38 鈴虫(大島本)


SUZUMUSI


光る源氏の准太上天皇時代
五十歳夏から秋までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from summer to fall, at the age of 50

3
第三章 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う


3  Tale of Akikonomu  Thinking to be a nun and her mother's a sin

3.1
第一段 秋好中宮、出家を思う


3-1  Empress Akikonomu thinks to be a nun

3.1.1  六条の院は、 中宮の御方に渡りたまひて、御物語など聞こえたまふ。
 六条の院は、中宮の御方にお越しになって、お話など申し上げなさる。
 六条院は中宮のお住居すまいのほうへおいでになってしばらくお話しになった。
  Rokudeu-no-Win ha, Tyuuguu no ohom-kata ni watari tamahi te, ohom-monogatari nado kikoye tamahu.
3.1.2  「 今はかう静かなる御住まひに、しばしばも参りぬべく、何とはなけれど、過ぐる齢に添へて、忘れぬ昔の御物語など、承り聞こえまほしう思ひたまふるに、 何にもつかぬ身のありさまにて、さすがにうひうひしく、 所狭くもはべりてなむ
 「今はこのように静かなお住まいに、しばしば伺うことができ、特にどうということはないけれども、年をとるにつれて、忘れない昔話など、お聞きしたり申し上げたりしたく存じますが、中途半端な身の有様で、やはり気が引け、窮屈な思いが致しまして。
 「ただ今はこうして御閑散なのですから、始終お伺いして、何ということもありませんが年のいくのとさかさまにますます濃くなる昔の思い出についてお話もし、承りもしたいのを果たすことがなかなか困難です。出家をしたのでもなし、俗人でもないような身の上で、行動の窮屈な点があります。
  "Ima ha kau siduka naru ohom-sumahi ni, siba-siba mo mawiri nu beku, nani to ha nakere do, suguru yohahi ni sohe te, wasure nu mukasi no ohom-monogatari nado, uketamahari kikoye mahosiu omohi tamahuru ni, nani ni mo tuka nu mi no arisama ni te, sasuga ni uhi-uhisiku, tokoro-seku mo haberi te nam.
3.1.3   我より後の人びとに、方々につけて後れゆく心地しはべるも、いと常なき世の心細さの、のどめがたうおぼえはべれば、世離れたる住まひにもやと、やうやう思ひ立ちぬるを、 残りの人びとのものはかなからむ、漂はしたまふな、と 先々も聞こえつけし心違へず 、思しとどめてものせさせたまへ」
 わたしより若い方々に、何かにつけて先を越されて行く感じが致しますのも、まことに無常の世の心細さが、のんびり構えていられぬ気持ちがしますので、世を離れた生活をしようかと、だんだん気持ちが進んできましたが、後に残された方々が頼りないでしょうから、おちぶれさせなさらないように、と以前にもお願い申し上げました通り、その気持ちを変えずにお世話してやって下さい」
 どちらにも私よりあとに志を起こして先へ進まれる求道者が多いのですから心細くて、思いきって田舎いなかの寺へはいることにしようかともいよいよ近ごろは思われるのですが、あとの家族たちに関心をお持ちくださるようには以前からもお頼みしていることですが、その時になりましたらあわれみをおれになってください」
  Ware yori noti no hito-bito ni, kata-gata ni tuke te okure yuku kokoti si haberu mo, ito tune naki yo no kokoro-bososa no, nodome gatau oboye habere ba, yo hanare taru sumahi ni mo ya to, yau-yau omohi tati nuru wo, nokori no hito-bito no mono hakanakara m, tadayohasi tamahu na, to saki-zaki mo kikoye-tuke si kokoro tagahe zu, obosi todome te monose sase tamahe."
3.1.4  など、まめやかなるさまに 聞こえさせたまふ
 などと、方々の生活面のことについてお願い申し上げなさる。
 などと六条院はまじめな御様子でお語りになった。
  nado, mameyaka naru sama ni kikoye sase tamahu.
3.1.5  例の、いと若うおほどかなる御けはひにて、
 例によって、大変に若くおっとりしたご様子で、
 今も若々しくおおような調子で、中宮は、
  Rei no, ito wakau ohodoka naru ohom-kehahi ni te,
3.1.6  「 九重の隔て深うはべりし年ごろよりも、おぼつかなさのまさるやうに思ひたまへらるるありさまを、いと思ひの外に、むつかしうて、 皆人の背きゆく世を、厭はしう思ひなることもはべりながら、その心の内を聞こえさせうけたまはらねば、何事もまづ頼もしき蔭には聞こえさせならひて、 いぶせくはべる
 「宮中の奥深くに住んでおりましたころよりも、お目に掛かれないことが多くなったように存じられます今の有様が、ほんとうに思いもしなかったことで、面白くなく思われまして、皆が出家して行くこの世を、厭わしく思われることもございますが、その心の中を申し上げてご意向を伺っておりませんので、何事もまずは頼りにしている癖がついていますため、気に致しております」
 「宮中住まいをしておりましたころよりも、お目にかかります機会がだんだん少なくなってまいりますことも、予期せぬことでございましたから寂しゅうございましてね。皆様が御出家をあそばすこの世というものから私も離れてしまいたい望みを持っておりますことにつきましても、御相談が申し上げたくてそしてそれができないのでございますわ。昔からどんなことにもお力になっていただきつけて、独立心がなくなっているのでございましょうね。御意見を伺わないでは何もできません私は」
  "Kokonohe no hedate hukau haberi si tosi-goro yori mo, obotukanasa no masaru yau ni omohi tamahe raruru arisama wo, ito omohi no hoka ni, mutukasiu te, mina hito no somuki yuku yo wo, itohasiu omohi naru koto mo haberi nagara, sono kokoro no uti wo kikoye sase uketamahara ne ba, nani-goto mo madu tanomosiki kage ni ha kikoye sase narahi te, ibuseku haberu."
3.1.7  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 と言っておいでになった。
  to kikoye tamahu.
3.1.8  「 げに、公ざまにては、限りある折節の御里居も、いとよう待ちつけきこえさせしを、 今は何事につけてかは、御心にまかせさせたまふ御移ろひもはべらむ 。定めなき世と言ひながらも、 さして厭はしきことなき人の、さはやかに背き離るるもありがたう、 心やすかるべきほどにつけてだに、おのづから思ひかかづらふほだしのみはべるをなどか、その人まねにきほふ御道心は、かへりてひがひがしう推し量りきこえさする 人もこそはべれ。かけてもいとあるまじき 御ことになむ
 「おっしゃる通り、宮中にいらっしゃった時には、決まりに従った折々のお里下がりも、ほんとうにお待ち申し上げておりましたが、今は何を理由として、御自由にお出であそばすことがございましょうか。無常な世の習いとは言いながらも、特に世を厭う理由のない人が、きっぱりと出家することも難しいことで、容易に出家できそうな身分の人でさえ、自然とかかわり合う係累ができて世を背くことが出来ませんのに、どうして、そんな人真似をして負けずに出家なさろうとするのは、かえって変なお心掛けとご推量申し上げる者があっては困ります。絶対にあってはならない御事でございます」
 「そうですね。宮中にいらっしゃるころは年に幾度かの御実家帰りを楽しんでお待ち受けすることができたのですがね。ただ今では形式どおりのお暇をお取りになって御実家住まいをなさることのおできにならなくなりましたのもごもっともです。もうおかみとおきさきと申すより一家の御夫婦のようなものですからね。ただ今のお話ですが、さして厭世えんせい的になる理由のない人が断然この世の中を捨てることは至難なことでしょう。われわれでさえやはりいよいよといえばほだしになることが多いのですからね。人真似まねの御道心はかえって誤解を招くことになりますから、断じてそれはいけません」
  "Geni, ohoyake-zama ni te ha, kagiri aru wori-husi no ohom-satowi mo, ito you mati-tuke kikoye sase si wo, ima ha nani-goto ni tuke te ka ha, mi-kokoro ni makase sase tamahu ohom-uturohi mo habera m. Sadame naki yo to ihi nagara mo, sa si te itohasiki koto naki hito no, sahayaka ni somuki hanaruru mo arigatau, kokoro-yasukaru hodo ni tuke te dani, onodukara omohi kakadurahu hodasi nomi haberu wo, nado ka, sono hito-mane ni kihohu ohom-dausin ha, kaheri te higa-higasiu osihakari kikoye sasuru hito mo koso habere. Kakete mo ito aru maziki ohom-koto ni nam."
3.1.9  と聞こえたまふを、「 深うも汲みはかりたまはぬなめりかし」と、つらう思ひきこえたまふ。
 と申し上げなさるので、「深くは汲み取っ下さっていないようだ」と、恨めしくお思い申し上げなさる。
 と院がおとめになるのを、宮は深く自分の心がんでもらえないからであろうと恨めしく思召した。
  to kikoye tamahu wo, "Hukau mo kumi hakari tamaha nu na' meri kasi." to, turau kikoye tamahu.
注釈119中宮の御方に渡りたまひて主語は源氏。冷泉院御所の秋好中宮方に。3.1.1
注釈120今はかう以下「思しとどめてものせさせたまへ」まで、源氏の詞。3.1.2
注釈121何にもつかぬ身のありさまにて『集成』は「どっちつかずの身の有様で。ただの臣下でもなく、真の上皇でもない、准太上天皇の身分をいう。源氏の卑下の言葉」。『完訳』は「中途半端な身分と卑下。准太上天皇は上皇でも臣下でもない」と注す。3.1.2
注釈122所狭くもはべりてなむ下に「参らぬ」という内容が省略。3.1.2
注釈123我より後の人びとに方々につけて後れゆく心地しはべるも『集成』は「柏木との死別、女三の宮、朧月夜、朝顔の前斎院の出家などが念頭にある」と注す。3.1.3
注釈124残りの人びとのものはかなからむ漂はしたまふなと「人びとの」主格を表し、「ものはかなからむ」は原因理由を述べて、下文に「漂はしたまふな」という禁止の句を続ける構文。3.1.3
注釈125先々も聞こえつけし心違へず源氏が秋好中宮に後事を託したことは、「薄雲」巻、「藤裏葉」巻に見える。3.1.3
注釈126聞こえさせたまふ「聞こえさせ」+「たまふ」の形。中宮に対する源氏の厚い謙譲表現。3.1.4
注釈127九重の隔て以下「いぶせくはべる」まで、秋好中宮の詞。3.1.6
注釈128皆人の背きゆく世を「皆人の背き果てにし世の中にふるの社の身をいかにせむ」(斎宮女御集)。3.1.6
注釈129いぶせくはべる連体形止め。余意・余情効果。3.1.6
注釈130げに公ざまにては以下「いとあるまじき御ことになむ」まで、源氏の詞。冷泉院の在位中をさしていう。3.1.8
注釈131今は何事につけてかは御心にまかせさせたまふ御移ろひもはべらむ反語表現。お心のままに里下がりもできない、の意。3.1.8
注釈132さして厭はしきことなき人『完訳』は「中宮を、特に世を厭う理由のない人として、その出家に反対」と注す。3.1.8
注釈133心やすかるべきほどにつけてだにおのづから思ひかかづらふほだしのみはべるを家族に対する思いのため出家のし難さをいう。3.1.8
注釈134などか『集成』は読点で「どうしてそんな人真似をして負けじと競われるようなご出家のお志では」と訳し「御道心」にかけて読む。『完訳』は句点で「なぜ出家などお考えなのか」と訳す。3.1.8
注釈135人もこそはべれ「もこそ」--已然形。懸念の気持ちを表す。3.1.8
注釈136御ことになむ係助詞「なむ」の下に「はべる」などの語句が省略。3.1.8
注釈137深うも汲みはかりたまはぬなめりかし秋好中宮の心中。3.1.9
校訂14 聞こえ 聞こえ--き(き/+こえ<朱>) 3.1.3
校訂15 はべらむ はべらむ--あ(あ/$侍<朱>)らむ 3.1.8
3.2
第二段 母御息所の罪を思う


3-2  Empress Akikonomu thinks her mother's a sin

3.2.1   御息所の御身の苦しうなりたまふらむありさまいかなる煙の中に惑ひたまふらむ、 亡き影にても、人に疎まれたてまつりたまふ御名のりなどの出で来けること、 かの院にはいみじう隠したまひけるを、おのづから人の口さがなくて、伝へ聞こし召しける後、いと悲しういみじくて、なべての世の厭はしく思しなりて、 仮にても、かののたまひけむありさまの詳しう聞かまほしきを、まほにはえうち出で聞こえたまはで、ただ、
 母御息所が、ご自身お苦しみになっていらっしゃろう様子、どのような業火の中で迷っていらっしゃるのだろう様子、亡くなった後までも、人から疎まれ申される物の怪となって名乗り出たことは、あちらの院では大変に隠していらっしゃったが、自然と人の口は煩しいもので、伝え聞いた後は、とても悲しく辛くて、何もかもが厭わしくお思いになって、たとい憑坐にのり移った言葉にせよ、そのおっしゃった内容を詳しく聞きたいのだが、まともには申し上げかねなさって、ただ、
 母君の御息所みやすどころの霊が宙宇にさまよって、どんな苦しみを経験しておいでになることかとは中宮の夢寐むびにもお忘れになれないことで、今も人に故人を憎悪ぞうおさせるばかりである名のりを物怪もののけが出てするということも六条院はあくまでも秘密にしておいでになったが、自然に人がうわさをしてお耳にはいってからは、非常に母君を悲しく思召して、人生そのものまでがいとわしくおなりになって、仮にもせよ御息所の物怪が言ったという言葉を六条院からお聞きになりたいのであるが、正面から言うことはおできにならないで、
  Miyasumdokoro no, ohom-mi no kurusiu nari tamahu ram arisama, ika naru keburi no naka ni madohi tamahu ram, naki kage ni te mo, hito ni utoma re tatematuri tamahu ohom-nanori nado no ide-ki keru koto, kano Win ni ha imiziu kakusi tamahi keru wo, onodukara hito no kuti saga-naku te, tutahe kikosimesi keru noti, ito kanasiu imiziku te, nabete no yo no itohasiku obosi nari te, kari ni te mo, kano notamahi kem arisama no kuhasiu kika mahosiki wo, maho ni ha e uti-ide kikoye tamaha de, tada,
3.2.2  「 亡き人の御ありさまの、罪軽からぬさまに、ほの聞くことのはべりしを、さるしるしあらはならでも、推し量りつべきことにはべりけれど、後れしほどのあはればかりを忘れぬことにて、 もののあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを、いかでよう言ひ聞かせむ人の勧めをも聞きはべりて、みづからだに、かの炎をも冷ましはべりにしがなと、 やうやう積もるになむ、思ひ知らるることもありける
 「亡くなった母上のあの世でのご様子が、罪障の軽くない様子と、かすかに聞くことがございましたので、そのような証拠がはっきりしているのでなくとも、推し量らねばならないことでしたのに、先立たれた時の悲しみばかりを忘れずにおりまして、あの世での苦しみを想像しなかった至らなさを、何とかして、ちゃんと教えてくれる人の勧めを聞きまして、せめてわたしでも、その業火の炎を薄らげて上げたいと、だんだんと年をとるにつれて、考えられるようになったことでございます」
 「お母様の霊魂が罪の深いふうに苦しんでおいでになりますことを私はほかから話に聞きまして、それは確かでなくとも想像いたされることなのでございましたが、ただお死に別れしましたことだけを悲しんでおりまして、後世のことまでも幼稚な心の私は考えませんでしたのが悪いことでございました。気がついてみますと、宗教のほうの人にくわしい説明もしていただきたくなりましたし、私の力で及ぶだけの罪の炎をお消ししてお救いもしたいという望みも起こってまいったのでございます」
  "Naki hito no mi-arisama no, tumi karokara nu sama ni, hono-kiku koto no haberi si wo, saru sirusi araha nara de mo, osihakari tu be ki koto ni haberi kere do, okure si hodo no ahare bakari wo wasure nu koto ni te, mono no anata omou tamahe yara zari keru ga mono-hakanasa wo, ikade you ihi-kikase m hito no susume wo mo kiki haberi te, midukara dani, kano honoho wo mo samasi haberi ni si gana to, yau-yau tumoru ni nam, omohi-sira ruru koto mo ari keru."
3.2.3  など、かすめつつぞのたまふ。
 などと、それとなしにおっしゃる。
 などとかすめたふうにしてお語りになるのであった。
  nado, kasume tutu zo notamahu.
3.2.4  「 げに、さも思しぬべきこと」と、あはれに見たてまつりたまうて、
 「なるほど、そのようにお考えになるのももっともなことだ」と、お気の毒に拝し上げなさって、
 そういう御決心のできるのもごもっともであると哀れに院はお思いになって、
  "Geni, sa mo obosi nu beki koto." to, ahare ni mi tatematuri tamau te,
3.2.5  「 その炎なむ、誰も逃るまじきことと知りながら、朝の露のかかれるほどは、思ひ捨てはべらぬになむ。 目蓮が仏に近き聖の身にて、たちまちに救ひけむ例にもえ継がせたまはざらむものから玉の簪捨てさせたまはむも 、この世には恨み残るやうなるわざなり。
 「その業火の炎は、誰も逃れることはできないものだと分かっていながら、朝露のようにはかなく生きている間は、執着を去ることはできないものなのです。目蓮が仏に近い聖僧の身で、すぐに救ったという故事にも、真似はお出来になれないでしょうが、玉の簪をお捨てになって出家なさったとしても、この世に悔いを残すようなことになるでしょう。
 「炎ののがれたいのを知りながら、愛欲の念をだれも捨てることができないものなのです。目蓮もくれんが仏に近いほどの高僧になっていたために、すぐに母を地獄から救い出すこともできたのでしょうが、その真似まねはおできにならないで、しかも御自身のはなやかな人間としての生活をしいて断ち切っておしまいになることも、知らず知らず煩悩ぼんのうを作る結果になるではありませんか。
  "Sono honoho nam, tare mo nogaru maziki koto to siri nagara, asita no tuyu no kakare ru hodo ha, omohi-sute habera nu ni nam. Mokuren ga Hotoke ni tikaki hiziri no mi nite, tatimati ni sukuhi kem tamesi ni mo, e tuga se tamaha zara m mono kara, tama no kamzasi sute sase tamaha m mo, konoyo ni ha urami nokoru yau naru waza nari.
3.2.6  やうやうさる御心ざしをしめたまひて、かの御煙晴るべきことをせさせたまへ。 しか思ひたまふることはべりながら、もの騒がしきやうに、静かなる本意もなきやうなるありさまに明け暮らしはべりつつ、みづからの勤めに添へて、今静かにと思ひたまふるも、 げにこそ、心幼きことなれ
 だんだんそのようなお気持ちを強くなさって、あの母君のお苦しみが救われるような供養をなさいませ。そのように存じますことお持ちしながら、何か落ち着かないようで、静かな出家の本意もないような有様で毎日を過ごしておりまして、自分自身の勤行に加えて、供養もそのうちゆっくりと存じておりますのも、おしゃるとおり、浅はかなことでした」
 急がずにその道を御研究になることになさいまして、そのほかの方法で故人の妄執もうしゅうを晴らさせておあげになることをなさるべきです。私自身もそれを十分にして差し上げたい心を持っておりながら、ほかのことが多いものですから、そのうち私が本意を達する日が来れば、静かに私自身の手で冥福めいふくをお祈りしようと予定しているのですが、これも中途半端はんぱな心でしょうね」
  Yau-yau saru mi-kokorozasi wo sime tamahi te, kano ohom-keburi haru beki koto wo se sase tamahe. Sika omohi tamahuru koto haberi nagara, mono-sawagasiki yau ni, siduka naru ho'i mo naki yau naru arisama ni ake kurasi haberi tutu, midukara no tutome ni sohe te, ima siduka ni to omohi tamahuru mo, geni koso, kokoro-wosanaki koto nare."
3.2.7  など、世の中なべてはかなく、厭ひ捨てまほしきことを聞こえ交はしたまへど、 なほ、やつしにくき御身のありさまどもなり
 などと、世の中の事が何もかも無常であり、出家したいことをお互いに話し合いなさるが、やはり、出家することは難しいお二方の身の上である。
 などとお言いになって、人生のはかなさ、いとわしさをお語り合いになっているのであるが、まだどちらも出家するには御縁が遠いような盛りのお姿と見えた。
  nado, yononaka nabete hakanaku, itohi sute mahosiki koto wo kikoye kahasi tamahe do, naho, yatusi nikuki ohom-mi no arisama-domo nari.
注釈138御息所の『集成』は「以下、中宮の気持を直接書く体であるが、「かの院には」あたり以下は、自然に地の文ふうの書き方になる」と注す。3.2.1
注釈139御身の苦しうなりたまふらむありさま推量の助動詞「らむ」視界外推量。地獄に堕ちて苦しんでいる母六条御息所を推量しているニュアンス。3.2.1
注釈140いかなる煙の中に『完訳』は「以下、「出で来けること」まで、中宮の心中に即した叙述」と注す。3.2.1
注釈141亡き影にても人に疎まれたてまつりたまふ御名のりなどの死霊となって、紫の上を仮死状態に陥れたり(「若菜下」巻)、女三の宮を出家させたりした(「柏木」巻)という話をさす。3.2.1
注釈142かの院には六条院をさす。冷泉院を基準にした言い方。3.2.1
注釈143仮にてもかののたまひけむありさま『集成』は「憑坐にのり移った物の怪の言葉にせよ」。『完訳』は「憑坐のかりそめの言いぐさでもよい」と訳す。3.2.1
注釈144亡き人の御ありさまの罪以下「思ひ知らるることもありける」まで、秋好中宮の詞。3.2.2
注釈145もののあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを『集成』は読点で「後世の苦しみにまで思いをめぐらしませんでしたとはほんとにいたらぬことでしたので」。『完訳』は句点で「後生のお苦しみまでは考えてあげようともいたしませんでした、それがなんとも至らぬことでございました」と訳す。3.2.2
注釈146やうやう積もるになむ思ひ知らるることもありける『集成』は「出家の志が、長年の間に自然に固まったものだという」と注す。3.2.2
注釈147げにさも思しぬべきこと源氏の心中。中宮の言葉に納得する気持ち。3.2.4
注釈148その炎なむ以下「心幼きことなれ」まで、源氏の詞。3.2.5
注釈149目蓮が仏に近き聖の身にてたちまちに救ひけむ例にも「仏説盂蘭盆経」に見える目蓮が餓鬼道に堕ちた母親を救ったという話。3.2.5
注釈150え継がせたまはざらむものから主語は中宮。目蓮の真似はできない意。3.2.5
注釈151玉の簪捨てさせたまはむも『集成』「「玉の簪」は、玉で飾った中国風の髪飾り。中宮に対してふさわしい言葉遣い」。『完訳』は「出家して后の位を捨てても母を救えず現世に悔恨が残るとする」と注す。3.2.5
注釈152しか思ひたまふる主語は源氏、自分自身。3.2.6
注釈153げにこそ心幼きことなれ『集成』は「「心をさなし」は、無常の世に、いつまでも命があるかのように油断していることへの自嘲」。『完訳』は「中宮の言う「物のあなた--ものはかなさを」に納得し、出家に踏みきれぬ自分を苦々しく顧みる」と注す。3.2.6
注釈154なほやつしにくき御身のありさまどもなり『細流抄』は「草子地也」と指摘。『完訳』は「語り手の評」と注す。3.2.7
校訂16 簪--かんか(か/$さ<朱>)し 3.2.5
3.3
第三段 秋好中宮の仏道生活


3-3  Empress Akikonomu's Buddhist life

3.3.1  昨夜はうち忍びてかやすかりし御歩き、今朝は表はれたまひて、上達部ども、参りたまへる限りは皆御送り仕うまつりたまふ。
 昨夜はこっそりとお気軽なお出ましであったが、今朝は世間に知れわたりなさって、上達部なども、参上していた方々は皆お帰りのお供を申し上げなさる。
 昨夜は微行の御参院であったが、今朝けさはもう表だって準太上天皇の儀式をお用いになるほかはなくて、院に参っていた高官たちは皆供奉ぐぶをして六条院をお送り申すのであった。
  Yobe ha uti-sinobi te kayasukari si ohom-ariki, kesa ha arahare tamahi te, Kamadatime-domo, mawiri tamahe ru kagiri ha mina ohom-okuri tukau-maturi tamahu.
3.3.2   春宮の女御の御ありさま、並びなく、いつきたてたまへるかひがひしさも、大将のまたいと人に異なる御さまをも、 いづれとなくめやすしと思すに、なほ、この冷泉院を思ひきこえたまふ 御心ざしは、すぐれて深くあはれにぞおぼえたまふ院も常にいぶかしう思ひきこえたまひしに、 御対面のまれにいぶせうのみ思されけるに、急がされたまひて、 かく心安きさまにと思しなりけるになむ
 春宮の女御のご様子、他に並ぶ方がなく、大切にお世話申し上げなさっているだけのことは十分あり、大将がまた大変に格別に優れているご様子をも、どちらも安心だとお思いになるが、やはり、この冷泉院をお思い申し上げるお気持ちは、特に深くいとしくお思いなさる。院もいつも気に掛けていらっしゃったが、ご対面がめったになく気掛かりにお思いだったため、気がせかれなさって、このように気楽なご境遇にとお考えになったのであった。
 院は東宮の御母君の女御にょごが御教育のかいの見える幸福な女性になっていることも、だれよりもすぐれた左大将の存在もうれしく思っておいでになるのであるが、その二人にお持ちになる愛は冷泉院をお思いになる愛の片端にもあたいしないのである。冷泉院も常に恋しく思召しながらたやすく御会合のおできにならないことを物足らぬことに思召してただ今の御境遇を早くお選びにもなったのである。
  Touguu-no-Nyougo no mi-arisama, narabi naku, ituki tate tamahe ru kahi-gahisisa mo, Daisyau no mata ito hito ni koto naru ohom-sama wo mo, idure to naku meyasusi to obosu ni, naho, kono Reizei-Win wo omohi kikoye tamahu mi-kokorozasi ha, sugure te hukaku ahare ni zo oboye tamahu. Win mo tune ni ibukasiu omohi kikoye tamahi si ni, ohom-taimen no mare ni ibuseu nomi obosare keru ni, isoga sare tamahi te, kaku kokoro-yasuki sama ni to obosi nari keru ni nam.
3.3.3  中宮ぞ、なかなかまかでたまふこともいと難うなりて、 ただ人の仲のやうに並びおはしますに、今めかしう、なかなか昔よりもはなやかに、御遊びをもしたまふ。何ごとも御心やれるありさまながら、 ただかの御息所の御事を思しやりつつ、行なひの御心進みにたるを、 人の許しきこえたまふまじきことなれば、功徳のことを立てて思しいとなみ、いとど心深う、 世の中を思し取れるさまになりまさりたまふ
 中宮は、かえって里下がりなさることが大変に難しくなって、臣下の夫婦のようにいつもご一緒にいられて、当世風に、かえって御在位中よりも華やかに、管弦の御遊などもなさる。どのようなことにもご満足のゆくご様子であるが、ただあの母御息所の御事をお考えなさっては、勤行のお心が深まって行ったのを、院がお許し申されるはずのないことなので、追善供養をひたすら熱心にお営みになって、ますます道心深く、この世の無常をお悟りになったご様子におなりになって行かれる。
 中宮は御実家へお帰りになることが以前よりもむずかしくおなりになって、普通の家の夫婦のようにいつもごいっしょにお暮らしになり、お催し事などは昔よりはなやかなふうにあそばされて、どの点から申しても御幸福なのであるが、母君の御息所みやすどころのことのために専心信仰の道へ進みたいと願いもあそばされるのであったが、だれも御同意にならぬことであったから、せめて功徳を作ることでき霊を弔いたいというお考えになって、以前にもまして善根をつもうと精進あそばされた。六条院も中宮のお志をお助けになって、法華経ほけきょうの八講を近日行なわせられるそうである。
  Tyuuguu zo, naka-naka makade tamahu koto mo ito katau nari te, tada-bito no naka no yau ni narabi ohasimasu ni, imamekasiu, naka-naka mukasi yori mo hanayaka ni, ohom-asobi wo mo si tamahu. Nani-goto mo mi-kokoro-yare ru arisama nagara, tada kano Miyasumdokoro no ohom-koto wo obosi yari tutu, okonahi no mi-kokoro susumi ni taru wo, hito no yurusi kikoye tamahu maziki koto nare ba, kudoku no koto wo tate te obosi itonami, itodo kokoro-bukau, yononaka wo obosi tore ru sama ni nari masari tamahu.
注釈155春宮の女御明石姫君をさす。3.3.2
注釈156いづれとなくめやすしと思すに源氏の心中。「に」接続助詞、逆接の意。『集成』は「どちらも結構なことと満足にお思いになるのだが」。『完訳』は「どちらがどうと優り劣りなくご満足であるが」と訳す。3.3.2
注釈157院も冷泉院。3.3.2
注釈158御対面のまれに冷泉院の在位中をさす。3.3.2
注釈159かく心安きさまにと思しなりけるになむ『集成』は「草子地」と注す。係助詞「なむ」の下に「ある」などの語句が省略された形。3.3.2
注釈160ただ人の仲のやうに並びおはしますに『集成』は「帝は在位中は後宮の后妃にあまねく心を配らねばならないが、譲位後は、お気に召した方と思いのままに暮すことができる」と注す。3.3.3
注釈161ただかの御息所の御事を中宮の母御息所をさす。3.3.3
注釈162人の許しきこえたまふまじきことなれば「人」について、『集成』『新大系』は「源氏」、『完訳』は「冷泉院」とする。両説ある。3.3.3
注釈163世の中を思し取れるさまになりまさりたまふ『集成』は「人の世の無常をお悟りになったご日常になってゆかれる」。『完訳』は「世の中の無常をお悟りになるお気持もいよいよ深くおなりになる」と訳す。3.3.3
校訂17 御心ざしは、すぐれて深くあはれにぞおぼえたまふ 御心ざしは、すぐれて深くあはれにぞおぼえたまふ--(/+御心さしはすくれてふかく哀にそおほえ給<朱>) 3.3.2
Last updated 1/18/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 1/18/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年9月1日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

Last updated 10/5/2002
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