35 若菜下(明融臨模本)


WAKANA-NO-GE


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

12
第十二章 柏木の物語 源氏から睨まれる


12  Tale of Kashiwagi  Genji stares Kashiwagi

12.1
第一段 御賀の試楽の当日


12-1  The day of rehearsal

12.1.1  今日は、かかる試みの日なれど、御方々物見たまはむに、見所なくはあらせじとて、 かの御賀の日は、赤き白橡に、葡萄染の下襲を着るべし、今日は、青色に蘇芳襲、楽人三十人、今日は白襲を着たる、辰巳の方の釣殿に続きたる廊を楽所にて、山の南の側より御前に出づるほど、「仙遊霞」といふもの遊びて、雪のただいささか散るに、 春のとなり近く梅のけしき見るかひありて ほほ笑みたり。
 今日は、このような試楽の日であるが、ご夫人方が見物なさるので、見がいのないようにはしまいと思って、あの御賀の日は、赤い白橡に葡萄染の下襲を着るのであろう、今日は、青色に蘇芳襲の下襲を着て、楽人三十人は、今日は白襲を着ているが、東南の方の釣殿に続いている廊を楽所にして、山の南の側から御前に出る所で、「仙遊霞」という楽を奏して、雪がほんのわずか散らついたので、春の隣に近い、梅の花の様子が見栄えがしてほころびかけていた。
 今日は試楽の日なのであるが、これだけを見物するのにとどまる夫人たちも多いため、目美しくして見せるのに、賀の当日の舞い人の衣装は、明るい白橡しろつるばみに紅紫の下襲したがさねを着るはずであったが、今日は青い色を上に臙脂えんじを重ねさせた。今日の楽人三十人は白襲しろがさねであった。南東の釣殿つりどのへ続いた廊のへやを奏楽室にして、山の南のほうから舞い人が前庭へ現われて来る間は「仙遊霞せんゆうか」という楽が奏されていた。ちらちらと雪が降って、もう隣へ近づいた春を見せて梅の微笑ほほえむ枝が見える林泉の趣は感じのよいものであった。
  Kehu ha, kakaru kokoromi no hi nare do, ohom-kata-gata mono mi tamaha m ni, mi-dokoro naku ha ara se zi tote, kano ohom-ga no hi ha, akaki sira-turubami ni, ebi-zome no sita-gasane wo kiru besi, kehu ha, awo-iro ni suhau-gasane, gaku-nin samzihu-nin, kehu ha sira-gasane wo ki taru, tatumi no kata no turi-dono ni tuduki taru rau wo gakusyo nite, yama no minami no soba yori o-mahe ni iduru hodo, Sen'yuuka to ihu mono asobi te, yuki no tada isasaka tiru ni, haru no tonari tikaku, mume no kesiki miru kahi ari te hohowemi tari.
12.1.2  廂の御簾の内におはしませば、 式部卿宮、右大臣ばかりさぶらひたまひて、それより下の上達部は簀子に、わざとならぬ日のことにて、 御饗応など、気近きほどに仕うまつりなしたり
 廂の御簾の内側にいらっしゃるので、式部卿宮、右大臣ぐらいがお側に伺候していらっしゃるだけで、それ以下の上達部は簀子で、特別の日でないので、御饗応などは、お手軽な物を用意してあった。
 縁側に近い御簾みすの中に院のお席があって、そこにはただ式部卿しきぶきょうの宮が御同席され、右大臣の陪覧する座があっただけである。以下の高官たちは皆縁側に席をして、そこには形式を省いた饗応きょうおうの物が出されてあった。
  Hisasi no mi-su no uti ni ohasimase ba, Sikibukyau-no-Miya, Migi-no-Otodo bakari saburahi tamahi te, sore yori simo no Kamdatime ha sunoko ni, wazato nara nu hi no koto ni te, ohom-aruzi nado, kedikaki hodo ni tukau-maturi-nasi tari.
12.1.3  右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、 兵部卿宮の孫王の君たち二人は、「万歳楽」。まだいと小さきほどにて、いとろうたげなり。四人ながら、いづれとなく高き家の子にて、容貌をかしげにかしづき出でたる、思ひなしも、やむごとなし。
 右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿宮の孫王の公達二人は、「万歳楽」。まだとても小さい年なので、とてもかわいらしげである。四人とも、誰彼となく高貴な家柄のお子なので、器量もかわいらしく装い立てられている姿は、そう思うせいか、気品がある。
 右大臣の四男と、左大将の三男、それに兵部卿ひょうぶきょうの宮の御幼年の王子お二人の四人立ちで万歳楽が舞われるのであるが、皆小さい姿でかわいかった。四人とも皆高い貴族の子供たちで風貌ふうぼうが凡庸でない。皆にいたわれながら小公子たちは登場した。
  Migi-no-Ohotono no Sirau-Gimi, Daisyau-dono no Saburau-Gimi, Hyaubukyau-no-Miya no Sonwau-no-Kimi-tati hutari ha, Manzai-raku. Mada ito tihisaki hodo nite, ito rautage nari. Yo-tari nagara, idure to naku takaki ihe-no-ko nite, katati wokasige ni kasiduki-ide taru, omohi-nasi mo, yamgotonasi.
12.1.4  また、大将の 典侍腹の二郎君、式部卿宮の 兵衛督といひし、今は源中納言の御子、「皇じやう」。右の大殿の三郎君、「陵王」。大将殿の太郎、「落蹲」。さては「太平楽」、「喜春楽」などいふ舞どもをなむ、同じ御仲らひの君たち、大人たちなど舞ひける。
 また、大将の典侍がお生みになった二郎君と、式部卿宮の兵衛督と言った人で、今では源中納言になっている方の御子は「皇じょう」。右の大殿の三郎君は、「陵王」。大将殿の太郎は、「落蹲」。その他では「太平楽」、「喜春楽」などと言ういくつもの舞を、同じ一族の子供たちや大人たちなどが舞ったのであった。
 また大将の典侍腹てんじばらの二男と、式部卿の宮の御長男でもとは兵衛督であって今は源中納言となっている人の子のこの二人が「※(「鹿/章」、第3水準1-94-75)こうじょう」、右大臣の三男が「陵王りょうおう」、大将の長男の「落蹲らくそん」のほかにも「太平楽」「喜春楽」などの舞曲も若い公達きんだちが演じた。
  Mata, Daisyau no Naisinosuke-bara no Zirau-Gimi, Sikibukyau-no-Miya no Hyauwe-no-Kami to ihi si, ima ha Gwen-Tyuunagon no Miko, Wauzyau. Migi-no-Ohoidono no Saburau-Gimi, Ryauwau. Daisyau-dono no Tarau, Rakuson. Sateha Taihei-raku, Kisyun-raku nado ihu mahi-domo wo nam, onazi ohom-nakarahi no Kimi-tati, Otona-tati nado mahi keru.
12.1.5  暮れゆけば、御簾上げさせたまひて、物の興まさるに、 いとうつくしき御孫の君たちの容貌、姿にて、舞のさまも、世に見えぬ手を尽くして、御師どもも、おのおの手の限りを教へきこえけるに、深きかどかどしさを加へて、珍らかに舞ひたまふを、 いづれをもいとらうたしと思す老いたまへる上達部たちは、皆涙落としたまふ式部卿宮も、御孫を思して、 御鼻の色づくまでしほたれたまふ
 日が暮れて来たので、御簾を上げさせなさって、感興が高まっていくにつれて、実にかわいらしいお孫の君たちの器量や、姿で、舞の様子も、又とは見られない妙技を尽くして、お師匠たちも、それぞれ技のすべてをお教え申し上げたうえに、深い才覚をそれに加えて、素晴らしくお舞いになるのを、どの御子もかわいいとお思いになる。年老いた上達部たちは、皆涙を落としなさる。式部卿宮も、お孫のことをお思いになって、お鼻が赤く色づくほどお泣きになる。
 日が暮れてしまうと御前の御簾は巻き上げられて、音楽にも舞にもおもしろみが加わってゆく。かわいい姿の御孫の公達は秘伝を惜しまずそれぞれの師匠が教えた芸に、よい遺伝からの才気の加味された舞をだれもだれもおもしろく見せるのを、皆かわいく院は思召おぼしめした。老いた高官たちは皆落涙をしていた。式部卿の宮も御孫の芸にお鼻の色も変わるほど感動されたのであった。
  Kure yuke ba, mi-su age sase tamahi te, mono no kyou masaru ni, ito utukusiki ohom-mago no Kimi-tati no katati, sugata nite, mahi no sama mo, yo ni miye nu te wo tukusi te, ohom-si-domo mo, ono-ono te no kagiri wo wosihe kikoye keru ni, hukaki kado-kadosisa wo kuhahe te, meduraka ni mahi tamahu wo, idure wo mo ito rautasi to obosu. Oyi tamahe ru Kamdatime-tati ha, mina namida otosi tamahu. Sikibukyau-no-Miya mo, ohom-mago wo obosi te, ohom-hana no iro-duku made sihotare tamahu.
注釈921かの御賀の日は赤き白橡に葡萄染の下襲を着るべし御賀の当日の衣裳と試楽の日の衣裳とを異にする。12.1.1
注釈922春のとなり近く明融臨模本、合点と付箋に「冬なから春のとなりのちかけれは中かきよりそ花はちりく(け)る」(古今集誹諧歌、一〇二一、清原深養父)とある。12.1.1
注釈923梅のけしき見るかひありて「匂はねどほほゑむ梅の花をこそ我もをかしと折りてながめむ」(好忠集、二六)。12.1.1
注釈924式部卿宮右大臣ばかりさぶらひたまひて紫の上の父宮と鬚黒右大臣。いずれも源氏の身内。12.1.2
注釈925御饗応など気近きほどに仕うまつりなしたり『完訳』は「ご馳走などはそう仰々しくはなくお出ししてある」と訳す。12.1.2
注釈926兵部卿宮の孫王の君たち二人は蛍兵部卿宮の子二人。「孫王」は帝の孫の意。12.1.3
注釈927兵衛督といひし今は源中納言式部卿宮の御子の兵衛督、真木柱姫君と兄妹。「藤袴」「梅枝」に登場。臣籍降下して源氏となっている。12.1.4
注釈928いとうつくしき御孫の君たちの源氏は孫たちの瑞々しく可愛らしい舞姿に自らの老いが自覚されていく。12.1.5
注釈929いづれをもいとらうたしと思す源氏の感想。12.1.5
注釈930老いたまへる上達部たちは皆涙落としたまふ右大臣以下の老人の上達部たち。12.1.5
注釈931式部卿宮も御孫を孫の源中納言を思う。この中の最年長者か。12.1.5
注釈932御鼻の色づくまでしほたれたまふ『完訳』は「老いの涙を戯画化。次の源氏の酔泣きに効果的に続けていく」と注す。12.1.5
出典33 春のとなり近く 冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける 古今集俳諧-一〇二一 清原深養父 12.1.1
出典34 梅のけしき 匂はねどほほゑむ梅の花をこそ我もをかしと折りてながむれ 好忠集-二六 12.1.1
校訂57 典侍 典侍--御(御/$)ないしのすけ 12.1.4
12.2
第二段 源氏、柏木に皮肉を言う


12-2  Genji talks cynically at Kashiwagi

12.2.1  主人の院、
 ご主人の院は、
 六条院が、
  Aruzi-no-Win,
12.2.2  「 過ぐる齢に添へては、酔ひ泣きこそとどめがたきわざなりけれ。 衛門督、心とどめてほほ笑まるるいと心恥づかしや。さりとも、今しばしならむ。 さかさまに行かぬ年月よ 。老いはえ逃れぬわざなり」
 「寄る年波とともに、酔泣きの癖は止められないものだな。衛門督が目を止めてほほ笑んでいるのは、まことに恥ずかしくなるよ。そうは言っても、もう暫くの間だろう。さかさまには進まない年月さ。老いは逃れることのできないものだよ」
 「年のゆくにしたがって酔い泣きをすることがますますはげしくなってゆく。衛門督えもんのかみのおかしそうに笑っておられるのが恥ずかしい。歳月はさかさまに進むものではないからね。あなたがたでも老いはのがれられないのですよ」
  "Suguru yohahi ni sohe te ha, wehi-naki koso todome gataki waza nari kere! Wemon-no-Kami, kokoro todome te hohowema ruru, ito kokoro-hadukasi ya! Saritomo, ima sibasi nara m. Sakasama ni yuka nu tosi-tuki yo! Oyi ha e nogare nu waza nari."
12.2.3  とて、うち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈じて、まことに心地もいと悩ましければ、いみじきことも目もとまらぬ心地する人をしも、さしわきて、 空酔ひをしつつかくのたまふ。戯れのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば、 けしきばかりにて紛らはすを、御覧じ咎めて、持たせながらたびたび強ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、 なべての人に似ずをかし
 と言って、ちらっと御覧やりなさると、誰よりも一段とかしこまって塞ぎ込んで、真実に気分もたいそう悪いので、試楽の素晴らしさも目に入らない気分でいる人をつかまえて、わざと名指しで、酔ったふりをしながらこのようにおっしゃる。冗談のようであるが、ますます胸が痛くなって、杯が回って来るのも頭が痛く思われるので、真似事だけでごまかすのを、お見咎めなさって、杯をお持ちになりながら何度も無理にお勧めなさるので、いたたまれない思いで、困っている様子、普通の人と違って優雅である。
 と言ってその人の顔を御覧になる。だれよりもまじめに堅くなっていて、偽りでなく身体からだの具合も悪く思われ、おもしろいことも目にとまらぬ気持ちになっている衛門督を、お名ざしになり、酔態に託してこう仰せられるのは戯れらしくはあったが、その人ははっと胸がとどろいて、めぐって来た杯は手に取ってもただ少ししか飲まないのを、院は見とがめになって、御座からたびたび侍者に酒を持たせておつかわしになり、おしいになるのを、困りながら辞退する取りなしなども、平凡な人とは見えず感じよく院はお思いになった。
  tote, uti-miyari tamahu ni, hito yori keni mamedati kun-zi te, makoto ni kokoti mo ito nayamasikere ba, imiziki koto mo me mo tomara nu kokoti suru hito wo simo, sasiwaki te, sora-wehi wo si tutu kaku notamahu. Tahabure no yau nare do, itodo mune tubure te, sakaduki no meguri kuru mo kasira itaku oboyure ba, kesiki bakari ni te magirahasu wo, go-ran-zi togame te, mota se nagara tabi-tabi sihi tamahe ba, hasitanaku te, mote-wadurahu sama, nabete no hito ni ni zu wokasi.
12.2.4  心地かき乱りて堪へがたければ、まだことも果てぬにまかでたまひぬるままに、いといたく惑ひて、
 気分が悪くて我慢できないので、まだ宴も終わらないのにお帰りになったが、そのままひどく苦しくなって、
 身心の苦痛に堪えられなくなって衛門督はまだ宴の終わらぬうちに辞して帰ったが、
  Kokoti kaki-midari te tahe-gatakere ba, mada koto mo hate nu ni makade tamahi nuru mama ni, ito itaku madohi te,
12.2.5  「 例の、いとおどろおどろしき酔ひにもあらぬを、いかなればかかるならむ。 つつましとものを思ひつるに、気ののぼりぬるにや。いとさいふばかり臆すべき心弱さとはおぼえぬを、言ふかひなくもありけるかな」
 「いつものような、大した深酔いしたのでもないのに、どうしてこんなに苦しいのであろうか。何か気が咎めていたためか、上気してしまったのだろうか。そんなに怖気づくほどの意気地なしだとは思わなかったが、何とも不甲斐ない有様だった」
 悪酔いからさめることのできないのは、院をのあたり見て罪の自責に苦しんだために逆上したのであろうが、それほど臆病おくびょうな自分ではなかったはずであるが
  "Rei no, ito odoro-odorosiki wehi ni mo ara nu wo, ika nare ba kakaru nara m? Tutumasi to mono wo omohi turu ni, ke no nobori nuru ni ya? Ito sa ihu bakari oku-su beki kokoro-yowasa to ha oboye nu wo, ihukahinaku mo ari keru kana!"
12.2.6  と みづから思ひ知らる
 と自分自身思わずにはいられない。
 と悲しんだ。
  to midukara omohi-sira ru.
12.2.7  しばしの酔ひの惑ひにもあらざりけり。やがていといたくわづらひたまふ。大臣、母北の方思し騷ぎて、 よそよそにていとおぼつかなしとて殿に渡したてまつりたまふを、女宮の思したるさま、 またいと心苦し
 一時の酔の苦しみではなかったのであった。そのまままことひどくお病みになる。大臣、母北の方が心配なさって、別々に住んでいたのでは気がかりであると考えて、邸にお移し申されるのを、女宮がお悲しみになる様子、それはそれでまたお気の毒である。
 一時的な酒精の毒ではなくてそのまま衛門督は寝ついて重い容体になった。衛門督の父母がよそに置いてあるのが不安になり、自邸へつれもどすことにしたのを、夫人の宮の悲しがっておいでになるのがまた衛門督には苦しく思われた。
  Sibasi no wehi no madohi ni mo ara zari keri. Yagate ito itaku wadurahi tamahu. Otodo, haha-Kitanokata obosi sawagi te, yoso-yoso nite ito obotukanasi tote, tono ni watasi tatematuri tamahu wo, Womna-Miya no obosi taru sama, mata ito kokoro-gurusi.
注釈933過ぐる齢に添へて以下「え逃れぬわざなり」まで、源氏の詞。『完訳』は「自分を老醜の人とする。これまで女三の宮を前に繰り返し言われてきた。この自嘲の言葉が相手への痛烈な皮肉に転ずる」と注す。12.2.2
注釈934衛門督心とどめてほほ笑まるる『完訳』は「柏木が嘲笑するはずのないのを知りながら、自分の老いを蔑視しているとして、皮肉る」と注す。12.2.2
注釈935いと心恥づかしや『集成』は「全く気のひけることです」。『完訳』は「なんともきまりがわるいことですよ」と訳す。12.2.2
注釈936さかさまに行かぬ年月よ「さかさまに年もゆかなむとりもあへず過ぐる齢やともに返ると」(古今集雑上、八九六、読人しらず)。12.2.2
注釈937空酔ひをしつつかくのたまふ源氏の態度。『完訳』は「酔いを装って本心を吐露する」と注す。12.2.3
注釈938けしきばかりにて紛らはすを、御覧じ咎めて、持たせながらたびたび強ひたまへば源氏が柏木に。『完訳』は「柏木の酔ったふりを許さない。源氏の鋭くきびしい凝視は持続」と注す。12.2.3
注釈939なべての人に似ずをかし柏木の態度を優雅な振る舞いとしてこの場を語り収める。12.2.3
注釈940例のいとおどろおどろしき酔ひにもあらぬを以下「ありけるかな」まで、柏木の心中。12.2.5
注釈941つつましとものを思ひつるに『集成』は「何か頭の上がらぬ臆した思いだったので」。『完訳』は「何か気が咎めていたために」と訳す。12.2.5
注釈942みづから思ひ知らる「る」自発の助動詞。『集成』は「敬語抜きで、柏木の思いに密着した書き方」と注す。12.2.6
注釈943よそよそにていとおぼつかなしとて別々に住んでいたのでは気掛かりでならない、の意。太政大臣の長男である柏木は妻の落葉宮邸に住む。婿入り婚の生活をしている。12.2.7
注釈944殿に渡したてまつりたまふを柏木を実家に引き取って看護しようとする。12.2.7
注釈945またいと心苦し夫婦の仲を引き裂かれる思い。12.2.7
出典35 さかさまに行かぬ年月 さかさまに年も行かなむとりもあへず過ぐる齢やともに返ると 古今集雑上-八九六 読人知らず 12.2.2
12.3
第三段 柏木、女二の宮邸を出る


12-3  Kashiwagi leaves Omna-Ni-no-Miya's home

12.3.1   ことなくて過ぐす月日は 、心のどかにあいな頼みして、いとしもあらぬ御心ざしなれど、 今はと別れたてまつるべき門出にやと 思ふは、あはれに悲しく、後れて思し嘆かむことのかたじけなきを、 いみじと思ふ母御息所も、いといみじく嘆きたまひて、
 特別の事がない月日は、のんびりと当てにならない将来のことを当てにして、格別深い愛情もかけなかったが、今が最後と思ってお別れ申し上げる門出であろうかと思うと、しみじみと悲しく、自分に先立たれてお嘆きになるだろうことの恐れ多さを、とても辛いと思う。母御息所も、ひどくお嘆きになって、
 何事もなかった間は、衛門督自身も、宮をお愛しする情熱のありなしすら忘れているほどの良人であったが、もうこの世での別れかもしれぬと予感される今日の心には、宮をお残しして行くことが悲しくて、未亡人の寂しい人におさせするのが堪えられない苦痛に思われ、またもったいなくも思われなげかれるのであった。宮の御母の御息所みやすどころも非常に悲しんだ。
  Kotonaku te sugusu tukihi ha, kokoro nodoka ni aina-danomi si te, ito simo ara nu mi-kokorozasi nare do, ima ha to wakare tatematuru beki kadode ni ya to omohu ha, ahare ni kanasiku, okure te obosi-nageka m koto no katazikenaki wo, imizi to omohu. Haha-Miyasumdokoro mo, ito imiziku nageki tamahi te,
12.3.2  「 世のこととして、親をばなほさるものにおきたてまつりて、かかる御仲らひは、とある折もかかる折も、離れたまはぬこそ例のことなれ、かく引き別れて、たひらかにものしたまふまでも過ぐしたまはむが、 心尽くしなるべきことを、しばしここにて、かくて試みたまへ」
 「世間普通の事として、親は親としてひとまずお立て申しても、このような夫婦のお間柄は、どのような時でも、お離れにならないのが常のことですが、このように離れて、よくお治りになるまであちらでお過ごしになるのが、心配でならないでしょうから、もう暫くこちらで、このままご養生なさって下さい」
 「世間のならいでは親は親として、御夫婦というものはどんな時にもごいっしょにおいでになることになっています。あちらへ移っておしまいになって、御回復なさるまで別々においでになるのは、宮様のためにおかわいそうなことですから、せめてもうしばらくの間こちらで養生をなさいませ」
  "Yo no koto to si te, oya wo ba naho saru mono ni oki tatematuri te, kakaru ohom-nakarahi ha, to aru wori mo kakaru wori mo, hanare tamaha nu koso rei no koto nare, kaku hiki-wakare te, tahiraka ni monosi tamahu made mo sugusi tamaha m ga, kokoro-dukusi naru beki koto wo, sibasi koko ni te, kaku te kokoromi tamahe."
12.3.3  と、御かたはらに御几帳ばかりを隔てて見たてまつりたまふ。
 と、お側に御几帳だけを間に置いてご看病なさる。
 この人が病床との隔てに几帳きちょうだけを置いて看護をしているのである。
  to, ohom-katahara ni mi-kityau bakari wo hedate te mi tatematuri tamahu.
12.3.4  「 ことわりや数ならぬ身にて、及びがたき御仲らひに、なまじひに許されたてまつりて、さぶらふしるしには、長く世にはべりて、かひなき身のほども、すこし人と等しくなるけぢめをもや御覧ぜらるる、とこそ思うたまへつれ、いといみじく、かくさへなりはべれば、深き心ざしをだに御覧じ果てられずやなりはべりなむと思うたまふるになむ、とまりがたき心地にも、え行きやるまじく思ひたまへらるる」
 「ごもっともなことです。取るに足りない身の上で、及びもつかないご結婚を、なまじお許し頂きまして、こうしてお側におりますその感謝には、長生きをしまして、つまらない身の上も、もう少し人並みとなるところを御覧に入れたいと存じておりましたが、とてもひどく、このようにまでなってしまいましたので、せめて深い愛情だけでも御覧になって頂けずに終わってしまうのではないか存じられまして、生き永らえられそうにない気がするにつけても、まこと安心してあの世に行けそうにも存じられません」
 「ごもっともです。私ごとき者と結婚をしてくださいました宮様のためには、せめて私が長生きをして相当な地位を得るように努力せねばならぬと心がけてはいたのですが、こんな病人になってしまいましては、私の愛がどれほどのものであったかを宮様にわかっていただけないで終わるかと思いますことで、もう命の助からぬような気のしますうちでも、死なれぬ気がするのです」
  "Kotowari ya! Kazu nara nu mi ni te, oyobi-gataki ohom-nakarahi ni, namazihi ni yurusa re tatematuri te, saburahu sirusi ni ha, nagaku yo ni haberi te, kahinaki mi no hodo mo, sukosi hito to hitosiku naru kedime wo mo ya go-ran-ze raruru, to koso omou tamahe ture, ito imiziku, kaku sahe nari habere ba, hukaki kokorozasi wo dani go-ran-zi hate rare zu ya nari haberi na m to omou tamahuru ni nam, tomari gataki kokoti ni mo, e yuki-yaru maziku omohi tamahe raruru."
12.3.5  など、かたみに泣きたまひて、とみにもえ渡りたまはねば、 また母北の方、うしろめたく思して
 などと、お互いにお泣きになって、すぐにもお移りにならないので、再び母北の方が、気がかりにお思いになって、
 などと泣き合っていて、迎えようとするのに、すぐに移っても来ないのを母の夫人は気づかわしがって、
  nado, katami ni naki tamahi te, tomi ni mo e watari tamaha ne ba, mata haha-Kitanokata, usirometaku obosi te,
12.3.6  「 などか、まづ見えむとは思ひたまふまじき。われは、心地もすこし例ならず心細き時は、あまたの中に、まづ取り分きてゆかしくも頼もしくもこそおぼえたまへ。かくいとおぼつかなきこと」
 「どうして、まずは顔を見せようとはお思いになさらないのだろうか。わたしは、少しでも気分のいつもと違って心細い時は、大勢の子らの中で、まず第一に会いたくなり頼りに思っているのです。このように大変に気がかりなこと」
 「そんな場合に、どうして親の所へ来ようとあなたは思ってくれないのだろう。私が病気をする時には、おおぜいの子供の中でも特にあなたがそばにいてほしく、またいてくれれば頼もしくてうれしいのだのに、いつまでもなぜそちらにあなたはいる」
  "Nadoka, madu miye m to ha omohi tamahu maziki? Ware ha, kokoti mo sukosi rei nara zu kokoro-bosoki toki ha, amata no naka ni, madu toriwaki te yukasiku mo tanomosiku mo koso oboye tamahe. Kaku ito obotukanaki koto."
12.3.7  と恨みきこえたまふも、 また、いとことわりなり
 とお恨み申し上げなさるのも、これもまた、もっともなことである。
 こんなことを使いに言わせて来るのにももっともなところがあって、衛門督えもんのかみは母へ同情をせずにはおられないのであった。
  to urami kikoye tamahu mo, mata, ito kotowari nari.
12.3.8  「 人より先なりけるけぢめにや、取り分きて思ひならひたるを、今になほかなしくしたまひて、しばしも見えぬをば苦しきものにしたまへば、心地のかく限りにおぼゆる折しも、見えたてまつらざらむ、 罪深く、いぶせかるべし
 「他の兄弟より先に生まれたせいでしょうか、特別にかわいがっていたので、今でもやはりいとしくお思いになって、少しの間でも会わないのを辛くお思いになっているので、気分がこのように最期かと思われるような時に、お目にかからないのは、罪障深く、気が塞ぐことでしょう。
 「私がいちばん初めに生まれたためなのでしょうが、大事にされていまして、こんなになってもまだ母はかわいがりまして、しばらくの間でもわずにいることを苦しがるのですから、もう頼み少ない病状になっている際に、母の逢いたがる心を満足させないのは未来の世までの罪になるだろうと思われますから、とにかく病床をあちらへ移します。
  "Hito yori saki nari keru kedime ni ya, toriwaki te omohi narahi taru wo, ima ni naho kanasiku si tamahi te, sibasi mo miye nu wo ba kurusiki mono ni si tamahe ba, kokoti no kaku kagiri ni oboyuru wori simo, miye tatematura zara m, tumi hukaku, ibusekaru besi.
12.3.9   今はと頼みなく聞かせたまはば、いと忍びて渡りたまひて御覧ぜよ。かならずまた対面賜はらむ。 あやしくたゆくおろかなる本性にて、ことに触れて おろかに思さるることありつらむこそ、悔しくはべれ。かかる命のほどを知らで、行く末長くのみ思ひはべりけること」
 今はいよいよ危篤とお聞きあそばしたら、たいそうこっそりお越しになってお会い下さい。必ず再びお会いしましょう。妙に気がつかないふつつかな性分で、何かにつけて疎略な扱いであったとお思いになることがおありだったでしょうと、後悔されます。このような寿命とは知らないで、将来末長くご一緒にとばかり思っておりました」
 もういよいよ危篤になったというしらせがありましたら、そっと大臣邸へおいでなさい。必ずもう一度お目にかかりましょう。ぼんやりとした性質なものですから、気もつかずにあなたを不愉快におさせしたような場合もあったであろうと思われますのが残念でなりません。こんなに短命で終わろうとは思いませんで、長い将来に誠意をくんでいただける日が必ずあるもののように思って安心していました」
  Ima ha to tanomi naku kika se tamaha ba, ito sinobi te watari tamahi te go-ran-ze yo. Kanarazu mata taimen tamahara m. Ayasiku tayuku oroka naru honzyau nite, koto ni hure te oroka ni obosa ruru koto ari tu ram koso, kuyasiku habere. Kakaru inoti no hodo wo sira de, yuku-suwe nagaku nomi omohi haberi keru koto."
12.3.10  と、 泣く泣く渡りたまひぬ。宮はとまりたまひて、言ふ方なく思しこがれたり。
 と言って、泣き泣きお移りになった。宮はお残りになって、何とも言いようもなく恋い焦がれなさった。
 と、衛門督は宮に申して、泣く泣く父の家へ移って行った。宮はあとに思いこがれておいでになった。
  to, naku naku watari tamahi nu. Miya ha tomari tamahi te, ihu-kata-naku obosi-kogare tari.
注釈946ことなくて過ぐす月日は以下「かたじけなきをいみじ」まで、柏木の心中に即した叙述。『集成』は「何事もなく過して来た今までは、のんきに当てにならない先のことを当てにして」「いつかは女二の宮と愛情を交わす仲になるだろうと思って、の意」と注す。12.3.1
注釈947今はと別れたてまつるべき門出にやと「かりそめの行きかひ路とぞ思ひ来し今は限りの門出なりけり」(古今集哀傷、八六二、在原滋春)。12.3.1
注釈948いみじと思ふ敬語抜きの表現。心中文と地の文が融合し、柏木の心中に密着した表現となっている。12.3.1
注釈949母御息所も女二の宮の母一条御息所。12.3.1
注釈950世のこととして以下「かくて試みたまへ」まで、母御息所の詞。夫婦仲を割いてまで子息を迎え取ろうという大臣夫妻の処置を非難し、柏木にここで養生するよう依頼する。12.3.2
注釈951心尽くしなるべきことを娘の女二の宮が心配でたまらないだろうからと言う。12.3.2
注釈952ことわりや以下「思ひたまへらるる」まで、柏木の詞。12.3.4
注釈953数ならぬ身にて、及びがたき御仲らひに『集成』は「臣下として朱雀院の皇女を頂戴したからには、それ相応の義務がある、という意」と注す。12.3.4
注釈954また母北の方うしろめたく思して自己中心的な母親像。右大臣家四の君としての敵役的性格。12.3.5
注釈955などかまづ見えむとは以下「おぼつかなきこと」まで、母北の方の催促の詞。12.3.6
注釈956またいとことわりなり母親が子の身の上を案じるというのも、もっともなことである、という意。12.3.7
注釈957人より先なりけるけぢめにや以下「思ひはべりけること」まで、柏木の詞。12.3.8
注釈958罪深くいぶせかるべし『完訳』は「親に先立つ最悪の不孝。しかも親の立ち会わぬ子の臨終はいっそう罪深い。柏木は死ぬために親もとに帰ろうとしている」と注す。12.3.8
注釈959今はと頼みなく聞かせたまはば柏木の臨終をさす。12.3.9
注釈960あやしくたゆくおろかなる本性にて柏木、みずからの性格を反省。『集成』は「どうしたわけか、気がつかない、なおざりな性分で」。『完訳』は「なぜか意気地もなく思慮も足りない私の性分でして」「密通事件への自戒もこもる」と注す。12.3.9
注釈961おろかに思さるること妻の女二の宮に対する疎略な待遇、謙遜した言葉。12.3.9
注釈962泣く泣く渡りたまひぬ柏木、父太政大臣邸に移る。12.3.10
出典36 今はと別れ かりそめの行き交ひ路とぞ思ひ来し今は限りの門出なりける 古今集哀傷-八六二 在原滋春 12.3.1
校訂58 月日 月日--*へきひ 12.3.1
校訂59 ことわりなり ことわりなり---ことわり 12.3.7
12.4
第四段 柏木の病、さらに重くなる


12-4  Kashiwagi falls into a critical condition

12.4.1  大殿に待ち受けきこえたまひて、 よろづに騷ぎたまふ。さるは、たちまちにおどろおどろしき御心地のさまにもあらず、月ごろ物などをさらに 参らざりけるに、いとどはかなき柑子などをだに触れたまはず、 ただ、やうやうものに引き入るるやうに見えたまふ
 大殿ではお待ち受け申し上げなさって、いろいろと大騒ぎをなさる。そうはいえ、急変するようなご病気の様子でもなく、ここいく月も食べ物などをまったくお召し上がりにならなかったが、ますますちょっとした柑子などでさえお手を触れにならず、ただ、冥界に引き込まれていくようにお見えになる。
 大臣家では病人の扱いに大騒ぎをして、祈祷きとうやその他に全力を尽くすのであった。病は最悪という容態でもない。ただ食慾しょくよくがひどく減退して、もうこちらへ来てからは果物くだものをさえ取ろうとしなかった。
  Ohotono ni mati-uke kikoye tamahi te, yorodu ni sawagi tamahu. Saruha, tatimati ni odoro-odorosiki mi-kokoti no sama ni mo ara zu, tuki-goro mono nado wo sarani mawira zari keru ni, itodo hakanaki kauzi nado wo dani hure tamaha zu, tada, yau-yau mono ni hiki-iruru yau ni miye tamahu.
12.4.2  さる時の有職の、かくものしたまへば、世の中惜しみあたらしがりて、御訪らひに参りたまはぬ人なし。内裏よりも院よりも、御訪らひしばしば聞こえつつ、いみじく惜しみ思し召したるにも、いとどしき親たちの 御心のみ惑ふ
 このような当代の優れた人物が、こんなでいらっしゃるので、世間中が惜しみ残念がって、お見舞いに上がらない人はいない。朝廷からも院の御所からも、お見舞いを度々差し上げては、ひどく惜しんでいらっしゃるのにつけても、ますますご両親のお心は痛むばかりである。
 教養の足りた優秀な高官と見られている人が、こんなふうに頼み少ない容体になっていることを世間は惜しんで、見舞いを申し入れに来ぬ人もない。宮中からも法皇の御所からもしばしばお見舞いの御使みつかいが来て、衛門督の病状を御心痛あそばされているのを見ても、両親は悲しくばかり思われた。
  Saru toki no iusoku no, kaku monosi tamahe ba, yononaka wosimi atarasigari te, ohom-toburahi ni mawiri tamaha nu hito nasi. Uti yori mo Win yori mo, ohom-toburahi siba-siba kikoye tutu, imiziku wosimi obosimesi taru ni mo, itodosiki oya-tati no mi-kokoro nomi madohu.
12.4.3  六条院にも、「いと口惜しきわざなり」と思しおどろきて、御訪らひにたびたびねむごろに 父大臣にも聞こえたまふ大将は、ましていとよき御仲なれば、気近く ものしたまひつつ、いみじく嘆きありきたまふ。
 六条院におかれても、「まことに残念なことだ」とお嘆きになって、お見舞いを頻繁に丁重に父大臣にも差し上げなさる。大将は、それ以上に仲の好い間柄なので、お側近くに見舞っては、大変にお嘆きになっておろおろしていらっしゃる。
 六条院も非常に残念に思召おぼしめして、たびたび懇切なお見舞いの手紙を大臣へ下された。左大将はまして仲のよい友人であったから、病床へもよくたずねて来て、衛門督をいたましがっていた。
  Rokudeu-no-Win ni mo, "Ito kutiwosiki waza nari." to obosi odoroki te, ohom-toburahi ni tabi-tabi nemgoro ni titi-Otodo ni mo kikoye tamahu. Daisyau ha, masite ito yoki ohom-naka nare ba, kedikaku monosi tamahi tutu, imiziku nageki-ariki tamahu.
12.4.4   御賀は、二十五日になりにけりかかる時のやむごとなき上達部の重く患ひたまふに、親、兄弟、あまたの人びと、さる 高き御仲らひの嘆きしをれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、 次々に滞りつることだにあるを、さて止むまじきことなれば、 いかでかは思し止まらむ。女宮の御心のうちをぞ、 いとほしく思ひきこえさせたまふ
 御賀は、二十五日になってしまった。このような時に重々しい上達部が重病でいらっしゃるので、親、兄弟たち、大勢の方々、そういう高貴なご縁戚や友人方が嘆き沈んでいらっしゃる折柄なので、何か興の冷めた感じもするが、次々と延期されて来た事情さえあるのに、このまま中止にすることもできないので、どうして断念なされよう。女宮のご心中を、おいたわしくお察し上げになる。
 法皇の御賀は二十五日になった。現在での花形の高官が重い病気をしてその一家一族の人たちがうれいに沈んでいる時に決行されるのは寂しいことのように院はお思いになったが、月々に支障があって延びてきたことであったし、ぜひ今年じゅうにせねばならぬことでもあったから、やむをえぬことだったのである。院は姫宮の心情を哀れにお思いになっていた。
  Ohom-ga ha, nizihu-go-niti ni nari ni keri. Kakaru toki no yamgotonaki Kamdatime no omoku wadurahi tamahu ni, oya, harakara, amata no hito-bito, saru takaki ohom-nakarahi no nageki siwore tamahe ru korohohi ni te, mono susamaziki yau nare do, tugi-tugi ni todokohori turu koto dani aru wo, sate yamu maziki koto nare ba, ikadekaha obosi todomara m. Womna-Miya no mi-kokoro no uti wo zo, itohosiku omohi kikoye sase tamahu.
12.4.5   例の、五十寺の御誦経、また、かのおはします御寺にも、 摩訶毘盧遮那の
 例によって、五十寺の御誦経、それから、あちらのおいでになる御寺でも、摩訶毘廬遮那の御誦経が。
 かねての計画のように五十か寺での御誦経ずきょうが最初にあって、法皇のおいであそばされる寺でも大日如来だいにちにょらいの御祈りが行なわれた。
  Rei no, go-zyuhu-zi no mi-zyukyau, mata, kano ohasimasu mi-tera ni mo, Makabirusana no.
注釈963よろづに騷ぎたまふ加持祈祷などのための大騒ぎ。12.4.1
注釈964参らざりけるに接続助詞「に」順接、原因理由を表す。12.4.1
注釈965ただやうやうものに引き入るるやうに見えたまふ『集成』は「次第に何かに引き入れられるように、弱っていかれる」。『完訳』は「ただ、だんだんと何かに引き込まれていくようにお見えになるばかりである」「冥界に引き込まれていくような感じ。しだいに衰弱していく」と注す。12.4.1
注釈966御心のみ惑ふ副助詞「のみ」強調のニュアンスを添える。『集成』は「いよいよ深まるご両親の悲しみは、気も狂わんばかりである」と訳す。12.4.2
注釈967父大臣にも聞こえたまふ係助詞「も」同類の意。柏木はもちろん父大臣にも、の意。12.4.3
注釈968大将はましていとよき御仲なれば副詞「まして」は、源氏と柏木との関係以上に、のニュアンス。12.4.3
注釈969ものしたまひつつ副助詞「つつ」は、同じ動作の繰り返し。たびたびお見舞いに伺っては、のニュアンス。12.4.3
注釈970御賀は二十五日になりにけり前に「十二月になりにけり十余日と定めて」(第十一章五段)とあった。「なりにけり」には、その予定がさらに延びてしまったというニュアンスがこめられている。12.4.4
注釈971かかる時のやむごとなき上達部の『集成』は「当世の下にも置かれぬ」。『完訳』は「こういうときにぜひご列席にならねばならない大事な上達部が」と訳す。12.4.4
注釈972次々に滞りつることだにあるを副助詞「だに」打消や反語の表現をともなった文脈の中で、例外的・逆接的な事態であることを強調するニュアンス。『集成』は「御賀が次々延引になったことだけでも不都合なことであるのに」。『完訳』は「これまで次々と延引を重ねたことだけでも申し訳のないことなのに」と訳す。12.4.4
注釈973いかでかは思し止まらむ語り手が、源氏の心中を忖度した表現。12.4.4
注釈974いとほしく思ひきこえさせたまふ主語は源氏。12.4.4
注釈975例の五十寺の御誦経五十賀にちなむ五十寺での御誦経。12.4.5
注釈976摩訶毘盧遮那の『集成』は「こうした中断の形で擱筆したとするのが古来の通説であるが、この帖の終りの一葉が何らかの事情で失われた可能性もあろう。次の柏木の巻の末尾にも同じような状況がある」と注す。12.4.5
校訂60 高き 高き--か(か/#)たかき 12.4.4
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

Last updated 9/30/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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