
  "Imiziki koto ha, kiku mama ni midukara mo su beki ni, kaku nayami tamahu ohom-koto ni yori, tutusimi te, kakaru tokoro ni hi wo kagiri te komori tare ba nam. Yobe no koto ha, nadoka, koko ni seusoko si te, hi wo nobe te mo saru koto ha suru mono wo, ito karoraka naru sama ni te, isogi se rare ni keru. Tote-mo kakute-mo, onazi ihukahinasa nare do, todime no koto wo simo, yamagatu no sosiri wo sahe ohu nam, koko no tame mo karaki."
2.1.3  など、かの睦ましき 大蔵大輔してのたまへり。御使の来たるにつけても、いとどいみじきに、聞こえむ方なきことどもなれば、ただ涙におぼほれたるばかりをかことにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ。
 などと、あの信任厚い大蔵大輔を使者としておっしゃった。お使いが来たことにつけても、ますます悲しいので、何とも申し上げようのないことなので、ただ涙にくれているだけを口実にして、はっきりともお答え申し上げずに終わった。
 と、あの親しく思っている大蔵大輔たゆうを使いにして言わせたのであった。使いの来たことでまた悲しみが新しくなったし、答える言葉も何と言ってよいかわからぬ時であってみれば、人々は泣くのを挨拶あいさつに代えて何とも申し出すことはできなかった。
  nado, kano mutumasiki Ohokura-no-Taihu si te no tamahe ri. Ohom-tukahi no ki taru ni tuke te mo, itodo imiziki ni, kikoye m kata naki koto-domo nare ba, tada namida ni obohore taru bakari wo ka koto nite, haka-bakasiu mo irahe-yara zu nari nu.
注釈120入道の宮薫の母女三宮。2.1.1
注釈121かしこを浮舟をさす。2.1.1
注釈122さなむと浮舟の入水。2.1.1
注釈123御使のなきを薫の使者。2.1.1
注釈124人目も心憂しと思ふに主語は浮舟の家人たち。2.1.1
注釈125御荘の人なむ参りて薫の荘園の人が石山寺に参籠中の薫のもとに。2.1.1
注釈126御使そのまたの日まだつとめて浮舟の失踪事件が判明した翌日の早朝。薫の使者が宇治に来る。浮舟の葬送は当日の夜に執行され、その後となる。2.1.1
注釈127いみじきことは以下「ここのためもからき」まで、使者の伝える薫の詞。2.1.2
注釈128かく悩みたまふ御ことにより母女三宮の病気平癒のための参籠。2.1.2
注釈129昨夜のことは葬送のこと。夜に荼毘にふす。2.1.2
注釈130などか「急ぎせられにける」に係る。2.1.2
注釈131とぢめのことを葬儀の事。2.1.2
注釈132山賤の誹りをさへ『完訳』は「大夫・内舎人らの批判も薫の耳に入ったらしい」と注す。2.1.2
注釈133大蔵大輔薫の腹心の家司で大蔵大輔仲信。2.1.3
2.2
第二段 薫の後悔


2-2  Kaoru regreted having left Ukifune alone at Uji

2.2.1  殿は、なほ、いとあへなくいみじと聞きたまふにも、
 殿は、やはり、実にあっけなく悲しいとお聞きなるにも、
 薫は思いがけぬ愛人の死に落胆をして、
  Tono ha, naho, ito ahe-naku imizi to kiki tamahu ni mo,
2.2.2  「 心憂かりける所かな。鬼などや住むらむ。などて、今までさる所に据ゑたりつらむ。思はずなる筋の紛れあるやうなりしも、かく放ち置きたるに、心やすくて、 人も言ひ犯したまふなりけむかし
 「何という嫌な土地であろう。鬼などが住んでいるのだろうか。どうして、今までそのような所に置いておいたのだろう。思いがけない方面からの過ちがあったようなのも、こうして放っておいたので、気楽さから、宮も言い寄りなさったのだろう」
 情けない場所である、幽鬼などが住んでいてそうした災厄さいやくをしばしば起こすのでなかろうか、それと気もつかずにどうして長く宇治などへ置いていたのだろう、不快な関係がほかに結ばれたらしいことなども、ああした不用心な所へ住ませておいたためにすきをうかがわせることになったに違いない、
  "Kokoro-ukari keru tokoro kana! Oni nado ya sumu ram? Nado te, ima made saru tokoro ni suwe tari tu ram. Omoha zu naru sudi no magire aru yau nari si mo, kaku hanati-oki taru ni, kokoro-yasuku te, hito mo ihi-wokasi tamahu nari kem kasi."
2.2.3  と思ふにも、わがたゆく世づかぬ心のみ悔しく、御胸痛くおぼえたまふ。 悩ませたまふあたりに、かかること思し乱るるもうたてあれば、 京におはしぬ
 と思うにつけても、自分の迂闊で世間離れした心ばかりが悔やまれて、お胸が痛く思われなさる。お患いあそばしているところで、このような事件でご困惑なさるのも不都合なことなので、京にお帰りになった。
 と思われるのも皆自分の非常識に原因したことであると胸が痛くなるほどにも悔まれた。御病気で専念に仏へ祈っておいでになる母宮のおそばでこんな煩悶はんもんをしているのはよろしくないと思い薫は京のやしきへ帰った。
  to omohu ni mo, waga tayuku yo-duka nu kokoro nomi kuyasiku, ohom-mune itaku oboye tamahu. Nayama se tamahu atari ni, kakaru koto obosi midaruru mo utate are ba, kyau ni ohasi nu.
2.2.4   宮の御方にも渡りたまはず、
 宮の御方にもお渡りにならず、
 夫人の宮のところへは行かずに、
  Miya no ohom-kata ni mo watari tamaha zu,
2.2.5  「 ことことしきほどにもはべらねど、 ゆゆしきことを近う聞きつれば、心の乱れはべるほども忌ま忌ましうて」
 「大したことではございませんが、不吉な事を身近に聞きましたので、気持ちが静まらない間は縁起でもないので」
 「たいしたことではないのですが、身辺に不幸が起こったものですから、しばらく落ち着きますまで、縁起の悪いことにもなりますから謹慎していようと思います」
  "Koto-kotosiki hodo ni mo habera ne do, yuyusiki koto wo tikau kiki ture ba, kokoro no midare haberu hodo mo ima-imasiu te."
2.2.6  など聞こえたまひて、尽きせずはかなくいみじき世を嘆きたまふ。 ありしさま容貌、いと愛敬づき、をかしかりしけはひなどの、いみじく恋しく悲しければ、
 などと申し上げなさって、どこまでもはかなく無常の世をお嘆きになる。生前の容姿、まことに魅力的で、かわいらしかった雰囲気などが、たいそう恋しく悲しいので、
 などと御挨拶をしておいて、一人で人生の深い悲しみを味わっていた。浮舟うきふねの容姿の愛嬌あいきょうがあって、美しかったことなどを思い出すと、非常に恋しくなり、悲しくなる薫は、
  nado kikoye tamahi te, tuki-se-zu hakanaku imiziki yo wo nageki tamahu. Ari si sama katati, ito aigyau-duki, wokasikari si kehahi nado no, imiziku kohisiku kanasikere ba,
2.2.7  「 うつつの世には、などかくしも思ひ晴れず、のどかにて過ぐしけむ。ただ今は、さらに思ひ静めむ方なきままに、悔しきことの数知らず。 かかることの筋につけて、いみじうものすべき宿世なりけり。 さま異に心ざしたりし身の、思ひの外に、かく例の人にてながらふるを、仏などの憎しと見たまふにや。人の心を 起こさせむとて、仏のしたまふ方便は、慈悲をも隠して、かやうにこそはあなれ」
 「現世には、どうしてこのようにも夢中にならず、のんびりと過ごしていたのだろう。今では、まったく気持ちを静めるすべもないままに、後悔されることが数知れない。このような方面の事につけて、ひどく物思いをする運命なのだ。世人と異なって道心を身上とした人生なのに、思いの外に、このように普通の人のように生き永らえているのを、仏などが憎いと御覧になるのではなかろうか。人に道心を起こさせようとして、仏がなさる方便は、慈悲をも隠して、このようになさるのであろうか」
 その人の生きていた時には、それをそうと認めようとはせずに、たびたび逢いに行こうともせず、寂しい思いばかりをさせて来たのであろうと思う後悔があとからあとからわいてくる。恋愛について物思いの絶えない宿命をになっている自分である、信仰生活を志していながら俗から離れずにいるのを仏が憎んでおいでになるのであろうか、悟らせようとしての方便には未来の慈悲を隠してこんな残酷な目も仏はお見せになるものであると、
  "Ututu no yo ni ha, nado kaku simo omohi hanare zu, nodoka nite sugusi kem. Tada-ima ha, sarani omohi sidume m kata naki mama ni, kuyasiki koto no kazu sira zu. Kakaru koto no sudi ni tuke te, imiziu monosu beki sukuse nari keri. Sama koto ni kokorozasi tari si mi no, omohi-no-hoka ni, kaku rei no hito nite nagarahuru wo, Hotoke nado no nikusi to mi tamahu ni ya? Hito no kokoro wo okosa se m tote, Hotoke no si tamahu hauben ha, zihi wo mo kakusi te, kayau ni koso ha a' nare."
2.2.8  と思ひ続けたまひつつ、行ひをのみしたまふ。
 と思い続けなさりながら、勤行ばかりをなさる。
 思い続けて仏勤めをばかりしていた。
  to omohi-tuduke tamahi tutu, okonahi wo nomi si tamahu.
注釈134心憂かりける所かな以下「犯したまふなりけむかし」まで、薫の心中の思い。『新釈』は「わが庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり」(古今集雑下、八九三、喜撰法師)を指摘。2.2.2
注釈135人も言ひ犯したまふなりけむかし「人」は匂宮をさす。2.2.2
注釈136悩ませたまふあたりに母女三宮が病気中。2.2.3
注釈137京におはしぬ薫は宇治に赴かず、京へ帰った。2.2.3
注釈138宮の御方にも薫の正室女二宮。2.2.4
注釈139ことことしきほどにも以下「いまいましうて」まで、薫の詞。浮舟について言う。『完訳』は「浮舟を、低い身分で表だった妻妾ではないとする」と注す。2.2.5
注釈140ゆゆしきことを浮舟の死を言う。2.2.5
注釈141ありしさま容貌『完訳』は「以下、薫の回想と感慨」と注す。2.2.6
注釈142うつつの世には以下「こそはあなれ」まで、薫の心中の思い。2.2.7
注釈143かかることの筋につけて女性関係のこと。2.2.7
注釈144さま異に心ざしたりし身の思ひの外にかく例の人にて『集成』は「世間の人とは違った願いを持っていた身なのに。この世の栄華を求めず仏道修行を志していたのに」。『完訳』は「世人に異なって道心を身上としたはずのわが人生なのに、現世に執着する結果となったと反省」と注す。2.2.7
校訂7 起こさせ 起こさせ--おう(う/#こ)させ 2.2.7
2.3
第三段 匂宮悲しみに籠もる


2-3  Niou-no-miya shuts himself in his room

2.3.1   かの宮はた、まして、二、三日はものもおぼえたまはず、うつし心もなきさまにて、「 いかなる御もののけならむ」など騒ぐに、やうやう涙尽くしたまひて、 思し静まるにしもぞ、ありしさまは恋しういみじく思ひ出でられたまひける。 人には、ただ御病の重きさまをのみ見せて、「かくすずろなるいやめのけしき知らせじ」と、かしこくもて隠すと思しけれど、おのづからいとしるかりければ、
 あの宮はまた宮で、彼以上に、二、三日は何も考えることができず、正気もない状態で、「どのような御物の怪であろうか」などと騒ぐうち、だんだんと涙も流し尽くして、お気持ちが静まって、生前のご様子が恋しく悲しく思い出されなさるのであった。周囲の人には、ただご病気が篤い様子ばかりに見せて、「このような無性に涙顔でいる様子を知らせまい」と、気強く隠そうとお思いになったが、自然とはっきりしていたので、
 浮舟をお失いになった兵部卿の宮は、まして二、三日は失心したようになっておいでになったため、どうした物怪もののけいたかと周囲の人たちが騒いでいるうちに、ようやく涙が流れ尽くしてお心が静まってきたと同時に、生きていた日の浮舟が恋しくばかりお思い出されになるのであった。他人には重く病気をしているふうを見せて、き恋人を思う悲歎に沈んでいることは知らせないでいるのであると、御自身では思召したが、自然御様子にそれが現われるものであるから、
  Kano Miya hata, masite, ni, sam-niti ha mono mo oboye tamaha zu, utusi-gokoro mo naki sama nite, "Ika naru ohom-mononoke nara m?" nado sawagu ni, yau-yau namida tukusi tamahi te, obosi-sidumaru ni simo zo, arisi sama ha kohisiu imiziku omohi-ide rare tamahi keru. Hito ni ha, tada ohom-yamahi no omoki sama wo nomi mise te, "Kaku suzuro naru iyame no kesiki sira se zi." to, kasikoku mote-kakusu to obosi kere do, onodukara ito sirukari kere ba,
2.3.2  「 いかなることにかく思し惑ひ、御命も危ふきまで沈みたまふらむ」
 「どのような事にこんなにご困惑なさり、お命も危ないまでに嘆き沈んでいらっしゃるのだろう」
 どんなことにお出逢いになって、こんなに命もあぶないまでに悲しんでおいでになるのであろう
  "Ika naru koto ni kaku obosi-madohi, ohom-inoti mo ayahuki made sidumi tamahu ram?"
2.3.3  と、言ふ人もありければ、 かの殿にも、いとよく この御けしきを聞きたまふに、「 さればよ。なほ、よその文通はしのみにはあらぬなりけり。 見たまひては、かならず さ思しぬべかりし人ぞかしながらへましかばただなるよりぞ、わがためにをこなることも 出で来なまし」と思すになむ、焦がるる 胸もすこし冷むる心地したまひける
 と、言う人もいたので、あちらの殿におかれても、とてもよくこのご様子をお聞きになると、「そうであったか。やはり、単なる文通だけではなかったのだ。御覧になっては、きっとそのように熱中なさるはずの女である。もし生きていたら、他人の関係以上に、自分にとって馬鹿らしい事が出て来るところだった」とお思いになると、恋い焦がれる気持ちも少しは冷める気がなさった。
 という人もあるために、大将もそれを知り、故人とは自分の想像したような関係を作っておいでになったらしい、手紙をおやりになったりするだけのことではないのであった、宮が御覧になれば必ず深い愛着をお覚えになるはずの人であった、生きていたならば自分は裏切られた男としての醜名を取らなければならないのであったと、こう思うようになってからは少し故人へのあこがれがさめた気のする薫であった。
  to ihu hito mo ari kere ba, kano Tono ni mo, ito yoku kono mi-kesiki wo kiki tamahu ni, "Sarebayo! Naho, yoso no humi-kayohasi nomi ni ha ara nu nari keri. Mi tamahi te ha, kanarazu sa obosi nu bekari si hito zo kasi. Nagarahe masika ba, tada naru yori zo, waga tame ni woko naru koto mo ideki na masi." to obosu ni nam, kogaruru mune mo sukosi samuru kokoti si tamahi keru.
注釈145かの宮はた匂宮。2.3.1
注釈146いかなる御もののけならむなど騒ぐに主語は匂宮の女房たち。2.3.1
注釈147思し静まるにしもぞ『完訳』は「気持が落ち着くとかえって」と注す。2.3.1
注釈148人には周囲の人、さらには世間の人。2.3.1
注釈149いかなることに以下「沈みたまふらむ」まで、女房たちの詞。2.3.2
注釈150かの殿にも薫をさす。2.3.3
注釈151この御けしきを匂宮の状態。2.3.3
注釈152さればよ以下「出で来なまし」まで、薫の心中の思い。『完訳』は「文通のみならず、情交もあったとうと推測。「--けり」と、確信」と注す。2.3.3
注釈153見たまひては主語は匂宮。浮舟を見たら、の意。2.3.3
注釈154さ思しぬべかりし人ぞかし『完訳』は「宮が必ず執心するはずの女。男を魅了させる浮舟の美貌をいう」と注す。2.3.3
注釈155ながらへましかば--出で来なまし反実仮想の構文。主語は浮舟。2.3.3
注釈156ただなるよりぞ『集成』は「匂宮と浮舟の関係は、やがて世間に知れ、そうなれば匂宮とは叔父甥の間柄だけに、自分も恥を晒すことになるのだった」と注す。2.3.3
注釈157胸もすこし冷むる心地したまひける『完訳』は「浮舟の死に胸をなでおろす気持さえまじる」と注す。2.3.3
2.4
第四段 薫、匂宮を訪問


2-4  Kaoru visits to Niou-no-miya

2.4.1   宮の御訪らひに、日々に参りたまはぬ人なく、世の騷ぎとなれるころ、「 ことことしき際ならぬ思ひに籠もりゐて、参らざらむもひがみたるべし」と思して参りたまふ。
 宮のお見舞いに、毎日参上なさらない方はなく、世間の騷ぎとなっているころ、「大した身分でもない女のために閉じ籠もって、参上しないのも変だろう」とお思いになって参上なさる。
 兵部卿の宮の御病気見舞いに伺候せぬ人もなく、世間の騒ぎにもなっている場合であるのに、たいした喪というわけでもないのに、自分がお見舞いにならないのも僻見をいだいているように見られることであろうからと思い、薫は二条の院へ伺った。
  Miya no ohom-toburahi ni, hi-bi ni mawiri tamaha nu hito naku, yo no sawagi to nare ru koro, "Koto-kotosiki kiha nara nu omohi ni komori wi te, mawira zara m mo higami taru besi." to obosi te mawiri tamahu.
2.4.2  そのころ、 式部卿宮と聞こゆるも亡せたまひにければ、 御叔父の服にて薄鈍なるも、心のうちにあはれに 思ひよそへられて、つきづきしく見ゆ。すこし面痩せて、いとどなまめかしきことまさりたまへり。 人びとまかり出でて、しめやかなる夕暮なり。
 そのころ、式部卿宮と申し上げた方もお亡くなりになったので、御叔父の服喪で薄鈍でいるのも、心中しみじみと思いよそえられて、ふさわしく見える。少し顔が痩せて、ますます優美さがまさっていらっしゃる。お見舞い客が退出して、ひっそりとした夕暮である。
 この時分に式部卿しきぶきょうの宮と言われておいでになった親王もおかくれになったので、薫は父方の叔父おじの喪に薄鈍うすにび色の喪服を着けているのも、心の中では亡き愛人への志にもなる似合わしいことであると思っていた。顔は少しせていよいよえんに見えた。お見舞い客が皆去ったあとの静かな夕方であった。
  Sono-koro, Sikibukyau-no-Miya to kikoyuru mo use tamahi ni kere ba, ohom-wodi no buku nite usu-nibi naru mo, kokoro no uti ni ahare ni omohi yosohe rare te, tuki-dukisiku miyu. Sukosi omo-yase te, itodo namamekasiki koto masari tamahe ri. Hito-bito makari-ide te, simeyaka naru yuhu-gure nari.
2.4.3  宮、臥し沈みてはなき御心地なれば、疎き人にこそ会ひたまはね、 御簾の内にも例入りたまふ人には、対面したまはずもあらず。見えたまはむもあいなくつつまし。 見たまふにつけても、いとど涙のまづせきがたさを思せど、思ひ静めて、
 宮は、臥せって沈んでばかりいられないお気持ちなので、疎遠な客にはお会いにならないが、御簾の内側にもいつもお入りになる方には、お会いなさらないことできもない。顔をお見せになるのも何となく気がひける。お会いなさるにつけても、ますます涙が止めがたいのをお思いになるが、冷静になって、
 宮は御病気らしくお見えにはなっても、ただお気持ちが重く沈んでしかたがないという御状態にすぎないのであったから、うとうとしい人とは御面会にならぬが、お居間の中へ平生はお通しになる御親交のある人たちとはお逢いになるのであったから、薫を御引見になったが、その人の顔を御覧になると理由もなく恥ずかしくお思われになり、心弱くなっておいでになるのが隠しきれぬような涙になって出るのをきまり悪く思召しながらも、よく心持ちをおおさえになり、
  Miya, husi-sidumi te ha naki mi-kokoti nare ba, utoki hito ni koso ahi tamaha ne, mi-su no uti ni mo rei iri tamahu hito ni ha, taimen si tamaha zu mo ara zu. Miye tamaha m mo ai-naku tutumasi. Mi tamahu ni tuke te mo, itodo namida no madu seki gatasa wo obose do, omohi-sidume te,
2.4.4  「 おどろおどろしき心地にもはべらぬを、皆人、 慎むべき病のさまなり、とのみものすれば、 内裏にも宮にも思し騒ぐがいと苦しく、 げに、世の中の常なきをも、心細く思ひはべる」
 「大した病気ではございませんが、誰もが、用心しなければならない病状だ、とばかり言うので、帝におかれても母宮におかれても、御心配なさるのがとてもつらくて、なるほど、世の中の無常を、心細く思っております」
 「たいした病気ではありませんが、だれもが悪くなってゆく兆候のある容体だと言って騒ぐものですから、おかみ中宮ちゅうぐう様も御心配あそばされるのが苦しく思われてね。それにつけてもまた人生の心細さが感ぜられてなりませんよ」
  "Odoro-odorosiki kokoti ni mo habera nu wo, mina-hito, tutusimu beki yamahi no sama nari, to nomi monosure ba, Uti ni mo Miya ni mo obosi-sawagu ga ito kurusiku, geni, yononaka no tune naki wo mo, kokoro-bosoku omohi haberu."
2.4.5  とのたまひて、おし拭ひ紛らはしたまふと思す涙の、やがてとどこほらずふり落つれば、いとはしたなけれど、「 かならずしもいかでか心得む。ただめめしく心弱きとや見ゆらむ」と思すも、「 さりや。ただこのことをのみ思すなりけり。いつよりなりけむ。我をいかにをかしと、もの笑ひしたまふ心地に、月ごろ思しわたりつらむ」
 とおっしゃって、押し拭ってお隠しになろうとする涙が、そのまま防ぎようもなく流れ落ちたので、たいそう体裁が悪いが、「必ずしもどうして気がつこうか。ただ女々しく心弱い者のように見るだろう」とお思いになるが、「そうであったのか。ただこの事だけをお悲しみになっていたのだ。いつから始まったのだろうか。自分を、どんなにも滑稽に物笑いなさるお気持ちで、この幾月もお思い続けていらしたのだろう」
 こうお言いになり、ちょっとそでで押すほどにぬぐうてお済ませになるつもりでおありになった涙が、どうしたかとめどもなく流れ落ちるのを、見苦しいと思召すのであるが、浮舟のために泣くとは大将に気のつくはずもなかろう、ただ人生にめめしく執着をしていると見えるだけであろうと、薫の心中を御推測のできぬ宮は思っておいでになった。やはり恋人の死ばかりを悲しんでおいでになるのであった、いつごろからあった事実なのであろう、自分を滑稽こっけいな男と長い間笑っておいでになったのであろう
  to notamahi te, osi-nogohi magirahasi tamahu to obosu namida no, yagate todokohora zu huri-oture ba, ito hasitanakere do, "Kanarazu-simo ikadeka kokoro-e m. Tada memesiku kokoro-yowaki to ya miyu ram?" to obosu mo, "Sa'riya! Tada kono koto wo nomi obosu nari keri. Itu yori nari kem? Ware wo ikani wokasi to, mono-warahi si tamahu kokoti ni, tuki-goro obosi watari tu ram?"
2.4.6  と思ふに、この君は、悲しさは忘れたまへるを、
 と思うと、この君は、悲しみはお忘れになったが、
 と思い、薫は悲しみもそれで忘れることができているのを宮は御覧になり、
  to omohu ni, kono Kimi ha, kanasisa ha wasure tamahe ru wo,
2.4.7  「 こよなくも、おろかなるかな。ものの切におぼゆる時は、いと かからぬことにつけてだに空飛ぶ鳥の鳴き渡るにも、もよほされてこそ悲しけれ。わがかくすぞろに心弱きにつけても、もし心得たらむに、さ言ふばかり、 もののあはれも知らぬ人にもあらず世の中の常なきこと惜しみて思へる人しもつれなき
 「何とまあ、薄情な方であろうか。物を切に思う時は、ほんとこのような事でない時でさえ、空を飛ぶ鳥が鳴き渡って行くのにつけても、涙が催されて悲しいのだ。わたしがこのように何となく心弱くなっているのにつけても、もし真相を知っても、それほど人の悲しみを分からない人ではない。世の中の無常を身にしみて思っている人は冷淡でいられることよ」
 死んだ愛人に対して非常に冷淡なものである、ものの痛切に悲しい時には全然関係のないことにさえ涙が誘われ、空を鳴いて通る鳥の声にも哀傷の思いは催されるはずではないか、自分が何の悲しみによって病んでいるかを知ったなら、同情から平気には見ておられぬ人なのであるが、人生の無常を深く悟り澄ました人はこんなに冷静なふうでいられるのであろう
  "Koyonaku mo, oroka naru kana! Mono no seti ni oboyuru toki ha, ito kakara nu koto ni tuke te dani, sora tobu tori no naki-wataru ni mo, moyohosa re te koso kanasikere. Waga kaku suzuro ni kokoro-yowaki ni tuke te mo, mosi kokoro-e tara m ni, sa ihu bakari, mono no ahare mo sira nu hito ni mo ara zu. Yononaka no tune naki koto wosimi te omohe ru hito simo ture-naki."
2.4.8  と、うらやましくも心にくくも思さるるものから、 真木柱はあはれなりこれに向かひたらむさまも思しやるに、「 形見ぞかし」とも、うちまもりたまふ。
 と、羨ましくも立派だともお思いなさる一方で、女のゆかりと思うとなつかしい。この人に向かい合っている様子をご想像になると、「形見ではないか」と、じっと見つめていらっしゃる。
 とうらやましく、御自身の及びがたさをお覚えになるのであるが、「我妹子わぎもこが来ては寄り添ふ真木柱まきばしらそもむつまじやゆかりと思へば」という歌のように、あの人を愛した男であるとお思いになるとこの人にさえ愛のお持たれになる兵部卿ひょうぶきょうの宮であった。この人とある日は向かい合っていたのかとお思いになると、形見であるというように薫の顔がお見守られになった。
  to, urayamasiku mo kokoro-nikuku mo obosa ruru mono kara, maki-basira ha ahare nari. Kore ni mukahi tara m sama mo obosi-yaru ni, "Katami zo kasi." to mo, uti-mamori tamahu.
注釈158宮の御訪らひに匂宮のお見舞い。2.4.1
注釈159ことことしき際ならぬ思ひに籠もりゐて以下「ひがみたるべし」まで、薫の心中の思い。「ことことしき際」は浮舟の身分。
【思ひに籠もりゐて】− 浮舟の喪に服す。
2.4.1
注釈160式部卿宮蜻蛉式部卿宮、以前に娘を薫にと志したことがある宮(東屋)。2.4.2
注釈161御叔父の服にて薫の叔父。軽服三ケ月の喪。2.4.2
注釈162思ひよそへられて叔父の服喪に浮舟を悼む。2.4.2
注釈163人びとまかり出でて匂宮邸の様子。2.4.2
注釈164御簾の内にも例入りたまふ人には薫のような人。2.4.3
注釈165見たまふにつけても匂宮が薫を。2.4.3
注釈166おどろおどろしき心地にも以下「おもひはべる」まで、匂宮の詞。2.4.4
注釈167慎むべき病のさまなりと『集成』は「物の怪かもしれないと疑っている」と注す。2.4.4
注釈168内裏にも宮にも帝と明石中宮。匂宮の両親。2.4.4
注釈169げに、世の中の常なきをも『完訳』は「現世の無常が薫の口癖。それに「げに」と納得しながら、浮舟の死を悼む気持も言外に出る趣」と注す。2.4.4
注釈170かならずしも以下「見ゆらむ」まで、匂宮の心中の思い。薫は浮舟との関係を気づくまい、と思う。2.4.5
注釈171さりやただこのことをのみ以下「思しわたりつらむ」まで、薫の心中の思い。『集成』は「匂宮には「とおぼすも」と敬語、薫は「と思ふに」と書き分ける。以下、薫、匂宮の思惑の違いを相互に書く」。『完訳』「以下、秘事を確信する薫の心中」と注す。2.4.5
注釈172こよなくも以下「人しもつれなき」まで、匂宮の心中の思い。『完訳』は「薫はなんと薄情な人か。以下、冷静な薫を見ての匂宮の心中」と注す。2.4.7
注釈173かからぬことにつけてだに人の死去ということ。2.4.7
注釈174空飛ぶ鳥の鳴き渡るにも『完訳』は「景物に感情の増幅される趣」と注す。2.4.7
注釈175もののあはれも知らぬ人にもあらず薫をさす。2.4.7
注釈176世の中の常なきこと惜しみて思へる人しもつれなき『集成』は「世間無常の道理を深く悟っている人は、かえって(身辺の不幸には)冷静でいられるのだな」。『完訳』は「薫の独自な道心ぶりを評す」と注す。2.4.7
注釈177真木柱はあはれなり『源氏釈』は「わぎもこが来ても寄り立つ真木柱そもむつましやゆかりと思へば」(出典未詳、源氏釈所引)を指摘。薫も浮舟ゆかりの人と思えば懐かしく思われる、の意。2.4.8
注釈178これに向かひたらむさまも浮舟が薫に向かい合っているさまを。2.4.8
注釈179形見ぞかしとも薫は浮舟の形見だ、の意。2.4.8
出典1 真木柱はあはれなり わぎもこが来ても寄り立つ真木柱そも睦ましやゆかりと思へば 源氏釈所引-出典未詳 2.4.8
2.5
第五段 薫、匂宮と語り合う


2-5  Kaoru talks with Niou-no-miya

2.5.1  やうやう世の物語聞こえたまふに、「 いと籠めてしもはあらじ」と思して
 だんだんと世間の話を申し上げなさると、「とても隠しておくこともあるまい」とお思いになって、
 いろいろな世間話を申しているうちに、絶対に浮舟のことは言いださぬという態度はお取りしたくないと思い、
  Yau-yau yo no monogatari kikoye tamahu ni, "Ito kome te simo ha ara zi." to obosi te,
2.5.2  「 昔より、心に籠めてしばしも聞こえさせぬこと残しはべる限りは、いといぶせくのみ思ひたまへられしを、今は、なかなか上臈になりにてはべり。まして、 御暇なき御ありさまにて、心のどかにおはします折もはべらねば、 宿直などに、そのこととなくてはえさぶらはずそこはかとなくて過ぐしはべるをなむ
 「昔から、胸のうちに秘めて少しも申し上げなかったことを残しております間は、ひどくうっとうしくばかり存じられましたが、今は、かえって身分も高くなりました。わたくし以上に、お暇もないご様子で、のんびりとしていらっしゃる時もございませんので、宿直などにも、特に用事がなくては伺候することもできず、何となく過ごしておりました。
 「私は昔からどんなこともあなた様に申し上げないで、自分だけで思っているのがとても苦しいのではございますが、今では知らぬまに私のような者も大官になっておりますし、ましてあなた様はいろいろとお忙しい身の上でお閑暇ひまなどはありますまいと存じまして、宿直とのいなどをいつでも申し上げて話を聞いていただくようなこともできませず日を過ごしておりましたが、こんなことをひとつお聞きください。
  "Mukasi yori, kokoro ni kome te sibasi mo kikoye sase nu koto nokosi haberu kagiri ha, ito ibuseku nomi omohi tamahe rare si wo, ima ha, naka-naka zyaurahu ni nari nite haberi. Masite, ohom-itoma naki ohom-arisama nite, kokoro-nodoka ni ohasimasu wori mo habera ne ba, tonowi nado ni, sono koto to naku te ha e saburaha zu, sokohaka-to-naku te sugusi haberu wo nam.
2.5.3  昔、御覧ぜし山里に、 はかなくて亡せはべりにし人の、同じゆかりなる人、おぼえぬ所にはべりと聞きつけはべりて、時々さて見つべくや、と思ひたまへしに、 あいなく人の誹りもはべりぬべかりし折なりしかばこのあやしき所に置きてはべりしを、をさをさまかりて見ることもなく、また、 かれも、なにがし一人をあひ頼む心もことになくてやありけむ、とは見たまひつれどやむごとなくものものしき筋に思ひたまへばこそあらめ、 見るにはた、ことなる咎もはべらずなどして、心やすくらうたしと思ひたまへつる人の、いとはかなくて亡くなりはべりにける。なべて世のありさまを思ひたまへ続けはべるに、 悲しくなむ聞こし召すやうもはべらむかし」
 昔、御覧になった山里に、あっけなく亡くなった方の、同じ姉妹に当たる人が、意外な所に住んでいると聞きつけまして、時々逢いもしようか、と存じておりましたが、不都合にも世間の人の非難もきっとあるような時でしたので、あの山里に置いておきましたところ、あまり行って逢うこともなく、また一方、女も、わたくし一人を頼りにする気持ちも特になかったのであろうか、と拝見しましたが、れっきとした重々しい扱いをいたす夫人ならともかく、世話するのには、格別の落度もございませんのに、気楽でかわいらしいと存じておりました女が、まことにあっけなく亡くなってしまいました。すべて世の中の有様を思い続けますと、悲しいことだ。お聞き及びのこともございましょう」
 昔も御承知のあの山里に若死にをしました恋人と同じ血統ちすじの人が意外な所に一人いると聞きまして、昔の人の形見にときどき顔を見て慰めにしようと思ったのですが、ちょうど私といたしましては、そんなことをしては、世間からわけもなく悪く批評をされる時だったものですから、昔の寂しい山里へつれて行ってあったのでございます。そして始終はたずねて行ってやることもない間柄になっていましたし、その人も私一人にたよる心もなかったように見えましたが、唯一の妻としては、そうした不純な心のあることは捨ておけないことですが、愛人としておくぶんには許されなくはないものですから、可憐かれんに見ておりましたが突然くなったのでございます。人生の悲哀がまたしみじみと味わわれまして、寂しい思いをしております。もうそのことはお耳にもどちらからかはいっておりますでしょう」
  Mukasi, go-ran-ze si yamazato ni, hakanaku te use haberi ni si hito no, onazi yukari naru hito, oboye nu tokoro ni haberi to kiki-tuke haberi te, toki-doki sate mi tu beku ya, to omohi tamahe si ni, ainaku hito no sosiri mo haberi nu bekari si wori nari sika ba, kono ayasiki tokoro ni oki te haberi si wo, wosa-wosa makari te miru koto mo naku, mata, kare mo, nanigasi hitori wo ahi-tanomu kokoro mo koto ni naku te ya ari kem, to ha mi tamahi ture do, yamgotonaku mono-monosiki sudi ni omohi tamahe ba koso ara me, miru ni hata, koto naru toga mo habera zu nado si te, kokoro-yasuku rautasi to omohi tamahe turu hito no, ito hakanaku te nakunari haberi ni keru. Nabete yo no arisama wo omohi tamahe tuduke haberu ni, kanasiku nam. Kikosi-mesu yau mo habera m kasi."
2.5.4  とて、今ぞ泣きたまふ。
 と言って、今初めてお泣きになる。
 と言って、この時になって泣き出した。
  tote, ima zo naki tamahu.
2.5.5   これも、「 いとかうは見えたてまつらじ。をこなり」と思ひつれど、こぼれそめてはいと止めがたし。 けしきのいささか乱り顔なるを、「 あやしく、いとほし」と思せど、つれなくて、
 この方も、「まこと涙顔はお見せ申すまい。馬鹿らしい」と思ったが、いったん流れ出しては止めがたい。態度がやや取り乱しているようなので、「いつもと違っている、気の毒だ」とお思いになるが、平静を装って、
 かおるとしてもこれほど悲しむふうはお見せすまいと自戒していたのであったが、こぼれ始めてはとどめがたい涙になった。その様子に別な意味もあるふうなのを宮もお悟りになり、気の毒に思召したが、素知らぬふうをあそばした。
  Kore mo, "Ito kau ha miye tatematura zi. Woko nari." to omohi ture do, kobore some te ha ito tome gatasi. Kesiki no isasaka midari-gaho naru wo, "Ayasiku, itohosi." to obose do, turenaku te,
2.5.6  「 いとあはれなることにこそ。昨日ほのかに聞きはべりき。いかにとも聞こゆべく思ひはべりながら、わざと人に聞かせたまはぬこと、と聞きはべりしかばなむ」
 「まことにお気の毒なことを。昨日ちらっと聞きました。どのようにお悔やみ申し上げようかと存じながら、特に世間にお知らせなさらないことと、聞きましたので」
 「御愁傷をお察しします。そのことは昨日ちょっと聞いたのでした。御弔問をしたく思いましたが、秘密にしておありになるのだとも聞いたものですから」
  "Ito ahare naru koto ni koso. Kinohu honoka ni kiki haberi ki. Ikani to mo kikoyu beku omohi haberi nagara, wazato hito ni kika se tamaha nu koto, to kiki haberi sika ba nam."
2.5.7  と、つれなくのたまへど、 いと堪へがたければ、言少なにておはします。
 と、さりげなくおっしゃるが、とても我慢できないので、言葉少なくいらっしゃる。
 言葉少なにこうお言いになった。長く言うに堪えがたいお気持ちになっておいでになったのである。
  to, turenaku notamahe do, ito tahe gatakere ba, koto-zukuna nite ohasimasu.
2.5.8  「 さる方にても御覧ぜさせばや、と思ひたまへりし 人になむ。おのづからさもやはべりけむ、 宮にも参り通ふべきゆゑはべりしかば」
 「適当なお方としてお目にかけたい、と存じておりました女でした。自然とそのようなこともございましたでしょうか、お邸にも出入りする縁故もございましたので」
 「お目にかけましたら興味をお覚えになりますだけの価値のある女性でしたが、それは私の思いますだけでなくあなたの奥様のほうの縁故のある人でしたから、もう顔など知っておいでになったかもしれません」
  "Saru kata nite mo go-ran-ze sase baya, to omohi tamahe ri si hito ni nam. Onodukara samo ya haberi kem, Miya ni mo mawiri kayohu beki yuwe haberi sika ba."
2.5.9  など、すこしづつけしきばみて、
 などと、少しずつ当てこすって、
 などと少しほのめかして薫は、
  nado, sukosi dutu kesiki-bami te,
2.5.10  「 御心地例ならぬほどはすぞろなる世のこと聞こし召し入れ、御耳おどろくも、あいなきことになむ。よく慎ませおはしませ」
 「ご気分がすぐれないうちは、つまらない世間話をお聞きになって、驚きなさるのも、つまらないことです。どうぞ大事になさってください」
 「御病気中はうるさい世の中のことなどをお耳に入れましては御安静をお妨げすることになってもよろしくございません。よく御養生をなさいまし」
  "Mi-kokoti rei nara nu hodo ha, suzoro naru yo no koto kikosimesi ire, ohom-mimi odoroku mo, ainaki koto ni nam. Yoku tutusima se ohasimase."
2.5.11  など、聞こえ置きて、出でたまひぬ。
 などと、申し上げ置いて、お帰りになった。
 と申して辞し去った。
  nado, kikoye-oki te, ide tamahi nu.
注釈180いと籠めてしもはあらじと思して主語は薫。薫と浮舟との関係を。2.5.1
注釈181昔より心に籠めて以下「聞こし召すやうもはべるらむかし」まで、薫の詞。2.5.2
注釈182御暇なき御ありさまにて匂宮をいう。2.5.2
注釈183宿直などに、そのこととなくてはえさぶらはず主語は薫。2.5.2
注釈184そこはかとなくて過ぐしはべるをなむ係助詞「なむ」の下に、今まで話さなかったことを申し訳なく思う、などの意が省略。以上、まえおき。2.5.2
注釈185はかなくて亡せはべりにし人の同じゆかりなる人故大君の妹の浮舟。2.5.3
注釈186あいなく人の誹りもはべりぬべかりし折なりしかば女二宮との結婚の時期であった。2.5.3
注釈187このあやしき所に宇治の山荘をさす。2.5.3
注釈188かれもなにがし一人をあひ頼む心もことになくてやありけむとは見たまひつれど『完訳』は「女(浮舟)の方も、私一人を頼りにする気も特になかったのではないか。匂宮との仲を暗に皮肉る」と注す。2.5.3
注釈189やむごとなくものものしき筋に正妻待遇をいう。2.5.3
注釈190見るにはた世話する。2.5.3
注釈191悲しくなむ係助詞「なむ」の下に「はべる」などの語句が省略。2.5.3
注釈192聞こし召すやうも浮舟のことをさす。『完訳』は「匂宮の秘事にさりげなく迫る」と注す。2.5.3
注釈193これも薫をさす。2.5.5
注釈194いとかうは以下「をこなり」まで、薫の心中の思い。『集成』は「匂宮に奪られた女のことを、宮の前で嘆くのは間抜けなこと、という気持」と注す。2.5.5
注釈195けしきのいささか乱り顔なるを薫のやや取り乱した態度。2.5.5
注釈196あやしくいとほしと思せど『集成』は「浮舟との秘事を知られたか、とようやくこのあたりで気づく体」と注す。2.5.5
注釈197いとあはれなることにこそ以下「聞きはべりしかばなむ」まで、匂宮の詞。2.5.6
注釈198いと堪へがたければ主語は匂宮。2.5.7
注釈199さる方にても以下「参り通ふべきゆゑはべりしかば」まで、薫の詞。『完訳』は「あなたのしかるべき相手として。匂宮の愛人として紹介したかったとする。匂宮への痛烈な皮肉」と注す。2.5.8
注釈200人になむ係助詞「なむ」の下に「ありける」などの語句が省略。2.5.8
注釈201宮にも参り通ふべきゆゑ「ゆゑ」は理由。中君と浮舟は異母姉妹の関係。2.5.8
注釈202御心地例ならぬほどは以下「おはしませ」まで、薫の詞。2.5.10
注釈203すぞろなる世のこと聞こし召し入れ『集成』は「つまらぬ世間話をお耳にあそばし、お心を騒がせられますのもよろしくないことですございます。暗に、浮舟の死をそう嘆かれますな、と言い、それゆえの病と察していることを仄めかす」と注す。2.5.10
2.6
第六段 人は非情の者に非ず


2-6  A human being has humane mind

2.6.1  「 いみじくも思したりつるかな。いとはかなかりけれど、さすがに 高き人の宿世なりけり。当時の帝、后の、さばかりかしづきたてまつりたまふ親王、顔容貌よりはじめて、ただ今の世にはたぐひおはせざめり。 見たまふ人とても、なのめならず、さまざまにつけて、限りなき人をおきて、 これに御心を尽くし、世の人立ち騷ぎて、修法、 読経、祭、祓と、道々に騒ぐは、 この人を思すゆかりの、御心地のあやまりにこそはありけれ。
 「ひどくご執心であったな。まことにあっけなかったが、やはりよい運勢の女であった。今上の帝や、后が、あれほど大切になさっていらっしゃる親王で、顔かたちをはじめとして、今の世の中には他にいらっしゃらないようだ。寵愛なさる夫人でも、並一通りでなく、それぞれにつけて、この上ない方をさしおいて、この女にお気持ちを尽くし、世間の人が大騒ぎして、修法、読経、祈祷、祓いと、それぞれ専門に騒ぐのは、この女に執着したための、ご病気であったのだ。
 非常に悲しがっておいでになった、故人を哀れな存在とは見たが、現在の帝王ときさきがあれほど御大切にあそばされる皇子で、御容貌ようぼうといい、学才と申して今の世に並ぶ人もない方で、すぐれた夫人たちをお持ちになりながら、あの人に心をお傾け尽くしになり、修法、読経どきょう、祭り、はらいとその道々で御恢復かいふくのことに騒ぎ立っているのも、ただあの人の死の悲しみによってのことではないか、
  "Imiziku mo obosi tari turu kana! Ito hakanakari kere do, sasuga ni takaki hito no sukuse nari keri. Tauzi no Mikado, Kisaki no, sabakari kasiduki tatematuri tamahu Miko, kaho katati yori hazime te, tada-ima no yo ni ha taguhi ohase za' meri. Mi tamahu hito tote mo, nanome nara zu, sama-zama ni tuke te, kagiri naki hito wo oki te, kore ni mi-kokoro wo tukusi, yo no hito tati-sawagi te, suhohu, dokyau, maturi, harahe to, miti-miti ni sawagu ha, kono hito wo obosu yukari no, mi-kokoti no ayamari ni koso ha ari kere.
2.6.2  我も、かばかりの身にて、時の帝の御女を持ちたてまつりながら、 この人のらうたくおぼゆる方は、劣りやはしつる。まして、 今はとおぼゆるには、心をのどめむ方なくもあるかな。さるは、をこなり、 かからじ
 自分も、これほどの身分で、今上の帝の内親王をいただきながら、この女がいじらしく思えたのは、宮に負けていようか。それ以上に、今は亡き人かと思うと、心の静めようがない。とはいえ、愚かしいことだ。そうはすまい」
 自分も今日の身になっていて、みかど御女おんむすめを妻にしながら、可憐かれんなあの人を思ったことは第一の妻に劣らなかったではないか、まして死んでしまった今の悲しみはどうしようもないほどに思われる、見苦しい、こんなふうにはほかから見られまい
  Ware mo, kabakari no mi nite, toki no Mikado no ohom-musume wo moti tatematuri nagara, kono hito no rautaku oboyuru kata ha, otori ya ha si turu? Masite, imaha to oboyuru ni ha, kokoro wo nodome m kata naku mo aru kana! Saruha, woko nari, kakara zi."
2.6.3  と思ひ忍ぶれど、さまざまに思ひ乱れて、
 と我慢するが、いろいろと思い乱れて、
 と忍んでいるのであるがと薫は思い乱れながら
  to omohi sinobure do, sama-zama ni omohi midare te,
2.6.4  「 人木石に非ざれば皆情けあり
 「人は木や石ではないので、みな感情をもっている」
 「人非木石皆有情ひとほくせきにあらずみなうじやう不如不逢傾城色しかずけいせいのいろにあはざるに
  "Hito boku-seki ni ara zare ba mina nasake ari."
2.6.5  と、うち誦じて臥したまへり。
 と、口ずさみなさって臥せっていらっしゃった。
 と口ずさんで寝室にはいった。
  to uti-zyu-zi te husi tamahe ri.
2.6.6   後のしたためなども、いとはかなくしてけるを、「 宮にもいかが聞きたまふらむ」と、いとほしくあへなく、「 母のなほなほしくて、 兄弟あるはなど、さやうの人は言ふことあんなるを思ひて、こと削ぐなりけむかし」など、心づきなく思す。
 後の葬送なども、まことに簡略にしてしまったのを、「宮におかれてもどのようにお聞きになろうか」と、お気の毒で張り合いがないので、「母が普通の身分で、兄弟のある人はなどと、そのような人は言うことがあるというのを思って、簡略にするのであったろう」などと、気にくわなくお思いになる。
 葬儀なども簡単に済ませたことを宮も飽き足らず思召したことであろうと哀れに思われて、母の身分がよろしくなくて、異父の弟などが幾人も立ち合ってなどとあとに言われることを避けて急いでしたのであろうがと不愉快に薫は思った。
  Noti no sitatame nado mo, ito hakanaku si te keru wo, "Miya ni mo ikaga kiki tamahu ram." to, itohosiku ahe-naku, "Haha no naho-nahosiku te, harakara aru ha nado, sayau no hito ha ihu koto an' naru wo omohi te, koto-sogu nari kem kasi." nado, kokoroduki-naku obosu.
2.6.7  おぼつかなさも限りなきを、ありけむさまもみづから聞かまほしと思せど、「 長籠もりしたまはむも便なし。行きと行きて立ち帰らむも心苦し」など、思しわづらふ。
 気がかりさも限りがないので、その時の実際の様子を自分でも聞きたくお思いになるが、「長い忌籠もりなさるのも不都合である。行くには行ってもすぐ帰るのは心苦しい」などと、ご思案なさる。
 くわしい様子も聞かないでいることも物足らず思われ、自身で宇治へ行ってみたいと思うのであるが、喪の家へそのまま忌の明けるまでこもっているのも自分としてははばかられる、行くだけ行ってすぐに帰るのも心苦しいことであると思いもだえていた。
  Obotukanasa mo kagiri naki wo, ari kem sama mo midukara kika mahosi to obose do, "Naga-gomori si tamaha m mo bin nasi. Iki to iki te tati-kahera m mo kokoro-gurusi." nado, obosi wadurahu.
注釈204いみじくも思したりつるかな以下「かからじ」まで、薫の心中の思い。2.6.1
注釈205高き人の宿世なりけり『完訳』は「高貴な匂宮に愛された点で浮舟をすぐれた宿運の人とみる。前の女房たちと同じ見方」と注す。2.6.1
注釈206見たまふ人とても『集成』は「妻となさる方とても、並一通りではなく。正夫人の六の君、側室の中の君、それぞれ一方ならずすばらしい女性である」と注す。2.6.1
注釈207これに浮舟に。2.6.1
注釈208この人を思すゆかりの御心地のあやまりに『完訳』は「実は、浮舟に執心するあまりの錯乱だった、と薫は合点」と注す。2.6.1
注釈209この人のらうたくおぼゆる方は劣りやはしつる『集成』は「この人(浮舟)がいとしく思われたことでは(匂宮に)劣っていただろうか。以下、高貴の身の自分からも、宮に劣らず思われる浮舟の宿世に感嘆する気持」と注す。2.6.2
注釈210今はと浮舟は今は亡き人と。2.6.2
注釈211かからじ『集成』は「もう嘆くまい」と訳す。2.6.2
注釈212人木石に非ざれば皆情けあり薫の詞。「人は木石に非ず、皆情有り、如かず、傾城の色に遇はざらんには」(白氏文集・李夫人)の一節。2.6.4
注釈213後のしたためなども浮舟の葬送の儀式。2.6.6
注釈214宮にも『完訳』は「匂宮。一説には中の君」と注す。2.6.6
注釈215母のなほなほしく以下「こと削ぐなりけむかし」まで、薫の想像。浮舟の母は八宮の女房中将の君、現在は受領の北の方という低い身分。2.6.6
注釈216兄弟あるはなど『完訳』は「兄弟のある人は葬儀を簡略にするとの風習」と注す。2.6.6
注釈217長籠もりしたまはむも便なし以下「心苦し」まで、薫の思い。宇治に行き三十日間の忌籠もりをするのは不都合と考える。2.6.7
出典2 人木石に非ざれば皆情けあり 人非木石皆有情 不如不遇傾城色<人木石に非ざれば皆情有り 傾城の色に遇はざるに如かず> 白氏文集巻四-一六〇 李夫人 2.6.4
校訂8 読経 読経--とら(ら/#経) 2.6.1
Last updated 5/6/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 5/6/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 5/6/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年8月20日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月12日

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