34 若菜上(明融臨模本)


WAKANA-NO-ZYAU


光る源氏の准太上天皇時代
三十九歳暮から四十一歳三月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from the end of 39 to March the age of 41

8
第八章 紫の上の物語 紫の上の境遇と絶望感


8  Tale of Murasaki  Murasaki's solitary and unhappy life

8.1
第一段 明石姫君、懐妊して退出


8-1  Akasi-Hime comes back to her parental home because of pregnancy

8.1.1   桐壷の御方はうちはへえまかでたまはず。御暇のありがたければ、心安くならひたまへる若き御心に、いと苦しくのみ思したり。
 桐壷の御方は、ずっと長いこと退出なさっていない。御暇が出そうにもないので、今までお気楽に過ごして来られたお若い年頃の方ゆえ、とても辛くばかり思っていらっしゃった。
 東宮へ上がっておいでになる桐壺きりつぼの方は退出を長く東宮がお許しにならぬので、姫君時代の自由が恋しく思われる若い心にはこれを苦しくばかり思うのであった。
  Kiritubo-no-Ohomkata ha, uti-hahe e makade tamaha zu. Ohom-itoma no arigatakere ba, kokoro-yasuku narahi tamahe ru wakaki mi-kokoro ni, ito kurusiku nomi obosi tari.
8.1.2   夏ごろ、悩ましくしたまふを、とみにも許しきこえたまはねば、いとわりなしと思す。 めづらしきさまの御心地にぞありけるまだいとあえかなる御ほどに、いとゆゆしくぞ、 誰れも誰れも思すらむかし。からうしてまかでたまへり。
 夏のころ、ご気分がすぐれなくいらっしゃったのを、すぐにもお許し申し上げなさらないので、とても困ったこことお思いになる。ご懐妊のご様子だったのである。まだとても若すぎるご様子なので、たいそう恐ろしいことと、どなたもどなたもお思いのようである。やっとのことでご退出なさった。
 夏ごろになっては健康もすぐれなくなったのであるが、なおも帰るお許しがないので困っていた。これは妊娠であったのである。まだ十四、五の小さい人であったから、この徴候を見てだれもだれも危険がった。やっとのことでお許しが下がって帰邸することになった。
  Natu-goro, nayamasiku si tamahu wo, tomi ni mo yurusi kikoye tamaha ne ba, ito warinasi to obosu. Medurasiki sama no mi-kokoti ni zo ari keru. Mada ito ayeka naru ohom-hodo ni, ito yuyusiku zo, tare mo tare mo obosu ram kasi. Karausite makade tamahe ri.
8.1.3   姫宮のおはします御殿の東面に、御方はしつらひたり。明石の御方、今は御身に添ひて、出で入りたまふも、あらまほしき御宿世なりかし。
 姫宮がいらっしゃる寝殿の東側に、お部屋は設営してある。明石の御方、今は女御の御方に付き添って、参内し退出なさるのも、申し分ないご運勢である。
 女三の宮のおいでになる寝殿の東側になった座敷のほうに桐壺の方の一時の住居すまいが設けられたのである。明石あかし夫人も共に六条院へ帰った。光る未来のある桐壺の方の身に添って進退する実母夫人は幸運に恵まれた人と見えた。
  Hime-Miya no ohasimasu otodo no himgasi-omote ni, ohom-kata ha siturahi tari. Akasi-no-Ohomkata, ima ha ohom-mi ni sohi te, ide-iri tamahu mo, aramahosiki ohom-sukuse nari kasi.
注釈514桐壷の御方は明石女御。源氏の母、桐壺更衣と同じ殿舎を局とした。ただし、東宮は淑景舎(桐壺)の隣の梨壷にいたので、最も近い殿舎である。8.1.1
注釈515うちはへえまかでたまはず昨年の夏四月に入内。以来、ずっと里下がりできないでいた。8.1.1
注釈516夏ごろ、悩ましくしたまふを夏ころ、明石女御、懐妊の兆候が現れる。季節と物語の類同的発想。8.1.2
注釈517めづらしきさまの御心地にぞありける懐妊のことをいう。8.1.2
注釈518まだいとあえかなる御ほどに明石の女御、数え年十二歳。8.1.2
注釈519誰れも誰れも思すらむかし東宮や源氏などをさす。8.1.2
注釈520姫宮のおはします御殿の東面に御方はしつらひたり六条院の春の御殿の寝殿の西面には女三の宮が住み、東面に明石女御の部屋が用意されている。8.1.3
8.2
第二段 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る


8-2  Murasaki tells Genji that she wants to greet Sam-no-Miya

8.2.1   対の上、こなたに渡りて 対面したまふついでに、
 対の上が、こちらにおいでになって、お会いなさるついでに、
 紫夫人はそちらへ行って桐壺の方に逢おうとして、
  Tai-no-Uhe, konata ni watari te taimen si tamahu tuide ni,
8.2.2  「 姫宮にも、中の戸開けて聞こえむ。かねてよりもさやうに思ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる折に 聞こえ馴れなば 、心安くなむあるべき」
 「姫宮にも、中の戸を開けてご挨拶申し上げましょう。前々からそのように思っていましたが、機会がなくては遠慮されますが、このような機会にご挨拶申し上げ、お近づきになれましたら、気が楽になるでしょう」
 「このついでに中の戸を通りまして姫宮へ御挨拶あいさつをいたしましょう。前からそう思っていたのですが機会がなかったのですもの。わざわざ伺うのもきまりが悪かったのですが、こんな時だと自然なことに見えていいと思います」
  "Hime-Miya ni mo, naka-no-to ake te kikoye m. Kanete yori mo sayau ni omohi sika do, tuide naki ni ha tutumasiki wo, kakaru wori ni kikoye nare na ba, kokoro-yasuku nam aru beki."
8.2.3  と、大殿に聞こえたまへば、うち笑みて、
 と、大殿に申し上げると、ほほ笑んで、
 と院へ御相談をした。院は微笑をされながら、
  to, Otodo ni kikoye tamahe ba, uti-wemi te,
8.2.4  「 思ふやうなるべき御語らひにこそはあなれ。いと幼げにものしたまふめるを、うしろやすく教へなしたまへかし」
 「それは望みどおりのお付き合いというものだ。とても子供子供していらっしゃるようだから、心配のないようにお教え上げてください」
 「結構ですよ。まだ子供なのですから、よくいろんなことを教えておあげなさい」
  "Omohu yau naru beki ohom-katarahi ni koso ha a' nare. Ito wosanage ni monosi tamahu meru wo, usiroyasuku wosihe nasi tamahe kasi."
8.2.5  と、許しきこえたまふ。宮よりも、明石の君の恥づかしげにて交じらむを思せば、御髪すましひきつくろひておはする、 たぐひあらじと見えたまへり
 と、お許し申し上げなさる。姫宮よりも、明石の君が気の張る様子で控えているだろうことをお思いになると、御髪を洗い身づくろいしていらっしゃる、世にまたとあるまいとお見えになった。
 と御同意をあそばされた。宮様よりも明石夫人という聡明そうめいな女に逢うことで夫人は晴れがましく思い、髪も洗い、よそおいに念を入れた女王の美はこれに準じてよい人もないであろうと思われた。
  to, yurusi kikoye tamahu. Miya yori mo, Akasi-no-Kimi no hadukasige ni te mazira m wo obose ba, mi-gusi sumasi hiki-tukurohi te ohasuru, taguhi ara zi to miye tamahe ri.
8.2.6  大殿は、宮の御方に渡りたまひて、
 大殿は、宮の御方においでになって、
 院は宮のほうへおいでになって、
  Otodo ha, Miya no ohom-kata ni watari tamahi te,
8.2.7  「 夕方、かの対にはべる人の、淑景舎に対面せむとて出で立つ。そのついでに、近づききこえさせまほしげにものすめるを、許して語らひたまへ。心などはいとよき人なり。まだ若々しくて、御遊びがたきにもつきなからずなむ」
 「夕方、あちらの対にいます人が、淑景舎の御方にお目にかかろう出て参ります。その機会に、お近づき申し上げたいように申しておりますようなので、お許しになって会ってください。気立てなどはとてもよい方です。まだ若々しくて、お遊び相手として不似合いでなく思われます」
 「今日の夕方対のほうにいる人が淑景舎しげいしゃたずねに来るついでにここへも来て、あなたと御交際の道を開きたいように言っていましたから、お許しになって話してごらんなさい。善良な性質の人ですよ。まだ若々しくてあなたの遊び相手もできそうですよ」
  "Yuhukata, kano tai ni haberu hito no, Sigeisha ni taimen se m tote ide-tatu. Sono tuide ni, tikaduki kikoye sase mahosige ni monosu meru wo, yurusi te katarahi tamahe. Kokoro nado ha ito yoki hito nari. Mada waka-wakasiku te, ohom-asobi-gataki ni mo tuki nakara zu na m."
8.2.8  など、聞こえたまふ。
 などと、申し上げなさる。
 とお語りになった。
  nado, kikoye tamahu.
8.2.9  「 恥づかしうこそはあらめ。何ごとをか聞こえむ
 「さぞきまりの悪いことでしょうね。何をお話し申し上げたらよいのでしょう」
 「恥ずかしいでしょうね。どんなお話をすればいいのでしょうね」
  "Hadukasiu koso ha ara me. Nani-goto wo ka kikoye m?"
8.2.10  と、おいらかにのたまふ。
 と、おっとりとおっしゃる。
 とおおように宮は言っておられる。
  to, oyiraka ni notamahu.
8.2.11  「 人のいらへは、ことにしたがひてこそは思し出でめ。隔て置きてなもてなしたまひそ」
 「お返事は、あちらの言うことに応じて考えつかれるのがよいでしょう。他人行儀なおあしらいはなさいますな」
 「人にする返辞は先方の話次第で出てくるものです。ただ好意を持ってお逢いにならないではいけませんよ」
  "Hito no irahe ha, koto ni sitagahi te koso ha obosi-ide me. Hedate oki te na motenasi tamahi so."
8.2.12  と、こまかに教へきこえたまふ。「 御仲うるはしくて過ぐしたまへ」と思す。
 と、こまごまとお教え申し上げなさる。「二人が仲好くきちんとお暮らしになって欲しい」とお思いになる。
 院はこまごまと御注意をされた。院は御両妻の間が平和であるように祈っておいでになるのである。
  to, komaka ni wosihe kikoye tamahu. "Ohom-naka uruhasiku te sugusi tamahe." to obosu.
8.2.13   あまりに何心もなき御ありさまを見あらはされむも、恥づかしくあぢきなけれど、さのたまはむを、「心隔てむもあいなし」と、思すなりけり。
 あまりに無邪気なご様子を見られてしまっても、きまり悪く面白くないが、あのようにおっしゃるお気持ちを、「止めだてするのも感心しない」と、お思いになるのであった。
 あまりにたあいのない子供らしさを紫の女王に発見されることは、御自身としても恥ずかしいことにお思いになるのであるが、夫人が望んでいることをとめるのもよろしくないとお考えになったのである。
  Amari ni nani-gokoro mo naki ohom-arisama wo mi arahasa re m mo, hadukasiku adikinakere do, sa notamaha m wo, "Kokoro hedate m mo ainasi." to, obosu nari keri.
注釈521対の上こなたに渡りて紫の上、寝殿の東面に来ている明石女御に対面する折に、西面の女三の宮にも対面し挨拶することを、源氏に申し出る。8.2.1
注釈522姫宮にも中の戸開けて以下「心安くなむあるべき」まで、紫の上の詞。「中の戸」は寝殿を東西に仕切る襖障子。「野分」巻には「内の御障子」とあった。8.2.2
注釈523聞こえ馴れなば『集成』は「お親しくして頂けましたら」。『完訳』は「お近づき願えましたら」と訳す。8.2.2
注釈524思ふやうなるべき御語らひにこそは以下「教へなしたまへかし」まで、源氏の返事。紫の上の申し出を結構なことだと許し、女三の宮の後見、教育を依頼する。8.2.4
注釈525たぐひあらじと見えたまへり語り手がその場に居て見ていたような臨場感ある表現。8.2.5
注釈526夕方かの対に以下「つきなからずなむ」まで、源氏の女三の宮に対する詞。8.2.7
注釈527恥づかしうこそはあらめ何ごとをか聞こえむ女三の宮の詞。自分の気持ちと何を話したらよいか、源氏に尋ねる。『集成』は「気の張ることでしょうね。どんなことをお話し申しましょう」。『完訳』は「さぞきまりのわるうございましょう。どんなことを申しあげたものでしょう」と訳す。8.2.9
注釈528人のいらへは以下「なもてなしたまひそ」まで、源氏の返事。8.2.11
注釈529御仲うるはしくて過ぐしたまへ源氏の心中。『集成』は「お二人が仲良く、義理をわきまえてお暮しなさるように」。『完訳』は「「うるはし」は妻妾間のきちんとした秩序」「お二人が仲よくお暮しになってほしい」また「以下、語り手の説明的な文章」と注す。8.2.12
注釈530あまりに何心もなき御ありさまを以下、源氏の心中を間接的に地の文に織り込んで語る。8.2.13
校訂115 対の上 対の上--たいのうへに(に/$) 8.2.1
校訂116 聞こえ馴れ 聞こえ馴れ--きこえは(は/$)なれ 8.2.2
8.3
第三段 紫の上の手習い歌


8-3  The written waka by Murasaki in her heart

8.3.1  対には、かく出で立ちなどしたまふものから、
 対の上におかれては、このようにご挨拶にお出向きなさるものの、
 紫の女王は内親王である良人おっとの一人の妻の所へ伺候することになった
  Tai ni ha, kaku ide-tati nado si tamahu monokara,
8.3.2  「 我より上の人やはあるべき。身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ
 「自分より上の人があるだろうか。わが身の頼りない身の上を、見出され申しただけのことなのだわ」
 自分をあわれんだ。二十年同棲どうせいした自分より上の夫人は六条院にあってはならないのであるが、少女時代から養われて来たために、自分は軽侮してよいものと見られて、良人は高貴な新妻をお迎えしたものであろう
  "Ware yori kami no hito ya ha aru beki? Mi no hodo naru mono-hakanaki sama wo, miye-oki tatematuri taru bakari koso ara me."
8.3.3  など、思ひ続けられて、うち眺めたまふ。手習などするにも、 おのづから古言も、もの思はしき筋にのみ書かるるを、「 さらば、わが身には思ふことありけり」と、身ながらぞ思し知らるる。
 などと、つい思い続けずにはいらっしゃれなくて、物思いに沈んでいらっしゃる。手習いなどをするにも、自然と古歌も、物思いの歌だけが筆先に出てくるので、「それでは、わたしには思い悩むことがあったのだわ」と、自分ながら気づかされる。
 と思うと寂しかった。手習いに字を書く時も、棄婦の歌、閨怨けいえんの歌が多く筆に上ることによって、自分はこうした物思いをしているのかとみずから驚く女王であった。
  nado, omohi-tuduke rare te, uti-nagame tamahu. Tenarahi nado suru ni mo, onodukara hurukoto mo, mono omohasiki sudi ni nomi kaka ruru wo, "Saraba, waga mi ni ha omohu koto ari keri." to, mi nagara zo obosi-sira ruru.
8.3.4  院、渡りたまひて、宮、女御の君などの 御さまどもを、「 うつくしうもおはするかな」と、さまざま見たてまつりたまへる 御目うつしには、年ごろ目馴れたまへる人の、おぼろけならむが、いとかく おどろかるべきにもあらぬを、「なほ、たぐひなくこそは」と見たまふ。 ありがたきことなりかし
 院、お渡りになって、宮、女御の君などのご様子などを、「かわいらしくていらっしゃるものだ」と、それぞれを拝見なさったそのお目で御覧になると、長年連れ添っていらした人が、世間並の器量であったなら、とてもこうも驚くはずもないのに、「やはり、二人といない方だ」と御覧になる。世間にありそうもないお美しさである。
 院は自室のほうへお帰りになった。あちらで女三の宮、桐壺きりつぼの方などを御覧になって、それぞれ異なった美貌びぼうに目を楽しませておいでになったあとで、始終見れておいでになる夫人の美から受ける刺激は弱いはずで、それに比べてきわだつ感じをお受けになることもなかろうと思われるが、なお第一の嬋妍せんけんたる美人はこれであると院はこの時驚歎きょうたんしておいでになった。
  Win, watari tamahi te, Miya, Nyougo-no-Kimi nado no ohom-sama-domo wo, "Utukusiu mo ohasuru kana!" to, sama-zama mi tatematuri tamahe ru ohom-me-utusi ni ha, tosi-goro me-nare tamahe ru hito no, oboroke nara m ga, ito kaku odoroka ru beki ni mo ara nu wo, "Naho, taguhi naku koso ha!" to mi tamahu. Arigataki koto nari kasi.
8.3.5   あるべき限り、気高う恥づかしげにととのひたるに添ひて、はなやかに今めかしく、にほひなまめきたるさまざまの 香りも、取りあつめ、 めでたき盛りに見えたまふ去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、常に目馴れぬさまのしたまへるを、「 いかでかくしもありけむ」と思す。
 どこからどこまでも、気品高く立派に整っていらっしゃる上に、はなやかに現代風で、照り映えるような美しさと優雅さとを、何もかも兼ね備え、素晴らしい女盛りにお見えになる。去年より今年が素晴らしく、昨日よりは今日が目新しく、いつも新鮮なご様子でいらっしゃるのを、「どうしてこんなにも美しく生まれつかれたのか」とお思いになる。
 気高けだかさ、貴女きじょらしさが十分備わった上にはなやかで明るく愛嬌あいきょうがあって、えんな姿の盛りと見えた。去年より今年は美しく昨日より今日が珍しく見えて、飽くことも見てむことも知らぬ人であった。どうしてこんなに欠点なく生まれた人だろうかと院はお思いになった。
  Aru beki kagiri, ke-dakau hadukasige ni totonohi taru ni sohi te, hanayaka ni imamekasiku, nihohi namameki taru sama-zama no kawori mo, tori-atume, medetaki sakari ni miye tamahu. Kozo yori kotosi ha masari, kinohu yori kehu ha medurasiku, tune ni me-nare nu sama no si tamahe ru wo, "Ikade kaku simo ari kem?" to obosu.
8.3.6  うちとけたりつる御手習を、硯の下にさし入れたまへれど、見つけたまひて、引き返し見たまふ。手などの、いとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書きたまへり。
 気を許してお書きになった御手習いを、硯の下にさし隠しなさっていたが、見つけなさって、繰り返して御覧になる。筆跡などの、特別に上手とも見えないが、行き届いてかわいらしい感じにお書きになっていた。
 手習いに書いた紙を夫人がすずりの下へ隠したのを、院はお見つけになって引き出してお読みになった。字は専門家風に上手じょうずなのではなく、貴女らしい美しさを多く含んだものである。
  Utitoke tari turu ohom-tenarahi wo, suzuri no sita ni sasi-ire tamahe re do, mituke tamahi te, hiki-kahesi mi tamahu. Te nado no, ito wazato mo zyauzu to miye de, rau-rauziku utukusige ni kaki tamahe ri.
8.3.7  「 身に近く秋や来ぬらむ見るままに
 「身近に秋が来たのかしら、見ているうちに
  身に近く秋や来ぬらん見るままに
    "Mi ni tikaku aki ya ki nu ram miru mama ni
8.3.8    青葉の山も移ろひにけり
  青葉の山のあなたも心の色が変わってきたことです
  青葉の山もうつろひにけり
    awoba no yama mo uturohi ni keri
8.3.9  とある所に、目とどめたまひて、
 とある所に、目をお止めになって、
 と書かれてある所へ院のお目はとまった。
  to aru tokoro ni, me todome tamah ite,
8.3.10  「 水鳥の青羽は色も変はらぬを
 「水鳥の青い羽のわたしの心の色は変わらないのに
  水鳥の青羽は色も変はらぬを
    "Midutori no awoba ha iro mo kahara nu wo
8.3.11    萩の下こそけしきことなれ
  萩の下葉のあなたの様子は変わっています
  はぎの下こそけしきことなれ
    hagi no sita koso kesiki koto nare
8.3.12  など 書き添へつつすさびたまふ。ことに触れて、心苦しき御けしきの、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、ことなく消ちたまへるも、 ありがたくあはれに思さる
 などと書き加えながら手習いに心をやりなさる。何かにつけて、おいたわしいご様子が、自然に漏れて見えるのを、何でもないふうに隠していらっしゃるのも、またと得がたい殊勝な方だと思わずにはいらっしゃれない。
 など横へ書き添えておいでになった。何かの場合ごとに今日の夫人の懊悩おうのうする心の端は見えても、さりげなくおさえている心持ちに院は感謝しておいでになるのであった。
  nado kaki-sohe tutu susabi tamahu. Koto ni hure te, kokoro-gurusiki mi-kesiki no, sita ni ha onodukara mori tutu miyuru wo, koto naku keti tamahe ru mo, arigataku ahare ni obosa ru.
8.3.13  今宵は、いづ方にも御暇ありぬべければ、 かの忍び所に、いとわりなくて、出でたまひにけり。「 いとあるまじきこと」と、いみじく思し返すにも、かなはざりけり
 今夜は、どちらの方にも行かなくてよさそうなので、あの忍び所に、実にどうしようもなくて、お出かけになるのであった。「とんでもないけしからぬ事」と、ひどく自制なさるのだが、どうすることもできないのであった。
 今夜はどちらとも離れていてよい暇な時であったから、朧月夜おぼろづきよの君の二条邸へ院は微行でお出かけになった。あるまじいことであるとお思い返しになろうとしても、おさえきれぬ気持ちがあったのである。
  Koyohi ha, idu-kata ni mo ohom-itoma ari nu bekere ba, kano sinobi dokoro ni, ito warinaku te, ide tamahi ni keri. "Ito arumaziki koto." to, imiziku obosi-kahesu ni mo, kanaha zari keri.
注釈531我より上の人やはあるべき。身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたる ばかりこそあらめ紫の上の心中。『集成』は「六条の院における源氏の寵愛第一の人としての自負」。『完訳』は「紫の上の自ら宮に挨拶に出向く屈辱感が、かえって源氏最愛の女という自負心を強める」「家同士の正式な結婚の手続きを踏んでいないための負い目など、あえて捨象しようとする」と注す。
【見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ】−『集成』は「知られ申していただけのことなのだ」。『完訳』は「お世話いただいたということだけのことなのに」と訳す。
8.3.2
注釈532おのづから古言も、もの思はしき筋にのみ『完訳』は「自ら憂愁の身と意識すまいとしながらも、古歌の表現におのずとそれを意識させられる」と注す。8.3.3
注釈533さらばわが身には思ふことありけり紫の上の心中。手習いによって我が身と心のありようが認識させられる。8.3.3
注釈534うつくしうもおはするかな源氏の感想。女三の宮、十四、五歳。明石女御、十二歳。8.3.4
注釈535御目うつしには明石女御、女三の宮を見た目で紫の上を見ると、の意。8.3.4
注釈536ありがたきことなりかし『湖月抄』は「草子地也」と指摘。『全集』は「語り手が読者に共感を求める語り方」と注す。8.3.4
注釈537あるべき限り気高う以下「常に目馴れぬさましたまへる」まで、源氏の目を通して紫の上の美質を語る。8.3.5
注釈538めでたき盛りに見えたまふ紫の上、三十二歳。8.3.5
注釈539去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、常に目馴れぬさまのしたまへる「去年」「今年」、「昨日」「今日」、「まさる」「めづらし」という対句表現。「常に目馴れぬさましたまへる」という紫の上の身と心の美質のありよう。8.3.5
注釈540いかでかくしもありけむ源氏の紫の上に対する感想。8.3.5
注釈541身に近く秋や来ぬらむ見るままに青葉の山も移ろひにけり紫の上の手習い歌、独詠歌。「白露はうつしなりけり水鳥の青葉の山の色づくみれば」(古今六帖二、山、九二一、三原王)「紅葉する秋は来にけり水鳥の青葉の山の色づく見れば」(古今六帖三、水鳥、一四六八)。「秋」に「飽き」を懸ける。わたしは飽られたのでようか、の意。8.3.7
注釈542水鳥の青羽は色も変はらぬを萩の下こそけしきことなれ源氏の返歌。「秋萩の下葉色づく今よりやひとりある人の寝ねかてにする」(古今集秋上、二二〇、読人しらず)「白露は上より置くをいかなれば萩の下葉のまづもみづらむ」(拾遺集雑下、五一三、参議伊衡)。「水鳥の青羽」は源氏、「萩」は紫の上を喩える。「下葉」と内心の意を懸ける。引歌の「水鳥の青葉」を踏まえて冒頭に詠み込む。わたしは少しも変わっていないのに、あなたの方こそ変です、の意。8.3.10
注釈543書き添へつつすさびたまふ『集成』は「手習に興じなさる」。『完訳』は「手習に思いを委ねておいでになる」と訳す。8.3.12
注釈544ありがたくあはれに思さる主語は源氏。「る」自発の助動詞。8.3.12
注釈545かの忍び所にいとわりなくて出でたまひにけり朧月夜のもとへ行く。8.3.13
注釈546いとあるまじきことといみじく思し返すにもかなはざりけりこのあたり自制心では抑えきれない源氏の好色心、朧月夜への執心が語られている。『集成』は「いかにも不届きなことと、何度も反省なさるのだがどうすることもできないのであった」。『完訳』は「まことに不都合なふるまいと、きびしくご自制になるものの、それをどうすることもできないのであった」と訳す。8.3.13
出典29 青葉の山も移ろひ 白露はうつしなりけり水鳥の青葉の山の色づく見れば 古今六帖二-九二一 8.3.8
紅葉する秋は来にけり水鳥の青葉の山の色づく見れば 古今六帖三-一四六八
出典30 萩の下こそ 秋萩の下葉につけて目に近くよそなる人の心をぞ見る 拾遺集雑秋-一一一六 女 8.3.11
秋萩の下葉色づく今よりや一人ある人のいねがてにする 古今集秋上-二二〇 読人しらず
校訂117 ばかり ばかり--(/+はかり) 8.3.2
校訂118 御さま 御さま--おほさ(さ/$)むさむ(さむ/$)さま 8.3.4
校訂119 おどろかる おどろかる--おとろい(い/$)かる 8.3.4
校訂120 香り 香り--かは(は/$を)り 8.3.5
8.4
第四段 紫の上、女三の宮と対面


8-4  Murasaki meets to Sam-no-Miya

8.4.1   春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、思ひ隔てず、かなしと見たてまつりたまふ。
 東宮の御方は、実の母君よりも、この御方を親しいお方と思ってお頼り申し上げていらっしゃった。たいそうかわいらしげに一段と大人らしくおなりになったのを、実の子のように、いとしいとお思い申し上げなさる。
 東宮の淑景舎しげいしゃの方は実母よりも紫夫人を慕っていた。美しく成人した継娘ままむすめを女王は真実の親に変わらぬ心で愛した。
  Touguu-no-Ohomkata ha, ziti no Haha-Gimi yori mo, kono Ohom-kata wo ba mutumasiki mono ni tanomi kikoye tamahe ri. Ito utukusige ni otonabi masari tamahe ru wo, omohi hedate zu, kanasi to mi tatematuri tamahu.
8.4.2  御物語など、いとなつかしく聞こえ交はしたまひて、中の戸開けて、宮にも対面したまへり。
 お話などを、とてもうちとけてお互いに話し合われてから、中の戸を開けて、宮にもお会いになった。
 なつかしく語り合ったあとで中の戸をあけて、宮のお座敷へ行き、はじめて女三にょさんみやに御面会した。
  Ohom-monogatari nado, ito natukasiku kikoye kahasi tamahi te, naka-no-to ake te, Miya ni mo taimen si tamahe ri.
8.4.3   いと幼げにのみ見えたまへば、心安くて、おとなおとなしく親めきたるさまに、 昔の御筋をも尋ねきこえたまふ。中納言の乳母といふ召し出でて、
 ただもう子供っぽくばかりお見えになるので、気安く感じられて、年輩者らしく母親のような態度で、親たちのお血筋をお話し申し上げなさる。中納言の乳母という人を召し出して、
 ただ少女とお見えになるだけの宮様に女王は好感が持たれて、軽い気持ちにもなり年長の人らしく、保護者らしいふうにものを言って、宮の母君と自身の血の続きを語ろうとして、中納言の乳母めのとというのをそばへ呼んで言った。
  Ito wosanage ni nomi miye tamahe ba, kokoro-yasuku te, otona-otonasiku oya-meki taru sama ni, mukasi no ohom-sudi wo mo tadune kikoye tamahu. Tyuunagon-no-Menoto to ihu mesi-ide te,
8.4.4  「 同じかざしを尋ねきこゆれば 、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえ さすれど、ついでなくてはべりつるを、 今よりは疎からず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき」
 「同じ血筋の繋がりをお尋ね申し上げてゆくと、恐れ多いことですが、切っても切れない御縁とは拝し上げながら、その機会もなく失礼致しておりましたが、今からはお心おきなく、あちらの方にもおいでくださって、行き届かない点がありましたら、ご注意くださるなどしていただけましたら、嬉しゅうございましょう」
 「さかのぼって言いますとそうなのですね。私の父の宮とお母様は御兄弟なのです。ですからもったいないことですが親しく思召おぼしめしていただきたいと申し上げたかったのですが、機会がございませんでね。これからはお心安く思召して、私どもの住んでおりますほうへもお遊びにおいでくださいまして、気のつきませんことがございまして、御注意をいただけましたらうれしく存じます」
  "Onazi kazasi wo tadune kikoyure ba, katazikenakere do, waka nu sama ni kikoye sasure do, tuide naku te haberi turu wo, ima yori ha utokara zu, anata nado ni mo monosi tamahi te, okotara m koto ha, odorokasi nado mo monosi tamaha m nam, uresikaru beki."
8.4.5  などのたまへば、
 などとおっしゃると、
  中納言の乳母が、
  nado notamahe ba,
8.4.6  「 頼もしき御蔭どもに、さまざまに後れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける。 背きたまひにし上の御心向けも、 ただかくなむ御心隔てきこえたまはず、まだいはけなき御ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。うちうちにも、さなむ 頼みきこえさせたまひし
 「頼みとなさっていた方々に、それぞれお別れ申されて、心細そうでいらっしゃいますので、このようなお言葉を戴きますと、この上なくありがたく存じられます。御出家あそばされた院の上の御意向も、ただこのように他人扱いなさらずに、まだ子供っぽいご様子を、お育て申し上げて戴きたくございましたようでした。内々の話にも、そのようにお頼み申していらっしゃいました」
 「お母様にもお死に別れになりますし、院の陛下は御出家をあそばしますし、お一人ぼっちのお心細い宮様ですから、御親切なお言葉をいただきますことは、この上なく幸福に思召すかと存ぜられます。法皇様も宮様があなた様を御信頼あそばして御保護の願えますようにとの思召しがおありあそばすらしく存じ上げました。私どももそのお言葉を承ってまいったのでございます」
  "Tanomosiki mi-kage-domo ni, sama-zama ni okure kikoye tamahi te, kokoro-bosoge ni ohasimasu meru wo, kakaru ohom-yurusi no habe' mere ba, masu koto naku nam omou tamahe rare keru. Somuki tamahi ni si Uhe no mi-kokoro-muke mo, tada kaku nam mi-kokoro hedate kikoye tamaha zu, mada ihakenaki ohom-arisama wo mo, hagukumi tatematura se tamahu beku zo habe' meri si. Uti-uti ni mo, sa nam tanomi kikoye sase tamahi si."
8.4.7  など聞こゆ。
 などと申し上げる。
 などと言った。
  nado kikoyu.
8.4.8  「 いとかたじけなかりし御消息の後は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ なむ口惜しかりける」
 「まことに恐れ多いお手紙を頂戴してから後は、是非にお力になりたいとばかり存じておりましたが、何事につけても、人数に入らない我が身が残念に思われます」
 「もったいないお手紙をあちらからくださいました時から、どうかしてお力にならなければと心がけてはいるのでございますが、何と申しても私が賢くなくて」
  "Ito katazikenakari si ohom-seusoko no noti ha, ikade to nomi omohi habere do, nani-goto ni tuke te mo, kazu nara nu mi nam kutiwosikari keru."
8.4.9  と、安らかにおとなびたるけはひにて、宮にも、御心につきたまふべく、絵などのこと、雛の捨てがたきさま、若やかに聞こえたまへば、「 げに、いと若く心よげなる人かな」と、幼き御心地にはうちとけたまへり。
 と、穏やかに大人びた様子で、宮にも、お気に入りなさるように、絵などのこと、お人形遊びの楽しいことを、若々しく申し上げなさるので、「なるほど、ほんとうに若々しく気立てのよい方だわ」と、子供心にうちとけなさった。
 とあたたかい気持ちを女王は見せて、姉が年少の妹に対するふうで、宮のお気に入りそうな絵の話をしたり、ひな遊びはいつまでもやめられないものであるとかいうことを若やかに語っているのを、宮は御覧になって、院のお言葉のように、若々しい気立ての優しい人であると少女おとめらしいお心にお思いになり、打ち解けておしまいになった。
  to, yasuraka ni otonabi taru kehahi ni te, Miya ni mo, mi-kokoro ni tuki tamahu beku, we nado no koto, hihina no sute gataki sama, wakayaka ni kikoye tamahe ba, "Geni, ito wakaku kokoro-yoge naru hito kana!" to, wosanaki mi-kokoti ni ha utitoke tamahe ri.
注釈547春宮の御方は実の母君よりもこの御方をば明石の姫君は実の母親よりも養母の紫の上を慕っているという。8.4.1
注釈548いと幼げにのみ見えたまへば明石女御と比較した目で見る。8.4.3
注釈549昔の御筋をも尋ねきこえたまふ祖先の血縁関係を話題にする。同祖父の先帝から出た従姉妹同士であること言い、親密感を抱かせる。8.4.3
注釈550同じかざしを尋ねきこゆれば以下「うれしかるべき」まで、紫の上の詞。「わが宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ」(後撰集恋四、八〇九、伊勢)。8.4.4
注釈551今よりは疎からずあなたなどにもものしたまひて東の対の方にいらっしゃって、の意。中納言の乳母に対する勧誘の詞。8.4.4
注釈552頼もしき御蔭どもに以下「頼みきこえさせたまひし」まで、中納言の乳母の返事。8.4.6
注釈553背きたまひにし朱雀院の出家をさいう。なお、中納言の乳母の言葉遣は、院に対して最高敬語ではなく、普通の敬語表現である。8.4.6
注釈554ただかくなむ御心隔てきこえたまはず主語は紫の上。以下の「はぐくみたてまつらせたまふべくぞ」も同じ。8.4.6
注釈555頼みきこえさせたまひし朱雀院が紫の上に。「きこえさす」は紫の上を敬った最高敬語。8.4.6
注釈556いとかたじけなかりし以下「口惜しかりける」まで、紫の上の詞。謙遜の意を表す。8.4.8
注釈557げにいと若く心よげなる人かな女三の宮の心中。「げに」は源氏の前の言葉に納得する気持ち。8.4.9
出典31 同じかざし 我が宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ 後撰集恋四-八〇九 伊勢 8.4.4
校訂121 さすれど さすれど--さすれは(は/$と) 8.4.4
校訂122 身--事(事/$身) 8.4.8
8.5
第五段 世間の噂、静まる


8-5  The rumors for Rokujo-in go down in the world

8.5.1  さて後は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞こえ交はしたまふ。世の中の人も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、言ひあつかふものなれば、初めつ方は、
 それから後は、いつもお手紙のやりとりなどをなさって、おもしろい遊び事がある折につけても、別け隔てせずお便りをやりとりなさる。世の中の人も、おせっかいなことに、これほどの地位になった方々のことは、とかく噂したがるものなので、初めのうちは、
 これ以来手紙が通うようになって、友情が二人の夫人の間に成長していった。書信でする遊び事もなされた。世間はこうした高貴な家庭の中のことを話題にしたがるもので、初めごろは、
  Sate noti ha, tune ni ohom-humi nado si te, wokasiki asobi-waza nado ni tuke te mo, utokara zu kikoye-kahasi tamahu. Yononaka no hito mo, ainau, kabakari ni nari nuru atari no koto ha, ihi-atukahu mono nare ba, hazime tu kata ha,
8.5.2  「 対の上、いかに思すらむ。御おぼえ、いとこの年ごろのやうにはおはせじ。すこしは劣りなむ」
 「対の上は、どのようにお思いだろう。ご寵愛は、とても今までのようにはおありであるまい。少しは落ちるだろう」
 「対の奥様はなんといっても以前ほどの御寵愛ちょうあいにあっていられなくなるであろう。少しは院の御情が薄らぐはずだ」
  "Tai-no-Uhe, ikani obosu ram? Ohom-oboye, ito kono tosi-goro no yau ni ha ohase zi. Sukosi ha otori na m."
8.5.3  など言ひけるを、今すこし深き御心ざし、かくてしも勝るさまなるを、それにつけても、また安からず 言ふ人びとあるに、かく憎げなくさへ聞こえ交はしたまへば、こと直りて、目安くなむありける。
 などと言っていたが、以前よりも深い愛情、こうなってから一段と勝った様子なので、それにつけても、また事ありげに言う人々もいたが、このように仲睦まじいまでに交際なさっているので、噂も変わって、無難におさまっていたのである。
こんなふうにも言ったものであるが、実際は以前に増して院がお愛しになる様子の見えることで、またそれについて宮へ御同情を寄せるような口ぶりでなされるうわさが伝えられたものであるが、こんなふうに寝殿の宮も対の夫人もむつまじくなられたのであるからもう問題にしようがないのであった。
  nado ihi keru wo, ima sukosi hukaki mi-kokorozasi, kaku te simo masaru sama naru wo, sore ni tuke te mo, mata yasukara zu ihu hito-bito aru ni, kaku nikuge naku sahe kikoye kahasi tamahe ba, koto nahori te, me-yasuku nam ari keru.
注釈558対の上いかに思すらむ以下「劣りなむかし」まで、人々の噂。8.5.2
校訂123 言ふ 言ふ--ゆ(ゆ/$い)ふ 8.5.3
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年3月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月4日

Last updated 9/23/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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