38 鈴虫(大島本)


SUZUMUSI


光る源氏の准太上天皇時代
五十歳夏から秋までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from summer to fall, at the age of 50

1
第一章 女三の宮の物語 持仏開眼供養


1  Tale of Omna-Sam-no-Miya  A new statue of Buddha service

1.1
第一段 持仏開眼供養の準備


1-1  A preparation for a new statue of Buddha service

1.1.1   夏ごろ、蓮の花の盛りに入道の姫宮の御持仏どもあらはしたまへる、供養ぜさせたまふ
 夏頃、蓮の花の盛りに、入道の姫宮が御持仏の数々をお造りになったのを、開眼供養を催しあそばす。
  夏のはすの花の盛りに、でき上がった入道の姫宮の御持仏の供養が催されることになった。
  Natu-goro, hatisu-no-hana no sakari ni, Nihudau-no-Hime-Miya no ohom-dibutu-domo arahasi tamahe ru, kuyau-ze sase tamahu.
1.1.2  このたびは、大殿の君の御心ざしにて、御念誦堂の具ども、こまかに 調へさせたまへるを、やがてしつらはせたまふ。幡のさまなどなつかしう、心ことなる唐の錦を選び縫はせたまへり。 紫の上ぞ、急ぎせさせたまひける
 今回は、大殿の君のお志で、御念誦堂の道具類も、こまごまとご準備させていたのを、そっくりそのままお飾りあそばす。幡の様子など優しい感じで、特別な唐の錦を選んでお縫わせなさった。紫の上が、ご準備させなさったのであった。
 御念誦堂ごねんじゅどうのいっさいの装飾と備え付けの道具は六条院のお志で寄進されてあった。柱にかけるばんなども特別にお選びになった支那錦しなにしきで作られてあった。
  Kono-tabi ha, Otodo-no-Kimi no mi-kokorozasi ni te, go-nenzyu-dau no gu-domo, komaka ni totonohe sase tamahe ru wo, yagate siturahase tamahu. Hata no sama nado natukasiu, kokoro koto naru Kara no nisiki wo erabi nuha se tamahe ri. Murasaki-no-Uhe zo, isogi se sase tamahi keru.
1.1.3  花机の覆ひなどの をかしき目染もなつかしう、きよらなる匂ひ、染めつけられたる心ばへ、目馴れぬさまなり。夜の御帳の帷を、四面ながら上げて、後ろの方に法華の曼陀羅かけたてまつりて、銀の花瓶に、高くことことしき花の色を調へてたてまつり、名香に、唐の百歩の薫衣香を焚きたまへり。
 花机の覆いなどの美しい絞り染も優しい感じで、美しい色艶が、染め上げられている趣向など、またとない素晴らしさである。夜の御帳台の帷子を、四面とも上げて、後方に法華の曼陀羅をお掛け申して、銀の花瓶に、高々と見事な蓮の花を揃えてお供えになって、名香には、唐の百歩の衣香を焚いていらっしゃる。
 紫夫人の手もとで調製された花机かきおおいは鹿染めを用いたものであるが、色も図柄も雅味に富んでいた。帳台の四方のとばりを皆上げて、後ろのほうに法華経ほけきょう曼陀羅まんだらを掛け、銀の華瓶かへいに高く立華りっかをあざやかにして供えてあった。仏前の名香みょうこうには支那の百歩香ひゃくぶこうがたかれてある。
  Hana-dukuwe no ohohi nado no wokasiki me-zome mo natukasiu, kiyora naru nihohi, some-tuke rare taru kokorobahe, me nare nu sama nari. Yoru no mi-tyau no katabira wo, yo-omote nagara age te, usiro no kata ni Ho'ke no mandara kake tatematuri te, sirogane no hana-game ni, takaku koto-kotosiki hana no iro wo totonohe te tatematuri, myaugau ni, Kara no hyakubu no kunoekau wo taki tamahe ri.
1.1.4   阿弥陀仏、脇士の菩薩、おのおの白檀して作りたてまつりたる、こまかにうつくしげなり。閼伽の具は、例の、きはやかに小さくて、青き、白き、紫の蓮を調へて、 荷葉の方を合はせたる名香、蜜を隠しほほろげて、焚き匂はしたる、一つ薫りに匂ひ合ひて、いとなつかし。
 阿彌陀仏、脇士の菩薩、それぞれ白檀でお造り申してあるのが、繊細で美しい感じである。閼伽の道具は、例によって、際立って小さくて、青色、白色、紫の蓮の色を揃えて、荷葉香を調合したお香は、蜜を控えてぼろぼろに崩して、焚き匂わしているのが、一緒に匂って、とても優しい感じがする。
 阿弥陀あみだ仏と脇士わきし菩薩ぼさつが皆白檀びゃくだんで精巧な彫り物に現わされておいでになった。閼伽あかの具はことに小さく作られてあって、白玉はくぎょく青玉せいぎょくで蓮の花の形にした幾つかの小香炉こうろには蜂蜜はちみつの甘い香を退けた荷葉香かようこうべられてある。
  Amida-butu, keuzi no Bosati, ono-ono byakudan si te tukuri tatematuri taru, komaka ni utukusige nari. Aka no gu ha, rei no, kihayaka ni tihisaku te, awoki, siroki, murasaki no hatisu wo totonohe te, kaehu no hau wo ahase taru myaugau, miti wo kakusi hohoroge te, taki nihohasi taru, hitotu kawori ni nihohi-ahi te, ito natukasi.
1.1.5  経は、六道の衆生のために 六部書かせたまひてみづからの御持経は、院ぞ御手づから書かせたまひける。これをだに、この世の結縁にて、かたみに導き交はしたまふべき心を、願文に作らせたまへり。
 経は、六道の衆生のために六部お書きあそばして、ご自身の御持経は、院がご自身でお書きあそばしたのであった。せめてこれだけでも、この世の結縁として、互いに極楽浄土に導き合いなさるようにとの旨を願文にお作りあそばした。
 経巻は六道を行く亡者もうじゃのために六部お書かせになったのである。宮の持経は六条院がお手ずからお書きになったものである。これを御仏みほとけへの結縁としてせめて愛する者二人が永久に導かれたい希望が御願文がんもんに述べられてあった。
  Kyau ha, rokudau no syuzyau no tame ni roku-bu kaka se tamahi te, midukara no ohom-dikyau ha, Win zo ohom-tedukara kaka se tamahi keru. Kore wo dani, konoyo no ketien nite, katamini mitibiki-kahasi tamahu beki kokoro wo, gwanmon ni tukura se tamahe ri.
1.1.6   さては、阿弥陀経、唐の紙はもろくて、 朝夕の御手慣らしにもいかがとて、紙屋の人を召して、ことに仰せ言賜ひて、心ことにきよらに漉かせたまへるに、この春のころほひより、 御心とどめて急ぎ書かせたまへるかひありて、端を見たまふ人びと、目もかかやき惑ひたまふ。
 その他には、阿彌陀経、唐の紙はもろいので、朝夕のご使用にはどのようなものかしらと考えて、紙屋院の官人を召して、特別にご命令を下して、格別美しく漉かせなさった紙に、この春頃から、お心を込めて急いでお書きあそばしたかいがあって、その片端を御覧になった方々、目も眩むほどに驚いていらっしゃる。
 朝夕に読誦どくじゅされる阿弥陀経は支那の紙ではもろくていかがかと思召おぼしめされ、紙屋かんや川の人をお呼び寄せになり特におかせになった紙へ、この春ごろから熱心に書いておいでになったこの経巻は、片端を遠く見てさえ目がくらむ気のされるものであった。
  Sateha, Amida-kyau, Kara-no-kami ha moroku te, asa-yuhu no ohom-tenarasi ni mo ikaga tote, Kamiya no hito mesi te, koto ni ohose-goto tamahi te, kokoro koto ni kiyora ni suka se tamahe ru ni, kono haru no korohohi yori, mi-kokoro todome te isogi kaka se tamahe ru kahi ari te, hasi wo mi tamahu hito-bito, me mo kakayaki madohi tamahu.
1.1.7   罫かけたる金の筋よりも、墨つきの上にかかやくさまなども、いとなむめづらかなりける。 軸、表紙、筥のさまなど、いへば さらなりかし。 これはことに沈の花足の机に据ゑて、仏の 御同じ帳台の上に飾らせたまへり。
 罫に引いた金泥の線よりも、墨の跡の方がさらに輝くように立派な様子などが、まことに見事なものであった。軸、表紙、箱の様子など、言うまでもないことである。これは特に沈の花足の机の上に置いて、仏と同じ御帳台の上に飾らせなさった。
 けいに引いた黄金の筋よりも墨の跡がはるかに輝いていた。軸、表紙、箱に用いられた好みの優雅さはことさらにいうまでもない。この巻き物は特にじんの木の華足げそくつくえに置いて、仏像を安置した帳台の中に飾ってあった。
  Ke kake taru kane no sudi yori mo, sumi-tuki no uhe ni kakayaku sama nado mo, ito nam meduraka nari keru. Diku, heusi, hako no sama nado, ihe ba sara nari. Kore ha koto ni din no kesoku no tukuwe ni suwe te, Hotoke no ohom-onazi tyaudai no uhe ni kazara se tamahe ri.
注釈1夏ごろ蓮の花の盛りに源氏五十歳の夏、「横笛」巻の翌年。1.1.1
注釈2入道の姫宮の御持仏どもあらはしたまへる供養ぜさせたまふ『集成』は「お念持仏(身辺に安置して、朝夕礼拝する仏像)の数々をお造りになったのを、開眼供養なさる」。「あらはしたまへる」「供養ぜさせたまふ」の主語は、女三の宮。1.1.1
注釈3調へさせたまへるを「させ」使役の助動詞。源氏が家人をして。1.1.2
注釈4紫の上ぞ急ぎせさせたまひける「させ」使役の助動詞。過去の助動詞「ける」は事の終わった後から事情を明かすニュアンス。1.1.2
注釈5をかしき目染もなつかしう「目染(めぞめ)」、鹿の子絞り。絞り染。1.1.3
注釈6阿弥陀仏脇士の菩薩阿弥陀仏とその脇士の観音菩薩と勢至菩薩。1.1.4
注釈7荷葉の方を合はせたる名香「荷葉の方」は夏の薫香。1.1.4
注釈8六部書かせたまひて「せたまひて」最高敬語。主語は女三の宮。1.1.5
注釈9みづからの御持経は院ぞ御手づから書かせたまひける女三の宮御自身の御持経は、源氏の御親筆による。「書かせたまひける」最高敬語、過去の助動詞「けり」後から事情を明かすニュアンス。1.1.5
注釈10さては阿弥陀経これも源氏親筆。1.1.6
注釈11朝夕の御手慣らしにも女三の宮が始終使うには、の意。1.1.6
注釈12御心とどめて急ぎ書かせたまへるかひありて「書かせたまひ」最高敬語。『完訳』は「お心をこめてせっせとお書きになっただけのことはあって」と訳す。1.1.6
注釈13罫かけたる金の筋よりも墨つきの上に罫に引いた金泥の線よりも、源氏の書いた墨筆の方が目も眩むほど素晴らしい。1.1.7
注釈14軸表紙筥のさま巻物にしたお経の軸、表紙、収納箱。1.1.7
注釈15これはことに阿弥陀経をさす。1.1.7
校訂1 さらなり さらなり--さゝ(ゝ/$ら<朱>)なり 1.1.7
校訂2 御同じ 御同じ--御(御/+お)なを(を/#)し 1.1.7
1.2
第二段 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす


1-2  Genji and Omna-Sam-no-Miya compose and change waka

1.2.1  堂飾り果てて、講師参う上り、 行道の人びと参り集ひたまへば、院もあなたに出でたまふとて、 宮のおはします西の廂にのぞきたまへれば、狭き心地する仮の御しつらひに、所狭く暑げなるまで、 ことことしく装束きたる女房、五、六十人ばかり集ひたり
 お堂を飾り終わって、講師が壇上して、行道の人々も参集なさったので、院もそちらに出ようとなさって、宮のいらっしゃる西の廂の間にお立ち寄りなさると、狭い感じのする仮の御座所に、窮屈そうに暑苦しいほどに、仰々しく装束をした女房たちが五、六十人ほど集まっていた。
 堂の準備ができて講師が座に着き行香ぎょうこうをする若い殿上人などが皆そろった時に、院もその仏間のほうへおいでになろうとして、尼宮の西のひさしのお座敷へまずはいって御覧になると、狭い気のするこの仮のお居間の中に、暑いほどにも着飾った女房が五、六十人集まっていた。
  Dau kazari hate te, kauzi mau-nobori, gyaudau no hito-bito mawiri tudohi tamahe ba, Win mo anata ni ide tamahu tote, Miya no ohasimasu nisi no hisasi ni nozoki tamahe re ba, sebaki kokoti suru kari no ohom-siturahi ni, tokoro-seku atuge naru made, koto-kotosiku syauzoki taru nyoubau, go, roku-zihu-nin bakari tudohi tari.
1.2.2   北の廂の簀子まで、童女などはさまよふ火取りどもあまたして、煙たきまで扇ぎ散らせば、さし寄りたまひて、
 北の廂の間の簀子まで、女童などはうろうろしている。香炉をたくさん使って、煙いほど扇ぎ散らすので、近づきなさって、
 童女などは北側のへやの外の縁にまで出ているのである。火入れがたくさん出されてあって、薫香たきものをけむいほど女房たちがあおぎ散らしているそばへ院はお寄りになって、
  Kita no hisasi no sunoko made, warahabe nado ha samayohu. Hitori-domo amata si te, kebutaki made ahugi tirase ba, sasi-yori tamahi te,
1.2.3  「 空に焚くは、いづくの煙ぞと思ひ分かれぬこそよけれ。 富士の峰よりもけに、くゆり満ち出でたるは、本意なきわざなり。講説の折は、おほかたの鳴りを静めて、のどかにものの心も聞き分くべきことなれば、憚りなき衣の音なひ、人のけはひ、静めてなむよかるべき」
 「空薫物は、どこで焚いているのか分からないくらいなのがよいのだ。富士山の噴煙以上に、煙がたちこめているのは、感心しないことだ。お経の御講義の時には、あたり一帯の音は立てないようにして、静かにお説教の意味を理解しなければならないことだから、遠慮のない衣ずれの音、人のいる感じは、出さないのがよいのです」
 「そらだきというものは、どこでいているかわからないほうが感じのいいものだよ。富士の山頂よりももっとひどく煙の立っているのなどはよろしくない。説教の間は物音をさせずに静かに細かく話を聞かなければならないものだから、無遠慮に衣擦きぬずれやち居の音はなるべくたてぬようにするがいい」
  "Sora ni taku ha, iduku no keburi zo to omohi waka re nu koso yokere. Huzi no mine yori mo keni, kuyuri miti ide taru ha, ho'i-naki waza nari. Kauzeti no wori ha, ohokata no nari wo sidume te, nodoka ni mono no kokoro mo kiki-waku beki koto nare ba, habakari naki kinu no otonahi, hito no kehahi, sidume te nam yokaru beki."
1.2.4  など、例の、もの深からぬ若人どもの用意教へたまふ。宮は、人気に圧されたまひて、いと小さくをかしげにて、ひれ臥したまへり。
 などと、いつものとおり、思慮の足りない若い女房たちの心用意をお教えになる。宮は、人気に圧倒されなさって、とても小柄で美しい感じに臥せっていらっしゃった。
 などと、例の軽率な若い女房などをお教えになった。宮は人気ひとげに押されておしまいになり、小さいお美しい姿をうつ伏せにしておいでになる。
  nado, rei no, mono-hukakara nu wakaudo-domo no youi wosihe tamahu. Miya ha, hitoke ni osa re tamahi te, ito tihisaku wokasige ni te, hire-husi tamahe ri.
1.2.5  「 若君、らうがはしからむ。抱き隠したてまつれ
 「若君が、騒がしかろう。抱いてあちらへお連れ申せ」
 「若君をここへ置かずに、どちらか遠い部屋へやへ抱いて行くがよい」
  "Waka-Gimi, raugahasikara m. Idaki kakusi tatemature."
1.2.6  などのたまふ。
 などとおっしゃる。
 とまた院は女房へ注意をあそばされた。
  nado notamahu.
1.2.7   北の御障子も取り放ちて、御簾かけたりそなたに人びとは入れたまふ 。静めて、宮にも、ものの心知りたまふべき 下形を聞こえ知らせたまふ、いとあはれに見ゆ。 御座を譲りたまへる仏の御しつらひ、 見やりたまふもさまざまに
 北の御障子も取り放って、御簾を掛けてある。そちらに女房たちをお入れになっている。静かにさせて、宮にも、法会の内容がお分かりになるように予備知識をお教え申し上げなさるのも、とても親切に見える。御座所をお譲りなさった仏のお飾り付け、御覧になるにつけても、あれこれと感慨無量で、
 北側の座敷との間も今日は襖子からかみがはずされて御簾みす仕切りにしてあったが、そちらのへやへ女房たちを皆お入れになって、院は尼宮に今日の儀式についての心得をお教えになるのであったが、その方を可憐かれんにばかりお思われになった。昔の鴛鴦えんおうの夢の跡の仏の御座みざになっている帳台が御簾越しにながめられるのも院を物悲しくおさせすることであった。
  Kita no mi-syauzi mo tori hanati te, mi-su kake tari. Sonata ni hito-bito ha ire tamahu. Sidume te, Miya ni mo, mono no kokoro siri tamahu beki sitakata wo kikoye sira se tamahu, ito ahare ni miyu. O-masi yuduri tamahe ru Hotoke no ohom-siturahi, mi-yari tamahu mo, sama-zama ni,
1.2.8  「 かかる方の御いとなみをも、もろともに急がむものとは思ひ寄らざりしことなり。よし、後の世にだに、 かの花の中の宿りに、隔てなく、とを 思ほせ」
 「このような仏事の御供養を、ご一緒にしようとは思いもしなかったことだ。まあ、しかたない。せめて来世では、あの蓮の花の中の宿を、一緒に仲好くしよう、と思って下さい」
 「こんな儀式をあなたのためにさせる日があろうなどとは予想もしなかったことですよ。これはこれとして来世のはすの花の上ではむつまじく暮らそうと期していてください」
  "Kakaru kata no ohom-itonami wo mo, morotomo ni isoga m mono to ha omohi-yora zari si koto nari. Yosi, noti no yo ni dani, kano hana no naka no yadori ni, hedate naku, to wo omohose."
1.2.9  とて、うち泣きたまひぬ。
 とおっしゃって、お泣きになった。
 と言って院はお泣きになった。
  tote, uti-naki tamahi nu.
1.2.10  「 蓮葉を同じ台と契りおきて
 「来世は同じ蓮の花の中でと約束したが
  蓮葉はちすばを同じうてなと契りおきて
    "Hatisuba wo onazi utena to tigiri-oki te
1.2.11   露の分かるる今日ぞ悲しき
  その葉に置く露のように別々でいる今日が悲しい
  露の分かるる今日けふぞ悲しき
    tuyu no waka ruru kehu zo kanasiki
1.2.12  と、御硯にさし濡らして、 香染めなる御扇に書きつけたまへり。宮、
 と、御硯に筆を濡らして、香染の御扇にお書き付けになった。宮は、
 すずりに筆をぬらして、香染めの宮の扇へお書きになった。宮が横へ、
  to, ohom-suzuri ni sasi-nurasi te, kau-zome naru ohom-ahugi ni kaki-tuke tamahe ri. Miya,
1.2.13  「 隔てなく蓮の宿を契りても
 「蓮の花の宿を一緒に仲好くしようと約束なさっても
  隔てなくはちすの宿をちぎりても
    "Hedate naku hatisu no yado wo tigiri te mo
1.2.14   君が心や住まじとすらむ
  あなたの本心は悟り澄まして一緒にとは思っていないでしょう
  君が心やすまじとすらん
    Kimi ga kokoro ya suma zi to su ram
1.2.15  と書きたまへれば、
 とお書きになったので、
 こうお書きになると、
  to kaki tamahe re ba,
1.2.16  「 いふかひなくも思ほし朽たすかな
 「せっかくの申し出をかいなくされるのですね」
 「そんなに私が信用していただけないのだろうか」
  "Ihukahinaku mo omohosi kutasu kana!"
1.2.17  と、 うち笑ひながら、なほあはれとものを思ほしたる御けしきなり
 と、苦笑しながらも、やはりしみじみと感に堪えないご様子である。
 笑いながら院は言っておいでになるのであるが身にしむものがある御様子であった。
  to, uti-warahi nagara, naho ahare to mono wo omohosi taru mi-kesiki nari.
注釈16行道の人びと大島本「行た(=か、か<朱イ>)うの人/\」とある。『集成』は本文を「行香の人」とし、「法会の時、僧に香を配ること。殿上人が勤める」と注す。『完訳』は「行道の人々」とし、「仏像の周囲を巡り歩く礼法。「行香」とする本も多い」と注す。1.2.1
注釈17宮のおはします西の廂に『集成』は「寝殿の西面の西の廂。女三の宮の常の居間である母屋は法会の場になっているので、西廂に移っている」と注す。1.2.1
注釈18ことことしく装束きたる女房、五、六十人ばかり集ひたり女三の宮付きの女房の勢揃いであろう。五、六十人伺候していた。1.2.1
注釈19北の廂の簀子まで童女などはさまよふ女房以外の女童は北の廂をはみ出して簀子に伺候した。1.2.2
注釈20火取りども香炉。接尾語「ども」は複数を表す。1.2.2
注釈21空に焚くはいづくの煙ぞと以下「静めてなむよかるべき」まで、源氏の詞。「空に焚くは」は空薫物はの意。1.2.3
注釈22富士の峰よりもけにくゆり満ち出でたる富士山の噴煙よりも多く煙が出ている意。当時の富士山は噴煙を上げていた。伊勢物語、更級日記等参照。1.2.3
注釈23若君らうがはしからむ抱き隠したてまつれ源氏の詞。「若君」は薫。1.2.5
注釈24北の御障子も取り放ちて、御簾かけたり『完訳』は「母屋の北側の障子(襖)。北の廂にも女房の聴聞所を設営。御簾で女房たちの姿を隠す」と注す。1.2.7
注釈25そなたに人びとは入れたまふ「そなた」は北の廂の間。「人びと」は女房。1.2.7
注釈26下形予備知識。1.2.7
注釈27御座を譲りたまへる女三の宮の常の御座所を。1.2.7
注釈28見やりたまふも主語は源氏。1.2.7
注釈29さまざまに『完訳』は「源氏は宮の御帳台を見て、これまでの夫婦仲、宮と柏木の密通などを回想、複雑な思念を抱く」と注す。1.2.7
注釈30かかる方の以下「とを思ほせ」まで、源氏の詞。『集成』は「若い女三の宮は、源氏よりもあと、その死後か出家の後に、世を背くことになろうと思っていたのに、逆に今生で自分が宮から厭い捨てられたことを恨む」と注す。1.2.8
注釈31かの花の中の宿りに隔てなくとを『集成』は「極楽の往生人は、蓮華の上に半座をあけて同行の人を待つとされた」と注す。『河海抄』所引、五会讃。1.2.8
注釈32蓮葉を同じ台と契りおきて露の分かるる今日ぞ悲しき源氏から女三の宮への贈歌。主旨は、一蓮托生と約束したが、別々に暮らすのが悲しい。「蓮葉」「置き」「露」が縁語。1.2.10
注釈33隔てなく蓮の宿を契りても君が心や住まじとすらむ女三の宮の返歌。「蓮」「契り」の語句を引用して、「君が心やすまじとすらむ」と切り返す。「すまじ」は「住まじ」と「清まじ」の掛詞。1.2.13
注釈34いふかひなくも思ほし朽たすかな源氏の詞。1.2.16
注釈35うち笑ひながら、なほあはれとものを思ほしたる御けしきなりこの「笑ひ」は苦笑。「なほ」以下、語り手の源氏評。女三の宮になお執着している源氏の態度に対する客観的コメント。1.2.17
校訂3 そなたに そなたに--それ(れ/#な)たに 1.2.7
校訂4 宿りに 宿りに--やとり(り/+に) 1.2.8
校訂5 香染めなる 香染めなる--かうそめの(の/$なる) 1.2.12
1.3
第三段 持仏開眼供養執り行われる


1-3  The new statue of Buddha service is held by Omna-Sam-no-Miya in summer

1.3.1   例の、親王たちなども、いとあまた参りたまへり御方々より、我も我もと営み出でたまへる捧物のありさま、心ことに、所狭きまで見ゆ。七僧の法服など、すべておほかたのことどもは、皆 紫の上せさせたまへり綾のよそひにて、袈裟の縫目まで、見知る人は、世になべてならずとめでけりとや。むつかしうこまかなることどもかな
 例によって、親王たちなども、とても大勢参上なさった。御夫人方から、我も我もと作り出した御供物の様子、格別立派で、所狭しと見える。七僧の法服など、総じて一通りのことは、皆紫の上がご準備させなさった。綾織物で、袈裟の縫目まで、分かる人は、世間にはめったにない立派な物だと誉めたとか。うるさく細かい話であるよ。
 例のことであるが親王がたも多く参会された。六条院の夫人たちから仏前へささげられた物の数も多かった。七僧の法服とか、この法事についての重だった布施は皆紫夫人が調製させたものである。綾地あやじの法服で、袈裟けさの縫い目までが並み並みの物でないことを言って当時の僧がほめたそうである。こんなこともむずかしいものらしい。
  Rei no, Miko-tati nado mo, ito amata mawiri tamahe ri. Ohom-kata-gata yori, ware mo ware mo to itonami ide tamahe ru houmoti no arisama, kokoro koto ni, tokoro-seki made miyu. Siti-sou no hohubuku nado, subete ohokata no koto-domo ha, mina Murasaki-no-Uhe se sase tamahe ri. Aya no yosohi ni te, kesa no nuhime made, mi-siru hito ha, yo ni nabete nara zu to mede keri to ya! Mutukasiu komaka naru koto-domo kana!
1.3.2  講師のいと尊く、ことの心を申して、 この世にすぐれたまへる盛りを厭ひ離れたまひて、 長き世々に絶ゆまじき御契りを、法華経に結びたまふ、尊く深きさまを表はして、ただ今の世の、 才もすぐれ、豊けきさきらを、いとど心して言ひ続けたる、いと尊ければ、皆人、しほたれたまふ。
 講師が大変に尊く、法要の趣旨を申して、この世でご立派であった盛りのお身の上を厭い離れなさって、未来永劫にわたって絶えることのない夫婦の契りを、法華経に結びなさる、尊く深いお心を表わして、ただ現在、才学も優れ、豊かな弁舌を、ますます心をこめて言い続ける、とても尊いので、参会者全員、涙をお流しなさる。
 講師が宮の御遁世とんせい讃美さんびして、この世におけるすぐれた栄華をなお盛りの日にお捨てになり、永久の縁を仏にお結びになったということを、豊かな学才のある僧が美辞麗句をもって言い続けるのに感動してしおたれる人が多かった。
  Kauzi no ito tahutoku, koto no kokoro wo mausi te, kono yo ni sugure tamahe ru sakari wo itohi hanare tamahi te, nagaki yo-yo ni tayu maziki ohom-tigiri wo, Hokekyau ni musubi tamahu, tahutoku hukaki sama wo arahasi te, tada ima-no-yo no, zae mo sugure, yutakeki sakira wo, itodo kokorosi te ihi-tuduke taru, ito tahutokere ba, mina-hito, sihotare tamahu.
1.3.3   これは、ただ忍びて、御念誦堂の初めと思したることなれど、 内裏にも、山の帝も聞こし召して、皆御使どもあり。御誦経の布施など、いと所狭きまで、にはかになむこと広ごりける。
 この持仏開眼供養は、ただこっそりと、御念誦堂の開き初めとお考えになったことだが、帝におかせられても、また山の帝もお耳にあそばして、いずれもお使者があった。御誦経のお布施など、大変置ききれないほど、急に大げさになったのであった。
 今日のはただ御念誦堂ごねんじゅどう開きとしてお催しになった法会ほうえであったが、宮中からも御寺みてらの法皇からもお使いがあって、御誦経の布施などが下されてにわかに派手はでなものになった。
  Kore ha, tada sinobi te, o-nenznu-dau no hazime to obosi taru koto nare do, Uti ni mo, Yama-no-Mikado mo kikosimesi te, mina ohom-tukahi-domo ari. Mi-zyukyau no huse nado, ito tokoro-seki made, nihaka ni nam koto hirogori keru.
1.3.4   院にまうけさせたまへりけることどもも、削ぐと思ししかど、世の常ならざりけるを、まいて、今めかしきことどもの加はりたれば、 夕べの寺に置き所なげなるまで、所狭き勢ひになりてなむ、僧どもは帰りける
 院でご準備あそばしたことも、簡略にとはお思いになったが、それでも並々ではなかったのだが、それ以上に、華やかなお布施が加わったので、夕方のお寺に置き場もないほど沢山になって、僧たちは帰って行ったのであった。
 初めの設けは簡単にしたように院は思召おぼしめしても、それは決して並み並みの物でなかった上、宮廷の御寄進が添ったので、出席した僧たちは、置き所もない布施を得て寺へ帰った。
  Win ni mauke sase tamahe ri keru koto-domo mo, sogu to obosi sika do, yo no tune nara zari keru wo, maite, imamekasiki koto-domo no kuhahari tare ba, yuhube no tera ni oki dokoro nage naru made, tokoro-seki ikihohi ni nari te nam, sou-domo ha kaheri keru.
注釈36例の、親王たちなども、いとあまた参りたまへり「例の」は「参りたまへり」を修飾する。したがって、「例の」の下に読点必要。1.3.1
注釈37御方々より六条院の源氏のご夫人方をさす。1.3.1
注釈38紫の上せさせたまへり「させ」使役の助動詞。1.3.1
注釈39綾のよそひにて袈裟の縫目まで見知る人は世になべてならずとめでけりとやむつかしうこまかなることどもかな『一葉抄』は「作者の詞也」と指摘。『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の言辞。省筆しながら、紫の上の用意した法服を賞賛」と注す。1.3.1
注釈40この世にすぐれたまへる盛りを以下「尊く深きさま」まで、講師の読み上げた趣旨(表白)の内容、間接的に要約して叙述。1.3.2
注釈41長き世々に絶ゆまじき御契り源氏と女三の宮との夫婦の契り。1.3.2
注釈42才もすぐれ豊けきさきらを講師の学才、弁舌文才をいう。1.3.2
注釈43これは今回の持仏開眼供養をさす。1.3.3
注釈44内裏にも山の帝も主上は女三の宮の兄弟、山の帝は父朱雀院である。1.3.3
注釈45院にまうけさせたまへりける六条院。「させ」尊敬の助動詞。最高敬語待遇。1.3.4
注釈46夕べの寺に置き所なげなるまで所狭き勢ひになりてなむ僧どもは帰りける『集成』は「夕方、寺に置き所もなさそうなほど、豪勢な様子で僧たちは帰って行った」。『完訳』は「夕方になって退出する僧たちは、寺に持ち帰っても置場があるまいと思われるくらいお布施をいただいて、豪勢な様子で帰っていったのであった」と訳す。「重畳せる煙嵐の断えたる処に晩寺に僧帰る」(和漢朗詠集下、僧)。1.3.4
1.4
第四段 三条宮邸を整備


1-4  Suzaku orders men to repair Samjo-palace

1.4.1   今しも、心苦しき御心添ひて、はかりもなくかしづききこえたまふ。院の帝は、 この御処分の宮に住み離れたまひなむも、 つひのことにて、目やすかりぬべく聞こえたまへど、
 今となって、おいたわしく思われる気持ちが加わって、この上もなく大切にお世話申し上げなさる。院の帝は、御相続なさった宮に離れてお住みになることも、結局のことなのだから、世間体がよいように申し上げなさるが、
 御出家をあそばされた今になって宮を院がごたいせつにあそばすことは非常で、無限の御愛情が運ばれていると見えた。御寺のみかどは宮へ御分配になった邸宅へ今はもうお移りになるほうが世間体もよいとお勧めになるのであったが、六条院は、
  Ima simo, kokoro-gurusiki mi-kokoro sohi te, hakari mo naku kasiduki kikoye tamahu. Win-no-Mikado ha, kono go-soubun no Miya ni sumi hanare tamahi na m mo, tuhi no koto nite, me-yasukari nu beku kikoye tamahe do,
1.4.2  「 よそよそにては、おぼつかなかるべし。明け暮れ見たてまつり、聞こえ承らむこと怠らむに、本意違ひぬべし。げに、 あり果てぬ世いくばくあるまじけれど、なほ生ける限りの心ざしをだに失ひ果てじ」
 「離れ離れでいては、気掛かりであろう。毎日お世話申し上げて、こちらから申し上げたり用向きを承ることができないようでは、本意に外れることであろう。なるほど、いつまでも生きていられない世であるが、やはり生きている限りはお世話したい気持ちだけはなくしたくない」
 「遠くなっては始終お目にかかることもできないので困ります。毎日お逢いしてお話ができたり、あなたの用を聞いたりすることができなくなっては、私の期していたことが皆画餠がべいになってしまう。そういっても私に残された命はもう何ほどでもないのでしょうが、生きている間はせめてその志だけでも尽くさせてください」
  "Yoso-yoso ni te ha, obotukanakaru besi. Ake-kure mi tatematuri, kikoye uketamahara m koto okotara m ni, ho'i tagahi nu besi. Geni, ari hate nu yo ikubaku aru mazikere do, naho ike ru kagiri no kokorozasi wo dani usinahi hate zi."
1.4.3  と 聞こえたまひつつこの宮をいとこまかにきよらに造らせたまひ、御封の物ども、国々の御荘、御牧などより奉る物ども、はかばかしきさまのは、皆かの三条の宮の 御倉に納めさせたまふ。 またも、建て添へさせたまひて、さまざまの御宝物ども、院の御処分に数もなく賜はりたまへるなど、 あなたざまの物は、皆かの宮に運び渡し、こまかにいかめしうし置かせたまふ。
 と申し上げ申し上げなさっては、あちらの宮も大変念入りに美しくご改築させなさって、御封の収入、国々の荘園、牧場などからの献上物で、これはと思われる物は、全てあちらの三条宮の御倉に納めさせなさる。さらに又、増築させて、いろいろな御宝物類、院の御遺産相続の時に無数にお譲り受けなさった物など、宮の関係の品物は、全てあちらの宮に運び移して、念を入れて厳重に保管させなさる。
 とお言いになって賛成をあそばさないのである。院はまたそのほうの邸宅もきれいに修繕させてお置きになって、宮が官から給されておいでになる収入や、御私有の荘園や牧から上がって来る物の中でも、貯蔵しておく価値のある物は皆その三条の宮の倉庫くらへ納めさせてお置きになった。新しい倉庫の建て増しまでおさせになって、それへは法皇がこの宮へ無数に御分配になった貴重品の今まで六条院にあったのを移しておしまわせになった。
  to kikoye tamahi tutu, kono Miya wo mo ito komaka ni kiyora ni tukura se tamahi, mi-bu no mono-domo, kuni-guni no mi-syau, mi-maki nado yori tatematuru mono-domo, haka-bakasiki sama no ha, mina kano Samdeu-no-Miya no mi-kura ni wosame sase tamahu. Mata mo, tate sohe sase tamahi te, sama-zama no ohom-takara mono-domo, Win no go-soubun ni kazu mo naku tamahari tamahe ru nado, anata zama no mono ha, mina kano Miya ni hakobi watasi, komaka ni ikamesiu si-oka se tamahu.
1.4.4  明け暮れの御かしづき、 そこらの女房のことども、上下の 育みは、おしなべてわが御扱ひにてなど、 急ぎ仕うまつらせたまひける
 日常のお世話、大勢の女房の事ども、上下の人々の面倒は、全てご自分の経費のまかないでなどと、急いでお手入れをして差し上げる。
 これは永久に宮の御家を経済的に保証する価値ある財産というべきものである。そして六条院における宮の御生活とおおぜいの女房、男女の召使に要する費用は院の御負担とお決めになったのである。
  Ake-kure no ohom-kasiduki, sokora no nyoubau no koto-domo, kami-simo no hagukumi ha, osinabete waga ohom-atukahi ni te nado, isogi tukau-matura se tamahi keru.
注釈47今しも心苦しき御心添ひて副助詞「しも」強調のニュアンス。『完訳』は「宮の出家生活が本格化する今になって、源氏の執心が強まる」と注す。1.4.1
注釈48この御処分の宮に朱雀院から女三の宮に遺贈された三条宮邸。1.4.1
注釈49つひのことにて『完訳』は「出家の身ゆえ、どうせ別居するのだから、居間のうちが世間体もよかろうと。その時期が遅れては、世人が疑念を抱くだろう、の判断」と注す。1.4.1
注釈50よそよそにては以下「失ひ果てじ」まで、源氏の詞。下文に「聞こえたまひつつ」とあるので、直接話法というより間接話法的内容。1.4.2
注釈51あり果てぬ世「ありはてぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな」(古今集雑下、九六五、平貞文)。1.4.2
注釈52聞こえたまひつつ接続助詞「つつ」同じ動作の反復。1.4.3
注釈53この宮を三条宮邸をさす。1.4.3
注釈54いとこまかにきよらに造らせたまひ「せ」使役の助動詞。『集成』は「念入りに立派に改築させなさって」と訳す。1.4.3
注釈55またも建て添へさせたまひて源氏がさらにまた御倉を建て加えさせなさって、の意。「させ」使役の助動詞。三条宮邸の家司等をしての意。1.4.3
注釈56あなたざまの物は女三の宮関係の物は、の意。1.4.3
注釈57そこらの女房女三の宮付きの女房は五、六十人いる。1.4.4
注釈58急ぎ仕うまつらせたまひける『完訳』は「お手入れをお進めになるのであった」と訳す。「つかうまつる」は、目上の人に〜してさしあげるというニュアンス。「せ」尊敬の助動詞、源氏に対する最高敬語。1.4.4
校訂6 御倉に 御倉に--みく(く/+ら<朱>)にも(も/$<朱>) 1.4.3
校訂7 育み 育み--はゝ(ゝ/$)くみ 1.4.4
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年9月1日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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