34 若菜上(明融臨模本)


WAKANA-NO-ZYAU


光る源氏の准太上天皇時代
三十九歳暮から四十一歳三月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from the end of 39 to March the age of 41

13
第十三章 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る


13  Tale of Sam-no-Miya  Kashiwagi looks Sam-no-Miya by chance

13.1
第一段 夕霧の女三の宮への思い


13-1  The thought of Yugiri to Sam-no-miya

13.1.1   大将の君は、この姫宮の御ことを、思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの御かしづきにつけて、 こなたにはさりぬべき折々に参り馴れ、おのづから御けはひ、ありさまも見聞きたまふに、いと若くおほどきたまへる一筋にて、 上の儀式は いかめしく、世の例にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、 をさをさけざやかにもの深くは見えず。
 大将の君は、この姫宮の御事を、考えなかったわけでもないので、身近においであそばしますのを、とても平気ではいられず、普通のお世話にかこつけて、こちらには何か御用がある時にはいつも参上して、自然と雰囲気や、様子を見聞きなさると、とても若くおっとりしていらっしゃるばかりで、表向きの格式だけは堂々として、世の前例にもなりそうなくらい大事に申し上げなさっているが、実際はそう大して際立って奥ゆかしくは思われない。
 源大将は女三の宮をあるいは得られたかもしれぬ立場にいた人であったから、六条院に来ておいでになるのを無関心でいることもできなかった。院の御子としてその御殿へ近づく機会もあって、それとなく観察しているのであったが、ただ若々しくおおようなという点だけのよさがある方のようで、壮麗な六条院の本殿へお住ませになって、今後の例になるまで派手はでな御待遇をしておいでになっても、それだけの貴女たる価値のありなしをこの人には疑われた。
  Daisyau-no-Kimi ha, kono Hime-Miya no ohom-koto wo, omohi oyoba nu ni simo ara zari sika ba, me ni tikaku ohasimasu wo, ito tada ni mo oboye zu, ohokata no ohom-kasiduki ni tuke te, konata ni ha sari-nu-beki wori-wori ni mawiri nare, onodukara ohom-kehahi, arisama mo mi kiki tamahu ni, ito wakaku ohodoki tamahe ru hito-sudi ni te, uhe no gisiki ha ikamesiku, yo no tamesi ni si tu bakari mote kasiduki tatematuri tamahe re do, wosa-wosa kezayaka ni mono-hukaku ha miye zu.
13.1.2  女房なども、おとなおとなしきは少なく、若やかなる容貌人の、ひたぶるにうちはなやぎ、 さればめるはいと多く、数知らぬまで集ひさぶらひつつ、もの思ひなげなる御あたりとはいひながら、何ごとものどやかに心しづめたるは、心のうちのあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも、またまことに心地ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうち混じれば、かたへの人にひかれつつ、同じけはひもてなしになだらかなるを、ただ明け暮れは、いはけたる遊び戯れに心入れたる童女のありさまなど、 院は、いと 目につかず見たまふ ことどもあれど、一つさまに世の中を思しのたまはぬ御本性なれば、 かかる方をもまかせて、さこそはあらまほしからめ、と御覧じゆるしつつ、戒めととのへさせたまはず。
 女房なども、しっかりした年輩の者たちは少なく、若くて美人で、ただもう華やかに振る舞って、気取っている者がとても多く、数えきれないほど多く集まり集まって、何の苦労もないお住まいとはいえ、どのような事でも騒がず落ち着いている女房は、心の中がはっきりと見えないものであるから、わが身に人知れない悩みを持っていても、また真実楽しげに、万事思い通りに行っているらしい人たちの中にいると、はたの人に引かれて、同じ気分や態度に調子を合わせるものであるから、ただ一日中、子供じみた遊びや戯れ事に熱中している童女の様子など、院は、まことに感心しないと御覧になることもあるが、一律に世間の事を断じたりなさらないご性格なので、このような事も勝手にさせて、そのようなこともしたいのだろうと、大目に御覧になって、叱って改めさせることはなさらない。
 女房なども落ち着いた年齢の人は少なく、若い美人風、派手な騒ぎをするようなのが数も知れぬほどお付きしていて、歓楽的な空気の横溢おういつしているお住居すまいであったから、そんな中に内気なおとなしい人が混じって物思いをしていても軽佻けいちょうに騒ぐ仲間に引かれて、それも同じように朗らかなふうをしていたり、毎日幼稚なお遊びの相手ばかりをしている童女の教養なさなどを院は気持ちよくは思召おぼしめさなかったが、一つの趣味の目でものを見ようとされぬ方であったから、それはそれとして許して見ておいでになって、御干渉もあそばさなかった。
  Nyoubau nado mo, otona-otonasiki ha sukunaku, wakayaka naru katati-bito no, hitaburu ni uti-hanayagi, sarebame ru ha ito ohoku, kazu sira nu made tudohi saburahi tutu, mono-omohi nage naru ohom-atari to ha ihi nagara, nani-goto mo nodoyaka ni kokoro-sidume taru ha, kokoro no uti no arahasi ni simo miye nu waza nare ba, mi ni hito sire nu omohi sohi tara m mo, mata makoto ni kokoti-yukige ni, todokohori nakaru beki ni si uti-mazire ba, katahe no hito ni hika re tutu, onazi kehahi motenasi ni nadaraka naru wo, tada akekure ha, ihake taru asobi tahabure ni kokoro ire taru warahabe no arisama nado, Win ha, ito me ni tuka zu mi tamahu koto-domo are do, hitotu sama ni yononaka wo obosi notamaha nu go-honzyau nare ba, kakaru kata wo mo makase te, sa koso ha aramahosikara me, to go-ran-zi yurusi tutu, imasime totonohe sase tamaha zu.
13.1.3  正身の御ありさまばかりをば、いとよく教へきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。
 ご本人のお振る舞いだけは、十分よくお教え申し上げなさるので、少しは取り繕っていらっしゃった。
 夫人になられた宮に対してだけはよくお教えになるのであったから、以前よりは少しごりっぱな方らしくおなりになった。
  Syauzimi no mi-arisama bakari wo ba, ito yoku wosihe kikoye tamahu ni, sukosi mote-tuke tamahe ri.
注釈823大将の君は夕霧、女三の宮を批判する。13.1.1
注釈824こなたには女三の宮方に。13.1.1
注釈825上の儀式は源氏の女三の宮に対する表面上の待遇態度。13.1.1
注釈826をさをさけざやかに『完訳』は「「見えず」までは夕霧の観察。以下、語り手の女房たちへの観察に転ずる。女房のありようから、その女主人の人柄も推測される」と注す。13.1.1
注釈827院は源氏をさす。13.1.2
注釈828目につかず見たまふ『集成』は「感心しないと」。『完訳』は「目障りとお思いになる」と訳す。13.1.2
注釈829かかる方をもまかせてさこそはあらまほしからめ源氏の心中、間接的表現。13.1.2
校訂192 儀式 儀式--きぬ(ぬ/$)しき 13.1.1
校訂193 さればめる さればめる--されさり(さり/#は)める 13.1.2
校訂194 つかず つかず--つかぬ(ぬ/$す) 13.1.2
13.2
第二段 夕霧、女三の宮を他の女性と比較


13-2  Yugiri compares Sam-no-miya to the other women

13.2.1  かやうのことを、大将の君も、
 このようなことを、大将の君も、
 そんなことが外聞にも知れてくるのを大将は見て、
  Kayau no koto wo, Daisyau-no-Kimi mo,
13.2.2  「 げにこそ、ありがたき世なりけれ。紫の御用意、けしきの、ここらの年経ぬれど、ともかくも漏り出で見え聞こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、心うつくしう、人をも消たず、身をもやむごとなく、心にくくもてなし添へたまへること」
 「なるほど、立派な方はなかなかいないものだな。紫の上のお心がけ、態度は、長年たったけれども、何かと噂に出て見えたり聞こえたりするところはなく、もの静かな点を第一として、何と言っても、心やさしく、人をないがしろにせず、自分自身も気品高く、奥ゆかしくしていらっしゃることよ」
 すぐれた人の少ない世だ、紫の女王がこんなに長い間ごいっしょにおられても、だれにもどんなふうな、どんな女性であるという想像もさせない重々しさがあって、静かに深みのある女であることを願って、またさすがに明朗な態度をとり、他を軽侮せず自身の自尊心を傷つけない用意がある
  "Geni koso, arigataki yo nari kere. Murasaki no ohom-youi, kesiki no kokora no tosi he nure do, tomo kakumo mori-ide miye kikoye taru tokoro naku, siduyaka naru wo moto to si te, sasuga ni, kokoro-utukusiu, hito wo mo keta zu, mi wo mo yamgotonaku, kokoro-nikuku motenasi sohe tamahe ru koto."
13.2.3  と、 見し面影も忘れがたくのみなむ思ひ出でられける。
 と、垣間見した面影を忘れ難くばかり思い出されるのであった。
 と思い、何年かの前に野分のわきの夕べに見た面影が忘れがたかった。
  to, mi si omokage mo wasure gataku nomi nam omohi-ide rare keru.
13.2.4  「 わが御北の方も、あはれと思す方こそ深けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ人なり。おだしきものに、今はと目馴るるに、心ゆるびて、なほかくさまざまに、集ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを、心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は、人の御ほどを思ふにも、限りなく心ことなる 御ほどに取り分きたる御けしきしもあらず、人目の飾りばかりにこそ」
 「自分の北の方も、かわいいとお思いになることは強いのであるが、取り上げるほどの、人に勝れた才覚などは、お持ちでない方だ。安心していられる人と、もう今は安心だと見慣れているために、気が緩んで、やはりこのように、いろいろな方がお集まりになっていらっしゃる様子が、それぞれにご立派でいらっしゃるのを、内心密かに関心を捨て切れないでいるところに、ましてこの宮は、ご身分を考えるにつけても、この上なく格別のお生まれなのに、特別のご寵愛でもなく、世間体を飾っているだけのことだ」
 自身の夫人を愛する心は変わらなかったが、その人は相手にしがいのある優越した女性でなかった。恋人を妻にしたあとの安心した気持ちと、その人ばかりを見ている目の倦怠けんたいさで、父君が異なった幾人の夫人を集めておいでになる六条院の生活がうらやましくて、だれも皆自分の妻よりも相手にしておもしろい人のように思われてならないのである。その中で姫宮は御身分からいっても最も若い思い上がった大将などには興味のかれる御存在ではあったが、表面をお飾りになるだけの愛情以外の何ものもないような院の御待遇が
  "Waga ohom-Kitanokata mo, ahare to obosu kata koso hukakere, ihukahi ari, sugure taru rau-rauzisa nado, monosi tamaha nu hito nari. Odasiki mono ni, ima ha to me-naruru ni, kokoro yurubi te, naho kaku sama-zama ni, tudohi tamahe ru arisama-domo no, tori-dori ni wokasiki wo, kokoro hitotu ni omohi hanare-gataki wo, masite kono Miya ha, hito no ohom-hodo wo omohu ni mo, kagiri naku kokoro koto naru ohom-hodo ni, toriwaki taru mi-kesiki simo ara zu, hito-me no kazari bakari ni koso."
13.2.5  と見たてまつり知る。わざとおほけなき心にしもあらねど、「 見たてまつる折ありなむや」と、ゆかしく思ひきこえたまひけり。
 とお見受けする。特に大それた考えではないが、「拝見する機会があるだろうか」と、関心をお寄せになっていらっしゃった。
 この人によくわかっていて、あるまじい心を起こしたというでもなしに、お顔の見られる時があればよいとは願っていた。
  to mi tatematuri siru. Wazato ohokenaki kokoro ni simo ara ne do, "Mi tatematuru wori ari na m ya?" to, yukasiku omohi kikoye tamahi keri.
注釈830げにこそありがたき以下「もてなし添へたまへること」まで、夕霧の心中。13.2.2
注釈831見し面影も忘れがたくのみ「野分」巻に野分の吹いた朝、紫の上を垣間見たことが語られている。五年前のことである。13.2.3
注釈832わが御北の方も以下「人目の飾りばかりにこそ」まで、夕霧の心中と地の文が融合。初めに「わが御北の方」「思す」という敬語表現がまじる。途中から地の文になり、再び最後は心中文になる。13.2.4
注釈833御ほどに「に」格助詞、文意は逆接に続く。13.2.4
注釈834取り分きたる御けしきしもあらず源氏の女三の宮に対する寵愛。13.2.4
注釈835見たてまつる折ありなむや夕霧の心中。女三の宮柏木密通の主題へと物語が動き出す。13.2.5
13.3
第三段 柏木、女三の宮に執心


13-3  Kashiwagi can't forget Sam-no-Miya as eager as ever

13.3.1   衛門督の君も院に常に参り、親しくさぶらひ馴れたまひし人なれば、この宮を父帝のかしづきあがめたてまつりたまひし御心おきてなど、詳しく見たてまつりおきて、さまざまの御定めありしころほひより 聞こえ寄り、院にも、「 めざましとは思し、のたまはせず」と聞きしを、 かくことざまになりたまへるは、いと口惜しく、胸いたき心地すれば、なほえ思ひ離れず。
 衛門督の君も、朱雀院に常に参上し、常日頃親しく伺候していらっしゃった方なので、この宮を父帝が大切になさっていらっしゃったご意向など、詳細に拝見していて、いろいろなご縁談があったころから申し出で、院におかせられても、「出過ぎた者とはお思いでなく、おっしゃりもしなかった」と聞いていたが、このようにご降嫁になったのは、大変に残念で、胸の痛む心地がするので、やはり諦めることができない。
 右衛門督うえもんのかみも始終六条院へ参っている人であった。この宮を山のみかどがどんなにお愛しあそばしたかもくわしく知っていて、御婿選びの時以来この宮に好意を持ち、この求婚者には院の帝も決してもってのほかのこととは仰せられなかったという報は得たのでありながら、宮は六条院へ入嫁されたのを残念に思い、心も傷つけられたほどに苦しんで、今でも衛門督は恋を捨てていなかった。
  Wemon-no-Kami-no-Kimi mo, Win ni tune ni mawiri, sitasiku saburahi nare tamahi si hito nare ba, kono Miya wo titi-Mikado no kasiduki agame tatematuri tamahi si mi-kokoro-okite nado, kuhasiku mi tatematuri oki te, sama-zama no ohom-sadame ari si korohohi yori kikoye yori, Win ni mo, "Mezamasi to ha obosi, notamaha se zu." to kiki si wo, kaku koto zama ni nari tamahe ru ha, ito kutiwosiku, mune itaki kokoti sure ba, naho e omohi hanare zu.
13.3.2  その折より語らひつきにける女房のたよりに、御ありさまなども聞き伝ふるを慰めに思ふぞ、 はかなかりける
 そのころから親しくなっていた女房の口から、ご様子なども伝え聞きくのを慰めにしているのは、はかないことであった。
 そのころから心安くなった女房によって、宮の御様子を聞くのをはかない慰めにしていたのである。
  Sono wori yori katarahi tuki ni keru nyoubau no tayori ni, ohom-arisama nado mo kiki tutahuru wo nagusame ni omohu zo, hakanakari keru.
13.3.3  「 対の上の御けはひには、なほ圧されたまひてなむ 」と、世人も まねび伝ふるを聞きては、
 「対の上のご寵愛には、やはり圧倒されていらっしゃる」と、世間の人が噂しているのを聞いては、
 「やはり対の夫人とは御競争がおできにならないようだ」と世間の人のうわさするのが耳にはいる時、
  "Tai-no-Uhe no ohom-kehahi ni ha, naho osa re tamahi te nam." to, yo-hito mo manebi tutahuru wo kiki te ha,
13.3.4  「 かたじけなくとも、さるものは思はせ たてまつらざらまし。げに、たぐひなき御身にこそ、あたらざらめ」
 「恐れ多いことだが、そのような辛い思いはおさせ申さなかったろうに。いかにも、そのような高いご身分の相手には、相応しくないだろうが」
 もったいなくても自分の妻に得ておれば、そうした物思いはおさせしなかったはずである。二人とない六条院のようなりっぱな男で自分はないのであるが
  "Katazikenaku to mo, saru mono ha omoha se tatematura zara masi. Geni, taguhi naki ohom-mi ni koso, atara zara me."
13.3.5  と、常にこの小侍従といふ 御乳主をも言ひはげまして、
 と、いつもこの小侍従という御乳母子を責めたてて、
 と、こんなことを言って、始終心安くなっている小侍従という宮の女房を煽動せんどうするようなことを言い、
  to, tune ni kono Ko-Zizyuu to ihu ohom-tinusi wo mo ihi-hagemasi te,
13.3.6  「 世の中定めなきを大殿の君、もとより本意ありて思しおきてたる方に赴きたまはば」
 「世の中は無常なものだから、大殿の君が、もともと抱いていらしたご出家をお遂げなさったら」
 無常の世であるから、御出家のお志の深い院が御遁世とんせいになる場合もあったなら、自分は女三の宮を得たい
  "Yononaka sadame naki wo, Oho-tono-no-Kimi, moto yori ho'i ari te obosi-oki te taru kata ni omomuki tamaha ba."
13.3.7  と、 たゆみなく思ひありきけり
 と、怠りなく思い続けていらっしゃるのであった。
 と絶えず思っている右衛門督うえもんのかみであった。
  to, tayumi naku omohi ariki keri.
注釈836衛門督の君も柏木は依然として女三の宮に執着。13.3.1
注釈837聞こえ寄り『完訳』は「自分も意中を申し出ていて」と訳す。13.3.1
注釈838めざましとは思しのたまはせず朱雀院の詞、要旨。『集成』は「出過ぎた者とはお思いにならず仰せにもならなかったと聞いたのに」。『完訳』は「別にお気に召さぬことと仰せになったわけではないと聞いていたのに」と訳す。13.3.1
注釈839かくことざまに柏木の意に反して、女三の宮が六条院に降嫁したことをいう。13.3.1
注釈840はかなかりける『完訳』は「語り手の評。柏木の処しがたい絶望的な執着を印象づける」と注す。13.3.2
注釈841対の上の御けはひにはなほ圧されたまひてなむ世人の噂。「なむ」係助詞。下に「ある」また「はべる」などの語句が省略されている。13.3.3
注釈842まねび伝ふるを『集成』は「聞いたことをそっくりそのまま伝えること」と訳す。13.3.3
注釈843かたじけなくとも以下「あたらざらめ」まで、柏木の心中。13.3.4
注釈844たてまつらざらまし「まし」反実仮想の助動詞。自分であったらそうはさせなかっただろうに。13.3.4
注釈845御乳主を『集成』は「女三の宮の乳姉妹」。『完訳』は「養君と同時期に生れた乳母子」と注す。13.3.5
注釈846世の中定めなきを以下「赴きたまはば」まで、柏木の心中。源氏の出家後を待ち望む。源氏が朱雀院の出家後に朧月夜尚侍に言い寄ったのと同じ構図でもある。13.3.6
注釈847たゆみなく思ひありきけり『集成』は「怠りなく機会をうかがっていらっしゃった」。『完訳』は「あれこれ油断なく思いつめているのであった」。13.3.7
校訂195 院に 院に--院(院/+に) 13.3.1
校訂196 御けはひには 御けはひには--御けはひ(ひ/+に)は 13.3.3
校訂197 大殿の君 大殿の君--も(も/$おとゝ)のきみ 13.3.6
13.4
第四段 柏木ら東町に集い遊ぶ


13-4  Kashiwagi and others play kemariat the East residence court

13.4.1   弥生ばかりの空うららかなる日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督など参りたまへり。大殿出でたまひて、御物語などしたまふ。
 三月ころの空がうららかに晴れた日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督などが参上なさった。大殿がお出ましになって、お話などなさる。
 三月ごろの空のうららかな日に、六条院へ兵部卿ひょうぶきょうの宮がおいでになり、衛門督もおたずねして来た。院はすぐに出ておいになった。
  Yayohi bakari no sora uraraka naru hi, Rokudeu-no-win ni, Hyaubukyau-no-Miya, Wemon-no-Kami nado mawiri tamahe ri. Otodo ide tamahi te, ohom-monogatari nado si tamahu.
13.4.2  「 静かなる住まひは、このころこそいと つれづれに紛るることなかりけれ。公私にことなしや。何わざしてかは暮らすべき」
 「静かな生活は、このごろ大変に退屈で気の紛れることがないね。公私とも平穏無事だ。何をして今日一日を暮らせばよかろう」
 「ひまな私の所などはこの時節などが最も退屈で、気を紛らすことができずに困っていましたよ。どこも皆無事平穏なのですね。今日はどうして暮らしたらいいだろう」
  "Siduka naru sumahi ha, kono koro koso ito ture-dure ni magiruru koto nakari kere. Ohoyake watakusi ni koto nasi ya! Nani waza si te ka ha kurasu beki."
13.4.3  などのたまひて、
 などとおっしゃって、
 などと院はお言いになって、また、
  nado notamahi te,
13.4.4  「 今朝、大将のものしつるは、いづ方にぞ。いとさうざうしきを、例の、 小弓射させて見る べかりけり。好むめる若人どもも見えつるを、ねたう出でやしぬる」
 「今朝、大将が来ていたが、どこに行ったか。何とももの寂しいから、いつものように、小弓を射させて見物すればよかった。愛好者らしい若い人たちが見えていたが、惜しいことに帰ってしまったかな」
 「今朝けさ大将が来ていたのだがどこにいるだろう。慰めに小弓でも射させたく思っている時にちょうどそれのできる人たちもまた来ていたようだったが、もう皆出て行ったのだろうか」
  "Kesa, Daisyau no monosi turu ha, idu kata ni zo? Ito sau-zausiki wo, rei no, koyumi yi sase te miru bekari keri. Konomu meru Wakaudo-domo mo miye turu wo, netau ide ya si nuru."
13.4.5  と、 問はせたまふ
 と、お尋ねさせなさる。
 近侍にこうお聞きになった。
  to, toha se tamahu.
13.4.6  「 大将の君は、丑寅の 町に、人びとあまたして、 もて遊ばして見たまふ」
 「大将の君は、丑寅の町で、人々と大勢して、蹴鞠をさせて御覧になっていらっしゃる」
 大将は東の町の庭で蹴鞠けまりをさせて見ている
  "Daisyau-no-Kimi ha, Usitora-no-mati ni, hito-bito amata si te, mari mote-asobasi te mi tamahu."
13.4.7  と聞こしめして、
 とお聞きになって、
 という報告をお聞きになって、
  to kikosimesi te,
13.4.8  「 乱りがはしきことの、さすがに目覚めてかどかどしきぞかし。いづら、こなたに」
 「無作法な遊びだが、それでも派手で気の利いた遊びだ。どれ、こちらで」
 「乱暴な遊びのようだけれど、見た目に爽快そうかいなものでおもしろい」
  "Midari-gahasiki koto no, sasuga ni me same te kado-kadosiki zo kasi. Idura? Konata ni."
13.4.9 とて、御消息あれば、参りたまへり。若君達めく人びと多かりけり。
 といって、お手紙があったので、参上なさった。若い公達らしい人々が多くいたのであった。
 とお言いになり、「こちらへ来るように」と、院が大将を呼びにおやりになると、すぐに庭で蹴鞠をしていた人たちはこちらへ来た。若い公達きんだちが多かった。
  tote, ohom-seusoko are ba, mawiri tamahe ri. Wakakimdati-meku hito-bito ohokari keri.
13.4.10  「 鞠持たせたまへりや。誰々かものしつる
 「鞠をお持たせになったか。誰々が来たか」
 「鞠もこちらへ持って来ましたか。だれとだれがあちらへ来ているのか」
  "Mari mota se tamahe ri ya? Tare-tare ka monosi turu?"
13.4.11  とのたまふ。
 とお尋ねになる。

  to notamahu.
13.4.12  「 これかれはべりつ
 「誰それがおります」
 大将の所にいた官人たちの名があげられ、
  "Kore kare haberi tu."
13.4.13  「 こなたへまかでむや
 「こちらへ来ませんか」
 「それもこちらへ来させましょうか」
  "Konata he makade m ya?"
13.4.14  とのたまひて、 寝殿の東面、桐壺は若宮具したてまつりて、参りたまひにしころなれば、こなた 隠ろへたりけり。遣水などのゆきあひはれて、よしある かかりのほどを尋ねて立ち出づ。太政大臣殿の君達、 頭弁、兵衛佐、大夫の君など、過ぐしたるも、まだ片なりなるも、さまざまに、人よりまさりてのみものしたまふ。
 とおっしゃって、寝殿の東面は、桐壷の女御は若宮をお連れ申し上げていらっしゃっている折なので、こちらはひっそりしていた。遣水などの合流する所が広々としていて、趣のある場所を探しに出て行く。太政大臣の公達の、頭弁、兵衛佐、大夫の君などの、年輩者も、また若い者も、それぞれに、他の人より立派な方ばかりでいらっしゃる。
 と大将は父君へ申した。寝殿の東側になった座敷には桐壺きりつぼかたがいたのであるが、若宮をお伴いして東宮へ参ったあとで、そこはき間になっていて静かだった。蹴鞠の人たちは流水を避けて競技によい場所を求めて皆庭へ出た。太政大臣家の公達は頭弁とうのべんなどという成年者も兵衛佐ひょうえのすけ太夫たゆうの君などという少年上がりの人も混じって来ているが、他に比べて皆風采ふうさいがきれいであった。
  to notamahi te, sin-den no himgasi-omote, Kiritubo ha Waka-Miya gu-si tatematuri te, mawiri tamahi ni si koro nare ba, konata kakurohe tari keri. Yarimidu nado no yuki-ahi hare te, yosi aru kakari no hodo wo tadune te tati-idu. Ohoki-ohoi-dono no Kimdati, Tou-no-Ben, Hyauwe-no-Suke, Daibu-no-Kimi nado, sugusi taru mo, mada katanari naru mo, sama-zama ni, hito yori masari te, nomi monosi tamahu.
注釈848弥生ばかりの空うららかなる日六条院の南の町で蹴鞠の遊びが催される。13.4.1
注釈849静かなる以下「暮らすべき」まで、源氏の詞。13.4.2
注釈850今朝大将のものしつるは以下「出でやしぬる」まで、源氏の詞。13.4.4
注釈851問はせたまふ「せ」使役の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞。源氏が人をして尋ねさせなさる、の意。13.4.5
注釈852大将の君は以下「遊ばして見たまふ」まで、報告の要旨。「し」使役の助動詞。夕霧が大勢の人々に蹴鞠をさせての意。13.4.6
注釈853乱りがはしきことの『集成』は「無作法な遊戯だが」。『完訳』は「どうもあれは騒がしいものの」と訳す。13.4.8
注釈854鞠持たせたまへりや誰々かものしつる源氏の詞。「せ」使役の助動詞。「たまへ」尊敬の補助動詞。13.4.10
注釈855これかれはべりつ夕霧の返事。実際は実名を言ったのだが、省略された書き方。13.4.12
注釈856こなたへまかでむや源氏の詞。ここ東南の町へ来ませんか、の意。13.4.13
注釈857寝殿の東面桐壺は若宮具したてまつりて参りたまひにしころなれば東南の町の寝殿の東側は明石女御の部屋であるが、現在、若宮を伴って東宮に帰参している。西側は女三の宮の部屋。13.4.14
注釈858隠ろへたりけり『集成』は「目立たぬ所だった」。『完訳』は「ひっそりとしていたのであるが」と訳す。13.4.14
注釈859かかりのほど蹴鞠をするために砂を敷いた場所。13.4.14
注釈860頭弁兵衛佐大夫の君など柏木の弟たち。13.4.14
校訂198 つれづれに つれづれに--つれ/\に△(△/#) 13.4.2
校訂199 小弓 小弓--ふ(ふ/$こ)ゆき(き/$)み 13.4.4
校訂200 べかりけり べかりけり--へかりける(る/=り) 13.4.4
校訂201 町に 町に--ま(ま/+ち)に 13.4.6
校訂202 鞠--ま△(△/#)り 13.4.6
13.5
第五段 南町で蹴鞠を催す


13-5  Kashiwagi and others move from East to South residence court and play kemariat there

13.5.1  やうやう暮れかかるに、「 風吹かず、かしこき日なり」と興じて、弁君もえしづめず立ちまじれば、大殿、
 だんだん日が暮れかかって行き、「風が吹かず、絶好の日だ」と興じて、弁君も我慢できずに仲間に入ったので、大殿が、
 時間がたち日暮れになるまで、この競技に適して風も出ないよい日だと皆言って庭上の遊びは続いていたが、頭弁も闘志がおさえられなくなったらしくその中へ出て行った。
  Yau-yau kure kakaru ni, "Kaze huka zu, kasikoki hi nari." to kyou-zi te, Ben-no-Kimi mo e sidume zu tati-mazire ba, Otodo,
13.5.2  「 弁官もえをさめあへざめるを、上達部なりとも、若き衛府司たちは、 などか乱れたまはざらむかばかりの齢にては、あやしく見過ぐす、口惜しくおぼえしわざなり。さるは、いと軽々なりや。このことのさまよ」
 「弁官までが落ち着いていられないようだから、上達部であっても、若い近衛府司たちは、どうして飛び出して行かないのか。それくらいの年では、不思議にも見ているのは、残念に思われたことだ。とはいえ、とても騒々しいな。この遊びの有様はな」
 「文官の誇りにする弁さえ傍観していられないのだから、高官になっていても若い衛府えふの人などはおとなしくしている必要もない。私の青春時代にもそうしたことの仲間にはいりえないのが残念に思われたものだ。しかし軽々しく人を見せるね、この遊びは」
  "Ben-kwan mo e wosame-ahe za' meru wo, Kamdatime nari tomo, wakaki Wehu-dukasa-tati ha, nado ka midare tamaha zara m? Kabakari no yohahi ni te ha, ayasiku mi-sugusu, kutiwosiku oboye si waza nari. Saru ha, ito kyau-kyau nari ya! Kono koto no sama yo!"
13.5.3  などのたまふに、大将も督君も、皆下りたまひて、えならぬ花の蔭にさまよひ たまふ夕ばえ、いときよげなり。をさをささまよく静かならぬ、乱れごとなめれど、 所から人からなりけり。
 などとおっしゃると、大将も督君も、みなお下りになって、何ともいえない美しい桜の花の蔭で、あちこち動きなさる夕映えの姿、たいそう美しい。決して体裁よくなく、騒々しく落ち着きのない遊びのようだが、場所柄により人柄によるものであった。
 院がお勧めになるので、大将も衛門督も皆出て、美しい桜のかげを行き歩いていたこの夕方の庭のながめはおもしろかった。あまり静かでないこの遊戯であるが、乱暴な運動とは見えないのも所がら人柄によるものなのであろう。
  nado notamahu ni, Daisyau mo Kam-no-Kimi mo, mina ori tamahi te, e nara nu hana no kage ni, samayohi tamahu yuhu-baye, ito kiyoge nari. Wosa-wosa sama yoku siduka nara nu, midare goto na' mere do, tokoro kara hito kara nari keri.
13.5.4  ゆゑある庭の木立のいたく霞みこめたるに、 色々紐ときわたる花の木どもわづかなる萌黄の蔭に、かくはかなきことなれど、善き悪しきけぢめあるを挑みつつ、われも劣らじと思ひ顔なる中に、衛門督のかりそめに立ち混じりたまへる足もとに、並ぶ人なかりけり。
 趣のある庭の木立がたいそう霞に包まれたところに、何本もの色とりどりに蕾の開いて行く花の木が、わずかに芽のふいた木の蔭で、このようにつまらない遊びだが、上手下手の違いがあるのを競い合っては、自分も負けまいと思っている顔つきの中で、衛門督がほんのお付き合いの顔で参加なさった蹴り方に、並ぶ人がいなかった。
 趣のある庭の木立ちのかすんだ中に花の木が多く、若葉のこずえはまだ少ない。遊び気分の多いものであって、鞠の上げようのよし悪しを競って、われ劣らじとする人ばかりであったが、本気でもなく出て混じった衛門督えもんのかみの足もとに及ぶ者はなかった。
  Yuwe aru niha no kodati no ito itaku kasumi-kome taru ni, iro-iro himo toki wataru hana no ki-domo, waduka naru moyegi no kage ni, kaku hakanaki koto nare do, yoki asiki kedime aru wo idomi tutu, ware mo otora zi to omohi-gaho naru naka ni, Wemon-no-Kami no karisome ni tati-maziri tamahe ru asi-moto ni, narabu hito nakari keri.
13.5.5  容貌いときよげに、なまめきたるさましたる人の、用意いたくして、さすがに乱りがはしき、をかしく見ゆ。
 器量もたいそう美しく優雅な物腰の人が、心づかいを十分して、それでいて活発なのは見事である。
顔がきれいで風采のえんなこの人は十分身の取りなしに注意して鞠を蹴り出すのであったが、自然にその姿の乱れるのも美しかった。
  Katati ito kiyoge ni, namameki taru sama si taru hito no, youi itaku si te, sasuga ni midari-gahasiki, wokasiku miyu.
13.5.6  御階の 間にあたれる桜の蔭に寄りて、人びと、花の上も忘れて心に入れたるを、大殿も宮も、隅の高欄に出でて御覧ず。
 御階の柱間に面した桜の木蔭に移って、人々が、花のことも忘れて熱中しているのを、大殿も兵部卿宮も隅の高欄に出て御覧になる。
 正面の階段きざはしの前にあたった桜の木蔭で、だれも花のことなどは忘れて競技に熱中しているのを、院も兵部卿の宮もすみの所の欄干によりかかって見ておいでになった。
  Mi-hasi no ma ni atare ru sakura no kage ni yori te, hito-bito, hana no uhe mo wasure te kokoro ni ire taru wo, Otodo mo Miya mo, sumi no kauran ni ide te go-ran-zu.
注釈861風吹かずかしこき日なり風が吹かず、蹴鞠に絶好の日だ、の意。13.5.1
注釈862弁官もえをさめあへざめるを以下「このことのさまよ」まで、源氏の詞。13.5.2
注釈863などか乱れたまはざらむ『完訳「もっと羽目をはずしたらどうです」と訳す。「などか--む」反語表現。13.5.2
注釈864かばかりの齢にては源氏自身の若いころを思い出して言う。下に「おぼえし」という自己体験をいう過去の助動詞がある。13.5.2
注釈865色々紐ときわたる花の木ども『集成』は「「紐とく」は花の開くことを、女性に見立てていう歌語」と忠す。13.5.4
注釈866わづかなる萌黄の蔭に『完訳』は「わずかに若芽のふいている柳の木のもとで」と訳す。13.5.4
校訂203 たまふ たまふ--給て(て/$) 13.5.3
校訂204 所から 所から--*心から 13.5.3
校訂205 間にあたれる桜の蔭に寄りて、人びと、花の 間にあたれる桜の蔭に寄りて、人々、花の--(/+まにあたれるさくらのかけによりて人/\花の) 13.5.6
13.6
第六段 女三の宮たちも見物す


13-6  Sam-no-miya and others watch the play of kemari

13.6.1  いと労ある心ばへども見えて、 数多くなりゆくに、上臈も乱れて、冠の額すこしくつろぎたり。大将の君も、御位のほど思ふこそ、例ならぬ乱りがはしさかなとおぼゆれ、見る目は、人よりけに若くをかしげにて、桜の直衣のやや萎えたるに、指貫の裾つ方、すこしふくみて、けしきばかり引き上げたまへり。
 たいそう稽古を積んだ技の数々が見えて、回が進んで行くにつれて、身分の高い人も無礼講となって、冠の額際が少し弛んで来た。大将の君も、ご身分の高さを考えれば、いつにない羽目の外しようだと思われるが、見た目には、人よりことに若く美しくて、桜の直衣の少し柔らかくなっているのを召して、指貫の裾の方が、少し膨らんで、心もち引き上げていらっしゃった。
 それぞれ特長のある巧みさを見せて勝負はなお進んでいったから、高官たちまでも今日はたしなみを正しくしてはおられぬように、冠の額を少し上へ押し上げたりなどしていた。大将も官位の上でいえば軽率なふるまいをすることになるが、目で見た感じはだれよりも若く美しくて、桜の色の直衣のうしの少し柔らかに着らされたのをつけて、指貫さしぬきすそのふくらんだのを少し引き上げた姿は軽々しい形態でなかった。
  Ito rau aru kokorobahe-domo miye te, kazu ohoku nari-yuku ni, zyaurahu mo midare te, kauburi no hitahi sukosi kuturogi tari. Daisyau-no-Kimi mo, mi-kurawi no hodo omohu koso, rei nara nu midari-gahasisa kana to oboyure, miru me ha, hito yori keni wakaku wokasige ni te, sakura no nahosi no yaya naye taru ni, sasinuki no suso tu kata, sukosi hukumi te, kesiki bakari hiki-age tamahe ri.
13.6.2  軽々しうも見えず、ものきよげなるうちとけ姿 に、花雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、 しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。督の君続きて、
 軽率には見えず、さっぱりとした寛いだ姿に、花びらが雪のように降りかかるので、ちょっと見上げて、撓んだ枝を少し折って、御階の中段辺りにお座りになった。督の君も続いて、
 雪のような落花が散りかかるのを見上げて、しおれた枝を少し手に折った大将は、階段きざはしの中ほどへすわって休息をした。衛門督が続いて休みに来ながら、
  Karu-garusiu mo miye zu, mono-kiyoge naru uti-toke sugata ni, hana no yuki no yau ni huri-kakare ba, uti-mi-age te, siwore taru yeda sukosi osi-wori te, mi-hasi no naka no sina no hodo ni wi tamahi nu. Kam-no-Kimi tuduki te,
13.6.3  「 花、乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ
 「花びらが、しきりに散るようですね。桜は避けて吹いてくれればよいに」
 「桜があまり散り過ぎますよ。桜だけは避けたらいいでしょうね」
  "Hana, midari-gahasiku tiru meri ya! Sakura ha yoki te koso."
13.6.4  などのたまひつつ、宮の御前の方を後目に見れば、 例の、ことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾のつま、透影など、春の手向けの幣袋にやとおぼゆ。
 などとおっしゃりながら、宮の御前の方角を横目に見やると、いつものように、格別慎みのない女房たちがいる様子で、色とりどりの袖口がこぼれ出ている御簾の端々から、透影などが、春に供える幣袋かと思われて見える。
 などと言って歩いているこの人は姫宮のお座敷を見ぬように見ていると、そこには落ち着きのない若い女房たちが、あちらこちらの御簾みすのきわによって、透き影に見えるのも、端のほうから見えるのも皆その人たちの派手はでな色の褄袖口つまそでぐちばかりであった。暮れゆく春への手向けのぬさの袋かと見える。
  nado notamahi tutu, Miya no o-mahe no kata wo sirime ni mire ba, rei no, koto ni wosamara nu kehahi-domo si te, iro-iro kobore-ide taru mi-su no tuma, suki-kage nado, haru no tamuke no nusa-bukuro ni ya to oboyu.
注釈867数多くなりゆくに『集成』は「回数が増えてゆくにつれ」。『完訳』は「鞠が地に落ちて一度と数える」と注す。13.6.1
注釈868花乱りがはしく散るめりや桜は避きてこそ柏木の詞。「吹く風よ心しあらばこの春の桜は避きて散らさざらなむ」(源氏釈所引、出典未詳)。「春風は花のあたりをよきて吹け心づからや移ろうと見む」(古今集春下、八五、藤原好風)を踏まえる。13.6.3
注釈869例のことにをさまらぬけはひどもして『集成』は「いつものように、格別慎み深くするでもない女房たちがいる様子で」。『完訳』は「例によって、とくに慎み深くすることもない女房たちのいる気配があれこれと感じられて」と訳す。13.6.4
出典40 桜は避きて 吹く風よ心しあらばこの春の桜はよきて散らさざらなむ 出典未詳-源氏釈所引 13.6.3
春風は花のあたりをよきて吹け心づからやう移ろふと見む 古今集春下-八五 藤原好風
校訂206 に、花 に、花--はな(はな/$に花) 13.6.2
校訂207 雪の 雪の--ゆきのゆきの(ゆきの<後出>/$) 13.6.2
校訂208 しをれたる しをれたる--しほ△れ(△れ/$れたる) 13.6.2
13.7
第七段 唐猫、御簾を引き開ける


13-7  A cat rushes and pulls the misu off

13.7.1   御几帳どもしどけなく引きやりつつ人気近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫 追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人びとおびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳 かしかましき心地す。
 御几帳類をだらしなく方寄せ方寄せして、女房がすぐ側にいて世間ずれしているように思われるところに、唐猫でとても小さくてかわいらしいのを、ちょっと大きめの猫が追いかけて、急に御簾の端から走り出すと、女房たちは恐がって騷ぎ立て、ざわざわと身じろぎし、動き回る様子や、衣ずれの音がやかましいほどに思われる。
 几帳きちょうなどは横へ引きやられて、締まりなく人のいる気配けはいがあまりにもよく外へ知れるのである。支那しな産のねこの小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾みすの下から出ようとする時、猫の勢いにおそれて横へ寄り、後ろへ退こうとする女房のきぬずれの音がやかましいほど外へ聞こえた。
  Mi-kityau-domo sidokenaku hiki-yari tutu, hito-ke tikaku yoduki te zo miyuru ni, kara-neko no ito tihisaku wokasige naru wo, sukosi ohoki naru neko ohi tuduki te, nihaka ni mi-su no tuma yori hasiri-iduru ni, hito-bito obiye sawagi te, soyo-soyo to miziroki samayohu kehahi-domo, kinu no otonahi, mimi kasikamasiki kokoti su.
13.7.2  猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこしろふほどに、御簾の側いとあらはに 引き開けられたるを、とみにひき直す人もなし。この柱のもとにありつる人びとも、心あわたたしげにて、もの懼ぢしたるけはひどもなり。
 猫は、まだよく人に馴れていないのであろうか、綱がたいそう長く付けてあったが、物に引っかけまつわりついてしまったので、逃げようとして引っぱるうちに、御簾の端がたいそうはっきりと中が見えるほど引き開けられたのを、すぐに直す女房もいない。この柱の側にいた人々も慌てているらしい様子で、誰も手が出ないでいるのである。
 この猫はまだあまり人になつかないのであったのか、長い綱につながれていて、その綱が几帳のすそなどにもつれるのを、一所懸命に引いて逃げようとするために、御簾の横があらわにはすに上がったのを、すぐに直そうとする人がない。そこの柱の所にいた女房などもただあわてるだけでおじけ上がっている。
  Neko ha, mada yoku hito ni mo natuka nu ni ya, tuna ito nagaku tuki tari keru wo, mono ni hiki-kake matuha re ni keru wo, nige m to hikosirohu hodo ni, mi-su no soba ito araha ni hiki-ake rare taru wo, tomi ni hiki-nahosu hito mo nasi. Kono hasira no moto ni ari turu hito-bito mo, kokoro-awatatasige ni te, mono-odi si taru kehahi-domo nari.
注釈870御几帳どもしどけなく引きやりつつ御簾に添えて立てられている御几帳をだらしなくずらしている。女三の宮が覗かれる伏線。13.7.1
注釈871人気近く世づきてぞ見ゆるに『集成』は「すぐ端近に女房がおり、世間ずれしているように思われるところに。男にすぐ返事でもしそうに思われる」。『完訳』は「すぐ間近に控えている人の気配が奥ゆかしさもなく世なれた感じであるが」と注す。13.7.1
注釈872かしかましき「姦 カシカマシ」(名義抄)「カシカマシイ」(日葡辞書)、「古く「かしかまし」と第三音節は清音で、「かしがまし」となったのは近世以後のこと」(小学館古語大辞典)。13.7.1
注釈873引き開け明融臨模本には「け」に朱点で濁点符号が付いている。「引き上げ」と解したものである。13.7.2
校訂209 追ひ続きて 追ひ続きて--をひき(き/$)つゝきて 13.7.1
13.8
第八段 柏木、女三の宮を垣間見る


13-8  Sam-no-Miya is looked by Kashiwagi

13.8.1  几帳の際すこし入りたるほどに、 袿姿にて 立ちたまへる人あり階より西の二の間の東の側なれば、まぎれどころもなくあらはに 見入れらる
 几帳の側から少し奥まった所に、袿姿で立っていらっしゃる方がいる。階から西の二間の東の端なので、隠れようもなくすっかり見通すことができる。
 几帳より少し奥の所に袿姿うちぎすがたで立っている人があった。階段のある正面から一つ西になったの東の端であったから、あらわにその人の姿は外から見られた。
  Kityau no kiha sukosi iri taru hodo ni, utiki-sugata ni te tati tamahe ru hito ari. Hasi yori nisi no ni-no-ma no himgasi no soba nare ba, magire dokoro mo naku araha ni mi-ire raru.
13.8.2   紅梅にやあらむ、濃き 薄き、すぎすぎに、あまた重なりたるけぢめ、はなやかに、草子のつまのやうに見えて、 桜の織物の細長なるべし。御髪のすそまでけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、 七、八寸ばかりぞ余りたまへる。御衣の裾がちに、いと細く ささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。夕影なれば、さやかならず、奥暗き心地するも、 いと飽かず口惜し
 紅梅襲であろうか、濃い色薄い色を、次々と、何枚も重ねた色の変化、派手で、草子の小口のように見えて、桜襲の織物の細長なのであろう。お髪が裾までくっきりと見えるところは、糸を縒りかけたように靡いて、裾がふさふさと切り揃えられているのは、とてもかわいい感じで、七、八寸ほど身丈に余っていらっしゃる。お召し物の裾が長く余って、とても細く小柄で、姿つき、髪のふりかかっていらっしゃる横顔は、何とも言いようがないほど気高くかわいらしげである。夕日の光なので、はっきり見えず、奥暗い感じがするのも、とても物足りなく残念である。
 紅梅がさねなのか、濃い色とうすい色をたくさん重ねて着たのがはなやかで、着物の裾は草紙の重なった端のように見えた。桜の色の厚織物の細長らしいものを表着うわぎにしていた。裾まであざやかに黒い髪の毛は糸をよって掛けたようになびいて、その裾のきれいに切りそろえられてあるのが美しい。身丈に七、八寸余った長さである。着物の裾の重なりばかりがかさ高くて、その人は小柄なほっそりとした人らしい。この姿も髪のかかった横顔も非常に上品な美人であった。夕明りで見るのであるからこまごまとした所はわからなくて、後ろにはもうやみが続いているようなのが飽き足らず思われた。
  Koubai ni ya ara m? Koki usuki, sugi-sugi ni, amata kasanari taru kedime, hanayaka ni, sousi no tuma no yau ni miye te, sakura no orimono no hosonaga naru besi. Mi-gusi no suso made kezayaka ni miyuru ha, ito wo yori-kake taru yau ni nabiki te, suso no husayaka ni soga re taru, ito utukusige ni te, siti, hati-sun bakari zo amari tamahe ru. Ohom-zo no suso-gati ni, ito hosoku sasayaka ni te, sugata-tuki, kami no kakari tamahe ru soba-me, ihi-sira-zu ate ni rautage nari. Yuhu-kage nare ba, sayaka nara zu, oku kuraki kokoti suru mo, ito akazu kutiwosi.
13.8.3  鞠に身を投ぐる若君達の、 花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを 見るとて、人びと、あらはを ふともえ見つけぬなるべし。猫のいたく鳴けば、見返りたまへる面もち、もてなしなど、いとおいらかにて、 若くうつくしの人やと、ふと見えたり。
 蹴鞠に夢中になっている若公達の、花の散るのを惜しんでもいられないといった様子を見ようとして、女房たちは、まる見えとなっているのを直ぐには気がつかないのであろう。猫がひどく鳴くので、振り返りなさった顔つき、態度などは、とてもおっとりとして、若くかわいい方だと、直観された。
 まりに夢中でいる若公達わかきんだちが桜の散るのにも頓着とんちゃくしていぬふうな庭を見ることに身が入って、女房たちはまだ端の上がった御簾に気がつかないらしい。猫のあまりに鳴く声を聞いて、その人の見返った顔に余裕のある気持ちの見える佳人であるのを、衛門督は庭にいて発見したのである。
  Mari ni mi wo naguru Waka-kimdati no, hana no tiru wo wosimi mo ahe nu kesiki-domo wo miru tote, hito-bito, araha wo huto mo e mi-tuke nu naru besi. Neko no itaku nake ba, mi-kaheri tamahe ru omomoti, motenasi nado, ito oyiraka ni te, wakaku utukusi no hito ya to huto miye tari.
注釈874袿姿にて女主人の服装。女房装束の表着・唐衣・裳を着けた姿とは一目で区別される。13.8.1
注釈875立ちたまへる人あり異例の姿。女性は普通は座っているものである。『完訳』は「貴婦人は座っているのが普通。蹴鞠見物に立ち上る不謹慎な挙措」と注す。13.8.1
注釈876階より西の二の間の東の側なれば『集成』は「そこは中央御階の間から西へ二つめの柱間の東の端なので」と注す。「東の端」は向かって右側の御簾なので、と同じ。13.8.1
注釈877見入れらる「らる」可能の助動詞。見通すことができる。13.8.1
注釈878紅梅にやあらむ以下、柏木と語り手の目が一体化した視点からの描写。13.8.2
注釈879桜の織物の細長なるべし『完訳』は「上に着ておられるのは桜襲の織物の細長のようである」と訳す。13.8.2
注釈880七、八寸ばかりぞ余りたまへる身長よりも七、九寸長いさま。普通の髪の長さ。13.8.2
注釈881いと飽かず口惜し『完訳』は「柏木の心情の直叙に注意」と注す。13.8.2
注釈882花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを主語は若公達。普通は桜の花の散るのを惜しみ、このまま咲き止めておきたいというところだが、蹴鞠の鞠が枝に触れてひとしお美しく散るのでろう。蹴鞠に夢中になって、ゆったり惜しんでもいられぬという意。13.8.3
注釈883見るとて主語は女房たち。13.8.3
注釈884ふともえ見つけぬなるべし「なるべし」は語り手の言辞。13.8.3
注釈885若くうつくしの人や柏木が女三の宮を見た感想。第一印象。13.8.3
校訂210 薄き 薄き--うすきに(に/$) 13.8.2
校訂211 ささやか ささやか--さく(さく/$さゝ)やか 13.8.2
13.9
第九段 夕霧、事態を憂慮す


13-9  Yugiri thinks the happening seriously

13.9.1  大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき入りたまふ。 さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の 綱ゆるしつれば、心にもあらずうち嘆かる
 大将は、たいそうはらはらしていたが、近寄るのもかえって身分に相応しくないので、ただ気づかせようと、咳ばらいなさったので、すっとお入りになる。実の所、自分ながらも、とても残念な気持ちがなさったが、猫の綱を放したので、溜息をもらさずにはいられない。
 大将はすだれが上がって中の見えるのを片腹痛く思ったが、自身が直しに寄って行くのも軽率らしく思われることであったから、注意を与えるためにせき払いをすると、立っていた人は静かに奥へはいった。そうはさせながら大将自身も美しい人の隠れてしまったのは物足らなかったのであるが、そのうち猫の綱は直されて御簾もりたのを見て、大将は思わず歎息たんそくの声をらした。
  Daisyau, ito kataharaitakere do, hahi-yora m mo naka-naka ito karu-garusikere ba, tada kokoro wo e sase te, uti-sihabuki tamahe ru ni zo, yawora hiki-iri tamahu. Saruha, waga kokoti ni mo, ito aka nu kokoti si tamahe do, neko no tuna yurusi ture ba, kokoro ni mo ara zu uti-nageka ru.
13.9.2   まして、さばかり心をしめたる衛門督は、胸ふとふたがりて、 誰ればかりにかはあらむ、ここらの中にしるき袿姿よりも、人に紛るべくも あらざりつる御けはひなど、心にかかりておぼゆ。
 それ以上に、あれほど夢中になっていた衛門督は、胸がいっぱいになって、他の誰でもない、大勢の中ではっきりと目立つ袿姿からも、他人と間違いようもなかったご様子など、心に忘れられなく思われる。
 ましてその人に見入っていた衛門督の胸は何かでふさがれた気がして、あれはだれであろう、女房姿でない袿であったのによって思うのでなくて、人と混同すべくもない容姿から見当のほぼつく人を、なおだれであろうか確かに知りたく思った。
  Masite, sabakari kokoro wo sime taru Wemon-no-Kami ha, mune huto hutagari te, tare bakari ni ka ha ara m, kokora no naka ni siruki utiki sugata yori mo, hito ni magiru beku mo ara zari turu ohom-kehahi nado, kokoro ni kakari te oboyu.
13.9.3  さらぬ顔にもてなしたれど、「 まさに目とどめじや」と、大将はいとほしく思さる。わりなき心地の慰めに、猫を招き寄せてかき抱きたれば、いと香ばしくて、らうたげにうち鳴くも、 なつかしく思ひよそへらるるぞ、好き好きしきや
 何気ない顔を装っていたが、「当然見ていたにちがいない」と、大将は困った事になったと思わずにはいられない。たまらない気持ちの慰めに、猫を招き寄せて抱き上げてみると、とてもよい匂いがして、かわいらしく鳴くのが、慕わしい方に思いなぞらえられるとは、好色がましいことであるよ。
 素知らぬ顔を大将は作っていたが、自分の見た人を衛門督の目にも見ぬはずはないと思って、その貴女をお気の毒に思った。何ともしがたい恋しく苦しい心の慰めに、大将は猫を招き寄せて、抱き上げるとこの猫にはよい薫香たきものの香がんでいて、かわいい声で鳴くのにもなんとなく見た人に似た感じがするというのも多情多感というものであろう。
  Saranu kaho ni motenasi tare do, "Masa ni me todome zi ya?" to, Daisyau ha itohosiku obosa ru. Warinaki kokoti no nagusame ni, neko wo maneki yose te kaki-idaki tare ba, ito kaubasiku te, rautage ni uti-naku mo, natukasiku omohi yosohe raruru zo, suki-zukisiki ya!
注釈886さるはわが心地にも『集成』「実のところ、夕霧自身も」と訳す。13.9.1
注釈887綱ゆるしつれば心にもあらずうち嘆かる夕霧のほっとした気持ち。『集成』は「(中の女房が)猫の綱を放したので(御簾が下りて)思わず溜息をおつきになる」。『完訳』は「猫の綱を解いてしまったので、思わずついため息をもらさずにはいられない」と訳す。13.9.1
注釈888まして柏木は夕霧以上に、の意。13.9.2
注釈889誰ればかりにかはあらむ以下「あらざりつる」まで、柏木の心中。「かはあらむ」反語表現。『完訳』は「女三の宮以外の誰でもない。「あらざりつる」あたりまで、柏木の心を直叙。以下は間接話法」と注す。13.9.2
注釈890あらざりつる柏木の心中語であるが、連体形の余情表現とかつ下文の「御けはひ」に係っていく表現。13.9.2
注釈891まさに目とどめじや夕霧の心中。反語表現。『集成』は「きっと見ていたにちがいない」。『完訳』は「衛門督がどうしてあのお姿を見逃すわけがあろう」と訳す。13.9.3
注釈892なつかしく思ひよそへらるるぞ好き好きしきや『首書或抄』は「草子地也」と指摘。『完訳』は「語り手の評。柏木の異様なまでの執着を評す」と注す。13.9.3
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年3月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月4日

Last updated 9/23/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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