35 若菜下(明融臨模本)


WAKANA-NO-GE


光る源氏の准太上天皇時代
四十一歳三月から四十七歳十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from Mar. of 41 to Dec. the age of 47

11
第十一章 朱雀院の物語 五十賀の延引


11  Tale of Suzaku  The celebrstion for Suzaku is put off

11.1
第一段 女二の宮、院の五十の賀を祝う


11-1  Omna-Ni-no-Miya celebrates for Suzaku 50 years old

11.1.1   かくて、山の帝の御賀も延びて、秋とありしを、 八月は大将の御忌月にて、楽所のこと行なひたまはむに、便なかるべし。 九月は、院の大后の崩れたまひにし月なれば、十月にと思しまうくるを、 姫宮いたく悩みたまへば、また延びぬ。
 こうして、山の帝の御賀も延期になって、秋にとあったが、八月は大将の御忌月で、楽所を取り仕切られるのには、不都合であろう。九月は、院の大后がお崩れになった月なので、十月にとご予定を立てたが、姫宮がひどくお悩みになったので、再び延期になった。
 紫夫人の大病のために法皇の賀宴も延びて秋ということになっていたが、八月は左大将の忌月きづきで音楽のほうをこの人が受け持つのに不便だと思われたし、九月はまた院の太后のおかくれになった月で、それもだめ、十月にはと六条院は思っておいでになったが、女三にょさんみやの御健康がすぐれないためにまた延びた。
  Kakute, Yama-no-Mikado no ohom-ga mo nobi te, aki to ari si wo, Hati-gwati ha Daisyau no ohom-ki-duki ni te, gakusyo no koto okonahi tamaha m ni, bin-nakaru besi. Ku-gwati ha, Win no Oho-Kisaki no kakure tamahi ni si tuki nare ba, Zihu-gwati ni to obosi maukuru wo, Hime-Miya itaku nayami tamahe ba, mata nobi nu.
11.1.2   衛門督の御預かりの宮なむその月には参りたまひける。太政大臣居立ちて、いかめしくこまかに、もののきよら、儀式を尽くしたまへりけり。督の君も、そのついでにぞ、思ひ起こして出でたまひける。なほ、悩ましく、例ならず病づきてのみ過ぐしたまふ。
 衛門督がお引き受けになっている宮が、その月には御賀に参上なさったのだった。太政大臣が奔走して、盛大にかつこまごまと気を配って、儀式の美々しさ、作法の格式の限りをお尽くしなさっていた。督の君も、その機会には、気力を出してご出席なさったのだった。やはり、気分がすぐれず、普通と違って病人のように日を送ってばかりいらっしゃる。
 衛門督えもんのかみの夫人になっておいでになる宮はその月に参入された。しゅうとの太政大臣が力を入れて豪奢ごうしゃな賀宴がささげられたのである。病気で引きこもっていた衛門督もその時はじめて外出をしたのであった。しかもそのあとはまた以前にかえって、病床に親しむ督であった。
  Wemon-no-Kami no ohom-adukari no Miya nam, sono tuki ni ha mawiri tamahi keru. Ohoki-Otodo wi-tati te, ikamesiku komaka ni, mono no kiyora, gisiki wo tukusi tamahe ri keri . Kam-no-Kimi mo, sono tuide ni zo, omohi-okosi te ide tamahi keru. Naho, nayamasiku, rei nara zu yamahi-duki te nomi sugusi tamahu.
11.1.3   も、うちはへてものをつつましく、いとほしとのみ 思し嘆くけにやあらむ月多く重なりたまふままに、いと苦しげにおはしませば、 院は、心憂しと思ひきこえたまふ方こそあれ、いとらうたげにあえかなるさまして、かく悩みわたりたまふを、いかにおはせむと嘆かしくて、さまざまに思し嘆く。 御祈りなど、今年は紛れ多くて過ぐしたまふ
 宮も、引き続いて何かと気がめいって、ただつらいとばかりお思い嘆いていられるせいであろうか、懐妊の月数がお重なりになるにつれて、とても苦しそうにいらっしゃるので、院は、情けないとお思い申し上げなさる気持ちはあるが、とても痛々しく弱々しい様子をして、このようにずっとお悩みになっていらっしゃるのを、どのようにおなりになることかと心配で、あれこれとお心をお痛めになられる。ご祈祷など、今年は取り込み事が多くてお過ごしになる。
 女三の宮も御煩悶はんもんばかりをあそばされるせいか、月が重なるにつれてますますお身体からだがお苦しいふうに見えた。院は恨めしいお気持ちはあっても、可憐かれんな姿をして病んでおいでになる宮を御覧になっては、どうなるのであろうと不安を覚えておなげきになることが多かった。祈祷きとうをおさせになることで御多忙でもあった。
  Miya mo, uti-hahe te mono wo tutumasiku, itohosi to nomi obosi nageku ni ya ara m, tuki ohoku kasanari tamahu mama ni, ito kurusige ni ohasimase ba, Win ha, kokoro-usi to omohi kikoye tamahu kata koso are, ito rautage ni aeka naru sama si te, kaku nayami watari tamahu wo, ikani ohase m to nagekasiku te, sama-zama ni obosi nage ku. Ohom-inori nado, kotosi ha magire ohoku te sugusi tamahu.
注釈822かくて山の帝の御賀も延びて朱雀院の五十賀。「山の帝」の呼称は初見。源氏主催の御賀は、最初、二月二十余日の予定だったが、紫の上の発病によって延期になっていた。『集成』は、女三の宮主催の御賀という。源氏主催といっても、女三の宮の夫としての主催である。11.1.1
注釈823八月は大将の御忌月にて夕霧大将の母葵の上は八月に逝去。賀宴には近衛府の楽人が演奏するので、その長官である夕霧が取り仕切るのは不都合だという。11.1.1
注釈824九月は院の大后の崩れたまひにし月なれば弘徽殿大后の御忌月。11.1.1
注釈825姫宮いたく悩みたまへば女三の宮、妊娠七月になる。11.1.1
注釈826衛門督の御預かりの宮なむ朱雀院の女二の宮、通称、落葉宮。「御預かりの宮」という呼称表現が注目される。『集成』は「衛門督が、正室としてお世話申し上げている女二の宮」。『完訳』は「衛門督がお迎えしている女二の宮が」と訳す。11.1.2
注釈827その月には参りたまひける十月に、朱雀院の御所に御賀に参上した、という意。11.1.2
注釈828思し嘆くけにやあらむ係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」。語り手の推測の気持ちをを介在させた挿入句。11.1.3
注釈829月多く重なりたまふままに懐妊の月数をさす。11.1.3
注釈830院は心憂しと思ひきこえたまふ方こそあれ係助詞「こそ」「あれ」已然形、係結び、逆接で下文に続く。11.1.3
注釈831御祈りなど今年は紛れ多くて過ぐしたまふ紫の上、女三の宮の病気平癒のための御祈祷。何かととりこみ事が多い、という意。11.1.3
校訂49 宮--(/+宮) 11.1.3
11.2
第二段 朱雀院、女三の宮へ手紙


11-2  Suzaku sends a letter to Omna-Sam-no-miya

11.2.1   御山にも聞こし召して、らうたく恋しと 思ひきこえたまふ。月ごろかくほかほかにて、渡りたまふことも をさをさなきやうに、人の奏しければいかなるにかと御胸つぶれて世の中も今さらに恨めしく思して
 お山におかせられてもお耳にあそばして、いとおしくお会いしたいとお思い申し上げなさる。いく月もあのように別居していて、お越しになることもめったにないように、ある人が奏上したので、どうしたことにかとお胸が騒いで、俗世のことも今さらながら恨めしくお思いになって、
 法皇も宮の御妊娠のことをお聞きになって、かわいく想像をあそばされ、いたく思召おぼしめされた。長く六条院は二条の院のほうに別れておいでになって、おたずねになることもまれまれであると申し上げた人も以前あったことによって、御妊娠がただ事の結果でなくはないのであるまいかとふとこんなことを思召すとお胸が鳴るのでもあった。人生のことが今さら皆お恨めしくて、
  Mi-yama ni mo kikosimesi te, rautaku kohisi to omohi kikoye tamahu. Tuki-goro kaku hoka-hoka ni te, watari tamahu koto mo wosa-wosa naki yau ni, hito no sau-si kere ba, ika naru ni ka to ohom-mune tubure te, yononaka mo imasara ni uramesiku obosi te,
11.2.2  「 対の方のわづらひけるころは、なほその扱ひにと聞こし召してだに、なまやすからざりしを、 そののち、直りがたくものしたまふらむは、 そのころほひ、便なきことや出で来たりけむみづから知りたまふことならねど、良からぬ御後見どもの心にて、 いかなることかありけむ。内裏わたりなどの、みやびを交はすべき仲らひなどにも、けしからず憂きこと言ひ出づるたぐひも聞こゆかし」
 「対の方が病気であったころは、やはりその看病でとお聞きになってでさえ、心穏やかではなかったのに、その後も、変わらずにいらっしゃるとは、そのころに、何か不都合なことが起きたのだろうか。宮自身に責任がおありのことでなくても、良くないお世話役たちの考えで、どんな失態があったのだろうか。宮中あたりなどで、風雅なやりとりをし合う間柄などでも、けしからぬ評判を立てる例も聞こえるものだ」
 紫夫人の病気のころは院があちらにばかり行っておいでになったのを、もっともなこととはいえ、思いやりのないこととして聞いておいでになったが、夫人の病後も院の御訪問はまれになったというのは、その間に不祥なことが起こったのではあるまいか。宮が自発的に堕落の傾向をおとりになったのではなく、軽薄な女房の仕業しわざなどで不快な事件があったのではなかろうか、宮廷における男女の間は清潔な交際で終始しなければならないものであるのに、その中にさえ醜聞を作る者があるのであるから
  "Tai-no-Kata no wadurahi keru koro ha, naho sono atukahi ni to kikosimesi te dani, nama-yasukara zari si wo, sono noti, nahori gataku monosi tamahu ram ha, sono korohohi, bin-naki koto ya ide-ki tari kem? Midukara siri tamahu koto nara ne do, yokara nu ohom-usiromi-domo no kokoro ni te, ika naru koto ka ari kem? Uti watari nado no, miyabi wo kahasu beki nakarahi nado ni mo, kesikara zu uki koto ihi iduru taguhi mo kikoyu kasi."
11.2.3  とさへ思し寄るも、 こまやかなること思し捨ててし世なれど、なほ子の道は離れがたくて、宮に御文こまやかにてありけるを、大殿、おはしますほどにて、見たまふ。
 とまでお考えになるのも、肉親の情愛はお捨てになった出家の生活だが、やはり親子の愛情は忘れ去りがたくて、宮にお手紙を心をこめて書いてあったのを、大殿も、いらっしゃった時なので、御覧になる。
 と、こんなことまでも御想像あそばされるのは、いっさいをお捨てになった御心境にもなお御子をお思いになる愛情だけは影を残しているからである。法皇が愛のこもったお手紙を宮へお書きになったのを、六条院も来ておいでになる時で拝見されたのであった。
  to sahe obosi-yoru mo, komayaka naru koto obosi-sute te si yo nare do, naho ko no miti ha hanare gataku te, Miya ni ohom-humi komayaka ni te ari keru wo, otodo, ohasimasu hodo ni te, mi tamahu.
11.2.4  「 そのこととなくて、しばしばも聞こえぬほどに、おぼつかなくてのみ年月の過ぐるなむ、 あはれなりける。悩みたまふなるさまは、詳しく聞きしのち、念誦のついでにも 思ひやらるるは、いかが。世の中寂しく思はずなることありとも、忍び過ぐしたまへ。 恨めしげなるけしきなど、おぼろけにて、見知り顔にほのめかす、いと品おくれたるわざになむ
 「特に用件もないので、たびたびはお便りを差し上げなかったうちに、あなたの様子も分からないままに歳月が過ぎるのは、気がかりなことです。お具合がよろしくなくいらっしゃるという様子は、詳しく聞いてからは、念仏誦経の時にも気にかかってならないが、いかがいらっしゃいますか。ご夫婦仲が寂しくて意に満たないことがあっても、じっと堪えてお過ごしなさい。恨めしそうな素振りなどを、いい加減なことで、心得顔にほのめかすのは、まことに品のないことです」
 用事もないものですから無沙汰ぶさたをしているうちに月日がたつということもこの世の悲しみです。あなたが普通でない身体からだになって健康もそこねているということをくわしく聞きましたが、今はどうですか。世の中が寂しくなるような運命に出あっても、忍んでお暮らしなさい。恨めしがる様子をお見せになったり、ねたみを告げたりすることは上品なものではありません。
  "Sono koto to naku te, siba-siba mo kikoye nu hodo ni, obotukanaku te nomi tosi-tuki no suguru nam, ahare nari keru. Nayami tamahu naru sama ha, kuhasiku kiki si noti, nenzyu no tuide ni mo omohi-yara ruru ha, ikaga? Yononaka sabisiku omoha zu naru koto ari tomo, sinobi sugusi tamahe. Uramesige naru kesiki nado, oboroke ni te, mi-siri-gaho ni honomekasu, ito sina okure taru waza ni nam."
11.2.5   など、教へきこえたまへり。
 などと、お教え申し上げていらっしゃった。
 などとさとしておありになるのである。
  nado, wosihe kikoye tamahe ri.
11.2.6  いといとほしく心苦しく、「 かかるうちうちのあさましきをば、聞こし召すべきにはあらで、 わがおこたりに、本意なくのみ聞き思すらむことを」とばかり思し続けて、
 まことにお気の毒で心が痛み、「このような内々の宮の不始末を、お耳にあそばすはずはなく、わたしの怠慢のせいにと、御不満にばかりお思いあそばすことだろう」とばかりにお思い続けて、
 院はお気の毒で、心苦しくて、宮に秘密のあることなどはお知りあそばされずに、自分の不誠意とばかり解釈しておいでになるのであろうとお思いになって、
  Ito itohosiku kokoro-gurusiku, "Kakaru uti-uti no asamasiki wo ba, kikosimesu beki ni ha ara de, waga okotari ni, ho'i-naku nomi kiki obosu ram koto wo." to bakari obosi tuduke te,
11.2.7  「 この御返りをば、いかが聞こえたまふ。心苦しき御消息に、 まろこそいと苦しけれ思はずに思ひきこゆることありとも、おろかに、人の見咎むばかりはあらじとこそ思ひはべれ。誰が聞こえたるにかあらむ」
 「このお返事は、どのようにお書き申し上げなさいますか。お気の毒なお手紙で、わたしこそとても辛い思いです。たとえ心外にお思い申す事があったとしても、疎略なお扱いをして、人が変に思うような態度はとるまいと思っております。誰が申し上げたのでしょうか」
 「お返事はどうお書きになりますか。心苦しいお手紙で私はつらい気がしますよ。あなたにどんなことがあっても、人に変わった様子は見せまいと私は努めているのですよ。だれがいろいろなことを申し上げたのだろう」
  "Kono ohom-kaheri wo ba, ikaga kikoye tamahu. Kokoro-gurusiki ohom-seusoko ni, maro koso ito kurusikere. Omoha zu ni omohi kikoyuru koto ari tomo, oroka ni, hito no mi togamu bakari ha ara zi to koso omohi habere. Taga kikoye taru ni ka ara m?"
11.2.8   とのたまふに、恥ぢらひて背きたまへる御姿も、いとらうたげなり。 いたく面痩せて、もの思ひ屈したまへる、いとどあてにをかし
 とおっしゃると、恥ずかしそうに横を向いていらっしゃるお姿も、まことに痛々しい。ひどく面やつれして、物思いに沈んでいらっしゃるのは、ますます上品で美しい。
 とお言いになると、恥じて顔をおそむけになる宮のお姿が可憐かれんであった。顔がすっかりせて物思いに疲れておいでになるのが上品に美しい。
  to notamahu ni, hadirahi te somuki tamahe ru ohom-sugata mo, ito rautage nari. Itaku omo-yase te, mono-omohi kut-si tamahe ru, itodo ate ni wokasi.
注釈832御山にも聞こし召して朱雀院が女三の宮懐妊の事をお聞きになって、の意。11.2.1
注釈833をさをさなきやうに人の奏しければ源氏は紫の上の病気もほぼ平癒したにもかかわらず、六条院にはほとんどもどらず、二条院にとどまったままでいる。11.2.1
注釈834いかなるにかと御胸つぶれて朱雀院の心中。懐妊してめでたいというのに、夫婦別居しているとは、いかなる事情があってか、という気持ちだろう。11.2.1
注釈835世の中も今さらに恨めしく思して「世の中」は夫婦の仲。係助詞「も」強調のニュアンスを添える。「今さらに」とは出家した身でという気持ち。11.2.1
注釈836対の方のわづらひけるころは以下「聞こゆかし」まで、朱雀院の心中。途中に語り手の朱雀院に対する敬意が混入する。『集成』は「以下、朱雀院の心中」「「聞こしめしてだに」は、語り手の敬意の表れたものと見る」と注す。11.2.2
注釈837そののち直りがたく『完訳』は、以下を朱雀院の心中とする。11.2.2
注釈838そのころほひ便なきことや出で来たりけむ「そのころほひ」は妊娠のきっかけをさそう。11.2.2
注釈839みづから知りたまふことならねど宮御自身関知しないことでも、の意。11.2.2
注釈840いかなることかありけむ『集成』は「どんな失態があったのだろう」。『完訳』は「何かがあったのだろうか」と訳す。11.2.2
注釈841こまやかなること思し捨ててし世なれど「こまやかなること」について、『集成』は「肉親の情愛などは」、『完訳』は「俗世のわずらわしいことは」と訳す。11.2.3
注釈842そのこととなくて以下「おくれたるわざになむ」まで、朱雀院から女三の宮への手紙。11.2.4
注釈843あはれなりける『集成』は「気がかりなことです」。『完訳』は「悲しいことです」。『新大系』はさびしいことであった」と訳す。11.2.4
注釈844思ひやらるるはいかが『完訳』は「現世への未練が残るのはどうしたことか。自分自身の心を疑う」と注す。11.2.4
注釈845恨めしげなるけしきなどおぼろけにて見知り顔にほのめかすいと品おくれたるわざになむ皇女の身の処し方についての教訓。「帚木」巻の夫婦処世術と比較。『集成』は「いい加減なことで、心得顔にちらつかすのは、はしたないことです」と訳す。11.2.4
注釈846かかるうちうちのあさましきをば以下「思すらむことを」まで、源氏の心中。「うちうちのあさましきこと」は女三の宮の不始末をさす。そうした自分の娘の不始末は朱雀院は知らないで、の意。11.2.6
注釈847わがおこたりに本意なくのみ聞き思すらむことを源氏の愛情の薄い原因ばかりに思っていることだろう、の意。「を」終助詞、詠嘆。11.2.6
注釈848この御返りをば、いかが聞こえたまふ以下「誰が聞こえたるにかあらむ」まで、源氏の詞。11.2.7
注釈849まろこそいと苦しけれ『完訳』は「私こそ、じつにつらい。不義ゆえの不快さをこめていう」と注す。11.2.7
注釈850思はずに思ひきこゆることありとも柏木との不義ををさす。11.2.7
注釈851とのたまふに恥ぢらひて背きたまへる柏木との過失を暗に言われて恥じる。源氏のいじわるな態度である。11.2.8
注釈852いたく面痩せてもの思ひ屈したまへるいとどあてにをかし深刻な局面も唯美的関心に移り、この場面は切り上げられる。11.2.8
校訂50 思ひ 思ひ--(/+思) 11.2.1
校訂51 など など--(/+なと) 11.2.5
11.3
第三段 源氏、女三の宮を諭す


11-3  Genji admonishs Omna-Sam-no-miya about her behavior

11.3.1  「 いと幼き御心ばへを見おきたまひて、いたくはうしろめたがりきこえたまふなりけりと、思ひあはせたてまつれば、今より後も よろづになむ。かうまでもいかで聞こえじと思へど、上の、御心に背くと聞こし召すらむことの、やすからず、いぶせきを、 ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ
 「とても幼い御気性を御存知で、たいそう御心配申し上げていらっしゃるのだと、拝察されますので、今後もいろいろと心配でなりません。こんなにまでは決して申し上げまいと思いましたが、院の上が、御心中にわたしが背いているとお思いになろうことが、不本意であり、心の晴れない思いであるが、せめてあなたにだけは申し上げておかなくてはと思いまして。
 「あなたの幼稚な性質を知っておいでになって、こんなにもお言いになるのだと、私は他のことと思い合わせてごもっともだと思われる点がありますよ。それで今後もあぶなかしく思われてならない。こんなふうに言ってしまおうとは思わなかったことですが、院が私を頼みがいなく思召すだろうと思うことが苦痛ですからね。あなただけにでも私が軽薄な者でないことを認めてほしいと思うのですよ。
  "Ito wosanaki mi-kokorobahe wo mi-oki tamahi te, itaku ha usirometagari kikoye tamahu nari keri to, omohi ahase tatemature ba, ima yori noti mo yorodu ni nam. Kau made mo ikade kikoye zi to omohe do, Uhe no, mi-kokoro ni somuku to kikosimesu ram koto no, yasukara zu, ibuseki wo, koko ni dani kikoye sirase de ya ha tote nam.
11.3.2   いたり少なく、ただ、人の聞こえなす方にのみ寄るべかめる御心には、 ただおろかに浅きとのみ思し、また、 今はこよなくさだ過ぎにたるありさまも、あなづらはしく目馴れてのみ見なしたまふらむもかたがたに口惜しくもうれたくもおぼゆるを院のおはしまさむほどは、なほ心収めて、かの思しおきてたるやうありけむ、さだ過ぎ人をも、同じくなずらへきこえて、いたくな軽めたまひそ。
 思慮が浅く、ただ、人が申し上げるままにばかりお従いになるようなあなたとしては、ただ冷淡で薄情だとばかりお思いで、また、今ではわたしのすっかり年老いた様子も、軽蔑し飽き飽きしてばかりお思いになっていられるらしいのも、それもこれも残念にも忌ま忌ましくも思われますが、院の御存命中は、やはり我慢して、あちらのお考えもあったことでしょうから、この年寄をも、同じようにお考え下さって、ひどく軽蔑なさいますな。
 深く物をお考えにならないで、人のいいかげんな言葉にお動きになるあなたには、私のほんとうの愛が浅いものに見えもするでしょうし、またあなたとは年齢としの差のはなはだしい良人おっと軽蔑けいべつしたくもなるでしょうけれど、私としてそれを残念に思わないわけはありませんが、院の御在世中だけは、これを幸福な道としてお選びになったことですから、老いた良人をもあまり無視するようなことはお慎みになるがいいのですよ。
  Itari sukunaku, tada, hito no kikoye nasu kata ni nomi yoru beka' meru mi-kokoro ni ha, tada oroka ni asaki to nomi obosi, mata, ima ha koyonaku sada sugi ni taru arisama mo, anadurahasiku me nare te nomi mi-nasi tamahu ram mo, kata-gata ni kutiwosiku mo uretaku mo oboyuru wo, Win no ohasimasa m hodo ha, naho kokoro wosame te, kano obosi-oki te taru yau ari kem, sada-sugi-bito wo mo, onaziku nazurahe kikoye te, itaku na karume tamahi so.
11.3.3  いにしへより本意深き道にも、 たどり薄かるべき女方にだに、皆思ひ後れつつ 、いとぬるきこと多かるを、みづからの心には、何ばかり思しまよふべきにはあらねど、 今はと捨てたまひけむ世の後見に 譲りおきたまへる御心ばへの、あはれにうれしかりしを、 ひき続き争ひきこゆるやうにて同じさまに見捨てたてまつらむことのあへなく思されむに つつみてなむ
 昔からの出家の本願も、考えの不十分なはずのご婦人方にさえ、みな後れを取り後れを取りして、とてものろまなことが多いのですが、自分自身の心には、どれほどの思いを妨げるものはないのですが、院がこれを最後と御出家なさった後のお世話役にわたしをお譲り置きになったお気持ちが、しみじみと嬉しかったが、引き続いて後を追いかけるようにして、同じようにお見捨て申し上げるようなことが、院にはがっかりされるであろうと差し控えているのです。
 昔から願っている出家の志望も、自分よりは幼稚な宗教心しか持つまいと思っていた女の人たちが先に実行するのを傍観しているのも、私自身がこの世の欲を捨てえないのではなくて、出家をあそばす際にはあなたをお託しになった院のお志に感激した心が、すぐまた続いてあなたを捨てて行くような行動を取らせなかったのですよ。
  Inisihe yori ho'i hukaki miti ni mo, tadori usukaru beki Womna-gata ni dani, mina omohi okure tutu, ito nuruki koto ohokaru wo, midukara no kokoro ni ha, nani bakari obosi mayohu beki ni ha ara ne do, ima ha to sute tamahi kem yo no usiromi ni yuzuri-oki tamahe ru mi-kokorobahe no, ahare ni uresikari si wo, hiki-tuduki arasohi kikoyuru yau ni te, onazi sama ni mi-sute tatematura m koto no, ahenaku obosa re m ni tutumi te nam.
11.3.4  心苦しと思ひし人びとも、今はかけとどめらるるほだしばかりなるもはべらず。女御も、かくて、行く末は知りがたけれど、御子たち数添ひたまふめれば、 みづからの世だにのどけくはと見おきつべし。その他は、誰も誰も、あらむに従ひて、もろともに身を捨てむも、惜しかるまじき齢どもになりにたるを、やうやうすずしく思ひはべる。
 気にかかっていた人々も、今では出家の妨げとなるほどの者もおりません。女御も、あのようにして、将来の事は分かりませんが、皇子方がいく人もいらっしゃるようなので、わたしの存命中だけでもご無事であればと安心してよいでしょう。その他の事は、誰も彼も、状況に従って、一緒に出家するのも、惜しくはない年齢になっているのを、だんだんと気持ちも楽になっております。
 以前は気がかりに思われた人も今ではもう出家のほだしにならないだけになっているのです。女御だってどうなるか知りませんが、皇子たちがおえにもなってゆくのですから、後宮の地位などは問題にさえせねば苦労のない立場を得られることだけはできると私も見ておけます。そのほかの人たちは成り行きのままで、私といっしょに出家をしてしまってももういいほどの年齢としになっているとこのごろでは思われます。
  Kokoro-gurusi to omohi si hito-bito mo, ima ha kake todome raruru hodasi bakari naru mo habera zu. Nyougo mo, kakute, yukusuwe ha siri gatakere do, mi-ko-tati kazu sohi tamahu mere ba, midukara no yo dani nodokeku ha to mi-oki tu besi. Sono hoka ha, tare mo tare mo, ara m ni sitagahi te, morotomoni mi wo sute m mo, wosikaru maziki yohahi-domo ni nari ni taru wo, yau-yau suzusiku omohi haberu.
11.3.5   院の御世の残り久しくもおはせじ。いと篤しくいとどなりまさりたまひて、もの心細げにのみ思したるに、今さらに思はずなる 御名の漏り聞こえて、御心乱りたまふな。 この世はいとやすし。ことにもあらず。後の世の御道の妨げならむも、罪いと恐ろしからむ」
 院の御寿命もそう長くはいらっしゃらないでしょう。とても御病気がちにますますなられて、何となく心細げにばかりお思いでいられるから、今さら感心しないお噂を院のお耳にお入れ申して、お心を乱したりなさらないように。現世はまことに気にかけることはありません。どうということもありません。が、来世の御成仏の妨げになるようなのは、罪障がとても恐ろしいでしょう」
 院ももう長くはおいでにならないでしょう。以前よりいっそうお身体からだが弱くおなりになって、心細い御様子でいらっしゃるとのことですから、今になって悪い名などをお耳に入れて御心配をかけてはいけませんよ。この世は何でもありませんが、来世のお妨げになることをしてはあなたの罪も大きくなりますよ」
  Win no mi-yo no nokori hisasiku mo ohase zi. Ito atusiku itodo nari masari tamahi te, mono-kokoro-bosoge ni nomi obosi taru ni, imasara ni omoha zu naru ohom-na no mori kikoye te, mi-kokoro midari tamahu na. Konoyo ha ito yasusi. Koto ni mo ara zu. Noti no yo no ohom-miti no samatage nara m mo, tumi ito osorosikara m."
11.3.6  など、 まほにそのこととは明かしたまはねど、つくづくと聞こえ続けたまふに、 涙のみ落ちつつ、我にもあらず思ひしみておはすれば、 我もうち泣きたまひて
 などと、はっきりとその事とはお明かしにならないが、しみじみとお話し続けなさるので、涙ばかりがこぼれては、正体もない様子で悲しみに沈んでいらっしゃるので、ご自分もお泣きになって、
 そのことと露骨にお言いにならないのであるが、しみじみとお説きになるために、宮は涙ばかりがこぼれて、知らず知らずめいり込んでおしまいになったのを御覧になる院も、お泣きになって、
  nado, maho ni sono koto to ha akasi tamaha ne do, tuku-duku to kikoye tuduke tamahu ni, namida nomi oti tutu, ware ni mo ara zu omohi-simi te ohasure ba, ware mo uti-naki tamahi te,
11.3.7  「 人の上にても、もどかしく聞き思ひし古人のさかしらよ。身に代はることにこそ。いかにうたての翁やと、むつかしくうるさき 御心添ふらむ
 「他人の身の上でも、嫌なものだと思って聞いていた老人のおせっかいというものを。自分がするようになったことよ。どんなに嫌な老人かと、不愉快で厄介なと思うお気持ちがつのることでしょう」
 「他の人がこうしたことを言うのを、聞く必要もない老人としより理窟りくつだと思った私だが、いつのまにかそれを言うほうの人に私がなっている。よけいなことを言う老人だとお思いになっていっそういやになるでしょう」
  "Hito no uhe ni te mo, modokasiku kiki omohi si huru-bito no sakasira yo. Mi ni kaharu koto ni koso. Ikani utate no okina ya to, mutukasiku urusaki mi-kokoro sohu ram."
11.3.8  と、恥ぢたまひつつ、御硯引き寄せたまひて、手づから押し擦り、紙取りまかなひ、書かせたてまつりたまへど、御手もわななきて、え書きたまはず。
 と、お恥になりながら、御硯を引き寄せなさって、自分で墨を擦り、紙を整えて、お返事をお書かせ申し上げなさるが、お手も震えて、お書きになることができない。
 ともお言いになって、すずりを引き寄せて御自身で墨をおすりになり、紙をおりになりなどして、お返事を書かせようとされるのであるが、宮は手もふるえてお書きになれない。
  to, hadi tamahi tutu, ohom-suzuri hiki-yose tamahi te, tedukara osi-suri, kami tori makanahi, kaka se tatematuri tamahe do, mi-te mo wananaki te, e kaki tamaha zu.
11.3.9  「 かのこまかなりし返事は、いとかくしもつつまず通はしたまふらむかし」と思しやるに、 いと憎ければ、よろづのあはれも冷めぬべけれど、言葉など教へて書かせたてまつりたまふ。
 「あのこまごまと書いてあった手紙のお返事は、とてもこのように遠慮せずやりとりなさっていたのだろう」とご想像なさると、実に癪にさわるので、一切の愛情も冷めてしまいそうであるが、文句などを教えてお書かせ申し上げなさる。
 あの濃厚な言葉の盛られてあった衛門督えもんのかみの手紙の返事はこんなに渋らずに書かれたであろうとお思いになると、また反感が起こるのでもおありになったが、それでも院は言葉などを口授くじゅしてお書かせになった。
  "Kano komaka nari si kaheri-goto ha, ito kaku simo tutuma zu kayohasi tamahu ram kasi." to obosi-yaru ni, ito nikukere ba, yorodu no ahare mo same nu bekere do, kotoba nado wosihe te kaka se tatematuri tamahu.
注釈853いと幼き御心ばへを以下「罪いと恐ろしからむ」まで、源氏の詞。この冒頭の「幼し」「うしろめたがる」などの発言は女三の宮の幼さを面と向かってののしっているにも等しいきつい表現。11.3.1
注釈854よろづになむ言いさした形。下に、心配でならない、また同様な過ちを犯すかもしれないのが気がかりだ、という意をこめる、余意・含みのある表現。11.3.1
注釈855ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ源氏の薄情に見える態度の原因をいう。以下、柏木との密通が原因であることを暗にいう。11.3.1
注釈856いたり少なくただ人の聞こえなす方にのみ女三の宮には思慮分別がないと、面と向かっていう。罵倒するに等しい発言。11.3.2
注釈857ただおろかに浅きとのみ思し源氏の態度をさしていう。11.3.2
注釈858今はこよなくさだ過ぎにたるありさまも、あなづらはしく目馴れてのみ見なしたまふらむも源氏の老齢をさしていう。『集成』は「以下、自分の薄情を怨んで、若い柏木と通じたと、暗に怨んで言う」。『完訳』は「自らを老醜と自嘲し、以下に、柏木と通じた宮を暗に非難」と注す。11.3.2
注釈859かたがたに口惜しくもうれたくもおぼゆるを「ただ愚かに浅き」と「こよなくさだ過ぎたる」とをさしていう。11.3.2
注釈860院のおはしまさむほどはなほ心収めて主語は女三の宮。しかし、この部分だけでは、源氏にもとれる。朱雀院が生きていらっしゃるうちは、自分は我慢して、となるが、かなりきつい表現。後文にいって女三の宮が主語と判明。どちらともとれるような両義性のある表現をしたものか。11.3.2
注釈861たどり薄かるべき女方にだに皆思ひ後れつつ光源氏の女性蔑視の思想は当時の社会一般の風潮か。11.3.3
注釈862今はと捨てたまひけむ主語は朱雀院。11.3.3
注釈863ひき続き争ひきこゆるやうにて朱雀院の出家に引き続いて、先を争うようにして、の意。11.3.3
注釈864同じさまに見捨てたてまつらむことの出家して女三の宮を捨てる意。11.3.3
注釈865あへなく思されむに主語は朱雀院。11.3.3
注釈866つつみてなむ主語は源氏。係助詞「なむ」の下に、出家しないでいるの意が含まれる。11.3.3
注釈867みづからの世だにのどけくはと見おきつべし自分が生きている間だけは無事でいればと考えておいけばよいだろう、その先のことまでは考えない、の意。11.3.4
注釈868院の御世の残り久しくもおはせじ朱雀院の御寿命もそう長くはないだろう、の意。11.3.5
注釈869この世はいとやすしことにもあらず『集成』は「この現世については、何の気にかけることもありません。どうということもないのです」「現世だけのことなら、問題はない、の意」。『完訳』は「この世は、じっさいどうというものでもない、別段のこともないのです」と訳す。世間虚仮、この世は仮の世であるとする現世観。11.3.5
注釈870まほにそのこととは明かしたまはねど『完訳』は「密通事件。しかしそれを暗に語り、宮を責めていることになる」と注す。11.3.6
注釈871涙のみ落ちつつ我にもあらず主語は女三の宮。11.3.6
注釈872我もうち泣きたまひて源氏、自嘲の涙。11.3.6
注釈873人の上にても以下「御心添ふらむ」まで、源氏の詞。『集成』は「若い柏木に対するねたみの気持が言わせる言葉」。『完訳』は「自分に無関係な他人事でも、いらいらした思いで聞いていた老人のおせっかい、それを自分が言うようになったとは。いやな老人と自嘲する物言いの底に、若い柏木や宮への嫉妬と憎悪がくすぶる」と注す。光源氏の老醜。紫式部の老いに対する思想感懐。11.3.7
注釈874御心添ふらむ女三の宮の心をさす。源氏を嫌な老人と思う心が増すことであろう、の意。11.3.7
注釈875かのこまかなりし返事はいとかくしもつつまず通はしたまふらむかし源氏の心中、間接的叙述。源氏の嫉妬と憎悪の気持ち。11.3.9
注釈876いと憎ければよろづのあはれも冷めぬべけれど源氏の憎悪の心中が語り手によって浮き彫りにされて語られている。11.3.9
校訂52 女方 女方--女(女/+かた) 11.3.3
校訂53 譲り 譲り--(/+ゆつり) 11.3.3
校訂54 御名の 御名の--御な(な/+の) 11.3.5
11.4
第四段 朱雀院の御賀、十二月に延引


11-4  The celebrstion for Suzaku is put off on December

11.4.1  参りたまはむことは、 この月かくて過ぎぬ二の宮の御勢ひ殊にて参りたまひけるを、 古めかしき御身ざまにて、立ち並び顔ならむも、 憚りある心地しけり
 参賀なさることは、この月はこうして過ぎてしまった。二の宮が格別のご威勢で参賀なさったのに、身籠もられたお身体で、競うようなのも、遠慮され気が引けるのであった。
 「お伺いになることはこんなことで今月もだめでしたね。それに新婚者の女二にょにみや派手はでな御賀をおささげになった時に、老人の妻であるあなたが競争的に出て行くのは遠慮すべきだと思いましたよ。
  Mawiri tamaha m koto ha, kono tuki kakute sugi nu. Ni-no-Miya no ohom-ikihohi koto ni te, mawiri tamahi keru wo, hurumekasiki ohom-mi-zama ni te, tati narabi gaho nara m mo, habakari aru kokoti si keri.
11.4.2  「 霜月はみづからの忌月なり。年の終りはた、いともの騒がし。また、いとどこの御姿も見苦しく、待ち見たまはむをと思ひはべれど、さりとて、さのみ延ぶべきことにやは。むつかしくもの思し乱れず、あきらかにもてなしたまひて、このいたく面痩せたまへる、つくろひたまへ」
 「十一月はわたしの忌月です。年の終わりは歳末で、とても騒々しい。また、ますますこのお姿も体裁悪く、お待ち受けあそばす院はいかが御覧になろうと思いますが、そうかと言って、そんなにも延期することはでません。くよくよとお思いあそばさず、明るくお振る舞いになって、このひどくやつれていらっしゃるのを、お直しなさい」
 十一月はあなたのお母様の忌月でしょう。十二月はあまりに押しつまってよろしくないし、あなたの身体からだも見苦しくなるだろうから、久しぶりにお姿を御覧に入れるのはいかがかと思いますが、しかしそうそう延ばしてよいことでありませんからね、あまり物思いをしないようにして、朗らかな心になって、せたお顔のなおるようにまずなさい」
  "Simo-tuki ha midukara no ki-duki nari. Tosi no wohari hata, ito mono sawagasi. Mata, itodo kono ohom-sugata mo mi-gurusiku, mati mi tamaha m wo to omohi habere do, saritote, sa nomi nobu beki koto ni ya ha. Mutukasiku mono obosi midare zu, akiraka ni motenasi tamahi te, kono itaku omo-yase tamahe ru, tukurohi tamahe."
11.4.3  など、 いとらうたしと、さすがに見たてまつりたまふ
 などと、とてもおいたわしいと、それでもお思い申し上げていらっしゃる。
 などとお言いになって、さすがにかわいくは思召すのであった。
  nado, ito rautasi to, sasuga ni mi tatematuri tamahu.
11.4.4  衛門督をば、 何ざまのことにも、ゆゑあるべきをりふしには、かならずことさらにまつはしたまひつつ、のたまはせ合はせしを、絶えてさる御消息もなし。人あやしと思ふらむと思せど、「 見むにつけても、いとどほれぼれしきかた恥づかしく、見むにはまたわが心もただならずや」と思し返されつつ、やがて月ごろ参りたまはぬをも咎めなし。
 衛門督をどのような事でも、風雅な催しの折には、必ず特別に親しくお召しになっては、ご相談相手になさっていたのが、全然そのようなお便りはない。皆が変だと思うだろうとお思いになるが、「顔を見るにつけても、ますます自分の間抜けさが恥ずかしくて、顔を見てはまた自分の気持ちも平静を失うのではないか」と思い返され思い返されて、そのままいく月も参上なさらないのにもお咎めはない。
 衛門督をどんな催し事にも必要な人物としてお招きになって御相談相手に今まではあそばす院でおありになったが、今度の法皇の賀に限って何の仰せもない。人が不審がるであろうとはお思いになるのであるが、その人が来てはずかしめられた老人である自分の見られることも不快であるし、自分が彼を見ては平静で心がありえなくなるかもしれぬと院はお思いになって、もう幾月も参殿しない人を、なぜかとお尋ねになることもないのである。
  Wemon-no-Kami wo ba, nani zama no koto ni mo, yuwe aru beki wori husi ni ha, kanarazu kotosara ni matuhasi tamahi tutu, notamahase ahase si wo, tayete saru ohom-seusoko mo nasi. Hito ayasi to omohu ram to obose do, "Mi m ni tuke te mo, itodo hore-boresiki kata hadukasiku, mi m ni ha mata waga kokoro mo tadanara zu ya!" to obosi kahesa re tutu, yagate tuki-goro mawiri tamaha nu wo mo togame nasi.
11.4.5  おほかたの人は、なほ 例ならず悩みわたりて院にはた、御遊びなどなき年なれば、とのみ思ひわたるを、大将の君ぞ、「 あるやうあることなるべし。好色者は、さだめて わがけしきとりしことには、忍ばぬにやありけむ」と思ひ寄れど、いとかく定かに残りなきさまならむとは、思ひ寄りたまはざりけり。
 世間一般の人は、ずっと普通の状態でなく病気でいらっしゃったし、院でもまた、管弦のお遊びなどがない年なので、とばかりずっと思っていたが、大将の君は、「何かきっと事情があることに違いない。風流者は、さだめし自分が変だと気がづいたことに、我慢できなかったのだろうか」と考えつくが、ほんとうにこのようにはっきりと何もかも知れるところにまでなっているとは、想像もおつきにならなかったのである。
 ただの人たちは衛門督が病気続きであったし、六条院にもまた音楽その他のお催しの全くない年であるからと解釈していたが、左大将だけは何か理由のあることに違いない、多感多情な男であるから、自分が推測していたあの恋で自制の力を失うようなことがあったのではないかとは見ていても、まだこれほど不祥なことが暴露してしまったとは想像しなかった。
  Ohokata no hito ha, naho rei nara zu nayami watari te, Win ni hata, ohom-asobi nado naki tosi nare ba, to nomi omohi wataru wo, Daisyau-no-Kimi zo, "Aru yau aru koto naru besi. Suki-mono ha, sadame te waga kesiki tori si koto ni ha, sinoba nu ni ya ari kem." to omohi-yore do, ito kaku sadaka ni nokori naki sama nara m to ha, omohi-yori tamaha zari keri.
注釈877この月かくて過ぎぬ十月が過ぎた。11.4.1
注釈878二の宮の御勢ひ殊にて女二の宮の落葉宮の参賀が舅の太政大臣のきもいりで盛大に催されたことをさす。11.4.1
注釈879古めかしき御身ざまにて『集成』は「子を身篭られたお身体で」と訳す。『完訳』「懐妊八か月の様態をいうか」と注す。11.4.1
注釈880憚りある心地しけり『集成』は「源氏の気持を敬語抜きで直接書いたもの」と注す。11.4.1
注釈881霜月はみづからの忌月なり以下「つくろひたまへ」まで、源氏の詞。桐壺院の崩御の月。「賢木」巻に語られている。11.4.2
注釈882いとらうたしとさすがに見たてまつりたまふ源氏は女三の宮に対して、嫉妬と憎悪の気持ちもあるが一方で憐愍の情もないではない、という意。11.4.3
注釈883何ざまのことにもゆゑあるべきをりふしには源氏は柏木を何につけ風雅な趣の催し事には必ず相談相手にしてきた。今後の朱雀院の五十賀宴などは当然相談されると世間の人も思っている。11.4.4
注釈884見むにつけてもいとどほれぼれしきかた恥づかしく『集成』は「いよいよ自分の間抜けさ加減を相手の目にさらすようで、気がひけるし」「女三の宮とのことを知っていながら、源氏としては素知らぬふりをしなくてはならぬからである」。『完訳』は「宮の前への対話で繰り返された老醜の自嘲と照応。ここは妻を奪われた老人のぶざまさをいう」と注す。11.4.4
注釈885例ならず悩みわたりて主語は柏木。11.4.5
注釈886院にはた六条院では六条院で、やはり紫の上、女三の宮と病人続出続きで、の意。11.4.5
注釈887あるやうあることなるべし以下「忍ばぬにやありけむ」まで、夕霧の心中。六年前の蹴鞠の日の柏木が女三の宮を垣間見て、以来執心していたことを思う。11.4.5
注釈888わがけしきとりしことには「わが」は夕霧をいう。自分(夕霧)が気づいたこと、六年前の蹴鞠の日のこと。挿入句。11.4.5
11.5
第五段 源氏、柏木を六条院に召す


11-5  Genji invites Kashiwagi to Rokujo-in

11.5.1  十二月になりにけり。十余日と定めて、舞ども習らし、殿のうちゆすりてののしる。二条の院の上は、まだ渡りたまはざりけるを、この試楽に よりてぞ、えしづめ果てで渡りたまへる。女御の君も里におはします。 このたびの御子は、また男にてなむおはしましける。すぎすぎいとをかしげにておはするを、明け暮れもて遊びたてまつりたまふになむ、過ぐる齢のしるし、 うれしく思されける。試楽に、 右大臣殿の北の方も渡りたまへり
 十二月になってしまった。十何日と決めて、数々の舞を練習し、御邸中大騒ぎしている。二条院の上は、まだお移りにならなかったが、この試楽のために、落ち着き払ってもいられずお帰りになった。女御の君も里にお下がりになっていらっしゃる。今度御誕生の御子は、また男御子でいらっしゃった。次々とおかわいらしくていらっしゃるのを、一日中御子のお相手をなさっていらっしゃるので、長生きしたお蔭だと、嬉しく思わずにはいらっしゃれないのだった。試楽には、右大臣殿の北の方もお越しになった。
  十二月になった。十幾日と法皇の御賀の日が定められて六条院の中は用意に忙しくなった。二条の院の夫人はまだそのまま帰らずにいたが、御賀の試楽があるのに興味を覚えてもどってきた。女御にょごも実家にいた。今度のお産でお生まれになったのもまた男宮であった。次々に皆かわいい宮様を夫人はお世話することに生きがいを覚えていた。試楽の日は右大臣夫人も六条院へ来た。
  Zihuni-gwati ni nari ni keri. Zihu-yo-niti to sadame te, mahi-domo narasi, tono no uti yusuri te nonosiru. Nideu-no-win-no-Uhe ha, mada watari tamaha zari keru wo, kono sigaku ni yori te zo, e sidume hate de watari tamahe ru. Nyougo-no-Kimi mo sato ni ohasimasu. Kono tabi no Miko ha, mata wotoko ni te nam ohasimasi keru. Sugi-sugi ito wokasige ni te ohasuru wo, akekure mote-asobi tatematuri tamahu ni nam, suguru yohahi no sirusi, uresiku obosa re keru. Sigaku ni, U-Daizin-dono no Kitanokata mo watari tamahe ri.
11.5.2  大将の君、丑寅の町にて、まづうちうちに調楽のやうに、明け暮れ遊び習らしたまひければ、 かの御方は、御前の物は見たまはず
 大将の君は、丑寅の町で、まず内々に調楽のように、毎日練習なさっていたので、あの御方は、御前での試楽は御覧にならない。
左大将は東北の御殿でそれ以前にすでに毎日監督する舞曲の練習をさせていたから、花散里はなちるさと夫人は試楽の見物には出て来なかった。
  Daisyau-no-Kimi, Usitora-no-mati nite, madu uti-uti ni teugaku no yau ni, akekure asobi narasi tamahi kere ba, kano ohom-kata ha, o-mahe no mono ha mi tamaha zu.
11.5.3  衛門督を、かかることの折も交じらはせざらむは、いと栄なく、さうざうしかるべきうちに、人あやしと傾きぬべきことなれば、参りたまふべきよしありけるを、重くわづらふよし申して参らず。
 衛門督を、このような機会に参加させないようなのは、まことに引き立たず、もの足りなく感じられるし、皆が変だと思うに違いないことなので、参上なさるようにお召しがあったが、重病である旨を申し上げて参上しない。
 衛門督えもんのかみをこの試楽の日に除外するのは惜しく物足らぬことであると院はお思いになったし、それ以上にまた人の不審を引くことをお恐れにもなって、来るようにと使いをお向けになったが、病の重いことを申して督は出て来ようとしなかった。
  Wemon-no-Kami wo, kakaru koto no wori mo maziraha se zara m ha, ito haye naku, sau-zausikaru beki uti ni, hito ayasi to katabuki nu beki koto nare ba, mawiri tamahu beki yosi ari keru wo, omoku wadurahu yosi mausi te mawira zu.
11.5.4  さるは、そこはかと苦しげなる病にもあらざなるを、思ふ心のあるにやと、 心苦しく思して、取り分きて御消息つかはす。父大臣も、
 しかし、どこがどうと苦しい病気でもないようなのに、自分に遠慮してのことかと、気の毒にお思いになって、特別にお手紙をお遣わしになる。父の大臣も、
 病気といっても何という名のある病をしているのでもないわけであるが、やましく思う点があるのであろうと、心苦しく思召して、特使をさえもおやりになって招こうとあそばされた。父の大臣も、
  Saruha, sokohaka to kurusige naru yamahi ni mo ara za' naru wo, omohu kokoro no aru ni ya to, kokoro-kurusiku obosi te, toriwaki te ohom-seusoko tukahasu. Titi-Otodo mo,
11.5.5  「 などか返さひ申されける。ひがひがしきやうに、院にも聞こし召さむを、おどろおどろしき病にもあらず、助けて参りたまへ」
 「どうしてご辞退申されたのか。いかにもすねているように、院におかれてもお思いあそばそうから、大した病気でもない、何とかして参上なさい」
 「なぜ御辞退をしたかね。何か含むことでもあるように院がお思いになるだろうに。大病というのではないのだから、無理をしても参ったほうがよい」
  "Nado ka kahesahi mausa re keru. Higa-higasiki yau ni, Win ni mo kikosimesa m wo, odoro-odorosiki yamahi ni mo ara zu, tasuke te mawiri tamahe."
11.5.6  と そそのかしたまふに、かく重ねてのたまへれば、 苦しと思ふ思ふ参りぬ
 とお勧めなさっているところに、このように重ねておっしゃってきたので、苦しいと思いながらも参上した。
 と勧めていたところへ再度のお使いが来たのであったから、つらい気持ちをいだきながら参った。
  to sosonokasi tamahu ni, kaku kasane te notamahe re ba, kurusi to omohu omohu mawiri nu.
注釈889このたびの御子はまた男にて『集成』は「前に見えた「三の宮」に次ぐ方である」。『完訳』は「女楽のころ懐妊五か月。第三皇子(後の匂宮)か、その兄の二の宮か」。『新大系』は「「二の宮」の次の皇子」と注す。11.5.1
注釈890うれしく思されける主語は紫の上。大病を克服して生き延び、孫を見ることができた喜び。11.5.1
注釈891右大臣殿の北の方も渡りたまへり玉鬘。右大臣鬚黒の北の方の地位におさまっている。11.5.1
注釈892かの御方は御前の物は見たまはず花散里は春の御殿においての源氏御前の試楽は見ない、の意。11.5.2
注釈893心苦しく思して源氏の、柏木への憐愍の情。11.5.4
注釈894などか返さひ申されける以下「助け参りたまへ」まで、致仕太政大臣の詞。柏木に六条院に参るよう勧める。11.5.5
注釈895苦しと思ふ思ふ参りぬ尊敬語なしの直接的表現。不気味な事件の展開を暗示。11.5.6
校訂55 よりてぞ よりてぞ--より(り/+て)そ 11.5.1
校訂56 そそのかし そそのかし--そ(そ/+そ)のかし 11.5.6
11.6
第六段 源氏、柏木と対面す


11-6  Genji meets and talks with Kashiwagi

11.6.1  まだ上達部なども集ひたまはぬほどなりけり。 例の気近き御簾の内に入れたまひて、母屋の御簾下ろしておはしますげに、いといたく痩せ痩せに青みて、例も誇りかにはなやぎたる方は、弟の君たちにはもて消たれて、 いと用意あり顔にしづめたるさまぞことなるを、いとどしづめてさぶらひたまふさま、「 などかは皇女たちの御かたはらにさし並べたらむに、さらに咎あるまじきを、 ただことのさまの、誰も誰もいと思ひやりなきこそ、 いと罪許しがたけれ」など、御目とまれど、さりげなく、いとなつかしく、
 まだ上達部なども参上なさっていない時分であった。いつものようにお側近くの御簾の中に招き入れなさって、母屋の御簾を下ろしていらっしゃる。なるほど、実にひどく痩せて蒼い顔をしていて、いつもの陽気で派手な振る舞いは、弟の君たちに気圧されて、いかにも嗜みありげに落ち着いた態度でいるのが格別であるのを、いつもより一層静かに控えていらっしゃる様子は、「どうして内親王たちのお側に夫として並んでも、全然遜色はあるまいが、ただ今度の一件については、どちらもまことに思慮のない点に、ほんとうに罪は許せないのだ」などと、お目が止まりなさるが、平静を装って、とてもやさしく、
 それはまだ他の高官などの集まって来ない時分であった。これまでのようにお座敷の御簾みすの中へ衛門督をお入れになって、院御自身はまた一つの御簾を隔てた奥のお居間においでになった。うわさのとおりに非常に痩せて顔色が悪かった。平生もはなやかな派手はでな美しさは弟たちのほうに多くて、この人は深く落ち着いた静かな風采ふうさいによさのあった人であるが、今日はことにおとなしい身のとりなしで侍している姿を、内親王の配偶者として見ても相応らしい男であるが、その関係の正しくないのが不快だ、憎悪ぞうおを覚えずにはおられないのであると院は思召したが、さりげなくしておいでになった。
  Mada Kamdatime nado mo tudohi tamaha nu hodo nari keri. Rei no kedikaki mi-su no uti ni ire tamahi te, Moya no mi-su orosi te ohasimasu. Geni, ito itaku yase-yase ni awomi te, rei mo hokorika ni hanayagi taru kata ha, otouto no Kimi-tati ni ha mote-keta re te, ito youi ari gaho ni sidume taru sama zo koto naru wo, itodo sidume te saburahi tamahu sama, "Nadokaha Miko-tati no ohom-katahara ni sasi-narabe tara m ni, sarani toga aru maziki wo, tada koto no sama no, tare mo tare mo ito omohi-yari naki koso, ito tumi yurusi gatakere." nado, ohom-me tomare do, sarigenaku, ito natukasiku,
11.6.2  「 そのこととなくて、対面もいと久しくなりにけり。月ごろは、いろいろの病者を見あつかひ、心の暇なきほどに、院の御賀のため、ここにものしたまふ皇女の、 法事仕うまつりたまふべくありしを、次々とどこほることしげくて、かく年もせめつれば、え思ひのごとくしあへで、型のごとくなむ、斎の御鉢参るべきを、御賀などいへば、ことことしきやうなれど、家に生ひ出づる童べの数多くなりにけるを御覧ぜさせむとて、舞など習はしはじめし、そのことをだに果たさむとて。拍子調へむこと、また誰にかはと思ひめぐらしかねてなむ、月ごろ訪ぶらひものしたまはぬ恨みも捨ててける」
 「特別の用件もなくて、お会いすることも久し振りになってしまった。ここいく月は、あちこちの病人を看病して、気持ちの余裕もなかった間に、院の御賀のために、こちらにいらっしゃる内親王が、御法事をして差し上げなさる予定になっていたが、次々と支障が続出して、このように年もおし迫ったので、思うとおりにもできず、型通りに精進料理を差し上げる予定だが、御賀などと言うと、仰々しいようだが、わが家に生まれた子供たちの数が多くなったのを御覧に入れようと、舞などを習わせ始めたが、その事だけでも予定どおり執り行おうと思って。調子をきちんと合わせることは、誰にお願いできようかと思案に窮していたが、いく月もお顔を見せにならなかった恨みも捨てました」
 「機会がなくてあなたにも長くいませんでしたね。長く病人の介抱をしていて何の余裕もなくてね、前からここへ来ておいでになる宮が、院の賀に法事をして差し上げたいと言っておられたのが、いろいろな故障で滞っていてね、今年も暮れになったので、これ以上延ばすこともできず、以前に計画したとおりのことはととのわないが、形だけでも精進のお祝いぜんを差し上げる運びになって、賀宴などというとたいそうだが、親戚しんせきの子供たちの数がたくさんにもなっているのだから、それだけでも御覧に入れようと思って舞の稽古けいこなどをさせ始めたものだから、せめてそれだけでもうまくゆくようにと思って、拍子が合うか試してみるのですが、指導をしていただくのに、だれがよいかともよく考える間がなくてあなたに御面倒を見てもらうのがよいときめて、長くおいでもなかったお恨みも捨てたわけですよ」
  "Sono koto to naku te, taimen mo ito hisasiku nari ni keri. Tuki-goro ha, iro-iro no byauzya wo mi atukahi, kokoro no itoma naki hodo ni, Win no ohom-ga no tame, koko ni monosi tamahu Miko no, hohuzi tukau-maturi tamahu beku ari si wo, tugi-tugi todokohoru koto sigeku te, kaku tosi mo seme ture ba, e omohi no gotoku si-ahe de, kata no gotoku nam, imohi no mi-hati mawiru beki wo, ohom-ga nado ihe ba, koto-kotosiki yau nare do, ihe ni ohi-iduru warahabe no kazu ohoku nari ni keru wo go-ran-ze sase m tote. Mahi nado narahasi hazime si, sono koto wo dani hatasa m tote. Hausi totonohe m koto, mata tare ni ka ha to omohi-megurasi-kane te nam, tuki-goro toburahi monosi tamaha nu urami mo sute te keru."
11.6.3  とのたまふ御けしきの、うらなきやうなるものから、 いといと恥づかしきに、顔の色違ふらむとおぼえて、御いらへもとみに聞こえず。
 とおっしゃるご様子が、何のこだわりないような一方で、とてもとても顔も上げられない思いに、顔色も変わるような気がして、お返事もすぐには申し上げられない。
 とお言いになる院の御様子に、昔と変わった所もないのであるが、衛門督は羞恥しゅうちを感じて自身ながらも顔色が変わっている気がして、急にお返辞ができないのであった。
  to notamahu mi-kesiki no, uranaki yau naru monokara, ito ito hadukasiki ni, kaho no iro tagahu ram to oboye te, ohom-irahe mo tomi ni kikoye zu.
注釈896例の気近き御簾の内に入れたまひて母屋の御簾下ろしておはします前者の「御簾」は簀子と廂の間とを仕切る御簾、後者の「御簾」は廂の間と母屋を仕切る御簾である。柏木は廂の間、源氏は母屋の御簾の中にいる。光の関係で、柏木の表情は源氏から見えるが、母屋の中の源氏の表情は柏木から見えない。11.6.1
注釈897げにいといたく痩せ痩せに青みて以下、源氏の目に映った柏木の姿。源氏の目と地の文とが融合した叙述。11.6.1
注釈898いと用意あり顔にしづめたるさまぞことなるを『集成』は「いかにもたしなみありげに、もの静かに振舞うところが、人にすぐれて目立つのだが」。『完訳』は「じっさいたしなみも深そうに落ち着いているところが余人とちがうのであるが」と訳す。11.6.1
注釈899などかは皇女たちの御かたはらに以下「いと罪許しがたけれ」まで、源氏の心中。『集成』は「柏木は現に女二の宮を正室としているが、源氏の念頭には女三の宮のことがある」と注す。11.6.1
注釈900ただことのさまの密通事件をさす。11.6.1
注釈901いと罪許しがたけれ『集成』は「柏木が自分の恩顧を忘れて正室を犯し、女三の宮も源氏の配慮を考慮しない点を、許しがたく思う」。『完訳』は「宮も柏木も自分(源氏)を無視した。その無分別を「罪」とする」と注す。11.6.1
注釈902そのこととなくて以下「恨みも捨ててける」まで、源氏の詞。11.6.2
注釈903法事仕うまつりたまふべくありしを出家者である朱雀院の五十賀が仏事で催されるので「法事」という。11.6.2
注釈904いといと恥づかしきに主語は柏木。11.6.3
11.7
第七段 柏木と御賀について打ち合わせる


11-7  Genji asks Kashiwagi for an advice about the celebrstion

11.7.1  「 月ごろ、かたがたに思し悩む御こと、承り嘆きはべりながら、春のころほひより、例も患ひはべる乱り脚病といふもの、所狭く起こり患ひはべりて、はかばかしく踏み立つることもはべらず、月ごろに添へて沈みはべりてなむ、内裏などにも参らず、世の中跡絶えたるやうにて籠もりはべる。
 「ここいく月、あちらの方こちらの方のご病気にご心配でいらっしゃったお噂を、お聞きいたしてお案じ申し上げておりましたが、春ごろから、普段も病んでおりました脚気という病気が、ひどくなって苦しみまして、ちゃんと立ち歩くこともできませんで、月日が経つにつれて臥せっておりまして、内裏などにも参内せず、世間とすっかり没交渉になったようにして家に籠もっておりました。
 「長らく奥様がたが御病気をしておいでになりますことを承っておりまして、御心配を申し上げながら、前からございました脚気かっけがしきりに出てまいりまして、歩行が困難でございましたために御所へ上がることができませんで、すっかり世の中から隔離されましたような寂しい生活をいたしておりました。
  "Tuki-goro, kata-gata ni obosi-nayamu ohom-koto, uketamahri nageki haberi nagara, haru no korohohi yori, rei mo wadurahi haberu midari kyakubyau to ihu mono, tokoro-seku okori wadurahi haberi te, haka-bakasiku humi taturu koto mo habera zu, tuki-goro ni sohe te sidumi haberi te nam, Uti nado ni mo mawira zu, yononaka ato taye taru yau ni te komori haberu.
11.7.2   院の御齢足りたまふ年なり、人よりさだかに数へたてまつり仕うまつるべきよし、致仕の大臣思ひ及び 申されしを、『 冠を掛け、車を惜しまず捨ててし身にて 、進み仕うまつらむに、つくところなし。げに、 下臈なりとも、同じごと深きところはべらむ。その心御覧ぜられよ』と、催し 申さるることのはべしかば、重き病を相助けてなむ、参りてはべし。
 院のお年がちょうどにおなりあそばす年であり、誰よりも人一倍しっかりしたお祝いをして差し上げるよう、致仕の大臣も思って申されましたが、『冠を挂け、車を惜しまず捨てて官職を退いた身で、進み出てお祝い申し上げるようなのも身の置き所がない。なるほど、そなたは身分が低いと言っても、自分と同じように深い気持ちは持っていよう。その気持ちを御覧に入れなさい』と、催促申されることがございましたので、重病をあれこれ押して、参上いたしました。
 院がおめでたい年に達せられますので、年来の御交誼こうぎに対してまずお祝いを申し上げなければと父が申しておりましたが、関白を拝辞しました自分が表だって出ることよりも、地位は低くとも中納言の私が主催するのが妥当であると父は考えるようになりまして、私の誠意をお目にかくべきだと勧められましたものですから、病体をおしてあちらへはお伺いいたしたのでございます。
  Win no ohom-yohahi tari tamahu tosi nari, hito yori sadaka ni kazohe tatematuri tukau-maturu beki yosi, Tizi-no-Otodo omohi oyobi mausa re si wo, "Kauburi wo kake, kuruma wo wosima zu sute te si mi ni te, susumi tukau-matura m ni, tuku tokoro nasi. Geni, gerahu nari tomo, onazi goto hukaki tokoro habera m. Sono kokoro go-ran-ze rare yo." to, moyohosi mausa ruru koto no habe' sika ba, omoki yamahi wo ahi-tasuke te nam, mawiri te habe' si.
11.7.3   今は、いよいよいとかすかなるさまに思し澄まして、いかめしき御よそひを待ちうけたてまつりたまはむこと、願はしくも思すまじく見たてまつりはべしを、事どもをば削がせたまひて、 静かなる御物語の深き御願ひ叶はせたまはむなむ、まさりてはべるべき」
 このごろは、ますますひっそりとしたご様子で俗世間のことはお考えにならずお過ごしあそばしていらっしゃいまして、盛大なお祝いの儀式をお待ち受け申されることは、お望みではありますまいと拝察いたしましたが、諸事簡略にあそばして、静かなお話し合いを心からお望みであるのを叶えて差し上げるのが、上策かと存じられます」
 いよいよお寂しい静かな御生活のように拝見いたしましたあちらの御様子では、はなやかな賀宴をお持ち込みあそばすようなことは恐縮なされるだけではないかと拝察されまして、こちら様の御質素な御計画はかえって御満足になることかと存ぜられます」
  Ima ha, iyo-iyo ito kasuka naru sama ni obosi-sumasi te, ikamesiki ohom-yosohi wo mati-uke tatematuri tamaha m koto, negahasiku mo obosu maziku mi tatematuri habe' si wo, koto-domo wo ba soga se tamahi te, siduka naru ohom-monogatari no hukaki ohom-negahi kanaha se tamaha m nam, masari te haberu beki."
11.7.4  と申したまへば、 いかめしく聞きし御賀の事を、女二の宮の御方ざまには言ひなさぬも、労ありと思す。
 とお申し上げなさったので、盛大であったと聞いた御賀の事を、女二の宮の事とは言わないのは、大したものだとお思いになる。
 と衛門督えもんのかみが申すと、華奢かしゃを尽くしてお目にかけたという前日の賀宴を女二の宮の関係でしたとは言わずに、父のためにしたと話すのに心の鍛錬のできていることがうかがわれると院は思召された。
  to mausi tamahe ba, ikamesiku kiki si ohom-ga no koto wo, Womna-Ni-no-Miya no ohom-kata zama ni ha ihi-nasa nu mo, rau ari to obosu.
11.7.5  「 ただかくなむ。こと削ぎたるさまに世人は浅く見るべきを、さはいへど、心得てものせらるるに、 さればよとなむ、いとど思ひなられはべる。大将は、公方は、やうやう大人ぶめれど、かうやうに情けびたる方は、もとよりしまぬにやあらむ。
 「ただこのとおりだ。簡略な様子に世間の人は浅薄に思うに違いないが、さすがに、よく分かってくれるので、思ったとおりで良かったと、ますます安心して来ました。大将は、朝廷の方では、だんだん一人前になって来たようだが、このように風流な方面は、もともと性に合わないのであろうか。
 「私の所でやらせていただくことはこのとおりに簡単なことであるのを見て、一概に悪く言う人もあるであろうと思っていたが、理解のあるお言葉を聞いて、さすがにとあなたにはいよいよ敬意が払われる。大将は役人としては少しは経験ができたようでも、そうした繊細な観察をすることなどは、得意でもないだろうがいっこうだめですよ。
  "Tada kaku nam. Koto-sogi taru sama ni yo-hito ha asaku miru beki wo, sa ha ihe do, kokoro-e te monose raruru ni, sare ba yo to nam, itodo omohi nara re haberu. Daisyau ha, ohoyake-gata ha, yau-yau otonabu mere do, kauyau ni nasakebi taru kata ha, moto yori sima nu ni ya ara m?
11.7.6  かの院、何事も心及びたまはぬことは、をさをさなきうちにも、楽の方のことは御心とどめて、いとかしこく知り調へたまへるを、 さこそ思し捨てたるやうなれ、静かに聞こしめし澄まさむこと、今しもなむ心づかひせらるべき。かの大将ともろともに見入れて、舞の童べの用意、心ばへ、よく加へたまへ。物の師などいふものは、ただわが立てたることこそあれ、いと口惜しきものなり」
 あちらの院は、どのような事でもお心得のないことは、ほとんどない中でも、音楽の方面には御熱心で、まことに御立派に精通していらっしゃるから、そのように世をお捨てになっているようだが、静かにお心を澄まして音楽をお聞きになることは、このような時にこそ気づかいすべきでしょう。あの大将と一緒に面倒を見て、舞の子供たちの心構えや、嗜みをよく教えてやって下さい。音楽の師匠などというものは、ただ自分の専門についてはともかくも、他はまったくどうしようもないものです」
 法皇はあらゆる芸術に通じておいでになるが、その中でも最も音楽の御造詣ぞうけいが深いから、それらに遠ざかっておいでになる御出家後といえども院が御覧になるのだと思うと晴れがましいのですよ。あの大将といっしょに、舞い手になる子供へ、心得べきことをよく注意しておいてくれたまえ。専門家の師匠というものは自身の芸には偉くても融通のきかないものだから」
  Kano Win, nani-goto mo kokoro oyobi tamaha nu koto ha, wosa-wosa naki uti ni mo, gaku no koto ha mi-kokoro todome te, ito kasikoku siri totonohe tamahe ru wo, sa koso obosi sute taru yau nare, siduka ni kikosimesi sumasa m koto, ima simo nam kokoro-dukahi se raru beki. Kano Daisyau to morotomoni mi-ire te, mahi no warahabe no youi, kokorobahe, yoku kuhahe tamahe. Mono-no-si nado ihu mono ha, tada waga tate taru koto koso are, ito kutiwosiki mono nari."
11.7.7  など、 いとなつかしくのたまひつくるを、うれしきものから、苦しくつつましくて、言少なにて、この御前をとく立ちなむと思へば、例のやうにこまやかにもあらで、やうやうすべり出でぬ。
 などと、たいそうやさしくお頼みになるので、嬉しく思う一方で、辛く身の縮む思いがして、口数少なくこの御前を早く去りたいと思うので、いつものようにこまごまと申し上げず、やっとの思いで下がりになった。
 などとお命じになるなつかしい味のある院の御様子をうれしく拝しながらもまた衛門督は恥ずかしく、きまり悪く思われて、言葉少なにしていて少しも早く御前を立って行きたいと願われる心から、以前のように細かい話しぶりは見せずにいるうち、ようやく願いどおりにここを去るによい時を見つけた。
  nado, ito natukasiku notamahi tukuru wo, uresiki mono kara, kurusiku tutumasiku te, koto-sukuna ni te, kono o-mahe wo toku tati nam to omohe ba, rei no yau ni komayaka ni mo ara de, yau-yau suberi-ide nu.
11.7.8   東の御殿にて、大将のつくろひ出だしたまふ楽人、舞人の装束のことなど、またまた行なひ加へたまふ。あるべき限りいみじく 尽くしたまへるに、いとど詳しき心しらひ添ふも、 げにこの道は、いと深き人にぞものしたまふめる
 東の御殿で、大将が用意なさった楽人、舞人の装束のことなどを、さらに重ねて指図をお加えになる。できるかぎり立派になさっていた上に、ますます細やかな心づかいが加わるのも、なるほどこの道には、まことに深い人でいらっしゃるようである。
 東北の御殿で大将がかかりになって十分に用意してあった舞い手と楽人の衣装などが、また衛門督の意見によって加えられるものもできた、その道には深く通じている衛門督であったから。
  Himgasi no o-todo nite, Daisyau no tukurohi-idasi tamahu gaku-nin, mahi-bito no syauzoku no koto nado, mata mata okonahi kuhahe tamahu. Aru beki kagiri imiziku tukusi tamahe ru ni, itodo kuhasiki kokoro-sirahi sohu mo, geni kono miti ha, ito hukaki hito ni zo monosi tamahu meru.
注釈905月ごろかたがた以下「まさりてはべるべき」まで、柏木の返事。11.7.1
注釈906院の御齢足りたまふ年なり朱雀院のお年齢がちょうど五十にお達しになる年である、の意。11.7.2
注釈907申されしを「申す」は「言ふ」の謙譲語。「れ」尊敬の助動詞。「し」過去の助動詞、連体形。父の致仕大臣が自分(柏木)に申されたという敬語表現。11.7.2
注釈908冠を掛け車を惜しまず捨ててし身にて明融臨模本、合点あり、『奥入』に「掛冠」と「懸車」の故事を『蒙求』から引用する。以下「御覧ぜられよ」まで、致仕大臣の言葉を引用。11.7.2
注釈909下臈なりとも柏木をさす。11.7.2
注釈910申さるることの前の「申されし」と同じ語法。『集成』は「相手の源氏に斟酌しての言葉遣い」と注す。11.7.2
注釈911今はいよいよいとかすかなるさまに思し澄まして朱雀院の出家生活をいう。11.7.3
注釈912静かなる御物語の深き御願ひ朱雀院と女三の宮との親子の親密な語らいを願っている院の希望をいう。11.7.3
注釈913いかめしく聞きし御賀の事を女二の宮主催、致仕大臣後援の朱雀院五十賀をさす。11.7.4
注釈914ただかくなむ以下「いと口惜しきものなり」まで、源氏の詞。11.7.5
注釈915さればよとやはりこれでよかった、の意。11.7.5
注釈916さこそ思し捨てたるやうなれ柏木の詞を受ける。朱雀院の出家生活をさしていう。11.7.6
注釈917いとなつかしくのたまひつくるを『完訳』は「源氏の親しい言葉づかいが、かえって無気味さを感じさせる」と注す。11.7.7
注釈918東の御殿にて六条院丑寅の町。花散里の御殿。11.7.8
注釈919尽くしたまへるに接続助詞「に」添加の意。『完訳』は「夕霧が念入りに整えていたうえに、柏木が細かな趣向を加える」と注す。11.7.8
注釈920げにこの道はいと深き人にぞものしたまふめる『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。語り手の納得の言辞。副詞「げに」。推量の助動詞「めり」主観的推量のニュアンス。11.7.8
出典31 冠を掛け 逢萌字子康 北海都昌人也 (中略) 即解冠挂東都城門 帰 将家属浮海 客於遼東 後漢書-逢萌伝 11.7.2
出典32 車を惜しまず捨て 七十老致仕 懸其所仕之車 置諸廟永使子孫監 而則焉立身之終 古文孝経 11.7.2
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年8月14日

Last updated 9/30/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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