34 若菜上(明融臨模本)


WAKANA-NO-ZYAU


光る源氏の准太上天皇時代
三十九歳暮から四十一歳三月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from the end of 39 to March the age of 41

11
第十一章 明石の物語 入道の手紙


11  Tale of Akashi  A letter from Akashi's father

11.1
第一段 明石入道、手紙を贈る


11-1  Akashi's father, priest sends a long letter to her

11.1.1   かの明石にも、かかる御こと伝へ聞きて、 さる聖心地にも、いとうれしくおぼえければ、
 あの明石でも、このようなお話を伝え聞いて、そうした出家心にも、たいそう嬉しく思われたので、
 明石の入道も姫君の出産の報を得て、人間離れのした心にも非常にうれしく思われて、
  Kano Akasi ni mo, kakaru ohom-koto tutahe kiki te, saru hiziri gokoti ni mo, ito uresiku oboye kere ba,
11.1.2  「 今なむ、この世の境を心やすく行き離るべき
 「今は、この世から心安らかな気持ちで離れて行くことができよう」
 「もうこれでこの世と別な境地へ自分の心を置くことができる」
  "Ima nam, kono yo no sakahi wo kokoro-yasuku yuki hanaru beki."
11.1.3  と弟子どもに言ひて、この家をば寺になし、あたりの田などやうのものは、皆その寺のことにしおきて、この国の奥の郡に、人も通ひがたく深き山あるを、年ごろも占めおきながら、 あしこに籠もりなむ後、また人には見え知らるべきにもあらずと思ひて、 ただすこしのおぼつかなきこと残りければ、今までながらへけるを、 今はさりともと、仏神を頼み申してなむ移ろひける。
 と弟子たちに言って、この家を寺にして、周辺の田などといったものは、みなその寺の所領にすることにして、この国の奥の郡で、人も行かないような深い山があるのを、かねてより所有していたのを、あそこに籠もった後は、再び人に見られることもあるまいと考えて、ほんの少し気がかりなことが残っていたので、今までとどまっていたが、今はもう大丈夫と、仏神をお頼み申して移ったのであった。
 と弟子でしどもに言い、明石の邸宅を寺にし、近くの領地は寺領に付けて以前から播磨はりまの奥のこおりに人も通いがたい深い山のある所を選定して、最後のこもり場所としてあったものの、少しまだ不安な点が残していく世にあって、なおそこへは移らなかった山の草庵そうあんへ、もう今後の子孫の運は仏神にお頼みするばかりであるとして入道は行ってしまうのであった。
  to Desi-domo ni ihi te, kono ihe wo ba tera ni nasi, atari no ta nado yau no mono ha, mina sono tera no koto ni si-oki te, kono kuni no oku no kohori ni, hito mo kayohi gataku hukaki yama aru wo, tosi-goro mo sime-oki nagara, asiko ni komori nam noti, mata hito ni ha miye siraru beki ni mo ara zu to omohi te, tada sukosi no obotukanaki koto nokori kere ba, ima made nagarahe keru wo, ima ha saritomo to, Hotoke Kami wo tanomi mausi te nam uturohi keru.
11.1.4  この近き年ごろとなりては、京に異なることならで、人も通はしたてまつらざりつ。 これより下したまふ人ばかりにつけてなむ、一行にても、尼君さるべき折節のことも通ひける。思ひ離るる世のとぢめに、文書きて、御方にたてまつれたまへり。
 最近の数年間は、都に特別の事でなくては、使いを差し上げることもしなかった。都からお下しになる使者ぐらいには言づけて、ほんの一行の便りなりと、尼君はしかるべき折のお返事をするのであった。俗世を離れる最後に、手紙を書いて、御方に差し上げなさった。
 近年はもう京の家族も順調に行っていることに安心して、使いを出してみることもなかったのである。京から使いが送られた時にだけ短いたよりを尼君へ書いて来た。入道はいよいよ明石を立つ時に、娘の明石夫人へ手紙を書いた。
  Kono tikaki tosi-goro to nari te ha, kyau ni kotonaru koto nara de, hito mo kayohasi tatematura zari tu. Kore yori kudasi tamahu hito bakari ni tuke te nam, hito-kudari ni te mo, Ama-Gimi saru-beki wori-husi no koto mo kayohi keru. Omohi hanaruru yo no todime ni, humi kaki te, Ohom-Kata tatemature tamahe ri.
注釈675かの明石にも明石入道、女御に男御子誕生を聞き、入山を決意。11.1.1
注釈676今なむこの世の境を心やすく行き離るべき入道の詞。『完訳』は「思い残すこともなく、いつ死んでも悪道に堕ちるまい、の心境」と注す。11.1.2
注釈677あしこに籠もりなむ後また人には見え知らるべきにもあらず入道の心中。11.1.3
注釈678ただすこしのおぼつかなきこと残りければ後文に詳述される。11.1.3
注釈679今はさりとも入道の心中。もう大丈夫、安心だ、の意。11.1.3
注釈680これより下したまふ人ばかりにつけて『集成』は「こちら(京の方)から遣わされる使者にことづけるぐらいで」。『完訳』は「源氏が明石に派遣した使者」と注す。11.1.4
校訂151 さる さる--さ(/$)さる 11.1.1
11.2
第二段 入道の手紙


11-2  The letter from Akashi's father

11.2.1  「 この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、 何かは、かくながら身を変へたるやうに思うたまへなしつつ、させることなき限りは、聞こえうけたまはらず。
 「ここ数年というものは、同じこの世に生きておりましたが、何のかのと、生きながら別世界に生まれ変わったように考えることに致しまして、格別変わった事がない限りは、お手紙を差し上げたり戴いたりしないでおります。
 この幾年間はあなたと同じ世界にいながらすでに他界で生存するもののような気持ちでたいしたことのない限りはおたよりを聞こうともしませんでした。
  "Kono tosi-goro ha, onazi yononaka no uti ni megurahi haberi ture do, nani ka ha, kaku nagara mi wo kahe taru yau ni omou tamahe nasi tutu, saseru koto naki kagiri ha, kikoye uketamahara zu.
11.2.2  仮名文見たまふるは、目の暇いりて、念仏も懈台するやうに、益なうてなむ、御消息もたてまつらぬを、伝てにうけたまはれば、若君は春宮に参りたまひて、男宮生まれたまへるよしをなむ、深く喜び申しはべる。
 仮名の手紙を拝見するのは、時間がかかって、念仏も怠けるようで、無益と考えて、お手紙を差し上げませんでしたが、人伝てに承りますと、若君は東宮に御入内なさって、男宮がご誕生なさったとのこと、心からお喜び申し上げております。
 仮名書きの物を読むのは目に時間がかかり、念仏を怠ることになり、無益むやくであるとしたのです。またこちらのたよりもあげませんでしたが、承ると姫君が東宮の後宮へはいられ、そして男宮をお生み申されたそうで、私は深くおよろこびを申し上げる。
  Kana-bumi mi tamahuru ha, me no itoma iri te, nenbutu mo ketai suru yau ni, yaku nau te nam, ohom-seusoko mo tatematura nu wo, tute ni uketamahare ba, Waka-Gimi ha Touguu ni mawiri tamahi te, Wotoko-Miya umare tamahe ru yosi wo nam, hukaku yorokobi mausi haberu.
11.2.3  そのゆゑは、みづからかく つたなき山伏の身に、今さらにこの世の栄えを思ふにもはべらず。過ぎにし方の年ごろ、心ぎたなく、六時の勤めにも、ただ御ことを心にかけて、 蓮の上の露の願ひをばさし置きてなむ念じたてまつりし。
 そのわけは、わたし自身このような取るに足りない山伏の身で、今さらこの世での栄達を願うのではございません。過ぎ去った昔の何年かの間、未練がましく、六時の勤めにも、ただあなたの御事を心にかけ続けて、自分の極楽往生の願いはさしおいて願ってきました。
 その理由はみじめな僧の身で今さら名利を思うのではありません。過去の私は恩愛の念から離れることができず、六時の勤行をいたしながらも、仏に願うことはただあなたに関することで、自身の浄土往生の願いは第二にしていましたが、初めから言えば、
  Sono yuwe ha, midukara kaku tutanaki yamabusi no mi ni, imasara ni kono yo no sakaye wo omohu ni mo habera zu. Sugi ni si kata no tosi-goro, kokoro-gitanaku, roku-zi no tutome ni mo, tada ohom-koto wo kokoro ni kake te, hatisu no uhe no tuyu no negahi wo ba sasi-oki te nam nen-zi tatematuri si.
11.2.4  わがおもと生まれたまはむとせし、 その年の二月のその夜の夢に見しやう、
 あなたがお生まれになろうとした、その年の二月の某日の夜の夢に見たことは、
 あなたが生まれてくる年の二月の某日の夜の夢に、こんなことを見たのです、
  Waga Omoto umare tamaha m to se si, sono tosi no Ni-gwati no sono yo no yume ni misi yau,
11.2.5  『 みづから須弥の山を右の手に捧げたり山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす。みづからは山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず。 山をば広き海に浮かべおきて小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆく
 『自分は須弥山を右手に捧げ持っていた。その山の左右から、月の光と日の光とが明るくさし出して世の中を照らす。自分自身は山の下の蔭に隠れて、その光に当たらない。山を広い海の上に浮かべ置いて、小さい舟に乗って、西の方角を指して漕いで行く』
 私自身は須弥山しゅみせんを右の手にささげているのです。その山の左右から月と日の光がさしてあたりを照らしています。私には山の陰影かげが落ちて光のさしてくることはないのです。私はその山を広い海の上に浮かべて置いて、自身は小さい船に乗って西のほうをさして行く
  "Midukara Syumi-no-yama wo, migi no te ni sasage tari. Yama no sa-iu yori, tuki hi no hikari sayaka ni sasi-ide te yo wo terasu. Midukara ha yama no simo no kage ni kakure te, sono hikari ni atara zu. Yama wo ba hiroki umi ni ukabe-oki te, tihisaki hune ni nori te, nisi no kata wo sasi te kogi yuku."
11.2.6  となむ見はべし。
 と見ました。
 ので終わったのです。
  to nam mi habe' si.
11.2.7  夢覚めて、朝より数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、 何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむと、心のうちに思ひはべしを、そのころより孕まれたまひにしこなた、 俗の方の書を 見はべしにも、また 内教の心を尋ぬる中にも、夢を 信ずべきこと多くはべしかば、賤しき懐のうちにも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、 力及ばぬ身に 思うたまへかねてなむ、 かかる道に赴きはべりにし
 夢から覚めて、その朝から物の数でもないわが身にも期待する所が出て来ましたが、どのようなことにつけてか、そのような大変な幸運を待ち受けることができようかと、心中に思っておりましたが、そのころからあなたが孕まれなさって以来今まで、仏典以外の書物を見ましても、また仏典の真意を求めました中にも、夢を信じるべきことが多くございましたので、賎しい身ながらも、恐れ多く大切にお育て申し上げましたが、力の及ばない身に思案にあまって、このような田舎に下ったでした。
 その夢のさめた朝から私の心にはある自信ができたのですが、何によってそうした夢に象徴されたような幸福に近づきうるかという見当がつかなかったところ、ちょうどそのころから母の胎にはらまれたのがあなたです。普通の書物にも仏典にも夢を信じてよいことが多く書かれてありますから、無力な親でいてあなたをたいせつなものにして育てていましたが、そのために物質的に不足なことのないようにと京の生活をやめて地方官の中へはいったのです。
  Yume same te, asita yori kazu nara nu mi ni tanomu tokoro ide-ki nagara, nani-goto ni tuke te ka, saru ikamesiki koto wo ba mati-ide m to, kokoro no uti ni omohi habe' si wo, sono-koro yori harama re tamahi ni si konata, zoku no kata no humi wo mi habe' si ni mo, mata naikeu no kokoro wo tadunuru naka ni mo, yume wo sin-zu beki koto ohoku habe' sika ba, iyasiki hutokoro no uti ni mo, katazikenaku omohi itaduki tatematuri sika do, tikara oyoba nu mi ni omou tamahe kane te nam, kakaru miti ni omomuki haberi ni si.
11.2.8  また、 この国のことに沈みはべりて、老の波にさらに立ち返らじと思ひとぢめて、この浦に年ごろはべしほども、わが君を頼むことに思ひきこえはべしかばなむ、心一つに多くの願を立てはべし。 その返り申し、平らかに思ひのごと時にあひたまふ
 するとまた、この国で沈淪しまして、老の身で都に二度と帰るまいと諦めをつけて、この浦に何年もおりましたその間も、あなたに期待をおかけ申していましたので、自分一人で数多くの願を立てました。そのお礼参りが、無事にできるような願いどおりの運勢に巡り合われたのです。
 ここでまた私の身の上に悪いことが起こり、しまいに土着して出家の人になり、あなたは姫君をお生みになったそのころのことは知っておいでになるとおりです。その時代に私は多くの願を立てていましたが、皆神仏のおれになることになり、あなたは幸福な人になられました。
  Mata, kono kuni no koto ni sidumi haberi te, oyi no nami ni sarani tati-kahera zi to omohi-todime te, kono ura ni tosi-goro habe' si hodo mo, waga Kimi wo tanomu koto ni omohi kikoye habe' sika ba nam, kokoro hitotu ni ohoku no gwan wo tate habe' si. Sono kaheri mausi, tahiraka ni omohi no goto toki ni ahi tamahu.
11.2.9  若君、国の母となりたまひて、願ひ満ちたまはむ世に、住吉の御社をはじめ、 果たし申したまへ。さらに何ごとをかは疑ひはべらむ。
 若君が、国母とおなりになって、願いが叶いなさったあかつきには、住吉の御社をはじめとして、お礼参りをなさい。まったく何を疑うことがありましょうか。
 姫君が国の母の御位みくらいをお占めになった暁には住吉すみよしの神をはじめとして仏様への願果たしをなさるようにと申しておきます。
  Waka-Gimi, kuni no haha to nari tamahi te, negahi miti tamaha m yo ni, Sumiyosi no mi-yasiro wo hazime, hatasi mausi tamahe. Sarani nani-goto wo ka ha utagahi habera m?
11.2.10   この一つの思ひ、近き世にかなひはべりぬれば、 はるかに西の方、十万億の国隔てたる、九品の上の望み疑ひなく なりはべりぬれば、今はただ迎ふる蓮を待ちはべるほど、その夕べまで、水草清き山の末にて勤めはべらむとてなむ、まかり入りぬる。
 この一つの願いが、近い将来に叶うことになったので、遥か西方の、十万億土を隔てた極楽の九品の蓮台の上の往生の願いも確実になりましたので、今はただ阿彌陀の来迎を待っておりますだけで、その夕べまで、水も草も清らかな山の奥で勤行しましょうと思って、入山致しました。
 私の大願がかなった今では、はるかに西方の十万億の道を隔てた世界の、九階級の中の上の仏の座が得られることも信じられます。今から蓮華れんげをお持ちになる迎えの仏においする夕べまでを私は水草の清い山にはいってお勤めをしています。
  Kono hitotu no omohi, tikaki yo ni kanahi haberi nure ba, haruka ni nisi no kata, zihu-man-oku no kuni hedate taru, ku-hon no uhe no nozomi utagahi naku nari haberi nure ba, ima ha tada mukahuru hatisu wo mati haberu hodo, sono yuhube made, midu kusa kiyoki yama no suwe ni te tutome habera m tote nam, makari iri nuru.
11.2.11    光出でむ暁近くなりにけり
  日の出近い暁となったことよ
  光いでん暁近くなりにけり
    Hikari ide m akatuki tikakiu nari ni keri
11.2.12   今ぞ見し世の夢語りする
  今初めて昔見た夢の話をするのです
  今ぞ見しよの夢語りする
    ima zo mi si yo no yume gatari suru
11.2.13   とて、月日書きたり
 とあって、月日が書いてある。
 そして日づけがある。またあとへ、
  tote, tukihi kaki tari.
注釈681この年ごろは以下「夢語りする」まで、入道から御方への手紙文。11.2.1
注釈682何かはかくながら身を変へたるやうに思うたまへなしつつ『集成』は「何の何の生きながら別世界に生れ変ったように考えることにいたしましては」。『完訳』は「何の、そうもしておれまい、このままあの世に生れ変ったような気になっておりまして」と訳す。11.2.1
注釈683蓮の上の露の願ひ極楽往生の願いをいう。11.2.3
注釈684その年の二月のその夜の夢に『集成』は「実際には何年何月何日の夜と書いてあるのを省略した書き方」と注す。11.2.4
注釈685みづから須弥の山を以下「西の方をさして漕ぎゆく」まで、入道が見た夢の内容。「須弥山」は仏教の世界観で中心となる山。この世の中心を暗示。11.2.5
注釈686右の手に捧げたり『完訳』は「明石の君の誕生の予兆。女は右をつかさどる」と注す。11.2.5
注釈687山の左右より月日の光さやかにさし出でて世を照らす「日」は帝を、「月」は皇后を暗示。明石の君よりそれらの誕生を暗示する。11.2.5
注釈688山をば広き海に浮かべおきて東宮が即位して四海を治めることを暗示。11.2.5
注釈689小さき舟に乗りて西の方をさして漕ぎゆく入道自身のこと、極楽往生を暗示。11.2.5
注釈690何ごとにつけてか以下「待ち出でむ」まで、入道の心中。11.2.7
注釈691俗の方の書を仏典以外の書物、主に儒教の経典などをさす。11.2.7
注釈692内教の心を仏典、仏教の主旨。11.2.7
注釈693力及ばぬ身に『完訳』は「娘養育のための経済力の不足」と注す。11.2.7
注釈694かかる道に赴きはべりにし播磨国司となって下向したことをいう。11.2.7
注釈695この国のことに沈みはべりて、老の波にさらに立ち返らじと「沈む」「浪」「立ち返る」は縁語表現。11.2.8
注釈696その返り申し平らかに思ひのごと時にあひたまふ『集成』は「今やそのお礼参りも無事にできるように、望みどおり時節にお会いです」と訳す。11.2.8
注釈697この一つの思ひ『集成』は「夢にあった第一の願い。若君が国母になること。以下、その願いも叶ったと断定的にいう」と注す。11.2.10
注釈698はるかに西の方十万億の国隔てたる九品の上の望み疑ひなく阿彌陀経「是ヨリ西方、十万億ノ仏土を過ギテ、世界アリ、名ヅケテ極楽トイフ」。「九品の上の望み」は九階等の最高の上品上生の極楽往生をいう。11.2.10
注釈699光出でむ暁近くなりにけり今ぞ見し世の夢語りする入道の辞世歌。『完訳』は「「月日の光--」に照応し、若宮の即位、女御の立后も近づいたとする。弥勒出生の暁の光も思い合せた表現、とする説もある」と注す。11.2.11
注釈700とて、月日書きたり手紙の日付。11.2.13
出典34 はるかに西の方、十万億の国隔て 従是西方過十万億仏土 有世界 名曰極楽 阿弥陀経 11.2.10
校訂152 つたなき つたなき--つた△(△/#)なき 11.2.3
校訂153 俗--そゝ(ゝ/$く) 11.2.7
校訂154 信ずべき 信ずべき--しんの心を(の心を/$)すへき 11.2.7
校訂155 思うたまへ 思うたまへ--おもむき(むき/$ふ)たまへ 11.2.7
校訂156 果たし 果たし--はた(た/+し) 11.2.9
11.3
第三段 手紙の追伸


11-3  A postscript in the letter

11.3.1  「 命終らむ月日も、さらにな知ろしめしそ。いにしへより人の染めおきける藤衣にも、 何かやつれたまふ。ただ わが身は変化のものと思しなして、老法師のためには功徳をつくりたまへ。この世の楽しみに添へても、後の世を忘れたまふな。
 「寿命の尽きる月日を、決してお心にかけてなさいますな。昔から皆が染めておいた喪服なども、お召しなさるな。ただ自分は神仏の権化とお思いになって、この老僧のためには冥福をお祈り下さい。現世の楽しみを味わうにつけても、来世をお忘れなさるな。
 私の命の終わる月日もお知りになる必要はありません。人が古い習慣で親のために着る喪服などもあなたはお着けにならないでお置きなさい。人間の私の子ではなく、別な生命いのちを受けているものとお思いになって、私のためにはただ人の功徳くどくになることをなさればよろしい。
  "Inoti ohara m tuki-hi mo, sarani na sirosimesi so. Inisihe yori hito no some-oki keru hudi-goromo ni mo, nani ka yature tamahu. Tada waga mi ha henge no mono to obosi nasi te, oyi-hohusi no tame ni ha kudoku wo tukuri tamahe. Kono yo no tanosimi ni sohe te mo, noti no yo wo wasure tamahu na.
11.3.2  願ひはべる所にだに至りはべりなば、かならずまた対面ははべりなむ。 娑婆の他の岸に至りて、疾くあひ見むとを思せ」
 願っております極楽にさえ行きつけましたら、きっと再びお会いすることがございましょう。この世以外の世界に行き着いて、早く会おうとお考え下さい」
この世の愉楽をわが物としておいでになる時にも後世ごせのことを忘れぬようになさい。私の志す世界へ行っておれば必ずまた逢うことができるのです。娑婆しゃばのかなたの岸も再会の得られる期の現われてくることを思っておいでなさい。
  Negahi haberu tokoro ni dani itari haberi na ba, kanarazu mata taimen ha haberi nam. Syaba no hoka no kisi ni itari te, toku ahi-mi m to wo obose."
11.3.3  さて、かの社に立て集めたる願文どもを、大きなる 沈の文箱に、封じ籠めてたてまつりたまへり。
 そして、あの社に立てた多くの願文類を、大きな沈の文箱に、しっかり封をして差し上げなさっていた。
こう書いて終わってあった。また入道が住吉のやしろへ奉った多くの願文を集めて入れたじんの木の箱の封じものも添えてあった。
  Sate, kano yasiro ni tate atume taru nagahi-bumi-domo wo, ohoki naru din no hubako ni, hun-zi-kome te tatematuri tamahe ri.
11.3.4  尼君には、 ことごとにも書かず、ただ、
 尼君には、別に改めて書いてなく、ただ、
 尼君への手紙は細かなことは言わずに、ただ、
  Ama-Gimi ni ha, koto-goto ni mo kaka zu, tada,
11.3.5  「 この月の十四日になむ、草の庵まかり離れて、深き山に入りはべりぬる。かひなき身をば、 熊狼にも施しはべりなむ 。そこには、 なほ思ひしやうなる御世を待ち出でたまへ明らかなる所にて、また対面はありなむ」
 「今月の十四日に、草の庵を出て、深い山に入ります。役にも立たない身は、熊や狼に施しましょう。あなたは、やはり望みどおりの御代になるのをお見届け下さい。極楽浄土で、再びお会いすることがありましょう」
 この月の十四日に今までの家を離れて深山みやまへはいります。つまらぬわが身をくまおおかみに施します。あなたはなお生きていて幸いの花の美しく咲く日におあいなさい。光明の中の世界でまた逢いましょう。
  "Kono tuki no zihu-yo-niti ni nam, kusa no ihori makari hanare te, hukaki yama ni iri haberi nuru. Kahinaki mi wo ba, kuma ohokami ni mo se-si haberi na m. Soko ni ha, naho omohi si yau naru mi-yo wo mati-ide tamahe. Akiraka naru tokoro ni te, mata taimen ha ari na m."
11.3.6  とのみあり。
 とだけある。
 と書かれただけのものであった。
  to nomi ari.
注釈701命終らむ月日も以下「疾くあひ見むとを思せ」まで、入道の追伸。11.3.1
注釈702何かやつれたまふ反語表現。喪服など着なくてよい、の意。11.3.1
注釈703わが身は変化のものと思しなして『集成』は「ただ自分を変化の身とお考えになって。「変化」は神仏が人の姿をかりて仮にこの世に姿を現したもの。人の子(明石の入道の娘)だと思わずに、の意」と注す。11.3.1
注釈704ことごとにも書かず『集成』は「別に改めても」。『完訳』は「そう詳しくも書かず」と訳す。11.3.4
注釈705この月の十四日になむ以下「対面はありなむ」まで、入道から尼君への手紙。『完訳』は「後に「三日」とあり、手紙の書かれたのは十二日。三月十余日の若宮誕生の報に接した入道は、即座に入山を決意し実行した」と注す。11.3.5
注釈706熊狼にも施しはべりなむ「身を捨てて山に入りにし我なれば熊のくらはむこともおぼえず」(拾遺集物名、三八二、読人知らず)。11.3.5
注釈707なほ思ひしやうなる御世を待ち出でたまへ『集成』は「続いて望みどおりの〔皇子の〕御代をお見届け下さい」。『完訳』は「やはり望みどおりの御世になるのをお見届けくだされ」と訳す。11.3.5
注釈708明らかなる所にて悟りの世界。極楽浄土をさす。11.3.5
出典35 熊狼にも施し 身を捨てて山に入りにし我なれば熊の食らはむこともおぼえず 拾遺集物名-三八二 読人しらず 11.3.5
校訂157 娑婆 娑婆--さはり(り/$) 11.3.2
校訂158 沈の 沈の--ちむ(む/+の) 11.3.3
11.4
第四段 使者の話


11-4  The messenger's talk

11.4.1  尼君、この文を見て、かの使ひの大徳に問へば、
 尼君、この手紙を見て、その使いの大徳に尋ねると、
 読んだあとで尼君は使いの僧に入道のことを聞いた。
  Ama-Gimi, kono humi wo mi te, kano tukahi no Daitoko ni tohe ba,
11.4.2  「 この御文書きたまひて、三日といふになむ、かの絶えたる峰に移ろひたまひにし。なにがしらも、かの御送りに、麓まではさぶらひしかど、皆返したまひて、僧一人、童二人なむ、御供にさぶらはせたまふ。今はと世を背きたまひし折を、悲しきとぢめと思うたまへしかど、 残りはべりけり
 「このお手紙をお書きになって、三日目という日に、あの人跡絶えた山奥にお移りになりました。拙僧らも、そのお見送りに、麓までは参りましたが、皆お帰しになって、僧一人と、童二人をお供にお連れなさいました。今は最後とご出家なさった時に、悲しみの極みと存じましたが、さらに悲しいことが残っておりました。
 「お手紙をお書きになりましてから三日めにいおりを結んでおかれました奥山へお移りになったのでございます。私どもはお見送りに山のふもとへまで参ったのですが、そこから皆をお帰しになりまして、あちらへは僧を一人と少年を一人だけお供にしてお行きになりました。御出家をなさいました時を悲しみの終わりかと思いましたが、悲しいことはそれで済まなかったのでございます。
  "Kono ohom-humi kaki tamahi te, mi-ka to ihu ni nam, kano taye taru mine ni uturohi tamahi ni si. Nanigasira mo, kano ohom-okuri ni, humoto made ha saburahi sika do, mina kahesi tamahi te, sou hitori, waraha hutari nam, ohom-tomo ni saburaha se tamahu. Ima ha to yo wo somuki tamahi si wori wo, kanasiki todime to omou tamahe sika do, nokori haberi keri.
11.4.3  年ごろ行なひの隙々に、寄り臥しながら掻き鳴らしたまひし琴の御琴、琵琶とり寄せたまひて、掻い調べたまひつつ、仏にまかり申したまひてなむ、御堂に施入したまひし。さらぬものどもも、多くはたてまつりたまひて、その残りをなむ、御弟子ども六十余人なむ、親しき限りさぶらひける、ほどにつけて皆処分したまひて、なほし残りをなむ、京の御料とて送りたてまつりたてまつりたまへる。
 長年勤行の合間合間に寄りかかりながら、掻き鳴らしていらした琴の御琴、琵琶を取り寄せなさって、少しお弾きなさっては、仏にお別れ申されて、御堂に施入なさいました。その他の物も、大抵は寄進なさって、その残りを、御弟子たち六十何人の、親しい者たちだけのお仕えしてきた者に、身分に応じて全て処分なさって、その上で残っているのを、都の方々の分としてお送り申し上げたのです。
 以前から仏勤めをなさいますひまひまに、お身体からだを楽になさいましてはおきになりましたきん琵琶びわを持ってよこさせになりまして、仏前でお暇乞いとまごいにお弾きになりましたあとで、楽器を御堂みどうへ寄進されました。そのほかのいろいろな物も御堂へ御寄付なさいまして、余りの分をお弟子でしの六十幾人、それは親しくお仕えした人数ですが、それへお分けになり、なお残りました分を京の御財産へおつけになりました。
  Tosi-goro okonahi no hima-hima ni, yori-husi nagara kaki-narasi tamahi si kin-no-ohom-koto, biwa tori-yose tamahi te, kai-sirabe tamahi tutu, Hotoke ni makari mausi tamahi te nam, mi-dau ni senihu si tamahi si. Saranu mono-domo mo, ohoku ha tatematuri tamahi te, sono nokori wo nam, mi-desi-domo roku-zihu yo-nin nam, sitasiki kagiri saburahi keru, hodo ni tuke te mina soubun si tamahi te, naho si nokori wo nam, kyau no go-ryau tote okuri tatematuri tamahe ru.
11.4.4  今はとてかき籠もり、さる はるけき山の雲霞に混じりたまひにし、むなしき御跡にとまりて、悲しび思ふ人びとなむ多くはべる」
 今は最後と引き籠もり、あの遥かな山の雲霞の中にお入りになってしまわれたので、空っぽのお跡に残されて悲しく思う人々は多くございます」
 いっさいをこんなふうに清算なさいまして深山みやま雲霞くもかすみの中に紛れておはいりになりましたあとのわれわれ弟子どもはどんなに悲しんでいるかしれません」
  Imaha tote kaki-komori, saru harukeki yama no kumo kasumi ni maziri tamahi ni si, munasiki ohom-ato ni tomari te, kanasibi omohu hito-bito ohoku nam haberu."
11.4.5  など、この大徳も、童にて京より 下りし人の、老法師になりてとまれる、いとあはれに心細しと 思へり。仏の御弟子のさかしき聖 だに、鷲の峰をばたどたどしからず頼みきこえながら、なほ 薪尽きける夜の惑ひ は深かりけるを、まして尼君の悲しと思ひたまへること限りなし。
 などと、この大徳も、子供の時に都から下った人で、老僧となって残っているのだが、まことにしみじみと心細く思っていた。仏の御弟子の偉い聖僧でさえ、霊鷲山を十分に信じていながら、それでもやはり釈迦入滅の時の悲しみは深いものであったが、まして尼君の悲しいと思っていらっしゃることは際限がない。
 と播磨はりまの僧は言った。これも少年侍として京からついて行った者で、今は老法師で主に取り残された悲哀を顔に見せている。仏の御弟子で堅い信仰を持ちながらこの人さえ主を失ったなげきから脱しうることができないのであるから、まして尼君の歎きは並み並みのことでなかった。
  nado, kono Daitoko mo, waraha ni te kyau yori kudari si hito no, oyi-hohusi ni nari te, tomare ru, ito ahare ni kokoro-bososi to omohe ri. Hotoke no mi-desi no sakasiki hiziri dani, Wasi-no-mine wo ba tado-tadosikara zu tanomi kikoye nagara, naho takigi tuki keru yo no madohi ha hukakari keru wo, masite Ama-Gimi no kanasi to omohi tamahe ru koto kagiri nasi.
注釈709この御文書きたまひて以下「人びとなむ多くはべる」まで、大徳の詞。11.4.2
注釈710残りはべりけりまだ悲しみが残っていた、の意。11.4.2
注釈711薪尽きける夜の惑ひ「法華経」序品の釈迦入滅のさまをいう。11.4.5
出典36 薪尽きける 仏此夜滅度 如薪尽火滅 法華経-序品 11.4.5
校訂159 はるけき はるけき--は(は/+る)けき 11.4.4
校訂160 下りし 下りし--くたりしける(ける/$) 11.4.5
校訂161 思へり 思へり--おもふ(ふ/$へ)り 11.4.5
校訂162 だに だに--(/+た)に 11.4.5
11.5
第五段 明石御方、手紙を見る


11-5  Akashi reads the letter

11.5.1   御方は、南の御殿におはするを 、「かかる御消息なむある」とありければ、忍びて渡りたまへり。 重々しく身をもてなして、おぼろけならでは、通ひあひたまふこともかたきを、「あはれなることなむ」と聞きて、おぼつかなければ、うち忍びてものしたまへるに、 いといみじく悲しげなるけしきにてゐたまへり
 明石御方は、南の御殿にいらっしゃったが、「このようなお手紙がありました」と、伝えて来たので、人目に立たないようにしてお越しになった。重々しく振る舞って、さしたる用件がなければ、行き来しあいなさることは難しいのだが、「悲しいことがある」と聞いて、気がかりなので、こっそりといらっしゃったところ、とてもたいそう悲しそうな様子で座っていらっしゃった。
 明石あかし夫人はたいてい南の町のほうへばかり行っていたが、明石の使いが入道の手紙をもたらしたことを尼君が報らせて来たため、そっと北の町へ帰って来た。この人は自重していて少しのことによって軽々しく往来ゆききすることはしないのであるが、悲しいたよりがあったというので忍びやかに出て来たのである。見ると尼君は非常に悲しいふうをしてすわっていた。
  Ohom-kata ha, minami-no-otodo ni ohasuru wo, "Kakaru ohom-seusoko nam aru." to ari kere ba, sinobi te watari tamahe ri. Omo-omosiku mi wo motenasi te, oboroke nara de ha, kayohi ahi tamahu koto mo kataki wo, "Ahare naru koto nam." to kiki te, obotukanakere ba, uti-sinobi te monosi tamahe ru ni, ito imiziku kanasige naru kesiki ni te wi tamahe ri.
11.5.2  火近く取り寄せて、この文を見たまふに、げにせきとめむかたぞなかりける。 よその人は、何とも目とどむまじきことの、まづ、昔来し方のこと思ひ出で、恋しと思ひわたりたまふ心には、「 あひ見で過ぎ果てぬるにこそは」と、見たまふに、いみじくいふかひなし。
 灯火を近くに引き寄せて、この手紙を御覧になると、なるほど涙を堰き止めることができなかった。他人ならば、何とも感じないことが、まず、昔から今までのことを思い出して、恋しいとお思い続けていなさるお心には、「二度と会えずに終わってしまうのだ」と、思って御覧になると、ひどく何とも言いようがない。
 ともしびを近くへ寄せさせて夫人は手紙を読んでみると、自身からもとどめがたい涙が流れた。他人にとっては何でもないことも子としては忘れがたい思い出になる昔のことが多くて、常に恋しくばかり思われた父は、こうして自分たちから永久に去ったのかと思うと、どうしようもない深い悲しみに落ちるばかりであった。
  Hi tikaku tori-yose te, kono humi wo mi tamahu ni, geni, seki-tome m kata zo nakari keru. Yoso no hito ha, nani to mo me todomu maziki koto no, madu, mukasi kisikata no koto omohi-ide, kohisi to omohi watari tamahu kokoro ni ha, "Ahi mi de sugi-hate nuru ni koso ha." to, mi tamahu ni, imiziku ihukahinasi.
11.5.3  涙をえせきとめず、この夢語りを、かつは行く先頼もしく、
 涙をお止めになることもできない。この夢物語を一方では将来頼もしく思われ、
 この夢の話によって、自分に不相応な未来を期待して、
  Namida wo e seki tome zu, kono yume gatari wo, katu ha yuku-saki tanomosiku,
11.5.4  「 さらば、ひが心にて、わが身をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、 中ごろ思ひただよはれしことは、かくはかなき夢に頼みをかけて、心高くものしたまふなりけり」
 「それでは、偏屈な考えで、わたしをあんなにもとんでもない身にして不安にさまよわせなさると、一時は気持ちが迷ったこともあるが、それは、このような当てにならない夢に望みをかけて、高い理想を持っていらしたのだ」
 人並みの幸福を受けさせずに苦しめる父であるようにある時代の自分が恨んだのも、一つの夢を頼みにした父であったからであると、
  "Saraba, higa-kokoro ni te, waga mi wo sasimo arumaziki sama ni akugarasi tamahu to, naka-goro omohi tadayoha re si koto ha, kaku hakanaki yume ni tanomi wo kake te, kokoro takaku monosi tamahu nari keri."
11.5.5  と、かつがつ思ひ合はせたまふ。
 と、やっとお分りになる。
 はじめて理解のできた気もした。
  to, katu-gatu omohi ahase tamahu.
注釈712御方は南の御殿におはするを明石御方、入道の手紙を見る。11.5.1
注釈713重々しく身をもてなして主語は御方。今は若宮の祖母としての重々しさをもって振る舞う。11.5.1
注釈714いといみじく悲しげなるけしきにてゐたまへり尼君の態度をいう。11.5.1
注釈715あひ見で過ぎ果てぬるにこそは明石御方の心中。父入道に再び会えないことになってしまった気持ち。11.5.2
注釈716さらばひが心にて以下「ものしたまふなりけり」まで、明石御方の心中。父の気持ちと行動を理解する。11.5.4
注釈717中ごろ思ひただよはれしことは『完訳』は「明石の君が源氏と別れて明石にいた時、また大堰で過した時」と注す。11.5.4
校訂163 御方は 御方は--御かた(た/+は) 11.5.1
校訂164 よその人 よその人--よ(よ/+そ)の人 11.5.2
11.6
第六段 尼君と御方の感懐


11-6  Akashi and her mother think their fate

11.6.1  尼君、久しくためらひて、
 尼君は、長い間涙を抑えて、
 少したって尼君は、
  Ama-Gimi, hisasiku tamerahi te,
11.6.2  「 君の御徳には、うれしくおもただしきことをも、身にあまりて並びなく思ひはべり。 あはれにいぶせき思ひもすぐれてこそはべりけれ
 「あなたのお蔭で、嬉しく光栄なことも、身に余るほどに又とない運勢だと思っております。でも、悲しく胸の晴れない思いも、人一倍多くございました。
 「あなたがあったために輝かしい光栄にも私は浴していますが、またあなたのためにどれほどの苦労を心でしたことか。
  "Kimi no ohom-toku ni ha, uresiku omodatasiki koto wo mo, mi ni amari te narabinaku omohi haberi. Ahare ni ibuseki omohi mo sugure te koso haberi kere.
11.6.3   数ならぬ方にても、ながらへし都を捨てて、かしこに沈みゐしをだに、世人に違ひたる宿世にもあるかな、と思ひはべしかど、生ける世にゆき離れ、隔たるべき仲の契りとは思ひかけず、 同じ蓮に住むべき後の世の頼みをさへかけて年月を過ぐし来て、 にはかにかくおぼえぬ御こと出で来て、背きにし世に立ち返りてはべる、 かひある御ことを見たてまつりよろこぶものから、片つかたには、 おぼつかなく悲しきことのうち添ひて絶えぬを、つひにかくあひ見ず隔てながらこの世を別れぬるなむ、口惜しくおぼえはべる。
 物の数にも入らない身分ながらも、住み馴れた都を捨てて、あの国に沈淪していたのでさえ、普通の人と違った運命であると思っておりましたが、生きている間に別れ別れになり、離れて住まなければならない夫婦の縁とは思っておりませんで、同じ蓮の花の上に住むことができることに望みを託して歳月を送って来て、急にあのような思いもかけない御事が出てきて、捨てた都に帰って来ましたが、その甲斐あった御事を拝見して喜ぶものの、もう一方には、気がかりで悲しいことが付きまとって離れないのを、とうとうこのように再び会うことなく離れたまま、一生の別れとなってしまったのが残念に思われます。
 たいしたことのない家の子ではあっても、生まれた京を捨てて田舎いなかへ行ったころも不運な私だと思われましたがね。あとになって生きながら別れなければならぬとは予想せずに、同じ蓮華れんげの上へ生まれて行く時まで変わらぬ夫婦でいようとも互いに思って、愛の生活には満足して年月を送ったのですが、にわかにあなたの境遇が変わって、私もそれといっしょに捨てた世の中へ帰り、あなたがたが幸福に恵まれるのを目に見ては喜びながらも、一方では別れ別れになっている寂しさ、たよりなさを常に思って悲しんでいましたが、とうとう遠く隔たったままでお別れしてしまったのが残念に思われます。
  Kazu nara nu kata ni te mo, nagarahe si miyako wo sute te, kasiko ni sidumi wi si wo dani, yo-hito ni tagahi taru sukuse ni mo aru kana, to omohi habe' sika do, ikeru yo ni yuki-hanare, hedate taru beki naka no tigiri to ha omohi kake zu, onazi hatisu ni sumu beki noti-no-yo no tanomi wo sahe kake te tosi-tuki wo sugusi ki te, nihaka ni kaku oboye nu ohom-koto ide-ki te, somuki ni si yo ni tati-kaheri te haberu, kahi aru ohom-koto wo mi tatematuri yorokobu monokara, kata-tu-kata ni ha, obotukanaku kanasiki koto no uti-sohi te taye nu wo, tuhi ni kaku ahi mi zu hedate nagara kono yo wo wakare nuru nam, kutiwosiku oboye haberu.
11.6.4   世に経し時だに、人に 似ぬ心ばへにより、世をもてひがむるやうなりしを、若きどち頼みならひて、おのおのはまたなく契りおきてければ、かたみにいと深くこそ頼みはべしか。いかなれば、 かく耳に近きほどながらかくて別れぬらむ」
 在俗の時でさえ、普通の人と違った性質のため、世をすねているようでしたが、まだ若かった私たちは頼りにし合って、それぞれまたとなく深く約束し合っていたので、お互いに本当に心から頼りにしていましたのに。どのようなわけで、このような便りの通じる近い所でありながら、こうして別れてしまったのでしょう」
 若い時代のあの方も人並みな処世法はおとりにならずに、風変わりな人だったが、縁あって若い時から愛し合った二人の中には深い信頼があったものですよ。どうしてこの世の中でいながらうことのできない所へあの方は行っておしまいなすったのだろう」
  Yo ni he si toki dani, hito ni ni nu kokoro-bahe ni yori, yo wo mote-higamuru yau nari si wo, wakaki-doti tanomi narahi te, ono-ono ha mata naku tigiri-oki te kere ba, katami ni ito hukaku koso tanomi habe' sika. Ika nare ba, kaku mimi ni tikaki hodo nagara, kaku te wakare nu ram."
11.6.5  と言ひ続けて、いとあはれにうちひそみたまふ。御方もいみじく泣きて、
 と言い続けて、たいそう悲しげに泣き顔をしていらっしゃる。御方もひどく泣いて、
 と言って泣いた。夫人も非常に泣いた。
  to ihi-tuduke te, ito ahare ni uti-hisomi tamahu. Ohom-kata mo imiziku naki te,
11.6.6  「 人にすぐれむ行く先のことも、おぼえずや数ならぬ身には、何ごとも、けざやかにかひあるべきにもあらぬものからあはれなるありさまに、おぼつかなくてやみなむのみこそ口惜しけれ
 「人より優れた将来のことなど、嬉しくありません。物の数にも入らない身には、どのようなことにつけても、晴れがましく生きがいのあるはずもないとはいうものの、悲しい行き別れの恰好で、生死の様子も分からずに終わってしまったことだけが残念です。
 「こうお言いになっても、すばらしい将来などというものが私にあるものですか。価値ねうちのない私がどうなりうるものでもないのですから、私を愛してくだすったお父様にお目にかかることもできずにいるこの悲しみにそれは代えられるほどのものと思われませんが、
  "Hito ni sugure m yukusaki no koto mo, oboye zu ya. Kazu nara nu mi ni ha, nani-goto mo, kezayaka ni kahi aru beki ni mo ara nu mono kara, ahare naru arisama ni, obotukanaku te yami na m nomi koso kutiwosikere.
11.6.7  よろづのこと、さるべき人の御ためとこそおぼえはべれ、さて絶え籠もりたまひなば、 世の中も定めなきに、やがて消えたまひなば、かひなくなむ」
 すべてのこと、そうした因縁がおありだった方のためと思われますが、そうして山奥に入ってしまわれたなら、人の命ははかないものですから、そのままお亡くなりになったら、何にもなりません」
 私たちは幸福な姫君をこの世にあらしめるために、悲しい思いも科せられているものと思うよりほかはありません。そんなふうにして山へおはいりになっては、無常のこの世ですもの、知らぬまにおかくれになるようなことになっては悲しゅうございますね」
  Yorodu no koto, saru-beki hito no ohom-tame to koso oboyu habere, sate taye komori tamahi na ba, yononaka mo sadame naki ni, yagate kiye tamahi na ba, kahinaku nam."
11.6.8  とて、夜もすがら、あはれなることどもを言ひつつ明かしたまふ。
 と言って、一晩中、しみじみとしたお話をし合って夜を明かしなさる。
 とも言い、夜通し尼君と入道の話をしていた。
  tote, yomosugara, ahare naru koto-domo wo ihi tutu akasi tamahu.
注釈718君の御徳には以下「かくて別れぬらむ」まで、尼君の詞。11.6.2
注釈719あはれにいぶせき思ひもすぐれてこそはべりけれ光源氏の述懐と同じ発想の述懐をする。11.6.2
注釈720数ならぬ方にても夫入道についていう。11.6.3
注釈721同じ蓮に住むべき後の世の頼み『集成』は「極楽の往生人は、蓮華の上に半座をあけて、この世での有縁の人を待つという」と注す。11.6.3
注釈722にはかにかくおぼえぬ御こと出で来て源氏との結婚をさす。11.6.3
注釈723かひある御ことを見たてまつり明石女御に若宮が誕生したことをさす。11.6.3
注釈724おぼつかなく悲しきことのうち添ひて絶えぬを『集成』は「入道の身を案じて悲しい思いがつきまとって絶えませんでしたのに」。『完訳』は「入道のことが気がかりで悲しい思いがこの身に添うておりましたのに」と訳す。11.6.3
注釈725世に経し時だに『集成』は「宮仕えをしていた時でも」。『完訳』は「まだ俗人でいらっしゃったころでさえ」と訳す。11.6.4
注釈726かく耳に近きほどながら『完訳』は「たやすく音信を交すことのできる所に住みながら」と訳す。11.6.4
注釈727人にすぐれむ行く先のこともおぼえずや以下「かひなくなむ」まで、明石御方の詞。『完訳』は「人よりすぐれた将来の幸運などどうでもよい。若宮の即位、女御の立后も二の次だとする」と注す。11.6.6
注釈728数ならぬ身には何ごともけざやかにかひあるべきにもあらぬものから『集成』は「陰の身で、女御の母、皇子の祖母の扱いはされないことをいう」。『完訳』は「表だって女御の母、皇子の祖母と振舞わない」と注す。11.6.6
注釈729あはれなるありさまにおぼつかなくてやみなむのみこそ口惜しけれ父入道に対する肉親の情。11.6.6
注釈730世の中も定めなきに『集成』は「人の命ははかないものですから」。『完訳』は「世の中は定めがたいこととて」と訳す。11.6.7
校訂165 似ぬ 似ぬ--(/+似)ぬ 11.6.4
校訂166 かくて かくて--かくし(し/$)て 11.6.4
11.7
第七段 御方、部屋に戻る


11-7  Akashi comes back to her room

11.7.1  「 昨日も、大殿の君のあなたにありと 見置きたまひてしを、にはかにはひ隠れたらむも、軽々しきやうなるべし。身ひとつは、何ばかりも思ひ憚りはべらず。かく添ひたまふ御ためなどのいとほしきになむ、心にまかせて身をももてなしにくかるべき」
 「昨日も、大殿の君が、あちらにいると御覧になっていらっしゃったが、急に人目を避けて隠れたようなのも、軽率に見えましょう。わが身一つは、何も遠慮することはないのです。このように若宮にお付きなさっている姫君のためにお気の毒で、思いのままに身を振る舞いにくいのです」
 「昨日は私のあちらにいますのを院が見ていらっしゃったのですから、にわかに消えたようにこちらへ来ていましては、軽率に思召おぼしめすでしょう。私自身のためにはどうでもよろしゅうございますが、姫君に累を及ぼすのがおかわいそうで自由な行動ができませんから」
  "Kinohu mo, Otodo-no-Kimi no, anata ni ari to mi-oki tamahi te si wo, nihakani hahi-kakure tara m mo, karu-garusiki yau naru besi. Mi hitotu ha, nani bakari mo omohi habera zu. Kaku sohi tamahu ohom-tame nado no itohosiki ni nam, kokoro ni makase te mi wo mo motenasi nikukaru beki."
11.7.2  とて、 暁に帰り渡りたまひぬ
 と言って、暗いうちにお帰りになった。
 こう言って夫人は夜明けに南の町へ行くのであった。
  tote, akatuki ni kaheri watari tamahi nu.
11.7.3  「 若宮はいかがおはします。いかでか見たてまつるべき」
 「若宮はどうしていらっしゃいますか。何とかしてお目にかかれないのでしょうか」
 「若宮はいかがでいらっしゃいますか。お目にかかることはできないものですかね」
  "Waka-Miya ha ikaga ohasimasu? Ikade ka mi tatematuru beki?"
11.7.4  とても泣きぬ。
 と言ってまたも泣いた。
 このことでも尼君は泣いた。
  tote mo naki nu.
11.7.5  「 今見たてまつりたまひてむ。女御の君も、いとあはれになむ思し 出でつつ、聞こえさせたまふめる。院も、ことのついでに、もし 世の中思ふやうならば、ゆゆしき かね言なれど、尼君そのほどまでながらへたまはなむ、とのたまふめりき。いかに思すことにかあらむ」
 「すぐにお目にかかれましょう。女御の君も、とても懐かしくお思い出しになっては、お口にあそばすようです。院も、話のついでに、もし世の中が思うとおりに行ったならば、縁起でもないことを言うようだが、尼君がその時まで生き永らえていらして欲しいと、おっしゃっているようでした。どのようにお考えになってのことなのでしょうか」
 「そのうち拝見ができますよ。姫君もあなたを愛しておいでになって、時々あなたのことをお話しになりますよ。院もよく何かの時に、自分らの希望が実現されていくものなら、そんなことを不安に思っては済まないが、なるべくは尼君を生きさせておいてみせたいと仰せになりますよ。御希望とはどんなことでしょう」
  "Ima mi tatematuri tamahi te m. Nyougo-no-Kimi mo, ito ahare ni nam obosi-ide tutu, kikoye sase tamahu meru. Win mo, koto no tuide ni, mosi yononaka omohu yau nara ba, yuyusiki kane-goto nare do, Ama-Gimi sono hodo made nagarahe tamaha nam, to notamahu meri ki. Ikani obosu koto ni ka ara m?"
11.7.6  とのたまへば、またうち笑みて、
 とおっしゃると、再び笑い顔になって、
 と夫人が言うと、尼君は急に笑顔えがおになって、
  to notamahe ba, mata uti-wemi te,
11.7.7  「 いでや、さればこそ、さまざま例なき宿世にこそはべれ」
 「さあ、それだからこそ、喜びも悲しみもまたと例のない運命なのです」
 「だから私達の運命というものは常識で考えられない珍しいものなのですよ」
  "Ide ya, sareba koso, sama-zama tamesi naki sukuse ni koso habere."
11.7.8  とて喜ぶ。 この文箱は持たせて参う上りたまひぬ
 と言って喜ぶ。この文箱を持たせて女御の方の許に参上なさった。
 とよろこぶ。手紙の箱を女房に持たせて明石は淑景舎しげいしゃかたの所へ帰った。
  tote yorokobu. Kono hubako ha mota se te mau-nobori tamahi nu.
注釈731昨日も大殿の君の以下「身をももてなしにくかるべき」まで、明石御方の詞。11.7.1
注釈732あなたにありと主語は明石御方。11.7.1
注釈733見置きたまひてしを、にはかにはひ隠れたらむも『完訳』は「人目を忍んでの尼君との面会」と注す。11.7.1
注釈734暁に帰り渡りたまひぬ明石御方、夜の暗いうちに春の御殿に帰った。11.7.2
注釈735若宮は以下「見たてまつるべき」まで、尼君の詞。『完訳』は「以下、帰参以前に遡り、あらためて二人の対話を語る」と注す。11.7.3
注釈736今見たてまつりたまひてむ以下「思すことにかあらむ」まで、明石御方の詞。11.7.5
注釈737世の中思ふやうならば若宮の立坊をいう。11.7.5
注釈738いでやさればこそ以下「宿世にこそはべれ」まで、尼君の詞。11.7.7
注釈739この文箱は持たせて参う上りたまひぬ「せ」使役の助動詞。明石御方が女房に文箱を持たせて、女御のもとに参上なさった、の意。11.7.8
校訂167 出でつつ、聞こえさせたまふめる。院も、ことのついでに 出でつつ、聞こえさせたまふめる。院も、ことのついでに--いてに(に/$つゝ聞えさせ給める院もことのつゐてに) 11.7.5
校訂168 かね言なれど かね言なれど--*かねこと 11.7.5
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 11/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)

2004年3月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月4日

Last updated 9/23/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって10/12/2005に自動出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 2.06: Copyrighy (c) 2003,2005 宮脇文経