32 梅枝(大島本)


MUMEGAYE


光る源氏の太政大臣時代
三十九歳一月から二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from January to February at the age of 39

2
第二章 光る源氏の物語 明石の姫君の裳着


2  Tale of Hikaru-Genji  Genji's daughter, Akashi-Hime, grows up to be a woman

2.1
第一段 明石の姫君の裳着


2-1  Akashi-Hime grows up to be a woman

2.1.1   かくて、西の御殿に戌の時に渡りたまふ。宮のおはします西の放出をしつらひて、御髪上の内侍なども、 やがてこなたに参れり上も、このついでに、中宮に御対面あり。御方々の女房、押しあはせたる、数しらず見えたり。
 こうして、西の御殿に、戌の刻にお渡りになる。中宮のいらっしゃる西の放出を整備して、御髪上の内侍なども、そのままこちらに参上した。紫の上も、この機会に、中宮にご対面なさる。お二方の女房たちが、一緒に来合わせているのが、数えきれないほど見えた。
  Kakute, nisi no otodo ni, inu no toki ni watari tamahu. Miya no ohasimasu nisi no Hanati-ide wo siturahi te, mi-gusiage no Naisi nado mo, yagate konata ni mawire ri. Uhe mo, kono tuide ni, Tyuuguu ni ohom-taimen ari. Ohom-kata-gata no nyoubau, osi-ahase taru, kazu sira-zu miye tari.
2.1.2   子の時に御裳たてまつる。大殿油ほのかなれど、御けはひいとめでたしと、宮は見たてまつれたまふ。大臣、
 子の刻に御裳をお召しになる。大殿油は微かであるが、御器量がまことに素晴らしいと、中宮はご拝見あそばす。大臣は、
  Ne no toki ni ohom-mo tatematuru. Oho-tonabura honoka nare do, ohom-kehahi ito medetasi to, Miya ha mi tatemature tamahu. Otodo,
2.1.3  「 思し捨つまじきを頼みにてなめげなる姿を、進み御覧ぜられはべるなり。 後の世のためしにやと、心狭く忍び思ひたまふる」
 「お見捨てになるまいと期待して、失礼な姿を、進んでお目にかけたのでございます。後世の前例になろうかと、狭い料簡から密かに考えております」
  "Obosi-sutu maziki wo tanomi ni te, namege naru sugata wo, susumi go-ran-ze rare haberu nari. Noti no yo no tamesi ni ya to, kokoro sebaku sinobi omohi tamahuru."
2.1.4  など聞こえたまふ。宮、
 などと申し上げなさる。中宮、
  nado kikoye tamahu. Miya,
2.1.5  「 いかなるべきこととも思うたまへ分きはべらざりつるを、かうことことしうとりなさせたまふになむ、なかなか心おかれぬべく」
 「どのようなこととも判断せず致したことを、このように大層におっしゃって戴きますと、かえって気が引けてしまいます」
  "Ika naru beki koto to mo omou tamahe waki habera zari turu wo, kau koto-kotosiu tori-nasa se tamahu ni nam, naka-naka kokoro oka re nu beku."
2.1.6  と、 のたまひ消つほどの御けはひ、いと若く愛敬づきたるに、大臣も、思すさまにをかしき御けはひどもの、さし集ひたまへるを、あはひめでたく思さる。 母君の、かかる折だにえ見たてまつらぬを、いみじと思へりしも心苦しうて、 参う上らせやせましと思せど、人のもの言ひをつつみて、過ぐしたまひつ。
 と、否定しておっしゃる御様子、とても若々しく愛嬌があるので、大臣も、理想通りに立派なご様子の婦人方が、集まっていらっしゃるのを、お互いの間柄も素晴らしいとお思いになる。母君が、このような機会でさえお目にかかれないのを、たいそう辛い事と思っているのも気の毒なので、参列させようかしらと、お考えになるが、世間の悪口を慮って、見送った。
  to, notamahi-ketu hodo no ohom-kehahi, ito wakaku aigyau-duki taru ni, Otodo mo, obosu sama ni wokasiki mi-kehahi-domo no, sasi-tudohi tamahe ru wo, ahahi medetaku obosa ru. Haha-Gimi no, kakaru wori dani e mi tatematura nu wo, imizi to omohe ri simo kokoro-gurusiu te, mau-nobora se ya se masi to obose do, hito no mono-ihi wo tutumi te, sugusi tamahi tu.
2.1.7   かかる所の儀式は、よろしきにだに、いとこと多くうるさきを、片端ばかり、例のしどけなくまねばむもなかなかにやとて、こまかに書かず。
 このような邸での儀式は、まあまあのものでさえ、とても煩雑で面倒なのだが、一部分だけでも、例によってまとまりなくお伝えするのも、かえってどうかと思い、詳細には書かない。
  Kakaru tokoro no gisiki ha, yorosiki ni dani, ito koto ohoku urusaki wo, katahasi bakari, rei no sidoke-naku maneba m mo naka-naka ni ya tote, komaka ni kaka zu.
注釈97かくて西の御殿に六条院の秋の町の寝殿。2.1.1
注釈98戌の時に渡りたまふ午後七時から九時までの頃。主語は明石姫君。2.1.1
注釈99やがてこなたに参れり御髪上の内侍たちが中宮に従って六条院西の御殿に参上していた、の意。2.1.1
注釈100上もこのついでに中宮に御対面あり「上」は紫の上をいう。明石姫君の養母という立場。「このついで」とはその姫君の御裳着の儀式の折の意。初対面。2.1.1
注釈101子の時に御裳たてまつる中宮が腰結役を務める。2.1.2
注釈102思し捨つまじきを頼みにて以下「忍びたまふる」まで、源氏の詞。「思し捨つ」の主語は中宮、目的語は明石姫君。2.1.3
注釈103なめげなる姿を娘の童女姿を親として失礼な姿と謙っていう。2.1.3
注釈104後の世のためしにやと『集成』は「中宮の行啓を仰いで、腰結役をお願いするのは、前例がない名誉という」と注す。2.1.3
注釈105いかなるべきこととも思うたまへ分きはべらざりつるを以下「心おかれぬべく」まで、中宮の返事。2.1.5
注釈106のたまひ消つほどの御けはひ『集成』は「何でもないことのようにおっしゃるご様子が」。『完訳』は「こともなげに仰せになる」と解す。2.1.6
注釈107母君のかかる折だにえ見たてまつらぬを明石御方が娘の姫君を裳着の儀式に。2.1.6
注釈108参う上らせやせまし源氏の心。儀式に参列させようかしら、の意。2.1.6
注釈109かかる所の儀式は以下「こまかに書かず」まで、語り手の省筆の弁。『評釈』は「作者の言葉。「書く」という言葉を用いるのは珍しい。普通は「語る」「言ふ」である。この所は私の物語音読論の立場からすると困る例と見られようが、これは我々に語ってくれる女房に資料を提供してくれる女房がいて、それが現実に前の「御方々の女房、おし合せたる、数しらず見えたり」の中にいて、後々の例になるようにと思ってこの儀式のことを書き記した。それにこのように「こまかに書かず」という断わり書があった。それを物語り手が我々にそのまま語ってくれると解したい」と注す。『集成』は「物語筆記者が省筆をことわる草子地」と注す。2.1.7
2.2
第二段 明石の姫君の入内準備


2-2  Genji prepares that he marries Akashi-Hime to Togu

2.2.1   春宮の御元服は、二十余日のほどになむありける。いと大人しくおはしませば、人の女ども競ひ参らすべきことを、 心ざし思すなれど、この殿の思しきざすさまの、いとことなれば、なかなかにてや交じらはむと、 左の大臣なども思しとどまるなるを聞こしめして、
 春宮の御元服は、二十日過ぎの頃に行われたのであった。たいそう大人でおいであそばすので、人々が娘たちを競争して入内させることを、希望していらっしゃるというが、この殿がご希望していらっしゃる様子が、まことに格別なので、かえって中途半端な宮仕えはしないほうがましだと、左大臣なども、お思い留まりになっているということをお耳になさって、
  Touguu no go-genpuku ha, nizihu-yo-hi no hodo ni nam ari keru. Ito otonasiku ohasimase ba, hito no musume-domo kihohi mawira su beki koto wo, kokorozasi obosu nare do, kono Tono no obosi kizasu sama no, ito koto nare ba, naka-naka ni te ya maziraha m to, Hidari-no-Otodo nado mo, obosi todomaru naru wo kikosimesi te,
2.2.2  「 いとたいだいしきことなり宮仕への筋は、あまたあるなかに、すこしのけぢめを挑まむこそ本意ならめ。そこらの警策の姫君たち、引き籠められなば、世に映えあらじ」
 「じつにもってのほかのことだ。宮仕えの趣旨は、大勢いる中で、僅かの優劣の差を競うのが本当だろう。たくさんの優れた姫君たちが、家に引き籠められたならば、何ともおもしろくないだろう」
  "Ito tai-daisiki koto nari. Miyadukahe no sudi ha, amata aru naka ni, sukosi no kedime wo idoma m koso hoi nara me. Sokora no kyauzaku no Hime-Gimi tati, hiki-kome rare na ba, yo ni haye ara zi."
2.2.3  とのたまひて、 御参り延びぬ。次々にもとしづめたまひけるを、かかるよし所々に聞きたまひて、 左大臣殿の三の君参りたまひぬ。麗景殿と聞こゆ
 とおっしゃって、御入内が延期になった。その次々にもと差し控えていらっしゃったが、このようなことをあちこちでお聞きになって、左大臣の三の君がご入内なさった。麗景殿女御と申し上げる。
  to notamahi te, ohom-mawiri nobi nu. Tugi-tugi ni mo to sidume tamahi keru wo, kakaru yosi tokoro-dokoro ni kiki tamahi te, Sa-Daizin-dono no Sam-no-Kimi mawiri tamahi nu. Reikei-den to kikoyu.
2.2.4   この御方は、昔の御宿直所、淑景舎を改めしつらひて、御参り延びぬるを、 宮にも心もとながらせたまへば四月にと定めさせたまふ。御調度どもも、もとあるよりもととのへて、御みづからも、ものの下形、絵様などをも御覧じ入れつつ、すぐれたる道々の上手どもを召し集めて、こまかに磨きととのへさせたまふ。
 こちらの御方は、昔の御宿直所の、淑景舎を改装して、ご入内が延期になったのを、春宮におかれても待ち遠しくお思いあそばすので、四月にとお決めあそばす。ご調度類も、もとからあったのを整えて、御自身でも、道具類の雛形や図案などを御覧になりながら、優れた諸道の専門家たちを呼び集めて、こまかに磨きお作らせになる。
  Kono ohom-Kata ha, mukasi no ohom-tonowi-dokoro, Sigeisa wo aratame siturahi te, ohom-mawiri nobi nuru wo, Miya ni mo kokoro-motonagara se tamahe ba, Uduki ni to sadame sase tamahu. Ohom-deudo-domo mo, moto aru yori mo totonohe te, ohom-midukara mo, mono no sita-kata, we-yau nado wo mo go-ran-zi-ire tutu, sugure taru miti-miti no zyauzu-domo wo mesi-atume te, komaka ni migaki totonohe sase tamahu.
2.2.5  草子の筥に入るべき草子どもの、やがて本にもしたまふべきを選らせたまふ。いにしへの上なき際の御手どもの、世に名を残したまへるたぐひのも、いと多くさぶらふ。
 冊子の箱に入れるべき冊子類を、そのまま手本になさることのできるのを選ばせなさる。昔のこの上もない名筆家たちが、後世にお残しになった筆跡類も、たいそうたくさんある。
  Sausi no hako ni iru beki sausi-domo no, yagate hon ni mo si tamahu beki wo era se tamahu. Inisihe no kami naki kiha no ohom-te-domo no, yo ni na wo nokosi tamhe ru taguhi no mo, ito ohoku saburahu.
注釈110春宮の御元服は二十余日のほどになむありける東宮の御元服も同じ二月の二十日過ぎに行われた。「けり」過去の助動詞。儀式の終わった後から語るという語り口。2.2.1
注釈111心ざし思すなれど「なれ」伝聞推定の助動詞。2.2.1
注釈112左の大臣なども系図不詳の人。「行幸」「真木柱」に登場。2.2.1
注釈113思しとどまるなるを「なる」伝聞推定の助動詞。2.2.1
注釈114いとたいだいしきことなり以下「世に映えあらじ」まで、源氏の詞。2.2.2
注釈115宮仕への筋はあまたあるなかにすこしのけぢめを挑まむこそ本意ならめ宮仕えというものは大勢の妃方の中でわずかの優劣を競うのが本当だという考え。作者紫式部の後宮に対する考え方である。2.2.2
注釈116御参り延びぬ『集成』は「ほかの人々に譲る気持。余裕のある態度」と注す。2.2.3
注釈117左大臣殿の三の君参りたまひぬ。麗景殿と 聞こゆ「真木柱」巻の冷泉帝の後宮に「中宮、弘徽殿の女御、この宮の女御、左の大殿の女御などさぶらひたまふ」(第四章一段)とあるから、冷泉帝の左大臣の女御の妹三の君であろう。麗景殿女御。後の「宿木」巻に藤壷女御と呼称される。『集成』は「元服の副臥(春宮、皇子などの元服の夜、選ばれて添い寝する姫)である。権勢のある公卿の娘が選ばれ、皇妃の中では重い地位を占める」と注す。なお花散里が三の君でその姉が桐壷帝の麗景殿女御とあったという設定同じである。2.2.3
注釈118この御方は昔の御宿直所淑景舎を改めしつらひて明石の姫君は源氏の昔の宿直所、淑景舎を修繕して局とする。東宮は梨壷にいるので、桐壺はその北隣の殿舎である。2.2.4
注釈119宮にも心もとながらせたまへば春宮も明石姫君の入内を待ち遠しく思っている。2.2.4
注釈120四月にと定めさせたまふ「させ」「たまふ」(最高敬語)、主語は春宮。明石姫君の入内を四月にと春宮が御決定あそばすという意。2.2.4
校訂10 左大臣殿の 左大臣殿の--*左大臣殿 2.2.3
校訂11 聞こゆ 聞こゆ--*きこゆる 2.2.3
2.3
第三段 源氏の仮名論議


2-3  Genji criticizes a late kana

2.3.1  「 よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ、今の世はいと際なくなりたる。 古き跡は、定まれるやうにはあれど、広き心ゆたかならず、一筋に通ひてなむありける
 「すべての事が、昔に比べて劣って、浅くなって行く末世だが、仮名だけは、現代は際限もなく発達したものだ。昔の字は、筆跡が定まっているようではあるが、ゆったりした感じがあまりなくて、一様に似通った書法であった。
  "Yorodu no koto, mukasi ni ha otori-zama ni, asaku nari yuku yo no suwe nare do, kamna nomi nam, ima no yo ha ito kiha naku nari taru. Huruki ato ha, sadamare ru yau ni ha are do, hiroki kokoro yutaka nara zu, hito-sudi ni kayohi te nam ari keru.
2.3.2  妙にをかしきことは、 外よりてこそ書き出づる人びとありけれど、 女手を心に入れて習ひし盛りに、こともなき手本多く集へたりしなかに、 中宮の母御息所の、心にも入れず走り書いたまへりし一行ばかり、わざとならぬを得て、際ことにおぼえしはや。
 見事で上手なものは、近頃になって書ける人が出て来たが、平仮名を熱心に習っていた最中に、特に難点のない手本を数多く集めていた中で、中宮の母御息所が何気なくさらさらとお書きになった一行ほどの、無造作な筆跡を手に入れて、格段に優れていると感じたものです。
  Tahe ni wokasiki koto ha, to yori te koso kaki-iduru hito-bito ari kere do, womna-de wo kokoro ni ire te narahi si sakari ni, koto mo naki tehon ohoku tudohe tari si naka ni, Tyuuguu no haha-Miyasumdokoro no, kokoro ni mo ire zu hasiri-kai tamahe ri si hito-kudari bakari, wazato nara nu wo e te, kiha koto ni oboye si ha ya!
2.3.3   さて、あるまじき御名も立てきこえしぞかし。悔しきことに思ひしみたまへりしかど、 さしもあらざりけり。宮にかく後見仕うまつることを、心深うおはせしかば、亡き御影にも見直したまふらむ。
 そういうことで、とんでもない浮名までもお流し申してしまったことよ。残念なことと思い込んでいらっしゃったが、それほど薄情ではなかったのだ。中宮にこのように御後見申し上げていることを、思慮深くいらっしゃったので、亡くなった後にも見直して下さることだろう。
  Sate, aru maziki ohom-na mo tate kikoye si zo kasi. Kuyasiki koto ni omohi-simi tamahe ri sika do, sasimo ara zari keri. Miya ni kaku usiromi tukau-maturu koto wo, kokoro-hukau ohase sika ba, naki ohom-kage ni mo mi-nahosi tamahu ram.
2.3.4   宮の御手は、こまかにをかしげなれど、かどや後れたらむ」
 中宮の御筆跡は、こまやかで趣はあるが、才気は少ないようだ」
  Miya no ohom-te ha, komaka ni wokasige nare do, kado ya okure tara m."
2.3.5  と、うちささめきて聞こえたまふ。
 と、ひそひそと申し上げなさる。
  to, uti-sasameki te kikoye tamahu.
2.3.6  「 故入道宮の御手は、いとけしき深うなまめきたる筋はありしかど、弱きところありて、にほひぞすくなかりし。
 「故入道宮の御筆跡は、たいそう深味もあり優美な手の筋はおありだったが、なよなよした点があって、はなやかさが少なかった。
  "Ko-Nihudau-no-Miya no ohom-te ha, ito kesiki hukau namameki taru sudi ha ari sika do, yowaki tokoro ari te, nihohi zo sukunakari si.
2.3.7   院の尚侍こそ、今の世の上手におはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる。さはありとも、 かの君と、前斎院と、ここにとこそは、書きたまはめ
 朱雀院の尚侍は、当代の名人でいらっしゃるが、あまりにしゃれすぎて欠点があるよだ。そうは言っても、あの尚侍君と、前斎院と、あなたは、上手な方だと思う」
  Win no Kam-no-Kimi koso, ima no yo no zyauzu ni ohasure do, amari sobore te kuse zo sohi ta' meru. Sa ha ari tomo, kano Kimi to, saki-no-Saiwin to, koko ni to koso ha, kaki tamaha me."
2.3.8  と、聴しきこえたまへば、
 と、お認め申し上げなさるので、
  to, yurusi kikoye tamahe ba,
2.3.9  「 この数には、まばゆくや
 「この方々に仲間入りするのは、恥ずかしいですわ」
  "Kono kazu ni ha, mabayuku ya!"
2.3.10  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、
  to kikoye tamahe ba,
2.3.11  「 いたうな過ぐしたまひそ。にこやかなる方のなつかしさは、ことなるものを。 真名のすすみたるほどに、仮名はしどけなき文字こそ混じるめれ
 「ひどく謙遜なさってはいけません。柔和という点の好ましさは、格別なものですよ。漢字が上手になってくると、仮名は整わない文字が交るようですがね」
  "Itau na sugusi tamahi so. Nikoyaka naru kata no natukasisa ha, koto naru mono wo! Mana no susumi taru hodo ni, kamna ha sidokenaki mozi koso maziru mere."
2.3.12  とて、まだ書かぬ草子ども作り加へて、表紙、紐などいみじうせさせたまふ。
 とおっしゃって、まだ書写してない冊子類を作り加えて、表紙や、紐など、たいへん立派にお作らせになる。
  tote, mada kaka nu sausi-domo tukuri kuhahe te, heusi, himo nado imiziu se sase tamahu.
2.3.13  「 兵部卿宮、左衛門督などにものせむ 。みづから一具は書くべし。けしきばみいますがりとも、え書き並べじや」
 「兵部卿宮、左衛門督などに書いてもらおう。わたし自身も二帖は書こう。いくら自信がおありでも、並ばないことはあるまい」
  "Hyaubukyau-no-Miya, Sa-wemon-no-Kami nado ni monose m. Midukara hito-yorohi ha kaku besi. Kesiki-bami imasugari tomo, e kaki narabe zi ya."
2.3.14  と、われぼめをしたまふ。
 と、自賛なさる。
  to, ware-bome si tamahu.
注釈121よろづのこと以下「かどや後れたらむ」まで、源氏の詞。当代の女性の仮名論。尚古思想。仮名だけは現代の方が優れているという。2.3.1
注釈122古き跡は定まれるやうにはあれど広き心ゆたかならず一筋に通ひてなむありける昔の書は一定の書法があるが、窮屈で一様で、個性的な豊さがないと批判。2.3.1
注釈123外よりてこそ『集成』は「近頃になってから」、『完訳』は「後の時代になってはじめて」の意に解す。文字は「外によりて」と当てる。2.3.2
注釈124女手『集成』は「「女手」は、一般に「男手」(漢字)に対する語で、女の書く文字、すなわち平仮名のこととされるが、後文によると、仮名の一体とすべきもののようである」と注す。2.3.2
注釈125中宮の母御息所の六条御息所の筆跡について、「際ことにおぼえしはや」と感想を述べる。2.3.2
注釈126さてあるまじき御名も立てきこえしぞかし源氏は、御息所の筆跡の見事さに引かれて恋するようになったと、紫の上を前にしていう。2.3.3
注釈127さしもあらざりけり源氏の自己弁護。それほど冷淡ではなかったのだ、という。2.3.3
注釈128宮の御手は秋好中宮の筆跡について、「こまかにをかしげなれど、才や遅れたらむ」と批評。2.3.4
注釈129故入道宮の御手は以下「ここにとこそは書きたまはめ」まで、源氏の詞。藤壷の筆跡について、「いと気色深くなまめいたる筋はありしかど弱き所つきてにほひぞ少なかりし」と批評。2.3.6
注釈130院の尚侍こそ朧月夜の筆跡について、「今の世の上手にはおはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる」と批評。2.3.7
注釈131かの君と、前斎院と、ここにとこそは、書きたまはめ朧月夜君と朝顔姫君と紫の上は上手に書く人だ、の意。2.3.7
注釈132この数にはまばゆくや紫の上の謙遜の詞。2.3.9
注釈133いたうな過ぐしたまひそ以下「しどけなき文字こそ混じるめれ」まで、源氏の詞。紫の上の筆跡について、「にこやかなるかたの御なつかしさはことなるものを」と批評。2.3.11
注釈134真名のすすみたるほどに、仮名はしどけなき文字こそ混じるめれ漢字と仮名文字を用いる男性への一般論。「ほどに」を、『集成』は「すればするだけ」の意に、『完訳』は「するわりには」の意に解す。2.3.11
注釈135兵部卿宮左衛門督などにものせむ以下「え書き並べじや」まで、源氏の詞。「兵部卿宮」は蛍宮、「左衛門督」はここだけに登場する系図不明の人。2.3.13
校訂12 兵部卿宮 兵部卿宮--兵部卿の宮の(の/$) 2.3.13
2.4
第四段 草子執筆の依頼


2-4  Genji requests young men to copy by all sorts of wrighting

2.4.1  墨、筆、並びなく選り出でて、例の所々に、ただならぬ御消息あれば、人びと、難きことに思して、返さひ申したまふもあれば、まめやかに聞こえたまふ。高麗の紙の薄様だちたるが、せめてなまめかしきを、
 墨、筆、最上の物を選び出して、いつもの方々に、特別のご依頼のお手紙があると、方々は、難しいこととお思いになって、ご辞退申し上げなさる方もあるので、懇ろにご依頼申し上げなさる。高麗の紙の薄様風なのが、はなはだ優美なのを、
  Sumi, hude, narabi naku eri-ide te, rei no tokoro-dokoro ni, tada nara nu ohom-seusoko are ba, hito-bito, kataki koto ni obosi te, kahesahi mausi tamahu mo are ba, mameyaka ni kikoye tamahu. Koma no kami no usuyau-dati taru ga, semete namamekasiki wo,
2.4.2  「 この、もの好みする若き人びと、試みむ
 「あの、風流好みの若い人たちを、試してみよう」
  "Kono, mono-gonomi suru wakaki hito-bito, kokoromi m."
2.4.3  とて、宰相中将、式部卿宮の兵衛督、内の大殿の頭中将などに、
 とおっしゃって、宰相中将、式部卿宮の兵衛督、内の大殿の頭中将などに、
  tote, Saisyau-no-Tyuuzyau, Sikibukyau-no-Miya no Hyauwe-no-Kami, Uti-no-Ohoidono no Tou-no-Tyuuzyau nado ni,
2.4.4  「 葦手、歌絵を、思ひ思ひに書け
 「葦手、歌絵を、各自思い通りに書きなさい」
  "Aside, utawe wo, omohi omohi ni kake."
2.4.5  とのたまへば、皆心々に挑むべかめり。
 とおっしゃると、皆それぞれ工夫して競争しているようである。
  to notamahe ba, mina kokoro gokoro ni idomu beka' meri.
2.4.6   例の寝殿に離れおはしまして書きたまふ花ざかり過ぎて、浅緑なる空うららかなるに 、古き言どもなど思ひすましたまひて、御心のゆく限り、 草のも、ただのも、女手も、いみじう書き尽くしたまふ。
 いつもの寝殿に独り離れていらっしゃってお書きになる。花盛りは過ぎて、浅緑色の空がうららかなので、いろいろ古歌などを心静かに考えなさって、ご満足のゆくまで、草仮名も、普通の仮名も、女手も、たいそう見事にこの上なくお書きになる。
  Rei no sinden ni hanare ohasimasi te kaki tamahu. Hana zakari sugi te, asa-midori naru sora uraraka naru ni, huruki koto-domo nado omohi-sumasi tamahi te, mi-kokoro no yuku kagiri, sau no mo, tada no mo, womna-de mo, imiziu kaki-tukusi tamahu.
2.4.7  御前に人しげからず、女房二、三人ばかり、墨など擦らせたまひて、ゆゑある古き集の歌など、いかにぞやなど選り出でたまふに、口惜しからぬ限りさぶらふ。
 御前に人は多くいず、女房が二、三人ほどで、墨などをお擦らせになって、由緒ある古い歌集の歌など、どんなものだろうかなどと、選び出しなさるので、相談相手になれる人だけが伺候している。
  O-mahe ni hito sigekara zu, nyoubau hu-tari, mi-tari bakari, sumi nado sura se tamahi te, yuwe aru huruki sihu no uta nado, ikani zo ya nado eri-ide tamahu ni, kutiwosikara nu kagiri saburahu.
2.4.8  御簾上げわたして、脇息の上に草子うち置き、端近くうち乱れて、筆の尻くはへて、思ひめぐらしたまへるさま、 飽く世なくめでたし。白き赤きなど、掲焉なる枚は、筆とり直し、用意したまへるさまさへ、 見知らむ人は、げにめでぬべき御ありさまなり
 御簾を上げ渡して、脇息の上に冊子をちょっと置いて、端近くに寛いだ姿で、筆の尻をくわえて、考えめぐらしていらっしゃる様子、いつまでも見飽きない美しさである。白や赤などの、はっきりした色の紙は、筆を取り直して、注意してお書きになっていらっしゃる様子までが、情趣を解せる人は、なるほど感心せずにはいられないご様子である。
  Misu age-watasi te, kehusoku no uhe ni sausi uti-oki, hasi tikaku uti-midare te, hude no siri kuhahe te, omohi megurasi tamahe ru sama, aku yo naku medetasi. Siroki akaki nado, ketien naru hira ha, hude tori-nahosi, youi si tamahe ru sama sahe, mi-sira m hito ha, geni mede nu beki ohom-arisama nari.
注釈136このもの好みする若き人びと試みむ源氏の詞。2.4.2
注釈137葦手、歌絵を、思ひ思ひに書け源氏の詞。2.4.4
注釈138例の寝殿に離れおはしまして書きたまふ源氏、寝殿で草子を書く。「例の」は薫物合せの時と同様にの意。2.4.6
注釈139花ざかり過ぎて、 浅緑なる空うららかなるに「花」は桜の花。晩春の景色。2.4.6
注釈140草のもただのも女手もいみじう書き尽くし「草」は草仮名。しかし、「ただ」と「女手」の相違がはっきりしない。『集成』は「「女手」は、一般に「男手」(漢字)に対する語で、女の書く文字、すなわち平仮名のこととされるが、後文(この箇所)によると、仮名の一体とすべきもののようである」という。『完訳』は「「ただ」は普通の仮名、平仮名か。「女て」も平仮名とすると、「ただ」との違いが不明。「ただ」と「女て」を同格とみるべきか」と注す。2.4.6
注釈141飽く世なくめでたしその場を見聞した語り手の感想。『評釈』は「作者はその姿を「あく世なくめでたし」と賞賛する」という。2.4.8
注釈142見知らむ人はげにめでぬべき御ありさまなりその場を見聞した語り手の感想。『評釈』は「作者はその姿を「見しらむ人は、げにめでぬべき御有様なり」と賞賛した」という。2.4.8
校訂13 浅緑 浅緑--あさみとか(か/$り<朱>) 2.4.6
校訂14 げに げに--(/+けに) 2.4.8
2.5
第五段 兵部卿宮、草子を持参


2-5  Hyobukyo brings a copy of requested to Rokujo-in

2.5.1  「 兵部卿宮渡りたまふ」と聞こゆれば、おどろきて、御直衣たてまつり、御茵参り添へさせたまひて、やがて待ち取り、入れたてまつりたまふ。この宮もいときよげにて、御階段さまよく歩み上りたまふほど、内にも人びとのぞきて見たてまつる。うちかしこまりて、かたみにうるはしだちたまへるも、いときよらなり。
 「兵部卿宮がお越しになりました」と申し上げたので、驚いて御直衣をお召しになって、御敷物を持って来させなさって、そのまま待ち受けて、お入れ申し上げなさる。この宮もたいそう美しくて、御階を体裁よく歩いて上がっていらっしゃるところを、御簾の中からも女房たちが覗いて拝見する。丁重に挨拶して、お互いに威儀を正していらっしゃるのも、たいそう美しい。
  "Hyaubukyau-no-Miya watari tamahu." to kikoyure ba, odoroki te, ohom-nahosi tatematuri, ohom-sitone mawiri sohe sase tamahi te, yagate mati-tori, ire tatematuri tamahu. Kono Miya mo ito kiyoge ni te, mi-hasi sama yoku ayumi nobori tamahu hodo, uti ni mo hito-bito nozoki te mi tatematuru. Uti-kasikomari te, katami ni uruhasi-dati tamahe ru mo, ito kiyora nari.
2.5.2  「 つれづれに籠もりはべるも、苦しきまで思うたまへらるる心ののどけさに、折よく渡らせたまへる」
 「することもなく邸に籠もっておりますのも、辛く存じられますこの頃ののんびりとした折に、ちょうどよくお越し下さいました」
  "Ture-dure ni komori haberu mo, kurusiki made omou tamahe raruru kokoro no nodokesa ni, wori yoku watara se tamahe ru."
2.5.3  と、よろこびきこえたまふ。 かの御草子待たせて渡りたまへるなりけりやがて御覧ずればすぐれてしもあらぬ御手をただかたかどにいといたう筆澄みたるけしきありて書きなしたまへり。 歌も、ことさらめき、そばみたる古言どもを選りて、ただ三行ばかりに、 文字少なに好ましくぞ書きたまへる。大臣、御覧じ驚きぬ。
 と、歓迎申し上げなさる。あの御依頼の冊子を持たせてお越しになったのであった。その場で御覧になると、たいして上手でもないご筆跡を、ただ一本調子に、たいそう垢抜けした感じにお書きになってある。和歌も、技巧を凝らして、風変わりな古歌を選んで、わずか三行ほどに、文字を少なくして好ましく書いていらっしゃった。大臣、御覧になって驚いた。
  to, yorokobi kikoye tamahu. Kano ohom-sausi mota se te watari tamahe ru nari keri. Yagate go-ran-zure ba, sugure te simo ara nu ohom-te wo, tada kata-kado ni, ito itau hude sumi taru kesiki ari te kaki-nasi tamahe ri. Uta mo, kotosara-meki, sobami taru huru-koto-domo wo eri te, tada mi-kudari bakari ni, mozi sukuna ni konomasiku zo kaki tamahe ru. Otodo, go-ran-zi odoroki nu.
2.5.4  「 かうまでは思ひたまへずこそありつれ。さらに筆投げ捨てつべしや」
 「こんなにまで上手にお書きになるとは存じませんでした。まったく筆を投げ出してしまいたいほどですね」
  "Kau made ha omohi tamahe zu koso ari ture. Sarani hude nage tu besi ya!"
2.5.5  と、ねたがりたまふ。
 と、悔しがりなさる。
  to, netagari tamahu.
2.5.6  「 かかる御中に面なくくだす筆のほど、さりともとなむ思う たまふる
 「このような名手の中で臆面もなく書く筆跡の具合は、いくら何でもさほどまずくはないと存じます」
  "Kakaru ohom-naka ni omonaku kudasu hude no hodo, saritomo to nam omou tamahuru."
2.5.7  など、戯れたまふ。
 などと、冗談をおっしゃる。
  nado, tahabure tamahu.
2.5.8  書きたまへる草子どもも、隠したまふべきならねば、取う出たまひて、かたみに御覧ず。
 お書きになった冊子類を、お隠しすべきものでもないので、お取り出しになって、お互いに御覧になる。
  Kaki tamahe ru sausi-domo mo, kakusi tamahu beki nara ne ba, tou-de tamahi te, katamini go-ran-zu.
2.5.9   唐の紙の、いとすくみたるに、草書きたまへる、すぐれてめでたしと見たまふに、 高麗の紙の、肌こまかに和うなつかしきが、色などははなやかならで、なまめきたるに、おほどかなる女手の、うるはしう心とどめて書きたまへる、たとふべきかたなし。
 唐の紙で、たいそう堅い材質に、草仮名をお書きになっている、まことに結構であると、御覧になると、高麗の紙で、きめが細かで柔らかく優しい感じで、色彩などは派手でなく、優美な感じのする紙に、おっとりした女手で、整然と心を配って、お書きになっている、喩えようもない。
  Kara no kami no, ito sukumi taru ni, sau kaki tamahe ru, sugure te medetasi to mi tamahu ni, Koma no kami no, hada komaka ni nagou natukasiki ga, iro nado ha hanayaka nara de, namameki taru ni, ohodoka naru womna-de no, uruhasiu kokoro todome te kaki tamahe ru, tatohu beki kata nasi.
2.5.10  見たまふ人の 涙さへ、水茎に流れ添ふ心地して、飽く世あるまじきに、また、ここの紙屋の色紙の、色あひはなやかなるに、乱れたる草の歌を、筆にまかせて乱れ書きたまへる、見所限りなし。 しどろもどろに愛敬づき、見まほしければ、さらに残りどもに目も見やりたまはず。
 御覧になる方の涙までが、筆跡に沿って流れるような感じがして、見飽きることのなさそうなところへ、さらに、わが国の紙屋院の色紙の、色合いが派手なのに、乱れ書きの草仮名の和歌を、筆にまかせて散らし書きになさったのは、見るべき点が尽きないほどである。型にとらわれず自在に愛嬌があって、ずっと見ていたい気がしたので、他の物にはまったく目もおやりにならない。
  Mi tamahu hito no namida sahe, midu-guki ni nagare sohu kokoti si te, aku yo aru maziki ni, mata, koko no Kamya no sikisi no, iroahi hanayaka naru ni, midare taru sau no uta wo, hude ni makase te midare kaki tamahe ru, mi-dokoro kagiri nasi. Sidoro-modoro ni aigyau-duki, mi mahosikere ba, sarani nokori-domo ni me mo yari tamaha zu.
注釈143兵部卿宮渡りたまふ女房の詞。2.5.1
注釈144つれづれに籠もり以下「渡らせたまへる」まで、源氏の詞。歓迎の挨拶言葉。2.5.2
注釈145かの御草子待たせて渡りたまへるなりけり蛍宮が来訪した事情を説明した文。『細流抄』は「草子地」と指摘。「せ」(使役の助動詞)、供人に持たせての意。2.5.3
注釈146やがて御覧ずれば人々の仮名を批評する。源氏の目(批評眼)を通して語る。2.5.3
注釈147すぐれてしもあらぬ御手を蛍宮の筆跡についての批評。2.5.3
注釈148ただかたかどに『集成』は「未熟ながら才気にまかせて」の意に解し、『完訳』は「それが一つの才能だが、の意。具体的には、次の「いといたう--けしき」(じつにすっきりと、あかぬけた感じ、の意)」と注す。2.5.3
注釈149いといたう筆澄みたるけしきありて蛍宮の筆跡についての批評。2.5.3
注釈150歌も、ことさらめき、そばみたる古言どもを選りて『完訳』は「技巧をこらして、変った好みの古歌。風流人らしい撰歌である」という。2.5.3
注釈151文字少なに「文字」について『集成』は「仮名だけで書かず、漢字まじりにしたので、字数が少なくなっているのであろう」と字数の意に解し、『完訳』は「ほとんど全部仮名で」と漢字の意に解す。2.5.3
注釈152かうまでは以下「投げ捨てつべしや」まで、源氏のお世辞の詞。2.5.4
注釈153かかる御中に以下「思うたまふる」まで、蛍宮の冗談をまじえた返答。自負も窺える。2.5.6
注釈154唐の紙のいとすくみたるに草書きたまへる中国舶来の紙、ぱりっとした紙に草仮名で書いた。「いとすぐれてめでたし」と批評する。2.5.9
注釈155高麗の紙の肌こまかに和うなつかしきが色などははなやかならでなまめきたるにおほどかなる女手のうるはしう心とどめて書きたまへる高麗舶来の紙、紙質がきめこまやかで柔らかく温かい感じのする紙で、色も落ち着いた優雅な感じのする紙に女手で書いた。「たとふべきかたなし」と批評する。2.5.9
注釈156しどろもどろに「よしとてもよき名も立たず刈萱のいざ乱れなむしどろもどろに」(紫明抄所引、出典未詳)「まめなれどよき名も立たず刈萱のいざ乱れなむしどろもどろに」(古今六帖六、かるかや、三七八五)2.5.10
出典6 涙さへ、水茎に流れ 亡き人の書きとどめけむ水茎はうち見るよりぞ流れそめける 歌仙家集本伊勢集-三八五 2.5.10
亡き人の影だに見えぬ遣水の底は涙に流してぞ来し 後撰集哀傷-一四〇二 伊勢
出典7 しどろもどろに まめなれど良き名も立たず刈萱のいざ乱れなむしどろもどろに 古今六帖六-三七八五 2.5.10
校訂15 たまふる たまふる--たも(も/$ま)ふる 2.5.6
2.6
第六段 他の人々持参の草子


2-6  The other men bring copies of requested too

2.6.1  左衛門督は、ことことしうかしこげなる筋をのみ好みて書きたれど、筆の掟て澄まぬ心地して、いたはり加へたるけしきなり。歌なども、ことさらめきて、選り書きたり。
 左衛門督は、仰々しくえらそうな書風ばかりを好んで書いているが、筆法の垢抜けしない感じで、技巧を凝らした感じである。和歌なども、わざとらしい選び方をして書いていた。
  Sawemon-no-Kami ha, koto-kotosiu kasikoge naru sudi wo nomi konomi te kaki tare do, hude no okite suma nu kokoti si te, itahari kuhahe taru kesiki nari. Uta nado mo, kotosara-meki te, eri kaki tari.
2.6.2  女の御は、まほにも取り出でたまはず。斎院のなどは、まして取う出たまはざりけり。葦手の草子どもぞ、心々に はかなうをかしき
 女君たちのは、そっくりお見せにならない。斎院のなどは、言うまでもなく取り出しなさらないのであった。葦手の冊子類が、それぞれに何となく趣があった。
  Womna no ohom ha, maho ni mo tori-ide tamaha zu. Saiwin no nado ha, masite tou-de tamaha zari keri. Aside no sausi-domo zo, kokoro-gokoro ni hakanau wokasiki.
2.6.3  宰相中将のは、水の勢ひ豊に書きなし、そそけたる葦の生ひざまなど、難波の浦に通ひて、 こなたかなたいきまじりて、いたう澄みたるところあり。また、いといかめしう、ひきかへて、文字やう、石などのたたずまひ、好み書きたまへる枚もあめり。
 宰相中将のは、水の勢いを豊富に書いて、乱れ生えている葦の様子など、難波の浦に似ていて、あちこちに入り混じって、たいそうすっきりした所がある。また、たいそう大仰に趣を変えて、字体、石などの様子、風流にお書きになった紙もあるようだ。
  Saisyau-no-Tyuuzyau no ha, midu no ikihohi yutaka ni kaki-nasi, sosoke taru asi no ohi-zama nado, Naniha no ura ni kayohi te, konata-kanata iki maziri te, itau sumi taru tokoro ari. Mata, ito ikamesiu, hiki-kahe te, mozi-yau, isi nado no tatazumahi, konomi kaki tamahe ru hira mo a' meri.
2.6.4  「 目も及ばず。これは暇いりぬべきものかな
 「目も及ばぬ素晴らしさだ。これは手間のかかったにちがいない代物だね」
  "Me mo oyoba zu. Kore ha itoma iri nu beki mono kana!"
2.6.5  と、興じめでたまふ。何事ももの好みし、艶がりおはする親王にて、いといみじうめできこえたまふ。
 と、興味深くお誉めになる。どのようなことにも趣味を持って、風流がりなさる親王なので、とてもたいそうお誉め申し上げなさる。
  to, kyou-zi mede tamahu. Nanigoto mo mono-gonomi si, en-gari ohasuru Miko ni te, ito imiziu mede kikoye tamahu.
注釈157はかなうをかしき『集成』は「整った正式の書体に対して下絵に合せて乱れ書いたものについての感じ」という。2.6.2
注釈158こなたかなた『集成』は「〔流れや葦が〕あちらこちらと」と解し、『完訳』は「葦と文字があちこち入り交じり」と解す。2.6.3
注釈159目も及ばずこれは暇いりぬべきものかな蛍宮の讃辞。『集成』は「手間のかかりそうなものですね」の意に解し、『完訳』は「観賞に時間がかかるの意。一説に葦手書きするのに、とする」と注す。2.6.4
2.7
第七段 古万葉集と古今和歌集


2-7  Genji makes a son of Hyobukyo to bring ko-Manyoshu and Kokin-wakasyu

2.7.1  今日はまた、手のことどものたまひ暮らし、さまざまの継紙の本ども、選り出でさせたまへるついでに、御子の侍従して、宮にさぶらふ本ども取りに遣はす。
 今日はまた、書のことなどを一日中お話しになって、いろいろな継紙をした手本を、何巻かお選び出しになった機会に、御子息の侍従をして、宮邸に所蔵の手本類を取りにおやりになる。
  Kehu ha mata, te no koto-domo notamahi kurasi, sama-zama no tugi-kami no hon-domo, eri-ide sase tamahe ru tuide ni, mi-ko no Zizyuu si te, Miya ni saburahu hon-domo tori ni tukahasu.
2.7.2  嵯峨の帝の、『 古万葉集』を選び書かせたまへる四巻、延喜の帝の、『古今和歌集』を、唐の浅縹の紙を継ぎて、同じ色の濃き紋の綺の表紙、同じき玉の軸、緞の唐組の紐など、なまめかしうて、巻ごとに御手の筋を変へつつ、いみじう書き尽くさせたまへる、大殿油短く参りて御覧ずるに、
 嵯峨の帝が、『古万葉集』を選んでお書かせあそばした四巻。延喜の帝が、『古今和歌集』を、唐の浅縹の紙を継いで、同じ色の濃い紋様の綺の表紙、同じ玉の軸、だんだら染に組んだ唐風の組紐など、優美で、巻ごとに御筆跡の書風を変えながら、あらん限りの書の美をお書き尽くしあそばしたのを、大殿油を低い台に燈して御覧になると、
  Saga-no-Mikado no, Ko-Manehusihu wo erabi kaka se tamahe ru yo-maki, Engi-no-Mikado no, Kokin-wakasihu wo, kara no asa-hanada no kami wo tugi te, onazi iro no koki mon no ki no heusi, onaziki tama no ziku, dan no kara-kumi no himo nado, namamekasiu te, maki-goto ni ohom-te no sudi wo kahe tutu, imiziu kaki-tukusase tamahe ru, ohotonabura mizikaku mawiri te go-ran-zuru ni,
2.7.3  「 尽きせぬものかな。このころの人は、ただかたそばをけしきばむにこそありけれ」
 「いつまで見ていても見飽きないものだ。最近の人は、ただ部分的に趣向を凝らしているだけにすぎない」
  "Tuki se nu mono kana! Kono-koro no hito ha, tada katasoba wo kesikibamu ni koso ari kere!"
2.7.4  など、めでたまふ。やがてこれはとどめたてまつりたまふ。
 などと、お誉めになる。そのままこれらはこちらに献上なさる。
  nado, mede tamahu. Yagate kore ha todome tatematuri tamahu.
2.7.5  「 女子などを持てはべらましにだに、をさをさ見はやすまじきには伝ふまじきを、まして、朽ちぬべきを」
 「女の子などを持っていましたにしても、たいして見る目を持たない者には、伝えたくないのですが、まして、埋もれてしまいますから」
  "Womna-go nado wo mote habera masi ni dani, wosa-wosa mi hayasu maziki ni ha tutahu maziki wo, masite, kuti nu beki wo."
2.7.6  など聞こえてたてまつれたまふ。侍従に、唐の本などのいとわざとがましき、沈の筥に入れて、いみじき高麗笛添へて、奉れたまふ。
 などと申し上げて差し上げなさる。侍従に、唐の手本などの特に念入りに書いてあるのを、沈の箱に入れて、立派な高麗笛を添えて、差し上げなさる。
  nado kikoye te tatemature tamahu. Zizyuu ni, Kara no hon nado no ito wazato-gamasiki, din no hako ni ire te, imiziki Koma-bue sohe te, tatemature tamahu.
2.7.7   またこのころは、ただ仮名の定めをしたまひて、世の中に手書くとおぼえたる、上中下の人々にも、さるべきものども思しはからひて、尋ねつつ書かせたまふ。この御筥には、立ち下れるをば混ぜたまはず、わざと、人のほど、品分かせたまひつつ、草子、巻物、皆書かせたてまつりたまふ。
 またこの頃は、ひたすら仮名の論評をなさって、世間で能書家だと聞こえた、上中下の人々にも、ふさわしい内容のものを見計らって、探し出してお書かせになる。この御箱には、身分の低い者のはお入れにならず、特別に、その人の家柄や、地位を区別なさりなさり、冊子、巻物、すべてお書かせ申し上げなさる。
  Mata kono-koro ha, tada kamna no sadame wo sitamahi te yononaka ni te kaku to oboye taru, kami naka simo no hito-bito ni mo, saru beki mono-domo obosi hakarahi te, tadune tutu kaka se tamahu. Kono ohom-hako ni ha, tati-kudare ru wo ba maze tamaha zu, wazato, hito no hodo, sina wakase tamahi tutu, sausi, maki-mono, mina kaka se tatematuri tamahu.
2.7.8  よろづにめづらかなる御宝物ども、人の朝廷までありがたげなる中に、この本どもなむ、ゆかしと心動きたまふ若人、世に多かりける。御絵どもととのへさせたまふ中に、 かの『須磨の日記』は、末にも伝へ知らせむと思せど、「今すこし世をも思し知りなむに」と思し返して、まだ取り出でたまはず。
 何もかも珍しい御宝物類、外国の朝廷でさえめったにないような物の中で、この何冊かの本を見たいと心を動かしなさる若い人たちが、世間に多いことであった。御絵画類をご準備なさる中で、あの『須磨の日記』は、子孫代々に伝えたいとお思いになるが、「もう少し世間がお分りになったら」とお思い返しなさって、まだお取り出しなさらない。
  Yorodu ni meduraka naru ohom-takaramono-domo, hito no mikado made arigatage naru naka ni, kono hon-domo nam, yukasi to kokoro ugoki tamahu wakaudo, yo ni ohokari keru. Ohom-we-domo totonohe sase tamahu naka ni, kano Suma no niki ha, suwe ni mo tutahe sira se m to obose do, "Ima sukosi yo wo mo obosi-siri na m ni." to obosi-kahesi te, mada tori-ide tamaha zu.
注釈160古万葉集『万葉集』をさす。『万葉集』の古称。2.7.2
注釈161尽きせぬものかな以下「こそありけれ」まで、源氏の詞。2.7.3
注釈162女子などを持てはべらましにだにをさをさ見はやすまじきには伝ふまじきをまして朽ちぬべき蛍宮の詞。「まし」(推量の助動詞、反実仮想)、「だに」は打消や反語の表現を伴って、述語の表す動作・状態に対して、例外的、逆接的な事物、事態であることを示す。〜でさえ、〜さえもの意。女の子を仮にもっていましたにしても、その時でさえも、見る目を持たない者には、伝えないでしょうが、まして、女の子がいないのだから、このまま持っているのは、埋もれさせてしまうことだから、の意。2.7.5
注釈163またこのころはただ仮名の定めをしたまひて源氏、姫君のための書画類を調える。2.7.7
注釈164かの須磨の日記は末にも伝へ知らせむと思せど今すこし世をも思し知りなむにと思し返して源氏の心中を叙述。2.7.8
Last updated 9/29/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/29/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 9/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/16/2002
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