51 浮舟(明融臨模本)


UKIHUNE


薫君の大納言時代
二十六歳十二月から二十七歳の春雨の降り続く三月頃までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from December at the age of 26 to rainy days in March at the age of 27

5
第五章 浮舟の物語 浮舟、恋の板ばさみに、入水を思う


5  Tale of Ukifune  Ukifune thinks to kill herself as a dilemma whether to love Niou-no-miya or Kaoru

5.1
第一段 春雨の続く頃、匂宮から手紙が届く


5-1  Niou-no-miya sends a letter to Ukifune at a rainy day in spring

5.1.1   雨降り止まで、日ごろ多くなるころ、いとど 山路思し絶えて、わりなく思されければ、「 親のかふこは所狭きものにこそ と思すもかたじけなし。尽きせぬことども書きたまひて、
 雨が降り止まないで、日数が重なるころ、ますます山路通いはお諦めになって、たまらない気がなさるので、「親が大切にする子は窮屈なもの」とお思いになるのも恐れ多いことだ。尽きない思いの丈をお書きになって、
 雨が幾日も降り続いたころ、いっそう宇治は通って行くべくもない世界になったように宮は思召され、恋しさに堪えられなくおなりになり「たらちねの親のかふこの繭ごもりいぶせくもあるかいもに逢はずて」親の愛護の深いのは苦しいものであると、もったいないことすらお思われになった。恋の思いを多くの言葉でお書き続けになり、
  Ame huri yama de, higoro ohoku naru koro, itodo yamadi obosi-taye te, warinaku obosa re kere ba, "Oya no kahuko ha tokoroseki mono ni koso." to obosu mo katazikenasi. Tuki se nu koto-domo kaki tamahi te,
5.1.2  「 眺めやるそなたの雲も見えぬまで
 「眺めやっているそちらの方の雲も見えないくらいに
  ながめやるそなたの雲も見えぬまで
    "Nagame yaru sonata no kumo mo miye nu made
5.1.3   空さへ暮るるころのわびしさ
  空までが真っ暗になっている今日このごろの侘しさです
  空さへくるるころのわびしさ
    sora sahe kururu koro no wabisisa
5.1.4  筆にまかせて書き乱りたまへるしも、見所あり、をかしげなり。ことに いと重くなどはあらぬ若き心地に
 筆にまかせて書きすさびなさったのも、見所があって、美しそうである。特に大して重々しくはない若い気持ちでは、
 こんな歌もお添えになった筆まかせの書体もみごとであった。高い見識があるのでもない若い浮舟はこれにさえ多く動かされ、
  Hude ni makase te kaki midari tamahe ru simo, mi-dokoro ari, wokasige nari. Koto ni ito omoku nado ha ara nu wakaki kokoti ni,
5.1.5  「 いとかかる心を思ひもまさりぬべけれど、 初めより契りたまひしさまも、さすがに、かれは、なほいともの深う、人柄のめでたきなども、世の中を知りにし初め なればにやかかる憂きこと聞きつけて、思ひ疎みたまひなむ世には、いかでかあらむ。
 「とてもこのような気持ちに惹かれるにちがいないが、初めから約束なさった様子も、やはり何といっても、あの方は、やはりとても思慮深く、人柄が素晴らしく思われたのなども、男女の仲を知った初めのうちだからであろうか、このような情けないことを聞きつけて、お疎みになったら、どうして生きていられようか。
 その人と同じ恋しさも覚えたのであるが、初めに永久の愛の告げられた大将の言葉にはさすがに奥深いものがあり、他に優越した人格の備わっていることなども思われ、異性として親しんだ最初の人であるためか、今も一方へ没頭しきれぬ感情はあった。自分の醜聞が耳にはいって、あの人にうとまれては生きておられぬ気がする、
  "Ito kakaru kokoro wo omohi mo masari nu bekere do, hazime yori tigiri tamahi si sama mo, sasuga ni, kare ha, naho ito mono-hukau, hitogara no medetaki nado mo, yononaka wo siri ni si hazime nare ba ni ya, kakaru uki koto kiki-tuke te, omohi utomi tamahi na m yo ni ha, ikadeka ara m.
5.1.6  いつしかと思ひ惑ふ親にも、思はずに、心づきなしとこそは、もてわづらはれめ。 かく心焦られしたまふ人、はた、 いとあだなる御心本性とのみ聞きしかば、 かかるほどこそあらめ、また かうながらも、京にも隠し据ゑたまひ、ながらへても思し数まへむにつけては、 かの上の思さむこと。よろづ隠れなき世なりければ、あやしかりし夕暮のしるべばかりにだに、かう尋ね出でたまふめり。
 早く殿に迎えられるようにと気を揉んでいる母親は、思いもかけないことで、気にくわないと、困ることであろう。このように熱心になっていらっしゃる方は、また一方で、とても浮気なご性質とばかり聞いていたので、今は熱心であっても、またこのような状態で、京にお隠し据えなさっても、末長く情けをかける一人として思ってくださることにつけては、あの上がどのようにお思いになることやら。何事も隠しきれない世の中なのだから、不思議な事のあった夕暮の縁だけで、このようにお尋ねになるようだ。
 自分が幸福な女性になることを待ち続ける母も、不行跡な娘であったと幻滅を覚え、世間体を恥じることであろう、また現在は火の恋をお持ちになる方も、多情なお生まれつきを聞いているのであるから、どうお心が変わるかしれない、またそうにもならず京のどこかへ隠されて妻妾さいしょうの一人として待遇されることができてくれば二条の院の女王にょおうからどんなに不快に思われることであろう。隠れていてもいつか人に知れるものであるから、あの秋の日暮れ時に一目お逢いしただけの縁でもこうして捜し出される結果を見たように、
  Itusika to omohi madohu oya ni mo, omoha zu ni, kokoro-dukinasi to koso ha, mote-waduraha re me. Kaku kokoro-ira re si tamahu hito, hata, ito ada naru mi-kokoro honzyau to nomi kiki sika ba, kakaru hodo koso ara me, mata kau nagara mo, kyau ni mo kakusi suwe tamahi, nagarahe te mo obosi kazumahe m ni tuke te ha, kano Uhe no obosa m koto. Yorodu kakure naki yo nari kere ba, ayasikari si yuhugure no sirube bakari ni dani, kau tadune-ide tamahu meri.
5.1.7  まして、わがありさまの ともかくもあらむを、聞きたまはぬやうはありなむや」
 まして、自分が宮にかくまわれることになっても、殿がお知りにならないことがあろうか」
 姉である方に、自分がどうしているか、どんな恋愛からどうなったかが知れていかないはずはない
  Masite, waga arisama no tomo-kaku-mo ara m wo, kiki tamaha nu yau ha ari na m ya."
5.1.8  と思ひたどるに、「 わが心も、きずありて、かの人に疎まれたてまつらむ、なほいみじかるべし」と思ひ乱るる折しも、 かの殿より御使あり。
 と次々と考えると、「自分ながら、まちがいがあって、あの殿に疎まれ申すのも、やはりつらいことであろう」とちょうど思い乱れている時、あの殿からお使者がある。
 と、考えをたどっていけば、宮の御手へ将来をゆだねてしまうのは善事を行なうことでない、大将に愛されなくなるほうがどんなに苦痛であるかしれぬと煩悶している時に薫からの使いが山荘へ来た。
  to omohi tadoru ni, "Waga kokoro mo, kizu ari te, kano hito ni utoma re tatematura m, naho imizikaru besi." to omohi midaruru wori simo, kano Tono yori ohom-tukahi ari.
注釈461雨降り止まで『集成』は「雨が降り止まず、日数も重なる頃。三月の長雨であろう。月も変った趣」と注す。5.1.1
注釈462親のかふこは所狭きものにこそ匂宮の心中。明融臨模本、朱合点。『源氏釈』は「たらちねの親のかふ蚕の繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて」(拾遺集恋四、八九五、柿本人麿)を指摘。5.1.1
注釈463と思すもかたじけなし『一葉抄』は「双紙詞なるへし云々」と指摘。5.1.1
注釈464眺めやるそなたの雲も見えぬまで空さへ暮るるころのわびしさ匂宮から浮舟への贈歌。「眺め」「長雨」の懸詞。5.1.2
注釈465いと重くなどはあらぬ若き心地に浮舟の思慮。5.1.4
注釈466いとかかる心を以下「やうはありなむや」まで、浮舟の心中。5.1.5
注釈467初めより契りたまひしさまも『完訳』は「薫とはじめて契り交したこと。以下、浮舟の心に即し、「かかるうきこと」あたりから直接話法」と注す。5.1.5
注釈468かかる憂きこと匂宮との関係。5.1.5
注釈469かく心焦られしたまふ人匂宮。5.1.6
注釈470いとあだなる御心本性匂宮の好色な性癖。5.1.6
注釈471かかるほどこそあらめ「こそあらめ」係結び、逆接用法。『完訳』は「熱中している間はともかく、やがて冷めてしまうだろう」と注す。5.1.6
注釈472かうながらも秘密の関係のまま。5.1.6
注釈473かの上の思さむこと中君。5.1.6
注釈474ともかくもあらむを匂宮の隠妻の状態。5.1.7
注釈475わが心も以下「いみじかるべし」まで、浮舟の心中。5.1.8
注釈476かの殿より薫。5.1.8
出典18 山路思し絶えて ふすまぢを引手の山に妹を置きて山路を行けば生けるともなし 万葉集巻二-二一二 柿本人麿 5.1.1
出典19 親のかふこは所狭き たらちねの親のかふ()の繭ごもりいぶせくもあるかな(いも)に逢はずて 拾遺集恋四-八九五 柿本人麿 5.1.1
校訂17 なればにや なればにや--なれは(は/+に)や 5.1.5
5.2
第二段 その同じ頃、薫からも手紙が届く


5-2  Kaoru sends a letter to Ukifune the same day too

5.2.1   これかれと見るもいとうたてあれば、なほ 言多かりつるを見つつ、臥したまへれば、侍従、右近、見合はせて、
 あれこれと見るのも嫌な気がするので、やはり長々とあった方を見ながら、臥せっていらっしゃると、侍従と、右近とが、顔を見合わせて、
 かわるがわるに二人の男の消息を読むことは気恥ずかしくて、浮舟はまださっきの宮のほうの長い手紙ばかりを寝ながら見ていると、それと知って侍従と右近は顔を見合わせて、
  Kore-kare to miru mo ito utate are ba, naho koto ohokari turu wo mi tutu, husi tamahe re ba, Zizyuu, Ukon, mi-ahase te,
5.2.2  「なほ、移りにけり」
 「やはり、心が移ったわ」
 姫君の心はのちの情人に移った
  "Naho, uturi ni keri."
5.2.3  など、言はぬやうにて言ふ。
 などと、声に出さないで目で言っている。  と言わないようで言っていた。
  nado, iha nu yau ni te ihu.
5.2.4  「 ことわりぞかし。殿の御容貌を、たぐひおはしまさじと見しかど、 この御ありさまはいみじかりけり。うち乱れたまへる愛敬よ。まろならば、かばかりの御思ひを見る見る、えかくてあらじ。 后の宮にも参りて、常に見たてまつりてむ」
 「無理もないことです。殿のご器量を、他にいらっしゃらないと見たが、こちらの宮のご容姿は大変なものでした。おふざけになっていらした愛嬌は。わたしならば、これほどのご愛情を見ては、とてもこうしていられません。后の宮様にでも出仕して、いつも拝見していたい」
 「ごもっともですわ。殿様は二人とない美男でいらっしゃると思っていましたのは前のことで、宮様はなんと申してもすぐれていらっしゃいますもの、お部屋着になっておいでになった時の愛嬌あいきょうなどはどうだったでしょう。私ならその方があれまではげしく思っておいでになるのを見れば黙視していられないでしょう。中宮ちゅうぐう様の女房を志願して、そして始終お逢いのできるようにしますわ」
  "Kotowari zo kasi. Tono no ohom-katati wo, taguhi ohasimasa zi to mi sika do, kono ohom-arisama ha imizikari keri. Uti midare tamahe ru aigyau yo. Maro nara ba, kabakari no ohom-omohi wo miru miru, e kaku te ara zi. Kisai-no-Miya ni mo mawiri te, tune ni mi tatematuri te m."
5.2.5  と言ふ。右近、
 と言う。右近は、
 こう言っているのは侍従である。
  to ihu. Ukon,
5.2.6  「 うしろめたの御心のほどや 。殿の御ありさまにまさりたまふ人は、 誰れかあらむ容貌などは知らず、御心ばへけはひなどよ。なほ、 この御ことは、いと見苦しきわざかな。いかがならせたまはむとすらむ」
 「安心できないお方ですよ。殿のご様子に勝る方は、誰がいらっしゃいましょうか。器量などは知りませんが、お心づかいや感じなどがね。やはり、このご関係は、とても見苦しいことですね。どのようにおなりあそばそうとするのでしょうか」
 「危険な人ね、あなたは。殿様よりすぐれた風采ふうさいの方がどこにあるものですか。お顔はまあともかくも、お気質きだてなり、御様子なりすばらしいのは殿様ですよ。何にしてもお姫様はどうおなりあそばすかしら」
  "Usirometa no mi-kokoro no hodo ya! Tono no ohom-arisama ni masari tamahu hito ha, tare ka ara m. Katati nado ha sira zu, mi-kokorobahe kehahi nado yo. Naho, kono ohom-koto ha, ito mi-gurusiki waza kana! Ikaga nara se tamaha m to su ram?"
5.2.7  と、二人して語らふ。 心一つに思ひしよりは、虚言もたより出で来にけり。
 と、二人で相談する。独りで考えるよりは、嘘をつくにもよい助けが出て来たのであった。
 右近はこう言っていた。今まで一人で苦心をしていた時よりも侍従という仲間が一人できて、うそごとが作りやすくなっていた。
  to, hutari si te katarahu. Kokoro hitotu ni omohi si yori ha, sora-goto mo tayori ide-ki ni keri.
5.2.8  後の御文には、
 後者のお手紙には、
 あとから来たほうの手紙には、
  Noti no ohom-humi ni ha,
5.2.9  「 思ひながら日ごろになること。時々は、それよりも驚かいたまはむこそ、思ふさまならめ。おろかなるにやは」
 「思い続けながら幾日にもなったこと。時々は、そちらからもお手紙をお書きになることが、理想的でしょう。並々には思っていません」
 思いながら行きえないで日を送っています。ときどきはあなたのほうから手紙で私を責めてくださるほうがうれしい。私の愛は決して浅いものではないのですよ。
  "Omohi nagara higoro ni naru koto. Toki-doki ha, sore yori mo odorokai tamaha m koso, omohu sama nara me. Oroka naru ni yaha!"
5.2.10  など、端書きに、
 などと、端に、
 などと書かれ、端のほうに、
  nado hasigaki ni,
5.2.11  「 水まさる遠方の里人いかならむ
 「川の水が増す宇治の里人はどのようにお過ごしでしょうか
  ながめやるをちの里人いかならん
    "Midu masaru woti no sato-bito ika nara m
5.2.12   晴れぬ長雨にかき暮らすころ
  晴れ間も見せず長雨が降り続き、物思いに耽っていらっしゃる今日このごろ
  はれぬながめにかきくらすころ
    hare nu nagame ni kaki-kurasu koro
5.2.13   常よりも、思ひやりきこゆることまさりてなむ」
 いつもよりも、思うことが多くて」
 平生以上にあなたの恋しく思われるころです。
  Tune yori mo, omohi-yari kikoyuru koto masari te nam."
5.2.14  と、 白き色紙にて立文なり。御手もこまかにをかしげならねど、書きざまゆゑゆゑしく見ゆ。宮は、いと多かるを、小さく結びなしたまへる、さまざまをかし。
 と、白い色紙で立文である。ご筆跡もこまやかで美しくはないが、書き方は教養ありげに見える。宮は、とても言葉数多いのを、小さく結んでいらっしゃるのは、それぞれに興趣深い。
 とも書かれてあった。白い色紙を立文たてぶみにしてあった。文字も繊細きゃしゃな美しさはないが貴人の書らしかった。宮のお手紙は内容の多いものであったが、小さく結び文にしてあって、どちらにもとりどりの趣があるのである。
  to, siroki siki-si nite tate-bumi nari. Ohom-te mo komaka ni wokasige nara ne do, kaki-zama yuwe-yuwesiku miyu. Miya ha, ito ohokaru wo, tihisaku musubi-nasi tamahe ru, sama-zama wokasi.
5.2.15  「 まづ、かれを、人見ぬほどに
 「とりあえず、あれを。誰も見ていないうちに」
 「さきのほうのお返事を、だれも見ませんうちにお書きなさいまし」
  "Madu, kare wo, hito mi nu hodo ni."
5.2.16  と聞こゆ。
 とお促し申す。
 と右近は言ったが、
  to kikoyu.
5.2.17  「 今日は、え聞こゆまじ
 「今日は、お返事申し上げることができません」
 「宮様へ今日は何も申し上げる気はしない」
  "Kehu ha, e kikoyu mazi."
5.2.18  と恥ぢらひて、 手習に
 と恥じらって、手習に、
 と恥じたふうで浮舟うきふねは言い、無駄むだ書きに、
  to hadirahi te, tenarahi ni,
5.2.19  「 里の名をわが身に知れば山城の
 「里の名をわが身によそえると
  里の名をわが身に知れば山城の
    "Sato no na wo waga mi ni sire ba Yamasiro no
5.2.20   宇治のわたりぞいとど住み憂き
  山城の宇治の辺りはますます住みにくいことよ
  宇治のわたりぞいとど住みうき
    Udi no watari zo itodo sumi uki
5.2.21  宮の描きたまへりし絵を、時々見て泣かれけり。「 ながらへてあるまじきことぞ」と、とざまかうざまに思ひなせど、 他に絶え籠もりてやみなむは、いとあはれにおぼゆべし
 宮がお描きになった絵を、時々見ては自然涙がこぼれた。「このまま末長く続くものではない」と、あれやこれやと考えてみるが、他には関係をすっかり断ってお逢いしないのは、とても耐えられなく思われるのであろう。
 と書いていた。浮舟は宮のいてお置きになった絵をときどき出して見ては泣かれるのであった。こうした関係を長く続けていってはならないと反省はするが、薫のほうへ引き取られて宮との御縁の絶たれることは悲しく思われてならぬらしい。
  Miya no kaki tamahe ri si we wo, toki-doki mi te naka re keri. "Nagarahe te aru maziki koto zo." to, tozama-kauzama ni omohi-nase do, hoka ni taye komori te yami na m ha, ito ahare ni oboyu besi.
5.2.22  「 かき暮らし晴れせぬ峰の雨雲に
 「真っ暗になって晴れない峰の雨雲のように
  かきくらし晴れせぬ峰のあま雲に
    "Kaki-kurasi hare se nu mine no ama-gumo ni
5.2.23   浮きて世をふる身をもなさばや
  空にただよう煙となってしまいたい
  浮きて世をふる身ともなさばや
    uki te yo wo huru mi wo mo nasa baya
5.2.24   混じりなば
 雲に混じったら」

  maziri na ba."
5.2.25  と聞こえたるを、宮は、よよと泣かれたまふ。「 さりとも、恋しと思ふらむかし 」と思しやるにも、もの思ひてゐたらむさまのみ面影に見えたまふ。
 と申し上げたので、宮は、声を上げて泣かれる。「死にたいとはいえ、恋しいと思っているらしい」とご想像なさるにも、物思いに沈んでいる様子ばかりが面影にお見えになる。
 こう浮舟が書いてきたのを御覧になり、兵部卿ひょうぶきょうの宮は声をたててお泣きになった。自分ばかりが熱愛しているのでなく、彼女も自分を恋しく思うことがあるのであろうと想像をあそばすと、浮舟の姫君が物思わしそうにしていた面影がお目の前に立って悲しかった。
  to kikoye taru wo, Miya ha, yo-yo to naka re tamahu. "Saritomo, kohisi to omohu ram kasi." to obosi-yaru ni mo, mono-omohi te wi tara m sama nomi omokage ni miye tamahu.
5.2.26   まめ人は、のどかに見たまひつつ、「 あはれ、いかに眺むらむ」と思ひやりて、いと恋し。
 真面目人間は、のんびりと御覧になりながら、「ああ、どのような思いでいるのだろう」と想像して、たいそう恋しい。
 薫は余裕のある気持ちで浮舟から来た返事を読み、かわいそうにどんなに物思いをしているであろうと恋しく思った。
  Mame-bito ha, nodoka ni mi tamahi tutu, "Ahare, ikani nagamu ram?" to omohi-yari te, ito kohisi.
5.2.27  「 つれづれと身を知る雨の小止まねば
 「寂しくわが身を知らされる雨が小止みもなく降り続くので
  つれづれと身を知る雨のをやまねば
    "Ture-dure to mi wo siru ame no wo-yama ne ba
5.2.28   袖さへいとどみかさまさりて
  袖までが涙でますます濡れてしまいます
  袖さへいとどかさまさりて
    sode sahe itodo mikasa masari te
5.2.29  とあるを、うちも置かず見たまふ。
 とあるのを、下にも置かず御覧になる。
 という歌を長く手から放たずながめ入っていたのであった。
  to aru wo, uti mo oka zu mi tamahu.
注釈477これかれと見るも匂宮と薫との手紙。5.2.1
注釈478言多かりつるを匂宮の手紙。5.2.1
注釈479ことわりぞかし以下「見たてまつりてむ」まで、侍従の詞。5.2.4
注釈480この御ありさまは匂宮のご器量。5.2.4
注釈481后の宮にも参りて明石中宮のもとに女房として出仕してでも常に拝していたい。5.2.4
注釈482うしろめたの御心のほどや以下「いかがならせたまはむとすらむ」まで、右近の詞。5.2.6
注釈483誰れかあらむ反語表現。右近は薫を称揚。5.2.6
注釈484容貌などは知らず御心ばへけはひなどよ薫の心配りや感じを強調。5.2.6
注釈485この御ことは浮舟と匂宮との関係。5.2.6
注釈486心一つに思ひしよりは『完訳』は「右近一人より、嘘をつくにも好都合。右近が侍従をまきこむ」と注す。『湖月抄』は「草子地也」と指摘。『全集』は「諧謔的な語り口で、読者の緊張をときほぐす効果がある」と注す。5.2.7
注釈487思ひながら以下「おろかなるにやは」まで、薫の手紙。5.2.9
注釈488水まさる遠方の里人いかならむ晴れぬ長雨にかき暮らすころ薫から浮舟への贈歌。「をち」(宇治にある地名)と「遠方」、「眺め」と「長雨」の懸詞。浮舟の寂しさを思いやる。5.2.11
注釈489常よりも以下「まさりてなむ」まで、歌に続けた手紙。5.2.13
注釈490白き色紙にて立文なり白色の料紙、立文の形式は、恋文には用いない。『集成』は「儀礼や普通の用件の時の形式」と注す。5.2.14
注釈491まづかれを人見ぬほどに侍従の詞。先に匂宮に返事を書くように勧める。5.2.15
注釈492今日はえ聞こゆまじ浮舟の詞。5.2.17
注釈493手習に『完訳』は「相手への返歌よりも、自らの思いを独詠的に書きつける趣」と注す。5.2.18
注釈494里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住み憂き浮舟の独詠歌。『細流抄』は「わが庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり」(古今集雑下、九八二、喜撰法師)を指摘。5.2.19
注釈495ながらへてあるまじきことぞ浮舟の思い。匂宮との関係は長く続くはずのないのも、の意。5.2.21
注釈496他に絶え籠もりてやみなむはいとあはれにおぼゆべし「おぼゆ」の主語は浮舟。「べし」の推量の主体は語り手。『完訳』は「以下、匂宮への断ちがたい執心。「--べし」は語り手の推測」と注す。5.2.21
注釈497かき暮らし晴れせぬ峰の雨雲に浮きて世をふる身をもなさばや浮舟の匂宮への返歌。5.2.22
注釈498混じりなば明融臨模本、朱合点。『源氏釈』は「行く舟の跡なき波にまじりなば誰かは水の泡とだに見む(新勅撰集恋四、九四一、読人しらず)。『異本紫明抄』は「白雲の晴れぬ雲居にまじりなばいづれかそれと君は尋ねむ」(出典未詳)を指摘。『玉の小櫛』は「ほととぎす峯の雲にやまじりにしありとは聞けど見るよしもなし」(古今集物名、四四七、平篤行)を指摘。5.2.24
注釈499さりとも恋しと思ふらむかし匂宮の思い。5.2.25
注釈500まめ人は薫。5.2.26
注釈501あはれいかに眺むらむ薫の思い。5.2.26
注釈502つれづれと身を知る雨の小止まねば袖さへいとどみかさまさりて浮舟から薫への返歌。明融臨模本、朱合点。『異本紫明抄』は「数々に思ひ思はず問ひがたみ身をしる雨は降りぞまされる」(古今集恋四、七〇五、在原業平)。『湖月抄』は「つれづれと長雨にまさる涙川袖のみ濡れて逢ふよしもなし」(古今集恋三、六一七、藤原敏行)を指摘。5.2.27
出典20 混じりなば 白雲の晴れぬ雲居にまじりなばいづれかそれと君は思はむ 異本紫明抄所引-出典未詳 5.2.24
出典21 つれづれと身を知る雨 つれづれの眺めにまさる涙川袖のみ濡れて逢ふよしもなし 古今集恋三-六一七 藤原敏行 5.2.27
かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる 古今集恋四-七〇五 在原業平
校訂18 うしろめた うしろめた--*うしろめてた 5.2.6
校訂19 さりとも さりとも--さりとて(て/$)も 5.2.25
5.3
第三段 匂宮、薫の浮舟を新築邸に移すことを知る


5-3  Niou-no-miya finds that Kaoru wants to remove Ukifune to a new house

5.3.1   女宮に物語など聞こえたまひてのついでに、
 女宮にお話などを申し上げた機会に、
 薫は夫人の宮とお話をしていたついでに、
  Womna-Miya ni monogatari nado kikoye tamahi te no tuide ni,
5.3.2  「 なめしともや思さむと、つつましながら、さすがに 年経ぬる人のはべるを、あやしき所に捨て置きて、いみじくもの思ふなるが心苦しさに、近う呼び寄せて、と思ひはべる。 昔より異やうなる心ばへはべりし身にて、世の中を、すべて例の人ならで過ぐしてむと思ひはべりしを、 かく見たてまつるにつけて、ひたぶるにも捨てがたければ、ありと人にも知らせざりし人の上さへ、心苦しう、罪得ぬべき心地してなむ」
 「失礼なとお思いになるやもと、気がひけますが、そうはいっても古くからの女がございましたが、賤しい所に放って置いて、ひどく物思いに沈んでいるというのが気の毒なので、近くに呼び寄せて、と思っております。昔から人とは異なった考えがございまして、世の中を、普通の人とは違って過ごそうと思っておりましたが、このようにご結婚申して、一途には世を捨てがたいので、そんな女がいるとは知らせなかった身分の低い者でさえ、気の毒で、罪障になりそうな気がいたしまして」
 「無礼だとあなたがお思いにならぬかと不安に思いながら、ずっと以前から愛していました女が一人あるのです。京のまちの中でもない遠い所に置き放しにしてありますために、物思いばかりいたしているふうなのがかわいそうで、町の中へ呼び寄せてやろうと思います。少年時代から私は人に違った心を持っていまして、宗教のほうへはいって一生を送ろうと覚悟していたのですが、あなたと結婚をして今では出家も実行できませんから、そうなってみますとだれにも隠してあった人のことも気の毒になりまして罪を作っているように思われるものですから」
  "Namesi to mo ya obosa m to, tutumasi nagara, sasuga ni tosi he nuru hito no haberu wo, ayasiki tokoro ni sute-oki te, imiziku mono-omohu naru ga kokoro-gurusisa ni, tikau yobi-yose te, to omohi haberu. Mukasi yori koto yau naru kokorobahe haberi si mi nite, yononaka wo, subete rei no hito nara de sugusi te m to omohi haberi si wo, kaku mi tematuru ni tuke te, hitaburu ni mo sute gatakere ba, ari to hito ni mo sirase zari si hito no uhe sahe, kokoro-gurusiu, tumi e nu beki kokoti si te nam."
5.3.3  と、聞こえたまへば、
 と、申し上げなさると、
 と浮舟のことを言い、また、
  to, kikoye tamahe ba,
5.3.4  「 いかなることに心置くものとも知らぬを
 「どのようなことをお考えおいていらっしゃるとも存じませんが」
 「あなたのどんなことが私の苦痛になるものかまだ私は知らないのですもの」
  "Ika naru koto ni kokoro-oku mono to mo sira nu wo."
5.3.5  と、いらへたまふ。
 と、お返事なさる。
 宮はこうお言いになった。
  to, irahe tamahu.
5.3.6  「 内裏になど、悪しざまに聞こし召さする人やはべらむ。世の人のもの言ひぞ、いとあぢきなくけしからずはべるや。されど、 それは、さばかりの数にだにはべるまじ」
 「帝になど、良くないようにお耳に入れ申す人がございましょう。世間の人の噂は、まことにつまらない良くないものでございますよ。けれども、その女は、それほど問題にもならない女でございます」
 「おかみへそんなことで私を中傷する人ができないかと心配するのですよ。世間の人はいろいろなことを言いたがるものですからね、けれど今の関係は世間が問題にするにも足りないものなのですが」
  "Uti ni nado, asi-zama ni kikosimesa suru hito ya habera m. Yo no hito no mono-ihi zo, ito adikinaku kesikara zu haberu ya! Saredo, sore ha, sabakari no kazu ni dani haberu mazi."
5.3.7  など聞こえたまふ。
 などと申し上げなさる。
 などと薫は言っていた。
  nado kikoye tamahu.
5.3.8  「 造りたる所に渡してむ」と思し立つに、「 かかる料なりけり」など、はなやかに言ひなす人やあらむなど、苦しければ、いと忍びて、障子張らすべきことなど、 人しもこそあれこの内記が知る人の親、大蔵大輔なるものに、睦ましく心やすきままに、のたまひつけたりければ、 聞きつぎて、宮には隠れなく聞こえけり。
 「新築した所に移そう」とお決めになったが、「このようなための家だったのだ」などと、ぱあっと言い触らす人がいようかなどと、困るので、たいそう人目に立たないようにして、襖障子を張らせることなど、人もあろうに、この大内記の妻の父親で、大蔵大輔という者に、親しいので気安く思って、命令なさっていたので、妻を介して聞き知って、宮にすっかり申し上げた。
 新築させたやしきへ浮舟を入れようと思っていたが、そのために家までも作ったと派手はでな取り沙汰ざたなどをされるのは苦しいことであると薫は思い、ひそかに襖子からかみを張らせなどすることを、人もあろうに内記の妻の親である大蔵の五位へ心安いままに命じたのであったから、時方ときかたから話は皆兵部卿の宮のほうへ聞こえてしまった。
  "Tukuri taru tokoro ni watasi te m." to obosi-tatu ni, "Kakaru reu nari keri." nado, hanayaka ni ihi-nasu hito ya ara m nado, kurusikere ba, ito sinobi te, syauzi hara su beki koto nado, hito simo koso are, kono Naiki ga siru hito no oya, Ohokura-no-Taihu naru mono ni, mutumasiku kokoro-yasuki mama ni, notamahi tuke tari kere ba, kiki-tugi te, Miya ni ha kakure naku kikoye keri.
5.3.9  「 絵師どもなども御随身どもの中にある、睦ましき殿人などを選りて、 さすがにわざとなむせさせたまふ」
 「絵師連中なども、御随身の中にいる者で、親しい家人などを選んで、隠れ家とはいっても特別にお気をつけてなさっています」
 「絵師も大将の御随身の中にいますものとか、御従属しております人の中とかからお選びになりまして、さすがに歴としたおやしきの準備を宇治の方のためにさせておいでになります」
  "Wesi-domo nado mo, mi-zuizin-domo no naka ni aru, mutumasiki tono-bito nado wo eri te, sasuga ni waza to nam se sase tamahu."
5.3.10  と申すに、 いとど思し騷ぎて、わが御乳母の、 遠き受領の妻にて下る家、下つ方にあるを、
 と申すので、ますます胸騷ぎがなさって、ご自分の乳母で、遠国の受領の妻となって下る家で、下京の方にあるのを、
 と申すのをお聞きになって、いっそう宮はおあせりになり、御自身の乳母めのとが遠国の長官の妻になって良人おっとの任地へ行ってしまうその家が下京のほうにあるのをお知りになり、
  to mausu ni, itodo obosi sawagi te, waga ohom-Menoto no tohoki zuryau no me nite kudaru ihe, simo-tu-kata ni aru wo,
5.3.11  「 いと忍びたる人、しばし隠いたらむ
 「ごくごく内密の女を、しばらく隠して置きたい」
 「自分が世間へ知らせずに隠して置きたい女のためにしばらくその家を借りたい」
  "Ito sinobi taru hito, sibasi kakui tara m."
5.3.12  と、語らひたまひければ、「 いかなる人にかは」と思へど、大事と思したるに、かたじけなければ、「 さらば」と聞こえけり。これをまうけたまひて、すこし御心のどめたまふ。 この月の晦日方に、下るべければ、「やがてその日渡さむ」と思し構ふ。
 とご相談があったので、「どのような女であろうか」とは思うが、重大事とお思いでいられるのが恐れ多いので、「それではどうぞ」と申し上げた。この家を準備なさって、少しお心が安心なさる。今月の晦日頃に、下向する予定なので、「すぐその日に女を移そう」とご計画なさる。
 と御相談になると、女とはどんな人なのであろうと乳母は思ったが、熱心に仰せられることであったから、お否み申し上げるのはもったいないように思われて承諾した。この家がお見つかりになったために宮は少し御安心をあそばされた。三月の末日に乳母は家を出るはずであったから、その日に宇治から恋人を移そうと計画をしておいでになるのであった。
  to, katarahi tamahi kere ba, "Ika naru hito ni kaha." to omohe do, daizi to obosi taru ni, katazikenakere ba, "Saraba." to kikoye keri. Kore wo mauke tamahi te, sukosi mi-kokoro nodome tamahu. Kono tuki no tugomori-gata ni, kudaru bekere ba, "Yagate sono hi watasa m." to obosi kamahu.
5.3.13  「 かくなむ思ふ。ゆめゆめ
 「これこれと思っている。決して他人に気づかれてはならぬ」
 こう思っている、秘密に秘密にしてお置きなさい
  "Kaku nam omohu. Yume-yume."
5.3.14  と言ひやりたまひつつ、おはしまさむことは、いとわりなくあるうちにも、ここにも、乳母のいとさかしければ、難かるべきよしを聞こゆ。
 と言いやりなさっては、ご自身がお出向きになることは、とても難しいところに、こちら宇治でも、乳母がとてもうるさいので、難しい旨をお返事申し上げる。
 と書いておやりになったのであるが、御自身で宇治へおいでになることは至難のことになっていた。山荘のほうからも乳母は気のはしこくつく女であるからお迎えすることは不可能であると右近が書いてきた。
  to ihi-yari tamahi tutu, ohasimasa m koto ha, ito warinaku aru uti ni mo, koko ni mo, Menoto no ito sakasikere ba, katakaru beki yosi wo kikoyu.
注釈503女宮に薫の正室の女二宮。5.3.1
注釈504なめしともや以下「罪得ぬべき心地して」まで、薫の詞。5.3.2
注釈505年経ぬる人浮舟。長年付き合ってきた、の意。5.3.2
注釈506昔より異やうなる心ばへはべりし身にて薫自身の性癖についていう。『完訳』は「「異やうなる心ばへ」「例の人ならで」は、現世に否定的な世捨人の姿勢。薫独自の自己主張」と注す。5.3.2
注釈507かく見たてまつるにつけて女二宮との結婚生活をさす。5.3.2
注釈508いかなることに心置くものとも知らぬを女二宮の返事。『完訳』は「どんなことに気がねすべきものか分らぬ。嫉妬心はないとする。高貴な女性の常套的な応答」と注す。5.3.4
注釈509内裏になど以下「はべるまじ」まで、薫の詞。5.3.6
注釈510それは浮舟。5.3.6
注釈511造りたる所に渡してむ薫が京に新築中の邸。5.3.8
注釈512かかる料なりけり女を迎えるための邸であったのか、の意。5.3.8
注釈513人しもこそあれ『完訳』は「他にも人はあろうに。事の経緯に対する、語り手の評言」と注す。5.3.8
注釈514この内記が知る人の親、大蔵大輔なるものに大内記の妻の父親で大蔵大輔という者。大蔵大輔は薫の家司。しかし、婿の大内記は匂宮の腹心の家来。5.3.8
注釈515聞きつぎて主語は大内記。5.3.8
注釈516絵師どもなども以下「わざとなむせさせたまふ」まで、大内記の詞。5.3.9
注釈517御随身どもの右大将薫の随身は六人。5.3.9
注釈518さすがに隠れ家とはいっても、の意。5.3.9
注釈519いとど思し騷ぎて主語は匂宮。5.3.10
注釈520遠き受領の妻にて下る家遠国の受領の妻となって下る予定の家。5.3.10
注釈521いと忍びたる人しばし隠いたらむ匂宮の詞。5.3.11
注釈522いかなる人にかは受領の思い。5.3.12
注釈523さらば受領の詞。5.3.12
注釈524この月の晦日方に受領らは三月末方に下向の予定。5.3.12
注釈525かくなむ思ふゆめゆめ匂宮の詞。他言を禁じる。5.3.13
5.4
第四段 浮舟の母、京から宇治に来る


5-4  Ukifune's mother comes to Uji from Kyoto

5.4.1  大将殿は、卯月の十日となむ定めたまへりける。「 誘ふ水あらば」とは 思はず、いとあやしく、「いかにしなすべき身にかあらむ」と 浮きたる心地のみすれば、「母の御もとにしばし渡りて、思ひめぐらすほどあらむ」と思せど、 少将の妻、子産むべきほど近くなりぬとて、修法、読経など、隙なく騒げば、石山にもえ出で立つまじ、母ぞこち渡りたまへる。乳母出で来て、
 大将殿は、四月の十日とお決めになっていた。「誘ってくれる人がいたらどこへでも」とは思わず、とても変で、「どうしたらよい身の上だろうか」と浮いたような気持ちばかりがするので、「母親のもとにしばらく出かけていたら、思案する時間があろう」とお思いになるが、少将の妻が、子供を産む時期が近づいたということで、修法や、読経などでひっきりなしに騒がしいので、石山寺にも出かけるわけにゆかず、母親がこちらにお越しになった。乳母が出て来て、
 薫からは四月十日と移転の日をきめて来た。「誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ」とは思われないで、女はいかに進退すべきかに迷い、不安さに母の所へしばらく行ってよく考えを定めればいいであろうと思われたが、少将の妻になっている常陸守ひたちのかみの娘の産期が近づいたため、祈祷きとうとか読経どきょうとかをさせるために家のほうは騒いでいて、懸案だった石山もうでもできなくなり、母のほうから宇治の山荘へ出て来た。乳母がさっそく出て来て、
  Daisyau-dono ha, Uduki no towo-ka to nam sadame tamahe ri keru. "Sasohu midu ara ba." to ha omoha zu, ito ayasiku, "Ikani si-nasu beki mi ni ka ara m?" to uki taru kokoti nomi sure ba, "Haha no ohom-moto ni sibasi watari te, omohi megurasu hodo ara m." to obose do, Seusyau no me, ko umu beki hodo tikaku nari nu tote, syuhohu, dokyau nado, himanaku sawage ba, Isiyama ni mo e ide-tatu mazi, Haha zo koti watari tamahe ru. Menoto ide-ki te,
5.4.2  「 殿より、人びとの装束なども、こまかに思しやりてなむ。いかできよげに何ごとも、と思うたまふれど、乳母が心一つには、あやしくのみぞし出ではべらむかし」
 「殿から、女房の衣装なども、こまごまとご心配いただきました。何とかきれいに何事も、と存じておりますが、乳母独りのお世話では、不十分なことしかできませんでございましょう」
 「殿様のほうから、女房たちの衣装をこまごまと気をおつけになりましてたくさんな材料をくださいましたから、どうかしてきれいな体裁をととのえたいと思っておりますけれど、私の頭で考えますことではろくなことはできそうにございません」
  "Tono yori, hito-bito no syauzoku nado mo, komaka ni obosi-yari te nam. Ikade kiyoge ni nani-goto mo, to omou tamahure do, Mama ga kokoro hitotu ni ha, ayasiku nomi zo si-ide habera m kasi."
5.4.3  など言ひ騒ぐが、心地よげなるを 見たまふにも、君は、
 などとはしゃいでいるのが、気持ちよさそうなのを御覧になるにつけても、女君は、
 などと得意そうに語る。母もうれしそうであった。
  nado ihi sawagu ga, kokoti-yoge naru wo mi tamahu ni mo, Kimi ha,
5.4.4  「 けしからぬことどもの出で来て、人笑へならば、誰れも誰れもいかに思はむ。 あやにくにのたまふ人、はた、 八重立つ山に 籠もるとも、かならず尋ねて、 我も人もいたづらになりぬべし。 なほ、心やすく隠れなむことを思へ と、今日ものたまへるを、いかにせむ」
 「とんでもない事がいろいろと起こって、物笑いになったら、誰も彼もがどのように思うであろう。無理無体におっしゃる方は、また、幾重にも山深い所に隠れても、必ず探し出して、自分も宮も身を破滅してしまうだろう。やはり、気楽な所に隠れることを考えなさいと、今日もおっしゃっているが、どうしたらよいだろう」
 浮舟の姫君は逃亡というような意外なことを自分が起こして問題になれば、この人たちはどんなにかなしむことであろう。一方の宮はまたどんな深い山へはいろうとも必ずお捜し出しになり、しまいには自分もあの方も社会的に葬られる結果になるであろう、自分の手へ来て隠れるようにとは今朝けさも手紙に書いておよこしになったのであるが、どうすればよいのであろう
  "Kesikara nu koto-domo no ide-ki te, hito-warahe nara ba, tare mo tare mo ikani omoha m. Ayaniku ni notamahu hito, hata, yahe-tatu-yama ni komoru tomo, kanarazu tadune te, ware mo itadura ni nari nu besi. Naho, kokoro-yasuku kakure na m koto wo omohe to, kehu mo notamahe ru wo, ikani se m."
5.4.5  と、心地悪しくて臥したまへり。
 と、気分が悪くて臥せっていらっしゃった。
 と思い、気分までも悪くなり横になっていた。
  to, kokoti asiku te husi tamahe ri.
5.4.6  「 などか、かく例ならず、いたく青み痩せたまへる」
 「どうして、このようにいつもと違って、ひどく青く痩せていらっしゃるのでしょうか」
 「どうしてそんなに平生と違って顔色が悪く、せておしまいになったのだろう」
  "Nadoka, kaku rei nara zu, itaku awomi sase tamahe ru?"
5.4.7  と驚きたまふ。
 と驚きなさる。
 と母は浮舟を見て驚いていた。
  to odoroki tamahu.
5.4.8  「 日ごろあやしくのみなむ。はかなきものも聞こしめさず、悩ましげにせさせたまふ」
 「ここ幾日も妙な具合ばかりです。ちょっとした食事も召し上がらず、苦しそうにおいであそばします」
 「このごろずっとそんなふうでいらっしゃいまして、物は召し上がりませんし、お苦しそうにばかりしていらっしゃるのでございます」
  "Higoro ayasiku nomi nam. Hakanaki mono mo kikosimesa zu, nayamasige ni se sase tamahu."
5.4.9  と言へば、「 あやしきことかな。もののけなどにやあらむ」と、
 と言うと、「不思議なことだわ。物の怪などによるのであろうか」と、
 乳母はこう告げた。「怪しいことね。物怪もののけか何かがいたのだろうか。
  to ihe ba, "Ayasiki koto kana! Mononoke nado ni ya ara m?" to,
5.4.10  「 いかなる御心地ぞと思へど、石山停まり たまひにきかし
 「どのようなご気分かと心配ですが、石山詣でもお止めになった」
 あるいはと思うこともあるけれど、石山まいりの時はけがれで延びたのだし」
  "Ika naru mi-kokoti zo to omohe do, Isiyama tomari tamahi ni ki kasi."
5.4.11  と言ふも、かたはらいたければ、伏目なり。
 と言うのも、いたたまれない気がするので、まともに目を合わせられない。
 と言われている時片腹痛さで伏し目になっている姫君だった。
  to ihu mo, katahara-itakere ba, husime nari.
注釈526誘ふ水あらばとは明融臨模本、朱合点。『源氏釈』は「わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」(古今集雑下、九三八、小野小町)を指摘。5.4.1
注釈527浮きたる心地のみすれば浮舟の心理。5.4.1
注釈528少将の妻、子産むべきほど近くなりぬ左近少将の妻。浮舟の異父妹。昨年の八月頃に結婚。この五月頃に出産予定。5.4.1
注釈529殿より人びとの以下「はべらむかし」まで、乳母の詞。5.4.2
注釈530見たまふにも主語は浮舟。5.4.3
注釈531けしからぬことども以下「いかにせむ」まで、浮舟の心中。5.4.4
注釈532あやにくにのたまふ人匂宮。5.4.4
注釈533八重立つ山に明融臨模本、朱合点。『源氏釈』は「白雲の絶えずたなびく峯にだに住めば住みぬる世にこそありけれ」(古今集雑下、九四五、惟喬親王)。『異本紫明抄』は「白雲の八重立つ山にこもるとも思ひ立ちなば尋ねざらめやは」(出典未詳)を指摘。5.4.4
注釈534我も人も自分も匂宮も。5.4.4
注釈535なほ心やすく隠れなむことを思へ匂宮からの文面の主旨。匂宮の隠れ家に移すことをいう。5.4.4
注釈536などかかく以下「青み痩せたまへる」まで、浮舟母の詞。5.4.6
注釈537日ごろあやしくのみなむ以下「悩ましげにせさせたまふ」まで乳母の詞。5.4.8
注釈538あやしきことかなもののけなどにやあらむ浮舟母の心中。5.4.9
注釈539いかなる御心地ぞ以下「たまひにきかし」まで、浮舟母の詞。5.4.10
出典22 誘ふ水あらば 侘びぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ 古今集雑下-九三八 小野小町 5.4.1
出典23 八重立つ山 白雲の八重立つ山にこもるとも思ひ立ちなば尋ねざらめや 紫明抄所引-出典未詳 5.4.4
校訂20 隠れ 隠れ--かくかく(かく<後出>/$)れ 5.4.4
校訂21 たまひにきかし たまひにきかし--たまひに(に/+きか)し 5.4.10
5.5
第五段 浮舟、母と尼の話から、入水を思う


5-5  Ukifune's mother talks with Ben-no-ama

5.5.1  暮れて月いと明かし。 有明の空を思ひ出づる、「涙のいと止めがたきは、いとけしからぬ心かな」と思ふ。母君、昔物語などして、 あなたの尼君呼び出でて、 故姫君の御ありさま、心深くおはして、さるべきことも思し入れたりしほどに、目に見す見す消え入りたまひにしことなど語る。
 日が暮れて月がたいそう明るい。有明の空を思い出すと、「涙がますます抑えがたいのは、まことにけしからぬ心がけだ」と思う。母君、昔話などをして、あちらの尼君を呼び出して、亡くなった姫君のご様子、思慮深くいらして、しかるべき事柄をお考えになっていた間に、目の前でお亡くなりになったことなどを話す。
 夜になって月が明るく出た。川の上の有明ありあけ月夜のことがまた思い出されて、とめどなく涙の流れるのもけしからぬ自分の心であると浮舟は思った。母は昔の話などをしていて弁の尼も呼びにやった。尼は総角あげまきの姫君のことを話し出し、「考え深い方でいらっしゃいまして、御兄弟のことをあまりに御心配なさいまして、みすみす病気を重くしておしまいになりおかくれになったんですよ」と歎いていた。
  Kure te tuki ito akasi. Ariake no sora wo omohi-iduru, "Namida no ito tome gataki ha, ito kesikara nu kokoro kana!" to omohu. Haha-Gimi, mukasi-monogati nado si te, anata no Ama-Gimi yobi-ide te, ko-Hime-Gimi no ohom-arisama, kokoro-hukaku ohasi te, saru-beki koto mo obosi-ire tari si hodo ni, me ni misu misu kiye-iri tamahi ni si koto nado kataru.
5.5.2  「 おはしまさましかば宮の上などのやうに、聞こえ通ひたまひて、心細かりし御ありさまどもの、いとこよなき御幸ひにぞはべらましかし」
 「生きていらっしゃったら、宮の上などのように、親しくお話し合いさって、心細かった方々のご境遇が、とてもこの上なくお幸せでございましたでしょうに」
 「生きておいでになりましたら、宮の奥様の所と同じにおつきあいをあそばすことができまして、ただ今まで御苦労の多うございましたのを、お取り返しになれますほどおしあわせにおなりあそばされたのでしょうに」
  "Ohasimasa masika ba, Miya-no-Uhe nado no yau ni, kikoye kayohi tamahi te, kokoro-bosokari si ohom-arisama-domo no, ito koyonaki ohom-saihahi ni zo habera masi kasi."
5.5.3  と言ふにも、「 わが娘は異人かは。思ふやうなる宿世のおはし果てば、劣らじを」など思ひ続けて、
 と言うにつけても、「自分の娘とて他人ではない。思い通りの運命がお続きになったら、負けるまいに」と思い続けて、
 尼のこの言葉を常陸夫人は喜ばなかった。自分の娘も八の宮の王女である、これから願っていたような幸福の道を進んで行ったならば二人の女王に劣る人とは見えぬはずであるなどという空想をして、
  to ihu ni mo, "Waga musume ha koto-bito kaha. Omohu yau naru sukuse no ohasi hate ba, otora zi wo." nado omohi tuduke te,
5.5.4  「 世とともに、この君につけては、ものをのみ思ひ乱れしけしきの、すこしうちゆるびて、かくて渡りたまひぬべかめれば、ここに参り来ること、かならずしもことさらには、え思ひ立ちはべらじ。かかる対面の折々に、昔のことも、心のどかに聞こえ承らまほしけれ」
 「いつもいつも、この君の事では、何かと心配ばかりしてきましたが、様子が少しよくなって、このように京にお移りなるようですから、こちらにやって参ること、特別にわざわざ思い立つこともございますまい。このようなお目にかかった折々に、昔の話を、のんびりと承りたく存じます」
 「ずっとこの方では苦労をし続けてきたのですが、少しそれがゆるんで大将さんのところへ迎えられて行くことになりましたら、ここへ私の出てまいるようなこともあまりできますまい。まあ今のうちに昔のお話をゆるりとしておくことだと思うのですがね」
  "Yo to tomoni, kono Kimi ni tuke te ha, mono wo nomi omohi midare si kesiki no, sukosi uti-yurubi te, kaku te watari tamahi nu beka' mere ba, koko ni mawiri kuru koto, kanarazu simo koto-sara ni ha, e omohi-tati habera zi. Kakaru taimen no wori-wori ni, mukasi no koto mo, kokoro-nodoka ni kikoye uketamahara mahosikere."
5.5.5  など語らふ。
 などと話す。
 などと言っていた。
  nado katarahu.
5.5.6  「 ゆゆしき身とのみ思うたまへしみにしかば、 こまやかに見えたてまつり聞こえさせむも、何かは、つつましくて過ぐしはべりつるを、うち捨てて、渡らせたまひなば、いと心細くなむはべるべけれど、 かかる御住まひは、心もとなくのみ見たてまつるを、うれしくもはべるべかなるかな。世に知らず重々しくおはしますべかめる殿の御ありさまにて、かく尋ねきこえさせたまひしも、おぼろけならじと 聞こえおきはべりにし、浮きたることにやは、はべりける」
 「縁起でもない身の上とばかり存じておりましたので、こまごまとお目にかかってお話し申し上げますのも、どんなものかしらと、遠慮して過ごしてまいりましたが、見捨てて、お移りになりましたら、とても心細くございましょうが、このようなお住まいは、不安にばかり拝見してましたので、嬉しいことでございますね。又となく重々しくいらっしゃるらしい殿のご様子で、このようにお訪ね申し上げなさったのも、並々な愛情ではないと申し上げたことがございましたが、いい加減なことで、ございましたでしょうか」
 「私などは縁起でもない恰好かっこうをしてと思いまして、こちらへ出てまいってこまごまとしたお話を申し上げますのも御遠慮がされて引っ込んでいましたものの、京へ行っておしまいになれば、心細くなることでございましょう。でもね、こうしたお住まいをしていらっしゃるのは何だかたよりない気のしたものですが、私もうれしいことに違いございません。重々しいお身の上のある方がこんなにも御丁寧にしてお迎えになるのは、奥様のお一人と思召すお心がおありになるからだと私へお話のあったことがございます。将来御不安なことなどは決してございませんよ」
  "Yuyusiki mi to nomi omou tamahe simi ni sika ba, komayaka ni miye tatematuri kikoye sase m mo, nani-kaha, tutumasiku te sugusi haberi turu wo, uti-sute te, watara se tamahi na ba, ito kokoro-bosoku nam haberu bekere do, kakaru ohom-sumahi ha, kokoro-motonaku nomi mi tatematuru wo, uresiku mo haberu beka' naru kana! Yo ni sira zu omo-omosiku ohasimasu beka' meru Tono no ohom-arisama nite, kaku tadune kikoye sase tamahi si mo, oboroke nara zi to kikoye-oki haberi ni si, uki taru koto ni yaha, haberi keru."
5.5.7  など言ふ。
 などと言う。

  nado ihu.
5.5.8  「 後は知らねど、ただ今は、かく思し離れぬさまにのたまふにつけても、 ただ御しるべをなむ思ひ出できこゆる。 宮の上の、かたじけなくあはれに思したりしも、 つつましきことなどの、おのづからはべりしかば、 中空に所狭き御身なり、と思ひ嘆きはべりて」
 「先の事は分かりませんが、ただ今は、このようにお見捨てになることなくおっしゃるにつけても、ただお導きによるものと思い出し申し上げております。宮の上が、もったいなくもお目をかけてくださいましたのも、遠慮されることなどが、自然とございましたので、中途半端で身の置き所のない方だ、と嘆きまして」
 「まああとのことはわかりませんが、現在はまあこうした御親切をお見せくださるものですから、最初いろいろとお骨を折ってくださいましたあなたの御恩が思われます。宮の奥様はもったいないほどこの方を愛してあげてくださいましたのですが、あちらではめんどうが少し起こりかけましてね、ごやっかいにならせてお置きすることもできませんで、行きどころのないような孤独の方になっておいでになったので私は心配しておりましたがねえ」
  "Noti ha sira ne do, tada-ima ha, kaku obosi hanare nu sama ni notamahu ni tuke te mo, tada ohom-sirube wo nam omohi-ide kikoyuru. Miya-no-Uhe no, katazikenaku ahare ni obosi tari si mo, tutumasiki koto nado no, onodukara haberi sika ba, naka-zora ni tokoro-seki ohom-mi nari, to omohi nageki haberi te."
5.5.9  と言ふ。尼君うち笑ひて、
 と言う。尼君はにっこりして、
 尼は笑って、
  to ihu. Ama-Gimi uti-warahi te,
5.5.10  「 この宮の、いと騒がしきまで色におはしますなれば、心ばせあらむ若き人、さぶらひにくげになむ。おほかたは、いとめでたき御ありさまなれど、さる筋のことにて、上のなめしと思さむなむわりなきと、 大輔が娘の語りはべりし」
 「この宮の、とてもうるさいほどに好色でいらっしゃるので、分別のある若い女房は、お仕えにくそうで。だいたいは、とても素晴らしいご様子ですが、その方面のことで、上が失礼なとお思いになるのが困ったことだと、大輔の娘が話しておりました」
 「あの宮様は騒がしいくらい御多情な方でね、利巧りこうな若い女房は御奉仕がいたしにくいそうですよ。ほかのことはごりっぱな方なのですがね、そんなことで奥様が無礼だとお思いになることがないかと御心配が絶えないなどと大輔たゆうの娘が話していましたよ」
  "Kono Miya no, ito sawagasiki made iro ni ohasimasu nare ba, kokorobase ara m wakaki hito, saburahi nikuge ni nam. Ohokata ha, ito medetaki ohom-arisama nare do, saru sudi no koto nite, Uhe no namesi to obosa m nam warinaki to, Taihu ga musume no katari haberi si."
5.5.11  と言ふにも、「 さりや、まして」と、君は聞き臥したまへり。
 と言うにつけても、「やはりそうか、それ以上にわたしは」と、女君は臥せって聞いていらっしゃった。
 こう言うのを、女房ですらその遠慮はするのである、まして自分は夫人の妹でないかと思いながら、横たわった浮舟は聞いていた。
  to ihu ni mo, "Sariya, masite." to, Kimi ha kiki-husi tamahe ri.
注釈540有明の空を思ひ出づる橘の小島での思い出。5.5.1
注釈541あなたの尼君渡廊にいる弁尼。5.5.1
注釈542故姫君の御ありさま故大君の生前の様子。5.5.1
注釈543おはしまさましかば以下「はべらましかまし」まで、弁尼の詞。『完訳』は「存命ならば中の君同様に薫と結ばれていたろうと推量。これが、浮舟の運命に過敏な母を刺激する」と注す。5.5.2
注釈544宮の上中君。5.5.2
注釈545わが娘は以下「劣らじを」まで、浮舟母の心中。5.5.3
注釈546世とともに以下「まほしけれとも」まで、浮舟母の詞。5.5.4
注釈547ゆゆしき身とのみ以下「ことにやははべりける」まで、弁尼の詞。5.5.6
注釈548こまやかに見えたてまつり聞こえさせむも弁尼が浮舟に。5.5.6
注釈549かかる御住まひは宇治での生活。5.5.6
注釈550聞こえおきはべりにし『完訳』は「弁は、薫の意向の伝達役であった。彼女は母君に、浮舟の幸運が誰のおかげかと言いたい気持」と注す。5.5.6
注釈551後は知らねど以下「思ひ嘆きはべりて」まで、浮舟母の詞。5.5.8
注釈552ただ御しるべを弁尼の導き。5.5.8
注釈553宮の上の中君。5.5.8
注釈554つつましきことなどの二条院で匂宮が浮舟に言い寄ったこと。5.5.8
注釈555中空に所狭き御身なり浮舟の身。5.5.8
注釈556この宮の以下「語りはべりし」まで、弁尼の詞。5.5.10
注釈557大輔が娘『集成』は「大輔は中の君づきの女房。その娘の右近である。この巻の右近とは別人」と注す。5.5.10
注釈558さりやまして浮舟の心中。『集成』は「女房でさえ中の君を憚るのだから、血を分けた妹はまして、と思う」と注す。5.5.11
5.6
第六段 浮舟、母と尼の話から、入水を思う


5-6  Ukifune thinks to kill herself as hearing their talking

5.6.1  「 あな、むくつけや帝の御女を持ちたてまつりたまへる人なれど、よそよそにて、悪しくも善くもあらむは、いかがはせむと、おほけなく思ひなしはべる。 よからぬことをひき出でたまへらましかば、すべて身には悲しくいみじと思ひきこゆとも、また見たてまつらざらまし」
 「まあ、嫌らしいこと。帝のお姫様をお持ちになっていらっしゃる方ですが、他人なので、良いとも悪いともお咎めがあろうとなかろうと、しかたのないことと、恐れ多く存じております。良くない事件を引き起こしなさったら、すべてわが身にとっては悲しく大変なことだとお思い申し上げても、二度とお世話しないでしょう」
 「まあこわい話ですね。大将さんは内親王様を奥様に持っておいでになりましても、この方とは縁の遠い奥様ですもの、悪くお思われになっても、よくても、それはどちらでもともったいないことですが思っています。二条の院の奥様に苦労をおかけ申すようなことをこの方がなさいましたら、私はどんなにこの方がかわいそうでも二度と逢うことはいたしますまい、他人になりますよ」
  "Ana, mukutuke ya! Mikado no ohom-musume wo moti tatematuri tamahe ru hito nare do, yoso-yoso nite, asiku mo yoku mo ara m ha, ikagaha se m to, ohokenaku omohi-nasi haberu. Yokara nu koto wo hiki-ide tamahe ra masika ba, subete mi ni ha kanasiku imizi to omohi kikoyu tomo, mata mi tatematura zara masi."
5.6.2  など、言ひ交はすことどもに、 いとど心肝もつぶれぬ。「 なほ、わが身を失ひてばや。つひに聞きにくきことは出で来なむ」と思ひ続くるに、この水の音の恐ろしげに響きて行くを、
 などと話し合っている内容に、ますます胸も潰れる思いがした。「やはり、自殺してしまおう。最後は聞きにくいことがきっと出て来ることだろう」と思い続けると、この川の水の音が恐ろしそうに響いて流れて行くのを、
 母が尼に話すこの言葉で肝も砕かれたように浮舟の姫君は思った。やはり自殺をすることにしよう。このままでは自分の醜聞が広がってしまうに違いない、どんなことが自分のために起こるかもしれぬなどと、姫君が胸をおさえて思っている山荘の外には宇治川が恐ろしい水音を響かせて流れて行くのを、常陸夫人は聞いて、
  nado, ihi-kahasu koto-domo ni, itodo kokoro-gimo mo tubure nu. "Naho, waga mi wo usinahi te baya! Tuhini kiki nikuki koto ha ide-ki na m." to omohi-tudukuru ni, kono midu no oto osorosige ni hibiki te yuku wo,
5.6.3  「 かからぬ流れもありかし。世に似ず荒ましき所に、年月を過ぐしたまふを、 あはれと思しぬべきわざになむ」
 「こんな恐ろしくない流れもありますのにね。又となく荒々しい川の所に、歳月をお過ごしになるのを、不憫とお思いになるのも当然のこと」
 「川といってもこんなこわい気のするものばかりでもありませんのにね、ひどくすごい所に長く置いておおきになったのですもの、大将さんが同情して京へ迎えてくださるのがもっともですよ」
  "Kakara nu nagare mo ari kasi. Yo ni ni zu aramasiki tokoro ni, tosi-tuki wo sugusi tamahu wo, ahare to obosi nu beki waza ni nam."
5.6.4  など、母君したり顔に言ひゐたり。昔よりこの川の早く恐ろしきことを言ひて、
 などと、母君は得意顔で言っていた。昔からこの川の早くて恐ろしいことを言って、
 そう言う常陸夫人は得意そうであった。女房たちも川の水勢の荒いことなどを言い合い、
  nado, Haha-Gimi sitari-gaho ni ihi wi tari. Mukasi yori ko no kaha no hayaku osorosiki koto wo ihi te,
5.6.5  「 先つころ渡守が孫の童、棹さし外して落ち入りはべりにける。すべていたづらになる人多かる水にはべり」
 「最近、渡守の孫の小さい子が、棹を差し損ねて川に落ちてしまいました。ぜんたい命を落とす人が多い川でございます」
 「先日も渡守わたしもりの孫の子供が舟のさおを差しそこねて落ちてしまったそうです。人がよく死ぬ水だそうでございます」
  "Sai-tu-koro watasi-mori ga mago no waraha, sawo sasi-hadusi te oti-iri haberi ni keru. Subete itadura ni naru hito ohokaru midu ni haberi."
5.6.6  と、人びとも言ひあへり。君は、
 と、女房も話し合っていた。女君は、
 などと言っていた。
  to, hito-bito mo ihi-ahe ri. Kimi ha,
5.6.7  「 さても、わが身行方も知らずなりなば、誰れも誰れも、あへなくいみじと、しばしこそ思うたまはめ。ながらへて人笑へに憂きこともあらむは、いつかそのもの思ひの絶えむとする」
 「それにしても、わが身の行く方が分からなくなったら、誰も彼もが、あっけなく悲しいと、しばらくの間はお思いになるであろうが、生き永らえて物笑いになって嫌な思いをするのは、いつ物思いがなくなるというのだろう」
 浮舟の姫君は今思っているように自分が行くえを不明にして死んでしまえば、親もだれも当分は力を落として悲しがるであろうが、生きていて世間の物笑いに自分がされるようであればその時の悲しみは短時日で済まず永久に続くことであろう、
  "Satemo, waga mi yukuhe mo sira zu nari na ba, tare mo tare mo, ahe-naku imizi to, sibasi koso omou tamaha me. Nagarahe te hito-warahe ni uki koto mo ara m ha, ituka sono mono-omohi no taye m to suru."
5.6.8  と、思ひかくるには、 障りどころもあるまじく、さはやかによろづ思ひなさるれど、うち返しいと悲し。親のよろづに思ひ言ふありさまを、寝たるやうにてつくづくと思ひ乱る。
 と、死を考えつくと、何の支障もないように、さっぱりと何事も思われるが、また考え直すと実に悲しい。母親がいろいろと心配し言っている様子に、寝たふうをしながらつくづくと思い心乱れる。
 死ぬほうがよいと考えてみると、そのほうには故障があるとは思えず快く決行のできる気になるもののまた悲しくはあった。母の愛情から出る言葉を寝たようにして聞きながら浮舟は思い乱れていた。
  to, omohi kakuru ni ha, sahari-dokoro mo aru maziku, sahayaka ni yorodu omohi-nasa rure do, uti-kahesi ito kanasi. Oya no yorodu ni omohi ihu arisama wo, ne taru yau nite tuku-duku to omohi midaru.
注釈559あなむくつけや以下「見たてまつらざらまし」まで、浮舟母の詞。5.6.1
注釈560帝の御女を持ちたてまつりたまへる人薫。女二宮と結婚。5.6.1
注釈561よからぬことをひき出でたまへらましかば二条院での匂宮との一件を念頭に言う。「ましかば--まし」反実仮想の構文。もし匂宮との関係が生じたら母娘の縁を切るというニュアンス。5.6.1
注釈562いとど心肝もつぶれぬ主語は浮舟。5.6.2
注釈563なほわが身を失ひてばやつひに聞きにくきことは出で来なむ浮舟の心中の思い。『完訳』は「死ぬほかないと、はじめて決意。「なほ」は、今までも死が脳裏をかすめていたが、の気持」と注す。5.6.2
注釈564かからぬ流れも以下「わざになむ」まで、浮舟母の詞。5.6.3
注釈565あはれと思しぬべき主語は薫。5.6.3
注釈566先つころ以下「水にはべり」まで、女房の詞。5.6.5
注釈567さてもわが身以下「もの思ひの絶えむとする」まで、浮舟の心中の思い。5.6.7
注釈568障りどころもあるまじく『完訳』は「死ぬのに何の支障もなさそう」と注す。5.6.8
5.7
第七段 浮舟の母、帰京す


5-7  Ukifune's mother goes back to Kyoto

5.7.1   悩ましげにて痩せたまへるを、乳母にも言ひて、
 悩ましそうに臥せっていらっしゃるのを、乳母にも言って、
 いたましいふうに痩せてしまったことを乳母にも言い、適当な祈祷きとうをさせてほしいと言い、祭やはらいなどのことについても命じるところがあった。
  Nayamasige nite yase tamahe ru wo, Menoto ni mo ihi te,
5.7.2  「 さるべき御祈りなどせさせたまへ。祭祓などもすべきやう」
 「しかるべき御祈祷などをなさいませ。祭や祓などもするように」
 「恋せじと御手洗みたらし川にせしみそぎ神は受けずもなりにけらしな」
  "Saru-beki ohom-inori nado se sase tamahe. Maturi harahe nado mo su beki yau."
5.7.3  など言ふ。 御手洗川に禊せまほしげなるを 、かくも知らでよろづに言ひ騒ぐ。
 などと言う。御手洗川で禊をしたい恋の悩みなのに、そうとも知らずにいろいろと言い騒いでいる。
 そんな禊もさせたい人であるのを知らない人たちがいろいろに言って騒いでいるのである。
  nado ihu. Mi-tarasigaha ni misogi se mahosige naru wo, kaku mo sira de yorodu ni ihi sawagu.
5.7.4  「 人少ななめり。よく さるべからむあたりを訪ねて。今参りはとどめたまへ。やむごとなき御仲らひは、正身こそ、何事も おいらかに思さめ、好からぬ仲となりぬるあたりは、わづらはしきこともありぬべし。隠し密めて、さる心したまへ」
 「女房が少ないようだ。よい適当な所から尋ねて。新参者は残しなさい。高貴な方とのご交際は、ご本人は何事もおっとりとお思いでしょうが、良くない仲になってしまいそうな女房どうしは、厄介な事もきっとありましょう。表立たず控え目にして、そのような用心をなさい」
 「女房の数が少ないようですね。確かに信用のできる人を捜しておくことですね。見ず知らずの女は当分雇わないことにしなさいよ。りっぱな方の奥様どうしというものは、御本人たちは寛大な態度をとっていらっしゃっても、嫉妬しっとはどこにもあるわけでね、お付きの者のことなどからよくないことも起こりますからね、悪いきっかけというようなものを作らないように女たちには気をおつけなさいよ」
  "Hito-zukuna na' meri. Yoku saru bekara m atari wo tadune te. Ima mawiri ha todome tamahe. Yamgotonaki ohom-nakarahi ha, syauzimi koso, nani-goto mo oyiraka ni obosa me, yokara nu naka to nari nuru atari ha, wadurahasiki koto mo ari nu besi. Kakusi hisome te, saru kokoro si tamahe."
5.7.5  など、思ひいたらぬことなく言ひおきて、
 などと、気のつかないことがないまでに注意して、
 などと、注意のし残しもないように言い置いてから、
  nado, omohi itara nu koto naku ihi-oki te,
5.7.6  「 かしこにわづらひはべる人も、おぼつかなし
 「あちらで病んでおります人も、気がかりです」
 「家で寝ている人も気がかりだから」
  "Kasiko ni wadurahi haberu hito mo, obotukanasi."
5.7.7  とて帰るを、いともの思はしく、よろづ心細ければ、「 またあひ見でもこそ、ともかくもなれ」と思へば、
 と言って帰るのを、とても物思いとなり、何事につけ悲しいので、「再びと会わずに、死んでしまうのか」と思うと、
 と言い、母の帰ろうとするのを、物思いの多い心細い浮舟は、もうこれかぎり逢うこともできないで死ぬのかと悲しんだ。
  tote, kaheru wo, ito mono omohasiku, yorodu kokoro-bosokere ba, "Mata ahi-mi de mo koso, tomo-kakumo nare." to omohe ba,
5.7.8  「 心地の悪しくはべるにも、見たてまつらぬが、いとおぼつかなくおぼえはべるを、しばしも 参り来まほしくこそ
 「気分が悪うございましても、お目にかかれないのが、とても不安に思われますので、少しの間でもお伺いしていたく存じます」
 「身体からだの悪い間はお目にかからないでいるのが心細いのですから、私はしばらくでも家のほうへ行きとうございます」
  "Kokoti no asiku haberu ni mo, mi tatematura nu ga, ito obotukanaku oboye haberu wo, sibasi mo mawiri ko mahosiku koso."
5.7.9  と慕ふ。
 と慕う。
 別れにくそうに言うのであった。
  to sitahu.
5.7.10  「 さなむ思ひはべれど、かしこもいともの騒がしくはべり。この人びとも、はかなきことなどえしやるまじく、狭くなどはべればなむ。 武生の国府に 移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを。 なほなほしき身のほどは、かかる御ためこそ、いとほしくはべれ」
 「そのように思いましても、あちらもとても何かと騒がしくございます。こちらの女房たちも、ちょっとしたことなどできそうもない、狭い所でございますので。武生の国府にお移りになっても、こっそりとお伺いしますから。人数ならぬ身の上では、このようなお方のために、お気の毒でございます」
 「私もそうさせたいのだけれど、うちのほうも今は混雑しているのですよ。あなたに付いている人たちもあちらへ移る用意の縫い物などを家ではできませんよ、狭くなっていてね。『武生たけふ国府こふに』(われはありと親には申したれ)においでになっても、私はそっと行きますよ。つまらぬ身の上ですから、それだけはあなたのために遠慮されますがね」
  "Sa nam omohi habere do, kasiko ni mo ito mono-sawagasiku haberi. Kono hito-bito mo, hakanaki koto nado e si yaru maziku, sebaku nado habere ba nam. Takehu no Kohu ni uturohi tamahu tomo, sinobi te ha mawiri ki na m wo. Naho-nahosiki mi no hodo ha, kakaru ohom-tame koso, itohosiku habere."
5.7.11  など、うち泣きつつのたまふ。
 などと、泣きながらおっしゃる。
 と母は泣きながら言っていた。
  nado, uti-naki tutu notamahu.
注釈569悩ましげにて浮舟の様子。5.7.1
注釈570さるべき御祈りなど以下「すべきやう」まで、浮舟母の詞の主旨。5.7.2
注釈571御手洗川に禊せまほしげなるを明融臨模本、朱合点。『源氏釈』は「恋せじと御手洗河にせし禊神はうけずもなりにけるかな」(古今集恋一、五〇一、読人しらず)を指摘。5.7.3
注釈572人少ななめり以下「さる心したまへ」まで、浮舟母の詞。5.7.4
注釈573かしこにわづらひはべる人もおぼつかなし浮舟母の詞。5.7.6
注釈574またあひ見でもこそともかくもなれ浮舟の心中の思い。再び母親に逢えないのでないか、という気持ち。5.7.7
注釈575心地の悪しくはべるにも以下「参り来まほしくこそ」まで、浮舟の詞。5.7.8
注釈576参り来まほしくこそ主語は浮舟。5.7.8
注釈577さなむ思ひはべれど以下「いとほしくはべれ」まで、浮舟母の詞。5.7.10
注釈578武生の国府に明融臨模本、朱合点。『源氏釈』は「道の口 武生のこふに 我はありと 親に申したべ 心あひの風や さきむだちや」(催馬楽、道口)を指摘。5.7.10
出典24 御手洗川に禊 恋せじと御手洗川にせし禊神は受けずぞなりにけらしも 古今集恋一-五〇一 読人しらず 5.7.3
出典25 武生の国府 道の口 武府の国府(こふ)に 我ありと 親には申したべ 心あひの風や さきむだちや 催馬楽-道の口 5.7.10
校訂22 さるべからむ さるべからむ--さ(さ/+る)へからむ 5.7.4
校訂23 おいらか おいらか--(/+お)ひらか 5.7.4
校訂24 なほなほしき なほなほしき--なをゝ(ゝ/$/\)しき 5.7.10
Last updated 4/30/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 4/30/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 4/30/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2005年2月23日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月15日

Last updated 11/9/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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