34 若菜上(明融臨模本)


WAKANA-NO-ZYAU


光る源氏の准太上天皇時代
三十九歳暮から四十一歳三月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from the end of 39 to March the age of 41

3
第三章 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家


3  Tale of Suzaku  There are ceremoneies on Sam-no-Miya growing up to be a women and Suzaku becoming a priest

3.1
第一段 歳末、女三の宮の裳着催す


3-1  There is a ceremony Sam-no-Miya growing up a woman at the end of the year

3.1.1   年も暮れぬ。朱雀院には、御心地なほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあわたたしく思し立ちて、 御裳着のことは、思しいそぐさま、来し方行く先ありがたげなるまで、いつくしくののしる。
 年も暮れた。朱雀院におかれては、御気分もやはり快方に向かう御様子もないので、何かと気忙しく御決心なさって、御裳着の儀式は、その御準備なさる様子、過去にも将来にも例のないと思われるほど、盛大に大騷ぎである。
 歳暮に近くなった。朱雀院では院の御病気がそのまま続いてお悪いために、姫宮の裳着もぎの式をお急ぎになり、準備をいろいろとさせておいでになったが、過去にも未来にもないような華美なお儀式になる模様で、だれもだれも騒ぎ立っていた。
  Tosi mo kure nu. Syuzyaku-Win ni ha, mi-kokoti naho okotaru sama ni mo ohasimasa ne ba, yorodu awatatasiku obosi-tati te, ohom-mogi no koto ha, obosi-isogu sama, kisikata yukusaki arigatage naru made, itukusiku nonosiru.
3.1.2  御しつらひは、柏殿の西面に、御帳、御几帳よりはじめて、ここの綾錦混ぜさせたまはず、唐土の后の飾りを思しやりて、うるはしくことことしく、かかやくばかり調へさせたまへり。
 お部屋の飾り付けは、柏殿の西表に、御帳台、御几帳をはじめとして、この国の綾や錦はお加えあそばさず、唐国の皇后の装飾を想像して、端麗で豪華に、光眩しいほどに御準備あそばした。
 式場は院の栢殿かえどのの西向きのお座敷で御帳おんとばり几帳きちょうその他に用いられた物も日本の織物はいっさいお使いにならず唐のきさきの居室の飾りをうつして、派手はでで、りっぱで、輝くようにでき上がっていた。
  Ohom-siturahi ha, Kahe-dono no nisi-omote ni, mi-tyau, mi-kityau yori hazime te, koko no aya nisiki maze sase tamaha zu, Morokosi no Kisaki no kazari wo obosi-yari te, uruhasiku koto-kotosiku, kakayaku bakari totonohe sase tamahe ri.
3.1.3  御腰結には、太政大臣をかねてより聞こえさせたまへりければ、 ことことしくおはする人にて、参りにくく思しけれど、院の御言を昔より背き申したまはねば、参りたまふ。
 御腰結の役には、太政大臣を前もってお願い申し上げていらっしゃったので、物事を大げさになさる方なので、参上しにくくお思いであったが、院のお言葉に昔から背きなさらないので、参上なさる。
 御腰いの役を太政大臣へ前から依頼しておありになったが、もったいぶったこの人は気は進まないままで、院のお言葉には昔からそむくことのなかったほど好意をお示しする用意は常に持って、御辞退ができずに参列したのであった。
  Ohom-kosiyuhi ni ha, Ohoki-Otodo wo kanete yori kikoye sase tamahe ri kere ba, koto-kotosiku ohasuru hito nite, mawiri nikuku obosi kere do, Win no ohom-koto wo mukasi yori somuki mausi tamaha ne ba, mawiri tamahu.
3.1.4   今二所の大臣たち、その残り上達部などは、わりなき障りあるも、 あながちにためらひ助けつつ参りたまふ。親王たち八人、殿上人はたさらにもいはず、内裏、春宮の残らず参り集ひて、いかめしき御いそぎの響きなり。
 もう二方の大臣たち、その他の上達部などは、やむをえない支障がある者も、無理に何とかし都合をつけて参上なさる。親王たち八人、殿上人は言うまでもなく、内裏、東宮の人々も残らず参集して、盛大な御儀式の騷ぎである。
 そのほかの左右二大臣、高官らも万障を排し病気もしいて忍ぶまでにして座に加わったものである。親王様はお八方来ておいでになった。いうまでもなく殿上人の数は多かった。宮中の奉仕をする者も東宮の御殿へお勤めする者も残らず集まったのであって、盛大なお儀式と見えた。
  Ima huta-tokoro no Otodo-tati, sono nokori Kamdatime nado ha, warinaki sahari aru mo, anagati ni tamerahi tasuke tutu mawiri tamahu. Miko-tati hati-nin, Tenzyau-bito hata sarani mo iha zu, Uti, Touguu no nokora zu mawiri tudohi te, ikamesiki ohom-isogi no hibiki nari.
3.1.5  院の御こと、 このたびこそとぢめなれと、帝、春宮をはじめたてまつりて、心苦しく聞こし召しつつ、蔵人所、納殿の 唐物ども、 多く奉らせたまへり
 院の御催事も、今回が最後であろうと、帝、東宮をおはじめ申して、お気の毒にお思いあそばされて、蔵人所、納殿の舶来品を、数多く献上させなさった。
 やがて出家をあそばされようとする院の最後のお催し事と見ておいでになって、帝も東宮も御同情になり宮中の納殿おさめどの支那しな渡来の物を多く御寄贈になったのであった。
  Win no ohom-koto, kono tabi koso todime nare to, Mikado, Touguu wo hazime tatematuri te, kokoro-gurusiku kikosimesi tutu, Kuraudo-dokoro, Wosame-dono no Kara-mono-domo, ohoku tatematura se tamahe ri.
3.1.6  六条院よりも、 御とぶらひいとこちたし。贈り物ども、人びとの禄、 尊者の大臣の御引出物など、 かの院よりぞ 奉らせたまひける
 六条院からも、御祝儀がたいそう盛大にある。数々の贈り物や、人々の禄、尊者の大臣の御引出者など、あちらの院からご献上あそばしたものであった。
六条院からも多くの御贈り物があった。それは来会者へ纏頭てんとうに出される衣服類、主賓の大臣への贈り物の品々等である。
  Rokudeu-no-Win yori mo, ohom-toburahi ito kotitasi. Okurimono-domo, hito-bito no roku, sonzya no Otodo no ohom-hiki-idemono nado, kano Win yori zo tatematura se tamahi keru.
注釈155年も暮れぬ源氏三十九歳の歳末。3.1.1
注釈156ことことしくおはする人にて太政大臣の性格、物事をおおげさに考える性格。3.1.3
注釈157今二所の大臣たち左大臣と右大臣、共に系図不詳の人。左大臣は「梅枝」(第二章二段)に登場。3.1.4
注釈158あながちにためらひ助けつつ参りたまふ『集成』は「何とか手当てをし、気を張って参上なさる。病苦を押して参るのである」。『完訳』は「無理に繰り合せ都合をつけてはまいられた」と注す。3.1.4
注釈159多く奉らせたまへり「せ」尊敬の助動詞、「たまへ」尊敬の補助動詞。帝、東宮に対する最高敬語表現。実際は人をしてであるが、その主体者が帝や東宮だからである。3.1.5
注釈160尊者の大臣当儀式において腰結の役を勤めた太政大臣をさす。3.1.6
注釈161かの院よりぞ六条院、源氏をさす。3.1.6
注釈162奉らせたまひける「せ」尊敬の助動詞、「たまひ」尊敬の補助動詞。源氏に対する最高敬語表現。3.1.6
校訂49 御裳着 御裳着--御も(も/+き) 3.1.1
校訂50 このたび このたび--このた(た/#)たひ 3.1.5
校訂51 唐物 唐物--からも(も/$)もの 3.1.5
校訂52 御とぶらひいとこちたし。贈り物ども 御とぶらひいとこちたし。贈り物ども--(/+御とふらひいとこちたし送り物とも) 3.1.6
3.2
第二段 秋好中宮、櫛を贈る


3-2  Akikonomu, empress of Reizei presents a comb to Sam-no-Miya

3.2.1   中宮よりも、御装束、櫛の筥、心ことに調ぜさせたまひて、かの昔の御髪上の具、ゆゑあるさまに改め加へて、さすがに元の心ばへも失はず、それと見せて、その日の夕つ方、 奉れさせたまふ。宮の権の亮、院の殿上にもさぶらふを御使にて、姫宮の御方に参らすべくのたまはせつれど、かかる言ぞ、中にありける。
 中宮からも、御装束、櫛の箱を、特別にお作らせになって、あの昔の御髪上の道具、趣のあるように手を加えて、それでいて元の感じも失わず、それと分かるようにして、その日の夕方、献上させなさった。中宮の権亮で、院の殿上にも伺候している人を御使者として、姫宮の御方に献上させるべく仰せになったが、このような歌が中にあったのである。
 中宮からも姫宮のお装束、くしの箱などを特に華麗に調製おさせになって贈られた。院が昔このお后の入内じゅだいの時お贈りになった髪上くしあげの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった。中宮権亮ごんのすけは院の殿上へも出仕する人であったから、それを使いにあそばして、姫宮のほうへ持参するように命ぜられたのであるが、次のようなお歌が中にあった。
  Tyuuguu yori mo, ohom-syauzoku, kusi no hako, kokoro koto ni teu-ze sase tamahi te, kano mukasi no mi-gusi-age no gu, yuwe aru sama ni aratame kuhahe te, sasuga ni moto no kokorobahe mo usinaha zu, sore to mise te, sono hi no yuhu-tu-kata, tatemature sase tamahu. Miya no Gon-no-Suke, Win no Tenzyau ni mo saburahu wo ohom-tukahi nite, Hime-Miya no ohom-kata ni mawirasu beku notamaha se ture do, kakaru koto zo, naka ni ari keru.
3.2.2  「 さしながら昔を今に伝ふれば
 「挿したまま昔から今に至りましたので
  さしながら昔を今につたふれば
    "Sasi nagara mukasi wo ima ni tutahure ba
3.2.3   玉の小櫛ぞ神さびにける
  玉の小櫛は古くなってしまいました
  玉の小櫛をぐしぞ神さびにける
    tama no wo-gusi zo kamisabi ni keru
3.2.4  院、御覧じつけて、あはれに思し出でらるることもありけり。あえ物けしうはあらじと譲りきこえたまへるほど、げに、おもだたしき簪なれば、御返りも、昔のあはれをばさしおきて、
 院が、御覧になって、しみじみとお思い出されることがあるのであった。あやかり物として悪くはないとお譲り申し上げなさるだが、なるほど、名誉な櫛なので、お返事も、昔の感情はさておいて、
 これを御覧になった院は身にしむ思いをあそばされたはずである。縁起が悪くもないであろうと姫宮へお譲りになった髪の具は珍重すべきものであると思召されて、青春の日の御思い出にはお触れにならず、およろこびの意味だけをお返事にあそばされて、
  Win, go-ran-zi tuke te, ahare ni obosi-ide raruru koto mo ari keri. Ayemono kesiu ha ara zi to yuduri kikoye tamahe ru hodo, geni, omodatasiki kamzasi nare ba, ohom-kaheri mo, mukasi no ahare wo ba sasi-oki te,
3.2.5  「 さしつぎに見るものにもが万世を
 「あなたに引き続いて姫宮の幸福を見たいものです
  さしつぎに見るものにもが万代よろづよ
    "Sasitugi ni miru mono ni mo ga yorodu-yo wo
3.2.6   黄楊の小櫛の神さぶるまで
  千秋万歳を告げる黄楊の小櫛が古くなるまで
  つげの小櫛も神さぶるまで
    tuge no wo-gusi no kamisaburu made
3.2.7  とぞ祝ひきこえたまへる。
 とお祝い申し上げなさった。
 とお書きになった。
  to zo ihahi kikoye tamahe ru.
注釈163中宮よりも冷泉帝の秋好中宮。3.2.1
注釈164奉れさせたまふ「たてまつれ」下二段連用形、「させ」尊敬の助動詞、「たまふ」尊敬の補助動詞。中宮に対する最高敬語表現。3.2.1
注釈165さしながら昔を今に伝ふれば玉の小櫛ぞ神さびにける秋好中宮から朱雀院への贈歌。「さしながら」はそのままの意と「髪に挿しながら」の両意を掛けた表現。二人の共有する過去を回想し、また、姫宮の成長を讃えて、遠い昔の事となってしまったことを懐かしむ。親愛の情をのべた歌。3.2.2
注釈166さしつぎに見るものにもが万世を黄楊の小櫛の神さぶるまで朱雀院から秋好中宮への返歌。「さし」「櫛」「神さび」の語句を受けて返す。唱和の歌。「さしつぎに」はあなたの幸運に引き続いてわが姫君の幸運を、の意。「もが」終助詞、希望の意。「つげ」は「黄楊」と「告げ」の掛詞。「万世」「神さぶる」いずれも姫君の幸福を願う気持ち。3.2.5
3.3
第三段 朱雀院、出家す


3-3  Suzaku becomes a priest after the ceremony of Sam-no-Miya

3.3.1   御心地いと苦しきを念じつつ、思し起こして、この御いそぎ果てぬれば、三日過ぐして、つひに御髪下ろしたまふ。よろしきほどの人の上にてだに、今はとてさま変はるは悲しげなるわざなれば、まして、いとあはれげに御方々も思し惑ふ。
 御気分のたいそう苦しいのを我慢なさりながら、元気をお出しになって、この御儀式がすっかり終わったので、三日過ぎて、とうとう御髪をお下ろしになる。普通の身分の者でさえ、今は最後と姿が変わるのは悲しいことなので、まして、お気の毒な御様子に、御妃方もお悲しみに暮れる。
 御病気は決して御軽快になっていなかったのを、無理あそばして御挙行になった姫宮のお裳着の式から三日目に院は御髪みぐしをおろしになったのであった。普通の家でも主人がいよいよ出家をするという時の家族の悲しみは大きなものであるのに、院の御ためには悲しみなげく多くの後宮の人があった。
  Mi-kokoti ito kurusiki wo nen-zi tutu, obosi-okosi te, kono ohom-isogi hate nure ba, mi-ka sugusi te, tuhini mi-gusi orosi tamahu. Yorosiki hodo no hito no uhe ni te dani, ima ha tote sama kaharu ha kanasige naru waza nare ba, masite, ito aharege ni ohom-kata-gata mo obosi-madohu.
3.3.2  尚侍の君は、つとさぶらひたまひて、いみじく思し入りたるを、こしらへかねたまひて、
 尚侍の君は、ぴったりとお側を離れずにいらして、ひどく思いつめていらっしゃるのを、慰めかねなさって、
 尚侍はじっとおそばを離れずになげきに沈んでいるのを、院はなだめかねておいでになった。
  Naisi-no-Kam-no-Kimi ha, tuto saburahi tamahi te, imiziku obosi-iri taru wo, kosirahe-kane tamahi te,
3.3.3  「 子を思ふ道は限りありけり。かく思ひしみたまへる別れの堪へがたくもあるかな」
 「子を思う道には限度があるなあ。このように悲しんでいらっしゃる別れが堪え難いことよ」
 「子に対する愛は限度のあるものだが、あなたのこんなに悲しむのを見ては私はもう堪えられなく苦しい心になる」
  "Ko wo omohu miti ha kagiri ari keri. Kaku omohi-simi tamahe ru wakare no tahe-gataku mo aru kana!"
3.3.4  とて、御心乱れぬべけれど、あながちに御脇息にかかりたまひて、 山の座主よりはじめて、御忌むことの阿闍梨三人さぶらひて、法服などたてまつるほど、この世を別れたまふ御作法、 いみじく悲し。
 といって、御決心が鈍ってしまいそうだが、無理に御脇息に寄りかかりなさって、山の座主をはじめとして、御授戒の阿闍梨三人が伺候して、法服などをお召しになるとき、この世をお別れなさる御儀式、堪らなく悲しい。
 と仰せになって、御心みこころは冷静でありえなくおなりになるのであろうが、じっと堪えて脇息きょうそくによりかかっておいでになった。延暦寺えんりゃくじ座主ざすのほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服に召し替えられる時、この世と絶縁をあそばされる儀式の時、それは皆悲しいきわみのことであった。
  tote, mi-kokoro midare nu bekere do, anagati ni ohom-kehusoku ni kakari tamahi te, Yama-no-Zasu yori hazime te, ohom-imu koto no Azari mi-tari saburahi te, hohubuku nado tatematuru hodo, konoyo wo wakare tamahu ohom-sahohu, imiziku kanasi.
3.3.5  今日は、世を思ひ澄ましたる僧たちなどだに、涙もえとどめねば、まして女宮たち、女御、更衣、ここらの男女、上下ゆすり満ちて泣きとよむに、いと心あわたたしう、 かからで、静やかなる所に、やがて籠もるべく思しまうけける本意違ひて思し召さるるも、「ただ、この幼き宮にひかされて」と 思しのたまはす
 今日は、人の世を悟りきった僧たちなどでさえ、涙を堪えかねるのだから、まして女宮たち、女御、更衣、おおぜいの男女たち、身分の上下の者たち、皆どよめいて泣き悲しむので、何とも心が落ち着かず、こうしたふうにでなく、静かな所に、そのまま籠もろうとお心づもりなさっていた本意と違って思われなさるのも、「ただもう、この幼い姫宮に引かれて」と仰せられる。
 すでに恩愛の感情から超越している僧たちでさえとどめがたい涙が流れたのであるから、まして姫宮たち、女御にょご更衣こうい、その他院内のあらゆる男女は上から下まで嗚咽おえつの声をたてないでいられるものはない、こうした人間の声は聞いていずに、出家をすればすぐに寺へお移りになるはずの、以前の御計画をお変えになったことを院は残念に思召おぼしめして、皆女三の宮へ引かれる心がこうさせたのであるとかたわらの者へ仰せられた。
  Kehu ha, yo wo omohi-sumasi taru sou-tati nado dani, namida mo e todome ne ba, masite Womna-Miya-tati, Nyougo, Kaui, kokora no wotoko womna, kami simo yusuri-miti te naki toyomu ni, ito kokoro awatatasiu, kakara de, siduyaka naru tokoro ni, yagate komoru beku obosi mauke keru ho'i tagahi te obosi-mesa ruru mo, "Tada, kono wosanaki Miya ni hika sare te." to obosi-notamaha su.
3.3.6  内裏よりはじめたてまつりて、御とぶらひのしげさ、いとさらなり。
 帝をおはじめ申して、お見舞いの多いこと、いまさら言うまでもない。
 宮中をはじめとしてお見舞いの使いの多く参ったことは言うまでもない。
  Uti yori hazime tatematuri te, ohom-toburahi no sigesa, ito sara nari.
注釈167御心地いと苦しきを念じつつ朱雀院の出家。女三の宮の裳着の儀式を無事済ませて、三日後、天台の座主を召して出家する。3.3.1
注釈168子を思ふ道は以下「あるかな」まで、朱雀院の詞。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)を踏まえる。『完訳』は「子を思う親の執心でさえ、朧月夜へのそれに比べると限りがある。その愛執は昔から深い」と注す。3.3.3
注釈169山の座主よりはじめて御忌むことの阿闍梨三人『完訳』は「戒を授ける師主、作法を教える教授師、戒場で作法を行う羯磨師の三人」と注す。3.3.4
注釈170かからで静やかなる所にやがて籠もるべく思しまうけける本意違ひて思し召さるるも『集成』は「こんなふうな出家でなく、静かなお山にすぐに引き篭ってしまうお心積りだったのが、不本意なことになったとお思いになるのだが、それも」。『完訳』は「このような騷ぎもない閑かな所にそのままこもろうとのお心づもりでいらっしゃった、その御本意に反するようにもお感じになるが、それというのも」と訳す。3.3.5
注釈171思しのたまはす『完訳』は「お思いになり、またそうも仰せられる」と訳す。3.3.5
校訂53 いみじく いみじく--(/いみしくおほしいりたるをこしらへかね給てこを思道はかきりありけりかくおもひしみ給へるわかれのたへかたくもあるかなとて御心みたれぬへけれとあなかちに御けうそくにかゝり給て山のさすよりはしめて御いむことのあさり三人さふらひてほうふくなとたてまつるほとこのよをわかれ給御さほう$)いみしく 3.3.4
3.4
第四段 源氏、朱雀院を見舞う


3-4  Genji visits to Suzaku himself

3.4.1   六条院も、すこし御心地よろしくと 聞きたてまつらせたまひて、参りたまふ。御賜ばりの御封などこそ、皆同じごと、下りゐの帝と等しく定まりたまへれど、まことの太上天皇の儀式にはうけばりたまはず。世のもてなし思ひきこえたるさまなどは、心ことなれど、ことさらに削ぎたまひて、 例の、ことことしからぬ御車にたてまつりて上達部など、さるべき限り、車にてぞ仕うまつりたまへる
 六条院も、少し御気分がよろしいとお耳に入れあそばして、参上なさる。御下賜の御封など、みな同じように、退位された帝と同じく決まっていらっしゃったが、ほんとうの太上天皇の儀式には威勢をお張りにならない。世間の人々のお扱いや尊敬申し上げる様子などは、格別であるが、わざと簡略になさって、例によって、仰々しくないお車にお乗りになって、上達部などのしかるべき方だけが、お車でお供なさっていた。
 六条院は朱雀すざく院の御病気が少しおよろしいしらせをお得になって御自身で訪問あそばされた。宮廷から封地ほうちをはじめとして太上だいじょう天皇と少しも変わりのない御待遇は受けておいでになるのであるが、正式の太上天皇として六条院は少しもおふるまいにならないのである。世人のささげている尊敬の意も信頼の心も並み並みではないのであるが、外出の儀式なども簡単にあそばして、たいそうでない車に召され、お供の高官などは車で従って参った。
  Rokudeu-no-Win mo, sukosi mi-kokoti yorosiku to kiki tatematura se tamahi te, mawiri tamahu. Ohom-taubari no mi-bu nado koso, mina onazi goto, ori-wi no Mikado to hitosiku sadamari tamahe re do, makoto no Daizyau-Tenwau no gisiki ni ha ukebari tamaha zu. Yo no motenasi omohi kikoye taru sama nado ha, kokoro koto nare do, kotosara ni sogi tamahi te, rei no, koto-kotosikara nu mi-kuruma ni tatematuri te, Kamdatime nado, saru-beki kagiri, kuruma ni te zo tukau-maturi tamahe ru.
3.4.2  院には、いみじく待ちよろこびきこえさせたまひて、苦しき御心地を思し強りて、御対面あり。うるはしきさまならず、ただおはします方に、御座よそひ加へて、入れたてまつりたまふ。
 院におかれては、たいそうお待ちかねしてお喜び申し上げあそばして、苦しい御気分をしいて我慢なさって御対面なさる。格式ばらずに、ただ常の御座所に新たにお席を設けて、お入れ申し上げなさる。
 朱雀院法皇はこの御訪問を非常にお喜びになって、御病苦も忍ぶようにあそばされて御面会になった。形式にはかかわらずに御病室へ六条院の今一つの座をお設けになって招ぜられたのである。
  Win ni ha, imiziku mati-yorokobi kikoye sase tamahi te, kurusiki mi-kokoti wo obosi-tuyori te, ohom-taimen ari. Uruhasiki sama nara zu, tada ohasimasu kata ni, o-masi yosohi kuhahe te, ire tatematuri tamahu.
3.4.3   変はりたまへる御ありさま見たてまつりたまふに、来し方行く先暮れて、悲しくとめがたく思さるれば、とみにもえためらひたまはず。
 お変わりになった御様子を拝見なさると、過去も未来も真暗になって、悲しく涙を止めがたく思わずにはいらっしゃれないので、すぐには気持ちをお静めになれない。
 御髪みぐしをおり捨てになった御兄の院を御覧になった時、すべての世界が暗くなったように思召されて、悲歎ひたんのとめようもない。ためらうことなくすぐにお言葉が出た。
  Kahari tamahe ru ohom-arisama mi tatematuri tamahu ni, kisikata-yukusaki kure te, kanasiku tome gataku obosa rure ba, tomi ni mo e tamerahi tamaha zu.
3.4.4  「 故院におくれたてまつりしころほひより、世の常なく思うたまへられしかば、 この方の本意深く進みはべりにしを、心弱く思うたまへたゆたふことのみはべりつつ、つひにかく見たてまつりなしはべるまで、おくれ たてまつりはべりぬる心のぬるさを、恥づかしく思うたまへらるるかな。
 「故院に先立たれ申したころから、世の中が無常に存じられずにはいられませんでしたので、この方面への決心も深くなっていましたが、心弱くてぐずぐずしてばかりいまして、とうとうこのように拝見致すまで、遅れ申してしまいました心の怠慢を、恥ずかしく存ぜずにはいられませんなあ。
 「故院がおかくれになりましたころから、人生の無常が深く私にも思われまして、出家の願いを起こしながらも心弱く何かのことに次々引きとめられておりまして、ついにあなた様が先にこの姿をあそばすまでになってしまいました。自分はなんというふがいなさであろうと恥ずかしくてなりません。
  "Ko-Win ni okure tatematuri si korohohi yori, yo no tune naku omou tamahe rare sika ba, kono kata no ho'i hukaku susumi haberi ni si wo, kokoro-yowaku omou tamahe tayutahu koto nomi haberi tutu, tuhini kaku mi tatematuri nasi haberu made, okure tatematuri haberi nuru kokoro no nurusa wo, hadukasiku omou tamahe raruru kana!
3.4.5  身にとりては、ことにもあるまじく思うたまへたちはべる折々あるを、 さらにいと忍びがたきこと多かりぬべきわざにこそはべりけれ
 わたくし自身のこととしては、たいしたことでもあるまいと決心致しました時々もありましたが、どうしても堪えられないことが多くございましたよ」
 一身だけでは何でもなく出離しゅつりの決心はつくのでございますが、周囲を顧慮いたします点で実行はなかなかできないことでございます」
  Mi ni tori te ha, koto ni mo arumaziku omou tamahe tati haberu wori-wori aru wo, sarani ito sinobi-gataki koto ohokari nu beki waza ni koso haberi haberi kere."
3.4.6  と、慰めがたく思したり。
 と、心を静められないお思いでいらっしゃった。
 と、お言いになって、慰めえないお悲しみを覚えておいでになるふうであった。
  to, nagusame-gataku obosi tari.
注釈172六条院もすこし御心地よろしくと源氏、朱雀院を見舞い、女三の宮の降嫁を承諾する。3.4.1
注釈173聞きたてまつらせたまひて「たてまつら」謙譲の補助動詞、朱雀院に対する敬意。「せ」尊敬の助動詞「たまふ」尊敬の補助動詞、最高敬語は太上天皇である源氏に対する敬意。3.4.1
注釈174例のことことしからぬ御車にたてまつりて『完訳』は「太上天皇の御幸には檳榔毛の車を用いるのを常としたという」と注す。3.4.1
注釈175上達部などさるべき限り車にてぞ仕うまつりたまへる『完訳』は「供奉の公卿。馬で供奉するのが常であるという」と注す。3.4.1
注釈176故院におくれたてまつりしころほひより以下「わざにこそはべりけれ」まで、源氏の詞。3.4.4
注釈177この方の本意深く自分の出家の念願をさす。3.4.4
注釈178さらにいと忍びがたきこと多かりぬべきわざにこそはべりけれ『集成』は「絆となる人々の見捨てがたいことをいう。女三の宮の身の上を案じる朱雀院の心中を汲んだ発言」。『完訳』は「ここでの堪えがたさは、捨てがたい絆の存在。姫宮を思う院の心中を察した表現」と注す。3.4.5
校訂54 変はりたま 変はりたま--(/+かはりたま) 3.4.3
校訂55 たてまつり たてまつり--(/+たてまつり) 3.4.4
3.5
第五段 朱雀院と源氏、親しく語り合う


3-5  Suzaku and Genji talk closely after a long time

3.5.1  院も、もの心細く思さるるに、え心強からず、うちしほれ たまひつつ、いにしへ、今の御物語、いと弱げに聞こえさせたまひて、
 院も、何となく心細くお思いになられて、我慢おできになれず、涙をお流しになりながら、昔、今のお話、たいそう弱々そうにお話しあそばされて、
 朱雀すざく院も御病気であって心細いお気持ちもあそばされる時であったから、冷静なふうなどはお作りになることができずにしおしおとした御様子をお見せになり、昔の話、今の話を弱々しい声であそばすのであったが、
  Win mo, mono-kokoro-bosoku obosa ruru ni, e kokoro-duyokara zu, uti-sihore tamahi tutu, inisihe, ima no ohom-monogatari, ito yowage ni kikoye sase tamahi te,
3.5.2  「 今日か明日かとおぼえはべりつつ 、さすがにほど経ぬるを、うちたゆみて、深き本意の端にても遂げずなりなむこと、と思ひ 起こしてなむ。
 「今日か明日かと思われながら、それでも年月を経てしまったが、つい油断して、心からの念願の一端も遂げずに終わってしまいそうなことだ、と思い立ったのです。
 「今日か、明日かと思われるような重態でいて、しかも生き続けていることに油断をして、希望の出家も遂げないでくなるようなことがあってはと奮発をして実行したのですよ。
  "Kehu ka asu ka to oboye haberi tutu, sasuga ni hodo he nuru wo, uti-tayumi te, hukaki ho'i no hasi ni te mo toge zu nari nam koto, to omohi-okosi te nam.
3.5.3  かくても残りの齢なくは、行なひの心ざしも叶ふまじけれど、まづ仮にても、のどめおきて、念仏をだにと思ひはべる。はかばかしからぬ身にても、世にながらふること、ただこの心ざしにひきとどめられたると、思うたまへ知られぬにしもあらぬを、 今まで勤めなき怠りをだに、安からずなむ
 こう出家しても余生がなければ、勤行の意志も果たせそうにありませんが、まずは一時なりとも、命を延ばしておいて、せめて念仏だけでもと思っています。何もできない身の上ですが、今まで生きながらえているのは、ただこの意志に引き留められていたと、存じられないわけではありませんが、今まで仏道に励まなかった怠慢だけでも、気にかかってなりません」
 こうなっても生命いのちがなければしたい仏勤めもできないでしょうが、まず仮にも一つの線を出ておいて、はげしいお勤めはできないでも念仏だけでもしておきたいと思います。私のような者が今日生きているということはこの志だけは遂げたいという望みに燃えていたのを仏があわれんでくだすったのだと自分でもわかっているのに、まだお勤めらしいこともしていないのを仏に相済まなく思います」
  Kakute mo nokori no yohahi naku ha, okonahi no kokorozasi mo kanahu mazikere do, madu kari ni te mo, nodome-oki te, nenbutu wo dani to omohi haberu. Haka-bakasikara nu mi ni te mo, yo ni nagarahuru koto, tada kono kokorozasi ni hiki-todome rare taru to, omou tamahe sira re nu ni simo ara nu wo, ima made tutome naki okotari wo dani, yasukara zu nam."
3.5.4  とて、思しおきてたるさまなど、詳しくのたまはするついでに、
 とおっしゃって、考えていたことなどを、詳しく仰せになる機会に、
 御出家についての感想をこうお述べあそばしたのに続いて、
  tote, obosi-oki te taru sama nado, kuhasiku notamaha suru tuide ni,
3.5.5  「 女皇女たちを、あまたうち捨てはべるなむ心苦しき。中にも、また思ひ譲る人なきをば、取り分きうしろめたく、見わづらひはべる」
 「内親王たちを、大勢残して行きますのが気の毒です。その中でも、他に頼んでおく人のない姫を、格別に気がかりで、どうしたものかと苦にしております」
 「女の子を幾人も残して行くことが気がかりです。その中で母も添っていない子で、だれに託しておけばよいかわからぬような子のために最も私は苦悶くもんしています」
  "Womna-Miko-tati wo, amata uti-sute haberu nam kokoro-gurusiki. Naka ni mo, mata omohi-yuduru hito naki wo ba, tori-waki usirometaku, mi wadurahi haberu."
3.5.6  とて、 まほにはあらぬ御けしき、心苦しく見たてまつりたまふ。
 とおっしゃって、はっきりとは仰せにならない御様子を、お気の毒と拝し上げなさる。
 と、仰せになった。正面からその問題をお出しにもならない御様子をお気の毒に六条院は思召おぼしめされた。
  tote, maho ni ha ara nu mi-kesiki, kokoro-gurusiku mi tatematuri tamahu.
注釈179今日か明日かとおぼえはべりつつ以下「安からずなむ」まで、朱雀院の詞。3.5.2
注釈180今まで勤めなき怠りをだに安からずなむ「勤め」は仏道修行。『集成』は「仏道に励まなかった怠慢も気にかかります」。『完訳』は「今までお勤めを忘れた懈怠を思うだけでも、安からぬ気持なのです」と訳す。3.5.3
注釈181女皇女たちを以下「見わづらひはべる」まで、朱雀院の詞。女三の宮の件を切り出す。3.5.5
注釈182まほにはあらぬ御けしきはっきりすべてはおっしゃらぬ御様子。3.5.6
出典6 今日か明日かと 我が世をば今日か明日かと待つかひの涙の滝といづれ高けむ 新古今集雑中-一六五一 在原行平 3.5.2
人の世の老いを果てにしせましかば今日か明日かと急がざらまし 朝忠集-一〇
校訂56 たまひつつ たまひつつ--給へる(へる/$つゝ) 3.5.1
校訂57 起こして 起こして--おこし(し/+て) 3.5.2
3.6
第六段 内親王の結婚の必要性を説く


3-6  Genji talks a necessary to get married for Naishinno

3.6.1   御心のうちにも、さすがにゆかしき御ありさまなれば、思し過ぐしがたくて
 お心の中でも、何と言っても関心のある御事なので、お聞き過ごし難く思って、
 お心の中でもその宮についていささかの好奇心も動いているのであるから、冷ややかにこのお話を聞き流しておしまいになることができないのであった。
  Mi-kokoro no uti ni mo, sasuga ni yukasiki mi-arisama nare ba, obosi sugusi-gataku te,
3.6.2  「 げに、ただ人よりも、かかる筋には、私ざまの御後見なきは、 口惜しげなるわざになむはべりける。春宮かくておはしませば、いとかしこき末の世の儲けの君と、天の下の頼みどころに仰ぎきこえさするを。
 「仰せのとおり、尋常の臣下の者以上に、こういうご身分の方には、内々のご後見役がいないのは、いかにも残念なことでございますね。東宮がこうしてご立派にいらっしゃいますので、まことに末世には過ぎた畏れ多い儲けの君として、天下の頼り所として仰ぎ見申し上げておりますよ。
 「ごもっともです。普通の家の娘以上に内親王のお後ろだてのないのは心細いものでございます。ごりっぱな儲君ちょくんとして天下の輿望よぼうを負うておいでになる東宮もおいでになるのでございますから、
  "Geni, tadaudo yori mo, kakaru sudi ni ha, watakusi-zama no ohom-usiromi naki ha, kutiwosige naru waza ni nam haberi keru. Touguu kakute ohasimase ba, ito kasikoki suwe-no-yo no Mauke-no-Kimi to, ame-no-sita no tanomi-dokoro ni ahugi kikoye sasuru wo!
3.6.3  まして、 このことと聞こえ置かせたまはむことは一事として疎かに軽め申したまふべきにはべらねば 、さらに行く先のこと思し悩むべきにもはべらねど、げに、こと限りあれば、公けとなりたまひ、世の政事御心にかなふべしとは言ひながら、女の御ために、何ばかりのけざやかなる御心寄せあるべきにもはべらざりけり。
 まして、これこれのことは是非にと仰せおきなさることは、一事としていい加減に軽んじ申し上げなさるはずのことはございませんので、全然将来のことをお悩みになることはございませんが、なるほど、物事には限りがあるので、即位なさり、世の中の政治もお心のままにお執りなるとは言っても、姫宮の御ためには、どれほどのはっきりとしたお力添えができるものでもございません。
 あなた様から特にお心がかりに思召す方のことをお話にさえあそばされておけば、一事でもおろそかにあそばさないはずで、何も将来のことをそう御心配になることはなかろうと申しますものの、即位をなさいました場合にも天子は公の君ですからまつりごとはお心のままになりましても、個人として女の御兄弟に親身のお世話をなされ、
  Masite, kono koto to kikoye oka se tamaha m koto ha, hito-koto to si te orosoka ni karome mausi tamahu beki ni habera ne ba, sarani yukusaki no koto obosi-nayamu beki ni mo habera ne do, geni, koto kagiri are ba, Ohoyake to nari tamahi, yo no maturi-goto mi-kokoro ni kanahu besi to ha ihi nagara, womna no ohom-tame ni, nani bakari no kezayaka naru mi-kokoro-yose aru beki ni mo habera zari keri.
3.6.4  すべて、女の御ためには、さまざま真の御後見とすべきものは、なほ さるべき筋に契りを交はし、えさらぬことに、育みきこゆる 御護りめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべるを、なほ、しひて後の世の御疑ひ残るべくは、 よろしきに思し選びて、忍びて、 さるべき御預かりを定めおかせたまふべきになむはべなる」
 総じて、内親王の御ためには、いろいろとほんとうのご後見に当たる者は、やはりしかるべき夫婦の契りを交わし、当然の役目として、お世話申し上げる御保護者のいますのが、安心なことでございましょうが、やはり、どうしても将来にご不安が残りそうでしたら、適当な人物をお選びになって、内々に、しかるべきお引き受け手をお決めおきあそばすのがよいことでしょう」
 内親王が特別な御庇護をお受けになることはむずかしいでしょう。女の方のためにはやはり御結婚をなすって、離れることのできない関係による男の助力をお得になるのが安全な道と思われますが、御信仰にもさわるほどの御心配が残るのでございましたら、ひそかに婿君を御選定しておかれましてはと存じます」
  Subete, womna no ohom-tame ni ha, sama-zama makoto no ohom-usiromi to su beki mono ha, naho saru-beki sudi ni tigiri wo kahasi, e sara nu koto ni, hagukumi kikoyuru ohom-mamori-me haberu nam, usiroyasukaru beki koto ni haberu wo, naho, sihite noti no yo no ohom-utagahi nokoru beku ha, yorosiki ni obosi erabi te, sinobi te, saru-beki ohom-adukari wo sadame-oka se tamahu beki ni nam habe' naru."
3.6.5  と、奏したまふ。
 と、奏上なさる。

  to, sou-si tamahu.
注釈183御心のうちにもさすがにゆかしき御ありさまなれば思し過ぐしがたくて源氏は女三の宮が藤壷の姪に当たる人なので聞き過ごすことができない。3.6.1
注釈184げにただ人よりも以下「定めおかせたまふべきになむはべなる」まで、源氏の詞。3.6.2
注釈185口惜しげなるわざになむはべりける『集成』は「いかにも残念なことでございます」。『完訳』は「よそ目にも不都合というものでございます」と訳す。3.6.2
注釈186このことと聞こえ置かせたまはむことは主語は朱雀院。「このこと」は朱雀院が東宮に遺言しておかれる事をさす。3.6.3
注釈187一事として 疎かに軽め申したまふべきにはべらねば主語は東宮。朱雀院の遺言を一つとして疎かになさるまい、の意。3.6.3
注釈188さるべき筋に契りを交はししかるべき夫婦の契りを交わすこと、結婚の意。3.6.4
注釈189よろしきに思し選びて適当な人物をお選びあそばして。3.6.4
注釈190さるべき御預かりしかるべきお世話役、御婿君の意。3.6.4
校訂58 疎かに 疎かに--おろ(ろ/+そ)かに 3.6.3
校訂59 御護りめ 御護りめ--御(御/$)御まもりめ 3.6.4
3.7
第七段 源氏、結婚を承諾


3-7  Genji consents to get married to Sam-no-Miya

3.7.1  「 さやうに思ひ寄る事はべれど、それも難きことになむありける。いにしへの例を聞きはべるにも、世をたもつ盛りの皇女にだに、人を選びて、 さるさまのことをしたまへるたぐひ多かりけり。
 「そのように考えたこともありますが、それも難しいことなのです。昔の例を聞きましても、在位中の帝の内親王でさえ、人を選んで、そのような婿選びをなさった例は多かったのです。
 「私もそうは思うのですが、それもまたなかなか困難なことですよ。昔の例を思ってもその時の天子の内親王がたにも配偶者をお選びになって結婚をおさせになることも多かったのですから、
  "Sayau ni omohi-yoru koto habere do, sore mo kataki koto ni nam ari keru. Inisihe no tamesi wo kiki haberu ni mo, yo wo tamotu sakari no Miko ni dani, hito wo erabi te, saru sama no koto wo si tamahe ru taguhi ohokari keri.
3.7.2  ましてかく、今はとこの世を離るる際にて、ことことしく思ふべきにもあらねど、また、しか捨つる中にも、捨てがたきことありて、さまざまに思ひわづらひはべるほどに、病は重りゆく。また取り返すべきにもあらぬ月日の過ぎゆけば、心あわたたしくなむ。
 ましてこのように、これが最後とこの世を離れる時になって、仰々しく思い悩むこともないのですが、また一方、世を捨てた中にも、捨て去り難いことがあって、いろいろと思い悩んでいましたうちに、病気は重くなってゆく。再び取り戻すことのできない月日も過ぎて行くので、気が急いてなりません。
 まして私のように出家までもする凋落ちょうらくに傾いた者の子の配偶者はむずかしい。資格をしいて言いませんが、またどうでもよいとすべてを言ってしまうこともできなくて煩悶はんもんばかりを多くして、病気はいよいよ重るばかりだし、取り返せぬ月日もどんどんたっていくのですから気が気でもない。
  Masite kaku, ima-ha to konoyo wo hanaruru kiha ni te, koto-kotosiku omohu beki ni mo ara ne do, mata, sika suturu naka ni mo, sute gataki koto ari te, sama-zama ni omohi wadurahi haberu hodo ni, yamahi ha omori yuku. Mata tori-kahesu beki ni mo ara nu tuki-hi no sugi-yuke ba, kokoro awatatasiku nam.
3.7.3   かたはらいたき譲りなれど、このいはけなき内親王、一人、 分きて育み生ほして、さるべきよすがをも、御心に思し定めて預けたまへ、と聞こえまほしきを
 恐縮なお譲りごとなのですが、この幼い内親王、一人、特別にお目にかけ育てくださって、適当な婿をも、あなたのお考え通りにお決めくださって、その人にお預けくださいと申し上げたいところですが。
 お気の毒な頼みですが、幼い内親王を一人、特別な御好意で預かってくだすって、だれでもあなたの鑑識にかなった人と縁組みをさせていただきたいと私はそのことをお話ししたかったのです。
  Kataharaitaki yuduri nare do, kono ihakenaki Naisinwau, hitori, wakite hagukumi ohosi te, saru-beki yosuga wo mo, mi-kokoro ni obosi sadame te aduke tamahe, to kikoye mahosiki wo.
3.7.4  権中納言などの独りものしつるほどに、進み寄るべくこそありけれ。太政大臣君に先ぜられて、ねたくおぼえはべる」
 権中納言などが独身でいた時に、こちらから申し出るべきであった。太政大臣に先を越されて、残念に思っています」
 権中納言などの独身時代にその話を持ち出せばよかったなどと思うのです。太政大臣にせんを越されてうらやましく思われます」
  Gon-no-Tyuunagon nado no hitori monosi turu hodo ni, susumi-yoru beku koso ari kere. Ohoimauti-Gimi ni sen-ze rare te, netaku oboye haberu."
3.7.5  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 と朱雀すざく院は仰せられた。
  to kikoye tamahu.
3.7.6  「 中納言の朝臣、まめやかなる方は、いとよく仕うまつりぬべくはべるを、何ごともまだ浅くて、たどり少なくこそはべらめ。
 「中納言の朝臣は、誠実という点では、たいそうよくお仕え致しましょうが、何事もまだ経験が浅くて、分別が足りのうございましょう。
 「中納言はまじめで忠良な良人おっとになりうるでしょうが、まだ位なども足りない若さですから、広く思いやりのある姫宮の御補佐としては役だちませんでしょう。
  "Tyuunagon-no-Asom, mameyaka naru kata ha, ito yoku tukau-maturi nu beku haberu wo, nani-goto mo mada asaku te, tadori sukunaku koso habera me.
3.7.7   かたじけなくとも、深き心にて後見きこえさせはべらむにおはします御蔭に変りては思されじを、ただ行く先短くて、仕うまつりさすことやはべらむと、疑はしき方のみなむ、心苦しくはべるべき」
 恐れ多いことですが、真心をこめてご後見させていただきましたら、御在俗中と違ってはお思いなされないでしょうが、ただ老い先が短くて、途中でお仕えできなくなることがございはしまいかと、懸念される点だけが、お気の毒でございます」
 失礼でございますが、私が深く愛してお世話を申し上げますれば、あなた様のお手もとにおられますのとたいした変化もなく平和なお気持ちでお暮らしになることができるであろうと存じますが、ただそれはこの年齢の私でございますから、中途でお別れすることになろうという懸念が大きいのでございます」
  Katazikenaku tomo, hukaki kokoro ni te usiromi kikoye sase habera m ni, ohasimasu ohom-kage ni kahari te ha, obosa re zi wo, tada yukusaki mizikaku te, tukau-maturi-sasu koto ya habera m to, utagahasiki kata nomi nam, kokoro-gurusiku haberu beki."
3.7.8  と、 受け引き申したまひつ
 と言って、お引き受け申し上げなさった。
 こうお言いになって、六条院は女三にょさんみやとの御結婚をお引き受けになったのであった。
  to, ukehiki mausi tamahi tu.
注釈191さやうに思ひ寄る事はべれど以下「ねたくおぼえはべる」まで、朱雀院の詞。3.7.1
注釈192さるさまのことを内親王の結婚をさす。3.7.1
注釈193かたはらいたき譲りなれど以下、女三の宮を源氏に降嫁させるべく話を切り出す。内親王の降嫁を「譲り」と表現する。3.7.3
注釈194分きて育み生ほして、さるべきよすがをも、御心に思し定めて預けたまへ、と聞こえまほしきを『集成』は「特にお目をかけて下さって、適当な婿も、あなたのお考えどおりにお決め下さって、(その人に)お預け下さいと、お願いしたいところですが」「はじめから単刀直入に、源氏を婿に、とは言い出せない、幅を持たせた話術」。『完訳』は「特別にお目にかけてくださって、しかるべき縁づき先もあなたのお考えで決めて、そちらにお預けくださるようお願い申したいのですが--」「適当な婿も、あなたのお考えどおりに決めてくださいと申したいところだが。源氏を婿にとは言わないが、本心はそこにある」と訳し注す。3.7.3
注釈195中納言の朝臣以下「心苦しくはべるべき」まで、源氏の詞。3.7.6
注釈196かたじけなくとも深き心にて後見きこえさせはべらむに源氏が女三の宮の後見を切り出した表現。「後見きこえさせはべらむ」の主語は源氏。3.7.7
注釈197おはします御蔭に変りては朱雀院の御在俗中の庇護をさす。3.7.7
注釈198受け引き申したまひつ源氏、女三の宮降嫁の件を承諾。3.7.8
3.8
第八段 朱雀院の饗宴


3-8  There is a banquet by Suzaku

3.8.1   夜に入りぬれば、主人の院方も、 客人の上達部たちも、皆御前にて、御饗のこと、精進物にて、うるはしからず、なまめかしくせさせたまへり。院の御前に、浅香の懸盤に御鉢など、昔に変はりて参るを、人びと、涙おし拭ひたまふ。 あはれなる筋のことどもあれど、うるさければ書かず
 夜に入ったので、主人の院方も、お客の上達部たちも、皆御前において、御饗応の事があり、精進料理で、格式ばらずに、風情ある感じにおさせになっていた。院の御前に、浅香の懸盤に御鉢など、在俗の時とは違って差し上げるのを、人々は、涙をお拭いになる。しみじみとした和歌が詠まれたが、煩わしいので書かない。
 夜になったので御主人の院付きの高官も六条院に供奉ぐぶして参った高官たちにも御饗応きょうおうぜんが出た。正式なものでなくお料理は精進物の風流な趣のあるもので、席にはお居間が用いられた。朱雀院のは塗り物でない浅香の懸盤かけばんの上で、はちへ御飯を盛る仏家の式のものであった。こうした昔に変わる光景に列席者は涙をこぼした。身にしむ気分の出た歌も人々によってまれたのであったが省略しておく。
  Yo ni iri nure ba, aruzi no Win-kata mo, marauto no Kamdatime-tati mo, mina o-mahe ni te, ohom-aruzi no koto, syauzi-mono ni te, uruhasikara zu, namamekasiku se sase tamahe ri. Win no o-mahe ni, senkau no kakeban ni mi-hati nado, mukasi ni kahari te mawiru wo, hito-bito, namida osinogohi tamahu. Ahare naru sudi no koto-domo are do, urusakere ba kaka zu.
3.8.2   夜更けて帰りたまふ。禄ども、次々に賜ふ。 別当大納言も御送りに参りたまふ。主人の院は、今日の雪にいとど御邪加はりて、かき乱り悩ましく思さるれど、この宮の御事、聞こえ定めつるを、心やすく思しけり。
 夜が更けてお帰りになる。禄の品々を、次々と御下賜される。別当の大納言もお送りに供奉申し上げなさる。主の院は、今日の雪にますますお風邪まで召されて、御気分が悪く苦しくいらっしゃるが、この姫宮の御身の上を、御依頼し決定なさったので、御安心なさったのであった。
 夜がふけてから六条院はお帰りになったのである。それぞれ等差のある纏頭てんとうを供奉の人々はいただいた。別当大納言はお送りをして六条院へまで来た。朱雀院は雪の降っていたこの日に起きておいでになったために、また風邪かぜをお引き添えになったのであるが、女三の宮の婚約が成り立ったことで御安心をあそばされた。
  Yo huke te kaheri tamahu. Roku-domo, tugi-tugi ni tamahu. Bettau-Dainagon mo ohom-okuri ni mawiri tamahu. Aruzi-no-Win ha, kehu no yuki ni itodo ohom-kaze kuhahari te, kaki-midari nayamasiku obosa rure do, kono Miya no ohom-koto, kikoye sadame turu wo, kokoro-yasuku obosi keri.
注釈199夜に入りぬれば朱雀院の饗応、精進料理。3.8.1
注釈200客人の上達部たちも源氏に供奉してきた上達部たち。3.8.1
注釈201あはれなる筋のことどもあれどうるさければ書かず『細流抄』は「草子地也」と指摘。『集成』は「語り手の女房の言葉の体」。『完訳』は「語り手の省筆の弁」と注す。3.8.1
注釈202夜更けて帰りたまふ源氏、夜が更けてから朱雀院から六条院へ帰邸。3.8.2
注釈203別当大納言朱雀院の別当。かつて女三の宮の降嫁を望んだ一人。3.8.2
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年3月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月4日

Last updated 9/23/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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