32 梅枝(大島本)


MUMEGAYE


光る源氏の太政大臣時代
三十九歳一月から二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from January to February at the age of 39

1
第一章 光る源氏の物語 薫物合せ


1  Tale of Hikaru-Genji  Playing a comparison of incense

1.1
第一段 六条院の薫物合せの準備


1-1  Genji prepares a playing comparison of incense at Rokujo-in

1.1.1   御裳着のこと、思しいそぐ御心おきて、世の常ならず春宮も同じ二月に、御かうぶりのことあるべければやがて御参りもうち続くべきにや
 御裳着の儀式、ご準備なさるお心づかい、並々ではない。春宮も同じ二月に、御元服の儀式がある予定なので、そのまま御入内も続くのであろうか。
  Ohom-mogi no koto, obosi isogu mi-kokoro-okite, yo no tune nara zu. Touguu mo onazi Kisaragi ni, ohom-kauburi no koto aru bekere ba, yagate ohom-mawiri mo uti-tuduku beki ni ya?
1.1.2   正月の晦日なれば、公私のどやかなるころほひに、薫物合はせたまふ。 大弐の奉れる香ども 御覧ずるに、「 なほ、いにしへのには劣りてやあらむ」と思して、二条院の御倉開けさせたまひて、唐の物ども取り渡させたまひて、御覧じ比ぶるに、
 正月の月末なので、公私ともにのんびりとした頃に、薫物合わせをなさる。大宰大弐が献上したいくつもの香を御覧になると、「やはり、昔の香には劣っていようか」とお思いになって、二条院の御倉を開けさせなさって、唐の品々を取り寄せなさって、ご比較なさると、
  Syaugwati no tugomori nare ba, ohoyake watakusi nodoyaka naru koro hohi ni, taki-mono ahase tamahu. Daini no tatemature ru kau-domo go-ran-zuru ni, "Naho, inisihe no ni ha otori te ya ara m?" to obosi te, Nideu-no-win no mi-kura ake sase tamahi te, Kara no mono-domo tori-watasa se tamahi te, go-ran-zi kuraburu ni,
1.1.3  「 錦、綾なども、なほ古きものこそなつかしうこまやかにはありけれ
 「錦、綾なども、やはり古い物が好ましく上品であった」
  "Nisiki, aya nado mo, naho huruki mono koso natukasiu komayaka ni ha ari kere."
1.1.4  とて、近き御しつらひの、物の覆ひ、敷物、茵などの端どもに、 故院の御世の初めつ方、高麗人のたてまつれりける綾、緋金錦どもなど、今の世のものに似ず、なほさまざま御覧じあてつつせさせたまひて、 このたびの綾、羅などは、人びとに賜はす。
 とおっしゃって、身近な調度類の、物の覆いや、敷物、座蒲団などの端々に、故院の御代の初め頃、高麗人が献上した綾や、緋金錦類など、今の世の物には比べ物にならず、さらにいろいろとご鑑定なさっては、今回の綾、羅などは、女房たちにご下賜なさる。
  tote, tikaki ohom-siturahi no, mono no ohohi, siki-mono, sitone nado no hasi-domo ni, ko-Win no mi-yo no hazime-tu-kata, Koma-udo no tatemature ri keru aya, hi-gonki-domo nado, ima no yo no mono ni ni zu, naho sama-zama go-ran-zi ate tutu se sase tamahi te, kono-tabi no aya, usu-mono nado ha, hito-bito ni tamaha su.
1.1.5  香どもは、昔今の、取り並べさせたまひて、御方々に配りたてまつらせたまふ。
 数々の香は、昔のと今のを、取り揃えさせなさって、ご夫人方にお配り申し上げさせなさる。
  Kau-domo ha, mukasi ima no, tori-narabe sase tamahi te, ohom-kata-gata ni kubari tatematura se tamahu.
1.1.6  「 二種づつ合はせさせたまへ
 「二種類づつ調合なさって下さい」
  "Huta-kusa dutu ahase sase tamahe."
1.1.7  と、 聞こえさせたまへり。贈り物、上達部の禄など、世になきさまに、 内にも外にも、ことしげくいとなみたまふに添へて、方々に選りととのへて、鉄臼の音耳 かしかましきころなり。
 と、お願い申し上げさせなさった。贈物や、上達部への禄など、世にまたとないほどに、内にも外にも、お忙しくお作りなさるに加えて、それぞれに材料を選び準備して、鉄臼の音が喧しく聞こえる頃である。
  to, kikoye sase tamahe ri. Okuri-mono, Kamdatime no roku nado, yo ni naki sama ni, uti ni mo to ni mo, koto sigeku itonami tamahu ni sohe te, kata-gata ni eri totonohe te, kana-usu no oto mimi ni kasikamasiki koro nari.
1.1.8  大臣は、寝殿に離れおはしまして、 承和の御いましめの二つの方を いかでか御耳には伝へたまひけむ、心にしめて合はせたまふ。
 大臣は、寝殿に離れていらっしゃって、承和の帝の御秘伝の二つの調合法を、どのようにしてお耳にお伝えなさったのであろうか、熱心にお作りになる。
  Otodo ha, Sin-den ni hanare ohasimasi te, Zyouwa no ohom-imasime no hutatu no hau wo, ikadeka ohom-mimi ni ha tutahe tamahi kem, kokoro ni sime te ahase tamahu.
1.1.9   上は、東の中の放出に御しつらひことに深う しなさせたまひて八条の式部卿の御方を伝へて、 かたみに挑み合はせたまふほど、いみじう秘したまへば、
 紫の上は、東の対の中の放出に、御設備を特別に厳重におさせになって、八条の式部卿の御調合法を伝えて、互いに競争して調合なさっている間に、たいそう秘密にしていらっしゃるので、
  Uhe ha, himgasi no naka no Hanati-ide ni, ohom-siturahi koto ni hukau si-nasa se tamahi te, Hatideu-no-Sikibukyau no ohom-hau wo tutahe te, katamini idomi ahase tamahu hodo, imiziu hi-si tamahe ba,
1.1.10  「 匂ひの深さ浅さも、勝ち負けの定めあるべし
 「匂いの深さ浅さも、勝負けの判定にしよう」
  "Nihohi no hukasa asasa mo, kati-make no sadame aru besi."
1.1.11  と大臣のたまふ。 人の御親げなき御あらそひ心なり
 と大臣がおっしゃる。子を持つ親御らしくない競争心である。
  to Otodo notamahu. Hito no ohom-oyage naki ohom-arasohi gokoro nari.
1.1.12  いづ方にも、御前にさぶらふ人あまたならず。御 調度どもも、そこらのきよらを尽くしたまへるなかにも、香壷の御筥どものやう、壷の姿、火取りの心ばへも、目馴れぬさまに、今めかしう、やう変へさせたまへるに、 所々の心を尽くしたまへらむ匂ひどもの、すぐれたらむどもを、かぎあはせて入れむと思すなりけり。
 どちらにも、御前に伺候する女房は多くいない。御調度類も、多く善美を尽くしていらっしゃる中でも、いくつもの香壷の御箱の作り具合、壷の恰好、香炉の意匠も、見慣れない物で、当世風に、趣向を変えさせていらっしゃるのが、あちらこちらで一生懸命にお作りになったような香の中で、優れた幾種かを、匂いを比べた上で入れようとお考えなのである。
  Idukata ni mo, o-mahe ni saburahu hito amata nara zu. Mi-teudo-domo mo, sokara no kiyora wo tukusi tamahe ru naka ni mo, kaugo no ohom-hako-domo no yau, tubo no sugata, hitori no kokorobahe mo, me-nare nu sama ni, imamekasiu, yau kahe sase tamahe ru ni, tokoro-dokoro no kokoro wo tukusi tamahe ra m nihohi-domo no, sugure tara m domo wo, kagi ahase te ire m to obosu nari keri.
注釈1御裳着のこと思しいそぐ御心おきて世の常ならず明石姫君の裳着。明石姫君、十一歳。裳着の儀式は女性の成人式。1.1.1
注釈2春宮も同じ二月に御かうぶりのことあるべければ朱雀院の皇子、十三歳。元服は男性の成人式。明石姫君と東宮が共に成人式を挙げ結婚の準備に入る。1.1.1
注釈3やがて御参りもうち続くべきにや「御参り」は入内をいう。「べき」(推量の助動詞)「に」(断定の助動詞)「や」(係助詞、疑問の意)は語り手の推測を表す。1.1.1
注釈4正月の晦日なれば時節は春正月の下旬。正月の年中行事なども終わってのんびりとしたころ。1.1.2
注釈5大弐の奉れる香ども太宰大弍は系図不詳の人。源氏に献上した香。中国舶来の品である。1.1.2
注釈6御覧ずるに主語は源氏。1.1.2
注釈7なほいにしへのには劣りてやあらむ源氏の感想。今のものより昔のものがよかったとする尚古思想が窺える。1.1.2
注釈8錦、綾なども、なほ古きものこそなつかしうこまやかにはありけれ源氏の感想。「なつかし」は、手放したくない、慕わしいの意。昔が思い出されるの意は後世。しかし文脈上「古きものこそなつかしう」とあるから、一種の懐古趣味。1.1.3
注釈9故院の御世の初めつ方桐壷院をさす。1.1.4
注釈10このたびの綾羅などは大弍が献上した品物をいう。1.1.4
注釈11二種づつ合はせさせたまへ源氏の言葉。使者に言わせた内容。「させ」「給へ」二重敬語。会話文中の用法。1.1.6
注釈12聞こえさせたまへり「聞こえ」(「言う」の謙譲語)「させ」(使役の助動詞)「給へ」(尊敬の補助動詞)「り」(完了の助動詞)。使者をして御夫人方に申し上げさせなさったの意。1.1.7
注釈13内にも外にも「内」は六条院、「外」は二条院、二条東院などをさす。1.1.7
注釈14かしかまし「姦 カシカマシ」(名義抄)。近世以後「かしがまし」と濁音化する。1.1.7
注釈15承和の御いましめの二つの方を承和の御戒め。仁明天皇が男子には伝えぬようにと戒めた二種の調合法。「黒方」と「侍従」である。『河海抄』所引「合香秘方」に「此両種方不伝男耳。承和仰事也」とある。1.1.8
注釈16いかでか御耳には伝へたまひけむ語り手の疑問、挿入句。1.1.8
注釈17上は東の中の放出に紫の上をいう。「上」という呼称。1.1.9
注釈18御しつらひことに深う『完訳』は「秘法保持のため格別に慎重」と注す。1.1.9
注釈19しなさせたまひて「させ」使役の助動詞。女房らをして準備させなさって。1.1.9
注釈20八条の式部卿の御方を仁明天皇の第七皇子本康親王。「御方」は黒方と侍従をさす。1.1.9
注釈21かたみに挑み合はせたまふほど源氏と紫の上。1.1.9
注釈22匂ひの深さ浅さも、勝ち負けの定めあるべし源氏の言葉。1.1.10
注釈23人の御親げなき御あらそひ心なり語り手の評言。『一葉抄』が「草子詞也」と指摘。「人」は明石の姫君をさす。1.1.11
注釈24調度『色葉字類抄』には「調」「度」ともに濁点を付す。『集成』「でうど」のルビを付ける。1.1.12
注釈25所々の心を尽くしたまへらむあちらこちらで一生懸命に薫物を調合していらっしゃるであろう。「らむ」は推量の助動詞、視界外推量の意。源氏の所から推量するニュアンス。1.1.12
校訂1 承和 承和--そうわう(そうわう/$承和) 1.1.8
校訂2 御あらそひ 御あらそひ--御あらひ(ひ/$<朱>)そひ 1.1.11
1.2
第二段 二月十日、薫物合せ


1-2  The comparison of incense is done at February 10

1.2.1   二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、色も香も似るものなきほどに兵部卿宮渡りたまへり御いそぎの今日明日になりにけることども、訪らひきこえたまふ。昔より取り分きたる御仲なれば、隔てなく、そのこと かのこと、と聞こえあはせたまひて、 花をめでつつおはするほどに、 前斎院よりとて、 散り過ぎたる梅の枝につけたる御文持て参れり。宮、 聞こしめすこともあれば
 二月の十日、雨が少し降って、御前近くの紅梅の盛りに、色も香も他に似る物がない頃に、兵部卿宮がお越しになった。御裳着の支度が今日明日に迫ってお忙しいことについて、ご訪問なさる。昔から特別にお仲が好いので、隠し隔てなく、あの事この事、とご相談なさって、紅梅の花を賞美なさっていらっしゃるところに、前斎院からと言って、散って薄くなった梅の枝に結び付けられているお手紙を持ってまいった。宮、お聞きになっていたこともあるので、
  Kisaragi no towo-ka, ame sukosi huri te, o-mahe tikaki koubai sakari ni, iro mo ka mo niru mono naki hodo ni, Hyaubukyau-no-Miya watari tamahe ri. Ohom-isogi no kehu asu ni nari ni keru koto-domo, toburahi kikoye tamahu. Mukasi yori tori-waki taru ohom-naka nare ba, hedate naku, sono koto kano koto, to kikoye ahase tamahi te, hana wo mede tutu ohasuru hodo ni, saki-no-Saiwin yori tote, tiri-sugi taru mume no eda ni tuke taru ohom-humi mote mawire ri. Miya, kikosimesu koto mo are ba,
1.2.2  「 いかなる御消息のすすみ参れるにか
 「どのようなお手紙があちらから参ったのでしょうか」
  "Ika naru ohom-seusoko no susumi mawire ru ni ka?"
1.2.3  とて、をかしと思したれば、ほほ笑みて、
 とおっしゃって、興味をお持ちになっているので、にっこりして、
  tote, wokasi to obosi tare ba, hohowemi te,
1.2.4  「 いと馴れ馴れしきこと聞こえつけたりしを、まめやかに急ぎものしたまへるなめり」
 「たいそう無遠慮なことをお願い申し上げたところ、几帳面に急いでお作りになったのでしょう」
  "Ito nare-naresiki koto kikoye tuke tari si wo, mameyaka ni isogi monosi tamahe ru na' meri."
1.2.5  とて、御文は引き隠したまひつ。
 とおっしゃって、お手紙はお隠しになった。
  tote, ohom-humi ha hiki-kakusi tamahi tu.
1.2.6  沈の筥に、 瑠璃の坏二つ据ゑて、大きにまろがしつつ入れたまへり。心葉、紺瑠璃には五葉の枝、白きには 梅を選りて、同じくひき結びたる糸のさまも、なよびやかになまめかしうぞしたまへる。
 沈の箱に、瑠璃の香壷を二つ置いて、大きく丸めてお入れになってある。心葉は、紺瑠璃のには五葉の枝を、白いのには白梅を彫って、同じように結んである糸の様子も、優美で女性的にお作りになってある。
  Din no hako ni, ruri no tuki hutatu suwe te, ohoki ni marogasi tutu ire tamahe ri. Kokoro-ba, kon-ruri ni ha goehu no eda, siroki ni ha mume wo eri te, onaziku hiki musubi taru ito no sama mo, nayobiyaka ni namamekasiu zo si tamahe ru.
1.2.7  「 艶あるもののさまかな
 「優雅な感じのする出来ばえですね」
  "En aru mono no sama kana!"
1.2.8  とて、御目止めたまへるに、
 とおっしゃって、お目を止めなさると、
  tote, ohom-me tome tamahe ru ni,
1.2.9  「 花の香は散りにし枝にとまらねど
 「花の香りは散ってしまった枝には残っていませんが、
    "Hana no ka ha tiri ni si eda ni tomara ne do
1.2.10   うつらむ袖に浅くしまめや
  香を焚きしめた袖には深く残るでしょう
    utura m sode ni asaku sima me ya
1.2.11   ほのかなるを御覧じつけて、宮はことことしう誦じたまふ。
 薄墨のほんのりとした筆跡を御覧になって、宮は仰々しく口ずさみなさる。
  Honoka naru wo go-ran-zi tuke te, Miya ha koto-kotosiu zyu-zi tamahu.
1.2.12   宰相中将御使尋ねとどめさせたまひて、いたう酔はしたまふ。紅梅襲の唐の細長添へたる女の装束かづけたまふ。 御返りもその色の紙にて御前の花を折らせてつけさせたまふ
 宰相中将、お使いの者を捜し出して引き止めさせなさって、たいそう酔わせなさる。紅梅襲の唐の細長を添えた女装束をお与えになる。お返事も同じ紙の色で、御前の花を折らせてお付けになる。
  Saisyau-no-Tyuuzyau, ohom-tukahi tadune todome sase tamahi te, itau yoha si tamahu. Koubai-gasane no kara no hosonaga sohe taru womna no syauzoku kaduke tamahu. Ohom-kaheri mo sono iro no kami ni te, o-mahe no hana wo wora se te tuke sase tamahu.
1.2.13  宮、
 宮、
  Miya,
1.2.14  「 うちのこと思ひやらるる御文かな。何ごとの隠ろへあるにか、深く隠したまふ」
 「どんな内容か気になるお手紙ですね。どのような秘密があるのか、深くお隠しになさるな」
  "Uti no koto omohi-yara ruru ohom-humi kana! Nani-goto no kakurohe aru ni ka, hukaku kakusi tamahu."
1.2.15  と恨みて、いとゆかしと思したり。
 と恨んで、ひどく見たがっていらっしゃった。
  to urami te, ito yukasi to obosi tari.
1.2.16  「 何ごとかはべらむ。隈々しく思したるこそ、苦しけれ」
 「何でもありません。秘密があるようにお思いになるのが、かえって迷惑です」
  "Nani-goto ka habera m. Kuma-gumasiku obosi taru koso, kurusikere."
1.2.17  とて、御硯のついでに、
 とおっしゃって、御筆のついでに、
  tote, ohom-suzuri no tuide ni,
1.2.18  「 花の枝にいとど心をしむるかな
 「花の枝にますます心を惹かれることよ
    "Hana no ye ni itodo kokoro wo simuru kana
1.2.19   人のとがめむ香をばつつめど
  人が咎めるだろうと隠しているが
    Hito no togame m ka wo ba tutume do
1.2.20   とやありつらむ
 とでもあったのであろうか。
  to ya ari tu ram.
1.2.21  「 まめやかには、好き好きしきやうなれどまたもなかめる人の上にて、これこそはことわりのいとなみなめれと、 思ひたまへなしてなむいと醜ければ、疎き人はかたはらいたさに、 中宮まかでさせたてまつりて思ひたまふる 。親しきほどに馴れきこえかよへど、恥づかしきところの深うおはする宮なれば、 何ごとも世の常にて見せたてまつらむ、かたじけなくてなむ
 「実のところ、物好きなようですが、二人といない娘のことですから、こうするのが当然の催しであろうと、存じましてね。たいそう不器量ですから、疎遠な方にはきまりが悪いので、中宮を御退出おさせ申し上げてと存じております。親しい間柄でお慣れ申し上げているが、気の置ける点が深くおありの宮なので、何事も世間一般の有様でお見せ申しては、恐れ多いことですから」
  "Mameyaka ni ha, suki-zukisiki yau nare do, mata mo nakame ru hito no uhe ni te, kore koso ha kotowari no itonami na' mere to, omohi tamahe nasi te nam. Ito minikukere ba, utoki hito ha katahara itasa ni, Tyuuguu makade sase tatematuri te to, omohi tamahuru. Sitasiki hodo ni nare kikoye kayohe do, hadukasiki tokoro no hukau ohasuru Miya nare ba, nani-goto mo yo no tune ni te mise tatematura m, katazikenaku te nam."
1.2.22  など、聞こえたまふ。
 などと、申し上げなさる。
  nado, kikoye tamahu.
1.2.23  「 あえものも、げに、かならず思し寄るべきことなりけり
 「あやかるためにも、おっしゃるとおり、きっとお考えになるはずのことなのでしたね」
  "Aye-mono mo, geni, kanarazu obosi-yoru beki koto nari keri."
1.2.24  と、ことわり申したまふ。
 と、ご判断申し上げなさる。
  to, kotowari mausi tamahu.
注釈26二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、色も香も似るものなきほどに二月十日、六条院に蛍兵部卿宮参上し、薫物合せを試みる。1.2.1
注釈27兵部卿宮渡りたまへり源氏の弟宮蛍兵部卿宮。趣味人、風流人である。1.2.1
注釈28御いそぎの今日明日になりにけることども、訪らひきこえたまふ明石の姫君の裳着の儀式が間近に迫ったことへの挨拶に参上。1.2.1
注釈29花をめでつつ「花」は紅梅をさす。1.2.1
注釈30前斎院朝顔斎院をさす。1.2.1
注釈31散り過ぎたる梅の枝につけたる御文『異本紫明抄』は「春過ぎて散りはてにける梅の花ただ香ばかりぞ枝に残れる」(拾遺集雑春、一〇六三、如覚法師)を指摘する。その歌の詞書に「比叡の山に住みはべりけるころ、人の薫物を乞ひてはべりければ、はべりけるまゝに、少しを、梅の花のわづかに散り残りてはべる枝につけてつかはしける」とある。その趣向を踏まえる。『集成』は「散り過ぎたる」と解し、『完訳』は「散りすきたる」と解す。1.2.1
注釈32聞こしめすこともあれば源氏が朝顔姫君に執心であったということ。「朝顔」巻に語られている。1.2.1
注釈33いかなる御消息のすすみ参れるにか蛍兵部卿宮の詞。1.2.2
注釈34いと馴れ馴れしき以下「たまへるなめり」まで、源氏の返事。薫物合せの依頼をさす。「いと馴れ馴れしきこと」(大層無遠慮なこと)と謙辞する。「を」接続助詞、順接の意。「な」(断定の助動詞)「めり」(推量の助動詞)。1.2.4
注釈35瑠璃の坏二つ据ゑて紺瑠璃と白瑠璃の坏、二脚。前者に黒方、後者に梅花香が入れてある。1.2.6
注釈36梅を選りて古来二説あり、『集成』は「選りて」と解し、『完訳』は「彫りて」と解す。1.2.6
注釈37艶あるもののさまかな蛍兵部卿宮の詞。感嘆の気持ち。1.2.7
注釈38花の香は散りにし枝にとまらねどうつらむ袖に浅くしまめや「散りにし枝」は自分(朝顔)を譬え、「うつらむ袖」は明石姫君を喩える。「浅くしま」「め」(推量の助動詞)「や」(係助詞)、反語表現。浅く薫りましょうか、いや深く薫ることでしょうの意。『集成』は「自分を卑下し、姫君の若さを讃えた歌」という。1.2.9
注釈39ほのかなるを薄墨でうっすらと書いてある筆跡。1.2.11
注釈40宰相中将夕霧。1.2.12
注釈41御使尋ねとどめさせたまひていたう酔はしたまふ主語は夕霧。「させ」使役の助動詞。1.2.12
注釈42御返りもその色の紙にて源氏の返事。紅梅襲と同じ色の紙。1.2.12
注釈43御前の花を折らせてつけさせたまふ紅梅の花。「せ」使役の助動詞。1.2.12
注釈44うちのこと以下「隠したまふ」まで、蛍兵部卿宮の心中。「うちのこと」は手紙の中身の意。好奇心と嫉妬心。1.2.14
注釈45何ごとか以下「苦しけれ」まで、源氏の詞。1.2.16
注釈46花の枝にいとど心をしむるかな人のとがめむ香をばつつめど源氏の返歌。「花の枝」は朝顔を譬える。ますます魅力を感じるという意。「梅の花立ち寄るばかりありしより人のとがむる香にぞしみぬる」(古今集春上、三五、読人しらず)「梅の花香を吹きかくる春風に心をそめば人やとがめむ」(後撰集春上、三一、読人しらず)1.2.18
注釈47とやありつらむ語り手の推測。『集成』は「と書いてあったのだろうか。そっと兵部卿の宮に見せた様子を窺わせる書き方。草子地」と注す。『完訳』は「語り手の推測。宮もこの返歌を見ていないことになる」と注す。1.2.20
注釈48まめやかには好き好きしきやうなれど以下「かたじけなくてなむ」まで、源氏の詞。『集成』は「(薫物合せなどを方々に依頼するのは)物好きのようですが」の意に解し、『完訳』は「薫物合せへの熱中は物好きに過ぎるようだが、の意」と解す。1.2.21
注釈49またもなかめる人の上にて明石姫君をさす。1.2.21
注釈50思ひたまへなしてなむ「たまへ」(謙譲の補助動詞)、主語は源氏。1.2.21
注釈51いと醜ければ娘の明石姫君の器量をさしていう。源氏の謙辞。1.2.21
注釈52中宮まかでさせたてまつりて秋好中宮。「させ」(使役の助動詞)「たてまつり」(謙譲の補助動詞)。『完訳』は「姫君を格上げすべく、秋好中宮を裳着の腰結役とする魂胆」と注す。1.2.21
注釈53思ひたまふる「たまふる」(謙譲の補助動詞、連体中止法)は、言いさした形で含みのあるニュアンス。1.2.21
注釈54何ごとも世の常にて見せたてまつらむ、かたじけなくてなむ『完訳』は「姫君の裳着、入内に関して」と注する。「世の常」以上のことを源氏は考えていると示唆する。1.2.21
注釈55あえものもげにかならず思し寄るべきことなりけり蛍兵部卿宮の詞。「あえもの」は、あやかりもの、の意。「げに」は源氏の真意を理解して発した言葉。おっしゃる通り将来の中宮の位にということなのですね、の意。1.2.23
出典1 花の枝にいとど心を 梅の花立ち寄るばかりありしより人の咎むる香にぞ染みぬる 古今集春上-三五 読人しらず 1.2.18
校訂3 かのこと、と かのこと、と--かの(の/+ことゝ<朱>) 1.2.1
校訂4 たまふる たまふる--給(給/+る<朱>)頼(頼/$<朱>) 1.2.21
1.3
第三段 御方々の薫物


1-3  Wives of Genji make incense for playing comparison

1.3.1  このついでに、御方々の合はせたまふども、おのおの御使して、
 この機会に、ご夫人方がご調合なさった薫物を、それぞれお使いを出して、
  Kono tuide ni, ohom-kata-gata no ahase tamahu domo, ono-ono ohom-tukahi si te,
1.3.2  「 この夕暮れのしめりにこころみむ
 「今日の夕方の雨じめりに試してみよう」
  "Kono yuhugure no simeri ni kokoromi m."
1.3.3  と聞こえたまへれば、さまざまをかしうしなして奉りたまへり。
 とお話申し上げなさっていたので、それぞれに趣向を凝らして差し上げなさった。
  to kikoye tamahe re ba, sama-zama wokasiu si-nasi te tatematuri tamahe ri.
1.3.4  「 これ分かせたまへ。誰れにか見せむ
 「これらをご判定ください。あなたでなくて誰に出来ましょう」
  "Kore wakata se tamahe. Tare ni ka mise m?"
1.3.5  と聞こえたまひて、御火取りども召して、こころみさせたまふ。
 と申し上げなさって、いくつもの御香炉を召して、お試しになる。
  to kikoye tamahi te, ohom-hitori-domo mesi te, kokoromi sase tamahu.
1.3.6  「 知る人にもあらずや
 「知る人というほどの者ではありませんが」
  "Siru hito ni mo ara zu ya!"
1.3.7  と卑下したまへど、言ひ知らぬ匂ひどもの、進み遅れたる香一種などが、いささかの咎を分きて、あながちに劣りまさりのけぢめをおきたまふ。 かのわが御二種のは、今ぞ取う出させたまふ。
 と謙遜なさるが、何とも言えない匂いの中で、香りの強い物や弱い物の一つなどが、わずかの欠点を識別して、強いて優劣の区別をお付けになる。あのご自分の二種の香は、今お取り出させになる。
  to hige si tamahe do, ihi-sira nu nihohi-domo no, susumi okure taru kau hito-kusa nado ga, isasaka no toga wo waki te, anagati ni otori masari no kedime wo oki tamahu. Kano waga ohom-huta-kusa no ha, ima zo tou-de sase tamahu.
1.3.8   右近の陣の御溝水のほとりになずらへて、西の渡殿の下より出づる汀近う 埋ませたまへるを、 惟光の宰相の子の兵衛尉、堀りて参れり。宰相中将、取りて伝へ参らせたまふ。宮、
 右近の陣の御溝水の辺に埋める例に倣って、西の渡殿の下から湧き出る遣水の近くに埋めさせなさっていたのを、惟光の宰相の子の兵衛尉が、掘り出して参上した。宰相中将が、受け取って差し上げさせなさる。宮、
  Ukon no din no mi-kahamidu no hotori ni nazurahe te, nisi no wata-dono no sita yori iduru migiha tikau uduma se tamahe ru wo, Koremitu-no-Saisyau no ko no Hyauwe-no-Zyou, hori te mawire ri. Saisyau-no-Tyuuzyau, tori te tutahe mawira se tamahu. Miya,
1.3.9  「 いと苦しき判者にも当たりてはべるかな。いと煙たしや
 「とても難しい判者に任命されたものですね。とても煙たくて閉口しますよ」
  "Ito kurusiki hanzya ni mo atari te haberu kana! Ito kebutasi ya!"
1.3.10  と、悩みたまふ。 同じうこそは、いづくにも散りつつ広ごるべかめるを、人びとの心々に合はせたまへる、深さ浅さを、かぎあはせたまへるに、いと興あること多かり。
 と、お困りになる。同じのは、どこにでも伝わって広がっているようだが、それぞれの好みで調合なさった、深さ浅さを、聞き分けて御覧になると、とても興味深いものが数多かった。
  to, nayami tamahu. Onaziu koso ha, iduku ni mo tiri tutu hirogoru beka' meru wo, hito-bito no kokoro-gokoro ni aha se tamahe ru, hukasa asasa wo, kagi ahase tamahe ru ni, ito kyou aru koto ohokari.
1.3.11  さらにいづれともなき中に、斎院の御黒方、 さいへども、心にくくしづやかなる匂ひ、ことなり。侍従は、大臣の 御はすぐれてなまめかしうなつかしき香なりと定めたまふ。
 まったくどれと言えない香の中で、斎院の御黒方、そうは言っても、奥ゆかしく落ち着いた匂い、格別である。侍従の香は、大臣のその御香は、優れて優美でやさしい香りである、とご判定になさる。
  Sarani idure to mo naki naka ni, Saiwin no ohom-Kurobau, sa ihe domo, kokoro-nikuku siduyaka naru nihohi, koto nari. Zizyuu ha, Otodo no ohom ha, sugure te namamekasiu natukasiki ka nari to sadame tamahu.
1.3.12  対の上の御は、 三種ある中に、梅花、はなやかに今めかしう、すこしはやき心しつらひを添へて、めづらしき薫り加はれり。
 対の上の御香は、三種ある中で、梅花の香が、ぱっと明るくて当世風で、少し鋭く匂い立つように工夫を加えて、珍しい香りが加わっていた。
  Tai-no-Uhe no ohom ha, mi-kusa aru naka ni, Baikwa, hanayaka ni imamekasiu, sukosi hayaki kokoro-siturahi wo sohe te, medurasiki kawori kuhahare ri.
1.3.13  「 このころの風にたぐへむには、さらにこれにまさる匂ひあらじ
 「今頃の風に薫らせるには、まったくこれに優る匂いはあるまい」
  "Kono-koro no kaze ni taguhe m ni ha, sarani kore ni masaru nihohi ara zi."
1.3.14  とめでたまふ。
 と賞美なさる。
  to mede tamahu.
1.3.15   夏の御方には、人びとの、かう心々に挑みたまふなる中に、数々にも立ち出でずやと、 煙をさへ思ひ消えたまへる御心にて、ただ 荷葉を一種合はせたまへり。さま変はりしめやかなる香して、あはれになつかし。
 夏の御方におかれては、このようにご夫人方が思い思いに競争なさっている中で、人並みにもなるまいと、煙にさえお考えにならないご気性で、ただ荷葉の香を一種調合なさった。一風変わって、しっとりした香りで、しみじみと心惹かれる。
  Natu-no-Ohomkata ni ha, hito-bito no, kau kokoro-gokoro ni idomi tamahu naru naka ni, kazu-kazu ni mo tati-ide zu ya to, keburi wo sahe omohi kiye tamahe ru mi-kokoro ni te, tada Kaehu wo hito-kusa ahase tamahe ri. Sama kahari simeyaka naru ka si te, ahare ni natukasi.
1.3.16   冬の御方にも時々によれる匂ひの定まれるに消たれむもあいなしと思して、薫衣香の方のすぐれたるは、 前の朱雀院のをうつさせたまひて、公忠朝臣の、ことに選び仕うまつれりし百歩の方など思ひ得て、 世に似ずなまめかしさを取り集めたる、心おきてすぐれたりと、いづれをも無徳ならず定めたまふを、
 冬の御方におかれても、季節季節に基づいた香が決まっているから、負けるのもつまらないとお考えになって、薫衣香の調合法の素晴らしいのは、前の朱雀院のをお学びなさって、源公忠朝臣が、特別にお選び申した百歩の方などを思いついて、世間にない優美さを調合した、その考えが素晴らしいと、どれも悪い所がないように判定なさるのを、
  Huyu no ohom-kata ni mo, toki-doki ni yore ru nihohi no sadamare ru ni keta re m mo ainasi to obosi te, Kunoe-kau no hau no sugure taru ha, saki no Syuzyaku-Win no wo utusa se tamahi te, Kimtada-no-Asom no, koto ni erabi tukau-mature ri si Hyakubu no hau nado omohi e te, yo ni ni zu namamekasisa wo tori-atume taru, kokoro-okite sugure tari to, idure wo mo mutoku nara zu sadame tamahu wo,
1.3.17  「 心ぎたなき判者なめり
 「当たりさわりのない判者ですね」
  "Kokoro-gitanaki hanzya na' meri."
1.3.18  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
  to kikoye tamahu.
注釈56この夕暮れのしめりにこころみむ源氏の詞を使者に言わせたもの。1.3.2
注釈57これ分かせたまへ。 誰れにか見せむ源氏の詞。「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」(古今集春上、三八、紀友則)1.3.4
注釈58知る人にもあらずや蛍兵部卿宮の返事。「君ならで」歌の文句を引用して答える。1.3.6
注釈59かのわが御二種のは「承和の御いましめの二つの方」の「黒方」と「侍従」の香。1.3.7
注釈60右近の陣の御溝水のほとりになずらへて『河海抄』に「承和御時、右近陣の御溝の辺の地にうづまる。後代相伝して其所をたがへず云々」とある。承和の御時になぞらえた趣向。1.3.8
注釈61惟光の宰相の子の兵衛尉惟光は宰相(参議)に昇進。その子も兵衛尉の任官。初出。1.3.8
注釈62いと苦しき判者にも当たりてはべるかないと煙たしや蛍兵部卿宮の素晴しさに辟易した詞。1.3.9
注釈63同じうこそは以下「いと多かり」まで、語り手の推量や判断を交えた叙述。『評釈』は「兵部卿の宮が心に思ったのか、語り手の批評か、作者の言葉か。いずれとも決しがたいところが物語らしい」という。1.3.10
注釈64さいへども前斎院が和歌で謙遜していたことをさす。1.3.11
注釈65すぐれてなまめかしうなつかしき香なり蛍宮の源氏の「侍従」の判定。斎院の黒方は地の文に折り込んで語る。1.3.11
注釈66三種ある中に黒方、侍従、梅香をさす。「黒方」は冬の香、「心にくくしづやかなる匂い」。「侍従」は秋の香、「なまめかしくなつかしき香」。「梅花」は春の香、「はなやかに今めかし」とある。1.3.12
注釈67このころの風にたぐへむにはさらにこれにまさる匂ひあらじ蛍宮の梅香に対する批評。梅香方は春の香である。「風にたぐへむ」は「花の香を風のたよりにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる」(古今集春上、一三、紀友則)を踏まえる。1.3.13
注釈68夏の御方には花散里をいう。1.3.15
注釈69煙をさへ思ひ消え「薫物」の縁で「煙」「消え」という。1.3.15
注釈70荷葉を一種夏の香。「しめやかなる香」「あはれになつかし」とある。1.3.15
注釈71冬の御方にも明石御方をいう。1.3.16
注釈72時々によれる匂ひの定まれるに消たれむもあいなし『完訳』は「黒方が冬、侍従が秋、梅花が春、荷葉が夏などと季節が一定。その型どおりの調合では他に圧倒されよう、そこで一趣向を案出」と注す。<BR/>【消たれむは】−「は」(係助詞)際立たせるニュアンスが加わる。「消つ」は「薫物」の縁でいう。1.3.16
注釈73前の朱雀院のをうつさせたまひて公忠朝臣のことに選び仕うまつれりし百歩の方など「させ」(尊敬の助動詞)「たまひ」(尊敬の補助動詞)、最高敬語。『集成』は「前の朱雀院のご調合法を(朱雀院が)お学びあそばして、公忠の朝臣が特に工夫を凝らして献上した百歩の方」と解す。「百歩の方」は薫衣香の調合法の一つ。「なまめかしき」とある。1.3.16
注釈74世に似ずなまめかしさを取り集めたる、心おきてすぐれたり地の文が蛍の宮の詞に移っている。1.3.16
注釈75心ぎたなき判者なめり源氏の詞。『完訳』は「当りさわりのない批評と冗談にけなす」と注す。1.3.17
出典2 誰れにか見せむ 君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る 古今集春上-三八 紀友則 1.3.4
出典3 風にたぐへむ 花の香を風の便りにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる 古今集春上-一三 紀友則 1.3.13
校訂5 埋ませ 埋ませ--うつさ(さ/$ま)せ 1.3.8
校訂6 御は 御は--御(御/+は) 1.3.11
1.4
第四段 薫物合せ後の饗宴


1-4  A banquet of the playing comparison of incense

1.4.1   月さし出でぬれば、大御酒など参りて、昔の御物語などしたまふ。 霞める月の影心にくきを、雨の名残の風すこし吹きて、花の香なつかしきに、御殿のあたり言ひ知らず匂ひ満ちて、人の御心地いと艶あり
 月が出たので、御酒などをお召し上がりになって、昔のお話などをなさる。霞んでいる月の光が奥ゆかしいところに、雨上がりの風が少し吹いて、梅の花の香りが優しく薫り、御殿の辺りに何とも言いようもなく匂い満ちて、皆のお気持ちはとてもうっとりしている。
  Tuki sasi-ide nure ba, oho-miki nado mawiri te, mukasi no ohom-monogatari nado si tamahu. Kasume ru tuki no kage kokoro nikuki wo, ame no nagori no kaze sukosi huki te, hana no ka natukasiki ni, otodo no atari ihi-sira-zu nihohi miti te, hito no mi-kokoti ito en ari.
1.4.2   蔵人所の方にも、明日の御遊びのうちならしに、御琴どもの装束などして、殿上人などあまた参りて、をかしき笛の音ども聞こゆ。
 蔵人所の方にも、明日の管弦の御遊の試演に、お琴類の準備などをして、殿上人などが大勢参上して、美しい幾種もの笛の音が聞こえて来る。
  Kuraudo-dokoro no kata ni mo, asu no ohom-asobi no uti-narasi ni, ohom-koto-domo no syauzoku nado si te, Tenzyau-bito nado amata mawiri te, wokasiki huwe no ne-domo kikoyu.
1.4.3   内の大殿の頭中将、弁少将なども、見参ばかりにてまかづるを、とどめさせたまひて、御琴ども召す。
 内の大殿の頭中将、弁少将なども、挨拶だけで退出するのを、お止めさせになって、いくつも御琴をお取り寄せになる。
  Uti no Ohoi-dono no Tou-no-Tyuuzyau, Ben-no-Seusyau nado mo, genzam bakari ni te makaduru wo, todome sase tamahi te, ohom-koto-domo mesu.
1.4.4  宮の御前に琵琶、大臣に 箏の御琴参りて、頭中将、和琴賜はりて、はなやかに掻きたてたるほど、いとおもしろく聞こゆ。宰相中将、横笛吹きたまふ。 折にあひたる調子、雲居とほるばかり吹きたてたり。弁少将、拍子取りて、「 梅が枝」出だしたるほど いとをかし。 童にて、韻塞ぎの折、「高砂」謡ひし君なり。宮も大臣もさしいらへしたまひて、ことことしからぬものから、をかしき夜の御遊びなり。
 宮の御前に琵琶、大臣に箏の御琴を差し上げて、頭中将は、和琴を賜って、賑やかに合奏なさっているのは、たいそう興趣深く聞こえる。宰相中将、横笛をお吹きになる。季節にあった調べを、雲居に響くほど吹き立てた。弁少将は拍子を取って、「梅が枝」を謡い出したところ、たいそう興味深い。子供の時、韻塞ぎの折に、「高砂」を謡った君である。宮も大臣も一緒にお謡いになって、仰々しくはないが、趣のある夜の管弦の催しである。
  Miya no o-mahe ni biha, Otodo ni syau no ohom-koto mawiri te, Tou-no-Tyuuzyau, wagon tamahari te, hanayaka ni kaki-tate taru hodo, ito omosiroku kikoyu. Saisyau-no-Tyuuzyau, yokobue huki tamahu. Wori ni ahi taru teusi, kumowi tohoru bakari huki-tate tari. Ben-no-Seusyau, hyausi tori te, mume-ga-ye idasi taru hodo, ito wokasi. Waraha ni te, win-hutagi no wori, takasago utahi si Kimi nari. Miya mo Otodo mo sasi-irahe si tamahi te, koto-kotosikara nu mono kara, wokasiki yo no ohom-asobi nari.
1.4.5  御土器参るに、宮、
 お杯をお勧めになる時に、宮が、
  Ohom-kaharake mawiru ni, Miya,
1.4.6  「 鴬の声にやいとどあくがれむ
 「鴬の声にますます魂が抜け出しそうです
    "Uguhisu no kowe ni ya itodo akugare m
1.4.7   心しめつる花のあたりに
  心を惹かれた花の所では、
    kokoro sime turu hana no atari ni
1.4.8   千代も経ぬべし
 千年も過ごしてしまいそうです」
  Tiyo mo he nu besi."
1.4.9  と聞こえたまへば、
 とお詠み申し上げなさると、
  to kikoye tamahe ba,
1.4.10  「 色も香もうつるばかりにこの春は
 「色艶も香りも移り染まるほどに、今年の春は
    "Iro mo ka mo uturu bakari ni kono haru ha
1.4.11   花咲く宿をかれずもあらなむ
  花の咲くわたしの家を絶えず訪れて下さい
    hana saku yado wo kare zu mo ara nam
1.4.12  頭中将に賜へば、取りて、宰相中将にさす。
 頭中将におさずけになると、受けて、宰相中将に廻す。
  Tou-no-Tyuuzyau ni tamahe ba, tori te, Saisyau-no-Tyuuzyau ni sasu.
1.4.13  「 鴬のねぐらの枝もなびくまで
 「鴬のねぐらの枝もたわむほど
    "Uguhisu no negura no yeda mo nabiku made
1.4.14   なほ吹きとほせ夜半の笛竹
  夜通し笛の音を吹き澄まして下さい
    naho huki-tohose yoha no huetake
1.4.15  宰相中将、
 宰相中将は、
  Saisyau-no-Tyuuzyau,
1.4.16  「 心ありて風の避くめる花の木に
 「気づかって風が避けて吹くらしい梅の花の木に
    "Kokoro ari te kaze no yoku meru hana no ki ni
1.4.17   とりあへぬまで吹きや寄るべき
 むやみに近づいて笛を吹いてよいものでしょうか
    tori-ahe nu made huki ya yoru beki
1.4.18   情けなく
 無風流ですね」
  Nasake naku."
1.4.19  と、皆うち笑ひたまふ。弁少将、
 と言うと、皆お笑いになる。弁少将は、
  to, mina uti warahi tamahu, Ben-no-Seusyau,
1.4.20  「 霞だに月と花とを隔てずは
 「霞でさえ月と花とを隔てなければ
    "Kasumi dani tuki to hana to wo hedate zu ha
1.4.21   ねぐらの鳥もほころびなまし
  ねぐらに帰る鳥も鳴き出すことでしょう
    negura no tori mo hokorobi na masi
1.4.22  まことに、明け方になりてぞ、宮帰りたまふ。御贈り物に、みづからの御料の御直衣の御よそひ一領、手触れたまはぬ薫物二壷添へて、 御車にたてまつらせたまふ。宮、
 ほんとうに、明け方になって、宮はお帰りになる。御贈物に、ご自身の御料の御直衣のご装束一揃い、手をおつけになっていない薫物を二壷添えて、お車までお届けになる。宮は、
  Makoto ni, akegata ni nari te zo, Miya kaheri tamahu. Ohom-okuri-mono ni, midukara no go-reu no ohom-nahosi no ohom-yosohi hito-kudari, te hure tamaha nu taki-mono huta-tubo sohe te, mi-kuruma ni tatematura se tamahu. Miya,
1.4.23  「 花の香をえならぬ袖にうつしもて
 「この花の香りを素晴らしい袖に移して帰ったら
    "Hana no ka wo e nara nu sode ni utusi te mo
1.4.24   ことあやまりと妹やとがめむ
 女と過ちを犯したのではないかと妻が咎めるでしょう
    koto ayamari to imo ya togame m
1.4.25  とあれば、
 と言うので、
  to are ba,
1.4.26  「 いと屈したりや
 「たいそう弱気ですな」
  "Ito kutu-si tari ya!"
1.4.27  と笑ひたまふ。 御車かくるほどに追ひて
 と言ってお笑いになる。お車に牛を繋ぐところに、追いついて、
  to warahi tamahu. Mi-kuruma kakuru hodo ni, ohi te,
1.4.28  「 めづらしと故里人も待ちぞ見む
 「珍しいと家の人も待ち受けて見ましょう
    "Medurasi to hurusato-bito mo mati zo mi m
1.4.29   花の錦を着て帰る君
  この花の錦を着て帰るあなたを
    hana no nisiki wo ki te kaheru Kimi
1.4.30   またなきことと思さるらむ
 めったにないこととお思いになるでしょう」
  Mata naki koto to obosa ru ram."
1.4.31  とあれば、 いといたうからがりたまふ。次々の君達にも、ことことしからぬさまに、細長、小袿などかづけたまふ。
 とおっしゃるので、とてもつらがりなさる。以下の公達にも、大げさにならないようにして、細長、小袿などをお与えになる。
  to are ba, ito itau karagari tamahu. Tugi-tugi no Kimi-tati ni mo, koto-kotosikara nu sama ni, hosonaga, ko-utiki nado kaduke tamahu.
注釈76月さし出でぬれば十日の月。夕刻やや早めに出る。1.4.1
注釈77霞める月の影心にくきを、雨の名残の風すこし吹きて、花の香なつかしきに、御殿のあたり言ひ知らず匂ひ満ちて、人の御心地いと艶あり二月十日の六条院の風情。<BR/>【人の御心地いと艶あり】−語り手の評言。1.4.1
注釈78蔵人所の方にも六条院の蔵人所。摂関家にも置かれた。1.4.2
注釈79内の大殿の頭中将、弁少将なども内大臣の太郎君柏木と二郎君、後の紅梅大納言。1.4.3
注釈80折にあひたる調子『集成』は「春だから双調であろう」と注す。1.4.4
注釈81梅が枝出だしたるほど催馬楽「梅が枝」呂。「梅が枝に 来居る鴬 や 春かけて はれ 春かけて 鳴けどもいまだ や 雪は降りつつ あはれ そこよしや 雪は降りつつ」1.4.4
注釈82童にて韻塞ぎの折高砂謡ひし君なり「賢木」巻(第六章三段)に見える。1.4.4
注釈83鴬の声にやいとどあくがれむ心しめつる花のあたりに蛍宮の和歌。「鴬」は催馬楽「梅が枝」の語句を受け、「しめつる」は薫物の縁で用いたもの。1.4.6
注釈84千代も経ぬべし「いつまでか野辺に心のあくがれむ花し散らずは千代も経ぬべし」(古今集春下、九六、素性法師)1.4.8
注釈85色も香もうつるばかりにこの春は花咲く宿をかれずもあらなむ源氏の唱和歌。「なむ」終助詞、他者に対するあつらえの気持ちを表す。1.4.10
注釈86鴬のねぐらの枝もなびくまでなほ吹きとほせ夜半の笛竹柏木の唱和歌。夕霧の横笛を誉める。1.4.13
注釈87心ありて風の避くめる花の木にとりあへぬまで吹きや寄るべき夕霧の唱和歌。「取りあへぬ」の音に「鳥」(鴬)を響かす。「吹き」に風が吹くと笛を吹くの意を掛ける。「や」(係助詞)「べき」(推量の助動詞)反語表現。1.4.16
注釈88情けなく和歌に添えた言葉。『集成』は「(それでは花が散るではありませんか)思いやりのないことだ、おっしゃると」の意に解す。1.4.18
注釈89霞だに月と花とを隔てずはねぐらの鳥もほころびなまし弁少将の唱和歌。「ほころぶ」は「花」の縁語。1.4.20
注釈90御車にたてまつらせたまふ「せ」(使役の助動詞)「給ふ」(尊敬の補助動詞)。源氏が人をして宮のお車までお届させなさる意。1.4.22
注釈91花の香をえならぬ袖にうつしもてことあやまりと妹やとがめむ蛍宮のお礼の歌。「花の香」は梅花香をさす。「妹」は妻をいう。1.4.23
注釈92いと屈したりや源氏の詞。『集成』は「(奥方を怖れて)ひどく気弱ですね」の意に解す。『新大系』は「大変な恐妻家ですね。ただし兵部卿宮には現在、北の方はいない」と注す。1.4.26
注釈93御車かくるほどにお車の轅を牛に付ける時に、の意。1.4.27
注釈94めづらしと故里人も待ちぞ見む花の錦を着て帰る君源氏の返歌。「故里人」は家にいる妻をさす。『完訳』は「宮邸にいる人の意」と解す。「錦を着て帰る」は『史記』項羽本紀の「富貴にして故郷に帰らざるは、繍を着て夜行くが如し」による。1.4.28
注釈95またなきことと思さるらむ源氏の歌に添えた詞。『集成』は「夫人のない兵部卿の宮を、めったに外泊しない恐妻家に見立ててからかう」と注す。1.4.30
注釈96いといたうからがりたまふ『完訳』は「宮は六条院を讃美したつもりだが、源氏の大仰な表現に屈伏」と解す。1.4.31
出典4 梅が枝 梅が枝に 来居る鴬 や 春かけて はれ 春かけて 鳴けどもいまだ や 雪は降りつつ あはれ そこよしや 雪は降りつつ 催馬楽-梅が枝 1.4.4
出典5 千代も経ぬべし いつまでか野辺に心のあくがれむ花し散らずは千代も経ぬべし 古今集春下-九六 素性法師 1.4.8
校訂7 箏の 箏の--さう(う/+の) 1.4.4
校訂8 いと いと--(/+いと<朱>) 1.4.4
校訂9 追ひて 追ひて--せ(せ/$を)いて 1.4.27
Last updated 9/29/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/29/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 9/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/16/2002
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