42 匂兵部卿(大島本)


NIHOHU-HYAUBUKYAU


薫君の中将時代
十四歳から二十歳までの物語



Tale of Kaoru's Chujo era, from 14 to 20 yeas old

2
第二章 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格


2  Tale of Kaoru  Pessimistic and negative to love

2.1
第一段 薫、冷泉院から寵遇される


2-1  Kaoru was received special treatment by Reize-in

2.1.1   二品宮の若君は、院の聞こえつけたまへりしままに、冷泉院の帝、取り分きて思しかしづき、 后の宮も、皇子たちなどおはせず、心細う思さるままに、うれしき御後見に、まめやかに頼みきこえたまへり。
 二品の宮の若君は、院がお頼み申し上げなさっているとおりで、冷泉院の帝が、特別に大切になさり、后の宮も、親王方などいらっしゃらず、心細くお思いのために、嬉しいご後見役として、お頼み申し上げていらっしゃった。
 二品にほんみやの若君は院が御寄託あそばされたために、冷泉れいぜい院の陛下がことにお愛しになった。院の后の宮も皇子などをお持ちにならずお心細く思召おぼしめしたのであったから、この人をお世話あそばして老後の力にしたいと望んでおいでになった。
  Nihon-no-Miya no Waka-Gimi ha, Win no kikoye tuke tamahe ri si mama ni, Reizei-win-no-Mikado, toriwaki te obosi kasiduki, Kisai-no-Miya mo, Miko-tati nado ohase zu, kokoro-bosou obosa ruru mama ni, uresiki ohom-usiromi ni, mameyaka ni tanomi kikoye tamahe ri.
2.1.2  御元服なども、院にてせさせたまふ。十四にて、二月に侍従になりたまふ。秋、右近中将になりて、 御たうばりの加階などをさへ、いづこの心もとなきにか、急ぎ加へておとなびさせたまふ。 おはします御殿近き対を曹司にしつらひなど、みづから御覧じ入れて、若き人も、童、下仕へまで、すぐれたるを選りととのへ、 女の御儀式よりもまばゆくととのへさせたまへり。
 ご元服なども、院の御所でおさせになる。十四歳で、二月に侍従におなりになる。秋、右近衛府の中将なって、恩賜の加階などまで、どこが気がかりなのか、急いで加えてご成人させなさる。お住まいあそばす御殿の近くの対の屋をお部屋にしたてたりなど、院御自身で監督なさって、若い女房も、女の童、下仕えまで、すぐれた人を選びそろえ、姫宮の御儀式よりもまぶしいほど立派にお整えさせなさっていた。
 元服の式も院の御所であげられた。十四の歳であった。その二月に侍従になって、秋にはもう右近衛うこんえの中将に昇進した。推薦権をお持ちになる位階の陞叙しょうじょもこの人へお加えになって、なぜそんなにお急ぎになるかと思うようにずんずんと上へお進ませになるのであった。お住居の御殿に近い対をこの人の曹司ぞうしにおあてになって、装飾などは院御自身の御意匠でおさせになり、若い女房から童女、下仕えの者までもすぐれた者をおりととのえになった。人が姫君をかしずく以上の華奢かしゃな生活をおさせになるようでまばゆく見えた。
  Go-genpuku nado mo, Win nite se sase tamahu. Zihu-si ni te, Ni-gwati ni Zizyuu ni nari tamahu. Aki, Ukon-no-Tyuuzyau ni nari te, ohom-taubari no kakai nado wo sahe, iduko no kokoro-motonaki ni ka, isogi kuhahe te otonabi sase tamahu. Ohasimasu otodo tikaki tai wo zausi ni siturahi nado, midukara go-ran-zi ire te, wakaki hito mo, waraha, simo-dukahe made, sugure taru wo, eri totonohe, womna no ohom-gisiki yori mo mabayuku totonohe sase tamahe ri.
2.1.3  上にも宮にも、さぶらふ女房の中にも、容貌よく、あてやかにめやすきは、皆移し渡させたまひつつ、院のうちを心につけて、住みよくありよく思ふべくとのみ、わざとがましき御扱ひぐさに思されたまへり。 故致仕の大殿の女御と聞こえし御腹に、女宮ただ一所おはしけるをなむ、限りなくかしづきたまふ御ありさまに劣らず、后の宮の御おぼえの、年月にまさりたまふけはひにこそは、 などかさしも、と見るまでなむ
 院の上におかれても中宮におかれても、伺候している女房の中でも、器量がよく、上品で難がない者は、みなお移しなさりなさりして、院の中を気に入って、住みよく生活しよく思うようにとばかり、特別にお世話しようとお思いなっていらっしゃった。故致仕の大殿の女御と申し上げたお方に、女宮がただお一方いらっしゃったのを、この上なく大切にお育てなさっているのに負けないほど、后の宮の御寵愛が、年月とともに厚くなってゆく感じなのであろうが、どうして、そんなにまですることがあろう、と思われるほどである。
 院のおそばの女房の中からも、后の宮の女房の中からも容貌ようぼうのすぐれた、感じのよい、品のある女は皆中将の曹司付きにあそばされ、院にいることがどこにいるよりも好きになるようにとお計らいになったのであって、うれしい玩具品がんぐひんのように思召すのであった。くなった太政大臣の女御にょごの腹からただお一方の内親王がお生まれになったのを、院が非常に珍重あそばすのに変わらず中将をお扱いになるのである。それは一つは后の宮をお愛しになることが年月とともに増してゆくことによるものらしくて、それほどまでにはと話を聞いては人が信じないほど中将を院はお愛しになった。
  Uhe ni mo Miya ni mo, saburahu nyoubau no naka ni mo, katati yoku, ateyaka ni meyasuki ha, mina utusi watasa se tamahi tutu, Win no uti wo kokoro ni tuke te, sumi yoku ari yoku omohu beku to nomi, wazato-gamasiki ohom-atukahi-gusa ni obosa re tamahe ri. Ko-Tizi-no-Ohoidono no Nyougo to kikoye si ohom-hara ni, Womna-Miya tada hito-tokoro ohasi keru wo nam, kagirinaku kasiduki tamahu ohom-arisama ni otora zu, Kisai-no-Miya no ohom-oboye no, tosi-tuki ni masari tamahu kehahi ni koso ha, nadoka sasimo, to miru made nam.
2.1.4  母宮は、今はただ御行ひを静かにしたまひて、月の御念仏、年に二度の御八講、折々の尊き御いとなみばかりをしたまひて、つれづれにおはしませば、この君の出で入りたまふを、 かへりて親のやうに、頼もしき蔭に思したれば、 いとあはれにて、院にも内裏にも、召しまとはし、春宮も、次々の宮たちも、なつかしき御遊びがたきにてともなひたまへば、暇なく苦しく、「いかで 身を分けてしがな」と、おぼえたまひける。
 母宮は、今はただご勤行だけを静かになさって、毎月のお念仏、年に二回の御八講、折々の尊い御仏事の営みばかりなさって、他に何もすることなくいらっしゃるので、この君がお出入りなさるのを、かえって親のように、頼りになる方とお思いでいらっしゃったので、とてもおいたわしくて、院におかせられても帝におかせられても、いつもお召しになり、春宮も、次々の親王方も、親しいお遊び相手としてお誘いになるので、暇もなく苦しくて、「何とかして身体を分けたいものだ」と、思われなさるのであった。
 現在の母宮は仏勤めをばかりしておいでになって、月ごとの念仏、年に二度の法華ほっけの八講、またそのほかのおりおりの仏事などを怠らずあそばすだけがお役目のようで、出入りする中将をかえって御自身のほうが子のように頼みにしておいでになったから、お気の毒でおそばにもいたかったし、院からも、宮中からも始終お呼ばれはするし、東宮も御弟の宮がたも親友のように思召していっしょにお遊びになろうとされるしするために、暇がなく苦しい中将は一つの身を幾つかに分けて使うことができぬかとさえ歎息たんそくしていた。
  Haha-Miya ha, ima ha tada ohom-okonahi wo siduka ni si tamahi te, tuki no ohom-nenbutu, tosi ni huta-tabi no mi-hakau, wori-wori no tahutoki ohom-itonami bakari wo si tamahi te, ture-dure ni ohasimase ba, kono Kimi no ide-iri tamahu wo, kaheri te oya no yau ni, tanomosiki kage ni obosi tare ba, ito ahare ni te, Win ni mo Uti ni mo, mesi matohasi, Touguu mo, tugi-tugi no Miya-tati mo, natukasiki ohom-asobi-gataki ni te tomonahi tamahe ba, itoma naku kurusiku, "Ikade mi wo wake te si gana!" to, oboye tamahi keru.
注釈32二品宮の若君は女三の宮腹の若君、すなわち薫のこと。2.1.1
注釈33后の宮も秋好中宮。2.1.1
注釈34御たうばりの加階『完訳』は「恩賜の加階。上皇らが特に指定する。皇族並に四位になった」と注す。2.1.2
注釈35おはします御殿近き対を主語は冷泉院。冷泉院の住む院の御所の中の近くの対の屋。2.1.2
注釈36女の御儀式よりも女宮のお世話よりも。当時は女子の世話には男子の場合以上に気を配って世話をした。2.1.2
注釈37故致仕の大殿の女御故致仕太政大臣の女、弘徽殿女御。「澪標」巻で冷泉帝に入内。太政大臣の死去したことが初めて見える。2.1.3
注釈38などかさしもと見るまでなむ『評釈』は「読者が納得しないことを、語り手のほうが先刻知っている。「などか、さしも、と、見るまでなむ」と、語り手のほうが、先に首をかたむける」。『完訳』は「院の薫好遇への語り手の評言」と注す。2.1.3
注釈39かへりて親のやうに、頼もしき蔭に息子の薫が母の女三の宮に対して、逆に親のように頼もしい人となって、の意。2.1.4
注釈40いとあはれにて薫が母女三の宮を。「いかで身を分けてしがなとおぼえける」に係る。「院にも」以下「暇なく苦しう」までは挿入句。2.1.4
注釈41身を分けてしがなと『集成』は「「身を分く」は、和歌に使われる常套句」と注す。『河海抄』は「あはれとも憂しとも物を思ふ時などか涙のいとなかるらむ」(古今集恋五、八〇五、読人しらず)「思へども身をし分けねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる」(古今集離別、三七三、読人しらず)を指摘。2.1.4
2.2
第二段 薫、出生の秘密に悩む


2-2  Kaoru is worried about his birth

2.2.1   幼心地にほの聞きたまひしことの、折々いぶかしう、おぼつかなう思ひわたれど、問ふべき人もなし。宮には、ことのけしきにても、知りけりと思されむ、かたはらいたき筋なれば、世とともの心にかけて、
 子供心にかすかにお聞きになったことが、時々気にかかり、どうしたことかとずっと思い続けていたが、尋ねるべき人もいない。宮には、事の一端なりとも知ってしまったと思われなさるのは、具合の悪い筋合なので、それ以来心から離れることなくて、
 時々耳にはいって、子供心にもに落ちず思ったことは、今も不可解のままで心に残っているが、尋ねる人もなかった。宮にはそうした不審をいだいているとさえお思われすることのはばかられる問題であったから、ただ自身の心のうちでだけ絶え間なくそのことを考えて、
  Wosana-gokoti ni hono-kiki tamahi si koto no, wori-wori ibukasiu, obotukanau omohi watare do, tohu beki hito mo nasi. Miya ni ha, koto no kesiki ni te mo, siri keri to obosa re m, katahara-itaki sudi nare ba, yo to tomo no kokoro ni kake te,
2.2.2  「 いかなりけることにかは、何の契りにて、かうやすからぬ思ひ添ひたる身にしもなり出でけむ。 善巧太子の、わが身に問ひけむ悟りをも得てしがな」とぞ、独りごたれたまひける。
 「どのようなことであってか、何の因果で、このような気がかりな思いを身にまとって生まれてきたのだろうか。善巧太子が、わが身に問うている悟りを得たいものだ」と、つい独り言が漏れなさるのであった。
 「どういうことから自分が生まれるようになったのか、何の宿命でこんな煩悶はんもんを負って自分は人となったのか、善巧ぜんぎょう太子はみずから釈迦しゃかの子であることを悟ったというが、そうした知慧ちえがほしい」と独言ひとりごとをする時もあった。
  "Ika nari keru koto ni ka ha, nani no tigiri ni te, kau yasukara nu omohi sohi taru mi ni simo nari ide kem. Zengeu-Taisi no, waga mi ni tohi kem satori wo mo e te si gana!" to zo, hitorigota re tamahi keru.
2.2.3  「 おぼつかな誰れに問はましいかにして
 「はっきりしないことだ、誰に尋ねたらよいものか
  おぼつかなたれに問はまし如何いかにして
    "Obotukana tare ni toha masi ikani si te
2.2.4   初めも果ても知らぬわが身ぞ
  どうして初めも終わりも分からない身の上なのだろう
  始めも果ても知らぬわが身ぞ
    hazime mo hate mo sira nu waga mi zo
2.2.5  いらふべき人もなし。ことに触れて、わが身につつがある心地するも、ただならず、もの嘆かしくのみ、思ひめぐらしつつ、「 宮もかく盛りの御容貌をやつしたまひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむきたまひけむ。かく、思はずなりけることの乱れに、かならず憂しと思しなるふしありけむ。 人もまさに漏り出で、知らじやは。なほ、つつむべきことの聞こえにより、我にはけしきを知らする人のなきなめり」と思ふ。
 答えることのできる人はいない。何かにつけて、自分自身に悪いところのある感じがするのも、気持ちが落ち着かず、何か物思いばかりがされ、あれこれ思案して、「母宮もこのような盛りのお姿を尼姿になさって、どのような御道心でからか、急に出家されたのだろう。このように、不本意な過ちがもとで、きっと世の中が嫌になることがあったのだろう。世間の人も漏れ聞いて、知らないはずがあろうか。やはり、隠しておかなければならないことのために、わたしには事情を知らせる人がいないようだ」と思う。
 返事はだれもしてくれない。自身の健康などもこんなことでそこなってゆくような気がして中将はなげかれるのであった。宮がお年の若盛りに尼におなりになったのも、いったいどれほどの信仰がおありになったために、にわかに出家を断行あそばされたのか、自分の生まれてくることが不祥なことであったために、厭世えんせい的なお気持ちにもなられたのであろう、人がその秘密を悟らずにいるとは思われない、暗闇くらがりに置くべき問題であるから自分には人が告げないのであろうと中将は思った。
  Irahu beki hito mo nasi. Koto ni hure te, waga mi ni tutuga aru kokoti suru mo, tada nara zu, mono-nagekasiku nomi, omohi megurasi tutu, "Miya mo kaku sakari no ohom-katati wo yatusi tamahi te, nani bakari no ohom-dausin nite ka, nihaka ni omomuki tamahi kem? Kaku, omoha zu nari keru koto no midare ni, kanarazu usi to obosi naru husi ari kem. Hito mo masani mori-ide, sira zi ya ha. Naho, tutumu beki koto no kikoye ni yori, ware ni ha kesiki wo sirasuru hito no naki na' meri." to omohu.
2.2.6  「 明け暮れ、勤めたまふやうなめれどはかなくおほどきたまへる女の御悟りのほどに、 蓮の露も明らかに、玉と磨きたまはむことも 難し。 五つのなにがしも、なほうしろめたきを、我、この御心地を、同じうは後の世をだに」と思ふ。「 かの過ぎたまひけむもやすからぬ思ひに結ぼほれてや」など推し量るに、 世を変へても対面せまほしき心つきて、元服はもの憂がりたまひけれど、すまひ果てず、おのづから世の中にもてなされて、まばゆきまではなやかなる御身の飾りも、心につかずのみ、思ひしづまりたまへり。
 「朝晩、勤行なさっているようだが、とりとめもなくおっとりしていらっしゃる女のお悟りの状態では、蓮の露も明らかなように、玉と磨きなさることも難しい。五つの障害も、やはり不安だが、わたしが、このお志を、同じことならせめて来世を」と思う。「あの亡くなったという方も、辛い思いに迷いが解けないでいるのではないか」などと推量するが、生まれ変わってでもお会いしたい気がして、元服は気がお進みにならなかったが、辞退しきれず、自然と世間から大事にされて、眩しいほど華やかなご身辺も、一向に気に染まず、ひっこみ思案でいらっしゃった。
 朝暮あけくれ仏勤めはしておいでになるようではあるが、確固とした信念がおありになるとは思えない女の悟りだけでは御仏みほとけの救いの手もおぼつかない、五つの戒めも完全に保っておゆきになれるかも疑問なのであるから、自分がその精神だけを補うことにして、後世だけでも御安楽にしてさしあげたく思った。この人はおかくれになった院も、自分というもののために不快な思いにお悩まされになったかもしれぬと思うと、次の世界ででももう一度おいしたいという望みが起こり、元服して社会へ出ることをいとわしがったのであるが、意志を通すこともできなくて、出仕する身になった時から、八方のはなやかな勢いがこの人を飾ることになっても、これはうれしいとは思われないで、ただ静かな落ち着いた人になっていた。
  "Akekure, tutome tamahu yau na' mere do, hakanaku ohodoki tamahe ru womna no ohom-satori no hodo ni, hatisu no tuyu mo akiraka ni, tama to migaki tamaha m koto mo katasi. Itutu no nanigasi mo, naho usirometaki wo, ware, kono mi-kokoti wo, onaziu ha noti-no-yo wo dani." to omohu. "Kano sugi tamahi kem mo, yasukara nu omohi ni musubohore te ya?" nado osihakaru ni, yo wo kahe te mo taimen se mahosiki kokoro tuki te, genpuku ha mono-ugari tamahi kere do, sumahi-hate zu, onodukara yononaka ni motenasa re te, mabayuki made hanayaka naru ohom-mi no kazari mo, kokoro ni tuka zu nomi, omohi sidumari tamahe ri.
注釈42幼心地にほの聞きたまひしことの『集成』は「実の父が柏木であることを、何かの折に耳にしたとでもいった趣」。『完訳』は「薫は、女房たちの内緒話などから出生の秘事を疑い、今では実父が柏木であることを感じとっているらしい」と注す。2.2.1
注釈43いかなりけることにかは以下「得てしがな」まで、薫の心中。2.2.2
注釈44おぼつかな誰れに問はましいかにして初めも果ても知らぬわが身ぞ薫の独詠歌。2.2.3
注釈45宮もかく以下「人のなきなめり」まで、薫の心中。2.2.5
注釈46人もまさに漏り出で知らじやは『集成』は「世間の人も、どうしてこの秘密をひそかに耳にして知らないはずがあろうか」。『完訳』は「当然噂にも聞えて、誰が知らないでいるはずがあろう」と訳す。「やは」反語表現。2.2.5
注釈47明け暮れ勤めたまふやうなめれど以下「後の世をだに」まで、薫の心中。2.2.6
注釈48蓮の露も明らかに、玉と磨きたまはむことも『異本紫明抄』は「蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉と欺く」(古今集夏、一六五、僧正遍昭)を指摘。2.2.6
注釈49五つのなにがしも女人成仏の五障。2.2.6
注釈50かの過ぎたまひけむも柏木をさす。薫の心中。「けむ」過去推量のニュアンスが生きている。2.2.6
注釈51やすからぬ思ひに結ぼほれてや『集成』は「つらい思いに迷いを晴らすことなくていられようか。成仏が叶わぬのではないか、の意」。『完訳』「亡き柏木も往生できず迷っているのではないかと思う」と注す。2.2.6
注釈52世を変へても対面せまほしき心つきて『完訳』は「柏木と。来世で肉親に会うとは、出家を前提にした考え方」と注す。2.2.6
出典2 蓮の露も明らかに 蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉と欺く 古今集夏-一六五 僧正遍昭 2.2.6
校訂1 善巧太子 善巧太子--せんけうた(た/+いし<朱>)けう(けう/$<朱>) 2.2.2
校訂2 はかなく はかなく--はかも(も/$)なく 2.2.6
2.3
第三段 薫、目覚ましい栄達


2-3  Kaoru succeeds in life remarkably

2.3.1   内裏にも、母宮の御方ざまの御心寄せ深くて、いとあはれなるものに思され、 后の宮はた、もとよりひとつ御殿にて、宮たちももろともに生ひ出で、遊びたまひし御もてなし、をさをさ改めたまはず、「 末に生まれたまひて、心苦しう、おとなしうもえ見おかぬこと」と、院の思しのたまひしを、 思ひ出できこえたまひつつ、おろかならず思ひきこえたまへり。
 帝におかせられましても、母宮の御縁続きの御好意が厚くて、大変にかわいい者としてお思いあさばされ、后の宮も、また、もともと同じ邸で、宮方と一緒にお育ちになり、お遊びなさったころの御待遇を、すこしもお改めにならず、「晩年にお生まれになって、気の毒で、大きくなるまで見届けることができないこと」と、院がおっしゃっていたのを、お思い出し申し上げなさっては、並々ならずお思い申し上げていらっしゃった。
 帝も母宮の御縁故でこの中将に深い愛をお持ちになったし、中宮はもとより同じ院内で御自身の宮たちといっしょにい立って、いっしょにお遊ばせになったころのお扱いをお変えにならなかった。「末に生まれてかわいそうな子です。一人前になるまでを自分が見てやることもできない」と、院が仰せられたことをお思いになって、あわれみを深くかけておいでになるのである。
  Uti ni mo, Haha-Miya no ohom-kata-zama no mi-kokoro-yose hukaku te, ito ahare naru mono ni obosa re, Kisai-no-Miya hata, motoyori hitotu otodo nite, Miya-tati mo morotomoni ohi-ide, asobi tamahi si ohom-motenasi, wosa-wosa aratame tamaha zu, "Suwe ni mumare tamahi te, kokoro-gurusiu, otonasiu mo e mi-oka nu koto." to, Win no obosi notamahi si wo, omohi-ide kikoye tamahi tutu, orokanara zu omohi kikoye tamahe ri.
2.3.2  右の大臣も、わが御子どもの君たちよりも、この君をばこまやかにやうごとなくもてなしかしづきたてまつりたまふ。
 右大臣も、ご自分のご子息たちよりも、この君を気にかけて大事にお扱い申し上げていらっしゃる。
 夕霧の右大臣も自身の公達きんだちよりもこの人を秘蔵がって丁寧に扱うのであった。
  Migi-no-Otodo mo, waga miko-domo no Kimi-tati yori mo, kono Kimi wo ba komayaka ni yaugotonaku motenasi kasiduki tatematuri tamahu.
2.3.3   昔、光る君と聞こえしは、さるまたなき御おぼえながら、そねみたまふ人うち添ひ、 母方の御後見なくなどありしに、御心ざまもの深く、世の中を思しなだらめしほどに、並びなき御光を、まばゆからずもてしづめたまひ、つひにさるいみじき世の乱れも出で来ぬべかりしことをも、ことなく過ぐしたまひて、後の世の御勤めも後らかしたまはず、よろづさりげなくて、久しくのどけき 御心おきてにこそありしかこの君は、まだしきに、世のおぼえいと過ぎて、思ひあがりたること、こよなくなどぞものしたまふ。
 昔、光君と申し上げた方は、あのような比類ない帝の御寵愛であったが、お憎みなさる方があって、母方のご後見がなかったりなどしたが、ご性質も思慮深く、世間の事を穏やかにお考えになったので、比類ないご威光を、目立たないように抑えなさり、ついに大変な天下の騷ぎになりかねない事件も、無事にお過ごしになって、来世のご勤行も時期を遅らせなさらず、万事目立たないようにして、遠く先をみて穏やかなご性格の方であったが、この君は、まだ若いうちに、世間の評判が大変に過ぎて、自負心を高く持っていることは、この上なくいらっしゃる。
 昔の光源氏は帝王の無二の御愛子ではあったが、嫉妬しっとする反対派があったり、母方の保護者がなかったりして、聡明そうめいな資質から遠慮深く世の中に臨んでおいでになって、一世の騒乱になりかねぬようなことになった時も、いさぎよく自身で渦中かちゅうを去り、宗教を深く信じて冷静に百年の計をされたのである。この中将は若年ですでにあらゆる条件のそろった恵まれた環境に置かれていた。そしてそれに相当した優秀な男子でもあるのである。
  Mukasi, Hikaru-Kimi to kikoye si ha, saru matanaki ohom-oboye nagara, sonemi tamahu hito uti-sohi, haha-kata no ohom-usiromi naku nado ari si ni, mi-kokoro-zama mono-hukaku, yononaka wo obosi nadarame si hodo ni, narabinaki ohom-hikari wo, mabayukara zu mote-sidume tamahi, tuhini saru imiziki yo no midare mo ide-ki nu bekari si koto wo mo, koto naku sugusi tamahi te, noti-no-yo no ohom-tutome mo okurakasi tamaha zu, yorodu sarige-naku te, hisasiku nodokeki mi-kokoro-okite ni koso ari sika, kono Kimi ha, madasiki ni, yo no oboye ito sugi te, omohi-agari taru koto, koyonaku nado zo monosi tamahu.
2.3.4   げに、さるべくて、いとこの世の人とはつくり出でざりける、 仮に宿れるかとも見ゆること添ひたまへり。顔容貌も、そこはかと、いづこなむすぐれたる、あなきよら、と見ゆるところもなきが、ただいとなまめかしう恥づかしげに、心の奥多かりげなるけはひの、人に似ぬなりけり。
 なるほど、そうあるはずのように、とてもこの世の人としてできているのではない、人間の姿を借りて宿ったのかと思えることがお加わりであった。お顔の器量も、はっきりそれと、どこが素晴らしい、ああ美しい、と見えるところもないが、ただたいそう優美で気品高げで、心の奥底が深いような感じが、誰にも似ていないのであった。
 仏が仮に人として出現されたかと思われるところがこの人にあった。容貌ようぼうもどこが最も美しいというところはなくて、目を驚かすものもないが、ただえんで貴人らしくて、賢明らしいところが万人に異なっているのである。
  Geni, saru-beku te, ito konoyo no hito to ha tukuri-ide zari keru, kari ni yadore ru ka to mo miyuru koto sohi tamahe ri. Kaho katati mo, sokohaka to, iduko nam sugure taru, ana kiyora, to miyuru tokoro mo naki ga, tada ito namamekasiu hadukasige ni, kokoro no oku ohokari-ge naru kehahi no, hito ni ni nu nari keri.
2.3.5   香のかうばしさぞ、この世の匂ひならず、あやしきまで、うち振る舞ひたまへるあたり、遠く隔たるほどの追風に、まことに 百歩の外も薫りぬべき心地しける。誰も、 さばかりになりぬる御ありさまの、いとやつればみ、ただありなる やはあるべき、さまざまに、われ人にまさらむと、つくろひ用意すべかめるを、かくかたはなるまで、うち忍び立ち寄らむものの隈も、しるきほのめきの隠れあるまじきに、うるさがりて、をさをさ取りもつけたまはねど、あまたの御唐櫃にうづもれたる香の香どもも、この君のは、いふよしもなき匂ひを加へ、御前の花の木も、はかなく 袖触れたまふ梅の香は 春雨の雫にも濡れ 、身にしむる人多く、 秋の野に主なき藤袴も 、もとの薫りは隠れて、なつかしき追風、ことに折なしからなむまさりける。
 薫の香ばしさは、この世の匂いでなく、不思議なまでに、ちょっと身じろぎなさる周囲の、遠く離れている所の追い風も、本当に百歩の外も薫りそうな感じがするのであった。どなたにも、あれほどのご身分で、たいそう身をやつし、平凡な恰好でいられようか、あれこれと、自分こそは誰よりも良くあろうと、おしゃれをし気をつかうはずなのであるが、このように体裁の悪いほど、ちょっとお忍びに立ち寄ろうとする物蔭も、はっきりこの人と分かる薫りが隠れ場もないので、厄介に思って、ほとんど香を身におつけにならないが、たくさんの御唐櫃にしまってあるお香の薫りも、この君のは、何ともいえない匂いが加わり、お庭先の花の木も、ちょっと袖をお触れになる梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしみて感じる人が多く、秋の野に主のいない藤袴も、もとの薫りは隠れて、やさしい追い風が、特に折り取られて一段と香が引き立つのであった。
 この世のものとも思われぬ高尚こうしょうな香を身体からだに持っているのが最も特異な点である。遠くにいてさえこの人の追い風は人を驚かすのであった。これほどの身分の人が風采ふうさいをかまわずにありのままで人中へ出るわけはなく、少しでも人よりすぐれた印象を与えたいという用意はするはずであるが、怪しいほど放散するにおいに忍び歩きをするのも不自由なのをうるさがって、あまり薫香たきものなどは用いない。それでもこの人の家にしまわれた薫香たきものが異なった高雅な香の添うものになり、庭の花の木もこの人のそでが触れるために、春雨の降る日の枝のしずくも身にしむ香を放つことになった。秋の野のだれのでもない藤袴ふじばかまはこの人が通ればもとの香が隠れてなつかしい香に変わるのであった。
  Ka no kaubasisa zo, konoyo no nihohi nara zu, ayasiki made, uti-hurumahi tamahe ru atari, tohoku hedataru hodo no ohikaze ni, makoto ni hyakubu no hoka mo kawori nu beki kokoti si keru. Tare mo, sabakari ni nari nuru ohom-arisama no, ito yature-bami, tada ari naru ya ha aru beki, sama-zama ni, ware hito ni masara m to, tukurohi youi su beka' meru wo, kaku kataha naru made, uti-sinobi tati-yora m mono no kuma mo, siruki honomeki no kakure aru maziki ni, urusagari te, wosa-wosa tori mo tuke tamaha ne do, amata no ohom-karabitu ni udumore taru ka no kau-domo mo, kono Kimi no ha, ihu yosi mo naki nihohi wo kuhahe, o-mahe no hana no ki mo, hakanaku sode hure tamahu mume no ka ha, harusame no siduku ni mo nure, mi ni simuru hito ohoku, aki no no ni nusi naki hudibakama mo, moto no kawori ha kakure te, natukasiki ohi-kaze, koto ni wori nasi kara nam masari keru.
注釈53内裏にも母宮の御方ざまの御心寄せ深くて今上帝は薫の母女三の宮と異母兄妹、朱雀院から女三の宮の後見の依頼があった(若菜上)。2.3.1
注釈54后の宮はた、もとよりひとつ御殿にて、宮たちももろともに生ひ出で、遊びたまひし明石中宮は薫の異母姉だが、薫は、中宮腹の二の宮、三の宮などと一緒に六条院で育った。2.3.1
注釈55末に生まれたまひて以下「見おかぬこと」まで、源氏の言葉を引用。2.3.1
注釈56思ひ出できこえたまひつつ主語は明石中宮。2.3.1
注釈57昔光る君と聞こえしは光る源氏の呼称。「桐壺」巻に「光る君」と二度見え、「須磨」巻に明石入道の言葉に「源氏の光る君」と見える。『林逸抄』は「源しの御事を云双帋也」と指摘。2.3.3
注釈58母方の御後見母桐壺更衣方の後見。2.3.3
注釈59御心おきてにこそありしか係結びの逆接用法で、文は続く。2.3.3
注釈60この君は薫をさす。2.3.3
注釈61げにさるべくて副詞「げに」は語り手の感情移入の語句。2.3.4
注釈62仮に宿れるかとも見ゆること仏菩薩の化身の意。2.3.4
注釈63香のかうばしさぞ係助詞「ぞ」は「心地しける」に係る。2.3.5
注釈64百歩の外も薫りぬべき百歩の香を踏まえていう。2.3.5
注釈65さばかりになりぬる御ありさまの『集成』は「薫ほどの高い身分に生れついた方のご風采が」。『完訳』は「あれほどご立派なご身分に生れつたお方だったら」と訳す。2.3.5
注釈66やはあるべき反語表現。語り手の口吻。『林逸抄』は「たきしめなとする人の事也こゝもとみなさうしの詞也」と指摘。2.3.5
注釈67袖触れたまふ梅の香は『花鳥余情』は「色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖触れし宿の梅ぞも」(古今集春上、三三、読人しらず)。『岷江入楚』は「匂ふ香の君思ほゆる花なれば別れしつべく袖ぞ濡れぬる」(伊勢集)。『真淵新釈』は「主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰が藤袴ぞも」(古今集秋上、二四一、素性法師)「梅の花立ち寄るばかりありしより人のとがむる香にぞ染みける」(古今集春上、三五、読人しらず)を指摘。2.3.5
注釈68春雨の雫にも濡れ『河海抄』は「今日桜雫に我が身いざ濡れむ香ごめに誘ふ風の来ぬまに」(後撰集春中、五六、河原左大臣)。『花鳥余情』は「匂ふ香の君思ほゆる花なれば折れる雫に今朝ぞ濡れぬる」(古今六帖一、雫、伊勢)を指摘。2.3.5
注釈69秋の野に主なき藤袴も『源氏釈』は「主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰が藤袴ぞも」(古今集秋上、二四一、素性法師)を指摘。2.3.5
出典3 袖触れたまふ梅の香 色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖触れし宿の梅ぞも 古今集春上-三三 読人しらず 2.3.5
出典4 雫にも濡れ 匂ふ香の君思ほゆる花なれば折れる雫に今朝ぞ濡れぬる 古今六帖一-六〇〇 伊勢 2.3.5
出典5 秋の野に主なき藤袴 主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰が脱ぎかけし藤袴ぞも 古今集秋上-二四一 素性法師 2.3.5
2.4
第四段 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う


2-4  Nio challenges Kaoru to a fight

2.4.1  かく、いとあやしきまで 人のとがむる香にしみたまへるを、兵部卿宮なむ、異事よりも挑ましく思して、それは、わざとよろづのすぐれたる移しをしめたまひ、朝夕のことわざに合はせいとなみ、御前の前栽にも、春は梅の花園を眺めたまひ、 秋は世の人のめづる女郎花 小牡鹿の妻にすめる萩の露にも 、をさをさ御心移したまはず、 老を忘るる菊に 、衰へゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し捨てずなど、わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける。
 このように、まことに不思議なまで人が気のつく薫りに染まっていらっしゃるのを、兵部卿宮は、他のことよりも競争心をお持ちになって、それは、特別にいろいろの優れたのをたきしめなさり、朝夕の仕事として香を合わせるのに熱心で、お庭先の植え込みでも、春は梅の花園を眺めなさり、秋は世間の人が愛する女郎花や、小牡鹿が妻とするような萩の露にも、少しもお心を移しなさらず、老を忘れる菊に、衰えゆく藤袴、何の取柄もないわれもこうなどは、とても見るに堪えない霜枯れのころまでお忘れにならないなどというふうに、ことさらめいて、香を愛する思いを、取り立てて好んでいらっしゃるのであった。
 こんなに不思議な清香の備わった人である点を兵部卿ひょうぶきょうの宮は他のことよりもうらやましく思召おぼしめして、競争心をお燃やしになることになった。宮のは人工的にすぐれた薫香をお召し物へおきしめになるのを朝夕のお仕事にあそばし、御自邸の庭にも春の花は梅を主にして、秋は人の愛する女郎花おみなえし小男鹿さおしかのつまにするはぎの花などはお顧みにならずに、不老の菊、衰えてゆく藤袴、見ばえのせぬ吾木香われもこうなどという香のあるものを霜枯れのころまでもお愛し続けになるような風流をしておいでになるのであった。
  Kaku, ito ayasiki made hito no togamuru ka ni simi tamahe ru wo, Hyaubukyau-no-Miya nam, koto-goto yori mo idomasiku obosi te, sore ha, wazato yorodu no sugure taru utusi wo sime tamahi, asayuhu no kotowaza ni ahase itonami, o-mahe no sensai ni mo, haru ha mume no hana-zono wo nagame tamahi, aki ha yo no hito no meduru wominahesi, sawosika no tuma ni su meru hagi no tuyu ni mo, wosa-wosa mi-kokoro utusi tamaha zu, oyi wo wasururu kiku ni, otorohe yuku hudibakama, monogenaki waremokau nado ha, ito susamaziki simogare no korohohi made obosi-sute zu nado, wazato meki te, ka ni meduru omohi wo nam, tate te konomasiu ohasi keru.
2.4.2  かかるほどに、すこしなよびやはらぎて、好いたる方に引かれたまへりと、世の人は思ひきこえたり。 昔の源氏は、すべて、かく立ててそのことと、やう変り、しみたまへる方ぞなかりしかし。
 こうしていることに、少し弱く優し過ぎて、風流な方面に傾いていらしゃると、世間の人はお思い申していた。昔の源氏は、総じて、このように一つに事を取り立てて、異様なふうに、熱中なさることはなかったものである。
 昔の光源氏はこうしたかたよったことはされなかったものである。
  Kakaru hodo ni, sukosi nayobi yaharagi te, sui taru kata ni hika re tamahe ri to, yo no hito ha omohi kikoye tari. Mukasi no Genzi ha, subete, kaku tate te sono koto to, yau kahari, simi tamahe ru kata zo nakari si kasi.
2.4.3   源中将、この宮には常に参りつつ、御遊びなどにも、きしろふものの音を吹き立て、げに挑ましくも、若きどち思ひ交はしたまうつべき 人ざまになむ例の、世人は、「匂ふ兵部卿、薫る中将」と、聞きにくく言ひ続けて、そのころ、よき女おはする、やうごとなき所々は、 心ときめきに、聞こえごちなどしたまふもあれば、宮は、さまざまに、をかしうもありぬべきわたりをばのたまひ寄りて、人の御けはひ、ありさまをもけしきとりたまふ。わざと御心につけて思す方は、ことになかりけり。
 源中将は、この宮にはいつも参上しては、お遊びなどにも、張り合う笛の音色を吹き立てて、いかにも競争者として、若い者同士が好意をお持ちになっているようなご様子である。例によって、世間の人は、「匂う兵部卿、薫る中将」と、聞きずらいほど言い立てて、その当時に、良い娘がいらっしゃる、高貴な所々では、心をときめかして、婿にと申し出たりなさる人もあるので、宮は、あれこれと、興味の惹かれそうな所にはお言葉をお掛けになって、相手のお人柄、ご様子をもお窺いになる。特別のご熱心にお思いになる方は、格別いないのであった。
 源中将は始終宮の二条の院へお伺いするのであって、音楽の遊びの行なわれる時にも優越を誇るような笛の音を吹き立てる相手を、互いに好敵手と認める若いどうしであった。世間も黙ってはいなかった。におう兵部卿、かおる中将とやかましく言って、すぐれた娘を持つ貴族たちはこの貴公子たちを婿に擬して、好奇心の起こるようにしむける者もあるのを、宮は相手の女の価値を相当なものと考えられる人へは手紙を送ってごらんになって、なお細かく相手を観察しようとされるのであった。しかも熱心にだれを得なければならぬとお思いになる女はなかった。
  Gen-Tyuuzyau, kono Miya ni ha tune ni mawiri tutu, ohom-asobi nado ni mo, kisirohu mono-no-ne wo huki-tate, geni idomasiku mo, wakaki-doti omohi-kahasi tamau tu beki hito-zama ni nam. Rei no yo-hito ha, "Nihohu-Hyaubukyau, Kaworu-Tyuuzyau" to, kiki-nikuku ihi-tuduke te, sono-koro, yoki musume ohasuru, yaugotonaki tokoro-dokoro ha, kokoro-tokimeki ni, kikoye-goti nado si tamahu mo are ba, Miya ha, sama-zama ni, wokasiu mo ari nu beki watari woba notamahi yori te, hito no ohom-kehahi, arisama wo mo kesiki tori tamahu. Wazato mi-kokoro ni tuke te obosu kata ha, koto ni nakari keri.
2.4.4  「 冷泉院の女一の宮をぞ、さやうにても見たてまつらばや。 かひありなむかし」と思したるは、 母女御もいと重く、心にくくものしたまふあたりにて、姫宮の御けはひ、 げに、いとありがたくすぐれて、よその聞こえもおはしますに、まして、すこし近くもさぶらひ馴れたる女房などの、くはしき御ありさまの、ことに触れて聞こえ伝ふるなどもあるに、いとど 忍びがたく思すべかめり
 「冷泉院の女一の宮を、結婚して一緒に暮らしてみたいものだ。きっとその甲斐はあるだろう」とお思いになっているのは、母女御もとても重々しくて、奥ゆかしくいらっしゃる所であり、姫宮のご様子は、なるほどと、めったにないくらい素晴らしくて、世間の評判も高くいらっしゃるうえに、それ以上に、少し近くに伺候し馴れている女房などが、詳しいご様子などを、何かの機会にふれてお耳に入れることなどもあるので、ますます我慢できなくお思いのようである。
 冷泉れいぜい院の女一にょいちみやと結婚ができたらうれしいであろうと匂宮におうみやがお思いになるのは、母君の女御も人格のりっぱな尊敬すべき才女であって、姫君もさもあるはずにすぐれた評判をとっておいでになる方だからである。遠くからの評判だけではなく匂宮は姫宮のおそばにいる女房から細かな御様子を聞いてもおいでになるのであったから、忍びがたく恋のようにも今ではなっていた。
  "Reizei-Win no Womna-Iti-no-Miya wo zo, sayau nite mo mi tatematura baya! Kahi ari na m kasi." to obosi taru ha, Haha-Nyougo mo ito omoku, kokoro-nikuku monosi tamahu atari nite, Hime-Miya no ohom-kehahi, geni, ito arigataku sugure te, yoso no kikoye mo ohasimasu ni, masite, sukosi tikaku mo saburahi nare taru nyoubau nado no, kuhasiki mi-arisama no, koto ni hure te kikoye tutahuru nado mo aru ni, itodo sinobi-gataku obosu beka' meri.
注釈70秋は世の人のめづる女郎花『河海抄』は「名にめでて折れるばかりぞ女郎花我落ちにきと人に語るな」(古今集秋上、二二六、僧正遍昭)。『紹巴抄』は「女郎花吹き過ぎて来る秋風は目には見えねど香こそしるけれ」(古今集秋上、二三四、躬恒)を指摘。2.4.1
注釈71小牡鹿の妻にすめる萩の露にも『事典』は「我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花づまとひに来なくさを鹿」(万葉集巻八、大宰帥大伴卿)。『細流抄』は「女郎花吹きて過ぎて来る秋風は目には見えねど香こそしるけれ」(古今集秋上、二三四、躬恒)「秋の田の刈り穂の庵の匂ふまで咲ける秋萩見れど飽かぬかも」(後撰集秋中、二九五、読人しらず)。『源氏物語引歌』は「秋萩をしがらみふせて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけき」(古今集秋上、二一七、読人しらず)。『大系』は「秋萩のさくにしもなど鹿のなく移ろふ花はおのが妻かも」(後拾遺集秋上、二八四、大中臣能宣)を指摘。2.4.1
注釈72老を忘るる菊に『異本紫明抄』は「露ながら折りてかざさむ菊の花老いせぬ秋の久しかるべく」(古今集秋下、二七〇、紀友則)。『河海抄』は「皆人の老いを忘るといふ菊は百年をやる花にぞありける」(古今六帖一、九日)を指摘。2.4.1
注釈73昔の源氏はすべて以下「方ぞなかりしかし」まで、語り手の感情移入の評言。『評釈』は「語り手は、ためいきまじりに言い出す」と注す。2.4.2
注釈74源中将この宮には常に参りつつ薫が匂宮邸(二条院)に。2.4.3
注釈75人ざまになむ係助詞「なむ」の下には「ある」などの語句が省略。結びの省略。2.4.3
注釈76例の世人は匂ふ兵部卿薫る中将と聞きにくく言ひ続けて匂宮、薫大将の呼称の由来。世間の人々がそのように言いはやした、という紹介の仕方。『休聞抄』は「紫式部かいひのかれたる詞也」と指摘。2.4.3
注釈77心ときめきに聞こえごちなど心をときめかして、婿にという申し出。2.4.3
注釈78冷泉院の女一の宮をぞ以下「かひありなむかし」まで、匂宮の心中。「さやうにて」は、妻としたい意。2.4.4
注釈79母女御もいと重く心にくくものしたまふあたりにて冷泉院の弘徽殿女御、太政大臣の娘、「澪標」巻に入内、女一の宮を生む。2.4.4
注釈80げに語り手の納得の気持ち。地の文に織り込まれている。2.4.4
注釈81忍びがたく思すべかめり推量助動詞の連語「べかめり」の主観的推量のニュアンスは語り手の推量。2.4.4
出典6 人のとがむる香 梅の花立ち寄るばかりありしより人のとがむる香にぞ染みぬる 古今集春上-三五 読人しらず 2.4.1
出典7 世の人のめづる女郎花 名にめでて折れるばかりぞ女郎花我落ちにきと人に語るな 古今集秋上-二二六 僧正遍昭 2.4.1
出典8 小牡鹿の妻にすめる萩の露 わが岡に小牡鹿来鳴く初萩の花妻問ひに来鳴く小牡鹿 万葉集八-一五四一 大伴旅人 2.4.1
出典9 老を忘るる菊 皆人の老いを忘るといふ菊は百年をやる花にぞありける 古今六帖一-一九四 紀貫之 2.4.1
校訂4 かひ かひ--かひかひ(かひ<後出>/$<朱>) 2.4.4
2.5
第五段 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格


2-5  Kaoru's character of pessimistic and negative to love

2.5.1  中将は、世の中を深くあぢきなきものに思ひ澄ましたる心なれば、「 なかなか心とどめて、行き離れがたき思ひや残らむ」など思ふに、「 わづらはしき思ひあらむあたりにかかづらはむは、つつましく」など思ひ捨てたまふ。 さしあたりて、心にしむべきことのなきほど、さかしだつにやありけむ。人の許しなからむことなどは、まして思ひ寄るべくもあらず。
 中将は、世の中を深くつまらないものと悟り澄ました気持ちなので、「なまじ女性に執着して、出家しにくい思いが残ろうか」などと思うので、「厄介な思いをしそうなところに関係するのは、遠慮されて」などと諦めていらっしゃる。さしあたって、心に気に入りそうな事がない間は、賢ぶっていたのであろうか。親の承諾しないような結婚などは、なおさら思うはずもない。
 中将は人生を味気ないものと悟っているのであるから、寂しいからといって、恋愛などをしては、かえってこの世を捨てる際の妨げになるであろうということを知っていて、保護者との関係の煩瑣はんさな女性に求婚するようなことははばかられるのであった。自身では永久にこの冷静な態度が続けられるものと思っていたであろうが、それはただ現在の薫中将が熱情をもって愛する人がないからであろうと思われる。親兄弟の同意せぬ恋愛結婚などはまして遂行すべくもない薫である。
  Tyuuzyau ha, yononaka wo hukaku adikinaki mono ni omohi-sumasi taru kokoro nare ba, "Naka-naka kokoro todome te, yuki-hanare gataki omohi ya nokora m?" nado omohu ni, "Wadurahasiki omohi ara m atari ni kakaduraha m ha, tutumasiku." nado omohi-sute tamahu. Sasi-atari te, kokoro ni simu beki koto no naki hodo, sakasi-datu ni ya ari kem? Hito no yurusi nakara m koto nado ha, masite omohi-yoru beku mo ara zu.
2.5.2  十九になりたまふ年、三位の宰相にて、なほ中将も離れず。帝、后の御もてなしに、ただ人にては、憚りなきめでたき人のおぼえにてものしたまへど、心のうちには 身を思ひ知るかたありて、ものあはれになどもありければ、心にまかせて、はやりかなる好きごと、をさをさ好まず、よろづのこともてしづめつつ、おのづからおよすけたる心ざまを、人にも知られたまへり。
 十九歳におなりの年、三位宰相になって、やはり中将を辞めていない。帝、后の御待遇で、臣下であっては、遠慮のない幸い人のご人望でいらっしゃるが、心の中ではわが身の上について思い知るところがあって、もの悲しい気持ちなどがあったので、勝手気ままな浮いた好色事、まったく好きでなく、万事控え目に振る舞っては、自然と老成した性格を、人からも知られていらっしゃった。
 十九になったとしに三位の参議になって、なお中将も兼ねていた。帝も后も愛を傾けておいでになる人で、臣下としてこれ以上幸福な存在はないと見られる薫ではあるが、心の中には純粋な六条院の御子と思われぬ不幸な認識がひそんでいて、楽天的にはなれない人で、貴公子に共通な放縦な生活をするようなことも好まなかった。静かに落ち着いたものの見方をする老成なふうの男であると人からも見られていた。
  Zihu-ku ni nari tamahu tosi, Sam-mi-no-Saisyau nite, naho Tyuuzyau mo hanare zu. Mikado, Kisaki no ohom-motenasi ni, tadaudo ni te ha, habakari naki medetaki hito no oboye nite monosi tamahe do, kokoro no uti ni ha mi wo omohi-siru kata ari te, mono ahare ni nado mo ari kere ba, kokoro ni makase te, hayarika naru suki-goto, wosa-wosa konoma zu, yorodu no koto mote-sidume tutu, onodukara oyosuke taru kokoro-zama wo, hito ni mo sira re tamahe ri.
2.5.3  三の宮の、年に添へて心をくだきたまふめる、 院の姫宮の御あたりを見るにも、一つ院のうちに、明け暮れ立ち馴れたまへば、ことに触れても、 人のありさまを聞き見たてまつるに、「 げに、いとなべてならず。心にくくゆゑゆゑしき御もてなし 限りなきを、同じくは、げにかやうなる人を見むにこそ、生ける限りの心ゆくべきつまなれ」と思ひながら、 おほかたこそ 隔つることなく思したれ、姫宮の御方ざまの隔ては、こよなく気遠くならはさせたまふも、ことわりにわづらはしければ、あながちにもまじらひ寄らず。「 もし、心より外の心もつかば、我も人もいと悪しかるべきこと」と思ひ知りて、もの馴れ寄ることもなかりけり。
 三の宮が、年齢とともに熱心でいらっしゃるらしい、院の姫宮のご様子を見るにつけても、同じ院の内に、朝に夕に一緒にお暮らしなので、何かの機会にふれても、姫のご様子を聞いたり拝見したりするので、「なるほど、たいそう並々でない。奥ゆかしく嗜み深いお振る舞いはこの上ないので、同じことならば、ほんとうにこのような人と結婚するのこそ、生涯楽しく暮らせる糸口となることだろう」とは思うものの、普通の事は分け隔てなくお扱いでいらっしゃるが、姫宮の御事の方面の隔ては、この上なくよそよそしく習慣づけていらっしゃるのも、もっともなことに厄介な事なので、無理に近づこうとはしない。「もし、思いも寄らない気持ちが起こったら、自分も相手もまことに悪い事だ」と分別して、馴れ馴れしく近づき寄ることはなかったのであった。
 兵部卿の宮の恋が年とともに態度の加わる院の一品いっぽんの姫宮も、一つの院の中にいる薫には、ことに触れて御様子がわかりもするのであって、評判どおりに優秀な御素質の貴女らしいことを知っては、こんな方を妻にできれば生きがいを感じることであろうと思うのであるが、院が御実子同然な御待遇を薫に与えておいでになるものの、姫宮との間だけは厳重にお隔てになるのを知っていては、しいて御交際を求めにゆく気にはなれないのであった。自分ながらも予期せぬ恋の初めのみちに踏み入るようなことがもしあっては、宮のためにも、自身のためにもよろしくないと思って、親しもうとは心がけなかった。
  Sam-no-Miya no, tosi ni sohe te kokoro wo kudaki tamahu meru, Win no Hime-Miya no ohom-atari wo miru ni mo, hitotu Win no uti ni, akekure tati nare tamahe ba, koto ni hure te mo, hito no arisama wo kiki mi tatematuru ni, "Geni, ito nabete nara zu. Kokoro-nikuku yuwe-yuwesiki ohom-motenasi kagirinaki wo, onaziku ha, geni kayau naru hito wo mi m ni koso, ike ru kagiri no kokoro-yuku beki tuma nare." to omohi nagara, ohokata koso hedaturu koto naku obosi tare, Hime-Miya no ohom-kata-zama no hedate ha, koyonaku kedohoku naraha sase tamahu mo, kotowari ni wadurahasikere ba, anagati ni mo mazirahi yora zu. "Mosi, kokoro yori hoka no kokoro mo tuka ba, ware mo hito mo ito asikaru beki koto." to omohi-siri te, mono-nare yoru koto mo nakari keri.
2.5.4   我が、かく、人にめでられむとなりたまへるありさまなれば、はかなくなげの言葉を散らしたまふあたりも、こよなくもて離るる心なく、なびきやすなるほどに、おのづからなほざりの通ひ所もあまたに なるを、 人のために、ことことしくなどもてなさず、いとよく紛らはし、そこはかとなく情けなからぬほどの、なかなか心やましきを、思ひ寄れる人は、誘はれつつ、 三条宮に参り集まるはあまたあり
 自分が、このように、人から誉められるように生まれついていらっしゃる有様なので、ちょっと何気ない言葉をおかけになる相手の女性も、まったく相手にしない気持ちはなく、靡きやすい程度なので、自然とたいして気の染まない通い所も多くになるが、相手に対して、大仰な待遇はせず、たいそううまく紛らわして、どことなく愛情がないでもない程度で、かえって気がもめるので、情けを寄せる女は、気が引かれ引かれして、三条宮に参集する者が大勢いる。
 人に愛さるべく作られたような風采ふうさいのあるかおるであったから、かりそめの戯れを言いかけたにすぎない女からも皆好意を持たれて、やむなく情人関係になったような、まじめには愛人と認めていない相手も多くなったが、女のためには秘密にするほうがよいと思って、皆かげのことにしておいて、無情だと思われぬ程度にだれの所へも人目を紛らして通って行くのを、女のほうではかえって気が詰まるように苦しく思い、薫の誘うままに三条の母宮の所へ女房勤めに集まって来るのが多くなった。
  Waga, kaku, hito ni mede rare m to nari tamahe ru arisama nare ba, hakanaku nage no kotoba wo tirasi tamahu atari mo, koyonaku mote-hanaruru kokoro naku, nabiki-yasu naru hodo ni, onodukara nahozari no kayohi-dokoro mo amata ni naru wo, hito no tame ni, koto-kotosiku nado motenasa zu, ito yoku magirahasi, sokohaka to naku nasake nakara nu hodo no, naka-naka kokoro-yamasiki wo, omohi-yore ru hito ha, izanaha re tutu, Samdeu-no-miya ni mawiri atumaru ha amata ari.
2.5.5  つれなきを見るも、苦しげなるわざなめれど、 絶えなむよりは、心細きに思ひわびて、さもあるまじき際の人びとの、はかなき契りに頼みをかけたる多かり。 さすがに、いとなつかしう、見所ある人の御ありさまなれば、 見る人、皆心にはからるるやうにて、見過ぐさる
 冷淡な態度を見るのも、辛いことのようであるが、すっかり仲が絶えてしまうよりはと、心細さが辛くて、宮仕えなどしない身分の人々で、頼りない縁に期待をかけている者が多かった。そうはいっても、とてもやさしく、見所のある方のご様子なので、一度会った女は、みな自分の気持ちにだまされるようにして、つい大目に見てしまうのである。
 冷淡な態度を始終見せられているのも苦痛ではあったが、絶縁されるよりはと心細い恋人たちは思って、女房勤めをする身分でない人々もこうして薫とはかない関係を続けることで慰んでいるのであった。さすがになつかしい、目に見るだけでも情感を受けられる人であったから、どの女もしいてみずからを欺くようにしてこの境遇に満足していた。
  Turenaki wo miru mo, kurusige naru waza na' mere do, taye na m yori ha, kokoro-bosoki ni omohi wabi te, samo arumaziki kiha no hito-bito no, hakanaki tigiri ni tanomi wo kake taru ohokari. Sasuga ni, ito natukasiu, mi-dokoro aru hito no mi-arisama nare ba, miru hito, mina kokoro ni hakara ruru yau ni te, mi-sugusa ru.
注釈82なかなか心とどめて以下「思ひや残らむ」まで、薫の心中。反語表現。2.5.1
注釈83わづらはしき思ひ以下「つつましく」まで、薫の心中。2.5.1
注釈84さしあたりて以下「さかしだつにやありけむ」まで、語り手の批評。『細流抄』は「草子地也」。『完訳』は「心奪われそうな女君の現れない当座、悟りすましてもいられようが、と語り手が薫の道心を危ぶむ言辞。薫の独自な人生観を際だてる評言である」と指摘。2.5.1
注釈85身を思ひ知るかたありて出生に秘密について知ったこと。2.5.2
注釈86院の姫宮の御あたりを見るにも主語は薫。薫は冷泉院の対の屋に部屋をもっている。2.5.3
注釈87人のありさまを冷泉院の女一の宮をさす。2.5.3
注釈88げにいとなべてならず以下「心ゆくべきつまなれ」まで、薫の心中。2.5.3
注釈89おほかたこそ係助詞「こそ」は「思したれ」に係る逆接用法。2.5.3
注釈90隔つることなく思したれ主語は冷泉院。2.5.3
注釈91もし心より外の以下「いと悪しかるべきこと」まで、薫の心中。『完訳』は「出家の素志に反して」と注す。2.5.3
注釈92我がかく人にめでられむとなりたまへるありさまなれば『集成』は「ご自身がこのように女にちやほやされるように生れついていられる美しい方なので」。『完訳』は「ご自身がこうして人にもてはやされるように生れついておられるお方なので」「人にもてはやされるために生れたような人柄。薫の厚い信望」と注す。2.5.4
注釈93人のために、ことことしくなどもてなさず、いとよく紛らはし『完訳』は「情交関係はあっても、女房程度の女を格別妻のようには扱わない。それが常識人薫の対処法」と注す。2.5.4
注釈94三条宮に参り集まるはあまたあり薫の本邸。母女三の宮のいる邸。薫との情交関係を求めて女房となる人。召人が大勢いると語る。2.5.4
注釈95絶えなむよりは、心細きに「なむ」は、完了助動詞+推量の助動詞。すっかり絶えてしまうよりは、のニュアンス。2.5.5
注釈96さすがに「つれなきを見るも」を受ける。2.5.5
注釈97見る人皆心にはからるるやうにて見過ぐさる『集成』は「情を交わす女は皆、自分の気持にだまされるような具合で、(そういう冷淡な薫を)つい大目に見てしまう。「る」は自発の意」。『完訳』は「薫はその好色ならざる人柄で世人の信望を得、多くの女性関係を持つ。しかし召人との関係では結婚や好色の対象にならない。薫の道心の破綻しないゆえんである」と注す。薫の道心と好色心のバランスは召人によってとられている。2.5.5
校訂5 限りなきを 限りなきを--かきりなき(き/+を) 2.5.3
校訂6 なる なる--△△(△△/#なる) 2.5.4
2.6
第六段 夕霧の六の君の評判


2-6  A reputation to Yugiri's daughter, Roku-no-Kimi

2.6.1  「 宮のおはしまさむ世の限りは朝夕に御目離れず御覧ぜられ、見えたてまつらむをだに」
 「母宮が生きていらっしゃるうちは、朝夕にお側を離れずお目にかかり、お仕え申し上げることを、せめてもの孝養に」
 「宮様の御存命中は毎日お目にかかることを怠らないつもりだから」
  "Miya no ohasimasa m yo no kagiri ha, asayuhu ni ohom-me kare zu go-ran-ze rare, miye tatematura m wo dani."
2.6.2  と思ひのたまへば、右の大臣も、あまたものしたまふ御女たちを、一人一人は、と心ざしたまひながら、え 言に出でたまはず。「さすがに、 ゆかしげなき仲らひなるを」とは思ひなせど、「この君たちをおきて、ほかには、なずらひなるべき人を求め出づべき世かは」と思しわづらふ。
 と思っておっしゃるので、右大臣も、大勢いらっしゃる姫君たちを、誰か一人は、とお思いになりながら、口にお出しになることができない。「なんといっても、近い縁者なのでおもしろみがない」と思ってはみるが、「この君たちを措いて、他に、肩を並べるような人を探し出せるであろうか」とお困りになる。
 と薫中将は言っていた。こんなふうの人であったから、夕霧の右大臣もおおぜいある娘の中の一人は匂宮へ、一人はこの人の妻にさせたいという希望は持っていても、言いだすことをはばかっていた。なんといっても内輪どうしのことであって、世間の聞こえもおもしろくないとは大臣も知っているのであるが、この二人のすぐれた貴公子に準じて見るほどの人もない世の中ではしかたがないと考えられるのであった。
  to omohi notamahe ba, Migi-no-Otodo mo, amata monosi tamahu ohom-musume-tati wo, hitori hitori ha, to kokorozasi tamahi nagara, e koto ni ide tamaha zu. "Sasuga ni, yukasige naki nakarahi naru wo." to ha omohi nase do, "Kono Kimi-tati wo oki te, hoka ni ha, nazurahi naru beki hito wo motome-idu beki yo kaha!" to obosi-wadurahu.
2.6.3   やむごとなきよりも、典侍腹の六の君とか、いとすぐれてをかしげに、心ばへなどもたらひて生ひ出でたまふを、世のおぼえのおとしめざまなるべきしも、かくあたらしきを、心苦しう思して、一条の宮の、さる扱ひぐさ持たまへらでさうざうしきに、迎へとりてたてまつりたまへり。
 れっきとした姫君よりも、典侍腹の六の君とか、たいそう素晴らしくて美しそうで、気立てなども申し分なくて成人なさっているのを、世間の評判が低いのがかえって、このように惜しいのを、不憫にお思いになって、一条宮が、そういうお子様をお持ちでなく手持ち無沙汰なので、迎え取って差し上げなさった。
 雲井くもいかり夫人の生んだ娘たちよりも藤典侍とうてんじにできた六女はすぐれて美しく、性質も欠点のない令嬢なのであった。劣った母に生まれた子として世間が軽蔑けいべつして見ることを惜しく思って、女二の宮が子供をお持ちになることができずに寂しい御様子であるために、六の君を大臣は典侍の所から迎えて宮の御養女に差し上げた。
  Yamgotonaki yori mo, Naisinosuke-bara no Roku-no-Kimi to ka, ito sugure te wokasige ni, kokorobahe nado mo tarahi te ohi-ide tamahu wo, yo no oboye no otosime-zama naru beki simo, kaku atarasiki wo, kokoro-gurusiu obosi te, Itideu-no-Miya no, saru atukahi-gusa mo' tamahe ra de sau-zausiki ni, mukahe tori te tatematuri tamahe ri.
2.6.4  「 わざとはなくてこの人びとに見せそめては、かならず心とどめたまひてむ。人のありさまをも知る人は、ことにこそあるべけれ」など思して、 いといつくしくはもてなしたまはず、今めかしくをかしきやうに、もの好みせさせて、人の心つけむたより多くつくりなしたまふ。
 「わざわざとではなく、この方々に一度お見せしたら、きっと熱心になるにちがいなかろう。女性の美しさが分かる人は、特に格別であろう」などとお思いになって、はなはだ威厳ばってはお扱いにならず、今風で趣あるように、しゃれた暮らしをさせて、人が熱心になるような工夫を沢山凝らしていらっしゃる。
 よい機会に二人の公子に姫君の気配けはいをそれとなく示したなら、必ず熱心な求婚者になしうるであろう、すぐれた女の価値を知ることは、すぐれた男でなければできぬはずであると大臣は思って、六の君を后の候補者というような大形おおぎょうな扱いをせず、はなやかに、人目を引くような派手はでな扱いをして貴公子の心を多くくようにしていた。
  "Wazato ha naku te, kono hito-bito ni mise some te ha, kanarazu kokoro todome tamahi te m. Hito no arisama wo mo siru hito ha, koto ni koso aru bekere." nado obosi te, ito itukusiku ha motenasi tamaha zu, imamekasiku wokasiki yau ni, mono-gonomi se sase te, hito no kokoro-tuke m tayori ohoku tukuri nasi tamahu.
注釈98宮のおはしまさむ世の限りは以下「見えたてまつらむをだに」まで、薫の詞。2.6.1
注釈99朝夕に御目離れず御覧ぜられ、見えたてまつらむ薫の孝心。かつて「野分」巻に語られていた夕霧の孝心と同じ。2.6.1
注釈100ゆかしげなき仲らひなるを叔父と姪の関係。あまりに縁近くおもしろみがない、と夕霧は思う。かつて内大臣が夕霧と雲居雁の仲を思ったのと同じ。2.6.2
注釈101やむごとなきよりも北の方雲居雁腹の娘をさす。2.6.3
注釈102わざとはなくて以下「こそあるべけれ」まで、夕霧の心中。2.6.4
注釈103この人びとに匂宮や薫をさす。2.6.4
注釈104いといつくしくはもてなしたまはず『完訳』は「箱入り娘の扱いでなく、男たちが近づきやすいようにした」と注す。2.6.4
校訂7 言に 言に--こと(と/+に) 2.6.2
2.7
第七段 六条院の賭弓の還饗


2-7  A banquet after bow match at Rokujo-in

2.7.1   賭弓の還饗のまうけ、六条院にていと心ことにしたまひて、親王をもおはしまさせむの心づかひしたまへり。
 賭弓の還饗の準備を、六条院で特別念入りになさって、親王方もご招待しようとのお心づもりをしていらっしゃった。
 御所の正月の弓の競技のあとで、左大将でもある夕霧の大臣の家で宴会の開かれるのを、大臣は六条院ですることにして匂宮にも御来会を願っていた。
  Noriyumi no kaheri-aruzi no mauke, Rokudeu-no-win nite ito kokoro koto ni si tamahi te, Miko wo mo ohasimsa se m no kokoro-dukahi si tamahe ri.
2.7.2  その日、親王たち、大人におはするは、皆さぶらひたまふ。 后腹のは、いづれともなく、気高くきよげにおはします中にも、この兵部卿宮は、げにいとすぐれてこよなう見えたまふ。 四の親王、常陸宮と聞こゆる、更衣腹のは、思ひなしにや、けはひこよなう劣りたまへり。
 その当日、親王方で、大人でいらっしゃる方は、みな伺候なさる。后腹の方は、どの方もどの方も、気高く美しそうにいらっしゃる中でも、この兵部卿宮は、ほんとうにたいそう素晴らしくこの上なくお見えになる。四の親王で、常陸宮と申し上げる方は、更衣腹である方は、思いなしか、感じが格段に劣っていらっしゃった。
 賭弓かけゆみの席には皇子がたの御元服あそばしたのは皆出ておいでになった。后腹きさきばらの宮は皆気高けだかくお美しい中にも、風流男みやびおの名を取っておいでになる兵部卿の宮はやはりすぐれて御風采ふうさいがりっぱにお見えになった。第四の皇子は常陸ひたちの大守でおありになるが、この方は更衣腹こういばらで、思いなしかずっと見劣りがされた。
  Sono hi, Miko-tati, otona ni ohasuru ha, mina saburahi tamahu. Kisai-bara no ha, idure to mo naku, kedakaku kiyoge ni ohasimasu naka ni mo, kono Hyaubukyau-no-Miya ha, geni ito sugure te koyonau miye tamahu. Si-no-Miko, Hitati-no-Miya to kikoyuru, kaui-bara no ha, omohi-nasi ni ya, kehahi koyonau otori tamahe ri.
2.7.3  例の、左、あながちに勝ちぬ。例よりは、とくこと果てて、 大将まかでたまふ。兵部卿宮、常陸宮、后腹の五の宮と、一つ車に招き乗せたてまつりて、まかでたまふ。 宰相中将は、負方にて、音なくまかでたまひにけるを
 いつものように、左方が、一方的に勝った。いつもよりは、早く賭弓が終わって、大将が退出なさる。兵部卿宮、常陸宮、后腹の五の宮と、同じお車にお招き乗せ申し上げて、退出なさる。宰相中将は、負方で、静かに退出なさったが、
 例のことであるが勝負は左ばかりが勝ち続けた。例年よりも早く競技は終わって左右の大将は退出するのであったが、匂宮、常陸の宮、后腹の五の宮を大臣の大将は自身の車へいっしょにお乗せして帰ろうとした。薫は負け方の右中将で、そっと退出して行こうとしていた車を、大臣は、
  Rei no, hidari, anagati ni kati nu. Rei yori ha, toku koto hate te, Daisyau makade tamahu. Hyaubukyau-no-Miya, Hitati-no-Miya, Kisaki-bara no Go-no-Miya to, hitotu-kuruma ni maneki nose tatematuri te, makade tamahu. Saisyau-no-Tyuuzyau ha, make-kata ni te, oto naku makade tamahi ni keru wo,
2.7.4  「 親王たちおはします御送りには、参りたまふまじや」
 「親王方がいらっしゃるお送りに、お出でになりませんか」
 「宮様がたがおいでになるお送りにおいでにならないか」
  "Miko-tati ohasimasu ohom-okuri ni ha, mawiri tamahu mazi ya?"
2.7.5  と、おしとどめさせて、御子の右衛門督、権中納言、右大弁など、さらぬ上達部あまた、これかれに乗りまじり、誘ひ立てて、六条院へおはす。
 と、退出をおし止めなさって、ご子息の衛門督を、権中納言、右大弁など、それ以外の上達部が大勢、あれこれの車に乗り合って、誘い合って、六条院へいらっしゃる。
 と言ってとどめさせて、子息の衛門督えもんのかみごん中納言、右大弁そのほかの高官をそれへ混ぜて乗せさせて六条院へ来た。
  to, osi-todome sase te, miko no Uwemon-no-Kmi, Gon-no-Tyuunagon, U-Daiben nado, saranu Kamdatime amata, kore kare ni nori maziri, izanahi tate te, Rokudeu-no-in he ohasu.
2.7.6  道のややほど経るに、 雪いささか散りて、艶なるたそかれ時なり。物の音をかしきほどに吹き立て遊びて入りたまふを、「 げに、ここをおきて、いかならむ仏の国にかは、かやうの折節の心やり所を求めむ」と見えたり。
 道中やや時間のかかるうちに、雪が少し降って、優艶な黄昏時である。笛の音色を美しく吹き立てながらお入りなると、「なるほど、ここを措いて、どのような仏の国が、このような時の楽しみ場所を求めることができようか」と見えた。
 やや遠いみちを来るうちに雪も少し降り出してえんな気のする黄昏時たそがれどきであった。笛などもおもしろく吹き立ててはいって行った。六条院は、ここ以外にはどんな御仏みほとけの国でもこうした日の遊び場所に適した所はないであろうと思われた。
  Miti no yaya hodo huru ni, yuki isasaka tiri te, en naru tasokare-doki nari. Mono-no-ne wokasiki hodo ni huki-tate asobi te iri tamahu wo, "Geni, koko wo oki te, ika nara m Hotoke no kuni ni ka ha, kayau no wori-husi no kokoro-yari-dokoro wo motome m." to miye tari.
2.7.7   寝殿の南の廂に、常のごと南向きに、中少将着きわたり、北向きにむかひて、垣下の親王たち、上達部の御座あり。御土器など始まりて、ものおもしろくなりゆくに、「求子」舞ひて、かよる袖どものうち返す羽風に、御前近き梅の、いといたくほころびこぼれたる匂ひの、さとうち散りわたれるに、例の、 中将の御薫りの、いとどしくもてはやされて、いひ知らずなまめかし。はつかにのぞく女房なども、「 闇はあやなく、心もとなきほどなれど、 香にこそ、げに似たるものなかりけれ 」と、めであへり。
 寝殿の南の廂間に、いつものように南向きに、中将少将がずらりと着座し、北向きに対座して、垣下の親王方、上達部のお座席がある。お盃の事などが始まって、何となく座がはずんでくると、「求子」を舞って、翻る袖の数々をあおる羽風に、お庭先の梅がすっかり満開になっている薫りが、さっと一面に漂って来ると、いつものように、中将の薫りが、ますます素晴らしく引き立てられて、何とも言えないほど優美である。わずかに覗いている女房なども、「闇ははっきりせず、見たいものだが、あの薫りは、なるほど他に似たものがありませんね」と、誉め合っていた。
寝殿の南のひさしの間の端に定例どおり中将が南向いて席につき、北向きに主人の座に対して来会者の親王がた、高官たちの席が作ってあった。酒杯が出て夜がおもしろくなったころに「求子もとめこ」が舞われた。左の手でおさえ、右の手で抑えて幾度かそでを斜めにするこの時の風の動きに庭の梅の香がさっと家の中へはいってきて、源中将が身に持つにおいを誘うのも艶な趣のあることであった。わずかな透き間からのぞく女房なども、「やみはあやなし(梅の花色こそ見えね香やは隠るる)という時間にもあの方のにおいだけはだれにだってわかります」と言って薫をほめていた。
  Sinden no minami no hisasi ni, tune no goto minami-muki ni, Tyuu Seusyau tuki watari, kita-muki ni mukahi te, wega no Miko-tati, Kamdatime no o-masi ari. Ohom-kaharake nado hazimari te, mono-omosiroku nari yuku ni, "Motome-go" mahi te, kayoru sode-domo no uti-kahesu hakaze ni, o-mahe tikaki mume no, ito itaku hokorobi kobore taru nihohi no, sato uti-tiri watare ru ni, rei no, Tyuuzyau no ohom-kawori no, itodosiku motehayasa re te, ihi-sira-zu namamekasi. Hatuka ni nozoku nyoubau nado mo, "Yami ha ayanaku, kokoro-motonaki hodo nare do, ka ni koso, geni ni taru mono nakari kere." to, mede-ahe ri.
2.7.8  大臣も、いとめでたしと見たまふ。容貌用意も、常よりまさりて、乱れぬさまに収めたるを見て、
 大臣も、たいそう立派だと御覧になる。ご器量やお振る舞いも、いつも以上で、行儀正しく澄ましているのを見て、
 大臣もそう思っていた。容貌ようぼう風采ふうさいも平生以上にまたすぐれて見える薫が行儀正しくしているのを見て、
  Otodo mo, ito medetasi to mi tamahu. Katati youi mo, tune yori mo masari te, midare nu sama ni wosame taru wo mi te,
2.7.9  「 右の中将も声加へたまへや。いたう客人だたしや」
 「右の中将も一緒にお歌いになりませんか。とてもお客人ぶっていますね」
 「右近衛うこんえの中将も声をお加えなさい。あまりに客らしくしているではありませんか」
  "Migi-no-Suke mo kowe kuhahe tamahe ya. Itau marauto-datasi ya!"
2.7.10  とのたまへば、憎からぬほどに、「 神のます」など
 とおっしゃるので、無愛想にならない程度に、「神のます」などと。
 と言うと、感じのよいほどの中音で、「神のます」など、求子もとめこの一ふしをうたった。
  to notamahe ba, nikukara nu hodo ni, "Kami no masu" nado.
注釈105賭弓の還饗のまうけ正月十八日、弓場殿で帝の臨席のもとに催される競射。その後の勝者が設ける饗宴。河海抄「女郎花花の名ならぬ物ならば何かは君がかざしにもせむ」(後撰集秋中、三四八、三条右大臣)を指摘。2.7.1
注釈106后腹のは明石中宮腹の親王をさす。2.7.2
注釈107四の親王常陸宮と聞こゆる第四親王で常陸宮と申し上げる方。後に「宿木」巻に登場する。2.7.2
注釈108大将まかでたまふ左大将夕霧。饗宴の準備のため退出する。2.7.3
注釈109宰相中将は負方にて音なくまかでたまひにけるを『完訳』は「薫。負方は早出するのが常で、饗宴に出席する資格もない」と注す。2.7.3
注釈110親王たちおはします以下「参りたまふまじや」まで、夕霧の詞。負方の薫を六条院の饗宴に誘う。2.7.4
注釈111雪いささか散りて艶なるたそかれ時なり『完訳』「早春の雪。春浅いころの、ほのぼの浮きたつようなたそがれ時」と注す。2.7.6
注釈112げにここをおきて以下「所を求めむ」まで、六条院への来客たちの感想。2.7.6
注釈113寝殿の南の廂に六条院の南町の寝殿の南廂間。2.7.7
注釈114中将の御薫り薫の身体の芳香。2.7.7
注釈115闇はあやなく以下「ものなかりけれ」まで、女房の詞。『源氏釈』は「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる」(古今集春上、四一、躬恒)を指摘。2.7.7
注釈116香にこそげに似たるものなかりけれ『源氏釈』は「降る雪に色はまがひぬ梅の花香にこそ似たる物なかりけれ」(拾遺集春、一四、躬恒)を指摘。2.7.7
注釈117右の中将も以下「客人だたれじや」まで、夕霧の詞。2.7.9
注釈118神のますなど薫の詞。「神のます」は風俗歌「八少女」の歌句。『花鳥余情』は「此結句は若菜下巻のおなし筆法也」と指摘。『全書』は「ここに脱文ある如く装ってゐるが、恐らくこの巻の作者の所為であらう。余情を深からしめる技巧の一種」と注す。2.7.10
出典10 闇はあやなく 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる 古今集春上-四一 凡河内躬恒 2.7.7
出典11 香にこそ、げに似たる 降る雪に色はまがひぬ梅の花香にこそ似たる物なかりけれ 拾遺集春-一四 凡河内躬恒 2.7.7
Last updated 2/14/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 2/14/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-4)
Last updated 2/14/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
高橋真也(青空文庫)

2003年8月12日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月3日

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