35 若菜下(明融臨模本)


WAKANA-NO-GE


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

9
第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見


9  Tale of Omna-Sam-no-Miya  A pregnancy and being found out of adultery

9.1
第一段 女三の宮懐妊す


9-1  Omna-Sam-no-Miya pregnants with Kashiwagi's baby

9.1.1  姫宮は、あやしかりしことを思し嘆きしより、やがて例のさまにもおはせず、悩ましくしたまへど、おどろおどろしくはあらず、 立ちぬる月より、物きこし召さで、いたく青みそこなはれたまふ。
 姫宮は、わけの分からなかった出来事をお嘆きになって以来、そのまま普通のお具合ではいらっしゃらず、苦しそうにしておいでであったが、そうひどい状態でもなく、先月から、食べ物をお召し上がりにならず、ひどく蒼ざめてやつれていらっしゃる。
 姫宮はあの事件があってから煩悶はんもんを続けておいでになるうちに、お身体からだが常態でなくなって行った。御病気のようにお見えになるが、それほどたいしたことではないのである。六月になってからはお食慾しょくよくが減退してお顔色も悪くおやつれが見えるようになった。
  Hime-Miya ha, ayasikari si koto wo obosi-nageki si yori, yagate rei no sama ni mo ohase zu, nayamasiku si tamahe do, odoro-odorosiku ha ara zu, tati nuru tuki yori, mono kikosimesa de, itaku awomi sokonaha re tamahu.
9.1.2   かの人は、わりなく思ひあまる時々は、 夢のやうに見たてまつりけれど、宮、尽きせずわりなきことに思したり。 院をいみじく懼ぢきこえたまへる御心にありさまも人のほども、等しくだにやはある、いたくよしめきなまめきたれば、おほかたの人目にこそ、なべての人には優りてめでらるれ、幼くより、さるたぐひなき御ありさまに馴らひたまへる御心には、めざましくのみ見たまふほどに、かく悩みわたりたまふは、 あはれなる御宿世にぞありける
 あの人は、無性に我慢ができない時々には、夢のようにお逢い申し上げたが、宮は、どこまでも無体なことだとお思いになっていた。院をひどくお恐がり申されるお気持ちから、態度も人品も、同等に見られようか、たいそう風流っぽく優美にしているので、一般の目には、普通の人以上に誉められるが、幼い時から、そのように類例のないご様子の方に馴れ親しんでいらっしゃるお心にとっては、心外な者とばかり見ていらっしゃるうちに、このようにずっとお悩みになることは、気の毒なご運命であった。
 衛門督は思いあまる時々に夢のように忍んで来た。宮のお心には今も愛情が生じているのではおありにならないのである。罪をお恐れになるばかりでなく、風采ふうさいも地位もそれはこれに匹敵する価値のない人であることはむろんであったし、気どって風流男がる表面を見て、一般人からは好もしい美男という評判は受けていても、少女時代から光源氏を良人おっとに与えられておいでになった宮が、比較して御覧になっては、それほど価値に思われる顔でもないのであるから、無礼者であるという御意識以外の何ものもない相手のために、妊娠をあそばされたというのはお気の毒な宿命である。
  Kano hito ha, warinaku omohi amaru toki-doki ha, yume no yau ni mi tatematuri kere do, Miya, tukise zu warinaki koto ni obosi tari. Win wo imiziku odi kikoye tamahe ru mi-kokoro ni, arisama mo hito no hodo mo, hitosiku dani yaha aru, itaku yosimeki namemeki tare ba, ohokata no hitome ni koso, nabete no hito ni ha masari te mede rarure, wosanaku yori, saru taguhi naki mi-arisama ni narahi tamahe ru mi-kokoro ni ha, mezamasiku nomi mi tamahu hodo ni, kaku nayami watari tamahu ha, ahare naru ohom-sukuse ni zo ari keru.
9.1.3  御乳母たち 見たてまつりとがめて、院の渡らせたまふこともいとたまさかになるを、つぶやき恨みたてまつる。
 御乳母たちは懐妊の様子に気がついて、院がお越しになることも実にたまにでしかないのを、ぶつぶつお恨み申し上げる。
 気のついた乳母めのとたちは、「たまにしかおいでにならないで、そしてまたこんなふうに重荷を宮様へお負わせになる」と院をお恨みしていた。
  Ohom-menoto-tati mi tatematuri togame te, Win no watara se tamahu koto mo ito tamasaka ni naru wo, tubuyaki urami tatematuru.
9.1.4   かく悩みたまふと聞こし召してぞ渡りたまふ。 女君は、暑くむつかしとて、御髪澄まして、すこしさはやかにもてなしたまへり。臥しながらうちやりたまへりしかば、とみにも乾かねど、つゆばかりうちふくみ、まよふ筋もなくて、いときよらにゆらゆらとして、青み衰へたまへるしも、 色は真青に白くうつくしげに、透きたるやうに見ゆる御肌つきなど、世になくらうたげなり。もぬけたる虫の殻などのやうに、まだいとただよはしげにおはす。
 このようにお苦しみでいらっしゃるとお聞きになってお出かけになる。女君は、暑く苦しいと言って、御髪を洗って、少しさわやかにしていらっしゃった。横になりながら髪を投げ出していらっしゃったので、すぐには乾かないが、少しもふくらんだり、乱れたりした毛もなくて、実に清らかにゆらゆらとたっぷりあって、蒼く痩せていらっしゃるのが、かえって青白くかわいらしげに見え、透き透ったように見えるお肌つきなどは、又とないほど可憐な感じである。脱皮した虫の脱殻かのように、まだとても頼りない感じでいらっしゃる。
 やすんでおいでになることをお知りになって、院はたずねようとあそばされた。夫人は暑い時分を清くしていたいと思い、髪を洗ってやや爽快そうかいなふうになっていた。そしてそのまままた横になっていたのであるから、早くかわかず、まだぬれている髪は少しのもつれもなく清らかにゆらゆらと、病む麗人に添っていた。青みを帯びた白い顔は美しくてすきとおるような皮膚つきである。虫のもぬけのようにたよりない。
  Kaku nayami tamahu to kikosimesi te zo watari tamahu. Womna-Gimi ha, atuku mutukasi tote, mi-gusi sumasi te, sukosi sahayaka ni motenasi tamahe ri. Husi nagara uti-yari tamahe ri sika ba, tomi ni mo kahaka ne do, tuyu bakari uti-hukumi, mayohu sudi mo naku te, ito kiyora ni yura-yura to si te, awomi otorohe tamahe ru simo, iro ha sa-wo ni siroku utukusige ni, suki taru yau ni miyuru ohom-hadatuki nado, yo ni naku rautage nari. Monuke taru musi no kara nado no yau ni, mada ito tadayohasige ni ohasu.
9.1.5  年ごろ住みたまはで、すこし荒れたりつる院の内、たとしへなく狭げにさへ見ゆ。昨日今日かくものおぼえたまふ隙にて、心ことにつくろはれたる遣水、前栽の、 うちつけに心地よげなるを見出だしたまひても、あはれに、今まで経にけるを思ほす。
 長年お住みにならなかったので、多少荒れていた院の内、喩えようもないくらい手狭な感じにさえ見える。昨日今日とこのように意識のおありの時に、特別に手入れをさせた遣水、前栽が、急にさわやかに感じられるのを御覧になっても、しみじみと、今まで過ごしてきたことをお思いになる。
 しかも長く捨てて置かれた二条の院は女王にょおうの美の輝きで狭げにさえ見えた。昨日今日になって人ごこちが夫人に帰ってきたことによって院内が活気づいてにわかに流れも木草も繕われだした。そうした庭をながめても、それが夏の終わりの景色けしきであるのに病臥びょうがしていた間の月日の長さが思われた。
  Tosi-goro sumi tamaha de, sukosi are tari turu Win no uti, tatosihenaku semage ni sahe miyu. Kinohu kehu kaku mono oboye tamahu hima ni te, kokoro koto ni tukuroha re taru yarimidu, sensai no, utituke ni kokoti yoge naru wo mi-idasi tamahi te mo, ahare ni, ima made he ni keru wo omohosu.
注釈663立ちぬる月より物きこし召さで『集成』は「月が改まってこのかた」「柏木に逢ったのは四月であるから五月になってから」と注す。悪阻の症状が現れる。9.1.1
注釈664かの人は柏木をさす。9.1.2
注釈665夢のやうに見たてまつりけれど『完訳』は「夢路を通うような思いで宮にお逢い申していたのであったが」「密会は一度ならず繰り返された」と注す。9.1.2
注釈666院をいみじく懼ぢきこえたまへる御心に主語は女三の宮。「院」は源氏の六条院。異常な夫婦関係である。9.1.2
注釈667ありさまも人のほども以下、女三の宮の心情に即した叙述。9.1.2
注釈668あはれなる御宿世にぞありける軽蔑し愛情もないままに、その人の子を妊娠してしまった女三の宮の境涯をいう。『完訳』は「不運だったとする語り手の評」と注す。9.1.2
注釈669見たてまつりとがめて宮の懐妊に気がついて、の意。9.1.3
注釈670かく悩みたまふ宮が懐妊のため苦しんでいるということ。9.1.4
注釈671女君は紫の上をいう。9.1.4
注釈672色は真青に白くうつくしげに、透きたるやうに見ゆる御肌つきなど、世になくらうたげなり紫の上の病気のための青白さはかえって可憐でかわいらしい美と映る。『集成』は「この上なく痛々しい美しさに見える」。『完訳』は「世にまたとないくらい可憐なご様子である」と訳す。9.1.4
校訂37 うちつけに うちつけに--うちつけ(け/+に) 9.1.5
9.2
第二段 源氏、紫の上と和歌を唱和す


9-2  Genji and Murasaki exchange waka each other

9.2.1  池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、
 池はとても涼しそうで、蓮の花が一面に咲いているところに、葉はとても青々として、露がきらきらと玉のように一面に見えるのを、
 池は涼しそうではすの花が多く咲き、蓮葉は青々として露がきらきら玉のように光っているのを、院が、
  Ike ha ito suzusige ni te, hatisu no hana no saki-watare ru ni, ha ha ito awoyaka ni te, tuyu kira-kira to tama no yau ni miye-watare ru wo,
9.2.2  「 かれ見たまへ。おのれ一人も涼しげなるかな」
 「あれを御覧なさい。自分ひとりだけ涼しそうにしているね」
 「あれを御覧なさい。自分だけが爽快がっている露のようじゃありませんか」
  "Kare mi tamahe. Onore hitori mo suzusige naru kana!"
9.2.3  とのたまふに、起き上がりて見出だしたまへるも、いとめづらしければ、
 とおっしゃると、起き上がって外を御覧になるのも、実に珍しいことなので、
 とお言いになるので、夫人は起き上がって、さらに庭を見た。こんな姿を見ることが珍しくて、
  to notamahu ni, okiagari te mi-idasi tamahe ru mo, ito medurasikere ba,
9.2.4  「 かくて見たてまつるこそ、夢の心地すれ。いみじく、わが身さへ限りとおぼゆる折々のありしはや」
 「このように拝見するのさえ、夢のような気がします。ひどく、自分自身までが終わりかと思われた時がありましたよ」
 「こうしてあなたを見ることのできるのは夢のようだ。悲しくて私自身さえも今死ぬかと思われた時が何度となくあったのだから」
  "Kaku te mi tatematuru koso, yume no kokoti sure. Imiziku, wagami sahe kagiri to oboyuru wori-wori no ari si haya!"
9.2.5  と、涙を浮けてのたまへば、みづからもあはれに思して、
 と涙を浮かべておっしゃると、自分自身でも胸がいっぱいになって、
 と、院が目に涙を浮かべてお言いになるのを聞くと、夫人も身にしむように思われて、
  to, namida wo uke te notamahe ba, midukara mo ahare ni obosi te,
9.2.6  「 消え止まるほどやは経べきたまさかに
 「露が消え残っている間だけでも生きられましょうか
  消え留まるほどやはべきたまさかに
    "Kiye tomaru hodo ya ha hu beki tamasaka ni
9.2.7   蓮の露のかかるばかりを
  たまたま蓮の露がこうしてあるほどの命ですから
  はちすの露のかかるばかりを
    hatisu no tuyu no kakaru bakari wo
9.2.8  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 と言った。
  to notamahu.
9.2.9  「 契り置かむこの世ならでも蓮葉に
 「お約束して置きましょう、この世ばかりでなく来世に蓮の葉の上に
  契りおかんこの世ならでも蓮の葉に
    "Tigiri-oka m konoyo nara de mo hatisu ba ni
9.2.10   玉ゐる露の心隔つな
  玉と置く露のようにいささかも心の隔てを置きなさいますな
  玉ゐる露の心隔つな
    tama wiru tuyu no kokoro hedatu na
9.2.11   出でたまふ方ざまはもの憂けれど、内裏にも院にも、聞こし召さむところあり、悩みたまふと聞きてもほど経ぬるを、 目に近きに心を惑はしつるほど、見たてまつることもをさをさなかりつるに、 かかる雲間にさへやは絶え籠もらむと、思し立ちて、渡りたまひぬ。
 お出かけになる先は億劫であるが、帝におかれても院おかれても、お耳にあそばすこともあるので、ご病気と聞いてしばらくたっているので、目の前の病人に心を混乱させていた間、お目にかかることもほとんどなかったので、このような雲の晴れ間にまで引き籠もっていては、とお思い立ちになって、お出かけになった。
 これは院のお歌である。六条院へはお気が進まないのであるが、宮中の聞こえと法皇への御同情から、宮の床についておられる知らせを受けていながら、いっしょに住むほうの妻の大病の気づかわしさからたずねて行くこともあまりしなかったのであるから、女王の病のこんなふうに少しよい間にしばらくあちらの家へ行っていようという心におなりになって院はお出かけになった。
  Ide tamahu kata zama ha mono-ukere do, Uti ni mo Win ni mo, kikosimesa m tokoro ari, nayami tamahu to kiki te mo hodo he nuru wo, me ni tikaki ni kokoro wo madohasi turu hodo, mi tatematuru koto mo wosa-wosa nakari turu ni, kakaru kumo-ma ni sahe ya ha taye komora m to, obosi-tati te, watari tamahi nu.
注釈673かれ見たまへ以下「涼しげなるかな」まで、源氏の詞。9.2.2
注釈674かくて見たてまつるこそ以下「ありしはや」まで、源氏の詞。9.2.4
注釈675消え止まるほどやは経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを紫の上の詠歌。「消え」と「露」と「かかる」は縁語。「玉」と「露」も縁語。「たまさかに」に「玉」の音を響かす。「かかる」は「かくある」の縮と掛詞。わが命のはかなさを露の消え残る間に喩えて詠む。9.2.6
注釈676契り置かむこの世ならでも蓮葉に玉ゐる露の心隔つな源氏の返歌。紫の上の「蓮」「玉」「露」の語句を用いる。「消え止まる」の語句を「契り置かむ」と切り返す。この世のみならず来世までの永遠の愛を誓う。9.2.9
注釈677目に近きに心を惑はしつる紫の上の病気をさす。9.2.11
注釈678かかる雲間にさへやは絶え籠もらむ源氏の心中。「雲間」は天候状態と紫の上の小康状態を譬喩的にさす。9.2.11
校訂38 出でたまふ 出でたまふ--いてた(た/$)給 9.2.11
9.3
第三段 源氏、女三の宮を見舞う


9-3  Genji visits Omna-Sam-no-Miya's pregnancy

9.3.1  宮は、御心の鬼に、見えたてまつらむも恥づかしう、つつましく思すに、 物など聞こえたまふ御いらへも、聞こえたまはねば、 日ごろの積もりを、さすがにさりげなくてつらしと思しけると、心苦しければ、とかくこしらへきこえたまふ。大人びたる人召して、御心地のさまなど問ひたまふ。
 宮は、良心の呵責に苛まれて、お会いするのも恥ずかしく、気が引けてお思いになると、何かおっしゃるお言葉にも、お返事申し上げなさらないので、長い間会わずにいたことを、そうと言わないけれど辛くお思いになっているのだと、お気の毒なので、あれやこれやとお慰めになる。年輩の女房を召して、ご気分の様子などをお尋ねになる。
 宮は心の鬼に院の前へ出ておいでになることが恥ずかしく晴れがましくて、ものをお言いになる返辞もよくされないのを長い絶え間にこの子供らしい人もさすがに恨んでいるのであろうと院は心苦しくお思いになり、慰めることにかかっておいでになった。お世話役の女房をお呼び出しになり、宮の御不快の経過などを院がお聞きになると、それは妊娠の徴候があってのことであるという答えをした。
  Miya ha, mi-kokoro no oni ni, miye tatematura m mo hadukasiu, tutumasiku obosu ni, mono nado kikoye tamahu ohom-irahe mo, kikoye tamaha ne ba, higoro no tumori wo, sasuga ni sarigenaku te turasi to obosi keru to, kokoro-gurusikere ba, tokaku kosirahe kikoye tamahu. Otonabi taru hito mesi te, mi-kokoti no sama nado tohi tamahu.
9.3.2  「 例のさまならぬ御心地になむ
 「普通のお身体ではいらっしゃいません」
 「今になって全く珍しいことが起こってきたね」
  "Rei no sama nara nu mi-kokoti ni nam."
9.3.3  と、わづらひたまふ 御ありさまを聞こゆ。
 と、ご気分のすぐれないご様子を申し上げる。
 とだけ院はお言いになったが、
  to, wadurahi tamahu mi-arisama wo kikoyu.
9.3.4  「 あやしく。ほど経てめづらしき御ことにも
 「妙だな。今ごろになってご妊娠だとは」
 お心の中では長くそばにいる人たちの中にもそうしたことはないのであるから、
  "Ayasiku. Hodo he te medurasiki ohom-koto ni mo."
9.3.5  とばかりのたまひて、御心のうちには、
 とだけおっしゃって、ご心中には、
  to bakari notamahi te, mi-kokoro no uti ni ha,
9.3.6  「 年ごろ経ぬる人びとだにさることなきを不定なる御事にもや
 「長年連れ添った妻たちでさえそのようなことはなかったのに、不確かなことなので、どうなのか」
 不祥なことがこちらで起こっているのではないかというような疑いをお覚えになりながら、
  "Tosi-goro he nuru hito-bito dani mo saru koto naki wo, hudyau naru ohom-koto ni mo ya."
9.3.7  と思せば、ことにともかくものたまひあへしらひたまはで、ただ、うち悩みたまへるさまのいとらうたげなるを、あはれと見たてまつりたまふ。
 とお思いなさるので、特にあれこれとおっしゃらずに、ただ、お苦しみでいらっしゃる様子がとても痛々しげなのを、いたわしく拝見なさる。
 それをくわしく聞こうとはされないで、ただ悪阻つわりに悩む人の若い可憐かれんな姿に愛を覚えておいでになった。
  to obose ba, koto ni tomo-kakumo notamahi ahesirahi tamaha de, tada, uti nayami tamahe ru sama no ito rautage naru wo, ahare to mi tatematuri tamahu.
9.3.8  からうして思し立ちて渡りたまひしかば、ふともえ帰りたまはで、二、三日おはするほど、「 いかに、いかに」とうしろめたく思さるれば、御文をのみ書き尽くしたまふ。
 やっとのことでお思い立ちになってお越しになったので、すぐにはお帰りになることはできず、二、三日いらっしゃる間、「どうしているだろうか、どうしているだろうか」と気がかりにお思いになるので、お手紙ばかりをこまごまとお書きになる。
 やっと思い立っておいでになったのであるから、すぐにお帰りになることもできず、二、三日おいでになる間にも、二条の院の女王の容体ばかりがお気づかわれになって、そのほうへ手紙ばかりを書き送っておいでになった。
  Karausite obosi-tati te watari tamahi sika ba, huto mo e kaheri tamaha de, ni, sam-niti ohasuru hodo, "Ikani, ikani?" to usirometaku obosa rure ba, ohom-humi wo nomi kaki-tukusi tamahu.
9.3.9  「 いつの間に積もる御言の葉にかあらむ。 いでや、やすからぬ世をも見るかな
 「いつの間にたくさんお言葉が溜るのでしょう。まあ、何と、心配でならないこと」
 「あんなにもしばらくの間にお言いになる感情がたまるのですかね。宮様をとうとうお気の毒な方様とお見上げする時が来ましたよ」
  "Itu no ma ni tumoru ohom-kotonoha ni ka ara m? Ide ya, yasukara nu yo wo mo miru kana!"
9.3.10  と、 若君の御過ちを知らぬ人は言ふ。侍従ぞ、かかるにつけても胸うち騷ぎける。
 と、若君の御過ちを知らない女房は言う。侍従だけは、このようなことにつけても胸騷ぎがするのであった。
 などと宮の御過失などは知らぬ人たちが言う。秘密に携わっている小侍従は院の御滞留の間を無事に過ごしうるかと胸をとどろかせていた。
  to, Waka-Gimi no ohom-ayamati wo sira nu hito ha ihu. Zizyuu zo, kakaru ni tuke te mo mune uti-sawagi keru.
9.3.11  かの人も、かく渡りたまへりと聞くに、おはけなく心誤りして、いみじきことどもを書き続けて、おこせたまへり。 対にあからさまに渡りたまへるほどに、人間なりければ、忍びて見せたてまつる。
 あの人も、このようにお越しになっていると聞くと、大それた考え違いを起こして、大層な訴え事を書き綴っておよこしになった。対の屋にちょっとお渡りになっている間に、人少なであったので、こっそりとお見せ申し上げる。
 衛門督えもんのかみは院が六条のほうへ来ておいでになることを聞くと、だいそれた嫉妬しっとを起こして、自己の恋のはげしさをさらに書き送る気になって手紙をよこした。院が暫時ざんじ対のほうへ行っておいでになる時で、だれも宮のお居間にいない様子を見て、小侍従はそれを宮にお見せした。
  Kano-Hito mo, kaku watari tamahe ri to kiku ni, ohokenaku kokoro-ayamari si te, imiziki koto-domo wo kaki tuduke te, okose tamahe ri. Tai ni akarasama ni watari tamahe ru hodo ni, hitoma nari kere ba, sinobi te mise tatematuru.
9.3.12  「 むつかしきもの見するこそ、いと心憂けれ。心地のいとど悪しきに」
 「厄介な物を見せるのは、とても辛いわ。気分がますます悪くなりますから」
 「いやなものを読めというのね。私はまた気分が悪くなってきているのに」
  "Mutukasiki mono misuru koso, ito kokoro-ukere. Kokoti no itodo asiki ni."
9.3.13  とて臥したまへれば、
 と言ってお臥せになっているので、
 こう言って、宮はそのまま横におなりになった。
  tote husi tamahe re ba,
9.3.14  「 なほ、ただ、この端書きの、いとほしげにはべるぞや」
 「でも、ただ、このはしがきが、お気の毒な気がいたしますよ」
 「この端書はしがきがあまりに身にしむ文章なんでございますもの」
  "Naho, tada, kono hasigaki no, itohosige ni haberu zo ya!"
9.3.15  とて広げたれば、人の参るに、いと苦しくて、御几帳引き寄せて去りぬ。
 と言って、広げたところへ誰か参ったので、まこと困って、御几帳を引き寄せて出て行った。
 小侍従は衛門督の手紙をひろげた。ほかの女房たちが近づいて来た気配けはいを聞いて、手でお几帳きちょうを宮のおそばへ引き寄せて小侍従は去った。
  tote hiroge tare ba, hito no mawiru ni, ito kurusiku te, mi-kityau hiki-yose te sari nu.
9.3.16   いとど胸つぶるるに、院入りたまへば、えよくも隠したまはで、御茵の下にさし挟みたまひつ。
 ますます胸がどきどきしているところに、院がお入りになったので、上手にお隠しになることもできず、御褥の下にさし挟みなさった。
 宮のお胸がいっそうとどろいている所へ院までも帰っておいでになったために、手紙をよくお隠しになる間がなくて、敷き物の下へはさんでお置きになった。
  Itodo mune tubururu ni, Win iri tamahe ba, e yoku mo kakusi tamaha de, ohom-sitone no sita ni sasi-hasami tamahi tu.
注釈679物など聞こえたまふ主語は源氏。9.3.1
注釈680日ごろの積もりを以下「つらしと思しける」まで、源氏の心中。9.3.1
注釈681例のさまならぬ御心地になむ女房の詞。妊娠のことをいう。9.3.2
注釈682あやしくほど経てめづらしき御ことにも源氏の詞。「あるかな」などの語句を言いさした形。「めづらしき御事」は妊娠をさす。無感動の発言。「とばかりのたまひて」という、無表情の振る舞い。9.3.4
注釈683年ごろ経ぬる人びとだに以下「御ことにもや」まで、源氏の心中。女三の宮が源氏に降嫁して七年たつ。「人びと」は、源氏の妻たちをさす。9.3.6
注釈684さることなきを妊娠をさす。9.3.6
注釈685不定なる御事にもや「もや」連語、係助詞「も」+係助詞「や」疑問の意。危ぶむ気持ちを表す。下に「ある」連体形を省略した形。女三の宮の懐妊に期待や関心もない。9.3.6
注釈686いかにいかに源氏の心中。紫の上を気づかう。9.3.8
注釈687いつの間に以下「世をも見るかな」まで、女房の詞。9.3.9
注釈688いでややすからぬ世をも見るかな女三の宮方を心配する言葉。『集成』は「「なんと、姫様のお身の上が心配なこと」。『完訳』は「いやもう、こちらとの御仲もそう油断してはいらせませぬ」と訳す。9.3.9
注釈689若君女三の宮をいう。『完訳』は「宮の、幼稚さをこめた呼称」と注す。9.3.10
注釈690対にあからさまに渡りたまへるほどに主語は源氏。東の対へ。9.3.11
注釈691むつかしきもの見するこそ以下「いとど悪しきに」まで、女三の宮の詞。柏木からの手紙を見たいとは思わない、という。9.3.12
注釈692なほただ以下「はべるぞや」まで、小侍従の詞。9.3.14
注釈693いとど胸つぶるるに主語は女三の宮。9.3.16
校訂39 御ありさま 御ありさま--(/+御)ありさま 9.3.3
9.4
第四段 源氏、女三の宮と和歌を唱和す


9-4  Genji and Omna-Sam-no-Miya exchange waka each other

9.4.1  夜さりつ方、二条の院へ渡りたまはむとて、御暇聞こえたまふ。
 夜になってから、二条院にお帰りになろうとして、ご挨拶を申し上げなさる。
 二条の院へ今夜になれば行こうと院はお思いになり、そのことを宮へお言いになるのであった。
  Yosari-tu-kata, Nideu-no-win he watari tamaha m tote, ohom-itoma kikoye tamahu.
9.4.2  「 ここには、けしうはあらず見えたまふを、 まだいとただよはしげなりしを、見捨てたるやうに思はるるも、今さらにいとほしくてなむ。ひがひがしく聞こえなす人ありとも、ゆめ心置きたまふな。今見直したまひてむ」
 「こちらには、お具合は悪くないようにお見えですが、まだとても頼りなさそうなのを、放って置くように思われますのも、今さらお気の毒なので。悪く申す者がありましても、決してお気になさいますな。やがてきっとお分かりになりましょう」
 「あなたはたいしたことがないようですから、あちらはまだあまりにたよりないようなのを見捨てておくように思われても、今さらかわいそうですから、また見に行ってやろうと思います。中傷する者があっても、あなたは私を信じておいでなさいよ。また忠実な良人おっとになる日が必ずありますよ」
  "Koko ni ha, kesiu ha ara zu miye tamahu wo, mada ito tadayohasige nari si wo, mi-sute taru yau ni omoha ruru mo, imasara ni itohosiku te nam. Higa-higasiku kikoye-nasu hito ari tomo, yume kokoro-oki tamahu na. Ima mi-nahosi tamahi te m."
9.4.3  と語ひたまふ。 例は、なまいはけなき戯れ言なども、うちとけ聞こえたまふを、いたくしめりて、さやかにも見合はせたてまつりたまはぬを、 ただ世の恨めしき御けしきと心得たまふ
 とお慰めになる。いつもは、子供っぽい冗談事などを、気楽に申し上げなさるのだが、ひどく沈み込んで、ちゃんと目をお合わせ申すこともなさらないのを、ただ側にいないのを恨んでいらっしゃるのだとお思いなさる。
 これまではこんな時にも、子供めいた冗談じょうだんなどをお言いになって、朗らかにしている方なのであったが、非常にめいっておしまいになり、院のほうへ顔を向けようともされないのを、内にいだく嫉妬しっとの影がさしているとばかり院はお思いになった。
  to katarahi tamahu. Rei ha, nama ihakenaki tahabure-goto nado mo, utitoke kikoye tamahu wo, itaku simeri te, sayaka ni mo mi-ahase tatematuri tamaha nu wo, tada yo no uramesiki mi-kesiki to kokoro-e tamahu.
9.4.4  昼の御座にうち臥したまひて、御物語など聞こえたまふほどに暮れにけり。すこし大殿籠もり入りにけるに、 ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろきたまひて、
 昼の御座所に横におなりになって、お話など申し上げているうちに日が暮れてしまった。少しお寝入りになってしまったが、ひぐらしが派手に鳴いたのに目をお覚ましになって、
昼の座敷でしばらくお寝入りになったかと思うと、ひぐらしく声でお目がさめてしまった。
  Hiru no o-masi ni uti-husi tamahi te, ohom-monogatari nado kikoye tamahu hodo ni kure ni keri. Sukosi ohotono-gomori iri ni keru ni, higurasi no hanayaka ni naku ni odoroki tamahi te,
9.4.5  「 さらば、道たどたどしからぬほどに
 「それでは、道が暗くならない間に」
 「ではあまり暗くならぬうちに出かけよう」
  "Saraba, miti tado-tadosikara nu hodo ni."
9.4.6  とて、御衣などたてまつり直す。
 と言って、お召し物などをお召し替えになる。
 と言いながら院がお召しかえをしておいでになると、
  tote, ohom-zo nado tatematuri nahosu.
9.4.7  「 月待ちて、とも言ふなるものを
 「月を待って、と言うそうですから」
 「『月待ちて』(夕暮れは道たどたどし月待ちて云々うんぬん)とも言いますのに」
  "Tuki mati te, to ihu naru mono wo."
9.4.8  と、いと若やかなるさましてのたまふは、 憎からずかし。「 その間にも、とや思す」と、心苦しげに思して、立ち止まりたまふ。
 と、若々しい様子でおっしゃるのはとてもいじらしい。「その間でも、とお思いなのだろうか」と、いじらしくお思いになって、お立ち止まりになる。
 若々しいふうで宮がこうお言いになるのが憎く思われるはずもない。せめて月が出るころまででもいてほしいとお思いになるのかと心苦しくて、院はそのまま仕度したくをおやめになった。
  to, ito wakayaka naru sama si te notamahu ha, nikukara zu kasi. "Sono ma ni mo, to ya obosu?" to, kokoro-kurusige ni obosi te, tati-tomari tamahu.
9.4.9  「 夕露に袖濡らせとやひぐらしの
 「夕露に袖を濡らせというつもりで、ひぐらしが鳴くのを
  夕露にそでらせとやひぐらしの
    "Yuhu-tuyu ni sode nura se to ya higurasi no
9.4.10   鳴くを聞く聞く起きて行くらむ
  聞きながら起きて行かれるのでしょうか
  鳴くを聞きつつ起きて行くらん
    naku wo kiku kiku oki te yuku ram
9.4.11  片なりなる御心にまかせて言ひ出でたまへるもらうたければ、ついゐて、
 子供のようなあどけないままにおっしゃったのもかわいらしいので、膝をついて、
 幼稚なお心の実感をそのままな歌もおかわいくて、院はひざをおかがめになって、
  Katanari naru mi-kokoro ni makase te ihi-ide tamahe ru mo rautakere ba, tui-wi te,
9.4.12  「 あな、苦しや
 「ああ、困りましたこと」
 「苦しい私だ」
  "Ana, kurusi ya!"
9.4.13  と、うち嘆きたまふ。
 と、溜息をおつきになる。
 と歎息たんそくをあそばされた。
  to, uti-nageki tamahu.
9.4.14  「 待つ里もいかが聞くらむ方がたに
 「わたしを待っているほうでもどのように聞いているでしょうか
  待つ里もいかが聞くらんかたがたに
    "Matu sato mo ikaga kiku ram kata-gata ni
9.4.15   心騒がすひぐらしの声
  それぞれに心を騒がすひぐらしの声ですね
  心騒がすひぐらしの声
    kokoro sawagasu higurasi no kowe
9.4.16  など思しやすらひて、なほ情けなからむも心苦しければ、止まりたまひぬ。静心なく、さすがに眺められたまひて、御くだものばかり参りなどして、大殿籠もりぬ。
 などとご躊躇なさって、やはり無情に帰るのもお気の毒なので、お泊まりになった。心は落ち着かず、そうは言っても物思いにお耽りになって、果物類だけを召し上がりなどなさって、お寝みになった。
 などと躊躇ちゅうちょをあそばしながら、無情だと思われることが心苦しくてなお一泊してお行きになることにあそばされた。さすがにお心は落ち着かずに、物思いの起こる御様子で晩饗ばんさんはお取りにならずに菓子だけを召し上がった。
  nado obosi yasurahi te, naho nasakenakara m mo kokoro-kurusikere ba, tomari tamahi nu. Sidu-kokoro naku, sasuga ni nagame rare tamahi te, ohom-kudamono bakari mawiri nado si te, ohotono-gomori nu.
注釈694ここには以下「見直したまひてむ」まで、源氏の詞。女三の宮への暇乞いの挨拶。9.4.2
注釈695まだいとただよはしげなりしを紫の上の容態をいう。9.4.2
注釈696例はなまいはけなき戯れ言なども主語は女三の宮。9.4.3
注釈697ただ世の恨めしき御けしきと心得たまふ主語は源氏。「世」は源氏との夫婦仲をいう。『集成』は「(事情を知らぬ源氏は)ただ、夫にいつも側にいてもらえないのを恨めしく思っていられるのだと、お思いになる」と訳す。9.4.3
注釈698ひぐらしのはなやかに鳴くに『完訳』は「秋の景物。夕暮時に鳴く。ここは夏の終りの夕べである」と注す。9.4.4
注釈699さらば道たどたどしからぬほどに源氏の詞。「夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわが背子その間にも見む」(古今六帖一、三七一、夕闇)をの語句を引いた言葉。9.4.5
注釈700月待ちてとも言ふなるものを女三の宮の詞。源氏の言葉中の引歌の文句を踏まえて応える。「なる」伝聞推定の助動詞。明融臨模本、合点、付箋「夕くれはみちたとたとし月待てかへれわかせこそのまにもみむ」とある。9.4.7
注釈701憎からずかし『集成』は「いかにも愛くるしい」「無下にことわりもならぬ源氏の気持を、草子地が代弁する」と注す。9.4.8
注釈702その間にもとや思す源氏の心中。女三の宮の気持を忖度する。9.4.8
注釈703夕露に袖濡らせとやひぐらしの鳴くを聞く聞く起きて行くらむ女三の宮から源氏への贈歌。「露」は涙の象徴。「起きて」は「露」との縁語「置きて」を響かす。『集成』は「夕方は尋ねて来て下さるはずの時ですのに、の余意があろう」。『完訳』は「蜩が鳴き露が置く夕べは男が女を尋ね来る時。それなのに立ち去るのだとして、源氏を恨む歌」と注す。係助詞「や」--「行くらむ」連体形は、反語の意を含んだ疑問、恨み言の余意余情がある。9.4.9
注釈704あな苦しや源氏の心中。9.4.12
注釈705待つ里もいかが聞くらむ方がたに心騒がすひぐらしの声源氏から女三の宮への返歌。「ひぐらし」の語句を受けて返す。「来めやとは思ふものからひぐらしの鳴く夕暮は立ち待たれつつ」(古今集恋五、七七二、読人しらず)を踏まえる。9.4.14
出典27 道たどたどしからぬ 夕闇は道たどたどし月待ちて帰れ我が背子その間にも見む 古今六帖一-三七一 9.4.5
9.5
第五段 源氏、柏木の手紙を発見


9-5  Genji finds a letter from Kashiwagi to Omna-Sam-no-Miya

9.5.1  まだ朝涼みのほどに渡りたまはむとて、とく起きたまふ。
 まだ朝の涼しいうちにお帰りになろうとして、早くお起きになる。
 まだ朝涼あさすずの間に帰ろうとして院は早くお起きになった。
  Mada asa-suzumi no hodo ni watari tamaha m tote, toku oki tamahu.
9.5.2  「 昨夜のかはほりを落として、これは風ぬるくこそありけれ
 「昨夜の扇を落として。これでは風がなま温いな」
 「昨日の扇をどこかへ失ってしまって、代わりのこれは風がぬるくていけない」
  "Yobe no kahahori wo otosi te, kore ha kaze nuruku koso ari kere."
9.5.3  とて、御扇置きたまひて、昨日うたた寝したまへりし御座のあたりを、立ち止まりて見たまふに、御茵のすこしまよひたるつまより、 浅緑の薄様なる文の、押し巻きたる端見ゆるを、何心もなく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。紙の香などいと艶に、 ことさらめきたる書きざまなり。二重ねにこまごまと書きたるを見たまふに、「 紛るべき方なく、その人の手なりけり」と見たまひつ。
 と言って、御桧扇をお置きになって、昨日うたた寝なさった御座所の近辺を、立ち止まってお探しになると、御褥の少し乱れている端から、浅緑の薄様の手紙で、押し巻いてある端が見えるのを、何気なく引き出して御覧になると、男性の筆跡である。紙の香りなどはとても優美で、気取った書きぶりである。二枚にこまごまと書いてあるのを御覧になると、「紛れようもなく、あの人の筆跡である」と御覧になった。
 とお言いになりながら、昨日のうたた寝に扇をお置きになった場所へ行ってごらんになったが、立ち止まって目をお配りになると、敷き物のある一所の端が少しれたようになっている下から、薄緑の薄様うすようの紙に書いた手紙の巻いたのがのぞいていた。何心なく引き出して御覧になると、それは男の手で書かれたものであった。紙のにおいなどのえんな感じのするもので、骨を折った巧妙な字で書かれてあった。二重ねにこまごまと書いたのをよく御覧になると、それは紛れもない衛門督えもんのかみの手跡であった。
  tote, ohom-ahugi oki tamahi te, kinohu utatane si tamahe ri si o-masi no atari wo, tati-tomari te mi tamahu ni, ohom-sitone no sukosi mayohi taru tuma yori, asa-midori no usuyau naru humi no, osi-maki taru hasi miyuru wo, nani-gokoro-mo-naku hiki-ide te go-ran-zuru ni, wotoko no te nari. Kami no ka nado ito en ni, kotosara-meki taru kaki-zama nari. Huta-kasane ni koma-goma to kaki taru wo mi tamahu ni, "Magiru beki kata naku, sono hito no te nari keri!" to mi tamahi tu.
9.5.4  御鏡など開けて参らする人は、 見たまふ文にこそはと、心も知らぬに、小侍従見つけて、昨日の文の色と見るに、いといみじく、胸つぶつぶと鳴る心地す。御粥など参る方に目も見やらず、
 お鏡の蓋を開けて差し上げる女房は、やはり殿が御覧になるはずの手紙であろうと、事情を知らないが、小侍従はそれを見つけて、昨日の手紙と同じ色と見ると、まことにたいそう、胸がどきどき鳴る心地がする。お粥などを差し上げる方には見向きもせず、
 院のお座の所で鏡をあけてお見せしている女房は御自分の御用の手紙を見ておいでになるものと思っていたが、小侍従がそれを見た時、手紙が昨日の色であることに気がついた。胸がぶつぶつと鳴り出した。かゆなどを召し上がる院のほうを小侍従はもう見ることもできなかった。
  Ohom-kagami nado ake te mawirasuru hito ha, mi tamahu humi ni koso ha to, kokoro mo sira nu ni, Ko-Zizyuu mituke te, kinohu no humi no iro to miru ni, ito imiziku, mune tubu-tubu to naru kokoti su. Ohom-kayu nado mawiru kata ni me mo mi-yara zu,
9.5.5  「 いで、さりとも、それにはあらじ。いといみじく、 さることはありなむや。隠いたまひてけむ」
 「いいえ、いくら何でも、それはあるまい。本当に大変で、そのようなことがあろうか。きっとお隠しになったことだろう」
 まさかそうではあるまい、そんな運命の悪戯いたずらが不意に行なわれてよいものか、宮はお隠しになったはずである
  "Ide, saritomo, sore ni ha ara zi. Ito imiziku, saru koto ha ari na m ya? Kakui tamahi te kem."
9.5.6  と思ひなす。
 としいて思い込む。
 と小侍従は努めて思おうとしている。
  to omohi-nasu.
9.5.7  宮は、何心もなく、まだ大殿籠もれり。
 宮は、無心にまだお寝みになっていらっしゃった。
 宮は何もお知りにならずになお眠っておいでになるのである。
  Miya ha, nani-gokoro-mo-naku, mada ohotono-gomore ri.
9.5.8  「 あな、いはけな。かかる物を散らしたまひて。我ならぬ人も見つけたらましかば」
 「何と、幼いのだろう。このような物をお散らかしになって。自分以外の人が見つけたら」
 こんな物を取り散らしておいて、それを自分でない他人が発見すればどうなることであろう
  "Ana, ihakena! Kakaru mono wo tirasi tamahi te. Ware nara nu hito mo mituke tara masika ba."
9.5.9  と思すも、心劣りして、
 とお思いになるにつけても、見下される思いがして、
 とお思いになると、その人が軽蔑けいべつされて、これであるから始終自分はあぶながっていたのである。
  to obosu mo, kokoro-otori si te,
9.5.10  「 さればよ。いとむげに心にくきところなき御ありさまを、うしろめたしとは見るかし」
 「やはりそうであったか。本当に奥ゆかしいところがないご様子を、不安であると思っていたのだ」
 あさはかな性格はついに堕落を招くに至ったのである
  "Sarebayo. Ito muge ni kokoro-nikuki tokoro naki mi-arisama wo, usirometasi to ha miru kasi."
9.5.11  と思す。
 とお思いになる。
 と院は解釈された。
  to obosu.
注釈706昨夜のかはほりを落としてこれは風ぬるくこそありけれ源氏の独言。「かはほり」は夏扇。「これ」は桧扇をさす。9.5.2
注釈707浅緑の薄様なる文の押し巻きたる柏木から女三の宮への恋文。浅緑色の薄様の紙を巻紙につくろう。9.5.3
注釈708ことさらめきたる書きざまなり『集成』は「気取った」。『完訳』は「わざとらしく意味ありげな書きぶりである」と訳す。9.5.3
注釈709紛るべき方なくその人の手なりけり源氏の心中。「その人」は柏木をさす。9.5.3
注釈710見たまふ文にこそは主語は源氏。女房たちの心中を叙述。9.5.4
注釈711いでさりとも以下「隠いたまひてむ」まで、小侍従の心中。9.5.5
注釈712さることはありなむや反語表現。9.5.5
注釈713あないはけな以下「見つけたらましかば」まで、源氏の心中。9.5.8
注釈714さればよ以下「とは見るかし」まで、源氏の心中。9.5.10
9.6
第六段 小侍従、女三の宮を責める


9-6  Ko-Ziju blames omna-Sam-no-Miya who lost the letter

9.6.1   出でたまひぬれば、人びとすこしあかれぬるに、侍従寄りて、
 お帰りになったので、女房たちが少しばらばらになったので、侍従がお側に寄って、
 お帰りになったので、女房たちがあらかた宮のお居間から去った時に、小侍従が来て、
  Ide tamahi nure ba, hito-bito sukosi akare nuru ni, Zizyuu yori te,
9.6.2  「 昨日の物は、いかがせさせたまひてし。今朝、院の御覧じつる文の色こそ、似てはべりつれ」
 「昨日のお手紙は、どのようにあそばしましましたか。今朝、院が御覧になっていた手紙の色が、似ておりましたが」
 「昨日の物はどうなさいました。今朝けさ院が読んでいらっしゃいましたお手紙の色がよく似ておりましたが」
  "Kinohu no mono ha, ikaga se sase tamahi te si? Kesa, Win no go-ran-zi turu humi no iro koso, ni te haberi ture."
9.6.3  と聞こゆれば、あさましと思して、涙のただ出で来に出で来れば、 いとほしきものから、「いふかひなの御さまや」と見たてまつる。
 と申し上げると、意外なことと驚きなさって、涙が止めどもなく出て来るので、お気の毒に思う一方で、「何とも言いようのない方だ」と拝し上げる。
 と宮へ申し上げた。はっとお思いになって宮はただ涙だけが流れに流れる御様子である。おかわいそうではあるがふがいない方であると小侍従は見ていた。
  to kikoyure ba, asamasi to obosi te, namida no tada ide-ki ni ide-kure ba, itohosiki monokara, "Ihukahina no ohom sama ya!" to mi tatematuru.
9.6.4  「 いづくにかは、置かせたまひてし。人びとの参りしに、ことあり顔に近くさぶらはじと、さばかりの忌みをだに、心の鬼に 避りはべしを。入らせたまひしほどは、すこしほど経はべりにしを、隠させたまひつらむとなむ、思うたまへし」
 「どこに、お置きあそばしましたか。女房たちが参ったので、子細ありげに近くに控えておりまいと、ちょっとしたぐらいの用心でさえ、気が咎めますので慎重にしておりましたのに。お入りあそばしました時には、少し間がございましたが、お隠しあそばただろうと、存じておりました」
 「どこへお置きになったのでございますか。あの時だれかが参ったものですから、秘密がありそうに思われますまいと、それほどのことは何でもなかったのですが、よいことをしておりませんと心がとがめまして、私は退いて行ったのでございますが、院がお座敷へお帰りになりましたまでにはちょっと時間があったのでございますもの、お隠しあそばしたろうと安心をしておりました」
  "Iduku ni ka ha, oka se tamahi te si? Hito-bito no mawiri si ni, koto-ari-gaho ni tikaku saburaha zi to, sabakari no imi wo dani, kokoro-no-oni ni sari haberi si wo. Ira se tamahi si hodo ha sukosi hodo he haberi ni si wo, kakusa se tamahi tu ram to nam, omou tamahe si."
9.6.5  と聞こゆれば、
 と申し上げると、

  to kikoyure ba,
9.6.6  「 いさ、とよ。見しほどに入りたまひしかば、ふともえ 置きあへで、さし挟みしを、忘れにけり」
 「いいえ、それがね。見ていた時にお入りになったので、すぐに起き上がることもできないで、褥に差し挟んで置いたのを、忘れてしまったの」
 「それはね、私が読んでいた時にはいっていらっしゃったものだから、どこへしまうこともできずに下へはさんでおいたのをそのまま忘れたの」
  "Isa, to yo. Mi si hodo ni iri tamahi sika ba, huto mo e oki-ahe de, sasi-hasami si wo, wasure ni keri."
9.6.7  とのたまふに、いと聞こえむかたなし。寄りて見れば、 いづくのかはあらむ
 とおっしゃるので、何ともまったく申し上げる言葉もない。近寄って探すが、どこにもあろうはずがない。
 こう伺った小侍従は、この場合の気持ちをどう表現すればよいかも知らなかった。そこへ行って見たが手紙のあるはずもない。
  to notamahu ni, ito kikoye-m-kata-nasi. Yori te mire ba, iduku no kaha ara m?
9.6.8  「 あな、いみじ。かの君も、いといたく懼ぢ憚りて、けしきにても漏り聞かせたまふことあらばと、かしこまりきこえたまひしものを。 ほどだに経ず、かかることの出でまうで来るよ。 すべて、いはけなき御ありさまにて人にも見えさせたまひければ、年ごろさばかり忘れがたく、恨み言ひわたりたまひしかど、かくまで思うたまへし御ことかは。誰が御ためにも、いとほしくはべるべきこと」
 「まあ、大変。かの君も、とてもひどく恐れ憚って、素振りにもお聞かせ申されるようなことがあったら大変と、恐縮申していられたものを。まだいくらもたたないのに、もうこのような事になってしまってよ。全体、子供っぽいご様子でいらして、人にお姿をお見せあそばしたので、長年あれほどまで忘れることができず、ずっと恨み言を言い続けていらっしゃったが、こうまでなるとは存じませんでした事ですわ。どちら様のためにも、お気の毒な事でございますわ」
 「たいへんでございますね。あちらも非常に恐れておいでになりまして、毛筋ほどでも院のお耳にはいることがあったら申し訳がないと言っておいでになりましたのに、すぐもうこんなことができたではございませんか。全体御幼稚で、男性に対して何の警戒もあそばさなかったものですから、長い年月をかけた恋とは申しながら、こうまで進んだ関係になろうとはあちらも考えておいでにならなかったことでございますよ。だれのためにもお気の毒なことをなさいましたね」
  "Ana, imizi! Kano Kimi mo, ito itaku odi habakari te, kesiki ni te mo mori-kika se tamahu koto ara ba to, kasikomari kikoye tamahi si mono wo. Hodo dani he zu, kakaru koto no ide-maude kuru yo! Subete, ihakenaki ohom-arisama ni te, hito ni mo miye sase tamahi kere ba, tosi-goro sabakari wasure-gataku, urami ihi watari tamahi sika do, kaku made omou tamahe si ohom-koto kaha! Taga ohom-tame ni mo, itohosiku haberu beki koto."
9.6.9  と、憚りもなく聞こゆ。 心やすく若くおはすれば、馴れきこえたるなめり。いらへもしたまはで、ただ泣きにのみぞ泣きたまふ。いと悩ましげにて、つゆばかりの物もきこしめさねば、
 と、遠慮もなく申し上げる。気安く子供っぽくいらっしゃるので、ずけずけと申し上げたのであろう。お答えもなさらず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。とても苦しそうで、まったく何もお召し上がりにならないので、
 と無遠慮に小侍従は言う。お若い御主人を気安く思って礼儀なしになっているのであろう。宮はお返辞もあそばさないで泣き入っておいでになった。御気分がお悪いばかりのようでなく、少しも物を召し上がらないのを見て、
  to, habakari mo naku kikoyu. Kokoro-yasuku wakaku ohasure ba, nare kikoye taru na' meri. Irahe mo si tamaha de, tada naki ni nomi zo naki tamahu. Ito nayamasige ni te, tuyu bakari no mono mo kikosimesa ne ba,
9.6.10  「 かく悩ましくせさせたまふを、見おきたてまつりたまひて、 今はおこたり果てたまひにたる御扱ひに、心を入れたまへること」
 「このようにお苦しみでいらっしゃるのを、放っていらっしゃって、今はもうすっかりお治りになったお方のお世話に、熱心でいらっしゃること」
 「こんなにもお苦しそうでいらっしゃるのに、それを捨ててお置きになって、もうすっかりくなっておいでになる奥様の御介抱を一所懸命になさらなければならないとはね」
  "Kaku nayamasiku se sase tamahu wo, mi-oki tatematuri tamahi te, ima ha okotari-hate tamahi ni taru ohom-atukahi ni, kokoro wo ire tamahe ru koto."
9.6.11  と、つらく思ひ言ふ。
 と、薄情に思って言う。
 と乳母めのとたちは恨めしがった。
  to, turaku omohi ihu.
注釈715出でたまひぬれば主語は源氏。源氏が帰った後の場面。9.6.1
注釈716昨日の物は以下「似てはべりつれ」まで、小侍従の詞。9.6.2
注釈717いとほしきものからいふかひなの御さまや小侍従の心中を間接的に叙述する。気の毒に思う一方で、あきれた思いをする。9.6.3
注釈718いづくにかは以下「思うたまへし」まで、小侍従の詞。9.6.4
注釈719いさとよ以下「忘れにけり」まで、女三の宮の詞。「いさとよ」について、『集成』は「自信なげに応ずる言葉」と注す。9.6.6
注釈720いづくのかはあらむ反語表現。語り手の口吻がまじった表現。9.6.7
注釈721あないみじ以下「いとほしくはべるべきこと」まで、小侍従の詞。9.6.8
注釈722ほどだに経ず『完訳』は「あっけない露顕の気持」と注す。9.6.8
注釈723すべていはけなき御ありさまにて小侍従、女三の宮の性格をなじる、非難の言葉。9.6.8
注釈724人にも見えさせたまひければ六年前に六条院での蹴鞠の折に柏木に姿を見られたことをいう。9.6.8
注釈725心やすく若くおはすれば馴れきこえたるなめり『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「小侍従は女三の宮と乳母子という親しい間柄でもある。以下、草子地」と注す。9.6.9
注釈726かく悩ましくせさせたまふを以下「心を入れたまへること」まで、女房の詞。源氏への非難。9.6.10
注釈727今はおこたり果てたまひにたる御扱ひに紫の上の看病をさす。9.6.10
校訂40 避り 避り--(/+さ)り 9.6.4
校訂41 置きあへで 置きあへで--をきあから(から/=へ)て 9.6.6
9.7
第七段 源氏、手紙を読み返す


9-7  Genji reads the letter repeatedly

9.7.1  大殿は、この文のなほあやしく思さるれば、人見ぬ方にて、うち返しつつ見たまふ。「 さぶらふ人びとの中に、かの中納言の手に似たる手して書きたるか」とまで思し寄れど、 言葉づかひきらきらと、まがふべくもあらぬことどもあり
 大殿は、この手紙をやはり不審に思わずにはいらっしゃれないので、人の見ていない方で、繰り返し御覧になる。「伺候している女房の中で、あの中納言の筆跡に似た書き方で書いたのだろうか」とまでお考えになったが、言葉遣いがはっきりしていて、本人に間違いないことがいろいろと書いてある。
 院はお帰りになってから、まだ不審のお晴れにもならぬ今朝の手紙をよく調べて御覧になった。女房のうちであの中納言に似た字を書く女があるのではないかという疑いさえお持ちになったのであるが、言葉づかいは明らかに男性であって、他の者の書くはずのないことが内容になってもいた。
  Otodo ha, kono humi no naho ayasiku obosa rure ba, hito mi nu kata ni te, uti-kahesi tutu mi tamahu. "Saburahu hito-bito no naka ni, kano Tyuunagon no te ni ni taru te si te kaki taru ka?" to made obosi-yore do, kotoba-dukahi kira-kira to, magahu beku mo ara nu koto-domo ari.
9.7.2  「 年を経て思ひわたりけることの、たまさかに本意 かなひて、心やすからぬ筋を書き尽くしたる言葉、いと見所ありてあはれなれど、いとかく さやかには書くべしや。 あたら人の、文をこそ思ひやりなく書きけれ。 落ち散ることもこそと 思ひしかば、昔、かやうにこまかなるべき折ふしにも、ことそぎつつこそ書き紛らはししか。人の深き用意は難きわざなりけり」
 「長年慕い続けてきたことが、偶然に念願が叶って、心にかかってならないといった事を書き尽くした言葉は、まことに見所があって感心するが、本当に、こんなにまではっきりと書いてよいものだろうか。惜しいことに、あれほどの人が、思慮もなく手紙を書いたものだ。人目に触れることがあってはいけないと思ったので、昔、このようにこまごまと書きたい時も、言葉を簡略に簡略にして書き紛らわしたものだ。人が用心するということは難しいことなのだ」
 昔からの恋がようやく遂げられたのではあるが、なお苦しい思いに悩み続けていることが、文学的に見ておもしろく書かれてあって、同情はくが、こんな関係で書きかわす手紙には人目に触れた時の用意がかねてなければならぬはずで、露骨に一目瞭然いちもくりょうぜんに秘密を人が悟るようなことはすべきでないものをと、院はお思いになり、りっぱな男ではあるが、こうした関係の女への手紙の書き方を知らない、落ち散ることも思って、昔の日の自分はこれに類する場合も文章は簡単にして書き紛らしたものであるが、そこまでの細心な注意はできないものらしい
  "Tosi wo he te omohi watari keru koto no, tamasaka ni ho'i kanahi te, kokoro-yasukara nu sudi wo kaki-tukusi taru kotoba, ito mi-dokoro ari te ahare nare do, ito kaku sayaka ni ha kaku besi ya! Atara hito no, humi wo koso omohi-yari naku kaki kere. Oti tiru koto mo koso to omohi sika ba, mukasi, kayau ni komaka naru beki wori husi ni mo, kotosogi tutu koso kaki magirahasi sika. Hito no hukaki youi ha, kataki waza nari keri."
9.7.3  と、 かの人の心をさへ見落としたまひつ。
 と、その人の心までお見下しなさった。
 と、衛門督えもんのかみ軽蔑けいべつあそばされるのであった。
  to, kano hito no kokoro wo sahe mi-otosi tamahi tu.
注釈728さぶらふ人びとの中に以下「書きたるか」まで、源氏の心中。9.7.1
注釈729言葉づかひきらきらとまがふべくもあらぬことどもあり『完訳』は「その言葉づかいは美しくととのったあやがあって、当の本人としか考えられぬふしぶしがある」と訳す。9.7.1
注釈730年を経て以下「難きわざなりけり」まで、柏木の手紙を見た源氏の感想。係助詞「や」反語表現。はっきり書くべきでない、という。9.7.2
注釈731あたら人の柏木をさす。あれほどにすぐれた人が、という評価と失望。9.7.2
注釈732落ち散ることもこそと連語「もこそ」懸念の気持ち。9.7.2
注釈733思ひしかば昔過去の助動詞「しか」自己の体験。以下、自分の過去の体験を振り返る。9.7.2
注釈734かの人の心をさへ柏木をさす。副助詞「さへ」添加は女三の宮に加えてのニュアンス。9.7.3
校訂42 かなひ かなひ--め(め/$か)なひ 9.7.2
校訂43 さやかには さやかには--さやかに(に/+は) 9.7.2
9.8
第八段 源氏、妻の密通を思う


9-8  Genji understands his wife's adultery

9.8.1  「 さても、この人をばいかがもてなしきこゆべき。 めづらしきさまの御心地も、かかることの紛れにてなりけり。いで、あな、心憂や。かく、人伝てならず憂きことを知るしる、 ありしながら見たてまつらむよ」
 「それにしても、この宮をどのようにお扱いしたら良いものだろうか。おめでたいことのご懐妊も、このようなことのせいだったのだ。ああ、何と、厭わしいことだ。このような、目の当たりに嫌な事を知りながら、今までどおりにお世話申し上げるのだろうか」
 それにしても宮を今後どうお扱いすればよいであろうか、妊娠もそうした不純な恋の結果だったのである。情けないことである。人から言われたことでもなく、直接に証拠も見ながら、以前どおりにあの人を愛することは、自分のことながら不可能らしい。
  "Sate mo, kono hito wo ba ikaga motenasi kikoyu beki? Medurasiki sama no mi-kokoti mo, kakaru koto no magire ni te nari keri. Ide, ana, kokoro-u ya! Kaku, hitodute nara zu uki koto wo siru siru, ari si nagara mi tatematura m yo!"
9.8.2  と、わが御心ながらも、え思ひ直すまじくおぼゆるを、
 と、自分のお心ながらも、とても思い直すことはできないとお思いになるが、
 一時的の情人として初めから重くなどは思っていない相手さえ、
  to, waga mi-kokoro nagara mo, e omohi-nahosu maziku oboyuru wo,
9.8.3  「 なほざりのすさびと、初めより心をとどめぬ人だに、また異ざまの心分くらむと思ふは、心づきなく思ひ隔てらるるを、ましてこれは、さま異に、 おほけなき人の心にもありけるかな
 「浮気の遊び事としても、初めから熱心でない女でさえ、また別の男に心を分けていると思うのは、気にくわなく疎んじられてしまうものなのに、ましてこの宮は、特別な方で、大それた男の考えであることよ。
 ほかの愛人を持っていることを知っては不愉快でならぬものであるが、これはそうした相手でもない自分の妻である。無礼な男である。
  "Nahozari no susabi to, hazime yori kokoro wo todome nu hito dani, mada koto-zama no kokoro waku ram to omohu ha, kokoro-duki-naku omohi hedate raruru wo, masite kore ha, sama koto ni, ohokenaki hito no kokoro ni mo ari keru kana!
9.8.4   帝の御妻をも過つたぐひ、昔もありけれど、それはまたいふ方異なり。 宮仕へといひて、我も人も同じ君に馴れ仕うまつるほどに、おのづから、さるべき方につけても、心を交はしそめ、もののまぎれ多かりぬべきわざなり。
 帝のお妃と過ちを生じる例は、昔もあったが、それはまた事情が違うのだ。宮仕えと言って、自分も相手も同じ主君に親しくお仕えするうちに、自然と、そのような方面で、好意を持ち合うようになって、みそか事も多くなるというものだ。
 おかみの後宮と恋の過失に陥る者は昔からあったが、それとこれとは問題が違う。宮仕えは男女とも一人の君主にお仕えするのであって、同輩と見る心から友情が恋となって不始末を起こす結果も作られるのである。
  Mikado no mi-me wo mo ayamatu taguhi, mukasi mo ari kere do, sore ha mata ihu kata koto nari. Miya-dukahe to ihi te, ware mo hito mo onazi Kimi ni nare tukau-maturu hodo ni, onodukara, saru-beki kata ni tuke te mo, kokoro wo kahasi-some, mono no magire ohokari nu beki waza nari.
9.8.5  女御、更衣といへど、とある筋かかる方につけて、かたほなる人もあり、心ばせかならず重からぬうち混じりて、思はずなることもあれど、 おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは、さても交じらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし。
 女御、更衣と言っても、あれこれいろいろあって、どうかと思われる人もおり、嗜みが必ずしも深いとは言えない人も混じっていて、意外なことも起こるが、重大な確かな過ちと分からないうちは、そのままで宮仕えを続けて行くようなこともあるから、すぐには分からない過ちもきっとあることだろう。
 女御にょご更衣こういといってもよい人格の人ばかりがいるわけではないから、浮き名を流す者はあっても、破綻はたんを見せない間は宮仕えを辞しもせずしていて、批難すべきことも起こったであろうが、
  Nyougo, Kaui to ihe do, toaru sudi kakaru kata ni tuke te, kataho naru hito mo ari, kokorobase kanarazu omokara nu uti-maziri te, omoha zu naru koto mo are do, oboroke no sadaka naru ayamati miye nu hodo ha, satemo mazirahu yau mo ara m ni, huto simo araha nara nu magire ari nu besi.
9.8.6   かくばかり、またなきさまにもてなしきこえて、 うちうちの心ざし引く方よりも、いつくしくかたじけなきものに 思ひはぐくまむ人をおきて、かかることは、さらにたぐひあらじ」
 このように、又となく大事にお扱い申し上げて、内心愛情を寄せている人よりも、大切な恐れ多い方と思ってお世話しているような自分をさしおいて、このような事を起こすとは、まったく例がない」
 自分の宮に対する態度は第一の妻としてのみ待遇してきたではないか、心ではより多く愛する人をもさしおいて、最大級の愛撫あいぶを加えていた自分を裏切っておしまいになるようなことと、そんなことは同日に論ずべきでない、これは罪深いことではないか
  Kaku bakari, matanaki sama ni motenasi kikoye te, uti-uti no kokorozasi hiku kata yori mo, itukusiku katazikenaki mono ni omohi hagukuma m hito wo oki te, kakaru koto ha, sarani taguhi ara zi."
9.8.7  と、爪弾きせられたまふ。
 と、つい非難せずにはいらっしゃれない。
 と反感のお起こりになる院でおありになった。
  to, tuma-haziki se rare tamahu.
9.8.8  「 帝と聞こゆれどただ素直に、公ざまの心ばへばかりにて、宮仕へのほどもものすさまじきに、心ざし深き私の ねぎ言になびき、おのがじしあはれを尽くし、見過ぐしがたき折のいらへをも言ひそめ、自然に心通ひそむらむ仲らひは、同じけしからぬ筋なれど、 寄る方ありや。わが身ながらも、さばかりの人に心分けたまふべくはおぼえぬものを」
 「帝とは申し上げても、ただ素直に、お仕えするだけでは面白くもないので、深い私的な思いを訴えかける言葉に引かれて、お互いに愛情を傾け尽くし、放って置けない折節の返事をするようになり、自然と心が通い合うようになった間柄は、同様に良くない事柄だが、まだ理由があろうか。自分自身の事ながら、あの程度の男に宮が心をお分けにならねばならないとは思われないのだが」
 侍している君主のほうでもただ一通りの後宮の女性と御覧になるだけで、御愛情に接することもないような不幸な人に、異性の持つ友情が恋愛にも進んでゆけば、あるまじいこととは知りながらも、苦しむ男に一言の慰めくらいは書き送ることになり、相互の間に恋愛が成長してしまう結果を見るような間柄で犯す罪には十分同情してよい点もあるが、自分のことながらも、あの男くらいに比べて思い劣りされるほどの無価値な者でないと思うが
  "Mikado to kikoyure do, tada sunaho ni, ohoyake-zama no kokorobahe bakari ni te, miya-dukahe no hodo mo mono-susamaziki ni, kokorozasi hukaki watakusi no negi-goto ni nabiki, onogazisi ahare wo tukusi, mi-sugusi gataki wori no irahe wo mo ihi-some, zinen ni kokoro kayohi somu ram nakarahi ha, onazi kesikara nu sudi nare do, yoru kata ari ya? Waga mi nagara mo, sabakari no hito ni kokoro wake tamahu beku ha oboye nu mono wo!"
9.8.9  と、いと心づきなけれど、また「けしきに出だすべきことにもあらず」など、思し乱るるにつけて、
 と、まことに不愉快ではあるが、また「顔色に出すべきことではない」などと、ご煩悶なさるにつけても、
 と、院は宮を飽き足らずお思いになるのであったが、またこの問題はほかへ知らせてはならぬと思うことで御煩悶はんもんもされた。
  to, ito kokoro-dukinakere do, mata "Kesiki ni idasu beki koto ni mo ara zu." nado, obosi-midaruru ni tuke te,
9.8.10  「 故院の上も、かく御心には知ろし召してや、知らず顔を作らせたまひけむ。思へば、その世のことこそは、いと恐ろしく、あるまじき過ちなりけれ」
 「故院の上も、このように御心中には御存知でいらして、知らない顔をあそばしていられたのだろうか。それを思うと、その当時のことは、本当に恐ろしく、あってはならない過失であったのだ」
 父帝もこんなふうに自分の犯した罪を知っておいでになって知らず顔をお作りになったのではなかろうか、考えてみれば恐ろしい自分の過失であったと、
  "Ko-Win-no-Uhe mo, kaku mi-kokoro ni ha sirosimesi te ya, sira zu gaho wo tukura se tamahi kem. Omohe ba, sono yo no koto koso ha, ito osorosiku, arumaziki ayamati nari kere."
9.8.11  と、近き例を思すにぞ、 恋の山路は、えもどくまじき御心まじりける。
 と、身近な例をお思いになると、恋の山路は、非難できないというお気持ちもなさるのであった。
 御自身の過去が念頭に浮かんできた時、恋愛問題で人を批難することは自分にできないのであると思召おぼしめされた。
  to, tikaki tamesi wo obosu ni zo, kohi no yamadi ha, e modoku maziki mi-kokoro maziri keru.
注釈735さてもこの人をば以下「見たてまつらむよ」まで、源氏の心中。今後の女三の宮の処遇について悩む。9.8.1
注釈736めづらしきさまの御心地もかかることの紛れにてなりけり源氏は、女三の宮の懐妊も柏木との過ちによって起こったことなのだ、と理解する。9.8.1
注釈737なほざりのすさびと以下「たぐひあらじ」まで、源氏の心中。9.8.3
注釈738おほけなき人の心にもありけるかな源氏の柏木に対する非難の思い。9.8.3
注釈739帝の御妻をも過つたぐひ昔もありけれど『河海抄』は在原業平と五条后や二条后の例、花山院女御と藤原実資や藤原道信、源頼定と三条院麗景殿女御や一条院承香殿女御との例を指摘。光源氏自身、桐壺帝の藤壺女御と過ちを犯している。9.8.4
注釈740宮仕へといひて我も人も同じ君に馴れ仕うまつるほどにおのづからさるべき方につけても心を交はしそめ女性が入内することも男性が官僚として仕えることも共に「宮仕え」といった。帝との結婚も「宮仕え」なのであった。「同じ君に馴れ仕うまつるほどに」という状況は、桐壺帝の下での源氏と藤壺女御との関係によく似ている。
【さるべき方につけても】−異性間の愛情問題をさす。
9.8.4
注釈741おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは、さても交じらふやうもあらむに『集成』は「重大な、はっきりした不始末が人目につかない間は、そのまま宮仕えを続けるというこもあろうから」。『完訳』は「格別の不始末であることがはっきり人目につかない間は、そのまま宮仕えを続けていくことにもなろうから」と訳す。9.8.5
注釈742かくばかりまたなきさまに以下、自分の女三の宮の扱いについていう。9.8.6
注釈743うちうちの心ざし引く方よりも紫の上をさす。その人よりも。9.8.6
注釈744思ひはぐくまむ人をおきて自分光源氏をさす。9.8.6
注釈745帝と聞こゆれど以下「おぼえぬものを」まで、源氏の心中。9.8.8
注釈746ただ素直に公ざまの心ばへばかりにて宮仕へのほどもものすさまじきに後宮の女御更衣たちの宮仕えの心境について忖度する。9.8.8
注釈747ねぎ言になびき「ねぎごとをさのみ聞きけむ社こそ果てはなげきの森となるらめ」(古今集俳諧歌、一〇五五、讃岐)。9.8.8
注釈748寄る方ありや『集成』は「まだ許せるところがある」。『完訳』は「同情の余地があるというもの」と訳す。人情の自然な発露から出た行為というものは尊重する。9.8.8
注釈749故院の上もかく御心には以下「あるまじき過ちなりけれ」まで、源氏の心中。自分と藤壺との過ちを思い出し、帝の心境を忖度し、我が行為を深く反省する。9.8.10
注釈750恋の山路明明融臨模本、合点あり、付箋に「いかはかり恋の山路のしけゝれはいりといりぬる人まとふらん」(古今六帖四、一九七四)とある。9.8.11
出典28 ねぎ言になびき ねぎ事をさのみ聞きけむ社こそ果ては嘆きの杜となるらめ 古今集俳諧-一〇五五 讃岐 9.8.8
出典29 恋の山路 いかばかり恋てふ山の深ければ入りと入りぬる人惑ふらむ 古今六帖四-一九八〇 9.8.11
校訂44 ありし ありし--あ(あ/$)ありし 9.8.1
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

Last updated 9/30/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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