50 東屋(大島本)


ADUMAYA


薫君の大納言時代
二十六歳秋八月から九月までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from August to September at the age of 26

4
第四章 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる


4  Tale of Ukifune and Niou-no-miya  Ukifune is peeped by Niou-no-miya and forced his attentions

4.1
第一段 匂宮、二条院に帰邸


4-1  Niou-no-miya comes back to his home Nijo-in

4.1.1   車引き出づるほどの、すこし明うなりぬるに、宮、内裏よりまかでたまふ。若君おぼつかなくおぼえたまひければ、忍びたるさまにて、車なども 例ならでおはしますにさしあひて、 おしとどめて立てたれば廊に御車寄せて降りたまふ。
 車を引き出すときの、少し明るくなったころに、宮が、内裏から退出なさる。若君が気がかりに思われなさったので、人目につかないようにして、車などもいつもと違った物でお帰りになるのに出くわして、止めて立ち止まっていると、渡廊にお車を寄せて降りなさる。
 常陸夫人の車の引き出されるころは少し明るくなっていたが、ちょうどこの時に宮は御所からお帰りになった。若君に心がおかれになるために御微行の体で車なども例のようでなく簡単なのに召しておいでになったのと行き合って、常陸家の車は立ちどまり、宮のお車は廊に寄せられておりになるのであった。
  Kuruma hiki-iduru hodo no, sukosi akau nari nuru ni, Miya, uti yori makade tamahu. Waka-Gimi obotukanaku oboye tamahi kere ba, sinobi taru sama nite, kuruma nado mo rei nara de ohasimasu ni sasi-ahi te, osi-todome te tate tare ba, rau ni mi-kuruma yose te ori tamahu.
4.1.2  「 なぞの車ぞ。暗きほどに急ぎ出づるは」
 「誰の車か。暗いうちに急に出ようとするのは」
 だれの車だろう、まだ暗いのに急いで出て行くではないか
  "Nazo no kuruma zo. Kuraki hodo ni isogi iduru ha?"
4.1.3  と目とどめさせたまふ。「 かやうにてぞ、忍びたる所には出づるかし」と、 御心ならひに思し寄るも、むくつけし
 と目をお止めあそばす。「このように、忍んで通う女のもとから出る者か」と、ご自身の経験からお考えになるのも、嫌なことだ。
 と宮は目をおとめになった。こんなふうにして人目を忍んで通う男は帰って行くものであると、御自身の経験から悪い疑いもお抱きになった。
  to me todome sase tamahu. "Ka-yau nite zo, sinobi taru tokoro ni ha iduru kasi." to, mi-kokoro-narahi ni obosi-yoru mo, mukutukesi.
4.1.4  「 常陸殿のまかでさせたまふ
 「常陸殿が退出あそばします」
 「常陸様がお帰りになるのでございます」
  "Hitati-dono no makade sase tamahu."
4.1.5  と申す。若やかなる御前ども、
 と申し上げる。若い御前駆たちは、
 と、出る車に従った者は言った。
  to mausu. Wakayaka naru Go-zen-domo,
4.1.6  「 殿こそ、あざやかなれ
 「殿というのは、大げさな」
 「りっぱなさまだね」
  "Tono koso, azayaka nare."
4.1.7  と、笑ひあへるを聞くも、「 げに、こよなの身のほどや」と悲しく思ふ。ただ、 この御方のことを思ふゆゑにぞ、 おのれも人びとしくならまほしくおぼえける。まして、 正身をなほなほしくやつして見むことは、いみじくあたらしう思ひなりぬ。宮、入りたまひて、
 と、笑い合っているのを聞くと、「おっしゃるとおり、笑われてもしかたない身分だ」と悲しく思う。ただ、この御方のことを思うために、自分も人並みになりたいと思うのだった。それ以上に、ご本人を身分の低い男と結婚させるのは、ひどく惜しいと思った。宮が、お入りになって、
 と若い前駆の笑い合っているのを聞いて、常陸の妻は、こんなにまで懸隔のある身分であったかと悲しんだ。ただ姫君のために自分も人並みな尊敬の払われる身分がほしいと思った。まして姫君自身をわが階級に置くことは惜しい悲しいことであるといよいよこの人は考えるようになった。宮は夫人の居間へおはいりになって、
  to, warahi ahe ru wo kiku mo, "Geni, koyona no mi no hodo ya!" to kanasiku omohu. Tada, kono Ohom-Kata no koto wo omohu yuwe ni zo, onore mo hito-bitosiku nara mahosiku oboye keru. Masite, syauzimi wo naho-nahosiku yatusi te mi m koto ha, imiziku atarasiu omohi nari nu. Miya, iri tamahi te,
4.1.8  「 常陸殿といふ人や、ここに通はしたまふ。心ある朝ぼらけに、急ぎ出でつる車副などこそ、ことさらめきて見えつれ」
 「常陸殿という人を、こちらに通わせているのですか。意味ありげな朝ぼらけに、急いで出た車の供揃いが、特別に見えました」
 「常陸さんという人があなたの所へ通っているのではないか、えんな夜明けに急いで出て行った車付きの者が、なんだかわざとらしいこしらえ物のようだった」
  "Hitati-dono to ihu hito ya, koko ni kayohasi tamahu. Kokoro-aru asa-borake ni, isogi ide turu kuruma-zohi nado koso, kotosara meki te miye ture."
4.1.9  など、なほ思し疑ひてのたまふ。「 聞きにくくかたはらいたし」と思して
 などと、やはりお疑いになっておっしゃる。「聞きにくく回りの者がどう思うか」とお思いになって、
 まだ疑いながらお言いになるのであった。人聞きの恥ずかしい困ったことをお言いになると思い、
  nado, naho obosi utagahi te notamahu. "Kiki nikuku katahara-itasi." to obosi te,
4.1.10  「 大輔などが若くてのころ、友達にてありける人は。ことに今めかしうも見えざめるを、ゆゑゆゑしげにものたまひなすかな。 人の聞きとがめつべきことをのみ、常にとりないたまふこそ、 なき名は立てで
 「大輔などが若かったころ、友人であった人ですわ。特にしゃれた人には見えないようだったが、わけがありそうにおっしゃいますね。人聞きの悪そうなことばかりを、いつもおっしゃいますが、無実の罪を着せないでください」
 「大輔たゆうなどの若いころの朋輩ほうばいは何のはなやかな恰好かっこうもしていませんのに、仔細しさいのありそうにおっしゃいますのね。人がどんなに悪く解釈するかもしれないようなことにわざとしてお話しなさいます。『なき名は立てで』(ただに忘れね)」
  "Taihu nado ga wakaku te no koro, tomodati nite ari keru hito ha. Koto ni imamekasiu mo miye za' meru wo, yuwe-yuwesige ni mo notamahi nasu kana! Hito no kiki togame tu beki koto wo nomi, tune ni torinai tamahu koso, naki na ha tate de."
4.1.11  と、うち背きたまふも、らうたげにをかし。
 と、横を向きなさるのも、かわいらしく美しい。
 と言って、顔をそむける夫人は可憐かれんで美しかった。
  to, uti-somuki tamahu mo, rautage ni wokasi.
4.1.12   明くるも知らず大殿籠もりたるに 人びとあまた参りたまへば寝殿に渡りたまひぬ后の宮は、ことことしき御悩みにもあらで、おこたりたまひにければ、心地よげにて、右の大殿の君達など、碁打ち韻塞などしつつ遊びたまふ。
 夜の明けるのも知らずにお休みになっていると、人びとが大勢参上なさったので、寝殿にお渡りになった。后の宮は、仰々しいご病気でなく平癒なさったので、気分よさそうで、右の大殿の公達などは、碁を打ったり韻塞ぎなどをしてお遊びになる。
 そのまま寝室に宮は朝おそくまでやすんでおいでになったが、伺候者が多数に集まって来たために、正殿のほうへお行きになった。中宮ちゅうぐうの御病気はたいしたものでなくすぐ快くおなりになったことにだれも安心して、まいっていた左大臣家の子息たちなどもごいっしょに碁を打ち韻塞いんふたぎなどしてこの日を暮した。
  Akuru mo sira zu ohotono-gomori taru ni, hito-bito amata mawiri tamahe ba, sinden ni watari tamahi nu. Kisai-no-Miya ha, koto-kotosiki ohom-nayami ni mo ara de, okotari tamahi ni kere ba, kokoti-yoge nite, Migi-no-Ohotono no Kim-dati nado, go uti in-hutagi nado si tutu asobi tamahu.
注釈424車引き出づるほどの浮舟の母の車。4.1.1
注釈425例ならでおはしますに親王である匂宮の常用の車は檳榔毛の車。ここは微行の体なので、網代車であろう。4.1.1
注釈426おしとどめて立てたれば浮舟の母の車。4.1.1
注釈427廊に御車寄せて匂宮の車。4.1.1
注釈428なぞの車ぞ暗きほどに急ぎ出づる匂宮の詞。4.1.2
注釈429かやうにてぞ忍びたる所には出づるかし匂宮の心中の思い。4.1.3
注釈430御心ならひに思し寄るもむくつけし『全集』は「匂宮の気のまわし方に対する語り手の批評」と注す。4.1.3
注釈431常陸殿のまかでさせたまふ常陸介方の供人の詞。その北の方の呼称を「--殿」という。4.1.4
注釈432殿こそあざやかなれ匂宮方の供人の詞。4.1.6
注釈433げにこよなの身のほどや浮舟の母の心中の思い。4.1.7
注釈434この御方のことを浮舟の身の上。4.1.7
注釈435おのれも人びとしくならまほしく浮舟の母自分も人並みの貴族になりたいと思う。4.1.7
注釈436正身を浮舟本人を。4.1.7
注釈437常陸殿といふ人や以下「見えつれ」まで、匂宮の詞。「常陸殿」という男をここちらに通わせているのか、という問い。4.1.8
注釈438聞きにくくかたはらいたしと思して主語は中君。4.1.9
注釈439大輔などが以下「なき名は立てで」まで、中君の詞。4.1.10
注釈440人の聞きとがめつべきことをまるで中君が常陸殿という男を通わせているかと、誤解されるような言い方をする。4.1.10
注釈441なき名は立てで『源氏釈』は「思はむと頼めしこともある物をなき名は立てでただに忘れね」(後撰集恋二、六六二、読人しらず)を指摘。4.1.10
注釈442明くるも知らず大殿籠もりたるに『異本紫明抄』は「玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひけるかな」(伊勢集)を指摘。4.1.12
注釈443人びとあまた参りたまへば夕霧の従者たち。4.1.12
注釈444寝殿に渡りたまひぬ主語は匂宮。寝殿で客人に応対。4.1.12
注釈445后の宮は明石中宮。4.1.12
出典16 なき名は立てで 思はむと頼めしこともあるものをなき名を立てでただに忘れね 後撰集恋二-六六二 読人しらず 4.1.10
出典17 明くるも知らず 玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じとゆめ思ひきや 伊勢集-五五 4.1.12
4.2
第二段 匂宮、浮舟に言い寄る


4-2  Niou-no-miya forces his attention to Ukifune

4.2.1  夕つ方、 宮こなたに渡らせたまへれば、女君は、御ゆするのほどなりけり。人びともおのおのうち休みなどして、御前には人もなし。小さき童のあるして、
 夕方、宮がこちらにお渡りあそばすと、女君は、ご洗髪の時であった。女房たちもそれぞれ休んだりしていて、御前には女房もいない。小さい童女がいたのをつかって、
 夕方に宮が西の対へおいでになった時に、夫人は髪を洗っていた。女房たちも部屋へやへそれぞれはいって休息などをしていて、夫人の居間にはだれというほどの者もいなかった。小さい童女を使いにして、
  Yuhu-tu-kata, Miya konata ni watara se tamahe re ba, Womna-Gimi ha, ohom-yusuru no hodo nari keri. Hito-bito mo ono-ono uti-yasumi nado si te, o-mahe ni ha hito mo nasi. Tihisaki waraha no aru si te,
4.2.2  「 折悪しき御ゆするのほどこそ、見苦しかめれ。さうざうしくてや、眺めむ」
 「折悪くご洗髪の時とは、困りましたね。手持ち無沙汰で、ぼんやりしていようかな」
 「おりの悪い髪洗いではありませんか。一人ぼっちで退屈をしていなければならない」
  "Wori asiki ohom-yusuru no hodo koso, mi-gurusika' mere. Sau-zausiku te ya, nagame m."
4.2.3  と、聞こえたまへば、
 と、申し上げなさると、
 と宮は言っておやりになった。
  to, kikoye tamahe ba,
4.2.4  「 げに、おはしまさぬ隙々にこそ、例は済ませ。あやしう日ごろももの憂がらせたまひて、 今日過ぎば、この月は日もなし。九、十月は、いかでかはとて、仕まつらせつるを」
 「仰せのとおり、いらっしゃらない合間に、いつもは済ませます。妙に近頃は億劫になられまして、今日を過ごしたら、今月は吉日もありません。九月、十月は、とてもと思われまして、いたしておりますが」
 「ほんとうに、いつもはお留守の時にお済ませするのに、せんだってうちはおっくうがりになってあそばさなかったし、今日が過ぎれば今月に吉日はないし、九、十月はいけないことになるしと思って、おさせしたのですがね」
  "Geni, ohasimasa nu hima-hima ni koso, rei ha sumase. Ayasiu hi-goro mo mono-ugara se tamahi te, kehu sugi ba, kono tuki ha hi mo nasi. Ku, Zihu-gwati ha, ikade-kaha tote, tukau-matura se turu wo."
4.2.5  と、大輔いとほしがる。
 と、大輔はお気の毒がる。
 と大輔は気の毒がり、
  to, Taihu itohosigaru.
4.2.6  若君も寝たまへりければ、 そなたにこれかれあるほどに、宮はたたずみ歩きたまひて、 西の方に例ならぬ童の見えつるを、「今参りたるか」など思して、 さし覗きたまふ。中のほどなる障子の、細目に開きたるより見たまへば、障子のあなたに、一尺ばかりひきさけて、屏風立てたり。そのつまに、几帳、簾に添へて立てたり。
 若君もお寝みになっていたので、そちらに女房の皆がいるときで、宮はぶらぶらお歩きになって、西の方にいつもとちがった童女が見えたのを、「新参者か」などとお思いになって、お覗きになる。中程にある襖障子が、細めに開いている所から御覧になると、障子の向こうに、一尺ほど離れて、屏風が立っていた。その端に、几帳を、御簾に添って立ててある。
 若君も寝ていたのでお寂しかろうと思い、女房のだれかれをお居間へやった。宮はそちらこちらと縁側を歩いておいでになったが、西のほうに見れぬ童女が出ていたのにお目がとまり、新しい女房が来ているのであろうかとお思いになって、そこの座敷を隣室からおのぞきになった。あい襖子からかみの細めにあいた所から御覧になると、襖子の向こうから一尺ほど離れた所に屏風びょうぶが立ててあった。その間の御簾みすに添えて几帳が置かれてある。
  Waka-Gimi mo ne tamahe ri kere ba, sonata ni kore kare aru hodo ni, Miya ha tatazumi ariki tamahi te, nisi no kata ni rei nara nu waraha no miye turu wo, "Ima mawiri taru ka?" nado obosi te, sasi-nozoki tamahu. Naka no hodo naru syauzi no, hosome ni aki taru yori mi tamahe ba, syauzi no anata ni, iti-syaku bakari hiki sake te, byaubu tate tari. Sono tuma ni, kityau, su ni sohe te tate tari.
4.2.7  帷一重をうちかけて、 紫苑色のはなやかなるに、女郎花の織物と見ゆる重なりて、袖口さし出でたり。 屏風の一枚たたまれたるより、「 心にもあらで見ゆるなめり今参りの口惜しからぬなめり」と思して、この廂に通ふ障子を、いとみそかに押し開けたまひて、やをら歩み寄りたまふも、 人知らず
 帷子一枚を横木にひっ懸けて、紫苑色の華やかな袿に、女郎花の織物と見える表着が重なって、袖口が出ている。屏風の一枚が畳まれている間から、「意外にも見えるようだ。新参者でかなりの身分の女房のようだ」とお思いになって、この廂に通じている障子を、たいそう密かに押し開けなさって、静かに歩み寄りなさるのも、誰も気がつかない。
 几帳のぎぬが一枚上へ掲げられてあって、紫苑しおん色のはなやかな上に淡黄うすきの厚織物らしいのの重なった袖口そでぐちがそこから見えた。屏風の端が一つたたまれてあったために、心にもなくそれらを見られているらしい。相当によい家から出た新しい女房なのであろうと宮は思召して、立っておいでになったへやから、女のいる室へ続いたひさしあいの襖子をそっと押しあけて、静かにはいっておいでになったのをだれも気がつかずにいた。
  Katabira hito-he wo uti-kake te, siwon-iro no hanayaka naru ni, wominahesi no ori-mono to miyuru kasanari te, sode-guti sasi-ide tari. Byaubu no hito-hira tatama re taru yori, "Kokoro ni mo ara de miyuru na' meri. Ima-mawiri no kutiwosikara nu na' meri." to obosi te, kono hisasi ni kayohu syauzi wo, ito misoka ni osi-ake tamahi te, yawora ayumi-yori tamahu mo, hito sira zu.
4.2.8   こなたの廊の中の壺前栽の、いとをかしう色々に咲き乱れたるに、遣水のわたり、石高きほど、いとをかしければ、 端近く添ひ臥して眺むるなりけり。開きたる障子を、今すこし押し開けて、屏風のつまより覗きたまふに、 宮とは思ひもかけず、「 例こなたに来馴れたる人にやあらむ」と思ひて、起き上がりたる様体、いとをかしう見ゆるに、 例の御心は過ぐしたまはで、衣の裾を捉へたまひて、 こなたの障子は引き立てたまひて、屏風のはさまに居たまひぬ。
 こちらの渡廊の中の壷前栽が、たいそう美しく色とりどりに咲き乱れているところに、遣水のあたりの、石が高くなっているところが、実に風情があるので、端近くに添い臥して眺めているのであった。開いている障子を、もう少し押し開けて、屏風の端からお覗きなさると、宮とは思いもかけず、「いつもこちらに来馴れている女房であろうか」と思って、起き上がった姿形は、たいそう美しく見えるので、いつもの好色のお癖はお堪えになれず、衣の裾を捉えなさって、こちらの障子は引き閉めなさって、屏風の隙間に座りなさった。
  向こう側の北の中庭の植え込みの花がいろいろに咲き乱れた、小流れのそばの岩のあたりの美しいのを姫君は横になってながめていたのである。初めから少しあいていた襖子をさらに広くあけて屏風の横から中をおのぞきになったが、宮がおいでになろうなどとは思いも寄らぬことであったから、いつも中の君のほうから通って来る女房が来たのであろうと思い、起き上がったのは、宮のお目に非常に美しくうつって見える人であった。例の多情なお心から、この機会をはずすまいとあそばすように、衣服のすそを片手でおおさえになり、片手で今はいっておいでになった襖子を締め切り、屏風の後ろへおすわりになった。
  Konata no rau no naka no tubo-sensai no, ito wokasiu iro-iro ni saki midare taru ni, yarimidu no watari, isi takaki hodo, ito wokasikere ba, hasi tikaku sohi husi te nagamuru nari keri. Aki taru syauzi wo, ima sukosi osi-ake te, byaubu no tuma yori nozoki tamahu ni, Miya to ha omohi mo kake zu, "Rei konata ni ki nare taru hito ni ya ara m?" to omohi te, oki-agari taru yaudai, ito wokasiu miyuru ni, rei no mi-kokoro ha sugusi tamaha de, kinu no suso wo torahe tamahi te, konata no syauzi ha hiki-tate tamahi te, byaubu no hasama ni wi tamahi nu.
4.2.9  あやしと思ひて、扇をさし隠して見返りたるさま、いとをかし。 扇を持たせながら捉へたまひて
 変だと思って、扇で顔を隠して振り返った様子、実に美しい。扇をお持になったまま掴えなさって、
 怪しく思って扇を顔にかざしながら見返った姫君はきれいであった。扇をそのままにさせて手をおとらえになり、
  Ayasi to omohi te, ahugi wo sasi-kakusi te mi-kaheri taru sama, ito wokasi. Ahugi wo mota se nagara torahe tamahi te,
4.2.10  「 誰れぞ。名のりこそ、ゆかしけれ
 「どなたですか。名前が、ぜひ聞きたい」
 「あなたはだれ。名が聞きたい」
  "Tare zo? Nanori koso, yukasikere."
4.2.11  とのたまふに、むくつけくなりぬ。 さるもののつらに、顔を他ざまにもて隠して、いといたう忍びたまへれば、「 このただならずほのめかしたまふらむ 大将にや、香うばしきけはひなども」思ひわたさるるに、いと恥づかしくせむ方なし。
 とおっしゃると、気持ち悪くなった。そうした物の際で、顔を外向けに隠して、とてもたいそうお忍びになっているので、「あの一方ならず思いを寄せていらっしゃるらしい大将であろうか、香ばしい様子などもそれらしく」思われるので、とても恥ずかしくどうしてよいか分からない。
 とお言いになるのを聞いて、姫君は恐ろしくなった。ただ戯れ事の相手として御自身は顔を外のほうへお向けになり、だれと知れないように宮はしておいでになるので、近ごろ時々話に聞いた大将なのかもしれぬ、においの高いのもそれらしいと考えられることによって、姫君ははずかしくてならなかった。
  to notamahu ni, mukutukeku nari nu. Saru mono no tura ni, kaho wo hoka-zama ni mote-kakusi te, ito itau sinobi tamahe re ba, "Kono tada nara zu honomekasi tamahu ram Daisyau ni ya, kaubasiki kehahi nado mo." omohi watasa ruru ni, ito hadukasiku semkatanasi.
注釈446宮こなたに渡らせたまへれば匂宮、中君のいる西の対へ。4.2.1
注釈447折悪しき御ゆする以下「眺めむ」まで、匂宮の詞。4.2.2
注釈448げにおはしまさぬ以下「仕まつらせつるを」まで、大輔の詞。4.2.4
注釈449今日過ぎばこの月は日もなし九十月は洗髪入浴は吉日に行われた。『花鳥余情』は「九月は忌む月なり。十月はかみなし月にて髪あらふにはばかる月なるべし」とある。現在は八月。4.2.4
注釈450そなたに若君の寝ている所。4.2.6
注釈451西の方に西の対の西廂。その北側に浮舟がいる。4.2.6
注釈452さし覗きたまふ匂宮が浮舟のいる北側を。4.2.6
注釈453紫苑色のはなやかなるに以下、浮舟の衣装。匂宮が見た袖口の色。4.2.7
注釈454屏風の一枚たたまれたるより屏風の一枚(曲)が畳まれている。4.2.7
注釈455心にもあらで見ゆるなめり地の文が徐々に匂宮の心中文に競り上がってくる叙述。『完訳』は「屏風の一折れだけが畳まれている間から、当の浮舟は気づかないが、匂宮には見えるようだ、の意」と注す。4.2.7
注釈456今参りの口惜しからぬなめり匂宮の心中の思い。4.2.7
注釈457人知らず浮舟付きの女房の誰も気づかず、の意。4.2.7
注釈458こなたの廊の中の壺前栽『完訳』は「西の対のさらに西側に建物があり、それとつなぐ廊か」と注す。4.2.8
注釈459端近く添ひ臥して眺むるなりけり主語は浮舟。匂宮は南から覗き、浮舟は西を向いて庭を眺めている。その横顔が見える。4.2.8
注釈460宮とは思ひもかけず主語は浮舟。4.2.8
注釈461例こなたに来馴れたる人にやあらむ浮舟の思い。中君と浮舟との間を取り次ぎする女房かと思う。4.2.8
注釈462例の御心は過ぐしたまはで匂宮の好色の癖。4.2.8
注釈463こなたの障子は匂宮が入ってきた障子。4.2.8
注釈464扇を持たせながら捉へたまひて浮舟に扇を持たせたまま匂宮がつかまえて。4.2.9
注釈465誰れぞ名のりこそゆかしけれ匂宮の詞。4.2.10
注釈466さるもののつらに顔を他ざまにもて隠して主語は匂宮。『完訳』は「屏風などの際で顔をあちら向きに隠して。自分が誰であるか知られまいとする匂宮の用心深さ」と注す。4.2.11
注釈467このただならず以下「けはひなども」まで、浮舟の心中の思い。末尾は地の文に流れる。4.2.11
注釈468大将にや浮舟は薫かと思う。しかし、匂宮邸にいて薫かと思うのは誤解も甚だしい。4.2.11
4.3
第三段 浮舟の乳母、困惑、右近、中君に急報


4-3  Ukifune's wet nurse is perplexed, and Ukon notifys to Naka-no-kimi

4.3.1  乳母、 人げの例ならぬを、あやしと思ひて、あなたなる屏風を押し開けて来たり。
 乳母は、人の気配がいつもと違うのを、変だと思って、あちらにある屏風を押し開けて来た。
 乳母は何か人が来ているようなのがいぶかしいと思い、向こう側の屏風を押しあけてこの室へはいって来た。
  Menoto, hitoge no rei nara nu wo, ayasi to omohi te, anata naru byaubu wo osi-ake te ki tari.
4.3.2  「 これは、いかなることにかはべらむ。あやしきわざにもはべる」
 「これは、どうしたことでございましょう。変な事でございます」
 「まあどういたしたことでございましょう。けしからぬことをあそばします」
  "Kore ha, ika naru koto ni ka habera m? Ayasiki waza ni mo haberu"
4.3.3  など聞こゆれど、 憚りたまふべきことにもあらず。かくうちつけなる御しわざなれど、 言の葉多かる本性なれば、何やかやとのたまふに、暮れ果てぬれど、
 などと申し上げるが、遠慮なさるべきのことでもない。このような突然のなさりようだが、口上手なご性分なので、何やかやとおっしゃるうちに、すっかり暮れてしまったが、
 と責めるのであったが、女房級の者に主君が戯れているのにとがめ立てさるべきことでもないと宮はしておいでになるのであった。はじめて御覧になった人なのであるが、女相手にお話をあそばすことの上手じょうずな宮は、いろいろと姫君へお言いかけになって、日は暮れてしまったが、
  nado kikoyure do, habakari tamahu beki koto ni mo ara zu. Kaku utituke naru ohom-siwaza nare do, kotonoha ohokaru honzyau nare ba, naniya-kaya to notamahu ni, kure hate nure do,
4.3.4  「 誰れと聞かざらむほどは許さじ
 「誰それと名前を聞かないうちは許しません」
 「だれだと言ってくれない間はあちらへ行かない」
  "Tare to kika zara m hodo ha yurusa zi."
4.3.5  とて、なれなれしく臥したまふに、「 宮なりけり」と思ひ果つるに、乳母、言はむ方なくあきれてゐたり。
 と言って、なれなれしく臥せりなさるので、「宮であったのだ」と思い当たって、乳母は、何とも言いようがなく驚きあきれていた。
 と仰せになり、なれなれしくそばへ寄って横におなりになった。宮様であったと気のついた乳母は、途方にくれてぼんやりとしていた。
  tote, nare-naresiku husi tamahu ni, "Miya nari keri." to omohi haturu ni, Menoto, ihamkatanaku akire te wi tari.
4.3.6   大殿油は灯籠にて、「 今渡らせたまひなむ」と 人びと言ふなり御前ならぬ方の御格子どもぞ下ろすなるこなたは離れたる方にしなして、高き棚厨子一具立て、 屏風の袋に入れこめたる、所々に寄せかけ、何かの荒らかなるさまにし放ちたり。 かく人のものしたまへばとて、通ふ道の障子一間ばかりぞ開けたるを、 右近とて、大輔が娘のさぶらふ来て、格子下ろして ここに寄り来なり
 大殿油は燈籠に入れて、「まもなくお帰りあそばしましょう」と女房たちが言っている声がする。御前以外の御格子を下ろす音がする。こちらは離れた所であって、高い棚厨子を一具ほど立て、屏風が袋に入れてあるのを、あちこちに立て掛けて、何やかやと雑然とした様子に散らかしている。このように人がいらっしゃるからといって、通り道の障子を一間ほど開けてあるのを、右近といって、大輔の娘で仕えている者が来て、格子を下ろしてこちらに近寄って来る音がする。
 「お明りは燈籠とうろうにしてください。今すぐ奥様がお居間へおいでになります」とあちらで女房の言う声がした。そして居間の前以外の格子はばたばたとろされていた。この室は別にして平生使用されていない所であったから、高い棚厨子たなずし一具が置かれ、袋に入れた屏風なども所々に寄せ掛けてあって、やり放しな座敷と見えた。こうした客が来ているために居間のほうからは通路に一間だけ襖子があけられてあるのである。そこから女房の右近という大輔たゆうの娘が来て、一室一室格子を下ろしながらこちらへ近づいて来る。
  Ohotonabura ha touro nite, "Ima watara se tamahi na m." to hito-bito ihu nari. O-mahe nara nu kata no mi-kausi-domo zo orosu naru. Konata ha hanare taru kata ni si-nasi te, takaki tana dusi hito-yorohi tate, byaubu no hukuro ni ire kome taru, tokoro-dokoro ni yose kake, nanika no araraka naru sama ni si hanati tari. Kaku hito no monosi tamahe ba tote, kayohu miti no syauzi hito-ma bakari zo ake taru wo, Ukon tote, Taihu ga musume no saburahu ki te, kausi orosi te koko ni yori ku nari.
4.3.7  「 あな、暗や。まだ大殿油も参らざりけり。御格子を、 苦しきに、急ぎ参りて、闇に惑ふよ」
 「まあ、暗いわ。まだ大殿油もお灯けになっていないのですね。御格子を、苦労して、急いで下ろして、暗闇にまごつきますこと」
 「まあ暗い、まだおあかりも差し上げなかったのでございますね。まだお暑苦しいのに早くお格子を下ろしてしまって暗闇くらやみに迷うではありませんかね」
  "Ana, kura ya! Mada ohotonabura mo mawira zari keri. Mi-kausi wo, kurusiki ni, isogi mawiri te, yami ni madohu yo!"
4.3.8  とて、 引き上ぐるに宮も、「なま苦し」と聞きたまふ。乳母はた、いと苦しと思ひて、ものづつみせずはやりかにおぞき人にて、
 と言って、引き上げるので、宮も、「ちょっと困ったな」とお聞きになる。乳母は、乳母で、まことに困ったことだと思って、遠慮せずせっかちで気の強い人なので、
 こう言ってまた下ろした格子を上げている音を、宮は困ったように聞いておいでになった。乳母もまたその人への体裁の悪さを思っていたが、上手に取り繕うこともできず、しかも気がさ者の、そして無智むちな女であったから、
  tote, hiki-aguru ni, Miya mo, "Nama-kurusi." to kiki tamahu. Menoto hata, ito kurusi to omohi te, mono-dutumi se zu hayarika ni ozoki hito nite,
4.3.9  「 もの聞こえはべらむ。ここに、 いとあやしきことのはべるに見たまへ極じてなむ、え動きはべらでなむ」
 「申し上げます。こちらに、とても怪しからんことがございまして、扱いあぐねて、身動きもとれずにおります」
 「ちょっと申し上げます。ここに奇怪なことをなさる方がございますの、困ってしまいまして、私はここから動けないのでございますよ」
  "Mono kikoye habera m. Koko ni, ito ayasiki koto no haberu ni, mi tamahe gou-zi te nam, e ugoki habera de nam."
4.3.10  「何ごとぞ」
 「どうしたことですか」
 と声をかけた。何事であろうと思って、
  "Nani-goto zo?"
4.3.11  とて、探り寄るに、 袿姿なる男の、いと香うばしくて添ひ臥したまへるを、「例のけしからぬ御さま」と思ひ寄りにけり。「 女の心合はせたまふまじきこと」と推し量らるれば、
 と言って、手探りで近づくと、袿姿の男が、とてもよい匂いで寄り添っていらっしゃるのを、「いつもの困ったお振る舞いだ」と気づくのだった。「女が同意なさるはずがない」と察せられるので、
 暗い室へ手探りではいると、袿姿うちぎすがたの男がよい香をたてて姫君の横で寝ていた。右近はすぐに例のお癖を宮がお出しになったのであろうとさとった。姫君が意志でもなく男の力におさえられておいでになるのであろうと想像されるために、
  tote, saguri yoru ni, utiki-sugata naru wotoko no, ito kaubasiku te sohi husi tamahe ru wo, "Rei no kesikara nu ohom-sama." to omohi yori ni keri. "Womna no kokoro ahase tamahau maziki koto." to osihakara rure ba,
4.3.12  「 げに、いと見苦しき ことにもはべるかな。右近は、 いかにか聞こえさせむ。今参りて、 御前にこそは忍びて聞こえさせめ」
 「なるほど、とても見苦しいことでございますね。右近めは、何とも申し上げられません。早速参上して、ご主人にこっそりと申し上げましょう」
 「ほんとうに、これは見苦しいことでございます。右近などは御忠告の申し上げようもございませんから、すぐあちらへまいりまして奥様にそっとお話をいたしましょう」
  "Geni, ito mi-gurusiki koto ni mo haberu kana! Ukon ha, ika ni ka kikoye sase m. Ima mawiri te, go-zen ni koso ha sinobi te kikoye sase me."
4.3.13  とて立つを、あさましくかたはに、誰も誰も思へど、宮は懼ぢたまはず。
 と言って立つのを、とんでもなく不体裁なことと、誰も彼もが思うが、宮はびくともなさらない。
 と言って、立って行くのを姫君も乳母もつらく思ったが、宮は平然としておいでになって、
  tote tatu wo, asamasiku kataha ni, tare mo tare mo omohe do, Miya ha odi tamaha zu.
4.3.14  「 あさましきまであてにをかしき人かな。なほ、何人ならむ。右近が言ひつるけしきも、いとおしなべての今参りにはあらざめり」
 「驚くほどに上品で美しい人だな。やはり、どのような人なのであろうか。右近が言った様子からも、とても並の新参者ではないようだ」
 驚くべく艶美な人である、いったい誰なのであろうか、右近の言葉づかいによっても普通の女房ではなさそうである
  "Asamasiki made ate ni wokasiki hito kana! Naho, nani-bito nara m? Ukon ga ihi turu kesiki mo, ito osinabete no ima-mawiri ni ha ara za' meri."
4.3.15  心得がたく思されて、と言ひかく言ひ、怨みたまふ。 心づきなげにけしきばみてももてなさねど、ただいみじう死ぬばかり思へるがいとほしければ、情けありてこしらへたまふ。
 納得がゆかず思われなさって、ああ言いこう言い、恨みなさる。嫌がる素振りでもないが、ただひどく死ぬほどつらく思っているのが気の毒なので、思いやりをこめて慰めなさる。
 と、心得がたくお思いになって、何ものであるかを名のろうとしない人を恨めしがっていろいろと言っておいでになった。うとましいというふうも見せないのであるが、非常に困っていて死ぬほどにも思っている様子が哀れで、情味をこめた言葉で慰めておいでになった。
  Kokoro-e gataku obosa re te, to ihi kaku ihi, urami tamahu. Kokoro-dukinage ni kesikibami te motenasa ne do, tada imiziu sinu bakari omohe ru ga itohosikere ba, nasake ari te kosirahe tamahu.
4.3.16  右近、上に、
 右近は、主人に、
 右近は北の座敷の始末を夫人に告げ、
  Ukon, Uhe ni,
4.3.17  「 しかしかこそおはしませ。いとほしく、 いかに思ふらむ
 「これこれしかじかでいらっしゃいます。お気の毒で、どんなに困っていらっしゃることでしょうか」
 「お気の毒でございます。どんなに苦しく思っていらっしゃるでしょう」
  "Sika sika koso ohasimase. Itohosiku, ika ni omohu ram."
4.3.18  と聞こゆれば、
 と申し上げると、
 と言うと、
  to kikoyure ba,
4.3.19  「 例の、心憂き御さまかな。 かの母も、いかにあはあはしく、けしからぬさまに思ひたまはむとすらむ。うしろやすくと、返す返す 言ひおきつるものを
 「いつもの、情けないお振る舞いですこと。あの母親も、どんなにか軽率で、困ったこととお思いになることだろう。安心にと、繰り返し言っていたものを」
 「いつものいやな一面を出してお見せになるのだね。あの人のお母さんも軽佻けいちょうなことをなさる方だと思うようになるだろうね。安心していらっしゃいと何度も私は言っておいたのに」
  "Rei no, kokoro-uki ohom-sama kana! Kano haha mo, ika ni aha-ahasiku, kesikara nu sama ni omohi tamaha m to su ram. Usiro-yasuku to, kahesu-gahesu ihi-oki turu mono wo."
4.3.20  と、いとほしく思せど、「 いかが聞こえむ。さぶらふ人びとも、すこし若やかによろしきは、見捨てたまふなく、あやしき人の御癖なれば、いかがは 思ひ寄りたまひけむ」とあさましきに、ものも言はれたまはず。
 と、お気の毒にお思いになるが、「何と申し上げられよう。仕えている女房たちでも、少し若くて結構な女は、お見捨てになることのない、不思議なご性分の人なので、どのようにしてお気づきになったのだろう」とあきれて、何ともおっしゃれない。
 こう中の君は言って、姫君をあわれむのであったが、どう言って制しにやっていいかわからず、女房たちも少し若くて美しい者は皆情人にしておしまいになるような悪癖がおありになる方なのに、またどうしてあの人のいることが宮に知られることになったのであろうと、あさましさにそれきりものも言われない。
  to, itohosiku obose do, "Ikaga kikoye m. Saburahu hito-bito mo, sukosi wakayaka ni yorosiki ha, mi-sute tamahu naku, ayasiki hito no ohom-kuse nare ba, ikaga ha omohi-yori tamahi kem?" to asamasiki ni, mono mo iha re tamaha zu.
注釈469人げの例ならぬを『完訳』は「浮舟の乳母。「かうばしきけはひ」から、異常な事態を感取」と注す。4.3.1
注釈470これはいかなることにか以下「わざにもはべるかな」まで、乳母の詞。4.3.2
注釈471憚りたまふべきことにもあらず匂宮はこの邸の主人。しかも好色の性癖がある。4.3.3
注釈472言の葉多かる本性なれば匂宮の好色者らしい言葉上手。4.3.3
注釈473誰れと聞かざらむほどは許さじ匂宮の詞。4.3.4
注釈474宮なりけり浮舟の合点。この邸の主の匂宮だっのだ。4.3.5
注釈475大殿油は灯籠にて大殿油は灯籠に入れて、の意。4.3.6
注釈476今渡らせたまひなむ女房の詞。中宮が洗髪を終えて間もなく戻って来られよう。4.3.6
注釈477人びと言ふなり「なり」伝聞推定の助動詞。語り手が聞いている体。臨場感のある表現。4.3.6
注釈478御前ならぬ方の御格子どもぞ下ろすなる中君の部屋の前の格子以外はみな下ろす。「なり」伝聞推定の助動詞。4.3.6
注釈479こなたは浮舟のいる部屋。4.3.6
注釈480屏風の袋に入れこめたる使わない屏風は袋に入れて立て掛けておいた。4.3.6
注釈481かく人のものしたまへば浮舟をさす。4.3.6
注釈482右近とて大輔が娘のさぶらふ中君付きの女房である大輔の娘、右近。『完訳』は「中の君づきの女房。後の浮舟巻の右近と同一人物か否か、古来論議のある人物」と注す。4.3.6
注釈483ここに寄り来なり浮舟の近くに。「なり」伝聞推定の助動詞。4.3.6
注釈484あな暗や以下「闇に惑ふよ」まで、右近の詞。4.3.7
注釈485苦しきに大変なのに。「に」接続助詞、順接、原因理由を表す。御格子を下ろすのは大変な作業なのに、それを、というニュアンス。4.3.7
注釈486引き上ぐるに右近は格子を上げる。4.3.8
注釈487宮も匂宮。4.3.8
注釈488もの聞こえはべらむ以下「え動きはべらでなむ」まで、乳母の詞。4.3.9
注釈489いとあやしきことのはべるに漠然と言っている。4.3.9
注釈490袿姿なる男直衣を脱いだ姿。4.3.11
注釈491女の心合はせたまふまじきことと浮舟が同意してのことではないと。4.3.11
注釈492げにいと見苦しき以下「聞こえさせめ」まで、右近の詞。4.3.12
注釈493いかにか聞こえさせむ反語表現。自分はあなた匂宮には何とも言えない。4.3.12
注釈494御前に主人の中君に。4.3.12
注釈495あさましきまで以下「あらざめり」まで、匂宮の心中の思い。浮舟に対する感想。4.3.14
注釈496心づきなげにけしきばみてももてなさねど浮舟の態度。はっきりと拒否する素振りでもない。4.3.15
注釈497しかしかこそ以下「思ほすらむ」まで、右近の報告。4.3.17
注釈498いかに思ふらむ主語は浮舟。4.3.17
注釈499例の心憂き以下「言ひおきつるものを」まで、中君の詞。4.3.19
注釈500かの母も浮舟の母親。4.3.19
注釈501言ひおきつるものを主語は浮舟の母親。4.3.19
注釈502いかが聞こえむ以下「思ひよりたまひけめ」まで、中君の心中の思い。匂宮に対して。反語表現。好色癖には何と言うこともできない。4.3.20
注釈503思ひ寄りたまひけむ浮舟の存在に気づいた、の意。4.3.20
校訂27 見たまへ極じて 見たまへ極じて--*こうして 4.3.9
校訂28 げに げに--(/+けに<朱>) 4.3.12
4.4
第四段 宮中から使者が来て、浮舟、危機を脱出


4-4  A messenger from Mikado comes to Niou-no-miya, and Ukifune escapes out Niou-no-miya

4.4.1  「 上達部あまた参りたまふ日にて、遊び戯れては、例も、かかる時は遅くも 渡りたまへば、皆うちとけて やすみたまふぞかし。さても、いかにすべきことぞ。 かの乳母こそ、おぞましかりけれ。つと添ひゐて護りたてまつり、引きもかなぐりたてまつりつべくこそ思ひたりつれ」
 「上達部が大勢参上なさっている日なので、遊びに興じなさっては、いつも、このようなときには遅くお渡りになるので、みな気を許してお休みになっているのです。それにしても、どうしたらよいことでしょう。あの乳母は、気が強かった。ぴったりと付き添ってお守り申して、引っ張って放しかねないほどに思っていました」
 「今日は高官の方がたくさん伺候なすった日で、こんな時にはお遊びに時間をお忘れになって、こちらへおいでになるのがおおそくなるのですものね、いつも皆奥様などもやすんでおしまいになっていますわね。それにしてもどうすればいいことでしょう。あの乳母ばあやが気のききませんことね。私はじっとおそばに見ていて、宮様をお引っ張りして来たいようにも思いましたよ」
  "Kamdatime amata mawiri tamahu hi nite, asobi tahabure te ha, rei mo, kakaru toki ha osoku mo watari tamahe ba, mina utitoke te yasumi tamahu zo kasi. Satemo, ikani su beki koto zo. Kano Menoto koso, ozomasikari kere. Tuto sohi wi te mamori tatematuri, hiki mo kanaguri tatematuri tu beku koso omohi tari ture."
4.4.2  と、 少将と二人していとほしがるほどに、内裏より人参りて、 大宮この夕暮より御胸悩ませたまふを、ただ今いみじく重く 悩ませたまふよし申さす。右近、
 と、少将と二人で気の毒がっているところに、内裏から使者が参上して、大宮が今日の夕方からお胸を苦しがりあそばしていたが、ただ今ひどく重態におなりあそばした旨を申し上げる。右近は、
 などと右近が少将という女房といっしょに姫君へ同情をしている時、御所から人が来て、中宮が今日の夕方からお胸を苦しがっておいであそばしたのが、ただ今急に御容体が重くなった御様子であると、宮へお取り次ぎを頼んだ。
  to, Seusyau to hutari si te itohosigaru hodo ni, uti yori hito mawiri te, Oho-Miya kono yuhu-gure yori ohom-mune nayama se tamahu wo, tada ima imiziku omoku nayama se tamahu yosi mausa su. Ukon,
4.4.3  「 心なき折の御悩みかな。聞こえさせむ」
 「折悪いご病気だわ。申し上げましょう」
 「あやにくな時の御病気ですこと、お気の毒でも申し上げてきましょう」
  "Kokoro-naki wori no ohom-nayami kana! Kikoye sase m."
4.4.4  とて立つ。少将、
 と言って立つ。少将は、
 と立って行く右近に、少将は、
  tote, tatu. Seusyau,
4.4.5  「 いでや今は、かひなくもあべいことを、をこがましく、あまりな脅かしきこえたまひそ」
 「さあ、でも、今からでは、手遅れであろうから、馬鹿らしくあまり脅かしなさいますな」
 「もうだめなことを、憎まれ者になって宮様をおおどしするのはおよしなさい」
  "Ideya, ima ha, kahinaku mo a' bei koto wo, wokogamasiku, amari na obiyakasi kikoye tamahi so."
4.4.6  と言へば、
 と言うと、
 と言った。
  to ihe ba,
4.4.7  「 いな、まだしかるべし
 「いや、まだそこまではいってないでしょう」
 「まだそんなことはありませんよ」
  "Ina, madasikaru besi."
4.4.8  と、忍びてささめき交はすを、上は、「 いと聞きにくき人の御本性にこそあめれ。すこし心あらむ人は、わがあたりをさへ疎みぬべかめり」と思す。
 と、ひそひそとささやき合うのを、上は、「とても聞きずらいご性分の人のようだわ。少し考えのある人なら、わたしのことまでを軽蔑するだろう」とお思いになる。
 このささやき合いを夫人は聞いていて、なんたるお悪癖であろう、少し賢い人は自分をまであさましく思ってしまうであろうと歎息をしていた。
  to, sinobi te sasameki kahasu wo, Uhe ha, "Ito kiki-nikuki hito no go-honzyau ni koso a' mere. Sukosi kokoro ara m hito ha, waga atari wo sahe utomi nu beka' meri." to obosu.
4.4.9   参りて、御使の申すよりも、今すこしあわたたしげに申しなせば、 動きたまふべきさまにもあらぬ御けしきに
 参上して、ご使者が申したのよりも、もう少し急なように申し上げると、動じそうもないご様子で、
 右近は西北の座敷へ行き、使いの言葉以上に誇張して中宮の御病気をあわただしげに宮へ申し上げたが、動じない御様子で宮はお言いになった。
  Mawiri te, ohom-tukahi no mausu yori mo, ima sukosi awatatasige ni mausi nase ba, ugoki tamahu beki sama ni mo ara nu mi-kesiki ni,
4.4.10  「 誰れか参りたる。例の、おどろおどろしく脅かす」
 「誰が参ったか。いつものように、大げさに脅かしている」
 「だれが来たのか、例のとおりにたいそうに言っておどすのだね」
  "Tare ka mawiri taru? Rei no, odoro-odorosiku obiyakasu."
4.4.11  とのたまはすれば、
 とおっしゃるので、

  to notamahasure ba,
4.4.12  「 宮の侍に、平重経となむ名のり はべりつる」
 「中宮職の侍者で、平重経と名乗りました」
 「中宮のお侍のたいら重常しげつねと名のりましてございます」
  "Miya no saburahi ni, Tahira-no-Sigetune to nam nanori haberi turu."
4.4.13  と聞こゆ。 出でたまはむことのいとわりなく口惜しきに、人目も思されぬに、右近立ち出でて、 この御使を西面にて問へば申し次ぎつる人も寄り来て、
 と申し上げる。お出かけになることがとても心残りで残念なので、人目も構っていられないので、右近が現れ出て、このご使者を西表で尋ねると、取り次いだ女房も近寄って来て、
 右近はこう申した。別れて行くことを非常に残念に思召されて、宮は人がどう思ってもいいという気になっておいでになるのであるが、右近が出て行って、西の庭先へお使いを呼び、詳しく聞こうとした時に、最初に取り次いだ人もそこへ来て言葉を助けた。
  to kikoyu. Ide tamaha m koto no ito warinaku kutiwosiki ni, hitome mo obosa re nu ni, Ukon tati-ide te, kono ohom-tukahi wo nisi-omote nite tohe ba, mausi-tugi turu hito mo yori ki te,
4.4.14  「 中務宮、参らせたまひぬ。大夫は、ただ今なむ、参りつる道に、御車引き出づる、見はべりつ」
 「中務宮が、いらっしゃいました。中宮大夫は、ただ今、参ります途中で、お車を引き出しているのを、拝見しました」
 「中務なかつかさの宮もおいでになりました。中宮大夫もただ今まいられます。お車の引き出されます所を見てまいりました」
  "Nakatukasa-no-Miya, mawira se tamahi nu. Daibu ha, tada ima nam, mawiri turu miti ni, mi-kuruma hiki-iduru, mi haberi tu."
4.4.15  と申せば、「 げに、にはかに時々悩みたまふ折々もあるを」と思すに、人の思すらむこともはしたなくなりて、いみじう怨み契りおきて 出でたまひぬ。
 と申し上げるので、「なるほど、急に時々お苦しみになる折々もあるが」とお思いになるが、人がどう思うかも体裁悪くなって、たいそう恨んだり約束なさったりしてお出になった。
 そうしたように発作的にお悪くおなりになることがおりおりあるものであるから、うそではないらしいと思召すようになった宮は、夫人の手前もきまり悪くおなりになり、女へまたの機会を待つことをこまごまとお言い残しになってお立ち去りになった。
  to mause ba, "Geni, nihaka ni toki-doki nayami tamahu wori-wori mo aru wo." to obosu ni, hito no obosu ram koto mo hasitanaku nari te, imiziu urami tigiri-oki te ide tamahi nu.
注釈504上達部あまた以下「思ひたりつれ」まで、右近の詞。4.4.1
注釈505渡りたまへば中君のもとへ。4.4.1
注釈506やすみたまふぞかし主語は女房たち。会話文中なので、敬語が付く。4.4.1
注釈507かの乳母浮舟の乳母。4.4.1
注釈508少将と二人して中君付きの女房と。4.4.2
注釈509大宮この夕暮より以下「おはしますよし」まで、使者の詞の要旨。4.4.2
注釈510心なき折の以下「聞こえさせむ」まで、右近の詞。『完訳』は「匂宮には折悪しき母后のご病気だ、と戯れた言い方である」と注す。4.4.3
注釈511いでや以下「きこえたまひそ」まで、少将の詞。4.4.5
注釈512今はかひなくもあべいことを『完訳』は「もう手遅れだろうから。すでに情交があったと、露骨に言う」と注す。4.4.5
注釈513いなまだしかるべし右近の詞。4.4.7
注釈514いと聞きにくき以下「疎みぬべかめり」まで、中君の心中の思い。4.4.8
注釈515参りて右近が匂宮のもとに。4.4.9
注釈516動きたまふべきさまにもあらぬ御けしきに匂宮の態度。4.4.9
注釈517誰れか参りたる以下「脅かす」まで、匂宮の詞。4.4.10
注釈518宮の侍に以下「名のりはべりつる」まで、右近の詞。中宮職の官人で、の意。4.4.12
注釈519出でたまはむことの浮舟の部屋から出ること。4.4.13
注釈520この御使を西面にて問へば『完訳』は「寝殿の南庭にいたらしい使者(平重経)を、匂宮のいる西の対の西廂の庭前に呼び出す。匂宮に直接聞かせるつもりである」と注す。4.4.13
注釈521申し次ぎつる人も『集成』は「お使いの口上を、女房に取り次いだ宮家の家臣。やはり庭上に控える」と注す。4.4.13
注釈522中務宮以下「見はべりつ」まで、使者の詞。『完訳』は「以下、取次が使者の報告を伝達」と注す。中務宮は、匂宮の弟か、とされる。4.4.14
注釈523げににはかに以下「折々もあるを」まで、匂宮の心中の思い。4.4.15
校訂29 悩ませたまふ 悩ませたまふ--なや(や/+ませ)たまふ 4.4.2
校訂30 さまにも さまにも--さま(ま/+に)も 4.4.9
校訂31 はべりつる」 はべりつる」と--侍つるに(に/#と) 4.4.12
校訂32 出でたまひ 出でたまひ--(/+いて<朱>)たまひ 4.4.15
4.5
第五段 乳母、浮舟を慰める


4-5  Wet nurse gives comfort to Ukifune

4.5.1   恐ろしき夢の覚めたる心地して、汗におし浸して臥したまへり。乳母、 うち扇ぎなどして
 恐ろしい夢から覚めたような気がして、汗にびっしょり濡れてお臥せりになっていた。乳母が、扇いだりなどして、
 姫君は恐ろしい夢のさめたような気になり、汗びったりになっていた。乳母は横へ来て扇であおいだりしながら、
  Osorosiki yume no same taru kokoti si te, ase ni osi hitasi te husi tamahe ri. Menoto, uti-ahugi nado si te,
4.5.2  「 かかる御住まひは、よろづにつけて、つつましう便なかりけり。 かくおはしましそめて 、さらに、よきことはべらじ。あな、恐ろしや。限りなき人と聞こゆとも、やすからぬ御ありさまは、いとあぢきなかるべし。
 「このようなお住まいは、何かにつけて、遠慮されて不都合であった。このように一度お会いなさっては、今後、良いことはございますまい。ああ、恐ろしい。この上ない方と申し上げても、穏やかならぬお振る舞いは、まことに困ったことです。
 「こういう御殿というものは人がざわざわとしていまして、少しも気が許せません。宮様が一度お近づきになった以上、ここにおいでになってよいことはございませんよ。まあ恐ろしい。どんな貴婦人からでも嫉妬しっとをお受けになることはたまらないことですよ。
  "Kakaru ohom-sumahi ha, yorodu ni tuke te, tutumasiu bin-nakari keri. Kaku ohasimasi-some te, sarani, yoki koto habera zi. Ana, osorosi ya! Kagirinaki hito to kikoyu tomo, yasukara nu ohom-arisama ha, ito adikinakaru besi.
4.5.3   よそのさし離れたらむ人にこそ、善しとも悪しとも おぼえられたまはめ、人聞きもかたはらいたきこと、と思ひたまへて、降魔の相を出だして、つと見たてまつりつれば、いとむくつけく、下衆下衆しき女と 思して、手をいといたくつませたまひつるこそ、 直人の懸想だちて、いとをかしくもおぼえはべりつれ。
 他人で縁故のないような人なら、良いとも悪いとも思っていただきましょうが、外聞も体裁悪いこと、と存じられて、降魔の相をして、じっと睨み続け申したところ、とても気持ち悪く、下衆っぽい女とお思いになって、手をひどくおつねりになったのは、普通の人の懸想めいて、とてもおかしくも思われました。
 全然別な方にお愛されになるとも、またあとで悪くなりましてもそれは運命としてお従いにならなければなりません。宮様のお相手におなりになっては世間体も悪いことになろうと思いまして、私はまるで蝦蟇がまの相になってじっとおにらみしていますと、気味の悪い卑しい女めと思召して手をひどくおつねりになりましたのは匹夫の恋のようで滑稽こっけいに存じました。
  Yoso no sasi-hanare tara m hito ni koso, yosi to mo asi to mo oboye rare tamaha me, hito-giki mo kataharaitaki koto, to omohi tamahe te, gouma no sau wo idasi te, tuto mi tatematuri ture ba, ito mukutukeku, gesu-gesusiki womna to obosi te, te wo ito itaku tuma se tamahi turu koso, naho-bito no kesau-dati te, ito wokasiku mo oboye haberi ture.
4.5.4   かの殿には、今日もいみじくいさかひたまひけり。「 ただ一所の御上を見扱ひたまふとて、 わが子どもをば思し捨てたり、 客人のおはするほどの御旅居見苦し」と、荒々しきまでぞ聞こえたまひける。下人さへ聞きいとほしがりけり。
 あの殿では、今日もひどく喧嘩をなさいました。「ただお一方のお身の上をお世話するといって、自分の娘を放りっぱなしになさって、客人がおいでになっている時のご外泊は見苦しい」と、荒々しいまでに非難申し上げなさっていました。下人までが聞きずらく思っていました。
 おうちのほうでは今日もひどい御夫婦喧嘩げんかをあそばしたそうですよ。ただ一人の娘のために自分の子供たちを打ちやっておいて行った。大事な婿君のお来始めになったばかりによそへ行っているのは不都合だなどと、乱暴なほどに守はお言いになりましたそうで、しもの侍でさえ奥様をお気の毒だと言っていました。
  Kano tono ni ha, kehu mo imiziku isakahi tamahi keri. "Tada hito-tokoro no Ohom-Uhe wo mi-atukahi tamahu tote, waga kodomo wo ba obosi-sute tari, marauto no ohasuru hodo no ohom-tabi-wi migurusi." to, ara-arasiki made zo kikoye tamahi keru. Simo-bito sahe kiki itohosigari keri.
4.5.5  すべてこの少将の君ぞ、いと愛敬なくおぼえたまふ。 この御ことはべらざらましかば、うちうちやすからずむつかしきことは、折々はべりとも、なだらかに、年ごろのままにておはしますべきものを」
 ぜんたいが、この少将の君がとても愛嬌ない方と思われなさいます。あの事がございませんでしたら、内輪で穏やかでない厄介な事が、時々ございましても、穏便に、今までの状態でいらっしゃることができましたものを」
 こうしたいろいろなことの起こるのも皆あの少将さんのせいですよ。利己的な結婚沙汰ざたさえなければ、おりおり不愉快なことはありましてもまずまず平和なうちに今までどおりあなた様もおいでになれたのですがね」
  Subete kono Seusyau-no-Kimi zo, ito aigyau naku oboye tamahu. Kono ohom-koto habera zara masika ba, uti-uti yasukara zu mutukasiki koto ha, wori-wori haberi tomo, nadaraka ni, tosi-goro no mama ni te ohasimasu beki mono wo."
4.5.6  など、うち嘆きつつ言ふ。
 などと、嘆息しながら言う。
 歎息をしながら乳母はこう言うのであった。
  nado, uti nageki tutu ihu.
4.5.7   君は、ただ今はともかくも思ひめぐらされず、ただいみじくはしたなく、見知らぬ目を見つるに添へても、「 いかに思すらむ」と思ふに、わびしければ、うつぶし臥して泣きたまふ。いと苦しと見扱ひて、
 君は、ただ今は何もかも考えることができず、ただひどくいたたまれず、これまでに経験したこともないような目に遭った上に、「どのようにお思いになっているだろう」と思うと、つらいので、うつ臥してお泣きになる。とてもおいたわしいとなだめかねて、
 姫君の身にとっては家のことなどは考える余裕もない。ただ闖入者ちんにゅうしゃが来て、経験したこともない恥ずかしい思いを味わわされたについても、中の君はどう思うことであろうと、せつなく苦しくて、うつ伏しになって泣いていた。見ている乳母は途方に暮れて、
  Kimi ha, tada ima ha tomo-kakumo omohi megurasa re zu, tada imiziku hasitanaku, mi-sira nu me wo mi turu ni sohe te mo, "Ikani obosu ram?" to omohu ni, wabisikere ba, utubusi husi te naki tamahu. Ito kurusi to mi atukahi te,
4.5.8  「 何か、かく思す。母おはせぬ人こそ、たづきなう悲しかるべけれ。よそのおぼえは、父なき人はいと口惜しけれど、さがなき継母に憎まれむよりは、これはいとやすし。ともかくもしたてまつりたまひてむ。な思し屈ぜそ。
 「どうして、こんなにお嘆きになります。母親がいらっしゃらない人こそ、頼りなく悲しいことでしょう。世間から見ると、父親のいない人はとても残念ですが、意地悪な継母に憎まれるよりは、この方がとても気が楽です。何とかして差し上げましょう。くよくよなさいますな。
 「そんなにお悲しがりになることはございませんよ。お母様のない人こそみじめで悲しいものなのですよ。ほかから見れば父親のない人は哀れなものに思われますが、性質の悪い継母ままははに憎まれているよりはずっとあなたなどはお楽なのですよ。どうにかよろしいように私が計らいますからね、そんなに気をめいらせないでおいでなさいませ。
  "Nani ka, kaku obosu. Haha ohase nu hito koso, tadukinau kanasikaru bekere. Yoso no oboye ha, titi naki hito ha ito kutiwosikere do, saganaki mama-haha ni nikuma re m yori ha, kore ha ito yasusi. Tomo-kakumo sitate maturi tamahi te m. Na obosi kun-ze so.
4.5.9  さりとも、初瀬の観音おはしませば、 あはれと思ひきこえたまふらむ。ならはぬ御身に、たびたびしきりて詣でたまふことは、 人のかくあなづりざまにのみ思ひきこえたるを、 かくもありけり、と思ふばかりの御幸ひおはしませ、とこそ念じはべれ。あが君は、人笑はれにては、 やみたまひなむや
 そうはいっても、初瀬の観音がいらっしゃるので、お気の毒とお思い申し上げなさるでしょう。旅馴れないお身の上なのに、度々参詣なさることは、人がこのように侮りがちにお思い申し上げているのを、こんなであったのだ、と思うほどのご幸運がありますように、と念じております。わが姫君さまは、物笑いになって、終わりなさるでしょうか」
 どんな時にも初瀬はせの観音がついてあなたを守っておいでになりますからね、観音様はあなたをおあわれみになりますよ。お参りつけあそばさない方を、何度も続けてあの山へおつれ申しましたのも、あなたを軽蔑けいべつする人たちに、あんな幸運に恵まれたかと驚かす日にいたいと念じているからでしたよ。あなたは人笑われなふうでお終わりになる方なものですか」
  Saritomo, Hatuse no Kwanon ohasimase ba, ahare to omohi kikoye tamahu ram. Naraha nu ohom-mi ni, tabi-tabi sikiri te made tamahu koto ha, hito no kaku anaduri-zama ni nomi omohi kikoye taru wo, kaku mo ari keri, to omohu bakari no ohom-saihahi ohasimase, to koso nen-zi habere. Aga Kimi ha, hito waraha re nite ha, yami tamahi na m ya?"
4.5.10  と、世をやすげに言ひゐたり。
 と、何の心配もないように言っていた。
 と言い、楽観させようと努めた。
  to, yo wo yasuge ni ihi wi tari.
注釈524恐ろしき夢の覚めたる心地して主語は浮舟。4.5.1
注釈525うち扇ぎなどして乳母が扇で扇いだりなどして。4.5.1
注釈526かかる御住まひは以下「おはしますべきものを」まで、乳母の詞。4.5.2
注釈527かくおはしましそめてこのように匂宮にいったん目を付けられたからには今後もただでは済むまい、の意。4.5.2
注釈528よそのさし離れたらむ人にこそ『集成』は「中の君との間柄を思えば、匂宮とのことだけは困る、の意」と注す。4.5.3
注釈529おぼえられたまはめ「られ」受身の助動詞。「たまふ」は浮舟に対する敬意。係結びの法則。逆接用法で下文に続く。4.5.3
注釈530思して手をいといたくつませたまひつる主語は匂宮。宮が私乳母の手をつねって。4.5.3
注釈531直人の懸想だちて身分の低い者の懸想めいて。4.5.3
注釈532かの殿には今日もいみじくいさかひたまひけり常陸介邸。日頃から夫婦のいさかいが絶えない。4.5.4
注釈533ただ一所の御上を浮舟をさす。4.5.4
注釈534客人のおはするほどの娘婿の左近少将が通ってくる。4.5.4
注釈535この御ことはべらざらましかば少将との縁談にまつわるごたごた。「御」は「み」と読む。4.5.5
注釈536君は浮舟。4.5.7
注釈537いかに思すらむ中君がどうお思いになるだろう。4.5.7
注釈538何かかく以下「やみたまひなむや」まで、乳母の詞。4.5.8
注釈539あはれと思ひきこえたまふらむ初瀬の観音が浮舟を不憫と。4.5.9
注釈540人のかくあなづりざまに『完訳』は「具体的には左近少将、常陸介、匂宮などをさす」と注す。4.5.9
注釈541かくもありけりと思ふばかりの御幸ひ『完訳』は「実はこんなにも幸運の人なのだったと驚くほど、幸いがあるように祈っているのだ。浮舟を軽視する人々を見返したい気持」と注す。4.5.9
注釈542やみたまひなむや反語表現。4.5.9
校訂33 おはしまし おはしまし--おはし(し/+まし<朱>) 4.5.2
校訂34 わが わが--*我/\ 4.5.4
4.6
第六段 匂宮、宮中へ出向く


4-6  Niou-no-miya goes out to the Inperial Court

4.6.1  宮は、急ぎて出でたまふなり。 内裏近き方にやあらむ、こなたの御門より出でたまへば、もののたまふ 御声も聞こゆ。いとあてに限りもなく聞こえて、 心ばへある古言などうち誦じたまひて過ぎたまふほど、すずろに わづらはしくおぼゆ。移し馬ども牽き出だして、宿直にさぶらふ人、十人ばかりして参りたまふ。
 宮は、急いでお出かけになる様子である。内裏に近い方からであろうか、こちらの御門からお出になるので、何かお命じになるお声が聞こえる。たいそう上品でこの上ないお声に聞こえて、風情のある古歌などを口ずさみなさってお過ぎになるところ、何となくやっかいに思われる。予備の馬を牽き出して、宿直に伺候する人を、十人ほど連れて参内なさる。
 宮はすぐお出かけになるのであった。そのほうが御所へ近いからであるのか西門のほうを通ってお行きになるので、ものをお言いになるお声が姫君の所へ聞こえてきた。上品な美しいお声で、恋愛の扱われたふるい詩を口ずさんで通ってお行きになることで、煩わしい気持ちを姫君は覚えていた。お替え馬なども引き出して、お付きして宿直とのいを申し上げる人十数人ばかりを率いておいでになった。
  Miya ha, isogi te ide tamahu nari. Uti tikaki kata ni ya ara m, konata no mi-kado yori ide tamahe ba, mono notamahu ohom-kowe mo kikoyu. Ito ate ni kagiri mo naku kikoye te, kokorobahe aru huru-koto nado uti-zyu-zi tamahi te sugi tamahu hodo, suzuro ni wadurahasiku oboyu. Utusi-muma-domo hiki-idasi te, tonowi ni saburahu hito, zihu-nin bakari site mawiri tamahu.
4.6.2   上、いとほしく、うたて思ふらむとて、知らず顔にて、
 上は、お気の毒に、嫌な気がしているだろうと思って、知らないそぶりして、
 中の君は姫君がどんなに迷惑を覚えていることであろうとかわいそうで、知らず顔に、
  Uhe, itohosiku, utate omohu ram tote, sira-zu-gaho nite,
4.6.3  「 大宮悩みたまふとて参りたまひぬれば、今宵は出でたまはじ。ゆするの名残にや、心地も悩ましくて起きゐはべるを、渡りたまへ。つれづれにも思さるらむ」
 「大宮がご病気だとて参内なさってしまったので、今夜はお帰りになりますまい。洗髪したせいか、気分もさえなくて起きておりますので、いらっしゃいませ。お寂しくいらっしゃいましょう」
 「中宮ちゅうぐう様の御病気のお知らせがあって、宮様は御所へお上がりになりましたから、今夜はお帰りがないと思います。髪を洗ったせいですか、気分がよくなくてじっとしていますが、こちらへおいでなさい。退屈でもあるでしょう」
  "Oho-Miya nayami tamahu tote mawiri tamahi nure ba, koyohi ha ide tamaha zi. Yusuru no nagori ni ya, kokoti mo nayamasiku te oki wi haberu wo, watari tamahe. Ture-dure ni mo obosa ru ram."
4.6.4  と聞こえたまへり。
 と申し上げなさった。
 と言わせてやった。
  to kikoye tamahe ri.
4.6.5  「 乱り心地のいと苦しうはべるを、ためらひて
 「気分がとても悪うございますので、おさまりましてから」
 「ただ今は身体からだが少し苦しくなっておりますから、なおりましてから」
  "Midari-kokoti no ito kurusiu haberu wo, tamerahi te."
4.6.6  と、乳母して聞こえたまふ。
 と、乳母を使って申し上げなさる。
 姫君からは乳母を使いにしてこう返事をして来た。
  to, Menoto site kikoye tamahu.
4.6.7  「 いかなる御心地ぞ
 「どのようなご気分ですか」
 どんな病気かと
  "Ika naru mi-kokoti zo?"
4.6.8  と、返り訪らひきこえたまへば、
 と、折り返してお見舞いなさるので、
 また中の君が問いにやると、
  to, kaheri toburahi kikoye tamahe ba,
4.6.9  「 何心地ともおぼえはべらず、ただいと苦しくはべり
 「どこが悪いとも分かりませんが、ただとても苦しうございます」
 「何ということはないのですが、ただ苦しいのでございます」
  "Nani-gokoti to mo oboye habera zu, tada ito kurusiku haberi."
4.6.10  と聞こえたまへば、少将、右近目まじろきをして、
 と申し上げなさるので、少将と、右近は目くばせをして、
 とあちらでは言った。少将と右近とは目くばせをして、
  to kikoye tamahe ba, Seusyau, Ukon me maziroki wo si te,
4.6.11  「 かたはらぞいたくおはすらむ
 「きまり悪くお思いでしょう」
 夫人は片腹痛く思うであろう
  "Katahara zo itaku ohasu ram."
4.6.12  と言ふも、 ただなるよりはいとほし
 と言うのも、誰も知らないよりはお気の毒である。
 と言っているのは姫君のために気の毒なことである。
  to ihu mo, tada naru yori ha itohosi.
4.6.13  「 いと口惜しう心苦しきわざかな。大将の心とどめたるさまにのたまふめりしを、 いかにあはあはしく思ひ落とさむ。かく 乱りがはしくおはする人は、 聞きにくく、実ならぬことをもくねり言ひ、またまことにすこし思はずならむことをも、さすがに 見許しつべうこそおはすめれ
 「とても残念でお気の毒なこと。大将が関心のあるようにおっしゃっているようであったが、どんなにか軽薄な女とさげすむであろう。こうばかり好色がましくいらっしゃる方は、聞くに堪えなく、事実でないことをもひねくり出し、また実際不都合なことがあっても、さすがに大目に見る方でいらっしゃるようだ。
 夫人は心で残念なことになった、かおるが相当熱心になって望んでいた妹であったのに、そんな過失をしたことが知れるようになれば軽蔑けいべつするであろう、宮という放縦なことを常としていられる方は、ないことにも疑念を持ちうるさくお責めにもなるが、また少々の悪いことがあってもぜひもないようにおあきらめになりそうであるが、
  "Ito kutiwosiu kokoro-gurusiki waza kana! Daisyau no kokoro todome taru sama ni notamahu meri si wo, ikani aha-ahasiku omohi otosa m. Kaku midari gahasiku ohasuru hito ha, kikinikuku, zitu nara nu koto wo mo kuneri ihi, mata makoto ni sukosi omoha zu nara m koto wo mo, sasuga ni mi-yurusi tu beu koso ohasu mere.
4.6.14   この君は言はで憂しと思はむこと、いと恥づかしげに心深きを、 あいなく思ふこと添ひぬる人の上なめり 。年ごろ見ず知らざりつる人の上なれど、心ばへ容貌を見れば、え思ひ離るまじう、らうたく心苦しきに、世の中はありがたくむつかしげなるものかな。
 この君は、表面には出さないで心中に思っていることは、とてもこちらが恥ずかしいほど心深く立派だが、不本意にも心配事が加わった身の上のようだ。長年見ず知らずであった身の上の人であるが、気立てや器量を見ると、放っておくことができず、かわいらしくおいたわしいので、世の中は生きにくく難しいものだなあ。  あの人はそうでなく、何とも言わないままで情けないことにするであろうのを思うと、妹はどんなに気恥ずかしいことかしれぬ、運命は思いがけぬ憂苦を妹に加えることになった、長い間見ず知らずだった人なのであるが、って見れば性質も容貌ようぼうもよく、愛せずにはいられなくなった妹であったのに、こんなことが起こってくるとはなんたることであろう、人生とは複雑にむずかしいものである、
  Kono Kimi ha, iha de usi to omoha m koto, ito hadukasige ni kokoro-hukaki wo, ainaku omohu koto sohi nuru hito no uhe na' meri. Tosi-goro mi zu sira zari turu hito no uhe nare do, e omohi hanaru maziu, rautaku kokoro-gurusiki ni, yononaka ha arigataku mutukasige naru mono kana!
4.6.15  わが身のありさまは、飽かぬこと多かる心地すれど、 かくものはかなき目も見つべかりける身の、さは、はふれずなりにけるにこそ、げに、めやすきなりけれ。今はただ、 この憎き心添ひたまへる人の、なだらかにて思ひ離れなば、さらに何ごとも思ひ入れずなりなむ」
 わが身のありさまは、物足りないところが多くある気持ちがするが、このように人並みにも扱われないはずであった身の上が、そのようには、落ちぶれなかったのは、なるほど、結構なことであった。今はただ、あの憎い懸想心がおありの方が、平穏になって離れてたら、まったく何もくよくよすることはなくなるだろう」
 自分は今の身の上に満足しているものではないが、妹のようなはずかしめもあるいは受けそうであった境遇にいたにもかかわらず、そうはならずに正しく人の妻になりえた点だけは幸福と言わねばなるまい、もう自分は薫が恋をさえ忘れてくれて、以前の友情でつきあって行けることになれば、何も深く憂えずに暮らす女になろう
  Waga mi no arisama ha, aka nu koto ohokaru kokoti sure do, kaku mono hakanaki me mo mi tu bekari keru mi no, saha, hahure zu nari ni keru ni koso, geni, meyasuki nari kere. Ima ha tada, kono nikuki kokoro sohi tamahe ru hito no, nadaraka nite omohi hanare na ba, sarani nani-goto mo omohi-ire zu nari na m."
4.6.16  と思ほす。いと多かる御髪なれば、とみにもえ乾しやらず、起きゐたまへるも苦し。白き御衣一襲ばかりにておはする、細やかにてをかしげなり。
 とお思いになる。とても多い御髪なので、すぐには乾かすことができず、起きていらっしゃるのもつらい。白い御衣を一襲だけお召しになっているのは、ほっそりと美しい。
 と思った。多い髪であるから、急にはかわかしきれずにすわっていねばならぬのが苦しかった。白い服を一重だけ着ている中の君は繊細きゃしゃで美しい。
  to omohosu. Ito ohokaru mi-gusi nare ba, tomi ni mo e hosi yara zu, oki-wi tamahe ru mo kurusi. Siroki ohom-zo hito-kasane bakari nite ohasuru, hosoyaka nite wokasige nari.
注釈543内裏近き方にやあらむ挿入句。内裏へ行くには、西の対から出るのが近道。4.6.1
注釈544御声も聞こゆ浮舟の耳に聞こえる。4.6.1
注釈545心ばへある古言風情ある古歌。4.6.1
注釈546わづらはしくおぼゆ浮舟には匂宮の好色が厄介に思われる。4.6.1
注釈547上いとほしくうたて思ふらむとて中君は浮舟が。『完訳』は「浮舟が彼女の不快を忖度するのとは逆に、中の君は浮舟に同情し、その苦衷を想像する」と注す。4.6.2
注釈548大宮悩みたまふとて以下「思さるらむ」まで、中君の浮舟への詞。4.6.3
注釈549乱り心地のいと苦しうはべるをためらひて浮舟の返事。4.6.5
注釈550いかなる御心地ぞ中君の浮舟へのさらなる問い掛けの詞。4.6.7
注釈551何心地ともおぼえはべらずただいと苦しくはべり浮舟の返事。4.6.9
注釈552かたはらぞいたくおはすらむ少将と右近の詞。『集成』は「(浮舟は)さぞきまり悪くお思いでしょうね」と訳す。4.6.11
注釈553ただなるよりはいとほし『一葉抄』は「草子の詞也」と注す。語り手の同情。女房に知られて、の気持ち。4.6.12
注釈554いと口惜しう以下「思ひ入れずなりなむ」まで、中君の心中の思い。4.6.13
注釈555いかにあはあはしく思ひ落とさむ薫は浮舟を。『完訳』は「薫は、意向を伝えていた自分より前に匂宮を近づけた浮舟の軽率さを侮蔑するだろう、とする」と注す。4.6.13
注釈556乱りがはしくおはする人匂宮。匂宮の好色癖。4.6.13
注釈557見許しつべうこそおはすめれ『集成』は「大ざっぱでいい加減なところのある匂宮の性格を見抜いている」と注す。4.6.13
注釈558この君は薫。4.6.14
注釈559言はで憂しと思はむこと『異本紫明抄』は「心には下行く水の湧き返り言はで思ふぞ言ふにまされる」(古今六帖五、いはで思ふ)を指摘。4.6.14
注釈560あいなく思ふこと添ひぬる人の上なめり浮舟の身の上。心配事が加わった。4.6.14
注釈561かくものはかなき目も見つべかりける身の『集成』は「この妹のようにつまらぬ目に会うかもしれなかった身でありながら。匂宮などから、人並みでない扱いを受けること」と注す。4.6.15
注釈562この憎き心添ひたまへる人薫。中君への懸想心のあるのをいう。4.6.15
校訂35 かたはらぞいたく かたはらぞいたく--かたはら(ら/+そ<朱>)いたく 4.6.11
校訂36 聞きにくく 聞きにくく--きゝにくき(き/#ゝ) 4.6.13
校訂37 添ひぬる 添ひぬる--そ(そ/+ひ<朱>)ぬる 4.6.14
4.7
第七段 中君、浮舟を慰める


4-7  Naka-no-kimi gives comfort to Ukifune

4.7.1   この君は、まことに心地も悪しくなりにたれど、乳母、
 この君は、ほんとうに気分も悪くなっていたが、乳母が、
 姫君はほんとうに身体が苦しくなっていたのであるが、乳母は、
  Kono Kimi ha, makoto ni kokoti mo asiku nari ni tare do, Menoto,
4.7.2  「いと かたはらいたし事しもあり顔に思すらむを。ただおほどかにて見えたてまつりたまへ。右近の君などには、事のありさま、初めより語りはべらむ」
 「とてもみっともありません。何かあったようにお思いになられましょうよ。ただおっとりとお目にかかりなさいませ。右近の君などには、事のありさまを、初めからお話しましょう」
 「そんなふうにしておいでになっては、痛くない腹をさぐられます。何か事のあったように女王にょおう様はお思いになっていらっしゃるかもしれませんから、ただおおようなふうにしてあちらへいらっしゃいませ。右近さんなどには事実を初めからお話しいたしますよ」
  "Ito katahara-itasi. Koto simo ari-gaho ni obosu ram wo. Tada ohodoka nite miye tatematuri tamahe. Ukon-no-Kimi nado ni ha, koto no arisama, hazime yori katari habera m."
4.7.3  と、せめてそそのかしたてて、 こなたの障子のもとにて
 と、無理に促して、こちらの障子のもとで、
 と言い、しいて促し立てておき、夫人の居室いま襖子からかみの前へまで行き、
  to, seme te sosonokasi tate te, konata no syauzi no moto nite,
4.7.4  「 右近の君にもの聞こえさせむ
 「右近の君にお話し申し上げたい」
 「右近さんにちょっとお話しいたしたいことが」
  "Ukon-no-Kimi ni mono kikoyesase m."
4.7.5  と言へば、 立ちて出でたれば
 と言うと、立って出て来たので、
 と言った。出て来たその人に、
  to ihe ba, tati te ide tare ba,
4.7.6  「 いとあやしくはべりつることの名残に、身も熱うなりたまひて、まめやかに苦しげに見えさせたまふを、いとほしく見はべる。 御前にて 慰めきこえさせたまへ、とてなむ。過ちもおはせぬ身を、いとつつましげに思ほしわびためるも、 いささかにても世を知りたまへる人こそあれ、いかでかはと、ことわりに、いとほしく見たてまつる」
 「とてもおかしなことのございましたせいで、熱がお出になって、ほんとうに苦しそうにお見えなさるのを、気の毒に拝見しています。御前で慰めていただきたい、と思いまして。過失もおありでない身で、とてもきまり悪そうに困っていらっしゃるのも、少しでも男女関係を経験した者ならともかく、とてもとてもそう平気でいらっしゃれまいと、ご無理もない、お気の毒なことと存じあげます」
 「御冗談じょうだんをなさいました方様のために、お姫様は驚いて気もお失いになるばかりなのですよ。ほんとうのひどい目にでもおあいになった人のように苦しいふうをお見せになるのでお気の毒でなりません。奥様から慰めてあげていただきたいと私はお願いに出たのでございます。過失もなさいませんでしたのに、恥ずかしくてならぬように思召すのもお道理でございますよ。異性のことがよくわかっておいでになる方であれば、これは何でもないことだとおわかりになるのでしょうが、そうでないところに純粋なところも持っていらっしゃるのだと拝見しています」
  "Ito ayasiku haberi turu koto no nagori ni, mi mo atuu nari tamahi te, mameyaka ni kurusige ni miye sase tamahu wo, itohosiku mi haberu. O-mahe nite nagusame kikoyesase tamahe, tote nam. Ayamati mo ohase nu mi wo, ito tutumasige ni omohosi wabi ta' meru mo, isasaka ni te mo yo wo siri tamahe ru hito koso are, ikade-kaha to, kotowari ni, itohosiku mi tatematuru."
4.7.7  とて、 引き起こして参らせたてまつる
 と言って、起こしたててお連れ申し上げる。
 と言っておき、姫君を引き起こして夫人の所へ伴って行くのであった。
  tote, hiki-okosi te mawira se tatematuru.
4.7.8  我にもあらず、人の思ふらむことも恥づかしけれど、 いとやはらかにおほどき過ぎたまへる君にて、押し出でられて居たまへり。額髪などの、いたう濡れたる、もて隠して、 火の方に背きたまへるさま上をたぐひなく見たてまつるにけ劣るとも見えず、あてにをかし
 正体もなく、皆が想像しているだろうことも恥ずかしいけれど、たいそう素直でおっとりし過ぎていらっしゃる姫君で、押し出されて座っていらしゃった。額髪などが、ひどく濡れているのを。ちょっと隠して、燈火の方に背を向けていらっしゃる姿は、上をこの上なく美しいと拝見しているのと、劣るとも見えず、上品で美しい。
 人のするままに任せて、他人がどんな想像をしているだろうと思うことに羞恥しゅうちは覚えるのであるが、柔らかなおおよう過ぎたほどの性質の人であったから、乳母に押し出されて夫人の居間の中へはいった。額髪などの汗と涙でひどくれたのを隠したく思い、あかりのほうから顔をそむけた姫君は、夫人をこれ以上の美人はないと常にながめている女房たちが見て、劣ったふうもなく、貴女きじょらしく美しい、
  Ware ni mo ara zu, hito no omohu ram koto mo hadukasikere do, ito yaharaka ni ohodoki sugi tamahe ru Kimi nite, osi-ide rare te wi tamahe ri. Hitahi-gami nado no, itau nure taru, mote-kakusi te, hi no kata ni somuki tamahe ru sama, Uhe wo taguhinaku mi tatematuru ni, ke-otoru tomo miye zu, ate ni wokasi.
4.7.9  「 これに思しつきなばめざましげなることはありなむかし。 いとかからぬをだに、めづらしき人、をかしうしたまふ御心を」
 「この人にご執心なさったら、不愉快なことがきっと起ころう。これほど美しくない人でさえ、珍しい人に、ご興味をお持ちになるご性分だから」
 宮がこの方をお愛しになるようになったら気まずいことを見ることになろう、これほどの人でなくても、新しい人をお喜びになる宮の御性質であるから
  "Kore ni obosi tuki na ba, mezamasige naru koto ha ari na m kasi. Ito kakara nu wo dani, medurasiki hito, wokasiu si tamahu mi-kokoro wo."
4.7.10  と、二人ばかりぞ、御前にてえ恥ぢたまはねば、見ゐたりける。物語いとなつかしくしたまひて、
 と、二人ばかりが、御前のこととて恥ずかしがっていらっしゃれないので、見ていた。お話をとてもやさしくなさって、
 と、夫人に侍していた二人ほどの女房は、姫君の隠しきれない顔を見て思っていた。中の君はなつかしいふうで話していて、
  to, hutari bakari zo, o-mahe nite e hadi tamaha ne ba, mi wi tari keru. Monogatari ito natukasiku si tmahi te,
4.7.11  「 例ならずつつましき所など、な思ひなしたまひそ。 故姫君のおはせずなりにしのち、忘るる世なくいみじく、身も恨めしく、たぐひなき心地して過ぐすに、 いとよく思ひよそへられたまふ御さまを見れば、慰む心地してあはれになむ。 思ふ人もなき身に昔の御心ざしのやうに思ほさば、いとうれしくなむ」
 「馴れない気の置ける所などと、お思いなさいますな。故姫君がお亡くなりになって後、忘れる時もなくひどく悲しく、身も恨めしく、例のないような気持ちで過ごして来ましたが、とてもよく似ていらっしゃるご様子を見ると、慰められる気がして感慨深いです。大切に思ってくれる肉親もない身なので、故人のお気持ちのようにお思いくださったら、とても嬉しいです」
 「あなたの家と違った所だとここを思わないでいらっしゃいよ。お姉様がおかくれになってから、私は姉様のことばかりが思われて、忘れることなどは少しもできなくてね、自分の運命ほど悲しいものはないと思って暮らしていたのですがね、あなたという姉様によく似た人を見ることができるようになって、ずいぶん慰められてますよ。私にはほかにあなたのような妹はないのですから、お父様の御愛情を私から受け取る気になってくだすったらうれしいだろうと思います」
  "Rei nara zu tutumasiki tokoro nado, na omohi-nasi tamahi so. Ko-Hime-Gimi no ohase zu nari ni si noti, wasururu yo naku imiziku, mi mo uramesiku, taguhinaki kokoti si te sugusu ni, ito yoku omohi yosohe rare tamahu ohom-sama wo mire ba, nagusamu kokoti si te ahare ni nam. Omohu hito mo naki mi ni, mukasi no mi-kokorozasi no yau ni omohosa ba, ito uresiku nam."
4.7.12  など語らひたまへど、いとものつつましくて、また鄙びたる心に、いらへきこえむこともなくて、
 などとお話しになるが、とても遠慮されて、また田舎者めいた気持ちで、お答え申し上げる言葉も浮かばなくて、
 などとも夫人は語るのであったが、宮から愛のささやきをお受けした心のひけ目がある上に、よい環境に置かれていなかった人は、姉君に応じて何もものが言えないというふうがあって、
  nado katarahi tamahe do, ito mono tutumasiku te, mata hinabi taru kokoro ni, irahe kikoye m koto mo naku te,
4.7.13  「 年ごろ、いと遥かにのみ思ひきこえさせしに、かう見たてまつりはべるは、何ごとも慰む心地し はべりてなむ」
 「長年、とても遥か遠くにばかりお思い申し上げていましたので、このようにお目にかからせていただきますのは、すべてが思い慰められるような気がいたしております」
 「長い間とうていおそばなどへまいれるものでないと思っていましたのに、こんなに御親切にいろいろとしていただけるのですもの、どんなことも皆慰められる気がいたします」
  "Tosi-goro, ito haruka ni nomi omohi kikoye sase si ni, kau mi tatematuri haberu ha, nani-goto mo nagusamu kokoti si haberi te nam."
4.7.14  とばかり、いと若びたる声にて言ふ。
 とだけ、とても若々しい声で言う。
 とだけ、少女おとめらしい声で言った。
  to bakari, ito wakabi taru kowe nite ihu.
注釈563この君は浮舟。4.7.1
注釈564かたはらいたし以下「語りはべらむ」まで、乳母の詞。4.7.2
注釈565事しもあり顔に思すらむを『完訳』は「上が何かわけがありげにおぼしめしましょうに」と訳す。「思す」の主語は中君。「を」接続助詞、逆接の意。4.7.2
注釈566こなたの障子のもとにて中君の部屋の障子。4.7.3
注釈567右近の君にもの聞こえさせむ乳母の詞。「聞こえさす」は会話文中なので、丁重な謙譲語表現となっている。4.7.4
注釈568立ちて出でたれば右近の動作。4.7.5
注釈569いとあやしくはべりつることの以下「見たてまつる」まで、乳母の詞。4.7.6
注釈570御前にて中君の御前。4.7.6
注釈571慰めきこえさせたまへとてなむ中君から浮舟が慰めて頂きたい、と思って罷り出た。4.7.6
注釈572いささかにても世を知りたまへる人こそあれ『集成』は「少しでも男女のことをご存じの方ならともかく、とてもそう平気ではいらっしゃれまいと」。『完訳』は「少しでも男女関係を経験した者ならともかく。浮舟の動転ぶりがかえって潔白を証すとする」と注す。4.7.6
注釈573引き起こして参らせたてまつる乳母は浮舟を起こして中君のもとへ。4.7.7
注釈574いとやはらかにおほどき過ぎたまへる君にて浮舟の性格。4.7.8
注釈575火の方に背きたまへるさま以下、右近ら女房の目に映る浮舟の姿。4.7.8
注釈576上をたぐひなく見たてまつるに中君を。主語は右近ら女房たち。4.7.8
注釈577け劣るとも見えずあてにをかし浮舟は中君に劣らず上品で美しい。4.7.8
注釈578これに思しつきなば以下「御心を」まで、右近ら女房たちの心中の思い。浮舟に匂宮が執心なさったら。4.7.9
注釈579めざましげなること妹が姉の夫を奪うということ。4.7.9
注釈580いとかからぬをだに浮舟ほど美しい人でなくてさえ。4.7.9
注釈581例ならずつつましき所など以下「いとうれしくなむ」まで、中君の詞。4.7.11
注釈582故姫君の大君。4.7.11
注釈583いとよく思ひよそへられたまふ御さまを浮舟が大君に大変によく似ている。4.7.11
注釈584思ふ人もなき身に自分を大切に思ってくれる人。両親や姉など。4.7.11
注釈585昔の御心ざしのやうに故大君の気持ち同様に。4.7.11
注釈586年ごろ、いと遥かに以下「心地しはべりてなむ」まで、浮舟の返事。4.7.13
校訂38 はべり はべり--(/+侍<朱>) 4.7.13
4.8
第八段 浮舟と中君、物語絵を見ながら語らう


4-8  Ukifune and Naka-no-kimi talk with looking pictures on monogakati

4.8.1   絵など取り出でさせて、右近に詞読ませて見たまふに、向ひてもの恥ぢもえしあへたまはず、心に入れて見たまへる火影、さらに ここと見ゆる所なく、こまかにをかしげなり。額つき、まみの薫りたる心地して、いとおほどかなるあてさは、 ただそれとのみ思ひ出でらるれば絵はことに目もとどめたまはで
 絵などを取り出させて、右近に詞書を読ませて御覧になると、向かい合って恥ずかしがっていることもおできになれず、熱心に御覧になっている燈火の姿、まったくこれという欠点もなく、繊細で美しい。額の具合、目もとがほんのりと匂うような感じがして、とてもおっとりとした上品さは、まるで亡くなった姫君かとばかり思い出されるので、絵は特に目もお止めにならず、
 夫人が絵などを出させて、右近に言葉書きを読ませ、いっしょに見ようとすると、姫君は前へ出て、恥じてばかりもいず熱心に見いだした灯影の顔には何の欠点もなく、どこも皆美しくきれいであった。清い額つきがにおうように思われて、おおような貴女きじょらしさには総角あげまきの姫君がただ思い出されるばかりであったから、夫人は絵のほうはあまり目にとめず、
  We nado tori-ide sase te, Ukon ni kotoba yoma se te mi tamahu ni, mukahi te mono-hadi mo e si tamaha zu, kokoro ni ire te mi tamahe ru hokage, sarani koko to miyuru tokoro naku, komaka ni wokasige nari. Hitahi-tuki, mami no kawori taru kokoti si te, ito ohodoka naru atesa ha, tada sore to nomi omohi-ide rarure ba, we ha koto ni me mo todome tamaha de,
4.8.2  「 いとあはれなる人の容貌かな。いかでかうしもありけるにかあらむ。 故宮にいとよく似たてまつりたるなめりかし。 故姫君は、宮の御方ざまに、我は母上に似たてまつりたるとこそは、古人ども言ふなりしか。 げに、似たる人はいみじきものなりけり
 「とてもよく似た器量の人だわ。どうしてこんなにも似ているのであろう。亡き父宮にとてもよくお似申していらっしゃるようだ。亡き姫君は、父宮の御方に、わたしは母上にお似申していたと、老女連中は言っていたようだ。なるほど、似た人はひどく懐かしいものであった」
 身にしむ顔をした人である、どうしてこうまで似ているのであろう、大姫君は宮に、自分は母君に似ていると古くからいる女房たちは言っていたようである、よく似た顔というものは人が想像もできぬほど似ているものであると、
  "Ito ahare naru hito no katati kana! Ikade kau simo ari keru ni ka ara m. Ko-Miya ni ito yoku ni tatematuri taru na' meri kasi. Ko-Hime-Gimi ha, Miya-no-Ohomkata-zama ni, ware ha Haha-Uhe ni ni tatematuri taru to koso ha, huru-bito-domo ihu nari sika. Geni, ni taru hito ha imiziki mono nari keri."
4.8.3  と思し比ぶるに、涙ぐみて見たまふ。
 とお比べになると、涙ぐんで御覧になる。
 故人に思い比べられて夫人は姫君を涙ぐんでながめていた。
  to obosi kuraburu ni, namida-gumi te mi tamahu.
4.8.4  「 かれは、限りなくあてに気高きものから、なつかしうなよよかに、かたはなるまで、なよなよとたわみたるさまのしたまへりしにこそ。
 「姉君は、この上なく上品で気高い感じがする一方で、やさしく柔らかく、度が過ぎるくらいなよなよともの柔らかくいらっしゃった。
 故人は限りもなく上品で気高けだかくありながら柔らかな趣を持ち、なよなよとしすぎるほどの姿であった。
  "Kare ha, kagirinaku ate ni kedakaki monokara, natukasiu nayoyoka ni, kataha naru made, nayo-nayo to tawami taru sama no si tamahe ri si ni koso.
4.8.5   これは、またもてなしのうひうひしげに、よろづのことをつつましうのみ思ひたるけにや、見所多かるなまめかしさぞ劣りたる。 ゆゑゆゑしきけはひだにもてつけたらば、大将の見たまはむにも、さらにかたはなるまじ」
 この妹君は、まだ態度が初々しくて万事を遠慮がちにばかり思っているせいか、見栄えのする優雅さという点で劣っている。重々しい雰囲気だけでもついたならば、大将が結婚なさるにも、全然不都合ではあるまい」
 この人はまだ身のこなしなどに洗練の足らぬところがあり、また遠慮をすぎるせいか美しい趣は劣って見える、重々しいところを加えさせるようにすれば大将の妻の一人になっても不似合いには見えまい
  Kore ha, mata motenasi no uhi-uhisige ni, yorodu no koto wo tutumasiu nomi omohi taru ke ni ya, mi-dokoro ohokaru namamekasisa zo otori taru. Yuwe-yuwesiki kehahi dani mote-tuke tara ba, Daisyau no mi tamaha m mo, sarani kataha naru mazi."
4.8.6  など、このかみ心に 思ひ扱はれたまふ
 などと、姉心にお世話がやかれなさる。
 などと、姉心になって気もつかっている中の君であった。
  nado, konokami-gokoro ni omohi atukaha re tamahu.
4.8.7  物語などしたまひて、暁方になりてぞ寝たまふ。 かたはらに臥せたまひて故宮の御ことども、年ごろおはせし御ありさまなど、まほならねど語りたまふ。いとゆかしう、見たてまつらずなりにけるを、「いと口惜しう悲し」と思ひたり。 昨夜の心知りの人びとは、
 お話などなさって、暁方になってお寝みになる。横に寝せなさって、故父宮のお話や、生前のご様子などを、ぽつりぽつりとお話しになる。とても会いたく、お目にかかれずに終わってしまったことを、「たいそう残念に悲しい」と思っていた。昨夜の事情を知っている女房たちは、
 話し合って夜明け近くまでなってからやすんだのであるが、夫人はそばへ寝させて、父宮についておかくれになるまでの御様子などを、ことごとくではないが話して聞かせた。聞けば聞くほど恋しく、ついにお逢いすることがなく終わったことをくやしく悲しく姫君は思った。昨夜のできごとを知っている女房たちは、
  Monogatari nado si tamahi te, akatuki-gata ni nari te zo ne tamahu. Katahara ni huse tamahi te, Ko-Miya no ohom-koto-domo, tosi-goro ohase si ohom-arisama nado, maho nara ne do katari tamahu. Ito yukasiu, mi tatematura zu nari ni keru wo, "Ito kutiwosiu kanasi." to omohi tari. Yobe no kokoro-siri no hito-bito ha,
4.8.8  「 いかなりつらむな。いとらうたげなる御さまを。 いみじう思すとも、甲斐あるべきことかは。いとほし」
 「どうしたのでしょうね。とてもかわいらしいご様子でしたが。どんなにおかわいがりになっても、その効がないでしょうね。かわいそうなこと」
 「実際はどんなことだったのでしょう、おかわいらしいお顔をしていらっしゃるあの方を、奥様はあんなに大事にしておいでになっても、もう泥土でいどに落ちた花ではありませんか、気の毒な」
  "Ika nari tu ram na? Ito rautage naru ohom-sama wo! Imiziu obosu tomo, kahi aru beki koto kaha! Itohosi."
4.8.9  と言へば、右近ぞ、
 と言うと、右近が、
 と一人が言うのを、右近は、
  to ihe ba, Ukon zo,
4.8.10  「 さも、あらじ。かの御乳母の、 ひき据ゑてすずろに語り愁へしけしき、 もて離れてぞ言ひし。宮も、 逢ひても逢はぬやうなる心ばへに こそ、うちうそぶき口ずさびたまひしか」
 「そうでも、ありません。あの乳母が、わたしをつかまえてとりとめもなく愚痴をこぼした様子では、何もなかったと言っていました。宮も、会っても会わないような意味の古歌を、口ずさんでいらっしゃいました」
 「そこまでは進まなかったのでしょう。あの乳母ばあやが私をつかまえて、放すものかというようにもしてこぼしていた話にも、そこまでも行った御冗談じょうだんだったとは言ってませんでしたよ。宮様も近づきながら恋を成り立たせえなかったような意味の詩を口ずさんでおいでになりましたもの。
  "Samo, ara zi. Kano ohom-menoto no, hiki-suwe te suzuro ni katari urehe si kesiki, mote-hanare te zo ihi si. Miya mo, ahi te mo aha nu yau naru kokorobahe ni koso, uti-usobuki kutizusabi tamahi sika."
4.8.11  「 いさや。ことさらにもやあらむ。そは、知らずかし
 「さあね。わざとそう言ったのかも。それは、知りませんわ」
 けれどもそれはわざとそうお見せになろうとするためか私は知りませんよ」
  "Isaya! kotosara ni mo ya ara m? Soha, sira zu kasi."
4.8.12  「 昨夜の火影のいと おほどかなりしも、事あり顔には見えたまはざりしを」
 「昨夜の燈火の姿がとてもおっとりしていたのも、何かあったようにはお見えになりませんでした」
 やや釈明的にも言い、
  "Yobe no hokage no ito ohodoka nari si mo, koto-ari-gaho ni ha miye tamaha zari si wo."
4.8.13  など、うちささめきていとほしがる。
 などと、ひそひそ言って気の毒がる。
 二人は姫君に同情した。
  nado, uti-sasameki te itohosigaru.
注釈587絵など取り出でさせて右近に詞読ませて見たまふに『完訳』は「この時代の物語鑑賞の実態を示す場面。絵を見ながら、女房の音読する物語の本文を聞く趣である」と注す。4.8.1
注釈588ここと見ゆる所なくこれという欠点。4.8.1
注釈589ただそれとのみ思ひ出でらるれば中君は浮舟が故大君の生き写しの人に思われ感慨深い。4.8.1
注釈590絵はことに目もとどめたまはで主語は中君。4.8.1
注釈591いとあはれなる人の容貌かな以下「いみじきものなりけり」まで、中君の心中の思い。4.8.2
注釈592故宮に故父八宮。4.8.2
注釈593故姫君は宮の御方ざまに我は母上に似たてまつりたると大君は父親似、中君は母親似、浮舟は父親似。4.8.2
注釈594げに似たる人はいみじきものなりけり『集成』は「ほんとに似ている人というものはなつかしいものだこと」と訳す。4.8.2
注釈595かれは限りなく故大君は。以下「かたはなるまじ」まで、引き続き中君の心中の思い。浮舟と大君の比較。4.8.4
注釈596これは浮舟。4.8.5
注釈597ゆゑゆゑしきけはひ重々しい感じ。4.8.5
注釈598思ひ扱はれたまふ「れ」自発の助動詞。自然と姉として心が動く。4.8.6
注釈599かたはらに臥せたまひて中君は浮舟を。「臥せ」他動詞。「たまふ」中君に対する敬語。4.8.7
注釈600故宮の御ことども故父八宮の生前のこと。4.8.7
注釈601昨夜の心知りの人びと匂宮と浮舟の事件を知る女房たち。4.8.7
注釈602いかなりつらむな以下「いとほし」まで、女房詞。4.8.8
注釈603いみじう思すとも、甲斐あるべきことかは『完訳』は「中の君がどんなにかわいがろうと、そのかいがない。匂宮との関係ができたのでは仕方がないとする」と注す。4.8.8
注釈604さもあらじ以下「口ずさびたまひしか」まで、右近の詞。『集成』は「見えたまはざりしを」までを右近の詞とする。匂宮との肉体関係を否定する。4.8.10
注釈605ひき据ゑて乳母が右近を呼び出して、の意。4.8.10
注釈606もて離れてぞ言ひし匂宮との肉体関係を否定。4.8.10
注釈607逢ひても逢はぬやうなる心ばへに『源氏釈』は「臥すほどもなくて明けぬる夏の夜は逢ひてもあはぬ心地こそすれ」(出典未詳)を指摘。4.8.10
注釈608いさやことさらにもやあらむそは知らずかし以下「見えたまはざりしを」まで、女房の詞。『集成』は、右近の一続きの詞とする。
『集成』は「いえでも、わざとそんなふうにおっしゃったのか、そこの所は分りません」。『完訳』は「さあどんなものでしょうか、わざとおっしゃってのことかもしれませんよ、よくは分りません」と訳す。
4.8.11
注釈609昨夜の火影の物語絵に熱中していた浮舟の姿。右近の詞に同意を示した発言。『完訳』は、以下を別の女房の詞とする。4.8.12
出典18 逢ひても逢はぬ 臥すほどもなくて明けぬる夏の夜は逢ひても逢はぬ心地こそすれ 源氏釈所引-出典未詳 4.8.10
校訂39 おほどかなりしも おほどかなりしも--おほとかなりし(し/+も<朱>) 4.8.12
Last updated 4/24/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 4/24/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 4/24/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月7日

Last updated 11/5/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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