51 浮舟(明融臨模本)


UKIHUNE


薫君の大納言時代
二十六歳十二月から二十七歳の春雨の降り続く三月頃までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from December at the age of 26 to rainy days in March at the age of 27

1
第一章 匂宮の物語 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を聞き知る


1  Tale of Niou-no-miya  Niou-no-miya hears about a relationship between Kaoru and Ukifune by Dainaiki

1.1
第一段 匂宮、浮舟を追想し、中君を恨む


1-1  Niou-no-miya recalls Ukifune and complains to his wife Naka-no-kimi

1.1.1   宮、なほ、かのほのかなりし夕べを思し忘るる世なし。「 ことことしきほどにはあるまじげなりしを、人柄のまめやかにをかしうもありしかな」と、いとあだなる御心は、「口惜しくてやみにしこと」と、ねたう思さるるままに、 女君をも
 宮は、今もなお、あのちらっと御覧になった夕方をお忘れになる時とてない。「たいした身分ではけっしてなさそうであったが、人柄が誠実で魅力的であったなあ」と、とても浮気なご性分にとっては、「残念なところで終わってしまったことだ」と、悔しく思われなさるままに、女君に対しても、
 兵部卿ひょうぶきょうの宮は美しい人をほのかに御覧になったあの秋の夕べのことをどうしてもお忘れになることができなかった。たいした貴族の娘ではないらしかったが婉嬋えんぜんとした美貌びぼうの人であったと、好色な方であったから、それきり消えるようにいなくなってしまったことを残念でたまらぬように思召おぼしめしては、夫人に対しても、
  Miya, naho, kano honoka nari si yuhube wo obosi wasururu yo nasi. "Koto-kotosiki hodo ni ha arumazige nari si wo, hitogara no mameyaka ni wokasiu mo ari si kana!" to, ito ada naru mi-kokoro ha, "Kutiwosiku te yami ni si koto." to, netau obosa ruru mama ni, Womna-Gimi wo mo,
1.1.2  「 かう、はかなきことゆゑ、あながちに、かかる筋のもの憎みしたまひけり。思はずに心憂し」
 「あのように、ちょっとしたことぐらいで、むやみに、このような方面の嫉妬をなさるなあ。思いがけなく情けない」
 「何でもない恋の遊戯をしようとするくらいのことにもあなたはよく嫉妬しっとする、そんな人とは思わなかったのに」
  "Kau, hakanaki koto yuwe, anagati ni, kakaru sudi no mono-nikumi si tamahi keri. Omoha zu ni kokoro-usi."
1.1.3  と、恥づかしめ怨みきこえたまふ折々は、 いと苦しうて、「 ありのままにや聞こえてまし」と思せど、
 と、悪口言って恨み申し上げなさる時々は、とてもつらくて、「ありのままに申し上げてしまおうかしら」とお思いになるが、
 こんなふうにお言いになり、うらみをおらしになるおりおり、中の君は苦しくてありのままのことを言ってしまおうとも思わないではなかったが、
  to, hadukasime urami kikoye tamahu wori-wori ha, ito kurusiu te, "Ari no mama ni ya kikoye te masi." to obose do,
1.1.4  「 やむごとなきさまには もてなしたまはざなれど、浅はかならぬ方に、心とどめて 人の隠し置きたまへる人を、物言ひさがなく聞こえ出でたらむにも、さて 聞き過ぐしたまふべき御心ざまにもあらざめり
 「重々しい様子にはお扱いなさらないようだが、いいかげんでない扱いに、心とめて人が隠していらっしゃる女を、おしゃべりに申し上げてしまうようなのも、そのまま聞き流しなさるようなご性分の方ではいらっしゃらないようだ。
 妻の一人としての待遇はしていないにもせよ軽々しい情人とは思わずに愛して、世間の目にはつかぬようにと宇治へ隠してある妹の姫君のことを、お話ししても宮の御性情ではそのままにしてお置きにはなれまい、
  "Yamgotonaki sama ni ha motenasi tamaha za' nare do, asahaka nara nu kata ni, kokoro todome te hito no kakusi-oki tamahe ru hito wo, monoihi saga-naku kikoye-ide tara m ni mo, sate kiki-sugusi tamahu beki mi-kokoro-zama ni mo ara za' meri.
1.1.5  さぶらふ人の中にも、はかなうものをものたまひ触れむと思し立ちぬる限りは、 あるまじき里まで尋ねさせたまふ御さまよからぬ 御本性なるに、 さばかり月日を経て、思ししむめるあたりはましてかならず 見苦しきこと取り出でたまひてむ他より伝へ聞きたまはむはいかがはせむ。
 仕えている女房の中でも、ちょっと何かおっしゃり関係を持とうとお思いになった者にはすべて、身分柄あってはならない実家までお尋ねあそばすご体裁の良くないご性分なので、あれほど月日を経ても、お思い込んでいらっしゃるあたりの女は、女房の場合以上にきっと見苦しいことを引き起こしなさるだろう。他から伝え聞きなさるのはどうすることもできない。
 女房にでもそうした関係を結びたくおなりになった人の所へは無反省にそうした人の実家へまでもお出かけになるような多情さがおありになるのであるから、これはまして相当に月日もたつ今になっても思い込んでお忘れになれない相手であっては、必ず醜い事件をお起こしになるであろう、ほかから聞いておしまいになればそれはしかたがない、
  Saburahu hito no naka ni mo, hakanau mono wo mo notamahi hure m to obosi-tati nuru kagiri ha, arumaziki sato made tadune sase tamahu ohom-sama yokara nu go-honzyau naru ni, sabakari tukihi wo he te, obosi-simu meru atari ha, masite kanarazu mi-gurusiki koto tori-ide tamahi te m. Hoka yori tutahe kiki tamaha m ha ikagaha se m.
1.1.6   いづ方ざまにもいとほしくこそはありとも、 防ぐべき人の御心ありさまならねばよその人よりは聞きにくくなどばかりぞおぼゆべき。とてもかくても、わがおこたりにてはもてそこなはじ」
 どちらにとってもお気の毒ではあっても、それを防げる方のご性分でないので、他人の場合よりは聞きにくいなどとばかりに思われるだろう。どうなるにせよ、自分からの過失にはするまい」
 大将のためにも姫君のためにも不幸になるのを知っておいでになっても、それに遠慮のおできになる方ではないから、そうした場合に姫君が他人でない点で、自分は多く恥を覚えることであろう、何にもせよ自分のあやまりから悪いほうへ運命の進む動機は作るまい
  Idu-kata-zama ni mo itohosiku koso ha ari tomo, husegu beki hito no mi-kokoro arisama nara ne ba, yoso no hito yori ha kiki nikuku nado bakari zo oboyu beki. Totemo-kakutemo, waga okotari nite ha motesokonaha zi."
1.1.7  と思ひ返したまひつつ、いとほしながらえ聞こえ出でたまはず、 異ざまにつきづきしくは、え言ひなしたまはねば、おしこめてもの怨じしたる、世の常の人になりてぞおはしける。
 と思い返しなさっては、お気の毒には思うが申し上げなさらず、嘘をついてもっともらしく言いつくろうことは、おできになれないので、黙りとおして嫉妬する、世の常の女になっていらっしゃった。
 と反省して、宮の恋に同情はしながらも姫君の現在の境遇を語ろうとしなかった。上手じょうずうそで繕うことはできない性質であったから、表面は良人おっとを恨み、深い嫉妬を内に抱いている世間並みの妻に見られているほかはなかった。
  to omohi-kahesi tamahi tutu, itohosi nagara e kikoye-ide tamaha zu, koto-zama ni tuki-dukisiku ha, e ihi-nasi tamaha ne ba, osi-kome te mono-wen-zi si taru, yo no tune no hito ni nari te zo ohasi keru.
注釈1宮なほかのほのかなりし夕べを匂宮。二条院で浮舟をちらった見たことをさす。1.1.1
注釈2ことことしきほどには以下「ありしかな」まで、匂宮の心中の思い。浮舟に対する感想。1.1.1
注釈3女君をも中君に対しても。1.1.1
注釈4かうはかなきことゆゑ以下「思はずに心憂し」まで、匂宮の心中。『完訳』は「自分が女房ふぜいの女とかかわるぐらい何でもないことなのに、中の君がむやみに嫉妬するとは意外だ、の気持。嫉妬して浮舟の素姓や所在を明かさぬのだと恨んだ」と注す。1.1.2
注釈5いと苦しうて主語は中君。1.1.3
注釈6ありのままにや聞こえてまし中君の心中。1.1.3
注釈7やむごとなきさまには以下「もてそこなはじ」まで、中君の心中の思い。1.1.4
注釈8もてなしたまはざなれど主語は薫。薫が浮舟を。1.1.4
注釈9人の隠し置きたまへる人を薫が浮舟を。1.1.4
注釈10聞き過ぐしたまふべき御心ざまにもあらざめり匂宮の性分。1.1.4
注釈11あるまじき里まで尋ねさせたまふ親王という身分柄あってはならない、女房ふぜいの実家まで尋ねていく匂宮の性分。1.1.5
注釈12さばかり月日を経て思ししむめるあたりは『完訳』は「匂宮が浮舟に迫ったのは八月。三、四か月後の今も忘れられない」と注す。「あたり」は浮舟をさす。1.1.5
注釈13ましてかならず『完訳』は「女房に手出しする以上に」と注す。1.1.5
注釈14見苦しきこと取り出でたまひてむ『集成』は「薫との間に悶着が起るだろう、の意」と注す。1.1.5
注釈15他より伝へ聞きたまはむは主語は匂宮。浮舟に関する情報を。1.1.5
注釈16いづ方ざまにも薫と浮舟。1.1.6
注釈17防ぐべき人の御心ありさまならねば匂宮の性分。1.1.6
注釈18よその人よりは匂宮の浮気の相手が他人でなく自分の妹であること。1.1.6
注釈19異ざまにつきづきしく『集成』は「ありもしない嘘をついて、もっともらしく言い繕ったりはおできにならないので」と注す。1.1.7
校訂1 御本性 御本性--(/+御)本正 1.1.5
1.2
第二段 薫、浮舟を宇治に放置


1-2  Kaoru leaves Ukifune alone in Uji

1.2.1   かの人は、たとしへなくのどかに思しおきてて、「 待ち遠なりと思ふらむ」と、心苦しうのみ思ひやりたまひながら、所狭き身のほどを、さるべきついでなくて、かやしく通ひたまふべき道ならねば、 神のいさむるよりもわりなし 。されど、
 あの方は、たとえようもなくのんびりと構えていらっしゃって、「待ち遠しいと思っているだろう」と、お気の毒にはお思いやりになりながら、窮屈な身の上を、適当な機会がなくては、たやすくお通いになれる道ではないので、神が禁じている以上に困っている。けれども、
 かおるの大将は恋人を信じてうことにあせりもせず、待ち遠に思うであろうと心苦しく思いやりながらも、行動の人目につきやすい大官になっている身では、何かの名目ができなくては行きにくい宇治の道であった。「恋しくば来ても見よかし千早振る神のいさむる道ならなくに」と抽象的に言われたその道よりもこの道のほうが困難であると言わねばならない。けれども
  Kano hito ha, tatosihe naku nodoka ni obosi-okite te, "Mati-doho nari to omohu ram." to, kokoro-gurusiu nomi omohi-yari tamahi nagara, tokoroseki mi no hodo wo, saru-beki tuide naku te, kayasiku kayohi tamahu beki miti nara ne ba, Kami no isamuru yori mo warinasi. Saredo,
1.2.2  「 今いとよくもてなさむ、とす。山里の慰めと思ひおきてし心あるを、すこし 日数も経ぬべきことども作り出でて、のどやかに行きても見む。さて、しばしは人の知るまじき住み所して、やうやうさる方に、 かの心をものどめおき、わがためにも、人のもどきあるまじく、なのめにてこそよからめ。
 「いずれはたいそうよく扱ってやろう、と思う。山里の慰めと思っていた考えがあるが、少し日数のかかりそうな事柄を作り出して、のんびりと出かけて行って逢おう。そうして、しばらくの間は誰も知らない住処で、だんだんとそのようなことで、あの女の気持ちも馴れさせて、自分にとっても、他人から非難されないように、目立たぬようにするのがよいだろう。
 そのうちに自分は十分にその人をいたわる方法を考えている、宇治へ行って見る時に覚える憂鬱ゆううつを消すためにその人を置いておきたいと思ったのが最初の考えなのであるから、しばらく滞留していてよい口実を作り、近いうちにゆるりとした気持ちで行っておう、そうして当分は隠れた妻としておき、彼女の心にも不安を感じさせないようにしてやり、自分のために非難の声が高く起こらないふうにして妻であることを自然に世間へ認めさせるのがよいであろう、
  "Ima ito yoku motenasa m, to su. Yamazato no nagusame to omohi-oki te si kokoro aru wo, sukosi hi-kazu mo he nu beki koto-domo tukuri-ide te, nodoyaka ni yuki te mo mi m. Sate, sibasi ha hito no siru maziki sumi-dokoro si te, yau-yau saru kata ni, kano kokoro wo mo nodome-oki, waga tame ni mo, hito no modoki arumaziku, nanome nite koso yokara me.
1.2.3  にはかに、何人ぞ、いつより、など聞きとがめられむも、もの騒がしく、 初めの心に違ふべし。また、 宮の御方の聞き思さむことももとの所を際々しう率て離れ、昔を忘れ顔ならむ、いと本意なし」
 急に迎えて、誰だろう、いつからだろう、などと取り沙汰されるのも、何となく煩わしく、当初の考えと違ってこよう。また、宮の御方がお聞きになってご心配になることも、もとの場所をきっぱりと離れて連れ出し、昔を忘れてしまったような顔なのも、まことに不本意だ」
 にわかにだれの娘か、いつからというようなことを私議されるのも煩わしく初めの精神と違ってくる、また二条の院の女王にょおうに聞かれても、思い出の山荘から、身代わりの人さえ得ればよかったのであるというようにつれて出て、昔をもう念頭に置いていないように見えるのも不本意である
  Nihaka ni, nani-bito zo, itu yori, nado kiki togame rare m mo, mono-sawagasiku, hazime no kokoro ni tagahu besi. Mata, Miya no ohom-kata no kiki obosa m koto mo, moto no tokoro wo kiha-gihasiu wi te hanare, mukasi wo wasure-gaho nara m, ito ho'i nasi."
1.2.4  など思し静むるも、 例の、のどけさ過ぎたる心からなるべし 渡すべきところ思しまうけて、忍びてぞ造らせたまひける。
 などと冷静に考えなさるのも、例によって、のんびりと構え過ぎた性分からであろう。引っ越しさせる所をお考えおいて、こっそりと造らせなさるのであった。
 と思い、恋しい心をおさえているのも、例の恋に呑気のんきな性質だったからであろう。しかし京へ迎える家は用意して、忍んで作らせていた。
  nado, obosi-sidumuru mo, rei no, nodokesa sugi taru kokoro kara naru besi. Watasu beki tokoro obosi-mauke te, sinobi te zo tukura se tamahi keru.
注釈20かの人は薫。1.2.1
注釈21待ち遠なりと思ふらむ薫の心中。宇治にいる浮舟が。1.2.1
注釈22神のいさむるよりもわりなし『源氏釈』は「恋しくは来てもみよかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに」(伊勢物語)を指摘。1.2.1
注釈23今いとよくもてなさむとす以下「いと本意なし」まで、薫の心中の思い。浮舟の処遇について。『集成』は「以下、地の文から自然に薫の心中の叙述に移る」と注す。1.2.2
注釈24日数も経ぬべきことども作り出でて『完訳』は「日数のかかりそうな法会などにかこつけて浮舟を訪う心づもり」と注す。1.2.2
注釈25かの心を浮舟の心。1.2.2
注釈26初めの心に違ふべし亡き大君の身代わりとして求めた心。1.2.3
注釈27宮の御方の聞き思さむことも『完訳』は「中の君。彼女から、大君追慕の心を喪ったかと思われたくない」と注す。1.2.3
注釈28もとの所を大君ゆかりの宇治の地を。1.2.3
注釈29例ののどけさ過ぎたる心からなるべし『細流抄』は「草子地也」と指摘。『全集』は「薫は、常に人目を顧慮している。「例の、のどけさ過ぎたる心から--」に語り手の揶揄の口調がうかがえるゆえん。薫のこの性格は後の破綻を招く原因ともなる」と注す。1.2.4
注釈30渡すべきところ思しまうけて浮舟を京に迎えて。1.2.4
出典1 神のいさむる 恋しくは来てもみよかし千早振る神のいさむる道ならなくに 伊勢物語-一三一 1.2.1
校訂2 のどけさ のどけさ--のとけき(き/$)さ 1.2.4
1.3
第三段 薫と中君の仲


1-3  A relationship between Kaoru and Naka-no-kimi

1.3.1  すこしいとまなきやうにもなりたまひにたれど、宮の御方には、なほたゆみなく心寄せ仕うまつりたまふこと同じやうなり。見たてまつる人もあやしきまで思へれど、 世の中をやうやう思し知り、人のありさまを見聞きたまふままに、「これこそはまことに昔を忘れぬ心長さの、名残さへ浅からぬためしなめれ」と、あはれも少なからず。
 少し暇がないようにおなりになったが、宮の御方に対しては、やはりたゆまずお心寄せ申し上げなさることは以前と同じようである。拝見する女房も不思議なまでに思っているが、世の中をだんだんとお分かりになってきて、他人の様子を見たり聞いたりなさるにつけて、「この人こそは本当に昔を忘れない心長さが、引き続いて浅くない例のようだ」と、感慨も少なくない。
 少し心の暇が少なくなったようであるがなお二条の院の夫人に尽くすことは怠らなかった。これを知っている女房などは不思議にも思うのであったが、世の中というものがようやくわかってきた中の君にはこうした薫の誠意が認識できるようになり、これこそ恋した人を死後までも長く忘れない深い愛の例にもすべき志であると哀れを覚えさせられることも少なくないのであった。
  Sukosi itoma naki yau ni mo nari tamahi ni tare do, Miya-no-Ohomkata ni ha, naho tayumi naku kokoro-yose tukau-maturi tamahu koto onazi yau nari. Mi tatematuru hito mo ayasiki made omohe re do, yononaka wo yau-yau obosi-siri, hito no arisama wo mi kiki tamahu mama ni, "Kore koso ha makoto ni mukasi wo wasure nu kokoro-nagasa no, nagori sahe asakara nu tamesi na' mere." to, ahare mo sukunakara zu.
1.3.2   ねびまさりたまふままに、人柄もおぼえも、さま殊にものしたまへば、宮の御心のあまり頼もしげなき時々は、
 成人なさっていくにつれて、人柄も評判も、格別でいらっしゃるので、宮のお気持ちがあまりに頼りなさそうな時には、
 世の信望を得ていることも多くて、官位の昇進の目ざましい薫であったから、宮があまりにも真心のない態度をお見せになったりする時には、
  Nebi masari tamahu mama ni, hitogara mo oboye mo, sama koto ni monosi tamahe ba, Miya no mi-kokoro no amari tanomosige naki toki-doki ha,
1.3.3  「 思はずなりける宿世かな故姫君の思しおきてしままにもあらでかくもの思はしかるべき方にしもかかりそめけむよ」
 「思いもかけなかった運命であったわ。亡き姉君がお考えおいたとおりでもなく、このように悩みの多い結婚をしてしまったことよ」
 不運な自分である、姉君の心にきめたままにはなっていないで、陰で多くの煩悶はんもんをせねばならぬ妻になっている
  "Omoha zu nari keru sukuse kana! Ko-Hime-Gimi no obosi-oki te si mama ni mo ara de, kaku mono-omohasikaru beki kata ni simo kakari some kem yo."
1.3.4  と 思す折々多くなむ。されど、 対面したまふことは難し
 とお思いになる時々も多かった。けれども、お会いなさることは難しい。
 と、こんなことも思われた。けれども逢って話などをすることはもうあまりできないようになっていた。
  to obosu wori-wori ohoku nam. Saredo, taimen si tamahu koto ha katasi.
1.3.5  年月もあまり昔を隔てゆき、 うちうちの御心を深う知らぬ人はなほなほしきただ人こそ、さばかりのゆかり尋ねたる睦びをも忘れぬに、つきづきしけれ、 なかなか、かう限りあるほどに、例に違ひたるありさまも、つつましければ、宮の絶えず思し疑ひたるも、いよいよ苦しう 思し憚りたまひつつおのづから疎きさまになりゆくを、さりとても絶えず、 同じ心の変はりたまはぬなりけり
 年月もあまりに昔から遠ざかってきて、内々のご事情を深く知らない女房は、普通の身分の人なら、これくらいの縁者を求めて親交を忘れないのも、ふさわしいが、かえって、このように高い身分では、一般と違った交際も、気がひけるので、宮が絶えずお疑いになっているのも、ますますつらくご遠慮なさりながら、自然と疎遠になってゆくのを、それでも絶えず、同じ気持ちがお変わりにならないのであった。
 宇治時代と今とはあまりにも年月が隔たり過ぎ、どんな情誼じょうぎを結んでいる二人であるとも知らぬ人は、身分のない人たちの間では世話になった、世話をしたというくらいのことでいつまでも親しみ合っていて、それが穏当に見える、こうした高い貴族の中では例のないことであるなどと誹謗ひぼうするかもしれぬという遠慮もあり、宮が続いてこの交情に疑いを持っておいでになるのが今になっていよいよ煩わしく思われもする心から、自然うとうとしいふうを見せていくようになったのであるが、薫のほうではそれにもかかわらず、好意を持ち続けた。
  Tosi-tuki mo amari mukasi wo hedate yuki, uti-uti no mi-kokoro wo hukau sira nu hito ha, naho-nahosiki tadaudo koso, sabakari no yukari tadune taru mutubi wo mo wasure nu ni, tuki-dukisikere, naka-naka, kau kagiri aru hodo ni, rei ni tagahi taru arisama mo, tutumasikere ba, Miya no tayezu obosi utagahi taru mo, iyo-iyo kurusiu obosi habakari tamahi tutu, onodukara utoki sama ni nari yuku wo, saritote mo tayezu, onazi kokoro no kahari tamaha nu nari keri.
1.3.6  宮も、あだなる御本性こそ、見まうきふしも混じれ、若君のいとうつくしうおよすけたまふままに、「 他にはかかる人も出で来まじきにや」と、やむごとなきものに思して、うちとけなつかしき方には、 人にまさりてもてなしたまへば、ありしよりはすこしもの思ひ静まりて過ぐしたまふ。
 宮も、浮気っぽいご性質は、厭わしいところも混じっているが、若君がとてもかわいらしく成長なさってゆくにつれて、「他にはこのような子も生まれないのではないかしら」と、格別大事にお思いになって、気のおけぬ親しい夫人としては、正室にまさってご待遇なさるので、以前よりは少し悩み事も落ち着いて過ごしていらっしゃる。
 宮も多情な御性質がわざわいして情けなく夫人をお思わせになるようなことも時々はまじるが若君がかわいく成長してくるのを御覧になっては、他の人から自分の子は生まれないかもしれぬと思召し、夫人を尊重あそばすようになり、隔てのない妻としてはだれよりもお愛しになるため、以前よりは少し物思いをすることの少ない日を中の君は送っていた。
  Miya mo, ada naru go-honzyau koso, mi-mauki husi mo mazire, Waka-Gimi no ito utukusiu oyosuke tamahu mama ni, "Hoka ni ha kakaru hito mo ide-ku maziki ni ya?" to, yamgotonaki mono ni obosi te, utitoke natukasiki kata ni ha, hito masari te motenasi tamahe ba, arisi yori ha sukosi mono-omohi sidumari te sugusi tamahu.
注釈31世の中をやうやう思し知り『完訳』は「中の君は。以下、心中叙述」と注す。1.3.1
注釈32ねびまさりたまふままに主語は薫。1.3.2
注釈33思はずなりける宿世かな以下「かかりそめけむよ」まで、中君の心中の思い。1.3.3
注釈34故姫君の思しおきてしままにもあらで「故姫君」は、大君。大君は中君と薫の結婚を望んでいた。1.3.3
注釈35かくもの思はしかるべき方に悩み事の多い結婚生活をさす。1.3.3
注釈36思す折々多くなむ下に「ありける」などの語句が省略。1.3.4
注釈37対面したまふことは難し中君が薫に会うことをさす。1.3.4
注釈38うちうちの御心を深う知らぬ人は『集成』は「宇治以来の事情を知らぬ新参の女房が増えているのである」と注す。1.3.5
注釈39なほなほしきただ人こそ『集成』は「以下、女房の心中」と注す。1.3.5
注釈40なかなかかう『集成』は「女房の心中からいつか中の君の心中叙述になる」と注す。1.3.5
注釈41思し憚りたまひつつ主語は中君。地の文にもどる。1.3.5
注釈42おのづから疎きさまになりゆくを中君と薫の関係が。1.3.5
注釈43同じ心の変はりたまはぬなりけり薫の心をいう。1.3.5
注釈44他にはかかる人も出で来まじきにや匂宮の思い。1.3.6
注釈45人にまさりて正室の六君以上に。1.3.6
1.4
第四段 正月、宇治から京の中君への文


1-4  At early of January, Ukifune sends a mail to Naka-no-kimi

1.4.1  睦月の朔日過ぎたるころ 渡りたまひて若君の年まさりたまへるを、もて遊びうつくしみたまふ昼つ方、小さき童、 緑の薄様なる包み文の大きやかなるに、小さき鬚籠を小松につけたる、また、 すくすくしき立文とり添へて、奥なく走り参る。 女君にたてまつれば、宮、
 正月の上旬が過ぎたころにお越しになって、若君が一つ年齢をおとりになったのを、相手にしてかわいがっていらっしゃる昼ころ、小さい童女が、緑の薄様の包紙で大きいのに、小さい鬚籠を小松に結びつけてあるのや、また、きちんとした立文とを持って、無邪気に走って参る。女君に差し上げると、宮は、
 正月の元日の過ぎたあとで宮は二条の院へ来ておいでになって、としの一つ加わった若君をそばへ置き愛しておいでになった。ひるごろであるが、小さい童女が緑の薄様うすようの手紙の大きい形のと、小さい髭籠ひげかごを小松につけたのと、また別の立文たてぶみの手紙とを持ち、むぞうさに走って来て夫人の前へそれを置いた。宮が、
  Mutuki no tuitati sugi taru koro watari tamahi te, Waka-Gimi no tosi masari tamahe ru wo, mote-asobi utukusimi tamahu hiru-tu-kata, tihisaki waraha, midori no usuyau naru tutumi-bumi no ohokiyaka naru ni, tihisaki higeko wo komatu ni tuke taru, mata, suku-sukusiki tate-bumi tori-sohe te, aunaku hasiri mawiru. Womna-Gimi ni tatemature ba, Miya,
1.4.2  「 それは、いづくよりぞ
 「それは、どこからのですか」
 「それはどこからよこしたのか」
  "Sore ha, iduku yori zo."
1.4.3  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 とお言いになった。
  to notamahu.
1.4.4  「 宇治より大輔のおとどにとて、 もてわづらひはべりつるを例の、御前にてぞ御覧ぜむとて、取りはべりぬる」
 「宇治から大輔のおとどにと言ったが、いないので困っていましたのを、いつものように、御前様が御覧になるだろうと思って、受け取りました」
 「宇治から大輔たゆうさんの所に差し上げたいと言ってまいりました使いが、うろうろとしているのを見たものですから、いつものように大輔さんがまた奥様へお目にかけるお手紙だろうと思いまして、私、受け取ってまいりました」
  "Udi yori Taihu-no-Otodo ni tote, mote-wadurahi haberi turu wo, rei no, o-mahe nite zo go-ran-ze m tote, tori haberi nuru."
1.4.5  と言ふも、いとあわたたしきけしきにて、
 と言うのも、とても落ち着きのないふうなので、
 せかせかと早口で申した。
  to ihu mo, ito awatatasiki kesiki nite,
1.4.6  「 この籠は、金を作りて色どりたる籠なりけり。松もいとよう似て作りたる枝ぞとよ」
 「この籠は、金属で作って色を付けた籠でしたのだわ。松もとてもよく本物に似せて作ってある枝ですよ」
 「この籠は金のはくで塗った籠でございますね、松もほんとうのものらしくできた枝ですわ」
  "Kono ko ha, kane wo tukuri te iro-dori taru ko nari keri. Matu mo ito you ni te tukuri taru yeda zo to yo."
1.4.7  と、笑みて言ひ続くれば、宮も笑ひたまひて、
 と、笑顔で言い続けるので、宮もにっこりなさって、
 うれしそうな顔で言うのを御覧になって、宮もお笑いになり、
  to, wemi te ihi tydukure ba, Miya mo warahi tamahi te,
1.4.8  「 いで、我ももてはやしてむ
 「それでは、わたしも鑑賞しようかね」
 「では私もどんなによくできているかを見よう」
  "Ide, ware mo motehayasi te m."
1.4.9  と召すを、女君、いとかたはらいたく思して、
 とお取り寄せになると、女君は、とても見ていられない気持ちがなさって、
 と言い、受け取ろうとあそばされたのを、夫人は困ったことと思い、
  to mesu wo, Womna-Gimi, ito kataharaitaku obosi te,
1.4.10  「 文は、大輔がりやれ
 「手紙は、大輔のもとにやりなさい」
 「手紙だけは大輔の所へ持ってお行き」
  "Humi ha, Taihu-gari yare."
1.4.11  とのたまふ。御顔の赤みたれば、宮、「 大将のさりげなくしなしたる文にや、宇治の名のりもつきづきし」と思し寄りて、この文を取りたまひつ。
 とおっしゃる。お顔が赤くなっているので、宮は、「大将がさりげなくよこした手紙であろうか、宇治からと名乗るのもいかにもらしい」とお思いつきになって、この手紙をお取りになった。
 こういう顔が少し赤くなっていたのを宮はお見とがめになり、大将がさりげなくして送って来たふみなのであろうか、宇治と言わせて来たのもその人の考えつきそうなことであると、こんな想像をあそばして、手紙を童女から御自身の手へお取りになった。
  to notamahu. Ohom-kaho no akami tare ba, Miya, "Daisyau no sarigenaku si nasi taru humi ni ya, Udi no nanori mo tuki-dukisi." to obosi-yori te, kono humi wo tori tamahi tu.
1.4.12  さすがに、「 それならむ時に」と思すに、いとまばゆければ、
 とはいえ、「もし本当にそれであったら」とお思いになると、たいそう気がひけて、
 さすがにそれであったならどんなことになろう、夫人はどんなに恥じて苦しがるであろうとお思いになると躊躇ちゅうちょもされるのであって、
  Sasuga ni, "Sore nara m toki ni." to obosu ni, ito mabayukere ba,
1.4.13  「 開けて見むよ。怨じやしたまはむとする
 「開けてみますよ。お恨みになりますか」
 「あけて私が読みますよ。恨みますか、あなたは」
  "Ake te mi m yo! Wen-zi ya si tamaha m to suru."
1.4.14  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 とお言いになると、
  to notamahe ba,
1.4.15  「 見苦しう。何かは、その女どちのなかに書き通はしたらむうちとけ文をば、御覧ぜむ」
 「みっともありません。どうして、女房どうしの間でやりとりしている気を許した手紙を、御覧になるのでしょう」
 「そんなもの、女房どうしで書き合っています平凡な手紙などを御覧になってもおもしろくも何ともないでしょう」
  "Migurusiu. Nani-kaha, sono womna-doti no naka ni kaki kayohasi tara m utitoke-bumi wo ba, go-ran-ze m."
1.4.16  とのたまふが、 騒がぬけしきなれば
 とおしゃるが、あわてない様子なので、
 夫人は騒がぬふうであった。
  to notamahu ga, sawaga nu kesiki nare ba,
1.4.17  「 さは、見むよ。女の文書きは、いかがある
 「それでは、見ますよ。女性の手紙とは、どんなものかな」
 「じゃあ見よう。女仲間の手紙にはどんなことが書かれてあるものだろう」
  "Saha, mi m yo. Womna no humi-gaki ha, ikaga aru?"
1.4.18  とて開けたまへれば、 いと若やかなる手にて
 と言ってお開けになると、とても若々しい筆跡で、
 とお言いになり、あけてお見になると、若々しい字で、
  tote ake tamahe re ba, ito wakayaka naru te nite,
1.4.19  「 おぼつかなくて、年も暮れはべりにける。 山里のいぶせさこそ、峰の霞も絶え間なくて
 「ご無沙汰のまま、年も暮れてしまいました。山里の憂鬱さは、峰の霞も絶え間がなくて」
 その後お目にかかることもできませんままで年も暮れたのでございました。山里は寂しゅうございます。峰からもやの離れることもありませんで。
  "Obotukanaku te, tosi mo kure haberi ni keru. Yamazato no ibusesa koso, mine no kasumi mo tayema naku te."
1.4.20  とて、端に、
 とあって、端の方に、
 などとある奥に、
  tote, hasi ni,
1.4.21  「 これも若宮の御前に。あやしうはべるめれど
 「これも若宮様の御前に。不出来でございますが」
 これを若君に差し上げます。つまらぬものでございますが。
  "Kore mo Waka-Miya no go-zen ni. Ayasiu haberu mere do."
1.4.22  と書きたり。
 と書いてある。
 と書いてある。
  to kaki tari.
注釈46渡りたまひて主語は匂宮。『集成』は「上旬は、朝廷、大臣家等での儀式、宴会が多い上、正室の六の君のもとで過さねばならなかったのであろう」と注す。1.4.1
注釈47若君の年まさりたまへるを若君、二歳になる。1.4.1
注釈48緑の薄様なる包み文の浮舟から中君への手紙。「包み文」は、結び文をさらに薄様で包んだもの。後朝の文などに用いる。1.4.1
注釈49すくすくしき立文正式の手紙の形式。右近から大輔に宛てた手紙。1.4.1
注釈50女君に中君に。1.4.1
注釈51それはいづくよりぞ匂宮の詞。1.4.2
注釈52宇治より大輔のおとどに以下「取りはべりぬる」まで、女童の返事。1.4.4
注釈53もてわづらひはべりつるを主語は使者。大輔のおとどがいなくてまごついていた。1.4.4
注釈54例の「御覧ぜむ」にかかる。女童の不用意な失言。1.4.4
注釈55この籠は以下「枝ぞとよ」まで、女童の詞。1.4.6
注釈56いで我ももてはやしてむ匂宮の詞。1.4.8
注釈57文は大輔がりやれ中君の詞。1.4.10
注釈58大将のさりげなく以下「つきづきし」まで、匂宮の心中。手紙を薫からかと疑う。1.4.11
注釈59それならむ時に匂宮の心中。もし薫からの手紙だったら。1.4.12
注釈60開けて見むよ怨じやしたまはむとする匂宮の詞。1.4.13
注釈61見苦しう以下「御覧ぜむ」まで、中君の詞。匂宮をたしなめる。1.4.15
注釈62騒がぬけしきなれば主語は中君。1.4.16
注釈63さは見むよ女の文書きはいかがある匂宮の詞。1.4.17
注釈64いと若やかなる手にて『集成』は「ひどく若々しい筆跡で。書き馴れぬ体。浮舟の手紙である」と注す。1.4.18
注釈65おぼつかなくて以下「絶え間なくて」まで、浮舟の手紙。1.4.19
注釈66山里のいぶせさこそ峰の霞も絶え間なくて『新釈』『大系』は「山隠す春の霞ぞうらめしきいづれの都の境なるらむ」(古今集羇旅、四一三、おと)「都人いかにと問はば山高みはれぬ雲居にわぶと答へよ」(古今集雑下、九三七、小野貞樹)を指摘。1.4.19
注釈67これも若宮の御前にあやしうはべるめれど浮舟の手紙。「これ」は卯槌をさす。1.4.21
1.5
第五段 匂宮、手紙の主を浮舟と察知す


1-5  Niou-no-miya recognizes that the mail was written by Ukifune

1.5.1  ことにらうらうじきふしも見えねど、おぼえなき、御目立てて、 この立文を見たまへば、げに女の手にて、
 特に才気があるようには見えないが、心当たりがないので、お目を凝らして、この立文を御覧になると、なるほど女性の筆跡で、
 ことに貴女らしいふうも見えぬ手紙ではあるが、心当たりのおありにならぬために、また立文のほうを御覧になると、いかにも女房らしい字で、
  Koto ni rau-rauziki husi mo miye ne do, oboye naki, ohom-me tate te, kono tate-bumi wo mi tamahe ba, geni womna no te nite,
1.5.2  「 年改まりて、何ごとかさぶらふ。 御私にも、いかにたのしき御よろこび多くはべらむ。
 「年が改まりましたが、いかがお過しでしょうか。あなた様ご自身におかれましても、どんなに楽しくお喜びが多いことでございましょう。
 新年になりまして、そちら様はいかがでいらっしゃいますか。御主人様、また皆様がたにもお喜びの多い春かと存じ上げます。
  "Tosi aratamari te, nani-goto ka saburahu? Ohom-watakusi ni mo, ikani tanosiki ohom-yorokobi ohoku habera m.
1.5.3  ここには、いとめでたき御住まひの心深さを、 なほ、ふさはしからず見たてまつる。かくてのみ、つくづくと 眺めさせたまふよりは時々は渡り参らせたまひて、御心も慰めさせたまへ、と思ひはべるに、つつましく恐ろしきものに 思しとりてなむ、もの憂きことに嘆かせたまふめる。
 こちらでは、とても結構なお住まいで行き届いておりますが、やはり、不似合いに存じております。こうしてばかり、つくづくと物思いにお耽りあそばすより他には、時々そちらにお伺いなさって、お気持ちをお慰めあそばしませ、と存じておりますが、気がねして恐ろしい所とお思いになって、嫌なこととお嘆きになっているようです。
 ここはごりっぱな風流なおやしきですが、お若い方にふさわしい所とは思われません。つれづれな日ばかりをお送りになりますよりは、時々そちら様へお上がりになって、お気をお晴らしになるのがよろしいと存じ上げるのですが、あのめんどうなことの起こりました日のことで恐ろしいように懲りておいでになりまして、あいかわらずめいったふうでおいでになります。
  Koko ni ha, ito medetaki ohom-sumahi no kokoro-hukasa wo, naho, husahasikara zu mi tatematuru. Kaku-te nomi, tuku-duku to nagame sase tamahu yori ha, toki-doki ha watari mawirase tamahi te, mi-kokoro mo nagusame sase tamahe, to omohi haberu ni, tutumasiku osorosiki mono ni obosi tori te nam, mono-uki koto ni nageka se tamahu meru.
1.5.4  若宮の御前にとて、卯槌まゐらせたまふ。 大き御前の御覧ぜざらむほどに、御覧ぜさせたまへ、とてなむ」
 若宮の御前にと思って、卯槌をお贈り申し上げなさいます。ご主人様が御覧にならない時に御覧下さいませ、とのことでございます」
 若君様へこちらから卯槌うづちを差し上げられます。そまつな品ですから奥様の御覧にならぬ時に差し上げてくださいと仰せになりました。
  Waka-Miya no o-mahe ni tote, uduti mawirase tamahu. Ohoki o-mahe no go-ran-ze zara m hodo ni, go-ran-ze sase tamahe, tote nam."
1.5.5  と、こまごまと 言忌もえしあへず、もの嘆かしげなるさまのかたくなしげなるも、うち返しうち返し、あやしと御覧じて、
 と、こまごまと言忌もできずに、もの悲しい様子が見苦しいのにつけても、繰り返し繰り返し、変だと御覧になって、
 こまごまと、年の初めの縁起も忘れて、主人のことを哀訴している、かたくならしい心も見える手紙を、宮は何度となく読んで御覧になり、怪しく思召して、
  to, koma-goma to koto-imi mo e si-ahe zu, mono-nagekasige naru sama no katakunasige naru mo, uti-kahesi uti-kahesi, ayasi to go-ran-zi te,
1.5.6  「 今は、のたまへかし。誰がぞ
 「今はもう、おっしゃいなさい。誰からのですか」
 「もう言ってもいいでしょう、だれの手紙ですか」
  "Ima ha, notamahe kasi. Taga zo?"
1.5.7  とのたまへば、
 とお尋ねになると、
 と夫人へお言いになった。
  to notamahe ba,
1.5.8  「 昔、かの山里にありける人の娘の、さるやうありて、このころかしこにあるとなむ聞きはべりし」
 「昔、あの山里に仕えておりました女の娘が、ある事情があって、最近あちらにいると聞きました」
 「以前あの山荘にいました人の娘が、訳があってこのごろあそこにいるということを聞いていました。それでしょう」
  "Mukasi, kano yamazato ni ari keru hito no musume no, saru yau ari te, kono-koro kasiko ni aru to nam kiki haberi si."
1.5.9  と聞こえたまへば、おしなべて仕うまつるとは見えぬ文書きを心得たまふに、 かのわづらはしきことあるに思し合はせつ。
 と申し上げなさると、普通にお仕えする女とは見えない書き方を心得ていらっしゃるので、あの厄介なことがあると書いてあったのでお察しになった。
 この答えをお聞きになった宮は、普通の二人の女房が同じ階級の者として一人のことの言われてある文章でもないし、めんどうが起こったと書いてあるのは、あの時のことをさして言うに違いないとお悟りになった。
  to kikoye tamahe ba, osinabete tukau-maturu to ha miye nu humi-gaki wo kokoro-e tamahu ni, kano wadurahasiki koto aru ni obosi ahase tu.
1.5.10  卯槌をかしう、つれづれなりける人のしわざと見えたり。またぶりに、山橘作りて、貫き添へたる枝に、
 卯槌が見事な出来で、所在ない人が作った物だと見えた。松の二股になったところに、山橘を作って、それを貫き通した枝に、
 卯槌が美しい細工で作られてあるのは、閑暇ひまの多い人の仕事と見えた。またぶりに山橘やまたちばなの実を作ってならせてあるのへ付けてあったのは、
  Uduti wokasiu, ture-dure nari keru hito no siwaza to miye tari. Mataburi ni, yama-tatibana tukuri te, turanuki sohe taru yeda ni,
1.5.11  「 まだ古りぬ物にはあれど君がため
 「まだ古木にはなっておりませんが、若君様のご成長を
  まだふりぬものにはあれど君がため
    "Mada huri nu mono ni ha are do Kimi ga tame
1.5.12   深き心に待つと知らなむ
  心から深くご期待申し上げております
  深き心にまつとしらなん
    hukaki kokoro ni matu to sira nam
1.5.13  と、ことなることなきを、「 かの思ひわたる人のにや」と思し寄りぬるに、御目とまりて、
 と、特にたいした歌でないなので、「あのずっと思い続けている女のか」とお思いになると、お目が止まって、
 こんな平凡な歌であったが、常に心にかかっている人の作であるかもしれぬということで興味をお覚えになった。
  to, koto naru koto naki wo, "Kano omohi wataru hito no ni ya?" to obosi-yori nuru ni, ohom-me tomari te,
1.5.14  「 返り事したまへ。情けなし。隠いたまふべき文にもあらざめるを。など、御けしきの悪しき。 まかりなむよ
 「お返事をなさい。返事しなくては情愛がない。隠さなければならない手紙でもあるまいに。どうして、ご機嫌が悪いのですか。去りましょうよ」
 「返事を書いてあげなさい。無情じゃありませんか。隠す必要もない手紙を私が見ただけだのに、なぜ機嫌きげんを悪くしたのですか、では私はあちらへ行こう」
  "Kaheri-goto si tamahe. Nasakenasi. Kakui tamahu beki humi ni mo ara za' meru wo. Nado, mi-kesiki no asiki? Makari na m yo."
1.5.15  とて、立ちたまひぬ。女君、 少将などして
 と言って、お立ちになった。女君は、少将などに向かって、
 こんな言葉を残して宮は夫人の居間から出てお行きになった。中の君は少将などに、
  tote, tati tamahi nu. Womna-Gimi, Seusyau nado site,
1.5.16  「 いとほしくもありつるかな。幼き人の取りつらむを、 人はいかで見ざりつるぞ」
 「お気の毒なことになってしまいましたね。幼い童女が受け取ったのを、他の女房はどうして気づかなかったのでしょう」
 「宮様に見られてしまって、あの人がかわいそうだったね。小さい子が使いから受け取ったのだろうけれど、だれも気がつかなかったのかねえ」
  "Itohosiku mo ari turu kana! Wosanaki hito no tori tu ram wo, hito ha ikade mi zari turu zo."
1.5.17  など、忍びてのたまふ。
 などと、小声でおっしゃる。
 ひそかにこんなことを言っていた。
  nado, sinobi te notamahu.
1.5.18  「 見たまへましかば、いかでかは、参らせまし。すべて、この子は心地なうさし過ぐしてはべり。生ひ先見えて、 人は、おほどかなるこそをかしけれ」
 「拝見しましたら、どうして、こちらへお届けしたりしましょうか。ぜんたい、この子は思慮が浅く出過ぎています。将来性がうかがえて、女の子は、おっとりとしているのが好ましいものです」
 「私どもが気がついておりましたなら、どうして持たせて差し上げなどするものでございますか、全体この子はあさはかに出過ぎる子でございます。将来のことは子供の時を見てよく想像されるものですが、おっとりとしています子には見込みがございますけれど」
  "Mi tamahe masika ba, ikade kaha, mawira se masi. Subete, kono ko ha kokotinau sasi-sugusi te haberi. Ohi-saki miye te, hito ha, ohodoka naru koso wokasikere."
1.5.19  など憎めば、
 などと叱るので、
 などと憎むのを見て、
  nado nikume ba,
1.5.20  「 あなかま。幼き人、な腹立てそ
 「お静かに。幼い子を、叱りなさいますな」
 「まあそんなに言わないでね。子供に腹をたてるものではない」
  "Anakama! Wosanaki hito, na hara-tate so."
1.5.21  とのたまふ。 去年の冬、人の参らせたる童の、顔はいとうつくしかりければ、宮もいとらうたくしたまふなりけり。
 とおっしゃる。去年の冬、ある人が奉公させた童女で、顔がとてもかわいらしかったので、宮もとてもかわいがっていらっしゃるのだった。
 と夫人は制した。去年の冬にある人から童女として奉公させた子であるが、顔のきれいなために宮もかわいがっておいでになった。
  to notamahu. Kozo no huyu, hito no mawirase taru waraha no, kaho ha ito utukusikari kere ba, Miya mo ito rautaku si tamahu nari keri.
注釈68この立文を右近から大輔の君への手紙。1.5.1
注釈69年改まりて以下「御覧ぜさせたまへ」まで、右近の手紙。1.5.2
注釈70御私にも「私」は、主人筋に対して私的なこと。1.5.2
注釈71なほふさはしからず浮舟にとって。1.5.3
注釈72眺めさせたまふよりは主語は浮舟。1.5.3
注釈73時々は渡り参らせたまひて浮舟を中君のもとに参上あそばして。「せたまひて」は二重敬語。1.5.3
注釈74思しとりて主語は浮舟。1.5.3
注釈75大き御前の匂宮をさしていう。1.5.4
注釈76言忌もえしあへず『集成』は「(正月だというのに)縁起でもない言葉を慎むことも忘れて。「ふさはしからず」「つつましく恐ろしきものに」「もの憂きことに嘆かせたまふ」など」と注す。1.5.5
注釈77今はのたまへかし誰がぞ匂宮の詞。1.5.6
注釈78昔かの山里に以下「なむ聞きはべりし」まで、中君の詞。1.5.8
注釈79かのわづらはしきことあるに二条院で匂宮が浮舟に迫った事件。1.5.9
注釈80まだ古りぬ物にはあれど君がため深き心に待つと知らなむ浮舟の詠歌。「まだ古り」に「またぶり」を響かせ、「松」「待つ」「先づ」は懸詞。「君」は若君をさす。若君の長寿と弥栄を予祝する歌。1.5.11
注釈81かの思ひわたる人のにや匂宮の心中。1.5.13
注釈82返り事したまへ以下「まかりなむよ」まで、匂宮の詞。1.5.14
注釈83まかりなむよ主語は自分匂宮。1.5.14
注釈84少将などして「などして」は、などに向かっての意。「少将」は中君付きの女房。「宿木」「東屋」巻に登場。1.5.15
注釈85いとほしくもありつるかな以下「見ざりつるぞ」まで、中君の詞。浮舟の手紙を匂宮に見られてしまったことを後悔する。1.5.16
注釈86人は他の女房。1.5.16
注釈87見たまへましかば以下「をかしけれ」まで、少将君の詞。「ましかば--参らせまし」反実仮想の構文。1.5.18
注釈88人は女子一般をさす。1.5.18
注釈89あなかま幼き人な腹立てそ中君の詞。1.5.20
注釈90去年の冬以下「したまふなりけり」まで、語り手の補足説明的叙述。三光院「注にかけり」と指摘。1.5.21
1.6
第六段 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を知る


1-6  Niou-no-miya hears about a relationship between Kaoru and Ukifune by Dainaiki

1.6.1  わが御方におはしまして、
 ご自分のお部屋にお帰りになって、
 御自身の居間のほうへおいでになった宮は、
  Waga ohom-kata ni ohasimasi te,
1.6.2  「 あやしうもあるかな。宇治に大将の通ひたまふことは、年ごろ絶えずと聞くなかにも、 忍びて夜泊りたまふ時もあり、と人の言ひしを、いとあまりなる 人の形見とて、さるまじき所に旅寝したまふらむこと、と思ひつるは、かやうの人隠し置きたまへるなるべし」
 「不思議なことであったな。宇治に大将がお通いになることは、何年も続いていると聞いていた中でも、こっそりと夜お泊まりになる時もある、と人が言ったが、実にあまりな故人の思い出の土地だからとて、とんでもない所に旅寝なさるのだろうこと、と思ったのは、あのような女を隠して置きなさったからなのだろう」
 不思議なことでないか、あれからのちも宇治へ行くことを大将はやめないと聞いていたが、そっと泊まる夜もあると人が言った時に、深い恋をした人の面影の残る山荘だからといっても、ああした所に宿泊までするのかと思ったのは、こうした新しい情人を隠していたためなのであろう
  "Ayasiu mo aru kana! Udi ni Daisyau no kayohi tamahu koto ha, tosi-goro taye zu to kiku naka ni mo, sinobi te yoru tomari tamahu toki mo ari, to hito no ihi si wo, ito amari naru hito no katami tote, sarumaziki tokoro ni tabine si tamahu ram koto, to omohi turu ha, kayau no hito kakusi-oki tamahe ru naru besi."
1.6.3  と思し得ることもありて、 御書のことにつけて使ひたまふ大内記なる人の、 かの殿に親しき たよりあるを思し出でて、御前に召す。参れり。
 と合点なさることもあって、ご学問のことでお使いになる大内記である者で、あちらの邸に親しい縁者がいる者を思い出しなさって、御前にお召しになる。参上した。  と、思い合わされることもおありになって、学問のほうの用で自邸でもお使いになる大内記が、薫の家の人によるべのあることをお思い出しになり、居間へお呼びになった。
  to obosi-uru koto mo ari te, ohom-humi no koto ni tuke te tukahi tamahu Dainaiki naru hito no, kano Tono ni sitasiki tayori aru wo obosi-ide te, o-mahe ni mesu. Mawire ri.
1.6.4  「 韻塞すべきに 、集ども選り出でて、こなたなる厨子に積むべきこと」
 「韻塞をしたいのだが、詩集などを選び出して、こちらにある厨子に積むように」
 韻塞いんふたぎをされるはずになっていたから、詩集のしかるべきものを選んでここのたなへ積んでおくこと
  "Win-hutagi subeki ni, sihu-domo eri-ide te, konata naru dusi ni tumu beki koto."
1.6.5  などのたまはせて、
 などとお命じになって、
 などをお命じになったあとで、
  nado notamahase te,
1.6.6  「 右大将の宇治へいますること、なほ絶え果てずや。寺をこそ、いとかしこく造りたなれ。いかでか見るべき」
 「右大将が宇治へ行かれることは、相変わらず続いていますか。寺を、とても立派に造ったと言うね。何とか見られないかね」
 「右大将が宇治へ行かれることは今でも同じかね。寺をりっぱに作ったそうだね。一度見たいものだ」
  "U-Daisyau no Udi he imasuru koto, naho taye-hate zu ya? Tera wo koso, ito kasikoku tukuri ta' nare. Ikadeka miru beki?"
1.6.7  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 こんな話をおしかけになった。
  to notamahe ba,
1.6.8  「 寺いとかしこく、いかめしく造られて、不断の三昧堂など、いと尊くおきてられたり、 となむ聞きたまふる。通ひたまふことは、去年の秋ごろよりは、ありしよりも、しばしばものしたまふなり。
 「寺をたいそう立派に、荘厳にお造りになって、不断の三昧堂など、大変に尊くお命じになった、と聞いております。お通いになることは、去年の秋ごろからは、以前よりも、頻繁に行かれると言います。
 「たいへんなものでございます。不断の三昧さんまい堂などもけっこうな設計でお作らせになったと申すことを聞きました。宇治へおいでになりますことは昨年の秋ごろから以前よりもはげしくなったようでございます。
  "Tera ito kasikoku, ikamesiku tukurare te, hu-dan no sammai-dau nado, ito tahutoku okite rare tari, to nam kiki tamahuru. Kayohi tamahu koto ha, kozo no aki-goro yori ha, ari-si yori mo, siba-siba monosi tamahu nari.
1.6.9  下の人びとの忍びて申ししは、『女をなむ隠し据ゑさせたまへる、けしうはあらず思す人なるべし。あのわたりに領じたまふ所々の人、皆仰せにて参り仕うまつる。宿直にさし当てなどしつつ、京よりもいと忍びて、さるべきことなど問はせたまふ。いかなる幸ひ人の、さすがに心細くてゐたまへるならむ』となむ、ただこの師走のころほひ申す、と聞きたまへし」
 下々の人びとがこっそりと申した話では、『女を隠し据えていらっしゃり、憎からずお思いになっている女なのでしょう。あの近辺に所領なさる所々の人が、皆ご命令に従ってお仕えしております。宿直を担当させたりしては、京からもたいそうこっそりと、しかるべき事などお尋ねになります。どのような幸い人で、幸せながらも心細くおいでなのでしょう』と、ちょうどこの十二月のころに申していた、とお聞き致しました」
 下の者のそっと申しておりますのを聞きますと、愛人を隠しておいておありになるようでございます。かなり大事にしていられる人らしゅうございます。大将のあのへんのあちらこちらの荘園の者が皆仰せで山荘の御用を勤めております。代る代る宿直とのいをおさせになったりもするようです。京のおやしきからも、そっと目だたせずに入り用な物品を山荘へ送らせておいでになります。どんな幸運の人が、しかしながら心細い山荘住まいをさせられておいでになるのだろうと、この話を十二月に聞いたと私に話した者は言いましてございます」
  Simo no hito-bito no sinobi te mausi si ha, 'Womna wo nam kakusi suwe sase tamahe ru, kesiu ha ara zu obosu hito naru besi. Ano watari ni ryau-zi tamahu tokoro-dokoro no hito, mina ohose nite mawiri tukau-maturu. Tonowi ni sasi-ate nado si tutu, kyau yori mo ito sinobi te, saru-beki koto nado tohase tamahu. Ika naru saihahi-bito no, sasuga ni kokoro-bosoku te wi tamahe ru nara m?' to nam, tada kono Sihasu no korohohi mausu, to kiki tamahe si."
1.6.10  と聞こゆ。
 と申し上げる。
 と大内記は言った。
  to kikoyu.
注釈91あやしうもあるかな以下「隠しおきたまへるなるべし」まで、匂宮の心中の思い。1.6.2
注釈92忍びて夜泊りたまふ時もあり匂宮の耳に入る風聞。1.6.2
注釈93人の形見大君の思いでの土地。1.6.2
注釈94御書のこと「書」は学問の意。1.6.3
注釈95かの殿に薫の邸。1.6.3
注釈96韻塞すべきに以下「積むべきこと」まで、匂宮の命じた詞の内容。間接的話法。1.6.4
注釈97右大将の宇治へ以下「いかでか見るべき」まで、匂宮の詞。1.6.6
注釈98寺いとかしこく以下「申すと聞きたまへし」まで、大内記の詞。1.6.8
注釈99となむ--申すと聞きたまへし『集成』は「大内記は、「下の人々」の噂を更に聞き伝えた体」と注す。1.6.8
校訂3 たよりある たよりある--たより(り/+ある) 1.6.3
校訂4 すべき すべき--すす(す<後出>/$)へき 1.6.4
1.7
第七段 匂宮、薫の噂を聞き知り喜ぶ


1-7  Niou-no-miya is glad of hearing the information about Kaoru

1.7.1  「 いとうれしくも聞きつるかな」と思ほして、
 「とても嬉しいことを聞いたなあ」とお思いになって、
 すべてがこれで明らかになったと宮はお喜びになった。
  "Ito uretaku mo kiki turu kana!" to omohosi te,
1.7.2  「 たしかにその人とは、言はずや。かしこにもとよりある尼ぞ、訪らひたまふと聞きし」
 「はっきりと名前を、言わなかったか。あちらに以前から住んでいた尼を、お訪ねになると聞いていたが」
 「どういう人と言っていなかったかね、あの山荘にもとからいる尼のめんどうを大将は見てやっていると聞いたが、そのまちがいではないだろうね」
  "Tasika ni sono hito to ha, iha zu ya? Kasiko ni motoyori aru Ama zo, toburahi tamahu to kiki si."
1.7.3  「 尼は、廊になむ住みはべるなる。 この人は、今建てられたるになむ、きたなげなき女房などもあまたして、口惜しからぬけはひにてゐてはべる」
 「尼は、渡廊に住んでおりますと言います。この女は、今度建てられた所に、こぎれいな女房なども大勢して、結構な具合で住んでおります」
 「尼さんは廊の座敷に住んでおります。その方は今度建ちました御殿のほうに、きれいな女房などもたくさん使って、品よく住んでおいでになるようでございます」
  "Ama ha, rau ni nam sumi haberu naru. Kono hito ha, ima tate rare taru ni nam, kitanage naki nyoubau nado mo amata site, kutiwosikara nu kehahi nite wi te haberu."
1.7.4  と聞こゆ。
 と申し上げる。

  to kikoyu.
1.7.5  「 をかしきことかな。何心ありて、いかなる人をかは、さて据ゑたまひつらむ。なほ、いとけしきありて、なべての人に似ぬ御心なりや。
 「興味深いことだね。どのような考えがあって、どのような女を、そのように据えていらしゃるのだろうか。やはり、とても好色なところがあって、普通の人と似ていないお心なのだろうか。
 「おもしろい話だね、どういうつもりで、どこの婦人をそうして隠しているのだろう。なんといってもあの人のすることは特色があるね、
  "Wokasiki koto kana! Nani-gokoro ari te, ika naru hito wo kaha, sate suwe tamahi tu ram? Naho, ito kesiki ari te, nabete no hito ni ni nu mi-kokoro nari ya!
1.7.6  右の大臣など、『 この人のあまりに道心に進みて、山寺に、夜さへともすれば泊りたまふなる、軽々し』ともどきたまふと聞きしを、げに、などかさしも仏の道には忍びありくらむ。なほ、かの故里に心をとどめたると聞きし、かかること こそはありけれ。
 右大臣などが、『この人があまりに仏道に進んで、山寺に、夜までややもすればお泊まりになるというが、軽々しい行為だ』と非難なさると聞いたが、なるほど、どうしてそんなにも仏道にこっそり行かれるのだろう。やはり、あの思い出の地に心を惹かれていると聞いたが、このようなわけがあったのだ。
 左大臣などはあの人があまりに宗教に傾き過ぎて、山の寺などに夜さえも泊まることをするのは、身分柄軽率なそしりを受けることだと非難をしておられると聞いたが、実際は信仰のための微行などというものはできるものではない、やはり昔の恋人の家であるから、それに心がかれて行くのだと私に言う者もあった。それがまた当を得た解釈ではなかったのだね、愛人を隠してあるなどとは驚くね。君はどう思う。
  Migi-no-Otodo nado, 'Kono hito no amari ni dausin ni susumi te, yama-dera ni, yoru sahe tomo-sure-ba tomari tamahu naru, karo-garosi.' to modoki tamahu to kiki si wo, geni, nadoka sasimo Hotoke no miti ni ha sinobi-ariku ram? Naho, kano hurusato ni kokoro wo todome taru to kiki si, kakaru koto koso ha ari kere.
1.7.7   いづら、人よりはまめなるとさかしがる人しも、ことに人の思ひいたるまじき隈ある構へよ」
 どうだ、誰よりも真面目だと分別顔をする人の方がかえって、ことさら誰も考えつかないようなところがあるものだよ」
 だれよりも自分はまじめな人間であると標榜ひょうぼうしている人が、そんな常識で想像もできぬようなことを仕組んで愛人をそっと持つなどということは」
  Idura, hito yori ha mame naru to sakasigaru hito simo, koto ni hito no omohi-itaru maziki kuma aru kamahe yo!"
1.7.8  とのたまひて、いとをかしと思いたり。この人は、かの殿にいと睦ましく仕うまつる家司の婿になむありければ、 隠したまふことも 聞くなるべし
 とおっしゃって、たいそうおもしろいとお思いになった。この人は、あちらの邸でたいそう親しくお仕えしている家司の婿であったので、隠していらっしゃることも聞いたのであろう。
 と宮はおかしそうにお言いになった。大内記は右大将の家に古くから使っている家司けいしの婿であったから秘密な話も耳にはいるのであろう。
  to notamahi te, ito wokasi to oboi tari. Kono hito ha, kano Tono ni ito mutumasiku tukau-maturu keisi no muko ni nam ari kere ba, kakusi tamahu koto mo kiku naru besi.
1.7.9  御心の内には、「 いかにして、この人を、見し人かとも見定めむ。 かの君の、さばかりにて据ゑたるは、なべてのよろし人にはあらじ。 このわたりには、いかで疎からぬにかはあらむ。 心を交はして隠したまへりけるも、いとねたう」おぼゆ。
 ご心中では、「何とかして、この女を、前に会ったことのある女かどうか確かめたい。あの君が、あのように据えているのは、平凡で普通の女ではあるまい。こちらでは、どうして親しくしているのだろう。しめし合わせて隠していらっしゃったというのも、とても悔しい」と思われる。
 宮のお心の中では、どんな策を用いてそのかおるの愛人をあの夕べの女であるか、そうでないかと見きわめたらいいであろう、あの大将がそれほどに大事にしておく人はひととおりな美人ではあるまい、またその女が自分の妻とどういう関係で親しいのであろうとお思われになり、薫と心を合わせて夫人があくまで隠そうとしていることがねたましく、いささか不快なことにもお思われになった。
  Mi-kokoro no uti ni ha, "Ikani si te, kono hito wo, mi si hito ka to mo mi sadame m. Kano Kimi no, sa-bakari nite suwe taru ha, nabete no yorosi-bito ni ha ara zi. Kono watari ni ha, ikade utokara nu ni kaha ara m. Kokoro wo kahasi te kakusi tamahe ri keru mo, ito netau" oboyu.
注釈100いとうれしくも聞きつるかな匂宮の心中の思い。1.7.1
注釈101たしかにその人とは以下「と聞きし」まで、匂宮の詞。1.7.2
注釈102尼は、廊になむ以下「けはひにてゐてはべる」まで、大内記の詞。1.7.3
注釈103この人は噂の人。浮舟をさす。1.7.3
注釈104をかしきことかな以下「隈ある構へよ」まで、匂宮の詞。1.7.5
注釈105この人の以下「軽々し」まで、夕霧の詞を引用。1.7.6
注釈106いづら相手に呼びかける語。1.7.7
注釈107隠したまふことも主語は薫。1.7.8
注釈108聞くなるべし語り手の推量。1.7.8
注釈109いかにしてこの人を以下「いとねたう」あたりまで、匂宮の心中の思い。末尾は地の文に流れる。1.7.9
注釈110かの君の薫。1.7.9
注釈111このわたりには中君をさす。1.7.9
注釈112心を交はして中君と薫が。1.7.9
校訂5 こそは こそは--こそ(そ/+は) 1.7.6
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渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
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渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2005年2月23日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月15日

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Written in Japanese roman letters
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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