49 宿木(大島本)


YADORIGI


薫君の中、大納言時代
二十四歳夏から二十六歳夏四月頃までの物語



Tale of Kaoru's Chunagon and Dainagon era, from summer at the age of 24 to April at the age of 26

9
第九章 薫の物語 宇治で浮舟に出逢う


9  Tale of Kaoru  Kaoru comes across to Ukifune at Uji

9.1
第一段 四月二十日過ぎ、薫、宇治で浮舟に邂逅


9-1  Kaoru comes across to Ukifune on Uji at 20 past on April

9.1.1   賀茂の祭など、騒がしきほど過ぐして、二十日あまりのほどに、例の、宇治へおはしたり。
 賀茂の祭などの、忙しいころを過ごして、二十日過ぎに、いつものように、宇治へお出かけになった。
 賀茂かもの祭りなどがあって、世間の騒がしいころも過ぎた二十幾日に薫はまた宇治へ行った。
  Kamo no maturi nado, sawagasiki hodo sugusi te, hatuka amari no hodo ni, rei no, Udi he ohasi tari.
9.1.2  造らせたまふ御堂見たまひて、すべきことどもおきてのたまひ、さて、例の、 朽木のもとを 見たまへ過ぎむが、なほあはれなれば、そなたざまにおはするに、女車のことことしきさまにはあらぬ一つ、荒らましき東男の、腰に物負へる、あまた具して、下人も数多く頼もしげなるけしきにて、 橋より今渡り来る見ゆ。
 造らせなさっている御堂を御覧になって、なすべき事などをお命じになって、そうして、いつものように、弁のもとを素通りいたすのも、やはり気の毒なので、そちらにお出でになると、女車が仰々しい様子ではないのが一台、荒々しい東男が腰に刀を付けた者を、大勢従えて、下人も数多く頼もしそうな様子で、橋を今渡って来るのが見える。
 建造中の御堂を見て、これからすべきことを命じてから、古山荘をたずねずに行くのは心残りに思われて、そのほうへ車をやっている時、女車で、あまりたいそうなのではないが一つ、荒々しい東国男の腰に武器を携えた侍がおおぜい付き、下僕の数もおおぜいで、不安のなさそうな旅の一行が橋を渡って来るのが見えた。
  Tukura se tamahu mi-dau mi tamahi te, su beki koto-domo okite notamahi, sate, rei no, kutiki no moto wo mi tamahe sugi m ga, naho ahare nare ba, sonata-zama ni ohasuru ni, womna-guruma no koto-kotosiki sama ni ha ara nu hito-tu, aramasiki Aduma-Wotoko no kosi ni mono ohe ru, amata gusi te, Simo-bito mo kazu ohoku tanomosige naru kesiki nite, hasi yori ima watari kuru miyu.
9.1.3  「 田舎びたる者かな」と見たまひつつ、殿はまづ入りたまひて、 御前どもは、まだ立ち騷ぎたるほどに、「この車もこの宮をさして来るなりけり」と見ゆ。 御随身どもも、かやかやと言ふを 制したまひて
 「田舎者だなあ」と御覧になりながら、殿は先にお入りになって、お供の連中は、まだ立ち騒いでいるところに、「この車もこの宮を目指して来るのだ」と分かる。御随身たちも、がやがやと言うのを制止なさって、
 田舎いなか風な連中であると見ながらりて、大将は山荘の内にはいり、前駆の者などがまだ門の所で騒がしくしている時に見ると、宇治橋を来た一行もこの山荘をさして来るものらしかった。随身ずいじんたちががやがやというのをかおるは制して、
  "Winakabi taru mono kana!" to mi tamahi tutu, Tono ha madu iri tamahi te, go-zen-domo ha mada tati-sawagi taru hodo ni, "Kono kuruma mo kono Miya wo sasi te kuru nari keri." to miyu. Mi-zuizin-domo mo, kaya-kaya to ihu wo sei-si tamhi te,
9.1.4  「何人ぞ」
 「誰であろうか」
 だれか
  "Nani-bito zo?"
9.1.5  と問はせたまへば、声うちゆがみたる者、
 と尋ねさせなさると、言葉の訛った者が、
 とあとから来る一行を尋ねさせてみると、妙ななまり声で、
  to toha se tamahe ba, kowe uti-yugami taru mono,
9.1.6  「 常陸の前司殿の姫君の、初瀬の御寺に詣でて戻りたまへるなり。初めもここになむ宿りたまへし」
 「常陸前司殿の姫君が、初瀬のお寺に参詣してお帰りになったのです。最初もここにお泊まりになりました」
 「前常陸守ひたちのかみ様のお嬢様が初瀬はせのお寺へおまいりになっての帰りです。行く時もここへお泊まりになったのです」
  "Hitati-no-zenzi-dono no Hime-Gimi no, Hatuse no mi-tera ni maude te modori tamahe ru nari. Hazime mo koko ni nam yadori tamahe si."
9.1.7  と申すに、
 と申すので、
 と答えたのを聞いて、
  to mausu ni,
9.1.8  「 おいや、聞きし人ななり
 「おや、そうだ、聞いたことのある人だ」
 薫はそれであった、話に聞いた人であったと思い出して、
  "Oiya! kiki si hito na' nari."
9.1.9  と思し出でて、人びとをば異方に隠したまひて、
 とお思い出しになって、供人たちを別の場所にお隠しになって、
 従者たちは見えない所へ隠すようにして入れ、
  to obosi-ide te, hito-bito woba koto-kata ni kakusi tamahi te,
9.1.10  「 はや、御車入れよ。ここに、また 宿りたまへど、北面になむ」
 「早く、お車を入れなさい。ここには、別に泊まっている人がいらっしゃるが、北面のほうにおいでです」
 「早くお車を入れなさい。もう一人ここへ客に来ている人はありますが、心安い方で隠れたお座敷のほうにおられますから」
  "Haya, mi-kuruma ire yo. Koko ni, mata hito yadori tamahe do, kita-omote ni nam."
9.1.11  と言はせたまふ。
 と言わせなさる。
 とあとの人々へ言わせた。
  to ihase tamahu.
9.1.12  御供の人も、皆狩衣姿にて、ことことしからぬ 姿どもなれど、なほけはひやしるからむ、 わづらはしげに思ひて、馬ども引きさけなどしつつ、かしこまりつつぞをる。車は入れて、廊の西のつまにぞ寄する。 この寝殿はまだあらはにて、簾もかけず。下ろし籠めたる中の二間に立て隔てたる障子の穴より覗きたまふ。
 お供の人も、みな狩衣姿で、大げさでない姿ではあるが、やはり高貴な感じがはっきりしているのであろう、わずらわしそうに思って、馬どもを遠ざけて、控えていた。車は入れて、渡廊の西の端に寄せる。この寝殿はまだ人目を遮る調度類が入れてなくて、簾も掛けていない。格子を下ろしこめた中の二間に立てて仕切ってある襖障子の穴から覗きなさる。
 薫の供の人々も皆狩衣かりぎぬ姿などで目にたたぬようにはしているが、やはり貴族に使われている人と見えるのか、はばかって皆馬などを後ろへ退すさらせてかしこまっていた。車は入れて廊の西の端へ着けた。改造後の寝殿はまだできたばかりで御簾みすも皆は掛けてない。格子が皆おろしてある中の二間の間の襖子からかみの穴から薫はのぞいていた。
  Ohom-tomo no hito mo, mina kariginu-sugata nite, koto-kotosikara nu sugata-domo nare do, naho kehahi ya sirukara m, wadurahasige ni omohi te, muma-domo hiki-sake nado si tutu, kasikomari tutu zo woru. Kuruma ha ire te, rau no nisi no tuma ni zo yosuru. Kono sinden ha mada araha nite, sudare mo kake zu. Orosi kome taru naka no huta-ma ni tate hedate taru syauzi no ana yori nozoki tamahu.
9.1.13  御衣の鳴れば、脱ぎおきて、直衣指貫の限りを着てぞおはする。 とみにも降りで、尼君に消息して、かくやむごとなげなる人のおはするを、「 誰れぞ」など案内するなるべし君は、車をそれと聞きたまひつるより、
 お召し物の音がするので、脱ぎ置いて、直衣に指貫だけを着ていらっしゃる。すぐには下りないで、尼君に挨拶をして、このように高貴そうな方がいらっしゃるのを、「どなたですか」などと尋ねているのであろう。君は、車をその人とお聞きになってから、
 堅い上着が音をたてるのでそれは脱いで、直衣のうし指貫さしぬきだけの姿になっていた。車の人はすぐにもおりて来ない、弁の尼の所へ人をやって、りっぱな客の来ていられる様子であるがどなたかというようなことを聞いているらしい。薫は車の主を問わせた時から山荘の人々に、
  Ohom-zo no nare ba, nugi-oki te, nahosi sasinuki no kagiri wo ki te zo ohasuru. Tomini mo ori de, Ama-Gimi ni seusoko si te, kaku yamgotonage naru hito no ohasuru wo, "Tare zo?" nado a'nai suru naru besi. Kimi ha, kuruma wo sore to kiki tamahi turu yori,
9.1.14  「 ゆめ、その人にまろありとのたまふな
 「けっして、その人にわたしがいるとおっしゃるな」
 自分が来ているとは決して言うな
  "Yume, sono hito ni maro ari to notamahu na."
9.1.15  と、まづ口かためさせたまひてければ、皆さ心得て、
 と、まっさきに口止めなさっていたので、みなそのように心得て、
 と口どめをまずしておいたので皆心得ていて、
  to, madu kuti-katame sase tamahi te kere ba, mina sa kokoro-e te,
9.1.16  「 早う降りさせたまへ。客人はものしたまへど、異方になむ」
 「早くお降りなさい。客人はいらしゃるが、別の部屋です」
 「早くお降りなさいまし。お客様はおいでになりますが別のお座敷においでになります」
  "Hayau ori sase tamahe. Marauto ha monosi tamahe do, koto-kata ni nam."
9.1.17  と 言ひ出だしたり
 と言い出した。
 と言わせた。
  to ihi-idasi tari.
注釈777賀茂の祭四月の中酉の日に催される。9.1.1
注釈778朽木のもとを弁尼をさす。「荒れはつる朽木の--」歌を詠んだことに因む呼称。9.1.2
注釈779見たまへ過ぎむが「たまへ」は謙譲の補助動詞。薫の弁尼に対する謙譲表現になっている。9.1.2
注釈780橋より宇治橋。9.1.2
注釈781田舎びたる者かな薫の感想。9.1.3
注釈782御前どもは薫の警護の者たち。9.1.3
注釈783御随身どもも薫の御随身たち。前に「御前」とあった者に同じ。9.1.3
注釈784制したまひて主語は薫。9.1.3
注釈785常陸の前司殿の姫君の以下「宿りたまへりし」まで、浮舟の従者の詞。9.1.6
注釈786おいや聞きし人ななり薫の合点。9.1.8
注釈787はや御車入れよ以下「北面になむ」まで、薫が随身に言わせた詞。「御車」は相手方浮舟の車を指していう。9.1.10
注釈788わづらはしげに思ひて浮舟方の思い。9.1.12
注釈789この寝殿はまだあらはにてもとの寝殿を山寺に移して新築した寝殿。そのため調度類がまだ調わない。9.1.12
注釈790とみにも降りで浮舟の動作。9.1.13
注釈791誰れぞなど案内するなるべし薫の目と語り手の目が一体化した叙述。9.1.13
注釈792君は薫。9.1.13
注釈793ゆめその人にまろありとのたまふな薫が弁尼に随身をして言った詞。9.1.14
注釈794早う降りさせたまへ以下「異方になむ」まで、山荘の女房の詞。9.1.16
注釈795言ひ出だしたり『集成』は「外の車に伝えた」と注す。9.1.17
校訂83 人--(/+人<朱>) 9.1.10
校訂84 姿ども 姿ども--すかたとん(ん/$も<朱>) 9.1.12
校訂85 ゆめ ゆめ--ゆめの(の/$) 9.1.14
9.2
第二段 薫、浮舟を垣間見る


9-2  Kaoru peeps Ukihune through a hole of shoji

9.2.1  若き人のある、まづ降りて、 簾うち上ぐめり御前のさまよりは、このおもと馴れてめやすし。また、大人びたる人いま一人降りて、「早う」と言ふに、
 若い女房がいるが、まず降りて、簾を上げるようである。御前駆の様子よりは、この女房は物馴れていて見苦しくない。また、年とった女房がもう一人降りて、「早く」と言うと、
 若い女房が一人車からおりて主人のためにすだれを掲げていた。警固の物々しい騎士たちに比べてこの女房は物馴ものなれた都風をしていた。年の行った女房がもう一人降りて来て、「お早く」と言う。
  Wakaki hito no aru, madu ori te, sudare uti-agu meri. Go-zen no sama yori ha, kono Omoto nare te me-yasusi. Mata, otonabi taru hito ima hitori ori te, "Hayau." to ihu ni,
9.2.2  「 あやしくあらはなる心地こそすれ
 「妙に丸見えのような気がします」
 「何だか晴れがましい気がして」
  "Ayasiku araha naru kokoti koso sure."
9.2.3  と言ふ声、ほのかなれどあてやかに聞こゆ。
 という声は、かすかではあるが上品に聞こえる。
 と言う声はほのかであったが品よく聞こえた。
  to ihu kowe, honoka nare do ateyaka ni kikoyu.
9.2.4  「 例の御事。こなたは、さきざきも下ろし籠めてのみこそははべれ。さては、またいづこのあらはなるべきぞ」
 「いつものおことです。こちらは、以前にも格子を下ろしきってございました。それでは、どこがまた丸見えでしょうか」
 「またそれをおっしゃいます。こちらはこの前もお座敷が皆しまっていたではございませんか。あすこに人が見ねばどこに見る人がございましょう」
  "Rei no ohom-koto. Konata ha, saki-zaki mo orosi-kome te nomi koso ha habere. Sateha, mata iduko no araha naru beki zo."
9.2.5  と、心をやりて言ふ。つつましげに降るるを見れば、まづ、頭つき、様体、細やかにあてなるほどは、いとよくもの思ひ出でられぬべし。扇子をつとさし隠したれば、顔は見えぬほど心もとなくて、胸うちつぶれつつ見たまふ。
 と、安心しきって言う。遠慮深そうに降りるのを見ると、まず、頭の恰好、身体つき、細くて上品な感じは、たいそうよく亡き姫君を思い出されよう。扇でぴったりと顔を隠しているので、顔の見えないところは見たくて、胸をどきどきさせながら御覧になる。
 と女房はわかったふうなことを言う。恥ずかしそうにおりて来る人を見ると、その頭の形、全体のほっそりとした姿は薫に昔の人を思い出させるものであろうと思われた。扇をいっぱいにひろげて隠していて顔の見られないために薫は胸騒ぎを覚えた。
  to, kokoro wo yari te ihu. Tutumasige ni oruru wo mire ba, madu, kasira-tuki, yaudai, hosoyaka ni ate naru hodo ha, ito yoku mono-omohi-ide rare nu besi. Ahugi wo tuto sasi-kakusi tare ba, kaho ha miye nu hodo kokoro-motonaku te, mune uti-tubure tutu mi tamahu.
9.2.6   車は高く、降るる所は下りたるをこの人びとはやすらかに降りなしつれど、いと苦しげにややみて、ひさしく降りて、 ゐざり入る。濃き袿に、撫子とおぼしき細長、若苗色の小袿着たり。
 車は高くて、降りる所が低くなっていたが、この女房たちは楽々と降りたが、たいそうつらそうに困りきって、長いことかかって降りて、お部屋にいざって入る。濃い紅の袿に、撫子襲と思われる細長、若苗色の小袿を着ていた。
車の床は高く、降りる所は低いのであったが、二人の女房はやすやすと出て来たにもかかわらず、苦しそうに下をながめて長くかかっておりた人は家の中へいざり入った。紅紫のうちぎ撫子なでしこ色らしい細長を着、淡緑うすみどりの小袿を着ていた。
  Kuruma ha takaku, oruru tokoro ha kudari taru wo, kono hito-bito ha yasuraka ni ori nasi ture do, ito kurusige ni yayami te, hisasiku ori te, wizari-iru. Koki utiki ni, nadesiko to obosiki hosonaga, waka-nahe-iro no koutiki ki tari.
9.2.7  四尺の屏風を、この障子に添へて立てたるが、上より見ゆる穴なれば、残るところなし。 こなたをばうしろめたげに思ひて、あなたざまに向きてぞ、添ひ臥しぬる。
 四尺の屏風を、この襖障子に添えて立ててあるが、上から見える穴なので、丸見えである。こちらを不安そうに思って、あちらを向いて物に寄り臥した。
 向こうの室は薫ののぞく襖子からかみの向こうに四尺の几帳きちょうは立てられてあるが、それよりも穴のほうが高い所にあるためすべてがこちらから見えるのである。この隣室をまだ令嬢は気がかりに思うふうで、あちら向きになって身を横たえていた。
  Si-syaku no byaubu wo, kono syauzi ni sohe te tate taru ga, kami yori miyuru ana nare ba, nokoru tokoro nasi. Konata wo ba usirometage ni omohi te, anata zama ni muki te zo, sohi-husi nuru.
9.2.8  「 さも、苦しげに思したりつるかな。泉川の舟渡りも、まことに、今日はいと恐ろしくこそありつれ。この如月には、水のすくなかりしかばよかりしなりけり」
 「何とも、お疲れのようですね。泉川の舟渡りも、ほんとうに、今日はとても恐ろしかったわ。この二月には、水が浅かったのでよかったのですが」
 「ほんとうにお気の毒でございました。泉河いずみがわの渡しも今日は恐ろしゅうございましたね。二月の時には水が少なかったせいかよろしかったのでございます」
  "Samo, kurusige ni obosi tari turu kana! Idumi-gaha no huna-watari mo, makoto ni, kehu ha ito osorosiku koso ari ture. Kono Kisaragi ni ha, midu no sukunakari sika ba yokari si nari keri."
9.2.9  「いでや、歩くは、東路思へば、いづこか恐ろしからむ」
 「いやなに、出歩くことは、東国の旅を思えば、どこが恐ろしいことがありましょう」
 「なあに、あなた、東国の道中を思えばこわい所などこの辺にはあるものですか」
  "Ide ya, ariku ha, Adumadi omohe ba, iduko ka osorosikara m."
9.2.10  など、二人して苦しとも思ひたらず言ひゐたるに、 主は音もせでひれ臥したり。腕をさし出でたるが、まろらかにをかしげなるほども、常陸殿などいふべくは見えず、まことにあてなり。
 などと、二人でつらいとも思わず言っているのに、主人は音も立てずに臥せっていた。腕をさし出しているのが、まるまるとかわいらしいのを、常陸殿の娘とも思えない、まことに上品である。
 実際女房は二人とも苦しい気もなくこんなことを言い合っているが、主人は何も言わずにひれ伏していた。袖から見えるかいなの美しさなども常陸ひたちさんなどと言われる者の家族とは見えず貴女きじょらしい。
  nado, hutari si te kurusi tomo omohi tara zu ihi wi taru ni, Siu ha oto mo se de hire-husi tari. Kahina wo sasi-ide taru ga, maroraka ni wokasige naru hodo mo, Hitati-dono nado ihu beku ha miye zu, makoto ni ate nari.
9.2.11   やうやう腰痛きまで立ちすくみたまへど、人のけはひせじとて、なほ動かで見たまふに、若き人、
 だんだんと腰が痛くなるまで腰をかがめていらっしゃったが、人の来る感じがしないと思って、依然として動かずに御覧になると、若い女房が、
 薫は腰の痛くなるまで立ちすくんでいるのだったが、人のいるとは知らすまいとしてなおじっと動かずに見ていると、若いほうの女房が、
  Yau-yau kosi itaki made tati-sukumi tamahe do, hito no kehahi se zi tote, naho ugoka de mi tamahu ni, wakaki hito,
9.2.12  「 あな、香ばしや。いみじき香の香こそすれ。尼君の焚きたまふにやあらむ」
 「まあ、いい香りのすること。たいそうな香の匂いがしますわ。尼君が焚いていらっしゃるのかしら」
 「まあよいにおいがしますこと、尼さんがたいていらっしゃるのでしょうか」
  "Ana, kaubasi ya! Imiziki kau no ka koso sure. Ama-Gimi no taki tamahu ni ya ara m?"
9.2.13  老い人、
 老女房は、
 と驚いてみせた。老いたほうのも、
  Oyi-bito,
9.2.14  「 まことにあなめでたの物の香や。京人は、なほいとこそ雅びかに今めかしけれ。 天下にいみじきことと思したりしかど、東にてかかる薫物の香は、え合はせ出でたまはざりきかし。この尼君は、住まひかくかすかにおはすれど、装束のあらまほしく、鈍色青色といへど、いときよらにぞあるや」
 「ほんとうに何とも素晴らしい香でしょう。京の人は、やはりとても優雅で華やかでいらっしゃる。北の方さまが当地で一番だと自惚れていらしたが、東国ではこのような薫物の香は、とても合わせることができなかった。この尼君は、住まいはこのようにひっそりしていらっしゃるが、衣装が素晴らしく、鈍色や青鈍と言っても、とても美しいですね」
 「ほんとうにいい香ね。京の人は何といっても風流なものですね。ここほどけっこうな所はないと御主人様は思召おぼしめすふうでしたが、東国ではこんな薫香くんこうを合わせてお作りになることはできませんでしたね。尼さんはこうした簡単な暮らしをしていらっしゃってもよいものを着ていらっしゃいますわね、にび色だって青色だって特別によく染まった物を使っていらっしゃるではありませんか」
  "Makoto ni ana medeta no mono no ka ya! Kyau-bito ha, naho ito koso miyabika ni imamekasikere. Tenka ni imiziki koto to obosi tari sika do, Aduma nite kakaru takimono no ka ha, e ahase-ide tamaha zari ki kasi. Kono Ama-Gimi ha, sumahi kaku kasuka ni ohasure do, syauzoku no aramahosiku, nibi-iro awo-iro to ihe do, ito kiyora ni zo aru ya!"
9.2.15  など、ほめゐたり。 あなたの簀子より童来て、
 などと、誉めていた。あちらの簀子から童女が来て、
 と言ってほめていた。向こうのほうの縁側から童女が来て、
  nado, home wi tari. Anata no sunoko yori waraha ki te,
9.2.16  「 御湯など参らせたまへ
 「お薬湯などお召し上がりなさいませ」
 「お湯でも召し上がりますように」
  "Ohom-yu nado mawira se tamahe."
9.2.17  とて、折敷どもも取り続きてさし入る。果物取り寄せなどして、
 と言って、いくつもの折敷に次から次へとさし入れる。果物を取り寄せなどして、
 と言い、折敷おしきに載せた物をいろいろ運び入れた。菓子を近くへ持って来て、
  tote, wosiki-domo mo tori tuduki te sasi-iru. Kudamono tori-yose nado si te,
9.2.18  「 ものけたまはる。これ
 「もしもし、これを」
 「ちょっと申し上げます。こんな物を召し上がりません」
  "Mono ke tamaharu. Kore."
9.2.19  など 起こせど、起きねば、二人して、栗やなどやうのものにや、ほろほろと食ふも、 聞き知らぬ心地には、かたはらいたくてしぞきたまへど、またゆかしくなりつつ、なほ立ち寄り立ち寄り見たまふ。
 などと言って起こすが、起きないので、二人して、栗などのようなものか、ほろほろと音を立てて食べるのも、聞いたこともない感じなので、見ていられなくて退きなさったが、再び見たくなっては、やはり立ち寄り立ち寄り御覧になる。
 と令嬢を起こしているが、その人は聞き入れない。それで二人だけでくりなどをほろほろと音をさせて食べ始めたのも、薫には見れぬことであったからまゆがひそめられ、しばらく襖子の所を退いて見たものの、心をくものがあってもとの所へ来て隣の隙見すきみを続けた。
  nado okose do, oki ne ba, hutari si te, kuri ya nado yau no mono ni ya, horo-horo to kuhu mo, kiki sira nu kokoti ni ha, kataharaitaku te sizoki tamahe do, mata yukasiku nari tutu, naho tati-yori tati-yori mi tamahu.
9.2.20   これよりまさる際の人びとを后の宮をはじめて、ここかしこに、容貌よきも心あてなるも、ここら飽くまで見集めたまへど、おぼろけならでは、目も心もとまらず、あまり人にもどかるるまでものしたまふ心地に、ただ今は、何ばかりすぐれて見ゆることもなき人なれど、かく立ち去りがたく、あながちにゆかしきも、 いとあやしき心なり
 この人より上の身分の人びとを、后宮をはじめとして、あちらこちらに、器量のよい人や気立てが上品な人をも、大勢飽きるほど御覧になったが、いいかげんな女では、目も心も止まらず、あまり人から非難されるまでまじめでいらっしゃるお気持ちには、ただ今のようなのは、どれほども素晴らしく見えることもない女であるが、このように立ち去りにくく、むやみに見ていたいのも、実に妙な心である。
 こうした階級より上の若い女を、中宮ちゅうぐうの御殿をはじめとしてそこここで顔の美しいもの、上品なものを多く知っているはずの薫には、格別すぐれた人でなければ目にも心にもとどまらないために、人からあまりに美の観照点が違い過ぎるとまで非難されるほどであって、今目の前にいるのは何のすぐれたところもある人と見えないのであるが、おさえがたい好奇心のわき上がるのも不思議であった。
  Kore yori masaru kiha no hito-bito wo, Kisai-no-Miya wo hazime te, koko kasiko ni katati yoki mo kokoro-ate naru mo, kokora aku made mi-atume tamahe do, oboroke nara de ha, me mo kokoro mo tomara zu, amari hito ni modoka ruru made monosi tamahu kokoti ni, tada ima ha, nani bakari sugure te miyuru koto mo naki hito nare do, kaku tati-sari gataku, anagati ni yukasiki mo, ito ayasiki kokoro nari.
注釈796簾うち上ぐめり薫の視点による叙述。9.2.1
注釈797御前のさまよりは浮舟の御前供に比較して、の意。9.2.1
注釈798あやしくあらはなる心地こそすれ浮舟の詞。9.2.2
注釈799例の御事以下「あらはなるべきぞ」まで、女房の詞。9.2.4
注釈800車は高く降るる所は下りたるを女車の場合は車の前板と簀子の間に打板を渡すが、その用意がなくて、いったん下りて簀子に上がった。9.2.6
注釈801この人びとは女房たちをさす。9.2.6
注釈802ゐざり入る車から降りて後、浮舟は簀子から廂間へはいざって入った。9.2.6
注釈803こなたをば薫の覗いている方角。9.2.7
注釈804さも、苦しげに以下「恐ろしからぬ」まで、浮舟付きの女房たちの詞。9.2.8
注釈805主は浮舟をさす。9.2.10
注釈806やうやう腰痛きまで薫の垣間見のさま。9.2.11
注釈807あな香ばしや以下「焚きたまふにやあらむ」まで、若い女房の詞。9.2.12
注釈808まことにあなめでたの以下「いときよらにぞあるや」まで、老女房の詞。9.2.14
注釈809天下にいみじきことと思したりしかど主語は浮舟の母北の方。9.2.14
注釈810あなたの簀子より薫の覗いている反対側。浮舟のいる方角。9.2.15
注釈811御湯など参らせたまへ童女の詞。9.2.16
注釈812ものけたまはるこれ女房の詞。人に物を言いかける時の詞。もしもし、の意。9.2.18
注釈813起こせど浮舟を起こすが、の意。9.2.19
注釈814聞き知らぬ心地には薫の経験。9.2.19
注釈815これよりまさる際の人びとを『湖月抄』は「草子地也」と指摘。9.2.20
注釈816后の宮をはじめて明石中宮に仕える女房たちと比較。9.2.20
注釈817いとあやしき心なり語り手の薫に対する批評。9.2.20
9.3
第三段 浮舟、弁の尼と対面


9-3  Ukifune meets and talks with Ben-no-ama

9.3.1  尼君は、 この殿の御方にも、御消息聞こえ出だしたりけれど、
 尼君は、この殿の御方にも、ご挨拶申し上げ出したが、
 尼君は薫のほうへも挨拶あいさつを取り次がせてよこしたのであるが、
  Ama-Gimi ha, kono Tono no ohom-kata ni mo, ohom-seusoko kikoye-idasi tari kere do,
9.3.2  「 御心地悩ましとて、今のほどうちやすませたまへるなり」
 「ご気分が悪いと言って、今休んでいらっしゃるのです」
 御気分が悪いとお言いになって、しばらく休息をしておいでになる
  "Mi-kokoti nayamasi tote, ima no hodo uti-yasuma se tamahe ru nari."
9.3.3  と、御供の人びと心しらひて言ひたりければ、「 この君を尋ねまほしげにのたまひしかば、かかるついでにもの言ひ触れむと思ほすによりて、日暮らしたまふにや」と思ひて、かく覗きたまふらむとは知らず。
 と、お供の人びとが心づかいして言ったので、「この君を探し出したくおっしゃっていたので、このような機会に話し出そうとお思いになって、日暮れを待っていらっしゃったのか」と思って、このように覗いているとは知らない。
 と、従者がしかるべく断わっていたので、この姫君を得たいように言っておいでになったのであるから、こうした機会に交際を始めようとして、夜を待つために一室にこもっているのであろうと解釈して、こうしてその人が隣室をのぞいているとも知らず、
  to, ohom-tomo no hito-bito kokoro-sirahi te ihi tari kere ba, "Kono Kimi wo tadune mahosige ni notamahi sika ba, kakaru tuide ni mono ihi-hure m to omohosu ni yori te, hi kurasi tamahu ni ya?" to omohi te, kaku nozoki tamahu ram to ha sira zu.
9.3.4  例の、御荘の預りどもの参れる、破籠や何やと、 こなたにも入れたるを、 東人どもにも食はせなど、事ども行なひおきて、うち化粧じて、 客人の方に来たり。 ほめつる装束、げにいとかはらかにて、みめもなほよしよししくきよげにぞある。
 いつものように、御荘園の管理人連中が参上しているが、破子や何やかやと、こちらにも差し入れているのを、東国の連中にも食べさせたりなど、いろいろ済ませて、身づくろいして、客人の方に来た。誉めていた衣装は、なるほどとてもこざっぱりとしていて、顔つきもやはり上品で美しかった。
 いつもの薫の領地の支配者らが機嫌きげん伺いに来て重詰めや料理を届けたのを、東国の一行の従者などにも出すことにし、いろいろと上手じょうずに計らっておいてから、姿を改めて隣室へ現われて来た。先刻ほめられていたとおりに身ぎれいにしていて、顔も気品があってよかった。
  Rei no, mi-syau no Adukari-domo no mawire ru, warigo ya nani ya to, konata ni mo ire taru wo, Aduma-bito-domo ni mo kuhase nado, koto-domo okonahi oki te, uti-kesyau-zi te, Marauto no kata ni ki tari. Home turu syauzoku, geni ito kaharaka nite, mime mo naho yosi-yosisiku kiyoge ni zo aru.
9.3.5  「 昨日おはし着きなむと待ちきこえさせしを、などか、今日も日たけては」
 「昨日お着きになるとお待ち申し上げていましたが、どうして、今日もこんなに日が高くなってから」
 「昨日お着きになるかとお待ちしていたのですが、どうなすって今日もこんなにお着きがおそくなったのでしょう」
  "Kinohu ohasi tuki na m to mati kikoye sase si wo, nado ka, kehu mo hi take te ha."
9.3.6   と言ふめれば、この老い人、
 と言うようなので、この老女房は、
 こんなことを弁の尼が言うと、老いたほうの女が、
  to ihu mere ba, kono Oyi-bito,
9.3.7  「 いとあやしく苦しげにのみせさせたまへば、昨日はこの泉川のわたりにて、今朝も無期に御心地ためらひてなむ」
 「とても妙につらそうにばかりなさっているので、昨日はこの泉川のあたりで、今朝もずうっとご気分が悪かったものですから」
 「お苦しい御様子ばかりが見えますものですから、昨日は泉河のそばで泊まることにしまして、今朝けさも御無理なように見えましたから、そこをゆるりと立つことにしたものですから」
  "Ito ayasiku kurusige ni nomi se sase tamahe ba, kinohu ha kono Idumi-gaha no watari nite, kesa simo mugo ni mi-kokoti tamerahi te nam."
9.3.8  といらひて、 起こせば今ぞ起きゐたる。尼君を恥ぢらひて、そばみたるかたはらめ、これよりはいとよく見ゆ。 まことにいとよしあるまみのほど、髪ざしのわたり、 かれをも、詳しくつくづくとしも見たまはざりし御顔なれど、 これを見るにつけて、 ただそれと思ひ出でらるるに、例の、涙落ちぬ。
 と答えて、起こすと、今ようやく起きて座った。尼君に恥ずかしがって、横から見た姿は、こちらからは実によく見える。ほんとうにたいそう気品のある目もとや、髪の生え際のあたりが、亡くなった姫君を、詳細につくづくとは御覧にならなかったお顔であるが、この人を見るにつけて、まるでその人と思い出されるので、例によって、涙が落ちた。
 姫君を呼び起こしたために、その時やっとその人は起きてすわった。尼君に恥じて身体からだをそばめている側面の顔が薫の所からよく見える。上品なつき、髪のぐあいが大姫君の顔も細かによくは見なかった薫であったが、これを見るにつけてただこのとおりであったと思い出され、例のように涙がこぼれた。
  to irahi te, okose ba, ima zo oki-wi taru. Ama-Gimi wo hadirahi te, sobami taru kataharame, kore yori ha ito yoku miyu. Makoto ni ito yosi aru mami no hodo, kamzasi no watari, kare wo mo, kuhasiku tuku-duku to simo mi tamaha zari si ohom-kaho nare do, kore wo miru ni tuke te, tada sore to omohi-ide raruru ni, rei no, namida oti nu.
9.3.9   尼君のいらへうちする声、けはひ、 宮の御方にもいとよく似たりと聞こゆ。
 尼君への応対する声、感じは、宮の御方にもとてもよく似ているような聞こえる。
 弁の尼が何か言うことに返辞をする声はほのかではあるが中の君にもまたよく似ていた。
  Ama-Gimi no irahe uti suru kowe, kehahi, Miya-no-Ohomkata ni mo ito yoku ni tari to kikoyu.
9.3.10  「 あはれなりける人かな。かかりけるものを、今まで尋ねも知らで過ぐしけることよ。これより口惜しからむ際の品ならむゆかりなどにてだに、かばかりかよひきこえたらむ人を得ては、おろかに思ふまじき心地するに、まして、これは、 知られたてまつらざりけれど、まことに故宮の御子にこそはありけれ」
 「何というなつかしい人であろう。このような人を、今まで探し出しもしないで過ごして来たとは。この人よりつまらないような身分の故姫宮に縁のある女でさえあったならば、これほど似通い申している人を手に入れてはいいかげんに思わない気がするが、まして、この人は、父宮に認知していただかなかったが、ほんとうに故宮のご息女だったのだ」
 心のかれる人である、こんなに姉たちに似た人の存在を今まで自分は知らずにいたとは迂闊うかつなことであった。これよりも低い身分の人であっても恋しい面影をこんなにまで備えた人であれば自分は愛を感ぜずにはおられない気がするのに、ましてこれは認められなかったというだけで八の宮の御娘ではないか
  "Ahare nari keru hito kana! Kakari keru mono wo, ima made tadune mo sira de sugusi keru koto yo! Kore yori kutiwosikara m kiha no sina nara m yukari nado nite dani, kabakari kayohi kikoye tara m hito wo e te ha, oroka ni omohu maziki kokoti suru ni, masite, kore ha, sira re tatematura zari kere do, makoto ni ko-Miya no mi-ko ni koso ha ari kere."
9.3.11  と見なしたまひては、限りなくあはれにうれしくおぼえたまふ。「 ただ今も、はひ寄りて、世の中におはしけるものを」と言ひ慰めまほし。 蓬莱まで尋ねて、釵の限りを伝へて見たまひけむ帝は、なほ、いぶせかりけむ。「これは異人なれど、慰め所ありぬべきさまなり」とおぼゆるは、 この人に契りのおはしけるにやあらむ
 とお分かりになっては、この上なく嬉しく思われなさる。「ただ今にでも、側に這い寄って、この世にいらっしゃったのですね」と言って慰めたい。蓬莱山まで探し求めて、釵だけを手に入れて御覧になったという帝は、やはり、物足りない気がしたろう。「この人は別の人であるが、慰められるところがありそうな様子だ」と思われるのは、この人と前世からの縁があったのであろうか。
 と思ってみると、限りもなくなつかしさうれしさがわいてきた。今すぐにも隣室へはいって行き、「あなたは生きていたではありませんか」と言い、自身の心を慰めたい、蓬莱ほうらいへ使いをやってただしるしかんざしだけ得た帝は飽き足らなかったであろう、これは同じ人ではないが、自分の悲しみでうつろになった心をいくぶん補わせることにはなるであろうと薫が思ったというのは宿縁があったものであろう。
  to minasi tamahi te ha, kagiri naku ahare ni uresiku oboye tamahu. "Tada ima mo, hahi-yori te, yononaka ni ohasi keru mono wo." to ihi nagusame mahosi. Hourai made tadune te, kamzasi no kagiri wo tutahe te mi tamahi kem Mikado ha, naho, ibusekari kem. "Kore ha koto-bito nare do, nagusame-dokoro ari nu beki sama nari." to oboyuru ha, kono hito ni tigiri no ohasi keru ni ya ara m.
9.3.12  尼君は、物語すこしして、とく入りぬ。人のとがめつる薫りを、「 近く覗きたまふなめり」と心得てければ、 うちとけごとも語らはずなりぬるなるべし
 尼君は、お話を少しして、すぐに中に入ってしまった。女房たちが気がついた香りを、「近くから覗いていらっしゃるらしい」と分かったので、寛いだ話も話さずになったのであろう。
 尼君はしばらく話していただけであちらへ行ってしまった。女房らの不思議がっていたかおりを自身もいで、薫ののぞいていることを悟ったためによけいなことは何も言わなかったものらしい。
  Ama-Gimi ha, monogatari sukosi si te, toku iri nu. Hito no togame turu kawori wo, "Tikaku nozoki tamahu na' meri." to kokoro-e te kere ba, utitoke-goto mo kataraha zu nari nuru naru besi.
注釈818この殿の御方にも薫をさす。9.3.1
注釈819御心地悩ましとて以下「たまへるなり」まで、薫の供人の詞。9.3.2
注釈820この君を尋ねまほしげにのたまひしかば以下「日暮らしたまふにや」まで、弁尼の心中の思い。薫が浮舟に会いたいと弁尼に言っておいた、の意。9.3.3
注釈821こなたにも弁尼の方をさす。9.3.4
注釈822東人どもにも浮舟一行の供人。9.3.4
注釈823客人の方に浮舟一行の部屋。9.3.4
注釈824ほめつる装束げにいとかはらかにて浮舟の老女房がほめていた弁尼の装束。「げに」は垣間見している薫の納得の気持ち。語り手の視点と二重描写。9.3.4
注釈825昨日おはし着きなむと以下「日たけては」まで、弁尼の詞。9.3.5
注釈826と言ふめれば推量の助動詞「めり」は、垣間見の薫の主観的推量のニュアンス。9.3.6
注釈827いとあやしく以下「御心地ためらひてなむ」まで、老女房の詞。9.3.7
注釈828起こせば浮舟を。9.3.8
注釈829今ぞ起きゐたる『完訳』は「「今ぞ」も、かいま見る薫の心」と注す。9.3.8
注釈830まことにいとよしあるまみのほど垣間見する薫の視点からの叙述。9.3.8
注釈831かれをも故大君をさす。9.3.8
注釈832これを浮舟をさす。9.3.8
注釈833ただそれと思ひ出でらるるに浮舟を見た感想。大君に生き写しの人と見る。9.3.8
注釈834尼君のいらへ尼君への応対、の意。9.3.9
注釈835宮の御方にも中君をさす。9.3.9
注釈836あはれなりける人かな以下「こそはありけれ」まで、薫の心中の思い。『集成』は「何というなつかしい人なのだろう。以下、薫の心中。大君に生き写しであることに心を打たれる」。『完訳』は「なんともいとしい人ではないか」と注す。9.3.10
注釈837知られたてまつらざりけれど父宮から認知していただけなかったが、の意。9.3.10
注釈838ただ今もはひ寄りて世の中におはしけるものを薫の心中の思い。今すぐのでも浮舟を大君その人と見て語りかけたい、という気持ち。9.3.11
注釈839蓬莱まで尋ねて釵の限りを以下「ありぬべきさまなり」まで、薫の心中。『白氏文集』「長恨歌」にうたわれた玄宗皇帝と楊貴妃の故事を思い起こして比べる。9.3.11
注釈840この人に契りのおはしけるにやあらむ『評釈』は「薫と結びつけようと作者はやっきになっている。その理由を、すべて前世からの約束であるとしている」と注す。9.3.11
注釈841近く覗きたまふなめり弁尼の推測。9.3.12
注釈842うちとけごとも語らはずなりぬるなるべし語り手の推測。9.3.12
9.4
第四段 薫、弁の尼に仲立を依頼


9-4  Kaoru asks Ben-no-ama to act as an agent to Ukifune

9.4.1  日暮れもていけば、君もやをら出でて、御衣など着たまひてぞ、例召し出づる障子の口に、尼君呼びて、ありさまなど問ひたまふ。
 日が暮れてゆくので、君もそっと出て、ご衣装などをお召しになって、いつも呼び出す襖障子口に、尼君を呼んで、様子などをお尋ねなさる。
 日も暮れていったので、薫も静かに座へもどり、上着をたりなどして、いつも尼君と話す襖子からかみの口へその人を呼んで姫君のことなどを聞いた。
  Hi kure mote-ike ba, Kimi mo yawora ide te, ohom-zo nado ki tamahi te zo, rei mesi-iduru syauzi no kuti ni, Ama-Gimi yobi te, arisama nado tohi tamahu.
9.4.2  「 折しもうれしくまで逢ひたるを。いかにぞ、 かの聞こえしことは
 「ちょうどよい時に来合わせたものだな。どうでしたか、あの申し上げておいたことは」
 「都合よく私がここで落ち合うことになったのですが、どうでした私が前に頼んでおいた話は」
  "Wori simo uresiku made ahi taru wo. Ikani zo, kano kikoye si koto ha?"
9.4.3  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と薫が言うと、
  to notamahe ba,
9.4.4  「 しか、仰せ言はべりし後は、さるべきついではべらば、と待ちはべりしに、去年は過ぎて、この二月になむ、初瀬詣でのたよりに対面してはべりし。
 「そのように、仰せ言がございました後は、適当な機会がありましたら、と待っておりましたが、去年は過ぎて、今年の二月に、初瀬に参詣する機会に初めて対面しました。
 「仰せを承りましてからは、よい機会があればとばかり待っていたのでございますが、そのうち年も暮れまして、今年になりましてから二月に初瀬はせ参りの時にはじめてお逢いすることになったのでございます。
  "Sika, ohose-goto haberi si noti ha, saru-beki tuide habera ba, to mati haberi si ni, kozo ha sugi te, kono Ni-gwati ni nam, Hatuse-maude no tayori ni taimen si te haberi si.
9.4.5  かの母君に、思し召したるさまは、ほのめかしはべりしかば、 いとかたはらいたく、かたじけなき 御よそへにこそははべるなれ、などなむはべりしかど、 そのころほひは、のどやかにもおはしまさずと承りし、折便なく思ひたまへつつみて、かくなむ、とも聞こえさせはべらざりしを、また この月にも詣でて、今日帰りたまふなめり。
 あの母君に、お考えの向きは、ちらっとお話しておきましたので、とても身の置き所もなく、もったいないお話でございます、などと申しておりましたが、その当時は、お忙しいころと承っておりましたので、機会がなく不都合に思って遠慮して、これこれです、とも申し上げませんでしたが、また今月にも参詣して、今日お帰りになったような次第です。
 お母さんにあなた様の思召しをほのめかしてみますと、大姫君とはあまりに懸隔のあるお身代わりでおそれおおいと申しておりましたが、ちょうどそのころはあなた様のほうにもお取り込みのございましたころで、おひまもないと承っておりましたし、こうした問題はことにまたお避けになる必要があると存じましてその御報告をいたしますことも控えておりました。ところがまたこの月にもおまいりをなさいまして、今日もお帰りがけにお寄りになったのでございます。
  Kano Haha-Gimi ni, obosi-mesi taru sama ha, honomekasi haberi sika ba, ito kataharaitaku, katazikenaki ohom-yosohe ni koso ha haberu nare, nado nam haberi sika do, sono korohohi ha, nodoyaka ni mo ohasimasa zu to uketamahari si, wori bin-naku omohi tamahe tutumi te, kaku nam, to mo kikoye sase habera zari si wo, mata kono tuki ni mo maude te, kehu kaheri tamahu na' meri.
9.4.6  行き帰りの中宿りには、かく睦びらるるも、 ただ過ぎにし御けはひを尋ねきこゆるゆゑになむはべめる。かの母君も、障ることありて、このたびは、独りものしたまふめれば、かくおはしますとも、何かは、ものしはべらむとて」
 行き帰りの宿泊所として、このように親しくされるのも、ただお亡くなりになった父君の跡をお尋ね申し上げる理由からでございましょう。あの母君は、支障があって、今回は、お独りで参詣なさるようなので、このようにいらっしゃっても、特に、申し上げることもないと思いまして」
 往復に必ずおいでになりますのもおくなりになりました宮様をお慕いになるお心からでございましょう。お母さんがさしつかえがあって今度はお一人でお越しになったものですから、あなた様が御同宿あそばすなどとは申されないのでございます」
  Yuki-kaheri no naka-yadori ni ha, kaku mutubi raruru mo, tada sugi ni si ohom-kehahi wo tadune kikoyuru yuwe ni nam habe' meru. Kano Haha-Gimi mo, saharu koto ari te, kono-tabi ha, hitori monosi tamahu mere ba, kaku ohasimasu to mo, nani-kaha, monosi habera m tote."
9.4.7  と聞こゆ。
 と申し上げる。
 こう弁の尼は答えた。
  to kikoyu.
9.4.8  「 田舎びたる人どもに忍びやつれたるありきも見えじとて、口固めつれど、いかがあらむ。下衆どもは 隠れあらじかし。さて、いかがすべき。独りものすらむこそ、なかなか心やすかなれ。かく契り深くてなむ、参り来あひたる、と伝へたまへかし」
 「田舎者めいた連中に、人目につかないようにやつしている姿を見られまいと、口固めしているが、どんなものであろう。下衆連中は隠すことはできまい。さて、どうしたものだろうか。独り身でいらっしゃるのは、かえって気楽だ。このように前世からの約束があって、巡り合わせたのだ、とお伝えください」
 「見苦しい出歩きを人に知らすまいと思って、客は私だと言うなと言っておきましたが、どこまで命令は守られることかあてにはならない。供の者などは口が軽いものですからね。だからいいではありませんか、一人で来ていられるのはかえって気安く思われますからね、こんなに深い因縁があって同じ所へ来合わせたと伝えてください」
  "Winakabi taru hito-domo ni, sinobi yature taru ariki mo miye zi tote, kuti-gatame ture do, ikaga ara m? Gesu-domo ha kakure ara zi kasi. Sate, ikaga su beki? Hitori monosu ram koso, naka-naka kokoro-yasuka' nare. Kaku tigiri hukaku te nam, mawiri ki-ahi taru, to tutahe tamahe kasi."
9.4.9  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と薫が言うと、
  to notamahe ba,
9.4.10  「 うちつけに、いつのほどなる御契りにかは」
 「急に、いつの間にできたお約束ですか」
 「にわかな御因縁話でございますね」
  "Utituke ni, itu no hodo naru ohom-tigiri ni kaha?."
9.4.11  と、うち笑ひて、
 と、苦笑して、
 と言い、
  to, uti-warahi te,
9.4.12  「 さらば、しか伝へはべらむ
 「それでは、そのようにお伝えしましょう」
 「それではそう申しましょう」
  "Saraba, sika tutahe habera m."
9.4.13  とて、 入るに
 と言って、中に入るときに、
 立って行こうとする弁に、
  tote, iru ni,
9.4.14  「 貌鳥の声も聞きしにかよふやと
 「かお鳥の声も昔聞いた声に似ているかしらと
  かほ鳥の声も聞きしにかよふやと
    "Kaho-dori no kowe mo kiki si ni kayohu ya to
9.4.15   茂みを分けて今日ぞ尋ぬる
  草の茂みを分け入って今日尋ねてきたのだ
  しげみを分けてけふぞたづぬる
    sigemi wo wake te kehu zo tadunuru
9.4.16  ただ口ずさみのやうにのたまふを、入りて語りけり。
 ただ口ずさみのようにおっしゃるのを、中に入って語るのであった。
 口ずさみのようにして薫はこの歌を告げたのを、姫君の所へ行って弁は話した。
  Tada kuti-zusami no yau ni notamahu wo, iri te katari keri.
注釈843折しもうれしく以下「聞こえしことは」まで、薫の詞。9.4.2
注釈844かの聞こえしことは昨年の九月末に自分の意向を伝えるよう弁に依頼したことをさす。9.4.2
注釈845しか仰せ言はべりし後は以下「ものしはべらむ」まで、弁尼の詞。9.4.4
注釈846いとかたはらいたく以下「こそははべるなれ」まで、浮舟の母の詞を間接的に伝える。9.4.5
注釈847御よそへ浮舟を大君と思って見てくれること。9.4.5
注釈848そのころほひはのどやかにもおはしまさずと薫は女二宮と婚儀の頃であった。9.4.5
注釈849この月にも四月。9.4.5
注釈850ただ過ぎにし御けはひ故父八宮への追懐。9.4.6
注釈851田舎びたる人どもに以下「と伝へたまへかし」まで、薫の詞。浮舟一行の従者をさす。9.4.8
注釈852忍びやつれたるありき薫の忍び歩きの姿。9.4.8
注釈853隠れあらじかし下衆連中の間では口さがないから、薫の正体が知れてしまったろう、の意。9.4.8
注釈854うちつけに以下「御契りにかは」まで、弁尼の返事。9.4.10
注釈855さらばしか伝へはべらむ弁尼の詞。薫の意向を浮舟に伝えると約束。9.4.12
注釈856貌鳥の声も聞きしにかよふやと茂みを分けて今日ぞ尋ぬる薫の独詠歌。『集成』は「もとは鳴き声から来た名で、かっこうの別名とするのが有力であるが、この歌も「顔」に思いを寄せて「声も」と詠んでいるように、平安時代には字面から美しい鳥とする理解が生じたようである」。『完訳』は「「かほ鳥」はかっこうか。亡き大君に、顔・声が特に似るところから表現。面影の人を捜し求め、彷徨の末、尋ねあてた感動」と注す。『河海抄』は「夕されば野辺に鳴くとてふかほ鳥の顔に見えつつ忘られなくに」(古今六帖六、かほどり)を指摘。9.4.14
校訂86 入るに 入るに--弁のあま(弁のあま/$)いるに 9.4.13
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月9日

Last updated 11/2/2002
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