49 宿木(大島本)


YADORIGI


薫君の中、大納言時代
二十四歳夏から二十六歳夏四月頃までの物語



Tale of Kaoru's Chunagon and Dainagon era, from summer at the age of 24 to April at the age of 26

7
第七章 薫の物語 宇治を訪問して弁の尼から浮舟の詳細について聞く


7  Tale of Kaoru  Kaoru visits to Uji and hears minutery about Ukihune from Ben-no-ama

7.1
第一段 九月二十日過ぎ、薫、宇治を訪れる


7-1  Kaoru visits to Uji at 20 past on September

7.1.1  宇治の宮を久しく見たまはぬ時は、いとど昔遠くなる心地して、すずろに心細ければ、 九月二十余日ばかりにおはしたり。
 宇治の宮邸を久しく訪問なさらないころは、ますます故人の面影が遠くなった気がして、何となく心細いので、九月二十日過ぎ頃にいらっしゃった。
 宇治の山荘を長く見ないでいるといっそうに恋しい昔と遠くなる気がして心細くなる薫は、九月の二十幾日に出かけて行った。
  Udi-no-miya wo hisasiku mi tamaha nu toki ha, itodo mukasi tohoku naru kokoti si te, suzuro ni kokoro-bosokere ba, Ku-gwati nizihu-yo-niti bakari ni ohasi tari.
7.1.2  いとどしく風のみ吹き払ひて、心すごく荒ましげなる水の音のみ宿守にて、人影もことに見えず。見るには、まづかきくらし、悲しきことぞ限りなき。弁の尼召し出でたれば、障子口に、青鈍の几帳さし出でて参れり。
 ますます風が吹き払って、ぞっとするほど荒々しい水の音ばかりが宿守で、人影も特に見えない。見ると、まっさきに真暗になり、悲しいことばかりが限りない。弁の尼を呼び出すと、襖障子の口に、青鈍の几帳をさし出して参った。
 主人のない家は河風かわかぜがいっそう吹き荒らして、すごい騒がしい水音ばかりが留守居をし、人影も目につくかつかぬほどにしか徘徊はいかいしていない。ここに来てこれを見た時から中納言の心は暗くなり、限りもない悲しみを覚えた。弁の尼にいたいと言うと、障子口をあけ、青鈍あおにび色の几帳のすぐ向こうへ来て挨拶あいさつをした。
  Itodosiku kaze nomi huki-harahi te, kokoro-sugoku ara masige naru midu no oto nomi yadomori nite, hito-kage mo koto ni miye zu. Miru ni ha, madu kaki-kurasi, kanasiki koto zo kagirinaki. Ben-no-Ama mesi-ide tare ba, syauzi-guti ni, awonibi no kityau sasi-ide te mawire ri.
7.1.3  「 いとかしこけれど、ましていと恐ろしげにはべれば、つつましくてなむ」
 「とても恐れ多いことが、以前以上にとても醜くございますので、憚られまして」
 「失礼なのでございますが、このごろの私はまして無気味な姿になっているのでございますから、御遠慮をいたすほうがよいと思われまして」
  "Ito kasikokere do, masite ito osorosige ni habere ba, tutumasiku te nam."
7.1.4  と、まほには出で来ず。
 と、直接には出てこない。
 と言い、顔は現わさない。
  to, maho ni ha ide-ko zu.
7.1.5  「 いかに眺めたまふらむと思ひやるに、同じ心なる人もなき物語も聞こえむとてなむ。はかなくも積もる年月かな」
 「どのように物思いされていることだろうと想像すると、同じ気持ちの人もいない話を申し上げようと思って来ました。とりとめもなく過ぎ去ってゆく歳月ですね」
 「どんなにあなたが寂しく暮らしておいでになるだろうと思うと、そのあなただけが私の悲しみを語る唯一の相手だと思われて出て来ましたよ。年月はずんずんたっていきました、あれから」
  "Ikani nagame tamahu ram to omohi-yaru ni, onazi kokoro naru hito mo naki monogatari mo kikoye m tote nam. Hakanaku mo tumoru tosi-tuki kana!"
7.1.6  とて、涙を一目浮けておはするに、老い人はいとどさらにせきあへず。
 と言って、涙を目にいっぱい浮かべていらっしゃると、老女はますますそれ以上に涙をとどめることができない。
 涙を一目浮かべて薫がこう言った時、老女はましてとめようもない泣き方をした。
  tote, namida wo hitome uke te ohasuru ni, Oyi-bito ha itodo sarani seki-ahe zu.
7.1.7  「 人の上にてあいなくものを思すめりしころの空ぞかし、と思ひたまへ出づるに、 いつとはべらぬなるにも、秋の風は身にしみて つらくおぼえはべりて、げにかの嘆かせたまふめりしもしるき世の中の御ありさまを、ほのかに承るも、さまざまになむ」
 「妹宮の事で、なさらなくてもよいご心配をなさったころと同じ季節だ、と思い出しますと、常に悲しい季節の中でも、秋の風は身にしみてつらく思われまして、なるほどあの方がご心配になったとおりの夫婦仲のご様子を、ちらっと耳にいたしますのも、それぞれにお気の毒で」
 「御自身のためでなく、お妹様のために深い物思いを続けておいでになったころは、こんな秋の空であったと思い出しますと、いつでも寂しい私ではございましても、特別に秋風は身にんでつろうございます。実際今になりますと、大姫様の御心配あそばしましたのがごもっともなような現象が京では起こってまいったようにここでも承りますのは悲しゅうございます」
  "Hito no uhe nite, ainaku mono wo obosu meri si koro no sora zo kasi, to omohi tamahe iduru ni, itu to habera nu naru ni mo, aki no kaze ha mi ni simi te turaku oboye haberi te, geni kano nageka se tamahu meri simo siruki yononaka no ohom-arisama wo, honoka ni uketamaharu mo, sama-zama ni nam."
7.1.8  と聞こゆれば、
 と申し上げると、

  to kikoyure ba,
7.1.9  「 とあることもかかることも、ながらふれば、直るやうもあるを、あぢきなく思ししみけむこそ、わが過ちのやうに、なほ悲しけれ。 このころの御ありさまは、何か、 それこそ世の常なれ。されど、うしろめたげには見えきこえざめり。言ひても言ひても、むなしき空に昇りぬる煙のみこそ、誰も逃れぬことながら、 後れ先だつほどは 、なほいと言ふかひなかりけり」
 「ああなったこともこうなったことも、長生きをすると、良くなるようなこともあるので、つまらないことと思いつめていらしたのは、自分の過失であったように、やはり悲しい。最近のご様子は、どうして、それこそ世の常のことです。けれど、不安そうにはお見え申さないようだ。言っても言っても効ない、むなしい空に昇ってしまった煙だけは、誰も逃れることはできない運命ながらも、後になったり先立ったりする間は、やはり何とも言いようのないことです」
 「一時はどんなふうに見えることがあっても、時さえたてばまた旧態にもどるものであるのに、あの方が一途に悲観をして病気まで得ておしまいになったのは、私がよく説明をしなかったあやまりだと、それを思うと今も悲しいのですよ。中姫君の今経験しておられるようなことは、まず普通のことと言わねばなりますまい。決して宮の御愛情は懸念を要するような薄れ方になっていないと思われます。それよりも言っても言っても悲しいのはやはり死んだ方ですよ。死んでしまってはもう取り返しようがない」
  "Toaru koto mo kakaru koto mo, nagarahure ba, nahoru yau mo aru wo, adikinaku obosi-simi kem koso, waga ayamati no yau ni, naho kanasikere. Kono-koro no ohom-arisama ha, nanika, sore koso yo no tune nare. Saredo, usirometage ni ha miye kikoye za' meri. Ihi te mo ihi te mo, munasiki sora ni nobori nuru keburi nomi koso, tare mo nogare nu koto nagara, okure saki-datu hodo ha, naho ito ihukahinakari keri."
7.1.10  とても、また泣きたまひぬ。
 と言って、またお泣きになる。
 と言ってかおるは泣いた。
  tote mo, matanaki tamahi nu.
注釈566九月二十余日ばかりに晩秋の気色。宇治では都より早く冬に向かう。7.1.1
注釈567いとかしこけれど以下「つつましくなむ」まで、弁尼の詞。7.1.3
注釈568いかに眺めたまふらむと以下「年月かな」まで、薫の詞。7.1.5
注釈569人の上にて以下「さまざまに」まで、弁尼の詞。中君の身の上をさす。7.1.7
注釈570あいなくものを思すめりしころの主語は故大君。7.1.7
注釈571いつとはべらぬなるにも秋の風は身にしみて『異本紫明抄』は「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり」(古今集恋一、五四六、読人しらず)。『河海抄』は「秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ」(詞花集秋、一〇九、和泉式部)を指摘する。7.1.7
注釈572とあることもかかることも以下「言ふかひなかりけれ」まで、薫の詞。7.1.9
注釈573このころの御ありさまは最近のご様子。匂宮と六の君の結婚生活をさす。7.1.9
注釈574それこそ世の常なれ匂宮が夕霧の婿になるのは当然のこと、という。7.1.9
注釈575後れ先だつほどは『異本紫明抄』は「末の露もとの雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖一、雫)を指摘。7.1.9
出典36 いつとはべらぬ いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べは恋しかりけり 古今集恋一-五四六 読人しらず 7.1.7
出典37 秋の風は身にしみて 秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ 和泉式部集-一三二 7.1.7
出典38 後れ先だつほど 末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ 古今六帖一-五九三 7.1.9
7.2
第二段 薫、宇治の阿闍梨と面談す


7-2  Kaoru meets and talks with Ajari in Uji

7.2.1  阿闍梨召して、例の、かの忌日の経仏などのことのたまふ。
 阿闍梨を呼んで、いつものように、故姫君の御命日のお経や仏像のことなどをおっしゃる。
 薫は阿闍梨あじゃりを寺から呼んで、大姫君の忌日の法会ほうえに供養する経巻や仏像のことを依託した。また、
  Azari mesi te, rei no, kano ki-niti no kyau Hotoke nado no koto notamahu.
7.2.2  「 さて、ここに時々ものするにつけても、かひなきことのやすからずおぼゆるが、いと益なきを、この寝殿こぼちて、かの山寺のかたはらに堂建てむ、となむ思ふを、同じくは疾く始めてむ」
 「ところで、ここに時々参るにつけても、しかたのないことがいつまでも思い出されるのが、とてもつまらないことなので、この寝殿を壊して、あの山寺の傍らにお堂を建てよう、と思うが、同じことなら早く始めたい」
 「私はこんなふうに時々ここへ来ますが、来てはただ故人の死を悲しむばかりで、霊魂の慰めになることでもない無益な歎きをせぬために、この寝殿をこぼってお山のそばへ堂にして建てたく思うのです。同じくは速くそれに取りかからせたいと思っています」
  "Sate, koko ni toki-doki monosuru ni tuke te mo, kahinaki koto no yasukara zu oboyuru ga, ito yaku naki wo, kono sinden koboti te, kano yamadera no katahara ni dau tate m, to nam omohu wo, onaziku ha toku hazime te m."
7.2.3  とのたまひて、堂いくつ、廊ども、僧房など、あるべきことども、書き出でのたまはせさせたまふを、
 とおっしゃって、お堂を幾塔、渡廊の類や、僧坊などを、必要なことを書き出したりおっしゃったりおさせになるので、
 とも言い、堂を幾つ建て、廊をどうするかということについて、それぞれ書き示しなど薫のするのを、阿闍梨は
  to notamahi te, dau ikutu, rau-domo, soubau nado, aru beki koto-domo, kaki-ide notamahase sase tamahu wo,
7.2.4  「 いと尊きこと
 「まことにご立派な功徳だ」
 尊い考えつきである
  "Ito tahutoki koto."
7.2.5  と聞こえ知らす。
 とお教え申す。
 と並み並みならぬ賛意を表していた。
  to kikoye sirasu.
7.2.6  「 昔の人の、ゆゑある御住まひに占め造りたまひけむ所を、ひきこぼたむ、情けなきやうなれど、その御心ざしも功徳の方には進みぬべく 思しけむを、とまりたまはむ人びと思しやりて、えさはおきてたまはざりけるにや。
 「故人が、風流なお住まいとしてお造りになった所を、取り壊すのは、薄情なようだが、宮のお気持ちも功徳を積むことを望んでいらっしゃったようだが、後にお残りになる姫君たちをお思いやって、そのようにはおできになれなかったのではなかろうか。
 「昔の方が風雅な山荘として地を選定してお作りになった家をこぼつことは無情なことのようでもありますが、その方御自身も仏教を唯一の信仰としておられて、すべてを仏へささげたく思召してもまた御遺族のことをお思いになって、そうした御遺言はしておかれなかったのかと解釈されます。
  "Mukasi no hito no, yuwe aru ohom-sumahi ni sime tukuri tamahi kem tokoro wo, hiki-kobota m, nasakenaki yau nare do, sono mi-kokorozasi mo kudoku no kata ni ha susumi nu beku obosi kem wo, tomari tamaha m hito-bito obosi-yari te, e saha oki te tamaha zari keru ni ya.
7.2.7  今は、 兵部卿宮の北の方こそは、知りたまふべければ、かの宮の御料とも言ひつべくなりにたり。されば、ここながら寺になさむことは、便なかるべし。心にまかせてさもえせじ。所のさまもあまり川づら近く、顕証にもあれば、なほ寝殿を失ひて、異ざまにも造り変へむの心にてなむ」
 今は、兵部卿宮の北の方が、所有していらっしゃるはずですから、あの宮のご料地と言ってもよいようになっている。だから、ここをそのまま寺にすることは、不都合であろう。思いどおりにすることはできない。場所柄もあまりに川岸に近くて、人目にもつくので、やはり寝殿を壊して、別の所に造り変える考えです」
 今では兵部卿ひょうぶきょう親王の夫人の御所有とすべき家であってみれば、あの宮様の御財産の一つですから、このおやしきのままで寺にしては不都合でしょう。私としてもかってにそれはできない。それに地所もあまりに川へ接近していて、川のほうから見え過ぎる、ですから寝殿だけをこぼって、ここへは新しい建物を代わりに作って差し上げたい私の考えです」
  Ima ha, Hyaubukyau-no-Miya no Kitanokata koso ha, siri tamahu bekere ba, kano Miya no go-reu to mo ihi tu beku nari ni tari. Sareba, koko nagara tera ni nasa m koto ha, bin nakaru besi. Kokoro ni makase te samo e se zi. Tokoro no sama mo amari kaha-dura tikaku, keseu ni mo are ba, naho sinden wo usinahi te, koto-zama ni mo tukuri kahe m no kokoro nite nam."
7.2.8  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 と薫が言うと、
  to notamahe ba,
7.2.9  「 とざまかうざまに、いともかしこく尊き御心なり。昔、別れを悲しびて、屍を包みてあまたの年首に掛けてはべりける人も、仏の御方便にてなむ、かの 屍の袋を捨てて、つひに聖の道にも入りはべりにける。この寝殿を御覧ずるにつけて、御心動き おはしますらむ、一つにはたいだいしきことなり。また、後の世の勧めともなるべきことにはべりけり。急ぎ仕うまつるべし。暦の博士はからひ申してはべらむ日を承りて、 もののゆゑ知りたらむ工、二、三人を賜はりて、こまかなることどもは、仏の御教へのままに仕うまつらせはべらむ」
 「あれやこれやと、まことに立派な尊いお心です。昔、別れを悲しんで、骨を包んで幾年も頚に懸けておりました人も、仏の方便で、あの骨の袋を捨てて、とうとう仏の道に入ったのでした。この寝殿を御覧になるにつけても、お心がお動きになりますのは、一つには良くないことです。また、来世への勧めともなるものでございます。急いでお仕え申しましょう。暦の博士に相談申して吉日を承って、建築に詳しい工匠を二、三人賜って、こまごまとしたことは、仏のお教えに従ってお仕えさせ申しましょう」
 「きわめて行き届いたお考えでけっこうです。最愛の人をくしましてから、その骨を長年袋へ入れくびへ掛けていた昔の人が、仏の御方便でその袋をお捨てさせになり、信仰の道へはいったという話もございます。この寝殿を御覧になるにつけましてもお心を悲しみに動かすということはむだなことです。御堂をお建てになることは多くの人を新しく道に導くよき方法でもあり、御霊魂をお慰め申すにも役だつことでもございます。急いで取りかかりましょう。陰陽おんよう博士はかせが選びます吉日に、経験のある建築師二、三人をおよこしくださいましたならば、細かなことはまた仏家の定式がありますから、それに準じて作らせることにいたしましょう」
  "Tozama-kauzama ni, ito mo kasikoku tahutoki mi-kokoro nari. Mukasi, wakare wo kanasibi te, kabane wo tutumi te amata no tosi kubi ni kake te haberi keru hito mo, Hotoke no ohom-hauben nite nam, kano kabane no hukuro wo sute te, tuhini hiziri no miti ni mo iri haberi ni keru. Kono sinden wo go-ran-zuru ni tuke te, mi-kokoro ugoki ohasimasu ram, hitotu ni ha tai-daisiki koto nari. Mata, noti-no-yo no susume to mo naru beki koto ni haberi keri. Isogi tukau-maturu besi. Koyomi no hakase hakarahi mausi te habera m hi wo uketamahari te, mono no yuwe siri tara m takumi, hutari, mitari wo tamahari te, komaka naru koto-domo ha, Hotoke no ohom-wosihe no mama ni tukau-matura se habera m."
7.2.10  と申す。とかくのたまひ定めて、御荘の人ども召して、このほどのことども、阿闍梨の言はむままにすべきよしなど仰せたまふ。はかなく暮れぬれば、その夜はとどまりたまひぬ。
 と申す。あれこれとおっしゃり決めて、ご荘園の人びとを呼んで、この度のことや、阿闍梨の言うとおりにするべきことなどをお命じになる。いつの間にか日が暮れたので、その夜はお泊まりになった。
 阿闍梨はこう言って受け合った。いろいろときめることをきめ、領地の預かり人たちを呼んで、御堂の建築の件について、すべて阿闍梨の命令どおりにするようにと薫は言いつけたりしているうちに短い秋の日は暮れてしまったので、山荘で一泊していくことに薫はした。
  to mausu. Tokaku notamahi sadame te, mi-syau no hito-domo mesi te, kono hodo no koto-domo, Azyari no iha m mama ni subeki yosi nado ohose tamahu. Hakanaku kure nure ba, sono yo ha todomari tamahi nu.
注釈576さてここに時々以下「疾く始めてむ」まで、薫の詞。7.2.2
注釈577いと尊きこと阿闍梨の詞。7.2.4
注釈578昔の人の以下「造り変へむの心にて」まで、薫の詞。「昔の人」は八宮をさす。7.2.6
注釈579兵部卿宮の北の方こそは知りたまふべければ中君。中君の所領となっている意。7.2.7
注釈580とざまかうざまに以下「仕うまつらせはべらむ」まで、阿闍梨の詞。7.2.9
注釈581おはしますらむ主語となり、下文に係る。7.2.9
注釈582もののゆゑ知りたらむ工寺院建築に詳しい大工。7.2.9
校訂57 思しけむを 思しけむを--おほしけん(ん/+を) 7.2.6
校訂58 屍の 屍の--かはねを(を/#)の 7.2.9
7.3
第三段 薫、弁の尼と語る


7-3  Kaoru talks with Ben-no-ama

7.3.1  「このたびばかりこそ見め」と思して、立ちめぐりつつ見たまへば、仏も皆かの寺に移してければ、尼君の行なひの具のみあり。いとはかなげに住まひたるを、あはれに、「いかにして過ぐすらむ」と見たまふ。
 「今回こそは見よう」とお思いになって、立ってぐるりと御覧になると、仏像もすべてあのお寺に移してしまったので、尼君の勤行の道具だけがある。たいそう頼りなさそうに住んでいるのを、しみじみと、「どのようにして暮らしているのだろう」と御覧になる。
 この寝殿を見ることも今度限りになるであろうと思い、薫はあちらこちらの間をまわって見たが、仏像なども皆御寺のほうへ移してしまったので、弁の尼のお勤めをするだけの仏具が置かれてある寂しい仏室ぶつまを見て、こんな所にどんな気持ちで彼女は毎日暮らしているのであろうと薫は哀れに思った。
  "Kono tabi bakari koso mi me." to obosi te, tati-meguri tutu mi tamahe ba, Hotoke mo mina kano tera ni utusi te kere ba, Ama-Gimi no okonahi no gu nomi ari. Ito hakanage ni sumahi taru wo, ahare ni, "Ikani si te sugusu ram." to mi tamahu.
7.3.2  「 この寝殿は、変へて造るべきやうあり。造り出でむほどは、かの廊にものしたまへ。京の宮にとり渡さるべきものなどあらば、荘の人召して、あるべからむやうにものしたまへ」
 「この寝殿は、造り変えることになりました。完成するまで、あちらの渡廊に住まいなさい。京の宮邸にお移ししたらよい物があったら、荘園の人を呼んで、適当にはからってください」
 「この寝殿は建て直させることにします。でき上がるまでは廊の座敷へ住んでおいでなさい。二条の院の女王にょおう様のほうへお送りすべきものは私の荘園の者を呼んで持たせておあげなさい」
  "Kono sinden ha, kahe te tukuru beki yau ari. Tukuri-ide m hodo ha, kano rau ni monosi tamahe. Kyau no miya ni tori-watasa ru beki mono nado ara ba, syau no hito mesi te, aru bekara m yau ni monosi tamahe."
7.3.3  など、まめやかなることどもを語らひたまふ。他にては、かばかりにさだ過ぎなむ人を、何かと見入れたまふべきにもあらねど、夜も近く臥せて、昔物語などせさせたまふ。 故権大納言の君の御ありさまも、聞く人なきに心やすくて、いとこまやかに聞こゆ。
 などと、事務的なことを相談なさる。他では、これほど年とった者を、何かとお世話なさるはずもないが、夜も近くに寝させて、昔話などをおさせになる。故大納言の君のご様子を、聞く人もないので気安くて、たいそう詳細に申し上げる。
 などと薫はこまごまとした注意までも弁の尼にしていた。ほかの場所ではこんな老いた女などは視野の外に置いて関心を持たずにいるのであろうが、弁に対しては深い同情を持つ薫は、夜も近い室へ寝させて昔の話をした。弁も聞く人のないのに安心して、とう大納言のことなどもこまごまと薫に聞かせた。
  nado, mameyaka naru koto-domo wo katarahi tamahu. Hoka nite ha, kabakari ni sada sugi na m hito wo, nanika to mi-ire tamahu beki ni mo ara ne do, yoru mo tikaku huse te, mukasi-monogatari nado se sase tamahu. Ko-Gon-Dainagon-no-Kimi no ohom-arisama mo, kiku hito naki ni kokoro-yasuku te, ito komayaka ni kikoyu.
7.3.4  「 今はとなりたまひしほどに、めづらしくおはしますらむ御ありさまを、 いぶかしきものに思ひきこえさせたまふめりし御けしきなどの思ひたまへ出でらるるに、かく思ひかけはべらぬ世の末に、かくて見たてまつりはべるなむ、 かの御世に睦ましく仕うまつりおきし験のおのづからはべりけると、うれしくも悲しくも思ひたまへられはべる。心憂き命のほどにて、さまざまのことを見たまへ過ぐし、思ひたまへ知りはべるなむ、いと 恥づかしく心憂くはべる。
 「ご臨終となった時に、お生まれになったばかりのご様子を、御覧になりたくお思いになっていたご様子などが思い出されると、このように思いもかけませんでした晩年に、こうしてお目にかかれますのは、ご生前に親しくお仕え申した効が自然と現れたのでしょうと、嬉しくも悲しくも存じられます。情けない長生きで、さまざまなことを拝見してき、理解してまいりましたが、とても恥ずかしくつらく思っております。
 「もう御容体がおむずかしくなりましてから、お生まれになりました方をしきりに見たく思召す御様子のございましたのが始終私には忘れられないことだったのでございましたのに、その時から申せばずっと末の世になりまして、こうしてお目にかかることができますのも、大納言様の御在世中真心でお仕えいたしました報いが自然に現われてまいりましたのかと、うれしくも悲しくも思い知られるのでございます。長過ぎる命を持ちまして、さまざまの悲しいことにあうと申す私の宿命が恥ずかしく、情けなくてなりません。
  "Ima ha to nari tamahi si hodo ni, medurasiku ohasimasu ram ohom-arisama wo, ibukasiki mono ni omohi kikoye sase tamahu meri si mi-kesiki nado no omohi tamahe ide raruru ni, kaku omohi-kake habera nu yo-no-suwe ni, kakute mi tatematuri haberu nam, kano mi-yo ni mutumasiku tukau-maturi oki si sirusi no onodukara haberi keru to, uresiku mo kanasiku mo omohi tamahe rare haberu. Kokoro-uki inoti no hodo nite, sama-zama no koto wo mi tamahe sugusi, omohi tamahe siri haberu nam, ito hadukasiku kokoro-uku haberu.
7.3.5  宮よりも、 時々は参りて見たてまつれ、おぼつかなく絶え籠もり果てぬるは、こよなく思ひ隔てけるなめりなど、のたまはする折々はべれど、ゆゆしき身にてなむ、阿弥陀仏より他には、見たてまつらまほしき人もなくなりてはべる」
 宮からも、時々は参上してお会い申せ、すっかりご無沙汰しているのは、まるきり他人のようだなどと、おっしゃっる時々がございますが、忌まわしい身の上で、阿彌陀仏の以外には、お目にかかりたい人はなくなっております」
 二条の院の女王様から時々は逢いに出て来い、それきり来ようとしないのは私を愛していないのだろうなどとおっしゃってくださるおりもございますが、縁起の悪い姿になった私は、もう阿弥陀あみだ様以外にお逢い申したい方もございません」
  Miya yori mo, toki-doki ha mawiri te mi tatemature, obotukanaku taye-komori hate nuru ha, koyonaku omohi hedate keru na' meri nado, notamahasuru wori-wori habere do, yuyusiki mi nite nam, Amida-Butu yori hoka ni ha, mi tatematura mahosiki hito mo naku nari te haberu."
7.3.6  など聞こゆ。故姫君の御ことども、はた尽きせず、年ごろの御ありさまなど語りて、何の折何とのたまひし、花紅葉の色を見ても、はかなく詠みたまひける歌語りなどを、つきなからず、 うちわななきたれど、こめかしく言少ななるものから、をかしかりける人の御心ばへかなとのみ、 いとど聞き添へたまふ
 などと申し上げる。故姫君の御事を、尽きせず、長年のご様子などを話して、何の時に何とおっしゃり、桜や紅葉の美しさを見ても、ちょっとお詠みになった歌の話などを、この場にふさわしく、震え声であったが、おっとりして言葉数少なかったが、風雅であった姫君のご性質であったなあとばかり、ますますお聞きしてお思いになる。
 などと弁の尼は言った。大姫君の話も多く語った。親しく仕えて見聞きした話をし、いつどんな時にこうお言いになったとか、自然の風物に心の動いた時々に、故人のんだ歌などを、不似合いな語り手とは見えずに、声だけはふるえていたが上手じょうずに伝え、おおようで言葉の少ない人であったが、そうした文学的なところもあったかと、薫はさらに故人をなつかしく思った。
  nado kikoyu. Ko-Hime-Gimi no ohom-koto-domo, hata tuki se zu, tosi-goro no ohom-arisama nado katari te, nani no wori nani to notamahi si, hana momidi no iro wo mi te mo, hakanaku yomi tamahi keru uta-gatari nado wo, tuki-nakara zu, uti-wananaki tare do, komekasiku koto-zukuna naru monokara, wokasikari keru hito no mi-kokorobahe kana to nomi, itodo kiki-sohe tamahu.
7.3.7  「 宮の御方は、今すこし今めかしきものから、心許さざらむ人のためには、はしたなくもてなしたまひつべくこそものしたまふめるを、我にはいと心深く情け情けしとは見えて、いかで過ごしてむ、とこそ思ひたまへれ」
 「宮の御方は、もう少し華やかだが、心を許さない男性に対しては、体裁の悪い思いをさせなさるようであったが、わたしにはとても思慮深く情愛があるように見えて、何とかこのまま付き合って行きたい、とお思いのようであった」
 宮の夫人はそれに比べて少し派手はでな性質であって、心を許さない人には毅然きぜんとした態度もとる型の人らしくはあるが、自分へは同情が深く、どうして自分の恋から身をはずそう、事のない友情だけで永久に親しみたいと思うところがある
  "Miya-no-Ohomkata ha, ima sukosi imamekasiki monokara, kokoro yurusa zara m hito no tame ni ha, hasitanaku motenasi tamahi tu beku koso monosi tamahu meru wo, ware ni ha ito kokoro-bukaku nasake-nasakesi to ha miye te, ikade sugosi te m, to koso omohi tamahe re."
7.3.8  など、心のうちに思ひ比べたまふ。
 などと、心の中で比較なさる。
 と薫は二人の女王を比較して思ったりした。
  nado, kokoro no uti ni omohi kurabe tamahu.
注釈583この寝殿は以下「ものしたまへ」まで、薫の詞。7.3.2
注釈584故権大納言の君薫の実父柏木をさす。7.3.3
注釈585今はとなりたまひしほどに以下「なくなりにてはべる」まで、弁尼の詞。7.3.4
注釈586かの御世に柏木の生前に。弁は柏木の乳母子。7.3.4
注釈587時々は参りて以下「思ひ隔てけるなめり」まで、中君の詞を間接話法で語る。7.3.5
注釈588うちわななきたれど弁尼の老女ゆえの震え声。7.3.6
注釈589いとど聞き添へたまふ主語は薫。7.3.6
注釈590宮の御方は以下「とこそ思ひたまへれ」まで、薫の心中の思い。故大君と中君を比較する。7.3.7
校訂59 いぶかしき いぶかしき--いふかしく(く/#<朱>)き 7.3.4
校訂60 恥づかしく 恥づかしく--はつかく(く/#<朱>)しく 7.3.4
7.4
第四段 薫、浮舟の件を弁の尼に尋ねる


7-4  Kaoru asks a question of Ukifune to Ben-no-ama

7.4.1  さて、もののついでに、かの形代のことを言ひ出でたまへり。
 そうして、何かのきっかけで、あの形代のことを言い出しなさった。
 こんな話のついでにあの人型のことを薫は言い出してみた。
  Sate, mono no tuide ni, kano katasiro no koto wo ihi-ide tamahe ri.
7.4.2  「 京に、このころ、はべらむとはえ知りはべらず。人伝てに承りしことの筋ななり。故宮の、まだかかる山里住みもしたまはず、故北の方の亡せたまへりけるほど近かりけるころ、 中将の君とてさぶらひける上臈の、心ばせなどもけしうはあらざりけるを、 いと忍びて、はかなきほどにもの のたまはせける、知る人もはべらざりけるに、 女子をなむ産みてはべりけるを、さもやあらむ、と思すことのありけるからに、あいなくわづらはしくものしきやうに思しなりて、またとも御覧じ入るることもなかりけり。
 「京に、近ごろ、おりますかどうかは存じません。人づてにお聞きしたことの話でしょう。故宮が、まだこのような山里生活もなさらず、故北の方がお亡くなりになって間近かったころ、中将の君と言ってお仕えしていた上臈で、気立てなども悪くはなかったが、たいそうこっそりと、ちょっと情けをお交わしになったが、知る人もございませんでしたが、女の子を産みましたのを、あるいはご自分のお子であろうか、とお思いになることがありましたので、つまらなく厄介で嫌なようにお思いになって、二度とお逢いになることもありませんでした。
 「京にこのごろその人はいるのでございますかねえ。昔のことを私は人から聞いて知っているだけでございます。八の宮様がまだこの山荘へおいでになりませぬ以前のことで、奥様がおかくれになって近いころに中将の君と言っておりました、よい女房で、性質などもよい人を、宮様はかりそめなように愛人にあそばしたのを、だれも知った者はございませんでしたところ、女の子をその人が生みました時に、宮様がそんなことが起こるかもしれぬという懸念けねんを持っておいでになったものですから、それ以後の御態度がすっかりと変わりまして、絶対にお近づきになることはなかったのでございます。
  "Kyau ni, kono-koro, habera m to ha e siri habera zu. Hito-dute ni uketamahari si koto no sudi na' nari. Ko-Miya no, mada kakaru yama-zato-zumi mo si tamaha zu, ko-Kitanokata no use tamahe ri keru hodo tikakari keru koro, Tyuuzyau-no-Kimi tote saburahi keru zyaurahu no, kokorobase nado mo kesiu ha ara zari keru wo, ito sinobi te, hakanaki hodo ni mono notamahase keru, siru hito mo habera zari keru ni, womna-go wo nam umi te haberi keru wo, samoya ara m, to obosu koto no ari keru kara ni, ainaku wadurahasiku monosiki yau ni obosi nari te, mata to mo go-ran-zi iruru koto mo nakari keri.
7.4.3  あいなくそのことに思し懲りて、やがておほかた聖にならせたまひにけるを、はしたなく思ひて、えさぶらはずなりにけるが、陸奥国の守の妻になりたりけるを、 一年上りて、その君平らかにものしたまふよし、 このわたりにもほのめかし申したりけるを聞こしめしつけてさらにかかる消息あるべきことにもあらずと、のたまはせ放ちければ、かひなくてなむ嘆きはべりける。
 つまらなくそのことにお懲りになって、そのままだいたい聖におなりあそばしたので、とりつくしまもなく思って、宮仕えをやめてしまったが、陸奥国の守の妻となったところ、先年上京して、その姫君も無事でいらっしゃる旨を、ここにもちらっと申して来ましたが、お聞きつけになって、全然そのような挨拶は無関係であると無視なさったので、その効なく嘆いていました。
 それが動機でありのすさびというものにお懲りになりまして、坊様と同じ御生活をあそばすことになったので、中将はお仕えしていますこともきまり悪くなりまして下がったのですが、それからのちに陸奥守むつのかみの家内になって任国へ行っておりまして、上京しました時に、姫君は無事に御成長なさいましたとこちらへほのめかしてまいりましたのを、宮様がお聞きになりまして、そんな音信たよりをこちらへしてくる必要はないはずだと言い切っておしまいになりましたので、中将は歎いていたと申します。
  Ainaku sono koto ni obosi-kori te, yagate ohokata hiziri ni nara se tamahi keru wo, hasitanaku omohi te, e saburaha zu nari ni keru ga, Miti-no-Kuni no Kami no me ni nari tari keru wo, hito-tose nobori te, sono Kimi tahiraka ni monosi tamahu yosi, kono watari ni mo honomekasi mausi tari keru wo, kikosimesi tuke te, sarani kakaru seusoko aru beki koto ni mo ara zu to, notamahase hanati kere ba, kahinaku te nam nageki haberi keru.
7.4.4  さてまた、常陸になりて下りはべりにけるが、この年ごろ、音にも聞こえたまはざりつるが、この春上りて、 かの宮には尋ね参りたりけるとなむ、ほのかに聞きはべりし。
 そうして再び、常陸の国司になって下りましたが、ここ数年、何ともおっしゃってきませんでしたが、この春上京して、あちらの宮には尋ねて参ったと、かすかに聞きました。
 それがまた主人が常陸介ひたちのすけになっていっしょにあずまへまいりましたが、それきり消息をだれも聞かなかったのでございます。この春常陸介が上ってまいりまして、中将が中の君様の所へたずねてまいりましたと申すことはちょっと聞きましてございます。
  Sate mata, Hitati ni nari te kudari haberi ni keru ga, kono tosi-goro, oto ni mo kikoye tamaha zari turu ga, kono haru nobori te, kano Miya ni ha tadune mawiri tari keru to nam, honoka ni kiki haberi si.
7.4.5   かの君の年は、二十ばかりになりたまひぬらむかし。いとうつくしく生ひ出でたまふがかなしき などこそ、中ごろは、文にさへ書き続けてはべめりしか」
 あの君の年齢は、二十歳くらいにおなりになったでしょう。とてもかわいらしくお育ちになったのがいとおしいなどと、近頃は、手紙にまで書き綴ってございましたとか」
 姫君は二十くらいになっていらっしゃるのでしょう。非常に美しい方におなりになったのを拝見する悲しさなどを、まだ中将さんの若いころ小説のようにして書いたりしたこともございました」
  Kano Kimi no tosi, hatati bakari ni nari tamahi nu ram kasi. Ito utukusiku ohi-ide tamahu ga kanasiki nado koso, naka-goro ha, humi ni sahe kaki-tuduke te habe' meri sika."
7.4.6  と聞こゆ。
 と申し上げる。

  to kikoyu.
7.4.7  詳しく聞きあきらめたまひて、「 さらば、まことにてもあらむかし。見ばや」と思ふ心出で来ぬ。
 詳しく聞き知りなさって、「それでは、ほんとうであったのだ。会ってみたいものだ」と思う気持ちが出てきた。
 すべてを聞いた薫は、それではほんとうのことらしい。その人を見たいという心が起こった。
  Kuhasiku kiki akirame tamahi te, "Saraba, makoto nite mo ara m kasi. Mi baya!" to omohu kokoro ide-ki nu.
7.4.8  「 昔の御けはひに、かけても 触れたらむ人は、知らぬ国までも尋ね知らまほしき心あるを、 数まへたまはざりけれど、近き人にこそはあなれ。わざとはなくとも、このわたりにおとなふ折あらむついでに、かくなむ言ひし、と伝へたまへ」
 「故姫君のご様子に、少しでも似ているような人は、知らない国までも探し求めたい気持ちであるが、お子とお認めにならなかったが、姉妹であるのだ。わざわざというのでなくても、この近辺に便りを寄せる機会があった時には、こう言っていた、とお伝えください」
 「昔の姫君に少しでも似た人があれば遠い国へでも尋ねて行きたい心のある私なのだから、子として宮がお数えにならなかったとしても結局妹さんであることは違いのないことなのですから、私のこの心持ちをわざわざ正面から伝えるようにではなく、こう言っていたとだけを、何かの手紙が来たついでにでも言っておいてください」
  "Mukasi no ohom-kehahi ni, kakete mo hure tara m hito ha, sira nu kuni made mo tadune sira mahosiki kokoro aru wo, kazumahe tamaha zari kere do, tikaki hito ni koso ha a' nare. Wazato ha naku tomo, kono watari ni otonahu wori ara m tuide ni, kaku nam ihi si, to tutahe tamahe."
7.4.9  などばかりのたまひおく。
 などとだけおっしゃっておく。
 とだけ薫は頼んだ。
  nado bakari notamahi-oku.
7.4.10  「 母君は、故北の方の御姪なり弁も離れぬ仲らひにはべるべきを、そのかみは他々にはべりて、詳しくも見たまへ馴れざりき。
 「母君は、故北の方の姪です。弁も縁続きの間柄でございますが、その当時は別の所におりまして、詳しくは存じませんでした。
 「お母さんは八の宮の奥様のめいにあたる人なのでございます。私とも血の続いた人なのですが、昔は双方とも遠い国に住んでいまして、たびたび逢うようなことはなかったのでございます。
  "Haha-Gimi ha, ko-Kitanokata no ohom-mehi nari. Ben mo hanare nu nakarahi ni haberu beki wo, sono kami ha hoka-hoka ni haberi te, kuhasiku mo mi tamahe nare zari ki.
7.4.11  さいつころ、 京より、大輔がもとより申したりしは、かの君なむ、いかでかの御墓にだに参らむと、のたまふなる、さる 心せよ、などはべりしかど、まだここに、さしはへてはおとなはずはべめり。今、さらば、さやのついでに、かかる仰せなど伝へはべらむ」
 最近、京から、大輔のもとから申してよこしたことには、あの姫君が、何とか父宮のお墓にだけでも詣でたいと、おっしゃっているという、そのようなおつもりでいなさい、などとございましたが、まだここには、特に便りはないようです。今、そうなったら、そのような機会に、この仰せ言を伝えましょう」
 先日京から大輔たゆうが手紙をよこしまして、あの方がどうかして宮様のお墓へでもお行きになりたいと言っていらっしゃるから、そのつもりでということでしたが、中将からは久しぶりの音信たよりというものもくれません。でございますからそのうちこちらへお見えになるでしょう。その節にあなた様の仰せをお伝えいたしましょう」
  Sai-tu-koro, kyau yori, Taihu ga moto yori mausi tari si ha, kano Kimi nam, ikade kano mi-haka ni dani mawira m to, notamahu naru, saru kokoro se yo, nado haberi sika do, mada koko ni, sasi-hahe te ha otonaha zu habe' meri. Ima, saraba, sa ya no tuide ni, kakaru ohose nado tutahe habera m."
7.4.12  と聞こゆ。
 と申し上げる。

  to kikoyu.
注釈591京にこのころ以下「書き続けてはべめりしか」まで、弁尼の詞。7.4.2
注釈592中将の君とて八宮に仕えていた上臈の女房。浮舟の母。7.4.2
注釈593いと忍びて--のたまはせける『完訳』は「秘かな情交があったとする。橋姫巻では、八の宮は女性関係とは無縁の俗聖。もっとも、女房との愛人関係、すなわち召人の仲なら、相手の人格を認めるに及ばず、八の宮の生き方を規制しない」と注す。7.4.2
注釈594女子を浮舟をさす。7.4.2
注釈595一年上りて後文から八宮の生前の時期と分かる。7.4.3
注釈596このわたりにもほのめかし申したりけるを『集成』は「恐らく、昔の知合いの女房のもとにでも知らせてきたのだろう」。『完訳』は「八の宮の周辺。「ほのめかし」とあり、大君や中の君は知らない」と注す。7.4.3
注釈597聞こしめしつけて主語は八宮。7.4.3
注釈598さらにかかる消息あるべきことにもあらず八宮の詞。間接的引用。7.4.3
注釈599かの宮に京の二条宮邸。7.4.4
注釈600かの君の年は二十ばかりになりたまひぬらむかし浮舟の年齢は二十歳くらい。7.4.5
注釈601さらばまことにてもあらむかし見ばや薫の心中の思い。7.4.7
注釈602昔の御けはひに以下「と伝へたまへ」まで、薫の詞。7.4.8
注釈603数まへたまはざりけれど八宮は浮舟を認知しなかったが、の意。7.4.8
注釈604母君は故北の方の御姪なり以下「伝へはべらむ」まで、弁尼の詞。7.4.10
注釈605弁も離れぬ仲らひにはべるべきを弁尼は八宮の北の方と従姉妹。浮舟の母中将の君は従姉妹の姪に当たる。7.4.10
注釈606京より大輔がもとより京の中君に仕える女房。7.4.11
校訂61 いと忍びて、はかなきほどにもののたまはせける いと忍びて、はかなきほどにもののたまはせける--(/+いと忍ひてはかなき程に物の給はせける<朱>) 7.4.2
校訂62 などこそ などこそ--*なとゝそ 7.4.5
校訂63 触れたらむ人は 触れたらむ人は--*ふれたらんは人は 7.4.8
校訂64 心せよ 心せよ--*心よせ 7.4.11
7.5
第五段 薫、二条院の中君に宇治訪問の報告


7-5  Kaoru reports back from Uji to Naka-no-kimi at Nijo-in

7.5.1  明けぬれば帰りたまはむとて、昨夜、後れて持て参れる絹綿などやうのもの、阿闍梨に贈らせたまふ。尼君にも賜ふ。法師ばら、尼君の下衆どもの料にとて、布などいふものをさへ、召して賜ぶ。心細き住まひなれど、かかる御訪らひたゆまざりければ、身のほどにはめやすく、しめやかにてなむ行なひける。
 夜が明けたのでお帰りになろうとして、昨夜、供人が後れて持ってまいった絹や綿などのような物を、阿闍梨に贈らせなさる。尼君にもお与えになる。法師たちや、尼君の下仕え連中の料として、布などという物までを、呼んでお与えになる。心細い生活であるが、このようなお見舞いが引き続きあるので、身分に比較してたいそう無難で、ひっそりと勤行しているのであった。
 夜が明けたので薫は帰ろうとしたが、昨夜遅れて京から届いた絹とか綿とかいうような物を御寺みてら阿闍梨あじゃりへ届けさせることにした。弁の尼にも贈った。寺の下級の僧たち、尼君の召使いなどのために布類までも用意させてきて薫は与えたのだった。心細い形の生活であるが、こうして中納言が始終補助してくれるために、気楽に質素な暮らしが弁にできるのである。
  Ake nure ba kaheri tamaha m tote, yobe, okure te mote mawire ru kinu wata nado yau no mono, Azyari ni okura se tamahu. Ama-Gimi ni mo tamahu. Hohusi-bara, Ama-Gimi no gesu-domo no reu nite, nuno nado ihu mono wo sahe, mesi te tabu. Kokoro-bosoki sumahi nare do, kakaru ohom-toburahi tayuma zari kere ba, mi no hodo ni ha meyasuku, simeyaka nite nam okonahi keru.
7.5.2  木枯しの堪へがたきまで吹きとほしたるに、 残る梢もなく散り敷きたる紅葉を、踏み分けける跡も見えぬを 見渡して、とみにもえ出でたまはず。いとけしきある深山木に宿りたる蔦の色ぞまだ残りたる。こだになどすこし引き取らせたまひて、 宮へと思しくて、持たせたまふ。
 木枯しが堪え難いまでに吹き抜けるので、梢の葉も残らず散って敷きつめた紅葉を、踏み分けた跡も見えないのを見渡して、すぐにはお出になれない。たいそう風情ある深山木にからみついている蔦の色がまだ残っていた。せめてこの蔦だけでもと少し引き取らせなさって、宮へとお思いらしく、持たせなさる。
 堪えがたいまでに吹き通す木枯こがらしに、残る枝もなく葉を落とした紅葉もみじの、積もりに積もり、だれも踏んだ跡も見えない庭にながめ入って、帰って行く気の進まなく見える薫であった。よい形をした常磐木ときわぎにまとったつたの紅葉だけがまだ残ったあかさであった。こだにのつるなどを少し引きちぎらせて中の君への贈り物にするらしく薫は従者に持たせた。
  Kogarasi no tahe gataki made huki-tohosi taru ni, nokoru kozuwe mo naku tiri-siki taru momidi wo, humi-wake keru ato mo miye nu wo mi-watasi te, tomini mo e ide tamaha zu. Ito kesiki aru miyama-gi ni yadori taru tuta no iro zo mada nokori taru. Kodani nado sukosi hiki-tora se tamahi te, Miya he to obosiku te, motase tamahu.
7.5.3  「 宿り木と思ひ出でずは木のもとの
 「宿木の昔泊まった家と思い出さなかったら
  やどり木と思ひでずば木のもとの
    "Yadori-gi to omohi-ide zu ha ko no moto no
7.5.4   旅寝もいかにさびしからまし
  木の下の旅寝もどんなにか寂しかったことでしょう
  旅寝もいかに寂しからまし
    tabine mo ika ni sabisi kara masi
7.5.5  と独りごちたまふを聞きて、尼君、
 と独り言をおっしゃるのを聞いて、尼君、
 と口ずさんでいるのを聞いて、弁が、
  to hitori-goti tamahu wo kiki te, Ama-Gimi,
7.5.6  「 荒れ果つる朽木のもとを宿りきと
 「荒れ果てた朽木のもとを昔の泊まった家と
  荒れはつる朽ち木のもとを宿り木と
    "Are-haturu kuti-ki no moto wo yadori ki to
7.5.7   思ひおきけるほどの悲しさ
  思っていてくださるのが悲しいことです
  思ひおきけるほどの悲しさ
    omohi-oki keru hodo no kanasisa
7.5.8  あくまで古めきたれど、ゆゑなくはあらぬをぞ、いささかの慰めには思しける。
 どこまでも古風であるが、教養がなくはないのを、わずかの慰めとお思いになった。
 という。あくまで老いた女らしい尼であるが、趣味を知らなくないことで悪い気持ちは中納言にしなかった。
  Akumade huru-meki tare do, yuwe naku ha ara nu wo zo, isasaka no nagusame ni ha obosi keru.
7.5.9  宮に紅葉たてまつれたまへれば、男宮おはしましけるほどなりけり。
 宮に紅葉を差し上げなさると、夫宮がいらっしゃるところだった。
 二条の院へ宿り木の紅葉を薫の贈ったのは、ちょうど宮が来ておいでになる時であった。
  Miya ni momidi tatemature tamahe re ba, Wotoko-Miya ohasi masi keru hodo nari keri.
7.5.10  「 南の宮より
 「南の宮邸から」
 「三条の宮から」
  "Minami no miya yori."
7.5.11  とて、何心もなく持て参りたるを、女君、「 例のむつかしきこともこそ」と苦しく思せど、 取り隠さむやは。宮、
 と言って、何の気なしに持って参ったのを、女君は、「いつものようにうるさいことを言ってきたらどうしようか」と苦しくお思いになるが、どうして隠すことができようか。宮は、
 と言って使いが何心もなく持って来たのを、夫人はいつものとおり自分の困るようなことの書かれてある手紙が添っているのではないかと気にしていたが隠しうるものでもなかった。宮が、
  tote, nani-gokoro mo naku mote mawiri taru wo, Womna-Gimi, "Rei no mutukasiki koto mo koso." to kurusiku obose do, tori kakusa m yaha! Miya,
7.5.12  「 をかしき蔦かな
 「美しい蔦ですね」
 「美しい蔦だね」
  "Wokasiki tuta kana!"
7.5.13  と、ただならずのたまひて、召し寄せて見たまふ。御文には、
 と、穏やかならずおっしゃって、呼び寄せて御覧になる。お手紙には、
 と意味ありげにお言いになって、お手もとへ取り寄せて御覧になるのであったが、手紙には、
  to, tada-nara-zu notamahi te, mesi-yose te mi tamahu. Ohom-humi ni ha,
7.5.14  「 日ごろ、何事かおはしますらむ。山里にものしはべりて、 いとど峰の朝霧に惑ひ はべりつる御物語も、みづからなむ。かしこの寝殿、堂になすべきこと、阿闍梨に言ひつけはべりにき。御許しはべりてこそは、他に移すこともものしはべらめ。弁の尼に、さるべき仰せ言はつかはせ」
 「このごろは、いかがお過ごしでしょうか。山里に参りまして、ますます峰の朝霧に迷いましたお話も、お目にかかって。あちらの寝殿を、お堂に造ることを、阿闍梨に命じました。お許しを得てから、他の場所に移すこともいたしましょう。弁の尼に、しかるべきお指図をなさってください」
 このごろはどんな御様子でおられますか。山里へ行ってまいりまして、さらにまた峰の朝霧に悲しみを引き出される結果を見ました。そんな話はまたまいって申し上げましょう。あちらの寝殿を御堂に直すことを阿闍梨あじゃりに命じて来ました。お許しを得ましてから、他の場所へ移すことにも着手させましょう。弁の尼へあなたから御承諾になるならぬをお言いやりになってください。
  "Higoro, nani-goto ka ohasimasu ram. Yamazato ni monosi haberi te, itodo mine no asa-giri ni madohi haberi turu ohom-monogatari mo, midukara nam. Kasiko no sinden, dau ni nasu beki koto, Azyari ni ihi-tuke haberi ni ki. Ohom-yurusi haberi te koso ha, hoka ni utusu koto mo monosi habera me. Ben-no-Ama ni, saru-beki ohose-goto ha tukahase."
7.5.15  などぞある。
 などとある。
 こう書かれてあった。
  nado zo aru.
7.5.16  「 よくも、つれなく書きたまへる文かな。まろありとぞ聞きつらむ」
 「よくもまあ、平静をよそおってお書きになった手紙だな。自分がいると聞いたのだろう」
 「よくもしらじらしく書けた手紙だ。私がこちらにいると聞いていたのだろう」
  "Yoku mo, turenaku kaki tamahe ru kana!. Maro ari to zo kiki tu ram."
7.5.17  とのたまふも、 すこしは、げにさやありつらむ。女君は、ことなきをうれしと思ひたまふに、 あながちにかくのたまふを、わりなしと思して、 うち怨じてゐたまへる御さま、よろづの罪許しつべくをかし。
 とおっしゃるのも、少しは、なるほどそうであったであろう。女君は、特別に何も書いてないのを嬉しいとお思いになるが、むやみにこのようにおっしゃるのを、困ったことだとお思いになって、恨んでいらっしゃるご様子は、すべての欠点も許したくなるような美しさである。
 と宮はお言いになるのであった。少しはそうであったかもしれない。夫人は用事だけの言われてあったのをうれしく思ったのであるが、どこまでも疑ったものの言いようを宮があそばすのをうるさく思い、恨めしそうにしている顔が非常に美しくて、この人が犯せばどんな過失も許す気になるであろうと宮は見ておいでになった。
  to notamahu mo, sukosi ha, geni sa ya ari tu ram. Womna-Gimi ha, koto naki wo uresi to omohi tamahu ni, anagati ni kaku notamahu wo, warinasi to obosi te, uti-wen-zi te wi tamahe ru ohom-sama, yorodu no tumi yurusi tu beku wokasi.
7.5.18  「 返り事書きたまへ。見じや
 「お返事をお書きなさい。見ないでいますよ」
 「返事をお書きなさい。私は見ないようにしているから」
  "Kaheri-goto kaki tamahe. Mi zi ya!"
7.5.19  とて、他ざまに向きたまへり。あまえて書かざらむもあやしければ、
 と、よそをお向きになった。甘えて書かないのも変なので、
 宮はわざとほかのほうへ向いておしまいになった。そうお言いになったからと言って、書かないでは怪しまれることであろうと夫人は思い、
  tote, hoka-zama ni muki tamahe ri. Amaye te kaka zara m mo ayasikere ba,
7.5.20  「 山里の御ありきのうらやましくもはべるかな。かしこは、げにさやにてこそよく、と思ひたまへしを、ことさらにまた 巌の中求めむよりは 、荒らし果つまじく思ひはべるを、いかにもさるべきさまになさせたまはば、おろかならずなむ」
 「山里へのご外出が羨ましゅうございます。あちらでは、おっしゃるとおりにするのがよい、と存じておりましたが、特別にまた山奥に住処を求めるよりは、荒らしきってしまいたくなく思っておりますので、どのようにでも適当な状態になさってくれたら、ありがたく存じます」
 山里へおいでになりましたことはおうらやましいことと承りました。あちらは仰せのように御堂にいたすのがよろしいことと思っておりました。しかしまた私自身のために隠れ家として必要のあることを思い、荒廃はいたさせたくない願いもあったのですが、あなたのお計らいで両様の望みがかないますればありがたいことと存じます。
  "Yamazato no ohom-ariki no urayamasiku mo haberu kana! Kasiko ha, geni saya nite koso yoku, to omohi tamahe si wo, kotosara ni mata ihaho no naka motome m yori ha, arasi-hatu maziku omohi haberu wo, ikani mo saru-beki sama ni nasa se tamaha ba, oroka nara zu nam."
7.5.21  と聞こえたまふ。「かく憎きけしきもなき御睦びなめり」と 見たまひながらわが御心ならひに、ただならじと思すが、 やすからぬなるべし
 と申し上げなさる。「このように憎い様子もないご交際のようだ」と御覧になる一方で、自分のご性質から、ただではあるまいとお思いになるのが、落ち着いてもいられないのであろう。
 と返事を書いた。こんなふうの友情をかわすだけの二人であろうと思っておいでになりながらも、御自身のお心慣らいから秘密があるように察せられて、御不安がのけがたいのであろう。
  to kikoye tamahu. "Kaku nikuki kesiki mo naki ohom-mutubi na' meri." to mi tamahi nagara, waga mi-kokoro narahi ni, tada nara zi to obosu ga, yasukara nu naru besi.
注釈607残る梢もなく散り敷きたる紅葉を踏み分けける跡も見えぬを『全書』は「秋は来ぬ紅葉は宿にふりしきぬ道踏み分けて訪ふ人はなし」(古今集秋下、二八七、読人しらず)を指摘。7.5.2
注釈608宮へと思しく語り手の推測。挿入句で語る。7.5.2
注釈609宿り木と思ひ出でずは木のもとの旅寝もいかにさびしからまし薫の独詠歌。『完訳』は「荒涼の宇治で、懐旧と孤独のなかばする歌」と評す。7.5.3
注釈610荒れ果つる朽木のもとを宿りきと思ひおきけるほどの悲しさ弁尼の唱和歌。「宿木」の語句を用いて詠む。7.5.6
注釈611南の宮より薫が使者に言わせた詞。薫の三条宮邸を「南の宮」、匂宮の二条院を「北の院」(宿木)と呼んでいる。7.5.10
注釈612例のむつかしきこともこそ中君の心中の思い。「もこそ」危惧の気持ち。7.5.11
注釈613取り隠さむやは『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の評言」と注す。7.5.11
注釈614をかしき蔦かな匂宮の詞。7.5.12
注釈615日ごろ何事か以下「仰せ言はつかはせ」まで、薫から中君への手紙文。7.5.14
注釈616いとど峰の朝霧に惑ひ『源氏釈』は「雁の来る峯の朝霧晴れずのみ思ひつきせぬ世の中の憂さ」(古今集雑下、九三五、読人しらず)を指摘。7.5.14
注釈617よくもつれなく以下「聞きつらむ」まで、匂宮の詞。7.5.16
注釈618すこしは、げにさやありつらむ『弄花抄』は「双紙の詞也」と指摘。『集成』は「多少は、確かに宮のおっしゃる通りでもあったのでしょう。草子地」。『完訳』は「語り手が、匂宮の疑心に納得しながら、薫の下心を推量」と注す。7.5.17
注釈619あながちにかくのたまふを主語は匂宮。宮の邪推。7.5.17
注釈620うち怨じてゐたまへる御さま中君が匂宮を。7.5.17
注釈621返り事書きたまへ。見じや匂宮の詞。7.5.18
注釈622山里の御ありきの以下「おろかならずなむ」まで、中君の薫への返書。7.5.20
注釈623巌の中求めむよりは『源氏釈』は「いかならむ巌の中に住まばかは世の憂きことの聞こえこざらむ」(古今集雑下、九五二、読人しらず)を指摘。7.5.20
注釈624見たまひながら主語は匂宮。7.5.21
注釈625わが御心ならひに--やすからぬなるべし『孟津抄』は「草子地也」と指摘。語り手が匂宮の心中を推測した叙述。7.5.21
出典39 紅葉を、踏み分けける跡 秋は来ぬ紅葉は宿に降りしきぬ道踏み分けて訪ふ人はなし 古今集秋下-二八七 読人しらず 7.5.2
出典40 荒れ果つる朽木 形こそ深山隠れの朽木なれ心は花になさばなりなむ 古今集雑上-八七五 兼芸法師 7.5.6
出典41 峰の朝霧に 雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひつきせぬ世の中の憂さ 古今集雑下-九三五 読人しらず 7.5.14
出典42 巌の中求めむ いかならむ巌の中に住まばかは世の憂きことの聞こえ来ざらむ 古今集雑下-九五二 読人しらず 7.5.20
7.6
第六段 匂宮、中君の前で琵琶を弾く


7-6  Nio-no-miya plays biwa in front of Naka-no-kimi

7.6.1  枯れ枯れなる前栽の中に、 尾花の、ものよりことにて手をさし出で招くがをかしく見ゆるに、まだ穂に出でさしたるも、 露を貫きとむる玉の緒、はかなげにうちなびきたるなど、例のことなれど、夕風なほあはれなるころなりかし。
 枯れ枯れになった前栽の中に、尾花が、他の草とは違って手を差し出して招いているのが面白く見えるので、まだ穂に出かかったのも、露を貫き止める玉の緒は、頼りなさそうに靡いているのなど、普通のことであるが、夕方の風がやはりしみじみと感じられるころなのであろう。
 枯れ枯れになった庭の植え込みの中のすすきが何草よりも高く手を出して招いている形が美しく、また穂を持たないのも露を貫き玉を掛けた身をなびかせていることなどは平凡なことであるが夕風の吹いている草原は身にしむことが多いものである。
  Kare-gare naru sensai no naka ni, wobana no, mono yori koto nite te wo sasi-ide maneku ga wokasiku miyuru ni, mada ho ni ide sasi taru mo, tuyu wo turanuki tomuru tama-no-wo, hakanage ni uti-nabiki taru nado, rei no koto nare do, yuhu-kaze naho ahare naru koro nari kasi.
7.6.2  「 穂に出でぬもの思ふらし篠薄
 「外に現さないないが、物思いをしているらしいですね
  穂にいでぬ物思ふらししのすすき
    "Ho ni ide nu mono omohu rasi sino-susuki
7.6.3   招く袂の露しげくして
  篠薄が招くので、袂の露がいっぱいですね
  招くたもとの露しげくして
    maneku tamoto no tuyu sigeku si te
7.6.4  なつかしきほどの御衣どもに、直衣ばかり着たまひて、 琵琶を弾きゐたまへり。黄鐘調の掻き合はせを、いとあはれに弾きなしたまへば、女君も心に入りたまへることにて、もの怨じもえし果てたまはず、小さき御几帳のつまより、脇息に寄りかかりて、ほのかにさし出でたまへる、いと見まほしくらうたげなり。
 着なれたお召し物類に、お直衣だけをお召しになって、琵琶を弾いていらっしゃった。黄鐘調の合奏を、たいそうしみじみとお弾きになるので、女君も嗜んでいらっしゃるので、物恨みもなさらずに、小さい御几帳の端から、脇息に寄り掛かって、わずかにお出しになった顔は、まことにもっと見たいほどかわいらしい。
 柔らかになったお小袖こそでの上に直衣のうしだけをおになり、琵琶びわを宮はいておいでになった。黄鐘調おうじきちょうき合わせに美しい音を出しておいでになる時、夫人は好きな音楽であったから、恨めしいふうばかりはしておられず、小さい几帳きちょうの横から脇息きょうそくによりかかって少し姿を現わしているのが非常に可憐かれんに見えた。
  Natukasiki hodo no ohom-zo-domo ni, nahosi bakari ki tamahi te, biwa wo hiki wi tamahe ri. Wausiki-deu no kaki-ahase wo, ito ahare ni hiki-nasi tamahe ba, Womna-Gimi mo kokoro ni iri tamahe ru koto nite, mono-wen-zi mo e si hate tamaha zu, tihisaki mi-kityau no tuma yori, keusoku ni yori-kakari te, honoka ni sasi-ide tamahe ru, ito mi mahosiku rautage nari.
7.6.5  「 秋果つる野辺のけしきも篠薄
 「秋が終わる野辺の景色も
  「あきはつる野べのけしきもしのすすき
    "Aki haturu nobe no kesiki mo sino-susuki
7.6.6   ほのめく風につけてこそ知れ
  篠薄がわずかに揺れている風によって知られます
  ほのめく風につけてこそ知れ
    honomeku kaze ni tuke te koso sire
7.6.7   わが身一つの
 自分一人の秋ではありませんが」
 『わが身一つの』(おほかたのわが身一つのうきからになべての世をも恨みつるかな)」
  Waga mi hitotu no."
7.6.8  とて涙ぐまるるが、さすがに恥づかしければ、扇を紛らはしておはする御心の内も、らうたく推し量らるれど、「 かかるにこそ、人もえ思ひ放たざらめ」と、疑はしきがただならで、 恨めしきなめり
 と言って自然と涙ぐまれるが、そうはいっても恥ずかしいので、扇で隠していらっしゃる心中も、かわいらしく想像されるが、「こうだからこそ、相手も諦められないのだろう」と、疑わしいのが普通でなく、恨めしいようである。
 と言ううちに涙ぐまれてくるのも、さすがに恥ずかしく扇で紛らしているその気分も愛すべきであると宮はお思われになるのであるが、こんな人であるからほかの男も忘れがたく思うのであろうと疑いをお持ちになるのが夫人の身に恨めしいことに相違ない。
  tote, namida-guma ruru ga, sasuga ni hadukasikere ba, ahugi wo magirahasi te ohasuru mi-kokoro no uti mo, rautaku osihakara rure do, "Kakaru ni koso, hito mo e omohi-hanata zara me." to, utagahasiki ga tada nara de, uramesiki na' meri.
7.6.9  菊の、まだよく移ろひ果てで、わざとつくろひたてさせたまへるは、なかなか遅きに、いかなる一本にか あらむ、いと見所ありて移ろひたるを、取り分きて折らせたまひて、
 菊が、まだすっかり変色もしないで、特につくろわせなさっているのは、かえって遅いのに、どのような一本であろうか、たいそう見所があって変色しているのを、特別に折らせなさって、
 白菊がまだよく紫に色を変えないで、いろいろ繕われてあるのはことに移ろい方のおそい中にどうしたのか一本だけきれいに紫になっているのを宮はお折らせになり
  Kiku no, mada yoku uturohi hate de, wazato tukurohi tate sase tamahe ru ha, naka-naka osoki ni, ika naru hito-moto ni ka ara m, ito mi-dokoro ari te uturohi taru wo, tori-waki te wora se tamahi te,
7.6.10  「 花の中に偏に
 「花の中で特別に」
 「花中偏愛菊はなのなかにひとへにきくをあいす
  "Hana no naka ni hitohe ni."
7.6.11  と誦じたまひて、
 と口ずさみなさって、
 としておいでになったが、
  to zyu-zi tamahi te,
7.6.12  「 なにがしの皇子の、花めでたる夕べぞかし。いにしへ、天人の翔りて、琵琶の手教へけるは。何事も浅くなりにたる世は、もの憂しや」
 「何某の親王が、この花を賞美した夕方です。昔、天人が飛翔して、琵琶の曲を教えたのは。何事も浅薄になった世の中は、嫌なことだ」
 「なにがし親王がこの花を愛しておいでになった夕方ですよ、天人が飛んで来て琵琶びわの手を教えたというのはね。何事もあさはかになって天人の心を動かすような音楽というものはもはや地上からなくなってしまったのは情けない」
  "Nanigasi-no-mi-ko no, hana mede taru yuhube zo kasi. Inisihe, Ten-nin no kakeri te, biwa no te wosihe keru ha. Nani-goto mo asaku nari ni taru yo ha, mono-usi ya!"
7.6.13  とて、御琴さし置きたまふを、口惜しと思して、
 と言って、お琴をお置きになるのを、残念だとお思いになって、
 とお言いになり、楽器を下へ置いておしまいになったのを、中の君は残念に思い、
  tote, ohom-koto sasi-oki tamahu wo, kutiwosi to obosi te,
7.6.14  「 心こそ浅くもあらめ、昔を伝へたらむことさへは、などてかさしも」
 「心は浅くなったでしょうが、昔から伝えられたことまでは、どうしてそのようなことがありましょうか」
 「人間の心だけはあさはかにもなったでしょうが、昔から伝わっております音楽などはそれほどにも堕落はしておりませんでしょう」
  "Kokoro koso asaku mo ara me, mukasi tutahe tara m koto sahe ha, nado te ka sasimo."
7.6.15  とて、おぼつかなき手などをゆかしげに思したれば、
 と言って、まだよく知らない曲などを聞きたくお思いになっているので、
 こう言って、自身でおぼつかなくなっている手を耳から探り出したいと願うふうが見えた。宮は、
  tote, obotukanaki te nado wo yukasige ni obosi tare ba,
7.6.16  「 さらば、独り琴はさうざうしきに、さしいらへしたまへかし」
 「それならば、一人で弾く琴は寂しいから、お相手なさい」
 「それでは単独ひとりいているのは寂しいものだから、あなたが合わせなさい」
  "Saraba, hitori-goto ha sau-zausiki ni, sasi-irahe si tamahe kasi."
7.6.17  とて、 人召して、箏の御琴とり寄せさせて、弾かせたてまつりたまへど、
 と言って、女房を呼んで、箏の琴を取り寄せさせて、お弾かせ申し上げなさるが、
 とお言いになって、女房に十三げんをお出させになって、夫人に弾かせようとあそばされるのだったが、
  tote, hito mesi te, syau-no-ohom-koto tori-yose sase te, hika se tatematuri tamahe do,
7.6.18  「 昔こそ、まねぶ人もものしたまひしか、はかばかしく弾きもとめずなりにしものを」
 「昔なら、習う人もいらっしゃったが、ちゃんと習得もせずになってしまいましたものを」
 「昔は先生になってくださる方がございましたけれど、そんな時にもろくろく私はお習い取りすることはできなかったのですもの」
  "Mukasi koso, manebu hito mo monosi tamahi sika, haka-bakasiku hiki mo tome zu nari ni si mono wo."
7.6.19  と、つつましげにて手も触れたまはねば、
 と、遠慮深そうにして手もお触れにならないので、
 恥ずかしそうに言って、中の君は楽器に手を触れようともしない。
  to, tutumasige nite te mo hure tamaha ne ba,
7.6.20  「 かばかりのことも、隔てたまへるこそ心憂けれ。 このころ、見るわたり、まだいと心解くべきほどにも あらねど、かたなりなる初事をも隠さずこそあれ。すべて女は、やはらかに心うつくしきなむよきこととこそ、 その中納言も定むめりしか。かの君に、はた、かくもつつみたまはじ。こよなき御仲なめれば」
 「これくらいのことも、心置いていらっしゃるのが情けない。近頃、結婚した人は、まだたいして心打ち解けるようになっていませんが、まだ未熟な習い事をも隠さずにいます。総じて女性というものは、柔らかで心が素直なのが良いことだと、あの中納言も決めているようです。あの君には、また、このようにはお隠しになるまい。この上なく親密な仲のようなので」
 「これくらいのことにもまだあなたは隔てというものを見せるのは情けないではありませんか、このごろ通って行く所の人は、まだ心が解けるというほどの間柄になっていないのに、未成品的な琴を聞かせなさいと言えば遠慮をせずに弾きますよ。女は柔らかい素直なのがいいとあの中納言も言っていましたよ。あの人へはこんなに遠慮をばかり見せないのでしょう。非常な仲よしなのだから」
  "Kabakari no koto mo, hedate tamahe ru koso kokoro-ukere. Kono-koro, miru watari, mada ito kokoro-toku beki hodo ni mo ara ne do, kata-nari naru uhi-goto wo mo kakusa zu koso are. Subete womna ha, yaharaka ni kokoro-utukusiki nam yoki koto to koso, sono Tyuunagon mo sadamu meri sika. Kano Kimi ni, hata, kaku mo tutumi tamaha zi. Koyonaki ohom-naka na' mere ba."
7.6.21  など、まめやかに怨みられてぞ、うち嘆きてすこし調べたまふ。ゆるびたりければ、盤渉調に合はせたまふ。掻き合はせなど、爪音けをかしげに聞こゆ。「 伊勢の海」謡ひたまふ御声のあてにをかしきを、女房も、物のうしろに近づき参りて、笑み広ごりてゐたり。
 などと、本気になって恨み事を言われたので、溜息をついて少しお弾きになる。絃が緩めてあったので、盤渉調に合わせなさなさる。合奏などの、爪音が美しく聞こえる。「伊勢の海」をお謡いになるお声が上品で美しいのを、女房たちが、物の背後に近寄って、にっこりして座っていた。
 などとかおるのことまでも言葉に出してお恨みになったため、夫人は歎息をしながら少し琴を弾いた。近ごろ使われぬ琴は緒がゆるんでいたから盤渉調ばんじきちょうにしてお合わせになった。夫人の掻き合わせの爪音つまおとが美しい。催馬楽さいばらの「伊勢いせの海」をお歌いになる宮のお声の品よくおきれいであるのを、そっと几帳の後ろなどへ来て聞いていた女房たちは満足したみを皆見せていた。
  nado, mameyaka ni urami rare te zo, uti-nageki te sukosi sirabe tamahu. Yurubi tari kere ba, Bansiki-deu ni ahase tamahu. Kaki-ahase nado, tuma-oto ke-wokasige ni kikoyu. Ise-no-umi utahi tamahu ohom-kowe no ate ni wokasiki wo, nyoubau mo, mono no usiro ni tikaduki mawiri te, wemi hirogori te wi tari.
7.6.22  「 二心おはしますはつらけれど、それもことわりなれば、なほわが御前をば、幸ひ人とこそは申さめ。かかる御ありさまに交じらひたまふべくもあらざりし所の御住まひを、また帰りなまほしげに思して、のたまはするこそ、いと心憂けれ」
 「二心がおありなのはつらいけれども、それも仕方のないことなので、やはりわたしのご主人を、幸福人と申し上げましょう。このようなご様子でお付き合いなされそうにもなかった所のご生活を、また宇治に帰りたそうにお思いになって、おっしゃるのは、とても情けない」
 「二人の奥様をお持ちあそばすのはお恨めしいことですが、それも世のならわしなのですからね、やはりこの奥様を幸福な方と申し上げるほかはありませんよ。こうした所の大事な奥様になってお暮らしになる方とは思うこともできませんようでしたもとの生活へ、また帰りたいようによくおっしゃるのはどうしたことでしょう」
  "Huta-gokoro ohasimasu ha turakere do, sore mo kotowari nare ba, naho waga o-mahe wo ba, saihahi-bito to koso ha mausa me. Kakaru ohom-arisama ni mazirahi tamahu beku mo ara zari si tokoro no ohom-sumahi wo, mata kaheri na mahosige ni obosi te, notamaha suru koso, ito kokoro-ukere."
7.6.23  など、ただ言ひに言へば、若き人びとは、
 などと、ずけずけと言うので、若い女房たちは、
 といちずになって言う老いた女房はかえって若い女房たちから、
  nado, tada ihi ni ihe ba, wakaki hito-bito ha,
7.6.24  「 あなかまや
 「おだまり」
 「静かになさい」
  "Anakama ya!"
7.6.25  など制す。
 などと止める。
 と制されていた。
  nado sei-su.
注釈626尾花の、ものよりことにて手をさし出で招く『花鳥余情』は「秋の野の草の袂か花薄穂に出て招く袖と見ゆらむ」(古今集秋上、二四三、在原棟梁)を指摘。7.6.1
注釈627穂に出でぬもの思ふらし篠薄招く袂の露しげくして匂宮の中君への贈歌。『花鳥余情』は「秋の野の草の袂か花薄穂に出て招く袖と見ゆらむ」(古今集秋上、二四三、在原棟梁)を指摘。7.6.2
注釈628秋果つる野辺のけしきも篠薄ほのめく風につけてこそ知れ中君の返歌。「篠薄」の語句を用いて返す。7.6.5
注釈629わが身一つの歌に添えた詞。古歌の引用。『源氏釈』は「大方の我が身一つの憂きからになべての世をも恨みつるかな」(拾遺集恋五、九五三、紀貫之)を指摘。7.6.7
注釈630かかるにこそ人もえ思ひ放たざらめ匂宮の心中の思い。「人」は薫をさす。7.6.8
注釈631恨めしきなめり「なめり」は、推量の助動詞「なる」と断定の助動詞「めり」の連語。語り手の推測。7.6.8
注釈632花の中に偏に匂宮の詞。『源氏釈』は「これ花の中に偏へに菊を愛するのみにあらず此の花開けて後更に花の無ければなり」(和漢朗詠集、菊、元槙)を指摘。7.6.10
注釈633なにがしの皇子の以下「もの憂しや」まで、匂宮の詞。源高明の庭の木に霊物が降りて、小児の口をかりて前掲の元槙の詩句を口ずさんで、琵琶の秘曲を伝授したという故事(河海抄、指摘)を踏まえる。7.6.12
注釈634心こそ浅くも以下「などてかさしも」まで、中君の詞。7.6.14
注釈635さらば以下「したまへかし」まで、匂宮の詞。7.6.16
注釈636人召して女房を呼び寄せて。7.6.17
注釈637昔こそ以下「なりにしものを」まで、中君の詞。父八宮を回顧。7.6.18
注釈638かばかりのことも以下「御仲なめれば」まで、匂宮の詞。7.6.20
注釈639このころ、見るわたり六の君をさす。7.6.20
注釈640その中納言も薫をさす。「その」はあなたの、のニュアンス。7.6.20
注釈641二心おはしますは以下「いと心憂けれ」まで、女房たちの詞。7.6.22
注釈642あなかまや女房の詞。7.6.24
出典43 尾花の、ものよりことにて手をさし出で招く 秋の野の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらむ 古今集秋上-二四三 在原棟梁 7.6.1
出典44 露を貫きとむる玉の緒 置きもあへずはかなき露をいかにして貫き留めむ玉の緒もがな 小大君集-五〇 7.6.1
出典45 穂に出でぬもの思ふらし 我ぎ妹子に逢坂山の篠薄穂には出でずも恋ひわたるかな 古今集墨滅歌-一一〇七 読人しらず 7.6.2
出典46 わが身一つの おほかたのわが身一つの憂きからになべての世をも恨みつるかな 拾遺集恋五-九五三 紀貫之 7.6.7
出典47 花の中に偏に 不是花中偏愛菊 此花開後更無花<是れ花の中に偏へに菊を愛するにはあらず 此の花開けて後更に花の無ければなり> 和漢朗詠集上-二六七 元*、*=禾+真 7.6.10
出典48 伊勢の海 伊勢の海の 清き渚に しほがひに なのりそや摘まむ 貝拾はむや 玉や拾はむ 催馬楽-伊勢の海 7.6.21
校訂65 琵琶を 琵琶を--ひは(は/#<朱>)わを 7.6.4
校訂66 あらむ あらむ--あらむは(は/#) 7.6.9
校訂67 あらねど あらねど--な(な/#あ)らねと 7.6.20
7.7
第七段 夕霧、匂宮を強引に六条院へ迎え取る


7-7  Yugiri brings Nio-no-miya to his Rokujo-in as a son-in-law

7.7.1   御琴ども教へたてまつりなどして、三、四日籠もりおはして、御物忌などことつけたまふを、かの殿には恨めしく思して、大臣、内裏より出でたまひけるままに、ここに参りたまへれば、宮、
 いろいろのお琴をお教え申し上げなどして、三、四日籠もっておいでになって、御物忌などにかこつけなさるのを、あちらの殿におかれては恨めしくお思いになって、大臣は、宮中からお出になってそのまま、こちらに参上なさったので、宮は、
 琵琶びわなどをお教えになりながら三、四日二条の院に宮がとどまっておいでになり、謹慎日になったからというような口実を作って六条院へおいでにならないのを左大臣家の人々は恨めしがってい、大臣が御所から退出した帰りみちに二条の院へ出て来た。
  Ohom-koto-domo wosihe tatematuri nado si te, mi-ka, yo-ka komori ohasi te, ohom-mono-imi nado ni kototuke tamahu wo, kano tono ni ha uramesiku obosi te, Otodo, Uti yori ide tamahi keru mama ni, koko ni mawiri tamahe re ba, Miya,
7.7.2  「 ことことしげなるさまして、何しにいましつるぞとよ」
 「仰々しい様子をして、何のためにいらっしゃったのだろう」
 「たいそうなふうをして何しにおいでになったのかと言いたい」
  "Koto-kotosige naru sama si te, nani si ni imasi turu zo to yo!"
7.7.3  と、むつかりたまへど、 あなたに渡りたまひて、対面したまふ。
 と、不快にお思いになるが、寝殿にお渡りになって、お会いなさる。
 などとお言いになり、宮は不機嫌ふきげんになっておいでになったが、客殿のほうへ行って御面会になった。
  to, mutukari tamahe do, anata ni watari tamahi te, taimen si tamahu.
7.7.4  「 ことなることなきほどは、この院を見で久しくなりはべるも、あはれにこそ」
 「特別なことがない間は、この院を見ないで長くなりましたのも、しみじみと感慨深い」
 「何かの機会のない限りはこの院へ上がることがなくなっております私には目に見るものすべてが身にんでなりません」
  "Koto naru koto naki hodo ha, kono Win wo mi de hisasiku nari haberu mo, ahare ni koso."
7.7.5  など、 昔の御物語どもすこし聞こえたまひて、やがて引き連れきこえたまひて出でたまひぬ。御子どもの殿ばら、さらぬ上達部、殿上人なども、いと多くひき続きたまへる勢ひ、こちたきを見るに、 並ぶべくもあらぬぞ、屈しいたかりける。人びと覗きて見たてまつりて、
 などと、昔のいろいろなお話を少し申し上げなさって、そのままお連れ申し上げなさってお出になった。ご子息の殿方や、その他の上達部、殿上人なども、たいそう大勢引き連れていらっしゃる威勢が、大変なのを見ると、並びようもないのが、がっかりした。女房たちが覗いて拝見して、
  とも言い、六条院のお話などをしばらくしていたあとで、大臣は宮をお誘い出して行くのであった。子息たちその他の高級役人、殿上役人なども多く引き連れている勢力の偉大さを見て、比較にもならぬ世間的に無力な身の上を中の君は思ってめいった気持ちになっていた。女房らはのぞきながら、
  nado, mukasi no ohom-monogatari-domo sukosi kikoye tamahi te, yagate hiki-ture kikoye tamahi te ide tamahi nu. Mi-ko-domo no tono-bara, saranu Kamdatime, Tenzyau-bito nado mo, ito ohoku hiki-tuduki tamahe ru ikihohi, kotitaki wo miru ni, narabu beku mo ara nu zo, ku-si itakari keru. Hito-bito nozoki te mi tatematuri te,
7.7.6  「 さも、きよらにおはしける大臣かな。さばかり、いづれとなく、若く盛りにてきよげにおはさうずる御子どもの、似たまふべきもなかりけり。あな、めでたや」
 「まあ、美しくいらっしゃる大臣ですこと。あれほど、どなたも皆、若く男盛りで美しくいらっしゃるご子息たちで、似ていらっしゃる方もありませんね。何と、立派なこと」
 「ほんとうにおきれいな大臣様、あんなにごりっぱな御子息様たちで、皆若盛りでお美しいと申してよい方たちが、だれもお父様に及ぶ方はないじゃありませんか、なんという美男でいらっしゃるのでしょう」
  "Samo kiyora ni ohasi keru Otodo kana! Sabakari, idure to naku, wakaku sakari nite kiyoge ni ohasauzuru mi-ko-domo no, ni tamahu beki mo nakari keri. Ana, medeta ya!"
7.7.7  と言ふもあり。また、
 という者もいる。また、
 と中には言う者もあった。また、
  to ihu mo ari. Mata,
7.7.8  「 さばかりやむごとなげなる御さまにて、わざと迎へに参りたまへるこそ憎けれ。やすげなの世の中や」
 「あれほど重々しいご様子で、わざわざお迎えに参上なさるのは憎らしい。安心できないご夫婦仲ですこと」
 「あんなおおぎょうなふうをなすって、わざわざお迎えなどにおいでになるなんてくちおしい。世の中って楽なものではありませんね」
  "Sabakari yamgotonage naru ohom-sama nite, wazato mukahe ni mawiri tamahe ru koso nikukere. Yasugena no yononaka ya!"
7.7.9  など、うち嘆くもあるべし。 御みづからも、来し方を思ひ出づるよりはじめ、 かのはなやかなる御仲らひに立ちまじるべくもあらず、かすかなる身のおぼえをと、いよいよ心細ければ、「 なほ心やすく籠もりゐなむのみこそ目やすからめ」など、いとどおぼえたまふ。はかなくて年も暮れぬ。
 などと、嘆息する者もいるようだ。ご自身も、過去を思い出すのをはじめとして、あのはなやかなご夫婦の生活に肩を並べやってゆけそうにもなく、存在感の薄い身の上をと、ますます心細いので、「やはり気楽に山里に籠もっているのが無難であろう」などと、ますます思われなさる。とりとめもなく年が暮れた。
 と歎息する女もあった。夫人自身も寂しい来し方を思い出し、あのはなやかな人たちの世界の一隅いちぐうを占めることは不可能な影のうすい身の上であることがいよいよ心細く思われて、やはり自分は宇治へ隠退してしまうのが無難であろうと考えられるのであった。日は早くたち年も暮れた。
  nado, uti-nageku mo aru besi. Ohom-midukara mo, kisi-kata wo omohi-iduru yori hazime, kano hanayaka naru ohom-nakarahi ni tati-maziru beku mo ara zu, kasuka naru mi no oboye wo to, iyo-iyo kokoro-bosokere ba, "Naho kokoro-yasuku komori wi na m nomi koso meyasukara me." nado, itodo oboye tamahu. Hakanaku te tosi mo kure nu.
注釈643御琴ども教へたてまつりなどして匂宮が中君に。7.7.1
注釈644ことことしげなる以下「いましつるぞとよ」まで、匂宮の心中の思い。7.7.2
注釈645あなたに渡りたまひて寝殿で夕霧と会う。7.7.3
注釈646ことなることなきほどは以下「あはれになむ」まで、夕霧の詞。7.7.4
注釈647並ぶべくもあらぬぞ屈しいたかりける『完訳』は「中の君と女房たちの心情に即した行文。宮と中の君の久方ぶりの睦まじさも束の間だったと消沈」と注す。7.7.5
注釈648さもきよらに以下「あなめでたや」まで、女房の詞。7.7.6
注釈649さばかりやむごとなげなる以下「やすげなの世や」まで、女房の詞。7.7.8
注釈650御みづからも中君をさす。7.7.9
注釈651かのはなやかなる御仲らひに匂宮と六の君の結婚生活。以下「かすかなる身のおぼえを」まで、中君の心中の思い。地の文が自然と心中文になった叙述。7.7.9
注釈652なほ心やすく以下「目やすからめ」まで、中君の心中の思い。7.7.9
校訂68 昔の御物語 昔の御物語--むかし(し/+の御<朱>)ものかたり 7.7.5
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月9日

Last updated 11/2/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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