38 鈴虫(大島本)


SUZUMUSI


光る源氏の准太上天皇時代
五十歳夏から秋までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from summer to fall, at the age of 50

2
第二章 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴


2  Tale of Genji  Two banquets of middle-fall at Rokujo-in and Reizei-in

2.1
第一段 女三の宮の前栽に虫を放つ


2-1  Omna-Sam-no-Miya sets crickets free in her garden

2.1.1  秋ごろ、 西の渡殿の前、中の塀の東の際を、おしなべて野に作らせたまへり。閼伽の棚などして、 その方にしなさせたまへる御しつらひなど、いとなまめきたり。
 秋頃、西の渡殿の前、中の塀の東側を、辺り一帯を野原の感じにお作らせになった。閼伽の棚などを作って、その方面の生活にふさわしくお整えになったお道具類など、とても優美な感じである。
 秋になって院は尼宮のお住居すまいの西の渡殿わたどのの前の中のへいから東の庭を草原にお作らせになった。閼伽棚あかだななどをそのほうへお作らせになったのが優美に見える。
  Aki-goro, nisi no wata-dono no mahe, naka no hei no himgasi no kiha wo, osinabete no ni tukura se tamahe ri. Aka no tana nado si te, sono kata ni si nasa se tamahe ru ohom-siturahi nado, ito namameki tari.
2.1.2  御弟子に従ひきこえたる尼ども、御乳母、古人どもは、さるものにて、若き盛りのも、心定まり、 さる方にて世を尽くしつべき限りは 選りてなむ、なさせたまひける
 お弟子としてお従い申し上げている尼たち、御乳母、老女たちは、それはそれとして、若い盛りの女房でも、決心固く、尼として一生を送れる者だけを選んで、おさせになったのであった。
 宮の御出家のお供をして乳母めのとそのほかの老いた女たちは必然的に尼になったが、若盛りの人でも、他日動揺する恐れのない、信念の堅そうな人たちだけを御弟子にされることになり、
  Mi-desi ni sitagahi kikoye taru Ama-domo, ohom-Menoto, huru-bito-domo ha, saru mono ni te, wakaki sakari no mo, kokoro sadamari, saru kata ni te yo wo tukusi tu beki kagiri ha eri te nam, nasa se tamahi keru.
2.1.3   さるきほひには、我も我もときしろひけれど、大殿の君聞こしめして、
 その当座の競争気分の折には、我も我もと競って申し出たが、大殿がお聞きになって、
 われもわれもと希望する者の多いのを、院がお聞きになって、
  Saru kihohi ni ha, ware mo ware mo to kisirohi kere do, Otodo-no-Kimi kikosimesi te,
2.1.4  「 あるまじきことなり。心ならぬ人すこしも混じりぬれば、 かたへの人苦しう、あはあはしき聞こえ出で来るわざなり」
 「それは良くないことだ。本心からでない人が少しでも混じってしまうと、周囲の人が困るし、浮ついた噂が出て来るものだ」
 「群衆心理で今はその気になっているでしょうが、それをお許しになってはいけませんよ。不純な者が少しでも混じっていては他の者の迷惑になりますよ」
  "Arumaziki koto nari. Kokoro nara nu hito sukosi mo maziri nure ba, katahe no hito kurusiu, aha-ahasiki kikoye ide-kuru waza nari."
2.1.5  と諌めたまひて、十余人ばかりのほどぞ、容貌異にてはさぶらふ。
 とお諌めになって、十何人かだけが尼姿になってお付きしている。
 と御忠告になり、全部の中から十幾人だけが尼姿で侍することになった。
  to isame tamahi te, zihu-yo-nin bakari no hodo zo, katati koto ni te ha saburahu.
2.1.6  この野に 虫ども放たせたまひて、風すこし涼しくなりゆく夕暮に、 渡りたまひつつ虫の音を聞きたまふやうにて、なほ思ひ離れぬさまを聞こえ悩ましたまへば
 この野原に虫どもを放たせなさって、風が少し涼しくなってきた夕暮に、たびたびお越しになっては、虫の音を聴くふりをなさって、今でも断ちがたい思いのほどを申し上げ悩ましなさるので、
 今度の草原に院は虫をお放ちになって、夕風が少し涼しくなるころに宮の所へおいでになり、虫のを愛しておいでになるふうでしきりに宮を誘惑しようとしておいでになった。
  Kono no ni musi-domo hanata se tamahi te, kaze sukosi suzusiku nari yuku yuhugure ni, watari tamahi tutu, musi no ne wo kiki tamahu yau ni te, naho omohi hanare nu sama wo kikoye nayamasi tamahe ba,
2.1.7  「 例の御心はあるまじきことにこそはあなれ
 「いつものお心癖はとんでもないことになろう」
 今さらそうした行ないはあるまじいことである
  "Rei no mi-kokoro ha arumaziki koto ni koso ha a' nare."
2.1.8  と、ひとへにむつかしきことに思ひきこえたまへり。
 と、一途に厄介なことにお思い申し上げていらっしゃった。
 と、宮はただ恐ろしがっておいでになった。
  to, hitohe ni mutukasiki koto ni omohi kikoye tamahe ri.
2.1.9   人目にこそ変はることなくもてなしたまひしか、内には憂きを知りたまふけしきしるく、 こやなう変はりにし御心をいかで見えたてまつらじの御心にて、多うは思ひなりたまひにし御世の背きなれば、今はもて離れて心やすきに、
 他人の目には変わったところなくお扱いになっているが、内心では嫌な事件をご存知の様子がはっきり分かり、すっかり変わってしまったお心を、何とかお目に掛からずにいたいお気持ちで、それが主な動機でご決心なさったご出家なので、今は離れて安心していたのに、
 人目には以前と変わらぬようにあそばしながら、あの秘密をお知りになってからは、汚れたものとして嫌悪けんおをお続けになった自分の肉体を悲しむ心が出家のおもな動機になり、尼になった時からはいっさいの愛欲を忘れることができて、静かな平和な心を楽しんでいる自分に、
  Hitome ni koso kaharu koto naku motenasi tamahi sika, uti ni ha uki wo siri tamahu kesiki siruku, koyonau kahari ni si mi-kokoro wo, ikade miye tatematura zi no mi-kokoro ni te, ohou ha omohi nari tamahi ni si mi-yo no somuki nare ba, ima ha mote-hanare te kokoro yasuki ni,
2.1.10  「なほ、かやうに」
 「やはり、このように」
 またこうしたことを
  "Naho, kayau ni."
2.1.11  など聞こえたまふぞ苦しうて、「 人離れたらむ御住まひにもがな」と思しなれど、およすけてえさも強ひ申したまはず。
 などとお耳に入れたりなどなさるのが辛くて、「人里離れた所に住みたい」とお思いになるが、大人ぶってとてもそのように押して申し上げることはおできになれない。
 求められるのは苦しいことであると宮はお思いになり、六条院でない所へ住み移りたくおなりになるのであったが、これをはきはきと言っておしまいになることもできぬ弱い御性質であった。
  nado kikoye tamahu zo kurusiu te, "Hito hanare tara m ohom-sumahi ni mo gana!" to obosi nare do, oyosuke te e samo sihi mausi tamaha zu.
注釈59西の渡殿の前中の塀の東の際を寝殿と西の対を結ぶ渡廊の前(南)側でその間にある塀の東側。2.1.1
注釈60その方に仏道方面の生活に。2.1.1
注釈61さる方にて尼として。2.1.2
注釈62選りてなむなさせたまひける主語は源氏。2.1.2
注釈63あるまじきことなり以下「出で来るわざなり」まで、源氏の詞。2.1.4
注釈64かたへの人苦しう「人」「苦しう」は主語−述語の関係。2.1.4
注釈65虫ども放たせたまひて主語は源氏。「せ」使役の助動詞。2.1.6
注釈66渡りたまひつつ主語は源氏。接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返し。源氏の女三の宮に対する執心。2.1.6
注釈67虫の音を聞きたまふやうにて、なほ思ひ離れぬさまを聞こえ悩ましたまへば源氏の女三の宮に対する執心。『完訳』は「「--やうにて」とあり、虫の音の観賞は二の次で、宮との対面が目的」と注す。2.1.6
注釈68例の御心はあるまじきことにこそはあなれ女三の宮の心中。『完訳』は「以下、宮の心内に即した叙述。「例の」の注意。源氏の好色心ゆえの頻繁な訪問と思われ、困惑する」と注す。「なれ」断定の助動詞。2.1.7
注釈69人目にこそ以下、女三の宮の心中に即した叙述。「人目にこそ--もてなし給ひしか、うちには--けしきしるく」という対比の構文。2.1.9
注釈70こやなう変はりにし御心を源氏の心。女三の宮への愛情。愛情のない執心のみが依然として続く。しかし、愛情は最高の概念ではない。2.1.9
注釈71いかで見えたてまつらじの御心にて女三の宮の考え、気持ち。2.1.9
注釈72なほかやうになど聞こえたまふぞ「なほ思ひ離れぬさまを聞こえ悩ましたまへれば」をさす。2.1.10
注釈73人離れたらむ御住まひにもがな女三の宮の心中。2.1.11
校訂8 さるきほひ さるきほひ--さか(か/$る<朱>)きほひ 2.1.3
2.2
第二段 八月十五夜、秋の虫の論


2-2  Genji criticizes fall crickets at August 15

2.2.1   十五夜の夕暮に、仏の御前に宮おはして、端近う眺めたまひつつ念誦したまふ。若き尼君たち二、三人、花奉るとて鳴らす閼伽、坏の音、水のけはひなど聞こゆる、さま変はりたるいとなみに、そそきあへる、いとあはれなるに、例の渡りたまひて、
 十五夜の夕暮に、仏の御前に宮はいらっしゃって、端近くに物思いに耽りながら念誦なさる。若い尼君たち二、三人が花を奉ろうとして鳴らす閼伽、坏の音、水の感じなどが聞こえるのは、今までとは違った仕事に、忙しく働いているが、まことに感慨無量なので、いつものようにお越しになって、
 十五夜の月がまだ上がらない夕方に、宮が仏間の縁に近い所で念誦ねんじゅをしておいでになると、外では若い尼たち二、三人が花をお供えする用意をしていて、閼伽あかの器具を扱う音と水の音とをたてていた。青春の夢とこれとはあまりに離れ過ぎたことと見えて哀れな時に、院がおいでになった。
  Zihugoya no yuhugure ni, Hotoke no o-mahe ni Miya ohasi te, hasi tikau nagame tamahi tutu nenzyu si tamahu. Wakaki Amagimi-tati ni, sam-nin, hana tatematuru tote narasu aka, tuki no oto, midu no kehahi nado kikoyuru, sama kahari taru itonami ni, sosoki-ahe ru, ito ahare naru ni, rei no watari tamahi te,
2.2.2  「 虫の音いとしげう乱るる夕べかな
 「虫の音がとてもうるさく鳴き乱れている夕方ですね」
 「むやみに虫が鳴きますね」
  "Musi no ne ito sigeu midaruru yuhube kana!"
2.2.3  とて、われも忍びてうち誦じたまふ阿弥陀の大呪、いと尊くほのぼの聞こゆ。 げに、声々聞こえたる中に鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。
 と言って、自分もひっそりと朗誦なさる阿彌陀経の大呪が、たいそう尊くかすかに聞こえる。いかにも、虫の音がいろいろ聞こえる中で、鈴虫が声を立てているところは、華やかで趣きがある。
 こう言いながら座敷へおはいりになった院は御自身でも微音に阿弥陀あみだ大誦だいじゅをお唱えになるのがほのぼのと尊く外へれた。院のお言葉のように、多くの虫が鳴きたてているのであったが、その時に新しく鳴き出した鈴虫の声がことにはなやかに聞かれた。
  tote, ware mo sinobi te uti-zyu-zi tamahu Amida no daizyu, ito tahutoku hono-bono kikoyu. Geni, kowe-gowe kikoye taru naka ni, suzumusi no huri-ide taru hodo, hanayaka ni wokasi.
2.2.4  「 秋の虫の声、いづれとなき中に、松虫なむすぐれたるとて、 中宮の、はるけき野辺を分けて、いとわざと尋ね取りつつ放たせたまへる、 しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。 名には違ひて、命のほどはかなき虫にぞあるべき。
 「秋の虫の声は、どれも素晴らしい中で、松虫が特に優れているとおっしゃって、中宮が、遠い野原から、特別に探して来てはお放ちになったが、はっきり鳴き伝えているのは少ないようだ。名前とは違って、寿命の短い虫のようである。
 「秋鳴く虫には皆それぞれ別なよさがあっても、その中で松虫が最もすぐれているとお言いになって、中宮ちゅうぐうが遠くの野原へまで捜しにおやりになってお放ちになりましたが、それだけの効果はないようですよ。なぜと言えば、持って来ても長くは野にいた調子には鳴いていないのですからね。名は松虫だが命の短い虫なのでしょう。
  "Aki no musi no kowe, idure to naki naka ni, matumusi nam sugure taru tote, Tyuuguu no, harukeki nobe wo wake te, ito wazato tadune tori tutu hanata se tamahe ru, siruku naki tutahuru koso sukunaka' nare. Na ni ha tagahi te, inoti no hodo hakanaki musi ni zo aru beki.
2.2.5  心にまかせて、人聞かぬ奥山、はるけき野の松原に、声惜しまぬも、いと隔て心ある虫になむありける。鈴虫は、心やすく、今めいたるこそらうたけれ」
 思う存分に、誰も聞かない山奥、遠い野原の松原で、声を惜しまず鳴いているのも、まことに分け隔てしている虫であるよ。鈴虫は、親しみやすく、にぎやかに鳴くのがかわいらしい」
 人が聞かない奥山とか、遠い野の松原とかいう所では思うぞんぶんに鳴いていて、人の庭ではよく鳴かない意地悪なところのある虫だとも言えますね。鈴虫はそんなことがなくて愛嬌あいきょうのある虫だからかわいく思われますよ」
  Kokoro ni makase te, hito kika nu oku-yama, harukeki no no matubara ni, kowe wosima nu mo, ito hedate-gokoro aru musi ni nam ari keru. Suzumusi ha, kokoro-yasuku, imamei taru koso rautakere."
2.2.6  などのたまへば、宮、
 などとおっしゃると、宮は、
 などと院はお言いになるのを聞いておいでになった宮が、
  nado notamahe ba, Miya,
2.2.7  「 おほかたの秋をば憂しと知りにしを
 「秋という季節はつらいものと分かっておりますが
  大かたの秋をばしと知りにしを
    "Ohokata no aki woba usi to siri ni si wo
2.2.8   ふり捨てがたき鈴虫の声
  やはり鈴虫の声だけは飽きずに聴き続けていたいものです
  振り捨てがたき鈴虫の声
    huri-sute gataki suzumusi no kowe
2.2.9  と忍びやかにのたまふ。いとなまめいて、あてにおほどかなり。
 とひっそりとおっしゃる。とても優雅で、上品でおっとりしていらっしゃる。
 と低い声でお言いになった。非常にえんで若々しくお品がよい。
  to sinobiyaka ni notamahu. Ito namamei te, ate ni ohodoka nari.
2.2.10  「 いかにとかや。いで、思ひの外なる御ことにこそ」とて、
 「何とおしゃいましたか。いやはや、思いがけないお言葉ですね」と言って、
 「何ですって、あなたに恨ませるようなことはなかったはずだ」と院はお言いになり、
  "Ikani to ka ya? Ide, omohi no hoka naru ohom-koto ni koso." tote,
2.2.11  「 心もて草の宿りを厭へども
 「ご自分からこの家をお捨てになったのですが
  心もて草の宿りをいとへども
    "Kokoro mote kusa no yadori wo itohe domo
2.2.12   なほ鈴虫の声ぞふりせぬ
  やはりお声は鈴虫と同じように今も変わりません
  なほ鈴虫の声ぞふりせぬ
    naho suzumusi no kowe zo huri se nu
2.2.13   など聞こえたまひて、琴の御琴召して、珍しく弾きたまふ。宮の御数珠引き怠りたまひて、御琴になほ心入れたまへり。
 などと申し上げなさって、琴の御琴を召して、珍しくお弾きになる。宮が御数珠を繰るのを忘れなさって、お琴の音色に依然として聴き入っていらっしゃった。
 ともおささやきになった。琴をお出させになって珍しく院はおきになった。宮は数珠じゅずを繰るのも忘れて院の琴の音を熱心に聞き入っておいでになる。
  nado kikoye tamahi te, kin-no-ohom-koto mesi te, medurasiku hiki tamahu. Miya no ohom-zyuzu hiki okotari tamahi te, ohom-koto ni naho kokoro ire tamahe ri.
2.2.14  月さし出でて、いとはなやかなるほどもあはれなるに、空をうち眺めて、 世の中さまざまにつけて、はかなく移り変はるありさまも思し続けられて、例よりもあはれなる音に掻き鳴らしたまふ。
 月が出て、とても明るくなったのもしみじみと心を打つので、空をちょっと眺めて、人の世のあれこれにつけて、無常に移り変わる有様が次々と思い出されて、いつもよりもしみじみとした音色でお弾きになる。
 月が上がってきてはなやかな光に満ちた空も人の心にはしみじみと秋を覚えさせた。院は移り変わることのすみやかな人生を寂しく思い続けておいでになって平生よりも深く身にしむ音をかき立てておいでになった。
  Tuki sasi-ide te, ito hanayaka naru hodo mo ahare naru ni, sora wo uti-nagame te, yononaka sama-zama ni tuke te, hakanaku uturi kaharu arisama mo obosi tuduke rare te, rei yori mo ahare naru ne ni kaki-narasi tamahu.
注釈74十五夜の夕暮に八月の十五夜。中秋の名月の夜。2.2.1
注釈75虫の音いとしげう乱るる夕べかな源氏の詞。2.2.2
注釈76げに声々聞こえたる中に「げに」は源氏の詞を受けた語り手の発語。2.2.3
注釈77鈴虫のふり出でたるほど「鈴」と「振り」は縁語。2.2.3
注釈78秋の虫の声以下「らうたけれ」まで、源氏の詞。2.2.4
注釈79中宮のはるけき野辺を分けて秋好中宮。「野辺」歌語。2.2.4
注釈80しるく鳴き伝ふる『集成』は「はっきり野の声さながらに鳴き続ける」と注す。2.2.4
注釈81名には違ひて「松虫」の「松」は長寿をイメージする。2.2.4
注釈82おほかたの秋をば憂しと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声女三の宮から源氏への贈歌。「秋」と「飽き」の掛詞。「鈴」「振り」は縁語。『完訳』は「源氏の「鈴虫は--」を受け、庭に虫を放つなどの源氏の厚志に感謝しながらも、自分を飽きた源氏への恨みを言い込めた歌」と注す。2.2.7
注釈83いかにとかや以下「御ことにこそ」まで、源氏の詞。『完訳』は「宮の歌の「飽き」への反発」と注す。2.2.10
注釈84心もて草の宿りを厭へどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ源氏の返歌。「振り」「鈴虫」の語句を受けて、「声ぞふりせぬ」あなたは昔どおり若く美しい、と返す。「振り」「古り」掛詞、「鈴」「振り」縁語。「草のやどり」は六条院、「鈴虫」は女三の宮を喩える。『完訳』は「源氏には、「心やすく、いまめい」た鈴虫が、女三の宮の美質として顧みられる。秋虫を放った六条院庭園は、執心を捨て得ない源氏の心象風景たりうる」と注す。2.2.11
注釈85世の中さまざまにつけて『集成』は「女三の宮をはじめ、朧月夜や朝顔の前斎院などのこと」と注す。2.2.14
校訂9 など など--なえ(え/$と<朱>) 2.2.13
2.3
第三段 六条院の鈴虫の宴


2-3  A banquet is held to listen to crickets on Rokujo-in

2.3.1   今宵は、例の御遊びにやあらむと推し量りて、 兵部卿宮渡りたまへり。 大将の君、殿上人のさるべきなど 具して参りたまへれば、こなたにおはしますと、御琴の音を尋ねて、やがて参りたまふ。
 今夜は、いつものとおり管弦のお遊びがあろうかと推量して、兵部卿宮がお越しになった。大将の君、殿上人で音楽の素養のある人々を連れていらっしゃっていたので、こちらにいらっしゃると、お琴の音をたよりにして、そのまま参上なさる。
 毎年の例のように今夜は音楽の遊びがあるであろうとお思いになって、兵部卿ひょうぶきょうの宮が来訪された。左大将も若い音楽に趣味を持つ人々を伴って参院したのであるが、こちらの御殿で琴の音のするのを聞いて出て来た。
  Koyohi ha, rei no ohom-asobi ni ya ara m to osihakari te, Hyoubukyau-no-Miya watari tamahe ri. Daisyau-no-Kimi, Tenzyau-bito no saru-beki nado gu-si te mawiri tamahe re ba, konata ni ohasimasu to, ohom-koto no ne wo tadune te, yagate mawiri tamahu.
2.3.2  「 いとつれづれにて、わざと遊びとはなくとも、久しく絶えにたるめづらしき物の音など、聞かまほしかりつる 独り琴を、いとよう 尋ねたまひける
 「とても所在ないので、特別の音楽会というのではなくても、長い間弾かないでいた珍しい楽器の音など、聴きたかったので独りで弾いていたのを、たいそうよく聴きつけて来て下さった」
 「退屈でね、わざとする会合というほどのことでなしに、しばらく聞かれなかった音楽を人が来て聞かせてくれないだろうかと思って、誘い出すことが可能かどうかと、まず一人で始めていたのを、よく聞きつけて来てもらえたね」
  "Ito ture-dure ni te, wazato asobi to ha naku tomo, hisasiku taye ni taru medurasiki mono-no-ne nado, kika mahosikari turu hitori goto wo, ito you tadune tamahi keru."
2.3.3  とて、宮も、こなたに御座よそひて入れたてまつりたまふ。 内裏の御前に、今宵は月の宴あるべかりつるを、とまりてさうざうしかりつるに、この院に人びと参りたまふと 聞き伝へて、これかれ上達部なども参りたまへり。虫の音の定めをしたまふ。
 とおっしゃって、宮にも、こちらに御座所を設けてお入れ申し上げなさる。宮中の御前で、今夜は月の宴が催される予定であったが、中止になって物足りない気がしたので、こちらの院に方々が参上なさると伝え聞いて、誰や彼やと上達部なども参上なさった。虫の音の批評をなさる。
 と院はお言いになった。宮のお席もこちらへ作らせてお招じになった。今夜は御所で月見の宴のあるはずであったのが、中止になって寂しがっていた人たちが、六条院へだれかれが集まっていると聞いて、あとからも来るのであった。虫の声の批評をしたあとで、
  tote, Miya mo, konata ni o-masi yosohi te, ire tatematuri tamahu. Uti no o-mahe ni, koyohi ha tuki no en aru bekari turu wo, tomari te sau-zausikari turu ni, kono Win ni hito-bito mawiri tamahu to kiki tutahe te, kore kare Kamdatime nado mo mawiri tamahe ri. Musi no ne no sadame wo si tamahu.
2.3.4  御琴どもの声々掻き合はせて、おもしろきほどに、
 お琴類を合奏なさって、興が乗ってきたころに、
 音楽の合奏があっておもしろい夜になった。
  Ohom-koto-domo no kowe-gowe kaki-ahase te, omosiroki hodo ni,
2.3.5  「 月見る宵の、いつとてもものあはれならぬ折はなきなかに、 今宵の 新たなる月の色には、げになほ、わが世の外までこそ、よろづ 思ひ流さるれ故権大納言、何の折々にも、亡きにつけていとど偲ばるること多く、公、私、ものの折節のにほひ失せたる心地こそすれ。 花鳥の色にも音にも、思ひわきまへ、いふかひあるかたの、いとうるさかりしものを」
 「月を見る夜は、いつでももののあわれを誘わないことはない中でも、今夜の新しい月の色には、なるほどやはり、この世の後の世界までが、いろいろと想像されるよ。故大納言が、いつの折にも、亡くなったことにつけて、一層思い出されることが多く、公、私、共に何かある機会に物の栄えがなくなった感じがする。花や鳥の色にも音にも、美をわきまえ、話相手として、大変に優れていたのだったが」
 「月をながめる夜というものにいつでも寂しくないことはないものだが、この中秋の月に向かっていると、この世以外の世界のことまでもいろいろと思われる。くなった衛門督えもんのかみはどんな場合にも思い出される人だが、ことに何の芸術にも造詣ぞうけいが深かったから、こうした会合にあの人を欠くのはもののにおいがこの世になくなった気がしますね」
  "Tuki miru yohi no, itu tote mo mono ahare nara nu wori ha naki naka ni, koyohi no arata naru tuki no iro ni ha, geni naho, waga yo no hoka made koso, yorodu omohi nagasa rure. Ko-Dainagon, nani no wori-wori ni mo, naki ni tuke te itodo sinoba ruru koto ohoku, ohoyake, watakusi, mono no wori-husi no nihohi use taru kokoti koso sure. Hana tori no iro ni mo ne ni mo, omohi wakimahe, ihukahi-aru kata no, ito urusakari si mono wo."
2.3.6  などのたまひ出でて、みづからも掻き合はせたまふ 御琴の音にも、袖濡らしたまひつ。 御簾の内にも、耳とどめてや聞きたまふらむと、片つ方の御心には思しながら、かかる御遊びのほどには、まづ恋しう、内裏などにも思し出でける。
 などとお口に出されて、ご自身でも合奏なさる琴の音につけても、お袖を濡らしなさった。御簾の中でも耳を止めてお聴きになって入るだろうと、片一方のお心ではお思いになりながら、このような管弦のお遊びの折には、まずは恋しく、帝におかせられてもお思い出しになられるのであった。
 とお言いになった院は、御自身の音楽からもうれいが催されるふうで涙をこぼしておいでになるのである。御簾みすの中で女三にょさんみやが今の言葉に耳をおとめになったであろうかと片心かたごころにはお思いになりながらもそうであった。こんな音楽の遊びをする夜などに最も多くだれからも忍ばれる衛門督であった。帝も御遊ぎょゆうのたびに故人を恋しく思召されるのであった。
  nado notamahi-ide te, midukara mo kaki-ahase tamahu ohom-koto no ne ni mo, sode nurasi tamahi tu. Mi-su no uti ni mo, mimi todome te ya kiki tamahu ram to, kata tu kata no mi-kokoro ni ha obosi nagara, kakaru ohom-asobi no hodo ni ha, madu kohisiu, Uti nado ni mo obosi-ide keru.
2.3.7  「 今宵は鈴虫の宴にて明かしてむ
 「今夜は鈴虫の宴を催して夜を明かそう」
 「今夜は鈴虫の宴で明かそう」
  "Koyohi ha suzumusi no en ni te akasi te m."
2.3.8  と思しのたまふ。
 とお考えになっておっしゃる。
 こう六条院は言っておいでになった。
  to obosi notamahu.
注釈86今宵は例の御遊びにやあらむと今夜は八月十五夜である。六条院で管弦の遊びが催されるだろうことを期待。2.3.1
注釈87兵部卿宮蛍兵部卿宮。2.3.1
注釈88大将の君夕霧。2.3.1
注釈89いとつれづれにて以下「いとよう尋ねたまひける」まで、源氏の詞。2.3.2
注釈90独り琴を「を」格助詞、目的格を表す。2.3.2
注釈91尋ねたまひける「ける」過去の助動詞、詠嘆の意。連体中止法、余意・余情の気持ちを表す。2.3.2
注釈92内裏の御前に、今宵は月の宴あるべかりつるを、とまりて宮中の帝の御前における八月十五夜の月の宴が中止となる。その理由は語られていない。2.3.3
注釈93聞き伝へて主語は、これかれの上達部。2.3.3
注釈94月見る宵の以下「いとうるさかりしものを」まで、源氏の詞。2.3.5
注釈95新たなる月の色には「三五夜中新月の色二千里の外故人心」(白氏文集、八月十五夜禁中独直対月憶元九)。2.3.5
注釈96思ひ流さるれ「るれ」自発の助動詞。係結びの已然形、強調のニュアンス。2.3.5
注釈97故権大納言柏木。亡くなる直前に「大納言」となった。2.3.5
注釈98花鳥の色にも音にも「花鳥の色をも音をもいたづらにもの憂かる身には過ぐすのみなり」(後撰集夏、二一二、藤原雅正)。2.3.5
注釈99御琴の音にも柏木は和琴の名手であったことを回想。2.3.6
注釈100御簾の内にも以下「聞きたまふらむ」まで、源氏の心中。「御簾の内」は女三の宮をさす。2.3.6
注釈101今宵は鈴虫の宴にて明かしてむ源氏の詞。2.3.7
出典1 月見る宵の、いつとても いつとても月見ぬ秋はなきものをわきて今宵の珍しきかな 後撰集秋中-三二五 藤原雅正 2.3.5
出典2 今宵の新たなる月の色 三五夜中新月色 二千里外故人心 白氏文集巻十四-七二四 2.3.5
校訂10 具して 具して--ゝ(ゝ/$く<朱>)して 2.3.1
2.4
第四段 冷泉院より招請の和歌


2-4  Reizei invites Genji to his palace

2.4.1  御土器二わたりばかり参るほどに、冷泉院より御消息あり。御前の 御遊びにはかにとまりぬるを口惜しがりて、 左大弁、式部大輔、また人びと率ゐてさるべき限り参りたれば、大将などは六条の院にさぶらひ たまふ、と 聞こし召してなりけり
 お杯が二回りほど廻ったころに、冷泉院からお手紙がある。宮中の御宴が急に中止になったのを残念に思って、左大弁や、式部大輔らが、また大勢人々を引き連れて、詩文に堪能な人々ばかりが参上したところ、大将などは六条院に伺候していらっしゃる、とお耳にあそばしてなのであった。
 杯が二回ほどめぐった時に、冷泉れいぜい院から御使みつかいが来た。宮中の御遊がないことになったのを残念がって、左大弁、式部大輔しきぶのたゆうその他の人々が院へ伺候したのであって、左大将などは六条院に侍しているとお聞きになった院からの御消息には、
  Ohom-kaharake huta-watari bakari mawiru hodo ni, Reizei-Win yori ohom-seusoko ari. Go-zen no ohom-asobi nihaka ni tomari nuru wo kutiwosigari te, Sa-Daiben, Sikibu-no-Taihu, mata hito-bito hikiwi te, saru-beki kagiri mawiri tare ba, Daisyau nado ha Rokudeu-no-Win ni saburahi tamahu, to kikosimesi te nari keri.
2.4.2  「 雲の上をかけ離れたるすみかにも
 「宮中から遠く離れて住んでいる仙洞御所にも
  雲の上をかけはなれたる住家すみかにも
    "Kumo no uhe wo kake-hanare taru sumika ni mo
2.4.3   もの忘れせぬ秋の夜の月
  忘れもせず秋の月は照っています
  物忘れせぬ秋の夜の月
    mono wasure se nu aki no yo no tuki
2.4.4   同じくは
 同じことならあなたにも」
 「おなじくは」(あたら夜の月と花とを同じくは心知られん人に見せばや)
  Onaziku ha."
2.4.5  と聞こえたまへれば、
 とお申し上げなさったので、
 とあった。
  to kikoye tamahe re ba,
2.4.6  「 何ばかり所狭き身のほどにもあらずながら、 今はのどやかにおはしますに、参り馴るることもをさをさなきを、本意なきことに思しあまりて、おどろかさせたまへる、かたじけなし」
 「どれほどの窮屈な身分ではないのだが、今はのんびりとしてお過ごしになっていらっしゃるところに、親しく参上することもめったにないことを、不本意なことと思し召されるあまりに、お便りをお寄越しあばされている、恐れ多いことだ」
 「自分はたいそうにせずともよい身分でいて、閑散な御境遇でいらっしゃる院の御機嫌きげんを伺いに上がることをあまりしない私の怠惰を、お忍びのあまりになってくだすったお手紙だからおそれおおい」
  "Nani bakari tokoro-seki mi no hodo ni mo ara zu nagara, ima ha nodoyaka ni ohasimasu ni, mawiri naruru koto mo wosa-wosa naki wo, ho'i naki koto ni obosi amari te, odoroka sase tamahe ru, katazikenasi."
2.4.7  とて、にはかなるやうなれど、参りたまはむとす。
 とおっしゃって、急な事のようだが、参上なさろうとする。
 と六条院はお言いになって、にわかなことではあるが冷泉院へ参られることになった。
  tote, nihaka naru yau nare do, mawiri tamaha m to su.
2.4.8  「 月影は同じ雲居に見えながら
 「月の光は昔と同じく照っていますが
  月影は同じ雲井に見えながら
    "Tukikage ha onazi kumowi ni miye nagara
2.4.9   わが宿からの秋ぞ変はれる
  わたしの方がすっかり変わってしまいました
  わが宿からの秋ぞ変はれる
    waga yado kara no aki zo kahare ru
2.4.10   異なることなかめれど、ただ昔今の御ありさまの思し続けられけるままなめり。御使に盃賜ひて、禄いと二なし。
 特に変わったところはないようであるが、ただ昔と今とのご様子が思い続けられての歌なのであろう。お使者にお酒を賜って、禄はまたとなく素晴らしい。
 このお歌は文学的の価値はともかくも、冷泉院の御在位当時と今日とをお思い比べになって、寂しくお思いになる六条院の御実感と見えた。御使いは杯を賜わり、御纏頭てんとうをいただいた。
  Koto naru koto naka' mere do, tada mukasi ima no mi-arisama no obosi tuduke rare keru mama na' meri. Ohom-tukahi ni sakaduki tamahi te, roku ito ni nasi.
注釈102左大弁、式部大輔、また人びと率ゐて左大弁は、柏木の弟、後の紅梅大納言。式部大輔は系図不詳のここだけに登場する人物。2.4.1
注釈103さるべき限り『完訳』は「詩文に堪能な人々か」と注す。2.4.1
注釈104聞こし召してなりけり主語は冷泉院。語り手の説明的叙述。2.4.1
注釈105雲の上をかけ離れたるすみかにももの忘れせぬ秋の夜の月冷泉院から源氏への贈歌。『完訳』は「中秋の名月はめぐり来るのに、源氏は訪れぬと訴えた歌」と注す。2.4.2
注釈106同じくはと「あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや」(後撰集春下、一〇三、源信明)。ここに見に来ていただきたい、の意。2.4.4
注釈107何ばかり所狭き身のほどにも以下「かたじけなし」まで、源氏の詞。「何ばかり所狭き身」は源氏自身をさす。2.4.6
注釈108今はのどやかにおはしますに冷泉院をいう。2.4.6
注釈109月影は同じ雲居に見えながらわが宿からの秋ぞ変はれる源氏の返歌。「月影」は冷泉院を喩える。「試みに他の月をも見てしがなわが宿からのあはれなるかと」(詞花集雑上、二九九、花山院)。2.4.8
注釈110異なることなかめれど、ただ昔今の御ありさまの思し続けられけるままなめり『一葉抄』は「作者の詞」と指摘。『集成』は「なにほどのこともないご返歌だが、ご在位の昔に変る冷泉院のご様子に、何かと感慨を催されてのお作であろう。草子地」。『完訳』は「「めり」まで語り手の評。この歌には往時述懐があるとして、源氏の心の深さに注意させる言辞」と注す。2.4.10
出典3 同じくは あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや 後撰集春下-一〇三 源信明 2.4.4
校訂11 御遊び 御遊び--(/+御<朱>)あそひ 2.4.1
校訂12 たまふ、と聞こし たまふ、と聞こし--給(給/+ふ<朱>)時(時/とき<朱>)こし 2.4.1
2.5
第五段 冷泉院の月の宴


2-5  A banquet is held to view the moon on Reizei-in

2.5.1  人びとの御車、次第のままに引き直し、御前の人びと立ち混みて、静かなりつる御遊び紛れて、出でたまひぬ。 院の御車に、親王たてまつり、大将、左衛門督、藤宰相など、おはしける限り皆参りたまふ。
 人々のお車を、身分に従って並べ直し、御前駆の人々が大勢集まって来て、しみじみとした合奏もうやむやになって、お出ましになった。院のお車に、親王をお乗せ申し、大将、左衛門督、藤宰相など、いらっしゃった方々全員が参上なさる。
 参っていた人々の車を出て行く順序どおりに直したり、そちらこちらの前駆を勤める人たちが門内を右往左往するのとで、静かであった音楽の夜も乱れてしまった。六条院のお車に兵部卿の宮も御同乗になった。左大将、左衛門督さえもんのかみ藤参議とうさんぎなどという人たちも皆お供をして出た。
  Hito-bito no mi-kuruma, sidai no mama ni hiki-nahosi, go-zen no hito-bito tati-komi te, siduka nari turu ohom-asobi magire te, ide tmahi nu. Win no mi-kuruma ni, Miko tatematuri, Daisyau, Sawemon-no-Kami, Tou-Saisyau nado, ohasi keru kagiri mina mawiri tamahu.
2.5.2  直衣にて、軽らかなる御よそひどもなれば、下襲ばかりたてまつり加へて、月ややさし上がり、更けぬる空おもしろきに、若き人びと、笛など わざとなく吹かせたまひなどして、忍びたる御参りのさまなり。
 直衣姿で、皆お手軽な装束なので、下襲だけをお召し加えになって、月がやや高くなって、夜が更けた空が美しいので、若い方々に、笛などをさりげなくお吹かせになったりなどして、お忍びでの参上の様子である。
 軽い直衣のうし姿であったのが下襲したがさねを加えて院参をするのであった。月がやや高くなって美しくふけた夜に、若い殿上人などに、わざとらしくなく笛をお吹かせになって、微行の御外出をされるのである。
  Nahosi ni te, karoraka naru ohom-yosohi-domo nare ba, sita-gasane bakari tatematuri kuhahe te, tuki yaya sasi-agari, huke nuru sora omosiroki ni, wakaki hito-bito, hue nado wazato naku huka se tamahi nado si te, sinobi taru ohom-mawiri no sama nari.
2.5.3  うるはしかるべき折節は、所狭くよだけき儀式を尽くして、かたみに 御覧ぜられたまひまた、いにしへのただ人ざまに思し返りて、今宵は軽々しきやうに、ふとかく参りたまへれば、いたう驚き、待ち喜びきこえたまふ。
 改まった公式の儀式の折には、仰々しく厳めしい威儀の限りを尽くして、お互いにご対面なさり、また一方で、昔の臣下時代に戻った気持ちで、今夜は手軽な恰好で、急にこのように参上なさったので、大変にお驚きになり、お喜び申し上げあそばす。
 威儀の必要な時には正しく備うべきを備えて御往復になるのであるが、今夜は昔の一源氏の大臣のお気持ちで突然におたずねになったのであるから、冷泉院は非常にお喜びになった。
  Uruhasikaru beki wori-husi ha, tokoro-seku yodakeki gisiki wo tukusi te, katamini go-ran-ze rare tamahi, mata, inisihe no tada-bito zama ni obosi-kaheri te, koyohi ha karu-garusiki yau ni, huto kaku mawiri tamahe re ba, itau odoroki, mati yorokobi kikoye tamahu.
2.5.4   ねびととのひたまへる御容貌、いよいよ異ものならず。いみじき 御盛りの世を、御心と思し捨てて、静かなる御ありさまに、あはれ少なからず。
 御成人あそばした御容貌、ますますそっくりである。お盛りの最中であったお位を、御自分から御退位あそばして、静かにお過ごしになられる御様子に、心打たれることが少なくない。
 御美貌びぼうの整いきった冷泉院と、六条院はいよいよ別のものとはお見えにならなかった。まだ盛りの御年齢で御自発的に御位みくらいをお退きになった君に六条院は悲しみを覚えておいでになった。
  Nebi-totonohi tamahe ru ohom-katati, iyo-iyo koto mono nara zu. Imiziki ohom-sakari no yo wo, mi-kokoro to obosi-sute te, siduka naru mi-arisama ni, ahare sukunakara zu.
2.5.5   その夜の歌ども、唐のも大和のも、心ばへ深うおもしろくのみなむ。 例の、言足らぬ片端は、まねぶもかたはらいたくてなむ 。明け方に文など講じて、とく人びとまかでたまふ。
 その夜の詩歌は、漢詩も和歌も共に、趣深く素晴らしいものばかりである。例によって、一端を言葉足らずにお伝えするのも気が引けて。明け方に漢詩などを披露して、早々に方々はご退出なさる。
 この夜できた詩歌は皆非常におもしろかったが、片端だけを例の至らぬ筆者が写しておくのもやましい気がしてすべてを省くことにした。明け方にそれらの作が講ぜられて、人々は早朝に院から退出した。
  Sono yo no uta-domo, Kara no mo Yamato no mo, kokorobahe hukau omosiroku nomi nam. Rei no, koto tara nu kata-hasi ha, manebu mo kataharaitaku te nam. Akegata ni humi nado kau-zi te, toku hito-bito makade tamahu.
注釈111院の御車に親王たてまつり六条院の御車。源氏と蛍兵部卿宮と同乗。2.5.1
注釈112わざとなく吹かせたまひなどして『集成』は「興のままにお吹かせになったりして」。『完訳』は「さりげなく笛をお吹かせになったりして」と訳す。2.5.2
注釈113御覧ぜられたまひ逆接で下文に続く。2.5.3
注釈114またいにしへのただ人ざまに思し返りて「いにしへ」は冷泉帝在位中をさす。源氏は准太上天皇の待遇を得たとはいうものの、皇族に復籍せず、あくまでも臣下のままである。2.5.3
注釈115ねびととのひたまへる御容貌冷泉院三十二歳。2.5.4
注釈116御盛りの世を御心と思し捨てて冷泉院は二十八歳で退位。「若菜下」巻に語られている。2.5.4
注釈117その夜の歌ども『林逸抄』は「さうしの詞」と指摘。『集成』は「以下、草子地」。2.5.5
注釈118例の、言足らぬ片端は、まねぶもかたはらいたくてなむ『集成』は「省筆をことわる草子地。上皇御前では漢詩を第一とするが、それは女性の口にすべきことではないからである」。『完訳』は「語り手の省筆の弁。言葉足らずの片端だけでは気がひける」と注す。2.5.5
校訂13 足らぬ 足らぬ--たゝ(ゝ/$ら<朱>)ぬ 2.5.5
Last updated 1/18/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 1/18/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年9月1日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

Last updated 10/5/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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