35 若菜下(明融臨模本)


WAKANA-NO-GE


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

3
第三章 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画


3  Tale of Suzaku  A plan of celebrstion for Suzaku 50 years old

3.1
第一段 女三の宮と紫の上


3-1  The present of Omna-Sam-no-Miya and Murasaki

3.1.1   入道の帝は、御行なひをいみじくしたまひて、内裏の御ことをも聞き入れたまはず。 春秋の行幸になむ、昔思ひ出でられたまふこともまじりける。姫宮の御ことをのみぞ、なほえ思し放たで、 この院をば、なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて、うちうちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ二品になりたまひて、御封などまさる。いよいよはなやかに御勢ひ添ふ。
 入道の帝は、仏道に御専心あそばして、内裏の御政道にはいっさいお口をお出しにならない。春秋の朝覲の行幸には、昔の事をお思い出しになることもあった。姫宮の御事だけを、今でも御心配でいらして、こちらの六条院を、やはり表向きのお世話役としてお思い申し上げなさって、内々の御配慮を下さるべく帝にもお願い申し上げていらっしゃる。二品におなりになって、御封なども増える。ますます華やかにご威勢も増す。
 法皇は仏勤めに精進あそばされて、政治のことなどには何の干渉もあそばさない。春秋の行幸みゆきをお迎えになる時にだけ昔の御生活がお心の上に姿を現わすこともあるのであった。女三にょさんみやをなお気がかりに思召おぼしめされて、六条院は形式上の保護者と見て、内部からの保護をみかどにお託しになった。それで女三の宮は二品にほんの位にお上げられになって、得させられる封戸ふこの数も多くなり、いよいよはなやかなお身の上になったわけである。
  Nihudau-no-Mikado ha, ohom-okonahi wo imiziku si tamahi te, Uti no ohom-koto wo mo kiki-ire tamaha zu. Syunziu no gyougau ni nam, mukasi omohi-ide rare tamahu koto mo maziri keru. Hime-Miya no ohom-koto wo nomi zo, naho e obosi-hanata de, kono Win wo ba, naho ohokata no ohom-usiromi ni omohi kikoye tamahi te, uti-uti no mi-kokoro-yose aru beku sou-se sase tamahu. Ni-hon ni nari tamahi te, mi-bu nado masaru. Iyo-iyo hanayaka ni ohom-ikihohi sohu.
3.1.2  対の上、 かく年月に添へてかたがたにまさりたまふ御おぼえに
 対の上は、このように年月とともに何かにつけてまさって行かれるご声望に比べて、
 紫夫人は一方の夫人の宮がこんなふうに年月に添えて勢力の増大していくのに対して、
  Tai-no-Uhe, kaku tosi-tuki ni sohe te, kata-gata ni masari tamahu ohom-oboye ni,
3.1.3  「 わが身はただ一所の御もてなしに、人には劣らねど、あまり年積もりなば、その御心ばへもつひに衰へなむ。さらむ世を見果てぬさきに、心と背きにしがな」
 「自分自身はただ一人が大事にして下さるお蔭で、他の人には負けないが、あまりに年を取り過ぎたら、そのご愛情もしまいには衰えよう。そのような時にならない前に、自分から世を捨てたい」
 自分はただ院の御愛情だけを力にして今の所はけ目がないとしても、そのお志というものも遂には衰えるであろう、そうした寂しい時にあわない前に今のうちに善処したい
  "Waga mi ha tada hito-tokoro no ohom-motenasi ni, hito ni ha otora ne do, amari tosi tumori na ba, sono mi-kokoro-bahe mo tuhi ni otorohe na m. Sara m yo wo mi-hate nu saki ni, kokoro to somuki ni si gana!"
3.1.4  と、たゆみなく思しわたれど、 さかしきやうにや思さむとつつまれて、はかばかしくもえ聞こえたまはず。 内裏の帝さへ、御心寄せことに聞こえたまへば、 おろかに聞かれたてまつらむもいとほしくて渡りたまふこと、やうやう等しきやうになりゆく
 と、ずっと思い続けていらっしゃるが、生意気なようにお思いになるだろうと遠慮されて、はっきりとはお申し上げになることができない。今上帝までが、御配慮を特別にして上げていらっしゃるので、疎略なと、お耳にあそばすことがあったらお気の毒なので、お通いになることがだんだんと同等になってなって行く。
 とは常に思っていることであったが、あまりに賢がるふうに思われてはという遠慮をして口へたびたびは出さないのである。院は法皇だけでなく帝までが関心をお持ちになるということがおそれおおく思召されて、冷淡にするうわさを立てさすまいというお心から、今ではあちらへおいでになることと、こちらにおられることとがちょうど半々ほどになっていた。
  to, tayumi naku obosi watare do, sakasiki yau ni ya obosa m to tutuma re te, haka-bakasiku mo e kikoye tamaha zu. Uti-no-Mikado sahe, mi-kokoro-yose koto ni kikoye tamahe ba, oroka ni kika re tatematura m mo itohosiku te, watari tamahu koto, yau-yau hitosiki yau ni nari yuku.
3.1.5   さるべきこと、ことわりとは思ひながらさればよとのみ、やすからず思されけれど、なほつれなく同じさまにて過ぐしたまふ。 春宮の御さしつぎの女一の宮を、こなたに取り分きてかしづきたてまつりたまふ。 その御扱ひになむ、つれづれなる御夜がれのほども慰めたまひけるいづれも分かず、うつくしくかなしと思ひきこえたまへり。
 無理もないこと、当然なこととは思いながらも、やはりそうであったのかとばかり、面白からずお思いになるが、やはり素知らぬふうに同じ様にして過ごしていらっしゃる。春宮のすぐお下の女一の宮を、こちらに引き取って大切にお世話申し上げていらっしゃる。そのご養育に、所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気をお紛らしていらっしゃるのだった。どちらの宮も区別せず、かわいくいとしいとお思い申し上げていらっしゃった。
 道理なこととは思いながらもかねて思ったとおりの寂しい日の来始めたことに女王にょおうは悲しまれたが、表面は冷静に以前のとおりにしていた。東宮に次いでお生まれになった女一の宮を紫夫人は手もとへお置きしてお育て申し上げていた。そのお世話の楽しさに院のお留守るすの夜の寂しさも慰められているのであった。御孫の宮はどの方をも皆非常にかわいく夫人は思っているのである。
  Saru-beki koto, kotowari to ha omohi nagara, sarebayo to nomi, yasukara zu obosa re kere do, naho turenaku onazi sama ni te sugusi tamahu. Touguu no ohom-sasitugi no Womna-Iti-no-Miya wo, konata ni tori-waki te kasiduki tatematuri tamahu. Sono ohom-atukahi ni nam, ture-dure naru ohom-yogare no hodo mo nagusame tamahi keru. Idure mo waka zu, utukusiku kanasi to omohi kikoye tamahe ri.
注釈190入道の帝は朱雀院をさす。3.1.1
注釈191春秋の行幸今上帝の父朱雀院への朝覲行幸をさす。3.1.1
注釈192この院をば、なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて、うちうちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ朱雀院は源氏を「おほかたの御後見」と考え、帝に「うちうちの御心寄せあるべく」依頼している。3.1.1
注釈193二品になりたまひて御封などまさる女三の宮、二品になる。「禄令」によれば、親王は、一品は八百戸、二品は六百戸、三品は四百戸、四品は三百戸で、内親王はその半分とされる。すなわち、女三の宮の二品内親王は三百戸の御封。3.1.1
注釈194かく年月に添へて紫の上の寂寥、女三の宮のはなやかさと対比されて語られる。『完訳』は「紫の上の心中に即す。直接、間接話法が混じる」と注す。3.1.2
注釈195かたがたにまさりたまふ御おぼえに主語は女三の宮。『集成』は「何かにつけて盛んになられる〔女三の宮の〕ご声望に」。『完訳』は「六条院の他の御方々より盛んになられる女宮のご声望であるにつけても」と訳す。3.1.2
注釈196わが身はただ以下「心と背きにしがな」まで、紫の上の心中。3.1.3
注釈197さかしきやうにや思さむ紫の上の心中。源氏の気持ちを忖度。3.1.4
注釈198内裏の帝さへ副助詞「さへ」添加の意。『完訳』は「朱雀院はもちろん帝までが」と注す。3.1.4
注釈199おろかに聞かれたてまつらむもいとほしくて主語は源氏。「れ」受身の助動詞。帝に女三の宮を疎略に扱っていると聞かれる、それが帝に申し訳ない、の意。3.1.4
注釈200渡りたまふことやうやう等しきやうになりゆく源氏の女三の宮のもとに通うことが紫の上の場合と同等になる。3.1.4
注釈201さるべきことことわりとは思ひながら紫の上は、やがて源氏の愛情も女三の宮のほうに傾斜していくことを予測していた。3.1.5
注釈202さればよかねて懸念していたとおり。3.1.5
注釈203春宮の御さしつぎの女一の宮を養女の明石女御が産んだ春宮のすぐ下の妹。孫娘として愛育する。3.1.5
注釈204その御扱ひになむつれづれなる御夜がれのほども慰めたまひける紫の上も源氏の「夜離れ」を経験するようになる。愛孫の世話に所在なさを紛らわす。『蜻蛉日記』の作者が晩年養女を迎えて所在なさを紛らしたのに類似。3.1.5
注釈205いづれも分かず明石女御が産んだ御子。春宮、三の宮(匂宮)、女一の宮を差別せず。3.1.5
3.2
第二段 花散里と玉鬘


3-2  The present of Hanachirusato and Tamakazura

3.2.1   夏の御方は、かくとりどりなる御孫扱ひをうらやみて、大将の君の典侍腹の君を、切に迎へてぞかしづきたまふ。いとをかしげにて、心ばへも、ほどよりはされおよすけたれば、大殿の君もらうたがりたまふ。 少なき御嗣と思ししかど、末に広ごりてこなたかなたいと多くなり添ひたまふを、 今はただ、これをうつくしみ扱ひたまひてぞ、つれづれも慰めたまひける
 夏の御方は、このようなあれこれのお孫たちのお世話を羨んで、大将の君の典侍腹のお子を、ぜひにと引き取ってお世話なさる。とてもかわいらしげで、気立ても、年のわりには利発でしっかりしているので、大殿の君もおかわいがりになる。数少ないお子だとお思いであったが、孫は大勢できて、あちらこちらに数多くおなりになったので、今はただ、これらをかわいがり世話なさることで、退屈さを紛らしていらっしゃるのであった。
 花散里はなちるさと夫人は紫夫人も明石夫人も御孫宮がたのお世話に没頭しているのがうらやましくて、左大将の典侍ないしのすけに生ませた若君を懇望して手もとへ迎えたのを愛して育てていた。美しい子でりこうなこの孫君を院もおかわいがりになった。院は御子の数が少ないように見られた方であるが、こうして広く繁栄する御孫たちによって満足をしておいでになるようである。
  Natu-no-Ohomkata ha, kaku tori-dori naru ohom-mumago-atukahi wo urayami te, Daisyau-no-Kimi no Naisi-no-Suke-bara no Kimi wo, seti ni mukahe te zo kasiduki tamahu. Ito wokasige ni te, kokorobahe mo, hodo yori ha sare oyosuke tare ba, Otodo-no-Kimi mo rautagari tamahu. Sukunaki ohom-tugi to obosi sika do, suwe ni hirogori te, konata-kanata ito ohoku nari sohi tamahu wo, ima ha tada, kore wo utukusimi atukahi tamahi te zo, ture-dure mo nagusame tamahi keru.
3.2.2   右の大殿の参り仕うまつりたまふこと、いにしへよりもまさりて親しく、今は 北の方もおとなび果てて、かの 昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや、さるべき折も渡りまうでたまふ。対の上にも御対面ありて、あらまほしく聞こえ交はしたまひけり。
 右の大殿が参上してお仕えなさることは、昔以上に親密になって、今では北の方もすっかり落ち着いたお年となって、あの昔の色めかしい事は思い諦めたのであろうか、適当な機会にはよくお越しになる。対の上ともお会いになって、申し分ない交際をなさっているのであった。
 右大臣が院を尊敬して親しくお仕えすることは昔以上で、玉鬘たまかずらももう中年の夫人になり、何かの時には六条院へたずねて来て紫夫人にもって話し合うほかにも親しみ深い往来ゆききが始終あった。
  Migi-no-Ohotono no mawiri tukau-maturi tamahu koto, inisihe yori mo masari te sitasiku, ima ha Kitanokata mo otonabi-hate te, kano mukasi no kake-kakesiki sudi omohi hanare tamahu ni ya, saru-beki wori mo watari maude tamahu. Tai-no-Uhe ni mo ohom-taimen ari te, aramahosiku kikoye kahasi tamahi keri.
3.2.3   姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします。女御の君は、今は公ざまに思ひ放ちきこえたまひて、この宮をば いと心苦しく、幼からむ御女のやうに、思ひはぐくみたてまつりたまふ
 姫宮だけが、同じように若々しくおっとりしていらっしゃる。女御の君は、今は主上にすべてお任せ申し上げなさって、この姫宮をたいそう心に懸けて、幼い娘のように思ってお世話申し上げていらっしゃる。
 姫宮だけは今日もなお少女おとめのようなたよりなさで、また若々しさでおいでになった。もう宮廷の人になりきってしまった女御に気づかいがなくおなりになった院は、この姫宮を幼い娘のように思召して、この方の教育に力を傾けておいでになるのであった。
  Hime-Miya nomi zo, onazi sama ni wakaku ohodoki te ohasimasu. Nyougo-no-kimi ha, ima ha ohoyake-zama ni omohi hanati kikoye tamahi te, kono Miya woba ito kokoro-gurusiku, wosanakara m mi-musume no yau ni, omohi hagukumi tatematuri tamahu.
注釈206夏の御方は夏の御方すなわち花散里も養子夕霧大将の典侍腹の孫を引き取って世話をする。3.2.1
注釈207少なき御嗣と思ししかど、末に広ごりて源氏の子の少ないこと。しかし、その子の孫は数多くできたことをいう。3.2.1
注釈208こなたかなたいと多く夕霧方と明石姫君方とをさす。3.2.1
注釈209今はただこれをうつくしみ扱ひたまひてぞつれづれも慰めたまひける主語は源氏。源氏も晩年の所在なさを「御孫扱ひ」で過す。3.2.1
注釈210右の大殿の参り仕うまつりたまふこといにしへよりも鬚黒右大臣兼左大将。今上帝の外戚。3.2.2
注釈211北の方もおとなび果てて玉鬘は鬚黒の北の方、二児の母親としてすっかり落ち着いた年齢と地位にある。現在三十二歳。3.2.2
注釈212昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや語り手の挿入句。源氏の心中を忖度。3.2.2
注釈213姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします六条院の源氏、紫の上、花散里らの「御孫扱ひ」、そこに出入りする玉鬘のすっかり落ち着いた年齢。そうした中で、女三の宮のみが変わらず若く幼いままでいる。二十一、二歳になっている。柏木との密通事件の伏線。3.2.3
注釈214いと心苦しく幼からむ御女のやうに思ひはぐくみたてまつりたまふ『集成』は「大層心にかけて」「〔源氏は〕大事にお世話申し上げていられる」。『完訳』は「まことにいじらしくお思いになり、まるで幼い御娘でもあるかのように、たいせつにお世話申しあげていらっしゃる」と訳す。3.2.3
3.3
第三段 朱雀院の五十の賀の計画


3-3  A plan of celebrstion for Suzaku 50 years old

3.3.1  朱雀院の、
 朱雀院が、
 朱雀すざく院の法皇は
  Suzaku-Win no,
3.3.2  「 今はむげに世近くなりぬる心地して、もの心細きを、さらにこの世のこと顧みじと 思ひ捨つれど、対面なむ今一度あらまほしきを、もし恨み 残りもこそすれ、ことことしきさまならで渡りたまふべく」
 「今はすっかり死期が近づいた心地がして、何やら心細いが、決してこの世のことは気に懸けまいと思い捨てたが、もう一度だけお会いしたく思うが、もし未練でも残ったら大変だから、大げさにではなくお越しになるように」
 もう御命数も少なくなったように心細くばかり思召されるのであるが、この世のことなどはもう顧みないことにしたいとお考えになりながらも、女三の宮にだけはもう一度お逢いあそばされたかった。このままくなって心の残るのはよろしくないことであるから、たいそうにはせず宮がたずねておいでになること
  "Ima ha muge ni yo tikaku nari nuru kokoti si te, mono-kokoro-bosoki wo, sarani konoyo no koto kaherimi zi to omohi-suture do, taimen nam ima hito-tabi ara mahosiki wo, mosi urami nokori mo koso sure, koto-kotosiki sama nara de watari tamahu beku."
3.3.3  聞こえたまひければ、大殿も、
 と、お便り申し上げなさったので、大殿も、
 をお言いやりになった。院も、
  kikoye tamahi kere ba, Otodo mo,
3.3.4  「 げに、さるべきことなり。かかる御けしきなからむにてだに、進み参りたまふべきを。まして、かう待ちきこえたまひけるが、心苦しきこと」
 「なるほど、仰せの通りだ。このような御内意が仮になくてさえ、こちらから進んで参上なさるべきことだ。なおさらのこと、このようにお待ちになっていらっしゃるとは、おいたわしいことだ」
 「ごもっともなことですよ。こんな仰せがなくともこちらから進んでお伺いをなさらなければならないのに、ましてこうまでお待ちになっておられるのだから、実行しないではお気の毒ですよ」
  "Geni, saru beki koto nari. Kakaru mi-kesiki nakara m ni te dani, susumi mawiri tamahu beki wo. Masite, kau mati kikoye tamahi keru ga, kokoro-gurusiki koto."
3.3.5  と、参りたまふべきこと思しまうく。
 と、ご訪問なさるべきことをご準備なさる。
 とお言いになり、機会をどんなふうにして作ろうかと考えておいでになった。
  to, mawiri tamahu beki koto obosi mauku.
3.3.6  「 ついでなく、すさまじきさまにてやは、はひ渡りたまふべき。何わざをしてか、御覧ぜさせたまふべき」
 「何のきっかけもなく、取り立てた趣向もなくては、どうして簡単にお出かけになれようか。どのようなことをして、御覧に入れたらよかろうか」
 何でもなくそっと伺候をするようなことはみすぼらしくてよろしくない。
  "Tuide naku, susamaziki sama ni te ya ha, hahi-watari tamahu beki. Nani-waza wo si te ka, go-ran-ze sase tamahu beki."
3.3.7  と、思しめぐらす。
 と、ご思案なさる。
 法皇をお喜ばせかたがた外見の整ったことがさせたいとお思いになるのである。
  to, obosi megurasu.
3.3.8  「 このたび足りたまはむ年、若菜など調じてや」と、思して、さまざまの御法服のこと、斎の 御まうけのしつらひ、何くれとさまことに変はれることどもなれば、 人の御心しつらひども入りつつ、思しめぐらす。
 「来年ちょうどにお達しになる年に、若菜などを調進してお祝い申し上げようか」と、お考えになって、いろいろな御法服のこと、精進料理のご準備、何やかやと勝手が違うことなので、ご夫人方のお智恵も取り入れてお考えになる。
 来年法皇は五十におなりになるのであったから、若菜の賀を姫宮から奉らせようかと院はお思いつきになって、それに付帯した法会ほうえ布施ふせにお出しになる法服の仕度したくをおさせになり、すべて精進でされる御宴会の用意であるから普通のことと変わって、苦心の払われることを今からお指図さしずになっていた。
  "Kono tabi tari tamaha m tosi, wakana nado teu-zi te ya." to, obosi te, sama-zama no ohom-hohubuku no koto, imohi no ohom-mauke no siturahi, nani-kure to sama koto ni kahare ru koto-domo nare ba, hito no mi-kokoro siturahi-domo iri tutu, obosi megurasu.
3.3.9  いにしへも、遊びの方に御心とどめさせたまへりしかば、舞人、楽人などを、心ことに定め、すぐれたる限りをととのへさせたまふ。右の大殿の御子ども二人、大将の御子、典侍の腹の加へて三人、 まだ小さき七つより上のは、皆殿上せさせたまふ。兵部卿宮の童孫王、すべてさるべき宮たちの御子ども、家の子の君たち、皆選び出でたまふ。
 御出家以前にも、音楽の方面には御関心がおありでいらっしゃったので、舞人、楽人などを、特別に選考し、勝れた人たちだけをお揃えあそばす。右の大殿のお子たち二人、大将のお子は、典侍腹の子を加えて三人、まだ小さい七歳以上の子は、皆童殿上させなさる。兵部卿宮の童孫王、すべてしかるべき宮家のお子たちや、良家のお子たち、皆お選び出しになる。
 昔から音楽がことにお好きな方であったから、舞の人、楽の人にすぐれたのを選定しようとしておいでになった。右大臣家の下の二人の子、大将の子を典侍腹のも加えて三人、そのほかの御孫も七歳以上の皆殿上勤めをさせておいでになった。それらと、兵部卿ひょうぶきょうの宮のまだ元服前の王子、そのほかの親王がたの子息、御親戚しんせきの子供たちを多く院はお選びになった。
  Inisihe mo, asobi no kata ni mi-kokoro todome sase tamahe ri sika ba, mahi-bito, gaku-nin nado wo, kokoro koto ni sadame, sugure taru kagiri wo totonohe sase tamahu. Migi-no-Ohotono no ohom-kodomo hutari, Daisyau no miko, Naisi-no-Suke-bara no kuhahe te sam-nin, mada tihisaki nana-tu yori kami no ha, mina tenzyau se sase tamahu. Hyaubukyau-no-Miya no waraha-sonwau, subete saru-beki Miya-tati no ohom-kodomo, ihe-no-ko no Kimi-tati, mina erabi-ide tamahu.
3.3.10  殿上の君達も、容貌よく、同じき舞の姿も、 心ことなるべきを定めて、あまたの舞のまうけをせさせたまふ。いみじかるべきたびのこととて、皆人心を尽くしたまひてなむ。道々のものの師、上手、暇なきころなり。
 殿上の君たちも、器量が良く、同じ舞姿と言っても、また格別な人を選んで、多くの舞の準備をおさせになる。大層なこの度の催しとあって、誰も皆懸命に練習に励んでいらっしゃる。その道々の師匠、名人が、大忙しのこのごろである。
 殿上人たちの舞い手も容貌ようぼうがよくて芸のすぐれたのをりととのえて多くの曲の用意ができた。非常な晴れな場合と思ってその人たちは稽古けいこを励むために師匠になる専門家たちは、舞のほうのも楽のほうのも繁忙をきわめていた。
  Tenzyau no Kimi-tati mo, katati yoku, onaziki mahi no sugata mo, kokoro koto naru beki wo sadame te, amata no mahi no mauke wo se sase tamahu. Imizikaru beki tabi no koto tote, mina hito kokoro wo tukusi tamahi te nam. Miti-miti no mono-no-si, zyauzu, itoma naki koro nari.
注釈215今はむげに世近くなりぬる心地して以下「渡りたまふべく」まで、朱雀院から女三の宮への手紙。ただし、文末の引用句がなく、地の文に流れる。3.3.2
注釈216残りもこそすれ懸念の語法。恨みが残ったら大変だ。3.3.2
注釈217げにさるべきことなり以下「心苦しきこと」まで、源氏の詞。「げに」は朱雀院の手紙を受ける。3.3.4
注釈218ついでなくすさまじきさまにてやは以下「御覧ぜさせたまふべき」まで、源氏の心中。「やは」係助詞、反語表現。3.3.6
注釈219このたび足りたまはむ年若菜など調じてや源氏の心中。「足りたまはむ年」とは、朱雀院が来年ちょうど五十歳に達する年という意。3.3.8
注釈220人の御心しつらひども入りつつ六条院のご夫人方の意見をさす。3.3.8
注釈221まだ小さき七つより上のは夕霧は自分の七歳以上の子を童殿上させる。3.3.9
注釈222心ことなるべきを定めて『集成』は「目立ちそうな者たちを」。『完訳』は「格別な芸を見せてくれそうなのを選定して」と訳す。3.3.10
校訂6 思ひ捨つれ 思ひ捨つれ--おもひ(ひ/+す)つれ 3.3.2
校訂7 御まうけの 御まうけの--御まうけ(け/+の) 3.3.8
3.4
第四段 女三の宮に琴を伝授


3-4  Genji teaches playing shitigen-kin to Omna-Sam-no-Miya

3.4.1  宮は、もとより琴の御琴をなむ習ひたまひけるを、いと若くて 院にもひき別れたてまつりたまひしかば、おぼつかなく思して、
 姫宮は、もともと琴の御琴をお習いであったが、とても小さい時に父院にお別れ申されたので、気がかりにお思いになって、
 女三の宮は琴の稽古を御父の院のお手もとでしておいでになったのであるが、まだ少女時代に六条院へお移りになったために、どんなふうにその芸はなったかと法皇は不安に思召して、
  Miya ha, moto yori kin no ohom-koto wo nam narahi tamahi keru wo, ito wakaku te Win ni mo hiki-wakare tatematuri tamahi sika ba, obotukanaku obosi te,
3.4.2  「 参りたまはむついでに、かの御琴の音なむ聞かまほしき。 さりとも琴ばかりは弾き取りたまひつらむ」
 「お越しになる機会に、あの御琴の音をぜひ聞きたいものだ。いくら何でも琴だけは物になさったことだろう」
 「こちらへ来られた時に宮の琴の音が聞きたい。あの芸だけは仕上げたことと思うが」
  "Mawiri tamaha m tuide ni, ka no ohom-koto no ne nam kika mahosiki. Saritomo kin bakari ha hiki-tori tamahi tu ram."
3.4.3  と、 しりうごとに聞こえたまひけるを、内裏にも聞こし召して、
 と、陰で申されなさったのを、帝におかせられてもお耳にあそばして、
 と言っておいでになることが宮中へも聞こえて、
  to, siriu-goto ni kikoye tamahi keru wo, Uti ni mo kikosimesi te,
3.4.4  「 げに、さりとも、けはひことならむかし。 院の御前にて、手尽くしたまはむついでに、参り来て聞かばや」
 「仰せの通り、何と言っても、格別のご上達でしょう。院の御前で、奥義をお弾きなさる機会に、参上して聞きたいものだ」
 「そう言われるのは決して平凡なお手並みでない芸に違いない。一所懸命に法皇の所へ来ておきになるのを自分も聞きたいものだ」
  "Geni, saritomo, kehahi koto nara m kasi. Win no go-zen ni te, te tukusi tamaha m tuide ni, mawiri ki te kika baya."
3.4.5  などのたまはせけるを、大殿の君は伝へ聞きたまひて、
 などと仰せになったのを、大殿の君は伝え聞きなさって、
 などと仰せられたということがまた六条院へ伝わって来た。院は、
  nado notamahase keru wo, Otodo-no-Kimi ha tutahe kiki tamahi te,
3.4.6  「 年ごろさりぬべきついでごとには、教へきこゆることもあるを、そのけはひは、げにまさりたまひにたれど、 まだ聞こし召しどころあるもの深き手には及ばぬを、何心もなくて参りたまへらむついでに、聞こし召さむとゆるしなくゆかしがらせたまはむは、いとはしたなかるべきことにも」
 「今までに適当な機会があるたびに、お教え申したことはあるが、その腕前は、確かに上達なさったが、まだお聞かせできるような深みのある技術には達していないのを、何の準備もなくて参上した機会に、お聞きあそばしたいと強くお望みあそばしたら、とてもきっときまり悪い思いをすることになりはせぬか」
 「今までも何かの場合に自分からも教えているが、質はすぐれているがまだたいした芸になっていないのを、何心なくお伺いされた時に、ぜひ弾けと仰せになった場合に、恥ずかしい結果を生むことになってはならない」
  "Tosi-goro sari-nu-beki tuide goto ni ha, wosihe kikoyuru koto mo aru wo, sono kehahi ha, geni masari tamahi ni tare do, mada kikosimesi dokoro aru mono hukaki te ni ha oyoba nu wo, nani-gokoro mo naku te mawiri tamahe ra m tuide ni, kikosimesa m to yurusi naku yukasi-gara se tamaha m ha, ito hasitanakaru beki koto ni mo."
3.4.7  と、いとほしく思して、このころぞ御心とどめて教へきこえたまふ。
 と、気の毒にお思いになって、ここのところご熱心にお教え申し上げなさる。
  とお言いになって、それから女三の宮に熱心な琴の教授をお始めになった。
  to, itohosiku obosi te, kono-koro zo mi-kokoro todome te wosihe kikoye tamahu.
3.4.8   調べことなる手、二つ三つ、 おもしろき大曲どもの、四季につけて変はるべき響き、 空の寒さぬるさをととのへ出でて 、やむごとなかるべき手の限りを、取り立てて教へきこえたまふに、心もとなくおはするやうなれど、やうやう心得たまふままに、いとよく なりたまふ
 珍しい曲目、二つ三つ、面白い大曲類で、四季につれて変化するはずの響き、空気の寒さ温かさをその音色によって調え出して、高度な技術のいる曲目ばかりを、特別にお教え申し上げになるが、気がかりなようでいらっしゃるが、だんだんと習得なさるにつれて、大変上手におなりになる。
 変わったものを二、三曲、また大曲の長いのが四季の気候によって変わる音、寒い時と空気の暖かい時によっての弾き方を変えねばならぬことなどの特別な奥義をお教えになるのであったが、初めはたよりないふうであったものの、お心によくはいってきて上手じょうずにおなりになった。
  Sirabe koto naru te, huta-tu mi-tu, omosiroki daigoku-domo no, siki ni tuke te kaharu beki hibiki, sora no samusa nurusa wo totonohe ide te, yamgotonakaru beki te no kagiri wo, tori-tate te wosihe kikoye tamahu ni, kokoro-motonaku ohasuru yau nare do, yau-yau kokoro-e tamahu mama ni, ito yoku nari tamahu.
3.4.9  「 昼は、いと人しげく、なほ一度も揺し按ずる暇も、心あわたたしければ、夜々なむ、静かにことの心もしめたてまつるべき」
 「昼間は、たいそう人の出入りが多く、やはり絃を一度揺すって音をうねらせる間も、気ぜわしいので、夜な夜なに、静かに奏法の勘所をじっくりとお教え申し上げよう」
 昼は人の出入りの物音の多さに妨げられて、いとすったり、おさえて変わる音の繊細な味を研究おさせになるのに不便なために、夜になってから静かに教うべきである
  "Hiru ha, ito hito sigeku, naho hito-tabi mo yu-si an-zuru itoma mo, kokoro-awatatasikere ba, yoru-yoru nam, siduka ni koto no kokoro mo sime tatematuru beki."
3.4.10  とて、対にも、そのころは御暇聞こえたまひて、明け暮れ教へきこえたまふ。
 と言って、対の上にも、そのころはお暇申されて、朝から晩までお教え申し上げなさる。
 とお言いになって、女王にょおうの了解をお求めになって院はずっと宮の御殿のほうへお泊まりきりになり、朝夕のお稽古けいこの世話をあそばされた。
  tote, Tai ni mo, sono-koro ha ohom-itoma kikoye tamahi te, ake-kure wosihe kikoye tamahu.
注釈223院にもひき別れ「ひき別れ」には琴の縁で「弾き」を響かす。3.4.1
注釈224参りたまはむついでに以下「弾き取りたまひつらむ」まで、朱雀院の詞。3.4.2
注釈225さりとも琴ばかりは女三の宮、源氏に嫁して六年。『集成』は「琴の名手である源氏に嫁してもう七年にもなるのだから、といった気持がある」。『完訳』は「女宮の琴の巧拙に、源氏の情愛の厚薄を判断しようとする」と注す。3.4.2
注釈226しりうごとに聞こえたまひけるを『完訳』は「朱雀院の言辞には、言辞の情愛の薄さが思われている」と注す。3.4.3
注釈227げにさりとも以下「参り来て聞かばや」まで、帝の詞。「げに」について、『集成』は「これも、源氏の膝下にあるのだからという気持」。『完訳』は「院の「さりとも--」を肯定的に受けとめ、今は名手源氏の指導を得て上達していよう、とする」と注す。3.4.4
注釈228院の御前にて朱雀院の御前をさす。3.4.4
注釈229年ごろさりぬべきついでごとには以下「いとはしたなかるべきことにも」まで、源氏の心中。適当な機会に源氏が女三の宮に琴の琴を教えたということがここに初めて語られている。3.4.6
注釈230まだ聞こし召しどころあるもの深き手には及ばぬを『集成』は「院のお耳にご満足がゆくほどの深味のある曲はとても弾けないのに」。『完訳』は「まだ父院がお喜びあそばすほどの味わい深い技量にはほど遠いのだから」と訳す。3.4.6
注釈231調べことなる手『集成』は「珍しい旋律の曲」。『完訳』は「特別に調べの変った曲」と注す。3.4.8
注釈232おもしろき大曲どもの『完訳』は「帖を曲の単位として、一帖だけのものを小曲、数帖を中曲、十数帖を大曲と称すという」と注す。3.4.8
注釈233空の寒さぬるさをととのへ出でて琴(七絃琴)の音色に気候の温暖を調節させる霊妙な力があるという思想。『花鳥余情』所引「琴書」に見える。3.4.8
注釈234昼はいと人しげく以下「心もしめたてまつるべき」まで、源氏の詞。3.4.9
出典11 空の寒さぬるさをととのへ 琴書曰師曠晋之楽官也 上於琴能易寒暑占風雨為 琴書-花鳥余情所引 3.4.8
校訂8 なりたまふ なりたまふ--なり(り/+給) 3.4.8
3.5
第五段 明石女御、懐妊して里下り


3-5  Akashi-Nyogo comes back to her parent's home because of pregnancy

3.5.1   女御の君にも、対の上にも、琴は習はしたてまつりたまはざりければ、この折、をさをさ耳馴れぬ手ども弾きたまふらむを、ゆかしと思して、女御も、わざとありがたき御暇を、ただしばしと聞こえたまひてまかでたまへり。
 女御の君にも、対の上にも、琴の琴はお習わせ申されなかったので、この機会に、めったに耳にすることのない曲目をお弾きになっていらっしゃるらしいのを、聞きたいとお思いになって、女御も、特別にめったにないお暇を、ただ少しばかりお願い申し上げなさって御退出なさっていた。
 女御にょごにも女王にも琴はお教えにならなかったのであったから、このお稽古の時に珍しい秘曲もお弾きになるのであろうことを予期して、女御も得ることの困難なおいとまをようやくしばらく得て帰邸したのであった。
  Nyougo-no-Kimi ni mo, Tai-no-Uhe ni mo, kin ha narahasi tatematuri tamaha zari kere ba, kono wori, wosa-wosa mimi nare nu te-domo hiki tamahu ram wo, yukasi to obosi te, Nyougo mo, wazato arigataki ohom-itoma wo, tada sibasi to kikoye tamahi te makade tamahe ri.
3.5.2   御子二所おはするを、またもけしきばみたまひて、五月ばかりにぞなりたまへれば神事などにことづけておはしますなりけり十一日過ぐしては、参りたまふべき御消息うちしきりあれど、かかるついでに、かくおもしろき夜々の御遊びをうらやましく、「 などて我に伝へたまはざりけむ」と、つらく思ひきこえたまふ。
 お子様がお二方いらっしゃるが、再びご懐妊なさって、五か月ほどにおなりだったので、神事にかこつけてお里下がりしていらっしゃるのであった。十一日が過ぎたら、参内なさるようにとのお手紙がしきりにあるが、このような機会に、このように面白い毎夜の音楽の遊びが羨ましくて、「どうしてわたしにはご伝授して下さらなかったのだろう」と、恨めしくお思い申し上げなさる。
 もう皇子を二人お持ちしているのであるが、また妊娠して五月ほどになっていたから、神事の多い季節は御遠慮したいと言ってお暇を願って来たのである。十一月が過ぎるともどるようにと宮中からの御催促が急であるのもさしおいて、このごろの楽ののおもしろさに女御は六条院を去りがたいのであった。なぜ自分には教えていただけなかったのかと院を恨めしくお思いもしていた。
  Mi-ko huta-tokoro ohasuru wo, mata mo kesikibami tamahi te, itu-tuki bakari ni zo nari tamahe re ba, kamwaza nado ni kotoduke te ohasimasu nari keri. Zihu-iti-niti sugusi te ha, mawiri tamahu beki ohom-seusoko uti-sikiri are do, kakaru tuide ni, kaku omosiroki yoru-yoru no ohom-asobi wo urayamasiku, "Nadote ware ni tutahe tamaha zari kem?" to, turaku omohi kikoye tamahu.
3.5.3   冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なればおもしろき夜の雪の光に、折に合ひたる手ども弾きたまひつつ、さぶらふ人びとも、すこしこの方にほのめきたるに、御琴どもとりどりに弾かせて、遊びなどしたまふ。
 冬の夜の月は、人とは違ってご賞美なさるご性分なので、美しい雪の夜の光に、季節に合った曲目類をお弾きになりながら、伺候する女房たちも、少しはこの方面に心得のある者に、お琴類をそれぞれ弾かせて、管弦の遊びをなさる。
 普通と変わって冬の月を最もお好みになる院は、雪のある月夜にふさわしい琴の曲をお弾きになって、女房の中の楽才のあるのに他に楽器で合奏をさせたりして楽しんでおいでになった。
  Huyu no yo no tuki ha, hito ni tagahi te mede tamahu mi-kokoro nare ba, omosiroki yo no yuki no hikari ni, wori ni ahi taru te-domo hiki tamahi tutu, saburahu hito-bito mo, sukosi kono kata ni honomeki taru ni, ohom-koto-domo tori-dori ni hika se te, asobi nado si tamahu.
3.5.4  年の暮れつ方は、 対などにはいそがしく、こなたかなたの御いとなみに、おのづから御覧じ入るることどもあれば、
 年の暮れ方は、対の上などは忙しく、あちらこちらのご準備で、自然とお指図なさる事柄があるので、
 年末などはことに対の女王が忙しくていっさいの心配こころくばりのほかに、女御、宮たちのための春の仕度したくに追われて、
  Tosi no kure tu kata ha, Tai nado ni ha isogasiku, konata kanata no ohom-itonami ni, onodukara go-ran-zi iruru koto-domo are ba,
3.5.5  「 春のうららかならむ夕べなどに、いかでこの御琴の音聞かむ
 「春のうららかな夕方などに、ぜひにこのお琴の音色を聞きたい」
 「春ののどかな気分になった夕方などにこの琴の音をよくお聞きしたい」
  "Haru no uraraka nara m yuhube nado ni, ikade kono ohom-koto no ne kika m."
3.5.6  とのたまひわたるに、 年返りぬ
 とおっしゃり続けているうちに、年が改まった。
 などと言っていたが年も変わった。
  to notamahi wataru ni, tosi kaheri nu.
注釈235女御の君にも、対の上にも、琴は習はしたてまつりたまはざりければこの物語では、琴(きん)の琴は皇族の楽器と規定している。和琴は藤原氏が名手となっている。また琵琶は皇族圏の人々、源典侍、明石君、宇治大君等が名手、となっている。3.5.1
注釈236御子二所おはするをまたもけしきばみたまひて五月ばかりにぞなりたまへれば明石女御、妊娠五月になる。『集成』は「すでに女御の手許を離れている東宮と女一の宮は除いた、二の宮と三の宮であろう。前に「御子たちあまた数添ひたまひて」(若菜下)とあった」。『完訳』は「一皇子一皇女がいる」と注す。3.5.2
注釈237神事などにことづけておはしますなりけり『集成』は「十一月から十二月の初旬にかけて神事が多い」と注す。『拾芥抄』に「凡そ宮女の懐妊せる者は、散斎の前に、退出すべし。月の事有る者は、祭日の前に、宿廬に退下すべし、殿に上るを得ず。其の三月・九月は、潔斎の前に、預り宮外に退出すべし」(触穢部)とある。明石女御は妊娠五月。散斎(祭に先立ち七日間の身体上の潔斎をすること)の前に、退出した。3.5.2
注釈238十一日十二月十一日に宮中では神今食の神事がある。明石女御の退出はそれに先立つ七日前の、十二月初めに宮中退出となろう。3.5.2
注釈239などて我に伝へたまはざりけむ明石女御の心中。源氏は女三の宮に琴の琴を教えたのに、どうして自分には伝授してくれないのか。3.5.2
注釈240冬の夜の月は人に違ひてめでたまふ御心なれば源氏の性向。冬の夜の月を賞美する心は、「朝顔」巻(第三章二段)に語られていた。3.5.3
注釈241おもしろき夜の雪の光に、折に合ひたる手ども弾きたまひつつ冬の夜の雪景色を背景にした管弦の遊び。3.5.3
注釈242対などにはいそがしく紫の上は六条院全体をとりしきる立場にある。衣配りなど正月の準備に余念がない。3.5.4
注釈243春のうららかならむ夕べなどにいかでこの御琴の音聞かむ紫の上の詞。3.5.5
注釈244年返りぬ源氏四十七歳。源氏の夫人方、紫の上三十七歳、女三の宮二十一、二歳、明石御方三十八歳。源氏の子、夕霧大納言兼右大将二十六歳、明石女御十九歳。その他の人々、皇族方、一の院(朱雀院)五十歳、新院(冷泉院)二十九歳、今上帝二十一歳、東宮七歳。一般臣下、柏木中納言兼衛門督三十一、二歳、鬚黒右大臣兼左大将四十二、三歳。3.5.6
3.6
第六段 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定


3-6  The celebration is fixed the date for February 10 past

3.6.1   院の御賀、まづ朝廷よりせさせたまふことどもこちたきに、さしあひては便なく思されて、すこしほど過ごしたまふ。 二月十余日と定めたまひて、楽人、舞人など参りつつ、 御遊び絶えず。
 朱雀院の五十の御賀は、まず今上の帝のあそばすことがたいそう盛大であろうから、それに重なっては不都合だとお思いになって、少し日を遅らせなさる。二月十日過ぎとお決めになって、楽人や、舞人などが参上しては、合奏が続く。
 年の初めにまずみかどからのはなやかな御賀を法皇はお受けになることになっていて、差し合ってはよろしくないと院は思召し、少したった二月の十幾日のころと姫宮の奉られる賀の日をおめになり、楽の人、舞い手は始終六条院へ来てその下稽古を熱心にする日が多かった。
  Win no ohom-ga, madu Ohoyake yori se sase tamahu koto-domo kotitaki ni, sasi-ahi te ha bin-naku obosa re te, sukosi hodo sugosi tamahu. Ni-gawati zihu-yo-niti to sadame tamahi te, gaku-nin, mahi-bito nado mawiri tutu, ohom-asobi taye zu.
3.6.2  「 この対に、常にゆかしくする御琴の音、いかで かの人びとの箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ。ただ今のものの上手どもこそ、さらにこのわたりの人びとの御心しらひどもにまさらね。
 「こちらの対の上が、いつも聞きたがっているお琴の音色を、ぜひとも他の方々の箏の琴や、琵琶の音色も合わせて、女楽を試みてみたい。ただ最近の音楽の名人たちは、この院の御方々のお嗜みのほどにはかないませんね。
 「対の女王がいつもお聞きしたがっているあなたの琴と、その人たちの十三げん琵琶びわを一度合奏する女ばかりの催しをしたい。現代の大家といっても私の家族たちの音楽に対する態度より純真なものを持っていませんよ。
  "Kono Tai ni, tune ni yukasiku suru ohom-koto no ne, ikade kano hito-bito no syau, biha no ne mo ahase te, womna-gaku kokoromi sase m. Tada ima no mono no zyauzu-domo koso, sarani kono watari no hito-bito no mi-kokoro-sirahi-domo ni masara ne.
3.6.3  はかばかしく伝へ取りたることは、をさをさなけれど、何ごとも、いかで心に知らぬことあらじとなむ、幼きほどに思ひしかば、 世にあるものの師といふ限り、また高き家々の、さるべき人の伝へどもをも、残さず試みし中に、いと深く恥づかしきかなとおぼゆる際の人なむなかりし。
 きちんと伝授を受けたことは、ほとんどありませんが、どのようなことでも、何とかして知らないことがないようにと、子供の時に思ったので、世間にいる道々の師匠は全部、また高貴な家々の、しかるべき人の伝えをも残さず受けてみた中で、とても造詣が深くてこちらが恥じ入るように思われた人はいませんでした。
 私はたいした音楽者ではないが、すべての芸に通じておきたいと思って、少年の時から世間の専門家を師にしてつきもしたし、また貴族の中の音楽の大家たちにも教えをうたものですが、特に尊敬すべき芸を持った人と思われるのはなかった。
  Haka-bakasiku tutahe tori taru koto ha, wosa-wosa nakere do, nani-goto mo, ikade kokoro ni sira nu koto ara zi to nam, wosanaki hodo ni omohi sika ba, yo ni aru mono no si to ihu kagiri, mata takaki ihe-ihe no, saru beki hito no tutahe-domo wo mo, nokosa zu kokoromi si naka ni, ito hukaku hadukasiki kana to oboyuru kiha no hito nam nakari si.
3.6.4  そのかみよりも、またこのころの若き人びとの、されよしめき過ぐすに、はた浅くなりにたるべし。 琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとかこの御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじ
 その当時から、また最近の若い人々が、風流で気取り過ぎているので、全く浅薄になったのでしょう。琴の琴は、琴の琴で、他の楽器以上に全然稽古する人がなくなってしまったとか。あなたの御琴の音色ほどにさえも習い伝えている人は、ほとんどありますまい」
 その時代よりもまた現在では音楽をやる人の素質が悪くなって、芸が浅薄になっていると思う。琴などはまして稽古をする者がなくなったということですからあなただけ弾ける人はあまりないでしょう」
  Sono-kami yori mo, mata kono-koro no wakaki hito-bito no, sare yosimeki sugusu ni, hata asaku nari ni taru besi. Kin hata, masite, sarani manebu hito naku nari ni tari to ka. Kono ohom-koto no ne bakari dani tutahe taru hito, wosa-wosa ara zi."
3.6.5  とのたまへば、何心なくうち笑みて、うれしく、「 かくゆるしたまふほどになりにける」と思す。
 とおっしゃると、無邪気にほほ笑んで、嬉しくなって、「このようにお認めになるほどになったのか」とお思いになる。
 と院がお言いになると、宮は無邪気に微笑ほほえんで、自分の芸がこんなにも認められるようになったかと喜んでおいでになった。
  to notamahe ba, nani-gokoro naku uti-wemi te, uresiku, "Kaku yurusi tamahu hodo ni nari ni keru." to obosu.
3.6.6  二十一、二ばかりになりたまへど、 なほいといみじく片なりに、きびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ。
 二十一、二歳ほどにおなりになりだが、まだとても幼げで、未熟な感じがして、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしくばかりお見えになる。
 もう二十一、二でおありになるのであるが、幼稚な所が抜けないで、そして見たお姿だけは美しかった。
  Ni-zihu iti, ni bakari ni nari tamahe do, naho ito imiziku kata-nari ni, kibiha naru kokoti si te, hosoku ayeka ni utukusiku nomi miye tamahu.
3.6.7  「 院にも見えたてまつりたまはで、 年経ぬるを、ねびまさりたまひにけりと御覧ずばかり、用意加へて見えたてまつりたまへ」
 「院にもお目にかかりなさらないで、何年にもなったが、ご成人なさったと御覧いただけるように、一段と気をつけてお会い申し上げなさい」
 「長くお目にかからないでおいでになるのだから、大人になってりっぱになったと認めていただけるようにしてお目にかからなければいけませんよ」
  "Win ni mo miye tatematuri tamaha de, tosi he nuru wo, nebi masari tamahi ni keri to go-ran-zu bakari, youi kuhahe te miye tatematuri tamahe."
3.6.8  と、ことに触れて教へきこえたまふ。
 と、何かの機会につけてお教え申し上げなさる。
 と事に触れて院は教えておいでになるのであった。
  to, koto ni hure te wosihe kikoye tamahu.
3.6.9  「 げに、かかる御後見なくては、ましていはけなくおはします御ありさま、隠れなからまし」
 「なるほど、このようなご後見役がいなくては、まして幼そうにいらっしゃいますご様子、隠れようもなかろう」
 実際こうした良人おっとがおいでにならなければ外間のいろいろなうわさにさえされる方であったかもしれぬ
  "Geni, kakaru ohom-usiromi naku te ha, masite ihakenaku ohasimasu mi-arisama, kakure nakara masi."
3.6.10  と、人びとも見たてまつる。
 と、女房たちも拝見する。
 と女房たちは思っていた。
  to, hito-bito mo mi tatematuru.
注釈245院の御賀まづ朝廷よりせさせたまふことども朱雀院の御五十賀は子にあたる今上帝がまず初めに祝う。3.6.1
注釈246二月十余日と定めたまひて源氏から兄朱雀院への御五十祝賀は二月十余日と定めるが、次々といろいろな支障が生じて遅れていく。3.6.1
注釈247この対に常にゆかしくする以下「をさをさあらじ」まで、源氏の詞。『完訳』は「「この対」は紫の上。女宮のもとにいながら身近な呼び方をする」と注す。3.6.2
注釈248かの人びとの箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ箏は明石女御、琵琶を明石御方、紫の上には和琴、そして女三の宮が琴の琴で女楽を演奏する。3.6.2
注釈249世にあるものの師といふ限り以下、源氏の音楽学習の体験と自信のほどを披瀝する。3.6.3
注釈250琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか紫式部の時代には、琴の琴(七絃琴)の奏法は絶えてしまっていた。3.6.4
注釈251この御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじこの世にあなたしかいない、という。3.6.4
注釈252かくゆるしたまふほどになりにける女三の宮の心中。『完訳』は「ご自分の技量もこれほどお認めくださるまで上達したのか」と訳す。3.6.5
注釈253なほいといみじく片なりにきびはなる心地して『集成』は「まだ、とても幼げで。十分に女らしくなっていないさま」。『完訳』は「相変わらず成熟したところがなく幼げな感じで」と訳す。人として大人になっていない意。3.6.6
注釈254院にも以下「見えたてまつりたまへ」まで、源氏の詞。3.6.7
注釈255年経ぬるを女三の宮は十四、五歳で六条院に降嫁したから、父朱雀院とは七年ぶりの対面になる。3.6.7
注釈256げにかかる御後見なくては以下「隠れなからまし」まで、女三の宮付きの女房の感想。3.6.9
校訂9 御遊び 御遊び---*あそひ 3.6.1
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

Last updated 9/30/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
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