49 宿木(大島本)


YADORIGI


薫君の中、大納言時代
二十四歳夏から二十六歳夏四月頃までの物語



Tale of Kaoru's Chunagon and Dainagon era, from summer at the age of 24 to April at the age of 26

8
第八章 薫の物語 女二の宮、薫の三条宮邸に降嫁


8  Tale of Kaoru  Onna-ni-no-miya gets married to Kaoru and moves into Samjo residence

8.1
第一段 新年、薫権大納言兼右大将に昇進


8-1  Kaoru is promoted to Gon-Dainagon and U-Daisho in new year

8.1.1   正月晦日方より例ならぬさまに悩みたまふを、宮、まだ御覧じ知らぬことにて、いかならむと、思し嘆きて、御修法など、所々にてあまたせさせたまふに、またまた始め添へさせたまふ。いといたくわづらひたまへば、后の宮よりも御訪らひあり。
 正月晦日方から、ふだんと違ってお苦しみになるのを、宮は、まだご経験のないことなので、どうなることだろうと、お嘆きになって、御修法などを、あちこちの寺にたくさんおさせになるが、またまたお加え始めさせなさる。たいそうひどく患いなさるので、后の宮からもお見舞いがある。
 一月の終わりから普通でない身体の苦痛を夫人は感じだしたのを、宮もまだ産をする婦人の悩みをお見になった御経験はなかったので、どうなるのかと御心配をあそばして、今まで祈祷きとうなどをほうぼうでさせておいでになった上に、さらにほかでも修法を始めることをお命じになった。非常に容体が危険に見えたために中宮ちゅうぐうからもお見舞いの使いが来た。
  Syaugwati tugomori-gata yori, rei nara nu sama ni nayami tamahu wo, Miya, mada go-ran-zi sira nu koto nite, ika nara m to, obosi-nageki te, mi-syuhohu nado, tokoro-dokoro nite amata se sase tamahu ni, mata-mata hazime sase tamahu. Ito itaku wadurahi tamahe ba, Kisai-no-Miya yori mo ohom-toburahi ari.
8.1.2   かくて三年になりぬれど一所の御心ざしこそおろかならね、 おほかたの世には、ものものしくももてなしきこえたまはざりつるを 、この折ぞ、いづこにもいづこにも 聞こしめしおどろきて、御訪ぶらひども聞こえたまひける。
 結婚して三年になったが、お一方のお気持ちは並々でないが、世間一般に対しては、重々しくおもてなし申し上げなさらなかったので、この時に、どこもかしこもお聞きになって驚いて、お見舞い申し上げになるのであった。
 中の君が二条の院へ迎えられてから足かけ三年になるが、御良人おっとの宮の御愛情だけはおろそかなものでないだけで、一般からはまだ直接親王夫人に相当する尊敬は払われていなかったのに、この時にはだれも皆驚いて見舞いの使いを立て、自身でも二条の院へ来た。
  Kakute mi-tose ni nari nure do, hito-tokoro no mi-kokorozasi koso oroka nara ne, ohokata no yo ni ha, mono-monosiku motenasi kikoye tamaha zari turu wo, kono wori zo, iduko ni mo iduko ni mo kikosimesi odoroki te, ohom-toburahi-domo kikoye tamahi keru.
8.1.3  中納言の君は、宮の思し騒ぐに劣らず、 いかにおはせむと嘆きて、心苦しくうしろめたく思さるれど、限りある御訪らひばかりこそあれ、あまりもえ 参うでたまはで、忍びてぞ御祈りなどもせさせたまひける。
 中納言の君は、宮がお騷ぎになるのに負けず、どうおなりになることだろうかとご心配になって、お気の毒に気がかりにお思いになるが、一通りのお見舞いはするが、あまり参上することはできないので、こっそりとご祈祷などをおさせになるのだった。
 源中納言は宮の御心配しておいでになるのにも劣らぬ不安を覚えて、気づかわしくてならないのであっても、表面的な見舞いに行くほかは近づいて尋ねることもできずに、ひそかに祈祷などをさせていた。
  Tyuunagon-no-Kimi ha, Miya no obosi-sawagu ni otora zu, ikani ohase m to nageki te, kokoro-gurusiku usirometaku obosa rure do, kagiri aru ohom-toburahi bakari koso are, amari mo e maude tamaha de, sinobi te zo ohom-inori nado mo se sase tamahi keru.
8.1.4  さるは、 女二の宮の御裳着、ただこのころになりて、世の中響きいとなみののしる。よろづのこと、帝の御心一つなるやうに思し急げば、御後見なきしもぞ、なかなかめでたげに見えける。
 その一方では、女二の宮の御裳着が、ちょうどこのころとなって、世間で大評判となっている。万事が、帝のお心一つみたいに御準備なさるので、御後見がいないのも、かえって立派に見えるのであった。
 この人の婚約者の女二にょにみや裳着もぎの式が目前のことになり、世間はその日の盛んな儀礼の用意に騒いでいる時であって、すべてをみかど御自身が責任者であるようにお世話をあそばし、これでは後援する外戚がいせきのないほうがかえって幸福が大きいとも見られ、
  Saruha, Womna-Ni-no-Miya no ohom-mogi, tada kono-koro ni nari te, yononaka hibiki itonami nonosiru. Yorodu no koto, Mikado no mi-kokoro hitotu naru yau ni obosi-isoge ba, ohom-usiromi naki simo zo, naka-naka medetage ni miye keru.
8.1.5   女御のしおきたまへることをばさるものにて、作物所、さるべき受領どもなど、とりどりに仕うまつることども、いと限りなしや。
 女御が生前に準備しておかれたことはいうまでもなく、作物所や、しかるべき受領連中などが、それぞれにお仕え申し上げることは、とても際限がない。
 き母君の藤壺ふじつぼ女御にょごが姫宮のために用意してあった数々の調度の上に、宮中の作物所つくりものどころとか、地方長官などとかへ御下命になって作製おさせになったものが無数にでき上がってい、
  Nyougo no si-oki tamahe ru koto wo ba saru mono nite, tukumo-dokoro, saru-beki Zuryau-domo nado, tori-dori ni tukau-maturu koto-domo, ito kagirinasi ya!
8.1.6   やがてそのほどに、参りそめたまふべきやうにありければ、 男方も心づかひしたまふころなれど、例のことなれば、そなたざまには心も入らで、 この御事のみいとほしく嘆かる。
 そのままその時から、通い始めさせなさることになっていたので、男の方も気をおつかいになるころであるが、例の性格なので、その方面には気が進まず、このご懐妊のことばかりお気の毒に嘆かずにいられない。
 その式の済んだあとで通い始めるようにとの御内意が薫へ伝達されている時であったから、婿方でも平常と違う緊張をしているはずであるが、なおいままでどおりにそちらのことはどうでもいいと思われ、中の君の産の重いことばかりを哀れに思って歎息を続ける薫であった。
  Yagate sono hodo ni, mawiri some tamahu beki yau ni ari kere ba, Wotoko-gata mo kokoro-dukahi si tamahu koro nare do, rei no koto nare ba, sonata-zama ni ha kokoro mo ira de, kono ohom-koto nomi itohosiku nageka ru.
8.1.7   如月の朔日ごろに、直物とかいふことに、権大納言になりたまひて、右大将かけたまひつ。 右の大殿、左にておはしけるが、辞したまへる所なりけり
 二月の初めころに、直物とかいうことで、権大納言におなりになって、右大将を兼官なさった。右の大殿が、左大将でいらっしゃったが、お辞めになったものであった。
 二月の朔日ついたち直物なおしものといって、一月の除目じもくの時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫はごん大納言になり、右大将を兼任することになった。今まで左大将を兼ねていた右大臣が軍職のほうだけを辞し、右が左に移り、右大将が親補されたのである。
  Kisaragi no tuitati-goro ni, nahosi-mono to ka ihu koto ni, Gon-Dainagon ni nari tamahi te, U-Daisyau kake tamahi tu. Migi-no-Ohoidono, Hidari ni te ohasi keru ga, zi-si tamahe ru tokoro nari keri.
8.1.8   喜びに所々ありきたまひて、この宮にも参りたまへり。 いと苦しくしたまへばこなたにおはしますほどなりければやがて参りたまへり僧などさぶらひて便なき方に、とおどろきたまひて、あざやかなる御直衣、御下襲などたてまつり、 ひきつくろひたまひて下りて答の拝したまふ御さまどもとりどりにいとめでたく、
 お礼言上に諸所をお回りになって、こちらの宮にも参上なさった。たいそう苦しそうでいらっしゃるので、こちらにいらっしゃるときであったので、そのまま参上なさった。僧などが伺候していて不都合なところで、と驚きなさって、派手なお直衣に、御下襲などをお召し替えになって、身づくろいなさって、下りて拝舞の礼をなさるお二方のお姿は、それぞれに立派で、
 新任の挨拶あいさつにほうぼうをまわった薫は、兵部卿ひょうぶきょうの宮へもまいった。夫人が悩んでいる時であって、宮は二条の院の西の対においでになったから、こちらへ薫は来たのであった。僧などが来ていて儀礼を受けるには不都合な場所であるのにと宮はお驚きになり、新しいお直衣のうしすその長い下襲したがさねを召してお身なりをおととのえになって、客の礼に対するとうの拝礼を階下へ降りてあそばされたが、大将もりっぱであったし、宮もきわめてごりっぱなお姿と見えた。
  Yorokobi ni tokoro-dokoro ariki tamahi te, kono Miya ni mo mawiri tamahe ri. Ito kurusiku si tamahe ba, konata ni ohasimasu hodo nari kere ba, yagate mawiri tamahe ri. Sou nado saburahi te bin naki kata ni, to odoroki tamahi te, azayaka naru ohom-nahosi, ohom-sita-gasane nado tatematuri, hiki-tukurohi tamahi te, ori te tahu-no-hai si tamahu ohom-sama-domo tori-dori ni ito medetaku,
8.1.9  「 やがて、官の禄賜ふ饗の所に
 「このまま今晩、近衛府の人に禄を与える宴会の所にどうぞ」
 この日は右近衛府うこんえふの下僚の招宴をして纏頭てんとうを出すならわしであったから、
  "Yagate, tukasa no roku tamahu aruzi no tokoro ni."
8.1.10  と、請じたてまつりたまふを、悩みたまふ人によりてぞ、 思したゆたひたまふめる。右大臣殿のしたまひけるままにとて、六条の院にてなむありける。
 と、お招き申し上げなさるが、お具合の悪い人のために、躊躇なさっているようである。右大臣殿がなさった例に従ってと、六条院で催されるのであった。
 自邸でとは言っていたが、近くに中の君の悩んでいる二条の院があることで少し躊躇ちゅうちょしていると、夕霧の左大臣が弟のために自家で宴会をしようと言いだしたので六条院で行なった。
  to, syau-zi tatematuri tamahu wo, nayami tamahu hito ni yori te zo, obosi-tayutahi tamahu meru. U-Daizin-dono no si tamahi keru mama ni tote, Rokudeu-no-win nite nam ari keru.
8.1.11  垣下の親王たち上達部、 大饗に劣らず、あまり騒がしきまでなむ集ひたまひける。この宮も渡りたまひて、静心なければ、まだ事果てぬに急ぎ帰りたまひぬるを、 大殿の御方には
 お相伴の親王方や上達部たちは、大饗に負けないほど、あまり騒がし過ぎるほど参集なさった。この宮もお渡りになって、落ち着いていられないので、まだ宴会が終わらないうちに急いでお帰りになったのを、大殿の御方では、
 皇子がたも相伴の客として宴におつらなりになり、高級の官吏なども招きに応じて来たのが多数にあって、新任大臣の大饗宴だいきょうえんにも劣らない盛大な、少し騒がし過ぎるほどのものになった。兵部卿の宮も出ておいでになったのであるが、夫人のことがお気づかわしいために、まだ宴の終わらぬうちに急いで二条の院へお帰りになったのを、左大臣家の新夫人は不満足に思い、
  Wenga no Miko-tati Kamdatime, daikyau ni otora zu, amari sawagasiki made nam tudohi tamahi keru. Kono Miya mo watari tamahi te, sidu-kokoro nakere ba, mada koto hate nu ni isogi kaheri tamahi nuru wo, Ohotono-no-Ohomkata ni ha,
8.1.12  「 いと飽かずめざまし
 「とても物足りなく癪にさわる」
 ねたましがった。
  "Ito akazu mezamasi."
8.1.13  とのたまふ。 劣るべくもあらぬ御ほどなるを、ただ今のおぼえのはなやかさに思しおごりて、おしたちもてなしたまへるなめりかし。
 とおっしゃる。負けるほどでもないご身分なのを、ただ今の威勢が立派なのにおごって、いばっていらっしゃるのであろうよ。
 同じほどに愛されているのであるが権家の娘であることにおごっている心からそう思われたのであろう。
  to notamahu. Otoru beku mo ara nu ohom-hodo naru wo, tada ima no oboye no hanayaka ni obosi-ogori te, ositati motenasi tamahe ru na' meri kasi.
注釈653正月晦日方より薫二十六歳、匂宮二十七歳、中君二十六歳。8.1.1
注釈654例ならぬさまに悩みたまふを中君の出産が近づく。昨年の五月ころから懐妊の徴候が表れた。8.1.1
注釈655かくて三年になりぬれど『集成』は「こうして三年になったけれども。中の君が二条の院に移ってから三年と読める。この年(宿木の第三年)を、中の君が二条の院に移った早蕨の春の翌年とするのが現行の年立の処理であるが、それでは二条の院移転から足掛け二年しかならない。この第三年をもう一年あとにずらしてはじめて足掛け三年という計算になる。諸注、匂宮が宇治に通うようになった総角の秋以来足掛け三年と見るが、無理であろう」。『完訳』は「結婚以来、足かけ三年」と注す。8.1.2
注釈656一所の御心ざし匂宮の愛情。8.1.2
注釈657おほかたの世にはものものしくももてなしきこえたまはざりつるを『完訳』は「中の君は世間から、匂宮の妻としてほとんど認められていない」と注す。8.1.2
注釈658いかにおはせむ薫の心中の思い。中君を心配。8.1.3
注釈659女二の宮の御裳着今上帝の女二宮。母は故左大臣の娘藤壺女御。裳着の儀式は結婚を前提に行われる。薫との結婚が本格化する。8.1.4
注釈660女御のしおきたまへることをば女二宮の母・故藤壺女御が生前に裳着の準備をしておいたこと。8.1.5
注釈661やがてそのほどに参りそめたまふべき女二宮の裳着の儀式に引き続き、薫が婿として通うようになっていた。8.1.6
注釈662男方も薫をさす。8.1.6
注釈663この御事のみ中君の出産間近の事。8.1.6
注釈664如月の朔日ごろに直物とか二月の初旬に薫、除目の追加任命で権大納言兼右大将に昇進。8.1.7
注釈665右の大殿、左にておはしけるが、辞したまへる所なりけり夕霧右大臣兼左大将が、左大将を辞任したので、それまでの右大将が左大将に転じ、薫が権大納言兼右大将となった。8.1.7
注釈666喜びに所々ありきたまひて主語は薫。8.1.8
注釈667いと苦しくしたまへば主語は中君。出産を間近に控えて大儀な様子。8.1.8
注釈668こなたにおはしますほどなりければ匂宮が中君のもとに。8.1.8
注釈669やがて参りたまへり薫は匂宮のもとに参上。8.1.8
注釈670僧などさぶらひて便なき方に匂宮の心中の思い。薫のめでたい御礼参りに応対するのに、僧侶がいる所では不都合と考える。8.1.8
注釈671下りて答の拝したまふ主語は匂宮。この邸の主の匂宮が南階から庭上に下りて拝舞の礼を薫に返す。8.1.8
注釈672やがて官の禄賜ふ饗の所に薫の詞。匂宮を右大将新任の披露宴の席に招待。8.1.9
注釈673思したゆたひたまふめる推量の助動詞「めり」は語り手の推量のニュアンス。8.1.10
注釈674大饗に劣らず大饗は大臣新任の宴。ここは大将新任の宴だが、それに劣らず盛大の意。8.1.11
注釈675大殿の御方には夕霧の六君方。匂宮が立ち寄らずに帰ってしまったことに不満。8.1.11
注釈676いと飽かずめざまし六の君の詞。8.1.12
注釈677劣るべくも以下「もてなしたまへるなめりかし」まで、八宮の娘である中君は臣下の夕霧の娘六の君に劣らない、とする語り手の批評。『湖月抄』は「草子地也」と指摘。8.1.13
校訂69 ものものしくも ものものしくも--もの/\しく(く/+も<朱>) 8.1.2
校訂70 聞こしめしおどろきて、御訪ぶらひども 聞こしめしおどろきて、御訪ぶらひども--*他本により補入 8.1.2
校訂71 参うで 参うで--*まかて 8.1.3
校訂72 ひきつくろひたまひて ひきつくろひたまひて--ひきつくろひて(て/#<朱>)給て 8.1.8
8.2
第二段 中君に男子誕生


8-2  A baby boy is born to the couple of Naka-no-kimi and Nio-no-miya

8.2.1  からうして、その暁、 男にて生まれたまへるを、宮もいとかひありてうれしく思したり。大将殿も、喜びに添へて、うれしく思す。昨夜おはしましたりしかしこまりに、やがて、この御喜びもうち添へて、 立ちながら参りたまへりかく籠もりおはしませば、参りたまはぬ人なし。
 やっとのこと、その早朝に、男の子でお生まれになったのを、宮もたいそうその効あって嬉しくお思いになった。大将殿も、昇進の喜びに加えて、嬉しくお思いになる。昨夜おいでになったお礼言上に、そのまま、このお祝いを合わせて、立ったままで参上なさった。こうして籠もっていらっしゃるので、お祝いに参上しない人はいない。
 ようやくその夜明けに二条の院の夫人は男児を生んだ。宮も非常にお喜びになった。右大将も昇任のよろこびと同時にこの報を得ることのできたのをうれしく思った。昨夜の宴に出ていただいたお礼を述べに来るのとともに、御男子出産の喜びを申しに、薫は家へ帰るとすぐに二条の院へ来たのであった。兵部卿の宮がそのままずっと二条の院におられたから、お喜びを申しに伺候しない人もなかった。
  Karausite, sono akatuki, wotoko nite mumare tamahe ru wo, Miya mo ito kahi ari te uresiku obosi tari. Daisyau-dono mo, yorokobi ni sohe te, uresiku obosu. Yobe ohasimasi tari si kasikomari ni, yagate, kono ohom-yorokobi mo uti-sohe te, tati nagara mawiri tamahe ri. Kaku komori ohasimase ba, mawiri tamaha nu hito nasi.
8.2.2  御産養、三日は、例のただ宮の御私事にて、 五日の夜、大将殿より屯食五十具、碁手の銭、椀飯などは、世の常のやうにて、子持ちの御前の衝重三十、稚児の御衣五重襲にて、御襁褓などぞ、ことことしからず、忍びやかにしなしたまへれど、こまかに見れば、わざと目馴れぬ心ばへなど見えける。
 御産養は、三日は、例によってただ宮の私的祝い事として、五日の夜は、大将殿から屯食五十具、碁手の銭、椀飯などは、普通通りにして、子持ちの御前の衝重三十、稚児の御産着五重襲に、御襁褓などは、仰々しくないようにこっそりとなさったが、詳細に見ると、特別に珍しい趣向が凝らしてあったのであった。
 産養うぶやしないの三日の夜は父宮のお催しで、五日には右大将から産養を奉った。屯食とんじき五十具、碁手ごての銭、椀飯おうばんなどという定まったものはその例に従い、産婦の夫人へ料理の重ね箱三十、嬰児えいじの服を五枚重ねにしたもの、襁褓むつきなどに目だたぬ華奢かしゃの尽くされてあるのも、よく見ればわかるのであった。
  Ohom-ubuyasinahi, mi-ka ha, rei no tada Miya no ohom-watakusi-goto nite, itu-ka no yo, Daisyau-dono yori tonziki gozihu-gu, gote no zeni, wauban nado ha, yo no tune no yau nite, Komoti-no-Omahe no tui-gasane sam-zihu, Tigo no ohom-zo itu-he-gasane nite, ohom-mutuki nado zo, koto-kotosikara zu, sinobi-yaka ni si-nasi tamahe re do, komaka ni mire ba, wazato me-nare nu kokorobahe nado miye keru.
8.2.3  宮の御前にも浅香の折敷、高坏どもにて、粉熟参らせたまへり。女房の御前には、衝重をばさるものにて、桧破籠三十、さまざまし尽くしたることどもあり。人目にことことしくは、ことさらにしなしたまはず。
 宮の御前にも浅香の折敷や、高坏類に、粉熟を差し上げなさった。女房の御前には、衝重はもちろんのこと、桧破子三十、いろいろと手を尽くしたご馳走類がある。人目につくような大げさには、わざとなさらない。
 父宮へも浅香木の折敷おしき高坏たかつきなどに料理、ふずく(麺類めんるい)などが奉られたのである。女房たちは重詰めの料理のほかに、かご入りの菓子三十が添えて出された。たいそうに人目を引くことはわざとしなかったのである。
  Miya no o-mahe ni mo sankau no wosiki, takatuki-domo ni te, huzuku mawira se tamahe ri. Nyoubau no o-mahe ni ha, tui-gasane wo ba saru mono nite, hiwarigo sam-zihu, sama-zama si tukusi taru koto-domo ari. Hitome ni koto-kotosiku ha, kotosara ni si-nasi tamaha zu.
8.2.4   七日の夜は、后の宮の御産養なれば、参りたまふ人びといと多かり。宮の大夫をはじめて、殿上人、上達部、数知らず参りたまへり。内裏にも聞こし召して、
 七日の夜は、后の宮の御産養なので、参上なさる人びとが多い。中宮大夫をはじめとして、殿上人、上達部が、数知れず参上なさった。主上におかれてもお耳にあそばして、
 七日の夜は中宮からのお産養であったから、席につらなる人が多かった。中宮大夫だゆうを初めとして殿上役人、高級官吏は数も知れぬほどまいったのだった。帝も出産を聞召きこしめして、
  Siti-niti no yo ha, Kisai-no-Miya no ohom-ubuyasinahi nare ba, mawiri tamahu hito-bito ito ohokari. Miya-no-Daibu wo hazime te, Tenzyau-bito, Kamdatime, kazu sira zu mawiri tamahe ri. Uti ni mo kikosimesi te,
8.2.5  「 宮のはじめて大人びたまふなるには、いかでか
 「宮がはじめて一人前におなりになったというのに、どうして放っておけようか」
 兵部卿の宮がはじめて父になった喜びのしるしをぜひとも贈るべきである
  "Miya no hazimete otona-bi tamahu naru ni ha, ikadeka."
8.2.6  とのたまはせて、御佩刀奉らせたまへり。
 と仰せになって、御佩刀を差し上げなさった。
 と仰せになり、太刀たちを新王子に賜わった。
  to notamahase te, mi-hakasi tatematura se tamahe ri.
8.2.7   九日も、大殿より仕うまつらせたまへり。よろしからず思すあたりなれど、 宮の思さむところあれば、御子の公達など参りたまひて、すべていと思ふことなげにめでたければ、 御みづからも、月ごろもの思はしく心地の悩ましきにつけても、心細く思したりつるに、かくおもただしく今めかしきことどもの多かれば、 すこし慰みもやしたまふらむ
 九日も、大殿からお世話申し上げなさった。おもしろくなくお思いになるところだが、宮がお思いになることもあるので、ご子息の公達が参上なさって、万事につけたいそう心配事もなさそうにおめでたいので、ご自身でも、ここ幾月も物思いによって気分が悪いのにつけても、心細くお思い続けていたが、このように面目がましいはなやかな事が多いので、少し慰みなさったことであろうか。
 九日も左大臣からの産養があった。愛嬢の競争者の夫人を喜ばないのであるが、宮の思召しをはばかって、当夜は子息たちを何人も送り、接客の用を果たさせもした。夫人もこの幾月間物思いをし続けると同時に、身体の苦しさも並み並みでなく、心細くばかり思っていたのであったが、こうしたはなやかな空気に包まれる日が来て少し慰んだかもしれない。
  Kokonu-ka mo, Ohoi-dono yori tukau-matura se tamahe ri. Yorosikara zu obosu atari nare do, Miya no obosa m tokoro are ba, mi-ko no Kimdati nado mawiri tamahi te, subete ito omohu koto nage ni medetakere ba, ohom-midukara mo, tuki-goro mono-omohasiku kokoti no nayamasiki ni tuke te mo, kokoro-bosoku obosi tari turu ni, kaku omodatasiku imamekasiki koto-domo no ohokare ba, sukosi nayami mo ya si tamahu ram.
8.2.8  大将殿は、「 かくさへ大人び果てたまふめれば、いとどわが方ざまは気遠くやならむ。また、宮の御心ざしもいとおろかならじ」と思ふは口惜しけれど、また、初めよりの心おきてを思ふには、いとうれしくもあり。
 大将殿は、「このようにすっかり大人になってしまわれたので、ますます自分のほうには縁遠くなってしまうだろう。また、宮のお気持ちもけっして並々ではあるまい」と思うのは残念であるが、また、初めからの心づもりを考えてみると、たいそう嬉しくもある。
 右大将はこんなふうに動揺されぬ位置が中の君にできてしまい、王子の母君となってしまっては、自分の恋に対して冷淡さが加わるばかりであろうし、宮の愛はこの夫人に多く傾くばかりであろうと思われるのはくちおしい気のすることであったが、最初から願っていた中の君の幸福というものがこれで確実になったとする点ではうれしく思わないではいられなかった。
  Daisyau-dono ha, "Kaku sahe otonabi hate tamahu mere ba, itodo waga kata-zama ha ke-dohoku ya nara m. Mata, Miya no mi-kokorozasi mo ito oroka nara zi." to omohu ha kutiwosikere do, mata, hazime yori no kokoro-okite wo omohu ni ha, ito uresiku mo ari.
注釈678男にて生まれたまへるを中君、男子を出産。8.2.1
注釈679立ちながら参りたまへり出産の穢れを避けるため、着座しない。8.2.1
注釈680かく籠もりおはしませば主語は匂宮。8.2.1
注釈681五日の夜五日の夜の産養の儀。中君の後見役の薫が主催。8.2.2
注釈682七日の夜はお七夜は匂宮の母明石中宮主催。8.2.4
注釈683宮のはじめて大人びたまふなるにはいかでか帝の詞。8.2.5
注釈684九日も大殿より九日の夜の産養の儀が、匂宮の後見役夕霧主催で催される。8.2.7
注釈685宮の思さむところあれば『集成』は「匂宮のご機嫌を損ねるわけにもゆかぬので」と注す。8.2.7
注釈686御みづからも中君をさす。8.2.7
注釈687すこし慰みもやしたまふらむ『細流抄』は「草子地也」と指摘。語り手の推測。8.2.7
注釈688かくさへ以下「いとおろかならじ」まで、薫の心中の思い。8.2.8
8.3
第三段 二月二十日過ぎ、女二の宮、薫に降嫁す


8-3  Onna-ni-no-miya gets married to Kaoru and moves into his home at 20 past on February

8.3.1  かくて、 その月の二十日あまりにぞ、藤壺の宮の御裳着の事ありて、またの日なむ、大将参りたまひける。夜のことは忍びたるさまなり。天の下響きていつくしう見えつる御かしづきに、ただ人の具したてまつりたまふぞ、なほ飽かず心苦しく見ゆる。
 こうして、その月の二十日過ぎに、藤壷の宮の御裳着の儀式があって、翌日、大将が参上なさった。その夜のことは内々のことである。世間に評判なほど大切にかしずかれた姫宮なのに、臣下がご結婚申し上げなさるのは、やはり物足りなくお気の毒に見える。
 その月の二十幾日に女二の宮の裳着の式が行なわれ、翌夜に右大将は藤壺ふじつぼへまいった。これに儀式らしいものはなくて、ひそかなことになっていた。天下の大事のように見えるほどおかしずきになった姫宮の御良人おっとに一臣下の男がなるのに不満が覚えられる。
  Kakute, sono tuki no hatu-ka amari ni zo, Huditubo-no-Miya no ohom-mogi no koto ari te, mata no hi nam, Daisyau mawiri tamahi keru. Yo no koto ha sinobi taru sama nari. Ame-no-sita hibiki te itukusiu miye turu ohom-kasiduki ni, tadaudo no gu-si tatematuri tamahu zo, naho akazu kokoro-gurusiku miyuru.
8.3.2  「 さる御許しはありながらも、ただ今、かく急がせたまふまじきことぞかし」
 「そのようなお許しはあったとしても、ただ今、このようにお急ぎあそばすことでもあるまい」
 婚約はお許しになっておいても、結婚をそう急いでおさせにならないでもよいではないか
  "Saru ohom-yurusi ha ari nagara mo, tada ima, kaku isoga se tamahu maziki koto zo kasi."
8.3.3  と、そしらはしげに思ひのたまふ人もありけれど、思し立ちぬること、すがすがしくおはします御心にて、来し方ためしなきまで、同じくはもてなさむと、 思しおきつるなめり帝の御婿になる人は、昔も今も多かれど、かく盛りの御世に、ただ人のやうに、婿取り急がせたまへるたぐひは、すくなくやありけむ。 右の大臣も、
 と、非難がましく思いおっしゃる人もいるのだったが、ご決意なさったことを、すらすらとなさるご性格なので、過去に例がないほど同じことならお扱いなさろうと、お考えおいたようである。帝の御婿になる人は、昔も今も多いが、このように全盛の御世に、臣下のように、婿を急いでお迎えなさる例は少なかったのではなかろうか。右大臣も、
 と非難らしいことを申す者もあったが、お思い立ちになったことはすぐ実行にお移しになるみかどの御性質から、過去に例のないまで帝の婿として薫を厚遇しようとお考えになってあそばすことらしかった。帝の御婿になる人は昔も今もたくさんあろうが、まだ御盛んな御在位中にただの人間のように婿取りに熱中あそばしたというようなことは少なかったであろう。左大臣も、
  to, sosirahasige ni omohi notamahu hito mo ari kere do, obosi-tati nuru koto, suga-sugasiku ohasimasu mi-kokoro nite, kisi-kata tamesi naki made, onaziku ha motenasa m to, obosi-oki turu na' meri. Mikado no ohom-muko ni naru hito ha, mukasi mo ima mo ohokare do, kaku sakari no mi-yo ni, tadaudo no yau ni, muko-dori isoga se tamahe ru taguhi ha, sukunaku ya ari kem. Migi-no-Otodo mo,
8.3.4  「 めづらしかりける人の御おぼえ、宿世なり。故院だに、朱雀院の御末にならせたまひて、今はとやつしたまひし際にこそ、 かの母宮を得たてまつりたまひしか。我はまして、 人も許さぬものを拾ひたりしや
 「珍しいご信任、運勢だ。故院でさえ、朱雀院の晩年におなりあそばして、今は出家されようとなさった時に、あの母宮を頂戴なさったのだ。自分はまして、誰も許さなかったのを拾ったものだ」
 「右大将はすばらしい運命を持った男ですね。六条院すら朱雀すざく院の晩年に御出家をされる際にあの母宮をお得になったくらいのことだし、私などはましてだれもお許しにならないのをかってに拾ったにすぎない」
  "Medurasikari keru hito no ohom-oboye, sukuse nari. Ko-Win dani, Suzaku-Win no ohom-suwe ni narase tamahi te, imaha to yatusi tamahi si kiha ni koso, kano Haha-Miya wo e tatematuri tamahi sika. Ware ha masite, hito mo yurusa nu mono wo hirohi tari si ya."
8.3.5  とのたまひ出づれば、宮は、げにと思すに、恥づかしくて御いらへもえしたまはず。
 とおっしゃり出すので、宮は、その通りとお思いになると、恥ずかしくてお返事もおできになれない。
 こんなことを言った。夫人の宮はそのとおりであったことがお恥ずかしくて返辞をあそばすこともできなかった。
  to notamahi-idure ba, Miya ha, geni to obosu ni, hadukasiku te ohom-irahe mo si tamaha zu.
8.3.6   三日の夜は、大蔵卿よりはじめて、 かの御方の心寄せになさせたまへる人びと、家司に仰せ言賜ひて、忍びやかなれど、かの御前、随身、車副、舎人まで禄賜はす。そのほどの事どもは、 私事のやうにぞありける
 三日の夜は、大蔵卿をはじめとして、あの御方のお世話役をなさっていた人びとや、家司にご命令なさって、人目に立たないようにではあるが、婿殿の御前駆や随身、車副、舎人まで禄をお与えになる。その時の事柄は、私事のようであった。
 三日目の夜は大蔵卿おおくらきょうを初めとして、女二の宮の後見に帝のあてておいでになる人々、宮付きの役人に仰せがあって、右大将の前駆の人たち、随身、車役、舎人とねりにまで纏頭てんとうを賜わった。普通の家の新郎の扱い方に少しも変わらないのであった。
  Mi-ka no yo ha, Ohokura-kyau yori hazime te, kano Ohom-kata no kokoro-yose ni nasa se tamahe ru hito-bito, Keisi ni ohose-goto tamahi te, sinobiyaka nare do, kano go-zen, zuizin, kuruma-zohi, Toneri made roku tamaha su. Sono hodo no koto-domo ha, watakusi-goto no yau ni zo ari keru.
8.3.7   かくて後は、忍び忍びに参りたまふ。心の内には、 なほ忘れがたきいにしへざまのみおぼえて、昼は里に起き臥し眺め暮らして、暮るれば心より外に急ぎ参りたまふをも、ならはぬ心地に、いともの憂く苦しくて、「 まかでさせたてまつらむ」とぞ思しおきてける。
 こうして後は、忍び忍びに参上なさる。心の中では、やはり忘れることのできない故人のことばかりが思われて、昼は実邸に起き臥し物思いの生活をして、暮れると気の進まないままに急いで参内なさるのを、なれない気持ちには億劫で苦しくて、「ご退出させ申し上げよう」とお考えになったのであった。
 それからのちは忍び忍びに藤壺へ薫は通って行った。心の中では昔のこと、昔にゆかりのある人のことばかりが思われて、昼はひねもす物思いに暮らして、夜になるとわが意志でもなく女二の宮をお訪ねに行くのも、そうした習慣のなかった人であるからおっくうで苦しく思われる薫は、御所から自邸へ宮をお迎えしようと考えついた。
  Kakute noti ha, sinobi-sinobi ni mawiri tamahu. Kokoro no uti ni ha, naho wasure gataki inisihe-zama nomi oboye te, hiru ha sato ni oki-husi nagame kurasi te, kurure ba kokoro yori hoka ni isogi mawiri tamahu wo mo, naraha nu kokoti ni, ito mono-uku kurusiku te, "Makade sase tatematura m." to zo obosi-oki te keru.
8.3.8  母宮は、いとうれしきことに思したり。おはします寝殿譲りきこゆべくのたまへど、
 母宮は、とても嬉しいこととお思いになっていらっしゃった。お住まいになっている寝殿をお譲り申し上げようとおっしゃるが、
 そのことを尼宮はうれしく思召おぼしめして、御自身のお住居すまいになっている寝殿を全部新婦の宮へ譲ろうと仰せになったのであるが、
  Haha-Miya ha, ito uresiki koto ni obosi tari. Ohasimasu sinden yuduri kikoyu beku notamahe do,
8.3.9  「 いとかたじけなからむ
 「まことに恐れ多いことです」
 それはもったいないことである
  "Ito katazikenakara m."
8.3.10  とて、御念誦堂のあはひに、廊を続けて造らせたまふ。 西面に移ろひたまふべきなめり。東の対どもなども、焼けて後、うるはしく新しくあらまほしきを、いよいよ磨き添へつつ、こまかにしつらはせたまふ。
 と言って、御念誦堂との間に、渡廊を続けてお造らせになる。西面にお移りになるようである。東の対なども、焼失して後は、立派に新しく理想的なのを、ますます磨き加え加えして、こまごまとしつらわせなさる。
 と薫は言って、自身の念誦ねんず講堂との間に廊を造らせていた。西側の座敷のほうへ宮をお迎えするつもりらしい。東の対なども焼けてのちにまたみごとな建築ができていたのをさらに設備を美しくさせていた。
  tote, ohom-nenzyu-dau no ahahi ni, rau wo tuduke te tukura se tamahu. Nisi-omote ni uturohi tamahu beki na' meri. Himgasi-no-tai-domo nado mo, yake te noti, uruhasiku atarasiku aramahosiki wo, iyo-iyo migaki sohe tutu, komaka ni situraha se tamahu.
8.3.11  かかる御心づかひを、内裏にも聞かせたまひて、 ほどなくうちとけ移ろひたまはむを、いかがと思したり。帝と聞こゆれど、 心の闇は同じごとなむおはしましける。
 このようなお心づかいを、帝におかせられてもお耳にあそばして、月日も経ずに気安く引き取られなさるのを、どんなものかとお思いであった。帝と申し上げても、子を思う心の闇は同じことでおありだった。
 薫のそうした用意をしていることが帝のお耳にはいり、結婚してすぐに良人おっとの家へはいるのはどんなものであろうと不安に思召されるのであった。帝も子をお愛しになる心のやみは同じことなのである。
  Kakaru mi-kokoro-dukahi wo, uti ni mo kika se tamahi te, hodo naku utitoke uturohi tamaha m wo, ikaga to obosi tari. Mikado to kikoyure do, kokoro-no-yami ha onazi-goto nam ohasimasi keru.
8.3.12   母宮の御もとに御使ありける御文にも、ただこのことをなむ聞こえさせたまひける。 故朱雀院の、取り分きて、この尼宮の御事をば聞こえ置かせたまひしかば、かく世を背きたまへれど、衰へず、何事も元のままにて、 奏せさせたまふことなどは、かならず聞こしめし入れ、御用意 深かりけり
 母宮の御もとに、お使いがあったお手紙にも、ただこのことばかりを申し上げなさった。故朱雀院が、特別に、この尼宮の御事をお頼み申し上げていたので、このように出家なさっているが、衰えず、何事も昔通りで、奏上させなさることなどは、必ずお聞き入れなさって、お心配りが深いのであった。
 尼宮の所へ勅使がまいり、お手紙のあった中にも、ただ女二の宮のことばかりが書かれてあった。おくなりになった朱雀院が特別にこの尼宮を御援助になるようにと遺託しておありになったために、出家をされたのちでも二品にほん内親王の御待遇はお変えにならず、宮からお願いになることは皆御採用になるというほどの御好意を帝は示しておいでになったのである。
  Haha-Miya no ohom-moto ni, ohom-tukahi ari keru ohom-humi ni mo, tada kono koto wo nam kikoye sase tamahi keru. Ko-Syuzaku-Win no, tori-waki te, ko no Ama-Miya no ohom-koto wo ba kikoye oka se tamahi sika ba, kaku yo wo somuki tamahe re do, otorohe zu, nani-goto mo moto no mama nite, sou-se sase tamahu koto nado ha, kanarazu kikosimesi ire, ohom-youi hukakari keri.
8.3.13  かく、 やむごとなき御心どもに、かたみに限りもなくもてかしづき騒がれたまふおもだたしさも、いかなるにかあらむ、 心の内にはことにうれしくもおぼえず、なほ、ともすればうち眺めつつ、宇治の寺造ることを急がせたまふ。
 このように、重々しいお二方に、互いにこの上なく大切にされていらっしゃる面目も、どのようなものであろうか、心中では特に嬉しくも思われず、やはり、ともすれば物思いに耽りながら、宇治の寺の造営を急がせなさる。
 こうした最高の方を舅君しゅうとぎみとし、母宮として、たいせつにお扱われする名誉もどうしたものか薫の心には特別うれしいとは思われずに、今もともすれば物思い顔をしていて、宇治の御堂の造営を大事に考えて急がせていた。
  Kaku, yamgotonaki mi-kokoro-domo ni, katami ni kagiri mo naku mote-kasiduki sawagare tamahu omodatasisa mo, ika naru ni ka ara m, kokoro no uti ni ha koto ni uresiku mo oboye zu, naho, tomo-sure ba uti-nagame tutu, Udi no tera tukuru koto wo isoga se tamahu.
注釈689その月の二十日あまりにぞ中君の出産と同じ二月二十日過ぎに。8.3.1
注釈690さる御許しは以下「事ぞかし」まで、世人の噂。藤壺の宮(女二宮)降嫁の御内意をさす。8.3.2
注釈691思しおきつるなめり帝の心中を慮る語り手の婉曲的推量。8.3.3
注釈692帝の御婿になる人は以下、語り手の推量を交えた批評。『湖月抄』は「地」と指摘。8.3.3
注釈693めづらしかりける人の以下「拾ひたりしや」まで、夕霧の詞。落葉宮を前にしての発言。8.3.4
注釈694かの母宮を薫の母女三宮をさす。8.3.4
注釈695人も許さぬものを拾ひたりしや『完訳』は「未亡人となった落葉の宮を、周囲の反対を押し切って娶ったこと」と注す。8.3.4
注釈696三日の夜は薫と女二の宮の結婚三日目の夜。8.3.6
注釈697かの御方の藤壺の宮をさす。8.3.6
注釈698私事のやうにぞありける『完訳』は「きめ細かな配慮ゆえ」と注す。8.3.6
注釈699かくて後は忍び忍びに参りたまふ結婚成立後。薫の女二宮への通い方。8.3.7
注釈700なほ忘れがたきいにしへざまのみおぼえて薫は依然として大君が忘れられない。8.3.7
注釈701まかでさせたてまつらむとぞ女二宮を自邸の三条宮に迎えること。8.3.7
注釈702いとかたじけなからむ薫の詞。母女三宮の申し出を受諾。8.3.9
注釈703西面に移ろひたまふべきなめり語り手の推測。母女三宮は寝殿の西面に移る。西面の続きに念誦堂があり、その間に渡廊を造る。8.3.10
注釈704ほどなくうちとけ移ろひたまはむをいかが帝の心中の思い。新婚早々に気安く引き取られるのに気が進まない。いつまでも宮を側に置いておきたい親心。8.3.11
注釈705心の闇は同じごと『紫明抄』は「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひにけるかな」(後撰集雑一、一一〇二、兼輔朝臣)を指摘。8.3.11
注釈706母宮の御もとに薫の母女三宮。8.3.12
注釈707御使帝の使者。8.3.12
注釈708故朱雀院の、取り分きて、この尼宮の御事をば帝と薫の母女三宮は異腹の兄妹。8.3.12
注釈709奏せさせたまふこと女三宮が帝に。8.3.12
注釈710やむごとなき御心どもに帝と女三宮の思い入れ。8.3.13
注釈711心の内には薫の心中。8.3.13
出典49 心の闇は同じごと 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 8.3.11
校訂73 右の大臣 右の大臣--ひたり(ひたり/$右)のおとゝ 8.3.3
校訂74 深かりけり 深かりけり--ふかく(く/#<朱>)かりけり 8.3.12
8.4
第四段 中君の男御子、五十日の祝い


8-4  A celebration of the baby's 50th day born

8.4.1   宮の若君の五十日になりたまふ日数へ取りて、その餅の急ぎを心に入れて、籠物、桧破籠などまで見入れたまひつつ、世の常のなべてにはあらずと思し心ざして、沈、紫檀、銀、黄金など、道々の細工どもいと多く召しさぶらはせたまへば、 我劣らじと、さまざまのことどもを し出づめり
 宮の若君が五十日におなりになる日を数えて、その餅の準備を熱心にして、籠物や桧破子などまで御覧になりながら、世間一般の平凡なものにはしまいとお考え向きになって、沈、紫檀、銀、黄金など、それぞれの専門の工匠をたいそう大勢呼び集めさせなさるので、自分こそは負けまいと、いろいろのものを作り出すようである。
 兵部卿の宮の若君の五十日になる日を数えていて、その式用の祝いのもちの用意を熱心にして、竹のかごひのきの籠などまでも自身で考案した。じんの木、紫檀したん、銀、黄金などのすぐれた工匠を多く家に置いている人であったから、その人々はわれ劣らじと製作に励んでいた。
  Miya-no-Waka-Gimi no i-ka ni nari tamahu hi kazohe tori te, sono motihi no isogi wo kokoro ni ire te, ko-mono, hiwarigo nado made, mi-ire tamahi tutu, yo no tune no nabete ni ha ara zu to obosi kokorozasi te, din, sitan, sirokane, kogane nado, miti-miti no saiku-domo ito ohoku mesi saburaha se tamahe ba, ware otora zi to, sama-zama no koto-domo wo si-idu meri.
8.4.2   みづからも、例の、宮のおはしまさぬ隙におはしたり。 心のなしにやあらむ、今すこし重々しくやむごとなげなるけしきさへ添ひにけりと見ゆ。「 今は、さりとも、むつかしかりしすずろごとなどは紛れたまひにたらむ」と思ふに、心やすくて、対面したまへり。されど、ありしながらのけしきに、まづ涙ぐみて、
 ご自身も、いつものように、宮がいらっしゃらない間においでになった。気のせいであろうか、もう一段と重々しく立派な感じが加わったと見える。「今は、そうはいっても、わずらわしかった懸想事などは忘れなさったろう」と思うと、安心なので、お会いなさった。けれど、以前のままの様子で、まっさきに涙ぐんで、
 薫はまた宮のおいでにならぬひまに二条の院の夫人を訪れた。思いなしか重々しさと高貴さが添ったように中の君を薫は思った。もう薫は結婚もしたのであるから、自分の迷惑になるような気持ちは皆紛れてしまっているであろうと安心して夫人は出て来たのであったが、やはり同じように寂しい表情をし、涙ぐんでいて、
  Midukara mo, rei no, Miya no ohasimasa nu hima ni ohasi tari. Kokoro no nasi ni ya ara m, ima sukosi omo-omosiku yamgotonage naru kesiki sahe sohi ni keri to miyu. "Ima ha, saritomo, mutukasikari si suzuro-goto nado ha magire tamahi ni tara m." to omohu ni, kokoro-yasuku te, taimen si tamahe ri. Saredo, ari si nagara no kesiki ni, madu namida-gumi te,
8.4.3  「 心にもあらぬまじらひ、いと思ひの外なるものにこそと、世を思ひたまへ乱るることなむ、まさりにたる」
 「気の進まない結婚は、たいそう心外なものだと、世の中を思い悩みますことは、今まで以上です」
 「自分の意志でない結婚をした苦痛というものはまた予想外に堪えられないものだとわかりまして、煩悶はんもんばかりが多くなりました」
  "Kokoro ni mo ara nu mazirahi, ito omohi no hoka naru mono ni koso to, yo wo omohi tamahe midaruru koto nam, masari ni taru."
8.4.4  と、あいだちなくぞ愁へたまふ。
 と、何の遠慮もなく訴えなさる。
 と、新婦の宮に同情の欠けたようなことをかおるは言って夫人に訴えた。
  to, aidati naku zo urehe tamahu.
8.4.5  「 いとあさましき御ことかな。人もこそおのづからほのかにも 漏り聞きはべれ」
 「まあ何というお事を。他人が自然と漏れ聞いたら大変ですよ」
 「とんだことをおっしゃいます。そういうことをいつの間にか人が聞くようになってはたいへんですよ」
  "Ito asamasiki ohom-koto kana! Hito mo koso onodukara honoka ni mo mori kiki habere."
8.4.6  などはのたまへど、 かばかりめでたげなることどもにも慰まず、「忘れがたく思ひたまふらむ心深さよ」とあはれに思ひきこえたまふに、おろかにもあらず思ひ知られたまふ。「 おはせましかば」と、口惜しく思ひ出できこえたまへど、「 それも、わがありさまのやうに、うらやみなく身を恨むべかりけるかし。何事も数ならでは、世の人めかしきこともあるまじかりけり」とおぼゆるにぞ、いとど、 かの、うちとけ果てでやみなむと思ひたまへりし心おきては、なほ、いと重々しく思ひ出でられたまふ。
 などとおっしゃるが、これほどめでたい幾つものことにも心が晴れず、「忘れがたく思っていらっしゃるのだろう愛情の深さは」としみじみお察し申し上げなさると、並々でない愛情だとお分かりになる。「生きていらっしゃったら」と、残念にお思い出し申し上げなさるが、「そうしても、自分と同じようになって、姉妹で恨みっこなしに恨むのがおちであろう。何事も、落ちぶれた身の上では、一人前らしいこともありえないのだ」と思われると、ますます、姉君の結婚しないで通そうと思っていらっしゃった考えは、やはり、とても重々しく思い出されなさる。
 こう中の君は言いながらも、だれが見ても光栄の人になっていて、それにも慰められずまだ故人が忘れられないように言うこの人の愛の純粋さをうれしく思っていた。姉君が生きていたらとも思うのであったが、しかしそれも自分と同じように勝ち味のない競争者を持って薄運を歎くにとどまることになったであろう、富のない自分らは世の中から何につけても尊重されていくものではないらしいとまた思うことによって姉君がどこまでも情に負けず結婚はせまいとした心持ちのえらさが思われた。
  nado ha notamahe do, kabakari medetage naru koto-domo ni mo nagusama zu, "Wasure gataku omohi tamhu ram kokoro-hukasa yo." to ahare ni omohi kikoye tamahu ni, oroka ni mo ara zu omohi-sira re tamahu. "Ohase masika ba." to, kutiwosiku omohi-ide kikoye tamahe do, "Sore mo, wa ga arisama no yau ni, urayami naku mi wo uramu bekari keru kasi. Nani-goto mo kazu nara de ha, yo no hito mekasiki koto mo aru mazikari keri." to oboyuru ni zo, itodo, kano, utitoke hate de yami na m to omohi tamahe ri si kokoro-okite ha, naho, ito omo-omosiku omohi-ide rare tamahu.
注釈712宮の若君の五十日になりたまふ日匂宮の若君。中君が産んだ男御子。五十日の祝い。三月下旬ころ。8.4.1
注釈713我劣らじと工匠たちが競い合うさま。8.4.1
注釈714し出づめり語り手の推量。視界内推量、臨場感ある描写。8.4.1
注釈715みづからも薫。8.4.2
注釈716心のなしにやあらむ今すこし重々しくやむごとなげなるけしきさへ添ひにけりと見ゆ薫の風姿。権大納言兼右大将に昇進、かつ今上帝の女二宮の婿となった。語り手の感情移入を交えた表現。8.4.2
注釈717今はさりとも以下「思ひ紛れたまひにたらむ」まで、中君の心中。8.4.2
注釈718心にもあらぬまじらひ以下「まさりにたる」まで、薫の詞。女二宮との結婚をさす。8.4.3
注釈719いとあさましき御ことかな以下「漏り聞きはべれ」まで、中君の詞。8.4.5
注釈720かばかりめでたげなる以下「心ふかさよ」まで、中君の心中の思い。薫の憂愁の深さを思う。8.4.6
注釈721おはせましかば中君の心中の思い。姉大君が生きていらしたら。反実仮想。8.4.6
注釈722それもわがありさまのやうに以下「あるまじかりけり」まで、中君の心中の思い。『集成』は「自分が六の君のことで苦労しているように、姉君も女二の宮のことで悩まれたに違いない、の意」と注す。8.4.6
注釈723かのうちとけ果てで「かの」は姉大君をさす。最後まで身を許さずに、の意。8.4.6
校訂75 漏り聞き 漏り聞き--と(と/$も<朱>)りきゝ 8.4.5
8.5
第五段 薫、中君の若君を見る


8-5  Kaoru sees Naka-no-kimi's baby

8.5.1   若君を切にゆかしがりきこえたまへば、恥づかしけれど、「 何かは隔て顔にもあらむ、わりなきこと一つにつけて恨みらるるよりほかには、いかでこの人の御心に違はじ」と思へば、みづからはともかくもいらへきこえたまはで、 乳母してさし出でさせたまへり。
 若君を切に拝見したがりなさるので、恥ずかしいけれど、「どうしてよそよそしくしていられよう、無理なこと一つで恨まれるより以外には、何とかこの人のお心に背くまい」と思うので、ご自身はあれこれお答え申し上げなさらないで、乳母を介して差し出させなさった。
 薫が若君をぜひ見せてほしいと言っているのを聞いて、恥ずかしくは思いながら、この人に隔て心を持つようには取られたくない、無理な恋を受け入れぬと恨まれる以外のことで、この人の感情は害したくないと中の君は思い、自身では何とも返辞をせずに、乳母めのとに抱かせた若君を御簾みすの外へ出して見せさせた。
  Waka-Gimi wo seti ni yukasi-gari kikoye tamahe ba, hadukasikere do, "Nani-kaha hedate-gaho ni mo ara m, warinaki koto hitotu ni tuke te urami raruru yori hoka ni ha, ikade kono hito no mi-kokoro ni tagaha zi." to omohe ba, midukara ha tomo-kaku-mo irahe kikoye tamaha de, menoto si te sasi-ide sase tamahe ri.
8.5.2   さらなることなれば、憎げならむやは。ゆゆしきまで白くうつくしくて、たかやかに物語し、うち笑ひなどしたまふ顔を見るに、わがものにて見まほしくうらやましきも、世の思ひ離れがたくなりぬるにやあらむ。されど、「 言ふかひなくなりたまひにし人の、世の常のありさまにて、かやうならむ人をもとどめ置きたまへらましかば」とのみおぼえて、 このころおもだたしげなる御あたりに、いつしかなどは思ひ寄られぬこそ、あまりすべなき君の御心なめれ。かく女々しくねぢけて、まねびなすこそいとほしけれ。
 当然のことながら、どうして憎らしいところがあろう。不吉なまでに白くかわいらしくて、大きい声で何か言っており、にっこりなどなさる顔を見ると、自分の子として見ていたく羨ましいのも、この世を離れにくくなったのであろうか。けれど、「亡くなってしまった方が、普通に結婚して、このようなお子を残しておいて下さったら」とばかり思われて、最近面目をほどこすあたりには、はやく子ができないかなどとは考えもつかないのは、あまり仕方のないこの君のお心のようだ。このように女々しくひねくれて、語り伝えるのもお気の毒である。
 いうまでもなく醜い子であるはずはない。驚くほど色が白く、美しくて、高い声を立ててんでみせる若君を見て薫は、これが自分の子であったならと思い、うらやましい気のしたというのは、この人の心も人間生活に離れにくくなったのであろうか。しかしこの人は、死んだ恋人が普通に自分の妻になっていて、こうした人を形見に残しておいてくれたならばと思うのであって、自身が名誉な結婚をしたと見られている女二の宮から早く生まれる子があればよいなどとは夢にも考えないというのはあまりにも変わった人である。こんなふうに死んで取り返しようのない人にばかり未練を持ち、新しい妻の内親王に愛情を持たないことなどはあまり書くのがお気の毒である。
  Sara naru koto nare ba, nikuge nara m yaha. Yuyusiki made siroku utukusiku te, takayaka ni monogatari si, uti-warahi nado si tamahu kaho wo miru ni, waga mono nite mi mahosiku urayamasiki mo, yo no omohi hanare-gataku nari nuru ni ya ara m. Saredo, "Ihukahinaku nari tamahi ni si hito no, yo no tune no arisama nite, kayau nara m hito wo mo todome-oki tamahe ra masika ba." to nomi oboye te, kono koro omodatasige naru atari ni, itusika nado ha omohi-yora re nu koso, amari subenaki Kimi no mi-kokoro na' mere. Kaku me-mesiku nedike te, manebi nasu koso itohosikere.
8.5.3  しか悪ろびかたほならむ人を、帝の取り分き切に近づけて、睦びたまふべきにもあらじものを、「まことしき方ざまの御心おきてなどこそは、めやすくものしたまひけめ」とぞ推し量るべき。
 そんなによくない方を、帝が特別お側にお置きになって、親しみなさることもあるまいに、「生活面でのご思慮などは、無難でいらっしゃったのだろう」と推量すべきであろう。
 こんな変人を帝が特にお愛しになって、婿にまではあそばされるはずはないのである。公人としての才能が完全なものであったのであろうと見ておくよりしかたがない。
  Sika warobi kataho nara m hito wo, Mikado no tori-waki seti ni tikaduke te, mutubi tamahu beki ni mo ara zi mono wo, "Makoto-siki kata-zama no mi-kokoro okite nado koso ha, meyasuku monosi tamahi keme." to zo osihakaru beki.
8.5.4  げに、いとかく幼きほどを 見せたまへるもあはれなれば、例よりは物語などこまやかに聞こえたまふほどに、暮れぬれば、心やすく夜をだに更かすまじきを、苦しうおぼゆれば、嘆く嘆く 出でたまひぬ
 なるほど、まことにこのように幼い子をお見せなさるのもありがたいことなので、いつもよりはお話などをこまやかに申し上げなさるうちに、日も暮れたので、気楽に夜を更かすわけにもゆかないのを、つらく思われるので、嘆息しながらお出になった。
 これほどの幼い人をはばからず見せてくれた夫人の好意もうれしくて、平生以上にこまやかに話をしているうちに日が暮れたため、他で夜の刻をふかしてはならぬ境遇になったことも苦しく思い、薫は歎息をらしながら帰って行った。
  Geni, ito kaku wosanaki hodo wo mise tamahe ru mo ahare nare ba, rei yori ha monogatari nado komayaka ni kikoye tamahu hodo ni, kure nure ba, kokoro-yasuku yoru wo dani hukasu maziki wo, kurusiu oboyure ba, nageku nageku ide tamahi nu.
8.5.5  「 をかしの人の御匂ひや。 折りつれば、とか や言ふやうに、 鴬も尋ね来ぬべかめり」
 「結構なお匂いの方ですこと。梅を折ったなら、とか言うように、鴬も求めて来ましょうね」
 「なんというよいにおいでしょう。『折りつればそでこそにほへ梅の花』というように、うぐいすもかぎつけて来るかもしれませんね」
  "Wokasi no hito no ohom-nihohi ya! Wori ture ba, to kaya ihu yau ni, uguhisu mo tadune ki nu beka' meri."
8.5.6  など、わづらはしがる若き人もあり。
 などと、やっかいがる若い女房もいる。
 などと騒いでいる女房もあった。
  nado, wadurahasigaru wakaki hito mo ari.
注釈724若君を切にゆかしがりきこえたまへば主語は薫。8.5.1
注釈725何かは隔て顔にもあらむ以下「御心に違はじ」まで、中君の心中の思い。8.5.1
注釈726乳母して若君の乳母。8.5.1
注釈727さらなることなれば以下「とぞ推し量るべき」まで、薫の心中文を折り込んで、その態度を批評した語り手の文章。『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。8.5.2
注釈728言ふかひなくなりたまひにし人故大君。以下「とどめ置きたまへらましかば」まで、薫の心中の思い。反実仮想の構文。8.5.2
注釈729このころおもだたしげなる御あたりに女二宮をさす。8.5.2
注釈730をかしの人の以下「尋ね来ぬべかめり」まで、女房の詞。8.5.5
注釈731折りつればとか『源氏釈』は「折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鴬の鳴く」(古今集春上、三二、読人しらず)を指摘。8.5.5
出典50 折りつれば 折りつれば袖こそ匂へ梅の花有りとやここに鴬の鳴く 古今集春上-三二 読人しらず 8.5.5
校訂76 見せたまへる 見せたまへる--みせはや(はや/$)給へる 8.5.4
校訂77 出でたまひぬ 出でたまひぬ--いてぬ(ぬ/#<朱>)給ぬ 8.5.4
校訂78 鴬も 鴬も--うくひも(も/$)すも 8.5.5
8.6
第六段 藤壺にて藤の花の宴催される


8-6  A banquet is held by Mikado under the wistera blossoms

8.6.1  「 夏にならば、三条の宮塞がる方になりぬべし」と定めて、四月朔日ごろ、節分とかいふこと、まだしき先に渡したてまつりたまふ。
 「夏になったら、三条宮邸は宮中から塞がった方角になろう」と判定して、四月初めころの、節分とかいうことは、まだのうちにお移し申し上げなさる。
 夏になると御所から三条の宮は方角ふさがりになるために、四月の朔日ついたちの、まだ春と夏の節分の来ない間に女二の宮を薫は自邸へお迎えすることにした。
  "Natu ni nara ba, Samdeu-no-miya hutagaru kata ni nari nu besi." to sadame te, Uduki tuitati-goro, setibun to ka ihu koto, madasiki saki ni watasi tatematuri tamahu.
8.6.2   明日とての日藤壺に主上渡らせたまひて、 藤の花の宴せさせたまふ。南の廂の御簾上げて、椅子立てたり。公わざにて、主人の 宮の仕うまつりたまふにはあらず。上達部、殿上人の饗など、内蔵寮より仕うまつれり。
 明日引っ越しという日に、藤壷に主上がお渡りあそばして、藤の花の宴をお催しあそばす。南の廂の御簾を上げて、椅子を立ててある。公の催事で、主人の宮がお催しなさることではない。上達部や、殿上人の饗応などは、内蔵寮からご奉仕した。
 その前日に帝は藤壺ふじつぼへおいでになって、藤花とうかの宴をあそばされた。南のひさしの間の御簾みすを上げて御座の椅子いすが立てられてあった。これは帝のお催しで宮が御主催になったのではない。高級役人や殿上人の饗膳きょうぜんなどは内蔵寮くらりょうから供えられた。
  Asu tote no hi, Hudi-tubo ni Uhe watara se tamahi te, hudi-no-hana-no-en se sase tamahu. Minami no hisasi no mi-su age te, isi tate tari. Ohoyake-waza nite, aruzi no Miya no tukau-maturi tamahu ni ha arazu. Kamdatime, Tenzyau-bito no kyau nado, Kura-dukasa yori tukau-mature ri.
8.6.3   右の大臣按察使大納言藤中納言左兵衛督。親王たちは、 三の宮常陸宮などさぶらひたまふ。南の庭の藤の花のもとに、殿上人の座はしたり。後涼殿の東に、楽所の人びと召して、暮れ行くほどに、双調に吹きて、上の御遊びに、 宮の御方より、御琴ども笛など出ださせたまへば、大臣をはじめたてまつりて、御前に取りつつ参りたまふ。
 右大臣や、按察大納言、藤中納言、左兵衛督。親王方では、三の宮、常陸宮などが伺候なさる。南の庭の藤の花の下に、殿上人の座席は設けた。後涼殿の東に、楽所の人びとを召して、暮れ行くころに、双調に吹いて、主上の御遊に、宮の御方から、絃楽器や管楽器などをお出させなさったので、大臣をおはじめ申して、御前に取り次いで差し上げなさる。
 左大臣、按察使あぜち大納言、とう中納言、左兵衛督さひょうえのかみなどがまいって、皇子がたでは兵部卿ひょうぶきょうの宮、常陸ひたちの宮などが侍された。南の庭の藤の花の下に殿上人の席ができてあった。後涼殿の東に楽人たちが召されてあって、日の暮れごろから双調を吹き出し、お座敷の上では姫宮のほうから御遊の楽器が出され、大臣を初めとして人々がそれを御前へ運んだ。
  Migi-no-Otodo, Azeti-no-Dainagon, Tou-Tyuunagon, Sa-Hyauwe-no-Kami. Miko-tati ha, Sam-no-Miya, Hitati-no-Miya nado saburahi tamahu. Minami no niha no hudi no hana no moto ni, Tenzyau-bito no za ha si tari. Kourau-den no himgasi ni, gakuso no hito-bito mesi te, kure-yuku hodo ni, soudeu ni huki te, uhe no ohom-asobi ni, Miya-no-Ohomkata yori, ohom-koto-domo hue nado idasa se tamahe ba, Otodo wo hazime tatematuri te, o-mahe ni tori tutu mawiri tamahu.
8.6.4   故六条の院の御手づから書きたまひて、入道の宮にたてまつらせたまひし琴の譜二巻、五葉の枝に付けたるを、大臣取りたまひて奏したまふ。
 故六条院がご自身でお書きになって、入道の宮に差し上げなさった琴の譜二巻、五葉の枝に付けたのを、大臣がお取りになって奏上なさる。
 六条院が自筆でおしたためになり、三条の尼宮へお与えになった琴の譜二巻を五葉の枝につけて左大臣は持って出、由来を御披露ひろうして奉った。
  Ko-Rokudeu-no-Win no ohom-te-dukara kaki tamahi te, Nihudau-no-Miya ni tatematura se tamahi si kin no hu huta-maki, goehu no yeda ni tuke taru wo, Otodo tori tamahi te sou-si tamahu.
8.6.5  次々に、箏の御琴、琵琶、和琴など、 朱雀院の物どもなりけり笛は、かの夢に伝へし いにしへの形見のを、「 またなき物の音なり」と賞でさせたまひければ、「 この折のきよらより、またはいつかは映え映えしきついでのあらむ」と思して、取う出で たまへるなめり
 次々に、箏のお琴、琵琶、和琴など、朱雀院の物であった。笛は、あの夢で伝えた故人の形見のを、「二つとない素晴らしい音色だ」とお誉めあそばしたので、「今回の善美を尽くした宴の他に、再びいつ名誉なことがあろうか」とお思いになって、取り出しなさったようだ。
 次々に十三げん琵琶びわ和琴わごんの名楽器が取り出された。朱雀すざく院から伝わった物で薫の所有するものである。笛は柏木かしわぎの大納言が夢に出て伝える人を夕霧へ暗示した形見のもので、非常によいの出るものであると六条院がお愛しになったものを、右大将へ贈るのはこの美しい機会以外にないと思い、薫のためにこの人が用意してきたのであるらしい。
  Tugi-tugi ni, syau-no-ohom-koto, biwa, wagon nado, Syuzyaku-win no mono-domo nari keri. Hue ha, kano yume ni tutahe si inisihe no katami no wo, "Matanaki mono no ne nari." to mede sase tamahi kere ba, "Kono wori no kiyora yori, mata ituka ha haye-bayesiki tuide no ara m." to obosi te, tou-ide tamahe ru na' meri.
8.6.6  大臣和琴、三の宮琵琶など、とりどりに賜ふ。大将の御笛は、今日ぞ、世になき音の限りは吹き立てたまひける。殿上人の中にも、唱歌につきなからぬどもは、召し出でて、おもしろく遊ぶ。
 大臣に和琴、三の宮に琵琶など、それぞれにお与えになる。大将のお笛は、今日は、またとない音色の限りをお立てになったのだった。殿上人の中にも、唱歌に堪能な人たちは、召し出して、風雅に合奏する。
 大臣に和琴、兵部卿の宮に琵琶の役を仰せつけになった。笛の右大将はこの日比類もなく妙音を吹き立てた。殿上役人の中にも唱歌の役にふさわしい人は呼び出され、おもしろい合奏の夜になった。
  Otodo wagon, Sam-no-Miya biwa nado, tori-dori ni tamahu. Daisyau no ohom-hue ha, kehu zo, yo ni naki ne no kagiri ha huki tate tamahi keru. Tenzyau-bito no naka ni mo, syauga ni tuki nakara nu domo ha, mesi-ide te, omosiroku asobu.
8.6.7  宮の御方より、粉熟参らせたまへり。沈の折敷四つ、紫檀の高坏、藤の村濃の打敷に、 折枝縫ひたり。銀の様器、瑠璃の御盃、瓶子は紺瑠璃なり。兵衛督、御まかなひ仕うまつりたまふ。
 宮の御方から、粉熟を差し上げなさった。沈の折敷四つ、紫檀の高坏、藤の村濃の打敷に、折枝を縫ってある。銀の容器、瑠璃のお盃、瓶子は紺瑠璃である。兵衛督が、お給仕をお勤めなさる。
 御前へ女二にょにみやのほうから粉熟ふずくが奉られた。じんの木の折敷おしきが四つ、紫檀したん高坏たかつき、藤色の村濃むらご打敷うちしきには同じ花の折り枝が刺繍ぬいで出してあった。銀の陽器ようき瑠璃るりさかずき瓶子へいし紺瑠璃こんるりであった。兵衛督が御前の給仕をした。
  Miya-no-Ohomkata yori, huzuku mawira se tamahe ri. Din no wosiki yo-tu, sitan no takatuki, hudi no murago no utisiki ni, woriyeda nuhi tari. Sirokane no yauki, ruri no ohom-sakaduki, heisi ha kon-ruri nari. Hyauwe-no-Kami, ohom-makanahi tukau-maturi tamahu.
8.6.8  御盃参りたまふに、大臣、 しきりては便なかるべし、宮たちの御中にはた、さるべきもおはせねば、大将に譲りきこえたまふを、憚り申したまへど、 御けしきもいかがありけむ御盃ささげて、「をし」とのたまへる声づかひもてなしさへ、例の公事なれど、人に似ず見ゆるも、今日はいとど 見なしさへ添ふにやあらむさし返し賜はりて下りて舞踏したまへるほど、いとたぐひなし。
 お盃をいただきなさる時に、大臣は、自分だけしきりにいただくのは不都合であろう、宮様方の中には、またそのような方もいらっしゃらないので、大将にお譲り申し上げなさるのを、遠慮してご辞退申し上げなさるが、帝の御意向もどうあったのだろうか、お盃を捧げて、「おし」とおっしゃる声や態度までが、いつもの公事であるが、他の人と違って見えるのも、今日はますます帝の婿君と思って見るせいであろうか。さし返しの盃にいただいて、庭に下りて拝舞なさるところは、実にまたとない。
 お杯を奉る時に、大臣は自分がたびたび出るのはよろしくないし、その役にしかるべき宮がたもおいでにならぬからと言い、右大将にこの晴れの役を譲った。薫は遠慮をして辞退をしていたが、帝もその御希望がおありになるようであったから、お杯をささげて「おし」という声の出し方、身のとりなしなども、御前ではだれもする役であるが比べるものもないりっぱさに見えるのも、今日は婿君としての思いなしが添うからであるかもしれぬ。返しのお杯を賜わって、階下へ下り舞踏の礼をした姿などは輝くようであった。
  Ohom-sakaduki mawiri tamahu ni, Otodo, sikiri te ha bin nakaru besi, Miya-tati no ohom-naka ni hata, saru-beki mo ohase ne ba, Daisyau ni yuduri kikoye tamahu wo, habakari mausi tamahe do, mi-kesiki mo ikaga ari kem, ohom-sakaduki sasage te, "Wosi!" to notamahe ru kowa-dukahi motenasi sahe, rei no ohoyake-goto nare do, hito ni ni zu miyuru mo, kehu ha itodo mi nasi sahe sohu ni ya ara m. Sasi-kahesi tamahari te, ori te butahu si tamahe ru hodo, ito taguhi nasi.
8.6.9  上臈の親王たち、大臣などの賜はりたまふだにめでたきことなるを、これはまして御婿にてもてはやされたてまつりたまへる、御おぼえ、おろかならずめづらしきに、限りあれば、下りたる座に帰り着きたまへるほど、 心苦しきまでぞ見えける
 上席の親王方や、大臣などが戴きなさるのでさえめでたいことなのに、これはそれ以上に帝の婿君としてもてはやされ申されていらっしゃる、その御信任が、並々でなく例のないことだが、身分に限度があるので、下の座席にお帰りになってお座りになるところは、お気の毒なまでに見えた。
 皇子がた、大臣などがお杯を賜わるのさえきわめて光栄なことであるのに、これはまして御婿として御歓待あそばす御心みこころがおありになる場合であったから、幸福そのもののような形に見えたが、階級は定まったことであったから、大臣、按察使あぜち大納言のしもの座に帰って来て着いた時は心苦しくさえ見えた。
  Zyaurahu no Miko-tati, Daizin nado no tamahari tamahu dani medetaki koto naru wo, kore ha masite ohom-muko nite motehayasa re tatematuri tamahe ru, ohom-oboye, oroka nara zu medurasiki ni, kagiri are ba, kudari taru za ni kaheri tuki tamahe ru hodo, kokoro-gurusiki made zo miye keru.
注釈732夏にならば、三条の宮塞がる方になりぬべし薫の心中の考え。夏になると宮中から三条宮邸は方塞りになる。8.6.1
注釈733明日とての日女二宮の三条宮邸への移転の前日。四月初旬の立夏前の或る日。8.6.2
注釈734藤の花の宴せさせたまふ花鳥余情は村上天皇の天暦三年四月十二日の藤花の宴を準拠として指摘。『西宮記』に詳しい記事がある。8.6.2
注釈735按察使大納言紅梅大納言。故柏木の弟。8.6.3
注釈736藤中納言鬚黒と先妻の間の長男。8.6.3
注釈737左兵衛督藤中納言の弟、三男。8.6.3
注釈738三の宮匂宮。8.6.3
注釈739常陸宮今上帝の四宮。8.6.3
注釈740宮の御方より女二宮。8.6.3
注釈741故六条の院の御手づから書きたまひて入道の宮にたてまつらせたまひし琴の譜二巻源氏が女三宮に琴の琴の楽譜二巻を書いて与えた。初見の記事。8.6.4
注釈742朱雀院の物どもなりけり朱雀院から女三宮に伝えらた楽器。8.6.5
注釈743笛はかの夢に落葉宮から夕霧に伝えられた柏木遺愛の横笛。夕霧の夢に柏木が現れ遺児薫に伝えたいといったもの。8.6.5
注釈744いにしへの形見のを柏木の遺愛の横笛。8.6.5
注釈745またなき物の音なり帝の詞。笛の音を誉める。8.6.5
注釈746この折の以下「ついでのあらむ」まで、薫の心中の思い。『完訳』は「薫は今宵を人生最良と思う」と注す。8.6.5
注釈747折枝縫ひたり藤の折枝の刺繍。8.6.7
注釈748しきりては便なかるべし夕霧の心中の思い。自分だけが天杯を戴いたのでは不都合であろう、と思う。8.6.8
注釈749御けしきもいかがありけむ挿入句。帝の様子を推測。8.6.8
注釈750御盃ささげて、「をし」とのたまへる声づかひ天杯を戴いた時に発する作法の声。「をし」という。8.6.8
注釈751見なしさへ添ふにやあらむ帝の婿と思って見るせいか、の意。8.6.8
注釈752さし返し賜はりて天杯から土器に移して飲むこと。8.6.8
注釈753下りて舞踏したまへるほど庭上に下りて拝舞の礼をする。8.6.8
注釈754心苦しきまでぞ見えける語り手の批評。『孟津抄』は「草子地」と指摘。『完訳』は「語り手の評言。その席次が低すぎるほどだと、薫の光栄を讃美」と注す。8.6.9
校訂79 宮の 宮の--宮(宮/+の<朱>) 8.6.2
校訂80 右の大臣 右の大臣--ひたり(ひたり/#みき)のおとゝ 8.6.3
校訂81 たまへるなめり たまへるなめり--給へり(り/#)るなめり 8.6.5
8.7
第七段 女二の宮、三条宮邸に渡御す


8-7  Onna-ni-no-miya moves into Kaoru's Samjo residence

8.7.1  按察使大納言は、「 我こそかかる目も見むと思ひしか、ねたのわざや」と思ひたまへり。 この宮の御母女御をぞ、昔、心かけきこえたまへりけるを、参りたまひて後も、なほ思ひ離れぬさまに聞こえ通ひたまひて、果ては 宮を得たてまつらむの心つきたりければ、御後見望むけしきも漏らし申しけれど、 聞こし召しだに伝へずなりにければ、いと心やましと思ひて、
 按察使大納言は、「自分こそはこのような目に会いたい思ったが、妬ましいことだ」と思っていらっしゃった。この宮の御母女御を、昔、思いをお懸け申し上げていらっしゃったが、入内なさった後も、やはり思いが離れないふうにお手紙を差し上げたりなさって、終いには宮を得たいとの考えがあったので、ご後見を希望する様子をお漏らし申し上げたが、お聞き入れさえなさらなかったので、たいそう悔しく思って、
 按察使大納言は自分こそこの光栄に浴そうとした者ではないか、うらやましいことであると心で思っていた。昔この宮の母君の女御にょごに恋をしていて、その人が後宮にはいってからも始終忘られぬ消息を送っていたのであって、しまいにはまたお生みした姫宮を得たい心を起こすようになり、宮の御後見役代わりの御良人ごりょうじんになることを人づてにお望み申し上げたつもりであったのが、その人はむだなことを知って奏上もしなかったのであったから、按察使は残念に思い、
  Azeti-no-Dainagon ha, "Ware koso kakaru me mo mi m to omohi sika, neta no waza ya!" to omohi tamahe ri. Kono Miya no ohom-haha-Nyougo wo zo, mukasi, kokoro-kake kikoye tamahe ri keru wo, mawiri tamahi te noti mo, naho omohi hanare nu sama ni kikoye kayohi tamahi te, hate ha Miya wo e tatematura m no kokoro tuki tari kere ba, ohom-usiromi nozomu kesiki mo morasi mausi kere do, kikosimesi dani tutahe zu nari ni kere ba, ito kokoro-yamasi to omohi te,
8.7.2  「 人柄は、げに契りことなめれど、なぞ、時の帝のことことしきまで婿かしづきたまふべき。またあらじかし。九重のうちに、 おはします殿近きほどにて、ただ人のうちとけ訪らひて、果ては宴や何やともて騒がるることは」
 「人柄は、なるほど前世の因縁による格別の生まれであろうが、どうして、時の帝が大仰なまでに婿を大切になさることだろう。他に例はないだろう。宮中の内で、お常御殿に近い所に、臣下が寛いで出入りして、最後は宴や何やとちやほやされることよ」
 右大将は天才に生まれて来ているとしても、現在の帝がこうした婿かしずきをあそばすべきでない、禁廷の中のお居間に近い殿舎で一臣下が新婚の夢を結び、果ては宴会とか何とか派手はでなことをあそばすなどとは意を得ない
  "Hitogara ha, geni tigiri koto na' mere do, nazo, toki no Mikado no koto-kotosiki made muko kasiduki tamahu beki. Mata ara zi kasi. Kokonohe no uti ni, ohasimasu tono tikaki hodo nite, tadaudo no utitoke toburahi te, hate ha en ya nani ya to mote-sawaga ruru koto ha."
8.7.3  など、いみじく誹りつぶやき申したまひけれど、さすがゆかしければ、参りて、心の内にぞ腹立ちゐたまへりける。
 などと、ひどく悪口をぶつぶつ申し上げなさったが、やはり盛儀を見たかったので、参内して、心中では腹を立てていらっしゃるのだった。
 などとおそしり申し上げてはいたが、さすがに藤花の御宴に心がかれて参列していて、心の中では腹をたてていた。
  nado, imiziku sosiri tubuyaki mausi tamahi kere do, sasuga yukasi kere ba, mawiri te, kokoro no uti ni zo, hara-dati wi tamahe ri keru.
8.7.4  紙燭さして歌どもたてまつる。 文台のもとに寄りつつ置くほどのけしきは、おのおのしたり顔なりけれど、 例の、「いかにあやしげに古めきたりけむ」と 思ひやれば、あながちに皆もたづね書かず。 上の町も、上臈とて、御口つきどもは、異なること見えざめれど、しるしばかりとて、一つ、二つぞ問ひ聞きたりし。これは、大将の君の、下りて御かざし折りて参りたまへりけるとか。
 紙燭を灯して何首もの和歌を献上する。文台のもとに寄りながら置く時の態度は、それぞれ得意顔であったが、例によって、「どんなにかおかしげで古めかしかったろう」と想像されるので、むやみに全部は探して書かない。上等の部も、身分が高いからといって、詠みぶりは、格別なことは見えないようだが、しるしばかりにと思って、一、二首聞いておいた。この歌は、大将の君が、庭に下りて帝の冠に挿す藤の花を折って参上なさった時のものとか。
 燭を手にして歌を文台の所へ置きに来る人は皆得意顔に見えたが、こんな場合の歌は型にはまった古くさいものが多いに違いないのであるから、わざわざ調べて書こうと筆者はしなかった。上流の人とても佳作が成るわけではないが、しるしだけに一、二を聞いて書いておく。次のは右大将が庭へりてふじの花を折って来た時に、帝へ申し上げた歌だそうである。
  Sisoku sasi te uta-domo tatematuru. Bundai no moto ni yori tutu oku hodo no kesiki ha, ono-ono sitari-gaho nari kere do, rei no, "Ikani ayasige ni hurumeki tari kem." to omohi-yare ba, anagati ni mina mo tadune kaka zu. Kami no mati mo, zyaurahu tote, ohom-kutituki-domo ha, koto naru koto miye za' mere do, sirusi bakari tote, hitotu, hutatu zo tohi kiki tari si. Kore ha, Daisyau-no-Kimi no, ori te ohom-kazasi wori te mawiri tamahe ri keru to ka.
8.7.5  「 すべらきのかざしに折ると藤の花
 「帝の插頭に折ろうとして藤の花を
  すべらぎのかざしに折ると藤の花
    "Suberaki no kazasi ni woru to hudi no hana
8.7.6   及ばぬ枝に袖かけてけり
  わたしの及ばない袖にかけてしまいました
  及ばぬ枝に袖かけてけり
    oyoba nu yeda ni sode kake te keri
8.7.7   うけばりたるぞ、憎きや
 いい気になっているのが、憎らしいこと。
 したり顔なのに少々反感が起こるではないか。
  Ukebari taru zo, nikuki ya!
8.7.8  「 よろづ世をかけて匂はむ花なれば
 「万世を変わらず咲き匂う花であるから
  よろづ代をかけてにほはん花なれば
    "Yorodu-yo wo kake te nihoha m hana nare ba
8.7.9   今日をも飽かぬ色とこそ見れ
  今日も見飽きない花の色として見ます
  今日けふをも飽かぬ色とこそ見れ
  これは御製である。まただれかの作、
    kehu wo mo aka nu iro to koso mire
8.7.10  「君がため折れるかざしは 紫の
 「主君のため折った插頭の花は
  君がため折れるかざしは紫の
    "kimi ga tame wore ru kazasi ha murasaki no
8.7.11   雲に劣らぬ花のけしきか
  紫の雲にも劣らない花の様子です
  雲に劣らぬ花のけしきか
    kumo ni otora nu hana no kesiki ka
8.7.12  「 世の常の色とも見えず雲居まで
 「世間一般の花の色とも見えません
  世の常の色とも見えず雲井まで
    "Yo no tune no iro to mo miye zu kumowi made
8.7.13   たち昇りたる藤波の花
  宮中まで立ち上った藤の花は
  立ちのぼりける藤波の花
    tati-nobori taru hudinami no hana
8.7.14  「 これやこの腹立つ大納言のなりけむ」と見ゆれ。かたへは、ひがことにもやありけむ。かやうに、ことなるをかしきふしもなくのみぞあなりし。
 「これがこの腹を立てた大納言のであった」と見える。一部は、聞き違いであったかも知れない。このように、格別に風雅な点もない歌ばかりであった。
 あとのは腹をたてていた大納言の歌らしく思われる。どの歌にも筆者の聞きそこねがあってまちがったところがあるかもしれない。だいたいこんなふうの歌で、感激させられるところの少ないもののようであった。
  "Kore ya kono hara-datu Dainagon no nari kem." to miyure. Katahe ha, higa-koto ni mo ya ari kem. Kayau ni, koto naru wokasiki husi mo naku nomi zo a' nari si.
8.7.15  夜更くるままに、御遊びいともしろし。大将の君、「 安名尊」謡ひたまへる声ぞ、限りなくめでたかりける。按察使も、昔すぐれたまへりし御声の名残なれば、今もいとものものしくて、うち合はせたまへり。 右の大殿の御七郎、童にて笙の笛吹く。いとうつくしかりければ、 御衣賜はす。大臣下りて舞踏したまふ。
 夜の更けるにしたがって、管弦の御遊はたいそう興趣深い。大将の君が、「安名尊」を謡いなさった声は、この上なく素晴しかった。按察使大納言も、若い時にすぐれていらっしゃったお声が残っていて、今でもたいそう堂々としていて、合唱なさった。右の大殿の七郎君が、子供で笙の笛を吹く。たいそうかわいらしかったので、御衣を御下賜になる。大臣が庭に下りて拝舞なさる。
夜がふけるにしたがって音楽は佳境にはいっていった。薫が「あなたふと」を歌った声が限りもなくよかった。按察使も昔はすぐれた声を持った人であったから、今もりっぱに合わせて歌った。左大臣の七男がわらわの姿でしょうの笛を吹いたのが珍しくおもしろかったので帝から御衣を賜わった。大臣は階下で舞踏の礼をした。
  Yo-hukuru mama ni, ohom-asobi ito omosirosi. Daisyau-no-kimi, Ana tahuto utahi tamahe ru kowe zo, kagirinaku medetakari keru. Azeti mo, mukasi sugure tamahe ri si ohom-kowe no nagori nare ba, ima mo ito mono-monosiku te, uti-ahase tamahe ri. Migi-no-Ohotono no ohom-Sitirou, waraha nite syau-no-hue huku. Ito utukusikari kere ba, ohom-zo tamaha su. Otodo ori te butahu si tamahu.
8.7.16  暁近うなりてぞ帰らせたまひける。禄ども、上達部、親王たちには、主上より賜はす。殿上人、楽所の人びとには、宮の御方より品々に賜ひけり。
 暁が近くなってお帰りあそばした。禄などを、上達部や、親王方には、主上から御下賜になる。殿上人や、楽所の人びとには、宮の御方から身分に応じてお与えになった。
 もう夜明け近くなってから帝は常の御殿へお帰りになった。纏頭てんとうは高級官人と皇子がたへは帝から、殿上役人と楽人たちへは姫宮のほうから品々に等差をつけてお出しになった。
  Akatuki tikau nari te zo kahera se tamahi keru. Roku-domo, Kamdatime, Miko-tati ni ha, Uhe yori tamahasu. Tenzyau-bito, gakuso no hito-bito ni ha, Miya-no-Ohomkata yori sina-zina ni tamahi keri.
8.7.17  その夜ふさりなむ、宮まかでさせたてまつりたまひける。儀式いと心ことなり。主上の女房さながら御送り仕うまつらせたまひける。庇の御車にて、庇なき糸毛三つ、黄金づくり六つ、ただの檳榔毛二十、網代二つ、童、下仕へ八人づつさぶらふに、また御迎への出車どもに、本所の人びと乗せてなむありける。御送りの上達部、殿上人、六位など、言ふ限りなききよらを尽くさせたまへり。
 その夜に、宮をご退出させなさった。その儀式はまことに格別である。主上つきの女房全員にお供をおさせになった。廂のお車で、廂のない糸毛車三台、黄金造りの車六台、普通の檳榔毛の車二十台、網代車二台、童女と、下仕人を八人ずつ伺候させたが、一方お迎えの出車に、本邸の女房たちを乗せてあった。お送りの上達部、殿上人、六位など、何ともいいようなく善美を尽くさせていらっしゃった。
 その翌晩薫は姫宮を自邸へお迎えして行ったのであった。儀式は派手はでなものであった。女官たちはほとんど皆お送りに来た。ひさしの御車に宮は召され、庇のない糸毛車いとげのくるまが三つ、黄金こがね作りの檳榔毛車びろうげのくるまが六つ、ただの檳榔毛車が二十、網代あじろ車が二つお供をした。女房三十人、童女と下仕えが八人ずつ侍していたのであるが、また大将家からも儀装車十二に自邸の女房を載せて迎えに出した。お送りの高級役人、殿上人、六位の蔵人くろうどなどに皆華奢かしゃな服装をさせておありになった。
  Sono yohusari nam, Miya makade sase tatematuri tamahi keru. Gisiki ito kokoro koto nari. Uhe no nyoubau sanagara ohom-okuri tukau-matura se tamahi keru. Hisasi no ohom-kuruma nite, hisasi naki itoge mi-tu, kogane-dukuri mu-tu, tada no birauge ni-zihu, aziro huta-tu, waraha, simo-dukahe hati-nin dutu saburahu ni, mata ohom-mukahe no idasi-guruma-domo ni, honzyo no hito-bito nose te nam ari keru. Ohom-okuri no Kamdatime, Tenzyau-bito, roku-wi nado, ihu kagiri naki kiyora wo tukusa se tamahe ri.
8.7.18  かくて、心やすくうちとけて 見たてまつりたまふに、いとをかしげにおはす。ささやかにしめやかにて、ここはと見ゆるところなくおはすれば、「 宿世のほど口惜しからざりけり」と、心おごりせらるるものから、 過ぎにし方の忘らればこそはあらめ、なほ紛るる折なく、もののみ恋しくおぼゆれば、
 こうして、寛いで拝見なさると、まことに立派でいらっしゃる。小柄で上品でしっとりとして、ここがいけないと見えるところもなくいらっしゃるので、「運命も悪くはなかった」と、心中得意にならずにいらないが、亡くなった姫君が忘れられればよいのだが、やはり気持ちの紛れる時なく、そればかりが恋しく思い出されるので、
 こうしてお迎えした女二の宮を、薫は妻として心安く観察するようになったが、宮はお美しかった。小柄で上品に落ち着いて、どこという欠点もお持ちにならないのを知って、自分の宿命というものも悪くはないようであると喜んだとはいうものの、それで過去の悲しい恋の傷がいやされたのでは少しもなかった。今もどんな時にも紛れる方もなく昔ばかりが恋しく思われる薫であったから、
  Kakute, kokoro-yasuku utitoke te mi tatematuri tamahu ni, ito wokasige ni ohasu. Sasayaka ni sime-yaka nite, koko ha to miyuru tokoro naku ohasure ba, "Sukuse no hodo kutiwosikara zari keri." to, kokoro-ogori se raruru monokara, sugi ni si kata no wasura re ba koso ara me, naho magiruru wori naku, mono nomi kohisiku oboyure ba,
8.7.19  「 この世にては慰めかねつべきわざなめり。 仏になりてこそは、あやしくつらかりける契りのほどを、何の報いと諦めて思ひ離れめ」
 「この世では慰めきれないことのようである。仏の悟りを得てこそ、不思議でつらかった二人の運命を、何の報いであったのかとはっきり知って諦めよう」
 自分としては生きているうちにそれに対する慰めは得られないに違いない、仏になってはじめて、恨めしい因縁は何の報いであるということが判然することにより忘られることにもなろう
  "Kono yo nite ha nagusame kane tu beki waza na' meri. Hotoke ni nari te koso ha, ayasiku turakari keru tigiri no hodo wo, nani no mukuyi to akirame te omohi hanare me."
8.7.20  と思ひつつ、寺の急ぎにのみ心を入れたまへり。
 と思いながら、寺の造営にばかり心を注いでいらっしゃった。
 と思い、寺の建築のことにばかり心が行くのであった。
  to omohi tutu, tera no isogi ni nomi kokoro wo ire tamahe ri.
注釈755我こそ以下「ねたのわざや」まで、按察使大納言の思い。8.7.1
注釈756この宮の御母女御をぞ『完訳』は「大納言が女二の宮の母藤壺女御を思慕したこと。ここが初見」と注す。8.7.1
注釈757宮を得たてまつらむの心女二宮を娶りたいという気持ち。8.7.1
注釈758聞こし召しだに伝へずなりにければ帝の耳に入らずじまいに終わってしまった、の意。8.7.1
注釈759人柄は以下「騒がるることは」まで、按察使大納言の詞。8.7.2
注釈760おはします殿帝が日常いらっしゃる御殿、清涼殿。8.7.2
注釈761文台のもとに寄りつつ文台は南の庭上の設けられている。8.7.4
注釈762例のいかに以下「たまへりけるとか」まで、語り手の省筆の文。『林逸抄』は「紫式部か詞也」と指摘。8.7.4
注釈763思ひやれば主語は語り手自身。8.7.4
注釈764上の町も上臈とて『完訳』は「上の位の方々の分も、高位であるからといって」と訳す。8.7.4
注釈765すべらきのかざしに折ると藤の花及ばぬ枝に袖かけてけり薫の詠歌。及びもつかない高貴な内親王を頂戴した、という意の歌。8.7.5
注釈766うけばりたるぞ憎きや語り手の批評。『一葉抄』は「草子地也」と指摘。8.7.7
注釈767よろづ世をかけて匂はむ花なれば今日をも飽かぬ色とこそ見れ帝の詠歌。「花」「かける」の語句を受けて詠む。『異本紫明抄』は「かくてこそ見まくほしけれ万代をかけてしのべる藤波の花」(新古今集春下、一六三、延喜御歌)を指摘。8.7.8
注釈768君がため折れるかざしは紫の雲に劣らぬ花のけしきか夕霧の詠歌か。「花」の語句を用いて、前歌の「色」を「紫」ととりなして詠む。『河海抄』は「紫の雲とぞ見ゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらむ」(拾遺集雑春、一〇六九、右衛門督公任)。『休聞抄』は「藤の花宮のうちには紫の雲かとのみぞあやまたれける」(拾遺集雑春、一〇六八、皇太后宮権大夫国章)を指摘。8.7.10
注釈769世の常の色とも見えず雲居までたち昇りたる藤波の花紅梅大納言の唱和歌。「色」「雲」「藤」「花」の語句を用いて、女二宮と薫の結婚を寿ぐ。8.7.12
注釈770これやこの以下「のみぞあなりし」まで、語り手の文。8.7.14
注釈771御衣賜はす帝から御衣を下賜する。8.7.15
注釈772見たてまつりたまふに薫が女二宮を。8.7.18
注釈773宿世のほど口惜しからざりけり薫の心中の思い。自負の気持ち。8.7.18
注釈774過ぎにし方故大君をさす。8.7.18
注釈775この世にては以下「思ひも離れなめ」まで、薫の心中の思い。8.7.19
注釈776仏になりてこそは仏の悟りを得て、の意。8.7.19
出典51 よろづ世をかけて匂はむ かくてこそ見まくほしけれ万世をかけて匂へる藤波の花 新古今集春下-一六三 延喜御歌 8.7.8
出典52 紫の雲に劣らぬ 藤の花宮の内には紫の雲かとのみぞあやまたれる 拾遺集雑春-一〇六八 皇太后宮権大夫国章 8.7.10
出典53 安名尊 あな尊 今日の尊さ や いにしへも かくやありけむ や今日の尊さ あはれ そこよしや 今日の尊さ 催馬楽-あな尊 8.7.15
校訂82 右の大殿 右の大殿--ひたり(ひたり/#みき)のおとゝ 8.7.15
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月9日

Last updated 11/2/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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