37 横笛(大島本)


YOKOBUE


光る源氏の准太上天皇時代
四十九歳春から秋までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from spring to fall, at the age of 49

1
第一章 光る源氏の物語 薫の成長


1  Tale of Genji  Kaoru's babyhood

1.1
第一段 柏木一周忌の法要


1-1  A Buddhist service for the late Kashiwagi

1.1.1   故権大納言のはかなく亡せたまひにし悲しさを、飽かず口惜しきものに、恋ひしのびたまふ人多かり。六条の院にも、おほかたにつけてだに、世にめやすき人の亡くなるをば、惜しみたまふ御心に、まして、これは、朝夕に親しく参り馴れつつ、人よりも御心とどめ思したりしかば、 いかにぞやと、思し出づることはありながら 、あはれは多く、 折々につけてしのびたまふ。
 故権大納言があっけなくお亡くなりになった悲しさを、いつまでも残念なことに、恋い偲びなさる方々が多かった。六条院におかれても、特別の関係がなくてさえ、世間に人望のある人が亡くなるのは、惜しみなさるご性分なので、なおさらのこと、この人は、朝夕に親しくいつも参上しいしい、誰よりもお心を掛けていらしたので、どうにもけしからぬと、お思い出しなさることはありながら、哀悼の気持ちは強く、何かにつけてお思い出しになる。
 権大納言ごんだいなごんの死を惜しむ者が多く、月日がたっても依然として恋しく思う人ばかりであった。六条院のお心もまたそうであった。御関係の薄い人物でも、なんらかのすぐれたところを持っている者の死は常に悲しく思召おぼしめす方であったから、柏木かしわぎ衛門督えもんのかみはまして朝夕にお出入りしていた人であったし、またそうした人たちの中でも特に愛すべき男として見ておいでになったのでもあるから、一つの問題は別としてお心に上ることが多かった。
  Ko-Dainagon no hakanaku use tamahi ni si kanasisa wo, akazu kutiwosiki mono ni, kohi-sinobi tamahu hito ohokari. Rokudeu-no-Win ni mo, ohokata ni tuke te dani, yo ni meyasuki hito no nakunaru woba, wosimi tamahu mi-kokoro ni, masite, kore ha, asa-yuhu ni sitasiku mawiri nare tutu, hito yori mo mi-kokoro todome obosi tari sika ba, ikani zo ya to, obosi-iduru koto ha ari nagara, ahare ohoku, wori-wori ni tuke te sinobi tamahu.
1.1.2   御果てにも、誦経など、取り分きせさせたまふ。 よろづも知らず顔にいはけなき御ありさまを見たまふにも、さすがにいみじくあはれなれば、 御心のうちに、また心ざしたまうて、黄金百両をなむ別にせさせたまひける。 大臣は、心も知らでぞかしこまり喜びきこえさせたまふ。
 ご一周忌にも、誦経などを、特別おさせになる。何事も知らない顔の幼い子のご様子を御覧になるにつけても、何といってもやはり不憫でならないので、内中密かに、また志立てられて、黄金百両を別にお布施あそばすのであった。父大臣は、事情も知らないで恐縮してお礼を申し上げさせなさる。
 四十九日の法事の際にも御厚志の見える誦経ずきょうの寄付があった。何も知らぬ幼い人の顔を御覧になってはまた深い悲哀をお感じになって、そのほかにも法事の際に黄金百両をお贈りになった。理由を知らぬ大臣はたびたび感激してお礼を申し上げた。大将もいろいろな形式で従兄いとこであり、夫人の兄であり、親友であった大納言の法会を盛んにする志を見せ、一方ではこの際の御慰問として未亡人の一条の宮へも物を多くお贈りすることを忘れなかった。
  Ohom-hate ni mo, zyukyau nado, toriwaki se sase tamahu. Yorodu mo sira zu gaho ni ihakenaki mi-arisama wo mi tamahu ni mo, sasuga ni imiziku ahare nare ba, mi-kokoro no uti ni, mata kokorozasi tamau te, kogane hyaku-ryau wo nam beti ni se sase tamahi keru. Otodo ha, kokoro mo sira de zo kasikomari yorokobi kikoye sase tamahu.
1.1.3  大将の君も、ことども多くしたまひ、とりもちてねむごろに営みたまふ。 かの一条の宮をも、このほどの御心ざし深く訪らひきこえたまふ。兄弟の君たちよりもまさりたる御心のほどを、いとかくは思ひきこえざりきと、大臣、上も、喜びきこえたまふ。亡き後にも、世のおぼえ重くものしたまひけるほどの見ゆるに、いみじうあたらしうのみ、思し焦がるること、尽きせず。
 大将の君も、供養をたくさんなさり、ご自身も熱心に法要のお世話をなさる。あの一条宮に対しても、一周忌に当たってのお心遣いも深くお見舞い申し上げなさる。兄弟の君たちよりも優れたお気持ちのほどを、とてもこんなにまでとはお思い申さなかったと、大臣、母上もお喜び申し上げなさる。亡くなった後にも、世間の評判の高くていらっしゃったことが分かるので、ひどく残念がり、いつまでも恋い焦がれること、限りがない。
 兄弟以上の親切を故人のために尽くす大将を大臣も夫人も、これほどまでの志があるとは思わなかったと喜んでいた。故人の持っていた勢力が法事の際にはなやかに現われたことなどからも両親はまたき子を惜しんだ。
  Daisyau-no-Kimi mo, koto-domo ohoku si tamahi, torimoti te nemgoro ni itonami tamahu. Kano Itideu-no-Miya wo mo, kono hodo no mi-kokorozasi hukaku toburahi kikoye tamahu. Harakara no Kimi-tati yori mo masari taru mi-kokoro no hodo wo, ito kaku ha omohi kikoye zari ki to, Otodo, Uhe mo, yorokobi kikoye tamahu. Naki ato ni mo, yo no oboye omoku monosi tamahi keru hodo no miyuru ni, imiziu atarasiu nomi, obosi-kogaruru koto, tuki se zu.
注釈1故権大納言のはかなく亡せたまひにし悲しさを柏木は権大納言に昇進してまもなく死去。1.1.1
注釈2いかにぞやと、思し出づることはありながら『完訳』は「以下、源氏の愛憎半ばする気持」と注す。「いかにぞや」の下に引用の格助詞「と」が省略された形。1.1.1
注釈3御果てにも柏木の一周忌の法要。昨年の春二月に死去(花鳥余情)。1.1.2
注釈4よろづも知らず顔にいはけなき御ありさまを薫、数え年二歳。1.1.2
注釈5御心のうちにまた心ざしたまうて『集成』は「内心ひそかに、薫の分として別に追善供養を志されて」と注訳す。1.1.2
注釈6大臣は心も知らで致仕大臣は柏木の死亡の原因と薫の誕生の経緯を知らないで、の意。1.1.2
注釈7かの一条の宮をも柏木の未亡人落葉宮をさす。1.1.3
校訂1 いかにぞやと いかにぞやと--*いかにそや 1.1.1
校訂2 折々に 折々に--おり/\(/\/+に<朱>) 1.1.1
1.2
第二段 朱雀院、女三の宮へ山菜を贈る


1-2  Suzaku sends a letter and edible wild plants

1.2.1   山の帝は二の宮も、かく人笑はれなるやうにて眺めたまふなり、入道の宮も、この世の人めかしきかたは、 かけ離れたまひぬれば、さまざまに飽かず思さるれど、 すべてこの世を思し悩まじ、と忍びたまふ。御行なひのほどにも、「 同じ道をこそは勤めたまふらめ」など思しやりて、かかるさまになりたまて後は、はかなきことにつけても、絶えず聞こえたまふ。
 山の帝は、二の宮も、このように人に笑われるような境遇になって物思いに沈んでいらっしゃるといい、入道の宮も、現世の普通の人らしい幸せは、一切捨てておしまいになったので、どちらも物足りなくお思いなさるが、総じてこの世の事を悩むまい、と我慢なさる。御勤行をなさる時にも、「同じ道をお勤めになっているのだろう」などとお思いやりになって、このように尼になられてから後は、ちょっとしたことにつけても、絶えずお便りを差し上げなさる。
御寺みてらの院は女二にょにみやもまた不幸な御境遇におなりになったし、入道の宮も今日では人間としての幸福をよそにあそばすお身の上であるのを、御父として残念なお気持ちがあそばすのであるが、この世のことは問題にすまいとしいて忍んでおいでになった。仏勤めをあそばされる時にも、女三にょさんみやもこの修業をしているであろうと御想像あそばすのであって、宮が出家をされてからは、以前にも変わってちょっとしたことにも消息を書いておつかわしになった。
  Yama-no-Mikado ha, Ni-no-Miya mo, kaku hito-waraha re naru yau ni te nagame tamahu nari, Nihudau-no-Miya mo, kono yo no hito-mekasiki kata ha, kake-hanare tamahi nure ba, sama-zama ni akazu obosa rure do, subete konoyo wo obosi nayama zi, to sinobi tamahu. Ohom-okonahi no hodo ni mo, "Onazi miti wo koso ha tutome tamahu rame." nado obosi-yari te, kakaru sama ni nari tama' te noti ha, hakanaki koto ni tuke te mo, tayezu kikoye tamahu.
1.2.2  御寺のかたはら近き林に抜き出でたる筍、そのわたりの山に掘れる野老などの、山里につけてはあはれなれば、たてまつれたまふとて、御文こまやかなる端に、
 お寺近くの林に生え出した筍、その近辺の山で掘った山芋などが、山里の生活では風情があるものなので、差し上げようとなさって、お手紙を情愛こまやかにお書きになった端に、
 御寺に近い林から抜いた竹の子と、その辺の山で掘られた自然薯じねんじょが、新鮮な山里らしい感じを出しているのを快く思召おぼしめ<されて、宮へお贈りになるのであったが、いろいろなことをお書きになったあとへ、
  Mi-tera no katahara tikaki hayasi ni nuki-ide taru takauna, sono watari no yama ni hore ru tokoro nado no, yamazato ni tuke te ha ahare nare ba, tatemature tamahu tote, ohom-humi komayaka naru hasi ni,
1.2.3  「 春の野山、霞もたどたどしけれど、 心ざし深く堀り出でさせてはべる しるしばかりになむ
 「春の野山は、霞がかかってはっきりしませんが、深い心をこめて掘り出させたものでございます。
 春の野山はかすみに妨げられてあいまいな色をしていますが、その中であなたへと思ってこれを掘り出させました。少しばかりです。
  "Haru no noyama, kasumi mo tado-tadosikere do, kokorozasi hukaku hori-ide sase te haberu sirusi bakari ni nam.
1.2.4    世を別れ入りなむ道はおくるとも
  この世を捨ててお入りになった道はわたしより遅くとも
  世を別れ入りなん道はおくるとも
    Yo wo wakare iri na m miti ha okuru to mo
1.2.5   同じところを君も尋ねよ
  同じ極楽浄土をあなたも求めて来て下さい
  同じところを君も尋ねよ
    onazi tokoro wo Kimi mo tadune yo
1.2.6   いと難きわざになむある
 とても難しい事ですよ」
 それを成就させるためには、より多く仏の御弟子みでしとして努めなければならないでしょう。
  Ito kataki waza ni nam aru."
1.2.7  と聞こえたまへるを、涙ぐみて見たまふほどに、大殿の君渡りたまへり。例ならず、御前近き 櫑子どもを、「 なぞ、あやし」と御覧ずるに、院の御文なりけり。見たまへば、いとあはれなり。
 とお便り申し上げなさったのを、涙ぐんで御覧になっているところに、大殿の君がお越しになった。いつもと違って、御前近くに櫑子がいくつもあるので、「何だろう、おかしいな」と御覧になると、院からのお手紙なのであった。御覧になると、とても胸の詰まる思いがする。
  法皇のお手紙を涙ぐみながら宮が読んでおいでになる所へ院がおいでになった。宮が平生に違って寂しそうに手紙を読んでおいでになり、漆器の広蓋ひろぶたなどが置かれてあるのを、院はお心に不思議に思召されたが、それは御寺から送っておつかわしになったものだった。御黙読になって院も身にんでお思われになるお手紙であった。
  to kikoye tamahe ru wo, namida-gumi te mi tamahu hodo ni, Otodo-no-Kimi watari tamahe ri. Rei nara zu, o-mahe tikaki raisi-domo wo, "Nazo, ayasi?" to go-ran-zuru ni, Win no ohom-humi nari keri. Mi tamahe ba, ito ahare nari.
1.2.8  「 今日か、明日かの心地するを、対面の心にかなはぬこと
 「わが命も今日か、明日かの心地がするのに、思うままにお会いすることができないのが辛いことです」
 もう今日か明日かのように老衰をしていながら、逢うことが困難なのを飽き足らず思う
  "Kehu ka, asu ka no kokoti suru wo, taimen no kokoro ni kanaha nu koto."
1.2.9  など、こまやかに書かせたまへり。この「同じところ」の御ともなひを、ことにをかしき節もなき。聖言葉なれど、「 げに、さぞ思すらむかし我さへおろかなるさまに見えたてまつりて、いとどうしろめたき御思ひの添ふべかめるを、 いといとほし」と思す。
 などと、情愛こまやかにお書きあそばしていらっしゃった。この「同じ極楽浄土」へ御一緒にとのお歌を、特別に趣があるものではない、僧侶らしい言葉遣いであるが、「いかにも、そのようにお思いのことだろう。自分までが疎略にお世話しているというふうをお目に入れ申して、ますます御心配あそばされることになろうことを、おいたわしい」とお思いになる。
 というような章もある。この同じ所へ来るようにとのお言葉は何でもない僧もよく言うことであるが、この作者は御実感そのままであろうとお思いになると、法皇はそのとおりに思召すであろう、寄託を受けた自分が不誠実者になったことでもお気づかわしさが倍加されておいでになるであろうのがおいたわしいと院はお思いになった。
  nado, komayaka ni kaka se tamahe ri. Kono "Onazi tokoro" no ohom-tomonahi wo, koto ni wokasiki husi mo naki. Hiziri-kotoba nare do, "Geni, sa zo obosu ram kasi. Ware sahe oroka naru sama ni miye tatematuri te, itodo usirometaki ohom-omohi no sohu beka' meru wo, ito itohosi." to obosu.
1.2.10   御返りつつましげに書きたまひて、御使には、青鈍の綾 一襲賜ふ。書き変へたまへりける紙の、御几帳の側よりほの見ゆるを、取りて見たまへば、御手はいとはかなげにて、
 お返事は恥ずかしげにお書きになって、お使いの者には、青鈍の綾を一襲をお与えなさる。書き変えなさった紙が、御几帳の端からちらっと見えるのを、取って御覧になると、ご筆跡はとても頼りない感じで、
 宮はつつましやかにお返事をお書きになって、お使いへは青鈍あおにび色のあや一襲ひとかさねをお贈りになった。宮がお書きつぶしになった紙の几帳きちょうのそばから見えるのを、手に取って御覧になると、力のない字で、
  Ohon-kaheri tutumasige ni kaki tamahi te, ohom-tukahi ni ha, awo-nibi no aya hito-kasane tamahu. Kaki-kahe tamahe ri keru kami no, mi-kityau no soba yori hono miyuru wo, tori te mi tamahe ba, ohom-te ha ito hakanage ni te,
1.2.11  「 憂き世にはあらぬところのゆかしくて
 「こんな辛い世の中とは違う所に住みたくて
  うき世にはあらぬところのゆかしくて
    "Ukiyo ni ha ara nu tokoro no yukasiku te
1.2.12   背く山路に思ひこそ入れ
  わたしも父上と同じ山寺に入りとうございます
  そむく山路に思ひこそ入れ
    somuku yamadi ni omohi koso ire
1.2.13  「 うしろめたげなる御けしきなるに、 このあらぬ所求めたまへるいとうたて、心憂し
 「ご心配なさっているご様子なのに、ここと違う住み処を求めていらっしゃる、まことに嫌な、辛いことです」
 とある。「あなたを御心配していらっしゃる所へ、あらぬ山路へはいりたいようなことを言っておあげになっては悪いではありませんか」
  "Usirometage naru mi-kesiki naru ni, kono ara nu tokoro motome tamahe ru, ito utate, kokoro-usi."
1.2.14  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 こう院はお言いになるのであった。
  to kikoye tamahu.
1.2.15   今は、まほにも見えたてまつりたまはず、いとうつくしうらうたげなる御額髪、面つきのをかしさ、ただ稚児のやうに見えたまひて、いみじうらうたきを見たてまつりたまふにつけては、「 など、かうはなりにしことぞ」と、 罪得ぬべく思さるれば、御几帳ばかり隔てて、またいとこよなう気遠く、疎々しうはあらぬほどに、もてなしきこえてぞおはしける。
 今では、まともにお顔をお合わせ申されず、とても美しくかわいらしいお額髪、お顔の美しさ、まるで子供のようにお見えになって、たいそういじらしいのを拝見なさるにつけては、「どうして、このようになってしまったことか」と、罪悪感をお感じになるので、御几帳だけを隔てて、また一方でたいそう隔たった感じで、他人行儀にならない程度に、お扱い申し上げていらっしゃるのだった。
 出家後は前にいても顔をなるべく見られぬようにと宮はしておいでになった。美しい額の髪、きれいな顔つきも、全く子供のように見えて非常に可憐かれんなのを御覧になると、なぜこんなふうにさせてしまったかと後悔の念のつくられることで、罪に一歩ずつ近づく気があそばされるので、几帳だけを中の隔てには立てて、しかもうといふうには見せぬように院はしておいでになるのである。
  Ima ha, maho ni mo miye tatematuri tamaha zu, ito utukusiu rautage naru ohom-hitahi-gami, turatuki no wokasisa, tada tigo no yau ni miye tamahi te, imiziu rautaki wo mi tatematuri tamahu ni tuke te ha, "Nado, kau ha nari ni si koto zo?" to, tumi e nu beku obosa rure ba, mi-kityau bakari hedate te, mata ito koyonau ke-dohoku, uto-utosiu ha ara nu hodo ni, motenasi kikoye te zo ohasi keru.
注釈8山の帝は朱雀院。西山に住む。1.2.1
注釈9二の宮もかく人笑はれなるやうにて眺めたまふなり連用中止形。「入道の宮も」と並立の構文をつくる。『集成』は「以下、朱雀院の心中の思い」。『完訳』は「臣下に降嫁したあげく未亡人となったので世間の物笑いだとする。母の御息所と同様、内親王の誇りを傷つけられた思い。被害者意識が強い」と注す。1.2.1
注釈10かけ離れたまひぬればさまざまに心中文が地の文に融合。1.2.1
注釈11すべてこの世を思し悩まじ朱雀院の心中を間接話法で語る。「悩まじ」の主語は朱雀院だが、「思し」という語り手の敬語が混入する。1.2.1
注釈12同じ道をこそは勤めたまふらめ朱雀院の心中。「らめ」推量の助動詞、視界外推量の意。はるか西山から京の女三の宮を思いやっているニュアンス。1.2.1
注釈13春の野山霞も以下「いと難きわざになむある」まで、朱雀院から女三の宮への手紙。1.2.3
注釈14心ざし深く堀り出でさせてはべる『集成』は「そなたに差し上げようと心をこめて深い土の中から掘り出させましたものを」。『完訳』は「あなたをお慰めしたく深い思いから掘り出させましたもの」と訳す。「深く」は「志深く」と「(地中)深く掘り出させ」の掛詞的表現。「させ」使役の助動詞。「て」完了の助動詞。人をして掘り出させた、の意。1.2.3
注釈15しるしばかりになむ「なむ」係助詞の下に「はべる」などの語句が省略。1.2.3
注釈16世を別れ入りなむ道はおくるとも同じところを君も尋ねよ「野老(ところ)」を詠み込み、「野老」に「所」を懸ける。1.2.4
注釈17いと難きわざになむある歌に添えた言葉。極楽往生は難しいことをいう。1.2.6
注釈18櫑子ども櫑子、『和名抄』は酒器、『河海抄』は高坏の形をした菓子などを入れる器と注す。1.2.7
注釈19なぞあやし源氏の心中。1.2.7
注釈20今日か明日かの心地するを対面の心にかなはぬこと朱雀院の手紙の一節。1.2.8
注釈21げにさぞ思すらむかし以下「いといとほし」まで、源氏の心中。1.2.9
注釈22我さへおろかなるさまに見えたてまつりて「疎かなるさま」は、女三の宮を出家させたことをさす。「見えたてまつりて」は朱雀院のお目に入れて、の意。1.2.9
注釈23いといとほし朱雀院に対する憐愍の情。1.2.9
注釈24御返りつつましげに書きたまひて『完訳』は「恥ずかしげに。源氏への遠慮」と注す。1.2.10
注釈25憂き世にはあらぬところのゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ女三の宮の返歌。「野老」を受けてそのまま、「世」は「憂き世」、「道」は「山路」と言い換えて返す。「ところ」は「野老」と「所」の掛詞。1.2.11
注釈26うしろめたげなる御けしき以下「心憂し」まで、源氏の詞。「うしろめたげなる御けしき」の主語は朱雀院。1.2.13
注釈27このあらぬ所求めたまへる『完訳』は「この返歌は、六条院での世話を思う自分(源氏)の気持に背くとする。朱雀院への面目が立たない」と注す。1.2.13
注釈28いとうたて心憂し『集成』は「本当につらく情けないことです。六条の院の生活を厭うとはひどい、と恨む」と注す。1.2.13
注釈29今はまほにも見えたてまつりたまはず出家後の女三の宮は源氏とは几帳越しに対面する生活となっている。1.2.15
注釈30などかうはなりにしことぞ源氏の心中。『集成』は「なぜ尼になってしまったのか、と悔やむ気持」と注す。1.2.15
注釈31罪得ぬべく思さるれば『完訳』は「宮が出家に追い込まれたのは、わが至らなさかと罪悪感を抱く」と注す。1.2.15
校訂3 一襲 一襲--(/+一)かさね 1.2.10
1.3
第三段 若君、竹の子を噛る


1-3  Kaoru bites a bamboo shoot

1.3.1   若君は、乳母のもとに寝たまへりける、起きて這ひ出でたまひて、 御袖を引きまつはれたてまつりたまふさま、いとうつくし。
 若君は、乳母のもとでお寝みになっていたが、起きて這い出しなさって、お袖を引っ張りまとわりついていらっしゃる様子、とてもかわいらしい。
 若君は乳母めのとの所で寝ていたのであるが、目をさましてい寄って来て、院のおそでにまつわりつくのが非常にかわいく見られた。
  Waka-Gimi ha, Menoto no moto ni ne tamahe ri keru, oki te hahi-ide tamahi te, ohom-sode wo hiki-matuha re tatematuri tamahu sama, ito utukusi.
1.3.2  白き羅に、唐の小紋の紅梅の御衣の裾、いと長くしどけなげに引きやられて、御身はいとあらはにて、うしろの限りに着なしたまへるさまは、 例のことなれど、いとらうたげに白くそびやかに、柳を削りて作りたらむやうなり。
 白い羅に、唐の小紋の紅梅のお召し物の裾、とても長くだらしなく引きずられて、お身体がすっかりあらわに見えて、後ろの方だけが着ていらっしゃる恰好は、幼児の常であるが、とてもかわいらしく色白ですんなりとして、柳の木を削って作ったようである。
 白いうすもの支那しなの小模様のある紅梅色の上着を長く引きずって、子供の身体からだ自身は着物と離れ離れにして背中から後ろのほうへ寄っているようなことは小さい子の常であるが、可憐で色が白くて、身丈みたけがすんなりとして柳の木を削って作ったような若君である。
  Siroki usumono ni, Kara no ko-mon no koubai no ohom-zo no suso, ito nagaku sidokenage ni hiki-yara re te, ohom-mi ha ito araha ni te, usiro no kagiri ni ki-nasi tamahe ru sama ha, rei no koto nare do, ito rautage ni siroku sobiyaka ni, yanagi wo keduri te tukuri tara m yau nari.
1.3.3  頭は露草してことさらに色どりたらむ心地して、口つきうつくしうにほひ、まみのびらかに、恥づかしう薫りたるなどは、なほいとよく思ひ出でらるれど、
 頭は露草で特別に染めたような感じがして、口もとはかわいらしく艶々として、目もとがおっとりと、気がひけるほど美しいのなどは、やはりとてもよく思い出さずにはいられないが、
 頭は露草のしるで染めたように青いのである。口もとが美しくて、上品なまゆがほのかに長いところなどは衛門督えもんのかみによく似ているが、
  Kasira ha tuyu-kusa si te kotosara ni irodori tara m kokoti si te, kutituki utukusiu nihohi, mami nobiraka ni, hadukasiu kawori taru nado ha, naho ito yoku omohi-ide rarure do,
1.3.4  「 かれは、いとかやうに際離れたるきよらはなかりしものを、いかでかからむ。宮にも似たてまつらず、今より気高くものものしう、さま異に見えたまへるけしきなどは、わが御鏡の影にも 似げなからず」見なされたまふ
 「あの人は、とてもこのようにきわだった美しさはなかったが、どうしてこんなに美しいのだろう。母宮にもお似申さず、今から気品があり立派で、格別にお見えになる様子などは、自分が鏡に映った姿にも似てはいないこともないな」というお気持ちになる。
 彼はこれほどまでにすぐれた美貌びぼうではなかったのに、どうしてこんなのであろう、宮にも似ていない、すでに気高けだか風采ふうさいの備わっている点を言えば、鏡に写る自分の子らしくも見られるのであるとお思いになって、院は若君をながめておいでになるのであった。
  "Kare ha, ito kayau ni kiha hanare taru kiyora ha nakari si mono wo, ikade kakara m? Miya ni mo ni tatematura zu, ima yori kedakaku mono-monosiu, sama koto ni miye tamahe ru kesiki nado ha, waga ohom-kagami no kage ni mo nigenakara zu." mi-nasa re tamahu.
1.3.5   わづかに歩みなどしたまふほどなり。この筍の櫑子に、何とも知らず立ち寄りて、いとあわたたしう取り散らして、食ひかなぐりなどしたまへば、
 やっとよちよち歩きをなさる程である。この筍が櫑子に、何であるのか分からず近寄って来て、やたらにとり散らかして、食いかじったりなどなさるので、
 立っても二足三足踏み出すほどになっているのである。この竹の子の置かれた広蓋ひろぶたのそばへ、何であるともわからぬままで若君は近づいて行き、忙しく手でき散らして、その一つには口をあてて見て投げ出したりするのを、院は見ておいでになって、
  Waduka ni ayumi nado si tamahu hodo nari. Kono takauna no raisi ni, nani to mo sira zu tatiyori te, ito awatatasiu tori-tirasi te, kuhi kanaguri nado si tamahe ba,
1.3.6  「 あな、らうがはしや。いと 不便なり。かれ取り隠せ。食ひ物に目とどめたまふと、もの言ひさがなき女房もこそ言ひなせ」
 「まあ、お行儀の悪い。いけません。あれを片づけなさい。食べ物に目がなくていらっしゃると、口の悪い女房が言うといけない」
 「行儀が悪いね。いけない。あれをどちらへか隠させるといい。食い物に目をつけると言って、口の悪い女房は黙っていませんよ」
  "Ana, raugahasi ya! Ito hu-bin nari. Kare tori-kakuse. Kuhi-mono ni me todome tamahu to, mono-ihi saganaki nyoubau mo koso ihi-nase."
1.3.7  とて、笑ひたまふ。かき抱きたまひて、
 と言って、お笑いになる。お抱き寄せになって、
 とお笑いになる。若君を御自身のひざへお抱き取りになって、
  tote, warahi tamahu. Kaki-idaki tamahi te,
1.3.8  「 この君のまみの いとけしきあるかな。小さきほどの稚児を、あまた見ねばにやあらむ、かばかりのほどは、ただいはけなきものとのみ見しを、 今よりいとけはひ異なるこそ、わづらはしけれ女宮ものしたまふめるあたりに、かかる人生ひ出でて、心苦しきこと、誰がためにもありなむかし
 「若君の目もとは普通と違うな。小さい時の子を、多く見ていないからだろうか、これくらいの時は、ただあどけないものとばかり思っていたが、今からとても格別すぐれているのが、厄介なことだ。女宮がいらっしゃるようなところに、このような人が生まれて来て、厄介なことが、どちらにとっても起こるだろうな。
 「この子のまゆがすばらしい。小さい子を私はたくさん見ないせいか、これくらいの時はただ赤ん坊らしい顔しかしていないものだと思っていたのだが、この子はすでに美しい貴公子の相があるのは危険なこととも思われる。内親王もいらっしゃる家の中でこんな人が大きくなっていっては、どちらにも心の苦労をさせなければならぬ日が必ず来るだろう。
  "Kono Kimi no mami no ito kesiki aru kana! Tihisaki hodo no tigo wo, amata mi ne ba ni ya ara m, kabakari no hodo ha, tada ihakenaki mono to nomi mi si wo, ima yori ito kehahi koto naru koso, wadurahasikere. Womna-Miya monosi tamahu meru atari ni, kakaru hito ohi-ide te, kokoro-gurusiki koto, taga tame ni mo ari na m kasi.
1.3.9  あはれ、そのおのおのの生ひゆく末までは、 見果てむとすらむやは 花の盛りは、ありなめど
 ああ、この人たちが育って行く先までは、見届けることができようか。花の盛りにめぐり逢うことは、寿命あってのことだ」
 しかし皆のその遠い将来は私の見ることのできないものなのだ。『花の盛りはありなめど』(逢ひ見んことは命なりけり)だね」
  Ahare, sono ono-ono no ohi-yuku suwe made ha, mi-hate m to su ram yaha! Hana no sakari ha, ari na me do."
1.3.10   、うちまもりきこえたまふ。
 と言って、じっとお見つめ申していらっしゃる。
 こうお言いになって若君の顔を見守っておいでになった。
  to, uti-mamori kikoye tamahu.
1.3.11  「 うたて、ゆゆしき御ことにも
 「何とまあ、縁起でもないお言葉を」
 「縁起のよろしくございませんことを、まあ」
  "Utate, yuyusiki ohom-koto ni mo."
1.3.12  と、人びとは聞こゆ。
 と、女房たちは申し上げる。
 と女房たちは言っていた。
  to, hito-bito ha kikoyu.
1.3.13  御歯の生ひ出づるに食ひ当てむとて、筍をつと握り待ちて、雫もよよと食ひ濡らしたまへば、
 歯の生えかけたところに噛み当てようとして、筍をしっかりと握り持って、よだれをたらたらと垂らしてお齧りになっているので、
 若君は歯茎から出始めてむずがゆい気のする歯で物がみたいころで、竹の子をかかえ込んでしずくをたらしながらどこもかもみ試みている。
  Ohom-ha no ohi-iduru ni kuhi-ate m tote, takauna wo tuto nigiri moti te, siduku mo yoyo to kuhi nurasi tamahe ba,
1.3.14  「 いとねぢけたる色好みかな」とて、
 「変わった色好みだな」とおっしゃって、
 「変わった風流男だね」と院は冗談じょうだんをお言いになって、竹の子を離させておしまいになり、
  "Ito nedike taru iro-gonomi kana!" tote,
1.3.15  「 憂き節も忘れずながら呉竹の
 「いやなことは忘れられないがこの子は
  きふしも忘れずながらくれ竹の
    "Uki husi mo wasure zu nagara kuretake no
1.3.16   こは捨て難きものにぞありける
  かわいくて捨て難く思われることだ
  子は捨てがたき物にぞありける
    ko ha sute gataki mono ni zo ari keru
1.3.17  と、率て放ちて、のたまひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらず、いとそそかしう、這ひ下り騷ぎたまふ。
 と、引き離して連れて来て、お話しかけになるが、にこにことしていて、何とも分からず、とてもそそくさと、這い下りて動き回っていらっしゃる。
 こんなことをお言いかけになるが、若君は笑っているだけで何のことであるとも知らない。そそくさと院のおひざをおりてほかへって行く。
  to, wi te hanati te, notamahi-kakure do, uti-warahi te, nani to mo omohi tara zu, ito sosokasiu, hahi-ori sawagi tamahu.
1.3.18  月日に添へて、この君のうつくしうゆゆしきまで生ひまさりたまふに、まことに、 この憂き節、皆思し忘れぬべし
 月日が経つにつれて、この君がかわいらしく不吉なまでに美しく成長なさっていくので、本当に、あの嫌なことが、すべて忘れられてしまいそうである。
 月日に添って顔のかわいくなっていくこの人に院は愛をお感じになって、過去の不祥事など忘れておしまいになりそうである。
  Tukihi ni sohe te, kono Kimi no utukusiu yuyusiki made ohi masari tamahu ni, makoto ni, kono uki husi, mina obosi wasure nu besi.
1.3.19  「 この人の出でものしたまふべき契りにて、さる思ひの外の事もあるにこそはありけめ。逃れ難かなるわざぞかし
 「この人がお生まれになるためのご縁で、あの思いがけない事件も起こったのだろう。逃れられない宿命だったのだ」
 この愛すべき子を自分が得る因縁の過程として意外なことも起こったのであろう。すべて前生の約束事なのであろうと思召おぼしめされる
  "Kono Hito no ide monosi tamahu beki tigiri ni te, saru omohi no hoka no koto mo aru ni koso ha ari keme. Nogare gataka' naru waza zo kasi."
1.3.20  と、すこしは思し直さる。 みづからの御宿世も、なほ飽かぬこと多かり
 と、少しはお考えが改まる。ご自身の運命にもやはり不満のところが多かった。
 ことに少しの慰めが見いだされた。自分の宿命というものも必ずしも完全なものではなかった。
  to, sukosi ha obosi-nahosa ru. Midukara no ohom-sukuse mo, naho akanu koto ohokari.
1.3.21  「 あまた集へたまへる中にも、この宮こそは、かたほなる思ひまじらず、人の御ありさまも、思ふに飽かぬところなくてものしたまふべきを、かく思はざりしさまにて見たてまつること」
 「大勢集っていらっしゃるご夫人方の中でも、この宮だけは、不足に思うところもなく、宮ご自身のご様子も、物足りないと思うところもなくていらっしゃるはずなのに、このように思いもかけない尼姿で拝見するとは」
 幾人かの妻妾さいしょうの中でも最も尊貴で、好配偶者たるべき人はすでに尼になっておいでになるではないか
  "Amata tudohe tamahe ru naka ni mo, kono Miya koso ha, kataho naru omohi mazira zu, hito no mi-arisama mo, omohu ni akanu tokoro naku te monosi tamahu beki wo, kaku omoha zari si sama ni te mi tatematuru koto."
1.3.22  と思すにつけてなむ、 過ぎにし罪許し難く、なほ口惜しかりける
 とお思いになるにつけて、過去の二人の過ちを許し難く、今も無念に思われるのであった。
 とお思いになると、今もなお誘惑にたやすく負けておしまいになった宮がお恨めしかった。
  to obosu ni tuke te nam, sugi ni si tumi yurusi gataku, naho kutiwosikari keru.
注釈32若君は薫。1.3.1
注釈33御袖を引きまつはれたてまつりたまふさま「御袖」は源氏の袖をさす。1.3.1
注釈34例のことなれど『集成』は「幼児の常ではあるが」と訳す。1.3.2
注釈35かれはいとかやうに以下「似げなからず」まで、源氏の心中。『完訳』は「以下、「にげなからず」まで、源氏の心中。直接話法による」と注す。1.3.4
注釈36似げなからず見なされたまふ引用の格助詞「と」がなく、心中文が地の文に流れる形。1.3.4
注釈37わづかに歩みなどしたまふほどなり薫、この時満一歳一か月。1.3.5
注釈38あならうがはしや以下「女房もこそ言ひなせ」まで、源氏の詞。1.3.6
注釈39この君のまみの以下「花の盛りはありなめど」まで、源氏の詞。1.3.8
注釈40いとけしきあるかな『集成』は「なんと非凡なことよ」と訳す。『完訳』は「以下、源氏は薫の美しさを逆説的に賞賛。心中には密通事件を回顧しつつ、この子の将来を懸念」と注す。1.3.8
注釈41今よりいとけはひ異なるこそわづらはしけれ『完訳』は「異様なまでもの美しさが厄介」と注す。1.3.8
注釈42女宮ものしたまふめるあたりにかかる人生ひ出でて心苦しきこと誰がためにもありなむかし「女宮」は明石女御腹の女一の宮をさし、「誰がため」は女一の宮と薫をさす。紫の上の養女となって六条院に住んでいる。『集成』は「冗談ながら、暗に柏木のような恋愛事件を起すのではないか、という含みがある」と注す。1.3.8
注釈43見果てむとすらむやは「やは」反語表現。1.3.9
注釈44花の盛りはありなめど「春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり」(古今集春下、九七、読人しらず)。1.3.9
注釈45うたてゆゆしき御ことにも女房たちの詞。1.3.11
注釈46いとねぢけたる色好みかな源氏の詞。『新大系』は「えらく曲がりくねった物好きであるよな。色好みは色好みでも、食べ物好みとはねじけている、との冗談」と注す。1.3.14
注釈47憂き節も忘れずながら呉竹のこは捨て難きものにぞありける源氏の独詠歌。「憂き節」は女三の宮と柏木の密通事件をさす。「こは」は「これは」の意と「子は」の掛詞。「節」と「竹」は縁語。「今さらに何生ひ出づらむ竹の子の憂き節しげき世とは知らずや」(古今集雑下、九五七、凡河内躬恒)。1.3.15
注釈48この憂き節、皆思し忘れぬべし『細流抄』は「草子地也」と指摘。1.3.18
注釈49この人の出でものしたまふべき契りにて、さる思ひの外の事もあるにこそはありけめ。逃れ難かなるわざぞかし源氏の心中。『集成』は「こんな立派な子が生まれていらっしゃる因縁があって、あのような慮外な出来事(密通事件)もあったのだろう」。『完訳』は「薫を出生させる密通の宿世と捉え直すと、咎めだてもできない」と注す。1.3.19
注釈50みづからの御宿世も、なほ飽かぬこと多かり『完訳』は「宿世といえば、自分の宿世もまた、として憂愁の人生を顧みる。若菜上の述懐とも照応」と注す。1.3.20
注釈51あまた集へたまへる中にも以下「見たてまつること」まで、源氏の心中。1.3.21
注釈52過ぎにし罪許し難くなほ口惜しかりける『完訳』は「密通の罪。前の「すこしは思し直さる」から反転、無念に思う」と注す。1.3.22
出典1 花の盛りは、ありなめど 春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり 古今集春下-九七 読人しらず 1.3.9
出典2 憂き節も忘れず 今さらに何生ひ出づらむ竹の子の憂き節しげき世とは知らずや 古今集雑下-九五七 凡河内躬恒 1.3.15
校訂4 不便 不便--ふむ(む/$<朱>)ひん 1.3.6
校訂5 誰が 誰が--たる(る/$か<朱>) 1.3.8
校訂6 と--*ナシ 1.3.10
Last updated 9/4/2003
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 1/18/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 1/18/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年10月4日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

Last updated 10/4/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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