35 若菜下(明融臨模本)


WAKANA-NO-GE


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

5
第五章 光る源氏の物語 源氏の音楽論


5  Tale of Genji  Genji criticizes on music

5.1
第一段 音楽の春秋論


5-1  Genji criticizes on spring and fall music

5.1.1   夜更けゆくけはひ、冷やかなり。 臥待の月はつかにさし出でたる
 夜が更けて行く様子、冷え冷えとした感じがする。臥待の月がわずかに顔を出したのを、
  夜がふけてゆくらしい冷ややかさが風に感ぜられて臥待月ふしまちづきが上り始めた。
  Yo huke-yuku kehahi, hiyayaka nari. Husimati-no-tuki hatuka ni sasi-ide taru,
5.1.2  「 心もとなしや、春の朧月夜よ。秋のあはれ、はた、かうやうなる物の音に、虫の声縒り合はせたる、ただならず、こよなく響き添ふ心地すかし」
 「おぼつかない光だね、春の朧月夜は。秋の情趣は、やはりまた、このような楽器の音色に、虫の声を合わせたのが、何とも言えず、この上ない響きが深まるような気がするものだ」
 「たよりない春のおぼろ月夜だ。秋のよさというのもまたこうした夜の音楽と虫の音がいっしょに立ち上ってゆく時にあるものだね」
  "Kokoro-motonasi ya, haru no oboro-duki-yo yo, Aki no ahare, hata, kau yau naru mono no ne ni, musi no kowe yori-ahase taru, tada-nara-zu, koyonaku hibiki sohu kokoti su kasi."
5.1.3  とのたまへば、大将の君、
 とおっしゃると、大将の君、
 と院は大将に向かってお言いになった。
  to notamahe ba, Daisyau-no-Kimi,
5.1.4  「 秋の夜の隈なき月には、よろづの物とどこほりなきに、琴笛の音も、あきらかに澄める心地はしはべれど、 なほことさらに作り合はせたるやうなる空のけしき、花の露も、いろいろ目移ろひ心散りて、限りこそはべれ。
 「秋の夜の曇りない月には、すべてのものがくっきりと見え、琴や笛の音色も、すっきりと澄んだ気は致しますが、やはり特別に作り出したような空模様や、草花の露も、いろいろと目移りし気が散って、限界がございます。
 「秋の明るい月夜には、音楽でも何の響きでも澄み通って聞こえますが、あまりきれいに作り合わせたような空とか、草花の露の色とかは、専念に深く音楽を味わわせなくなる気もいたします。
  "Aki no yo no kumanaki tuki ni ha, yorodu no mono todokohori naki ni, koto hue no ne mo, akiraka ni sume ru kokoti si habere do, naho kotosara ni tukuri ahase taru yau naru sora no kesiki, hana no tuyu mo, iro-iro me uturohi kokoro tiri te, kagiri koso habere.
5.1.5   春の空のたどたどしき霞の間より、おぼろなる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、艶に 澄みのぼり果てずなむ
 春の空のたどたどしい霞の間から、朧に霞んだ月の光に、静かに笛を吹き合わせたようなのには、どうして秋が及びましょうか。笛の音色なども、優艶に澄みきることはないのです。
 やはり春のたよりない雲の間から朧な月が出ますほどの夜に、静かな笛の音などの上ってゆくのを聞きますほうが、音楽そのものを楽しむのにはよいかと思われます。
  Haru no sora no tado-tadosiki kasumi no ma yori, oboro naru tuki-kage ni, siduka ni huki-ahase taru yau ni ha, ikade ka. Hue no ne nado mo, en ni sumi-nobori hate zu nam.
5.1.6   女は春をあはれぶと 、古き人の言ひ置きはべりける。げに、さなむはべりける。 なつかしく物のととのほることは、春の夕暮こそことにはべりけれ
 女性は春をあわれぶと、昔の人が言っておりました。なるほど、そのようでございます。やさしく音色が調和する点では、春の夕暮が格別でございます」
 女は春をあわれむという言葉がございますがもっともなことと思われます。すべてのものの調子がしっくり合うのは春の夕方に限るように考えられますが」
  Womna ha haru wo aharebu to, huruki hito no ihi-oki haberi keru. Geni, sa nam haberi keru. Natukasiku mono no totonohoru koto ha, haru no yuhugure koso koto ni haberi kere!"
5.1.7  と申したまへば、
 と申し上げなさると、
 と大将が言うと、
  to mausi tamahe ba,
5.1.8  「 いな、この定めよ。いにしへより人の分きかねたることを、末の世に下れる人の、えあきらめ果つまじくこそ。物の調べ、曲のものどもはしも、げに 律をば次のものにしたるは、さもありかし」
 「いや、この議論だがね。昔から皆が判断しかねた事を、末の世の劣った者には、決定しがたいことであろう。楽器の調べや、曲目などは、なるほど律を二の次にしているが、そのようなことであろう」
 「それは断定的には言えないことだ。古人でさえ決めかねたことなのだから、末世のわれわれの力で正しい批判のできるわけもない。ただ音楽のほうでは秋の律の曲を、春のりょの曲の下に置かれていることだけは今君が言ったような理由があるからだろう」
  "Ina, kono sadame yo. Inisihe yori hito no waki-kane taru koto wo, suwe-no-yo ni kudare ru hito no, e akirame-hatu maziku koso. Mono no sirabe, goku no mono-domo ha simo, geni riti woba tugi no mono ni si taru ha, samo ari kasi."
5.1.9  などのたまひて、
 などとおっしゃって、
  院はこう仰せられた。また、
  nado notamahi te,
5.1.10  「 いかに。ただ今、有職のおぼえ高き、その人かの人、御前などにて、たびたび試みさせたまふに、すぐれたるは、数少なくなりためるを、そのこのかみと思へる上手ども、いくばくえまねび取らぬにやあらむ。このかくほのかなる女たちの御中に弾きまぜたらむに、際離るべくこそおぼえね。
 「どんなものであろう。現在、演奏上手の評判の高い、その人あの人を、帝の御前などで、度々試みさせあそばすと、勝れた者は、数少なくなったようだが、その一流と思われる名人たちも、どれほども習得し得ていないのではなかろうか。このような何でもないご婦人方の中で一緒に弾いたとしても、格別に勝れているようには思われない。
 「どう思うかね。現在の優秀な音楽家とされている人たちの、宮中などのお催しなどの場合に演奏を命ぜられる人のをいても名人だと思われるのは少なくなったようだが、先輩についてよく研究をしようとするような熱心が足りないのかね。今日のような女ばかりの音楽の会に交じっても、格別きわだつと思われる人があるようにも思われない。
  "Ikani? Tadaima, iusoku no oboye takaki, sono hito kano hito, o-mahe nado ni te, tabi-tabi kokoromi sase tamahu ni, sugure taru ha, kazu sukunaku nari ta' meru wo, sono kono-kami to omohe ru zyauzu-domo, ikubaku e manebi tora nu ni ya ara m? Kono kaku honoka naru womna-tati no ohom-naka ni hiki-maze tara m ni, kiha hanaru beku koso oboye ne.
5.1.11   年ごろかく埋れて過ぐすに、耳などもすこしひがひがしくなりにたるにやあらむ、口惜しうなむ。あやしく、 人の才、はかなくとりすることども、ものの栄ありてまさる 所なる。その、御前の御遊びなどに、ひときざみに選ばるる人びと、それかれといかにぞ」
 何年もこのように引き籠もって過ごしていると、鑑賞力も少し変になったのだろうか、残念なことだ。妙に、人々の才能は、ちょっと習い覚えた芸事でも、見栄えがして他より勝れているところである。あの、御前の管弦の御遊などに、一流の名手として選ばれた人々の、誰それと比較したらどうであろうか」
 しかしそれは近年の私がどこへも行かずに一所に引きこもっていて、鑑識が悪く偏してしまったのかもしれないが、とにかく感激を覚えさせられる音楽者のいないのは残念だ。どんな芸事も演ぜられる場所によっては平生と違ったできばえを見せるものであるが、最も晴れの場所の宮中でのこのごろの音楽の遊びに選び出される人たちに、この女性たちのを比べて劣っていると思う点があるかね」
  Tosi-goro kaku mumore te sugusu ni, mimi nado mo sukosi higa-higasiku nari ni taru ni ya ara m, kutiwosiu nam. Ayasiku, hito no zae, hakanaku tori suru koto-domo, mono no haye ari te masaru tokoro naru. Sono, o-mahe no ohom-asobi nado ni, hito-kizami ni eraba ruru hito-bito, sore kare to ikani zo?"
5.1.12  とのたまへば、大将、
 とおっしゃるので、大将は、

  to notamahe ba, Daisyau,
5.1.13  「 それをなむ、とり申さむと思ひはべりつれど、あきらかならぬ心のままに、およすけてやはと思ひたまふる。上りての世を聞き合はせはべらねばにや、衛門督の和琴、兵部卿宮の御琵琶などをこそ、このころめづらかなる例に引き出ではべめれ。
 「その事を、申し上げようと思っておりましたが、よくも弁えぬくせに、偉そうに言うのもどうかと存じまして。古い昔の勝れた時代を聞き比べておりませんからでしょうか、衛門督の和琴、兵部卿宮の御琵琶などは、最近の珍しく勝れた例に引くようでございます。
 「それを申し上げたいと思ったのでございますが、しかし頭の悪い私はでたらめを申すことになるかもしれません。今の世間の者は昔の音楽の盛んな時を知らないからでもありますか衛門督えもんのかみの和琴、兵部卿ひょうぶきょうの宮様の琵琶びわなどを激賞いたします。
  "Sore wo nam, tori mausa m to omohi haberi ture do, akiraka nara nu kokoro no mama ni, oyosuke te yaha to omohi tamahuru. Nobori te no yo wo kiki-ahase habera ne ba ni ya, Wemon-no-Kami no wagon, Hyaubukyau-no-Miya no ohom-biha nado wo koso, kono-koro meduraka naru tamesi ni hiki-ide habe' mere.
5.1.14  げに、かたはらなきを、今宵うけたまはる物の音どもの、皆ひとしく耳おどろきはべるは。なほ、かくわざともあらぬ御遊びと、かねて思うたまへたゆみける心の騒ぐにやはべらむ。唱歌など、いと仕うまつりにくくなむ。
 なるほど、又とない演奏者ですが、今夜お聞き致しました楽の音色は、皆同じように耳を驚かしました。やはり、このように特別のことでもない御催しと、かねがね思って油断しておりました気持ちが不意をつかれて騒ぐのでしょう。唱歌など、とてもお付き合いしにくうございました。
 私どもも妙技とはしておりますが、今晩の皆様の御演奏には驚愕きょうがくいたしました。はじめはたいしたお遊びでもあるまいと軽く考えていたためにいっそう感激が大きいのでございましょうか。歌の役はまことに気がさして勤めにくうございました。
  Geni, katahara naki wo, koyohi uketamaharu mono no ne-domo no, mina hitosiku mimi odoroki haberu ha. Naho, kaku wazato mo ara nu ohom-asobi to, kanete omou tamahe tayumi keru kokoro no sawagu ni ya habera m? Sauga nado, ito tukau-maturi nikuku nam.
5.1.15   和琴は、かの大臣ばかりこそ、かく折につけて、こしらへなびかしたる音など、心にまかせて掻き立てたまへるは、いとことにものしたまへ、をさをさ際離れぬものにはべめるを、 いとかしこく整ひてこそはべりつれ」
 和琴は、あの太政大臣だけが、このように臨機応変に、巧みに操った音色などを、思いのままに掻き立てていらっしゃるのは、とても格別上手でいらっしゃったが、なかなか飛び抜けて上手には弾けないものでございますのに、まことに勝れて調子が整ってございました」
 和琴は太政大臣によってだけすべての楽音を率いるような巧妙な音のたつものと思っておりまして、その境地へは一歩も他の者がはいれないものと思われるむずかしい芸でございますが、今晩のはまた特別なものでございました。結構でした」
  Wagon ha, kano Otodo bakari koso, kaku wori ni tuke te, kosirahe nabikasi taru ne nado, kokoro ni makase te kaki-tate tamahe ru ha, ito koto ni monosi tamahe, wosa-wosa kiha hanare nu mono ni habe' meru wo, ito kasikoku totonohi te koso haberi ture."
5.1.16  と、めできこえたまふ。
 と、お誉め申し上げなさる。
 大将はほめた。
  to, mede kikoye tamahu.
5.1.17  「 いと、さことことしき際にはあらぬを、わざとうるはしくも取りなさるるかな」
 「いや、それほど大した弾き方ではないが、特別に立派なようにお誉めになるね」
 「そんな最大級な言葉でほめられるほどのものではないのだが」
  "Ito, sa koto-kotosiki kiha ni ha ara nu wo, wazato uruhasiku mo torinasa ruru kana!"
5.1.18  とて、したり顔にほほ笑みたまふ。
 とおっしゃって、得意顔に微笑んでいらっしゃる。
 得意な御微笑が院のお顔に現われた。
  tote, sitari-gaho ni hohowemi tamahu.
5.1.19  「 げに、けしうはあらぬ弟子どもなりかし。琵琶はしも、 ここに口入るべきことまじらぬを、 さいへど、物のけはひ異なるべし。おぼえぬ所にて聞き始めたりしに、めづらしき物の声かなとなむおぼえしかど、その折よりは、またこよなく優りにたるをや」
 「なるほど、悪くはない弟子たちである。琵琶は、わたしが口出しするようなことは何もないが、そうは言っても、どことなく違うはずだ。思いがけない所で初めて聞いた時、珍しい楽の音色だと思われたが、その時からは、又格段上達しているからな」
 「私にはまずできそこねの弟子はないようだね。琵琶だけは私に骨を折らせた弟子でしの芸ではないがすぐれたものであったはずだ。意外なところで私の発見した天性の弾き手なのだよ。ずいぶん感心したものだが、そのころよりはまた進歩したようだ」
  "Geni, kesiu ha ara nu desi-domo nari kasi. Biha ha simo, koko ni kuti iru beki koto mazira nu wo, sa ihe do, mono no kehahi kotonaru besi. Oboye nu tokoro ni te kiki hazime tari si ni, medurasiki mono-no-ne kana to nam oboye sika do, sono wori yori ha, mata koyonaku masari ni taru wo ya!"
5.1.20  と、 せめて我かしこにかこちなしたまへば、女房などは、すこしつきしろふ。
 と、強引に自分の手柄のように自慢なさるので、女房たちは、そっとつつきあう。
 こうして皆御自身の功にしてお言いになるのを聞いていて、女房たちなどはひじを互いに突き合わせたりして笑っていた。
  to, semete ware-kasiko ni kakoti-nasi tamahe ba, nyoubau nado ha, sukosi tukisirohu.
注釈321夜更けゆくけはひ夜更けて、源氏、夕霧と音楽論をかわす。5.1.1
注釈322臥待の月はつかにさし出でたる十九日の月。5.1.1
注釈323心もとなしや以下「心地すかし」まで、源氏の詞。春秋優劣論。秋の音楽がまさるという。5.1.2
注釈324秋の夜の以下「ことにはべりけれ」まで、夕霧の詞。春がまさるという。5.1.4
注釈325なほことさらに作り合はせたるやうなる空のけしき花の露も秋の情緒のわざとらしさやことさららしさに対して否定的。5.1.4
注釈326春の空のたどたどしき霞の間よりおぼろなる月影に『完訳』は「忘れがたい紫の上の印象「春の曙の霞の間より--」(野分)に酷似。彼女への思慕を秘めて、春の夢幻的な情趣を高く評価」と注す。「秋の夜の隈なき月影」よりも「春の空のたどたどしき霞の間より朧なる月影を賞美する。「末摘花」巻の源氏、常陸宮邸訪問の場面参照。5.1.5
注釈327澄みのぼり果てずなむ『集成』は「笛の音なども、秋は、しゃれた感じに高く澄みきって聞えるということがございません」。『完訳』は「秋は笛の音なども、澄みのぼるというところまではまいりません」。5.1.5
注釈328女は春をあはれぶと明融臨模本、合点あり。巻末の奥入に「伊行/毛詩云/女ハ感陽気春思男々感陰気秋思」(毛詩、国風、七月、鄭箋)とある。しかし、『源氏釈』には指摘なし。5.1.6
注釈329なつかしく物のととのほることは春の夕暮こそことにはべりけれ夕霧の春がまさるとする結論。「なつかし」「ととのふ」という情趣を推奨。5.1.6
注釈330いなこの定めよ以下「さもありかし」まで、源氏の詞。『集成』は「夕霧が今夕の催しにかこつけて春をよしとするのに対して、やや留保をつける口調」と注す。5.1.8
注釈331律をば次のものにしたるは『集成』は「呂は中国から伝来した雅楽の旋法、律は日本固有の俗楽の旋法に基づくものなので、呂の方を重く見たのである。『河海抄』は「呂は春のしらべ、律は秋のしらべといふ歟」という」。『完訳』は「春を推称する夕霧に納得。律は秋の、呂は春の調べ。日本古来の催馬楽などでは呂を重視」と注す。5.1.8
注釈332いかにただ今以下「いかにぞ」まで、源氏の詞。当代の名手の評判。5.1.10
注釈333年ごろかく埋れて過ぐすに源氏が准太上天皇の待遇を受けたのは八年前の秋。その前後から六条院に引き籠もりがちの生活になっている。5.1.11
注釈334人の才はかなくとりすることども『集成』は「婦人たちの才芸はもとより、さしたることもない取りはからいも」と訳す。5.1.11
注釈335所なる「なる」断定の助動詞、連体形中止。余意余情を残す表現。5.1.11
注釈336それをなむ以下「はべりつれ」まで、夕霧の詞。5.1.13
注釈337和琴はかの大臣ばかりこそ係助詞「こそ」は「ものしたまへ」已然形に係る逆接用法。5.1.15
注釈338いとかしこく整ひてこそ紫の上の和琴についていう。5.1.15
注釈339いとさことことしき際には以下「取りなさるるかな」まで源氏の詞。紫の上を自分の弟子として謙辞。5.1.17
注釈340げにけしうはあらぬ以下「優りにたるをや」まで、源氏の詞。『集成』は「諧謔の語」と注す。5.1.19
注釈341さいへど物のけはひ異なるべし『集成』は「やはり(わたしの側にいるお蔭で)どことなく違うところがあるはずだ」と訳す。5.1.19
注釈342せめて我かしこにかこちなしたまへば『集成』は「強引に何もかも自分の手柄のように自慢なさるので」。『完訳』は「しいてご自分のお仕込みででもあるかのように仰せになるので」と訳す。
【我かしこ】−『集成』は「われがしこ」と濁音に読む。
5.1.20
出典14 女は春をあはれぶ 春女感陽気而思男 秋士感陰気而思女 毛詩-題七月 5.1.6
校訂12 ここに ここに--(/+こゝに) 5.1.19
5.2
第二段 琴の論


5-2  Genji criticizes on shichigen-kin

5.2.1  「 よろづのこと、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれも際なく おぼえつつ、わが心地に飽くべき限りなく、習ひ取らむことはいと難けれど、何かは、その たどり深き人の、今の世にをさをさなければ、片端をなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりても ありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手触れにくきものはありける。
 「何事も、その道その道の稽古をすれば、才能というもの、どれも際限ないとだんだんと思われてくるもので、自分の気持ちに満足する限度はなく、習得することは実に難しいことだが、いや、どうして、その奥義を究めた人が、今の世に少しもいないので、一部分だけでも無難に習得したような人は、その一面で満足してもよいのだが、琴の琴は、やはり面倒で、手の触れにくいものである。
 「すべての芸というものは習い始めると奥の深さがわかって、自分で満足のできるだけを習得することはとうていできないものなのだが、しかしそれだけの熱を芸に持つ人が今は少ないから、少しでも稽古けいこを積んだことに自身で満足して、それで済ませていくのだが、琴というものだけはちょっと手がつけられないものなのだよ。
  "Yorodu no koto, miti-miti ni tuke te narahi maneba ba, zae to ihu mono, idure mo kiha naku oboye tutu, waga kokoti ni aku beki kagirinaku, narahi tora m koto ha ito katakere do, nanikaha, sono tadori hukaki hito no, ima-no-yo ni wosa-wosa nakere ba, katahasi wo nadaraka ni manebi e tara m hito, saru kata-kado ni kokoro wo yari te mo ari nu beki wo, kin nam, naho wadurahasiku, te hure nikuki mono ha ari keru.
5.2.2  この琴は、まことに跡のままに尋ねとりたる昔の人は、 天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深き者も喜びに変はり、賤しく貧しき者も高き世に改まり、宝にあづかり、世にゆるさるるたぐひ多かりけり。
 この琴は、ほんとうに奏法どおりに習得した昔の人は、天地を揺るがし、鬼神の心を柔らげ、すべての楽器の音がこれに従って、悲しみの深い者も喜びに変わり、賎しく貧しい者も高貴な身となり、財宝を得て、世に認められるといった人が多かったのであった。
 この芸をきわめれば天地も動かすことができ、鬼神の心も柔らげ、悲境にいた者も楽しみを受け、貧しい人も出世ができて、富貴な身の上になり、世の中の尊敬を受けるようなことも例のあることなのだ。
  Kono koto ha, makoto ni ato no mama ni tadune tori taru mukasi no hito ha, tenti wo nabikasi, Oni Kami no kokoro wo yaharage, yorodu no mono no ne no uti ni sitagahi te, kanasibi hukaki mono mo yorokobi ni kahari, iyasiku madusiki mono mo takaki yo ni aratamari, takara ni adukari, yo ni yurusa ruru taguhi ohokari keri.
5.2.3   この国に弾き伝ふる初めつ方まで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ぐし、身をなきになして、この琴をまねび取らむと惑ひてだに、し得るは難くなむありける。げにはた、明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたる例、上りたる世にはありけり。
 わが国に弾き伝える初めまで、深くこの事を理解している人は、長年見知らぬ国で過ごし、生命を投げうって、この琴を習得しようとさまよってすら、習得し得るのは難しいことであった。なるほど確かに、明らかに空の月や星を動かしたり、時節でない霜や雪を降らせたり、雲や雷を騒がしたりした例は、遠い昔の世にはあったことだ。
 この芸の伝わった初めの間は、これを学ぶ人は皆長く外国へ行っていて、あらゆる困難に打ち勝って、上達しようとしたものだが、そうまでして成功したものの数はわずかだったのだ。実際すぐれた琴の音は月や星の座を変えさせることもあったし、その時季でなしに霜や雪を降らせたり、黒雲がき出したり、雷鳴がそのためにしたりしたことも昔はあったのだよ。
  Kono kuni ni hiki tutahuru hazime tu kata made, hukaku kono koto wo kokoro-e taru hito ha, ohoku no tosi wo sira nu kuni ni sugusi, mi wo naki ni nasi te, kono koto wo manebi-tora m to madohi te dani, si uru ha kataku nam ari keru. Geni hata, akiraka ni sora no tuki hosi wo ugokasi, toki nara nu simo yuki wo hurase, kumo ikaduti wo sawagasi taru tamesi, agari taru yo ni ha ari keri.
5.2.4   かく限りなきものにて、そのままに習ひ取る人のありがたく、世の末なれば にや、いづこのそのかみの 片端にかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、 思ひかなはぬたぐひありけるのち、これを弾く人、よからずとかいふ難をつけて、うるさきままに、今はをさをさ伝ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。
 このように限りない楽器で、その伝法どおりに習得する人がめったになく、末世だからであろうか、どこにその当時の一部分が伝わっているのだろうか。けれども、やはり、あの鬼神が耳を止め、傾聴した始まりの事のある琴だからであろうか、なまじ稽古して、思いどおりにならなかったという例があってから後は、これを弾く人、禍があるとか言う難癖をつけて、面倒なままに、今ではめったに弾き伝える人がいないとか。実に残念なことである。
 だれも音楽のうちの最高のものと知っていても、完全にその芸を習いおおせるものが少なかったし、末世にはなるし、今残っているのは昔のほんとうのものの断片だけの価値のものかとも思われる。それでもまだ鬼神が耳をとどめるものになっている琴の稽古けいこをなまじいにして、上達はできずにかえっていろいろな不幸な終わりを見たりする人があるものだから、琴の稽古をする者は不吉を招くというような迷信もできて、近ごろではこの面倒な芸を習う人が少なくなったということだね。遺憾なことだ。
  Kaku kagirinaki mono ni te, sono mama ni narahi toru hito no ari gataku, yo no suwe nare ba ni ya, iduko no sono-kami no kata-hasi ni ka ha ara m? Saredo, naho, kano Oni Kami no mimi todome, katabuki some ni keru mono nare ba ni ya, nama-nama ni manebi te, omohi kanaha nu taguhi ari keru noti, kore wo hiku hito, yokara zu to ka ihu nan wo tuke te, urusaki mama ni, ima ha wosa-wosa tutahuru hito nasi to ka. Ito kutiwosiki koto ni koso are.
5.2.5  琴の音を離れては、何琴をか物を調へ知るしるべとはせむ。げに、よろづのこと衰ふるさまは、やすくなりゆく世の中に、一人出で離れて、心を立てて、唐土、高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。
 琴の音以外では、どの絃楽器をもって音律を調える基準とできようか。なるほど、すべての事が衰えて行く様子は、たやすくなって行く世の中で、一人故国を離れて、志を立てて、唐土、高麗と、この世をさまよい歩き、親子と別れることは、世の中の変わり者となってしまうことだろう。
 琴がなくては世の中の音楽が根本の音を持たないものになるのだからね。すべての物は衰えかけると早い速力で退化する一方なんだから、そんな中で一人の人間だけが熱心にその芸に志して、高麗こうらい支那しなと渡り歩いて家族も何も顧みない者になってしまうのも狂的だから、
  Kin no ne wo hanare te ha, nani-goto wo ka mono wo totonohe siru sirube to ha se m. Geni, yorodu no koto otorohuru sama ha, yasuku nari-yuku yononaka ni, hitori ide hanare te, kokoro wo tate te, Morokosi, Koma to, kono yo ni madohi ariki, oyako wo hanare m koto ha, yononaka ni higame ru mono ni nari nu besi.
5.2.6   などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調べ一つに手を弾き尽くさむことだに、はかりもなきものななり。いはむや、多くの調べ、わづらはしき曲 多かるを心に入りし盛りには、世にありと あり、ここに伝はりたる譜といふものの限りをあまねく見合はせて、のちのちは、師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほ上りての人には、 当たるべくもあらじをや。まして、この後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」
 どうして、それほどまでせずとも、やはりこの道をだいたい知る程度の一端だけでも、知らないでいられようか。一つの調べを弾きこなす事さえ、量り知れない難しいものであるという。いわんや、多くの調べ、面倒な曲目が多いので、熱中していた盛りには、この世にあらん限りの、わが国に伝わっている楽譜という楽譜のすべてを広く見比べて、しまいには、師匠とすべき人もなくなるまで、好んで習得したが、やはり昔の名人には、かないそうにない。まして、これから後というと、伝授すべき子孫がいないのが、何とも心寂しいことだ」
 それほどはしないでも、この芸がどんなものであるかを知りうるだけのことを私はしたいと思って、一曲でも十分に習いうることは困難なものとしても、これにはむずかしい無数の曲目のあるものなのだから、若くて音楽熱の盛んな年ごろの私は世の中にあるだけの琴の譜を調べたり、あちらから来ているものは皆手もとへ取り寄せて、それによって研究をしたが、しまいには私以上の力のある先生というものもなくなって不便だったものの、独学で勉強をしたが、それでも古人の芸に及ぶものでは少しもなかったのだからね。ましてこれからは心細いものになるだろうとこの芸について私は悲しんでいる」
  Nadoka, nanome ni te, naho kono miti wo kayohasi siru bakari no hasi wo ba, siri-oka zara m. Sirabe hitotu ni te wo hiki-tukusa m koto dani, hakari mo naki mono na' nari. Ihamya, ohoku no sirabe, wadurahasiki goku ohokaru wo, kokoro ni iri si sakari ni ha, yo ni ari to ari, koko ni tutahari taru hu to ihu mono no kagiri wo amaneku mi-ahase te, noti-noti ha, si to su beki hito mo naku te nam, konomi narahi sika do, naho agari te no hito ni ha, ataru beku mo arazi wo ya! Masite, kono noti to ihi te ha, tutaharu beki suwe mo naki, ito ahare ni nam."
5.2.7  などのたまへば、大将、げにいと口惜しく恥づかしと思す。
 などとおっしゃるので、大将は、なるほどまことに残念にも恥ずかしいとお思いになる。
 などと院のお語りになるのを聞いていて大将は自身をふがいなく恥ずかしく思った。
  nado notamahe ba, Daisyau, geni ito kutiwosiku hadukasi to obosu.
5.2.8  「 この御子たちの御中に、思ふやうに生ひ出でたまふものしたまはば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、とどめたてまつるべき。 三の宮、今よりけしきありて見えたまふを」
 「この御子たちの中で、望みどおりにご成人なさる方がおいでなら、その方が大きくなった時に、その時まで生きていることがあったら、いかほどでもないわたしの技にしても、すべてご伝授申し上げよう。三の宮は、今からその才能がありそうにお見えになるから」
 「今上きんじょうの親王が御成人になれば、それまで生きているかどうかおぼつかないことだが、その時に私の習いえただけの琴の芸をお授けしようと願っている。二の宮は今からそうした天分を持たれるようだから」
  "Kono Miko-tati no ohom-naka ni, omohu yau ni ohi-ide tamahu monosi tamaha ba, sono yo ni nam, so mo sa made nagarahe tomaru yau ara ba, ikubaku nara nu te no kagiri mo, todome tatematuru beki. Sam-no-Miya, ima yori kesiki ari te miye tamahu."
5.2.9  などのたまへば、明石の君は、いとおもだたしく、 涙ぐみて聞きゐたまへり。
 などとおっしゃると、明石の君は、たいそう面目に思って、涙ぐんで聞いていらっしゃった。
 このお言葉を明石あかし夫人は自身の名誉であるように涙ぐんで側聞かたえぎきをしていたのであった。
  nado notamahe ba, Akasi-no-Kimi ha, ito omodatasiku, namidagumi te kiki wi tamahe ri.
注釈343よろづのこと以下「いとあはれになむ」まで、源氏の詞。琴の琴論。5.2.1
注釈344おぼえつつ副助詞「つつ」、動作・思考の繰り返し。思われ思われしてくるもので、のニュアンス。5.2.1
注釈345たどり深き人奥義を極めた人の意。5.2.1
注釈346ありぬべきを「ぬべし」連語。接続助詞「を」逆接の機能。「ぬ」完了の助動詞、確述の意と推量の助動詞「べし」当然の意。確かにそうあってもよいのだが。5.2.1
注釈347天地をなびかし琴の琴の効用を説く。帝王の楽器である理由が分かる。以下の文体は対句じたての四六駢儷文に倣った表現。『花鳥余情』は「楽書云、琴は天地を動かし、鬼神を感ぜしむ」(原漢文)と「琴書」を指摘。また『詩経』にも「天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、詩より近きはなし」とある。『古今和歌集』序には「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」と和歌の効用を説く。5.2.2
注釈348この国に弾き伝ふる初めつ方以下『宇津保物語』「俊蔭」巻を念頭においた叙述。5.2.3
注釈349かく限りなきものにて『集成』は「この上もない楽器なので」。『完訳』は「このように琴は際限もなく霊力をそなえた楽器であるだけに」と訳す。5.2.4
注釈350片端にかはあらむ反語表現に近い語気。『集成』は「その昔の一端も伝わっていようか」。『完訳』は「どこにその昔の秘法の一端でも伝わっているというのだろう」と訳す。5.2.4
注釈351思ひかなはぬたぐひ『集成』は「立身が叶わなかったといった者」。『完訳』は「不如意な身の上となった例」と訳す。5.2.4
注釈352などかなのめにてなほこの道を通はし知るばかりの端をば知りおかざらむ『集成』は「(しかし)どうして、それほどまでせずとも、やはり、なにとかこの琴の奏法に通暁するに足りる一端だけでも、心得ておかずにいられようか」。『完訳』は「とはいえ、一通りでも、やはらこの道をわきまえる糸口ぐらいは、どうして心得ておかずにいられましょう」と訳す。5.2.6
注釈353多かるを接続助詞「を」順接。前の「いはむや」と呼応する文脈。『集成』は「多いのだが」。『完訳』は「たくさんあるものですから」と訳す。5.2.6
注釈354心に入りし盛りには以下、源氏がいかに広く七絃琴の楽譜を調査して奏法を習得したかの経験談。5.2.6
注釈355当たるべくもあらじをや『集成』は「かないそうもないことだろうね」。『完訳』は「追いつきそうにもありませんね」と訳す。5.2.6
注釈356この御子たちの御中に以下「見えたまふを」まで、源氏の詞。「この」は明石女御をさす。5.2.8
注釈357三の宮明融臨模本には「三」の右傍らに「二」という一筆が見える。河内本は「三宮」、別本は「二宮」。『集成』は「三の宮」と校訂し、「明融本、河内本に「三の宮」。後の匂宮である。これが原形であろう。青表紙本に「二の宮」とするものが多いが、拠りがたい」。『完訳』は「二の宮」と校訂し、「後の式部卿宮。「三の宮」(後の匂宮)とする伝本もある」と注す。5.2.8
出典15 天地をなびかし 感天地以致和 *(*=虫+支)行之衆類 文選-五三 琴賦 5.2.2
校訂13 にや にや--(/+にや) 5.2.4
校訂14 あり あり--(/+あり) 5.2.6
校訂15 涙ぐみ 涙ぐみ--な(な/+み)たくみ 5.2.9
5.3
第三段 源氏、葛城を謡う


5-3  Genji sings Kazuraki

5.3.1  女御の君は、箏の御琴をば、上に譲りきこえて、寄り臥したまひぬれば、和琴を大殿の御前に参りて、気近き御遊びになりぬ。「 葛城」遊びたまふ 。はなやかにおもしろし。大殿折り返し謡ひたまふ御声、たとへむかたなく愛敬づきめでたし。
 女御の君は、箏の御琴を、紫の上にお譲り申し上げて、寄りかかりなさったので、和琴を大殿の御前に差し上げて、寛いだ音楽の遊びになった。「葛城」を演奏なさる。明るくおもしろい。大殿が繰り返しお謡いになるお声は、何にも喩えようがなく情がこもっていて素晴らしい。
 女御はそうを紫夫人に譲って、悩ましい身を横たえてしまったので、和琴わごんを院がおきになることになって、第二の合奏は柔らかい気分の派手はでなものになって、催馬楽さいばら葛城かつらぎが歌われた。院が繰り返しの所々で声をお添えになるのが非常に全体を美しいものにした。
  Nyougo-no-Kimi ha, syau-no-ohom-koto wo ba, Uhe ni yuduri kikoye te, yori-husi tamahi nure ba, aduma wo Otodo no o-mahe ni mawiri te, kedikaki ohom-asobi ni nari nu. Kaduraki asobi tamahu. Hanayaka ni omosirosi. Otodo wori-kahesi utahi tamahu ohom-kowe, tatohe m kata naku aigyau-duki medetasi.
5.3.2   月やうやうさし上るままに花の色香ももてはやされて、げにいと心にくきほどなり。箏の琴は、女御の御爪音は、いとらうたげになつかしく、母君の御けはひ加はりて、揺の音深く、いみじく澄みて聞こえつるを、 この御手づかひは、またさま変はりて、ゆるるかにおもしろく、聞く人ただならず、すずろはしきまで愛敬づきて、輪の手など、すべてさらに、いとかどある御琴の音なり。
 月がだんだんと高く上って行くにつれて、花の色も香も一段と引き立てられて、いかにも優雅な趣である。箏の琴は、女御のお爪音は、とてもかわいらしげにやさしく、母君のご奏法の感じが加わって、揺の音が深く、たいそう澄んで聞こえたのを、こちらのご奏法は、また様子が違って、緩やかに美しく、聞く人が感に堪えず、気もそぞろになるくらい魅力的で、輪の手など、すべていかにも、たいそう才気あふれたお琴の音色である。
 月の高く上る時間になり、梅花の美もあざやかになってきた。十三げんそうの音は、女御のは可憐かれんで女らしく、母の明石夫人に似たの音が深く澄んだ響きをたてたが、女王のはそれとは変わってゆるやかな気分が出て、き手の心に酔いを覚えるほどの愛嬌あいきょうがあり、才のひらめきの添ったものであった。
  Tuki yau-yau sasi-agaru mama ni, hana no iro ka mo motehayasa re te, geni ito kokoro-nikuki hodo nari. Syau-no-koto ha, Nyougo no ohom-tumaoto ha, ito rautage ni natukasiku, Haha-Gimi no ohom-kehahi kuhahari te, yu-no-ne hukaku, imiziku sumi te kikoye turu wo, kono ohom-tedukahi ha, mata sama kahari te, yururuka ni omosiroku, kiku hito tada-nara-zu, suzurohasiki made aigyau-duki te, rin no te nado, subete sarani, ito kado aru ohom-koto no ne nari.
5.3.3  返り声に、皆調べ変はりて、律の掻き合はせども、なつかしく今めきたるに、 琴は、五個の調べ、あまたの手の中に、心とどめてかならず弾きたまふべき 五、六の発刺 を、 いとおもしろく澄まして弾きたまふ。さらにかたほならず、いとよく澄みて聞こゆ。
 返り声に、すべて調子が変わって、律の合奏の数々が、親しみやすく華やかな中にも、琴の琴は、五箇の調べを、たくさんある弾き方の中で、注意して必ずお弾きにならなければならない五、六の発刺を、たいそう見事に澄んでお弾きになる。まったくおかしなところはなく、たいそうよく澄んで聞こえる。
 合奏の末段になってりょの調子が律になる所の掻き合わせがいっせいにはなやかになり、琴は五つの調べの中の五六のいとのはじき方をおもしろく宮はお弾きになって、少しも未熟と思われる点がなく、よく澄んで聞こえた。
  Kaheri-gowe ni, mina sirabe kahari te, riti no kaki-ahase-domo, natukasiku imameki taru ni, kin ha, go-ka-no-sirabe, amata no te no naka ni, kokoro todome te kanarazu hiki tamahu beki go, roku no hara wo, ito omosiroku sumasi te hiki tamahu. Sarani kataho nara zu, ito yoku sumi te kikoyu.
5.3.4  春秋よろづの物に通へる調べにて、通はしわたしつつ弾きたまふ。心しらひ、教へきこえたまふさま違へず、いとよくわきまへたまへるを、いとうつくしく、おもだたしく思ひきこえたまふ。
 春秋どの季節の物にも調和する調べなので、それぞれに相応しくお弾きになる。そのお心配りは、お教え申し上げたものと違わず、たいそうよく会得していらっしゃるのを、たいそういじらしく、晴れがましくお思い申し上げになる。
 春と秋その他のあらゆる場合に変化させねばならぬ弾法の使いこなしようを院がお教えになったのを誤たずによく会得して弾いておいでになるのに、院は誇りをお覚えになった。
  Haru aki yorodu no mono ni kayohe ru sirabe ni te, kayohasi watasi tutu hiki tamahu. Kokoro sirahi wosihe kikoye tamahu sama tagahe zu, ito yoku wakimahe tamahe ru wo, ito utukusiku, omodatasiku omohi kikoye tamahu.
注釈358葛城遊びたまふ明融臨模本、合点あり。催馬楽、呂「葛城」「葛城の 寺の前なるや 豊浦の寺の 西なるや 榎の葉井に 白玉沈くや 真白玉沈くや おおしとど おしとど しかしては 国ぞ栄えむや 我家らぞ 富せむや おおしとど としとんど おおしとんど としとんど」。子孫繁栄を寿ぐ歌謡。5.3.1
注釈359月やうやうさし上るままに臥待ちの月、十九日の月である。5.3.2
注釈360花の色香ももてはやされて梅の花。「御前の梅も盛りに」(第四章一段)とあった。5.3.2
注釈361この御手づかひは紫の上の手さばきをさす。5.3.2
注釈362琴は五個の調べ『新大系』は「琴は胡笳の調べ」と整定。『河海抄』は「掻手片垂水宇瓶蒼海波雁鳴調」を指摘。奏者は女三の宮。5.3.3
注釈363五六の発刺『集成』は「青表紙本は「五六のはち」とあるが、河内本の中に「五六のはら」とするものがあり、それが正しいであろう。「はらとは溌剌とかく。七徽の七分あたりにて六の絃を按へて、五六を右手の人中名の三指にて内へ一声に弾ずるを撥と云ふ。外へ弾ずるを剌と云。つめて云へば発剌(はら)なり」(『玉堂雑記』)」と注して、「五六のはら」と校訂。『完訳』は「五六の撥」のまま。5.3.3
注釈364いとおもしろく澄まして弾きたまふ主語は女三の宮。5.3.3
出典16 葛城 葛城の 寺の前なるや 豊浦の寺の 西なるや 榎の葉井に 白璧沈くや おおしとど おしとど しかしてば 国ぞ栄えむや 我家らぞ 富せむや おおしとど としとんど おおしとど としとんど 催馬楽-葛城 5.3.1
校訂16 発刺 発刺--*はち 5.3.3
5.4
第四段 女楽終了、禄を賜う


5-4  The concert comes to an end, Yugiri and gandsons are rewarded for their efforts to the concert

5.4.1   この君達の、いとうつくしく吹き立てて、切に心入れたるを、らうたがりたまひて、
 この若君たちが、とてもかわいらしく笛を吹き立てて、一生懸命になっているのを、おかわいがりになって、
 小さい御孫たちが熱心に笛の役を勤めたのをかわいく院は思召おぼしめして、
  Kono Kimi-tati no, ito utukusiku huki-tate te, seti ni kokoro-ire taru wo, rautagari tamahi te,
5.4.2  「 ねぶたくなりにたらむに。今宵の遊びは、長くはあらで、はつかなるほどにと思ひつるを。とどめがたき物の音どもの、いづれともなきを、聞き分くほどの耳とからぬたどたどしさに、いたく更けにけり。 心なきわざなりや
 「眠たくなっているだろうに。今夜の音楽の遊びは、長くはしないで、ほんの少しのところでと思っていたが。やめるのには惜しい楽の音色が、甲乙をつけがたいのを、聞き分けるほどに耳がよくないので愚図愚図しているうちに、たいそう夜が更けてしまった。気のつかないことであった」
 「眠くなっただろうのに、今晩の合奏はそう長くしないはずでわずかな予定だったのがつい感興にまかせて長く続けていて、それも楽音で時間を知るほどの敏感がなく、思わずおそくなって、思いやりのないことをした」
  "Nebutaku nari ni tara m ni. Koyohi no asobi ha, nagaku ha ara de, hatuka naru hodo ni to omohi turu wo. Todome gataki mono no ne-domo no, idure to mo naki wo, kiki-waku hodo no mimi tokara nu tado-tadosisa ni, itaku huke ni keri. Kokoro-naki waza nari ya!"
5.4.3  とて、 笙の笛吹く君に、土器さしたまひて、御衣脱ぎてかづけたまふ。 横笛の君にはこなたより、織物の細長に、袴などことことしからぬさまに、けしきばかりにて、大将の君には、 宮の御方より、杯さし出でて、宮の御装束一領かづけたてまつりたまふを、大殿、
 と言って、笙の笛を吹く君に、杯をお差しになって、お召物を脱いでお与えになる。横笛の君には、こちらから、織物の細長に、袴などの仰々しくないふうに、形ばかりにして、大将の君には、宮の御方から、杯を差し出して、宮のご装束を一領をお与え申し上げなさるのを、大殿は、
 とお言いになり、しょうの笛を吹いた子に酒杯をお差しになり、御服を脱いでお与えになるのであった。横笛の子には紫夫人のほうから厚織物の細長にはかまなどを添えて、あまり目だたせぬ纏頭てんとうが出された。大将には姫宮の御簾みすの中から酒器かわらけが出されて、宮の御装束一そろいが纏頭にされた。
  tote, Syau-no-hue huku Kimi ni, kaharake sasi tamahi te, ohom-zo nugi te kaduke tamahu. Yoko-bue no Kimi ni ha, konata yori, orimono no hosonaga ni, hakama nado koto-kotosikara nu sama ni, kesiki bakari ni te, Daisyau-no-Kimi ni ha, Miya-no-Ohomkata yori, sakaduki sasi-ide te, Miya no ohom-syauzoku hito-kudari kaduke tatematuri tamahu wo, Otodo,
5.4.4  「 あやしや。物の師をこそ、まづはものめかしたまはめ。愁はしきことなり
 「妙なことだね。師匠のわたしにこそ、さっそくご褒美を下さってよいものなのに。情ないことだ」
 「変ですね。まず先生に御褒美ほうびをお出しにならないで。私は失望した」
  "Ayasi ya! Mono no si wo koso, madu ha mono-mekasi tamaha me. Urehasiki koto nari."
5.4.5  とのたまふに、宮のおはします御几帳のそばより、御笛をたてまつる。 うち笑ひたまひて取りたまふ。いみじき高麗笛なり。すこし吹き鳴らしたまへば、皆立ち出でたまふほどに、大将立ち止まりたまひて、 御子の持ちたまへる笛を取りて、いみじくおもしろく吹き立てたまへるが、いとめでたく聞こゆれば、 いづれもいづれも、皆御手を離れぬものの伝へ伝へ、いと二なくのみあるにてぞ、わが御才のほど、ありがたく 思し知られける
 とおっしゃるので、宮のおいであそばす御几帳の側から、御笛を差し上げる。微笑みなさってお取りになる。たいそう見事な高麗笛である。少し吹き鳴らしなさると、皆お返りになるところであったが、大将が立ち止まりなさって、ご子息の持っておいでの笛を取って、たいそう素晴らしく吹き鳴らしなさったのが、実に見事に聞こえたので、どなたもどなたも、皆ご奏法を受け継がれたお手並みが、実に又となくばかりあるので、ご自分の音楽の才能が、めったにないほどだと思われなさるのであった。
 院がこう冗談じょうだんをお言いになると、宮の几帳きちょうの下からお贈り物の笛が出た。院は笑いながらお受け取りになるのであったが、それは非常によい高麗笛であった。少しお吹きになると、もう退出し始めていた人たちの中で大将が立ちどまって、子息の持っていた横笛を取ってよい音に吹き合わせるのが、至芸と思われるこの音を院はうれしくお聞きになり、これもまた自分の弟子でしであったと満足されたのであった。
  to notamahu ni, Miya no ohasimasu mi-kityau no soba yori, ohom-hue wo tatematuru. Uti-warahi tamahi te tori tamahu. Imiziki Koma-bue nari. Sukosi huki-narasi tamahe ba, mina tati-ide tamahu hodo ni, Daisyau tati-tomari tamahi te, mi-ko no moti tamahe ru hue wo tori te, imiziku omosiroku huki tate tamahe ru ga, ito medetaku kikoyure ba, idure mo idure mo, mina ohom-te wo hanare nu mono no tutahe tutahe, ito ni-naku nomi aru ni te zo, waga ohom-zae no hodo, arigataku obosi-sira re keru.
注釈365この君達の鬚黒の三男や夕霧の長男をさす。5.4.1
注釈366ねぶたくなりにたらむに以下「心なきわざなりや」まで、源氏の詞。5.4.2
注釈367心なきわざなりや『集成』は「気のつかぬことをしたものだ」。『完訳』は「どうもわたしはいい気になっていたのだね」と訳す。5.4.2
注釈368笙の笛吹く君に鬚黒の三男。5.4.3
注釈369横笛の君には夕霧の長男。5.4.3
注釈370こなたより紫の上方からの意。5.4.3
注釈371宮の御方より女三の宮からの意。5.4.3
注釈372あやしや物の師をこそまづはものめかしたまはめ愁はしきことなり源氏の詞。冗談にいう。
【ものめかしたまはめ】−『集成』は「お引き立てになって頂きたいものだ」。『完訳』は「大事に扱っていただきたいものです」と訳す。
5.4.4
注釈373うち笑ひたまひて取りたまふ主語は源氏。5.4.5
注釈374御子の持ちたまへる笛を取りて横笛である。5.4.5
注釈375いづれもいづれも皆御手を離れぬものの伝へ伝へいと二なくのみあるにてぞ夕霧やその子も含めて源氏の奏法を受け継いですばらしいことをいう。『完訳』は「以下、源氏の心中に即す叙述。女君たちの巧技が自分の伝授によると再確認し、わが優れた才能を思う。前の対話での、伝授されがたいとする慨嘆ともひびきあう」と注す。5.4.5
注釈376思し知られける「られ」自発の助動詞。思わずにはいられない、というニュアンス。5.4.5
5.5
第五段 夕霧、わが妻を比較して思う


5-5  Yugiri considers his wife compared with Murasaki

5.5.1  大将殿は、君達を御車に乗せて、月の澄めるにまかでたまふ。 道すがら、箏の琴の変はりていみじかりつる音も、耳につきて恋しくおぼえたまふ。
 大将殿は、若君たちをお車に乗せて、月の澄んだ中をご退出なさる。道中、箏の琴が普通とは違ってたいそう素晴らしかった音色が、耳について恋しくお思い出されなさる。
 大将は子供をいっしょに車へ乗せて月夜の道を帰って行ったが、いつまでも第二回のおりの箏の音が耳についていて、る瀬なく恋しかった。
  Daisyau-dono ha, Kimi-tati wo mi-kuruma ni nose te, tuki no sume ru ni makade tamahu. Miti-sugara, syau-no-koto no kahari te imizikari turu ne mo, mimi ni tuki te kohisiku oboye tamahu.
5.5.2   わが北の方は、故大宮の教へきこえたまひしかど、心にもしめたまはざりしほどに、 別れたてまつりたまひにしかばゆるるかにも弾き取りたまはで男君の御前にては、恥ぢてさらに弾きたまはず。何ごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子ども扱ひを、暇なく次々したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、腹悪しくて、もの妬みうちしたる、愛敬づきてうつくしき人ざまにぞものしたまふめる。
 ご自分の北の方は、亡き大宮がお教え申し上げなさったが、熱心にお習いなさらなかったうちに、お引き離されておしまいになったので、ゆっくりとも習得なさらず、夫君の前では、恥ずかしがって全然お弾きにならない。何ごともただあっさりと、おっとりとした物腰で、子供の世話に、休む暇もなく次々となさるので、風情もなくお思いになる。そうはいっても、機嫌を悪くして、嫉妬するところは、愛嬌があってかわいらしい人柄でいらっしゃるようである。
 この人の妻は祖母の宮のお教えを受けていたといっても、まだよくも心にはいらぬうちに父の家へ引き取られ、十三絃もはんぱな稽古けいこになってしまったのであるから、良人おっとの前では恥じて少しも弾かないのである。すべておおまかに外見をかまわず暮らしていて、あとへあとへ生まれる子供の世話に追われているのであるから、大将は若い妻の感じのよさなどは少しも受け取りえない良人なのである。しかも嫉妬しっとはして、腹をたてなどする時に天真爛漫らんまんな所の見える無邪気な夫人なのであった。
  Waga Kitanokata ha, ko-Oho-Miya no wosihe kikoye tamahi sika do, kokoro ni mo sime tamaha zari si hodo ni, wakare tatematuri tamahi ni sika ba, yururuka ni mo hiki tori tamaha de, Wotoko-Gimi no o-mahe ni te ha, hadi te sarani hiki tamaha zu. Nani-goto mo tada oyiraka ni, uti-ohodoki taru sama si te, kodomo-atukahi wo, itoma naku tugi-tugi si tamahe ba, wokasiki tokoro mo naku oboyu. Sasuga ni, hara asiku te, mono-netami uti-si taru, aigyau-duki te utukusiki hito-zama ni zo monosi tamahu meru.
注釈377道すがら箏の琴の変はりていみじかりつる音も夕霧、紫の上の箏の琴の音色を忘れ難く思い出す。5.5.1
注釈378わが北の方は雲居雁。5.5.2
注釈379別れたてまつりたまひにしかば『完訳』は「大宮の御もとからお離れ申しあげなさったので」。父内大臣によって雲居雁は大宮の三条宮邸から自邸の方に引き取られた。5.5.2
注釈380ゆるるかにも弾き取りたまはで『集成』は「ゆっくり伝授をお受けになることもなくて」。『完訳』は「十分に稽古をお積みにならなかったものだから」と訳す。5.5.2
注釈381男君『完訳』は「前の「大将」とは異なり、家庭内の夫婦関係を強調した呼称」と注す。5.5.2
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

Last updated 9/30/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
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