35 若菜下(明融臨模本)


WAKANA-NO-GE


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

6
第六章 紫の上の物語 出家願望と発病


6  Tale of Murasaki  A desire to become a priestess, getting ill

6.1
第一段 源氏、紫の上と語る


6-1  Genji talks with Murasaki about the concert

6.1.1  院は、 対へ渡りたまひぬ。上は、止まりたまひて、宮に御物語など聞こえたまひて、暁にぞ渡りたまへる。日高うなるまで大殿籠れり。
 院は、対へお渡りになった。紫の上は、お残りになって、宮にお話など申し上げなさって、暁方にお帰りになった。日が高くなるまでお寝みになった。
 院は対のほうへお帰りになり、紫夫人はあとに残って女三の宮とお話などをして、明け方に去ったが、昼近くなるまで寝室を出なかった。
  Win ha, tai he watari tamahi nu. Uhe ha, tomari tamahi te, Miya ni ohom-monogatari nado kikoye tamahi te, akatuki ni zo watari tamahe ru. Hi takau naru made ohotono-gomore ri.
6.1.2  「 宮の御琴の音は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞きたまひし」
 「宮のお琴の音色は、たいそう上手になったものだな。どのようにお聞きなさいましたか」
 「宮は上手じょうずになられたようではありませんか。あの琴をどう聞きましたか」
  "Miya no ohom-koto no ne ha, ito urusaku nari ni keri na! Ikaga kiki tamahi si?"
6.1.3  と聞こえたまへば、
 とお尋ねなさるので、
 と院は夫人へお話しかけになった。
  to kikoye tamahe ba,
6.1.4  「 初めつ方、あなたにてほの聞きしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。 いかでかは、かく異事なく教へきこえたまはむには
 「初めの方は、あちらでちらっと聞いた時には、どんなものかしらと思いましたが、とてもこの上なく上手になりましたわ。どうして、あのように専心してお教え申し上げになったのですから」
 「初めごろ、あちらでなさいますのを、聞いておりました時は、まだそうおできになるとは伺いませんでしたが、非常に御上達なさいましたね。ごもっともですわね、先生がそればかりに没頭していらっしゃったのですものね」
  "Hazime tu kata, anata ni te hono-kiki si ha, ikani zo ya ari si wo, ito koyonaku nari ni keri. Ikade ka ha, kaku koto-goto naku wosihe kikoye tamaha m ni ha."
6.1.5  といらへきこえたまふ。
 とお答えなさる。

  to irahe kikoye tamahu.
6.1.6  「 さかし手を取る取る、おぼつかなからぬ物の師なりかし。これかれにも、うるさくわづらはしくて、暇いるわざなれば、教へたてまつらぬを、院にも内裏にも、琴はさりとも習はしきこゆらむとのたまふと聞くがいとほしく、さりとも、さばかりのことをだに、かく取り分きて御後見にと預けたまへるしるしにはと、思ひ起こしてなむ」
 「そうなのだ。手を取り取りの、たいした師匠なんだよ。他のどなたにも、厄介で、面倒なことなので、お教え申さないが、院にも帝にも、琴の琴はいくらなんでもお教え申しているだろうとおっしゃると、耳にするのがおいたわしくて、そうは言っても、せめてその程度のことだけはと、このように特別なご後見にとお預けになった甲斐にはと、思い立ってね」
 「そうですね、手を取りながら教えるのだからこんな確かな教授法はなかったわけですね。あなたにも教えるつもりでいたが、あれは面倒で時間のかかる稽古ですからね、つい実行ができなかったのだが、院の陛下も琴だけの稽古はさせているだろうと言っておられるということを聞くと、お気の毒で、せめてそれくらいのことは保護者に選ばれたものの義務としてしなければならないかという気になって、やり始めた先生なのですよ」
  "Sakasi. Te wo toru toru, obotukanakara nu mono no si nari kasi. Kore kare ni mo, urusaku wadurahasiku te, itoma iru waza nare ba, wosihe tatematura nu wo, Win ni mo Uti ni mo, kin ha saritomo narahasi kikoyu ram to notamahu to kiku ga itohosiku, saritomo, sabakari no koto wo dani, kaku tori-waki te ohom-usiromi ni to aduke tamahe ru sirusi ni ha to, omohi-okosi te nam."
6.1.7  など聞こえたまふついでにも、
 などと申し上げなさるついでにも、
 などと仰せられるついでに、
  nado kikoye tamahu tuide ni mo,
6.1.8  「 昔、世づかぬほどを、扱ひ思ひしさま、その世には暇もありがたくて、心のどかに取りわき教へきこゆることなどもなく、近き世にも、何となく次々、紛れつつ過ぐして、聞き扱はぬ御琴の音の、出で栄えしたりしも、 面目ありて、大将の、いたくかたぶきおどろきたりしけしきも、思ふやうにうれしくこそありしか」
 「昔、まだ幼かったころ、お世話したものだが、当時は暇がなくて、ゆっくりと特別にお教え申し上げることなどもなく、近頃になっても、何となく次から次へと、とり紛れては日を送り、聞いて上げなかったお琴の音色が、素晴らしい出来映えだったのも、晴れがましいことで、大将が、たいそう耳を傾け感嘆していた様子も、思いどおりで嬉しいことであった」
 「小さかったころのあなたを手もとへ置いて、理想的に育て上げたいとは思ったものの、そのころの私にはひまな時間が少なくて、特別なものの先生になってあげることもできなかったし、近年はまたいろいろなことが次から次へと私を駆使して、よく世話もしてあげなかった琴のできのよかったことで私は光栄を感じましたよ。大将が非常に感心しているのを見たこともうれしくてなりませんでしたよ」
  "Mukasi, yoduka nu hodo wo, atukahi omohi si sama, sono yo ni ha itoma mo arigataku te, kokoro-nodoka ni tori-waki wosihe kikoyuru koto nado mo naku, tikaki yo ni mo, nani to naku tugi-tugi, magire tutu sugusi te, kiki atukaha nu ohom-koto no ne no, ide-baye si tari si mo, menboku ari te, Daisyau no, itaku katabuki odoroki tari si kesiki mo, omohu yau ni uresiku koso ari sika."
6.1.9  など聞こえたまふ。
 などと申し上げなさる。
 ともおほめになった。
  nado kikoye tamahu.
注釈382対へ渡りたまひぬ源氏は東の対へ帰った。6.1.1
注釈383宮の御琴の音は以下「いかが聞きたまひし」まで、源氏の詞。6.1.2
注釈384初めつ方以下「きこえたまはむには」まで、紫の上の詞。6.1.4
注釈385いかでかは、かく異事なく教へきこえたまはむには「いかでかは」反語表現。『集成』は「どうしてご上達なさらないことがありましょう、こんなにかかりきりでお教え申し上げなさったのですから」。『完訳』は「それもそのはずでございましょう、ほかに何もなさらずこうしてかかりきりで教えておあげになるのですから」と訳す。6.1.4
注釈386さかし以下「思ひ起こしてなむ」まで、源氏の詞。6.1.6
注釈387手を取る取るおぼつかなからぬ物の師なりかし『集成』は「手を取らんばかりの教授ぶりで、なかなかしっかりした師匠だというべきでしょう」。『完訳』は「いちいち手を取るようにして、わたしは頼りがいのある師匠というものです」と訳す。6.1.6
注釈388昔世づかぬほどを以下「うれしくこそありしか」まで、源氏の詞。6.1.8
注釈389面目ありて自分にとって面目であったという意。6.1.8
6.2
第二段 紫の上、三十七歳の厄年


6-2  Murasaki becomes 37 years old, an unlucky year

6.2.1  かやうの筋も、今はまたおとなおとなしく、 宮たちの御扱ひなど、 取りもちてしたまふさまも、いたらぬことなく、すべて何ごとにつけても、もどかしくたどたどしきこと混じらず、ありがたき人の御ありさまなれば、いとかく具しぬる人は、世に久しからぬ 例もあなるをとゆゆしきまで思ひきこえたまふ
 こういった音楽の方面のことも、今はまた年輩者らしく、若宮たちのお世話などを、引き受けなさっている様子も、至らないところなく、すべて何事につけても、非難されるような行き届かないところなく、世にもまれなご様子の方なので、まことにこのように何から何までそなわっていらっしゃる方は、長生きしない例もあるというのでと、不吉なまでにお思い申し上げなさる。
 そうした芸術的な能力も豊かである上に、今は一方で祖母の義務を御孫の宮たちのために忠実に尽くしていて、家庭の実務をとることにも力の不足は少しも見せない夫人であることを院はお思いになり、こうまで完全な人というものは短命に終わるようなこともあるのであると、そんな不安をお覚えになった。
  Kayau no sudi mo, ima ha mata otona-otonasiku, Miya-tati no ohom-atukahi nado, torimoti te si tamahu sama mo, itara nu koto naku, subete nani-goto ni tuke te mo, modokasiku tado-tadosiki koto mazira zu, arigataki hito no mi-arisama nare ba, ito kaku gu-si nuru hito ha, yo ni hisasikara nu tamesi mo a' naru wo to, yuyusiki made omohi kikoye tamahu.
6.2.2  さまざまなる人のありさまを見集めたまふままに、取り集め足らひたることは、まことに たぐひあらじとのみ思ひきこえたまへり。 今年は三十七にぞなりたまふ。見たてまつりたまひし年月のことなども、あはれに思し出でたるついでに、
 いろいろな人の有様を多く御覧になっているために、何から何まで揃っている点では、本当に例があるまいと心底からお思い申し上げていらっしゃった。今年は、三十七歳におなりである。一緒にお暮らし申されてからの年月のことなどを、しみじみとお思い出しなさったついでに、
 多くの女性を御覧になった院が、これほどにも物の整った人は断じてほかにないときめておいでになる紫の女王であった。夫人は今年が三十七であった。同棲どうせいあそばされてからの長い時間を院は追懐あそばしながら、
  Sama-zama naru hito no arisama wo mi atume tamahu mama ni, tori-atume tarahi taru koto ha, makoto ni taguhi ara zi to nomi omohi kikoye tamahe ri. Kotosi ha sam-zihu-siti ni zo nari tamahu. Mi tatematuri tamahi si tosi-tuki no kto nado mo, ahare ni obosi-ide taru tuide ni,
6.2.3  「 さるべき御祈りなど、常よりも取り分きて、今年はつつしみたまへ。もの騒がしくのみありて、思ひいたらぬこともあらむを、なほ、思しめぐらして、 大きなることどももしたまはば、 おのづからせさせてむ故僧都のものしたまはずなりにたるこそ、いと口惜しけれ。おほかたにてうち頼まむにも、いとかしこかりし人を」
 「しかるべきご祈祷など、いつもの年よりも特別にして、今年はご用心なさい。何かと忙しくばかりあって、考えつかないことがあるだろうから、やはり、あれこれとお思いめぐらしになって、大がかりな仏事を催しなさるなら、わたしの方でさせていただこう。僧都が亡くなってしまわれたことが、たいそう残念なことだ。一通りのお願いをするのにつけても、たいそう立派な方であったのに」
 「祈祷きとうのようなことを半生の年よりもたくさんさせて今年は無理をしないようにあなたは慎むのですね。私がそうしたことは常に気をつけてさせなければならないのだが、ほかのことに紛れてうっかりとしている場合もあるだろうから、あなた自身で考えて、ああしたいというようないくぶん大きな仏事の催しでもあれば、言ってくれればいくらでも用意をさせますよ。北山の僧都そうずがなくなっておしまいになったことは惜しいことだ。親戚しんせきとせずに言ってもりっぱな宗教家でしたがね」
  "Saru-beki ohom-inori nado, tune yori mo tori-waki te, kotosi ha tutusimi tamahe. Mono-sawagasiku nomi ari te, omohi itara nu koto mo ara m wo, naho, obosi-megurasi te, ohoki naru koto-domo mo si tamah ba, onodukara se sase te m. Ko-Soudu no monosi tamaha zu nari ni taru koso, ito kutiwosikere. Ohokata ni te uti-tanoma m ni mo, ito kasikokari si hito wo."
6.2.4  などのたまひ出づ。
 などとおっしゃる。
 ともお言いになった。また、
  nado notamahi-idu.
注釈390宮たちの御扱ひ明石女御腹の御子の世話。6.2.1
注釈391取りもちてしたまふさま『集成』は「自分から買って出てなさる様子も」。『完訳』は「とりしきっていらっしゃるが」と訳す。6.2.1
注釈392例もあなるをと「なる」伝聞推定の助動詞。6.2.1
注釈393ゆゆしきまで思ひきこえたまふ源氏の心中を地の文で叙述。不安・不吉を心中に呼び込み、実際それが以後の物語展開に実現していくという表現構造。6.2.1
注釈394たぐひあらじとのみ『集成』は「二人とないお方だと心底から」と訳す。副助詞「のみ」強調のニュアンス。6.2.2
注釈395今年は三十七にぞなりたまふ女の重厄の年。藤壺も三十七で崩御。『集成』は「源氏十八歳の若紫の巻で、紫の上は「十ばかりにやあらむと見えて」とあった。源氏は今四十七歳。多少の齟齬があると見るよりも大体符合するとすべきであろう。厄年にしたのは作者の意図である」。『完訳』は「源氏との年齢差を八歳と見るかぎり、紫の上の年齢は三十九歳のはず。作者の意識的過誤か」と注す。6.2.2
注釈396さるべき御祈りなど以下「かしこかりし人を」まで、源氏の詞。6.2.3
注釈397大きなることども大がかりな仏事。厄除けの祈祷。6.2.3
注釈398おのづからせさせてむ「させ」使役の助動詞。「て」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、意志。『集成』は「当然私の方でさせよう」。『完訳』は「たまにはわたしにさせてください」と訳す。6.2.3
注釈399故僧都のものしたまはず北山の僧都。紫の上の祖母の兄。6.2.3
6.3
第三段 源氏、半生を語る


6-3  Genji talks about half his life to Murasaki

6.3.1  「 みづからは、幼くより、人に異なるさまにて、ことことしく生ひ出でて、今の世のおぼえありさま、来し方に たぐひ少なくなむありけるされど、また、世にすぐれて悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし。
 「わたしは、幼い時から、人とは違ったふうに、大層な育ち方をして来て、現在の世の評判や有様、過去にも類例が少ないものであった。けれども、また一方で、大変に悲しいめに遭ったことでも、人並み以上であったことです。
 「私は生まれた初めからすでにたいそうに扱われる運命を持っていたし、今日になって得ている名誉も物質的のしあわせも珍しいほどの人間ともいってよいが、
  "Midukara ha, wosanaku yori, hito ni koto naru sama ni te, koto-kotosiku ohi-ide te, ima no yo no oboye arisama, kisikata ni taguhi sukunaku nam ari keru. Saredo, mata, yo ni sugure te kanasiki me wo miru kata mo, hito ni ha masari keri kasi.
6.3.2   まづは、思ふ人にさまざま後れ残りとまれる齢の末にも、飽かず悲しと思ふこと多くあぢきなくさるまじきことにつけても、あやしくもの思はしく、心に飽かずおぼゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、 それに代へてや、思ひしほどよりは、今までもながらふるならむとなむ、思ひ知らるる。
 まず第一に、愛する方々に次々と先立たれ、とり残された晩年になっても、意に満たず悲しいと思う事が多く、不本意にも感心しないことにかかわったにつけても、妙に物思いが絶えず、心に満足のゆかず思われる事が身につきまとって過ごして来てしまったので、その代わりとででもいうのか、思っていたわりに、今まで生き永らえているのだろうと、思わずにはいられません。
 また一方ではだれよりも多くの悲しみを見て来た人とも言えるのです。母や祖母と早く別れたことに始まって、いろいろな悲しいことが私のまわりにはありましたよ。それが罪業を軽くしたことになって、こうして思いのほか長生きもできるのだと思いますよ。
  Madu ha, omohu hito ni sama-zama okure, nokori tomare ru yohahi no suwe ni mo, aka-zu kanasi to omohu koto ohoku, adikinaku sarumaziki koto ni tuke te mo, ayasiku mono omohasiku, kokoro ni akazu oboyuru koto sohi taru mi ni te sugi nure ba, sore ni kahe te ya, omohi si hodo yori ha, ima made mo nagarahuru nara m to nam, omohi sira ruru.
6.3.3  君の御身には、 かの一節の別れより、あなたこなた、もの思ひとて、心乱りたまふばかりのことあらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれより次々は、やむごとなき人といへど、皆かならずやすからぬもの思ひ添ふわざなり。
 あなたご自身には、あの一件での離別のほかは、その前にも後にも、心配して、心をお痛めになるようなことはあるまいと思う。后と言っても、ましてそれより下の方々は、身分が高いからと言っても、皆必ず物思いの種が付き纏うものなのです。
 あなたは私とあの別居時代のにがい経験をしてからはもう物思いも煩悶はんもんもなかったろうと思われる。おきさきと言われる人、ましてそれ以下の宮廷の人には人との競争意識でみずから苦しまない人はないのですよ。
  Kimi no ohom-mi ni ha, kano hito-husi no wakare yori, anata konata, mono-omohi tote, kokoro-midari tamahu bakari no koto ara zi to nam omohu. Kisaki to ihi, masite sore yori tugi-tugi ha, yamgotonaki hito to ihe do, mina kanarazu yasukara nu mono-omohi sohu waza nari.
6.3.4  高き交じらひにつけても、心乱れ、 人に争ふ思ひの絶えぬも、やすげなきを親の窓のうちながら過ぐしたまへるやうなる心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。
 高いお付き合いをするにつけても、気苦労があり、人と争う思いが絶えないのも、楽なことではないから、親のもとでの深窓生活同然に暮らしていらっしゃるような気楽さはありません。その点では、人並み以上の運勢だとお分かりでしょうか。
 親の家にいるままのようにして今日まで来たあなたのような気楽はだれにもないものなのですよ。この点だけではあなたがだれよりも幸福だったということがわかりますか。
  Takaki mazirahi ni tuke te mo, kokoro midare, hito ni arasohu omohi no taye nu mo, yasuge naki wo, oya no mado no uti nagara sugusi tamahe ru yau naru kokoro-yasuki koto ha nasi. Sono kata, hito ni sugure tari keru sukuse to ha obosi-siru ya?
6.3.5  思ひの外に、この宮のかく渡りものしたまへるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、思し知らずやあらむ。ものの心も深く知りたまふめれば、 さりともとなむ思ふ
 思いもかけず、この宮がこのようにお輿入れなさったのは、何やら辛くお思いでしょうが、それにつけては、いっそう勝る愛情を、ご自分の身の上のことですから、あるいはお気づきでないかも知れません。物のわけをよくお分りのようですから、きっとお分りだろうと思います」
思いがけなく姫宮をこちらへお迎えしなければならないことになってからは、少しの不愉快はあるでしょうがね、それによって私の愛はいっそう深まっているのだが、あなたは自身のことだからわかっていないかもしれない。しかし物わかりのいい人だから理解していてくれるかもしれないと頼みにしていますよ」
  Omohi no hoka ni, kono Miya no kaku watari monosi tamahe ru koso ha, nama-kurusikaru bekere do, sore ni tuke te ha, itodo kuhahuru kokoro-zasi no hodo wo, ohom-midukara no uhe nare ba, obosi-sira zu ya ara m. Mono no kokoro mo hukaku siri tamahu mere ba, saritomo to nam omohu."
6.3.6  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、
 と院がお言いになると、
  to kikoye tamahe ba,
6.3.7  「 のたまふやうに、ものはかなき身には、過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、 さはみづからの祈りなりける
 「おっしゃるように、ふつつかな身の上には、過ぎた事と世間の目には見えましょうが、心に堪えない物思いばかりがつきまとうのは、それがわたし自身のご祈祷となっているのでした」
 「お言葉のように、ほかから見ますれば私としては過分な身の上になっているのですが、心には悲しみばかりがふえてまいります。それを少なくしていただきたいと神仏にはただそれを私は祈っているのですよ」
  "Notamahu yau ni, mono-hakanaki mi ni ha, sugi ni taru yoso no oboye ha ara me do, kokoro ni tahe nu mono nagekasisa nomi uti-sohu ya, saha midukara no inori nari keru."
6.3.8  とて、残り多げなるけはひ、恥づかしげなり。
 と言って、多く言い残したような様子は、奥ゆかしそうである。
 言いたいことをおさえてこれだけを言った女王に貴女らしい美しさが見えた。
  tote, nokori ohoge naru kehahi, hadukasige nari.
6.3.9  「 まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。 さきざきも聞こゆること、いかで御許しあらば」
 「ほんとうのことを申しますと、もうとても先も長くないような心地がするのですが、今年もこのように知らない顔をして過ごすのは、とても不安なことです。先々にも申し上げたこと、何とかお許しがあれば」
 「ほんとうは私はもう長く生きていられない気がしているのでございますよ。この厄年やくどしまでもまだ知らない顔でこのままでいますことは悪いことと知っています。以前からお願いしていることですから、許していただけましたら尼になります」
  "Mameyaka ni ha, ito yukusaki sukunaki kokoti suru wo, kotosi mo kaku sira-zu-gaho ni te sugusu ha, ito usirometaku koso. Saki-zaki mo kikoyuru koto, ikade ohom-yurusi ara ba."
6.3.10  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 とも夫人は言った。
  to kikoye tamahu.
6.3.11  「 それはしも、あるまじきことになむ。さて、かけ離れたまひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れの隔てなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。なほ思ふさま異なる心のほどを見果てたまへ」
 「それは、とんでもないことだ。そうして、離れておしまいになった後に残ったわたしは、何の生き甲斐があろう。ただこのように何ということもなく過ぎて行く月日だが、朝に晩に顔を合わせる嬉しさだけで、これ以上の事はないと思われるのです。やはりあなたを人とは違って思う気持ちがどれほど深いものであるか最後まで見届けてください」
 「それはもってのほかのことですよ。あなたが尼になってしまったあとの私の人生はどんなにつまらないものになるだろう。平凡に暮らしてはいるようなものの、あなたとむつまじくして生きているということよりよいことはないと私は信じているのです。あなただけをどんなに私が愛しているかということを、これからの長い時間に見ようと思ってください」
  "Sore ha simo, arumaziki koto ni nam. Sate, kake-hanare tamahi na m yo ni nokori te ha, nani no kahi ka ara m? Tada kaku nani to naku te suguru tosi-tuki nare do, ake-kure no hedate naki uresi sa nomi koso, masu koto naku oboyure. Naho omohu sama koto naru kokoro no hodo wo mi-hate tamahe."
6.3.12   とのみ聞こえたまふを例のことと心やましくて、涙ぐみたまへるけしきを、いとあはれと見たてまつりたまひて、よろづに聞こえ紛らはしたまふ。
 とばかり申し上げなさるのを、いつものことと胸が痛んで、涙ぐんでいらっしゃる様子を、たいそういとしいと拝見なさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。
 院がこうお言いになるのを、またもいつもの慰め言葉で自分の信仰にはいる道をおはばみになると聞いて、夫人の涙ぐんでいるのを院はあわれにお思いになって、いろいろな話をし出して紛らせようとおつとめになるのであった。
  to nomi kikoye tamahu wo, rei no koto to kokoro-yamasiku te, namida-gumi tamahe ru kesiki wo, ito ahare to mi tatematuri tamahi te, yorodu ni kikoye magirahasi tamahu.
注釈400みづからは幼くより以下「さりともとなむ思ふ」まで、源氏の詞。生涯を述懐し、紫の上への愛情を語る。6.3.1
注釈401たぐひ少なくなむありける以上、現世において無類の栄耀栄華を極めたことをいう。6.3.1
注釈402されどまた反転して、以下に無類の憂愁を体験したともいう。6.3.1
注釈403まづは思ふ人にさまざま後れ源氏は三歳の時には母桐壺更衣に、六歳の時には祖母に、二十三歳で父桐壺院に先立たれた。6.3.2
注釈404残りとまれる齢の末にも飽かず悲しと思ふこと多く『集成』は「具体的には明らかではないが、次の言葉から、藤壺や六条の御息所など、悔恨にみちた青春時代を回想しての感慨と思われる」。『完訳』は「現実世界への不満。その具体内容が次の「あぢきなく--」に語られるが、冷泉帝の皇統の断絶した無念さもひびいていよう」と注す。6.3.2
注釈405あぢきなくさるまじきことにつけても『集成』は「我ながら不本意な感心しないことにかかわったにつけても」。『完訳』は「道にはずれた大それたことにかかわったにつけても」「藤壺への恋情ゆえの物思い」と注す。6.3.2
注釈406それに代へてや思ひしほどよりは『完訳』は「憂愁ゆえに存命しうる。絵合にも見られる考え方」と注す。6.3.2
注釈407かの一節の別れ源氏の須磨明石への流離をさす。6.3.3
注釈408人に争ふ思ひの絶えぬもやすげなきを『集成』は「人と帝寵をきそう気持が絶えないのも楽なことではありませんが」。『完訳』は「主上のお情けを他人と争い合う気持の絶えないのも不安なものですから」と訳す。6.3.4
注釈409親の窓のうちながら過ぐしたまへるやうなる「窓の内」は「長恨歌」の「養在深窓人未識」にもとづく表現。接尾語「ながら」は、さながら、同然の意。6.3.4
注釈410さりともとなむ思ふ『集成』は「それでも、そのことはよくわきまえておいでのことと私は安心しています」。『完訳』は「いくらなんでも分ってくださると思いますが」と訳す。6.3.5
注釈411のたまふやうに以下「祈りなりける」まで、紫の上の詞。6.3.7
注釈412さはみづからの祈りなりける『集成』は「それでは、それが私のためのお祈祷になって今まで生き永らえているのかもしれません」「源氏が「それにかへてや、思ひしほどよりは、今までもながらふるならむとなむ、思ひ知らる」と言ったのにすがった形で、女三の宮降嫁後の苦衷を訴える」と注す。『完訳』は「それが自分自身のための祈りのようになっているのでした」と訳す。6.3.7
注釈413まめやかには以下「御許しあらば」まで、紫の上の詞。出家を再度願う。6.3.9
注釈414さきざきも聞こゆること「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行なひをも、となむ思ふ」(第三章二段))の出家の意志をさす。6.3.9
注釈415それはしもあるまじきことになむ以下「心のほどを見果てたまへ」まで、源氏の詞。紫の上の出家の再度の願いを拒絶、制止する。6.3.11
注釈416とのみ聞こえたまふを副助詞「のみ」限定と強調のニュアンス。と同じことばかり、というニュアンス。6.3.12
注釈417例のことと心やましくて『集成』「(出家の願いを聞き届けて下さらない)いつもの口実だと、つらく思って」。『完訳』は「上は、いつもと同じおっしゃりようだと、まったくやりばのないお気持になられて」と訳す。6.3.12
6.4
第四段 源氏、関わった女方を語る


6-4  Genji talks about his girlfriends to Murasaki

6.4.1  「 多くはあらねど、人のありさまの、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちゐたるこそ、いと難きわざなりけれとなむ、思ひ果てにたる。
 「多くは知らないが、人柄が、それぞれにとりえのないものはないと分かって行くにつれて、ほんとうの気立てがおおらかで落ち着いているのは、なかなかいないものであると、思うようになりました。
 「そうおおぜいではありませんが、私の接触した比較的優秀な女性について言ってみると、女は何よりも性質が善良で落ち着いた考えのある人が一等だと思われるが、それがなかなか望んで見いだせないものなのですよ。
  "Ohoku ha ara ne do, hito no arisama no, tori-dori ni kutiwosiku ha ara nu wo mi-siri yuku mama ni, makoto no kokorobase oyiraka ni oti-wi taru koso, ito kataki waza nari kere to nam, omohi-hate ni taru.
6.4.2   大将の母君を幼かりしほどに見そめて、やむごとなくえ避らぬ筋には思ひしを、常に仲よからず、隔てある心地して止みにしこそ、今思へば、 いとほしく悔しくもあれ
 大将の母君を、若いころにはじめて妻として、大事にしなければならない方とは思ったが、いつも夫婦仲が好くなく、うちとけぬ気持ちのまま終わってしまったのが、今思うと、気の毒で残念である。
 大将の母とは少年時代に結婚をして、尊重すべき妻だとは思っていましたが、仲をよくすることができずに、隔てのあるままで終わったのを、今思うと気の毒で堪えられないし、残念なことをしたと後悔もしていながら、
  Daisyau no Haha-Gimi wo, wosanakari si hodo ni mi-some te, yamgotonaku e saranu sudi ni ha omohi si wo, tune ni naka yokara zu, hedate aru kokoti si te yami ni si koso, ima omohe ba, itohosiku kuyasiku mo are.
6.4.3  また、わが過ちにのみもあらざりけりなど、心ひとつになむ思ひ出づる。 うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかなとおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまり乱れたるところなく、すくすくしく、 すこしさかしとやいふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。
 しかしまた、わたし一人の罪ばかりではなかったのだと、自分の胸一つに思い出される。きちんとして重々しくて、どの点が不満だと思われることもなかった。ただ、あまりにくつろいだところがなく、几帳面すぎて、少しできすぎた人であったと言うべきであろうかと、離れて思うには信頼が置けて、一緒に生活するには面倒な人柄であった。
 また自分だけが悪いのでもなかったと一方では考えられもするのですよ。りっぱな貴婦人であったことは間違いのないことで、なんらの欠点はなかったが、ただあまりに整然とととのったのが堅い感じを受けさせてね。少し賢過ぎるといっていいような人で、話で聞けば頼もしいが、妻にしては面倒な気のするというような女性でしたよ。
  Mata, waga ayamati ni nomi mo ara zari keri nado, kokoro hitotu ni nam omohi-iduru. Uruhasiku omorika ni te, sono koto no akanu kana to oboyuru koto mo nakari ki. Tada, ito amari midare taru tokoro naku, suku-sukusiku, sukosi sakasi to ya ihu bekari kem to, omohu ni ha tanomosiku, miru ni ha wadurahasikari si hito-zama ni nam.
6.4.4   中宮の御母御息所なむ、さま異に心深くなまめかしき例には、まづ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。怨むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く 怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか
 中宮の御母君の御息所は、人並すぐれてたしなみ深く優雅な人の例としては、まず第一に思い出されるが、逢うのに気がおけて、こちらが気苦労するような方でした。恨むことも、なるほど無理もないことと思われる点を、そのままいつまでも思い詰めて、深く怨まれたのは、まことに辛いことであった。
 中宮ちゅうぐうの母君の御息所みやすどころは、高い見識の備わった才女の例には思い出される人だが、恋人としてはきわめて扱いにくい性格でしたよ。うらむのが当然だと一通りは思われることでも、その人はそのままそのことを忘れずに思いつめて深く恨むのですから、相手は苦しくてならなかった。
  Tyuuguu no ohom-haha-Miyasumdokoro nam, sama koto ni kokoro hukaku namamekasiki tamesi ni ha, madu omohi-ide rarure do, hito miye nikuku, kurusikari si sama ni nam ari si. Uramu beki husi zo, geni kotowari to oboyuru husi wo, yagate nagaku omohi tume te, hukaku wen-ze rare si koso, ito kurusikari sika.
6.4.5  心ゆるびなく恥づかしくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦びを交はさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見落とさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがて隔たりし仲ぞかし。
 緊張のし通しで気づまりで、自分も相手もゆっくりとして、朝夕睦まじく語らうには、とても気の引けるところがあったので、気を許しては軽蔑されるのではないかなどと、あまりに体裁をつくろっていたうちに、そのまま疎遠になった仲なのです。
 自己を高く評価させないではおかないという自尊心が年じゅう付きまつわっているような気がして、そんな場合に自分は気に入らない男になるかもしれないと、あまりに見栄を張り過ぎるような私になって、そして自然に遠のいて縁が絶えたのですよ。
  Kokoro yurubi naku hadukasiku te, ware mo hito mo uti-tayumi, asa-yuhu no mutubi wo kahasa m ni ha, ito tutumasiki tokoro no ari sika ba, utitoke te ha mi-otosa ruru koto ya nado, amari tukurohisi hodo ni, yagate hedatari si naka zo kasi.
6.4.6  いとあるまじき名を立ちて、 身のあはあはしくなりぬる嘆きを、いみじく思ひしめたまへりしがいとほしく、げに人がらを思ひしも、我罪ある心地して止みにし慰めに、中宮をかく さるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり、人の恨みをも知らず、心寄せたてまつるを、かの世ながらも見直されぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」
 たいそうとんでもない浮名を立て、ご身分に相応しくなくなってしまった嘆きを、たいそう思い詰めていらっしゃったのがお気の毒で、なるほど人柄を考えても、自分に罪がある心地がして終わってしまったその罪滅ぼしに、中宮をこのようにそうなるべき前世からのご因縁とは言いながら、取り立てて、世の非難、人の嫉妬も意に介さず、お世話申し上げているのを、あの世からであっても考え直して下さったろう。今も昔も、いいかげんな気まぐれから、気の毒な事や後悔する事が多いのです」
 私が無二無三に進み寄ってあるまじい名の立つ結果を引き起こしたその人の真価を知っているだけなお捨ててしまったのが済まないことに思われて、せめて中宮にはよくお尽くししたいと、それも前生の約束だったのでしょうが、こうして子にしてお世話を申していることで、あの世からも私を見直しているでしょうよ。今も昔も浮わついた心から人のために気の毒な結果を生むことの多い私ですよ」
  Ito arumaziki na wo tati te, mi no aha-ahasiku nari nuru nageki wo, imiziku omohi-sime tamahe ri si ga itohosiku, geni hitogara wo omohi si mo, ware tumi aru kokoti si te yami ni si nagusame ni, Tyuuguu wo kaku saru-beki ohom-tigiri to ha ihi nagara, toritate te, yo no sosiri, hito no urami wo mo sira zu, kokoro yose tatematuru wo, kano yo nagara mo mi-nahosa re nu ram. Ima mo mukasi mo, nahozari naru kokoro no susabi ni, itohosiku kuyasiki koto mo ohoku nam."
6.4.7  と、来し方の人の御上、すこしづつのたまひ出でて、
 と、亡くなったご夫人方について少しずつおっしゃり出して、
 なお幾人いくたりかの女の上を院はお語りになった。
  to, kisikata no hito no ohom-uhe, sukosi dutu notamahi ide te,
6.4.8  「 内裏の御方の御後見は 、何ばかりのほどならずと、あなづりそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深きところある人になむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下に籠もりて、そこはかとなく恥づかしきところこそあれ」
 「今上の御方のご後見は、大した身分の人でないと、最初から軽く見て、気楽な相手だと思っていたが、やはり心の底が見えず、際限もなく深いところのある人でした。表面は従順で、おっとりして見えるながら、しっかりしたところが下にあって、どことなく気の置けるところがある人です」
 「女御にょごのあの後見役はたいしたものではあるまいと軽く見てかかった相手ですが、それが心の底の底までは見られないほどの深い所のある女でしたからね。うわべは素直らしく柔順には見えながら、自己を守る堅さが何かの場合に見える怜悧れいりなたちなのですよ」
  "Uti-no-Ohomkata no ohom-usiromi ha, nani bakari no hodo nara zu to, anaduri some te, kokoro-yasuki mono ni omohi si wo, naho kokoro no soko miye zu, kiha naku hukaki tokoro aru hito ni nam. Uhabe ha hito ni nabiki, oyiraka ni miye nagara, utitoke nu kesiki sita ni komori te, sokohaktonaku hadukasiki tokoro koso are."
6.4.9  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と院がお言いになると、
  to notamahe ba,
6.4.10  「 異人は見ねば知らぬを、これは、 まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしきありさましるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見たまふらむと、つつましけれど、女御は、おのづから思し許すらむとのみ思ひてなむ」
 「他の方は会ったことがないので知りませんが、この方は、はっきりとではないが、自然と様子を見る機会も何度かあったので、とても馴れ馴れしくできず、気の置ける嗜みがはっきりと分かりますにつけても、とても途方もない単純なわたしを、どのように御覧になっているだろうと、気の引けるところですが、女御は、自然と大目に見て下さるだろうとばかり思っています」
 「ほかの方は見ないのですからわかりませんけれど、あの方にはおりおりお目にかかっていますが、聡明そうめいで聡明で御自身の感情を少しもお見せにならないのに比べて、だれにも友情を押しつける私をあの方はどう御覧になっていらっしゃるかときまりが悪くてね。しかしとにもかくにも女御は私をいいようにだけ解釈してくださるだろうと思っています」
  "Koto-bito ha mi ne ba sira nu wo, kore ha, maho nara ne do, onodukara kesiki miru wori-wori mo aru ni, ito utitoke nikuku, kokoro-hadukasiki arisama siruki wo, ito tatosihe naki ura-nasa wo, ikani mi tamahu ram to, tutumasikere do, Nyougo ha, onodukara obosi-yurusu ram to nomi omohi te nam."
6.4.11  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 夫人にとってはねたましく思われた人であった
  to notamahu.
6.4.12   さばかりめざましと心置きたまへりし人を、今はかく許して見え交はしなどしたまふも、女御の御ための真心なるあまりぞかしと思すに、いとありがたければ、
 あれほど目障りな人だと心を置いていらっしゃった人を、今ではこのように顔を合わせたりなどなさるのも、女御の御ためを思う真心の結果なのだとお思いになると、普通にはとても出来ないことなので、
 明石あかし夫人をさえこんなに寛大な心で見るようになったのも、女御を愛する心の深いからであろうと院はうれしく思召おぼしめした。
  Sabakari mezamasi to kokoro-oki tamahe ri si hito wo, ima ha kaku yurusi te miye-kahasi nado si tamahu mo, Nyougo no ohom-tame no ma-gokoro naru amari zo kasi to obosu ni, ito arigatakere ba,
6.4.13  「 君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により、ことに従ひ、いと よく二筋に心づかひはしたまひけれ。さらに ここら見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。 いとけしきこそものしたまへ
 「あなたこそは、それでもやはり心底に思わないこともないではないが、人によって、事によって、とても上手に心を使い分けていらっしゃいますね。全く多くの女たちに接して来たが、あなたのご様子に似ている人はいませんでした。とても態度は格別でいらっしゃいます」
 「あなたは恨む心もある人だが思いやりもあるから私をそう困らせませんね。たくさんな女の中であなたの真似まねのできる人はない。あまりにりっぱ過ぎるわけですね」
  "Kimi koso ha, sasuga ni kuma-naki ni ha ara nu monokara, hito ni yori, koto ni sitagahi, ito yoku huta-sudi ni kokoro-dukahi ha si tamahi kere. Sarani kokora mire do, mi-arisama ni ni taru hito ha nakari keri. Ito kesiki koso monosi tamahe."
6.4.14  と、ほほ笑みて 聞こえたまふ。
 と、ほほ笑んで申し上げなさる。
 微笑して院はこうお言いになる。夕方になってから、
  to, hohowemi te kikoye tamahu.
6.4.15  「 宮に、いとよく弾き取りたまへりしことの喜び聞こえむ」
 「宮に、とても琴の琴を上手にお弾きになったお祝いを申し上げよう」
 「宮がよくおきになったお祝いを言ってあげよう」
  "Miya ni, ito yoku hiki-tori tamahe ri si koto no yorokobi kikoye m."
6.4.16  とて、夕つ方渡りたまひぬ。我に心置く人やあらむとも思したらず、いといたく若びて、ひとへに御琴に心入れておはす。
 と言って、夕方お渡りになった。自分に気兼ねする人があろうかともお考えにもならず、とてもたいそう若々しくて、一途に御琴に熱中していらっしゃる。
 と言って、院は寝殿へお出かけになった。自分があるために苦しんでいる人がほかにあることなどは念頭になくて、お若々しく宮は琴の稽古けいこを夢中になってしておいでになった。
  tote, yuhu tu kata watari tamahi nu. Ware ni kokoro-oku hito ya ara m to mo obosi tara zu, ito itaku wakabi te, hitohe ni ohom-koto ni kokoro ire te ohasu.
6.4.17  「 今は、暇許してうち休ませたまへかし物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり」
 「もう、お暇を下さって休ませていただきたいものです。師匠は満足させてこそです。とても辛かった日頃の成果があって、安心出来るほどお上手になりになりました」
 「もう琴は休ませておやりなさい。それに先生をよく歓待なさらなければならないでしょう。苦しい骨折りのかいがあって安心してよいできでしたよ」
  "Ima ha, itoma yurusi te uti-yasuma se tamahe kasi. Mono no si ha kokoro-yuka se te koso. Ito kurusikari turu hi-goro no sirusi ari te, usiro-yasuku nari tamahi ni keri."
6.4.18  とて、御琴どもおしやりて、大殿籠もりぬ。
 と言って、お琴類は押しやって、お寝みになった。
  と院はお言いになって、楽器は押しやって寝ておしまいになった。
  tote, ohom-koto-domo osi-yari te, ohotono-gomori nu.
注釈418多くはあらねど以下「悔しきことも多くなむ」まで、源氏の詞。源氏の女性観。過去の女性について語る。6.4.1
注釈419大将の母君を葵の上をさす。源氏の詞中での呼称。以下、葵の上評。6.4.2
注釈420幼かりしほどに見そめて源氏は十二歳で元服、その日の夜に葵の上と結婚。6.4.2
注釈421いとほしく悔しくもあれ「こそ」の係結び、已然形。『集成』は句点で「お気の毒にも残念にも思われます」。『完訳』は読点で逆接用法の「おいたわしく悔やまれもするのですけれど」と訳す。6.4.2
注釈422うるはしく重りかにて『完訳』は「深窓の麗人という印象である」と注す。「麗し」という語句は、きちんとしすぎていてよそよそしく好感がもたれない、というニュアンス。女三の宮降嫁後の紫の上の態度に「うるはし」という表現が使われているのは、注意すべき。6.4.3
注釈423すこしさかしとやいふべかりけむ『集成』は「どちらかというと頭のよすぎる人だったであろうと」。『完訳』は「少し立派すぎたとでもいうべきだったでしょうか」と訳す。6.4.3
注釈424中宮の御母御息所なむ六条御息所。源氏の詞中での呼称。以下、六条御息所評。6.4.4
注釈425怨ぜられしこそいと苦しかりしか「られ」受身の助動詞。源氏が御息所から怨まれたのはつらいことであった、の意。6.4.4
注釈426身のあはあはしくなりぬる嘆きを『集成』は「ご身分にふさわしからぬ身の上になられた嘆きを」。『完訳』は「ご身分を傷つけてしまったことが嘆かわしいと」と訳す。6.4.6
注釈427さるべき御契りとはいひながら后という高い地位になるご宿縁とはいっても。6.4.6
注釈428内裏の御方の御後見は以下「ところこそあれ」まで、源氏の詞。源氏の詞中での明石御方の呼称。以下明石御方評。6.4.8
注釈429異人は見ねば知らぬを以下「思ひてなむ」まで、紫の上の詞。6.4.10
注釈430まほならねど『集成』は「はっきりとではありませんが」。『完訳』は「あらたまってではありませんが」と訳す。6.4.10
注釈431さばかりめざましと以下「真心なるあまりぞかし」まで、地の文と源氏の心中が融合した表現。6.4.12
注釈432君こそはさすがに以下「こそものしたまへ」まで、源氏の詞。6.4.13
注釈433よく二筋に心づかひはしたまひけれ『完訳』は「状況に応じて心の使い分けをする聰明さをいう」と注す。6.4.13
注釈434いとけしきこそものしたまへ『集成』は「とても余人に代えがたい感心なお人柄です」と訳し、「「けしきあり」はひとかどの風情があるというほどの意」と注す。『完訳』は「まことにご機嫌ななめなところをお見せにはなりますけれど」と訳し、「嫉妬なさるところもあるが、と戯れた」と注す。6.4.13
注釈435宮にいとよく以下「喜び聞こえむ」まで、源氏の詞。6.4.15
注釈436今は暇許してうち休ませたまへかし以下「たまひにたり」まで、源氏の詞。女三の宮が源氏に暇を許して琴の教授を休ませる、の意。「せ」使役の助動詞。6.4.17
注釈437物の師は心ゆかせてこそ『集成』は「師匠というものは、(ご褒美を下さって)喜ばせないといけないものです」。『完訳』は「師匠を楽にさせてこそ弟子というものです」と訳す。6.4.17
校訂17 御方の 御方の--(/+御かたの) 6.4.8
校訂18 ここら ここら--こゝと(と/$ら) 6.4.13
校訂19 聞こえ 聞こえ--き(き/+こ)え 6.4.14
6.5
第五段 紫の上、発病す


6-5  Murasaki getts ill at daybreak

6.5.1  対には、例のおはしまさぬ夜は、宵居したまひて、 人びとに物語など読ませて聞きたまふ
 対の上のもとでは、いつものようにいらっしゃらない夜は、遅くまで起きていらして、女房たちに物語などを読ませてお聞きになる。
 対のほうでは寝殿泊まりのこうした晩の習慣ならわし女王にょおうは長く起きていて女房たちに小説を読ませて聞いたりしていた。
  Tai ni ha, rei no ohasimasa nu yo ha, yohi-wi si tamahi te, hito-bito ni monogatari nado yoma se te kiki tamahu.
6.5.2  「 かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語りどもにも、あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女、かやうなることを言ひ集めたるにも、 つひに寄る方ありてこそあめれ あやしく、浮きても過ぐしつるありさまかなげに、のたまひつるやうに人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬことにするもの思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」
 「このように、世間で例に引き集めた昔語りにも、不誠実な男、色好み、二心ある男に関係した女、このようなことを語り集めた中にも、結局は頼る男に落ち着くようだ。どうしたことか、浮いたまま過してきたことだわ。確かにおっしゃったように、人並み勝れた運勢であったわが身の上だが、世間の人が我慢できず満足ゆかないこととする悩みが身にまといついて終わろうとするのだろうか。つまらない事よ」
 人生を写した小説の中にも多情な男、幾人も恋人を作る人を相手に持って、絶えず煩悶はんもんする女が書かれてあっても、しまいには二人だけの落ち着いた生活が営まれることに皆なっているようであるが、自分はどうだろう、晩年になってまで一人の妻にはなれずにいるではないか、院のお言葉のように自分は運命に恵まれているのかもしれぬが、だれも最も堪えがたいこととする苦痛に一生付きまとわれていなければならぬのであろうか、情けないことである
  "Kaku, yo no tatohi ni ihi atume taru mukasi-gatari-domo ni mo, ada naru wotoko, iro-gonomi, huta-kokoro aru hito ni kakadurahi taru womna, kayau naru koto wo ihi atume taru ni mo, tuhi ni yoru kata ari te koso a' mere. Ayasiku, uki te mo sugusi turu arisama kana! Geni, notamahi turu yau ni, hito yori koto naru sukuse mo ari keru mi nagara, hito no sinobi gataku aka nu koto ni mo suru mono omohi hanare nu mi ni te ya yami na m to su ram. Adikinaku mo aru kana!"
6.5.3  など思ひ続けて、夜更けて大殿籠もりぬる、暁方より、御胸を悩みたまふ。人びと見たてまつり扱ひて、
 などと思い続けて、夜が更けてお寝みになった、その明け方から、お胸をお病みになる。女房たちがご看病申し上げて、
 などと思い続けて、夫人は夜がふけてから寝室へはいったのであるが、夜明け方から病になって、はなはだしく胸が痛んだ。女房が心配して
  nado omohi tuduke te, yo huke te ohotono-gomori nuru, akatuki-gata yori, ohom-mune wo nayami tamahu. Hito-bito mi tatematuri atukahi te,
6.5.4  「 御消息聞こえさせむ
 「お知らせ申し上げましょう」
 院へ申し上げよう
  "Ohom-seusoko kikoye sase m."
6.5.5  と聞こゆるを、
 と申し上げるが、
 と言っているのを、
  to kikoyuru wo,
6.5.6  「 いと便ないこと
 「とても不都合なことです」
 「そんなことをしては済みませんよ」
  "Ito bin-nai koto."
6.5.7  と制したまひて、堪へがたきを押さへて明かしたまひつ。 御身もぬるみて、御心地もいと悪しけれど、院もとみに渡りたまはぬほど、かくなむとも聞こえず。
 とお制しなさって、苦しいのを我慢して夜を明かしなさった。お身体も熱があって、ご気分もとても悪いが、院がすぐにお帰りにならない間、これこれとも申し上げない。
 と夫人はとめて、非常な苦痛を忍んで朝を待った。発熱までもして夫人の容体は悪いのであるが、院が早くお帰りにならないのをお促しすることもなしにいるうち、
  to sei-si tamahi te, tahe-gataki wo osahe te akasi tamahi tu. Ohom-mi mo nurumi te, mi-kokoti mo ito asikere do, Win mo tomi ni watari tamaha nu hodo, kaku nam to mo kikoye zu.
注釈438人びとに物語など読ませて聞きたまふ当時の物語の観賞法を窺わせる。女房が物語を読みあげて姫君が耳で聞くというかたち。国宝『源氏物語絵巻』「東屋」第一段の図、参照。6.5.1
注釈439かく世のたとひに言ひ集めたる昔語りどもにも「あぢきなくもあるかな」まで、紫の上の心中。「昔語り」の性格について、『集成』は「こうして世間によくある話としていろいろ物語っているたくさんの昔話でも」。『完訳』は「このように世間にありがちな話としていろいろと書いてある昔の数々の物語にも」と訳す。いずれにしても短編物語集的性格であろう。6.5.2
注釈440つひに寄る方ありてこそあめれ【寄る方ありてこそ】−明融臨模本、合点。付箋「よるかたもありといふなり(る)ありそ海にたつ白なみのおなし所に」(出典未詳)。前田家本『源氏釈』は「よるかたもありといふなるありそ海のたつ白浪もおなし心よ」(出典未詳)を指摘。定家自筆本『奥入』は「よる方もありといふなるありそうみの(に)たつしらなみのおなし所に」(出典未詳)と、第四五句に異同ある和歌を指摘。『異本紫明抄』『紫明抄』『河海抄』は『奥入』所引系の和歌、『休聞抄』『孟津抄』は『源氏釈』所引系の和歌を指摘する。現行の注釈書では『河海抄』指摘の「大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありといふものを」(伊勢物語四十七段)を指摘する。
【こそあめれ】−係結び、逆接用法。
6.5.2
注釈441あやしく浮きても過ぐしつるありさまかな以下、紫の上の述懐。『集成』は「ずっと源氏の正式な北の方としてではなく過してきたこと。それゆえ、今は北の方として女三の宮がいる」と注す。6.5.2
注釈442げにのたまひつるやうに源氏の言葉「そのかた人にすぐれたりける宿世とは思し知るや」(第六章三段)を受ける。6.5.2
注釈443人より異なる宿世もありける身ながら『完訳』は「ここでも栄華と憂愁の半生とするが、宿命観が濃厚」と注す。6.5.2
注釈444御消息聞こえさせむ女房の詞。源氏に知らせよう、の意。6.5.4
注釈445いと便ないこと紫の上、制止の詞。今女三の宮と一緒にいるところに知らせを遣るのは不都合である、というニュアンスで断る。6.5.6
出典17 つひに寄る方 寄る方もありといふなるありそ海の立つ白波も同じ心よ 出典未詳-源氏釈所引 6.5.2
大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを 古今集恋四-七〇七 在原業平
出典18 御身もぬるみて 人知れぬ我が思ひに逢はぬ間は身にさへぬるみて思ほゆるかな 小町集-四九 6.5.7
6.6
第六段 朱雀院の五十賀、延期される


6-6  The celebration of Suzaku is put off because of Murasaki's illness

6.6.1  女御の御方より御消息あるに、
 女御の御方からお便りがあったので、
 女御のほうから夫人へ手紙を持たせて来た使いに、
  Nyougo no ohom-kata yori ohom-seusoko aru ni,
6.6.2  「 かく悩ましくてなむ
 「これこれと気分が悪くていらっしゃいます」
 病気のことを
  "Kaku nayamasiku te nam."
6.6.3  と聞こえたまへるに、驚きて、 そなたより聞こえたまへるに、胸つぶれて、急ぎ渡りたまへるに、いと苦しげにておはす。
 と申し上げなさると、びっくりして、そちらから申し上げなさったので、胸がどきりとして、急いでお帰りになると、とても苦しそうにしていらっしゃる。
 女房が伝えたために、驚いた女御から院へお知らせをしたために、胸を騒がせながら院が帰っておいでになると、夫人は苦しそうなふうで寝ていた。
  to kikoye tamahe ru ni, odoroki te, sonata yori kikoye tamahe ru ni, mune tubure te, isogi watari tamahe ru ni, ito kurusige ni te ohasu.
6.6.4  「 いかなる御心地ぞ
 「どのようなご気分ですか」
 「どんな気持ちですか」
  "Ika naru mi-kokoti zo?"
6.6.5  とて探りたてまつりたまへば、いと熱くおはすれば、昨日聞こえたまひし御つつしみの筋など思し合はせたまひて、いと恐ろしく思さる。
 と手をさし入れなさると、とても熱っぽくいらっしゃるので、昨日申し上げなさったご用心のことなどをお考え合わせになって、とても恐ろしく思わずにはいらっしゃれない。
 とお言いになり、手を夜着の下に入れてごらんになると非常に夫人の身体からだは熱い。昨日話し合われた厄年のことも思われて、院は恐ろしく思召されるのであった。
  tote saguri tatematuri tamahe ba, ito atuku ohasure ba, kinohu kikoye tamahi si ohom-tutusimi no sudi nado obosi-ahase tamahi te, ito osorosiku obosa ru.
6.6.6   御粥などこなたに参らせたれど、御覧じも入れず、 日一日添ひおはして、よろづに見たてまつり嘆きたまふ。 はかなき御くだものをだに、いともの憂くしたまひて、起き上がりたまふこと絶えて、日ごろ経ぬ。
 御粥などをこちらで差し上げたが、御覧にもならず、一日中付き添っていらして、いろいろと介抱なさりお心を痛めなさる。ちょっとしたお果物でさえ、とても億劫になさって、起き上がりなさることはまったくなくなって、数日が過ぎてしまった。
 かゆなどを作って持って来たが夫人は見ることすらもいやがった。院は終日病床にお付き添いになって看護をしておいでになった。ちょっとした菓子なども口にせず起き上がらないまま幾日かたった。
  Ohom-kayu nado konata ni mawira se tare do, go-ran-zi mo ire zu, hi-hito-hi sohi ohasi te, yorodu ni mi tatematuri nageki tamahu. Hakanaki ohom-kudamono wo dani, ito mono-uku si tamahi te, okiagari tamahu koto taye te, higoro he nu.
6.6.7  いかならむと 思し騒ぎて、御祈りども、数知らず始めさせたまふ。僧召して、御加持などせさせたまふ。そこところともなく、いみじく苦しくしたまひて、胸は時々おこりつつ患ひたまふさま、堪へがたく苦しげなり。
 どうなるのだろうとご心配になって、御祈祷などを、数限りなく始めさせなさる。僧侶を召して、御加持などをおさせになる。どこということもなく、たいそうお苦しみになって、胸は時々発作が起こってお苦しみになる様子は、我慢できないほど苦しげである。
 どうなることかと院は御心配になって祈祷きとうを数知らずお始めさせになった。僧を呼び寄せて加持かじなどもさせておいでになった。どこが特に悪いともなく夫人は非常に苦しがるのである。胸の痛みの時々起こるおりなども堪えがたそうな苦しみが見えた。
  Ika nara m to obosi sawagi te, ohom-inori-domo, kazu sira zu hazime sase tamahu. Sou mesi te, go-kadi nado se sase tamahu. Soko-tokoro to mo naku, imiziku kurusiku si tamahi te, mune ha toki-doki okori tutu wadurahi tamahu sama, tahe-gataku kurusige nari.
6.6.8  さまざまの御慎しみ限りなけれど、しるしも見えず。重しと見れど、おのづからおこたるけぢめあらば頼もしきを、いみじく心細く悲しと見たてまつりたまふに、異事思されねば、 御賀の響きも静まりぬ。かの院よりも、かく患ひたまふよし聞こし召して、御訪らひいとねむごろに、たびたび聞こえたまふ。
 さまざまのご謹慎は数限りないが、効験も現れない。重態と見えても、自然と快方に向かう兆しが見えれば期待できるが、たいそう心細く悲しいと見守っていらっしゃると、他の事はお考えになれないので、御賀の騷ぎも静まってしまった。あちらの院からも、このようにご病気である由をお聞きあそばして、お見舞いを非常に御丁重に、度々申し上げなさる。
 いろいろな養生ようじょうもまじないもするがききめは見えない。重い病気をしていても時さえたてばなおる見込みのあるのは頼もしいが、この病人は心細くばかり見えるのを院は悲しがっておいでになった。もうほかのことをお考えになる余裕がないために、法皇の賀のことも中止の状態になった。法皇の御寺みてらからも夫人の病をねんごろにお見舞いになる御使いがたびたび来た。
  Sama-zama no ohom-tutusimi kagiri nakere do, sirusi mo miye zu. Omosi to mire do, onodukara okotaru kedime ara ba, tanomosiki wo, imiziku kokoro-bosoku kanasi to mi tatematuri tamahu ni, koto-goto obosa re ne ba, ohom-ga no hibiki mo sidumari nu. Kano Win yori mo, kaku wadurahi tamahu yosi kikosi-mesi te, ohom-toburahi ito nemgoro ni, tabi-tabi kikoye tamahu.
注釈446かく悩ましくてなむ紫の上方の女房の詞。6.6.2
注釈447そなたより聞こえたまへるに明石女御方から源氏のもとへ、の意。6.6.3
注釈448いかなる御心地ぞ源氏の詞。6.6.4
注釈449御粥などこなたに朝粥、源氏の朝食をいう。6.6.6
注釈450はかなき御くだものを紫の上への軽い食事。『集成』は「果物、木の実、菓子などの軽い食事。ここは果物であろう」。『完訳』「お菓子」と注す。6.6.6
注釈451思し騒ぎて主語は源氏。6.6.7
注釈452御賀の響きも静まりぬ最初正月に予定、次いで二月十余日に延期、それも中止になりそうとなる。6.6.8
校訂20 日一日 日一日--ひゝとひひ(ひ/$<後出>) 6.6.6
6.7
第七段 紫の上、二条院に転地療養


6-7  Murasaki tries a treatment by a change of air to Nijo-in

6.7.1   同じさまにて、二月も過ぎぬ。いふ限りなく思し嘆きて、試みに所を変へたまはむとて、二条の院に渡したてまつりたまひつ。 院の内ゆすり満ちて、思ひ嘆く人多かり
 同じような状態で、二月も過ぎた。言いようもない程にお嘆きになって、ためしに場所をお変えなさろうとして、二条院にお移し申し上げなさった。院の中は上を下への大騒ぎで、嘆き悲しむ者が多かった。
 夫人の病気は同じ状態のままで二月も終わった。院は言い尽くせぬほどの心痛をしておいでになって、試みに場所を変えさせたらとお考えになって、二条の院へ病女王をお移しになった。六条院の人々は皆大厄難やくなんが来たように、悲しんでいる。
  Onazi sama ni te, Ni-gwati mo sugi nu. Ihu kagiri naku obosi nageki te, kokoromi ni tokoro wo kahe tamaha m tote, Nideu-no-win ni watasi tatematuri tamahi tu. Win no uti yusuri miti te, omohi nageku hito ohokari.
6.7.2  冷泉院も聞こし召し嘆く。 この人亡せたまはば、院も、かならず世を背く御本意遂げたまひてむと、大将の君なども、心を尽くして見たてまつり扱ひたまふ。
 冷泉院にもお聞きあそばして悲しまれる。この方がお亡くなりになったら、院もきっと出家のご素志をお遂げになるだろうと、大将の君なども、真心をこめてお世話申し上げなさる。
 冷泉れいぜい院も御心痛あそばされた。この夫人にもしものことがあれば六条院は必ず出家を遂げられるであろうことは予想されることであったから、大将なども誠心誠意夫人の病気回復をはかるために奔走しているのであった。
  Reizei-Win mo kikosimesi nageku. Kono hito use tamaha ba, Win mo, kanarazu yo wo somuku ohom-ho'i toge tamahi te m to, Daisyau-no-Kimi nado mo, kokoro wo tukusi te mi tatematuri atukahi tamahu.
6.7.3  御修法などは、おほかたのをばさるものにて、 取り分きて仕うまつらせたまふ。いささかもの思し分く隙には、
 御修法などは、普通に行うものはもとより、特別に選んでおさせになる。少しでも意識がはっきりしている時には、
 院が仰せられる祈祷きとうのほかに大将は自身の志での祈祷もさせていた。少し知覚の働く時などに夫人は、
  Mi-syuhohu nado ha, ohokata no wo ba saru mono ni te, tori-waki te tukau matura se tamahu. Isasaka mono obosi-waku hima ni ha,
6.7.4  「 聞こゆることを、さも心憂く
 「お願い申し上げていることを、お許しなく情けなくて」
 「お願いしていますことをあなたはおこばみになるのですもの」
  "Kikoyuru koto wo, samo kokoro-uku."
6.7.5   とのみ恨みきこえたまへど限りありて別れ果てたまはむよりも目の前に、わが心とやつし捨てたまはむ御ありさまを見ては、さらに片時堪ふまじくのみ、惜しく悲しかるべければ、
 とだけお恨み申し上げなさるが、寿命が尽きてお別れなさるよりも、目の前でご自分の意志で出家なさるご様子を見ては、まったく少しの間でも耐えられず、惜しく悲しい気がしないではいられないので、
 と、院をお恨みした。力の及ばぬ死別にあうことよりも、生きながら自分から遠く離れて行かせるようなことを見ては、片時も生きるに堪えない気があそばされる院は、
  to nomi urami kikoye tamahe do, kagiri ari te wakare hate tamaha m yori mo, me no mahe ni, waga kokoro to yatusi sute tamaha m mi-arisama wo mi te ha, sarani kata-toki tahu maziku nomi, wosiku kanasikaru bekere ba,
6.7.6  「 昔より、みづからぞかかる本意深きを、とまりてさうざうしく思されむ心苦しさに引かれつつ過ぐすを、さかさまにうち捨てたまはむとや思す」
 「昔から、自分自身こそこのような出家の本願は深かったのだが、残されて物寂しくお思いなさる気の毒さに心引かれ引かれして過しているのに、逆にわたしを捨てて出家なさろうとお思いなのですか」
 「昔から私のほうが出家のあこがれを多く持っていながら、あなたが取り残されて寂しく暮らすことを思うのは、堪えられないことなので、こうしてまだ俗世界に残っているのに、逆にあなたが私を捨てようと思うのですか」
  "Mukasi yori, midukara zo kakaru ho'i hukaki wo, tomari te sau-zausiku obosa re m kokoro-gurusisa ni hika re tutu sugusu wo, sakasama ni uti-sute tamaha m to ya obosu."
6.7.7   とのみ、惜しみきこえたまふに、げにいと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見えたまふ折々多かるを、いかさまにせむと 思し惑ひつつ、宮の御方にも、あからさまに渡りたまはず。御琴どももすさまじくて、皆引き籠められ、院の内の人びとは、皆ある限り二条の院に集ひ参りて、この院には、火を消ちたるやうにて、ただ 女どちおはして人ひとりの御けはひなりけり と見ゆ。
 とばかり、惜しみ申し上げなさるが、本当にとても頼りなさそうに弱々しく、もうこれきりかとお見えになる時々が多かったが、どのようにしようとお迷いになっては、宮のお部屋には、ちょっとの間もお出掛けにならない。御琴類にも興が乗らず、みなしまいこまれて、院の内の人々は、すっかりみな二条院にお集まりになって、こちらの院では、火を消したようになって、ただ女君たちばかりがおいでになって、お一方の御威勢であったかと見える。
 こんなにばかりお言いになって御同意をあそばされないのが悪いのか、夫人の病体は頼み少なく衰弱していった。もう臨終かと思われることも多いためにまた尼にさせようかとも院はお惑いになるのであった。こんなことで女三にょさんみやのほうへは仮の訪問すらあそばされなかった。どこでも楽器はしまい込まれて、六条院の人々は皆二条のほうへ集まって行った。このおやしきは火の消えたようであった。ただ夫人たちだけが残っているのであるが、これを見れば六条院のはなやかさは紫の女王一人のために現出されていたことのように思われた。
  to nomi, wosimi kikoye tamahu ni, geni ito tanomi gatage ni yowari tutu, kagiri no sama ni miye tamahu wori-wori ohokaru wo, ika sama ni se m to obosi madohi tutu, Miya no ohom-kata ni mo, akarasama ni watari tamaha zu. Ohom-koto-domo mo susamaziku te, mina hiki-kome rare, Win no uti no hito-bito ha, mina aru kagiri Nideu-no-win ni tudohi mawiri te, kono Win ni ha, hi wo keti taru yau ni te, tada womna-doti ohasi te, hito hitori no ohom-kehahi nari keri to miyu.
注釈453同じさまにて二月も過ぎぬ紫の上の病状、回復に向かうことなく二月が過ぎる。朱雀院の御賀も再び延期となる。6.7.1
注釈454院の内ゆすり満ちて思ひ嘆く人多かり六条院の人々の様子をいう。6.7.1
注釈455この人亡せたまはば以下「御本意遂げたまひてむ」まで、夕霧の心中。6.7.2
注釈456取り分きて『完訳』は「大将ご自身もとくにお命じになって」と訳す。6.7.3
注釈457聞こゆることをさも心憂く紫の上の詞。かねて申し上げている出家の願いを聞き届けてくれず、辛いという意。6.7.4
注釈458とのみ恨みきこえたまへど副助詞「のみ」限定と強調のニュアンスを添える。紫の上は出家を遂げられない恨みだけを言う。6.7.5
注釈459限りありて別れ果てたまはむよりも『完訳』は「以下、源氏の心中に即した地の文」と注す。6.7.5
注釈460目の前にわが心とやつし捨てたまはむ御ありさまを見ては出家することは夫婦関係を絶つこと。いわゆる家庭内離婚の形になる。夫が先に出家した例として、明石入道夫妻の関係。妻が先に出家した例として、光源氏女三の宮の夫婦関係。その意味が違ってくる。男にとっては棄てられた関係になる。6.7.5
注釈461昔よりみづからぞ以下「捨てたまはむとや思す」まで、源氏の詞。6.7.6
注釈462とのみ惜しみきこえたまふに副助詞「のみ」限定と強調のニュアンスを添える。棄てられる側に立った源氏のエゴが剥き出し。6.7.7
注釈463思し惑ひつつ接続助詞「つつ」は、同じ動作の繰り返し。6.7.7
注釈464女どちおはして尊敬語「おはす」があるので六条院の女君たちをさす。接続助詞「て」弱い逆接用法。6.7.7
注釈465人ひとりの御けはひなりけり「人ひとり」は紫の上をさす。『集成』は「(六条の院のはなやかさも)紫の上お一人がいられたせいであったのだと見える」と訳す。6.7.7
校訂21 人ひとりの 人ひとりの--人ひとり(り/+の) 6.7.7
6.8
第八段 明石女御、看護のため里下り


6-8  Akashi-Nyogo comes back to nurse for Muraski

6.8.1  女御の君も渡りたまひて、もろともに見たてまつり扱ひたまふ。
 女御の君もお渡りになって、ご一緒にご看病申し上げなさる。
 女御も二条の院のほうへ来て御父子で看護をされた。
  Nyougo-no-Kimi mo watari tamahi te, morotomoni mi tatematuri atukahi tamahu.
6.8.2  「 ただにもおはしまさで、もののけなどいと恐ろしきを、早く参りたまひね」
 「普通のお身体でもいらっしゃらないので、物の怪などがとても恐ろしいから、早くお帰りあそばせ」
 「あなたは普通のお身体からだでないのですから、物怪もののけ徘徊はいかいする私の病室などにはおいでにならないで、早く御所へお帰りなさいね」
  "Tada ni mo ohasimasa de, mononoke nado ito osorosiki wo, hayaku mawiri tamahi ne."
6.8.3  と、苦しき御心地にも聞こえたまふ。 若宮の、いとうつくしうておはしますを見たてまつりたまひても、いみじく泣きたまひて、
 と、苦しいご気分ながらも申し上げなさる。若宮が、とてもかわいらしくていらっしゃるのを拝見なさっても、ひどくお泣きになって、
 と、病苦の中でも夫人は心配して言うのであった。若宮のおかわいらしいのを見ても夫人は非常に泣くのであった。
  to, kurusiki mi-kokoti ni mo kikoye tamahu. Waka-Miya no, ito utukusiu te ohasimasu wo mi tatematuri tamahi te mo, imiziku naki tamahi te,
6.8.4  「 おとなびたまはむを、え見たてまつらずなりなむこと。忘れたまひなむかし」
 「大きくおなりになるのを、見ることができずになりましょうこと。きっとお忘れになってしまうでしょうね」
 「大きくおなりになるのを拝見できないのが悲しい。お忘れになるでしょう」
  "Otonabi tamaha m wo, e mi tatematura zu nari na m koto. Wasure tamahi na m kasi."
6.8.5  とのたまへば、女御、せきあへず悲しと思したり。
 とおっしゃるので、女御は、涙を堪えきれず悲しくお思いでいらっしゃった。
 などと言うのを聞く女御も悲しかった。
  to notamahe ba, Nyougo, seki-ahe zu kanasi to obosi tari.
6.8.6  「 ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものしたまはじ。心によりなむ、人はともかくもある。 おきて広きうつはものには、幸ひもそれに従ひ、狭き心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかに ゆるべる方は後れ、急なる人は、久しく常 ならず、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」
 「縁起でもない、そのようにお考えなさいますな。いくら何でも悪いことにはおなりになるまい。気持ちの持ちようで、人はどのようにでもなるものです。心の広い人には、幸いもそれに従って多く、狭い心の人には、そうなる運命によって、高貴な身分に生まれても、ゆったりゆとりのある点では劣り、性急な人は、長く持続することはできず、心穏やかでおっとりとした人は、寿命の長い例が多かったものです」
 「そんな縁起でもないことを思ってはいけませんよ。悪いようでもそんなことにはならないだろうと思う自身の性格で運命も支配していくことになりますからね。狭い心を持つ者は出世をしても寛大な気持ちでいられないものだから失敗する。善良な、おおような人は自然に長命を得ることになる例もたくさんあるのだから、あなたなどにそんな悲しいことは起こってきませんよ」
  "Yuyusiku, kaku na obosi so. Saritomo kesiu ha monosi tamaha zi. Kokoro ni yori nam, hito ha tomokaku mo aru. Okite hiroki utuha-mono ni ha, saihahi mo sore ni sitagahi, sebaki kokoro aru hito ha, saru-beki ni te, takaki mi to nari te mo, yutaka ni yurube ru kata ha okure, kihu naru hito ha, hisasiku tune nara zu, kokoro nuruku nadaraka naru hito ha, nagaki tamesi nam ohokari keru."
6.8.7  など、仏神にも、 この御心ばせのありがたく罪軽きさまを申し明らめさせたまふ
 などと、仏神にも、この方のご性質が又とないほど立派で、罪障の軽い事を詳しくご説明申し上げなさる。
 などと院はお慰めになるのであった。神仏にも夫人の善良さ、罪の軽さを告げて目に見えぬ加護を祈らせておいでになるのである。
  nado, Hotoke Kami ni mo, kono mi-kokorobase no arigataku, tumi karoki sama wo mausi akirame sase tamahu.
6.8.8  御修法の阿闍梨たち、夜居などにても、近くさぶらふ限りのやむごとなき僧などは、いとかく 思し惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ、心を起こして祈りきこゆ。すこしよろしきさまに見えたまふ時、五、六日うちまぜつつ、また重りわづらひたまふこと、いつとなくて 月日を経たまへば、「なほ、いかにおはすべきにか。よかるまじき御心地にや」と、思し嘆く。
 御修法の阿闍梨たち、夜居などでも、お側近く伺候する高僧たちは皆、たいそうこんなにまで途方に暮れていらっしゃるご様子を聞くと、何ともおいたわしいので、心を奮い起こしてお祈り申し上げる。少しよろしいようにお見えになる日が五、六日続いては、再び重くお悩みになること、いつまでということなく続いて、月日をお過ごしになるので、「やはり、どのようにおなりになるのだろうか。治らないご病気なのかしら」と、お悲しみになる。
 修法しゅほうをする阿闍梨あじゃりたち、夜居よいの僧などは院の御心痛のはなはだしさを拝見することの心苦しさに一心をこめて皆祈った。少し快い日が間に五、六日あって、また悪いというような容体で、幾月も夫人は病床を離れることができなかったから、やはり助かりがたい命なのかと院はおなげきになった。
  Mi-syuhohu no Azari-tati, yo-wi nado ni te mo, tikaku saburahu kagiri no yamgotonaki sou nado ha, ito kaku obosi-madohe ru ohom-kehahi wo kiku ni, ito imiziku kokoro-gurusikere ba, kokoro wo okosi te inori kikoyu. Sukosi yorosiki sama ni miye tamahu toki, go, roku-niti uti maze tutu, mata omori wadurahi tamahu koto, itu to naku te tuki-hi wo he tamahe ba, "Naho, ikani ohasu beki ni ka? Yokaru maziki mi-kokoti ni ya?" to, obosi nageku.
6.8.9  御もののけなど言ひて出で来るもなし。悩みたまふさま、そこはかと見えず、ただ日に添へて、弱りたまふさまにのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじく思すに、御心の暇もなげなり。
 御物の怪などと言って出て来るものもない。お悩みになるご様子は、どこということも見えず、ただ日がたつにつれて、お弱りになるようにばかりお見えになるので、とてもとても悲しく辛い事とお思いになると、お心の休まる暇もなさそうである。
 物怪もののけで人に移されて現われるものもない。どこが悪いということもなくて日に添えて夫人は衰弱していくのであったから、院は悲しくばかり思召おぼしめされて、いっさいほかのことはお思いになれなかった。
  Ohom-mononoke nado ihi te ide kuru mo nasi. Nayami tamahu sama, sokohaka to miye zu, tada hi ni sohe te, yowari tamahu sama ni nomi miyure ba, ito mo ito mo kanasiku imiziku obosu ni, mi-kokoro no itoma mo nage nari.
注釈466ただにもおはしまさで以下「参りたまひね」まで、紫の上の詞。「ただにもおはしまさで」の主語は明石姫君。身重の身体を案じる。接続助詞「で」原因理由の意で続くニュアンス。6.8.2
注釈467若宮のいとうつくしうておはしますを諸説ある。『集成』は「「三の宮」であろう」。『完訳』は「二の宮か。または紫の上の養育する女一の宮か」。『新大系』は「紫上の養育する女一宮か、源氏が音楽の才能を期待した二宮(あるいは三宮)か」と注す。6.8.3
注釈468おとなびたまはむを以下「忘れたまひなむかし」まで、紫の上の詞。6.8.4
注釈469ゆゆしくかくな思しそ以下「多かりける」まで、源氏の詞。
【かくな思しそ】−副詞「な」--終助詞「そ」禁止の構文。
6.8.6
注釈470おきて広きうつはものには『河海抄』は「小にして焉(これ)を取れば小さく福(さいはひ)を得。大にして焉を取れば大いに福を得」(孝経、至徳要道篇の注)と指摘する。6.8.6
注釈471この御心ばせのありがたく紫の上の性質をさす。6.8.7
注釈472罪軽きさまを申し明らめさせたまふ前世での罪障が軽いことを、詳しく神や仏に言明申し上げて悪病を取り除いてもらうという趣旨。6.8.7
注釈473思し惑へる御けはひを源氏の態度をさす。6.8.8
注釈474月日を経たまへば『集成』は「月日を経たまへば」、已然形+接続助詞「ば」、順接の確定条件。『完訳』『新大系』は「月日を経たまふは」、連体形+係助詞「は」、間に「の」が省略された形。強調のニュアンスを添える。6.8.8
校訂22 ゆるべる ゆるべる--ゆ(ゆ/+る)へる 6.8.6
校訂23 ならず ならず--か(か/$な)らす 6.8.6
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

Last updated 9/30/2002
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