34 若菜上(明融臨模本)


WAKANA-NO-ZYAU


光る源氏の准太上天皇時代
三十九歳暮から四十一歳三月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from the end of 39 to March the age of 41

14
第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴


14  Tale of Sam-no-Miya  A banquet of after the kemari

14.1
第一段 蹴鞠の後の酒宴


14-1  A banquet of after the kemari

14.1.1  大殿御覧じおこせて、
 大殿がこちらを御覧になって、
 院がこの若い二人の高官のいるほうを御覧になって、
  Otodo go-ran-zi okose te,
14.1.2  「 上達部の座、いと軽々しや。こなたにこそ
 「上達部の座席には、あまりに軽々しいな。こちらに」
 「高官たちの席があまりに軽々しい。こちらへおいでなさい」
  "Kamdatime no za, ito karo-garosi ya! Konata ni koso."
14.1.3  とて、 対の南面に入りたまへれば、みなそなたに参りたまひぬ。宮もゐ直りたまひて、御物語したまふ。
 とおっしゃって、東の対の南面の間にお入りになったので、皆そちらの方にお上りになった。兵部卿宮も席をお改めになって、お話をなさる。
 とお言いになって、対のほうの南の座敷へおはいりになったので人々も皆従って行った。兵部卿の宮はまたへやの中へ院とごいっしょに席を移してお落ち着きになった。高官らもごいっしょである。
  tote, tai no minami-omote ni iri tamahe re ba, mina sonata ni mawiri tamahi nu. Miya mo wi-nahori tamahi te, ohom-monogatari sitamahu.
14.1.4  次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、 椿餅、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。さるべき乾物ばかりして、御土器参る。
 それ以下の殿上人は、簀子に円座を召して、気楽に、椿餅、梨、柑子のような物が、いろいろないくつもの箱の蓋の上に盛り合わせてあるのを、若い人々ははしゃぎながら取って食べる。適当な干物ばかりを肴にして、酒宴の席となる。
 殿上役人たちは敷き物を得て縁側の座に着いた。饗応きょうおうというふうでなく椿餠つばきもちなし蜜柑みかんなどが箱のふたに載せて出されてあったのを、若い人たちは戯れながら食べていた。乾物類のさかなでお座敷の人々へは酒杯が勧められた。
  Tugi-tugi no Tenzyau-bito ha, sunoko ni warahuda mesi te, wazato naku, tubai-motihi, nasi, kauzi yau no mono-domo, sama-zama ni hako no huta-domo ni tori-maze tutu aru wo, wakaki hito-bito sobore tori kuhu. Saru-beki kara-mono bakari si te, ohom-kaharake mawiru.
14.1.5  衛門督は、いといたく思ひしめりて、ややもすれば、花の木に目をつけて眺めやる。大将は、 心知りに、「 あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやあらむ 」と思ひたまふ。
 衛門督は、たいそうひどく沈みこんで、ややもすれば、花の木に目をやってぼんやりと物思いに耽っている。大将は、事情を知っているので、「妙なことから垣間見た御簾の透影を思い出しているのだろう」とお考えになる。
 衛門督はじっと思い入ったふうをしていて、ともすれば庭の桜へ目をやった。大将はあの場を共に見た人であったから、衛門督が作っている幻の何であるかがわかる気もするのであった。
  Wemon-no-Kami ha, ito itaku omohi simeri te, yaya mo sure ba, hana no ki ni me wo tuke te nagame-yaru. Daisyau ha, kokoro-siri ni, "Ayasikari turu mi-su no sukikage omohi-iduru koto ya ara m." to omohi tamahu.
14.1.6  「 いと端近なりつるありさまを、 かつは軽々しと思ふらむかし。いでや。 こなたの御ありさまの、さはあるまじかめるものを」と思ふに、「 かかればこそ、世のおぼえのほどよりは、 うちうちの御心ざしぬるきやうにはありけれ」
 「とても端近にいた様子を、一方では軽率だと思っているだろう。いやはや。こちらのご様子は、あのようなことは決してありますまいものを」と思うと、「こんなふうだから、世間の評判が高い割には、内々のご愛情は薄いようなのだった」
 軽々しくあまりな端近へ出ておられたものであると大将は姫宮をお思いした。あれだけの方がなされることでもないのであるがと思われてくるにしたがって、今まで不可解であったこと
  "Ito hasi-dika nari turu arisama wo, katu ha karo-garosi to omohu ram kasi. Ideya! Konata no mi-arisama no, sa ha arumazika' meru mono wo." to omohu ni, "Kakare ba koso, yo no oboye no hodo yori ha, uti-uti no mi-kokorozasi nuruki yau ni ha ari kere."
14.1.7  と思ひ合はせて、
 と合点されて、
 に合点のゆく気もした。
  to omohi-ahase te,
14.1.8  「 なほ、内外の用意多からず、いはけなきは、らうたきやうなれど、うしろめたきやうなりや」
 「やはり、他人に対しても自分に対しても、不用心で、幼いのは、かわいらしいようだが不安なものだ」
 そんな欠点がおありになるために、世間でたいした方のようにいう割合に院の御愛情が薄いという理由が発見されたのである。貴女らしいお慎みが足らず、無邪気であることは可憐かれんなものだが、その人の良人おっとになっては安心のできないことであろう
  "Naho, uti-to no youi ohokara zu, ihakenaki ha, rautaki yau nare do, usirometaki yau nari ya!"
14.1.9  と、思ひ落とさる。
 と、軽んじられる。
 と軽侮する念も起こった。
  to, omohi-otosa ru.
14.1.10   宰相の君はよろづの罪をもをさをさたどられず、おぼえぬものの隙より、ほのかにもそれと見たてまつりつるにも、「 わが昔よりの心ざしのしるしあるべきにや」と、契りうれしき心地して、 飽かずのみおぼゆ
 宰相の君は、いろんな欠点をもなかなか気づかず、思いがけない御簾の隙間から、ちらっとその方と拝見したのも、「自分の以前からの気持ちが報いられるのではないか」と、前世からの約束も嬉しく思われて、どこまでもお慕い続けている。
 衛門督は道義も何も思わぬ盲目的な情熱に燃えていた。思いも寄らぬ物の間からほのかながらも確かにその方を見ることができたのも、自分の長い間の恋の祈りが神仏に受け入れられた結果であろうと、こんな解釈をしながらも、ただそれが瞬間のことであったのを残念がった。
  Saisyau-no-Kimi ha, yorodu no tumi wo mo wosa-wosa tadorare zu, oboye nu mono no hima yori, honoka ni mo sore to mi tatematuri turu ni mo, "Waga mukasi yori no kokorozasi no sirusi aru beki ni ya?" to, tigiri uresiki kokoti si te, akazu nomi oboyu.
注釈893上達部の座いと軽々しやこなたにこそ源氏の詞。上達部は夕霧や柏木をさす。14.1.2
注釈894対の南面に東の対の南面の間。14.1.3
注釈895椿餅梨柑子やうのものども椿餅、梨、柑子というが、春三月に梨の実があるとは思われない。梨を使った加工食品であろうか。14.1.4
注釈896心知りに事情を知っているので、の意。14.1.5
注釈897あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやあらむ夕霧の心中。『集成』は「(柏木が)妙なことから垣間見た、御簾の隙間の女三の宮のお姿を思い浮べているのであろうかと」と訳す。14.1.5
注釈898いと端近なりつる以下あるまじかめるものを」まで、夕霧の心中。14.1.6
注釈899かつは軽々しと思ふらむかし主語は柏木。柏木の心中を忖度。14.1.6
注釈900こなたの紫の上をさす。14.1.6
注釈901かかればこそ以下「ありけれ」まで、夕霧の心中。14.1.6
注釈902うちうちの御心ざし源氏のご寵愛。14.1.6
注釈903なほ内外の用意以下「うしろめたきやうなりや」まで、夕霧の心中。同様の主旨を言っている「帚木」巻の女性論が思い合わされる。14.1.8
注釈904宰相の君は柏木。宰相兼右衛門督である。初めて語られる。14.1.10
注釈905よろづの罪をもをさをさたどられず『完訳』は「宮にどんな欠点があろうと、ほとんど顧みるゆとりもなく」と訳す。14.1.10
注釈906わが昔よりの心ざしのしるしあるべきにや柏木の心中。14.1.10
注釈907飽かずのみおぼゆ『完訳』は「どこまでも宮に心を奪われている」と注す。14.1.10
校訂212 ことや ことや--ことも(も/$)や 14.1.5
14.2
第二段 源氏の昔語り


14-2  Genji talks about old days to Kashiwagi and others

14.2.1  院は、 物語し出でたまひて、
 院は、昔話を始めなさって、
 院は座中の人に昔の話をいろいろあそばして、
  Win ha, mukasi-monogatari si-ide tamahi te,
14.2.2  「 太政大臣の、よろづのことにたち並びて、勝ち負けの定めしたまひし中に、鞠なむえ及ばずなりにし。はかなきことは、伝へあるまじけれど、ものの筋はなほこよなかりけり。いと目も及ばず、 かしこうこそ見えつれ
 「太政大臣が、どのような事でも、わたしを相手にして勝負の争いをなさった中で、蹴鞠だけはとても敵わなかった。ちょっとした遊び事には、別に伝授があるはずもないが、名人の血統はやはり特別であったよ。たいそう目も及ばぬほど、上手に見えた」
 「太政大臣は私の相手で勝負をよく争われたものだが、蹴鞠けまりの技術だけはとうてい自分が敵することのできぬ巧さがおありになった。親のすべてが子に現われてくるものではなかろうが、やはり芸の道だけは不思議によく伝わるものだね。あなたの今日のできばえはたいしたものだった」
  "Ohoki-Otodo no, yorodu no koto ni tati-narabi te, kati-make no sadame si tamahi si naka ni, mari nam e oyoba zu nari ni si. Hakanaki koto ha, tutahe arumazikere do, mono no sudi ha naho koyonakari keri. Ito me mo oyoba zu, kasikou koso miye ture."
14.2.3  とのたまへば、 うちほほ笑みて
 とおっしゃると、ちょっと苦笑して、
 と衛門督へお言いになると、微笑を見せて
  to notamahe ba, uti-hohowemi te,
14.2.4  「 はかばかしき方にはぬるくはべる 家の風の 、さしも吹き伝へはべらむに、後の世のため、異なることなくこそはべりぬべけれ」
 「公の政務にかけては劣っております家風が、そのような方面では伝わりましても、子孫にとっては、大したことはございませんでしょう」
 「他の点では父祖を恥ずかしめるような私でございますが、遺伝の蹴鞠の芸だけで後世へ名を残すことになりましたらそれで無事かもしれません」
  "Haka-bakasiki kata ni ha nuruku haberu ihe-no-kaze no, sasimo huki-tutahe habera m ni, noti-no-yo no tame, koto-naru koto naku koso haberi nu bekere."
14.2.5  と申したまへば、
 とお答え申されると、
 と言った。
  to mausi tamahe ba,
14.2.6  「 いかでか。何ごとも人に異なるけぢめをば、記し伝ふべきなり。家の伝へなどに書き留め入れたらむこそ、興はあらめ」
 「どうしてそんなことが。何事でも他人より勝れている点を、書き留めて伝えるべきなのだ。家伝などの中に書き込んでおいたら、面白いだろう」
 「何も悪くはない。どんなことでも人に出抜けたことは書いておいて後世へ伝うべきだから」
  "Ikade ka? Nani-goto mo hito ni koto-naru kedime wo ba, sirusi tutahu beki nari. Ihe no tutahe nado ni kaki-todome ire tara m koso, kyou ha ara me."
14.2.7  など、戯れたまふ御さまの、匂ひやかにきよらなるを 見たてまつるにも
 などと、おからかいになるご様子が、つやつやとして美しいのを拝見するにつけても、
 などと冗談じょうだんをお言いになる院の御様子の若々しくて、またお美しいのを衛門督は見て、
  nado, tahabure tamahu ohom-sama no, nihohiyaka ni kiyora naru wo mi tatematuru ni mo,
14.2.8  「 かかる人に ならひて、いかばかりのことにか心を移す人はものしたまはむ。何ごとにつけてか、 あはれと見ゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき」
 「このような方と一緒にいては、どれほどのことに心を移す人がいらっしゃるだろうか。いったい、どうしたら、かわいそうにとお認め下さるほどにでも、気持ちをお動かし申し上げることができようか」
 自分は何によってこの方をおいて宮のお心を自分へ向けることができよう
  "Kakaru hito ni narahi te, ikabakari no koto ni ka kokoro wo utusu hito ha monosi tamaha m? Nani-goto ni tuke te ka, ahare to mi yurusi tamahu bakari ha, nabikasi kikoyu beki."
14.2.9  と、思ひめぐらすに、いとどこよなく、御あたりはるかなるべき身のほども思ひ知らるれば、胸のみふたがりて まかでたまひぬ。
 と、あれこれ思案すると、ますますこの上なく、お側には近づきがたい身分の程が自然と思い知らされるので、ただもう胸の塞がる思いで退出なさった。
 と院と自身を比較してもみたが、何からも優越したものを見いだされないのをついに知り、衛門督は寂しい心になって六条院を退出した。
  to, omohi-megurasu ni, itodo koyonaku, ohom-atari haruka naru beki mi no hodo mo omohi-sira rure ba, mune nomi hutagari te makade tamahi nu.
注釈908太政大臣のよろづの以下「かしこうこそ見えつれ」まで源氏の詞。源氏と太政大臣の間で、何事にも彼に勝ってきたが、蹴鞠だけは及ばなかったという。14.2.2
注釈909かしこうこそ見えつれ『集成』は「〔今日のあなたは〕上手だった」。『完訳』は「わたしには及びもつかぬくらい上手なものだと見えました」と訳す。14.2.2
注釈910うちほほ笑みて主語は柏木。照れ笑いの意。14.2.3
注釈911はかばかしき方には以下「はべりぬべけれ」まで、柏木の返答。謙遜する。「はかばかしき方」は公務政治向きの事柄をさす。14.2.4
注釈912家の風の「久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしがな」(拾遺集雑上、四七三、菅原道真の母)を引歌とする。14.2.4
注釈913いかでか以下「興はあらめ」まで、源氏の詞。「いかでか」は反語。否定になる。どうしてそんなことがあろうか、そうではないの意。14.2.6
注釈914見たてまつるにも主語は柏木。14.2.7
注釈915かかる人に以下「なびかし聞こゆべき」まで、柏木の心中。源氏に対するコンプレックス。14.2.8
注釈916ならひて『集成』は「ならひて」「こんな立派な方(源氏)を見馴れていて」。『完訳』は「並びて」「源氏ほどの人に連れ添う宮は」と訳す。14.2.8
注釈917あはれと見ゆるしたまふばかり『集成』は「せめてかわいそうにと大目に見て下さるほどにでも」。『完訳』は「せめてこの自分をいじらしい者よとそのまま認めてくださる程度にでも」と訳す。14.2.8
出典41 家の風 久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしかな 拾遺集雑上-四七三 菅原道真母 14.2.4
校訂213 昔--むかし△(△/#) 14.2.1
校訂214 まかで まかで--まかり(り/$)て 14.2.9
14.3
第三段 柏木と夕霧、同車して帰る


14-3  Kashiwagi and Yugiri go back together from Rokujo-in

14.3.1   大将の君一つ車にて、道のほど物語したまふ
 大将の君と同車して、途中お話なさる。
 大将も帰りを共にして衛門督と車中で話し合った。
  Daisyau-no-Kimi hitotu-kuruma nite, miti no hodo monogatari si tamahu.
14.3.2  「 なほ、このころのつれづれには、この院に参りて、紛らはすべきなりけり」
 「やはり、今ごろの退屈な時には、こちらの院に参上して、気晴らしすべきだ」
 「春の日の退屈を紛らわすのには六条院へ伺うのがいちばんよいことですね。
  "Naho, kono-koro no ture-dure ni ha, kono Win ni mawiri te, magirahasu beki nari keri."
14.3.3  「今日のやうならむ暇の隙待ちつけて、花の折過ぐさず参れ、とのたまひつるを、春惜しみがてら、月のうちに、 小弓持たせて参りたまへ」
 「今日のような暇な日を見つけて、花の季節を逃さず参上せよと、おっしゃったが、行く春を惜しみがてらに、この月中に、小弓をお持ちになって参上ください」
 また今日のようなひまの出来た時分、桜の散らぬ間にもう一度来るようにおっしゃっていましたから、春を惜しみがてらにこの月のうちにもう一度、その時は小弓をお供にお持たせになっていらっしゃい」
  "Kehu no yau nara m itoma no hima mati-tuke te, hana no wori sugusa zu mawire, to notamahi turu wo, haru wosimi-gatera, tuki no uti ni, koyumi mota se te mawiri tamahe."
14.3.4  と語らひ契る。おのおの別るる道のほど物語したまうて、宮の御事のなほ言は まほしければ、
 と約束し合う。お互いに別れる道までお話なさって、宮のお噂がやはりしたかったので、
 と大将は言うのであった。道の別れ目までこうして同車して行くのであったが、衛門督は女三にょさんみやのおうわさばかりがしたくて、
  to katarahi tigiru. Ono-ono wakaruru miti no hodo monogatari si tamau te, Miya no ohom-koto no naho iha mahosikere ba,
14.3.5  「 院には、なほこの対にのみものせさせたまふなめりな。 かの御おぼえの異なるなめりかし。この宮いかに思すらむ。帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、 さしもあらで、屈したまひにたらむこそ、心苦しけれ」
 「院におかれては、やはり東の対の御方にばかりいらっしゃるようですね。あちらの方へのご愛情が格別勝るからでしょう。こちらの宮はどのようにお思いでしょうか。院の帝が並ぶ者のないお扱いをずっとしてお上げになっていらっしゃったのに、それほどでもないので、沈み込んでいらっしゃるようなのは、お気の毒なことです」
 「院は今でも平生のお住居すまいは対のほうに決めていらっしゃるようですね。宮様はどんな気持ちでいられるだろう。朱雀すざく院様が御秘蔵になすった方が、第一のちょうを他の夫人に譲って、しかも同じ家におられるかと思うとお気の毒ですね」
  "Win ni ha, naho kono Tai ni nomi monose sase tamahu na' meri na! Kano ohom-oboye no koto-naru na' meri kasi. Kono Miya ikani obosu ram? Mikado no narabi naku narahasi tatematuri tamahe ru ni, sasimo ara de, kut-si tamahi ni tara m koso, kokoro-gurusikere."
14.3.6  と、 あいなく言へば
 と、よけいな事を言うので、
 こんな無遠慮なことを言い出すと、
  to, ainaku ihe ba,
14.3.7  「 たいだいしきこと。いかでかさはあらむ。こなたは、さま変はりて生ほしたてたまへる睦びの けぢめばかりにこそあべかめれ。宮をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく思ひきこえたまへるものを」
 「とんでもないことです。どうしてそんなことがありましょう。こちらの御方は、普通の方とは違った事情でお育てなさったお親しさの違いがおありなのでしょう。宮を何かにつけて、たいそう大事にお思い申し上げていらっしゃいますものを」
 「そんな失礼なことを院はなさいませんよ。対の夫人は普通におめとりになったのでなく、御自身でお育てになった方だという事実から、少し違った親しみがおありになるだけでしょう。宮様を何事の上にでも第一夫人として立てておられますよ」
  "Tai-daisiki koto. Ikade ka saha ara m. Konata ha, sama kahari te ohosi-tate tamahe ru mutubi no kedime bakari ni koso a' beka' mere. Miya wo ba, kata-gata ni tuke te, ito yamgotonaku omohi kikoye tamahe ru mono wo."
14.3.8  と語りたまへば、
 とお話しになると、
 と大将は否定した。
  to katari tamahe ba,
14.3.9  「 いで、あなかま。たまへ。皆聞きてはべり。いといとほしげなる折々あなるをや。 さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。ありがたきわざなりや」
 「いや、黙って下さい。すっかり聞いております。とてもお気の毒な時がよくあるというではありませんか。実のところ、並々ならぬ御寵愛の宮ですのに。考えられないお扱いではないですか」
 「そんなことはまあ言わないでお置きなさい。私は皆聞いて知っていますよ。とてもお気の毒な御様子でおられる時があるのだと言いますよ。光輝ある院の姫君がそれですよ。もったいない気のするのが当然じゃありませんか。
  "Ide, ana-kama! Tamahe. Mina kiki te haberi. Ito itohosige naru wori-wori a' naru wo ya! Saruha, yo ni osinabe tara nu hito no ohom-oboye wo. Arigataki waza nari ya!"
14.3.10  と、いとほしがる。
 と、お気の毒がる。

  to, itohosi-garu.
14.3.11  「 いかなれば花に木づたふ鴬の
 「どうして、花から花へと飛び移る鴬は
  いかなれば花に伝ふうぐひす
    "Ika nare ba hana ni ko-dutahu uguhisu no
14.3.12   桜をわきてねぐらとはせぬ
  桜を別扱いしてねぐらとしないのでしょう
  桜を分きてねぐらとはせぬ
    sakura wo waki te negura to ha se nu
14.3.13   春の鳥の、桜一つにとまらぬ心よ。あやしとおぼゆることぞかし」
 春の鳥が、桜だけにはとまらないことよ。不思議に思われることですよ」
 春の鳥でいながらねえ。私には合点のいかないことですよ」
  Haru no tori no, sakura hitotu ni tomara nu kokoro yo. Ayasi to oboyuru koto zo kasi."
14.3.14  と、口ずさびに言へば、
 と、口ずさみに言うので、
 とも言う。
  to, kuti-zusabi ni ihe ba,
14.3.15  「 いで、あなあぢきなのもの扱ひや、さればよ」と思ふ。
 「何と、つまらないおせっかいだ。やっぱり思った通りだな」と思う。
 穏当でないたとえをこの人はする、こんな乱暴なことを言うようになったのは、自分が想像したとおりに姫君を見た友が恋を覚えたものに違いないと大将は思った。
  "Ide, ana adikina no mono atukahi ya, sareba-yo." to omohu.
14.3.16  「 深山木にねぐら定むるはこ鳥も
 「深山の木にねぐらを決めているはこ鳥も
  「深山木みやまぎねぐら定むるはこ鳥も
    "Miyama-gi ni negura sadamuru hako tori mo
14.3.17   いかでか花の色に飽くべき
  どうして美しい花の色を嫌がりましょうか
  いかでか花の色に飽くべき
    ikade ka hana no iro ni aku beki
14.3.18   わりなきこと。ひたおもむきにのみやは
 理屈に合わない話です。そう一方的におっしゃってよいものですか」
 あなたは誤解の上に立脚してお言いになるのだ」
  Wari naki koto. Hita-omomuki ni nomi yaha."
14.3.19   といらへて、わづらはしければ、 ことに言はせずなりぬ。異事に言ひ紛らはして、おのおの別れぬ。
 と答えて、面倒なので、それ以上物を言わせないようにした。他に話をそらせて、それぞれ別れた。
 と反対して言ったが、興奮している右衛門督とこの問題を語ることは避くべきであると思い、あとはほかの話に紛らして別れた。
  to irahe te, wadurahasikere ba, koto ni iha se zu nari nu. Koto-goto ni ihi-magirahasi te, ono-ono wakare nu.
注釈918大将の君一つ車にて道のほど物語したまふ柏木は夕霧と同車して女三の宮への同情を語る。六条院から夕霧の三条邸、柏木の二条邸へ帰る途中。14.3.1
注釈919なほこのころの以下「参りたまへ」(まで、柏木と夕霧の詞。『集成』は全体を夕霧の詞とみる。『完訳』は「なほこのごろの」から「紛らはすべきなりけり」までを柏木の詞。「今日の」以下「参りたまへ」までの後半を夕霧の詞と解す。14.3.2
注釈920小弓持たせて「せ」使役の助動詞。随身供人に小弓を持たせての意。14.3.3
注釈921院にはなほ以下「心苦しけれ」まで、柏木の詞。女三の宮への同情。14.3.5
注釈922かの御おぼえ源氏の紫の上に対する寵愛。14.3.5
注釈923さしもあらで『集成』は「(六条の院では)それほどでもなくて」。『完訳』は「殿のお気持はそれほどでもないものですから」と訳す。14.3.5
注釈924あいなく言へば『全集』は「ずけずけと堰を切ったように繰り出される柏木の言葉について、これを不穏当とする語り手の気持をこめる」と注す。14.3.6
注釈925たいだいしきこと以下「思ひきこえたまへるものを」まで、夕霧の反論。14.3.7
注釈926けぢめばかりにこそあべかめれ『完訳』は「そこに宮とちがうところがおありなのでしょう」と訳す。14.3.7
注釈927いであなかまたまへ以下「ありがたきわざなりや」まで、柏木の反論。14.3.9
注釈928さるは世におしなべたらぬ人の御おぼえを『集成』は「実際は、一通りではない女三の宮のご声望ですのに」。『完訳』は「それにしても、並一通りではなく父院がお目をかけあそばしたお方ですのに」と訳す。14.3.9
注釈929いかなれば花に木づたふ鴬の桜をわきてねぐらとはせぬ柏木の歌。花を六条院の女君に、鴬を源氏に、桜を女に喩え、源氏が女三の宮を大事にしないことを非難する。14.3.11
注釈930春の鳥の桜一つにとまらぬ心よ以下「おぼゆるぞかし」まで、歌に続けた柏木の詞。『集成』は「春の鳥ならば、美しい桜だけにとまればよいものを」。『完訳』は「春の鳥の、桜ひとつに心をとどめぬとは移り気な心よ」と訳す。14.3.13
注釈931いであなあぢきなのもの扱ひやさればよ夕霧の感想。夕霧、柏木の女三の宮に対する恋情を確信する。14.3.15
注釈932深山木にねぐら定むるはこ鳥もいかでか花の色に飽くべき夕霧の返歌。「花」「ねくら」の語句を受け、「鴬」は「はこ鳥」として返す。深山木を紫の上に、はこ鳥を源氏に、花を女三の宮に喩える。春の美しい花に飽きたりはしない、と反論。14.3.16
注釈933わりなきことひたおもむきにのみやは歌に続けた夕霧の詞。「やは」反語表現。そう一方的に決めつけてよいものか、そうではない、の意。14.3.18
注釈934ことに言はせずなりぬ「せ」使役の助動詞。夕霧が柏木にそれ以上言わせなかった、の意。14.3.19
出典42 深山木にねぐら 深山木に夜は来て鳴くはこ鳥の明けば帰らむことをこそ思へ 古今六帖六-四四八三 14.3.16
校訂215 まほし まほし--ま(ま/+ほ)し 14.3.4
校訂216 といらへて といらへて--(/+と)いらへて 14.3.19
14.4
第四段 柏木、小侍従に手紙を送る


14-4  Kashiwagi send a letter to Ko-ziju

14.4.1   督の君は、なほ大殿の東の対に、独り住みにてぞものしたまひける。 思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やり ならずさうざうしく心細き折々 あれど
 督の君は、やはり太政大臣邸の東の対に、独身で暮らしていらっしゃっるのであった。考えるところがあって、長年このような独身生活をしてきが、誰のせいでもなく自分からもの寂しく心細い時々もあるが、
 衛門督はまだ太政大臣家の東の対に独身で暮らしているのである。結婚にある理想を持っていて長くこうして来たのであるが、時には非常に寂しく心細く思うこともあるものの、
  Kam-no-Kimi ha, naho Ohoi-dono no himgasi-no-tai ni, hitori-zumi nite zo monosi tamahi keru. Omohu kokoro ari te, tosi-goro kakaru sumahi wo suru ni, hito-yari-nara-zu sau-zausiku kokoro-bosoki wori-wori are do,
14.4.2  「 わが身かばかりにて、などか思ふことかなはざらむ」
 「自分はこれほどの身分で、どうして思うことが叶わないことがあろうか」
 自分ほどの者に思うことのかなわないことはない
  "Waga-mi kabakari ni te, nadoka omohu koto kanaha zara m?"
14.4.3  とのみ、心おごりをするに、この夕べより屈しいたく、もの思はしくて、
 と、ばかり自負しているが、この夕方からひどく気持ちが塞ぎ、物思いに沈み込んで、
 という自信を多分に持って、そうした寂寥せきりょう感は心から追っているのであった。それがこの日の夕べからは頭が痛み出し、堪えがたい煩悶はんもんをいだくようになった。
  to nomi, kokoro-ogori wo suru ni, kono yuhube yori kut-si itaku, mono-omohasiku te,
14.4.4  「 いかならむ折に、またさばかりにても、ほのかなる御ありさまをだに見む。 ともかくもかき紛れたる際の人こそ、かりそめにもたはやすき物忌、方違への移ろひも 軽々しきに、おのづから ともかくものの隙をうかがひつくるやうもあれ」
 「どのような機会に、再びあれぐらいでもよい、せめてちらっとでもお姿を見たいものだ。何をしても人目につかない身分の者なら、ちょっとでも手軽な物忌や、方違えの外出も身軽にできるから、自然と何かと機会を見つけることもできようが」
 どんな時にまたあれだけの機会がつかめるであろう、どんなことも目だたずに済む階級の恋人であれば、その人の謹慎日とか、自分の方角けとか、巧みな策略を作って、居所へうかがい寄ることもできるのである
  "Ika nara m wori ni, mata sabakari ni te mo, honoka naru ohom-arisama wo dani mi m. Tomo-kakumo kaki-magire taru kiha no hito koso, karisome ni mo tahayasuki mono-imi, kata-tagahe no uturohi mo karu-garusiki ni, onodukara tomo-kakumo mono no hima wo ukagahi tukuru yau mo are."
14.4.5  など思ひやる方なく、
 などと、思いを晴らすすべもなく、
 が、これは言葉にも言われぬほどの
  nado omohi-yaru kata naku,
14.4.6  「 深き窓のうちに 、何ばかりのことにつけてか、かく深き心ありけりとだに知らせたてまつるべき」
 「深窓の内に住む方に、どのような手段で、このような深くお慕い申しているということだけでも、お知らせ申し上げられようか」
 深窓に隠れた貴女きじょなのであるから、どんな手段でも自分はこれほど愛する心をその人に告げるだけのこともできよう
  "Hukaki mado no uti ni, nani-bakari no koto ni tuke te ka, kaku hukaki kokoro ari keri to dani sirase tatematuru beki."
14.4.7  と胸痛くいぶせければ、小侍従がり、 例の、文やりたまふ。
 と胸が苦しく晴れないので、小侍従のもとに、いつものように、手紙をおやりになる。
 とは思われないと衛門督は思うと胸が痛く苦しくなるあまりに、いつも書く小侍従への手紙を書いて送った。
  to mune itaku ibusekere ba, Ko-Zizyuu gari, rei no, humi yari tamahu.
14.4.8  「 一日、風に誘はれて、御垣の原を わけ入りてはべしに、いとど いかに見落としたまひけむ。その 夕べより、乱り心地かきくらし、 あやなく今日は眺め暮らしはべる
 「先日、誘われて、お邸に参上致しましたが、ますますどんなにかわたしをお蔑すみなさったことでしょうか。その夕方から、気分が悪くなって、わけもなく今日は物思いに沈んで暮らしております」
 この間は春風に浮かされまして御園みそののうちへ参りましたが、どんなにその時の私がまた御心証を悪くしたことかと悲しまれます。その夕方から私は病気になりまして、続いて今も病床にぼんやりと物思いをしております。
  "Hitohi, kaze ni sasohare te, mi-kaki-no-hara wo wake-iri te habe' si ni, itodo ika ni mi-otosi tamahi kem? Sono yuhube yori, midari-gokoti kaki-kurasi, ayanaku kehu ha nagame kurasi haberu."
14.4.9  など書きて、
 などと書いて、
 などと書かれてあって、
  nado kaki te,
14.4.10  「 よそに見て折らぬ嘆きはしげれども
 「よそながら見るばかりで手折ることのできない悲しみは深いけれども
  よそに見て折らぬなげきはしげれども
    "Yoso ni mi te wora nu nageki ha sigere domo
14.4.11   なごり恋しき花の夕かげ
  あの夕方見た花の美しさはいつまでも恋しく思われます
  なごり恋しき花の夕かげ
    nagori kohisiki hana no yuhu-kage
14.4.12  とあれど、 侍従は一日の心も 知らねば、ただ世の常の眺めにこそはと思ふ。
 とあるが、小侍従は先日の事情を知らないので、ただ普通の恋煩いだろうと思う。
 という歌も添っていた。宮のお姿を衛門督が見たことなどは知らない小侍従であったから、ただいつもの物思いという言葉と同じ意味に解した。
  to are do, Ziziu ha hitohi no kokoro mo sira ne ba, tada yo no tune no nagame ni koso ha to omohu.
注釈935督の君はなほ大殿の東の対に独り住みにて柏木は大殿邸の東の対にまだ正妻を迎えず独り身で住んでいる。14.4.1
注釈936思ふ心ありて『完訳』は「結婚への高い理想。女三の宮のような高貴な女君との結婚を望み独身を貫く。「わが身かばかり」「心おごり」ともあり、彼の宮への執着は、権勢志向に発していた」と注す。14.4.1
注釈937わが身かばかりにて以下「かなはざらむ」まで、柏木の心中。「などか」--「む」反語表現。14.4.2
注釈938いかならむ折に以下「つくるやうもあれ」まで、柏木の心中。14.4.4
注釈939ともかくもかき紛れたる際の人こそ『集成』は「何をしても人目につかない身分の者なら」。『完訳』は「もしも相手が何をしようにも人目に立たぬ身分であったら」と訳す。
【人こそ】−係助詞「こそ」は「やうもあれ」に係る。逆接用法。
14.4.4
注釈940深き窓のうちに以下「知らせたてまつるべき」まで、柏木の心中。「養はれて深窓に在れば人未だ識らず」(白氏文集・長恨歌)を踏まえた表現。14.4.6
注釈941例の「例の」とあるので、初めてでない。今までにも度々あったことを暗示する書き方。14.4.7
注釈942一日風に誘はれて御垣の原を以下「眺め暮らしはべる」まで、柏木の手紙文。「御垣の原」は吉野の地名、歌枕だが、六条院をさす。14.4.8
注釈943いかに見落としたまひけむ柏木の謙った表現。14.4.8
注釈944あやなく今日は眺め暮らしはべる「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮さむ(古今集恋一、四七六、在原業平)を踏まえた表現。14.4.8
注釈945よそに見て折らぬ嘆きはしげれどもなごり恋しき花の夕かげ柏木から女三の宮への贈歌。「嘆き」に「投げ木」を響かせ、「木」の縁語として「折る」「繁る」「花」の語句を引き出す。「花」は女三の宮の美しさをいう。14.4.10
出典43 深き窓のうち 楊家有女初長成 養在深窓人未識 白氏文集-五九六 長恨歌 14.4.6
出典44 御垣の原 ふるさとは春めきにけりみ吉野の御垣の原を霞こめたり 詞花集春-三 平兼盛 14.4.8
出典45 夕べより、乱り心地 見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日を眺め暮らさむ 古今集恋一-四七六 在原業平 14.4.8
校訂217 ならず ならず--ならぬ(ぬ/$す) 14.4.1
校訂218 あれど あれど--あは(は/$)れと 14.4.1
校訂219 軽々しきに 軽々しきに--かる/\しき(き/+に) 14.4.4
校訂220 ともかく ともかく--とかく(とかく/$ともかくも) 14.4.4
校訂221 侍従は一日 侍従は一日--(/+侍従は一日) 14.4.12
校訂222 知らねば 知らねば--しらぬ(ぬ/$ね)は 14.4.12
14.5
第五段 女三の宮、柏木の手紙を見る


14-5  Sam-no-Miya reads the letter from Kashiwagi

14.5.1  御前に人しげからぬほどなれば、かの文を持て参りて、
 御前には女房たちがあまりいない時なので、この手紙を持って上がって、
 宮のお居間に女房たちもあまり出ていないのを見て、小侍従は衛門督の手紙を持って参った。
  O-mahe ni hito sigekara nu hodo nare ba, kano humi wo mo'te mawiri te,
14.5.2  「 この人の、かくのみ、忘れぬものに、言問ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。心苦しげなるありさまも 見たまへあまる心もや添ひはべらむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」
 「あの方が、このようにばかり、忘れられないといって、手紙を寄こしなさるのが面倒なことでございます。お気の毒そうな様子を見るに見かねる気持ちが起こりはせぬかと、自分の心ながら分らなくなります」
 「この人がこの手紙にもございますように、今日までもまだあなた様をお思いすることばかりを書いてまいりますので困ります。あまりに気の毒な様子を見せられますと、私まで頭がどうかしてしまいそうで、どんな間違った手引きなどをいたすかしれません」
  "Kono hito no, kaku nomi, wasure nu mono ni, koto-tohi monosi tamahu koso wadurahasiku habere. Kokoro-gurusige naru arisama mo mi tamahe amaru kokoro mo ya sohi habera m to, midukara no kokoro nagara siri gataku nam."
14.5.3  と、うち笑ひて聞こゆれば、
 と、にっこりして申し上げると、
 小侍従は笑いながらこう言うのであった。
  to, uti-warahi te kikoyure ba,
14.5.4  「 いとうたてあることをも言ふかな
 「とても嫌なことを言うのね」
 「いやなことを言う人ね、おまえは」
  "Ito utate aru koto wo mo ihu kana!"
14.5.5  と、何心も なげにのたまひて、 文広げたるを御覧ず
 と、無邪気におっしゃって、手紙を広げたのを御覧になる。
 無心なふうにそうお言いになって、宮は小侍従のひろげた手紙をお読みになった。
  to, nani-gokoro mo nage ni notamahi te, humi hiroge taru wo go-ran-zu.
14.5.6  「 見もせぬ」と言ひたるところをあさましかりし御簾のつまを思し合はせらるるに、御面赤みて、大殿の、さばかり ことのついでごとに、
 「見ていない」という歌を引いたところを、不注意だった御簾の端の事を自然とお思いつかれたので、お顔が赤くなって、大殿が、あれほど何かあるごとに、
 「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくてひねもす今日はながめ暮らしつ」という古歌を引いて書いてある所を御覧になった時に、蹴鞠けまりの日の御簾みすの端の上がっていたことを思い出すことがおできになり、お顔が赤くなった。院が何度も、
  "Mi mo se nu" to ihi taru tokoro wo, asamasikari si mi-su no tuma wo obosi-ahase raruru ni, ohom-omote akami te, Oho-Tono no, sabakari koto no tuide goto ni,
14.5.7  「 大将に見えたまふな。いはけなき御ありさまなんめれば、おのづからとりはづして、見たてまつるやうもありなむ」
 「大将に見られたりなさらないように。子供っぽいところがおありのようだから、自然とついうっかりしていて、お見かけ申すようなことがあるかも知れない」
 「大将に見られないようになさい。あまりにあなたは幼稚にできていらっしゃるから、うっかりとしていてのぞかれることもあるでしょうから」
  "Daisyau ni miye tamahu na. Ihakenaki mi-arisama nan mere ba, onodukara tori-hadusi te, mi tatematuru yau mo ari na m."
14.5.8  と、戒めきこえたまふを思し出づるに、
 と、ご注意申し上げなさっていたのをお思い出しになると、
 こうおいましめになったのをお思い出しになり、
  to, imasime kikoye tamahu wo obosi-iduru ni,
14.5.9  「 大将の、さることのありしと語りきこえたらむ時、 いかにあはめたまはむ
 「大将が、こんなことがあったとお話し申し上げるようなことがあったら、どんなにお叱りになるだろう」
 大将からあの時のことが言われた時、院から自分はどんなにおしかりを受けることであろう
  "Daisyau no, saru koto no ari si to katari kikoye tara m toki, ikani ahame tamaha m."
14.5.10  と、 人の見たてまつりけむことをば思さで、まづ、憚りきこえたまふ心のうちぞ幼かりける
 と、人が拝見なさったことをお考えにならないで、まずは、叱られることを恐がり申されるお考えとは、なんと幼稚な方よ。
 と、手紙の主が見たことなどは問題にもあそばさずに、それを心配あそばしたのは幼いお心の宮様である。
  to, hito no mi tatematuri kem koto wo ba obosa de, madu, habakari kikoye tamahu kokoro no uti zo wosanakari keru.
14.5.11   常よりも御さしらへなければ、すさまじく、 しひて聞こゆべきことにもあらねば、ひき忍びて、例の書く。
 いつもよりもお言葉がないので、はりあいがなく、特に無理して催促申し上げるべき事でもないから、こっそりと、いつものように書く。
 平生よりもものをお言いにならず黙っておしまいになったのを見て、小侍従はつぎほのない気がしたし、この上しいて申し上げてよいことでもなかったから、そっと手紙を持って行った。そして忍んで返事を書いた。
  Tune yori mo ohom-irahe nakere ba, susamaziku, sihite kikoyu beki koto ni mo ara ne ba, hiki-sinobi te, rei no kaku.
14.5.12  「 一日は、つれなし顔をなむ。 めざましうと許しきこえざりしを 、『見ずもあらぬ』やいかに。あな、かけかけし」
 「先日は、知らない顔をなさっていましたね。失礼なことだとお許し申し上げませんでしたのに、『見ないでもなかった』とは何ですか。まあ、嫌らしい」
 この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑けいべつをしていらっしゃると思っていたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。
  "Hitohi ha, turenasi-gaho wo nam. Mezamasiu to yurusi kikoye zari si wo, Mi zu mo ara nu ya ika ni? Ana, kake-kakesi."
14.5.13  と、はやりかに走り書きて、
 と、さらさらと走り書きして、

  to, hayarika ni hasiri-kaki te,
14.5.14  「 いまさらに色にな出でそ山桜
 「今さらお顔の色にお出しなさいますな
  今さらに色になでそ
    "Imasara ni iro ni na ide so yama-zakura
14.5.15   およばぬ枝に心かけきと
  手の届きそうもない桜の枝に思いを掛けたなどと
  山桜及ばぬ枝に思ひかけきと
    oyoba nu yeda ni kokoro kake ki to
14.5.16   かひなきことを
 無駄なことですよ」
 むだなことはおよしなさいませ。
  Kahinaki koto wo."
14.5.17  とあり。
 とある。
 こんな手紙である。
  to ari.
注釈946この人のかくのみ以下「知りがたくてなむ」まで、小侍従の詞。14.5.2
注釈947見たまへあまる心もや添ひはべらむと主語は小侍従自身。「たまへ」謙譲の補助動詞。小侍従が柏木を手引きしかねない気持ちがおこりはしないかと、という意。14.5.2
注釈948いとうたてあることをも言ふかな女三の宮の詞。14.5.4
注釈949文広げたるを御覧ず「文広げたる」の主語は小侍従。「御覧ず」の主語は女三の宮。14.5.5
注釈950見もせぬと言ひたるところを女三の宮、柏木の手紙の文句から「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮さむ」の和歌を引いたものであることを察する。14.5.6
注釈951あさましかりし御簾のつまを『集成』は「思いもかけなかったあの御簾の隙間のことだと」。『完訳』は「あの思いがけなかった御簾の端の一件に」と訳す。14.5.6
注釈952大将に見えたまふな以下「やうもありなむ」まで、源氏の女三の宮に対する戒めの詞。源氏が女三の宮に面と向かって「いはけなき御ありさまなれば」と言ったとしたら、かなりきつい辛辣な物言いである。14.5.7
注釈953大将のさることの以下「あはめたまはむ」まで、女三の宮の心中。14.5.9
注釈954いかにあはめたまはむ『集成』は「どんなにお叱りになるだろう」。『完訳』は「殿はこの私をどんあに疎ましくお思いになるだろう」と訳す。14.5.9
注釈955人の見たてまつりけむことをば思さでまづ憚りきこえたまふ心のうちぞ幼かりける『細流抄』は「草子地也」と指摘。語り手の女三の宮批評の文章。
【憚りきこえたまふ】−『集成』は「〔源氏を〕こわがり申される」。『完訳』は「殿に気がねをなさる」と訳す。
14.5.10
注釈956常よりも御さしらへなければ主語は女三の宮。女三の宮から柏木の手紙に対するお言葉がないこと。14.5.11
注釈957しひて聞こゆべきことにもあらねば小侍従が女三の宮の返事を催促すべきことでもない、の意。14.5.11
注釈958一日はつれなし顔を以下「あなかけかけし」まで、小侍従の返書。小侍従は柏木が女三の宮を垣間見たことを知らない。14.5.12
注釈959めざましうと許しきこえざりしを『集成』は「(宮様に対して)失礼なこととお許し申しませんでしたのに」。『完訳』は「これまでのご希望も、宮に失礼なことだからとお許し申しあげなかったのに」と訳す。14.5.12
注釈960いまさらに色にな出でそ山桜およばぬ枝に心かけきと小侍従の返歌。山桜に女三の宮を喩える。14.5.14
注釈961かひなきことを歌に添えた言葉。14.5.16
校訂223 なげに なげに--なけれ(れ/$)に 14.5.5
校訂224 ことの ことの--(/+こと)の 14.5.6
校訂225 めざましう めざましう--めさましく(く/$う) 14.5.12
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年3月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月4日

Last updated 9/23/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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