49 宿木(大島本)


YADORIGI


薫君の中、大納言時代
二十四歳夏から二十六歳夏四月頃までの物語



Tale of Kaoru's Chunagon and Dainagon era, from summer at the age of 24 to April at the age of 26

3
第三章 中君の物語 匂宮と六の君の婚儀


3  Tale of Naka-no-kimi  Nio-no-miya gets married to Roku-no-kimi

3.1
第一段 匂宮と六の君の婚儀


3-1  Nio-no-miya and Roku-no-kimi's marriage ceremony

3.1.1  右の大殿には、 六条院の東の御殿磨きしつらひて、限りなくよろづを整へて待ちきこえたまふに、 十六日の月やうやうさし上がるまで心もとなければ、 いとしも御心に入らぬことにて、いかならむと、やすからず思ほして、案内したまへば、
 右の大殿邸では、六条院の東の御殿を磨き飾って、この上なく万事を整えてお待ち申し上げなさるが、十六日の月がだんだん高く昇るまで見えないので、たいしてお気に入りでもない結婚なので、どうなのだろうと、ご心配になって、様子を探って御覧になると、
 左大臣家では東の御殿をみがくようにもして設備しつらい婿君を迎えるのに遺憾なくととのえて兵部卿ひょうぶきょうの宮をお待ちしているのであったが、十六夜いざよいの月がだいぶ高くなるまでおいでにならぬため、非常にお気が進まないらしいのであるから将来もどうなることかと不安を覚えながらも使いを出してみると、
  Migi-no-Ohoidono ni ha, Rokudeu-no-win no himgasi no otodo migaki siturahi te, kagirinaku yorodu wo totonohe te mati kikoye tamahu ni, isayohi-no-tuki yau-yau sasi-agaru made kokoro-motonakere ba, ito simo mi-kokoro ni ira nu koto nite, ika nara m to, yasukara zu omohosi te, anai-si tamahe ba,
3.1.2  「 この夕つ方、内裏より出でたまひて、二条院になむおはしますなる」
 「この夕方、宮中から退出なさって、二条院にいらっしゃるという」
 夕方に御所をお出になって二条の院においでになる
  "Kono yuhu-tu-kata, Uti yori ide tamahi te, Nideu-no-win ni nam ohasimasu naru."
3.1.3  と、人申す。思す人持たまへればと、心やましけれど、 今宵過ぎむも人笑へなるべければ、御子の 頭中将して聞こえたまへり。
 と、人が申す。お気に入りの人がおありなのでと、おもしろくないけれども、今夜が過ぎてしまうのも物笑いになるだろうから、ご子息の頭中将を使いとして申し上げなさった。
 というしらせがもたらされた。愛する人を持っておいでになるのであるからと不快に大臣は思ったが、今夜に済まさねば世間体も悪いと思い、息子むすことうの中将を使いとして次の歌をお贈りするのであった。
  to, hito mausu. Obosu hito mo' tamahe re ba to, kokoro-yamasikere do, koyohi sugi m mo hito-warahe naru bekere ba, Miko no Tou-no-Tyuuzyau si te kikoye tamahe ri.
3.1.4  「 大空の月だに宿るわが宿に
 「大空の月でさえ宿るわたしの邸にお待ちする
  大空の月だに宿るわが宿に待つ
    "Oho-zora no tuki dani yadoru waga yado ni
3.1.5   待つ宵過ぎて見えぬ君かな
  宵が過ぎてもまだお見えにならないあなたですね
  よひ過ぎて見えぬ君かな
    matu yohi sugi te miye nu Kimi kana
3.1.6  宮は、「 なかなか今なむとも見えじ、心苦し」と思して、内裏におはしけるを、御文聞こえたまへりけり。 御返りやいかがありけむ、なほいとあはれに思されければ、 忍びて渡りたまへりけるなりけり。らうたげなるありさまを、見捨てて出づべき心地もせず、いとほしければ、 よろづに契り慰めて、もろともに月を眺めておはするほどなりけり
 宮は、「かえって今日が結婚式だと知らせまい、お気の毒だ」とお思いになって、内裏にいらっしゃった。お手紙を差し上げたお返事はどうあったのだろうか、やはりとてもかわいそうに思われなさったので、こっそりとお渡りになったのであった。かわいらしい様子を、見捨ててお出かけになる気もせず、いとおしいので、いろいろと将来を約束し慰めて、ご一緒に月を眺めていらっしゃるところであった。
 宮はこの日に新婚する自分を目前に見せたくない、あまりにそれは残酷であると思召おぼしめして御所においでになったのであるが、手紙を中の君へおやりになった、その返事がどんなものであったのか、宮が深くお動かされになって、そっとまた二条の院へおはいりになったのである。可憐かれんな夫人を見て出かけるお気持ちにはならず、気の毒に思召す心からいろいろに将来の長い誓いをさせるのであるが、中の君の慰まない様子をお知りになり、誘うていっしょに月をながめておいでになる時に使いの頭中将は二条の院へ着いたのである。
  Miya ha, "Naka-naka ima nam to mo miye zi, kokoro-gurusi." to obosi te, Uti ni ohasi keru wo, ohom-humi kikoye tamahe ri keri. Ohom-kaheri ya ikaga ari kem, naho ito ahare ni obosa re kere ba, sinobi te watari tamahe ri keru nari keri. Rautage naru arisama wo, mi-sute te idu beki kokoti mo se zu, itohosikere ba, yorodu ni tigiri nagusame te, morotomoni tuki wo nagame te ohasuru hodo nari keri.
3.1.7  女君は、日ごろもよろづに思ふこと多かれど、いかでけしきに出ださじと念じ返しつつ、つれなく覚ましたまふことなれば、ことに聞きもとどめぬさまに、おほどかにもてなしておはするけしき、いとあはれなり。
 女君は、日頃もいろいろとお悩みになることが多かったが、何とかして表情に表すまいと我慢なさっては、さりげなく心静めていらっしゃることなので、特にお耳に入れないふうに、おっとりと振る舞っていらっしゃる様子は、まことにおいたわしい。
 夫人は今までも煩悶はんもんは多くしてきたが、外へは出して見せまいとおさえきってきていて、素知らぬふうを作っていたのであるから、今夜に何事があるかも聞かずおおようにしているのを哀れにお思いになる宮であった。
  Womna-Gimi ha, higoro mo yorodu ni omohu koto ohokare do, ikade kesiki ni idasa zi to nen-zi kahesi tutu, turenaku samasi tamahu koto nare ba, koto ni kiki mo todome nu sama ni, ohodoka ni motenasi te ohasuru kesiki, ito ahare nari.
3.1.8  中将の参りたまへるを聞きたまひて、さすがにかれもいとほしければ、出でたまはむとて、
 中将が参上なさったのをお聞きになって、そうはいってもあちらもお気の毒なので、お出かけになろうとして、
 頭中将の来たのをお聞きになると、さすがに宮はあちらの人もかわいそうにお思われになり、お出かけになろうとして、
  Tyuuzyau no mawiri tamahe ru wo kiki tamahi te, sasuga ni kare mo itohosikere ba, ide tamaha m tote,
3.1.9  「 今、いと疾く参り来む一人月な見たまひそ心そらなればいと苦しき」
 「今、直ぐに帰って来ます。独りで月を御覧なさいますな。上の空の思いでとても辛い」
 「すぐ帰って来ます。一人で月を見ていてはいけませんよ。気の張り切っていない時などには危険で心配だから」
  "Ima, ito toku mawiri ko m. Hitori tuki na mi tamahi so. Kokoro sora nare ba ito kurusiki."
3.1.10  と聞こえ おきたまひて、なほかたはらいたければ、隠れの方より寝殿へ渡りたまふ、御うしろでを見送るに、ともかくも思はねど、ただ 枕の浮きぬべき心地すれば、「 心憂きものは人の心なりけり」と、我ながら思ひ知らる。
 と申し上げおきなさって、やはり見ていられないので、物蔭を通って寝殿へお渡りになる、その後ろ姿を見送るにつけ、あれこれ思わないが、ただ枕が浮いてしまいそうな気がするので、「嫌なものは人の心であった」と、自分のことながら思い知られる。
 とお言いになり、きまりの悪いお気持ちで隠れた廊下から寝殿へお行きになった。お後ろ姿を見送りながら中の君はまくらも浮き上がるほどな涙の流れるのをみずから恥じた。恨めしい宮に愛情を覚えるのは恥ずかしいことであるとしていたのに、いつかそのほうへ自分は引かれていって、恨みの起こるのもそれがさせるのであると悟ったのである。
  to kikoye-oki tamahi te, naho kataharaitakere ba, kakure no kata yori sinden he watari tamahu, ohom-usirode wo mi-okuru ni, tomo-kakumo omoha ne do, tada makura no uki nu beki kokoti sure ba, "Kokoro-uki mono ha hito no kokoro nari keri." to, ware nagara omohi-sira ru.
注釈191六条院の東の御殿六の君は花散里の養女となって夏の御殿に住んでいる。3.1.1
注釈192十六日の月月の出が遅くなる。匂宮を待つ心に重ね合わせた設定。3.1.1
注釈193いとしも以下「いかならむ」まで、夕霧の心中。3.1.1
注釈194この夕つ方以下「おはしますなる」まで、使者の報告。3.1.2
注釈195今宵過ぎむも人笑へなるべければ十六日の今宵が婚儀の日。世間周知のこと。3.1.3
注釈196頭中将六の君と同じく藤典侍腹。3.1.3
注釈197大空の月だに宿るわが宿に待つ宵過ぎて見えぬ君かな夕霧から匂宮への贈歌。『花鳥余情』は「大空の月だに宿にいるものを雲のよそにも過ぐる君かな」(元良親王御集)を指摘。3.1.4
注釈198なかなか今なむとも見えじ心苦し匂宮の心中。中君に今宵が結婚の日だとはなまじ知らせまい、気の毒だ、という気持ち。3.1.6
注釈199御返りやいかがありけむ中君の心中を推測する語り手の挿入句。『一葉抄』は「内より匂宮の中君へまいらせられし御返事也いかゝありけんとおほくと書なせり面白云々」と指摘。『完訳』は「彼女の苦悩を想像させる語り手の推測」と注す。3.1.6
注釈200忍びて渡りたまへりけるなりけり匂宮が二条院に。当初は内裏から六条院へ直接出向く予定でいた。以下「--なりけり」という語り方。3.1.6
注釈201よろづに契り慰めてもろともに月を眺めておはするほどなりけり『湖月抄』は「我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」(古今集雑上、八七八、読人しらず)を指摘する。3.1.6
注釈202今いと疾く参り来む以下「いと苦しき」まで、匂宮の中君への詞。3.1.9
注釈203一人月な見たまひそ『孟津抄』は「大方は月をもめでじこれぞこの積もれば人の老いとなるもの」(古今集雑上、八七九、在原業平)、『岷江入楚』は「独り寝のわびしきままに起きゐつつ月をあはれと忌みぞかねつる」(後撰集恋二、六八四、読人しらず)を指摘。また『岷江入楚』は「月明に対して往時を思ふこと莫かれ君が顔色を損じ君が年を減ぜん」(白氏文集巻十四、贈内)を指摘。3.1.9
注釈204心そらなれば『全書』は「たもとほり行箕の里に妹を置きて心空なり土は踏めども」(万葉集巻十一)を指摘。3.1.9
注釈205枕の浮きぬべき心地『花鳥余情』は「涙川水まさればやしきたへの枕浮きて止まらざるらむ」(拾遺集雑恋、一二五八、読人しらず)、『源注拾遺』は「独り寝の床に溜れる涙には石の枕も浮きぬべらなり」(古今六帖五、枕)を指摘。3.1.10
注釈206心憂きものは人の心なりけり中君の心中。3.1.10
出典14 大空の月だに宿る 大空の月だに宿は入るものを雲のよそにも過ぐる君かな 元良親王集-一五〇 3.1.4
出典15 枕の浮きぬべき心地 涙川水増さればやしきたへの枕の浮きて止まらざるらむ 拾遺集雑恋-一二五八 読人しらず 3.1.10
校訂19 おきたまひて おきたまひて--をきて(て/#)給て 3.1.10
3.2
第二段 中君の不安な心境


3-2  Naka-no-kimi's uneasy mind

3.2.1  「 幼きほどより心細くあはれなる身どもにて、世の中を思ひとどめたるさまにもおはせざりし人一所を頼みきこえさせて、さる山里に年経しかど、いつとなくつれづれにすごくありながら、いとかく心にしみて世を憂きものとも思はざりしに、うち続きあさましき御ことどもを思ひしほどは、世にまたとまりて片時経べくもおぼえず、恋しく悲しきことのたぐひあらじと思ひしを、命長くて今までもながらふれば、人の思ひたりしほどよりは、 人にもなるやうなるありさまを、長かるべきこととは思はねど、見る限りは憎げなき御心ばへもてなしなるに、やうやう思ふこと薄らぎてありつるを、この 折ふしの身の憂さはた、言はむ方なく、限りとおぼゆるわざなりけり。
 「幼いころから心細く哀れな姉妹で、世の中に執着などお持ちでなかった父宮お一方をお頼り申し上げて、あのような山里に何年も過ごしてきたが、いつとなく所在なく寂しい生活ではあったが、とてもこのように心にしみてこの世が嫌なものだと思わなかったが、引き続いて思いがけない肉親の死に遭って悲しんだ時は、この世にまた生き遺って片時も生き続けようとは思えず、悲しく恋しいことの例はあるまいと思ったが、命長く今まで生き永らえていたので、皆が思っていたほどよりは、人並みになったような有様が、長く続くこととは思わないが、一緒にいる限りは憎めないご愛情やお扱いであるが、だんだんと悩むことが薄らいできていたが、この度の身のつらさは、言いようもなく、最後だと思われることであった。
 幼い日から母のない娘で、この世をお愛しにもならぬ父宮を唯一の頼みにしてあの寂しい宇治の山荘に長くいたのであるが、いつとなくそれにもれ、徒然つれづれさは覚えながらも、今ほど身にしむ悲しいものとは山荘時代の自分は世の中を知らなかった。父宮と姉君に死に別れたあとでは片時も生きていられないように故人を恋しく悲しく思っていたが、命は失われずあって、軽蔑けいべつした人たちが思ったよりも幸福そうな日が長く続くものとは思われなかったが、自分に対する宮の態度に御誠実さも見え、正妻としてお扱いになるのによって、ようやく物思いも薄らいできていたのであるが、今度の新しい御結婚のうわさが事実になってくるにしたがい、過去にも知らなんだ苦しみに身を浸すこととなった、もう宮と自分との間はこれで終わったと思われる、
  "Wosanaki hodo yori kokoro-bosoku ahare naru mi-domo nite, yononaka wo omohi todome taru sama ni mo ohase zari si hito hito-tokoro wo tanomi kikoye sase te, saru yama-zato ni tosi he sika do, itu to naku ture-dure ni sugoku ari nagara, ito kaku kokoro ni simi te yo wo uki mono tomo omoha zari si ni, uti-tuduki asamasiki ohom-koto-domo wo omohi si hodo ha, yo ni mata tomari te kata-toki hu beku mo oboye zu, kohisiku kanasiki koto no taguhi ara zi to omohi si wo, inoti nagaku te ima made mo nagarahure ba, hito no omohi tari si hodo yori ha, hito ni mo naru yau naru arisama wo, nagakaru beki koto ha omoha ne do, miru kagiri ha nikuge naki mi-kokoro-bahe motenasi naru ni, yau-yau omohu koto usuragi te ari turu wo, kono wori-husi no mi no usa hata, ihamkatanaku, kagiri to oboyuru waza nari keri.
3.2.2  ひたすら世になくなりたまひにし人びとよりは、さりともこれは、 時々もなどかは、とも思ふべきを、今宵かく見捨てて出でたまふつらさ、来し方行く先、皆かき乱り心細くいみじきが、わが心ながら思ひやる方なく、心憂くもあるかな。 おのづからながらへば
 跡形もなくすっかりお亡くなりになってしまった方々よりは、いくらなんでも、宮とは時々でも何でお会いできないことがないだろうかと思ってもよいのだが、今夜このように見捨ててお出かけになるつらさが、過去も未来も、すべて分からなくなって、心細く悲しいのが、自分の心ながらも晴らしようもなく、嫌なことだわ。自然と生き永らえていればまた」
 人の死んだ場合とは違って、どんなに新夫人をお愛しになるにもせよ、時々はおいでになることがあろうと思ってよいはずであるが、今夜こうして寂しい自分を置いてお行きになるのを見た刹那せつなから、過去も未来も真暗まっくらなような気がして心細く、何を思うこともできない、自分ながらあまりに狭量であるのが情けない、生きていればまた悲観しているようなことばかりでもあるまい
  Hitasura yo ni nakunari tamahi ni si hito-bito yori ha, saritomo kore ha, toki-doki mo nadokaha, to mo omohu beki wo, koyohi kaku mi-sute te ide tamahu turasa, kisi-kata yuku-saki, mina kaki-midari kokoro-bosoku imiziki ga, waga kokoro nagara omohi-yaru kata naku, kokoro-uku mo aru kana! Onodukara nagarahe ba."
3.2.3  など慰めむことを思ふに、さらに 姨捨山の月澄み昇りて、夜更くるままによろづ思ひ乱れたまふ。松風の吹き来る音も、荒ましかりし山おろしに思ひ比ぶれば、いとのどかになつかしく、めやすき御住まひなれど、今宵はさもおぼえず、 椎の葉の音には劣りて思ほゆ
 などと慰めることを思うと、さらに姨捨山の月が澄み昇って、夜が更けて行くにつれて千々に心が乱れなさる。松風が吹いて来る音も、荒々しかった山下ろしに思い比べると、とてものんびりとやさしく、感じのよいお住まいであるが、今夜はそのようには思われず、椎の葉の音には劣った感じがする。
 などと、みずから慰めようと中の君はするのであるが、姨捨山おばすてやまの月(わが心慰めかねつ更科さらしなや姨捨山に照る月を見て)ばかりが澄みのぼって夜がふけるにしたがい煩悶はんもんは加わっていった。松風の音も荒かった山おろしに比べれば穏やかでよい住居すまいとしているようには今夜は思われずに、山のしいの葉の音に劣ったように中の君は思うのであった。
  nado, nagusame m koto wo omohu ni, sarani Wobasute-yama no tuki sumi nobori te, yo hukuru mama ni yorodu omohi midare tamahu. Matukaze no huki kuru oto mo, aramasikari si yamaorosi ni omohi-kurabure ba, ito nodoka ni natukasiku, meyasuki ohom-sumahi nare do, koyohi ha samo oboye zu, sihi no ha no oto ni ha otori te omohoyu.
3.2.4  「 山里の松の蔭にもかくばかり
 「山里の松の蔭でもこれほどに
  山里の松のかげにもかくばかり
    "Yamazato no matu no kage ni mo kaku bakari
3.2.5   身にしむ秋の風はなかりき
  身にこたえる秋の風は経験しなかった
  身にしむ秋の風はなかりき
    mi ni simu aki no kaze ha nakari ki
3.2.6   来し方忘れにけるにやあらむ
 過去のつらかったことを忘れたのであろうか。
 過去の悲しい夢は忘れたのであろうか。
  Kisi-kata wasure ni keru ni ya ara m?
3.2.7  老い人どもなど、
 老女連中などは、
 老いた女房などが、
  Oyi-bito-domo nado,
3.2.8  「 今は、入らせたまひね月見るは忌みはべるものを。あさましく、はかなき御くだものをだに御覧じ入れねば、いかにならせたまはむ」と。「あな、見苦しや。ゆゆしう思ひ出でらるることもはべるを、いとこそわりなく」
 「もう、お入りなさいませ。月を見ることは忌むと言いますから。あきれてまあ、ちょっとした果物でさえお見向きもなさらないので、どのようにおなりあそばすのでしょう」と。「ああ、見苦しいこと。不吉にも思い出されることがございますが、まことに困ったこと」
 「もうおはいりあそばせ、月を長く見ますことはよくないことだと申しますのに。それにこの節ではちょっとしましたお菓子すら召し上がらないのですから、こんなことでどうおなりになりますでしょう。よくございません。以前の悲しいことも私どもにお思い出させになりますのは困ります。おはいりあそばせ」
  "Ima ha, ira se tamahi ne. Tuki miru ha imi haberu mono wo. Asamasiku, hakanaki ohom-kudamono wo dani go-ran-zi ire ne ba, ikani nara se tamaha m." to, "Ana, mi-gurusi ya! Yuyusiu omohi-ide raruru koto mo haberu wo, ito koso wari naku."
3.2.9  とうち嘆きて、
 と溜息をついて、
 こんなことを言う。若い女房らは情けない世の中であると歎息をして、
  to uti-nageki te,
3.2.10  「 いで、この御ことよ。さりとも、かうておろかには、よもなり果てさせたまはじ。さいへど、もとの心ざし深く思ひそめつる仲は、名残なからぬものぞ」
 「いえね、今度の殿の事ですよ。いくらなんでも、このままいい加減なお扱いで終わることはなされますまい。そうは言っても、もともと深い愛情で結ばれた仲は、すっかり切れてしまうものでございません」
 「宮様の新しい御結婚のこと、ほんとうにいやですね。けれどこの奥様をお捨てあそばすことにはならないでしょう。どんな新しい奥様をお持ちになっても、初めに深くお愛しになった方に対しては情けの残るものだと言いますからね」
  "Ide, kono ohom-koto yo! Saritomo, kau te oroka ni ha, yo mo nari-hate sase tamaha zi. Sa ihe do, moto no kokorozasi hukaku omohi-some turu naka ha, nagori nakara nu mono zo."
3.2.11  など言ひあへるも、さまざまに聞きにくく、「 今は、いかにもいかにもかけて言はざらなむ、ただにこそ見め」と思さるるは、 人には言はせじ、我一人怨みきこえむとにやあらむ。「 いでや、中納言殿の、さばかりあはれなる御心深さを」など、そのかみの人びとは言ひあはせて、「 人の御宿世のあやしかりけることよ」と言ひあへり。
 などと言い合っているのも、あれこれと聞きにくくて、「今はもう、どうあろうとも口に出して言うまい、ただ黙って見ていよう」とお思いなさるのは、人には言わせないで、自分独りお恨み申そうというのであろうか。「いえね、中納言殿が、あれほど親身なご親切でしたのに」などと、その当時からの女房たちは言い合って、「人のご運命のあやにくなことよ」と言い合っていた。
 などと言っているのも中の君の耳にはいってくる。見苦しいことである、もうどんなことになっても何とも自分からは言うまい、知らぬふうでいようとこの人が思っているというのは、人には批評をさせまい、自身一人で宮をお恨みしようと思うのであるかもしれない。「そうじゃありませんか、宮様に比べてあの中納言様の情のお深さ」とも老いた女は言い、「あの方の奥様になっておいでにならないで、こちらの奥様におなりになったというのも不可解な運命というものですね」こんなこともささやき合っていたのである。
  nado ihi-ahe ru mo, sama-zama ni kiki nikuku, "Ima ha, ikani mo ikani mo kake-te iha zara nam, tada ni koso mi me." to obosa ruru ha, hito ni ha iha se zi, ware hitori urami kikoye m to ni ya ara m? "Ideya, Tyuunagon-dono no, sa-bakari ahare naru mi-kokoro-hukasa wo." nado, sono-kami no hito-bito ha ihi-ahase te, "Hito no ohom-sukuse no ayasikari keru koto yo!" to ihi-ahe ri.
注釈207幼きほどより以下「おのづからながらへば」まで、中君の心中。3.2.1
注釈208人にもなるやうなるありさま皇族として人並みの生活。匂宮の夫人として二条院に迎えられた現在の境遇。3.2.1
注釈209時々もなどかは反語表現。下に「逢へざらむ」などの語句が省略。逢えないことはない、の意。3.2.2
注釈210おのづからながらへば『集成』は「そのうちまた、匂宮との間もうまくゆくようになるかもしれない、という気持」と注す。3.2.2
注釈211姨捨山の月澄み昇り『源氏釈』は「我が心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」(古今集雑上、八七八、読人しらず)を指摘。3.2.3
注釈212椎の葉の音には劣りて思ほゆ『集成』は「椎は、歌の世界で、山里暮しの象徴的景物だったと思われるが、古い歌の例に逢着しない」と注す。3.2.3
注釈213山里の松の蔭にもかくばかり身にしむ秋の風はなかりき中君の独詠歌。「秋」に「飽き」を響かせる。『完訳』は「秋風に寄せる絶望的な心の歌」と注す。3.2.4
注釈214来し方忘れにけるにやあらむ『明星抄』は「歌を釈したるなり」と指摘。『集成』は「中の君の心事を批評する形の草子地」。『完訳』は「語り手の評。宇治の山里のわびしさを忘れたかとするが、逆に歌の荒涼の心象風景が際だつ」と注す。3.2.6
注釈215今は入らせたまひね以下「わりなけれ」まで、老女房の詞。3.2.8
注釈216いでこの御ことよ以下「なからぬものぞ」まで、女房の詞。3.2.10
注釈217今はいかにも以下「ただにこそ見め」まで、中君の心中の思い。3.2.11
注釈218人には言はせじ我一人怨みきこえむとにやあらむ『細流抄』は「草子地也」と指摘。『集成』は「これも中の君の心中を忖度する形の草子地」。『完訳』は「以下、中の君の真意を忖度する語り手の言辞。自分ひとりだけで匂宮を恨もうとのつもりか」と注す。3.2.11
注釈219いでや中納言殿の以下「御心深さを」まで、女房の詞。3.2.11
注釈220人の御宿世のあやしかりけることよ女房の詞。3.2.11
出典16 姨捨山の月澄み昇り 我が心慰めかねつ更級や姥捨山に照る月を見て 古今集雑上-八七八 読人しらず 3.2.3
出典17 椎の葉の音 優婆塞が行ふ山の椎本あなそばそばし床にしあらねば 宇津保物語-二一二 3.2.3
出典18 月見るは忌み 独り寝の侘しきままに起きゐつつ月をあはれと忌みぞかねつる 後撰集恋二-六八四 読人しらず 3.2.8
校訂20 折ふし 折ふし--(/+おり)ふし 3.2.1
3.3
第三段 匂宮、六の君に後朝の文を書く


3-3  Nio-no-miya sends a letter to Roku-no-kimi after the first night of marriage

3.3.1  宮は、いと心苦しく思しながら、今めかしき御心は、 いかでめでたきさまに待ち思はれむと、心懸想して、えならず薫きしめたまへる御けはひ、言はむ方なし。待ちつけきこえたまへる所のありさまも、いとをかしかりけり。 人のほど、ささやかにあえかになどはあらで、よきほどになりあひたる心地したまへるを、
 宮は、たいそうお気の毒にお思いになりながら、派手好きなご性格は、何とか立派な婿殿と期待されようと、気取って、何ともいえず素晴らしい香をたきしめなさったご様子は、申し分がない。お待ち申し上げていらっしゃるところの様子も、まことに素晴らしかった。身体つきは、小柄で華奢といったふうではなく、ちょうどよいほどに成人していらっしゃるのを、
 宮は中の君を心苦しく思召おぼしめしながらも、新しい人に興味を次々お持ちになる御性質なのであるから、先方に喜ばれるほどに美しく装っていきたいお心から、薫香くんこうを多くたきしめてお出かけになった姿は、寸分のすきもないお若い貴人でおありになった。六条院の東御殿もまた華麗であった。小柄な華奢きゃしゃな姫君というのではなく、よいほどな体格をした新婦であったから、
  Miya ha, ito kokoro-gurusiku obosi nagara, imamekasiki mi-kokoro ha, ikade medetaki sama ni mati omoha re m to, kokoro-gesau si te, e nara zu taki sime tamahe ru ohom-kehahi, ihamkatanasi. Mati tuke kikoye tamahe ru tokoro no arisama mo, ito wokasikari keri. Hito no hodo, sasayaka ni ayeka ni nado ha ara de, yoki hodo ni nari ahi taru kokoti si tamahe ru wo,
3.3.2  「 いかならむ。ものものしくあざやぎて、心ばへもたをやかなる方はなく、ものほこりかになどやあらむ。さらばこそ、うたてあるべけれ」
 「どんなものかしら。もったいぶって気が強くて、気立ても柔らかいところがなく、何となく高慢な感じであろうか。それであったら、嫌な感じがするだろう」
 どんな人であろう、たいそうに美人がった柔らかみのない、自尊心の強いような女ではなかろうか、そんな妻であったならいやになるであろうと、
  "Ika nara m? Mono-monosiku azayagi te, kokorobahe mo tawoyaka naru kata ha naku, mono hokorika ni nado ya ara m? Saraba koso, utate aru bekere."
3.3.3  などは思せど、さやなる御けはひにはあらぬにや、御心ざしおろかなるべくも思されざりけり。 秋の夜なれど、更けにしかば にや、ほどなく明けぬ。
 などとお思いになるが、そのようなご様子ではないのであろうか、ご執心はいい加減にはお思いなされなかった。秋の夜だが、更けてから行かれたからであろうか、まもなく明けてしまった。
 こんなことを最初はお思いになったのであるが、そうではないらしくお感じになったのか愛をお持ちになることができた。秋の長夜ではあったが、おそくおいでになったせいでまもなく明けていった。
  nado ha obose do, sayau naru ohom-kehahi ni ha ara nu ni ya, mi-kokorozasi oroka naru beku mo obosa re zari keri. Aki no yo nare do, huke ni sika ba ni ya, hodo naku ake nu.
3.3.4   帰りたまひても、対へはふともえ渡りたまはず、しばし大殿籠もりて、起きてぞ 御文書きたまふ。
 お帰りになっても、対の屋へはすぐにはお渡りなることができず、しばらくお寝みになって、起きてからお手紙をお書きになる。
 兵部卿の宮はお帰りになってもすぐに西の対へおいでになれなかった。しばらく御自身のお居間でおやすみになってから起きて新夫人のふみをお書きになった。
  Kaheri tamahi te mo, tai he ha huto mo e watari tamaha zu, sibasi ohotono-gomori te, oki te zo ohom-humi kaki tamahu.
3.3.5  「 御けしきけしうはあらぬなめり
 「ご様子は悪くはないようだわ」
 あの御様子ではお気に入らないのでもなかったらしい
  "Mi-kesiki kesiu ha ara nu na' meri."
3.3.6  と、御前なる人びとつきじろふ。
 と御前の人びとがつつき合う。
 などと女房たちは陰口かげぐちをしていた。
  to, o-mahe naru hito-bito tukizirohu.
3.3.7  「 対の御方こそ心苦しけれ。天下にあまねき御心なりとも、おのづからけおさるることもありなむかし」
 「対の御方はお気の毒だわ。どんなに広いお心であっても、自然と圧倒されることがきっとあるでしょう」
 「対の奥様がお気の毒ですね。どんなに大きな愛を宮様が持っておいでになっても、自然気押けおされることも起こるでしょうからね」
  "Tai-no-Ohomkata koso kokoro-gurusikere. Tenka ni amaneki mi-kokoro nari tomo, onodukara ke-osaruru koto mo ari na m kasi."
3.3.8  など、ただにしもあらず、 皆馴れ仕うまつりたる人びとなれば、やすからずうち言ふどももありて、すべて、 なほねたげなるわざにぞありける。「 御返りも、こなたにてこそは」と思せど、「 夜のほどおぼつかなさも、常の隔てよりはいかが」と、心苦しければ、 急ぎ渡りたまふ
 などと、平気でいられず、みな親しくお仕えしている人びとなので、穏やかならず言う者もいて、総じて、やはり妬ましいことであった。「お返事も、こちらで」とお思いになったが、「夜の間の気がかりさも、いつものご無沙汰よりもどんなものか」と、気にかかるので、急いでお渡りになる。
 ただの主従でない関係も宮との間に持っている人が多かったから、ここでも嫉妬しっとの気はかもされているのである。あちらからの返事をここで見てからと宮は思っておいでになったのであるが、別れて明かしたのもただの夜でないのであるから、どんなに寂しく思っていることであろうと、中の君がお気にかかってそのまま西の対へおいでになった。
  nado, tada ni simo ara zu, mina nare tukau-maturi taru hito-bito nare ba, yasukara zu uti-ihu-domo mo ari te, subete, naho netage naru waza ni zo ari keru. "Ohom-kaheri mo, konata nite koso ha." to obose do, "Yo no hodo obotukanasa mo, tune no hedate yori ha ikaga?" to, kokoro-kurusikere ba, isogi watari tamahu.
3.3.9   寝くたれの御容貌、いとめでたく見所ありて、入りたまへるに、臥したるもうたてあれば、すこし起き上がりておはするに、 うち赤みたまへる顔の匂ひなど、今朝しもことにをかしげさまさりて見えたまふに、あいなく涙ぐまれて、しばしうちまもりきこえたまふを、恥づかしく思してうつ臥したまへる、髪のかかり、髪ざしなど、なほいとありがたげなり。
 寝起き姿のご容貌が、たいそう立派で見所があって、お入りになったので、臥せっているのも嫌なので、少し起き上がっていらっしゃると、ちょっと赤らんでいらっしゃる顔の美しさなどが、今朝は特にいつもより格別に美しさが増してお見えになるので、無性に涙ぐまれて、暫くの間じっとお見つめ申していらっしゃると、恥ずかしくお思いになってうつ伏せなさっている、髪のかかり具合、かっこうなどが、やはりまことに見事である。
 まだ夜のまま繕われていない夫人の顔が非常に美しく心をくところがあって、宮のおいでになったことを知りつつ寝たままでいるのも、反感をお招きすることであるからと思い、少し起き上がっている顔の赤みのさした色などが、今朝けさは特別にまたきれいに見えるのであった。何のわけもなく宮は涙ぐんでおしまいになって、しばらく見守っておいでになるのを、中の君は恥ずかしく思って顔を伏せた。そうされてまた、髪の掛かりよう、はえようなどにたぐいもない美を宮はお感じになった。
  Nekutare no ohom-katati, ito medetaku mi-dokoro ari te, iri tamahe ru ni, husi taru mo utate are ba, sukosi okiagari te ohasuru ni, uti-akami tamahe ru kaho no nihohi nado, kesa simo koto ni wokasige-sa masari te miye tamahu ni, ainaku namida-guma re te, sibasi uti-mamori kikoye tamahu wo, hadukasiku obosi te utubusi tamahe ru, kami no kakari, kamzasi nado, naho ito arigatage nari.
3.3.10  宮も、なまはしたなきに、 こまやかなることなどは、ふともえ言ひ出でたまはぬ 面隠しにや
 宮も、何か体裁悪いので、こまごまとしたことなどは、ちっともおっしゃらない照れ隠しであろうか、
 きまりの悪さに愛の言葉などはちょっと口へ出ず、なにげないふうに紛らして、
  Miya mo, nama-hasitanaki ni, komayaka naru koto nado ha, huto mo e ihi-ide tamaha nu omo-gakusi ni ya,
3.3.11  「 などかくのみ悩ましげなる御けしきならむ。暑きほどのこととか、のたまひしかば、 いつしかと涼しきほど待ち出でたるもなほはればれしからぬは、見苦しきわざかな。さまざまにせさすることも、あやしく験なき心地こそすれ。さはありとも、修法はまた延べてこそはよからめ。験あらむ僧もがな。 なにがし僧都をぞ、夜居にさぶらはすべかりける」
 「どうしてこうしてばかり苦しそうなご様子なのでしょう。暑いころのゆえとか、おっしゃっていたので、早く涼しいころになればと待っていたのに、依然として気分が良くならないのは、困ったことですわ。いろいろとさせていたことも、不思議に効果がない気がする。そうはいっても、修法はまた延長してよいだろう。効験のある僧はいないだろうか。何某僧都を、夜居に伺候させればよかった」
 「どうしてこんなに苦しそうにばかり見えるのだろう。暑さのせいだとあなたは言っていたからやっと涼しくなって、もういいころだと思っているのに、晴れ晴れしくないのはいけないことですね。いろいろ祈祷きとうなどをさせていても効験しるしの見えない気がする。それでも祈祷はもう少し延ばすほうがいいね。効験をよく見せる僧がほしいものだ、何々僧都そうず夜居よいにしてあなたにつけておくのだった」
  "Nado kaku nomi nayamasige naru mi-kesiki nara m. Atuki hodo no koto to ka, notamahi sika ba, itusika to suzusiki hodo mati-ide taru mo, naho hare-baresikara nu ha, mi-gurusiki waza kana! Sama-zama ni se sasuru koto mo, ayasiku sirusi naki kokoti koso sure. Saha ari tomo, syuhohu ha mata nobe te koso ha yokara me. Sirusi ara m sou mo gana! Nanigasi-Soudu wo zo, yowi ni saburaha su bekari keru."
3.3.12  など、やうなるまめごとを のたまへば、かかる方にも言よきは、心づきなくおぼえたまへど、むげにいらへきこえざらむも例ならねば、
 など、といったような実際的なことをおっしゃるので、このような方面でも調子のよい話は、気にくわなく思われなさるが、全然お返事申し上げないのもいつもと違うので、
 というようなまじめらしい話をされるのにもお口じょうずなのがうとましく思われる中の君でもあったが、何もお返辞をしないのは平生に違ったことと思われるであろうとはばかって、
  nado, yau naru mame-goto wo notamahe ba, kakaru kata ni mo koto yoki ha, kokoro-duki-naku oboye tamahe do, muge ni irahe kikoye zara m mo rei nara ne ba,
3.3.13  「 昔も、人に似ぬありさまにて、かやうなる折はありしかど、おのづからいとよくおこたるものを」
 「昔も、人と違った体質で、このようなことはありましたが、自然と良くなったものです」
 「私は昔もこんな時には普通の人のような祈祷も何もしていただかないで自然になおったのですから」
  "Mukasi mo, hito ni ni nu arisama nite, kayau naru wori ha ari sika do, onodukara ito yoku okotaru mono wo."
3.3.14  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 と言った。
  to notamahe ba,
3.3.15  「 いとよくこそ、さはやかなれ
 「とてもよくまあ、さっぱりしたものですね」
 「それでよくなおっているのですか」
  "Ito yoku koso, sahayaka nare."
3.3.16  とうち笑ひて、「 なつかしく愛敬づきたる方は、これに並ぶ人はあらじかし」とは思ひながら、なほまた、 とくゆかしき方の心焦られも立ち添ひたまへるは、御心ざしおろかにもあらぬ なめりかし
 とにっこりして、「やさしくかわいらしい点ではこ、の人に並ぶ者はいない」とは思いながら、やはりまた、早く逢いたい方への焦りの気持ちもお加わりになっているのは、ご愛情も並々ではないのであろうよ。
 と宮はお笑いになって、なつかしい愛嬌あいきょうの備わった点はこれに比べうる人はないであろうとお思いになったのであるが、お心の一方では新婦をなおよく知りたいとあせるところのおありになるのは、並み並みならずあちらにも愛着を覚えておいでになるのであろう。
  to uti-warahi te, "Natukasiku aigyau-duki taru kata ha, kore ni narabu hito ha ara zi kasi." to ha omohi nagara, naho mata, toku yukasiki kata no kokoro-ira re mo tati-sohi tamahe ru ha, mi-kokorozasi oroka ni mo ara nu na' meri kasi.
注釈221いかでめでたきさまに待ち思はれむ匂宮の心中。立派な婿君として歓迎されたい、という気持ち。3.3.1
注釈222人のほどささやかにあえかになどはあらで地の文。匂宮がまだ知らない六の君の様をあらかじめ語る。3.3.1
注釈223いかならむ以下「うたてあるべけれ」まで、匂宮の心中。3.3.2
注釈224秋の夜なれど更けにしかば『花鳥余情』は「長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば」(古今集恋三、六三六、読人しらず)を指摘。3.3.3
注釈225帰りたまひても対へは二条院へ帰っても中君のいる対屋へは、の意。3.3.4
注釈226御文後朝の文。3.3.4
注釈227御けしきけしうはあらぬなめり匂宮付きの女房の囁き。3.3.5
注釈228対の御方こそ以下「ありなむし」まで、匂宮付きの女房の詞。3.3.7
注釈229皆馴れ仕うまつりたる人びとなれば匂宮付きの女房が中君付きの女房と仲好くしているということ。3.3.8
注釈230なほねたげなるわざにぞありける『完訳』は「「なほ--ける」と気づく趣」と注す。3.3.8
注釈231御返りもこなたにてこそ匂宮の心中。『集成』は「六の君からのお返事も、こちら(寝殿)で見たいものとお思いだが。中の君への遠慮の気持」と注す。3.3.8
注釈232夜のほどおぼつかなさも常の隔てよりはいかが匂宮の心中。中君への昨夜の夜離れを慮る。3.3.8
注釈233急ぎ渡りたまふ中君のいる西の対へ。3.3.8
注釈234寝くたれの御容貌いとめでたく見所ありて『完訳』は「匂宮の。六の君との共寝を思わせる表現。優艷な姿である」と注す。3.3.9
注釈235うち赤みたまへる顔の匂ひなど『集成』は「昨夜泣き明かした名残であろう」と注す。3.3.9
注釈236こまやかなることなどは愛情のこもったやさしい言葉。3.3.10
注釈237面隠しにや語り手の匂宮の心中を忖度した挿入句。3.3.10
注釈238などかくのみ以下「さぶらはすべかりける」まで、匂宮の詞。3.3.11
注釈239いつしかと涼しきほど待ち出でたるも今日は八月十七日。中秋も半ばを過ぎたころ。依然として暑い日が続いているという。3.3.11
注釈240なほはればれしからぬは中君の気分がさっぱりしない。3.3.11
注釈241なにがし僧都を『集成』は「実名を言ったのだが、それをあらわに文章化しない書き方」と注す。3.3.11
注釈242昔も人に似ぬ以下「おこたるものを」まで、中君の詞。3.3.13
注釈243いとよくこそさはやかなれ中君の詞。『集成』は「冗談にまぎらわす気持」。『完訳』は「病気をも心配せず私をも嫉妬せず、さわやかな性格と冷かす」と注す。3.3.15
注釈244なつかしく以下「人はあらじかし」まで、匂宮の心中の思い。3.3.16
注釈245とくゆかしき方新婚の六の君への関心。3.3.16
注釈246なめりかしこの前後、語り手の感情移入を交えた叙述。3.3.16
出典19 秋の夜なれど 長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば 古今集恋三-六三六 凡河内躬恒 3.3.3
校訂21 のたまへば のたまへば--(/+の給へは) 3.3.12
3.4
第四段 匂宮、中君を慰める


3-4  Nio-no-miya comforts Naka-no-kimi's uneasy mind

3.4.1  されど、見たまふほどは変はるけぢめもなきにや、後の世まで誓ひ頼めたまふことどもの尽きせぬを聞くにつけても、 げに、この世は短かめる命待つ間も 、つらき御心に見えぬべければ、「後の契りや違はぬこともあらむ」と思ふにこそ、 なほこりずまに、またも頼まれぬ べけれとていみじく念ずべかめれど、え忍びあへぬにや、今日は泣きたまひぬ。
 けれど、向き合っていらっしゃる間は変わった変化もないのであろうか、来世まで誓いなさることの尽きないのを聞くにつけても、なるほど、この世は短い寿命を待つ間も、つらいお気持ちは表れるにきまっているので、「来世の約束も違わないことがあろうか」と思うと、やはり性懲りもなく、また頼らずにはいられないと思って、ひどく祈るようであるが、我慢することができなかったのか、今日は泣いておしまいになった。
 しかしながらこの人と今いっしょにおいでになっては、昨日きのうの愛が減じたとは少しもお感じにならぬのか、未来の世界までもお言いだしになって、変わらない誓いをお立てになるのを聞いていて、中の君は、「仏の教えのようにこの世は短いものに違いありません。しかもその終わりを待ちますうちにも、あなたが恨めしいことをなさいますのを見なければなりませんから、それよりも未来の世のお約束のほうをお信じしていていいかもしれないと思うことで、まだ懲りずにあなたのお言葉に信頼しようと思います」と言い、もう忍びきれなかったのか今日は泣いた。
  Saredo, mi tamahu hodo ha kaharu kedime mo naki ni ya, noti-no-yo made tikahi tanome tamahu koto-domo no tukise nu wo kiku ni tuke te mo, geni, konoyo ha mizikaka' meru inoti matu ma mo, turaki mi-kokoro ni miye nu bekere ba, "Noti no tigiri ya tagaha nu koto mo ara m." to omohu ni koso, naho korizuma ni, mata mo tanoma re nu bekere tote, imiziku nen-zu beka' mere do, e sinobi-ahe nu ni ya, kehu ha naki tamahi nu.
3.4.2  日ごろも、「 いかでかう思ひけりと見えたてまつらじ」と、よろづに紛らはしつるを、さまざまに思ひ集むることし多かれば、さのみもえもて隠されぬにや、こぼれそめては、えとみにも ためらはぬを、いと恥づかしくわびしと思ひて、いたく背きたまへば、しひてひき向けたまひつつ、
 日頃も、「何とかこう悩んでいたと見られ申すまい」と、いろいろと紛らわしていたが、あれやこれやと思うことが多いので、そうばかりも隠していられなかったのか、涙がこぼれ出しては、すぐには止められないのを、とても恥ずかしくわびしいと思って、かたくなに横を向いていらっしゃるので、無理に前にお向けになって、
 今日までもこんなふうに思っているとはお見せすまいとして自身で紛らわしておさえてきた感情だったのであるが、いろいろと胸の中に重なってきて隠されぬことになり、こぼれ始めた涙はとめようもなく多く流れるのを、恥ずかしく苦しく思って、顔をすっかり向こうに向けているのを、しいて宮はこちらへお引き向けになって、
  Higoro mo, "Ikade kau omohi keri to miye tatematura zi." to, yorodu ni magirahasi turu wo, sama-zama ni omohi atumuru koto si ohokare ba, sa nomi mo e mote-kakusa re nu ni ya, kobore some te ha, e tomi ni mo tameraha nu wo, ito hadukasiku wabisi to omohi te, itaku somuki tamahe ba, sihite hiki-muke tamahi tutu,
3.4.3  「 聞こゆるままにあはれなる御ありさまと見つるを、なほ隔てたる御心こそありけれな。さらずは、夜のほどに思し変はりにたるか」
 「申し上げるままに、いとしいお方と思っていたのに、やはりよそよそしいお心がおありなのですね。そうでなければ、夜の間にお変わりになったのですか」
 「二人がいっしょに暮らして、同じように愛しているのだと思っていたのに、あなたのほうにはまだ隔てがあったのですね。それでなければ昨夜ゆうべのうちに心が変わったのですか」
  "Kikoyuru mama ni, ahare naru ohom-arisama to mi turu wo, naho hedate taru mi-kokoro koso ari kere na! Sara zu ha, yo no hodo ni obosi kahari ni taru ka?"
3.4.4  とて、わが御袖して涙を拭ひたまへば、
 と言って、ご自分のお袖で涙をお拭いになると、
 こうお言いになり宮は御自身のそでで夫人の涙をおぬぐいになると、
  tote, waga ohom-sode si te namida wo noguhi tamahe ba,
3.4.5  「 夜の間の心変はりこそ、のたまふにつけて、推し量られはべりぬれ」
 「夜の間の心変わりとは、そうおっしゃることによって、想像されました」
 「夜の間の心変わりということからあなたのお気持ちがよく察せられます」
  "Yo no ma no kokoro-gahari koso, notamahu ni tuke te, osihakara re haberi nure."
3.4.6  とて、 すこしほほ笑みぬ
 と言って、少しにっこりした。
 中の君は言って微笑を見せた。
  tote, sukosi hohowemi nu.
3.4.7  「 げに、あが君や、幼なの御もの言ひやな。 されどまことには、心に隈のなければ、いと心やすし。いみじくことわりして聞こゆとも、いとしるかるべきわざぞ。むげに世のことわりを知りたまはぬこそ、らうたきものからわりなけれ。よし、わが身になしても思ひめぐらしたまへ。 身を心ともせぬありさまなり もし、思ふやうなる世もあらば、人にまさりける心ざしのほど、知らせたてまつるべきひとふしなむある。たはやすく言出づべきことにもあらねば、 命のみこそ
 「なるほど、あなたは、子供っぽいおっしゃりようですよ。けれどほんとうのところは、心に隠し隔てがないので、とても気楽だ。ひどくもっともらしく申し上げたところで、とてもはっきりと分かってしまうものです。まるきり夫婦の仲というものをご存知ないのは、かわいらしいものの困ったものです。よし、自分の身になって考えてください。この身を思うにまかせない状態です。もし、思うとおりにできる時がきたら、誰にもまさる愛情のほどを、お知らせ申し上げることが一つあるのです。簡単に口に出すべきことでないので、寿命があったら」
 「ねえ、どうしたのですか、ねえ、なんという幼稚なことをあなたは言いだすのですか。けれどもあなたはほんとうは私へ隔てを持っていないから、心に浮かんだだけのことでもすぐ言ってみるのですね。だから安心だ。どんなにじょうずな言い方をしようとも私が別な妻を一人持ったことは事実なのだから私も隠そうとはしない。けれど私を恨むのはあまりにも世間というものを知らないからですよ。可憐かれんだが困ったことだ。まああなたが私の身になって考えてごらんなさい。自身を自身の心のままにできないように私はなっているのですよ。もし光明の世が私の前に開けてくればだれよりもあなたを愛していた証明をしてみせることが一つあるのです。これは軽々しく口にすべきことではないから、ただ命が長くさえあればと思っていてください」
  "Geni, aga Kimi ya, wosana no ohom-mono-ihi ya na! Saredo, makoto ni ha, kokoro ni kumanakere ba, ito kokoro-yasusi. Imiziku kotowari si te kikoyu tomo, ito sirukaru beki waza zo. Muge ni yo no kotowari wo siri tamaha nu koso, rautaki monokara warinakere. Yosi, waga mi ni nasi te mo omohi megurasi tamahe. Mi wo kokoro to mo se nu arisama nari. Mosi, omohu yau naru yo mo ara ba, hito ni masari keru kokorozasi no hodo, sira se tatematuru beki hitohusi nam aru. Tahayasuku koto idu beki koto ni mo ara ne ba, inoti nomi koso."
3.4.8  などのたまふほどに、 かしこにたてまつれたまへる御使、いたく酔ひ過ぎにければ、 すこし憚るべきことども忘れて、けざやかに この南面に参れり。
 などとおっしゃるうちに、あちらに差し上げなさったお使いが、ひどく酔い過ぎたので、少し遠慮すべきことも忘れて、おおっぴらにこの対の南面に参上した。
 などと言っておいでになるうちに宮が六条院へお出しになった使いが、先方で勧められた酒に少し酔い過ぎて、斟酌しんしゃくすべきことも忘れ、平気でこの西の対の前の庭へ出て来た。
  nado notamahu hodo ni, kasiko ni tatemature tamahe ru ohom-tukahi, itaku wehi sugi ni kere ba, sukosi habakaru beki koto-domo wasure te, kezayaka ni kono minami-omote ni mawire ri.
注釈247げにこの世は短かめる命待つ間も以下「またも頼まれぬべけれ」まで、中君の心中の思い。『源氏釈』は「ありはてぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな」(古今集雑下、九六五、平貞文)を指摘。3.4.1
注釈248なほこりずまにまたも頼まれぬべけれ『異本紫明抄』は「こりずまに又もなき名は立ちぬべし人憎からぬ世にし住まへば」(古今集恋三、六三一、読人しらず)を指摘。3.4.1
注釈249いみじく念ずべかめれどえ忍びあへぬにや語り手の感情移入と想像を交えた叙述。3.4.1
注釈250いかでかう思ひけりと見えたてまつらじ中君の心中の思い。3.4.2
注釈251聞こゆるままに以下「思し変はりにたるか」まで、匂宮の詞。3.4.3
注釈252あはれなる御ありさまと『集成』は「いとしいお心根の方と」。『完訳』は「いじらしいお方と」と訳す。3.4.3
注釈253夜の間の心変はりこそ以下「推し量られはべりぬれ」まで、中君の詞。3.4.5
注釈254すこしほほ笑みぬ皮肉っぽい表情。3.4.6
注釈255げにあが君や以下「命のみこそ」まで、匂宮の詞。3.4.7
注釈256身を心ともせぬありさまなり『源氏釈』は「いなせとも言ひ放たれず憂きものは身を心ともせぬ世なりけり」(後撰集恋五、九三七、伊勢)を指摘。3.4.7
注釈257もし思ふやうなる世もあらば『集成』は「立坊ののち、即位の暁には、立后のこともあろう、の意」と注す。3.4.7
注釈258命のみこそ寿命だけが頼りだ、の意。3.4.7
注釈259かしこにたてまつれたまへる御使六条院の六の君のもとに差し向けた後朝の文の使者。3.4.8
注釈260すこし憚るべきことども中君への遠慮。3.4.8
注釈261この南面に中君のいる西の対の南面。3.4.8
出典20 短かめる命待つ間 有りはてぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな 古今集雑下-九六五 平貞文 3.4.1
出典21 なほこりずまに、またも こりずまに又もなき名は立ちぬべし人憎からぬ世にしすまへば 古今集恋三-六三一 読人しらず 3.4.1
出典22 身を心ともせぬ いなせとも言ひはなたれず憂きものは身を心ともせぬ世なりけり 後撰集恋五-九三七 伊勢 3.4.7
校訂22 べけれとて べけれとて--へき(き/#)けれとて 3.4.1
校訂23 ためらはぬ ためらはぬ--え(え/#)ためらはぬ 3.4.2
校訂24 されど されど--*さりと 3.4.7
3.5
第五段 後朝の使者と中君の諦観


3-5  Messenger of Nio-no-miya's letter and Naka-no-kimi's resignation

3.5.1   海人の刈るめづらしき玉藻にかづき埋もれたるを、「さなめり」と、人びと見る。いつのほどに急ぎ書きたまへらむと見るも、やすからずはありけむかし。宮も、あながちに隠すべきにはあらねど、さしぐみはなほいとほしきを、 すこしの用意はあれかしと、かたはらいたけれど、今はかひなければ、女房して御文とり入れさせたまふ。
 素晴らしく衣装を肩に被いて埋もれているのを、「そうらしい」と、女房たちは見る。いつの間に急いでお書きになったのだろうと見るのも、おもしろくなかったであろうよ。宮も、無理に隠すべきことでもないが、いきなり見せるのはやはりお気の毒なので、少しは気をつけてほしかったと、はらはらしたが、もうしかたがないので、女房をしてお手紙を受け取らせなさる。
 美しい纏頭てんとうの衣類を肩に掛けているので後朝ごちょうの使いであることを人々は知った。いつの間にお手紙は書かれたのであろうと想像するのも快いことではないはずである。宮もしいてお隠しになろうと思召さないのであるが、涙ぐんでいる人の心苦しさに、少し気をきかせばよいものをと、ややにがにがしく使いのことをお思いになったが、もう皆暴露してしまったのであるからとお思いになり、女房に命じて返事の手紙をお受け取らせになった。
  Ama no karu medurasiki tamamo ni kaduki udumore taru wo, "Sa na' meri." to, hito-bito miru. Itu no hodo ni isogi kaki tamahe ra m to miru mo, yasukara zu ha ari kem kasi. Miya mo, anagati ni kakusu beki ni ha ara ne do, sasigumi ha naho itohosiki wo, sukosi no youi ha are kasi to, kataharaitakere do, ima ha kahinakere ba, nyoubau si te ohom-humi tori-ire sase tamahu.
3.5.2  「 同じくは、隔てなきさまにもてなし果ててむ」と思ほして、ひき開けたまへるに、「 継母の宮の御手なめり」と見ゆれば、今すこし心やすくて、うち置きたまへり。 宣旨書きにても、うしろめたのわざや
 「同じことなら、すべて隠し隔てないようにしよう」とお思いになって、お開きになると、「継母の宮のご筆跡のようだ」と見えるので、少しは安心してお置きになった。代筆でも、気がかりなことであるよ。
 できるならば朗らかにしていま一人の妻のあることを認めさせてしまおうと思召して、手紙をおあけになると、それは継母ままははの宮のお手になったものらしかったから、少し安心をあそばして、そのままそこへお置きになった。他の人の書いたものにもせよ、宮としてはお気のひけることであったに違いない。
  "Onaziku ha, hedate naki sama ni motenasi hate te m." to omohosi te, hiki-ake tamahe ru ni, "Mama-haha no Miya no ohom-te na' meri." to miyure ba, ima sukosi kokoro-yasuku te, uti-oki tamahe ri. Senzi-gaki nite mo, usirometa no waza ya!
3.5.3  「 さかしらは、かたはらいたさに、そそのかしはべれど、いと悩ましげにてなむ。
 「さし出でますことは、きまりが悪いので、お勧めしましたが、とても悩ましそうでしたので。
 私などが出すぎたお返事をいたしますことは、失礼だと思いまして、書きますことを勧めるのですが、悩ましそうにばかりいたしておりますから、
  "Sakasira ha, kataharaitasa ni, sosonokasi habere do, ito nayamasige ni te nam.
3.5.4    女郎花しをれぞまさる朝露の
  女郎花が一段と萎れています
  をみなへししをれぞ見ゆる朝露の
    Wominahesi siwore zo masaru asa-tuyu no
3.5.5   いかに置きける名残なるらむ
  朝露がどのように置いていったせいなのでしょうか
  いかに置きける名残なごりなるらん
    ikani oki keru nagori naru ram
3.5.6  あてやかにをかしく書きたまへり。
 上品で美しくお書きになっていた。
 貴女きじょらしく美しく書かれてあった。
  Ateyaka ni wokasiku kaki tamahe ri.
3.5.7  「 かことがましげなるもわづらはしや。まことは、心やすくてしばしはあらむと思ふ世を、思ひの外にもあるかな」
 「恨みがましい歌なのも厄介だね。ほんとうは、気楽に当分暮らしていようと思っていたのに、意外なことになったものだ」
 「恨みがましいことを言われるのも迷惑だ。ほんとうは私はまだ当分気楽にあなたとだけ暮らして行きたかったのだけれど」
  "Kakoto-gamasige naru mo wadurahasi ya! Makoto ha, kokoro-yasuku te sibasi ha ara m to omohu yo wo, omohi no hoka ni mo aru kana!"
3.5.8  などはのたまへど、
 などとはおっしゃるが、
 などと宮は言っておいでになったが、
  nado ha notamahe do,
3.5.9  「 また二つとなくて、さるべきものに思ひならひたるただ人の仲こそ、かやうなることの恨めしさなども、見る人苦しくはあれ、 思へばこれはいと難し。つひにかかるべき御ことなり。宮たちと聞こゆるなかにも、 筋ことに世人思ひきこえたれば、幾人も幾人も得たまはむことも、もどきあるまじければ、人も、この御方いとほしなども思ひたらぬなるべし。かばかりものものしくかしづき据ゑたまひて、心苦しき方、おろかならず思したるをぞ、幸ひおはしける」
 「また他に二人となくて、そのような仲に馴れている臣下の夫婦仲は、このようなことの恨めしさなども、見る人は気の毒にも思うが、思えばこの宮はとても難しい。結局はこのようになることである。宮様方と申し上げる中でも、将来を特に世間の人がお思い申し上げているので、幾人も幾人もお持ちになることも、非難されるべきことでないので、誰も、この方をお気の毒だなどと思わないのであろう。これほど重々しく大切にお住まわせになって、おいたわしくお思いになること、並々でなくお思いでいるのを、幸いでいらっしゃった」
 一夫一婦であるのを原則とし正当とも見られている普通の人の間にあっては、良人おっとが新しい結婚をした場合に、その前からの妻をだれもあわれむことになっているが、高い貴族をその道徳で縛ろうとはだれもしない。いずれはそうなるべきであったのである。宮たちと申し上げる中でも、輝く未来を約されておいでになるような兵部卿ひょうぶきょうの宮であったから、幾人でも妻はお持ちになっていいのであると世間は見ているから、格別二条の院の夫人が気の毒であるとも思わぬらしい。こんなふうに夫人としての待遇を受けて、深く愛されている中の君を幸福な人である
  "Mata hutatu to naku te, saru-beki mono ni omohi narahi taru tadaudo no naka koso, kayau naru koto no uramesisa nado mo, miru hito kurusiku ha are, omohe ba kore ha ito katasi. Tuhini kakaru beki ohom-koto nari. Miya-tati to kikoyuru naka ni mo, sudi koto ni yo-hito omohi kikoye tare ba, iku-tari mo iku-tari mo e tamaha m koto mo, modoki aru mazikere ba, hito mo, kono ohom-kata itohosi nado mo omohi tara nu naru besi. Kabakari mono-monosiku kasiduki suwe tamahi te, kokoro-gurusiki kata, oroka nara zu obosi taru wo zo, saihahi ohasi keru."
3.5.10  と聞こゆめる。 みづからの心にも、あまりにならはしたまうて、にはかにはしたなかるべきが 嘆かしきなめり
 とお噂申し上げるようだ。自分自身の気持ちでも、あまり大事にしていてくださって、急に具合が悪くなるのが嘆かわしいのだろう。
 とさえ言っているのである。中の君自身もあまりに水もらさぬ夫婦生活に慣らされてきて、にわかに軽く扱われることが歎かわしいのであろうと見えた。
  to kikoyu meru. Midukara no kokoro ni mo, amari ni narahasi tamau te, nihaka ni hasitanakaru beki ga kanasiki na' meri.
3.5.11  「 かかる道を、いかなれば浅からず人の思ふらむと、昔物語などを見るにも、人の上にても、あやしく聞き思ひしは、げにおろかなるまじきわざなりけり」
 「このような夫婦の問題を、どうして大問題扱いを人はするのだろうと、昔物語などを見るにつけても、人の身の上でも、不思議に聞いて思っていたのは、なるほど大変なことなのであった」
 こんなに二人と一人というような関係になった場合は、どうして女はそんなに苦悶くもんをするのであろうと昔の小説を読んでも思い、他人のことでもに落ちぬ気がしたのであるが、
  "Kakaru miti wo, ika nare ba asakara zu hito no omohu ram to, mukasi-monogatari nado wo miru ni mo, hito no uhe nite mo, ayasiku kiki omohi si ha, geni oroka naru maziki waza nari keri."
3.5.12  と、わが身になりてぞ、何ごとも思ひ知られたまひける。
 と、自分の身になって、何事も理解されるのであった。
 わが身の上になれば心の痛いものである、苦しいものであると、今になって中の君は知るようになった。
  to, waga mi ni nari te zo, nani-goto mo omohi-sira re tamahi keru.
注釈262海人の刈るめづらしき玉藻にかづき埋もれたるを夕霧から使者への禄。『花鳥余情』は「何せむにへだのみるめを思ひけむ沖つ玉藻を潜く身にして」(後撰集雑一、一〇九九、大伴黒主)を指摘。「玉裳」「被き」(大島本等)、「海人」「刈る」「玉藻」「潜き」は縁語。3.5.1
注釈263すこしの用意はあれかし匂宮の心中。使者に少しの配慮がほしかった、と思う。3.5.1
注釈264同じくは隔てなきさまにもてなし果ててむ匂宮の心中の思い。3.5.2
注釈265継母の宮の御手なめり六の君の継母、落葉宮。3.5.2
注釈266宣旨書きにてもうしろめたのわざや『岷江入楚』は「草子地にて評てかけり」と指摘。『完訳』は「語り手の評言。たとえ代筆でも中の君に見られてもよいか、の気持」と注す。3.5.2
注釈267さかしらは以下「名残なるらむ」まで、落葉宮の文。3.5.3
注釈268女郎花しをれぞまさる朝露のいかに置きける名残なるらむ落葉宮の代作。「女郎花」を六の君に、「朝露」を匂宮に譬える。「置き」「起き」の懸詞。「置く」は「露」の縁語。3.5.4
注釈269かことがましげなるも以下「思ひの外にもあるかな」まで、匂宮の詞。3.5.7
注釈270また二つとなくて以下「幸ひおはしける」まで、中君付きの女房たちの噂。地の文と語り手の批評が混じった叙述。『万水一露』は「草子の批判の詞也」と指摘。『集成』は「以下、中の君の苦しい立場を説明する体の長い草子地」と注す。3.5.9
注釈271思へばこれはいと難し『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『完訳』は「語り手の評言」と注す。3.5.9
注釈272筋ことに世人思ひきこえたれば匂宮を将来、東宮に立ち即位するお方と、世間の人は見ている。3.5.9
注釈273みづからの心にも中君自身。3.5.10
注釈274嘆かしきなめり語り手の主観的推測。以上、語り手の主観を交えた叙述。3.5.10
注釈275かかる道を以下「わざなりけり」まで、中君の心中の思い。3.5.11
3.6
第六段 匂宮と六の君の結婚第二夜


3-6  Nio-no-miya and Roku-no-kimi's the second night of marriage

3.6.1  宮は、常よりもあはれに、うちとけたるさまにもてなしたまひて、
 宮は、いつもよりも愛情深く、心を許した様子にお扱いをなさって、
 宮は前よりもいっそう親しい良人ぶりをお見せになって、
  Miya ha, tune yori mo ahare ni, utitoke taru sama ni motenasi tamahi te,
3.6.2  「 むげにもの参らざなるこそ、いと悪しけれ
 「まったく食事をなさらないのは、とてもよくないことです」
 「何も食べぬということは非常によろしくない」
  "Muge ni mono mawira za' naru koso, ito asikere."
3.6.3  とて、よしある御くだもの召し寄せ、また、 さるべき人召して、ことさらに調ぜさせなどしつつ、そそのかしきこえたまへど、いとはるかにのみ思したれば、「 見苦しきわざかな」と嘆ききこえたまふに、暮れぬれば、夕つ方、 寝殿へ渡りたまひぬ
 と言って、結構な果物を持って来させて、また、しかるべき料理人を召して、特別に料理させなどして、お勧め申し上げなさるが、まるで手をお出しにならないので、「見ていられないことだ」とご心配申し上げなさっているうちに、日が暮れたので、夕方、寝殿へお渡りになった。
 などとお言いになり、良製の菓子をお取り寄せになりまた特に命じて調製をさせたりもあそばして夫人へお勧めになるのであったが、中の君の指はそれに触れることのないのを御覧になって、「困ったことだね」と宮は歎息をしておいでになったが、日暮れになったので寝殿のほうへおいでになった。
  tote, yosi aru ohom-kudamono mesi-yose, mata, saru-beki hito mesi te, kotosara ni teu-ze sase nado si tutu, sosonokasi kikoye tamahe do, ito haruka ni nomi obosi tare ba, "Migurusiki waza kana!" to nageki kikoye tamahu ni, kure nure ba, yuhu-tu-kata, sinden he watari tamahi nu.
3.6.4  風涼しく、おほかたの空をかしきころなるに、今めかしきにすすみたまへる御心なれば、 いとどしく艶なるに、もの思はしき人の御心のうちは、よろづに忍びがたきことのみぞ多かりける。 ひぐらしの鳴く声に、山の蔭のみ恋しくて
 風が涼しく、いったいの空も趣きのあるころなので、派手好みでいらっしゃるご性分なので、ますます浮き浮きした気になって、物思いをしている方のご心中は、何事につけ堪え難いことばかりが多かったのである。蜩のなく声に、山里ばかりが恋しくて、
 涼しい風が吹き立って、空の趣のおもしろい夕べである。はなやかな趣味を持っておいでになったから、こんな場合にはまして美しく御風采ふうさいをお作りになり出てお行きになる宮を知っていて、物哀れな夫人の心には忍び余るうれいの生じるのも無理でない。ひぐらしの声を聞いても宇治の山陰の家ばかりが恋しくて、
  Kaze suzusiku, ohokata no sora wokasiki koro naru ni, imamekasiki ni susumi tamahe ru mi-kokoro nare ba, itodosiku en naru ni, mono omohasiki hito no mi-kokoro no uti ha, yorodu ni sinobi gataki koto nomi zo ohokari keru. Higurasi no naku kowe ni, yama no kage nomi kohisiku te,
3.6.5  「 おほかたに聞かましものをひぐらしの
 「宇治にいたら何気なく聞いただろうに
  おほかたに聞かましものを蜩の
    "Ohokata ni kika masi mono wo higurasi no
3.6.6   声恨めしき秋の暮かな
  蜩の声が恨めしい秋の暮だこと
  声うらめしき秋の暮れかな
    kowe uramesiki aki no kure kana
3.6.7  今宵はまだ更けぬに出でたまふなり。御前駆の声の遠くなるままに、 海人も釣すばかりになるも 、「 我ながら憎き心かな」と、思ふ思ふ聞き臥したまへり。はじめよりもの思はせ たまひしありさまなどを思ひ出づるも、疎ましきまでおぼゆ。
 今夜はまだ更けないうちにお出かけになるようである。御前駆の声が遠くなるにつれて、海人が釣するくらいなるのも、「自分ながら憎い心だわ」と、思いながら聞き臥せっていらっしゃった。はじめから物思いをおさせになった頃のことなどを思い出すにつけても、疎ましいまでに思われる。
 と独言ひとりごたれた。今夜はそうかさずに宮はお出かけになった。前駆の人払いの声の遠くなるとともに涙は海人あまり糸をれんばかりに流れるのを、われながらあさましいことであると思いつつ中の君は寝ていた。結婚の初めから連続的に物思いをばかりおさせになった宮であると、その時、あの時を思うと、しまいにはうとましくさえ思われた。
  Koyohi ha mada huke nu ni ide tamahu nari. Ohom-saki no kowe no tohoku naru mama ni, ama mo turi su bakari ni naru mo, "Ware nagara nikuki kokoro kana!" to, omohu omohu kiki-husi tamahe ri. Hazime yori mono omoha se tamahi si arisama nado wo omohi-iduru mo, utomasiki made oboyu.
3.6.8  「 この悩ましきことも、いかならむとすらむ。 いみじく命短き族なれば、かやうならむついでにもやと、はかなくなりなむとすらむ」
 「この悩ましいことも、どのようになるのであろう。たいそう短命な一族なので、このような折にでもと、亡くなってしまうのであろうか」
 身体からだの苦しい原因をなしている妊娠も無事に産が済まされるかどうかわからない、短命な一族なのであるから、その場合に死ぬのかもしれない
  "Kono nayamasiki koto mo, ika nara m to su ram? Imiziku inoti mizikaki zou nare ba, kayau nara m tuide ni mo ya to, hakanaku nari na m to su ram?"
3.6.9  と思ふには、「 惜しからねど、悲しくもあり、またいと 罪深くもあなるものを」など、まどろまれぬままに思ひ明かしたまふ。
 と思うと、「惜しくはないが、悲しくもあり、またとても罪深いことであるというが」などと、眠れないままに夜を明かしなさる。
 などと思っていくと、命は惜しく思われぬが、また悲しいことであるとも中の君は思った。またそうした場合に死ぬのは罪の深いことなのであるからなどと眠れぬままに思い明かした。
  to omohu ni ha, "Wosikara ne do, kanasiku mo ari, mata ito tumi hukaku mo a' naru mono wo!" nado, madoroma re nu mama ni omohi-akasi tamahu.
注釈276むげにもの参らざなるこそいと悪しけれ匂宮の詞。3.6.2
注釈277さるべき人召して料理の上手な人。3.6.3
注釈278見苦しきわざかな匂宮の詞。3.6.3
注釈279寝殿へ渡りたまひぬ匂宮は六の君のもとに赴く身仕度のために中君のいる西の対から自分の居所である寝殿へ行く。3.6.3
注釈280いとどしく艶なるに匂宮の六の君へ浮き立つ心。3.6.4
注釈281ひぐらしの鳴く声に、山の蔭のみ恋しくて『河海抄』は「ひぐらしの鳴きつるなべに日は暮れぬと思ふは山の蔭にぞありける」(古今集秋上、二〇四、読人しらず)を指摘する。3.6.4
注釈282おほかたに聞かましものをひぐらしの声恨めしき秋の暮かな中君の独詠歌。「秋」に「飽き」を掛ける。3.6.5
注釈283海人も釣すばかりになるも『源氏釈』は「恋せじとねをのみ泣けばしきたへの枕の下に海人ぞ釣する」(出典未詳)を指摘。3.6.7
注釈284我ながら憎き心かな中君の心中の思い。『完訳』は「匂宮への強い執着を自覚」と注す。3.6.7
注釈285この悩ましきことも以下「はかなくなりなむとすらむ」まで、中君の心中。妊娠の身を心配。3.6.8
注釈286いみじく命短き族なれば短命な一族。母は出産直後に死去、大君も若くして死去。母方の系図によっていう。3.6.8
注釈287惜しからねど以下「あなるものを」まで、中君の心中。3.6.9
注釈288罪深くもあなるものを妊娠中の死は罪深いとされていた。3.6.9
出典23 ひぐらしの鳴く声に、山の蔭 ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山の蔭にぞありける 古今集秋上-二〇四 読人しらず 3.6.4
出典24 海人も釣すばかり 恋をしてねをのみ泣けばしきたへの枕の下に海人ぞ釣する 源氏釈所引-出典未詳 3.6.7
校訂25 たまひし たまひし--給う(う/#)し 3.6.7
3.7
第七段 匂宮と六の君の結婚第三夜の宴


3-7  Nio-no-miya and Roku-no-kimi's the third night of marriage

3.7.1   その日は、后の宮悩ましげにおはしますとて、誰も誰も、参りたまへれど、御風邪におはしましければ、ことなることもおはしまさずとて、大臣は昼まかでたまひにけり。中納言の君誘ひきこえたまひて、一つ御車にてぞ出でたまひにける。
 その日は、后の宮が悩ましそうでいらっしゃると聞いて、皆が皆、参内なさったが、お風邪でいらっしゃったので、格別のことはおありでないと聞いて、大臣は昼に退出なさったのであった。中納言の君をお誘い申されて、一台に相乗りしてお下がりになった。
 次の日は中宮ちゅうぐうが御病気におなりになったというので、皆御所へまいったのであるが、少しの御風気ごふうきで御心配申し上げることもないとわかった左大臣は、昼のうちに退出した。源中納言を誘って同車して自邸へ向かったのである。
  Sono hi ha, Kisai-no-Miya nayamasige ni ohasimasu tote, tare mo tare mo, mawiri tamahe re do, ohom-kaze ni ohasimasi kere ba, koto naru koto mo ohasimasa zu tote, Otodo ha hiru makade tamahi keri. Tyuunagon-no-Kimi sasohi kikoye tamahi te, hitotu kuruma nite zo ide tamahi ni keru.
3.7.2  「 今宵の儀式、いかならむ。きよらを尽くさむ」と思すべかめれど、 限りあらむかしこの君も、心恥づかしけれど、親しき方のおぼえは、わが方ざまにまたさるべき人もおはせず、ものの栄にせむに、心ことにおはする人なればなめりかし。例ならずいそがしくまでたまひて、人の上に見なしたるを口惜しとも思ひたらず、何やかやともろ心に扱ひたまへるを、大臣は、人知れずなまねたしと思しけり。
 「今夜の儀式を、どのようにしよう。善美を尽くそう」と思っていらっしゃるらしいが、限度があるだろうよ。この君も、気が置ける方であるが、親しい人と思われる点では、自分の一族にまたそのような人もいらっしゃらず、祝宴の引き立て役にするには、また心格別でいらっしゃる方だからであろう。いつもと違って急いで参上なさって、人の身の上のことを残念だとも思わずに、何やかやと心を合わせてご協力なさるのを、大臣は、人には知られず憎らしいとお思いになるのであった。
 この日が三日の露見ろけんの式の行なわれる夜になっていた。どんなにしても華麗に大臣は式を行なおうとしているのであろうが、こんな時のことは来賓に限りがあって、派手はでにしようもなかろうと思われた。かおるをそうした席へ連ならせるのはあまりに高貴なふうがあって心恥ずかしく大臣には思われるのであるが、婿君と親密な交情を持つ人は自分の息子むすこたちにもないのであったし、また一家の人として他へ見せるのに誇りも感じられる薫であったから伴って行ったらしい。平生にも似ず兄とともに忙しい気持ちで六条院へはいって、六の君を他人の妻にさせたことを残念に思うふうもなく、何かと式の用を兄のために手つだってくれるのを、大臣は少し物足らぬことに思いもした。
  "Koyohi no gisiki, ika nara m? Kiyora wo tukusa m." to obosu beka' mere do, kagiri ara m kasi. Kono Kimi mo, kokoro-hadukasikere do, sitasiki kata no oboye ha, waga kata-zama ni mata saru-beki hito mo ohase zu, mono no haye ni se m ni, kokoro koto ni ohasuru hito nare ba na' meri kasi. Rei nara zu isogasiku made tamahi te, hito no uhe ni mi-nasi taru wo kutiwosi to mo omohi tara zu, naniya-kaya to moro-gokoro ni atukahi tamahe ru wo, Otodo ha, hito sire zu nama-netasi to obosi keri.
3.7.3   宵すこし過ぐるほどにおはしましたり。寝殿の南の廂、東に寄りて御座参れり。御台八つ、例の御皿など、うるはしげにきよらにて、また、小さき台二つに、花足の皿なども、今めかしくせさせたまひて、 餅参らせたまへりめづらしからぬこと書きおくこそ憎けれ
 宵が少し過ぎたころにおいでになった。寝殿の南の廂間の、東に寄った所にご座所を差し上げた。御台八つ、通例のお皿など、きちんと美しくて、また、小さい台二つに、華足の皿の類を、新しく準備させなさって、餅を差し上げなさった。珍しくもないことを書き置くのも気が利かないこと。
 八時少し過ぐるころに宮はおいでになった。寝殿の南の間の東に寄せて婿君のお席ができていた。高脚たかあしぜんが八つ、それに載せた皿は皆きれいで、ほかにまた小さい膳が二つ、飾り脚のついた台に載せたお料理の皿など、見る目にも美しく並べられて、儀式のもちも供えられてある。こんなありふれたことを書いておくのがはばかられる。
  Yohi sukosi suguru hodo ni ohasimasi tari. Sinden no minami no hisasi, himgasi ni yori te o-masi mawire ri. Mi-dai ya-tu, rei no ohom-sara nado, uruhasige ni kiyora ni te, mata, tihisaki dai huta-tu ni, kesoku no sara nado mo, imamekasiku se sase tamahi te, motihi mawira se tamahe ri. Medurasikara nu koto kaki-oku koso nikukere.
3.7.4  大臣渡りたまひて、「 夜いたう更けぬ」と、女房して そそのかし申したまへどいとあざれて、とみにも出でたまはず。 北の方の御はらからの 左衛門督、藤宰相などばかりものしたまふ。
 大臣がお渡りになって、「夜がたいそう更けてしまった」と、女房を介して祝宴につくことをお促し申し上げなさるが、まことにしどけないお振る舞いで、すぐには出ていらっしゃらない。北の方のご兄弟の左衛門督や、藤宰相などばかりが伺候なさる。
 大臣が新夫婦の居間のほうへ行って、もう夜がふけてしまったからと女房に言い、宮の御出座を促すのであったが、宮は六の君からお離れになりがたいふうで渋っておいでになった。今夜の来賓としては雲井くもいかり夫人の兄弟である左衛門督さえもんのかみ藤宰相とうさいしょうなどだけが外から来ていた。
  Otodo watari tamahi te, "Yo itau huke nu." to, nyoubau si te sosonokasi mausi tamahe do, ito azare te, tomi ni mo ide tamaha zu. Kitanokata no ohom-harakara no Sa-Wemon-no-Kami, Tou-Saisyau nado bakari monosi tamahu.
3.7.5  からうして出でたまへる御さま、いと見るかひある心地す。 主人の頭中将、盃ささげて御台参る。次々の御土器、二度、三度参りたまふ。 中納言のいたく勧めたまへるに、宮すこしほほ笑みたまへり。
 やっとお出になったご様子は、まことに見る効のある気がする。主人の頭中将が、盃をささげてお膳をお勧めする。次々にお盃を、二度、三度とお召し上がりになる。中納言がたいそうお勧めになるので、宮は少し苦笑なさった。
 やっとしてから出ておいでになった宮のお姿は美しくごりっぱであった。主人がたのとうの中将がさかずきを御前へ奉り、膳部を進めた。宮は次々に差し上げる盃を二つ三つお重ねになった。薫が御前のお世話をして御酒みきをお勧めしている時に、宮は少し微笑をおらしになった。
  Karausite ide tamahe ru ohom-sama, ito miru kahi aru kokoti su. Aruzi no Tou-no-Tyuuzyau, sakaduki sasage te mi-dai mawiru. Tugi-tugi no ohom-kaharake, huta-tabi, mi-tabi mawiri tamahu. Tyuunagon no itaku susume tamahe ru ni, Miya sukosi hohowemi tamahe ri.
3.7.6  「 わづらはしきわたりを
 「やっかいな所だ」

  "Wadurahasiki watari wo."
3.7.7  と、ふさはしからず思ひて言ひしを、 思し出づるなめりされど、見知らぬやうにて、いとまめなり。
 と、自分には不適当な所だと思って言ったのを、お思い出しになったようである。けれど、知らないふりして、たいそうまじめくさっている。
 以前にこの縁組みの話をあそばして、堅苦しく儀礼ばることの好きな家の娘の婿になることなどは自分に不似合いなことでいやであると薫へお言いになったのを思い出しておいでになるのであろう。中納言のほうでは何も覚えていぬふうで、あくまで慇懃いんぎんにしていた。
  to, husahasikara zu omohi te ihi si wo, obosi-iduru na' meri. Saredo, mi-sira nu yau nite, ito mame nari.
3.7.8   東の対に出でたまひて、御供の人びともてはやしたまふ。おぼえある殿上人どもいと多かり。
 東の対にお出になって、お供の人々を歓待なさる。評判のよい殿上人連中もたいそう多かった。
 そしてまたこの人は東の対の座敷のほうに設けたお供の役人たちの酒席へまで顔を出して接待をした。
  Himgasi-no-tai ni ide tamahi te, ohom-tomo no hito-bito mote-hayasi tamahu. Oboye aru Tenzyau-bito-domo ito ohokari.
3.7.9  四位六人は、女の装束に細長添へて、五位十人は、三重襲の唐衣、裳の腰も皆けぢめあるべし。六位四人は、綾の細長、袴など。かつは、限りあることを飽かず思しければ、ものの色、しざまなどをぞ、きよらを尽くしたまへりける。
 四位の六人には、女の装束に細長を添えて、五位の十人には、三重襲の唐衣、裳の腰もすべて差異があるようである。六位の四人には、綾の細長、袴など。一方では、限度のあることを物足りなくお思いになったので、色合いや、仕立てなどに、善美をお尽くしになったのであった。
 はなやかな殿上役人も多かった四位の六人へは女の装束に細長、十人の五位へは三重がさね唐衣からぎぬの腰の模様も四位のとは等差があるもの、六位四人はあやの細長、はかまなどが出された纏頭てんとうであった。この場合の贈り物なども法令に定められていてそれを越えたことはできないのであったから、品質や加工を精選してそろえてあった。
  Si-wi roku-nin ha, womna no syauzoku ni hosonaga sohe te, go-wi zihu-nin ha, mihe-gasane no karaginu, mo no kosi mo mina kedime aru besi. Roku-wi yo-nin ha, aya no hosonaga, hakama nado. Katu ha, kagiri aru koto wo akazu obosi kere ba, mono no iro, sizama nado wo zo, kiyora wo tukusi tamahe ri keru.
3.7.10   召次、舎人などの中には、乱りがはしきまでいかめしくなむありける。 げに、かくにぎははしくはなやかなることは、見るかひあれば、物語などに、まづ言ひたてたるにやあらむ。されど、詳しくはえぞ数へ立てざりけるとや。
 召次や、舎人などの中には、度を越すと思うほど立派であった。なるほど、このように派手で華美なことは、見る効あるので、物語などにも、さっそく言い立てたのであろうか。けれど、詳しくはとても数え上げられなかったとか。
 召次侍めしつぎざむらい舎人とねりなどにもまた過分なものが与えられたのである。こうした派手はでな式事は目にもまばゆいものであるから、小説などにもまず書かれるのはそれであるが、自分に語った人はいちいち数えておくことができなかったそうであった。
  Mesi-tugi, Toneri nado no naka ni ha, midari-gahasiki made ikamesiku nam ari keru. Geni, kaku nigihahasiku hanayaka naru koto ha, miru kahi are ba, monogatari nado ni, madu ihi-tate taru ni ya ara m. Saredo, kuhasiku ha e zo kazohe tate zari keru to ya!
注釈289その日は結婚第三日目の日。3.7.1
注釈290今宵の儀式結婚第三二目の夜の儀式。以下、語り手の推測と批評を交えた叙述。『集成』は「草子地」と注す。3.7.2
注釈291限りあらむかし『湖月抄』は「地也」と指摘。3.7.2
注釈292この君も『細流抄』は「物語の作者の心をやりて書也」と指摘。『集成』は「薫を誘った夕霧の思惑を述べる草子地」と注す。3.7.2
注釈293宵すこし過ぐるほどにおはしましたり結婚三日目の夜の儀式。『花鳥余情』は、『李部王記』天暦二年十一月二十二、二十四日条の重明親王の右大臣藤原師輔娘との結婚を準拠として指摘。3.7.3
注釈294餅参らせたまへり三日夜の餅。3.7.3
注釈295めづらしからぬこと書きおくこそ憎けれ『細流抄』は「草子地」と指摘。『完訳』は「語り手の、詳細を省く弁」と注す。3.7.3
注釈296夜いたう更けぬ夕霧の詞。3.7.4
注釈297そそのかし申したまへど匂宮に六の君の寝所から出てきて宴席に着くように促す。3.7.4
注釈298いとあざれて『集成』は「いかにもしどけないお振舞で、すぐにも(六の君の部屋から)お出にならない。六の君に心を奪われている体をよそおう」と注す。3.7.4
注釈299北の方の御はらからの夕霧の北の方、すなわち雲居雁の兄弟たち。父は致仕太政大臣、母は按察大納言に再婚した。3.7.4
注釈300左衛門督藤宰相など左衛門督は従四位下相当、宰相は参議で正四位下相当。3.7.4
注釈301主人の頭中将夕霧の子息。3.7.5
注釈302中納言の源中納言。薫。3.7.5
注釈303わづらはしきわたりを匂宮の感想。3.7.6
注釈304思し出づるなめり語り手の推測を交えた表現。3.7.7
注釈305されど見知らぬやうにて薫の態度。匂宮のそうした感情に気づかぬふりを装う。3.7.7
注釈306東の対に出でたまひて御供の人びともてはやしたまふ主人側の薫が客人方の匂宮の供人を接待する。3.7.8
注釈307召次舎人など召次は院や親王家に仕える下人、舎人は馬を扱う下人。3.7.10
注釈308げにかくにぎははしく『細流抄』は「草子地」と指摘。『集成』は「以下、省筆をことわる草子地」。『完訳』は「以下、語り手の感想」と注す。3.7.10
Last updated 4/15/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
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渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月9日

Last updated 11/2/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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