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35 若菜下(明融臨模本)
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WAKANA-NO-GE
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光る源氏の准太上天皇時代 四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語
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Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47
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3 |
第三章 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画
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3 Tale of Suzaku A plan of celebrstion for Suzaku 50 years old
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3.1 |
第一段 女三の宮と紫の上
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3-1 The present of Omna-Sam-no-Miya and Murasaki
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3.1.1 |
入道の帝は、御行なひをいみじくしたまひて、内裏の御ことをも聞き入れたまはず。 春秋の行幸になむ、昔思ひ出でられたまふこともまじりける。姫宮の御ことをのみぞ、なほえ思し放たで、 この院をば、なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて、うちうちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ。 二品になりたまひて、御封などまさる。いよいよはなやかに御勢ひ添ふ。
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入道の帝は、仏道に御専心あそばして、内裏の御政道にはいっさいお口をお出しにならない。春秋の朝覲の行幸には、昔の事をお思い出しになることもあった。姫宮の御事だけを、今でも御心配でいらして、こちらの六条院を、やはり表向きのお世話役としてお思い申し上げなさって、内々の御配慮を下さるべく帝にもお願い申し上げていらっしゃる。二品におなりになって、御封なども増える。ますます華やかにご威勢も増す。
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法皇は仏勤めに精進あそばされて、政治のことなどには何の干渉もあそばさない。春秋の行幸をお迎えになる時にだけ昔の御生活がお心の上に姿を現わすこともあるのであった。女三の宮をなお気がかりに思召されて、六条院は形式上の保護者と見て、内部からの保護を帝にお託しになった。それで女三の宮は二品の位にお上げられになって、得させられる封戸の数も多くなり、いよいよはなやかなお身の上になったわけである。
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Nihudau-no-Mikado ha, ohom-okonahi wo imiziku si tamahi te, Uti no ohom-koto wo mo kiki-ire tamaha zu. Syunziu no gyougau ni nam, mukasi omohi-ide rare tamahu koto mo maziri keru. Hime-Miya no ohom-koto wo nomi zo, naho e obosi-hanata de, kono Win wo ba, naho ohokata no ohom-usiromi ni omohi kikoye tamahi te, uti-uti no mi-kokoro-yose aru beku sou-se sase tamahu. Ni-hon ni nari tamahi te, mi-bu nado masaru. Iyo-iyo hanayaka ni ohom-ikihohi sohu.
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3.1.2 |
対の上、 かく年月に添へて、 かたがたにまさりたまふ御おぼえに、
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対の上は、このように年月とともに何かにつけてまさって行かれるご声望に比べて、
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紫夫人は一方の夫人の宮がこんなふうに年月に添えて勢力の増大していくのに対して、
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Tai-no-Uhe, kaku tosi-tuki ni sohe te, kata-gata ni masari tamahu ohom-oboye ni,
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3.1.3 |
「 わが身はただ一所の御もてなしに、人には劣らねど、あまり年積もりなば、その御心ばへもつひに衰へなむ。さらむ世を見果てぬさきに、心と背きにしがな」
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「自分自身はただ一人が大事にして下さるお蔭で、他の人には負けないが、あまりに年を取り過ぎたら、そのご愛情もしまいには衰えよう。そのような時にならない前に、自分から世を捨てたい」
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自分はただ院の御愛情だけを力にして今の所は負け目がないとしても、そのお志というものも遂には衰えるであろう、そうした寂しい時にあわない前に今のうちに善処したい
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"Waga mi ha tada hito-tokoro no ohom-motenasi ni, hito ni ha otora ne do, amari tosi tumori na ba, sono mi-kokoro-bahe mo tuhi ni otorohe na m. Sara m yo wo mi-hate nu saki ni, kokoro to somuki ni si gana!"
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3.1.4 |
と、たゆみなく思しわたれど、 さかしきやうにや思さむとつつまれて、はかばかしくもえ聞こえたまはず。 内裏の帝さへ、御心寄せことに聞こえたまへば、 おろかに聞かれたてまつらむもいとほしくて、 渡りたまふこと、やうやう等しきやうになりゆく。
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と、ずっと思い続けていらっしゃるが、生意気なようにお思いになるだろうと遠慮されて、はっきりとはお申し上げになることができない。今上帝までが、御配慮を特別にして上げていらっしゃるので、疎略なと、お耳にあそばすことがあったらお気の毒なので、お通いになることがだんだんと同等になってなって行く。
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とは常に思っていることであったが、あまりに賢がるふうに思われてはという遠慮をして口へたびたびは出さないのである。院は法皇だけでなく帝までが関心をお持ちになるということがおそれおおく思召されて、冷淡にする噂を立てさすまいというお心から、今ではあちらへおいでになることと、こちらにおられることとがちょうど半々ほどになっていた。
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to, tayumi naku obosi watare do, sakasiki yau ni ya obosa m to tutuma re te, haka-bakasiku mo e kikoye tamaha zu. Uti-no-Mikado sahe, mi-kokoro-yose koto ni kikoye tamahe ba, oroka ni kika re tatematura m mo itohosiku te, watari tamahu koto, yau-yau hitosiki yau ni nari yuku.
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3.1.5 |
さるべきこと、ことわりとは思ひながら、 さればよとのみ、やすからず思されけれど、なほつれなく同じさまにて過ぐしたまふ。 春宮の御さしつぎの女一の宮を、こなたに取り分きてかしづきたてまつりたまふ。 その御扱ひになむ、つれづれなる御夜がれのほども慰めたまひける。 いづれも分かず、うつくしくかなしと思ひきこえたまへり。
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無理もないこと、当然なこととは思いながらも、やはりそうであったのかとばかり、面白からずお思いになるが、やはり素知らぬふうに同じ様にして過ごしていらっしゃる。春宮のすぐお下の女一の宮を、こちらに引き取って大切にお世話申し上げていらっしゃる。そのご養育に、所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気をお紛らしていらっしゃるのだった。どちらの宮も区別せず、かわいくいとしいとお思い申し上げていらっしゃった。
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道理なこととは思いながらもかねて思ったとおりの寂しい日の来始めたことに女王は悲しまれたが、表面は冷静に以前のとおりにしていた。東宮に次いでお生まれになった女一の宮を紫夫人は手もとへお置きしてお育て申し上げていた。そのお世話の楽しさに院のお留守の夜の寂しさも慰められているのであった。御孫の宮はどの方をも皆非常にかわいく夫人は思っているのである。
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Saru-beki koto, kotowari to ha omohi nagara, sarebayo to nomi, yasukara zu obosa re kere do, naho turenaku onazi sama ni te sugusi tamahu. Touguu no ohom-sasitugi no Womna-Iti-no-Miya wo, konata ni tori-waki te kasiduki tatematuri tamahu. Sono ohom-atukahi ni nam, ture-dure naru ohom-yogare no hodo mo nagusame tamahi keru. Idure mo waka zu, utukusiku kanasi to omohi kikoye tamahe ri.
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注釈190 | 入道の帝は | 3.1.1 |
注釈191 | 春秋の行幸 | 3.1.1 |
注釈192 | この院をば、なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて、うちうちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ | 3.1.1 |
注釈193 | 二品になりたまひて御封などまさる | 3.1.1 |
注釈194 | かく年月に添へて | 3.1.2 |
注釈195 | かたがたにまさりたまふ御おぼえに | 3.1.2 |
注釈196 | わが身はただ | 3.1.3 |
注釈197 | さかしきやうにや思さむ | 3.1.4 |
注釈198 | 内裏の帝さへ | 3.1.4 |
注釈199 | おろかに聞かれたてまつらむもいとほしくて | 3.1.4 |
注釈200 | 渡りたまふことやうやう等しきやうになりゆく | 3.1.4 |
注釈201 | さるべきことことわりとは思ひながら | 3.1.5 |
注釈202 | さればよ | 3.1.5 |
注釈203 | 春宮の御さしつぎの女一の宮を | 3.1.5 |
注釈204 | その御扱ひになむつれづれなる御夜がれのほども慰めたまひける | 3.1.5 |
注釈205 | いづれも分かず | 3.1.5 |
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3.2 |
第二段 花散里と玉鬘
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3-2 The present of Hanachirusato and Tamakazura
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3.2.1 |
夏の御方は、かくとりどりなる御孫扱ひをうらやみて、大将の君の典侍腹の君を、切に迎へてぞかしづきたまふ。いとをかしげにて、心ばへも、ほどよりはされおよすけたれば、大殿の君もらうたがりたまふ。 少なき御嗣と思ししかど、末に広ごりて、 こなたかなたいと多くなり添ひたまふを、 今はただ、これをうつくしみ扱ひたまひてぞ、つれづれも慰めたまひける。
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夏の御方は、このようなあれこれのお孫たちのお世話を羨んで、大将の君の典侍腹のお子を、ぜひにと引き取ってお世話なさる。とてもかわいらしげで、気立ても、年のわりには利発でしっかりしているので、大殿の君もおかわいがりになる。数少ないお子だとお思いであったが、孫は大勢できて、あちらこちらに数多くおなりになったので、今はただ、これらをかわいがり世話なさることで、退屈さを紛らしていらっしゃるのであった。
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花散里夫人は紫夫人も明石夫人も御孫宮がたのお世話に没頭しているのがうらやましくて、左大将の典侍に生ませた若君を懇望して手もとへ迎えたのを愛して育てていた。美しい子でりこうなこの孫君を院もおかわいがりになった。院は御子の数が少ないように見られた方であるが、こうして広く繁栄する御孫たちによって満足をしておいでになるようである。
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Natu-no-Ohomkata ha, kaku tori-dori naru ohom-mumago-atukahi wo urayami te, Daisyau-no-Kimi no Naisi-no-Suke-bara no Kimi wo, seti ni mukahe te zo kasiduki tamahu. Ito wokasige ni te, kokorobahe mo, hodo yori ha sare oyosuke tare ba, Otodo-no-Kimi mo rautagari tamahu. Sukunaki ohom-tugi to obosi sika do, suwe ni hirogori te, konata-kanata ito ohoku nari sohi tamahu wo, ima ha tada, kore wo utukusimi atukahi tamahi te zo, ture-dure mo nagusame tamahi keru.
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3.2.2 |
右の大殿の参り仕うまつりたまふこと、いにしへよりもまさりて親しく、今は 北の方もおとなび果てて、かの 昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや、さるべき折も渡りまうでたまふ。対の上にも御対面ありて、あらまほしく聞こえ交はしたまひけり。
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右の大殿が参上してお仕えなさることは、昔以上に親密になって、今では北の方もすっかり落ち着いたお年となって、あの昔の色めかしい事は思い諦めたのであろうか、適当な機会にはよくお越しになる。対の上ともお会いになって、申し分ない交際をなさっているのであった。
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右大臣が院を尊敬して親しくお仕えすることは昔以上で、玉鬘ももう中年の夫人になり、何かの時には六条院へ訪ねて来て紫夫人にも逢って話し合うほかにも親しみ深い往来が始終あった。
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Migi-no-Ohotono no mawiri tukau-maturi tamahu koto, inisihe yori mo masari te sitasiku, ima ha Kitanokata mo otonabi-hate te, kano mukasi no kake-kakesiki sudi omohi hanare tamahu ni ya, saru-beki wori mo watari maude tamahu. Tai-no-Uhe ni mo ohom-taimen ari te, aramahosiku kikoye kahasi tamahi keri.
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3.2.3 |
姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします。女御の君は、今は公ざまに思ひ放ちきこえたまひて、この宮をば いと心苦しく、幼からむ御女のやうに、思ひはぐくみたてまつりたまふ。
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姫宮だけが、同じように若々しくおっとりしていらっしゃる。女御の君は、今は主上にすべてお任せ申し上げなさって、この姫宮をたいそう心に懸けて、幼い娘のように思ってお世話申し上げていらっしゃる。
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姫宮だけは今日もなお少女のようなたよりなさで、また若々しさでおいでになった。もう宮廷の人になりきってしまった女御に気づかいがなくおなりになった院は、この姫宮を幼い娘のように思召して、この方の教育に力を傾けておいでになるのであった。
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Hime-Miya nomi zo, onazi sama ni wakaku ohodoki te ohasimasu. Nyougo-no-kimi ha, ima ha ohoyake-zama ni omohi hanati kikoye tamahi te, kono Miya woba ito kokoro-gurusiku, wosanakara m mi-musume no yau ni, omohi hagukumi tatematuri tamahu.
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注釈206 | 夏の御方は | 3.2.1 |
注釈207 | 少なき御嗣と思ししかど、末に広ごりて | 3.2.1 |
注釈208 | こなたかなたいと多く | 3.2.1 |
注釈209 | 今はただこれをうつくしみ扱ひたまひてぞつれづれも慰めたまひける | 3.2.1 |
注釈210 | 右の大殿の参り仕うまつりたまふこといにしへよりも | 3.2.2 |
注釈211 | 北の方もおとなび果てて | 3.2.2 |
注釈212 | 昔のかけかけしき筋思ひ離れたまふにや | 3.2.2 |
注釈213 | 姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします | 3.2.3 |
注釈214 | いと心苦しく幼からむ御女のやうに思ひはぐくみたてまつりたまふ | 3.2.3 |
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3.3 |
第三段 朱雀院の五十の賀の計画
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3-3 A plan of celebrstion for Suzaku 50 years old
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3.3.1 |
朱雀院の、
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朱雀院が、
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朱雀院の法皇は
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Suzaku-Win no,
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3.3.2 |
「 今はむげに世近くなりぬる心地して、もの心細きを、さらにこの世のこと顧みじと 思ひ捨つれど、対面なむ今一度あらまほしきを、もし恨み 残りもこそすれ、ことことしきさまならで渡りたまふべく」
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「今はすっかり死期が近づいた心地がして、何やら心細いが、決してこの世のことは気に懸けまいと思い捨てたが、もう一度だけお会いしたく思うが、もし未練でも残ったら大変だから、大げさにではなくお越しになるように」
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もう御命数も少なくなったように心細くばかり思召されるのであるが、この世のことなどはもう顧みないことにしたいとお考えになりながらも、女三の宮にだけはもう一度お逢いあそばされたかった。このまま亡くなって心の残るのはよろしくないことであるから、たいそうにはせず宮が訪ねておいでになること
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"Ima ha muge ni yo tikaku nari nuru kokoti si te, mono-kokoro-bosoki wo, sarani konoyo no koto kaherimi zi to omohi-suture do, taimen nam ima hito-tabi ara mahosiki wo, mosi urami nokori mo koso sure, koto-kotosiki sama nara de watari tamahu beku."
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3.3.3 |
聞こえたまひければ、大殿も、
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と、お便り申し上げなさったので、大殿も、
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をお言いやりになった。院も、
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kikoye tamahi kere ba, Otodo mo,
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3.3.4 |
「 げに、さるべきことなり。かかる御けしきなからむにてだに、進み参りたまふべきを。まして、かう待ちきこえたまひけるが、心苦しきこと」
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「なるほど、仰せの通りだ。このような御内意が仮になくてさえ、こちらから進んで参上なさるべきことだ。なおさらのこと、このようにお待ちになっていらっしゃるとは、おいたわしいことだ」
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「ごもっともなことですよ。こんな仰せがなくともこちらから進んでお伺いをなさらなければならないのに、ましてこうまでお待ちになっておられるのだから、実行しないではお気の毒ですよ」
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"Geni, saru beki koto nari. Kakaru mi-kesiki nakara m ni te dani, susumi mawiri tamahu beki wo. Masite, kau mati kikoye tamahi keru ga, kokoro-gurusiki koto."
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3.3.5 |
と、参りたまふべきこと思しまうく。
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と、ご訪問なさるべきことをご準備なさる。
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とお言いになり、機会をどんなふうにして作ろうかと考えておいでになった。
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to, mawiri tamahu beki koto obosi mauku.
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3.3.6 |
「 ついでなく、すさまじきさまにてやは、はひ渡りたまふべき。何わざをしてか、御覧ぜさせたまふべき」
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「何のきっかけもなく、取り立てた趣向もなくては、どうして簡単にお出かけになれようか。どのようなことをして、御覧に入れたらよかろうか」
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何でもなくそっと伺候をするようなことはみすぼらしくてよろしくない。
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"Tuide naku, susamaziki sama ni te ya ha, hahi-watari tamahu beki. Nani-waza wo si te ka, go-ran-ze sase tamahu beki."
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3.3.7 |
と、思しめぐらす。
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と、ご思案なさる。
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法皇をお喜ばせかたがた外見の整ったことがさせたいとお思いになるのである。
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to, obosi megurasu.
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3.3.8 |
「 このたび足りたまはむ年、若菜など調じてや」と、思して、さまざまの御法服のこと、斎の 御まうけのしつらひ、何くれとさまことに変はれることどもなれば、 人の御心しつらひども入りつつ、思しめぐらす。
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「来年ちょうどにお達しになる年に、若菜などを調進してお祝い申し上げようか」と、お考えになって、いろいろな御法服のこと、精進料理のご準備、何やかやと勝手が違うことなので、ご夫人方のお智恵も取り入れてお考えになる。
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来年法皇は五十におなりになるのであったから、若菜の賀を姫宮から奉らせようかと院はお思いつきになって、それに付帯した法会の布施にお出しになる法服の仕度をおさせになり、すべて精進でされる御宴会の用意であるから普通のことと変わって、苦心の払われることを今からお指図になっていた。
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"Kono tabi tari tamaha m tosi, wakana nado teu-zi te ya." to, obosi te, sama-zama no ohom-hohubuku no koto, imohi no ohom-mauke no siturahi, nani-kure to sama koto ni kahare ru koto-domo nare ba, hito no mi-kokoro siturahi-domo iri tutu, obosi megurasu.
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3.3.9 |
いにしへも、遊びの方に御心とどめさせたまへりしかば、舞人、楽人などを、心ことに定め、すぐれたる限りをととのへさせたまふ。右の大殿の御子ども二人、大将の御子、典侍の腹の加へて三人、 まだ小さき七つより上のは、皆殿上せさせたまふ。兵部卿宮の童孫王、すべてさるべき宮たちの御子ども、家の子の君たち、皆選び出でたまふ。
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御出家以前にも、音楽の方面には御関心がおありでいらっしゃったので、舞人、楽人などを、特別に選考し、勝れた人たちだけをお揃えあそばす。右の大殿のお子たち二人、大将のお子は、典侍腹の子を加えて三人、まだ小さい七歳以上の子は、皆童殿上させなさる。兵部卿宮の童孫王、すべてしかるべき宮家のお子たちや、良家のお子たち、皆お選び出しになる。
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昔から音楽がことにお好きな方であったから、舞の人、楽の人にすぐれたのを選定しようとしておいでになった。右大臣家の下の二人の子、大将の子を典侍腹のも加えて三人、そのほかの御孫も七歳以上の皆殿上勤めをさせておいでになった。それらと、兵部卿の宮のまだ元服前の王子、そのほかの親王がたの子息、御親戚の子供たちを多く院はお選びになった。
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Inisihe mo, asobi no kata ni mi-kokoro todome sase tamahe ri sika ba, mahi-bito, gaku-nin nado wo, kokoro koto ni sadame, sugure taru kagiri wo totonohe sase tamahu. Migi-no-Ohotono no ohom-kodomo hutari, Daisyau no miko, Naisi-no-Suke-bara no kuhahe te sam-nin, mada tihisaki nana-tu yori kami no ha, mina tenzyau se sase tamahu. Hyaubukyau-no-Miya no waraha-sonwau, subete saru-beki Miya-tati no ohom-kodomo, ihe-no-ko no Kimi-tati, mina erabi-ide tamahu.
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3.3.10 |
殿上の君達も、容貌よく、同じき舞の姿も、 心ことなるべきを定めて、あまたの舞のまうけをせさせたまふ。いみじかるべきたびのこととて、皆人心を尽くしたまひてなむ。道々のものの師、上手、暇なきころなり。
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殿上の君たちも、器量が良く、同じ舞姿と言っても、また格別な人を選んで、多くの舞の準備をおさせになる。大層なこの度の催しとあって、誰も皆懸命に練習に励んでいらっしゃる。その道々の師匠、名人が、大忙しのこのごろである。
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殿上人たちの舞い手も容貌がよくて芸のすぐれたのを選りととのえて多くの曲の用意ができた。非常な晴れな場合と思ってその人たちは稽古を励むために師匠になる専門家たちは、舞のほうのも楽のほうのも繁忙をきわめていた。
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Tenzyau no Kimi-tati mo, katati yoku, onaziki mahi no sugata mo, kokoro koto naru beki wo sadame te, amata no mahi no mauke wo se sase tamahu. Imizikaru beki tabi no koto tote, mina hito kokoro wo tukusi tamahi te nam. Miti-miti no mono-no-si, zyauzu, itoma naki koro nari.
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3.4 |
第四段 女三の宮に琴を伝授
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3-4 Genji teaches playing shitigen-kin to Omna-Sam-no-Miya
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3.4.1 |
宮は、もとより琴の御琴をなむ習ひたまひけるを、いと若くて 院にもひき別れたてまつりたまひしかば、おぼつかなく思して、
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姫宮は、もともと琴の御琴をお習いであったが、とても小さい時に父院にお別れ申されたので、気がかりにお思いになって、
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女三の宮は琴の稽古を御父の院のお手もとでしておいでになったのであるが、まだ少女時代に六条院へお移りになったために、どんなふうにその芸はなったかと法皇は不安に思召して、
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Miya ha, moto yori kin no ohom-koto wo nam narahi tamahi keru wo, ito wakaku te Win ni mo hiki-wakare tatematuri tamahi sika ba, obotukanaku obosi te,
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3.4.2 |
「 参りたまはむついでに、かの御琴の音なむ聞かまほしき。 さりとも琴ばかりは弾き取りたまひつらむ」
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「お越しになる機会に、あの御琴の音をぜひ聞きたいものだ。いくら何でも琴だけは物になさったことだろう」
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「こちらへ来られた時に宮の琴の音が聞きたい。あの芸だけは仕上げたことと思うが」
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"Mawiri tamaha m tuide ni, ka no ohom-koto no ne nam kika mahosiki. Saritomo kin bakari ha hiki-tori tamahi tu ram."
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3.4.3 |
と、 しりうごとに聞こえたまひけるを、内裏にも聞こし召して、
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と、陰で申されなさったのを、帝におかせられてもお耳にあそばして、
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と言っておいでになることが宮中へも聞こえて、
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to, siriu-goto ni kikoye tamahi keru wo, Uti ni mo kikosimesi te,
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3.4.4 |
「 げに、さりとも、けはひことならむかし。 院の御前にて、手尽くしたまはむついでに、参り来て聞かばや」
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「仰せの通り、何と言っても、格別のご上達でしょう。院の御前で、奥義をお弾きなさる機会に、参上して聞きたいものだ」
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「そう言われるのは決して平凡なお手並みでない芸に違いない。一所懸命に法皇の所へ来てお弾きになるのを自分も聞きたいものだ」
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"Geni, saritomo, kehahi koto nara m kasi. Win no go-zen ni te, te tukusi tamaha m tuide ni, mawiri ki te kika baya."
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3.4.5 |
などのたまはせけるを、大殿の君は伝へ聞きたまひて、
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などと仰せになったのを、大殿の君は伝え聞きなさって、
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などと仰せられたということがまた六条院へ伝わって来た。院は、
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nado notamahase keru wo, Otodo-no-Kimi ha tutahe kiki tamahi te,
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3.4.6 |
「 年ごろさりぬべきついでごとには、教へきこゆることもあるを、そのけはひは、げにまさりたまひにたれど、 まだ聞こし召しどころあるもの深き手には及ばぬを、何心もなくて参りたまへらむついでに、聞こし召さむとゆるしなくゆかしがらせたまはむは、いとはしたなかるべきことにも」
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「今までに適当な機会があるたびに、お教え申したことはあるが、その腕前は、確かに上達なさったが、まだお聞かせできるような深みのある技術には達していないのを、何の準備もなくて参上した機会に、お聞きあそばしたいと強くお望みあそばしたら、とてもきっときまり悪い思いをすることになりはせぬか」
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「今までも何かの場合に自分からも教えているが、質はすぐれているがまだたいした芸になっていないのを、何心なくお伺いされた時に、ぜひ弾けと仰せになった場合に、恥ずかしい結果を生むことになってはならない」
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"Tosi-goro sari-nu-beki tuide goto ni ha, wosihe kikoyuru koto mo aru wo, sono kehahi ha, geni masari tamahi ni tare do, mada kikosimesi dokoro aru mono hukaki te ni ha oyoba nu wo, nani-gokoro mo naku te mawiri tamahe ra m tuide ni, kikosimesa m to yurusi naku yukasi-gara se tamaha m ha, ito hasitanakaru beki koto ni mo."
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3.4.7 |
と、いとほしく思して、このころぞ御心とどめて教へきこえたまふ。
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と、気の毒にお思いになって、ここのところご熱心にお教え申し上げなさる。
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とお言いになって、それから女三の宮に熱心な琴の教授をお始めになった。
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to, itohosiku obosi te, kono-koro zo mi-kokoro todome te wosihe kikoye tamahu.
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3.4.8 |
調べことなる手、二つ三つ、 おもしろき大曲どもの、四季につけて変はるべき響き、 空の寒さぬるさをととのへ出でて ★、やむごとなかるべき手の限りを、取り立てて教へきこえたまふに、心もとなくおはするやうなれど、やうやう心得たまふままに、いとよく なりたまふ。
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珍しい曲目、二つ三つ、面白い大曲類で、四季につれて変化するはずの響き、空気の寒さ温かさをその音色によって調え出して、高度な技術のいる曲目ばかりを、特別にお教え申し上げになるが、気がかりなようでいらっしゃるが、だんだんと習得なさるにつれて、大変上手におなりになる。
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変わったものを二、三曲、また大曲の長いのが四季の気候によって変わる音、寒い時と空気の暖かい時によっての弾き方を変えねばならぬことなどの特別な奥義をお教えになるのであったが、初めはたよりないふうであったものの、お心によくはいってきて上手におなりになった。
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Sirabe koto naru te, huta-tu mi-tu, omosiroki daigoku-domo no, siki ni tuke te kaharu beki hibiki, sora no samusa nurusa wo totonohe ide te, yamgotonakaru beki te no kagiri wo, tori-tate te wosihe kikoye tamahu ni, kokoro-motonaku ohasuru yau nare do, yau-yau kokoro-e tamahu mama ni, ito yoku nari tamahu.
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3.4.9 |
「 昼は、いと人しげく、なほ一度も揺し按ずる暇も、心あわたたしければ、夜々なむ、静かにことの心もしめたてまつるべき」
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「昼間は、たいそう人の出入りが多く、やはり絃を一度揺すって音をうねらせる間も、気ぜわしいので、夜な夜なに、静かに奏法の勘所をじっくりとお教え申し上げよう」
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昼は人の出入りの物音の多さに妨げられて、絃を揺すったり、おさえて変わる音の繊細な味を研究おさせになるのに不便なために、夜になってから静かに教うべきである
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"Hiru ha, ito hito sigeku, naho hito-tabi mo yu-si an-zuru itoma mo, kokoro-awatatasikere ba, yoru-yoru nam, siduka ni koto no kokoro mo sime tatematuru beki."
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3.4.10 |
とて、対にも、そのころは御暇聞こえたまひて、明け暮れ教へきこえたまふ。
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と言って、対の上にも、そのころはお暇申されて、朝から晩までお教え申し上げなさる。
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とお言いになって、女王の了解をお求めになって院はずっと宮の御殿のほうへお泊まりきりになり、朝夕のお稽古の世話をあそばされた。
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tote, Tai ni mo, sono-koro ha ohom-itoma kikoye tamahi te, ake-kure wosihe kikoye tamahu.
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出典11 |
空の寒さぬるさをととのへ |
琴書曰師曠晋之楽官也 上於琴能易寒暑占風雨為 |
琴書-花鳥余情所引 |
3.4.8 |
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3.5 |
第五段 明石女御、懐妊して里下り
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3-5 Akashi-Nyogo comes back to her parent's home because of pregnancy
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3.5.1 |
女御の君にも、対の上にも、琴は習はしたてまつりたまはざりければ、この折、をさをさ耳馴れぬ手ども弾きたまふらむを、ゆかしと思して、女御も、わざとありがたき御暇を、ただしばしと聞こえたまひてまかでたまへり。
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女御の君にも、対の上にも、琴の琴はお習わせ申されなかったので、この機会に、めったに耳にすることのない曲目をお弾きになっていらっしゃるらしいのを、聞きたいとお思いになって、女御も、特別にめったにないお暇を、ただ少しばかりお願い申し上げなさって御退出なさっていた。
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女御にも女王にも琴はお教えにならなかったのであったから、このお稽古の時に珍しい秘曲もお弾きになるのであろうことを予期して、女御も得ることの困難なお暇をようやくしばらく得て帰邸したのであった。
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Nyougo-no-Kimi ni mo, Tai-no-Uhe ni mo, kin ha narahasi tatematuri tamaha zari kere ba, kono wori, wosa-wosa mimi nare nu te-domo hiki tamahu ram wo, yukasi to obosi te, Nyougo mo, wazato arigataki ohom-itoma wo, tada sibasi to kikoye tamahi te makade tamahe ri.
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3.5.2 |
御子二所おはするを、またもけしきばみたまひて、五月ばかりにぞなりたまへれば、 神事などにことづけておはしますなりけり。 十一日過ぐしては、参りたまふべき御消息うちしきりあれど、かかるついでに、かくおもしろき夜々の御遊びをうらやましく、「 などて我に伝へたまはざりけむ」と、つらく思ひきこえたまふ。
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お子様がお二方いらっしゃるが、再びご懐妊なさって、五か月ほどにおなりだったので、神事にかこつけてお里下がりしていらっしゃるのであった。十一日が過ぎたら、参内なさるようにとのお手紙がしきりにあるが、このような機会に、このように面白い毎夜の音楽の遊びが羨ましくて、「どうしてわたしにはご伝授して下さらなかったのだろう」と、恨めしくお思い申し上げなさる。
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もう皇子を二人お持ちしているのであるが、また妊娠して五月ほどになっていたから、神事の多い季節は御遠慮したいと言ってお暇を願って来たのである。十一月が過ぎるともどるようにと宮中からの御催促が急であるのもさしおいて、このごろの楽の音のおもしろさに女御は六条院を去りがたいのであった。なぜ自分には教えていただけなかったのかと院を恨めしくお思いもしていた。
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Mi-ko huta-tokoro ohasuru wo, mata mo kesikibami tamahi te, itu-tuki bakari ni zo nari tamahe re ba, kamwaza nado ni kotoduke te ohasimasu nari keri. Zihu-iti-niti sugusi te ha, mawiri tamahu beki ohom-seusoko uti-sikiri are do, kakaru tuide ni, kaku omosiroki yoru-yoru no ohom-asobi wo urayamasiku, "Nadote ware ni tutahe tamaha zari kem?" to, turaku omohi kikoye tamahu.
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3.5.3 |
冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なれば、 おもしろき夜の雪の光に、折に合ひたる手ども弾きたまひつつ、さぶらふ人びとも、すこしこの方にほのめきたるに、御琴どもとりどりに弾かせて、遊びなどしたまふ。
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冬の夜の月は、人とは違ってご賞美なさるご性分なので、美しい雪の夜の光に、季節に合った曲目類をお弾きになりながら、伺候する女房たちも、少しはこの方面に心得のある者に、お琴類をそれぞれ弾かせて、管弦の遊びをなさる。
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普通と変わって冬の月を最もお好みになる院は、雪のある月夜にふさわしい琴の曲をお弾きになって、女房の中の楽才のあるのに他に楽器で合奏をさせたりして楽しんでおいでになった。
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Huyu no yo no tuki ha, hito ni tagahi te mede tamahu mi-kokoro nare ba, omosiroki yo no yuki no hikari ni, wori ni ahi taru te-domo hiki tamahi tutu, saburahu hito-bito mo, sukosi kono kata ni honomeki taru ni, ohom-koto-domo tori-dori ni hika se te, asobi nado si tamahu.
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3.5.4 |
年の暮れつ方は、 対などにはいそがしく、こなたかなたの御いとなみに、おのづから御覧じ入るることどもあれば、
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年の暮れ方は、対の上などは忙しく、あちらこちらのご準備で、自然とお指図なさる事柄があるので、
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年末などはことに対の女王が忙しくていっさいの心配りのほかに、女御、宮たちのための春の仕度に追われて、
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Tosi no kure tu kata ha, Tai nado ni ha isogasiku, konata kanata no ohom-itonami ni, onodukara go-ran-zi iruru koto-domo are ba,
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3.5.5 |
「 春のうららかならむ夕べなどに、いかでこの御琴の音聞かむ」
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「春のうららかな夕方などに、ぜひにこのお琴の音色を聞きたい」
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「春ののどかな気分になった夕方などにこの琴の音をよくお聞きしたい」
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"Haru no uraraka nara m yuhube nado ni, ikade kono ohom-koto no ne kika m."
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3.5.6 |
とのたまひわたるに、 年返りぬ。
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とおっしゃり続けているうちに、年が改まった。
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などと言っていたが年も変わった。
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to notamahi wataru ni, tosi kaheri nu.
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注釈235 | 女御の君にも、対の上にも、琴は習はしたてまつりたまはざりければ | 3.5.1 |
注釈236 | 御子二所おはするをまたもけしきばみたまひて五月ばかりにぞなりたまへれば | 3.5.2 |
注釈237 | 神事などにことづけておはしますなりけり | 3.5.2 |
注釈238 | 十一日 | 3.5.2 |
注釈239 | などて我に伝へたまはざりけむ | 3.5.2 |
注釈240 | 冬の夜の月は人に違ひてめでたまふ御心なれば | 3.5.3 |
注釈241 | おもしろき夜の雪の光に、折に合ひたる手ども弾きたまひつつ | 3.5.3 |
注釈242 | 対などにはいそがしく | 3.5.4 |
注釈243 | 春のうららかならむ夕べなどにいかでこの御琴の音聞かむ | 3.5.5 |
注釈244 | 年返りぬ | 3.5.6 |
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3.6 |
第六段 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定
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3-6 The celebration is fixed the date for February 10 past
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3.6.1 |
院の御賀、まづ朝廷よりせさせたまふことどもこちたきに、さしあひては便なく思されて、すこしほど過ごしたまふ。 二月十余日と定めたまひて、楽人、舞人など参りつつ、 御遊び絶えず。
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朱雀院の五十の御賀は、まず今上の帝のあそばすことがたいそう盛大であろうから、それに重なっては不都合だとお思いになって、少し日を遅らせなさる。二月十日過ぎとお決めになって、楽人や、舞人などが参上しては、合奏が続く。
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年の初めにまず帝からのはなやかな御賀を法皇はお受けになることになっていて、差し合ってはよろしくないと院は思召し、少したった二月の十幾日のころと姫宮の奉られる賀の日をお定めになり、楽の人、舞い手は始終六条院へ来てその下稽古を熱心にする日が多かった。
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Win no ohom-ga, madu Ohoyake yori se sase tamahu koto-domo kotitaki ni, sasi-ahi te ha bin-naku obosa re te, sukosi hodo sugosi tamahu. Ni-gawati zihu-yo-niti to sadame tamahi te, gaku-nin, mahi-bito nado mawiri tutu, ohom-asobi taye zu.
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3.6.2 |
「 この対に、常にゆかしくする御琴の音、いかで かの人びとの箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ。ただ今のものの上手どもこそ、さらにこのわたりの人びとの御心しらひどもにまさらね。
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「こちらの対の上が、いつも聞きたがっているお琴の音色を、ぜひとも他の方々の箏の琴や、琵琶の音色も合わせて、女楽を試みてみたい。ただ最近の音楽の名人たちは、この院の御方々のお嗜みのほどにはかないませんね。
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「対の女王がいつもお聞きしたがっているあなたの琴と、その人たちの十三絃や琵琶を一度合奏する女ばかりの催しをしたい。現代の大家といっても私の家族たちの音楽に対する態度より純真なものを持っていませんよ。
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"Kono Tai ni, tune ni yukasiku suru ohom-koto no ne, ikade kano hito-bito no syau, biha no ne mo ahase te, womna-gaku kokoromi sase m. Tada ima no mono no zyauzu-domo koso, sarani kono watari no hito-bito no mi-kokoro-sirahi-domo ni masara ne.
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3.6.3 |
はかばかしく伝へ取りたることは、をさをさなけれど、何ごとも、いかで心に知らぬことあらじとなむ、幼きほどに思ひしかば、 世にあるものの師といふ限り、また高き家々の、さるべき人の伝へどもをも、残さず試みし中に、いと深く恥づかしきかなとおぼゆる際の人なむなかりし。
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きちんと伝授を受けたことは、ほとんどありませんが、どのようなことでも、何とかして知らないことがないようにと、子供の時に思ったので、世間にいる道々の師匠は全部、また高貴な家々の、しかるべき人の伝えをも残さず受けてみた中で、とても造詣が深くてこちらが恥じ入るように思われた人はいませんでした。
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私はたいした音楽者ではないが、すべての芸に通じておきたいと思って、少年の時から世間の専門家を師にしてつきもしたし、また貴族の中の音楽の大家たちにも教えを乞うたものですが、特に尊敬すべき芸を持った人と思われるのはなかった。
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Haka-bakasiku tutahe tori taru koto ha, wosa-wosa nakere do, nani-goto mo, ikade kokoro ni sira nu koto ara zi to nam, wosanaki hodo ni omohi sika ba, yo ni aru mono no si to ihu kagiri, mata takaki ihe-ihe no, saru beki hito no tutahe-domo wo mo, nokosa zu kokoromi si naka ni, ito hukaku hadukasiki kana to oboyuru kiha no hito nam nakari si.
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3.6.4 |
そのかみよりも、またこのころの若き人びとの、されよしめき過ぐすに、はた浅くなりにたるべし。 琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。 この御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじ」
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その当時から、また最近の若い人々が、風流で気取り過ぎているので、全く浅薄になったのでしょう。琴の琴は、琴の琴で、他の楽器以上に全然稽古する人がなくなってしまったとか。あなたの御琴の音色ほどにさえも習い伝えている人は、ほとんどありますまい」
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その時代よりもまた現在では音楽をやる人の素質が悪くなって、芸が浅薄になっていると思う。琴などはまして稽古をする者がなくなったということですからあなただけ弾ける人はあまりないでしょう」
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Sono-kami yori mo, mata kono-koro no wakaki hito-bito no, sare yosimeki sugusu ni, hata asaku nari ni taru besi. Kin hata, masite, sarani manebu hito naku nari ni tari to ka. Kono ohom-koto no ne bakari dani tutahe taru hito, wosa-wosa ara zi."
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3.6.5 |
とのたまへば、何心なくうち笑みて、うれしく、「 かくゆるしたまふほどになりにける」と思す。
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とおっしゃると、無邪気にほほ笑んで、嬉しくなって、「このようにお認めになるほどになったのか」とお思いになる。
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と院がお言いになると、宮は無邪気に微笑んで、自分の芸がこんなにも認められるようになったかと喜んでおいでになった。
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to notamahe ba, nani-gokoro naku uti-wemi te, uresiku, "Kaku yurusi tamahu hodo ni nari ni keru." to obosu.
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3.6.6 |
二十一、二ばかりになりたまへど、 なほいといみじく片なりに、きびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ。
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二十一、二歳ほどにおなりになりだが、まだとても幼げで、未熟な感じがして、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしくばかりお見えになる。
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もう二十一、二でおありになるのであるが、幼稚な所が抜けないで、そして見たお姿だけは美しかった。
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Ni-zihu iti, ni bakari ni nari tamahe do, naho ito imiziku kata-nari ni, kibiha naru kokoti si te, hosoku ayeka ni utukusiku nomi miye tamahu.
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3.6.7 |
「 院にも見えたてまつりたまはで、 年経ぬるを、ねびまさりたまひにけりと御覧ずばかり、用意加へて見えたてまつりたまへ」
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「院にもお目にかかりなさらないで、何年にもなったが、ご成人なさったと御覧いただけるように、一段と気をつけてお会い申し上げなさい」
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「長くお目にかからないでおいでになるのだから、大人になってりっぱになったと認めていただけるようにしてお目にかからなければいけませんよ」
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"Win ni mo miye tatematuri tamaha de, tosi he nuru wo, nebi masari tamahi ni keri to go-ran-zu bakari, youi kuhahe te miye tatematuri tamahe."
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3.6.8 |
と、ことに触れて教へきこえたまふ。
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と、何かの機会につけてお教え申し上げなさる。
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と事に触れて院は教えておいでになるのであった。
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to, koto ni hure te wosihe kikoye tamahu.
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3.6.9 |
「 げに、かかる御後見なくては、ましていはけなくおはします御ありさま、隠れなからまし」
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「なるほど、このようなご後見役がいなくては、まして幼そうにいらっしゃいますご様子、隠れようもなかろう」
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実際こうした良人がおいでにならなければ外間のいろいろな噂にさえされる方であったかもしれぬ
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"Geni, kakaru ohom-usiromi naku te ha, masite ihakenaku ohasimasu mi-arisama, kakure nakara masi."
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3.6.10 |
と、人びとも見たてまつる。
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と、女房たちも拝見する。
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と女房たちは思っていた。
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to, hito-bito mo mi tatematuru.
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注釈245 | 院の御賀まづ朝廷よりせさせたまふことども | 3.6.1 |
注釈246 | 二月十余日と定めたまひて | 3.6.1 |
注釈247 | この対に常にゆかしくする | 3.6.2 |
注釈248 | かの人びとの箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ | 3.6.2 |
注釈249 | 世にあるものの師といふ限り | 3.6.3 |
注釈250 | 琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか | 3.6.4 |
注釈251 | この御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじ | 3.6.4 |
注釈252 | かくゆるしたまふほどになりにける | 3.6.5 |
注釈253 | なほいといみじく片なりにきびはなる心地して | 3.6.6 |
注釈254 | 院にも | 3.6.7 |
注釈255 | 年経ぬるを | 3.6.7 |
注釈256 | げにかかる御後見なくては | 3.6.9 |
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Last updated 3/10/2002 渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3) Last updated 3/10/2002 渋谷栄一注釈(ver.1-1-3) |
Last updated 12/29/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 9/30/2002 Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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