49 宿木(大島本)


YADORIGI


薫君の中、大納言時代
二十四歳夏から二十六歳夏四月頃までの物語



Tale of Kaoru's Chunagon and Dainagon era, from summer at the age of 24 to April at the age of 26

6
第六章 薫の物語 中君から異母妹の浮舟の存在を聞く


6  Tale of Kaoru  Kaoru is heard about halfsisters Ukifune by Naka-no-kimi

6.1
第一段 薫、二条院の中君を訪問


6-1  Kaoru visits Naka-no-kimi at Nijo-in

6.1.1   男君も、しひて思ひわびて、例の、しめやかなる夕つ方おはしたり。やがて端に御茵さし出でさせたまひて、「 いと悩ましきほどにてなむ、え聞こえさせぬ」と、人して聞こえ出だしたまへるを聞くに、いみじくつらくて、涙落ちぬべきを、人目につつめば、しひて紛らはして、
 男君も、無理をして困って、いつものように、しっとりした夕方おいでになった。そのまま端にお褥を差し出させなさって、「とても苦しい時でして、お相手申し上げることができません」と、女房を介して申し上げさせなさったのを聞くと、ひどくつらくて、涙が落ちてしまいそうなのを、人目にかくして、無理に紛らわして、
 薫はおさえきれぬものを心に覚えて、例のとおりにしんみりとした夕方に二条の院の中の君をたずねて来た。すぐに縁側へ敷き物を出させて、「身体からだを悪くしております時で、お話を自身で伺えませんのが残念でございます」と中の君が取り次がせて来たのを聞くと、薫は恨めしさに涙さえ落ちそうになったのを人目につかぬようにしいて紛らして、
   Wotoko-Gimi mo, sihite omohi-wabi te, rei no, simeyaka naru yuhu-tu-kata ohasi tari. Yagate hasi ni ohom-sitone sasi-ide sase tamahi te, "Ito nayamasiki hodo nite nam, e kikoye sase nu." to, hito si te kikoye-idasi tamahe ru wo kiku ni, imiziku turaku te, namida oti nu beki wo, hitome ni tutume ba, sihite magirahasi te,
6.1.2  「 悩ませたまふ折は知らぬ僧なども近く参り寄るを。医師などの列にても、御簾の内にはさぶらふまじくやは。かく人伝てなる御消息なむ、かひなき心地する」
 「お悩みでいらっしゃる時は、知らない僧なども近くに参り寄るものですよ。医師などと同じように、御簾の内に伺候することはできませんか。このような人を介してのご挨拶は、効のない気がします」
 「御病気の時には、知らぬ僧でもお近くへまいるのですから、私も医師並みに御簾みすの中へお呼びいただいてもいいわけでしょう。こうした人づてのお言葉は私を失望させてしまいます」
  "Nayama se tamahu wori ha, sira nu sou nado mo tikaku mawiri yoru wo. Kususi nado no tura nite mo, mi-su no uti ni ha saburahu maziku yaha. Kaku hito-dute naru ohom-seusoko nam, kahi naki kokoti suru."
6.1.3  とのたまひて、いとものしげなる御けしきなるを、 一夜もののけしき見し人びと、
 とおっしゃって、とても不愉快なご様子なのを、先夜お二人の様子を見ていた女房たちは、
 と言い、情けなさそうにしているのを、先夜の事情を知っている女房らが、
  to notamahi te, ito monosige naru mi-kesiki naru wo, hito-yo mono no kesiki mi si hito-bito,
6.1.4  「 げに、いと見苦しくはべるめり
 「なるほど、とても見苦しくございますようです」
 「仰せになりますとおり、お席があまり失礼でございます」
  "Geni, ito migurusiku haberu meri."
6.1.5  とて、母屋の御簾うち下ろして、夜居の僧の座に入れたてまつるを、女君、まことに心地もいと苦しけれど、人のかく言ふに、掲焉にならむも、またいかが、とつつましければ、もの憂ながらすこしゐざり出でて、対面したまへり。
 と言って、母屋の御簾を下ろして、夜居の僧の座所にお入れ申すのを、女君は、ほんとうに気分も実に苦しいが、女房がこのように言うので、はっきり拒むのも、またどんなものかしら、と遠慮されるので、嫌な気分ながら少しいざり出て、お会いなさった。
 と言い、中央の母屋もやの御簾を皆おろして、夜居の僧のはいる室へ薫を案内したのを、中の君は実際身体も苦しいのであったが、女房もこう言っているのに、あらわに拒絶するのもかえって人を怪しがらせる結果になるかもしれぬと思い、物憂ものうく思いながら少しいざって出て話すことにした。
  tote, moya no mi-su uti-orosi te, yowi-no-sou no za ni ire tatematuru wo, Womna-Gimi, makoto ni kokoti mo ito kurusikere do, hito no kaku ihu ni, ketien ni nara m mo, mata ikaga, to tutumasikere ba, mono-u nagara sukosi wizari-ide te, taimen si tamahe ri.
6.1.6  いとほのかに、時々もののたまふ御けはひの、昔人の悩みそめたまへりしころ、まづ思ひ出でらるるも、ゆゆしく悲しくて、かきくらす心地したまへば、とみにものも言はれず、ためらひてぞ聞こえたまふ。
 とてもかすかに、時々何かおっしゃるご様子が、亡くなった姫君が病気におなり始めになったころが、まずは思い出されるのも、不吉で悲しくて、まっくらな気持ちにおなりになると、すぐには何も言うことができず、躊躇して申し上げなさる。
 ごくほのかに時々ものを言う様子に、死んだ恋人の病気の初期のころのことが思われるのもよい兆候でないと薫は非常に悲しくなり、心が真暗まっくらになり、すぐにもものが言われず、ためらいながら、話を続けた。
  Ito honoka ni, toki-doki mono notamahu ohom-kehahi no, mukasi-bito no nayami some tamahe ri si koro, madu omohi-ide raruru mo, yuyusiku kanasiku te, kaki-kurasu kokoti si tamahe ba, tomi ni mono mo iha re zu, tamerahi te zo kikoye tamahu.
6.1.7  こよなく奥まりたまへるもいとつらくて、簾の下より几帳をすこしおし入れて、 例の、なれなれしげに近づき寄りたまふが、いと苦しければ、わりなしと思して、少将といひし人を近く呼び寄せて、
 この上なく奥のほうにいらっしゃるのがとてもつらくて、御簾の下から几帳を少し押し入れて、いつものように、馴れ馴れしくお近づき寄りなさるのが、とても苦しいので、困ったことだとお思いになって、少将と言った女房を近くに呼び寄せて、
 ずっと奥のほうに中の君のいるのも恨めしくて、御簾の下から几帳きちょうを少し押すような形にして、例のなれなれしげなふうを示すのが苦しく思われ、困ることに考えられて、中の君は少将の君という人をそばへ呼んで、
  Koyonaku okumari tamahe ru mo ito turaku te, su no sita yori kityau wo sukosi osi-ire te, rei no, nare-naresige ni tikaduki yori tamahu ga, ito kurusikere ba, warinasi to obosi te, Seusyau to ihi si hito wo tikaku yobi-yose te,
6.1.8  「 胸なむ痛き。しばしおさへて
 「胸が痛い。暫く押さえていてほしい」
 「私は胸が痛いからしばらくおさえて」
  "Mune nam itaki. Sibasi osahe te."
6.1.9  とのたまふを聞きて、
 とおっしゃるのを聞いて、
 と言っているのを聞いて、
  to notamahu wo kiki te,
6.1.10  「 胸はおさへたるは、いと苦しくはべるものを
 「胸を押さえたら、とても苦しくなるものです」
 「胸はおさえるとなお苦しくなるものですが」
  "Mune ha osahe taru ha, ito kurusiku haberu mono wo."
6.1.11  とうち嘆きて、ゐ直りたまふほども、 げにぞ下やすからぬ
 と溜息をついて、居ずまいを直しなさる時も、なるほど内心穏やかならない気がする。
 こう言って歎息たんそくらしながら薫のすわり直したことにさえ、母屋もやの中の夫人は不安が感ぜられた。
  to uti-nageki te, wi-nahori tamahu hodo mo, geni zo sita yasukara nu.
6.1.12  「 いかなれば、かくしも常に悩ましくは思さるらむ。 人に問ひはべりしかばしばしこそ心地は悪しかなれ、さてまた、よろしき折あり、などこそ教へはべしか。あまり若々しくもてなさせたまふなめり」
 「どうして、このようにいつもお苦しみでいらっしゃるのだろう。人に尋ねましたら、暫くの間は気分が悪いが、そうしてまた、良くなる時がある、などと教えました。あまりに子供っぽくお振る舞いになっていらっしゃるようです」
 「どうしてそんなに始終お苦しいのでしょう。人に聞きますと、初めのうちは気持ちが悪くてもまた快くなおっている時もあると教えてくれました。あなたはそうお言いになって若々しく私を警戒なさるのでしょう」
  "Ika nare ba, kaku simo tune ni nayamasiku ha obosa ru ram. Hito ni tohi haberi sika ba, sibasi koso kokoti ha asika' nare, sate mata, yorosiki wori ari, nado koso wosihe habe' sika. Amari waka-wakasiku motenasa se tamahu na' meri."
6.1.13  とのたまふに、いと恥づかしくて、
 とおっしゃると、とても恥ずかしくて、
 と薫の言うのを聞いて中の君は恥ずかしくなった。
  to notamahu ni, ito hadukasiku te,
6.1.14  「 胸は、いつともなくかくこそははべれ。昔の人もさこそはものしたまひしか。長かるまじき人のするわざとか、人も言ひはべるめる」
 「胸は、いつとなくこのようでございます。故人もこのようなふうでいらっしゃいました。長生きできない人がかかる病気とか、人も言っているようでございます」
 「私は平生いつも胸が痛いのでございます。姉もそんなふうでございました。短命な人は皆こんなふうに煩うものだとか申します」
  "Mune ha, itu to mo naku kaku koso ha habere. Mukasi no hito mo sa koso ha monosi tamahi sika. Nagakaru maziki hito no suru waza to ka, hito mo ihi haberu meru."
6.1.15  とぞのたまふ。「 げに、誰も千年の松ならぬ世を 」と思ふには、いと心苦しくあはれなれば、この召し寄せたる人の聞かむもつつまれず、 かたはらいたき筋のことをこそ選りとどむれ、昔より思ひきこえしさまなどを、かの御耳一つには心得させながら、人はかたはにも聞くまじきさまに、さまよくめやすくぞ言ひなしたまふを、「 げに、ありがたき御心ばへにも」と聞きゐたりけり。
 とおっしゃる。「なるほど、誰も千年も生きる松ではないこの世を」と思うと、まことにお気の毒でかわいそうなので、この召し寄せた人が聞くだろうことも憚らず、側で聞くとはらはらするようなことは言わないが、昔からお思い申し上げていた様子などを、あの方一人だけには分かるようにしながら、少将には変に聞こえないように、体裁よくおっしゃるのを、「なるほど、世に稀なお気持ちだ」と聞いているのであった。
 と言った。だれも千年の松の命を持っているのでないから、あるいはそんな危険が近づいているのであるかもしれぬと思うと、薫には今の言葉が身にんで哀れに思われてきて、夫人がそばへ呼んだ女房の聞くのもはばかる気にはならず、きわめて悪い所だけは口にせぬものの、昔からどんなに深く愛していたかということを、中の君にだけは意味の通じるようにして言い、人には友情とより聞こえぬ上手じょうずな話し方を薫がしているために、その人は、今までからだれもが言うとおりに珍しい人情味のある人であるとそばにいて思っていた。
  to zo notamahu. "Geni, tare mo ti-tose no matu nara nu yo wo." to omohu ni ha, ito kokoro-gurusiku ahare nare ba, kono mesi-yose taru hito no kika m mo tutuma re zu, kataharaitaki sudi no koto wo koso eri todomure, mukasi yori omohi kikoye si sama nado wo, kano ohom-mimi hitotu ni ha kokoro-e sase nagara, hito ha kataha ni mo kiku maziki sama ni, sama yoku meyasuku zo ihi-nasi tamahu wo, "Geni, arigataki mi-kokorobahe ni mo." to kiki wi tari keri.
注釈488男君も『完訳』は「薫。一行「女君」の称の照応」と注す。6.1.1
注釈489いと悩ましきほどにてなむえ聞こえさせぬ中君が女房をして言わせた詞。6.1.1
注釈490悩ませたまふ折は以下「かひなき心地する」まで、薫の詞。6.1.2
注釈491知らぬ僧なども近く参り寄るを『完訳』は「病気治療の祈祷をすべく簾中に控える僧。それを根拠に、後見役の自分が入るのは当然、の気持」と注す。「知らぬ僧」でさえ、まして私は、の意が言外にある。6.1.2
注釈492一夜もののけしき先夜の簾中での中君と薫の対面。6.1.3
注釈493げにいと見苦しくはべるめり女房の詞。6.1.4
注釈494例のなれなれしげに近づき寄りたまふが『完訳』は「先夜と同じように。簾の下から上半身を入れる」と注す。6.1.7
注釈495胸なむ痛きしばしおさへて中君の詞。6.1.8
注釈496胸はおさへたるはいと苦しくはべるものを薫の詞。『完訳』は「胸の痛みは、押えたらなお苦しくなる、の意に、恋情を抑えるのは苦しい、の意を言いこめる」と注す。6.1.10
注釈497げにぞ下やすからぬ『玉の小櫛』は「薫君の下の心を冊子地よりいふ也」と指摘。『集成』は「ほんとに、内心はおだやかならぬものがある。薫の言葉を「胸の思いを押える」意に取りなして、少将を呼んだのを薫が不満に思う旨の草子地」。『完訳』は「語り手が、薫の言葉を受けて、薫の内心は穏やかならぬ、と評す」と注す。6.1.11
注釈498いかなれば以下「もてなさせたまふめりかし」まで、薫の詞。6.1.12
注釈499人に問ひはべりしかば「教へはべりしか」に係る。6.1.12
注釈500しばしこそ係助詞「こそ--なれ」係結びの法則。逆接用法。6.1.12
注釈501胸はいつともなく以下「人もいひはべるめる」まで、中君の詞。6.1.14
注釈502げに誰も千年の松ならぬ世を薫の心中の思い。源氏釈「憂くも世に思ふ心にかなはぬか誰も千歳の松ならなくに」(古今六帖四、うらみ)を指摘。6.1.15
注釈503かたはらいたき筋のことをこそ選りとどむれ挿入句。係助詞「こそ--なれ」係結びの法則。逆接用法。聞かれては困るようなこと。6.1.15
注釈504げにありがたき御心ばへにも下に「あるかな」などの語句が省略された形。少将君の感想。『完訳』は「薫の真意が隠蔽されているので、中の君への厚意をいかにも殊勝なものと、少将は感動的に聞く」と注す。6.1.15
出典32 誰も千年の松ならぬ世を 憂くも世に思ふ心にかなはぬか誰も千歳の松ならなくに 古今六帖四-二〇九六 6.1.15
6.2
第二段 薫、亡き大君追慕の情を訴える


6-2  Kaoru complains his love for the late Ohoi-kimi to Naka-no-kimi

6.2.1  何事につけても、故君の御事をぞ尽きせず思ひたまへる。
 どのような事柄につけても、故君の御事をどこまでも思っていらっしゃった。
 表はおおかた総角あげまきの姫君と死別した尽きもせぬ悲しみを話題にしているのであった。
  Nani-goto ni tuke te mo, ko-Gimi no ohom-koto wo zo tuki se zu omohi tamahe ru.
6.2.2  「 いはけなかりしほどより、世の中を思ひ離れてやみぬべき心づかひをのみならひはべしに、さるべきにやはべりけむ、 疎きものからおろかならず思ひそめきこえはべりしひとふしにかの本意の聖心は、さすがに違ひやしにけむ
 「幼かったころから、世の中を捨てて一生を終わりたい気持ちばかりを持ち続けていましたが、その結果であったのでしょうか、親密な関係ではないながら並々でない思いをおかけ申すようになった一事で、あの本来の念願は、そうはいっても背いてしまったのだろうか。
 「私は少年のころから、この世から離れた身になりたい、正しく仏道へ踏み入るにはどうすればよいかと願うことはそれだけだったのですが、前生の因縁というものだったのでしょうか、そう御接近したわけでもないあの方を恋しく思い始めました時から、私の信仰に傾いた心が違ってきまして、またお死なせしてからはあちらこちらの女性と交渉を始めることもして、
  "Ihakenakari si hodo yori, yononaka wo omohi hanare te yami nu beki kokoro-dukahi wo nomi narahi habe' si ni, saru-beki ni ya haberi kem, utoki monokara oroka nara zu omohi-some kikoye haberi si hito-husi ni, kano ho'i no hiziri-gokoro ha, sasuga ni tagahi ya si ni kem.
6.2.3   慰めばかりに、ここにもかしこにも行きかかづらひて、人のありさまを見むにつけて、紛るることもやあらむなど、思ひ寄る折々はべれど、さらに他ざまにはなびくべくもはべらざりけり。
 慰め程度に、あちらこちらと行きかかずらって、他人の様子を見るにつけても、紛れることがあろうかなど、と思い寄る時々はございましたが、まったく他の女性には気持ちを向けることもございませんでした。
 悲痛な心を慰めようとしたこともありましたが、そんなことは何の効果もあるものでないことが確かにわかりました。
  Nagusame bakari ni, koko ni mo kasiko ni mo yuki-kakadurahi te, hito no arisama wo mi m ni tuke te, magiruru koto mo ya ara m nado, omohi-yoru wori-wori habere do, sarani hoka-zama ni ha nabiku beku mo habera zari keri.
6.2.4  よろづに思ひたまへ わびては心の引く方の強からぬわざなりければ、好きがましきやうに思さるらむと、恥づかしけれど、あるまじき心の、かけても あるべくはこそめざましからめ、ただかばかりのほどにて、時々思ふことをも聞こえさせ承りなどして、隔てなくのたまひ かよはむを誰れかはとがめ出づべき。世の人に似ぬ心のほどは、皆人にもどかるまじくはべるを、なほうしろやすく思したれ」
 万事困りまして、心惹かれる方も特にいなかったので、好色がましいようにお思いであろうと、恥ずかしいけれど、とんでもない心が、万が一あっては目障りなことでしょうが、ただこの程度のことで、時々思っていることを申し上げたり承ったりなどして、隔意なくお話し交わしなさるのを、誰が咎め立てしましょうか。世間の人と違った心のほどは、みな誰からも非難さるはずはないのでございすから、やはりご安心なさいませ」
 私に魅力を及ぼす人がほかにはこの世にいないことがわかりましたから、好色らしいと誤解されますのは恥ずかしいのですがそうした不良性な愛であなたをお思いしてこそ無礼きわまるものでしょうが、私の望むところは淡々たるもので、ただこれほどの隔てで時々あなたへ直接その時その気持ちをお話し申し上げて、そしてなんとかお言葉をいただくことができます程度のむつまじさで御交際することはだれも非難のいたしようもないことでしょう。私の変わった性情は世間一般の人が認めているのですから、どこまでもあなたは御安心していてください」
  Yorodu ni omohi tamahe wabi te ha, kokoro no hiku kata no tuyokara nu waza nari kere ba, suki-gamasiki yau ni obosa ru ram to, hadukasikere do, arumaziki kokoro no, kakete mo aru beku ha koso mezamasikara me, tada kabakari no hodo nite, toki-doki omohu koto wo mo kikoyesase uketamahari nado si te, hedate naku notamahi kayoha m wo, tare kaha togame idu beki. Yo-no-hito ni ni nu kokoro no hodo ha, mina hito ni modokaru maziku haberu wo, naho usiroyasuku obosi tare."
6.2.5  など、 怨み泣きみ聞こえたまふ。
 などと、恨んだり泣いたりしながら申し上げなさる。
 などと、恨みもし、泣きもして薫は言うのである。
  nado, urami nakimi kikoye tamahu.
6.2.6  「 うしろめたく思ひきこえば、かくあやしと人も見思ひぬべきまでは 聞こえはべるべくや。年ごろ、こなたかなたにつけつつ、見知ることどものはべりしかばこそ、 さま異なる頼もし人にて、今はこれよりなど おどろかし きこゆれ」
 「気がかりにお思い申し上げたら、このように変だと人が見たり思ったりするにちがいないまで申し上げましょうか。長年、あれこれのことにつけて、分かってまいりましたことがございましたので、血縁者でもない後見人に、今ではわたしのほうからお願い申し上げておりますのです」
 「御信用しておりませんでしたなら、こんなふうに誤解もされんばかりにまであなたと近しくお話などはいたしませんでしょう。長い間、父のため、姉のために御好意をお見せくださいましたことをよく存じているものですから、普通には説明のできない間柄の保護者と御信頼申し上げて、ただ今ではこちらから何かと御無心に出したりもいたしております」
  "Usirometaku omohi kikoye ba, kaku ayasi to hito mo mi omohi nu beki made ha kikoye haberu beku ya! Tosi-goro, konata-kanata ni tuke tutu, mi-siru koto-domo no haberi sika ba koso, sama koto naru tanomosi-bito nite, ima ha kore yori nado odorokasi kikoyure."
6.2.7  とのたまへば、
 とおっしゃるので、

  to notamahe ba,
6.2.8  「 さやうなる折もおぼえはべらぬものを、いとかしこきことに思しおきてのたまはするや。この御山里出で立ち急ぎに、からうして召し使はせたまふべき。それもげに、御覧じ知る方ありてこそはと、 おろかにやは思ひはべる
 「そのような時があったとも覚えておりませんので、まことに利口なこととお考えおいておっしゃるのでしょうか。この山里へのご出立の準備には、かろうじてお召し使わせていただきましょう。それも仰せのように、見込んでくれてこそだと、いい加減には思いません」
 「そんなことがありましたかどうだか私に覚えはないようです。そればかりのこともたいそうにおっしゃるではありませんか。今度宇治へおいでになりたいという御相談でやっと私の存在をお認めになったようなわけではありませんか。それだけでも哀れな私は満足ができたのですよ。誠意のある者とおわかりになってくだすったのですから、非常にありがたく思っております」
  "Sayau naru wori mo oboye habera nu mono wo, ito kasikoki koto ni obosi-oki te notamaha suru ya! Kono ohom-yamazato ide-tati isogi ni, karausite mesi-tukaha se tamahu beki. Sore mo geni, go-ran-zi siru kata ari te koso ha to, oroka ni yaha omohi haberu."
6.2.9  などのたまひて、なほいともの恨めしげなれど、聞く人あれば、 思ふままにもいかでかは続けたまはむ
 などとおっしゃって、やはりたいそうどことなく恨めしそうであるが、聞いている人がいるので、思うままにどうしてお話し続けられようか。
 こんなふうに言って、かおるには飽き足らぬ恨めしい心は見えるのであるが、聞いている者がいるのであっては、思うままのことを言いえようはずもない。
  nado notamahi te, naho ito mono-uramesige nare do, kiku hito are ba, omohu mama ni mo ikade-kaha tuduke tamaha m.
注釈505いはけなかりしほどより以下「なほうしろやすく思したれ」まで、薫の詞。6.2.2
注釈506疎きものからおろかならず思ひそめきこえはべりしひとふしに大君との関係を回顧して言う。『完訳』は「親密な関係にはならなかったが、深い思いをかけるようになったのが原因で、の意。結婚できなかった大君との関係を回顧」と注す。6.2.2
注釈507かの本意の聖心はさすがに違ひやしにけむ疑問形の文。『完訳』は「本意とする道心はやはりどうにかなってしまったのかもしれません」と訳す。6.2.2
注釈508慰めばかりにここにもかしこにも行きかかづらひて『集成』は「せめても気晴らし。以下、大君の死後、ほかの女に心の移ることもあろうかと考えたこともある、と言う」。『完訳』は「傷心を慰めるべく女性交渉があったとする。按察の君やその他の召人のことだが、薫はもともと大勢の召人と関係がある」と注す。桐壺帝が更衣を失った折の「心の慰め」と新しい人を求めた類同の主題が繰り返されて語られている。6.2.3
注釈509心の引く方の強からぬわざなりければ『集成』は「心を強く惹かれる人もいないことでしたので。あなた以外には心惹かれる人はいなかった、という意味を逆からいう」と注す。6.2.4
注釈510あるべくはこそめざましからめ係助詞「こそ--めざましからめ」係結びの法則、逆接用法。6.2.4
注釈511誰れかはとがめ出づべき反語表現。6.2.4
注釈512うしろめたく思ひきこえば以下「おどろかしきこゆれ」まで、中君の詞。6.2.6
注釈513聞こえはべるべくや反語表現。6.2.6
注釈514さま異なる頼もし人にて『集成』は「世間には例のないような頼りにするお方として」。『完訳』は「血縁縁者ではない後見役」と訳す。6.2.6
注釈515おどろかしきこゆれ『完訳』は「今ではこちらから相談を持ちかけるほどだ、とする。先日の宇治行きの相談をさす」と注す。6.2.6
注釈516さやうなる折も以下「おろかにやは思ひはべる」まで、薫の詞。『完訳』は「わざととぼけた言い方」と注す。6.2.8
注釈517おろかにやは思ひはべる反語表現。6.2.8
注釈518思ふままにもいかでかは続けたまはむ反語表現。語り手の薫に感情移入した表現。6.2.9
校訂48 わびては わびては--わひてはの(の/#<朱>) 6.2.4
校訂49 かよはむを かよはむを--かよはさ(さ/#<朱>)むを 6.2.4
校訂50 怨み 怨み--うらみゝ(ゝ/#) 6.2.5
校訂51 きこゆれ」 きこゆれ」と--きこゆれは(は/$<朱>)と 6.2.6
6.3
第三段 薫、故大君に似た人形を望む


6-3  Kaoru desires a doll that looks like the late Ohoi-kimi

6.3.1  外の方を眺め出だしたれば、やうやう暗くなりにたるに、虫の声ばかり紛れなくて、山の方小暗く、何のあやめも見えぬに、いとしめやかなるさまして寄りゐたまへるも、 わづらはしとのみ内には思さる
 外の方を眺めていると、だんだんと暗くなっていったので、虫の声だけが紛れなくて、築山の方は小暗く、何の区別も見えないので、とてもひっそりとして寄りかかっていらっしゃるのも、厄介だとばかり心の中にはお思いなさる。
 庭のほうへ目をやって見ると、秋の日が次第に暗くなり、虫の声だけが何にも紛れず高く立っているが、築山のほうはもうやみになっている。こんな時間になっても驚かずしめやかなふうで柱によりかかって、去ろうと薫のしないのに中の君はやや当惑を感じていた。
  To no kata wo nagame-idasi tare ba, yau-yau kuraku nari ni taru ni, musi no kowe bakari magire naku te, yama no kata wo-guraku, nani no ayame mo miye nu ni, ito simeyaka naru sama si te yori-wi tamahe ru mo, wadurahasi to nomi uti ni ha obosa ru.
6.3.2  「 限りだにある
 「恋しさにも限りがあるので」
 「恋しさの限りだにある世なりせば」(つらきをしひて歎かざらまし)
  "Kagiri dani aru."
6.3.3  など、忍びやかにうち誦じて、
 などと、こっそりと口ずさんで、
 などと低い声で薫は口ずさんでから、
  nado, sinobiyaka ni uti-zyu-zi te,
6.3.4  「 思うたまへわびにてはべり 音無の里求めまほしきを、かの 山里のわたりに、わざと寺などはなくとも、 昔おぼゆる人形をも作り、絵にも描きとりて、行なひはべらむとなむ、思うたまへなりにたる」
 「困り果てております。音無の里を尋ねて行きたいが、あの山里の辺りに、特に寺などはなくても、故人が偲ばれる人形を作ったり、絵にも描いたりして、勤行いたしたいと、存じるようになりました」
 「私はもうしかたもない悲しみのとりこになってしまったのです。どこか閑居をする所がほしいのですが、宇治辺に寺というほどのものでなくとも一つの堂を作って、昔の方の人型ひとがたはらいをして人に代わって川へ流すもの)か肖像を絵にかせたのかを置いて、そこで仏勤めをしようという気に近ごろなりました」
  "Omou tamahe wabi ni te haberi. Otonasi-no-sato motome mahosiki wo, kano yamazato no watari ni, wazato tera nado ha naku tomo, mukasi oboyuru hitogata wo mo tukuri, we ni mo kaki-tori te, okonahi habera m to nam, omou tamahe nari ni taru."
6.3.5  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と言った。
  to notamahe ba,
6.3.6  「 あはれなる御願ひに、また うたて御手洗川近き心地する人形こそ、思ひやりいとほしくはべれ。 黄金求むる絵師もこそなど、うしろめたくぞはべるや」
 「しみじみとした御本願に、また嫌な御手洗川に近い気がする人形は、想像するとお気の毒でございます。黄金を求める絵師がいたらなどと、気がかりでございませんか」
 「身にしむお話でございますけれど、人型とお言いになりますので『みたらし川にせしみそぎ』(恋せじと)というようなことが起こるのではないかという不安も覚えられます。代わりのものは真のものでございませんからよろしくございませんから昔の人に気の毒でございますね。黄金こがねを与えなければよくはいてくれませんような絵師があるかもしれぬと思われます」
  "Ahare naru ohom-negahi ni, mata utate Mi-tarasi-gaha tikaki kokoti suru hitogata koso, omohiyari itohosiku habere. Kogane motomuru we-si mo koso nado, usirometaku zo haberu ya!"
6.3.7  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 こう中の君は言う。
  to notamahe ba,
6.3.8  「 そよ。その工も絵師も、いかでか心には叶ふべきわざならむ。 近き世に花降らせたる工もはべりけるを、さやうならむ変化の人もがな」
 「そうですよ。その彫刻師も絵師も、どうして心に叶う物ができましょうか。最近に蓮華を降らせた彫刻師もございましたが、そのような変化の人もいてくれたらなあ」
 「そうですよ。その絵師というものは決して気に入った肖像を作ってくれないでしょうからね。少し前の時代にその絵から真実の花が降ってきたとかいう伝説の絵師がありますがね、そんな人がいてくれればね」
  "Soyo. Sono takumi mo wesi mo, ikadeka kokoro ni ha kanahu beki waza nara m. Tikaki yo ni hana hurase taru takumi mo haberi keru wo, sayau nara m hengwe-no-hito mo gana!"
6.3.9  と、とざまかうざまに忘れむ方なきよしを、嘆きたまふけしきの、心深げなるもいとほしくて、今すこし近くすべり寄りて、
 と、あれやこれやと忘れることのない旨を、お嘆きになる様子が、深く思いつめているようなのもお気の毒で、もう少し近くにいざり寄って、
 何を話していても死んだ人を惜しむ心があふれるように見えるのを中の君は哀れにも思い、自身にとって一つの煩わしさにも思われるのであったが、少し御簾みすのそばへ寄って行き、
  to, tozama-kauzama ni wasure m kata naki yosi wo, nageki tamahu kesiki no, kokoro-bukage naru mo itohosiku te, ima sukosi tikaku suberi-yori te,
6.3.10  「 人形のついでに、いとあやしく思ひ寄るまじきことをこそ、思ひ出ではべれ」
 「人形のついでに、とても不思議と思いもつかないことを、思い出しました」
 「人型とお言いになりましたことで、偶然私は一つの話を思い出しました」
  "Hitogata no tuide ni, ito ayasiku omohi-yoru maziki koto wo koso, omohi-ide habere."
6.3.11  とのたまふけはひの、すこしなつかしきも、いとうれしくあはれにて、
 とおっしゃる感じが、少しやさしいのもとても、嬉しくありがたくて、
 と言い出した。その様子に常にえた親しみの見えるのが薫はうれしくて、
  to notamahu kehahi no, sukosi natukasiki mo, ito uresiku ahare nite,
6.3.12  「 何ごとにか
 「どのようなことですか」
 「それはどんなお話でしょう」
  "Nani-goto ni ka?"
6.3.13  と言ふままに、几帳の下より手を捉ふれば、いとうるさく思ひならるれど、「 いかさまにして、かかる心をやめて、なだらかにあらむ」と思へば、 この近き人の思はむことのあいなくて、さりげなくもてなしたまへり。
 と言いながら、几帳の下から手をお掴みになると、とてもわずらわしく思われるが、「何とかして、このような心をやめさせて、穏やかな交際をしたい」と思うので、この近くにいる少将の君の思うことも困るので、さりげなく振る舞っていらっしゃった。
 こう言いながら几帳の下から中の君の手をとらえた。煩わしい気持ちに中の君はなるのであったが、どうにかしてこの人の恋をやめさせ、安らかにまじわっていきたいと思う心があるため、女房へも知らせぬようにさりげなくしていた。
  to ihu mama ni, kityau no sita yori te wo torahure ba, ito urusaku omohi nara rure do, "Ika sama ni si te, kakaru kokoro wo yame te, nadaraka ni ara m." to omohe ba, kono tikaki hito no omoha m koto no ainaku te, sarigenaku motenasi tamahe ri.
注釈519わづらはしとのみ内には思さる主語は中君。6.3.1
注釈520限りだにある薫の詞。『源氏釈』は「恋しさの限りだにある世なりせば年へてものは思はざらまし」(古今六帖五、年へていふ)を指摘。6.3.2
注釈521思うたまへわびにてはべり以下「思うたまへなりにたる」まで、薫の詞。6.3.4
注釈522音無の里『源氏釈』は「恋ひわびぬねをだに泣かむ声立てていづれなるらむ音無の里」(拾遺集恋二、七四九、読人しらず)を指摘。6.3.4
注釈523昔おぼゆる人形をも作り『源氏釈』は漢武帝が李夫人の絵姿を絵師に描かせた故事を指摘する。6.3.4
注釈524あはれなる御願ひに以下「うしろめたくぞはべるや」まで、中君の詞。6.3.6
注釈525うたて御手洗川近き心地する人形こそ中君は『伊勢物語』の禊のために人形を川に流した話を例にとって反駁する。『異本紫明抄』は「恋せじと御手洗川にせし禊神はうけずもなりにけるかな」(古今集恋一、五〇一、読人しらず)を指摘。6.3.6
注釈526黄金求むる絵師もこそなど『源氏釈』はは王昭君の故事を指摘。6.3.6
注釈527そよその工も絵師も以下「変化の人もがな」まで、薫の詞。6.3.8
注釈528近き世に花降らせたる工もはべりけるを出典未詳の故事。6.3.8
注釈529人形のついでに以下「思ひ出ではべれ」まで、中君の詞。6.3.10
注釈530何ごとにか薫の詞。6.3.12
注釈531いかさまにしてかかる心をやめてなだらかにあらむ中君の心中の思い。薫の懸想心をやめさせたい、意。6.3.13
注釈532この近き人の少将の君。6.3.13
出典33 限りだにある 恋しさの限りだにある世なりせば年経て物は思はざらまし 古今六帖五-二五七一 6.3.2
出典34 音無の里 恋ひ侘びぬねをだに泣かむ声立てていづこなるらむ音無の里 拾遺集恋二-七四九 読人しらず 6.3.4
校訂52 山里 山里--(/+山)さと 6.3.4
6.4
第四段 中君、異母妹の浮舟を語る


6-4  Naka-no-kimi talks about Ukifune to Kaoru

6.4.1  「 年ごろは、世にやあらむとも知らざりつる人の、この夏ごろ、遠き所よりものして尋ね出でたりしを、 疎くは思ふまじけれど、またうちつけに、さしも何かは睦び思はむ、と思ひはべりしを、さいつころ来たりしこそ、あやしきまで、昔人の御けはひにかよひたりしかば、あはれにおぼえなりにしか。
 「今までは、この世にいるとも知らなかった人が、今年の夏頃、遠い所から出てきて尋ねて来たのですが、よそよそしくは思うことのできない人ですが、また急に、そのようにどうして親しくすることもあるまい、と思っておりましたが、最近来た時は、不思議なまでに、故人のご様子に似ていたので、しみじみと胸を打たれました。
 「長い間そんな人のいますことも私の知りませんでした人が、この夏ごろ遠い国から出てまいりまして、私のここにいますことを聞いて音信たよりをよこしたのですが、他人とは思いませんものの、はじめて聞いた話を軽率けいそつにそのまま受け入れて親しむこともできぬような気になっておりましたのに、それが先日ここへいにまいりました。その人の顔が不思議なほどくなりました姉に似ていましたのでね、私は愛情らしいものを覚えたのです。
  "Tosi-goro ha, yo ni ya ara m to mo sira zari turu hito no, kono natu-goro, tohoki tokoro yori monosi te tadune-ide tari si wo, utoku ha omohu mazikere do, mata utituke ni, sasimo nani-kaha mutubi omoha m, to omohi haberi si wo, sai-tu-koro ki tari si koso, ayasiki made, mukasi-bito no ohom-kehahi ni kayohi tari sika ba, ahare ni oboye nari ni sika.
6.4.2  形見など、 かう思しのたまふめるは、なかなか何事も、あさましくもて離れたりとなむ、 見る人びとも言ひはべりしを、 いとさしもあるまじき人の、いかでかは、さはありけむ」
 形見などと、あのようにお考えになりおっしゃるようなのは、かえって何もかも、あきれるくらい似ていないようだと、知っている女房たちは言っておりましたが、とてもそうでもないはずの人が、どうして、そんなに似ているのでしょう」
 形見に見ようと思召すのには適当でございませんことは、女たちも姉とはまるで違った育ち方の人のようだと言っていたことで確かでございますが、顔や様子がどうしてあんなにも似ているのでしょう。それほどなつながりでもございませんのに」
  Katami nado, kau obosi notamahu meru ha, naka-naka nani-goto mo, asamasiku mote-hanare tari to nam, miru hito-bito mo ihi haberi si wo, ito sasimo aru maziki hito no, ikade-kaha, saha ari kem."
6.4.3  とのたまふを、夢語りか、とまで聞く。
 とおっしゃるのを、夢語りか、とまで聞く。
 この中の君の言葉を薫はあるべからざる夢の話ではないかとまで思って聞いた。
  to notamahu wo, yume-gatari ka, to made kiku.
6.4.4  「 さるべきゆゑあればこそは、さやうにも睦びきこえらるらめ。などか今まで、かくもかすめさせたまはざらむ」
 「そのような因縁があればこそ、そのようにもお親しみ申すのでしょう。どうして今まで、少しも話してくださらなかったのですか」
 「しかるべきわけのあることであなたをお慕いになっておいでになったのでしょう。どうしてただ今までその話を少しもお聞かせくださらなかったのでしょう」
  "Saru-beki yuwe are ba koso ha, sayau ni mo mutubi kikoye raru rame. Nado-ka ima made, kaku mo kasume sase tamaha zara m."
6.4.5  とのたまへば、
 とおっしゃると、

  to notamahe ba,
6.4.6  「 いさや、そのゆゑも、いかなりけむこととも思ひ分かれはべらず。 ものはかなきありさまどもにて、世に落ちとまりさすらへむとすらむこと、とのみ、うしろめたげに 思したりしことどもを、 ただ一人かき集めて思ひ知られはべるに、 またあいなきことをさへうち添へて、人も聞き伝へむこそ、 いといとほしかるべけれ
 「さあ、その理由も、どのようなことであったかも分かりません。頼りなさそうな状態で、この世に落ちぶれさすらうことだろうこと、とばかり、不安そうにお思いであったことを、ただ一人で何から何まで経験させられますので、またつまらないことまでが加わって、人が聞き伝えることも、とてもお気の毒なことでしょう」
 「でも古い事実は私に否定も肯定もできなかったのでございますからね。何のたよりになるものも持たずにさすらっている者もあるだろうとおっしゃって、気がかりなふうにお父様が時々おらしになりましたことなどで思い合わされることもあるのですが、過去の不幸だった父がまたそんなことで冷嘲れいちょうされますことの添いますのも心苦しゅうございまして」
  "Isaya, sono yuwe mo, ika nari kem koto to mo omohi waka re habera zu. Mono-hakanaki arisama-domo nite, yo ni oti tomari sasurahe m to su ram koto, to nomi, usirometage ni obosi tari si koto-domo wo, tada hitori kaki-atume te omohi-sira re haberu ni, mata ainaki koto wo sahe uti-sohe te, hito mo kiki-tutahe m koso, ito itohosikaru bekere."
6.4.7  とのたまふけしき見るに、「 宮の忍びてものなどのたまひけむ人の、 忍草摘みおきたりけるなるべし」と 見知りぬ
 とおっしゃる様子を見ると、「宮が密かに情けをおかけになった女が、子を生んでおいたのだろう」と理解した。
 中の君のこの言葉によれば、八の宮のかりそめの恋のお相手だった人が得ておいた形見の姫君らしいと薫は悟った。
  to notamahu kesiki miru ni, "Miya no sinobi te mono nado notamahi kem hito no, sinobu-gusa tumi-oki tari keru naru besi." to mi-siri nu.
6.4.8  似たりとのたまふゆかりに耳とまりて、
 似ているとおっしゃる縁者に耳がとまって、
 大姫君に似たと言われたことに心がかれて、
  Ni tari to notamahu yukari ni mimi tomari te,
6.4.9  「 かばかりにては。同じくは言ひ果てさせたまうてよ」
 「それだけでは。同じことなら最後までおっしゃってください」
 「そのよくおわかりにならないことはそのままでもいいのですから、もう少しくわしくお話をしてくださいませんか」
  "Kabakari nite ha. Onaziku ha ihi-hate sase tamau te yo."
6.4.10  と、いぶかしがりたまへど、さすがにかたはらいたくて、えこまかにも聞こえたまはず。
 と、聞きたがりなさるが、やはり何といっても憚られて、詳細を申し上げることはおできになれない。
 と中納言は望んだが、羞恥しゅうちを覚えて中の君は細かなことを言って聞かせなかった。
  to, ibukasigari tamahe do, sasuga ni kataharaitaku te, e komaka ni mo kikoye tamaha zu.
6.4.11  「 尋ねむと思す心あらば、そのわたりとは聞こえつべけれど、詳しくしもえ知らずや。また、あまり言はば、心劣りもしぬべきことになむ」
 「尋ねたいと思いなさるお気持ちでしたら、どこそこと申し上げましょうが、詳しいことは分かりませんよ。また、あまり言ったら、期待外れもしましょうから」
 「その人を知りたく思召すのでございましたら、その辺と申すことくらいはお教え申してもいいのでございますが、私もくわしくは存じません。またあまり細かにお話をいたせばいやにおなりになることに違いございませんし」
  "Tadune m to obosu kokoro ara ba, sono watari to ha kikoye tu bekere do, kuhasiku simo e sira zu ya! Mata, amari iha ba, kokoro-otori mo si nu beki koto ni nam."
6.4.12  とのたまへば、
 とおっしゃるので、

  to notamahe ba,
6.4.13  「 世を、海中にも、魂のありか尋ねには、心の限り進みぬべきを、いとさまで思ふべきにはあらざなれど、いとかく慰めむ方なきよりはと、 思ひ寄りはべる人形の願ひばかりには、 などかは、山里の本尊にも思ひはべらざらむ。なほ、確かにのたまはせよ」
 「男女の仲を、海の中までも、魂のありかを求めては、思う存分進んで行きましょうが、とてもそこまでは思うことはないが、とてもこのように慰めようのないのよりは、と存じます人形の願いぐらいには、どうして、山里の本尊に対しても思ってはいけないのでしょうか。やはり、はっきりおっしゃってください」
 「幻術師を遠い海へつかわされた話にも劣らず、あの世の人を捜し求めたい心は私にもあるのです。そうした故人の生まれ変わりの人と見ることはできなくても、現在のような慰めのない生活をしているよりはと思う心から、その方に興味が持たれます。人型として見るのに満足しようとする心から申せば山里の御堂みどうの本尊を考えないではおられません。なおもう少し確かな話を聞かせてくださいませんか」
  "Yo wo, umi-naka ni mo, tama no arika tadune ni ha, kokoro no kagiri susumi nu beki wo, ito sa made omohu beki ni ha ara za' nare do, ito kaku nagusame m kata naki yori ha to, omohi-yori haberu hito-gata no negahi bakari ni ha, nado-kaha, yamazato no honzon ni mo omohi habera zara m. Naho, tasika ni notamaha se yo."
6.4.14  と、うちつけに責めきこえたまふ。
 と、急にお責め申し上げなさる。
 中納言は新しい姫君へにわかに関心を持ち出して中の君を責めるのだった。
  to, utituke ni seme kikoye tamahu.
6.4.15  「 いさや、いにしへの御ゆるしもなかりしことを、かくまで漏らしきこゆるも、いと口軽けれど、変化の工求めたまふいとほしさにこそ、かくも」とて、「 いと遠き所に 年ごろ経にけるを、母なる人のうれはしきことに思ひて、あながちに尋ね寄りしを、はしたなくもえいらへではべりしに、ものしたりしなり。ほのかなりしかばにや、何事も思ひしほどよりは見苦しからずなむ見えし。 これをいかさまにもてなさむ、と 嘆くめりしに仏にならむは、いとこよなきことにこそはあらめ、さまではいかでかは」
 「さあ、父宮のお許しもなかったことを、こんなにまでお洩らし申し上げるのも、とても口が軽いが、変化の彫刻師をお探しになるお気の毒さに、こんなにまで」と言って、「とても遠い所に長年過ごしていたが、母である人が遺憾に思って、無理に尋ねて来たのですが、体裁悪くもお返事できずにおりましたところ、参ったのです。ちらっと会ったためにか、何事も想像していたよりは見苦しくなく見えました。この娘をどのように扱おうかと困っていたようでしたが、仏になるのは、まことにこの上ないことでありましょうが、そこまではどうかしら」
 「でもお父様が子と認めてお置きになったのでもない人のことを、こんなにお話ししてしまいますのは軽率なことなのですが、神通力のある絵師がほしいとお思いになるあなたをお気の毒に思うものですから」こう言ってから、さらに、「長く遠い国でなど育てられていましたことで、その母が不憫ふびんがりまして、私の所へいろいろと訴えて来ましたのを、冷淡に取り合わずにいることはできないでいますうちに、ここへまいったのです。ほのかにしか見ることができませんでしたせいですか、想像していましたよりは見苦しくなく見えました。どういう結婚をさせようかと、それを母親は苦労にしている様子でしたが、あなたの御堂の仏様にしていただきますことはあまりに過分なことだと思います。それほどの資格などはどうしてあるものではありません」
  "Isaya, inisihe no ohom-yurusi mo nakari si koto wo, kaku made morasi kikoyuru mo, ito kuti karukere do, hengwe no takumi motome tamahu itohosisa ni koso, kaku mo." tote, "Ito tohoki tokoro ni tosi-goro he ni keru wo, haha naru hito no urehasiki koto ni omohi te, anagati ni tadune yori si wo, hasitanaku mo e irahe de haberi si ni, monosi tari si nari. Honoka nari sika ba ni ya, nani-goto mo omohi si hodo yori ha migurusikara zu nam miye si. Kore wo ika-sama ni motenasa m, to nageku meri si ni, Hotoke ni nara m ha, ito koyonaki koto ni koso ha ara me, sa-made ha ikade-kaha."
6.4.16  など聞こえたまふ。
 などと申し上げなさる。
 など夫人は言った。
  nado kikoye tamahu.
注釈533年ごろは以下「さはありけむ」まで、中君の詞。浮舟のことが初めて語られる。6.4.1
注釈534疎くは思ふまじけれど疎遠にはできない人。婉曲な言い回し。異母姉妹であることをほのめかす。6.4.1
注釈535かう思しのたまふめるは主語はあなた薫。薫が私を故大君の形見だと、の意。6.4.2
注釈536見る人びとも女房たち。大君と中君をよく見てきた人々、の意。6.4.2
注釈537いとさしもあるまじき人の浮舟についていう。同腹の大君と私があまり似ていないのに、そうでない人(異腹の姉妹)が大君に似ている不思議さをいう。6.4.2
注釈538さるべきゆゑあればこそは以下「かすめさせたまはざりつらむ」まで、薫の詞。6.4.4
注釈539いさやそのゆゑも以下「いとほしかるべけれ」まで、中君の詞。6.4.6
注釈540ものはかなきありさまどもにて接尾語「ども」、大君と中君をさす。卑下。父八宮が遺される姉妹を心配していたこと。6.4.6
注釈541思したりし主語は父八宮。6.4.6
注釈542ただ一人かき集めて自分中君が一人ですべて、の意。6.4.6
注釈543またあいなきことをさへうち添へて異母姉妹浮舟の登場をさす。『集成』は「もう一人知られなくてもよい人のことまで一緒に、世間の人に知れ渡りますのは、いかにも父宮においたわしいことに思われます。子女の零落は八の宮の名誉にかかわる、それは私一人でたくさんだ、という気持」と注す。6.4.6
注釈544いといとほしかるべけれ故父八宮に対して。6.4.6
注釈545宮の忍びて以下「摘みおきたりけるなるべし」まで、薫の心中。八宮がこっそり儲けた女であると、合点する。6.4.7
注釈546忍草摘みおき『奥入』は「結びおきし形見の子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」(後撰集雑二、一一八七、兼忠朝臣の母の乳母)を指摘。6.4.7
注釈547かばかりにては以下「させたまうてよ」まで、薫の詞。6.4.9
注釈548尋ねむと思す心あらば以下「御心をとりもしぬべきことになむ」まで、中君の詞。6.4.11
注釈549世を海中にも魂のありか尋ねには以下「確かにのたまはせよ」まで、薫の詞。『白氏文集』「長恨歌」の故事を踏まえた物言い。6.4.13
注釈550思ひ寄りはべる人形の『集成』は「思ひ寄りはべる人形」と下文に続ける。『完訳』は「思ひよりはべる。人形の」と二文にする。6.4.13
注釈551などかは「思ひはべらざらむ」に係る。反語表現の構文。『集成』は「その人を宇治のお寺の本尊とあがめて何の悪いことがありましょう。大君に生き写しのその人を愛して何が悪かろう、の意」と注す。6.4.13
注釈552いさやいにしへの以下「いとほしさにこそかくも」まで、中君の詞。「いにしへ」は故父宮をさす。6.4.15
注釈553いと遠き所に以下「さまではいかでかは」まで、中君の詞。6.4.15
注釈554これをいかさまにこの娘を。浮舟をさす。6.4.15
注釈555仏にならむはいとこよなきことにこそはあらめ『完訳』は「薫の「山里の本尊」を受けた言い方。薫の思われ人になるのは先方として願ってもない幸いだろうが、それに値するほどでもない意」と注す。6.4.15
出典35 忍草摘みおき 結びおきし形見の子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし 後撰集雑二-一一八七 藤原兼忠 6.4.7
校訂53 見知りぬ 見知りぬ--見知(知/#<朱>)しりぬ 6.4.7
校訂54 遠き 遠き--とを/\(/\/#<朱>)き 6.4.15
校訂55 嘆くめりしに 嘆くめりしに--なけくめりしを(を/#<朱>)に 6.4.15
6.5
第五段 薫、なお中君を恋慕す


6-5  Kaoru loves Naka-no-kimi as before

6.5.1  「 さりげなくて、かくうるさき心をいかで言ひ放つわざもがな、と思ひたまへる」と見るはつらけれど、さすがにあはれなり。「 あるまじきこととは深く思ひたまへるものから、顕証にはしたなきさまには、えもてなしたまはぬも、見知りたまへるにこそは」と思ふ心ときめきに、夜もいたく更けゆくを、内には人目いとかたはらいたくおぼえたまひて、うちたゆめて入りたまひぬれば、男君、ことわりとは返す返す思へど、なほいと恨めしく口惜しきに、思ひ静めむ方もなき心地して、涙のこぼるるも人悪ろければ、よろづに思ひ乱るれど、 ひたぶるにあさはかならむもてなしはた、なほいとうたて、わがためもあいなかるべければ、念じ返して、常よりも嘆きがちにて出でたまひぬ。
 「何気なくて、このようにうるさい心を何とか言ってやめさせる方法もないものか、と思っていらっしゃる」と見るのはつらいけれど、やはり心動かされる。「あってはならないこととは深く思っていらしゃるものの、あからさまに体裁の悪い扱いは、おできになれないのを、ご存知でいらっしゃるのだ」と思うと胸がどきどきして、夜もたいそう更けてゆくのを、御簾の内側では人目がたいそう具合が悪く思われなさって、すきを見て、奥にお入りになってしまったので、男君は、道理とは繰り返し思うが、やはりまことに恨めしく口惜しいので、思い静める方もない気がして、涙がこぼれるのも体裁が悪いので、あれこれと思い乱れるが、一途に軽率な振る舞いをしたら、またやはりとても嫌な、自分にとってもよくないことなので、思い返して、いつもより嘆きがちにお出になった。
 それとなく自分の恋を退ける手段として中の君の考えついたことであろうと想像される点では恨めしいのであったが、故人に似たという人にはさすがに心のかれる薫であった。自分の恋をあるまじいこととは深く思いながらも、あらわに侮蔑ぶべつを見せぬのも中の君が自分へ同情があるからであろうと思われる点で興奮をして中納言が話し続けているうちに夜もふけわたったのを、夫人は人目にどう映ることかという恐れを持って、相手のすきを見て突然奥へはいってしまったのを、返す返すも道理なことであると思いながらも薫は、恨めしい、くちおしい気持ちが静められなくて涙までもこぼれてくる不体裁さに恥じられもして、複雑なもだえをしながらも、感情にまかせた乱暴な行為に出ることは、恋人のためにも自分のためにも悪いことであろうと、しいて反省をして、平生よりも多く歎息をしながら辞去した。
   "Sarigenaku te, kaku urusaki kokoro wo ikade ihi-hanatu waza mo gana, to omohi tamahe ru." to miru ha turakere do, sasuga ni ahare nari. "Aru maziki koto to ha hukaku omohi tamahe ru monokara, keseu ni hasitanaki sama ni ha, e motenasi tamaha nu mo, mi-siri tamahe ru ni koso ha." to omohu kokoro-tokimeki ni, yo mo itaku huke-yuku wo, uti ni ha hitome ito kataharaitaku oboye tamahi te, uti-tayume te iri tamahi nure ba, Wotoko-Gimi, kotowari to ha kahesu-gahesu omohe do, naho ito uramesiku kutiwosiki ni, omohi sidume m kata mo naki kokoti si te, namida no koboruru mo hito warokere ba, yorodu ni omohi midarure do, hitaburu ni asahaka nara m motenasi hata, naho ito utate, waga tame mo ainakaru bekere ba, nen-zi kahesi te, tune yori mo nageki-gati nite ide tamahi nu.
6.5.2  「 かくのみ思ひては、いかがすべからむ。苦しくもあるべきかな。いかにしてかは、おほかたの世にはもどきあるまじきさまにて、さすがに思ふ 心の叶ふわざをすべからむ」
 「こうばかり思っていては、どうしたらよいだろう。苦しいことだろうなあ。何とかして、世間一般からは非難されないようにして、しかも思う気持ちが叶うことができようか」
 こんなに恋しい心はどう処理すればいいのであろう、これが続いていくばかりでは苦しさに堪えられなくなるに違いない、どんなにすれば世間の非難も受けず、しかも恋のかなうことになるであろう
  "Kaku nomi omohi te ha, ikaga su bekara m. Kurusiku mo aru beki kana! Ikani si te kaha, ohokata no yo ni ha modoki arumaziki sama nite, sasuga ni omohu kokoro no kanahu waza wo su bekara m."
6.5.3  など、 おりたちて練じたる心ならねばにや、わがため人のためも、心やすかるまじきことを、わりなく思し 明かすに、「 似たりとのたまひつる人も、いかでかは真かとは見るべき。 さばかりの際なれば、思ひ寄らむに、難くはあらずとも、 人の本意にもあらずは、うるさくこそあるべけれ」など、 なほそなたざまには心も立たず
 などと、自ら経験していない人柄からであろうか、自分のためにも相手のためにも、心穏やかでないことを、むやみに悩み明かすと、「似ているとおっしゃった人も、どうして本当かどうか見ることができよう。その程度の身分なので、思いよるに難しくはないが、相手が願いどおりでなかったら、やっかいなことであろう」などと、やはりそちらの方には気が向かない。
 などと、多くの恋愛に鍛え上げてきた心でない青年の中納言であるせいか、自身のためにも中の君のためにも無理で、とうてい平和な道のありえない思いをし続けてその夜は明かした。似ているとあの人が言った人をそのとおりに信じて情人の関係を結ぶようなことはできない、地方官階級の家に養われている人であれば、こちらで行なおうとすることに障害になるものもないであろうが、当人の意志でもない関係を結ぶのはおもしろくないことに相違ないなどと思い、話を聞いた時には一時的に興奮を感じたものの、冷静になってみれば心をさほど惹く価値もないことと薫はしているのであった。
  nado, oritati te ren-zi taru kokoro nara ne ba ni ya, waga tame hito no tame ni mo, kokoro-yaukaru maziki koto wo, warinaku obosi akasu ni, "Ni tari to notamahi turu hito mo, ikade-kaha makoto ka to ha miru beki. Sabakari no kiha nare ba, omohi-yora m ni, kataku ha ara zu tomo, hito no ho'i ni mo ara zu ha, urusaku koso aru bekere." nado, naho sonata zama ni ha kokoro mo tata zu.
注釈556さりげなくて以下「思ひたまへる」まで、薫の心中の思い。6.5.1
注釈557あるまじきこととは以下「見知りたまへるにこそは」まで、薫の心中の思い。「あるまじきこと」とは薫の中君への懸想心をさす。6.5.1
注釈558ひたぶるに以下、地の文と薫の心中の思いがないまぜになった叙述。6.5.1
注釈559かくのみ思ひては以下「心の叶ふわざをすべからむ」まで、薫の心中の思い。中君を思う心。6.5.2
注釈560心の叶ふわざ『完訳』は「中の君恋慕の気持が」と注す。6.5.2
注釈561おりたちて以下「心ならねばにや」まで、語り手の薫の性格を推測した挿入句。6.5.3
注釈562似たりとのたまひつる人も以下「うるさくこそあるべけれ」まで、薫の心中の思い。6.5.3
注釈563さばかりの際なれば『完訳』は「劣り腹で父宮に認められなかったほどだから、身分が低い。容易に手に入れられるとも思う」と注す。6.5.3
注釈564人の本意にもあらずは『集成』は「先方の望まないことであるなら。向うの母親などの思惑を気にする」。『完訳』は「浮舟が、故人の形見として思いどおりでなかったら。思いどおりでなくとも中の君との関係から、彼女を放り出せないと考える」と注す。6.5.3
注釈565なほそなたざまには心も立たずこの段階では、まだ浮舟に対しては強く関心は進まない。依然として中君に執心しているというニュアンス。6.5.3
校訂56 明かすに 明かすに--あかす(す/+に) 6.5.3
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月9日

Last updated 11/2/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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