50 東屋(大島本)


ADUMAYA


薫君の大納言時代
二十六歳秋八月から九月までの物語



Tale of Kaoru's Dainagon era, from August to September at the age of 26

2
第二章 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる


2  Tale of Ukifune  Ukifune's mother compares Niou-no-miya with Sakon-shosho

2.1
第一段 浮舟の母と乳母の嘆き


2-1  Ukifune's mother and her wet nurse are disappointed in cancellation of marriage

2.1.1   こなたに渡りて見るに、いとらうたげにをかしげにて居 たまへるに、「さりとも、人には劣りたまはじ」とは思ひ慰む。乳母と二人、
 こちらに来てみると、たいそうかわいらしい様子で座っていらっしゃるので、「不縁になったとはいっても、誰にもお負けになるまい」と気持ちを慰める。乳母と二人で、
 姫君の所へ行ってみると、可憐かれんな美しい姿でその人はすわっていた。夫人はなんとなく安心を覚えた。どんな運命がここに現われてきても、この人がだれよりも不遇で置かれるはずはないと思われるのである。姫君の乳母めのとを相手に夫人は、
  Konata ni watari te miru ni, ito rautage ni wokasige nite wi tamahe ru ni, "Sari-tomo, hito ni ha otori tamaha zi." to ha omohi nagusamu. Menoto to hutari,
2.1.2  「 心憂きものは人の心なりけり。 おのれは同じごと思ひ扱ふとも、 この君のゆかりと思はむ人のためには、命をも譲りつべくこそ思へ、親なしと聞きあなづりて、まだ幼くなりあはぬ人を、 さし越えて、かくは 言ひなるべしや。
 「いやなものは人の心ですこと。わたくしは、同じようにお世話していても、この姫君が婿殿と思うお方のためには、命に代えてもと思っても、父親がいないと聞いて馬鹿にし、まだ十分に成人していない妹を、姉をさしおいて、このように言うものでしょうか。
 「いやなものは人の心だね。私は同じようにだれも娘と思って世話をしているものの、この方と縁を結ぶ人には命までも譲りたい気でいるのだのに、父親がないと聞いて、軽蔑けいべつをして、まだ年のゆかない、でき上がっていない子などを、この方をさしおいてめとるというようなことができるものなんだねえ。
  "Kokoro-uki mono ha hito no kokoro nari keri. Onore ha, onazi goto omohi atukahu tomo, kono Kimi no yukari to omoha m hito no tame ni ha, inoti wo mo yuduri tu beku koso omohe, oya nasi to kiki anaduri te, mada wosanaku nari aha nu hito wo, sasi-koye te, kaku ha ihi naru besi ya!
2.1.3  かく心憂く、 近きあたりに見じ聞かじと思ひぬれど、守のかくおもだたしきことに思ひて、受け取り騒ぐめれば、 あひあひにたる世の人のありさまを、すべてかかることに口入れじと思ふ。いかでここならぬ所に、しばしありにしがな」
 こんなに情けない、同じ家の中で見まい聞くまいと思っていたが、介がこのように面目がましいことと思って、承知して騒いでいるようなので、どちらもお似合いの様子なので、いっさいこの話には口を入れまいと思います。何とかここではない所で、しばらく暮らしたいものだ」
 そんな人をまた婿にすることなどは絶対にもう私はいやだけれど、守が名誉に思って大騒ぎしているのを見ると、それがちょうど似合いの婿むこしゅうとだと思われるよ。私はいっさい口を入れないつもりよ。私はこの家でない所へ当分行っていたい」
  Kaku kokoro-uku, tikaki atari ni mi zi kika zi to omohi nure do, Kami no kaku omodatasiki koto ni omohi te, uketori sawagu mere ba, ahi ahi ni taru yo no hito no arisama wo, subete kakaru koto ni kuti ire zi to omohu. Ikade koko nara nu tokoro ni, sibasi ari ni si gana!"
2.1.4  とうち嘆きつつ言ふ。乳母もいと腹立たしく、「 わが君をかく落としむること」と思ふに、
 と泣きながら言う。乳母もひどく腹が立って、「自分の主人をこのように見下していること」と思うと、
 こう歎きながら言うのであった。乳母も腹がたってならない。姫君が軽蔑されたと思うからである。
  to uti-nageki tutu ihu. Menoto mo ito hara-datasiku, "Waga Kimi wo kaku otosimuru koto." to omohu ni,
2.1.5  「 何か、これも御幸ひにて違ふこととも知らず。かく心口惜しくいましける 君なれば、あたら御さまをも見知らざらまし。 わが君をば、心ばせあり、もの思ひ知りたらむ人にこそ、見せたてまつらまほしけれ。
 「なあに、これもご幸運なことで破談になったのかも知れません。あのように情けない方でいらっしゃるのだから、もったいない姫君の美しいご様子をご存知ないのでしょう。大事な姫君は、思慮もあり、道理の分かる方にこそ、差し上げたいものです。
 「いいのですよ奥様。これも結局お姫様の御運が強かったから、あの人と結婚をなさらないで済むことになったのですよ。そんな人にはこの方の価値ねうちはわかりますまい。お姫様はものの理解の正しい同情心の厚い方におとつがせいたしとうございます。
  "Nanika, kore mo ohom-saihahi nite tagahu koto to mo sira zu. Kaku kokoro kutiwosiku imasi keru Kimi nare ba, atara ohom-sama wo mo mi-sira zara masi. Waga Kimi wo ba, kokorobase ari, mono omohi siri tara m hito ni koso, mise tatematura mahosikere.
2.1.6   大将殿の御さま容貌の、ほのかに見たてまつりしに、さも命延ぶる心地のしはべりしかな。 あはれにはた聞こえたまふなり。御宿世にまかせて、思し寄りねかし」
 大将殿のお姿や器量を、ちらっと拝見しましたが、ほんとうに寿命が延びるような気持ちしましたね。嬉しいことにお世話申し上げたいとおっしゃっています。ご運勢にまかせて、そのようにお決めなさいまし」
 源右大将様の御風采ふうさいをほのかにしか拝見いたしませんでしたが、まるで命も延びそうな気がいたしましたよ。親切なお申し込みもあるのですから、御運に任せてあの方を婿君になさいましよ」
  Daisyau-dono no ohom-sama katati no, honoka ni mi tatematuri si ni, samo inoti noburu kokoti no si haberi si kana! Ahare ni hata kikoye tamahu nari. Ohom-sukuse ni makase te, obosi-yori ne kasi."
2.1.7  と言へば、
 と言うと、

  to ihe ba,
2.1.8  「 あな、恐ろしや人の言ふを聞けば、年ごろ、 おぼろけならむ人をば見じとのたまひて、 右の大殿按察使大納言式部卿宮などの、いとねむごろに ほのめかしたまひけれど、聞き過ぐして、 帝の御かしづき女を得たまへる君は、 いかばかりの 人かまめやかには 思さむ
 「まあ、恐ろしいこと。人の言うことを聞くと、長年、並大抵の女とは結婚しまいとおっしゃって、右の大殿や按察使大納言、式部卿宮などが、とても熱心にお申し込みなさったが、聞き流して、帝が大切にしている姫宮を得なさった君は、どれほどの人を熱心にお思いになりましょうか。
 「まあ恐ろしい。人の話に聞くと、長い間すぐれた女性とでなければ結婚をしないとお言いになって、左大臣、按察使あぜち大納言、式部卿しきぶきょうの宮様などから婿君にといって懇望されていらっしゃったのを無視しておいでになったあとで帝の御秘蔵の宮様を奥様におもらいになった方だもの、どんなにすぐれたように見える人だってほんとうに愛してくださるものかね。
  "Ana, osorosi ya! Hito no ihu wo kike ba, tosi-goro, oboroke nara m hito wo ba mi zi to notamahi te, Migi-no-Ohotono, Azeti-no-Dainagon, Sikibukyau-no-Miya nado no, ito nemgoro ni honomekasi tamahi kere do, kiki-sugusi te, Mikado no ohom-kasiduki musume wo e tamahe ru Kimi ha, ika-bakari no hito ka mameyaka ni ha obosa m.
2.1.9   かの母宮などの御方にあらせて、時々も見むとは思しもしなむそれはた、げにめでたき御あたりなれども、いと 胸痛かるべきことなり宮の上の、かく幸ひ人と申すなれど、 もの思はしげに思したるを見れば、いかにもいかにも、二心なからむ人のみこそ、めやすく頼もしきことにはあらめ。 わが身にても知りにき
 あの母宮などのお側におかせて、時々は会おうとはお思いになろうが、それもまた、なるほど結構なお所ですが、とても胸の痛いことです。宮の上が、このように幸い人と申し上げるようだが、物思いがちにいらっしゃるのを見ると、いかにもいかにも、二心のない人だけが、安心で信頼できることでしょう。自分の体験でも分かりました。
 あのお母様の尼宮の女房にして時々は愛してやろうとは思ってくださるだろうがね。それはごりっぱな所だけれど、そんな関係に置かれているのは苦しいものだからね。二条の院の奥様を幸福な方だと人は申しているけれど、やはり物思いのやむ間もないふうでおありになるのを見ると、どんな人でもいいから唯一の妻として愛してくださる良人おっとよりほかは頼もしいもののないことは私自身の経験でも知っている。
  Kano Haha-Miya nado no ohom-kata ni ara se te, toki-doki mo mi m to ha obosi mo si na m, sore hata, geni medetaki ohom-atari nare domo, ito mune itakaru beki koto nari. Miya-no-Uhe no, kaku saihahi-bito to mausu nare do, mono-omohasige ni obosi taru wo mire ba, ikani-mo-ikani-mo, huta-gokoro nakara m hito nomi koso, meyasuku tanomosiki koto ni ha ara me. Waga mi nite mo siri ni ki.
2.1.10   故宮の御ありさまは 、いと情け情けしく、めでたくをかしくおはせしかど、 人数にも思さざりしかば、いかばかりかは心憂くつらかりし。 このいと言ふかひなく、情けなく、さま悪しき人なれど、ひたおもむきに二心なきを見れば、心やすくて年ごろをも過ぐしつるなり。
 故宮のご様子は、とても情愛があって、素晴らしく好感が持てるお方でしたが、人並みにもお思いくださらなかったので、どんなにかつらい思いをしたことか。この介はまことに取るに足らない、情けない、不恰好な人ですが、一途で二心のないのを見ると、気を揉むこともなく何年も過ごしてきたのです。
 おくなりになった八の宮様は情味のある方らしく見えて、美男でえんなお姿はしていらしったけれど、私を軽いものとしてお扱いになったのが、どんなに情けなく恨めしかったことだったろう。守は言語道断な情味の欠けた醜い人だけれど、私を一人の妻としてほかにはだれも愛していないことで、私は絶対な安心が得られて今日まで来ましたよ。
  Ko-Miya no ohom-arisama ha, ito nasake-nasakesiku, medetaku wokasiku ohase sika do, hito-kazu ni mo obosa zari sika ba, ika-bakari kaha kokoro-uku turakari si. Kono ito ihukahinaku, nasakenaku, sama asiki hito nare do, hita-omomuki ni huta-gokoro naki wo mire ba, kokoro-yasuku te tosi-goro wo mo sugusi turu nari.
2.1.11  をりふしの心ばへの、かやうに愛敬なく用意なきこと こそ憎けれ、嘆かしく恨めしきこともなく、かたみにうちいさかひても、心にあはぬことをばあきらめつ。上達部、親王たちにて、みやびかに心恥づかしき人の御あたりといふとも、わが数ならでは甲斐あらじ。
 折々の仕打ちが、あのように癪な思いやりのないのが憎らしいが、嘆かわしく恨めしいこともなく、お互いに言い合っても、納得できないことははっきりさせました。上達部や、親王方で、優雅で心恥ずかしい方の所といっても、わたしのように一人前でない身分では詮のないことでしょう。
 何かの時に今度のような、ぶしつけな、愛想あいそうのないことをするのはしかたがないがね、物思いをさせられたり、嫉妬しっとを覚えさせられたりすることもなく、よく双方で口喧嘩くちげんかはしても、しかたのないと思うことは、またよくあきらめてしまうのが私ら夫婦なのだ。高級のお役人、親王様と言われて、優美に、高雅な生活をしていらっしゃる方を対象としていても、こちらに資格がなくてはつまらないものよ。
  Wori-husi no kokorobahe no, kayau ni aigyau naku youi naki koto koso nikukere, nagekasiku uramesiki koto mo naku, katami ni uti-isakahi te mo, kokoro ni aha nu koto wo ba akirame tu. Kamdatime, Miko-tati nite, miyabika ni kokoro-hadukasiki hito no ohom-atari to ihu tomo, waga kazu nara de ha kahi ara zi.
2.1.12   よろづのこと、わが身からなりけりと思へば、よろづに悲しうこそ 見たてまつれ。いかにして、人笑へならずしたてたてまつらむ」
 万事が、わが身分からであった思うと、何もかも悲しく拝見される。何とかして、物笑いにならないようにして差し上げよう」
 すべてのことは自身の世間的価値によってまることなのだと思うと、この方がどこまでもかわいそうに思われるがね、どうかして人笑いにならない幸福な結婚をさせたいと思う」
  Yorodu no koto, waga mi kara nari keri to omohe ba, yorodu ni kanasiu koso mi tatemature. Ikani si te, hito-warahe nara zu sitate tatematura m."
2.1.13  と語らふ。
 と相談する。
 二人は姫君の将来のことをいろいろと相談し合った。
  to katarahu.
注釈152こなたに渡りて見るに北の方が浮舟の部屋に。2.1.1
注釈153心憂きものは以下「ありにしがな」まで、北の方の詞。2.1.2
注釈154おのれは一人称。卑下して言うニュアンス。2.1.2
注釈155この君のゆかりと思はむ人のためには浮舟の婿のためには、の意。2.1.2
注釈156さし越えて浮舟を差し置いて、の意。2.1.2
注釈157近きあたりに同じ家の中で。2.1.3
注釈158あひあひにたる世の人のありさまを『集成』は「どちらもお似合いの当節の人のしそうなことだし」。「完訳』は「介も少将もお似合いの、当節の人のしそうなことだから」と訳す。2.1.3
注釈159わが君を浮舟をさす。2.1.4
注釈160何かこれも御幸ひにて以下「思し寄りねかし」まで、乳母の詞。浮舟の破談も幸運ゆえかもしれない、と強がりを言う。2.1.5
注釈161君なれば左近少将をさす。2.1.5
注釈162わが君をば浮舟をさす。2.1.5
注釈163大将殿の御さま容貌のほのかに見たてまつりしに薫。『完訳』は「かねて交際をと願う薫に想到。乳母は宇治の山荘で宿り合せた折、薫をかいま見たか」と注す。2.1.6
注釈164あはれにはた聞こえたまふなり『集成』は「それに、心から世話したいと仰せだとのことではありまんか」。『完訳』は「それにまた、こちらに深いおぼしめしがおありとの由です」と訳す。「なり」伝聞推定の助動詞。2.1.6
注釈165あな恐ろしや以下「たてまつらむ」まで、北の方の詞。2.1.8
注釈166人の言ふを聞けば世間の人の噂。2.1.8
注釈167おぼろけならむ人をば見じと薫の結婚観。『集成』は「長年、並々の人とは結婚する気はないとおっしゃって。薫が、出生の秘密や大君への執心から、権門との結婚を避けてきたことが、外部にはこう受け取られていたのである」と注す。2.1.8
注釈168右の大殿霧をさす。「宿木」巻に六の君との結婚話が語られていた。2.1.8
注釈169按察使大納言紅梅の大納言。故柏木の弟。「竹河」巻に薫を婿にと願っていた。2.1.8
注釈170式部卿宮などの初出の人。蜻蛉の宮と呼称される。桐壺帝の皇子。薫の叔父に当たる人。2.1.8
注釈171ほのめかしたまひけれど薫の縁談を申し込んだ。2.1.8
注釈172帝の御かしづき女を今上帝の女二宮との結婚。「宿木」巻に語られている。2.1.8
注釈173いかばかりの--思さむ反語表現。2.1.8
注釈174かの母宮などの御方にあらせて時々も見むとは思しもしなむ薫の母女三宮のもとに浮舟をおいて、召人のように扱う。2.1.9
注釈175それはたげにめでたき御あたりなれども召人として仕えるのも結構な勤め先だが。2.1.9
注釈176胸痛かるべきことなり『集成』は「とても気の揉めることでしょう。女房扱いの、かりそめの相手ではたまらない、と言う」と注す。2.1.9
注釈177宮の上の中君。浮舟の異母姉。2.1.9
注釈178もの思はしげに思したるを見れば『完訳』は「中の君の、正妻ならざる嘆き。匂宮と六の君の結婚以来の苦悩」と注す。2.1.9
注釈179わが身にても知りにき北の方の体験。『完訳』は「以下、貴人八の宮の愛人として辛酸をなめた自らの体験による」と注す。2.1.9
注釈180故宮の御ありさまは故八宮の人柄。2.1.10
注釈181人数にも思さざりしかば『集成』は「(私を)人並みには思って下さらなかったから。女房として、一段下に見下していられたから」と注す。2.1.10
注釈182このいと言ふかひなく現在の夫常陸介をいう。2.1.10
注釈183こそ憎けれ係結びの法則、逆接用法。2.1.11
注釈184よろづのことわが身からなりけりと思へば万事こちらの身分によるのだ。『完訳』は「身分を思えば、薫の申し出も躊躇なく受ける気にはならない、と言う」と注す。2.1.12
校訂11 たまへる たまへる--給つ(つ/$へ)るに 2.1.1
校訂12 同じごと 同じごと--おなし事(事/#こと) 2.1.2
校訂13 言ひなる 言ひなる--いひなす(す/$る) 2.1.2
校訂14 いかばかり いかばかり--いかは(は/+か)り 2.1.8
校訂15 故宮 故宮--この(の/#)宮 2.1.10
校訂16 見たてまつれ 見たてまつれ--みたてまつれと(と/#) 2.1.12
2.2
第二段 継父常陸介、実娘の結婚の準備


2-2  Hitachi-no-suke prepares his daughter's marriage with Sakon-shosho

2.2.1  守は急ぎたちて、
 介は急いで準備して、
 かみは婿取りの仕度したくを一所懸命にして、
  Kami ha isogi-tati te,
2.2.2  「 女房などこなたにめやすきあまたあなるを、 このほどは、あらせたまへやがて、帳なども新しく仕立てられためる方を、事にはかになりにためれば、取り渡し、 とかく改むまじ
 「女房など、こちらに無難な者が大勢いるので、当座の間、回してください。そのまま、帳台なども新調されたようなのをも、事情が急に変わったようなので、引っ越したり、あれこれ模様変えもしないことにしよう」
 「女房などはこちらにいいのがたくさんあるようだから、当分あちらの娘付きにさせておくがいい。帳台のきれなども新調しただろう、にわかなことで間に合わないから、それをそのまま用いることにして、こちらの座敷を使おう」
  "Nyoubau nado, konata ni meyasuki amata a' naru wo, kono-hodo ha, ara se tamahe. Yagate, tyau nado mo atarasiku sitate rare ta' meru kata wo, koto nihaka ni nari ni ta' mere ba, tori watasi, tokaku aratamu mazi."
2.2.3  とて、 西の方に来て、立ち居、とかくしつらひ騒ぐ。めやすきさまにさはらかに、あたりあたりあるべき限りしたる所を、さかしらに屏風ども持て来て、いぶせきまで立て集めて、 厨子二階など、あやしきまでし加へて、心をやりて急げば、北の方見苦しく見れど、口入れじと言ひてしかば、ただに見聞く。 御方は、北面に居たり
 と言って、西の対に来て、立ったり座ったりして、あれこれと準備に騒いでいる。体裁のよい様子にさっぱりとさせ、あちらこちらに必要な準備をすべて整えてあるところに、利口ぶって屏風類を持って来て、狭苦しいまでに立て並べて、厨子や二階棚など、妙なまで増やして、得意になって準備するので、北の方は見苦しいと思うが、口出しすまいと言ったので、ただ見聞きしている。御方は、北面に座っていた。
 西座敷のほうへもそんなことを言いに来て、大騒ぎに騒いでいた。夫人が感じよくさっぱりと装飾しておいた姫君の座敷へ、よけいに幾つもの屏風びょうぶを持って来て立て、飾りだな、二階棚なども気持ちの悪いほど並べ、そんなのを標準にしてすべての用意のととのえられているのを、夫人は見苦しく思うのであるが、いっさい口出しをすまいと言い切ったのであったから、傍観しているばかりであった。姫君は北側の座敷へ移っていた。
  tote, nisi no kata ni ki te, tati wi, tokaku siturahi sawagu. Meyasuki sama ni saharaka ni, atari atari aru beki kagiri si taru tokoro wo, sakasira ni byaubu-domo mote ki te, ibuseki made tate atume te, dusi ni-kai nado, ayasiki made si kuhahe te, kokoro wo yari te isoge ba, Kitanokata migurusiku mire do, kuti ire zi to ihi te sika ba, tada ni mi kiku. Ohom-kata ha, kita-omote ni wi tari.
2.2.4  「 人の御心は、見知り果てぬ。ただ同じ子なれば、さりとも、いとかくは思ひ放ちたまはじとこそ思ひつれ。 さはれ、世に母なき子は、なくやはある
 「あなたのお気持ちは、すっかり分かりました。全く同じ娘なのだから、そうは言っても、まるでこんなには放っておかれまいと思っていました。まあよい、世間に母親のない子は、いないのだから」
 「あなたの心は皆わかってしまった。同じあなたの子なのだから、どんなに愛に厚薄はあっても、今度のような場合に打ちやりにしておけるものでないだろうと思っていたのはまちがいだった。もういいよ。世間には母親のある子ばかりではないのだから」
  "Hito no mi-kokoro ha, mi-siri hate nu. Tada onazi ko nare ba, saritomo, ito kaku ha omohi hanati tamaha zi to koso omohi ture. Sahare, yo ni haha naki ko ha, naku yaha aru."
2.2.5  とて、 娘を、昼より 乳母と二人、撫でつくろひ立てたれば、憎げにもあらず、 十五、六のほどにていと小さやかにふくらかなる人の、髪うつくしげにて小袿のほどなり、裾いとふさやかなり。 これをいとめでたしと思ひて、撫でつくろふ。
 と言って、娘を、昼から乳母と二人で、念入りに装い立てたので、憎らしいところもなく、十五、六歳の年齢で、たいそう小柄でふっくらとした人で、髪は美しく小袿の長さで、裾はとてもふさやかである。この娘を実に素晴らしいと思って、念入りに装っている。
 と守は言い、愛嬢を昼から乳母めのとと二人ででるようにして繕い立てていたから、そう醜いふうの娘とは見えなかった。今が十五、六で、背丈せたけが低くふとった、きれいな髪の持ち主で、小袿こうちぎたけと同じほどの髪のすそはふさやかであった。その髪をことさら賞美して撫でまわしている守であった。
  tote, musume wo, hiru yori Menoto to hutari, nade tukurohi tate tare ba, nikuge ni mo ara zu, zihu-go, roku no hodo nite, ito tihisa-yaka ni hukuraka naru hito no, kami utukusige nite ko-utiki no hodo nari, suso ito husayaka nari. Kore wo ito medetasi to omohi te, nade tukurohu.
2.2.6  「 何か、人の異ざまに 思ひ構へられける人をしも、と思へど、 人柄のあたらしく、警策にものしたまふ君なれば、我も我もと、婿に取らまほしくする人の多かなるに、取られなむも口惜しくてなむ」
 「何も、北の方があちらにと思っていた人をよりによって横取りしなくても、と思うが、少将の人柄がもったいなく、すぐれていらっしゃる公達なので、われもわれもと、婿に迎えたい人が多いらしいので、人に取られるのも残念である」
 「家内がほかの計画を立てていた人をわざわざ実子の婿にせずともいいとは思ったが、あまりに人物がりっぱなもので、われもわれもと婿に取りたがるというのを聞いて、よそへ取られてしまうのは残念だったから」
  "Nanika, hito no koto-zama ni omohi kamahe rare keru hito wo simo, to omohe do, hito-gara no atarasiku, keuzaku ni monosi tamahu Kimi nare ba, ware mo ware mo to, muko ni tora mahosiku suru hito no ohoka' naru ni, tora re na m mo kutiwosiku te nam."
2.2.7  と、 かの仲人にはかられて言ふもいとをこなり 男君も、「このほどのいかめしく思ふやうなること」と、 よろづの罪あるまじう思ひてその夜も替へず来そめぬ。
 と、あの仲人にだまされて言うのもほんとうに愚かである。男君も、「今般の待遇が豪勢で申し分ないこと」と、何の支障もないように思って、その夜も改めず通い始めた。
 と、あの仲人なこうどの口車に乗せられた守の言っているのも愚かしい限りであった。左近少将もこの派手はでしゅうとぶりに満足して、夫人のほうもやむをえず同意したことと解釈をし、以前に約束のしてあった夜から来始めた。
  to, kano nakaudo ni hakara re te ihu mo ito woko nari. Wotoko-Gimi mo, "Kono hodo no ikamesiku omohu yau naru koto." to, yorodu no tumi aru maziu omohi te, sono yo mo kahe zu ki-some nu.
注釈185女房など以下「改むまじ」まで、常陸介の詞。2.2.2
注釈186こなたに浮舟方に。2.2.2
注釈187このほどはあらせたまへ『集成』は「当座の間私の方に貸して下さい」と訳す。2.2.2
注釈188やがて帳なども浮舟の結婚のために新調した御帳台をそのまま妹の結婚に使う。2.2.2
注釈189とかく改むまじ実娘の部屋は模様替えせず、浮舟の部屋を結婚の部屋に使う意向。2.2.2
注釈190西の方に来て浮舟の部屋に常陸介が来て。2.2.3
注釈191御方は北面に居たり浮舟は西の対の南北に仕切った北側の部屋にいた。2.2.3
注釈192人の御心は以下「なくやはある」まで、常陸介の詞。「人の御心」とは北の方の気持ちをさす。2.2.4
注釈193さはれ世に母なき子はなくやはある反語表現。『完訳』は「世間には母のない子もいる。母親に顧みられずともと居直る」と注す。2.2.4
注釈194娘を常陸介の娘。2.2.5
注釈195乳母と浮舟の異父妹の乳母。乳母は子それぞれに付く。2.2.5
注釈196十五六のほどにて浮舟の異父妹の年齢。当時としては結婚に早すぎる年齢ではない。2.2.5
注釈197いと小さやかにふくらかなる人の髪うつくしげにて小柄でふっくらして髪は長く豊富、当時の美人の条件をかなえている。2.2.5
注釈198これをこの娘を。常陸介の実娘。2.2.5
注釈199何か人の異ざまに以下「口惜しくてなむ」まで、常陸介の詞。「人」は北の方、「人の異ざまに」は浮舟のために、の意。2.2.6
注釈200思ひ構へられける人をしもと左近少将をさす。「しも」副助詞、よりによって、こともあろうに--、というニュアンスを添える。2.2.6
注釈201人柄のあたらしく警策に左近少将の人柄。格別に優れた人物である、という。2.2.6
注釈202かの仲人にはかられて言ふもいとをこなり『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の評言」と注す。2.2.7
注釈203男君も左近少将。2.2.7
注釈204よろづの罪あるまじう思ひて何の支障もないように思って。2.2.7
注釈205その夜も替へず浮舟と予定していた結婚の日取り時刻を変えずに。2.2.7
校訂17 厨子 厨子--(/+つし<朱>) 2.2.3
校訂18 仲人 仲人--中ひと(ひと/#人) 2.2.7
2.3
第三段 浮舟の母、京の中君に手紙を贈る


2-3  Ukifune's mother sends a letter to Naka-no-kimi in Kyoto

2.3.1   母君、御方の乳母、いとあさましく思ふ。ひがひがしきやうなれば、 とかく見扱ふも心づきなければ、 宮の北の方の御もとに、御文たてまつる。
 母君や、御方の乳母は、たいそうあきれて思う。ひがんでいるようなので、あれこれと婿の世話をするのも気にいらないので、宮の北の方の御もとに、お手紙を差し上げる。
 守の妻と姫君の乳母はあさましくこれをながめていたのであった。ひがんだようには見られまいと夫人は世話に手を貸そうとも思っていたが、それをするのも気が進まないままに、二条の院の中の君へまず手紙を送ることにした。
  Haha-Gimi, Ohom-Kata no Menoto, ito asamasiku omohu. Higa-higasiki yau nare ba, tokaku mi atukahu mo kokoro-duki-nakere ba, Miya no Kitanokata no ohom-moto ni, ohom-humi tatematuru.
2.3.2  「 そのこととはべらでは、なれなれしくやとかしこまりて、え思ひたまふるままにも聞こえさせぬを、 つつしむべきことはべりて、しばし所変へさせむと思うたまふるに、いと忍びてさぶらひぬべき隠れの方さぶらはば、いともいともうれしくなむ。数ならぬ身一つの蔭に隠れもあへず、あはれなることのみ多くはべる世なれば、 頼もしき方にはまづなむ」
 「特別のご用事がございませんでは、ご無礼かとご遠慮申しまして、思うままにはお便り差し上げませんでしたが、慎まねばならないことがございまして、暫く場所を変えさせたいと存じていましたが、とても人目につかないでいられる所がございましたら、とてもとても嬉しく存じます。人数にも入らないわが身一つでは庇護することもできず、気の毒なことばかりが多い世の中ですので、頼りになるお方にまずお願い申し上げました」
 用事がございませんで手紙を差し上げますのもなれなれしくいたしすぎることになり、失礼かと存じまして、御機嫌ごきげんはどうかと始終気にいたしながらお尋ねも申し上げませんでした。あの方に謹慎の日がまわってまいりまして、しばらくどこかへ所を変えさせたいと思うのでございますが、そっとおそばへまいらせていただいていてはどんなものでしょう。人目につかぬお部屋へやが拝借できますれば非常にうれしいことと存じます。つまらぬ私には十分の保護もできませんで、あの方を苦しい立場に置きますことのしばしばある悲しい世でございますのに、お助け所と考えられますのはまずあなた様だけでございます。
  "Sono koto to habera de ha, nare-naresiku ya to kasikomari te, e omohi tamahuru mama ni mo kikoyesase nu wo, tutusimu beki koto haberi te, sibasi tokoro kahe sase m to omou tamahuru ni, ito sinobi te saburahi nu beki kakure no kata saburaha ba, itomo-itomo uresiku nam. Kazu nara nu mi hitotu no kage ni kakure mo ahe zu, ahare naru koto nomi ohoku haberu yo nare ba, tanomosiki kata ni ha madu nam."
2.3.3  と、うち泣きつつ書きたる文を、 あはれとは見たまひけれど、「 故宮の、さばかり許したまはで やみにし人を、我一人残りて、知り語らはむもいとつつましく、また 見苦しきさまにて世にあぶれむも、知らず顔にて 聞かむこそ心苦しかるべけれ。ことなることなくて かたみに散りぼはむも亡き人の御ために見苦しかるべきわざ」を 思しわづらふ
 と、泣きながら書いた手紙を、しみじみと御覧になったが、「亡き父宮が、あれほどお許しにならずに終わった人を、自分一人が生き残って、親しく世話するのもたいそう気がひけるし、またみっともない恰好で世の中に落ちぶれているのを知らない顔をしているのも、いたわしいことだろう。特別なこともなくて、互いに散り散りになっているようなのも、亡き父宮のためにもみっともない事だ」と思案に暮れなさる。
 泣きながら書かれたものであるこの手紙を、中の君は哀れと思ったが、父宮が、あくまで子とあそばさなかった人を、父や姉の異議の聞きようのない世になって、自分が姉妹きょうだいとしてつきあうのも気のとがめることであるが、また自分がかまわずにおいた結果、低い女房勤めなどをするようになることも心苦しいことに思われるであろう、自分の計らい方一つから姉妹がちりぢりになってしまうことも父宮のためにお気の毒なことであると思い悩まれるのであった。
  to, uti-naki tutu kaki taru humi wo, ahare to ha mi tamahi kere do, "Ko-Miya no, sabakari yurusi tamaha de yami ni si hito wo, ware hitori nokori te, siri kataraha m mo ito tutumasiku, mata migurusiki sama nite yo ni abure m mo, sira-zu-gaho nite kika m koso kokoro-gurusikaru bekere. Koto naru koto naku te katamini tiri-boha m mo, naki hito no ohom-tame ni migurusikaru beki waza." wo obosi wadurahu.
2.3.4   大輔がもとにも、いと心苦しげに言ひやりたりければ、
 大輔のもとにも、とても気がかりそうに書いてやったので、
 常陸ひたち夫人は大輔たゆうのところへも姫君についての心苦しさをやや強く書いて言って来たのであったから、
  Taihu ga moto ni mo, ito kokoro-gurusige ni ihi-yari tari kere ba,
2.3.5  「 さるやうこそははべらめ。人憎くはしたなくも、 なのたまはせそかかる劣りの者の、人の御中に交じりたまふも、世の常のことなり」
 「何か事情がございますのでしょう。人を恨んで体裁悪く、おっしゃいますな。このような母親の卑しい人が、ご姉妹の中にいらっしゃるということも、世間にはよくあることです」
 「何かわけがあることでございましょう。冷淡に断わっておしまいになってはいけません。ああした劣った人から生まれた方が姉妹きょうだいの中に混じっておいでになることは、どこにも例のあることでございます。先方が無情だと思いますような処置をおとりになってはなりません」
  "Saru yau koso ha habera me. Hito nikuku hasitanaku mo, na notamahase so. Kakaru otori no mono no, hito no ohom-naka ni maziri tamahu mo, yo no tune no koto nari."
2.3.6  など聞こえて、
 などと申し上げて、
 などと夫人に取りなして、
  nado kikoye te,
2.3.7  「 さらば、かの西の方に、隠ろへたる所し出でて、いとむつかしげなめれど、さても過ぐいたまひつべくは、しばしのほど」
 「それでは、あの西の対に、人目につかない所を用意して、とてもむさ苦しいようですが、そうしてお過ごしになってはいかがですか、暫くの間を」
 それではお居間から西のほうに目だたぬ場所をこしらえましたから、いいお座敷ではありませんがごしんぼうをなさいますならしばらくお預かりになろうとおっしゃいます。
  "Saraba, kano nisi no kata ni, kakurohe taru tokoro si-ide te, ito mutukasige na' mere do, satemo sugui tamahi tu beku ha, sibasi no hodo."
2.3.8  と言ひつかはしつ。 いとうれしと思ほして、人知れず出で立つ。 御方も、かの御あたりをば、睦びきこえまほしと思ふ心なれば、 なかなか、かかることどもの出で来たるを、うれしと思ふ。
 と言い送った。とても嬉しく思って、人に知られないようにして出発する。御方も、あの方と親しく交際申したいと思う考えなので、かえって、このようなことが出て来たのを、嬉しく思う。
 と昔の朋輩ほうばいの中将へ返事をした。その人はうれしく思ってさっそく姫君を二条の院の夫人へ預ける決心をした。姫君も姉君と親しみたくてならぬ心であったから、かえって少将の問題が機会を作ったのを喜んだ。
  to ihi tukahasi tu. Ito uresi to omohosi te, hito-sire-zu ide tatu. Ohomkata mo, kano ohom-atari wo ba, mutubi kikoye mahosi to omohu kokoro nare ba, naka-naka, kakaru koto-domo no ide-ki taru wo, uresi to omohu.
注釈206母君御方の乳母浮舟の母と浮舟の乳母。2.3.1
注釈207とかく見扱ふもあれこれと婿君の世話をすること。2.3.1
注釈208宮の北の方の御もとに中君をさす。『完訳』は「「北の方」の呼称、やや異例」と注す。「宿木」に薫の詞中に「兵部卿宮の北の方」とあったが、ここは地の文。2.3.1
注釈209そのこととはべらでは以下「頼もしき方にはまづなむ」まで、北の方の手紙文。2.3.2
注釈210つつしむべきことはべりて物忌みと偽って、浮舟をそちらに方違えさたい、と願う。2.3.2
注釈211頼もしき方には中君をさす。2.3.2
注釈212あはれとは見たまひけれど主語は中君。2.3.3
注釈213故宮のさばかり故父八宮が。以下「見苦しかるべけきわざ」まで、中君の心中。末尾は地の文に流れる。2.3.3
注釈214やみにし人を浮舟をさす。2.3.3
注釈215見苦しきさまにて世にあぶれむも主語は浮舟。2.3.3
注釈216かたみに散りぼはむも『集成』は「中の君自身も後見のない心細い身の上である」と注す。2.3.3
注釈217亡き人の御ために見苦しかるべき故父八宮にとって不面目なこと。2.3.3
注釈218思しわづらふ主語は中君。2.3.3
注釈219大輔中君付きの女房。『完訳』は「浮舟の母とは往年の同僚女房」と注す。2.3.4
注釈220さるやうこそは以下「世の常のことなり」まで、大輔の詞。2.3.5
注釈221なのたまはせそ主語は故八宮。2.3.5
注釈222かかる劣りの者の人の御中に『集成』は「このような母の卑しい者が、ごきょうだいのなかに」。『完訳』は「こうした母親の身分の低いご姉妹がおられるというのも」と訳す。「劣り」は母親をさす。2.3.5
注釈223さらばかの以下「しばしのほど」まで、大輔の詞。浮舟の母への返事の趣旨。2.3.7
注釈224いとうれしと思ほして主語は浮舟の母。2.3.8
注釈225御方もかの御あたりをば浮舟も中君を。2.3.8
注釈226なかなか、かかることどもの出で来たるをかえって少将との縁談が破談になって妹が結婚することになったことがうれしい。2.3.8
校訂19 聞かむこそ心苦しかるべけれ。ことなることなくて 聞かむこそ心苦しかるべけれ。ことなることなくて--(/+きかんこそ心くるしかるへけれことなる事なくて) 2.3.3
2.4
第四段 母、浮舟を匂宮邸に連れ出す


2-4  Ukifune's mother takes her out Hitachi-no-suke's home

2.4.1  守、少将の扱ひを、いかばかりめでたきことをせむと思ふに、そのきらきらしかるべきことも知らぬ心には、ただ、あららかなる東絹どもを、 押しまろがして投げ出でつ。食ひ物も、所狭きまでなむ運び出でてののしりける。
 常陸介は、少将の新婚のもてなしを、どんなにか立派なふうにしようと思うが、その豪華にする方法も知らないので、ただ、粗末な東絹類を、おし丸めて投げ出した。食べ物も、あたり狭しと運び出して大騒ぎした。
 常陸守は婿の少将の三日の夜の儀式をどんなふうに派手はでに行なおうかと思案をしたのであるが、高尚こうしょうなことは何もわからぬ男であったから、ただ荒い東国産の絹を無数に投げ出し、酒肴しゅこうも座が狭くなるほどにも運び出すような歓待もてなしぶりをしたのを、
  Kami, Seusyau no atukahi wo, ika-bakari medetaki koto wo se m to omohu ni, sono kira-kirasikaru beki koto mo sira nu kokoro ni ha, tada, araraka naru Aduma-ginu-domo wo, osi marogasi te nage ide tu. Kuhi-mono mo, tokoro-seki made nam hakobi ide te nonosiri keru.
2.4.2  下衆などは、それをいとかしこき情けに思ひければ、 君も、「いとあらまほしく、心かしこく取り寄りにけり」と思ひけり。 北の方、「このほどを見捨てて知らざらむもひがみたらむ」と思ひ念じて、 ただするままにまかせて見ゐたり。
 下衆などは、それをたいそうありがたいお心づかいだと思ったので、君も、「とても理想的な、賢明な縁組をしたものだ」と思うのだった。北の方は、「この間の事を見捨てて知らないふうをするのもひねくれているようだろう」と思い堪えて、ただするままに任せて見ていた。
 卑しい従者らは大恩恵にったように思って喜んだから、主人の少将もけっこうなことに思い、りこうなしゅうとの持ち方をしたと喜んだ。常陸夫人はこの儀式のある間は外へ出て行くのも意地の悪いことに思われるであろうと我慢をして、ただ父親がするままを見ていた。
  Gesu nado ha, sore wo ito kasikoki nasake ni omohi kere ba, Kimi mo, "Ito aramahosiku, kokoro-kasikoku tori yori ni keri." to omohi keri. Kitanokata, "Kono hodo wo mi-sute te sira zara m mo higami tara m." to omohi nen-zi te, tada suru mama ni makase te mi wi tari.
2.4.3   客人の御出居、侍ひとしつらひ騒げば、家は広けれど、 源少納言、東の対には住む男子などの多かるに、所もなし。 この御方に客人住みつきぬれば、 廊などほとりばみたらむに住ませたてまつらむも、飽かずいとほしくおぼえて 、とかく思ひめぐらすほど、 宮にとは思ふなりけり
 お客人のお座敷や、お供の部屋と準備に騒ぐので、家は広いけれど、源少納言が、東の対に住み、男の子などが多いので、場所もない。こちらのお部屋にお客人が住みつくようになると、渡廊などの端の方にお住まわせ申すのも、どんなにかお気の毒に思われて、あれこれと思案するうちに、宮の邸にと思うのであった。
 婿君の昼の座敷、侍の詰め所というようなへやを幾つも用意するために、家は広いのであるが、長女の婿の源少納言が東のたいを使っていたし、そのほかに男の子も多いのであるから空室あきまもなくなった。今まで姫君のいた座敷へ四日めからは婿が住み着くことになっていては、廊座敷などという軽々しい所へ姫君を置くのはどうしても哀れでしんぼうのならぬことと夫人に思われて、考えあぐんだ末に中の君へ預けようとしたのである。
  Marauto no ohom-dewi, saburahi to siturahi sawage ba, ihe ha hirokere do, Gen-Seunagon, himgasi-no-tai ni ha sumu, wonoko-go nado no ohokaru ni, tokoro mo nasi. Kono ohom-kata ni marauto sumi-tuki nure ba, rau nado hotori-bami tara m ni suma se tatematura m mo, akazu itohosiku oboye te, tokaku omohi megurasu hodo, Miya ni to ha omohu nari keri.
2.4.4  「 この御方ざまに、数まへたまふ人のなきを、あなづるなめり」と思へば、 ことに許いたまはざりしあたりを、あながちに参らず。乳母、若き人びと、二、三人ばかりして、 西の廂の北に寄りて、人げ遠き方に局したり。
 「この御方には、人並みに扱ってくださる人がいないので、馬鹿にしているのだろう」と思うと、特に認めていただけなかった所だが、無理に参上させる。乳母や、若い女房二、三人ほどして、西の廂の北側寄りで、人気の遠い所に部屋を用意した。
 だれもが八の宮の三女として姫君を見ないところから、私生児として軽蔑けいべつするのであろうと思い、お認めにならなかった宮の御娘の女王にょおうの所を選んでしいて姫君の隠れ場所にしたのであった。姫君には乳母めのとと若い女房二、三人がついて来た。西向きの座敷の北にあたった所を部屋に与えられた。
  "Kono ohom-Kata-zama ni, kazumahe tamahu hito no naki wo, anaduru na' meri." to omohe ba, koto ni yurui tamaha zari si atari wo, anagati ni mawira zu. Menoto, wakaki hito-bito, hu-tari, mi-tari bakari si te, nisi no hisasi no kita ni yori te, hitoge tohoki kata ni tubone si tari.
2.4.5  年ごろ、かくはかなかりつれど、 疎く思すまじき人なれば、参る時は 恥ぢたまはず、いとあらまほしく、 けはひことにて若君の御扱ひをしておはする御ありさま、 うらやましくおぼゆるもあはれなり。
 長年、このように頼りなく過ごして来たが、よそよそしくお思いになれない方なので、参上した時には姿を隠したりなさらず、とても理想的に、感じがまるで違って、若君のお世話をしていらっしゃるご様子を、羨ましく思われるのも感慨無量である。
 長い間遠く離れていた間柄ではあるが、母方の血縁のある常陸夫人であったから、来た時には中の君も他人扱いにはせず、顔を見せずに隠れて話すようなこともせず、親王夫人らしい気品を持って、若君の世話などをする様子も近く見せられるのを、わが娘に比べて常陸夫人がうらやましく思うのも哀れである。
  Tosi-goro, kaku hakanakari ture do, utoku obosu maziki hito nare ba, mawiru toki ha hadi tamaha zu, ito ara-mahosiku, kehahi koto nite, Waka-Gimi no ohom-atukahi wo si te ohasuru ohom-arisama, urayamasiku oboyuru mo ahare nari.
2.4.6  「 我も、故北の方には、離れたてまつるべき人かは。 仕うまつるといひしばかりに数まへられたてまつらず、口惜しくて、かく人にはあなづらるる」
 「自分も、亡くなった北の方とは、縁のない人ではない。女房としてお仕えしたために、人並みに扱ってもらえず、残念なことに、このように人から馬鹿にされるのだ」
 自分も八の宮夫人と家柄の懸隔のあるわけではない、叔母おばめいだったのではないか、女房になって仕えていたという点で、自分の生んだ姫君は宮の女王の一人に数えられず私生児として今度のように、露骨に人から軽侮の態度をとられることにもなった
  "Ware mo, ko-Kitanokta ni ha, hanare tatematuru beki hito kaha. Tukau-maturu to ihi si bakari ni, kazumahe rare tatematura zu, kutiwosiku te, kaku hito ni ha anadura ruru."
2.4.7  と思ふには、 かくしひて睦びきこゆるもあぢきなしここには、御物忌と言ひてければ、人も通はず。二、三日ばかり母君もゐたり。 こたみは、心のどかにこの御ありさまを見る
 と思うと、このように無理してお親しみ申すのもつまらない。こちらには、御物忌と言ったので、誰も来ない。二、三日ほど母君もいた。今度は、のんびりとこちらのご様子を見る。
 と思う心から、こんなふうにしいて親しみ寄ろうとするのも悲しい心である。その一室には物忌ものいみという札がられ、だれも出入りをしなかった。常陸夫人も二、三日姫君に添ってそこにいた。以前の訪問の時と違い、今度はこんなふうでゆるりと二条の院の生活を昔の中将は観察することができた。
  to omohu ni ha, kaku sihite mutubi kikoyuru mo adikinasi. Koko ni ha, ohom-monoimi to ihi te kere ba, hito mo kayoha zu. Hutu-ka, mi-ka bakari Haha-Gimi mo wi tari. Kotami ha, kokoro-nodoka ni kono mi-arisama wo miru.
注釈227押しまろがして投げ出でつ少将の下人たちへの引出物として、無造作に簾の下から投げ出した。巻絹にして与える。腰差という。2.4.1
注釈228君も左近少将。2.4.2
注釈229北の方このほどを見捨てて知らざらむも浮舟の母。『完訳』は「当座の婚儀を知らぬ顔に外出するのも片意地にすねているようだと我慢し、傍観する」と注す。2.4.2
注釈230ただするままにまかせて夫の常陸介のなすままに任せて。2.4.2
注釈231客人の御出居侍ひと客人の少将の接待の部屋や供人の控え所などと。2.4.3
注釈232源少納言東の対には住む先妻の娘婿が東の対に住む。係助詞「は」は他との区別のニュアンス。2.4.3
注釈233男子などの多かるに常陸介の男の子たち。2.4.3
注釈234この御方にこれまで浮舟がいた西の対。2.4.3
注釈235廊などほとりばみたらむに住ませたてまつらむも飽かずいとほしくおぼえて母北の方は浮舟を渡廊のような端に住ませるのは気の毒に思って。2.4.3
注釈236宮にとは思ふなりけり『一葉抄』は「注にかけり」と指摘。2.4.3
注釈237この御方ざまに以下「あなづるなめり」まで、母北の方の心中の思い。浮舟にはれっきとした後見人がいない。2.4.4
注釈238ことに許いたまはざりしあたりを故父八の宮は生前に浮舟を認知しなかった。その遺族の中君のもとに行くこと。2.4.4
注釈239西の廂の北に寄りて中君の居所である西の対の西廂の北側。2.4.4
注釈240疎く思すまじき人なれば浮舟の母は中君の母の姪に当たる縁者。2.4.5
注釈241恥ぢたまはず主語は中君。『集成』は「几帳に身を隠したりはなさらないで」と注す。2.4.5
注釈242けはひことにて『集成』は「とても上品な感じで」。常陸介邸の様子とはまるで違った感じ。2.4.5
注釈243若君の御扱ひをこの二月に誕生した男の子のお世話。2.4.5
注釈244うらやましくおぼゆるも主語は浮舟の母。2.4.5
注釈245我も故北の方には以下「あなづらるる」まで、浮舟の母の心中の思い。「故北の方」は中君の母北の方。2.4.6
注釈246仕うまつるといひしばかりに女房として仕えたばかりに。2.4.6
注釈247数まへられたてまつらず八の宮から妻の一人として扱ってもらえず。「られ」受身の助動詞。「たてまつる」謙譲の補助動詞は、為手である八の宮に対する敬意。2.4.6
注釈248かくしひて睦びきこゆるもあぢきなし『完訳』は「強引にも哀訴しなければならぬわが身の卑屈さを思う」と注す。2.4.7
注釈249ここには、御物忌と言ひてければ浮舟のいる部屋。2.4.7
注釈250こたみは心のどかにこの御ありさまを見る主語は母北の方。2.4.7
校訂20 飽かず 飽かず--(/+あかす<朱>) 2.4.3
2.5
第五段 浮舟の母、匂宮と中君夫妻を垣間見る


2-5  Ukifune's mother peeps Niou-no-miya and his wife Naka-no-kimi

2.5.1   宮渡りたまふ。ゆかしくてもののはさまより見れば、いときよらに、桜を折りたるさましたまひて、 わが頼もし人に思ひて、恨めしけれど、心には違はじと思ふ常陸守より、さま容貌も人のほども、こよなく見ゆる五位四位ども、 あひひざまづきさぶらひて、このことかのことと、あたりあたりのことども、家司どもなど申す。
 宮がお越しになる。見たくて物の間から見ると、たいそう美しく、桜を手折ったような姿をして、自分が頼りにする人と思い、恨めしいけれど、気持ちには背くまいと思っている常陸介よりも、容姿や器量も人品も、この上なく見える五位や四位の人が、一斉にひざまずいて控えて、あれやこれやと、あれこれの事務を、家司連中が申し上げる。
 兵部卿ひょうぶきょうの宮が二条の院へおいでになった。好奇心から常陸夫人は物の間からのぞいて見るのであったが、宮は非常にお美しくて、折った桜の枝のような風采ふうさいをしておいでになった。自身が信頼して、強情ごうじょうで恨めしいところはあっても、機嫌きげんをそこねまいとしている常陸守よりも姿も身分もずっとすぐれたような四位や五位の役人が皆おそばに来てひざまずいて、いろいろなことを申し上げたり、御意を伺ったりしていた。
  Miya watari tamahu. Yukasiku te mono no hasama yori mire ba, ito kiyora ni, sakura wo wori taru sama si tamahi te, waga tanomosi-bito ni omohi te, uramesikere do, kokoro ni ha tagaha zi to omohu Hitati-no-Kami yori, sama katati mo hito no hodo mo, koyonaku miyuru go-wi si-wi-domo, ahi-hizamaduki saburahi te, kono koto kano koto to, atari atari no koto-domo, keisi-domo nado mausu.
2.5.2  また若やかなる五位ども、顔も知らぬどもも多かり。 わが継子の式部丞にて蔵人なる、内裏の御使にて参れり。 御あたりにもえ近く参らず。こよなき人の御けはひを、
 また若々しい五位の人で、顔も知らない人たちも多かった。自分の継子の式部丞で蔵人なのが、帝のお使いとして参上したが、お側近くにも参ることができない。この上なく高貴なご様子を、
 また年若な五位などで、この夫人にはだれとも顔のわからぬお供も多かった。自身の継子の式部丞しきぶのじょう蔵人くろうどを兼ねている男が御所の御使みつかいになって来た。こんな役を勤めながらも、おそば近くへはよう来ない。あまりにも普通人と懸隔のある高貴さに驚いて、
  Mata wakayaka naru go-wi-domo, kaho mo sira nu domo mo ohokari. Waga mama-ko no Sikibu-no-Zou nite Kuraudo naru, Uti no ohom-tukahi nite mawire ri. Ohom-atari ni mo e tikaku mawira zu. Koyonaki hito no ohom-kehahi wo,
2.5.3  「 あはれ、こは何人ぞ。かかる御あたりにおはする めでたさよ。よそに思ふ時は、めでたき人びとと聞こゆとも、つらき目見せたまはばと、もの憂く推し量りきこえさせつらむあさましさよ。 この御ありさま容貌を見れば、七夕ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな」
 「まあ、この方はいったいどのようなお方か。このようなお方の所にいらっしゃる幸運なことよ。遠くで考えている時は、素晴らしい方々と申し上げても、つらい思いをさせなさったらと、嫌なお方とお思い申し上げていたのはあさはかな考えであったことよ。この方のご様子や器量を見ると、七夕のように年に一度の逢瀬でも、このようにお目にかかれてお通いいただけるのは、とてもありがたいことだわ」
 これは人間世界のほかからくだっておいでになった方ではないかという気が常陸の妻にはされた。こんな方に連れ添っておいでになる中の君は幸福であると思った。ただ話で聞いていては、どんなりっぱな方でも女に物思いをおさせになってはよろしくないと、憎いような想像をしていた自分は誤りであった、このお美しい風采ふうさいを見れば、七夕たなばたのように年に一度だけ来る良人おっとであっても女は幸福に思わなくてはならない
  "Ahare, ko ha nani-bito zo. Kakaru ohom-atari ni ohasuru medetasa yo. Yoso ni omohu toki ha, medetaki hito-bito to kikoyu tomo, turaki me mise tamaha ba to, mono-uku osihakari kikoye sase tu ram asamasisa yo! Kono ohom-arisama katati wo mire ba, tanabata bakari nite mo, kayau ni mi tatematuri kayoha m ha, ito imizikaru beki waza kana!"
2.5.4  と思ふに、若君抱きてうつくしみおはす。 女君短き几帳を隔てておはするを押しやりて、ものなど聞こえたまふ 御容貌ども、いときよらに似合ひたり故宮の寂しくおはせし御ありさまを 思ひ比ぶるに、「 宮たちと聞こゆれど、いとこよなきわざにこそありけれ」とおぼゆ。
 と思うと、若君を抱いてかわいがっていらっしゃる。女君は、短い几帳を隔てておいでになるが、押しやって、お話し申し上げなさる。そのお二方のご器量は、実に美しく似合っている。亡き父宮が寂しくいらっしゃった時のご様子を思い比べると、「宮様と申し上げても、とてもこの上なくいらっしゃるのだ」と思われる。
 などと思っている時、宮は若君を抱いてあやしておいでになった。夫人は短い几帳きちょうを間に置いてすわっていたが、その隔ての几帳を横へ押しやって話などを宮はしておいでになるのである。またもない似合わしい美貌びぼうの御夫婦であると見えるのであった。八の宮の豊かでおありにならなかった御生活ぶりに比べて思うと、同じ親王と申し上げても恵まれぬ方、恵まれた方の隔たりはこれほどもあるものかという気のする常陸夫人だった。
  to omohu ni, Waka-Gimi idaki te utukusimi ohasu. Womna-Gimi, mizikaki kityau wo hedate te ohasuru wo, osi-yari te, mono nado kikoye tamahu ohom-katati-domo, ito kiyora ni niahi tari. Ko-Miya no sabisiku ohase si ohom-arisama wo omohi kuraburu ni, "Miya-tati to kikoyure do, ito koyonaki waza ni koso ari kere." to oboyu.
2.5.5   几帳の内に入りたまひぬれば、若君は、若き人、乳母などもてあそびきこゆ。 人びと参り集まれど悩ましとて、大殿籠もり暮らしつ。御台こなたに参る。よろづのこと気高く、心ことに見ゆれば、 わがいみじきことを尽くすと見思へど、「なほなほしき人のあたりは、口惜しかりけり」と思ひなりぬれば、「 わが娘も、かやうにてさし並べたらむには、かたはならじかし。勢ひを頼みて、 父ぬしの、后にもなしてむと思ひたる人びと、同じわが子ながら、けはひこよなきを思ふも、なほ今よりのちも、 心は高くつかふべかりけり」と、夜一夜あらまし語り思ひ続けらる。
 几帳の中にお入りになったので、若君は、若い女房や、乳母などがお相手申し上げる。官人たちが参集したが、気分が悪いと言って、お休みになって一日中を過ごされた。食膳をこちらで差し上げる。万事が気高くて、格別に見えるので、自分がどんなに善美を尽くしたと思っても、「普通の身分のすることは、たかが知れている」と悟ったので、「自分の娘も、このような立派な方の側に並べて見ても、不体裁ではあるまい。財力を頼んで、父親が、后にもしようと思っている娘たちは、同じわが子ながらも、感じがまるで違うのを思うと、やはり今後は理想は高く持つべきであるわ」と、一晩中将来の事を思い続けられる。
 几帳の中へおはいりになったあとでは乳母めのとなどと若君のお相手をしていた。伺候した者の集まって来ていることが時々申し上げられても、疲れていて気分がよろしくないと仰せになって、夫人のへやから宮はお出にならなかった。お食膳しょくぜんがこちらの室へ運ばれて来た。すべてのことが気高けだかく高雅であった。自身が姫君の生活に善美を尽くしていると信じていたことも、比較して見ていた目は地方官階級の趣味にほかならなかったと常陸夫人は思うようになった。自分の姫君もこうした親王とお並べしても不似合いでない容姿を備えていると思われる。財力を頼みにして父親がおきさきにもさせようと願っている娘たちは、同じわが子であっても全然そうした美の備わっていないことを思うと、これからは姫君の良人を謙遜けんそんして選ぶ必要はない、自重心を持たなければならぬと一晩じゅういろいろな空想を常陸夫人はし続けた。
  Kityau no uti ni iri tamahi nure ba, Waka-Gimi ha, wakaki hito, Menoto nado mote-asobi kikoyu. Hito-bito mawiri atumare do, nayamasi tote, ohoto-gomori kurasi tu. Mi-dai konata ni mawiru. Yorodu no koto kedakaku, kokoro koto ni miyure ba, waga imiziki koto wo tukusu to mi omohe do, "Naho-nahosiki hito no atari ha, kutiwosikari keri." to omohi nari nure ba, "Waga musume mo, kayau nite sasi-narabe tara m ni ha, kataha nara zi kasi. Ikihohi wo tanomi te, Titi-nusi no, Kisaki ni mo nasi te m to omohi taru hito-bito, onazi waga ko nagara, kehahi koyonaki wo omohu mo, naho ima yori noti mo, kokoro ha takaku tukahu bekari keri." to, yo hito-yo aramasi gatari omohi tuduke raru.
注釈251宮渡りたまふ以下、母北の方が見た匂宮邸の様子。「宮」は匂宮。2.5.1
注釈252わが頼もし人に思ひて常陸介をさす。2.5.1
注釈253あひひざまづきさぶらひて『集成』は「〔お前に〕いっせいに膝まずいたまま控えて」と訳す。2.5.1
注釈254わが継子の式部丞にて蔵人なる常陸介の先妻の子。式部丞兼蔵人。六位相当官。2.5.2
注釈255御あたり匂宮の近く。2.5.2
注釈256あはれこは何人ぞ以下「いみじかるべきわざかな」まで、母北の方の心中の思い。匂宮の素晴らしさに感嘆。2.5.3
注釈257めでたさよ中君の幸運を思う。2.5.3
注釈258この御ありさま容貌を匂宮の容姿や容貌をさす。2.5.3
注釈259女君中君。2.5.4
注釈260短き几帳を隔てておはするを三尺の几帳。夫匂宮との間に置く。2.5.4
注釈261押しやりてものなど聞こえたまふ主語は匂宮。2.5.4
注釈262御容貌どもいときよらに似合ひたり匂宮と中君。似合いの夫婦。『完訳』は「中の君の居所は西の対。中将の君は西廂の北側からかいま見る」と注す。2.5.4
注釈263故宮の寂しくおはせし御ありさまを故父八の宮の生前の様子。2.5.4
注釈264思ひ比ぶるに主語は母北の方。2.5.4
注釈265宮たちと聞こゆれど以下「こそありけれ」まで、母北の方の感想。2.5.4
注釈266几帳の内に入りたまひぬれば主語は匂宮。諸本は「丁(帳)」とある。とすると、御帳台の中に、の意となる。2.5.5
注釈267人びと参り集まれど『完訳』は「宮の威勢に追従する官人たち」と注す。2.5.5
注釈268悩ましとて大殿籠もり暮らしつ主語は匂宮。2.5.5
注釈269わがいみじきことを尽くすと以下「口惜しかりけり」まで、母北の方の思い。わが家で浮舟のためにどんなに善美を尽くそうとしても。2.5.5
注釈270わが娘も以下「つかふべかりけり」まで、母北の方の思い。浮舟もこのような尊貴な方の側においても遜色あるまい、の意。2.5.5
注釈271父ぬしの、后にもなしてむと常陸介。娘の父親というニュアンス。『完訳』は「財力を頼んで、父の介が、后にでもさせようとしている娘たちは、同じ自分(中将の君)の子ながら浮舟とは人品が違う。八の宮の血を引く浮舟の高貴さを思う」と注す。2.5.5
注釈272心は高くつかふべかりけり『集成』は「理想は高く持つべきものだったと。身分の高い婿君と結婚させるべきだ、と考えを改める」と注す。2.5.5
校訂21 故宮 故宮--この(の/#)宮 2.5.4
2.6
第六段 浮舟の母、左近少将を垣間見て失望


2-6  Ukifune's mother peeps Sakon-shosho and is disappointed with him

2.6.1  宮、日たけて起きたまひて、
 宮は、日が高くなってからお起きになって、
 朝おそくなってから宮はお起きになり、
  Miya, hi take te oki tamahi te,
2.6.2  「 后の宮、例の、悩ましくしたまへば、参るべし」
 「后の宮が、相変わらず、お具合が悪くいらっしゃるので、参内しよう」
 病身になっておいでになる中宮ちゅうぐうがまた少しお悪いとお聞きになって御所へまいろう
  "Kisai-no-Miya, rei no, nayamasiku si tamahe ba, mawiru besi."
2.6.3  とて、御装束などしたまひておはす。 ゆかしうおぼえて覗けば、うるはしくひきつくろひたまへる、はた、似るものなく気高く愛敬づききよらにて、若君をえ見捨てたまはで遊びおはす。御粥、強飯など参りてぞ、 こなたより出でたまふ
 と言って、ご装束などをお召しになっていらっしゃる。興味をもって覗くと、きちんと身づくろいなさったのが、また、似る者がいないほど気高く魅力的で美しくて、若君をお放しになることができず遊んでいらっしゃる。お粥や、強飯などを召し上がって、こちらからお出かけになる。
 とされ、衣服を改めなどしておいでになった。心がかれてまた常陸夫人がのぞくと、正しく装束をされたお姿はまた似るものもないほど気高くお美しい宮は、若君へお心が残るようにいろいろとあやしておいでになる。かゆ強飯こわいいなどを召し上がり、この西の対からお車に召されるのであった。
  tote, ohom-syauzoku nado si tamahi te ohasu. Yukasiu oboye te nozoke ba, uruhasiku hikitukurohi tamahe ru, hata, niru mono naku kedakaku aigyau-duki kiyora nite, Waka-Gimi wo e mi-sute tamaha de asobi ohasu. Ohom-kayu, koha-ihi nado mawiri te zo, konata yori ide tamahu.
2.6.4   今朝より参りて、さぶらひの方にやすらひける人びと、今ぞ参りてものなど聞こゆる中に、 きよげだちて、なでふことなき人のすさまじき顔したる、直衣着て太刀佩きたるあり。 御前にて何とも見えぬを、
 今朝方から参上して、侍所の方に控えていた供人たちは、今しも御前に参上して何か申し上げている中で、めかしこんで、何ということもない人でつまらない顔をして、直衣を着て太刀を佩いている人がいる。御前では何とも見えないが、
 今朝けさからまいっていて控え所のほうにいた人々はこの時になってお縁側へ出て来て何かと御挨拶あいさつを申し上げたりしている中に、気どったふうを見せながら平凡でおもしろみのない顔をし、直衣のうし太刀たちいているのがあった。宮のおいでになる前では目にもとまらぬ男であったが、
  Kesa yori mawiri te, saburahi no kata ni yasurahi keru hito-bito, ima zo mawiri te mono nado kikoyuru naka ni, kiyoge-dati te, nadehu koto naki hito no susamaziki kaho si taru, nahosi ki te tati haki taru ari. O-mahe nite nanitomo miye nu wo,
2.6.5  「 かれぞ、この常陸守の婿の少将な。初めは御方にと定めけるを、守の娘を得てこそいたはられめ、など言ひて、かしけたる女の童を持たるななり」
 「あの人が、この常陸介の婿の少将ですよ。初めはこの御方にと決めていたが、介の実の娘を得てこそ大切にされたい、などと言って、痩せっぽっちの女の子を得たと言います」
 「あれがあの常陸守の婿の少将じゃありませんか。初めはあの姫君の婿にと定められていたのに、かみの娘をもらってかばってもらおうという腹で、女にもでき上がっていない子供を細君にしたのですよ。
  "Kare zo, kono Hitati-no-Kami no muko no Seusyau na! Hazime ha Ohom-kata ni to sadame keru wo, Kami no musume wo e te koso itahara re me, nado ihi te, kasike taru me-no-waraha wo mo' taru na' nari."
2.6.6  「いさ、 この御あたりの人はかけても言はず。 かの君の方より、よく聞くたよりのあるぞ」
 「いえ、こちらの女房たちはそんな噂は全然しません。あの君の方からは、よく聞く話ですよ」
 そんなことをこちらなどでうわさする者はありませんがね、守のやしきに知った人があって私はその事情を知っているのですよ」
  "Isa, kono ohom-atari no hito ha kakete mo iha zu. Kano Kimi no kata yori, yoku kiku tayori no aru zo."
2.6.7  など、おのがどち言ふ。 聞くらむとも知らで、人のかく言ふにつけても、胸つぶれて、少将をめやすきほどと思ひける心も口惜しく、「 げに、ことなることなかるべかりけり」と思ひて、いとどしく あなづらはしく思ひなりぬ
 などと、めいめい言っている。聞いているとも知らないで、女房がこのように言っているのにつけても、胸がどきりとして、少将を無難だと思っていた考えも残念で、「なるほど、格別なことはなかったのだ」と思って、ますます馬鹿らしく思った。
 とほかの一人にささやいている女房があった。常陸の妻が聞いているとは知らずにこんなことの言われているのにもその人ははっとして、少将を相当な風采ふうさいをした男と認めた以前の自身すらも、残念に腹だたしく、あの男と結婚をさせれば姫君の一生は平凡なものになってしまうのであったと思い、あれ以来軽蔑はしているのであったが、いっそうその感を深くする常陸の妻であった。
  nado, onoga-doti ihu. Kiku ram to mo sira de, hito no kaku ihu ni tuke te mo, mune tubure te, Seusyau wo meyasuki hodo to omohi keru kokoro mo kutiwosiku, "Geni, koto naru koto nakaru bekari keri." to omohi te, itodosiku anadurahasiku omohi nari nu.
2.6.8  若君のはひ出でて、御簾のつまよりのぞきたまへるを、 うち見たまひて、立ち返り寄りおはしたり。
 若君が這いだして来て、御簾の端から顔を出していらっしゃるのを、ちょっと御覧になって、後戻りなさった。
 若君がい出して御簾みすの端からのぞいているのに宮はお気づきになって、またもどっておいでになった。
  Waka-Gimi no hahi-ide te, mi-su no tuma yori nozoki tamahe ru wo, uti-mi tamahi te, tati-kaheri yori ohasi tari.
2.6.9  「 御心地よろしく見えたまはば、やがてまかでなむ。なほ苦しくしたまはば、今宵は 宿直にぞ。今は、 一夜を隔つるもおぼつかなきこそ苦しけれ」
 「ご気分がよくお見えでしたら、そのまま帰って来ましょう。やはりお悪いようでいらしたら、今夜は宿直します。今は、一晩でも会わないのは気がかりでつらいことだ」
 「中宮様の御気分がよろしいようだったら早く退出して来よう。まだお苦しいふうな御容体だったら今夜は宿直とのいしよう。この人がいては一晩でもほかにいる間は気がかりで苦しくてならない」
  "Mi-kokoti yorosiku miye tamaha ba, yagate makade na m. Naho kurusiku si tamaha ba, koyohi ha tonowi ni zo. Ima ha, hito-yo wo hedaturu mo obotukanaki koso kurusikere."
2.6.10  とて、しばし慰め遊ばして、出でたまひぬるさまの、 返す返す見るとも見るとも、飽くまじく、匂ひやかにをかしければ、出でたまひぬる名残、 さうざうしくぞ眺めらるる
 と言って、暫くご機嫌をおとりになって、お出かけになった様子が、繰り返し見ても、どこまでも満ち足りていて、華やかにお美しいので、お出かけになった後の気持ちが、物足りなく物思いに沈んでしまう。
 こう女房へお言いになりながらしばらく若君をお慰めになってから出てお行きになる宮の御様子は見ても見ても飽くことのないほどお美しかったのが、行っておしまいになったあとに物足りなさと寂しさを常陸夫人は感じた。
  tote, sibasi nagusame asobasi te, ide tamahi nuru sama no, kahesu-gahesu miru to mo miru to mo, aku maziku, nihohiyaka ni wokasikere ba, ide tamahi nuru nagori, sau-zausiku zo nagame raruru.
注釈273后の宮以下「参るべし」まで、匂宮の詞。母明石中宮がご不例。2.6.2
注釈274ゆかしうおぼえて主語は母北の方。2.6.3
注釈275こなたより出でたまふ匂宮は寝殿に戻らず、中君のいる西の対から出かける。2.6.3
注釈276今朝より参りて匂宮の従者たち。朝から参上して控えている。2.6.4
注釈277きよげだちてなでふことなき人の左近少将。2.6.4
注釈278御前にて匂宮の御前。2.6.4
注釈279かれぞこの以下「たよりのあるぞ」まで、女房たちの詞。2.6.5
注釈280この御あたりの人は中君の二条宮邸の女房たちをさす。2.6.6
注釈281かの君の方より少将方からの情報。2.6.6
注釈282聞くらむとも知らで主語は母北の方。2.6.7
注釈283げにことなることなかるべかりけり母北の方の心中の思い。2.6.7
注釈284あなづらはしく思ひなりぬ主語は母北の方。左近少将を。2.6.7
注釈285うち見たまひて主語は匂宮。2.6.8
注釈286御心地よろしく見えたまはば以下「苦しけれ」まで、匂宮の詞。2.6.9
注釈287宿直にぞ下に「はべらむ」などの語句が省略。2.6.9
注釈288一夜を隔つるもおぼつかなきこそ『集成』は「恋の思いをいう歌語的表現」。『完訳』は「若君への執着を、恋の執心の常套表現で表す」と注す。2.6.9
注釈289返す返す見るとも見るとも主語は母北の方。2.6.10
注釈290さうざうしくぞ眺めらるる主語は母北の方。以上、母北の方の目と心を通しての叙述。2.6.10
Last updated 4/24/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 4/24/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 4/24/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月7日

Last updated 11/5/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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