47 総角(大島本)


AGEMAKI


薫君の中納言時代
二十四歳秋から歳末までの物語



Tale of Kaoru's Chunagon era, from fall to the end of the year at the age of 24

4
第四章 中の君の物語 匂宮と中の君、朝ぼらけの宇治川を見る


4  Tale of Naka-no-kiki  Nio-no-miya and Naka-no-kimi look at Uji River in dawn

4.1
第一段 明石中宮、匂宮の外出を諌める


4-1  Akashi-chugu advice Nio-no-miya not to go out

4.1.1   宮はその夜、内裏に参りたまひて、えまかでたまふまじげなるを、人知れず御心も空にて思し嘆きたるに、 中宮
 宮は、その夜、内裏に参りなさって、退出しがたそうなのを、ひそかにお心も上の空でお嘆きになっていたが、中宮が、
 兵部卿の宮はその夜宮中へおいでになったのであるが、新婦の宇治へ行くことが非常な難事にお思われになって、人知れず心を苦しめておいでになる時に、中宮ちゅうぐうが、
  Miya ha, sono yo, uti ni mawiri tamahi te, e makade tamahu mazige naru wo, hito-sire-zu mi-kokoro mo sora ni te obosi nageki taru ni, Tyuuguu,
4.1.2  「 なほ、かく独りおはしまして、世の中に、好いたまへる御名のやうやう聞こゆる、なほ、いと悪しきことなり。 何事ももの好ましく、立てたる御心なつかひたまひそ 上もうしろめたげに思しのたまふ」
 「依然として、このように独身でいらして、世間に、好色でいらっしゃるご評判がだんだんと聞こえてくるのは、やはり、とてもよくないことです。何事にも風流が過ぎて、評判を立てるようなことをなさいますな。主上も不安にお思いおっしゃっています」
「どんなに言ってもあなたはいつまでも一人でおいでになるものだから、このごろは私の耳にもあなたの浮いた話が少しずつはいってくるようになりましたよ。それはよくないことですよ。風流好きとか、何々趣味の人とか人に違った評判は立てられないほうがいいのですよ。おかみもあなたのことを御心配しておいでになります」
  "Naho, kaku hitori ohasimasi te, yononaka ni, sui tamahe ru ohom-na no yau-yau kikoyuru, naho, ito asiki koto nari. Nani-goto mo mono konomasiku, tate taru mi-kokoro na tukahi tamahi so. Uhe mo usirometage ni obosi notamahu."
4.1.3  と、 里住みがちにおはしますを諌めきこえたまへば、いと苦しと思して、御宿直所に出でたまひて、 御文書きてたてまつれたまへる名残も、いたくうち眺めておはしますに、 中納言の君参りたまへり
 と、里住みがちでいらっしゃるのをお諌め申し上げなさると、まことに辛いとお思いになって、御宿直所にお出になって、お手紙を書いて差し上げなさったその後も、ひどく物思いに耽っていらっしゃるところに、中納言の君が参上なさった。
 と仰せになって、私邸に行っておいでがちな点で御忠告をあそばしたために、兵部卿ひょうぶきょうの宮は時が時であったから苦しくお思いになって、桐壺きりつぼ宿直とのい所へおいでになり、手紙を書いて宇治へお送りになったあとも、心が落ち着かず吐息といきをついておいでになるところへ源中納言が来た。   to, sato-zumi-gati ni ohasimasu wo isame kikoye tamahe ba, ito kurusi to obosi te, ohom-tonowi-dokoro ni ide tamahi te, ohom-humi kaki te tatemature tamahe ru nagori mo, itaku uti-nagame te ohasimasu ni, Tyuunagon-no-Kimi mawiri tamahe ri.
4.1.4   そなたの心寄せと思せば、例よりもうれしくて、
 あの姫君のお味方とお思いになると、いつもより嬉しくて、
宇治がたの人とお思いになるとうれしくて、
  Sonata no kokoro-yose to obose ba, rei yori mo uresiku te,
4.1.5  「 いかがすべき。いとかく暗くなりぬめるを、心も乱れてなむ」
 「どうしよう。とてもこのように暗くなってしまったようだが、気がいらいらして」
「どうしたらいいだろう。こんなに暗くなってしまったのに、出られないので煩悶はんもんをしているのですよ」
  "Ikaga su beki. Ito kaku kuraku nari nu meru wo, kokoro mo midare te nam."
4.1.6  と、嘆かしげに思したり。「 よく御けしきを見たてまつらむ」と思して、
 と、嘆かしくお思いになっていた。「よくご本心をお確かめ申したい」とお思いになって、
 こうお言いになり、歎かわしそうなふうをお見せになったが、なおよく宮の新婦に対する真心の深さをきわめたく思ったかおるは、
  to, nagekasige ni obosi tari. "Yoku mi-kesiki wo mi tatematura m." to obosi te,
4.1.7  「 日ごろ経て、かく 参りたまへるを、今宵さぶらはせたまはで、急ぎまかでたまひなむ、いとどよろしからぬことにや 思しきこえさせたまはむ。台盤所の方にて承りつれば、 人知れず、わづらはしき宮仕へのしるしに、あいなき勘当にやはべらむと、顔の色違ひはべりつる」
 「久しぶりに、こうして参内なさったのに、今夜伺候あそばさないで、急いで退出なさるのは、ますますけしからぬこととお思いあそばしましょう。台盤所の方で伺ったところ、ひそかに、厄介なご用をお勤め申したために、受けなくてもよいお叱りもございましょうかと、顔が青くなりました」
「しばらくぶりで御所へおいでになりましたあなた様が、今夜宿直とのいをあそばさないですぐお出かけになっては、中宮様はよろしくなく思召すでしょう。先ほど私は、台盤所のほうで中宮様のお言葉を聞いておりまして、私がよろしくないお手引きをいたしましたことでおしかりを受けるのでないかと顔色の変わるのを覚えました」
  "Hi-goro he te, kaku mawiri tamahe ru wo, koyohi saburaha se tamaha de, isogi makade tamahi na m, itodo yorosikara nu koto ni ya obosi kikoye sase tamaha m. Daiban-dokoro no kata nite uketamahari ture ba, hito-sire-zu, wadurahasiki miya-dukahe no sirusi ni, ainaki kandau ni ya habera m to, kaho no iro tagahi haberi turu."
4.1.8  と申したまへば、
 と申し上げなさると、
 と申して見た。
  to mausi tamahe ba,
4.1.9  「 いと聞きにくくぞ思しのたまふや。多くは人のとりなすことなるべし。世に咎めあるばかりの心は、何事にかは、つかふらむ。所狭き身のほどこそ、 なかなかなるわざなりけれ
 「まことに聞き憎いことをおっしゃいますね。多くは誰かが中傷するのでしょう。世間から非難を受けるような料簡は、どうして、起こそうか。窮屈なご身分など、かえってないほうがましだ」
「私がひどく悪いようにおっしゃるではないか。たいていのことは人がいいかげんなことを申し上げているからなのだろう。世間から非難をされるようなことは何もしていないではないか。何にせよ窮窟な身の上であることがいけないね。こんな身分でなければと思う」
  "Ito kiki nikuku zo obosi notamahu ya! Ohoku ha hito no tori-nasu koto naru besi. Yo ni togame aru bakari no kokoro ha, nani-goto ni kaha, tukahu ram. Tokoro-seki mi no hodo koso, naka-naka naru waza nari kere."
4.1.10  とて、まことに厭はしくさへ思したり。
 とおっしゃって、ほんとうに厭わしくさえお思いであった。
 心の底からそう思召すふうで仰せられるのを見て、   tote, makoto ni itohasiku sahe obosi tari.
4.1.11  いとほしく見たてまつりたまひて、
 お気の毒に拝しなさって、
お気の毒になった薫は、
  Itohosiku mi tatematuri tamahi te,
4.1.12  「 同じ御騒がれにこそはおはすなれ。今宵の罪には代はりきこえさせて、身をもいたづらになしはべりなむかし。 木幡の山に馬はいかがはべるべき いとどものの聞こえや障り所なからむ
 「同じご不興でいらっしゃいましょう。今夜のお咎めは代わり申し上げて、我が身をも滅ぼしましょう。木幡の山に馬はいかがでございましょう。ますます世間の噂が避けようもないでしょう」
「どうせ同じことでございますから、今晩のあなた様の罪は私がることにいたしましょう、どんな犠牲もいといません。木幡こばたの山に馬はいかがでございましょう(山城の木幡の里に馬はあれど徒歩かちよりぞ行く君を思ひかね)いっそうおうわさは立つことになりましても」
  "Onazi ohom-sahagare ni koso ha ohasu nare. Koyohi no tumi ni ha kahari kikoye sase te, mi wo mo itadura ni nasi haberi na m kasi. Kohata-no-yama ni muma ha ikaga haberu beki. Itodo mono no kikoye ya sahari-dokoro nakara m."
4.1.13  と聞こえたまへば、ただ暮れに暮れて更けにける夜なれば、思しわびて、御馬にて出でたまひぬ。
 と申し上げなさるので、ただもうすっかり暮れて更けてしまった夜なので、お困りになって、お馬でお出かけになった。
 こう申し上げた。夜はますます暗くなっていくばかりであったから、忍びかねて宮は馬でお出かけになることになった。
  to kikoye tamahe ba, tada kure ni kure te huke ni keru yo nare ba, obosi-wabi te, ohom-muma nite ide tamahi nu.
4.1.14  「 御供には、なかなか仕うまつらじ。御後見を
 「お供は、かえっていたしますまい。後始末をしよう」
「お供にはかえって私のまいらぬほうがよろしゅうございましょう。私は宿直とのいすることにいたしまして、あなた様のために何かと都合よくお計らいいたしましょう」
  "Ohom-tomo ni ha, naka-naka tukau-matura zi. Ohom-usiromi wo."
4.1.15  とて、この君は内裏にさぶらひたまふ。
 と言って、この君は内裏にお残りになる。
 と言って、薫は残ることにした。
  tote, kono Kimi ha uti ni saburahi tamahu.
注釈545宮は匂宮。4.1.1
注釈546その夜結婚第三夜目。4.1.1
注釈547中宮匂宮の母明石の中宮。4.1.1
注釈548なほ、かく独りおはしまして以下「思しのたまふ」まで、中宮の詞。4.1.2
注釈549何事ももの好ましく立てたる御心なつかひたまひそ『集成』は「将来の立場を考えて、色好みの面に自重を求める気持がろう。なお、趣味に偏らぬことを貴族の理想とした」と注す。『完訳』は「万事ニ淫スルコト莫レ(中略)、用意平均、好悪ニ由ルコト莫レ」(寛平御遺誡)を指摘。4.1.2
注釈550上も主上も。詞の中での中宮が帝を呼ぶ呼称。私的な呼称。4.1.2
注釈551里住みがちにおはしますを主語は匂宮。六条院に居がち。4.1.3
注釈552御文書きてたてまつれたまへる『集成』は「宇治へのお便り。今夜は行けない嘆きを書き送る」と注す。4.1.3
注釈553中納言の君参りたまへり薫。4.1.3
注釈554そなたの心寄せ匂宮の心中の思い。薫は宇治の姉妹への味方。4.1.4
注釈555いかがすべき以下「心も乱れてなむ」まで、匂宮の詞。4.1.5
注釈556よく御けしきを見たてまつらむ薫の心中の思い。匂宮の本心愛情を確かめたい。4.1.6
注釈557日ごろ経て以下「顔の色違ひつはべりる」まで、薫の詞。4.1.7
注釈558参りたまへるを主語は匂宮。4.1.7
注釈559思しきこえさせたまはむ明石中宮が匂宮を。4.1.7
注釈560人知れずわづらはしき宮仕へのしるしに匂宮を宇治に案内したことをさす。4.1.7
注釈561いと聞きにくくぞ以下「わざなりけれ」まで、匂宮の詞。4.1.9
注釈562なかなかなるわざなりけれ『集成』は「かえってない方がましというものだ」。『完訳』は「かえって困りものなのですよ」と訳す。4.1.9
注釈563同じ御騒がれにこそは以下「障り所なからむ」まで、薫の詞。4.1.12
注釈564木幡の山に馬はいかがはべるべき『源氏釈』は「山科の木幡の里に馬はあれどかちよりぞ来る君を思へば」(拾遺集雑恋、一二四三、人麿)を指摘。4.1.12
注釈565いとどものの聞こえや障り所なからむ好色な評判の上に馬で出掛けてはますます軽率の誹りを招くでしょう、の意。4.1.12
注釈566御供にはなかなか仕うまつらじ御後見を薫の詞。後始末を引き受けましょう、の意。4.1.14
出典28 木幡の山に馬は 山科の木幡の山に馬はあれど徒歩よりぞ来る君を思へば 拾遺集雑恋-一二四三 柿本人麿 4.1.12
校訂23 何事も 何事も--なに事(事/+も) 4.1.2
4.2
第二段 薫、明石中宮に対面


4-2  Kaoru meets Akashi-chugu at the Court of Mikado

4.2.1  中宮の御方に参りたまひつれば、
 中宮の御方に参上なさると、
 薫が中宮の御殿へまいると、
  Tyuuguu-no-Ohomkata ni mawiri tamahi ture ba,
4.2.2  「 宮は出でたまひぬなり。あさましくいとほしき御さまかな。いかに人見たてまつるらむ。上聞こし召しては、 諌めきこえぬが言ふかひなき、と思しのたまふこそわりなけれ」
 「宮はお出かけになったそうな。あきれて困ったお方ですこと。どのように世間の人はお思い申すことでしょう。主上がお耳にあそばしたら、ご注意申し上げないのがいけないのだ、とお考えになり仰せになるのが耐えられません」
「兵部卿の宮さんはお出かけになったらしい。困った御行跡ね。おかみがお聞きになれば必ず私がよく忠告をしてあげないからだとお思いになってお小言をあそばすだろうから困るのよ」
  "Miya ha ide tamahi nu nari. Asamasiku itohosiki ohom-sama kana! Ikani hito mi tatematuru ram? Uhe kikosimesi te ha, isame kikoye nu ga ihukahinaki, to obosi notamahu koso wari nakere."
4.2.3  とのたまふ。 あまた宮たちの、かくおとなび整ひたまへど大宮は、いよいよ若くをかしきけはひなむ、まさりたまひける。
 と仰せになる。大勢の宮たちが、このようにご成人なさったが、大宮は、ますます若く美しい感じが、優っていらっしゃるのであった。
 こうおきさきは仰せになった。多くの宮様が皆大人おとなになっておいでになるのであるが、御母宮はいよいよ若々しいお美しさが増してお見えになるのであった。   to notamahu. Amata Miya-tati no, kaku otonabi totonohi tamahe do, Oho-Miya ha, iyo-iyo wakaku wokasiki kehahi nam, masari tamahi keru.
4.2.4  「 女一の宮も、かくぞおはしますべかめる。いかならむ折に、かばかりにてももの近く、御声をだに聞きたてまつらむ」と、あはれとおぼゆ。「 好いたる人の、おぼゆまじき心つかふらむも、 かうやうなる御仲らひの、さすがに気遠からず入り立ちて、心にかなはぬ折のことならむかし。
 「女一の宮も、このように美しくいらっしゃるようである。どのような機会に、この程度にお側近く、お声だけでもお聞きいたしたい」と、しみじみと思われる。「好色な男が、けしからぬ料簡を起こすのも、このようなお間柄で、そうはいっても他人行儀でなく出入りして、思いどおりにできないときのことなのだろう。
女一にょいちみやもこんなのでおありになるのであろう、どんな機会によって自分はこれほど一の宮へ接近することができるであろう、お声だけでも聞きうることができようと、幼い日からのあこがれが今またこの人の心を哀れにさせた。好色な人が思うまじき人を思うことになるのも、こうした間柄で、さすがにある程度まで近づくことが許されていて、しかもきびしい隔てがその中に立てられているというような時に、苦しみもし、もだえもするのであろう、   "Womna-Iti-no-Miya mo, kaku zo ohasimasu beka' meru. Ika nara m wori ni, kabakari nite mo mono-tikaku, ohom-kowe wo dani kiki tatematura m." to, ahare to oboyu. "Sui taru hito no, oboyu maziki kokoro tukahu ram mo, kau yau naru ohom-nakarahi no, sasuga ni kedohokara zu iri-tati te, kokoro ni kanaha nu wori no koto nara m kasi.
4.2.5   わが心のやうに、ひがひがしき心のたぐひ やは、また世にあんべかめる。それに、なほ 動きそめぬるあたりは、えこそ思ひ絶えね」
 自分のように、偏屈な性分は、他に世にいるだろうか。なのに、やはり心動かされた女は、思い切ることができないのだ」
自分のように異性への関心の淡いものはないのであるが、それでさえもなお動き始めた心はおさえがたいものなのであるから、   Waga kokoro no yau ni, higa-higasiki kokoro no taguhi ya ha, mata yo ni an beka' meru. Sore ni, naho ugoki some nuru atari ha, e koso omohi taye ne."
4.2.6  など思ひゐたまへる。さぶらふ限りの女房の容貌心ざま、いづれとなく悪ろびたるなく、めやすくとりどりにをかしきなかに、あてにすぐれて目にとまるあれど、 さらにさらに乱れそめじの心にて、いときすくにもてなしたまへり。ことさらに 見えしらがふ人もあり
 などと思っていらっしゃった。お仕えしているすべての女房の器量や気立ては、どの人となく悪い者はなく、無難でそれぞれに美しい中に、上品で優れて目にとまるのもいるが、全然乱れまいとの気持ちで、まことに生真面目に振る舞っていらっしゃった。わざと気を引いてみる女房もいる。
などと薫は思っていた。侍女たちは容貌ようぼうも性情も皆すぐれていて、欠点のある者は少なく、どれにもよいところが備わり、また中には特に目だつほどの人もあるが、恋のあやまちはすまいと決めているから、薫は中宮の御殿に来ていてもまじめにばかりしていた。わざとこの人の目につくようにふるまう人もないのではない。   nado omohi wi tamahe ru. Saburahu kagiri no nyoubau no katati kokoro-zama, idure to naku warobi taru naku, meyasuku tori-dori ni wokasiki naka ni, ate ni sugure te me ni tomaru are do, sarani sarani midare some zi no kokoro nite, ito kisuku ni motenasi tamahe ri. Kotosara ni miye siragahu hito mo ari.
4.2.7   おほかた恥づかしげに、もてしづめたまへるあたりなれば、 上べこそ心ばかり もてしづめたれ心々なる世の中なりければ 、色めかしげにすすみたる下の心漏りて見ゆるもあるを、「さまざまにをかしくも、あはれにもあるかな」と、 立ちてもゐても、ただ常なきありさまを思ひありきたまふ
 だいたいが気後れするような、沈着に振る舞っていらっしゃる所なので、表面はしとやかにしているが、人の心はさまざまなので、色っぽい性分の本心をちらちらと見せるのもいるが、「人それぞれにおもしろくもあり、いとおしくもあるなあ」と、立っても座っても、ただ世の無常を思い続けていらっしゃる。
気品を傷つけないようにと上下とも慎み深く暮らす女房たちにも、個性はそれぞれ違ったものであるから、美しい薫への好奇心が、おさえられつつも外へ現われて見える人などに、薫はあわれみも感じ、心のかれそうになることがあっても、何事も無常の人世なのであるからと冷静に考えては見ぬふりを続けた。
  Ohokata hadukasige ni, mote-sidume tamahe ru atari nare ba, uhabe koso kokoro bakari mote-sidume tare, kokoro-gokoro naru yononaka nari kere ba, iro-mekasige ni susumi taru sita no kokoro mori te miyuru mo aru wo, "Sama-zama ni wokasiku mo, ahare ni mo aru kana!" to, tati te mo wi te mo, tada tune naki arisama wo omohi ariki tamahu.
注釈567宮は出でたまひぬなり以下「わりなけれ」まで、明石中宮の詞。「なり」伝聞推定の助動詞。4.2.2
注釈568諌めきこえぬが言ふかひなきと主語は私中宮が匂宮を。4.2.2
注釈569あまた宮たちのかくおとなび整ひたまへど明石中宮腹の宮たち。東宮(一の宮)、二の宮、三の宮(匂宮)、五の宮、女一の宮たちがいる。4.2.3
注釈570大宮明石中宮をいう。四十三歳である。4.2.3
注釈571女一の宮も以下「聞きたてまつらむ」まで、薫の心中の思い。「べかめる」は薫の推量。4.2.4
注釈572好いたる人の以下「えこそ思ひ絶えね」まで、薫の心中の思い。4.2.4
注釈573わが心のやうにひがひがしき心のたぐひ『集成』は「身近に大君や中の君に会いながら、手を出さなかったことを言う」と注す。4.2.5
注釈574やはまた世にあんべかめる反語表現。「あん」は「ある」の撥音便化。4.2.5
注釈575動きそめぬるあたりは大君をさす。4.2.5
注釈576さらにさらに乱れそめじ薫の心中を語り手が叙述。4.2.6
注釈577見えしらがふ人もあり薫の気を引いてみせる女房がいる。4.2.6
注釈578おほかた恥づかしげに明石中宮方の雰囲気。4.2.7
注釈579上べこそ--もてしづめたれ主語は女房たち。係結び、逆接用法。4.2.7
注釈580心々なる世の中なりければ『異本紫明抄』は「世の人の心々に有りければ思ふはつらし憂きは頼まず」(古今六帖五、相思はぬ)を指摘。4.2.7
注釈581立ちてもゐてもただ常なきありさまを思ひありきたまふ『集成』は「日頃のちょっとしたことにも、ただ世間の無常をしきりに思っていらっしゃる。「立ちてもゐても」は歌語。さまざまな女にも、無常を観ずる薫の本性」と注す。4.2.7
出典29 心々なる世の中 世の人の心々にありければ思ふは辛し憂きは頼まず 古今六帖五-二六二二 4.2.7
校訂24 かうやう かうやう--か(か/+う)やう 4.2.4
4.3
第三段 女房たちと大君の思い


4-3  The thinking of Ohoi-kimi and her maids

4.3.1   かしこには、中納言殿のことことしげに言ひなしたまへりつるを、 夜更くるまでおはしまさで、御文のあるを、「 さればよ」と胸つぶれておはするに、夜中近くなりて、荒ましき風のきほひに、いともなまめかしくきよらにて匂ひおはしたるも、 いかがおろかにおぼえたまはむ
 あちらでは、中納言殿が仰々しくおっしゃったのを、夜の更けるまでいらっしゃらず、お手紙のあるのを、「やはりそうであったか」と胸をつぶしておいでになると、夜半近くなって、荒々しい風に競うようにして、たいそう優雅で美しく匂っていらっしゃったのも、どうしていい加減に思われなさろう。
 宇治では薫から大形おおぎょうな使いなどもよこされてあるのに、深更まで宮はお見えにならず、お手紙の使いだけの来たために、これであるから頼もしい方とは思われなかったのであると、姉女王が煩悶はんもんしていたうちに、夜中近くなって、荒い風の吹き立つ中に、兵部卿の宮はえんなにおいを携えて、美しいお姿をお見せになったのであったから、喜びを覚えないわけもない。   Kasiko ni ha, Tyuunagon-dono no koto-kotosige ni ihi-nasi tamahe ri turu wo, yo hukuru made ohasimasa de, ohom-humi no aru wo, "Sarebayo!" to mune tubure te ohasuru ni, yonaka tikaku nari te, aramasiki kaze no kihohi ni, ito mo namamekasiku kiyora nite nihohi ohasi taru mo, ikaga oroka ni oboye tamaha m.
4.3.2   正身も、いささか うちなびきて思ひ知りたまふことあるべしいみじくをかしげに盛りと見えて、引きつくろひたまへるさまは、「 ましてたぐひあらじはや」とおぼゆ。
 ご本人も、わずかにうちとけて、お分かりになることがきっとあるにちがいない。たいそう美しく女盛りと見えて、ひきつくろっていらっしゃる様子は、「この方以上の方があろうか」と思われる。
新夫人の中の君も前に似ぬ好意をお持ちしたことと思われる。中の君は非常に美しい盛りの容貌ようぼうを、まして今夜は周囲の人たちによってきれいによそおわれていたのであったから、またたぐいもない麗人と思われた。   Syauzimi mo, isasaka uti-nabiki te, omohi-siri tamahu koto aru besi. Imiziku wokasige ni sakari to miye te, hiki-tukurohi tamahe ru sama ha, "Masite taguhi ara zi ha ya." to oboyu.
4.3.3  さばかりよき人を多く見たまふ御目にだに、けしうはあらずと、容貌よりはじめて、多く近まさりしたりと思さるれば、山里の老い人どもは、まして口つき憎げにうち笑みつつ、
 あれほど美しい人を数多く御覧になっているお目にさえ、悪くはないと、器量をはじめとして、多く近勝りして思われなさるので、山里の老女連中は、まして慎みなく相好を崩して微笑しながら、
多くの美女を知っておいでになる宮の御目にも欠点をお見いだしになることはなくて、姿も心も接近してますますすぐれたことの明らかになった恋人であると思召すばかりであったから、山荘の老いた女房などは満足したか自身の表情がどんなに醜いかも知らずに、ゆがんだ笑顔えがおをしながら中の君を見て、   Sabakari yoki hito wo ohoku mi tamahu ohom-me ni dani, kesiu ha ara zu to, katati yori hazime te, ohoku tika-masari si tari to obosa rure ba, yamazato no Oyi-bito-domo ha, masite kuti-tuki nikuge ni uti-wemi tutu,
4.3.4  「 かくあたらしき御ありさまを、なのめなる際の人の 見たてまつりたまはましかば、いかに口惜しからまし。思ふやうなる御宿世」
 「このように惜しいご様子を、並の身分の男性がお世話申し上げなさるようになったら、どんなに口惜しいことでしょう。思いどおりのご運勢を」
これほどにもりっぱな方が凡人の妻におなりになったとしたらどんなに残念に思われるであろう、御運よく理想的な良人おっとをお持ちになることができてよかった   "Kaku atarasiki ohom-arisama wo, nanome naru kiha no hito no mi tatematuri tamaha masika ba, ikani kutiwosikara masi. Omohu yau naru ohom-sukuse."
4.3.5  と聞こえつつ、 姫宮の御心を、あやしく ひがひがしくもてなしたまふを、もどき口ひそみきこゆ。
 と申し上げながら、姫宮のご性格を、妙な偏屈者のようにお振る舞いなさるのを、悪しざまに口をとがらせてご非難申し上げる。
と言い合い、大姫君が薫の熱心な求婚に応じようとしないのをひそかに非難していた。   to kikoye tutu, Hime-Miya no mi-kokoro wo, ayasiku higa-higasiku motenasi tamahu wo, modoki kuti hisomi kikoyu.
4.3.6   盛り過ぎたるさまどもに、あざやかなる花の色々、似つかはしからぬをさし縫ひつつ、 ありつかずとりつくろひたる姿どもの、罪許されたるもなきを見わたされたまひて、姫宮、
 盛りを過ぎた身なのに、派手な花の色とりどりや、似つかわしくないのを縫いながら、身にもつかずめかしこんでいる女房連中の姿が、見られた者もいないのを見渡しなさって、姫宮は、
こうした中年になった人たちが薫から贈られた美しいいろいろな絹で衣装を縫って、それぞれ似合いもせぬ盛装をしている中に一人でも感じのよいと思われる女房はなかった。総角あげまきの姫君がこれを見て、   Sakari sugi taru sama-domo ni, azayaka naru hana no iro-iro, nitukahasikara nu wo sasi-nuhi tutu, arituka zu toritukurohi taru sugata-domo no, tumi yurusa re taru mo naki wo mi-watasa re tamahi te, Hime-Miya,
4.3.7  「 我もやうやう盛り過ぎぬる身ぞかし。鏡を見れば、痩せ痩せになりもてゆく。おのがじしは、この人どもも、 我悪しとやは思へる。うしろでは知らず顔に、額髪をひきかけつつ、色どりたる顔づくりをよくしてうち振る舞ふめり。わが身にては、まだいとあれがほどにはあらず。目も鼻も直しとおぼゆるは、心のなしにやあらむ」
 「わたしもだんだん盛りを過ぎた身だわ。鏡を見ると、痩せ痩せになってゆく。めいめいは、この女房連中も、自分自身を醜いと思っていようか。後ろ姿は知らない顔で、額髪をかき上げながら、化粧した顔づくろいをよくして振る舞っているようだ。自分の身としては、まだあの女房ほどは醜くはない。目鼻だちも尋常だと思われるのは、うぬぼれであろうか」
自分も盛りの過ぎた女である、このごろ鏡を見ると顔はせてばかりゆく、この人たちでも自身では皆相当にきれいであるという自信を持っていて、醜いと認める者はないはずである、頭の後ろの形がどうなっているかも思わずに額髪ひたいがみだけを深く顔に引っかけて化粧をした顔を恥ずかしいとは思わぬらしい。自分はまだあれほどにはなっていず、目も鼻も正しい形をしていると思うのは、わがことであって身勝手な思いなしによるものなのであろう   "Ware mo yau-yau sakari sugi nuru mi zo kasi. Kagami wo mire ba, yase-yase ni nari mote yuku. Onogazisi ha, kono Hito-domo mo, ware asi to yaha omohe ru? Usirode ha sira-zu-gaho ni, hitahi-gami wo hiki-kake tutu, iro-dori taru kaho dukuri wo yoku si te uti-hurumahu meri. Waga mi nite ha, mada ito are ga hodo ni ha ara zu. Me mo hana mo nahosi to oboyuru ha, kokoro no nasi ni ya ara m."
4.3.8  とうしろめたくて、見出だして臥したまへり。「 恥づかしげならむ人に見えむことは、いよいよかたはらいたく、今一二年あらば、衰へまさりなむ。 はかなげなる身のありさまを」と、御手つきの細やかにか弱く、あはれなるをさし出でても、 世の中を思ひ続けたまふ。
 と不安で、外を眺めながら臥せっていらっしゃった。「気後れするような方と結婚することは、ますますみっともなく、もう一、二年したらいっそう衰えよう。頼りない身の上を」と、お腕が細っそりとして弱々しく、痛々しいのをさし出してみても、世の中を思い続けなさる。
と気恥ずかしいような思いをしながらぼうと外をながめつつ寝ていた。すべての整ったりっぱな青年である源中納言の妻になることはいよいよ似合わしからぬことと自分は思われる、もう一、二年すれば衰え方がもっと急速度になることであろう、もともと貧弱な体質の自分なのであるからと、大姫君はほっそりとした手首を袖の外に出しながら人生の悲しみを深く味わっていた。
  to usirometaku te, mi-idasi te husi tamahe ri. "Hadukasige nara m hito ni miye m koto ha, iyo-iyo kataharaitaku, ima hito-tose huta-tose ara ba, otorohe masari na m. Hakanage naru mi no arisama wo." to, ohom-tetuki no komayaka ni kayowaku, ahare naru wo sasi-ide te mo, yononaka wo omohi tuduke tamahu.
注釈582かしこには宇治をさす。4.3.1
注釈583夜更くるまでおはしまさで主語は匂宮。4.3.1
注釈584さればよと大君の心配。やはり一時の慰みであったのだと。4.3.1
注釈585いかがおろかにおぼえたまはむ主語は大君。反語表現。語り手の感情移入の表現。4.3.1
注釈586正身も中君。4.3.2
注釈587思ひ知りたまふことあるべし『休聞抄』は「双也」と指摘。『完訳』は「匂宮の厚志が分るようだと、語り手が推測」と注す。4.3.2
注釈588いみじくをかしげに盛りと見えて以下、匂宮の目を通しての叙述。4.3.2
注釈589ましてたぐひあらじはや匂宮の心中の思い。反語表現。4.3.2
注釈590かくあたらしき御ありさまを以下「御宿世を」まで、老女房の詞。4.3.4
注釈591見たてまつりたまはましかばいかに口惜しからまし反実仮想の構文。匂宮と結婚してよかった、という気持ち。4.3.4
注釈592姫宮大君をさす。4.3.5
注釈593ひがひがしくもてなしたまふを大君が薫に靡こうとしないのをいう。4.3.5
注釈594盛り過ぎたるさまどもに『完訳』は「以下、大君の感懐。厚顔無恥の老女房を見る眼から、やがてわが身を凝視する眼へと移る」と注す。4.3.6
注釈595ありつかずとりつくろひたる姿どもの薫から贈られた衣装を着飾っているが、似合わない様子。4.3.6
注釈596我もやうやう盛り過ぎぬる身ぞかし以下「心のなしにあらむ」まで、大君の心中の思い。4.3.7
注釈597我悪しとやは思へる反語表現。老女房たちも自分自身醜いとは思っていまい。4.3.7
注釈598恥づかしげならむ人に以下「ありさまを」まで、大君の思い。薫と結婚することをさす。4.3.8
注釈599はかなげなる身のありさまを『集成』は「長生きできそうにない私の身体具合だものと」。『完訳』は「いかにも頼りどころのないこの身の上を」「生活環境への不安と体の衰弱への不安とを重ねていう」と注す。4.3.8
注釈600世の中を『集成』は「薫とのことを」。『完訳』は「世の無常を」「直接には薫との仲をさす」と注す。4.3.8
校訂25 うちなびきて うちなびきて--うちなひ(ひ/+き<朱>)て 4.3.2
4.4
第四段 匂宮と中の君、朝ぼらけの宇治川を見る


4-4  Nio-no-miya and Naka-no-kimi look at Uji River in dawn

4.4.1   宮は、ありがたかりつる御暇のほどを思しめぐらすに、「 なほ、心やすかるまじきことにこそは」と、胸ふたがりておぼえたまひけり。 大宮の聞こえたまひしさまなど語りきこえたまひて、
 匂宮は、めったにないお暇のほどをお考えになると、「やはり、気軽にできそうにないことだ」と、胸が塞がって思われなさるのであった。大宮がご注意申し上げなさったことなどをお話し申し上げなさって、
 兵部卿の宮は今夜のお出かけにくかったことをお考えになると、将来も不安におなりになって、今さえそれでお胸がふさがれてしまうようになるのであった。中宮の仰せられた話などをされて、
  Miya ha, arigatakari turu ohom-itoma no hodo wo obosi-megurasu ni, "Naho, kokoro-yasukaru maziki koto ni koso ha." to, mune hutagari te oboye tamahi keri. Oho-Miya no kikoye tamahi si sama nado katari kikoye tamahi te,
4.4.2  「 思ひながらとだえあらむを、いかなるにか、と思すな。夢にてもおろかならむに、かくまでも参り来まじきを。心のほどやいかがと疑ひて、思ひ乱れたまはむが心苦しさに、 身を捨ててなむ。常にかくは え惑ひありかじ。さるべきさまにて、近く渡したてまつらむ」
 「愛していながら途絶えがあろうが、どうしたことなのか、とお案じなさるな。かりそめにも疎かに思ったら、このようには参りません。心の中をどうかしらと疑って、お悩みになるのがお気の毒で、身を捨てて参ったのです。いつもこのようには抜け出すことはできないでしょう。しかるべき用意をして、近くにお移し申しましょう」
「変わりない愛を持っていながら来られない日が続いても疑いは持たないでください。仮にもおろそかにあなたを思っているのだったら、こんな苦心を払って今夜なども出て来られるはずはありません。それだのに私の愛を信じることがおできにならないで、煩悶はんもんしたりされるのが気の毒で、自分のことはどうともなれとまで思って出かけて来たのですよ。始終これが続けられるとも思われませんからね、あなたの住むのに都合のよい所をこしらえて私の近くへ移したく思いますよ」
  "Omohi nagara todaye ara m wo, ika naru ni ka, to obosu na. Yume nite mo oroka nara m ni, kaku made mo mawiri ku maziki wo. Kokoro no hodo ya ikaga to utagahi te, omohi midare tamaha m ga kokoro-gurusisa ni, mi wo sute te nam. Tune ni kaku ha e madohi arika zi. Saru-beki sama ni te, tikaku watasi tatematura m."
4.4.3  と、いと深く聞こえたまへど、「 絶え間あるべく思さるらむは、音に聞きし御心のほどしるべきにや」と心おかれて、わが御ありさまから、さまざまもの嘆かしくてなむありける。
 と、とても心をこめて申し上げなさるが、「絶え間がきっとあるように思われなさるのは、噂に聞いたお心のほどが現れたのかしら」と疑われて、ご自身の頼りない様子を思うと、いろいろと悲しいのであった。
 宮はこれを真心からお言いになるのであったが、間の途絶えるであろうことを今からお言いになるのは、名高い多情な生活から、恨ませまいための予防の線をお張りになるのであろうと、心細さにらされた女王にょおうは前途をも悲観せずにはおられなかった。   to, ito hukaku kikoye tamahe do, "Taye-ma aru beku obosaru ram ha, oto ni kiki si mi-kokoro no hodo siru beki ni ya?" to kokoro-oka re te, waga ohom-arisama kara, sama-zama mono-nagekasiku te nam ari keru.
4.4.4  明け行くほどの空に、妻戸押し開けたまひて、 もろともに誘ひ出でて見たまへば、霧りわたれるさま、 所からのあはれ多く添ひて、 例の、柴積む舟のかすかに行き交ふ跡の白波 、「 目馴れずもある住まひのさまかな」と、 色なる御心には、をかしく思しなさる。
 明けてゆく空に、妻戸を押し開けなさって、一緒に誘って出て御覧になると、霧の立ちこめた様子、場所柄の情趣が多く加わって、例の、柴積み舟がかすかに行き来する跡の白波、「見慣れない住まいの様子だなあ」と、物事に感じやすいお心には、おもしろく思われなさる。
夜明けに近い空模様を、横の妻戸を押しあけて宮は女王も誘って出ておながめになるのであった。霧が深く立って特色のある宇治の寂しい景色けしきの作られている中を、例の柴船しばふねのかすかに動いて通って行くあとには、白い波が筋をなして漂っていた。珍しい景をかたわらにした家であると風流心みやびごころにおもしろく宮は思召した。   Ake-yuku hodo no sora ni, tumado osi-ake tamahi te, morotomo ni izanahi ide te mi tamahe ba, kiri watare ru sama, tokoro-gara no ahare ohoku sohi te, rei no, siba tumu hune no kasuka ni yuki-kahu ato no sira-nami, "Me-nare zu mo aru sumahi no sama kana!" to, iro naru mi-kokoro ni ha, wokasiku obosi nasa ru.
4.4.5  山の端の光やうやう見ゆるに、女君の御容貌のまほにうつくしげにて、「 限りなくいつき据ゑたらむ姫宮も、かばかりこそはおはすべかめれ。思ひなしの、 わが方ざまのいといつくしきぞかし。こまやかなる匂ひなど、うちとけて見まほしく」、なかなかなる心地す。
 山の端の光がだんだんと見えるころに、女君のご器量が整っていてかわいらしくて、「この上なく大切に育てられた姫君も、これほどでいらっしゃろうか。気のせいで、こちらの身内の方がとても立派に思われる。きめ濃やかな美しさなどは、気を許して見ていたく」、かえって堪えがたい気がする。
東の山の上からほのめいてきた暁の微光に見る中の君の容姿は整いきった美しさで、最上の所にかしずかれた内親王もこれにまさるまいとお思われになった。現在のみかどの皇子であるからという気持ちで自分のほうの思い上がっているのは誤りである、この人の持つよさを今以上によく見もし、知りもしたいと思召す心がいっぱいになり、その人を少し見ることがおできになってかえってより多くがお望まれになった。   Yama-no-ha no hikari yau-yau miyuru ni, Womna-Gimi no ohom-katati no maho ni utukusige nite, "Kagirinaku ituki suwe tara m Hime-Miya mo, kabakari koso ha ohasu beka' mere. Omohi-nasi no, waga kata zama no ito itukusiki zo kasi. Komayaka naru nihohi nado, utitoke te mi mahosiku", naka-naka naru kokoti su.
4.4.6  水の音なひなつかしからず、 宇治橋のいともの古りて見えわたさるるなど 、霧晴れゆけば、いとど荒ましき岸のわたりを、「 かかる所に、いかで年を経たまふらむ」など、うち涙ぐまれたまへるを、いと 恥づかしと聞きたまふ
 水の音が騒がしく、宇治橋がたいそう古びて見渡されるなど、霧が晴れてゆくと、ますます荒々しい岸の辺りを、「このような所に、どのようにして年月を過ごしてこられたのだろう」などと、涙ぐんでおっしゃるのを、まことに恥ずかしいとお聞きになる。
河音かわおとはうれしい響きではなかったし、宇治橋のただ古くて長いのが限界を去らずにあったりして、霧の晴れていった時には、荒涼たる感じの与えられる岸のあたりも悲しみになった。
「どうしてこんな土地に長い間いることができたのですか」
 とお言いになり、宮の涙ぐんでおいでになるのを見て、女王は恥ずかしい気がした。
  Midu no otonahi natukasikara zu, Udi-basi no ito mono-huri te miye watasa ruru nado, kiri hare-yuke ba, itodo aramasiki kisi no watari wo, "Kakaru tokoro ni, ikade tosi wo he tamahu ram." nado, uti-namida-gumi tamahe ru wo, ito hadukasi to kiki tamahu.
4.4.7  男の御さまの、限りなくなまめかしくきよらにて、この世のみならず契り頼めきこえたまへば、「 思ひ寄らざりしこととは思ひながら、なかなか、かの目馴れたりし中納言の恥づかしさよりは」とおぼえたまふ。
 男君のご様子が、この上なく優雅で美しくて、この世だけでなく来世まで夫婦のお約束申し上げなさるので、「思い寄らなかったこととは思いながらも、かえって、あの目馴れた中納言の恥ずかしさよりは」と思われなさる。
そして今よく見る宮のお姿はきわめてえんであった。この世かぎりでない契りをおささやきになるのを聞いていて、思いがけず結ばれた人とはいえ、かえってあの冷静なふうの中納言を良人おっとにしたよりはこの運命のほうが気安いと女王は思っているのであった。   Wotoko no ohom-sama no, kagirinaku namamekasiku kiyora nite, konoyo nomi nara zu tigiri tanome kikoye tamahe ba, "Omohi-yora zari si koto to ha omohi nagara, naka-naka, kano me-nare tari si Tyuunagon no hadukasisa yori ha." to oboye tamahu.
4.4.8  「 かれは思ふ方異にて、いといたく澄みたるけしきの、 見えにくく恥づかしげなりしによそに思ひきこえしは、ましてこよなくはるかに一行書き出でたまふ御返り事だに、つつましくおぼえしを、久しく途絶えたまはむは、心細からむ」
 「あの方は愛する方が別にいて、とてもたいそう澄ましていた様子が、会うのも気づまりであったが、お噂だけでお思い申し上げていた時は、いっそうこの上なく遠くに、一行お書きになるお返事でさえ。気後れしたが、久しく途絶えなさることは、心細いだろう」
あの人の熱愛している人は自分でなくもあったし、澄みきったような心の様子に現われて見える点でも親しまれないところがあった、しかもこの宮をそのころの自分はどう思っていたであろう、まして遠い遠い所の存在としていた。短いお手紙に返事をすることすら恥ずかしかった方であるのに、今の心はそうでない、久しくおいでにならぬことがあれば心細いであろう   "Kare ha omohu kata koto ni te, ito itaku sumi taru kesiki no, miye nikuku hadukasige nari si ni, yoso ni omohi kikoye si ha, masite koyonaku haruka ni, hito-kudari kaki-ide tamahu ohom-kaheri-goto dani, tutumasiku oboye si wo, hisasiku todaye tamaha m ha, kokoro-bosokara m."
4.4.9  と思ひならるるも、 我ながらうたて、と思ひ知りたまふ。
 と思われるのも、我ながら嫌なと、思い知りなさる。
と思われるのも、われながら怪しく恥ずかしい変わりようであると中の君は心で思った。   to omohi nara ruru mo, ware nagara utate, to omohi-siri tamahu.
注釈601宮は匂宮。4.4.1
注釈602なほ心やすかるまじきこと匂宮が宇治に通って来ることをさす。4.4.1
注釈603大宮明石中宮。4.4.1
注釈604思ひながら以下「近く渡したてまつらむ」まで、匂宮の詞。4.4.2
注釈605身を捨ててなむ係助詞「なむ」の下に「参りつる」などの語句が省略。4.4.2
注釈606え惑ひありかじ宮中を抜け出して宇治に出向くこと。4.4.2
注釈607絶え間あるべく以下「ほどしるべきにや」まで、中君の心中の思い。好色の評判高い匂宮の物言いかと思う。4.4.3
注釈608もろともに誘ひ出でて『完訳』は「一緒に夜明けの外景を眺めるのは、逢瀬の後の、親密な仲を語る典型的場面」と注す。4.4.4
注釈609所からのあはれ山里らしい風情。4.4.4
注釈610例の柴積む舟のかすかに行き交ふ跡の白波『完訳』は「以下宇治の典型的風景」と注す。『源氏釈』は「世の中を何に譬へむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波」(拾遺集哀傷、一三二七、沙弥満誓)を指摘。4.4.4
注釈611目馴れずもある住まひのさまかな匂宮の感想。4.4.4
注釈612色なる御心『集成』は「多情なご性分とて」。『完訳』は「多感な宮のお心には」と訳す。4.4.4
注釈613限りなくいつき据ゑたらむ姫宮も以下「見まほしき」あたりまで、匂宮の心中の思い。以下、地の文に流れる。4.4.5
注釈614わが方ざまのいといつくしきぞかし姉の女一の宮が立派に思われる。4.4.5
注釈615宇治橋のいともの古りて見えわたさるるなど『花鳥余情』は「千早振る宇治の橋守汝れをしぞあはれとは思ふ年の経ぬれば」(古今集雑上、九〇四、読人しらず)を指摘。4.4.6
注釈616かかる所にいかで年を経たまふらむ匂宮の思い。中君が今まで宇治の山里に過ごしてきたことをいう。4.4.6
注釈617恥づかしと聞きたまふ主語は中君。4.4.6
注釈618思ひ寄らざりしこととは思ひながら『集成』は「以下、中の君の心中に添って述べる」。『完訳』は「中の君の心中。昔からなじんできた薫より気骨が折れない、とする」と注す。4.4.7
注釈619かれは思ふ方異にて以下「心細からむ」まで、中君の心中の思い。薫は私ではなく姉の大君を愛している。4.4.8
注釈620見えにくく恥づかしげなりしに『集成』は「近づきにくく気詰まりだったのに」。『完訳』は「お付合いしにくく気づまりであったが」と注す。4.4.8
注釈621よそに思ひきこえしはましてこよなくはるかに匂宮のことを噂に聞いていたときは薫以上にはるかな存在に思っていたが、の意。4.4.8
注釈622一行書き出でたまふ御返り事だに主語は中君。かつて匂宮に書いた返事をさす。4.4.8
注釈623我ながらうたて中君の心中の思い。『完訳』は「自分ながら、心の変りようを。夜離れの心細さを懸念するような、恋する女に変ったことを自覚」と注す。4.4.9
出典30 舟のかすかに行き交ふ跡の白波 世の中を何に喩へむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波 拾遺集哀傷-一三二七 沙弥満誓 4.4.4
出典31 宇治橋のいともの古りて 千早振る宇治の橋守汝をしぞあはれとぞ思ふ年の経ぬれば 古今集雑上-九〇四 読人しらず 4.4.6
4.5
第五段 匂宮と中の君和歌を詠み交して別れる


4-5  Nio-no-miya and Naka-no-kimi compose and exchange waka , and part

4.5.1  人びといたく声づくり催しきこゆれば、 京におはしまさむほど、はしたなからぬほどにと、いと心あわたたしげにて、心より外ならむ夜がれを、返す返すのたまふ。
 お供の者たちがひどく咳払いをしてお促し申し上げるので、京にお着きになる時刻が、みっともなくないころにと、たいそう気ぜわしそうに、心にもなく来られない夜もあろうことを、繰り返し繰り返しおっしゃる。
お供の人たちが次々に促しの声を立てるのを聞いておいでになって、京へはいって人目を引くように明るくならぬようにと、宮はおいでになろうとする際も御自身の意志でない通いの途絶えによって、思い乱れることのないようにとかえすがえすもお言いになった。
  Hito-bito itaku kowa-dukuri moyohosi kikoyure ba, Kyau ni ohasimasa m hodo, hasitanakara nu hodo ni to, ito kokoro-awatatasige ni te, kokoro yori hoka nara m yo-gare wo, kahesu-gahesu notamahu.
4.5.2  「中絶えむものならなくに 橋姫の
 「中が切れようとするのでないのに
 「中絶えんものならなくに橋姫の     "Naka taye m mono nara naku ni Hasi-Hime no
4.5.3   片敷く袖や夜半に濡らさむ
  あなたは独り敷く袖は夜半に濡らすことだろう
  片敷くそで夜半よはらさん」
    kata-siku sode ya yoha ni nurasa m
4.5.4  出でがてに、立ち返りつつやすらひたまふ。
 帰りにくく、引き返しては躊躇していらっしゃる。
 帰ろうとしてまた躊躇ちゅうちょをあそばされた宮がこの歌をささやかれたのである。
  Ide-gate ni, tati-kaheri tutu yasurahi tamahu.
4.5.5  「絶えせじのわが頼みにや宇治橋の
 「切れないようにとわたしは信じては
 「絶えせじのわが頼みにや宇治橋の     "Taye se zi no waga tanomi ni ya Udi-basi no
4.5.6   遥けきなかを待ちわたるべき
  宇治橋の遥かな仲をずっとお待ち申しましょう
  はるけき中を待ち渡るべき」
    harukeki naka wo mati-wataru beki
4.5.7  言には出でねど、もの嘆かしき御けはひは、限りなく思されけり。
 口には出さないが、何となく悲しいご様子は、この上なくお思いなさるのであった。
 などとだけ言い、言葉は少ないながらも女王の様子に別れの悲しみの見えるのをお知りになり、たぐいもない愛情を宮は覚えておいでになった。
  Koto ni ha ide ne do, mono-nagekasiki ohom-kehahi ha, kagirinaku obosa re keri.
4.5.8  若き人の御心にしみぬべく、たぐひすくなげなる 朝けの御姿を見送りて、名残とまれる御移り香なども、人知れずものあはれなるは、 されたる御心かな。今朝ぞ、もののあやめ見ゆるほどにて、 人びと覗きて見たてまつる。
 若い女性のお心にしみるにちがいない、世にも稀な朝帰りのお姿を見送って、後に残っている御移り香なども、人知れずなにやらせつない気がするのは、機微の分かるお心だこと。今朝は、物の見分けもつく時分なので、女房たちが覗いて拝する。
 若い女性の心に感動を与えぬはずのない宮の御朝姿を見送って、あとに残ったにおいなどの身にしむ人にいつか女王はなっていた。お立ちのおそかった今朝けさになってはじめて女房たちは宮をおのぞき見した。
  Wakaki hito no mi-kokoro ni simi nu beku, taguhi sukunage naru asake no ohom-sugata wo mi-okuri te, nagori tomare ru ohom-uturi-ga nado mo, hito-sire-zu mono-ahare naru ha, sare taru mi-kokoro kana! Kesa zo, mono no ayame miyuru hodo nite, hito-bito nozoki te mi tatematuru.
4.5.9  「 中納言殿は、なつかしく恥づかしげなるさまぞ、添ひたまへりける。 思ひなしの、今ひと際にや、この御さまは、いとことに」
 「中納言殿は、優しく恥ずかしい感じが、加わった方であった。気のせいか、もう一段尊い身分なので、この方のお姿は、まことに格別で」
「中納言様はなつかしい御気品のよさに特別なところがおありになります。今一段上の御身分という思いなしからでしょうか、はなやかな御美貌びぼうは何と申し上げようもないくらいにお見えになりましたね」
  "Tyuunagon-dono ha, natukasiku hadukasige naru sama zo, sohi tamahe ri keru. Omohi-nasi no, ima hito-kiha ni ya, kono ohom-sama ha, ito koto ni."
4.5.10  など、めできこゆ。
 などと、お誉め申し上げる。
 こんなことを言ってほめそやした。
  nado, mede kikoyu.
4.5.11  道すがら、心苦しかりつる御けしきを思し出でつつ、立ちも返りなまほしく、さま悪しきまで思せど、世の聞こえを忍びて 帰らせたまふほどに、えたはやすくも紛れさせたまはず。
 道すがら、お気の毒であったご様子をお思い出しになりながら、引き返したく、体裁悪くまでお思いになるが、世間の評判を我慢してお帰りあそばすことなので、たやすくお出かけになることはおできになれない。
 京への道すがら、別れにめいったふうを見せた女王をお思い出しになって、このままもう一度山荘へ引き返したいと、御自身ながら見苦しく思召すまで恋しくお思われになるのであったが、世間の取り沙汰ざたを恐れてお帰りになって以来、容易にお通いになれず   Miti sugara, kokoro-gurusikari turu mi-kesiki wo obosi-ide tutu, tati mo kaheri na mahosiku, sama asiki made obose do, yo no kikoye wo sinobi te kahera se tamahu hodo ni, e tahayasuku mo magire sase tamaha zu.
4.5.12  御文は 明くる日ごとに、あまた返りづつたてまつらせたまふ。「 おろかにはあらぬにや」と思ひながら、おぼつかなき日数の積もるを、「 いと心尽くしに見じと思ひしものを、身にまさりて心苦しくもあるかな」と、 姫宮は思し嘆かるれど、いとどこの君の思ひ沈みたまはむにより、つれなくもてなして、「 みづからだに、なほかかること思ひ加へじ」と、いよいよ深く思す。
 お手紙は毎日毎日に、たくさん書いて差し上げなさる。「いい加減なお気持ちではないのでは」と思いながら、訪れのない日数が続くのを、「まことに心配の限りを尽くすことはしまいと思っていたが、自分のこと以上においたわしいことだわ」と、姫宮はお悲しみになるが、ますますこの妹君がお悲しみに沈んでいらっしゃろうことから、平静を装って、「自分自身でさえ、やはりこのような心配を増やすまい」と、ますます強くお思いになる。
お手紙だけを日ごとに幾通もお送りになった。誠意がないのではおありになるまいと思いながらもお途絶えの日が積もっていくことで、姉の女王は思い悩んで、こんな結果を見て苦労をすることがないようにと願っていたものを、自身が当事者である以上に苦しいことであると歎かれるのであったが、これを表面に見せてはいっそう中の君が気をめいらせることになろうと思う心から、気にせぬふうを装いながらも、自分だけでも結婚しての苦を味わうまいといよいよ薫の望むことに心の離れていく大姫君であった。
  Ohom-humi ha akuru hi-goto ni, amata kaheri dutu tatematura se tamahu. "Oroka ni ha ara nu ni ya?" to omohi nagara, obotukanaki hi-kazu no tumoru wo, "Ito kokoro-dukusi ni mi zi to omohi si mono wo, mi ni masari te kokoro-gurusiku mo aru kana!" to, Hime-Miya ha obosi nageka rure do, itodo kono Kimi no omohi sidumi tamaha m ni yori, turenaku motenasi te, "Midukara dani, naho kakaru koto omohi kuhahe zi." to, iyo-iyo hukaku obosu.
4.5.13  中納言の君も、「 待ち遠にぞ思すらむかし」と思ひやりて、我があやまちにいとほしくて、宮を聞こえおどろかしつつ、 絶えず御けしきを見たまふに、いといたく思ほし入れたるさまなれば、さりともと、うしろやすかりけり。
 中納言の君も、「待ち遠しくお思いだろう」と想像して、自分の責任からおいたわしくて、宮をお促し申し上げながら、絶えずご様子を御覧になると、たいそうひどく打ち込んでいらっしゃる様子なので、そうはいってもと、安心であった。
 薫も兵部卿の宮の宇治へおいでになれない事情を知っていて、山荘の女王が待ち遠しく思うことであろうと、自身の責任であるように思い、宮にそれとなくお促しもし、宮の御近状にも注意を怠らなかったが、宮が宇治の女王に愛情を傾倒しておいでになることは明らかになったために、今の状態はこうでも不安がることはないと中の君のために胸をなでおろす思いをした。
  Tyuunagon-no-Kimi mo, "Mati-doho ni zo obosu ram kasi." to omohi-yari te, waga ayamati ni itohosiku te, Miya wo kikoye odorokasi tutu, taye zu mi-kesiki wo mi tamahu ni, ito itaku omohosi ire taru sama nare ba, saritomo to, usiroyasukari keri.
注釈624京におはしまさむほどはしたなからぬほどに匂宮の心中を地の文で語る。4.5.1
注釈625中絶えむものならなくに橋姫の片敷く袖や夜半に濡らさむ匂宮から中君への贈歌。「橋姫」に中君を譬える。『花鳥余情』は「忘らるる身を宇治橋の中絶えて人も通はぬ年ぞ経にける」(古今集恋五、八二五、読人しらず)「さむしろに衣かたしき今宵もやわ【絶えせじのわが頼みにや宇治橋の遥けきなかを待ちわたるべき】−中君の返歌。「絶え」「橋」の語句を受け、「や--濡らさむ」を「や--待ちわたるべき」と返す。贈答歌。4.5.2
注釈626朝けの御姿歌語。4.5.8
注釈627されたる御心かな『細流抄』は「草子地也」と指摘。『全集』は「語り手の諧謔的なほめことば」。『集成』は「(中の君も)隅に置けないお方だこと。男女の間の情にすでに目覚めていることをいう。草子地」と注す。4.5.8
注釈628中納言殿は以下「いとことに」まで、女房の詞。4.5.9
注釈629思ひなしの皇族と思うせいか。4.5.9
注釈630帰らせたまふほどに「ほど」名詞、時間の意。格助詞「に」動作の原因・事の因って起こることを示す。『集成』は「お帰りあそばしたことだから」。『完訳』は「お帰りになるが、それからというものの」と訳す。4.5.11
注釈631明くる日ごとに『完訳』は「毎日毎日、日に幾度となく書く」と注す。4.5.12
注釈632おろかにはあらぬにや大君の匂宮の気持ちを推測する思い。地の文から叙述。4.5.12
注釈633いと心尽くしに見じと以下「心苦しくもあるかな」まで、大君の思い。4.5.12
注釈634姫宮大君。4.5.12
注釈635みづからだになほかかること思ひ加へじ大君の心中の思い。薫との結婚を改めて断念する気持ち。4.5.12
注釈636待ち遠にぞ思すらむかし薫の心中の思い。宇治の姫君たちは匂宮の来訪を。4.5.13
出典32 橋姫の片敷く袖 狭蓆(さむしろ)に衣片敷き今宵もや我や待つらむ宇治の橋姫 古今集恋四-六八九 読人しらず 4.5.2
忘らるる身を宇治橋の中絶えて人も通はぬ年ぞ経にける 古今集恋五-八二五 読人しらず
校訂26 人びと 人びと--人(人/+/\<朱>) 4.5.8
校訂27 絶えず 絶えず--たゝ(ゝ/$え<朱>)す 4.5.13
4.6
第六段 九月十日、薫と匂宮、宇治へ行く


4-6  September 10, Kaoru and Nio-no-miya visit to Uji

4.6.1   九月十日のほどなれば、野山のけしきも思ひやらるるに、 時雨めきてかきくらし、空のむら雲恐ろしげなる夕暮、宮いとど静心なく眺めたまひて、 いかにせむと、御心一つを出で立ちかねたまふ 折推し量りて、参りたまへり。「 ふるの山里いかならむ」と、おどろかしきこえたまふ。いとうれしと思して、もろともに誘ひたまへば、例の、一つ御車にておはす。
 九月十日のころなので、野山の様子も自然と想像されて、時雨めいて暗くなり、空のむら雲が恐ろしそうな夕暮に、宮はますます落ち着きなく物思いに耽りなさって、どうしようかと、ご自身では決心をしかねていらっしゃる。そのところを推量して、参上なさった。「ふるの山里はどうでしょうか」と、お誘い申し上げなさる。まことに嬉しいとお思いになって、一緒にお出かけになるので、例によって、一車に相乗りしてお出かけになる。
 九月の十日で、野山の秋の色がだれにも思いやられる時である、空は暗い時雨しぐれをこぼし、恐ろしい気のする雲の出ている夕べであった、宮は平生以上に宇治の人がお思われになって、何が起ころうとも行ってみようか、どうしたものかとお一人では決断がおできにならないで迷っておいでになるところへ、そのお思いを想像することのできた薫がおたずねして来た。
「山里のほうはどうでしょう」
 中納言の言ったことはこれであった。お喜びになって、
「では今からいっしょに出かけよう」
 とお言いになったため、匂宮におうみやのお車に薫中納言は御同車して京を出た。
  Ku-gwati towo-ka no hodo nare ba, noyama no kesiki mo omohi-yara ruru ni, sigure-meki te kaki-kurasi, sora no mura-kumo osorosige naru yuhu-gure, Miya itodo sidu-kokoro naku nagame tamahi te, ikani se m to, mi-kokoro hitotu wo ide-tati kane tamahu. Wori osihakari te, mawiri tamahe ri. "Huru no yama-zato ika nara m?" to, odorokasi kikoye tamahu. Ito uresi to obosi te, morotomo ni izanahi tamahe ba, rei no, hitotu mi-kuruma nite ohasu.
4.6.2  分け入りたまふままにぞ、 まいて眺めたまふらむ心のうち、いとど推し量られたまふ。道のほども、 ただこのことの心苦しきを語らひきこえたまふ
 分け入りなさるにつれて、まして物思いしているだろう心中を、ますますご想像される。道中も、ただこのことのお気の毒さをお話し合いなさる。
山路へかかってくるにしたがって、山荘で物思いをしている恋人を多く哀れにお思いになる宮でおありになった。同車の人へもその点で御自身も苦しんでおいでになることばかりをお話しになった。   Wake-iri tamahu mama ni zo, maite nagame tamahu ram kokoro no uti, itodo osihakara re tamahu. Miti no hodo mo, tada kono koto no kokoro-gurusiki wo katarahi kikoye tamahu.
4.6.3  たそかれ時のいみじく心細げなるに、雨は冷やかにうちそそきて、秋果つるけしきのすごきに、うちしめり濡れたまへる匂ひどもは、世のものに似ず艶にて、うち連れたまへるを、 山賤どもは、いかが心惑ひもせざらむ
 黄昏時のひどく心細いうえに、雨が冷たく降り注いで、秋の終わる気色がぞっとする感じなので、しっとりと濡れていらっしゃるお二方の芳気は、この世のものに似ず優艷で、連れ立っていらっしゃるのを、山賤連中は、どうしてうろたえぬことがあろうか。
行く秋の黄昏たそがれ時の心細さの覚えられるみちへ、冷たい雨が降りそそいでいた。衣服を湿らせてしまったために、高いかおりはまして一つになって散り広がるのがえんで、村人たちは高華な夢に行きったように思った。
  Tasokare-doki no imiziku kokoro-bosoge naru ni, ame ha hiyayaka ni uti-sosoki te, aki haturu kesiki no sugoki ni, uti-simeri nure tamahe ru nihohi-domo ha, yo no mono ni ni zu en nite, uti-ture tamahe ru wo, yamagatu-domo ha, ikaga kokoro-madohi mo se zara m.
4.6.4  女ばら、日ごろうちつぶやきつる、名残なく笑みさかえつつ、御座ひきつくろひなどす。 京に、さるべき所々に行き散りたる娘ども、姪だつ人、二、三人尋ね寄せて参らせたり。年ごろ あなづりきこえける心浅き人びと、めづらかなる客人と思ひ驚きたり。
 女房らは、日頃ぶつぶつ言っていたが、そのあとかたもなくにこにことして、ご座所を整えたりなどする。京に、しかるべき家々に散り散りになっていた娘連中や、姪のような人を、二、三人呼び寄せて仕えさせていた。長年軽蔑申し上げてきた思慮の浅い人びとは、珍しい客人と思って驚いていた。
 毎日毎日婿君の情の薄さをかこっていた山荘の女房たちは、よろこびを胸に満たせてお席を作ったりなどしていた。京のあちらこちらへ女房勤めに出ている娘とかめいとかをにわかに手もとへ呼び寄せて、中の君のそば仕えをさせることにした女房も二、三人あったのである。今まで軽蔑けいべつをしていた浮薄な人たちにとって、尊貴な婿君の出現は驚異に価することであった。
  Womna-bara, higoro uti-tubuyaki turu, nagori naku wemi sakaye tutu, o-masi hiki-tukurohi nado su. Kyau ni, saru-beki tokoro-dokoro ni yuki-tiri taru musume-domo, mei-datu hito, hutari, mitari tadune yose te mawira se tari. Tosi-goro anaduri kikoye keru kokoro-asaki hito-bito, meduraka naru marauto to omohi odoroki tari.
4.6.5   姫宮も、折うれしく思ひきこえたまふにさかしら人の添ひたまへるぞ恥づかしくもありぬべく、なまわづらはしく思へど、心ばへの のどかにもの深くものしたまふを、「 げに、人はかくはおはせざりけり」と見あはせたまふに、 ありがたしと思ひ知らる
 姫宮も、ちょうどよい折柄と嬉しくお思い申し上げなさるが、利口ぶった方が一緒にいらっしゃるのが、気恥ずかしくもあり、何となく厄介にも思うが、人柄がゆったりと慎重でいらっしゃるので、「なるほど、宮はこのようではおいででない」とお見比べなさると、めったにない方だと思い知られる。
 大姫君はこの寂しい夜をたずねたもうた宮をうれしく思うのであったが、少し迷惑な人が添って来たとかおるを思わないでもないものの、慎重な、思いやりのある態度を恋にも忘れずにいてくれた人とその人を思う時、匂宮の御行為はそうでなかったと比較がされ感謝の念は禁じられなかった。   Hime-Miya mo, wori uresiku omohi kikoye tamahu ni, sakasira-bito no sohi tamahe ru zo, hadukasiku mo ari nu beku, nama-wadurahasiku omohe do, kokorobahe no nodoka ni mono-hukaku monosi tamahu wo, "Geni, hito ha kaku ha ohase zari keri." to mi-ahase tamahu ni, arigatasi to omohi sira ru.
注釈637九月十日のほどなれば野山のけしきも宇治では晩秋の寂寥感の深まるころ。4.6.1
注釈638時雨めきてかきくらし時雨は晩秋から初冬にかけての景物。4.6.1
注釈639いかにせむと御心一つを出で立ちかねたまふ『集成』は「伊勢の海に釣する海士の浮けなれや心一つを定めかねつる」(古今集恋一、五〇九、読人しらず)を指摘。4.6.1
注釈640折推し量りて参りたまへり主語は薫。4.6.1
注釈641ふるの山里いかならむ薫の詞。匂宮を宇治に誘う。『源氏釈』は「いそのかみふるの山里いかならむ遠方の里人霞み隔てて」(出典未詳)。『河海抄』は「初時雨ふるの山里いかならむ住む人さへや袖の濡るらむ」(新千載集冬、五九九、読人しらず)を指摘。4.6.1
注釈642まいて眺めたまふらむ心のうちいとど推し量られたまふ主語は匂宮。自分以上に物思いしているだろう中君の心中を思いやる。4.6.2
注釈643ただこのことの心苦しきを語らひきこえたまふ主語は匂宮。『完訳』は「中の君への思いを率直に訴える。気がねのない匂宮らしい性分」と注す。4.6.2
注釈644山賤どもはいかが心惑ひもせざらむ反語表現。「山賤」は宇治山荘に仕える人々をいう。語り手の感情移入表現。4.6.3
注釈645京にさるべき所々に行き散りたる『完訳』は「八の宮家の古参の女房の娘や姪といった人たちで、今はこの邸を出て京の諸所に仕えている者たち」と注す。4.6.4
注釈646あなづりきこえける心浅き人びと姫宮たちを。女房の娘や姪たち。4.6.4
注釈647姫宮も、折うれしく思ひきこえたまふに大君は、時雨の中をわざわざ来訪してくれたことをうれしく思う。4.6.5
注釈648さかしら人の添ひたまへるぞ薫が一緒なのを。4.6.5
注釈649恥づかしくもありぬべく『完訳』は「気のおける立派さ。大君の薫に抱く好感の一面」と注す。4.6.5
注釈650げに人はかくはおはせざりけり大君の薫を見て匂宮と比較した感想。4.6.5
注釈651ありがたしと思ひ知らる大君の感想。薫を稀な方だと思う。「る」自発の助動詞。4.6.5
出典33 御心一つを出で立ちかね 伊勢の海に釣する海人の浮けなれや心一つを定めかねつる 古今集恋一-五〇九 読人しらず 4.6.1
出典34 ふるの山里いかならむ 石上ふるの山里いかならむ遠方の里人霞隔てて 源氏釈所引-出典未詳 4.6.1
初時雨ふるの山里いかならむ住む人さへや袖の濡るらむ 新千載集冬-五九九 読人しらず
校訂28 のどかに のどかに--(/+の)とかに 4.6.5
4.7
第七段 薫、大君に対面、実事なく朝を迎える


4-7  Kaoru meets Ohoi-kimi and they see a morning without sexual relation

4.7.1  宮を、所につけては、いとことにかしづき入れたてまつりて、 この君は、主人方に心やすくもてなしたまふものから、 まだ客人居のかりそめなる方に出だし放ちたまへれば 、いとからしと思ひたまへり。怨みたまふもさすがにいとほしくて、物越に対面したまふ。
 宮を、場所柄によって、とても特別に丁重にお迎え入れ申し上げて、この君は、主人方に気安く振る舞っていらっしゃるが、まだ客人席の臨時の間に遠ざけていらっしゃるので、まことにつらいと思っていらっしゃった。お恨みなさるのも、そうはいってもお気の毒で、物越しにお会いなさる。
中の君の婿君として宮に山荘相当な御饗応きょうおうを申し上げて、薫は主人がたの人として気安く扱いながらも、客室の座敷にえられただけであるのを恨めしくその人は思っていた。さすがに気の毒に思われて姫君は物越しで話すことにした。   Miya wo, tokoro ni tuke te ha, ito koto ni kasiduki ire tatematuri te, kono Kimi ha, aruzi-gata ni kokoro-yasuku motenasi tamahu monokara, mada marauto-wi no karisome naru kata ni idasi-hanati tamahe re ba, ito karasi to omohi tamahe ri. Urami tamahu mo sasuga ni itohosiku te, mono-gosi ni taimen si tamahu.
4.7.2  「 戯れにくくもあるかな。かくてのみや 」と、いみじく怨みきこえたまふ。やうやうことわり知りたまひにたれど、 人の御上にても、ものをいみじく思ひ沈みたまひて、 いとどかかる方を憂きものに思ひ果てて、
 「冗談ではありませんね。こうしてばかりいられましょうか」と、ひどくお恨み申し上げなさる。だんだんと道理をお分かりになってきたが、妹のお身の上についても、物事をひどく悲観なさって、ますますこのような結婚生活を嫌なものとすっかり思いきって、
自分の心の弱さからつまずいて、またも初めに恋は返されたではないか、こんな状態を続けていくことはもう自分には不可能であると思い、薫は言葉を尽くして恋人に恨みを告げようとした。ようやくこの人の尊敬すべき気持ちも悟った姫君であるが、中の君が結婚をしたために物思いに沈むことの多くなったことによって、いっそう恋愛というものをいとわしいものに思い込むようになり、   "Tahabure nikuku mo aru kana! Kaku te nomi ya?" to, imiziku urami kikoye tamahu. Yau-yau kotowari siri tamahi ni tare do, hito no ohom-uhe nite mo, mono wo imiziku omohi sidumi tamahi te, itodo kakaru kata wo uki mono ni omohi-hate te,
4.7.3  「 なほ、ひたぶるに、いかでかくうちとけじ。 あはれと思ふ人の御心も、かならずつらしと思ひぬべきわざにこそあめれ。我も人も見おとさず、 心違はでやみにしがな
 「やはり、一途に、何とかこのようにはうちとけまい。うれしいと思う方のお気持ちも、きっとつらいと思うにちがいないことがあるだろう。自分も相手も幻滅したりせずに、もとの気持ちを失わずに、最後までいたいものだわ」
これ以上の接近は許すまい、清い愛を今では感じている相手であるが、この人を恨むことが結婚すれば生じるに違いない、自身もこの人も変わらぬ友情を続けていきたい   "Naho, hitaburu ni, ikade kaku utitoke zi. Ahare to omohu hito no mi-kokoro mo, kanarazu turasi to omohi wabi nu beki waza ni koso a' mere. Ware mo hito mo mi-otosa zu, kokoro tagaha de yami ni si gana!"
4.7.4  と思ふ心づかひ深くしたまへり。
 と思う考えが深くおなりになっていた。
とこう深く心に決めているためであった。   to omohu kokoro-dukahi hukaku si tamahe ri.
4.7.5  宮の御ありさまなども 問ひきこえたまへばかすめつつ、「さればよ」とおぼしくのたまへば、いとほしくて、 思したる御さま、けしきを見ありくやうなど語りきこえたまふ
 宮のご様子などをお尋ね申し上げなさると、ちらっとほのめかしつつ、「そうであったのか」とお思いになるようにおっしゃるので、お気の毒になって、ご執心のご様子や、態度を窺っていることなどを、お話し申し上げなさる。
宮についての話になって、薫のほうから中の君の様子などを聞くと、少しずつ近ごろのことで、薫の想像していたようなことも姫君は語った。薫は気の毒になり、宮が深い愛着をお持ちになること、自分が探って知っている御自由のない近ごろの憂鬱ゆううつなお日送りなどを話していた。   Miya no ohom-arisama nado mo tohi kikoye tamahe ba, kasume tutu, "Sarebayo." to obosiku notamahe ba, itohosiku te, obosi taru sama, kesiki wo mi ariku yau nado, katari kikoye tamahu.
4.7.6  例よりは心うつくしく語らひて、
 いつもよりは素直にお話しになって、
姫君は平生より機嫌きげんよく話したあとで、
  Rei yori ha kokoro-utukusiku katarahi te,
4.7.7  「 なほ、かくもの思ひ加ふるほど、すこし心地も静まりて聞こえむ」
 「やはり、このように物思いの多いころを、もう少し気持ちが落ち着いてからお話し申し上げましょう」
「こんなふうな、新たな心配にとらわれておりますことも終わりまして、気の静まりましたころにまたよくお話を伺いましょう」
  "Naho, kaku mono-omohi kuhahuru hodo, sukosi kokoti mo sidumari te kikoye m."
4.7.8  とのたまふ。人憎く気遠くは、もて離れぬものから、「障子の固めもいと強し。しひて破らむをば、つらくいみじからむ」と 思したれば、「 思さるるやうこそはあらめ。軽々しく異ざまになびきたまふこと、はた、世にあらじ」と、 心のどかなる人は、さいへど、いとよく思ひ静めたまふ。
 とおっしゃる。小憎らしくよそよそしくは、あしらわないものの、「襖障子の戸締りもとても固い。無理に突破するのは、辛く酷いこと」とお思いになっているので、「お考えがおありなのだろう。軽々しく他人になびきなさるようなことは、また決してあるまい」と、心のおっとりした方は、そうはいっても、じつによく気を落ち着かせなさる。
 と言った。反感を起こさせるような冷淡さはなくて、しかも襖子からかみは堅く閉ざされてあった。しいてその隔てを取り除こうとするのは甚だしく同情のないふるまいであると姫君の思っているのを知っている薫は、この人に考えがあることであろう、軽々しく他人の妻になってしまうようなことはないと信じられる人であるからと、いつもゆとりのある心のこの人は、恋に心をこがしながらもそれをおさえることはできた。
  to notamahu. Hito nikuku ke-dohoku ha, mote-hanare nu monokara, "Syauzi no katame mo ito tuyosi. Sihite yabura m wo ba, turaku imizikara m." to obosi tare ba, "Obosa ruru yau koso ha ara me. Karu-garusiku koto-zama ni nabiki tamahu koto, hata, yo ni ara zi." to, kokoro nodoka naru hito ha, sa ihe do, ito yoku omohi-sidume tamahu.
4.7.9  「 ただ、いとおぼつかなく、もの隔てたるなむ、胸あかぬ心地するを。 ありしやうにて聞こえむ
 「ただ、とても頼りなく、物を隔てているのが、満足のゆかない気がしますよ。以前のようにお話し申し上げたい」
「あなたの御意志はどこまでも尊重しますが、こうして物越しでお話ししていることの不満足感を救ってだけはください。先日のように近くへまいってお話をさせていただきたいのです」
  "Tada, ito obotukanaku, mono hedate taru nam, mune aka nu kokoti suru wo. Arisi yau nite kikoye m."
4.7.10  とせめたまへど、
 と責めなさると、
 と責めてみたが、
  to seme tamahe do,
4.7.11  「 常よりも わが面影に恥づるころなれば 、疎ましと見たまひてむも、さすがに苦しきは、いかなるにか」
 「いつもよりも自分の容貌が恥ずかしいころなので、疎ましいと御覧になるのも、やはりつらく思われますのは、どうしたことでしょうか」
「このごろの私は平生よりも衰えていましてね、顔を御覧になって不愉快におなりになりはしないかと、どうしたのでしょう、そんなことの気になる心もあるのですよ」
  "Tune yori mo waga omokage ni haduru koro nare ba, utomasi to mi tamahi te m mo, sasuga ni kurusiki ha, ika naru ni ka?"
4.7.12  と、ほのかにうち笑ひたまへるけはひなど、あやしくなつかしくおぼゆ。
 と、かすかにほほ笑みなさった様子などは、不思議と慕わしく思われる。
 と言い、ほのかに総角の姫君の笑った気配けはいなどに怪しいほどの魅力のあるのを薫は感じた。
  to, honoka ni uti-warahi tamahe ru kehahi nado, ayasiku natukasiku oboyu.
4.7.13  「 かかる御心にたゆめられたてまつりて、つひにいかになるべき身にか」
 「このようなお心にだまされ申して、終いにはどのようになる身の上だろうか」
「そんなつきも離れもせぬお心に引きずられてまいって、私はしまいにどうなるのでしょう」
  "Kakaru mi-kokoro ni tayume rare tatematuri te, tuhi ni ikani naru beki mi ni ka?"
4.7.14  と嘆きがちにて、 例の、遠山鳥にて明けぬ
 と嘆きがちに、いつものように、遠山鳥で別々のまま明けてしまった。
 こんなことを言い、男は歎息をしがちに夜を明かした。
  to nageki-gati nite, rei no, tohoyama-dori nite ake nu.
4.7.15   宮は、まだ旅寝なるらむとも思さで
 宮は、まだ独り寝だろうとはお思いならず、
 兵部卿ひょうぶきょうの宮は、薫が今も一人臥ひとりねをするにすぎない宇治の夜とは想像もされないで、
  Miya ha, mada tabine naru ram to mo obosa de,
4.7.16  「 中納言の、主人方に心のどかなるけしきこそうらやましけれ」
 「中納言が、主人方でゆったりとしている様子が羨ましい」
「中納言が主人がたぶって、寝室に長くいるのが恨めしい」
  "Tyuunagon no, aruzi-gata ni kokoro nodoka naru kesiki koso urayamasikere."
4.7.17  とのたまへば、 女君、あやしと聞きたまふ
 とおっしゃると、女君は、おかしなこととお聞きになる。
 とお言いになるのを、不思議な言葉のように中の君はお聞きしていた。
  to notamahe ba, Womna-Gimi, ayasi to kiki tamahu.
注釈652この君は主人方に薫は主人顔に振る舞おうとする。4.7.1
注釈653まだ客人居のかりそめなる方に出だし放ちたまへれば大君は薫をまだ主人扱いせずに、客人扱いに遠ざけて待遇する。4.7.1
注釈654戯れにくくもあるかな。かくてのみや『岷江入楚』は「有りぬやと試みがてら逢ひ見ねば戯れにくきまでぞ恋しき」(古今集雑体、一〇二五、読人しらず)を指摘。4.7.2
注釈655人の御上にても妹の中君の身の上。4.7.2
注釈656いとどかかる方を『集成』は「いよいよ結婚といった男女の関係を」。『完訳』は「大君は、中の君の様子から、結婚生活一般を厭わしく考えはじめる。一面では喜びをも感じている中の君との隔りに注意」と注す。4.7.2
注釈657なほひたぶるに以下「やみにしがな」まで、大君の心中。薫との結婚を思いとどまる決意。4.7.3
注釈658あはれと思ふ人の御心も薫をさす。『集成』は「うれしいと思うこの方のお気持にしても」。『完訳』は「今はいとしいと思うお方のお気持にしても」と訳す。4.7.3
注釈659心違はでやみにしがな『完訳』は「精神的な共感が理想視される」と注す。4.7.3
注釈660問ひきこえたまへば薫が大君に。4.7.5
注釈661かすめつつさればよとおぼしくのたまへば大君が薫の想像していたようにおっしゃるので。4.7.5
注釈662思したる御さまけしきを見ありくやうなど匂宮の様子や薫がそれをさぐっていることなどを。4.7.5
注釈663語りきこえたまふ薫が大君に。4.7.5
注釈664なほかくもの思ひ加ふるほど以下「聞こえむ」まで、大君の詞。『集成』は「思いがけぬ中の君の結婚に加えて匂宮の夜離れと、心労が加わっている」と注す。4.7.7
注釈665思したれば『集成』は「大君が」。『完訳』は、主語を薫として訳す。4.7.8
注釈666思さるるやうこそはあらめ以下「世にあらじ」まで、薫の心中。4.7.8
注釈667心のどかなる人は薫。語り手の批評を含む呼称。4.7.8
注釈668ただいとおぼつかなく以下「聞こえむ」まで、薫の詞。4.7.9
注釈669ありしやうにて聞こえむかつて一周忌前の訪問の折に、屏風を押し開いて中に入って大君に逢ったことをさす。4.7.9
注釈670常よりも以下「いかなるにか」まで、大君の詞。4.7.11
注釈671わが面影に恥づるころなれば『源氏釈』は「夢にだに見ゆとは見えじ朝な朝なに我が面影に恥づる身なれば」(古今集恋四、六八一、伊勢)を指摘。4.7.11
注釈672かかる御心に以下「身にか」まで、薫の詞。4.7.13
注釈673例の遠山鳥にて明けぬ『源氏釈』は「雲居にて遠山鳥のはつかにもありとし聞かば恋ひつつもをらむ」(古今六帖二、山鳥)。『異本紫明抄』は「逢ふことは遠山鳥の目も逢はず逢はずて今宵明かしつるかな」(出典未詳)を指摘。4.7.14
注釈674宮はまだ旅寝なるらむとも思さで匂宮は薫がまだ客人扱いであることを知らずに。『集成』は「大君に迎え入れられていないとは想像もできない」と注す。4.7.15
注釈675中納言の主人方に以下「うらやましけれ」まで、匂宮の詞。『完訳』は「匂宮は、薫と大君がまだ他人の関係とは思いもよらない」と注す。4.7.16
注釈676女君あやしと聞きたまふ中君。『集成』は「薫と大君とはまだ他人と思っている」と注す。4.7.17
出典35 戯れにくくもあるかな ありぬやと心みがてらあひ見ねば戯れにくきまでぞ恋しき 古今集俳諧-一〇二五 読人しらず 4.7.2
出典36 面影に恥づる 夢にだに見ゆとは見えじ朝な朝な我が面影に恥づる身なれば 古今集恋四-六八一 伊勢 4.7.11
出典37 遠山鳥にて 雲の居る遠山鳥のよそに見てもありとし聞けば侘びつつぞ寝る 新古今集恋五-一三七一 読人しらず 4.7.14
逢ふことは遠山鳥の目も合はず逢はずて今宵明かしつるかな 花鳥余情所引-出典未詳
校訂29 たまへれば たまへれば--給つ(つ/$へ<朱>)れは 4.7.1
4.8
第八段 匂宮、中の君を重んじる


4-8  Nio-no-miya has great respect for Naka-no-kimi as his wife

4.8.1  わりなくておはしまして、ほどなく帰り たまふが、飽かず苦しきに、宮ものをいみじく思したり。御心のうちを知りたまはねば、女方には、「 またいかならむ。人笑へにや」と思ひ嘆きたまへば、「 げに、心尽くしに苦しげなるわざかな」と見ゆ
 無理を押してお越しになって、長くもいずにお帰りになるのが、物足りなくつらいので、宮はひどくお悩みになっていた。お心の中をご存知ないので、女方には、「またどうなるのだろうか。物笑いになりはせぬか」と思ってお嘆きなると、「なるほど、心底からおつらそうな」と見える。
 無理をしておいでになっても、すぐにまたお帰りにならねばならぬ苦しさに宮も深い悲しみを覚えておいでになった。こうしたお心を知らない中の君は、どうなってしまうことか、世間の物笑いになることかと歎いているのであるから、恋愛というものはして苦しむほかのないことであると思われた。   Warinaku te ohasimasi te, hodo naku kaheri tamahu ga, akazu kurusiki ni, Miya mono wo imiziku obosi tari. Mi-kokoro no uti wo siri tamaha ne ba, womna-gata ni ha, "Mata ika nara m? Hito-warahe ni ya." to omohi nageki tamahe ba, "Geni, kokoro-dukusi ni kurusige naru waza kana!" to miyu.
4.8.2   京にも、隠ろへて渡りたまふべき所もさすがになし。六条の院には、 左の大殿、片つ方には住みたまひて、さばかりいかでと思したる六の君の御ことを 思しよらぬに、なま恨めしと 思ひきこえたまふべかめり。好き好きしき御さまと、 許しなくそしりきこえたまひて内裏わたりにも愁へきこえたまふべかめれば、いよいよ、 おぼえなくて出だし据ゑたまはむも、憚ることいと多かり。
 京にも、こっそりとお移しになる家もさすがに見当たらない。六条院には、左の大殿が、一画にお住みになって、あれほど何とかしたいとお考えの六の君の御事をお考えにならないので、何やら恨めしいとお思い申し上げていらっしゃるようである。好色がましいお振舞いだと、容赦なくご非難申し上げなさって、宮中あたりでもご愁訴申し上げていらっしゃるようなので、ますます、世間に知られない人をお囲いなさるのも、憚りがとても多かった。
京でも多情な名は取っておいでになりながら、ひそかに通ってお行きになる所とてはさすがにない宮でおありになった。六条院では左大臣が同じ邸内に住んでいて、匂宮の夫人に擬している六の君に何の興味もお持ちにならぬ宮をうらめしいようにも思っているらしかった。好色男的な生活をしていられるといって、容赦なく宮のことを御非難してみかどにまでも不満な気持ちをおらし申し上げるふうであったから、八の宮の姫君という、だれにも意外な感を与える人を夫人としてお迎えになることにはばかられるところが多かった。   Kyau ni mo, kakurohe te watari tamahu beki tokoro mo sasuga ni nasi. Rokudeu-no-win ni ha, Hidari-no-Ohoitono, kata-tu-kata ni ha sumi tamahi te, sabakari ikade to obosi taru Roku-no-Kimi no ohom-koto wo obosi-yora nu ni, nama-uramesi to omohi kikoye tamahu beka' meri. Suki-zukisiki ohom-sama to, yurusi naku sosiri kikoye tamahi te, Uti watari ni mo urehe kikoye tamahu beka' mere ba, iyo-iyo, oboye naku te idasi suwe tamaha m mo, habakaru koto ito ohokari.
4.8.3   なべてに思す人の際は、宮仕への筋にて、なかなか心やすげなり。さやうの並々には思されず、「 もし世の中移りて帝后の思しおきつるままにもおはしまさば、人より高きさまにこそなさめ」など、ただ今は、いとはなやかに、 心にかかりたまへるままに、もてなさむ方なく苦しかりけり。
 普通にお思いの身分の女は、宮仕えの方面で、かえって気安そうである。そのような並の女にはお思いなされず、「もし御世が替わって、帝や后がお考えおいたままにでもおなりになったら、誰よりも高い地位に立てよう」などと、ただ今のところは、たいそうはなやかに、心に懸けていらっしゃるにつれて、して差し上げようともその方法がなくつらいのであった。
軽い恋愛相手にしておいでになる女性は、宮仕えの体裁で二条の院なり、六条院なりへお入れになることも自由にお計らいになることができて、かえってお気楽であった。そうした並み並みの情人とは少しも思っておいでにならないのであって、もし世の中が移り、みかどきさきのかねての御希望が実現される日になれば、だれよりも高い位置にこの人をすえたいと思うのであるからと、現在の宮のお心は宇治の中の君に傾き尽くされていて、その人をいかにして幸福ならしめ常に相見る方法をいかにして得ようかとばかり考えておいでになった。   Nabete ni obosu hito no kiha ha, miya-dukahe no sudi ni te, naka-naka kokoro-yasuge nari. Sayau no nami-nami ni ha obosa re zu, "Mosi yononaka uturi te, Mikado Kisaki no obosi-oki turu mama ni mo ohasimasa ba, hito yori takaki sama ni koso nasa me." nado, tada-ima ha, ito hanayaka ni, kokoro ni kakari tamahe ru mama ni, motenasa m kata naku kurusikari keri.
4.8.4   中納言は、三条の宮造り果てて、「 さるべきさまにて渡したてまつらむ」と思す
 中納言は、三条宮を造り終えて、「しかるべき形をもってお迎え申そう」とお考えになる。
中納言は火災後再築している三条の宮のでき上がり次第によい方法を講じて大姫君を迎えようと考えていた。   Tyuunagon ha, Samdeu-no-miya tukuri hate te, "Saru-beki sama nite watasi tatematura m." to obosu.
4.8.5   げに、ただ人は心やすかりけり。かくいと心苦しき御けしきながら、やすからず忍びたまふからに、 かたみに思ひ悩みたまふべかめるも、心苦しくて、「 忍びてかく通ひたまふよしを、中宮などにも漏らし聞こし召させて、 しばしの御騒がれはいとほしくとも、女方の御ためは、咎もあらじ。いとかく夜をだに明かしたまはぬ苦しげさよ。いみじくもてなしてあらせたてまつらばや」
 なるほど、臣下は気楽なのであった。このようにたいそうお気の毒なご様子でありながら、気をつかってお忍びになるために、お互いに思い悩んでいらっしゃるようなのも、おいたわしくて、「人目を忍んでこのようにお通いになっている事情を、中宮などにもこっそりとお耳に入れあそばして、暫くの間のお騒がれは気の毒だが、女方のためには、非難されることもない。たいそうこのように夜をさえお明かしにならないつらさよ。うまさく計らって差し上げたいものよ」
やはり人臣の列にある人は気楽だといってよい。
 これほど愛しておいでになりながら、結婚を秘密のことにしておありになるために、宮にも中の君にも煩悶はんもんの絶えないらしいことが気の毒で、このお二人の関係を自分から中宮ちゅうぐうに申し上げて御了解を得ることにしたい。当座はお騒がれになって、めんどうな目に宮はおあいになるかもしれぬが、中の君のほうのためを思えば、それは一時的なことであって、直接苦痛になることもあるまい、こんなふうに夜も明かし果てずに帰ってお行きになる宮のお気持ちのつらさはさぞとお察しができて心苦しい、結婚が公然に認められるようになれば、中の君に十分な物質的援助をして、宮の夫人たるに恥のない扱いを兄代わりになってしてみたい、
  Geni, tadaudo ha kokoro-yasukari keri. Kaku ito kokoro-gurusiki mi-kesiki nagara, yasukara zu sinobi tamahu kara ni, katami ni omohi nayami tamahu beka' meru mo, kokoro-gurusiku te, "Sinobi te kaku kayohi tamahu yosi wo, Tyuuguu nado ni mo morasi kikosimesa se te, sibasi no ohom-sawagare ha itohosiku tomo, womna-gata no ohom-tame ni ha, toga mo ara zi. Ito kaku yo wo dani akasi tamaha nu kurusige sa yo. Imiziku motenasi te arase tatematura baya!"
4.8.6  など思ひて、あながちにも隠ろへず。
 などと思って、無理して隠さない。
とこう思うようになった薫は、しいて内密事とはせずに、   nado omohi te, anagati ni mo kakurohe zu.
4.8.7  「 更衣など、はかばかしく 誰れかは扱ふらむ」など思して、御帳の帷、壁代など、三条の宮造り果てて、渡りたまはむ心まうけに、しおかせたまへるを、「 まづ、さるべき用なむ」など、いと忍びて聞こえたまひて、 たてまつれたまふ。さまざまなる女房の装束、御乳母などにも のたまひつつ、わざともせさせたまひけり。
 「衣更など、てきぱきと誰がお世話するだろうか」などと心配なさって、御帳の帷子や、壁代などを、三条宮を造り終えて、お移りになる準備をなさっていたのを、「差し当たって、入用がございまして」などと、たいそうこっそりと申し上げなさって、差し上げなさる。いろいろな女房の装束、御乳母などにもご相談なさっては、特別にお作らせになったのであった。
このごろも冬の衣がえの季節になっているが、自分のほかにだれがその仕度したくに力を貸すものがあろうと思いやって、御帳みちょうけ絹、壁代かべしろなどというものは、三条の宮の新築されて移転する準備に作らせてあったから、それらを間に合わせに使用されたいというふうに伝えて宇治へ送った。またいろいろな山荘の女房たちの着用するものも自身の乳母めのとなどに命じて公然にも製作させた薫であった。
  "Koromo-gahe nado, haka-bakasiku tare kaha atukahu ram?" nado obosi te, mi-tyau no katabira, kabesiro nado, Samdeu-no-miya tukuri hate te, watari tamaha m kokoro-mauke ni, si-oka se tamahe ru wo, "Madu, saru-beki you nam." nado, ito sinobi te kikoye tamahi te, tatemature tamahu. Sama-zama naru nyoubau no syauzoku, ohom-menoto nado ni mo notamahi tutu, wazato mo se sase tamahi keri.
注釈677またいかならむ人笑へにや姫君たちの心配。夜離れが続くことや捨てられて世間の物笑いになることを心配する。4.8.1
注釈678げに心尽くしに苦しげなるわざかなと見ゆ『紹巴抄』は「双地」と指摘。「げに」「かな」等の語句は語り手の大君への同情や共感の気持ち。4.8.1
注釈679京にも隠ろへて渡りたまふべき所もさすがになし「わたり」の主語は中君。『完訳』は「彼女が隠し妻でしかない点に注意」と注す。4.8.2
注釈680左の大殿夕霧。4.8.2
注釈681思しよらぬに主語は匂宮。4.8.2
注釈682思ひきこえたまふべかめり語り手の推量。4.8.2
注釈683許しなくそしりきこえたまひて主語は夕霧。4.8.2
注釈684内裏わたりにも匂宮の父帝は母明石中宮に対して。4.8.2
注釈685おぼえなくて出だし据ゑたまはむも『集成』は「中の君のような意外な人を大っぴらに夫人としてお迎えになるのも」と訳す。4.8.2
注釈686なべてに思す人の際は宮仕への筋にてなかなか心やすげなり『集成』は「並々にお思いの女だったら、宮仕えさせるといったことで、かえって扱いやすい。中宮などに仕えさせておく方法がある」。『完訳』は「表向きは女房という形。いわゆる召人。気安く逢えて、しかも世間から非難も受けない形である」と注す。4.8.3
注釈687もし世の中移りて以下「こそなさめ」まで、匂宮の心中。中君を立后させよう、の意。4.8.3
注釈688帝后の思しおきつるままにも帝と中宮は匂宮を将来の東宮にと考えている。4.8.3
注釈689心にかかりたまへるままに『集成』は「〔中君が〕お気に召しているあまりに」。『完訳』は「お心にかけていらっしゃるのだから」。副詞「ままに」、--に従って、--につれて、の意。4.8.3
注釈690中納言は三条の宮造り果てて昨年の春焼亡くした三条宮邸を新築。4.8.4
注釈691さるべきさまにて渡したてまつらむと思す夫人として世間に認められるようにして迎えよう、の意。4.8.4
注釈692げにただ人は心やすかりけり語り手の匂宮に比較して薫の行動に同意納得する気持ち。4.8.5
注釈693かたみに思ひ悩みたまふべかめるも匂宮と中君がお互いに。推量の助動詞「べかめり」は薫の推量。4.8.5
注釈694忍びてかく以下「あらせたてまつらばや」まで、薫の心中。4.8.5
注釈695しばしの御騒がれはいとほしくとも中君が明石中宮から一時とやかく言われるのは気の毒だが、の意。4.8.5
注釈696更衣など冬の衣替え。下文により十月一日とわかる。以下「扱ふらむ」まで、薫の心中。4.8.7
注釈697誰れかは扱ふらむ反語表現。自分薫以外にはいない、の意。4.8.7
注釈698まづさるべき用なむ薫の詞。母女三の宮に申し上げた内容。4.8.7
注釈699たてまつれたまふ宇治の姉妹に。4.8.7
注釈700のたまひつつ相談して、の意。4.8.7
校訂30 たまふが たまふが--*給るか 4.8.1
Last updated 3/28/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/28/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 3/28/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年5月3日

渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経

2004年9月21日

Last updated 10/26/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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