49 宿木(大島本)


YADORIGI


薫君の中、大納言時代
二十四歳夏から二十六歳夏四月頃までの物語



Tale of Kaoru's Chunagon and Dainagon era, from summer at the age of 24 to April at the age of 26

5
第五章 中君の物語 中君、薫の後見に感謝しつつも苦悩す


5  Tale of Naka-no-kimi  Naka-no-kimi thanks for Kaoru and in agony to his kindnesses

5.1
第一段 翌朝、薫、中君に手紙を書く


5-1  Kaoru writes a letter to Naka-no-kimi next morning

5.1.1   昔よりはすこし細やぎて、あてにらうたかりつるけはひなどは、立ち離れたりともおぼえず、身に添ひたる心地して、さらに異事もおぼえずなりにたり。
 昔よりは少し痩せ細って、上品でかわいらしかった様子などは、今離れている気もせず、わが身に添っている感じがして、まったく他の事は考えられなくなっていた。
 昔より少しせて、気高けだか可憐かれんであった中の君の面影が身に添ったままでいる気がして、ほかのことは少しも考えられない薫になっていた。
  Mukasi yori ha sukosi hosoyagi te, ate ni rautakari turu kehahi nado ha, tati-hanare tari to mo oboye zu, mi ni sohi taru kokoti si te, sarani koto-goto mo oboye zu nari ni tari.
5.1.2  「 宇治にいと渡らまほしげに思いためるを、さもや、渡しきこえてまし」など思へど、「 まさに宮は許したまひてむや。さりとて、忍びてはた、いと便なからむ。 いかさまにしてかは、人目見苦しからで、思ふ心のゆくべき」と、心もあくがれて眺め臥したまへり。
 「宇治にたいそう行きたくお思いであったようなのを、そのように、行かせてあげようか」などと思うが、「どうして宮がお許しになろうか。そうかといって、こっそりとお連れしたのでは、また不都合があろう。どのようにして、人目にも見苦しくなく、思い通りにゆくだろう」と、気も茫然として物思いに耽っていらっしゃった。
 宇治へ非常に行きたがっているようであったが、宮がお許しになるはずもない、そうかといって忍んでそれを行なわせることはあの人のためにも、自分のためにも世の非難を多く受けることになってよろしくない。どんなふうな計らいをすれば、世間体のよく、また自分の恋の遂げられることにもなるであろうと、そればかりを思ってうつろになった心で、物思わしそうに薫は家に寝ていた。
  "Udi ni ito watara mahosige ni oboi ta' meru wo, sa mo ya, watasi kikoye te masi." nado omohe do, "Masa ni Miya ha yurusi tamahi te m ya? Saritote, sinobi te hata, ito bin-nakara m. Ika-sama ni si te kaha, hitome migurusikara de, omohu kokoro no yuku beki." to, kokoro mo akugare te nagame husi tamahe ri.
5.1.3   まだいと深き朝に御文あり。例の、うはべはけざやかなる 立文にて
 まだたいそう朝早くにお手紙がある。いつものように、表面はきっぱりした立文で、
 まだ明けきらぬころに中の君の所へ薫の手紙が届いた。例のように外見はきまじめに大きく封じた立文たてぶみであった。
  Mada ito hukaki asita ni ohom-humi ari. Rei no, uhabe ha kezayaka naru tatebumi nite,
5.1.4  「 いたづらに分けつる道の露しげみ
 「無駄に歩きました道の露が多いので
  いたづらに分けつるみちの露しげみ
    "Itadura ni wake turu miti no tuyu sigemi
5.1.5   昔おぼゆる秋の空かな
  昔が思い出されます秋の空模様ですね
  昔おぼゆる秋の空かな
    mukasi oboyuru aki no sora kana
5.1.6   御けしきの心憂さは、 ことわり知らぬつらさのみなむ。聞こえさせむ方なく」
 お振る舞いの情けないことは、わけの分からないつらさです。申し上げようもありません」
 冷ややかなおもてなしについて「ことわり知らぬつらさ」(身を知れば恨みぬものをなぞもかくことわり知らぬつらさなるらん)ばかりが申しようもなくつのるのです。
  Mi-kesiki no kokoro-usa ha, kotowari sira nu turasa nomi nam. Kikoye sase m kata naku."
5.1.7  とあり。御返しなからむも、人の、例ならずと見とがむべきを、いと苦しければ、
 とある。お返事がないのも、女房が、いつもと違うと注意するだろうから、とても苦しいので、
 こんな内容である。返事を出さないのもいぶかしいことに人が見るであろうからと、それもつらく思われて、
  to ari. Ohom-kahesi nakara m mo, hito no tame rei nara zu to mi togamu beki wo, ito kurusikere ba,
5.1.8  「 承りぬ。いと悩ましくて、え聞こえさせず
 「拝見しました。とても気分が悪くて、お返事申し上げられません」
 承りました。非常に身体からだの苦しい日ですから、お返事は差し上げられませぬ。
  "Uketamahari nu. Ito nayamasiku te, e kikoye sase zu."
5.1.9  とばかり書きつけたまへるを、「 あまり言少ななるかな」とさうざうしくて、をかしかりつる御けはひのみ恋しく思ひ出でらる。
 とだけお書きつけになっているのを、「あまりに言葉が少ないな」と物足りなく思って、美しかったご様子ばかりが恋しく思い出される。
 と中の君は書いた。これをあまりに短い手紙であると、物足らず寂しく思い、美しかった面影ばかりが恋しく思い出された。
  to bakari kaki-tuke tamahe ru wo, "Amari koto-zukuna naru kana!" to sau-zausiku te, wokasikari turu ohom-kehahi nomi kohisiku omohi-ide raru.
5.1.10   すこし世の中をも知りたまへるけにや、さばかりあさましくわりなしとは思ひたまへりつるものから、ひたぶるにいぶせくなどはあらで、いとらうらうじく恥づかしげなるけしきも添ひて、さすがになつかしく言ひこしらへなどして、出だしたまへるほどの心ばへなどを思ひ出づるも、ねたく悲しく、さまざまに心にかかりて、わびしくおぼゆ。何事も、いにしへにはいと多くまさりて思ひ出でらる。
 少しは男女の仲をご存知になったのだろうか、あれほどあきれてひどいとお思いになっていたが、一途に厭わしくはなく、たいそう立派にこちらが恥ずかしくなるような感じも加わって、はやり何といってもやさしく言いなだめなどして、お帰りになったときの心づかいを思い出すと、悔しく悲しく、いろいろと心にかかって、侘しく思われる。何事も、昔よりもたいそうたくさん立派になったと思い出される。
 人妻になったせいか、むやみに恐怖するふうは見せず、貴女らしい気品も多くなった姿で、闖入者を柔らかになつかしいふうに説いて退却させた才気などが思い出されるとともに、ねたましくも、悲しくもいろいろにその人のことばかりが思われるかおるは、自身ながらわびしく思った。
  Sukosi yononaka wo mo siri tamahe ru ke ni ya, sabakari asamasiku warinasi to ha omohi tamahe ri turu monokara, hitaburu ni ibuseku nado ha ara de, ito rau-rauziku hadukasige naru kesiki mo sohi te, sasuga ni natukasiku ihi kosirahe nado si te, idasi tamahe ru hodo no kokorobahe nado wo omohi-iduru mo, netaku kanasiku, sama-zama ni kokoro ni kakari te, wabisiku oboyu. Nani-goto mo, inisihe ni ha ito ohoku masari te omohi-ide raru.
5.1.11  「 何かは。この宮離れ果てたまひなば、我を頼もし人にしたまふべきにこそはあめれ。さても、あらはれて心やすきさまにえあらじを、 忍びつつまた思ひます人なき、心のとまりにてこそはあらめ
 「何かまうものか。この宮が離れておしまいになったならば、わたしを頼りとする人になさるにちがいなかろう。そうなったとしても、公然と気安く会うことはできないだろうが、忍ぶ仲ながらまたこの人以上の人はいない、最後の人となるであろう」
 落胆はする必要もない、宮の愛が薄くなってしまえば、あの人は自分ばかりをたよりにするはずである、しかし公然とは夫婦になれず、世間のはばかられる二人であろうが、隠れた恋人としておいても、自分は他に愛する婦人を作るまい、生涯しょうがいで唯一の妻とあの人を自分だけは思っていけるであろう
  "Nani-kaha! Kono Miya kare-hate tamahi na ba, ware wo tanomosi-bito ni si tamahu beki ni koso ha a' mere. Satemo, arahare te kokoro-yasuki sama ni e ara zi wo, sinobi tutu mata omohi-masu hito naki, kokoro no tomari nite koso ha ara me."
5.1.12  など、ただこの事のみ、つとおぼゆるぞ、 けしからぬ心なるやさばかり心深げにさかしがりたまへど、男といふものの心憂かりけることよ亡き人の御悲しさは、言ふかひなきことにて、いとかく苦しきまではなかりけり。これは、よろづにぞ思ひめぐらされたまひける。
 などと、ただこのことばかりを、じっと考え続けていらっしゃるのは、よくない心であるよ。あれほど思慮深そうに賢人ぶっていらっしゃるが、男性というものは嫌なものであることよ。亡くなった人のお悲しみは、言ってもはじまらないことで、とてもこうまで苦しいことではなかった。今度のことは、あれこれと思案なさるのであった。
 などと、二条の院の夫人のことばかりを思っているというのもけしからぬ心である。反省している時、またその人に清い恋として告白している時には賢い人になっているのであるが、この人すら情けない愛欲から離れられないのは男性の悲哀である。大姫君の死は取り返しのならぬものであったが、その時には今ほど薫は心を乱していなかった。これは道義観さええていろいろな未来の夢さえ描くものを心に持っていた。
  nado, tada kono koto nomi, tuto oboyuru zo, kesikara nu kokoro naru ya! Sabakari kokoro-hukage ni sakasigari tamahe do, wotoko to ihu mono no kokoro-ukari keru koto yo! Naki hito no ohom-kanasisa ha, ihukahinaki koto nite, ito kaku kurusiki made ha nakari keri. Kore ha, yorodu ni zo omohi megurasa re tamahi keru.
5.1.13  「 今日は、宮渡らせたまひぬ
 「今日は、宮がお渡りあそばしました」
 この日は二条の院へ宮がおいでになった
  "Kehu ha, Miya watara se tamahi nu."
5.1.14  など、人の言ふを聞くにも、後見の心は失せて、胸 うちつぶれて、いとうらやましくおぼゆ。
 などと、人が言うのを聞くにつけても、後見人の考えは消えて、胸のつぶれる思いで、羨ましく思われる。
 ということを聞いて、中の君の保護者をもって任ずる心はなくして、胸が嫉妬しっとにとどろき、宮をおうらやましくばかり薫は思った。
  nado, hito no ihu wo kiku ni mo, usiromi no kokoro ha use te, mune uti-tubure te, ito urayamasiku oboyu.
注釈409昔よりはすこし細やぎて『完訳』は「以下、昨夜の中の君の印象」と注す。5.1.1
注釈410宇治にいと渡らまほしげに以下「渡しきこえてまし」まで、薫が中君の心中を思いやっている叙述。5.1.2
注釈411まさに宮は許したまひてむや以下「思ふ心のゆくべき」まで、薫の心中の思い。5.1.2
注釈412まだいと深き朝に御文あり後朝の文めかした差し出し方。5.1.3
注釈413立文にて正式の書状の形式。5.1.3
注釈414いたづらに分けつる道の露しげみ昔おぼゆる秋の空かな薫から中君への贈歌。「露」に涙を暗示する。5.1.4
注釈415御けしきの以下「聞こえさせむ方なく」まで、和歌に続く手紙文。5.1.6
注釈416ことわり知らぬつらさのみなむ『源氏釈』は「身を知れば恨みぬものをなぞもかくことわり知らぬ涙なるらむ」(出典未詳)を指摘。5.1.6
注釈417承りぬいと悩ましくてえ聞こえさせず中君の返事。5.1.8
注釈418あまり言少ななるかな薫の感想。以下、主語は薫。5.1.9
注釈419すこし世の中をも知りたまへるけにや以下「ほどの御心ばへ」あたりまで、薫の心中の思いに即した叙述。末尾は地の文に流れる叙述。5.1.10
注釈420何かは以下「こそはあらめ」まで、薫の心中の思い。5.1.11
注釈421忍びつつまた思ひます人なき心のとまりにてこそはあらめ『集成』は「人目を忍ぶ仲ながらほかにこれ以上愛する人はいない最後の女性ということになるだろう」と訳す。5.1.11
注釈422けしからぬ心なるや『完訳』は「以下、語り手の評言。思慮深くふるまう薫の内心に立ち入る」と注す。5.1.12
注釈423さばかり心深げにさかしがりたまへど男といふものの心憂かりけることよ『集成』は「あれほど考え深そうに利口ぶっていらっしゃるけれども、世の男というものは何と情けないものなのでしょう。前の「けしからぬ心なるや」という草子地を受けて、薫とて世の例外ではないと、嘆いてみせる体の草子地」と注す。5.1.12
注釈424亡き人の御悲しさは『完訳』は「昔は大君が最愛の女だったが、今あらためて中の君に強く執着」と注す。5.1.12
注釈425今日は宮渡らせたまひぬ薫の家人の詞。5.1.13
出典30 御けしきの心憂さ 身を知れば恨みぬものをなぞもかくことわり知らぬ涙なるらむ 源氏釈所引-出典未詳 5.1.6
校訂37 いかさまにして いかさまにして--いかさまし(し/$)にして 5.1.2
校訂38 うちつぶれて うちつぶれて--(/+うち<朱>)つふれて 5.1.14
5.2
第二段 匂宮、帰邸して、薫の移り香に不審を抱く


5-2  Nio-no-miya gets back to his home and daubts Kaoru's leaving perfume

5.2.1   宮は、日ごろになりにけるは、わが心さへ恨めしく思されて、にはかに 渡りたまへるなりけり。
 宮は、何日もご無沙汰しているのは、自分自身でさえ恨めしく思われなさって、急にお渡りになったのであった。
 宮は二、三日も六条院にばかりおいでになったのを、御自身の心ながらも恨めしく思召おぼしめされてにわかにお帰りになったのである。
  Miya ha, higoro ni nari ni keru ha, waga kokoro sahe uramesiku obosa re te, nihaka ni watari tamahe ru nari keri.
5.2.2  「 何かは、心隔てたるさまにも見えたてまつらじ。山里にと思ひ立つにも、頼もし人に思ふ人も、疎ましき心添ひたまへりけり」
 「何とか、心に隔てをおいているようにはお見せ申すまい。山里にと思い立つにつけても、頼りにしている人も、嫌な心がおありだったのだわ」
 もうこの運命は柔順に従うほかはない、恨んでいるとは宮にお見せすまい、宇治へ行こうとしても信頼する人にうとましい心ができているのであるからと中の君は思い、いよいよ右も左も頼むことのできない身になっていると思われ、どうしても自分は薄命な女なのであるとして、生きているうちはあるがままの境遇を認めておおようにしていようと、
  "Nani-kaha, kokoro hedate taru sama ni mo miye tatematura zi. Yamazato ni to omohi-tatu ni mo, tanomosi-bito ni omohu hito mo, utomasiki kokoro sohi tamahe ri keri."
5.2.3  と見たまふに、世の中いと所狭く思ひなられて、「 なほいと憂き身なりけり」と、「ただ消えせぬほどは 、あるにまかせて、おいらかならむ」と思ひ果てて、いとらうたげに、うつくしきさまにもてなしてゐたまへれば、いとどあはれにうれしく思されて、日ごろのおこたりなど、限りなくのたまふ。
 とお思いになると、世の中がとても身の置き所なく思わずにはいられなくなって、「やはり嫌な身の上であった」と、「ただ死なない間は、生きているのにまかせて、おおらかにしていよう」と思いあきらめて、とてもかわいらしそうに美しく振る舞っていらっしゃるので、ますますいとしく嬉しくお思いになって、何日ものご無沙汰など、この上なくおっしゃる。
 こう決心をしたのであったから、可憐かれんに素直にして、嫉妬しっとも知らぬふうを見せていたから、宮はいっそう深い愛をお覚えになり、思いやりをうれしくお感じになって、おいでにならぬ間も忘れていたのではないということなどに言葉を尽くして夫人を慰めておいでになった。
  to mi tamahu ni, yononaka ito tokoro-seku omohi nara re te, "Naho ito uki mi nari keri." to, "Tada kiye se nu hodo ha, aru ni makase te, oyiraka nara m." to omohi-hate te, ito rautage ni, utukusiki sama ni motenasi te wi tamahe re ba, itodo ahare ni uresiku obosa re te, higoro no okotari nado, kagirinaku notamahu.
5.2.4  御腹もすこしふくらかになりにたるに、かの恥ぢたまふしるしの帯の引き結はれたるほどなど、いとあはれに、まだかかる人を近くても見たまはざりければ、めづらしくさへ思したり。うちとけぬ所にならひたまひて、よろづのこと、心やすくなつかしく思さるるままに、おろかならぬ事どもを、尽きせず 契りのたまふを聞くにつけても、 かくのみ言よきわざにやあらむと、 あながちなりつる人の御けしきも思ひ出でられて、年ごろあはれなる心ばへなどは思ひわたりつれど、 かかる方ざまにては、あれをもあるまじきことと思ふにぞ、この御行く先の頼めは、いでや、と思ひながらも、すこし耳とまりける。
 お腹も少しふっくらとなっていたので、あのお恥じらいになるしるしの腹帯が結ばれているところなど、たいそういじらしく、まだこのような人を近くに御覧になったことがないので、珍しくまでお思いになっていた。気の置けるところに居続けなさって、万事が、気安く懐かしくお思いになるままに、並々ならぬことを、尽きせず約束なさるのを聞くにつけても、こうして口先ばかり上手なのではないかと、無理なことを迫った方のご様子も思い出されて、長年親切な気持ちと思い続けていたが、このようなことでは、あの方も許せないと思うと、この方の将来の約束は、どうかしら、と思いながらも、少しは耳がとまるのであった。
 腹部も少し高くなり、恥ずかしがっている腹帯の衣服の上に結ばれてあるのにさえ心がおかれになった。まだ妊娠した人を直接お知りにならぬ方であったから、珍しくさえお思いになった。何事もきれいに整い過ぎた新居においでになったあとで、ここにおいでになるのはすべての点で気安く、なつかしくお思われになるままに、こまやかな将来の日の誓いを繰り返し仰せになるのを聞いていても中の君は、男は皆口が上手じょうずで、あの無理な恋を告白した人も上手に話をしたと薫のことを思い出して、今までも情けの深い人であるとは常に思っていたが、ああしたよこしまな恋に自分は好意を持つべくもないと思うことによって、宮の未来のお誓いのほうは、そのとおりであるまいと思いながらも少し信じる心も起こった。
  Ohom-hara mo sukosi hukuraka ni nari ni taru ni, kano hudi tamahu sirusi no obi no hiki-yuha re taru hodo nado, ito ahare ni, mada kakaru hito wo tikaku te mo mi tamaha zari kere ba, medurasiku sahe obosi tari. Utitoke nu tokoro ni narahi tamahi te, yorodu no koto, kokoro-yasuku natukasiku obosa ruru mama ni, oroka nara nu koto-domo wo, tuki se zu tigiri notamahu wo kiku ni tuke te mo, kaku nomi koto yoki waza ni ya ara m to, anagati nari turu hito no mi-kesiki mo omohi-ide rare te, tosi-goro ahare naru kokorobahe nado ha omohi watari ture do, kakaru kata-zama nite ha, are wo mo arumaziki koto to omohu ni zo, kono ohom-yukusaki no tanome ha, ideya, to omohi nagara mo, sukosi mimi tomari keru.
5.2.5  「 さても、あさましくたゆめたゆめて、入り来たりしほどよ。 昔の人に疎くて過ぎにしことなど語りたまひし心ばへは、げにありがたかりけりと、なほうちとくべくはた、あらざりけりかし」
 「それにしても、あきれるくらいに油断させておいて、入って来たことよ。亡くなった姉君と関係なく終わってしまったことなどお話になった気持ちは、なるほど立派であったと、やはり気を許すことはあってはならないのだった」
 それにしてもああまで油断をさせて自分の室の中へあの人がはいって来た時の驚かされようはどうだったであろう、姉君の意志を尊重して夫婦の結合は遂げなかったと話していた心持ちは、珍しい誠意の人と思われるのであるが、あの行為を思えば自分として気の許される人ではないと、
  "Satemo, asamasiku tayume tayume te, iri kitari si hodo yo. Mukasi-no-Hito ni utoku te sugi ni si koto nado katari tamahi si kokorobahe ha, geni arigatakari keri to, naho utitoku beku hata, ara zari keri kasi."
5.2.6  など、いよいよ心づかひせらるるにも、久しくとだえたまはむことは、 いともの恐ろしかるべくおぼえたまへば、言に出でては言はねど、過ぎぬる方よりは、すこしまつはしざまにもてなしたまへるを、宮はいとど限りなくあはれと思ほしたるに、 かの人の御移り香の、いと深くしみたまへるが、世の常の香の香に入れ薫きしめたるにも似ず、しるき匂ひなるを、その道の人にしおはすれば、あやしととがめ出でたまひて、いかなりしことぞと、けしきとりたまふに、ことのほかにもて離れぬことにしあれば、言はむ方なくわりなくて、いと苦しと思したるを、
 などと、ますます心配りがされるにつけても、久しくご無沙汰が続きなさることは、とても何となく恐ろしいように思われなさるので、口に出して言わないが、今までよりは、少し引きつけるように振る舞っていらっしゃるのを、宮はますますこの上なくいとしいとお思いになっていらっしゃると、あの方の御移り香が、たいそう深く染みていらっしゃるのが、世の常の香をたきしめたのと違って、はっきりとした薫りなのを、その道の達人でいらっしゃるので、妙だと不審をいだきなさって、どうしたことかと、様子を伺いなさるので、見当外れのことでもないので、言いようもなく困って、ほんとうにつらいとお思いになっていらっしゃるのを、
 中の君はいよいよ男の危険性に用心を感じるにつけても、宮がながく途絶えておいでにならぬことになれば恐ろしいと思われ、言葉には出さないのであるが、以前よりも少し宮へ甘えた心になっていたために、宮はなお可憐に思召され、心をかれておいでになったが、深く夫人にしみついている中納言のにおいは、薫香くんこうをたきしめたのには似ていず特異な香であるのを、においというものをよく研究しておいでになる宮であったから、それとお気づきになって、奇怪なこととして、何事かあったのかと夫人をただそうとされる。宮の疑っておいでになることと事実とはそうかけ離れたものでもなかったから、何ともお答えがしにくくて、苦しそうに沈黙しているのを御覧になる宮は、
  nado, iyo-iyo kokoro-dukahi se raruru ni mo, hisasiku todaye tamaha m koto ha, ito mono osorosikaru beku oboye tamahe ba, koto ni ide te ha iha ne do, sugi nuru kata yori ha, sukosi matuhasi zama ni motenasi tamahe ru wo, Miya ha itodo kagiri naku ahare to omohosi taru ni, kano Hito no ohom-uturi-ga no, ito hukaku simi tamahe ru ga, yo-no-tune no kau no ka ni ire taki-sime taru ni mo ni zu, siruki nihohi naru wo, s no miti no hito ni si ohasure ba, ayasi to togame ide tamahi te, ika nari si koto zo to, kesiki tori tamahu ni, koto no hoka ni mote-hanare nu koto ni si are ba, ihamkatanaku wari naku te, ito kurusi to obosi taru wo,
5.2.7  「 さればよ。かならずさることはありなむ。よも、ただには思はじ、と思ひわたることぞかし」
 「そうであったか。きっとそのようなことはあるにちがいない。よもや、平気でいられるはずがない、とずっと思っていたことだ」
 自分の想像することはありうべきことだ、よも無関心ではおられまいと始終自分は思っていたのである
  "Sarebayo. Kanarazu saru koto ha ari na m. Yo mo, tada ni ha omoha zi, to omohi-wataru koto zo kasi."
5.2.8  と御心騷ぎけり。 さるは、単衣の御衣なども、脱ぎ替へたまひてけれど、あやしく心より外にぞ身にしみにける。
 とお心が騒ぐのだった。その実、単衣のお召し物類は、脱ぎ替えなさっていたが、不思議と意外にも身にしみついていたのであった。
 とお胸が騒いだ。薫のにおいは中の君が下の単衣ひとえなども昨夜のとは脱ぎ替えていたのであるが、その注意にもかかわらず全身にんでいたのである。
  to mi-kokoro sawagi keri. Saruha, hitohe no ohom-zo nado mo, nugi-kahe tamahi te kere do, ayasiku kokoro yori hoka ni zo mi ni simi ni keru.
5.2.9  「 かばかりにては、残りありてしもあらじ
 「こんなに薫っていては、何もかも許したのであろう」
 「あなたの苦しんでいるところを見ると、進むところへまで進んだことだろう」
  "Kabakari ni te ha, nokori ari te simo ara zi."
5.2.10  と、よろづに聞きにくくのたまひ続くるに、心憂くて、身ぞ置き所なき。
 と、すべてに聞きにくくおっしゃり続けるので、情けなくて、身の置き所もない。
 とお言いになり、追究されることで夫人は情けなく、身の置き所もない気がした。
  to, yorodu ni kiki nikuku notamahi tudukuru ni, kokoro-uku te, mi zo oki-dokoro naki.
5.2.11  「 思ひきこゆるさまことなるものを、 我こそ先になど、かやうに うち背く際はことにこそあれ。また御心おきたまふばかりのほどやは経ぬる。思ひの外に憂かりける御心かな」
 「お愛し申し上げているのは格別なのに、捨てられるなら自分から先になどと、このように裏切るのは身分の低い者のすることです。また隔て心をお置きになるほどご無沙汰をしたでしょうか。意外にもつらいお心ですね」
 「私の愛はどんなに深いかしれないのに、私が二人の妻を持つようになったからといって、自分も同じように自由に人を愛しようというようなことは身分のない者のすることですよ。そんなに私が長く帰って来ませんでしたか、そうでもないではありませんか。私の信じていたよりも愛情のうすいあなただった」
  "Omohi kikoyuru sama koto naru mono wo, ware koso saki ni nado, kayau ni uti-somuku kiha ha koto ni koso are. Mata mi-kokoro-oki tamahu bakari no hodo ya ha he nuru. Omohi no hoka ni ukari keru mi-kokoro kana!"
5.2.12  と、 すべてまねぶくもあらず、いとほしげに聞こえたまへど 、ともかくもいらへたまはぬさへ、いとねたくて、
 と、何から何まで語り伝えることができないくらい、とてもお気の毒な申し上げようをなさるが、何ともお返事申し上げなさらないのまでが、まことに憎らしくて、
 などとお責めになるのである。愛する心からこうも思われるのであるというふうにおきになっても、ものを言わずにいる中の君に嫉妬しっとをあそばして、
  to, subete manebu beku mo ara zu, itohosige ni kikoye tamahe do, tomo-kakumo irahe tamaha nu sahe, ito netaku te,
5.2.13  「 また人に馴れける袖の移り香を
 「他の人に親しんだ袖の移り香か
  またびとになれけるそでの移り香を
    "Mata hito ni nare keru sode no uturi-ga wo
5.2.14   わが身にしめて恨みつるかな
  わが身にとって深く恨めしいことだ
  わが身にしめて恨みつるかな
    waga mi ni sime te urami turu kana
5.2.15  女は、あさましくのたまひ続くるに、言ふべき方もなきを、いかがは、とて、
 女方は、ひどいおっしゃりようが続くので、何ともお返事できないでいるが、黙っているのもどうかしら、と思って、
 とお言いになった。夫人は身に覚えのない罪をきせておいでになる宮に弁明もする気にならずに、「あなたの誤解していらっしゃることについて何と申し上げていいかわかりません。
  Womna ha, asamasiku notamahi tudukuru ni, ihu beki kata mo naki wo, ikagaha, tote,
5.2.16  「 みなれぬる中の衣と頼めしを
 「親しみ信頼してきた夫婦の仲も
  見なれぬる中の衣と頼みしを
    "Minare nuru naka no koromo to tanome si wo
5.2.17   かばかりにてやかけ離れなむ
  この程度の薫りで切れてしまうのでしょうか
  かばかりにてやかけ離れなん」
    kabakari ni te ya kake hanare na m
5.2.18  とて、うち泣きたまへるけしきの、限りなくあはれなるを見るにも、「かかればぞかし」と、いと心やましくて、我もほろほろとこぼしたまふぞ、 色めかしき御心なるや。まことにいみじき過ちありとも、ひたぶるにはえぞ疎み果つまじく、らうたげに心苦しきさまのしたまへれば、えも怨み果てたまはず、のたまひさしつつ、かつはこしらへきこえたまふ。
 と言って、お泣きになる様子が、この上なくかわいそうなのを見るにつけても、「これだからこそ」と、ますますいらいらして、自分もぽろぽろと涙を流しなさるのは、色っぽいお心だこと。ほんとうに大変な過ちがあったとしても、一途には疎みきれない、かわいらしくおいたわしい様子をしていらっしゃるので、最後まで恨むこともおできになれず、途中で言いさしなさっては、その一方ではお宥めすかしなさる。
 と言って泣いていた。その様子の限りなく可憐かれんであるのを宮は御覧になっても、こんな魅力が中納言をきつけたのであろうとお思いになり、いっそうねたましくおなりになり、御自身もほろほろと涙をおこぼしになったというのは女性的なことである。どんな過失が仮にあったとしても、この人をうとんじてしまうことはできないふうな、美しいいたいたしい中の君の姿に、恨みをばかり言っておいでになることができずに、宮は歎いている人の機嫌きげんを直させるために言い慰めもしておいでになった。
  tote, uti-naki tamahe ru kesiki no, kagirinaku ahare naru wo miru ni mo, "Kakare ba zo kasi." to, ito kokoro-yamasiku te, ware mo horo-horo to kobosi tamahu zo, iro-mekasiki mi-kokoro naru ya! Makoto ni imiziki ayamati ari tomo, hitaburu ni ha e zo utomi-hatu maziku, rautage ni kokoro-gurusiki sama no si tamahe re ba, e mo urmi-hate tamaha zu, notamahi-sasi tutu, katu ha kosirahe kikoye tamahu.
注釈426宮は日ごろになりにけるは匂宮は中君のもとに何日も行っていない日が続いた。5.2.1
注釈427何かは以下「心添ひたまへりけり」まで、中君の心中の思い。『完訳』は「「何かは」は開き直った気持。当初から人に苦渋の心を見すかされまいと自己制御」と注す。5.2.2
注釈428なほいと憂き身なりけりとただ消えせぬほどは『源氏釈』は「憂きながら消えせぬものは身なりけりうらやましきは水の泡かな」(拾遺集哀傷、一三一三、中務)を指摘。5.2.3
注釈429かくのみ言よきわざにやあらむ中君の心中の思い。5.2.4
注釈430あながちなりつる人薫。昨夜の態度をさしていう。5.2.4
注釈431かかる方ざまにては『集成』は「こうした男女の情がからまっていては」と訳す。5.2.4
注釈432さてもあさましく以下「あらざりけりかし」まで、中君の心中の思い。5.2.5
注釈433昔の人に疎くて過ぎにしことなど大君と肉体関係なく過ごしたことをいう。5.2.5
注釈434いともの恐ろしかるべくおぼえたまへば『集成』は「宮の不在中の薫の接近を恐れる気持」と注す。5.2.6
注釈435かの人の御移り香薫の移り香。5.2.6
注釈436さればよ以下「思ひわたることぞかし」まで、匂宮の思い。5.2.7
注釈437さるは単衣の御衣なども以下「身にしみにける」まで、語り手の説明。『湖月抄』は「草子地也」と指摘。『集成』は「以下、匂宮に疑われぬように、中の君は用心して下着の単なども着がえていられたのだが、と事情を説明する草子地」と注す。5.2.8
注釈438かばかりにては残りありてしもあらじ匂宮の詞。5.2.9
注釈439思ひきこゆるさま以下「憂かりける御心かな」まで、匂宮の詞。5.2.11
注釈440我こそ先になど『花鳥余情』は「人よりは我こそ先に忘れなめつれなきをしも何か頼まむ」(古今六帖四、恨みず)を指摘。5.2.11
注釈441うち背く際はことにこそあれ裏切るのは身分の違った女即ち卑しい身分の女がすることですよ、の意。5.2.11
注釈442すべてまねぶくもあらず、いとほしげに聞こえ たまへど『休聞抄』は「双にかゝんやうなきと也」と指摘。語り手の言い訳を交えた叙述。5.2.12
注釈443また人に馴れける袖の移り香をわが身にしめて恨みつるかな匂宮から中君への贈歌。「馴れ」「袖」縁語。「恨み」に「裏」を響かせ、「袖」との縁、また「心」を響かせて、「あなたの心を見てしまった」の意を言外に匂わす。5.2.13
注釈444みなれぬる中の衣と頼めしをかばかりにてやかけ離れなむ中君の匂宮への返歌。「馴れ」の語句を用いて返す。「馴れ」「衣」縁語。「かばかり」に「香」を掛ける。5.2.16
注釈445色めかしき御心なるや三光院は「草子地の評歟」と指摘。『集成』は「薫と中の君の情事を疑いないものとする匂宮の性癖を批評する体の草子地」。『完訳』は「語り手の評。匂宮の、多感な人に特有の猜疑心をいう」と注す。5.2.18
出典31 なほいと憂き身なりけり 憂きながら消えせぬ物は身なりけりうらやましきは水の泡かな 拾遺集哀傷-一三一三 中務 5.2.3
校訂39 渡りたまへる 渡りたまへる--わたりぬ(ぬ/#)給へる 5.2.1
校訂40 契りのたまふ 契りのたまふ--ちきり給(給/$)のたまふ 5.2.4
校訂41 たまへど たまへど--給へとも(も/#<朱>) 5.2.12
5.3
第三段 匂宮、中君の素晴しさを改めて認識


5-3  Nio-no-miya renews his understanding to Naka-no-kimi's fineness

5.3.1  またの日も、心のどかに大殿籠もり起きて、御手水、御粥などもこなたに参らす。 御しつらひなども、さばかりかかやくばかり、高麗、唐土の錦綾を裁ち重ねたる目移しには、世の常にうち馴れたる心地して、 人びとの姿も、萎えばみたるうち混じりなどして、いと静かに見まはさる。
 翌日も、ゆっくりとお起きになって、御手水や、お粥などをこちらの部屋で召し上がる。お部屋飾りなども、あれほど輝くほどの、高麗や、唐土の錦綾を何枚も重ねているのを見た目には、世間普通の気がして、女房たちの姿も、糊気のとれたのが混じったりなどして、たいそうひっそりとした感じに見回される。
 翌朝もゆるりと寝ておいでになって、お起きになってからは手水ちょうずも朝のかゆもこちらでお済ませになった。座敷の装飾も六条院の新婦の居間の輝くばかり朝鮮、支那しなにしきで装飾をし尽くしてある目移しには、なごやかな普通の家の居ごこちよさをお覚えになって、女房の中には着疲れさせた服装のも混じっていたりして、静かに見まわされる空気が作られていた。
  Mata no hi mo, kokoro nodoka ni ohotono-gomori oki te, ohom-teudu, ohom-kayu nado mo konata ni mawira su. Ohom-siturahi nado mo, sabakari kakayaku bakari, Koma, Morokosi no nisiki aya wo tati kasane taru me utusi ni ha, yo no tune ni uti-nare taru kokoti si te, hito-bito no sugata mo, nayebami taru uti-maziri nado si te, ito siduka ni mi mawahasa ru.
5.3.2  君は、なよよかなる薄色どもに、撫子の細長重ねて、うち乱れたまへる御さまの、 何事もいとうるはしく、ことことしきまで盛りなる人の 御匂ひ、何くれに 思ひ比ぶれど、気劣りてもおぼえず、なつかしくをかしきも、 心ざしのおろかならぬに恥なきなめりかし。まろにうつくしく肥えたりし人の、すこし細やぎたるに、色はいよいよ白くなりて、あてにをかしげなり。
 女君は、柔らかな薄紫の袿に、撫子の細長を襲着して、寛いでいらっしゃるご様子が、何事もたいそう凛々しく、仰々しいまでに盛りの方の装いが、何かと比較されるが、劣っているようにも思われず、親しみがあり美しいのも、愛情が並々でないために劣るところがないのであろう。まるまるとかわいらしく太った方が、少し細やかになっているが、肌色はますます白くなって、上品で魅力的である。
 夫人は柔らかな淡紫うすむらさきなどの上に、撫子なでしこ色の細長をゆるやかに重ねていた。何一つ整然としていぬものもないような盛りの美人の新婦に比べてごらんになっても、劣ったともお思われにならず、なつかしい美しさの覚えられるというのは宮の御愛情に相当する人というべきであろう。まるく肥えていた人であったが、少しほっそりとなり、色はいよいよ白くて上品に美しい中の君であった。
  Kimi ha, nayoyoka naru usu-iro-domo ni, nadesiko no hosonaga kasane te, uti-midare tamahe ru ohom-sama no, nani-goto mo ito uruhasiku, koto-kotosiki made sakari naru hito no ohom-nihohi, nani-kure ni omohi-kurabure do, keotori te mo oboye zu, natukasiku wokasiki mo, kokorozasi no oroka nara nu ni hadi naki na' meri kasi. Maro ni utukusiku koye tari si hito no, sukosi hosoyagi taru ni, iro ha iyo-iyo siroku nari te, ate ni wokasige nari.
5.3.3  かかる御移り香などのいちじるからぬ折だに、愛敬づきらうたきところなどの、なほ人には多くまさりて思さるるままには、
 このような移り香などがはっきりしない時でさえ、愛嬌があってかわいらしいところなどが、やはり誰よりも多くまさってお思いになるので、
 怪しい疑いを起こさせるにおいなどのついていなかった常の時にも、愛嬌あいきょうのある可憐な点はだれよりもすぐれていると見ておいでになった人であるから、
  Kakaru ohom-uturiga nado no itizirukara nu wori dani, aigyau-duki rautaki tokoro nado no, naho hito ni ha ohoku masari te obosa ruru mama ni ha,
5.3.4  「 これをはらからなどにはあらぬ人の、気近く言ひかよひて、事に触れつつ、おのづから声けはひをも聞き 見馴れむは、いかでかただにも思はむ。 かならずしか思しぬべきことなるを
 「この人を兄弟などでない人が、身近で話を交わして、何かにつけて、自然と声や気配を聞いたり見たりしつけると、どうして平気でいられよう。きっと心を動かすことであろうよ」
 この人を兄弟でもない男性が親しい交際をして自然に声も聞き、様子もうかがえる時もあっては、どうして無関心でいられよう、必ず結果は恋を覚えることになるであろう
  "Kore wo harakara nado ni ha ara nu hito no, ke-dikaku ihi kayohi te, koto ni hure tutu, onodukara kowe kehahi wo mo kiki mi-nare m ha, ikade ka tada ni mo omoha m. Kanarazu sika obosi nu beki koto naru wo."
5.3.5  と、わがいと隈なき御心ならひに思し知らるれば、常に心をかけて、「 しるきさまなる文などやある」と、近き御厨子、唐櫃などやうのものをも、さりげなくて探したまへど、さるものもなし。ただ、いとすくよかに言少なにて、なほなほしきなどぞ、わざともなけれど、ものにとりまぜなどしてもあるを、「 あやし。なほ、いとかうのみはあらじかし」と疑はるるに、いとど今日はやすからず思さるる、 ことわりなりかし
 と、自分のたいそう気の回るご性分からお思い知られるので、常に気をつけて、「はっきりと分かるような手紙などがあるか」と、近くの御厨子や、唐櫃などのような物までを、さりげない様子をしてお探しになるが、そのような物はない。ただ、たいそうきっぱりした言葉少なで、平凡な手紙などが、わざわざというのではないが、何かと一緒になってあるのを、「妙だ。やはり、とてもこれだけではあるまい」と疑われるので、ますます今日は平気でいられないのも、もっともなことである。
 と、宮は御自身の好色な心から想像をあそばして、これまでから恋をささやく明らかなあかしの見える手紙などは来ていぬかとお思いになり、夫人の居間の中の飾りだなや小さい唐櫃からびつなどというものの中をそれとなくお捜しになるのであったが、そんなものはない。ただまじめなことの書かれた短い、文学的でもないようなものは、人に見せぬために別にもしてなくて、物に取り混ぜてあったのを発見あそばして、不思議である、こんな用事を言うものにとどまるはずはないとお疑いの起こることで今日のお心が冷静にならないのも道理である。
  to, waga ito kumanaki mi-kokoro narahi ni obosi-sira rure ba, tune ni kokoro wo kake te, "Siruki sama naru humi nado ya aru?" to, tikaki mi-dusi, karabitu nado yau no mono wo mo, sarigenaku te sagasi tamahe do, saru mono mo nasi, Tada, ito sukuyoka ni koto sukuna nite, naho-nahosiki nado zo, wazato mo nakere do, mono ni tori-maze nado si te mo aru wo, "Ayasi. Naho, ito kau nomi ha ara zi kasi." to utagaha ruru ni, itodo kehu ha yasukara zu obosa ruru, kotowari nari kasi.
5.3.6  「 かの人のけしきも、心あらむ女の、あはれと思ひぬべきを、 などてかは、ことの他にはさし放たむ。いとよきあはひなれば、かたみにぞ思ひ交はすらむかし」
 「あの人の様子も、情趣を解する女が、素晴らしいと思うにちがいないので、どうしてか、心外な人と思って放っておこう。ちょうど似合いの二人なので、お互いに思いを交わし合うことだろう」
 夫人が魅力を持つばかりでなく中納言の姿もまた趣味の高い女が興味を覚えるのに十分なものであるから、愛に報いぬはずはない、よい一対の男女であるから、相思の仲にもなるであろう
  "Kano hito no kesiki mo, kokoro ara m womna no, ahare to omohi nu beki wo, nadote kaha, koto no hoka ni ha sasi-hanata m. Ito yoki ahahi nare ba, katamini zo omohi-kahasu ram kasi."
5.3.7  と思ひやるぞ、わびしく腹立たしくねたかりける。なほ、いとやすからざりければ、その日もえ出でたまはず。六条院には、御文をぞ二度三度たてまつりたまふを、
 と想像すると、侘しく腹立たしく悔しいのであった。やはり、とても安心していられなかったので、その日もお出かけになることができない。六条院には、お手紙を二度三度差し上げなさるが、
 と、こんな御想像のされるために、宮はわびしく腹だたしく、ねたましくお思いになった。不安なお気持ちが静まらぬため、その日も二条の院にとどまっておいでになることになり、六条院へはお手紙の使いを二、三度お出しになった。
  to omohi-yaru zo, wabisiku hara-datasiku netakari keru. Naho, ito yasukara zari kere ba, sono hi mo e ide tamaha zu. Rokudu-no-win ni ha, ohom-humi wo zo huta-tabi mi-tabi tatematuri tamahu wo,
5.3.8  「 いつのほどに積もる御言の葉ならむ
 「いつのまに積もるお言葉なのだろう」
 わずかな時間のうちにもそうも言っておやりになるお言葉が積もるのか
  "Itu no hodo ni tumoru ohom-kotonoha nara m?"
5.3.9  とつぶやく老い人どもあり。
 とぶつぶつ言う老女連中もいる。
 と老いた女房などは陰口を申していた。
  to tubuyaku Oyi-bito-domo ari.
注釈446御しつらひなどもさばかりかかやくばかり六の君の部屋飾りを思い起こして中君の部屋のしつらいと比較。5.3.1
注釈447人びとの姿も中君付の女房。5.3.1
注釈448何事もいとうるはしく以下「御匂ひ」まで、六の君の描写。5.3.2
注釈449心ざしのおろかならぬに恥なきなめりかし『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の推測」と注す。5.3.2
注釈450これをはらからなどには以下「思しぬべきことなるを」まで、匂宮の心中の思い。5.3.4
注釈451かならずしか思しぬべきことなるを『完訳』は「恋着の気持を抱くだろう。今までも、中の君周辺を警戒してきた、の気持。薫にも注意している」と注す。5.3.4
注釈452しるきさまなる文などやある『完訳』は「情交関係のはっきり分る手紙」と注す。5.3.5
注釈453あやしなほいとかうのみはあらじかし匂宮の思い。5.3.5
注釈454ことわりなりかし『孟津抄』は「草子地也」。『完訳』は「宮の疑心も当然。語り手の評言」と注す。5.3.5
注釈455かの人のけしきも以下「思ひ交はすらむ」まで、匂宮の思い。5.3.6
注釈456などてかはことの他にはさし放たむ『完訳』は「中の君もどうして心外のこととして薫をはねつけよう。彼女の側にも密会の意志があったとする」と注す。5.3.6
注釈457いつのほどに積もる御言の葉ならむ中君付きの老女房の詞。「積もる」「葉」縁語。落葉が積もる。5.3.8
校訂42 御匂ひ 御匂ひ--御(御/&御)にほ(にほ/#にほ<朱>)ひ 5.3.2
校訂43 思ひ比ぶれど 思ひ比ぶれど--思くらふれは(は/#<朱>)と 5.3.2
校訂44 見馴れむ 見馴れむ--見なん(ん/#)れん 5.3.4
5.4
第四段 薫、中君に衣料を贈る


5-4  Kaoru presents clothes to Naka-no-kimi

5.4.1  中納言の君は、かく宮の籠もりおはするを聞くにしも、心やましくおぼゆれど、
 中納言の君は、このように宮が籠もっておいでになるのを聞くにも、癪に思われるが、
 中納言はこんなに宮が二条の院にとどまっておいでになることを聞いても苦しみを覚えるのであったが、
  Tyuunagon-no-Kimi ha, kaku Miya no komori ohasuru wo kiku ni simo, kokoro-yamasiku oboyure do,
5.4.2  「 わりなしや。これはわが心のをこがましく悪しきぞかし。うしろやすくと思ひそめてしあたりのことを、かくは思ふべしや」
 「しかたのないことだ。これは自分の心が馬鹿らしく悪いことだ。安心な後見人としてお世話し始めた方のことを、このように思ってよいことだろうか」
 自分は誤っている、愚かな情炎を燃やしてはよろしくない、そうした愛でない清い愛で助けようと決心していた人に対して、思うべからぬことを思ってはならぬ
  "Warinasi ya! Kore ha waga kokoro no wokogamasiku asiki zo kasi. Usiroyasuku to omohi some te si atari no koto wo, kaku ha omohu besi ya!"
5.4.3  と しひてぞ思ひ返して、「 さはいへど、え思し捨てざめりかし」と、うれしくもあり、「 人びとのけはひなどの、なつかしきほどに萎えばみためりしを」と思ひやりたまひて、 母宮の御方に参りたまひて
 と無理に反省して、「そうは言ってもお捨てにはならないようだ」と、嬉しくもあり、「女房たちの様子などが、やさしい感じに着古した感じのようだ」と思いやりなさって、母宮の御方にお渡りになって、
 としいて思い返し、このままにしていても、自分の気持ちは汲んでくれる人に違いないという自信の持てるのがうれしかった。女房たちの衣服がなつかしい程度に古びかかっていたようであったのを思って、母宮のお居間へ行き、
  to sihite zo omohi kahesi te, "Saha ihe do, e obosi sute za' meri kasi." to, uresiku mo ari, "Hito-bito no kehahi nado no, natukasiki hodo ni naye-bami ta' meri si wo." to omohi-yari tamahi te, Haha-Miya-no-Ohomkata ni mawiri tamahi te,
5.4.4  「 よろしきまうけのものどもやさぶらふ。使ふべきこと」
 「適当な出来合いの衣類はございませんか。使いたいことが」
 「品のよい女物で、お手もとにできているのがあるでしょうか、少し入り用なことがあるのです」
  "Yorosiki mauke no mono-domo ya saburahu? Tukahu beki koto."
5.4.5   など申したまへば、
 などと申し上げなさると、
 とお尋ねすると、
  nado mausi tamahe ba,
5.4.6  「 例の、立たむ月の法事の料に、白きものどもやあらむ。染めたるなどは、今はわざともしおかぬを、急ぎてこそせさせめ」
 「例の、来月の御法事の布施に、白い物はありましょう。染めた物などは、今は特別に置いておかないので、急いで作らせましょう」
 「例年の法事は来月ですから、その日の用意の白い生地などがあるだろうと思います。染めたものなどは平生たくさんは私の所に置いてないから、急いで作らせましょう」
  "Rei no, tata m tuki no hohuzi no reu ni, siroki mono-domo ya ara m. Some taru nado ha, ima ha wazato mo si-oka nu wo, isogi te koso ha se me."
5.4.7  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 宮はこうお答えになった。
  to notamahe ba,
5.4.8  「 何か。ことことしき用にもはべらず。さぶらはむにしたがひて」
 「構いません。仰々しい用事でもございません。ありあわせで結構です」
 「それには及びません。たいそうなことにいるのではありませんから、できているものでけっこうです」
  "Nanika? Koto-kotosiki you ni mo habera zu. Saburaha m ni sitagahi te."
5.4.9  とて、御匣殿などに問はせたまひて、女の装束どもあまた領に、細長どもも、ただあるにしたがひて、ただなる絹綾などとり具したまふ。 みづからの御料と思しきには、わが御料にありける紅の擣目なべて ならぬに、白き綾どもなど、あまた重ねたまへるに、袴の具はなかりけるに、 いかにしたりけるにか、腰の一つあるを、引き結び加へて、
 と言って、御匣殿などにお問い合わせになって、女の装束類を何領もに、細長類も、ありあわせで、染色してない絹や綾などをお揃えになる。ご本人のお召し物と思われるのは、自分のお召し物にあった紅の砧の擣目の美しいものに、幾重もの白い綾など、たくさんお重ねになったが、袴の付属品はなかったので、どういうふうにしたのか、腰紐が一本あったのを、結びつけなさって、
 とかおるは申し上げて、裁縫係りの者の所へ尋ねにやりなどして、女の装束幾重ねと、美しい細長などをありあわせのまま使うことにして、下へ着る絹やあやなども皆添え、自身の着料にできていたあか糊絹のりぎぬ槌目つちめの仕上がりのよい物、白い綾の服の幾重ねへ添えたく思ったはかまの地がなくて付け腰だけが一つあったのを、結んで加える時に、それへ、
  tote, Mi-Kusige-dono nado ni toha se tamahi te, womna no syauzoku-domo amata kudari ni, hosonaga-domo mo, tada aru ni sitagahi te, tada aru ni sitagahi te, tada naru kinu aya ndo tori-gusi tamahu. Midukara no go-reu to obosiki ni ha, waga go-reu ni ari keru kurenawi no utime nabete nara nu ni, siroki aya-domo nado, amata kasane tamahe ru ni, hakama no gu ha nakari keru ni, ikani si tari keru ni ka, kosi no hitotu aru wo, hiki-musubi kuhahe te,
5.4.10  「 結びける契りことなる下紐を
 「結んだ契りの相手が違うので
  結びける契りことなる下紐したひも
    "Musubi keru tigiri koto naru sita-himo wo
5.4.11   ただ一筋に恨みやはする
  今さらどうして一途に恨んだりしようか
  ただひとすぢに恨みやはする
    tada hito-sudi ni urami ya ha suru
5.4.12   大輔の君とて、大人しき人の、睦ましげなるにつかはす。
 大輔の君といって、年配の者で、親しそうな者におやりになる。
 と歌を書いた。大輔たゆうの君という年のいった女房で、薫の親しい人の所へその贈り物は届けられたのである。
  Taihu-no-Kimi tote, otonasiki hito no, mutumasige naru ni tukahasu.
5.4.13  「 とりあへぬさまの見苦しきを、つきづきしくもて隠して」
 「とりあえず見苦しい点を、適当にお隠しください」
 にわかに思い立って集めた品ですから、よくそろいもせず見苦しいのですが、よいように取り合わせてお使いください。
  "Tori-ahe nu sama no migurusiki wo, tuki-dukisiku mote-kakusi te."
5.4.14  などのたまひて、 御料のは、しのびやかなれど、筥にて包みも異なり。 御覧ぜさせねど、さきざきも、かやうなる御心しらひは、常のことにて目馴れにたれば、 けしきばみ返しなど、ひこしろふべきにもあらねば、いかがとも思ひわづらはで、人びとにとり散らしなどしたれば、おのおのさし縫ひなどす。
 などとおっしゃって、主人のお召し物は、こっそりとではあるが、箱に入れて包みも格別である。御覧にならないが、以前からも、このようなお心配りは、いつものことで見慣れているので、わざとらしくお返ししたりなど、固辞すべきことでないので、どうしたものかと思案せず、女房たちに配り分けなどしたので、それぞれ縫い物などする。
 という手紙が添えられてあって、夫人の着料のものは、目だたせぬようにしてはあったが箱へ納めてあって、包みが別になっていた。大輔は中の君へこの報告はしなかったが、今までからこうした好意の贈り物を受けれていたことであって、受け取らぬなどと返すべきでなかったから、どうしたものかとも心配することもなく女房たちへ分け与えたので、その人々は縫いにかかっていた。
  nado notamahi te, go-reu no ha, sinobi-yaka nare do, hako nite tutumi mo koto nari. Go-ran-ze ne do, saki-zaki mo, kayau naru mi-kokoro sirahi ha, tune no koto nite me-nare ni tare ba, kesiki-bami kahesi nado, hikosirohu beki ni mo ara ne ba, ikaga to mo omohi waduraha de, hito-bito ni tori-tirasi nado si tare ba, ono-ono sasi-nuhi nado su.
5.4.15   若き人びとの、御前近く仕うまつるなどをぞ、 取り分きては繕ひたつべき。下仕へどもの、いたく萎えばみたりつる姿どもなどに、白き袷などにて、掲焉ならぬぞなかなかめやすかりける。
 若い女房たちで、御前近くにお仕えする者などは、特別に着飾らせるつもりなのであろう。下仕え連中が、ひどくよれよれになった姿などに、白い袷などを着て、派手でないのがかえって無難であった。
 若い女房で宮御夫婦のおそばへよく出る人はことにきれいにさせておこうとしたことだと思われる。下仕えの女中などの古くなった衣服を白のあわせに着かえさせることにしたのも目だたないことでかえって感じがよかった。
  Wakaki hito-bito no, o-mahe tikaku tukau-maturu nado wo zo, tori-waki te ha tukurohi tatu beki. Simo-dukahe-domo no, itaku nayebami tari turu sugata-domo nado ni, siroki ahase nado nite, ketien nara nu zo naka-naka meyasukari keru.
注釈458わりなしや以下「思ふべしや」まで、薫の心中。5.4.2
注釈459しひてぞ思ひ返して薫は中君を後見した当初の気持ちに無理して立ち帰ろうとする。5.4.3
注釈460さはいへどえ思し捨てざめり薫の心中の思い。匂宮は六の君と結婚しても中君を捨てないようだ、の意。5.4.3
注釈461人びとのけはひなどの以下「萎えばみたりしを」まで、薫の心中の思い。5.4.3
注釈462母宮の御方に参りたまひて薫の母女三宮のもとへ。5.4.3
注釈463よろしきまうけの以下「使ふべきこと」まで、薫の詞。5.4.4
注釈464例の立たむ月の以下「急ぎてこそせさせめ」まで、女三宮の詞。来月九月の法事の料。「例の」とは、正月・五月・九月の斎月の法事をさしていう。5.4.6
注釈465何かことことしき以下「したがひて」まで、薫の詞。5.4.8
注釈466みづからの御料中君自身の御料。5.4.9
注釈467いかにしたりけるにか語り手の疑問を差し挟んだ挿入句。5.4.9
注釈468結びける契りことなる下紐をただ一筋に恨みやはする薫から中君への贈歌。「結ぶ」「下紐」「一筋」縁語。5.4.10
注釈469大輔の君中君付きの女房。「早蕨」巻に登場。5.4.12
注釈470とりあへぬさまの以下「もて隠して」まで、薫の詞。使者に言わせたものであろう。5.4.13
注釈471御料のは中君の御料。敬語が付く。5.4.14
注釈472御覧ぜさせねど「させ」使役の助動詞。匂宮がいる折なので、大輔の君は気を利かせて中君の前に差し出さない。5.4.14
注釈473けしきばみ返しなどひこしろふべきにもあらねば『集成』は「あわててお返ししようとしたり、ごたごたすることもないので」。『完訳』は「いまさらわざとらしくお返ししたりなど、こだわるべきことでもないものだから」と訳す。5.4.14
注釈474若き人びとの『湖月抄』は「草子地にいふ也」と指摘。5.4.15
注釈475取り分きては繕ひたつべき『完訳』は「とりわけ身ぎれいにさせておくべきなのであろう」と訳す。「べし」は語り手の推量。贈り物をした薫の気持ちを忖度。5.4.15
校訂45 など など--なん(ん/$)と 5.4.5
校訂46 ならぬ ならぬ--ならす(す/#<朱>)ぬ 5.4.9
5.5
第五段 薫、中君をよく後見す


5-5  Kaoru looks after Naka-no-kimi's life very kindly

5.5.1   誰かは、何事をも後見かしづききこゆる人のあらむ。宮は、おろかならぬ御心ざしのほどにて、「よろづをいかで」と思しおきてたれど、こまかなるうちうちのことまでは、いかがは思し寄らむ。 限りもなく人にのみかしづかれてならはせたまへれば、世の中うちあはずさびしきこと、いかなるものとも知りたまはぬ、ことわりなり。
 誰が、何事をも後見申し上げる人があるだろうか。宮は、並々でない愛情で、「万事不自由がないように」とお考えおきになっているが、こまごまとした内々の事までは、どうしてお考え及ぼう。この上もなく大切にされてこられたのに馴れていらっしゃるので、生活が思うにまかせず心細いことは、どのようなものかともご存知ないのは、もっともなことである。
 この夫人のために薫以外にだれがこうした物質の補いをする者があろう、宮は夫人を愛しておいでになったから、すべて不自由のないようにと計らってはおいでになるのであるが、女房の衣服のことまではお気のおつきにならないところであった。大事がられて御自身でそうした物のことをお考えになることはなかったのであるから、貧しさはどんなに苦しいものであるともお知りにならないのは道理なことである。
  Tare kaha, nani-goto wo mo usiromi kasiduki kikoyuru hito no ara m. Miya ha, oroka nara nu mi-kokorozasi no hodo nite, "Yorodu wo ikade." to obosi-oki te tare do, komaka naru uti-uti no koto made ha, ikagaha obosi-yora m. Kagiri mo naku hito ni nomi kasiduka re te naraha se tamahe re ba, yononaka uti-aha zu sabisiki koto, ika naru mono to mo siri tamaha nu, kotowari nari.
5.5.2   艶にそぞろ寒く、花の露をもてあそびて世は過ぐすべきものと思したるほどよりは、思す人のためなれば、おのづから 折節につけつつ、まめやかなることまでも扱ひ知らせたまふこそ、ありがたくめづらかなることなめれば、「いでや」など、誹らはしげに聞こゆる御乳母などもありけり。
 風流を好みぞくぞくと、心にしみる花の露を賞美して世の中は送るべきものとお考えのこと以外は、愛する人のためなら、自然と季節季節に応じて、実際的なことまでお世話なさるのは、もったいなくもめったにないことなので、「どんなものかしら」などと、非難がましく申し上げる御乳母などもいるのであった。
 寒けをさえ覚える恰好かっこうで花の露をもてあそんでばかりこの世はいくもののように思っておいでになる宮とは違い、愛する人のためであるから、何かにつけて物質の補助を惜しまない薫の志をまれな好意としてありがたく思っている人たちであるから、宮のお気のつかないことと、気のよくつく薫とを比較してそしるようなことを言う乳母めのとなどもあった。
  En ni sozoro-samuku, hana no tuyu wo mote-asobi te yo ha sugusu beki monoto obosi taru hodo yori ha, obosu hito no tame nare ba, onodukara wori-husi ni tuke tutu, mameyaka naru koto made mo atukahi sirase tamahu koso, arigataku meduraka naru koto na' mere ba, "Ideya." nado, sosirahasige ni kikoyuru ohom-menoto nado mo ari keri.
5.5.3  童べなどの、なりあざやかならぬ、折々うち混じりなどしたるをも、女君は、いと恥づかしく、「 なかなかなる住まひにもあるかな」など、人知れずは思すこと なきにしもあらぬに、ましてこのころは、 世に響きたる御ありさまのはなやかさに、かつは、「 宮のうちの人の見思はむことも、人げなきこと」と、思し乱るることも添ひて嘆かしきを、中納言の君は、いとよく推し量りきこえたまへば、疎からむあたりには、見苦しくくだくだしかりぬべき心しらひのさまも、あなづるとはなけれど、「何かは、ことことしくしたて顔ならむも、なかなかおぼえなく見とがむる人やあらむ」と、思すなりけり。
 童女などの、身なりのぱっとしないのが、時々混じったりしているのを、女君は、たいそう恥ずかしく、「かえって立派過ぎて困ったお邸だ」などと、人知れずお思いになることがないわけでないが、まして最近は、世に鳴り響いた方のご様子の華やかさに、一方では、「宮付きの女房が見たり思ったりすることも、見すぼらしいこと」と、お悩みになることも加わって嘆かわしいのを、中納言の君は、実によくご推察申し上げなさるので、親しくない相手だったら、見苦しくごたごたするにちがいない心配りの様子も、軽蔑するというのではないが、「どうして、大げさにいかにも目につくようなのも、かえって疑う人があろうか」と、お思いになるのであった。
 童女の中には見苦しくなった姿で混じっていたりするのも目につくことがおりおりあったりして、夫人はそれを恥ずかしく思い、この住居すまいをしてかえって苦痛の多くなったようにも人知れず思うことがないでもなかったのであるのに、そしてこのごろは世の中の評判にさえなっている華美な宮の新婚後のお住居すまいの様子などを思うと、宮にお付きしている役人たちもどんなにこちらを軽蔑けいべつするであろう、貧しさを笑うであろうという煩悶はんもんを中の君がしているのを、薫が思いやって知っていたのであったから、妹でもない人の所へ、よけいな出すぎたことをすると思われるこんなことも、あなどって礼儀を失ったのではなく、目だつようにしないのは、自分に助けられている夫人の無力を思う人があってはならないと思う心から、忍んでする薫であった。
  Warahabe nado no, nari azayaka nara nu, wori-wori uti-maziri nado si taru wo mo, Womna-Gimi ha, ito hadukasiku, "Naka-naka naru sumahi ni mo aru kana!" nado, hito-sire-zu ha obosu koto naki ni simo ara nu ni, masite kono-koro ha, yo ni hibiki taru ohom-arisama no hanayakasa ni, katuha, "Miya no uti no hito no mi omoha m koto mo, hitogenaki koto." to, obosi midaruru koto mo sohi te nagekasiki wo, Tyuunagon-no-Kimi ha, ito yoku osihakari kikoye tamahe ba, utokara m atari ni ha, migurusiku kuda-kudasikari nu beki kokoro-sirahi no sama mo, anaduru to ha nakere do, "Nani-kaha, koto-kotosiku sitate-gaho nara m mo, naka-naka oboye naku mi-togamuru hito ya ara m." to, obosu nari keri.
5.5.4  今ぞまた、例のめやすきさまなるものどもなどせさせたまひて、御小袿織らせ、綾の料賜はせなどしたまひける。 この君しもぞ、宮にも劣りきこえたまはず、さま異にかしづきたてられて、かたはなるまで心おごりもし、世を思ひ澄まして、あてなる心ばへはこよなけれど、故親王の御山住みを見そめたまひしよりぞ、「さびしき所のあはれさはさま異なりけり」と、心苦しく思されて、なべての世をも思ひめぐらし、深き情けをもならひたまひにける。 いとほしの人ならはしや、とぞ
 今はまた、いつもの無難な贈り物などお整えさせなさって、御小袿を織らせ、綾の素材を下さったりなさった。この君は、宮にもお負けになさらず、特に大事に育てられて、不体裁なまでに気位高くもあり、世の中を悟り澄まして、上品な気持ちはこの上ないけれど、故親王の奥山生活を御覧になって以来、「寂しい所のお気の毒さは格別であった」と、おいたわしく思われなさって、世間一般のこともいろいろと考えるようになり、深い同情を持つようになったのであった。おかわいそうな方の影響だ、とのことである。
 この贈り物があったために、女房の身なりをととのえさせることができ、うちぎを織らせたり、あやを買い入れる費用も皆与えることができた。薫も宮に劣らず大事にかしずかれて育った人で、高い自尊心も持ち、一般の世の中から超越した貴族的な人格も持っているのであるが、宇治の八の宮の山荘へ伺うようになって以来、豊かでない家の生活の寂しさというものは想像以上のものであったと同情を覚え、その御一家だけへではなく、物質的に恵まれない人々をあまねく救うようになったのである。哀れな動機というべきである。
  Ima zo mata, rei no meyasuki sama naru mono-domo nado se sase tamahi te, ohom-koutiki ora se, aya no reu tamaha se nado si tamahi keru. Kono Kimi simo zo, Miya ni mo otori kikoye tamaha zu, sama koto ni kasiduki tate rare te, kataha naru made kokoro-ogori mo si, yo wo omohi sumasi te, ate naru kokorobahe ha koyonakere do, ko-Miko no mi-yama-zumi wo mi-some tamahi si yori zo, "Sabisiki tokoro no ahare-sa ha sama koto nari keri." to, kokoro-gurusiku obosa re te, nabete no yo wo mo omohi megurasi, hukaki nasake wo mo narahi tamahi ni keru. Itohosi no hito-narahasi ya, to zo.
注釈476誰かは何事をも以下「いとほしの人ならはしやとぞ」あたりまで、語り手の批評を交えた叙述。『集成』は「以下、薫の、実生活上の細々とした援助について、長々と説明する形で言う」と注す。5.5.1
注釈477限りもなく人にのみかしづかれてならはせたまへれば匂宮の生活についていう。5.5.1
注釈478艶にそぞろ寒く花の露をもてあそびて世は過ぐすべきもの『集成』は「風流気取りでぞくぞくと心に沁む思いに身をやつし、花に置く露の美しさを賞でて一生は送るものと、日頃お思いである宮にしては。人生に風流韻事のほかはないと考えている匂宮の人柄をいう」と注す。5.5.2
注釈479折節につけつつ『完訳』は「なかば衝動的に、訪れた時節に適した衣装をも新調するらしい。匂宮の、好色らしい処遇である」と注す。5.5.2
注釈480なかなかなる住まひにもあるかな中君の感想。『集成』は「二条の院の暮しに肩身の狭い思いをする」と注す。5.5.3
注釈481世に響きたる御ありさまの六の君をさす。5.5.3
注釈482宮のうちの人匂宮付きの女房。5.5.3
注釈483この君しもぞ『完訳』は「以下、薫の人となりと生き方。匂宮に並ぶ世間からの寵遇と、現世への懐疑的態度は、匂宮巻以来一貫している」と注す。5.5.4
注釈484いとほしの人ならはしやとぞ『一葉抄』は「草子の詞也」と指摘。『集成』は「薫にはおかわいそうな(ちと荷の重い)八の宮の感化だとか、そんなことを言う人もいるようです」。『完訳』は「語り手の評。薫に対する八の宮のいたわしい影響とか」と注す。5.5.4
校訂47 なきにしも なきにしも--なきに(に/#<朱>)にしも 5.5.3
5.6
第六段 薫と中君の、それぞれの苦悩


5-6  Kaoru and Naka-no-kimi are in agony

5.6.1  「 かくて、なほ、いかでうしろやすく大人しき人にてやみなむ」と思ふにも、したがはず、心にかかりて苦しければ、御文などを、ありしよりはこまやかにて、ともすれば、忍びあまりたるけしき見せつつ聞こえたまふを、女君、いとわびしきこと添ひたる身と思し嘆かる。
 「こうして、やはり、何とか安心で分別のある後見人として終えよう」と思うにつけても、意志とは逆に、心にかかって苦しいので、お手紙などを、以前よりはこまやかに書いて、ともすれば、抑えきれない気持ちを見せながら申し上げなさるのを、女君は、たいそうつらいことが加わった身だとお嘆きになる。
 薫はぜひとも中の君のために邪悪な恋は捨てて、清い同情者の地位にとどまろうとするのであるが、自身の心が思うにまかせず、常に恋しくばかり思われて苦しいために、手紙をもって以前よりもこまごまと書き、不用意に恋の心が出たふうに見せたような消息をよく送るようになったのを、中の君はわびしいことの添ってきた運命であると歎いていた。
  "Kakute, naho, ikade usiro-yasuku otonasiki hito nite yami na m." to omohu ni mo, sitagaha zu, kokoro ni kakari te kurusikere ba, ohom-humi nado wo, arisi yori ha komayaka ni te, tomo-sure-ba, sinobi amari taru kesiki mise tutu kikoye tamahu wo, Womna-Gimi, ito wabisiki koto sohi taru mi to obosi nageka ru.
5.6.2  「 ひとへに知らぬ人なれば、あなものぐるほしと、はしたなめさし放たむにもやすかるべきを、昔よりさま異なる頼もし人にならひ来て、今さらに仲悪しくならむも、なかなか人目悪しかるべし。さすがに、あさはかにもあらぬ御心ばへありさまの、あはれを知らぬにはあらず。さりとて、心交はし顔にあひしらはむもいとつつましく、いかがはすべからむ」
 「まったく知らない人なら、何と気違いじみていると、体裁の悪い思いをさせ放っておくのも気楽なことだが、昔から特別に信頼して来た人として、今さら仲悪くするのも、かえって人目に変だろう。そうはいってもやはり、浅くはないお気持ちやご好意の、ありがたさを分からないわけでない。そうかといって、相手の気持ちを受け入れたように振る舞うのも、まことに慎まれることだし、どうしたらよいだろう」
 まったく知らぬ人であったならば、狂気の沙汰さたとたしなめ、そうした心を退けるのが容易なことであろうが、昔から特別な後援者と信頼してきて、今さら仲たがいをするのはかえって人目を引くことになろうと思い、さすがにまた薫の愛をあわれむ心だけはあるのであっても、誘惑に引かれて相手をしているもののようにとられてはならぬ
  "Hitohe ni sira nu hito nare ba, ana mono-guruhosi to, hasitaname sasi-hanata m ni mo yasukaru beki wo, mukasi yori sama koto naru tanomosi-bito ni narahi ki te, ima sara ni naka asiku nara m mo, naka-naka hitome asikaru besi. Sasuga ni, asahaka ni mo ara nu mi-kokorobahe arisama no, ahare wo sira nu ni ha ara zu. Saritote, kokoro-kahasi-gaho ni ahi-siraha m mo ito tutumasiku, ikagaha su bekara m?"
5.6.3  と、よろづに思ひ乱れたまふ。
 と、あれこれとお悩みになる。
 とはばかられて煩悶はんもんがされた。
  to, yorodu ni omohi-midare tamahu.
5.6.4  さぶらふ人びとも、すこしものの言ふかひありぬべく若やかなるは、皆あたらし、見馴れたるとては、かの山里の古女ばらなり。思ふ心をも、同じ心になつかしく言ひあはすべき人のなきままには、故姫君を思ひ出できこえたまはぬ折なし。
 伺候する女房たちも、少し相談のしがいのあるはずの若い女房は、みな新しく、見慣れている者としては、あの山里の老女連中である。悩んでいる気持ちを、同じ立場で親しく相談できる人がいないままに、故姫君をお思い出し申し上げない時はない。
 女房たちも夫人の気持ちのわかりそうな若い人らは皆新しく京へ移った前後から来てなじみが浅く、またなじみの深い人たちといっては昔から宇治にいた老いた女房らであったから、苦しいことも左右の者にらすことができず、姉君を思い出さぬおりもなかった。
  Saburahu hito-bito mo, sukosi mono no ihukahi ari nu beku wakayaka naru ha, mina atarasi, mi-nare taru tote ha, kano yamazato no huru-womna-bara nari. Omohu kokoro wo mo, onazi kokoro ni natukasiku ihi ahasu beki hito no naki mama ni ha, ko-Hime-Gimi wo omohi-ide kikoye tamaha nu wori nasi.
5.6.5  「 おはせましかば、この人もかかる心を添へたまはましや」
 「生きていらっしゃったら、この人もこのようなお悩みをお持ちになったろうか」
 姉君さえおいでになれば中納言も自分へ恋をするようなことにはむろんならなかったはず
  "Ohase masika ba, kono hito mo kakaru kokoro wo sohe tamaha masi ya!"
5.6.6  と、いと悲しく、宮のつらくなりたまはむ嘆きよりも、このこといと苦しくおぼゆ。
 と、とても悲しく、宮が冷淡におなりになる嘆きよりも、このことがたいそう苦しく思われる。
 であると、大姫君の死が悲しく思われ、宮が二心をお持ちになり、恨めしいことも起こりそうに予想されることよりもこの中納言の恋を中の君は苦しいことに思った。
  to, ito kanasiku, Miya no turaku nari tamaha m nageki yori mo, kono koto ito kurusiku oboyu.
注釈485かくてなほいかでうしろやすく大人しき人にてやみなむ薫の中君の後見についての思い。5.6.1
注釈486ひとへに知らぬ人なれば以下「いかがはすべからむ」まで、中君の心中の思い。5.6.2
注釈487おはせましかば以下「添へたまはましやは」まで、中君の心中の思い。「ましかば--まし」反実仮想の構文。5.6.5
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月9日

Last updated 11/2/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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