31 真木柱(大島本)


MAKIBASIRA


光る源氏の太政大臣時代
三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from October at the age of 37 to November at the age of 38

3
第三章 鬚黒大将家の物語 北の方、子供たちを連れて実家に帰る


3  Tale of Higekuro's  Shikibukyo takes Kitanokata and children back with him

3.1
第一段 式部卿宮、北の方を迎えに来る


3-1  Shikibukyo comes and takes Kitanokata back with him

3.1.1  修法などし騒げど、御もののけこちたくおこりてののしるを聞きたまへば、「 あるまじき疵もつき、恥ぢがましきこと、かならずありなむ」と、恐ろしうて寄りつきたまはず。
 修法などを盛んにしたが、物の怪がうるさく起こってわめいているのをお聞きになると、「あってはならない不名誉なことにもなり、外聞の悪いことが、きっと出てこよう」と、恐ろしくて寄りつきなさらない。
  Syuhohu nado si sawage do, ohom-mononoke kotitaku okori te nonosiru wo kiki tamahe ba, "Aru maziki kizu mo tuki, hadi-gamasiki koto, kanarazu ari na m." to, osorosiu te yori-tuki tamaha zu.
3.1.2   殿に渡りたまふ時も、 異方に離れゐたまひて、君達ばかりをぞ 呼び放ちて見たてまつりたまふ。 女一所、十二、三ばかりにて、また 次々、男二人なむおはしける。近き年ごろとなりては、 御仲も隔たりがちにてならはしたまへれど、やむごとなう、立ち並ぶ方なくてならひたまへれば、「 今は限り」と見たまふに、さぶらふ人びとも、「いみじう悲し」と思ふ。
 邸にお帰りになる時も、別の部屋に離れていらして、子どもたちだけを呼び出してお会い申しなさる。女の子が一人、十二、三歳ほどで、またその下に、男の子が二人いらっしゃるのであった。最近になって、ご夫婦仲も離れがちでいらっしゃるが、れっきとした方として、肩を並べる人もなくて暮らして来られたので、「いよいよ最後だ」とお考えになると、お仕えしている女房たちも「ひどく悲しい」と思う。
  Tono ni watari tamahu toki mo, koto-kata ni hanare wi tamahi te, kimi-tati bakari wo zo yobi-hanati te mi tatematuri tamahu. Womna hito-tokoro, zihu-ni, sam bakari ni te, mata tugi-tugi, wotoko hutari nam ohasi keru. Tikaki tosi-goro to nari te ha, ohom-naka mo hedatari-gati ni te narahasi tamahe re do, yamgotonau, tati-narabu kata naku te narahi tamahe re ba, "Ima ha kagiri" to mi tamahu ni, saburahu hito-bito mo, "Imiziu kanasi" to omohu.
3.1.3   父宮、聞きたまひて
 父宮が、お聞きになって、
  Titi-Miya kiki tamahi te,
3.1.4  「 今はしかかけ離れて、もて出でたまふらむに、さて、心強くものしたまふ、いと面なう人笑へなることなり。おのがあらむ世の限りは、ひたぶるにしも、などか従ひくづほれたまはむ」
 「今は、あのように別居して、はっきりした態度をとっておいでだというのに、それにしても、辛抱していらっしゃる、たいそう不面目な物笑いなことだ。自分が生きている間は、そう一途に、どうして相手の言いなりに従っていらっしゃることがあろうか」
  "Ima ha, sika kake hanare te, mote-ide tamahu ram ni, sate, kokoro-duyoku monosi tamahu, ito omo-nau hito-warahe naru koto nari. Onoga ara m yo no kagiri ha, hitaburu ni simo, nado ka sitagahi kuduhore tamaha m?"
3.1.5  と聞こえたまひて、にはかに御迎へあり。
 と申し上げなさって、急にお迎えがある。
  to kikoye tamahi te, nihaka ni ohom-mukahe ari.
3.1.6  北の方、御心地すこし例になりて、世の中をあさましう思ひ嘆きたまふに、かくと聞こえたまへれば、
 北の方は、ご気分が少し平常になって、夫婦仲を情けなく思い嘆いていらっしゃると、このようにお申し上げになっているので、
  Kitanokata, mi-kokoti sukosi rei ni nari te, yononaka wo asamasiu omohi nageki tamahu ni, kaku to kikoye tamahe re ba,
3.1.7  「 しひて立ちとまりて人の絶え果てむさまを見果てて、思ひとぢめむも、今すこし人笑へにこそあらめ」
 「無理して立ち止まって、すっかり見捨てられるのを見届けて、諦めをつけるのも、さらに物笑いになるだろう」
  "Sihite tati-tomari te, hito no taye-hate m sama wo mi-hate te, omohi-todime m mo, ima-sukosi hito-warahe ni koso ara me."
3.1.8  など思し立つ。
 などと、ご決心なさる。
  nado obosi-tatu.
3.1.9  御兄弟の君達、 兵衛督は、 上達部におはすれば、ことことしとて、 中将、侍従、民部大輔など、御車三つばかりしておはしたり。「 さこそは あべかめれ」と、かねて思ひつることなれど、さしあたりて今日を限りと思へば、さぶらふ人びとも、ほろほろと泣きあへり。
 ご兄弟の公達、兵衛督は、上達部でいらっしゃるので、仰々しいというので、中将、侍従、民部大輔など、お車三台程でいらっしゃった。「きっとそうなるだろう」と、以前から思っていたことであるが、目の前に、今日がその終わりと思うと、仕えている女房たちも、ぽろぽろと涙をこぼし泣き合っていた。
  Ohom-seuto no kimi-tati, Hyauwe-no-kami ha, kamdatime ni ohasure ba, koto-kotosi tote, Tyuuzyau, Zizyuu, Minbu-no-Taihu nado, mi-kuruma mi-tu bakari si te ohasi tari. "Sa koso a' beka' mere." to, kanete omohi turu koto nare do, sasi-atari te kehu wo kagiri to omohe ba, saburahu hito-bito mo, horo-horo to naki-ahe ri.
3.1.10  「 年ごろならひたまはぬ 旅住みに、狭くはしたなくては、いかでかあまたはさぶらはむ。 かたへは、おのおの里にまかでて、 しづまらせたまひなむに
 「長年ご経験のないよそでのお住まいで、手狭で気の置ける所では、どうして大勢の女房が仕えられようか。何人かは、それぞれ実家に下がって、落ち着きになられてから」
  "Tosi-goro narahi tamaha nu tabi-zumi ni, sebaku hasitanaku te ha, ikade ka amata ha saburaha m. Katahe ha, ono-ono sato ni makade te, sidumara se tamahi na m ni."
3.1.11  など定めて、人びとおのがじし、 はかなきものどもなど、里に運びやりつつ、 乱れ散るべし。御調度どもは、さるべきは皆したため置きなどするままに、上下泣き騒ぎたるは、いとゆゆしく見ゆ。
 などと決めて、女房たちはそれぞれ、ちょっとした荷物など、実家に運び出したりして、散り散りになるのであろう。お道具類は、必要な物は皆荷作りなどしながら、上の者や下の者が泣き騒いでいるのは、たいそう不吉に見える。
  nado sadame te, hito-bito onogazisi, hakanaki mono-domo nado, sato ni hakobi-yari tutu, midare tiru besi. Mi-teudo-domo ha, saru-beki ha mina sitatame-oki nado suru mama ni, kami-simo naki-sawagi taru ha, ito yuyusiku miyu.
注釈208あるまじき疵もつき以下「ありなむ」まで、鬚黒の心。3.1.1
注釈209殿に渡りたまふ鬚黒の自邸。3.1.2
注釈210異方に離れゐたまひて北の方の部屋から離れていらして。3.1.2
注釈211呼び放ちて子供たちを北の方のもとから引き離して鬚黒のもとに呼び寄せて。3.1.2
注釈212女一所十二三ばかりにて鬚黒と北の方の子供の紹介文。女子は一人、真木柱の姫君という。年齢十二、三歳は成人式を迎え結婚適齢期にさしかかった女性である。3.1.2
注釈213次々男二人なむおはしける弟君が二人が続いていらっしゃるのであった。3.1.2
注釈214御仲も隔たりがちにて鬚黒と北の方の夫婦仲が疎遠がちである。3.1.2
注釈215今は限りと見たまふに北の方が結婚生活もいよいよ最後だとお思いになると。3.1.2
注釈216父宮聞きたまひて北の方の父式部卿宮が鬚黒夫婦のことを。3.1.3
注釈217今は以下「くづほれたまはむ」まで、式部卿宮の詞。3.1.4
注釈218しか鬚黒が玉鬘に熱中して入りびたっている生活態度をさす。3.1.4
注釈219しひて立ちとまりて以下「こそあらめ」まで、北の方の心。3.1.7
注釈220人の夫鬚黒が。3.1.7
注釈221兵衛督「藤袴」巻(第三章二段)に初出。3.1.9
注釈222上達部におはすれば兵衛督は従四位下相当官であるが、従三位に叙されていたものか。3.1.9
注釈223中将従四位下相当官。3.1.9
注釈224さこそはあべかめれ女房たちの予測。「さ」は北の方が父式部卿宮に引き取られることをさす。3.1.9
注釈225年ごろならひたまはぬ以下「たまひなむに」まで女房たちの詞。「たまはぬ」は北の方に対する敬語。3.1.10
注釈226旅住みこれから始まる式部卿宮家での慣れない生活をいう。3.1.10
注釈227かたへは女房の半分の人は。3.1.10
注釈228しづまらせたまひなむに「せ」(尊敬の助動詞)「給」(尊敬の補助動詞)「な」(完了の助動詞、確述)「む」(推量の助動詞)。女房の会話どうしでも二重敬語を使う。3.1.10
注釈229はかなきものどもなど女房のそれぞれの持物や荷物などをさす。3.1.11
注釈230乱れ散るべし語り手の推量。3.1.11
校訂19 あべかめれ」と あべかめれ」と--あへる(る/$か<朱>)めれと(と/&と) 3.1.9
3.2
第二段 母君、子供たちを諭す


3-2  Kitanokata persuades her cildren to leave with her

3.2.1  君達は、何心もなくてありきたまふを、母君、皆呼び据ゑたまひて、
 お子様たちは、無心に歩き回っていられるのを、母君、皆を呼んで座らせなさって、
  Kimi-tati ha, nani-gokoro mo naku te ariki tamahu wo, Haha-Gimi, mina yobi suwe tamahi te,
3.2.2  「 みづからは、かく心憂き宿世、今は見果てつれば、この世に跡とむべきにもあらず、ともかくもさすらへなむ。 生ひ先遠うて、さすがに、散りぼひたまはむありさまどもの、悲しうもあべいかな。
 「わたしは、このようにつらい運命を、今は見届けてしまったので、この世に生き続ける気もありません。どうなりとなって行くことでしょう。将来があるのに、何といっても、散り散りになって行かれる様子が、悲しいことです。
  "Midukara ha, kaku kokoro-uki sukuse, ima ha mi-hate ture ba, konoyo ni ato tomu beki ni mo ara zu, tomo-kakumo sasurahe na m. Ohi-saki tohou te, sasuga ni, tiribohi tamaha m arisama-domo no, kanasiu mo abei kana!
3.2.3   姫君は、となるともかうなるとも、おのれに添ひたまへ。なかなか、 男君たちは、えさらず参うで通ひ見えたてまつらむに、 人の心とどめたまふべくもあらず、はしたなうてこそただよはめ。
 姫君は、どうなるにせよ、わたしについていらっしゃい。かえって、男の子たちは、どうしてもお父様のもとに参上してお会いしなければならないでしょうが、構ってもくださらないでしょうし、どっちつかずの頼りない生活になるでしょう。
  Hime-Gimi ha, to naru to mo kau naru to mo, onore ni sohi tamahe. Naka-naka, Wotoko-Gimi-tati ha, e sara zu maude-kayohi miye tatematura m ni, hito no kokoro todome tamahu beku mo ara zu, hasitanau te koso tadayoha me.
3.2.4   宮のおはせむほど、形のやうに交じらひをすとも、 かの大臣たちの御心にかかれる世にて、かく 心おくべきわたりぞと、さすがに知られて、人にもなり立たむこと難し。さりとて、 山林に引き続きまじらむこと、後の世までいみじきこと」
 父宮が生きていらっしゃるうちは、型通りに宮仕えはしても、あの大臣たちのお心のままの世の中ですから、あの気を許せない一族の者よと、やはり目をつけられて、立身することも難しい。それだからといって、山林に続いて入って出家することも、来世まで大変なこと」
  Miya no ohase m hodo, kata no yau ni mazirahi wo su to mo, kano Otodo-tati no mi-kokoro ni kakare ru yo ni te, kaku kokoro-oku beki watari zo to, sasuga ni sirare te, hito ni mo nari tata m koto katasi. Saritote, yama hayasi ni hiki-tuduki mazira m koto, noti-no-yo made imiziki koto."
3.2.5  と泣きたまふに、皆、深き心は思ひ分かねど、うちひそみて泣きおはさうず。
 とお泣きになると、皆、深い事情は分からないが、べそをかいて泣いていらっしゃる。
  to naki tamahu ni, mina, hukaki kokoro ha omohi-waka ne do, uti-hisomi te naki ohasauzu.
3.2.6  「 昔物語などを見るにも、世の常の心ざし深き親だに、時に移ろひ、 人に従へば、おろかにのみこそなりけれ。まして、形のやうにて、見る前にだに名残なき心は、かかりどころありてももてないたまはじ」
 「昔物語などを見ても、世間並の愛情深い親でさえ、時勢に流され、人の言うままになって、冷たくなって行くものです。まして、形だけの親のようで、見ている前でさえすっかり変わってしまったお心では、頼りになるようなお扱いをなさるまい」
  "Mukasi-monogatari nado wo miru ni mo, yo no tune no kokorozasi hukaki oya dani, toki ni uturohi, hito ni sitagahe ba, oroka ni nomi koso nari kere. Masite, kata no yau ni te, miru mahe ni dani nagori naki kokoro ha, kakari-dokoro ari te mo motenai tamaha zi."
3.2.7  と、 御乳母どもさし集ひて、のたまひ嘆く
 と、乳母たちも集まって、おっしゃり嘆く。
  to, ohom-menoto-domo sasi-tudohi te, notamahi nageku.
注釈231みづからはかく以下「いみじきこと」まで、北の方の子供たちへの詞。3.2.2
注釈232生ひ先遠うて子供たちのことをいう。3.2.2
注釈233姫君は北の方は女の子は自分と一緒に生活させようと考える。3.2.3
注釈234男君たちは北の方は男子はどうしても政治の世界で父親と一緒に暮らして行かねばならないと考えている。3.2.3
注釈235人の父親の鬚黒が。3.2.3
注釈236宮の祖父の式部卿宮。3.2.4
注釈237かの大臣たちの御心にかかれる世にてあの太政大臣の源氏や内大臣たちのお心のままの世の中だから。3.2.4
注釈238心おくべきわたり源氏方から見れば、気を許せない所の者だ。3.2.4
注釈239山林に引き続きまじらむこと自分が出家遁世し、息子たちも後を追って出家し山林に姿をくらますこと。3.2.4
注釈240昔物語などを以下「もてないたまはじ」まで、北の方の詞。『住吉物語』『落窪物語』などの父親が後妻と結婚生活を続けるうちにやがて先妻の子供は父親の愛情も薄れてゆき、さらには継母からも苛められていくような話を想定する。3.2.6
注釈241人に従へば具体的には後妻をさすが、一般論として読める。3.2.6
注釈242御乳母どもさし集ひてのたまひ嘆く子供たちの乳母も北の方と一緒になっておっしゃり嘆く。敬語があるので、北の方を中心にした表現。3.2.7
3.3
第三段 姫君、柱の隙間に和歌を残す


3-3  Makibashira left a waka in the crevice of a pillar

3.3.1   日も暮れ、雪降りぬべき空のけしきも、心細う見ゆる夕べなり。
 日も暮れ、雪も降って来そうな空模様も、心細く見える夕方である。
  Hi mo kure, yuki huri nu beki sora no kesiki mo, kokoro-bosou miyuru yuhube nari.
3.3.2  「 いたう荒れはべりなむ。早う
 「ひどく荒れて来ましょう。お早く」
  "itau are haberi na m. Hayau."
3.3.3  と、御迎への君達そそのかしきこえて、御目 おし拭ひつつ眺めおはす姫君は、殿いとかなしうしたてまつりたまふならひに
 と、お迎えの公達はお促し申し上げるが、お目を拭いながら物思いに沈んでいらっしゃる。姫君は、殿がたいそうかわいがって、懐いていらっしゃっるので、
  to, ohom-mukahe no Kim-dati sosonokasi kikoye te, ohom-me osi-nogohi tutu nagame ohasu. Hime-Gimi ha, Tono no ito kanasiu si tatematuri tamahu narahi ni,
3.3.4  「 見たてまつらではいかでかあらむ。『今』なども聞こえで、また会ひ見ぬやうもこそあれ」
 「お目にかからないではどうして行けようか。『これで』などと挨拶しないで、再び会えないことになるかもしれない」
  "Mi tatematura de ha ikade ka ara m? "Ima." nado mo kikoye de, mata ahi mi nu yau mo koso are."
3.3.5  と思ほすに、うつぶし伏して、「え渡るまじ」と思ほしたるを、
 とお思いになると、突っ伏して、「とても出かけられない」とお思いでいるのを、
  to omohosu ni, utubusi husi te, "E wataru mazi." to omohosi taru wo,
3.3.6  「 かく思したるなむ、いと心憂き
 「そのようなお考えでいらっしゃるとは、とても情けない」
  "Kaku obosi taru nam, ito kokoro-uki."
3.3.7  など、こしらへきこえたまふ。「 ただ今も渡りたまはなむ」と、待ちきこえたまへど、 かく暮れなむにまさに動きたまひなむや
 などと、おなだめ申し上げなさる。「今すぐにも、お父様がお帰りになってほしい」とお待ち申し上げなさるが、このように日が暮れようとする時、あちらをお動きなさろうか。
  nado, kosirahe kikoye tamahu. "Tada ima mo watari tamaha nam." to, mati kikoye tamahe do, kaku kure na m ni, masa ni ugoki tamahi na m ya!
3.3.8  常に寄りゐたまふ東面の柱を、人に譲る心地したまふもあはれにて、姫君、 桧皮色の紙の重ね、ただいささかに書きて、柱の干割れたるはさまに、笄の先して押し入れたまふ。
 いつも寄りかかっていらっしゃる東面の柱を、他人に譲る気がなさるのも悲しくて、姫君、桧皮色の紙を重ねたのに、ほんのちょっと書いて、柱のひび割れた隙間に、笄の先でお差し込みなさる。
  Tune ni yori-wi tamahu himgasi-omote no hasira wo, hito ni yuduru kokoti si tamahu mo ahare ni te, Hime-Gimi hihada-iro no kami no kasane, tada isasaka ni kaki te, hasira no hi-ware taru hasama ni, kaugai no saki site osi-ire tamahu.
3.3.9  「 今はとて宿かれぬとも馴れ来つる
 「今はもうこの家を離れて行きますが、わたしが馴れ親しんだ
    "Ima ha tote yado kare nu to mo nare ki turu
3.3.10   真木の柱はわれを忘るな
  真木の柱はわたしを忘れないでね
    maki no hasira ha ware wo wasuru na
3.3.11  えも書きやらで泣きたまふ。母君、「いでや」とて、
 最後まで書き終わることもできずお泣きになる。母君、「いえ、なんの」と言って、
  E mo kaki-yara de naki tamahu. Haha-Gimi, "Ide ya?" tote,
3.3.12  「 馴れきとは思ひ出づとも何により
 「長年馴れ親しんで来た真木柱だと思い出しても
    "Nare ki to ha omohi-idu to mo nani ni yori
3.3.13   立ちとまるべき真木の柱ぞ
  どうしてここに止まっていられましょうか
    tati-tomaru beki maki no hasira zo
3.3.14  御前なる人びとも、さまざまに悲しく、「さしも思はぬ木草のもとさへ恋しからむこと」と、目とどめて、鼻すすりあへり。
 お側に仕える女房たちも、それぞれに悲しく、「それほどまで思わなかった木や草のことまで、恋しいことでしょう」と、目を止めて、鼻水をすすり合っていた。
  O-mahe naru hito-bito mo, sama-zama ni kanasiku, "Sasimo omoha nu ki-kusa no moto sahe kohisikara m koto." to, me todome te, hana susuri-ahe ri.
3.3.15  木工の君は、殿の御方の人にてとどまるに、中将の御許、
 木工の君は、殿の女房として留まるので、中将の御許は、
  Moku-no-Kimi ha, Tono no ohom-kata no hito nite todomaru ni, Tyuuzyau-no-Omoto,
3.3.16  「 浅けれど石間の水は澄み果てて
 「浅い関係のあなたが残って、邸を守るはずの北の方様が
    "Asakere do isi-ma no midu ha sumi-hate te
3.3.17   宿もる君やかけ離るべき
  出て行かれることがあってよいものでしょうか
    yado moru Kimi ya kake hanaru beki
3.3.18   思ひかけざりしことなり。かくて別れたてまつらむことよ
 思いもしなかったことです。こうしてお別れ申すとは」
  Omohi-kake zari si koto nari. Kaku te wakare tatematura m koto yo!"
3.3.19  と言へば、木工、
 と言うと、木工の君は、
  to ihe ba, Moku,
3.3.20  「 ともかくも岩間の水の結ぼほれ
 「どのように言われても、わたしの心は悲しみに閉ざされて
    "Tomo-kakumo iha-ma no midu no musubohore
3.3.21   かけとむべくも思ほえぬ世を
  いつまでここに居られますことやら
    kake-tomu beku mo omohoye nu yo wo
3.3.22  いでや」
 いや、そのような」
  Ide ya?"
3.3.23  とてうち泣く。
 と言って泣く。
  tote uti-naku.
3.3.24  御車引き出でて返り見るも、「 またはいかでかは見む」と、 はかなき心地す梢をも目とどめて、隠るるまでぞ返り見たまひける 君が住むゆゑにはあらで、ここら年経たまへる御住みかの、 いかでか偲びどころなくはあらむ
 お車を引き出して振り返って見るのも、「再び見ることができようか」と、心細い気がする。梢にも目を止めて、見えなくなるまで振り返って御覧になるのであった。君が住んでいるからではなく、長年お住まいになった所が、どうして名残惜しくないことがあろうか。
  Mi-kuruma hiki-ide te kaheri-miru mo, "Mata ha ikade ka ha mi m?" to, hakanaki kokoti su. Kozuwe wo mo me todome te, kakururu made zo kaheri-mi tamahi keru. Kimi ga sumu yuwe ni ha ara de, kokora tosi he tamahe ru ohom-sumika no, ikadeka sinobi dokoro naku ha ara m?
注釈243日も暮れ雪降りぬべき空のけしきも冬の雪の日の別れの場面。「薄雲」巻には大堰山荘を舞台にして明石の母子の別れの場面が語られていた。物語の季節と主題との類同的発想の一つである。3.3.1
注釈244いたう荒れはべりなむ早う迎えの君達の詞。「な」(完了の助動詞、確述)「む」(推量の助動詞)、〜してしまいましょう、の意。3.3.2
注釈245おし拭ひつつ眺めおはす迎えの君達の動作。3.3.3
注釈246姫君は殿いとかなしうしたてまつりたまふならひに姫君は殿がふだんからとてもおかわいがり申し上げなさっていたのでの意。3.3.3
注釈247見たてまつらでは以下「こそあれ」まで、姫君の心。3.3.4
注釈248かく思したるなむいと心憂き北の方の姫君への詞。3.3.6
注釈249ただ今も渡りたまはなむ姫君の心。「なむ」は願望の意の終助詞。今すぐにでも父が帰ってきてほしいの意。3.3.7
注釈250かく暮れなむに「な」(完了の助動詞、確述)「む」(推量の助動詞)。このように今にも日が暮れようとしている時に、の意。以下、語り手の評言。『孟津抄』は「推量也」と指摘する。『集成』も「草子地」と指摘、『完訳』は「語り手の推測。父の恋狂いなど思わぬ娘の純真さを暗示」と指摘する。3.3.7
注釈251まさに動きたまひなむや反語表現。これから夜になっていこうとする時、鬚黒が玉鬘のもとから帰って来ようか、そんなことはまずあるまいという。3.3.7
注釈252今はとて宿かれぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな姫君の歌。「真木」は歌語。『大系』『評釈』『全集』『完訳』は「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」(拾遺集雑春、一〇〇六、菅原道真)を引歌として指摘する。この和歌が姫君の呼称となり、さらに巻名となる。3.3.9
注釈253馴れきとは思ひ出づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ北の方の返歌。3.3.12
注釈254浅けれど石間の水は澄み果てて宿もる君やかけ離るべき中将の御許から木工の君への贈歌。「石間の水」に木工の君をたとえる。「宿守る君」は北の方をさす。「すみ」に「住み」と「澄み」を掛け、「かけ」に「かけ離る」と水に映る「影」とを響かせる。「や〜べき」反語表現。〜することがあっていいものでだろうか、おかしなことだ。3.3.16
注釈255思ひかけざりしことなりかくて別れたてまつらむことよ中将の御許の歌に続く詞。木工の君と別れることをいう。3.3.18
注釈256ともかくも岩間の水の結ぼほれかけとむべくも思ほえぬ世を木工の君の返歌。「言はま」に「岩間」を掛ける。「結ぼほれ」は、水の流れが滞る意と思いが鬱屈する意とこめる。「かけ」は「かけ留む」と「影留む」を響かす。3.3.20
注釈257またはいかでかは見む中将の御許の木工の君に二度と会えまいという思い。3.3.24
注釈258はかなき心地す中将の御許の気持ち。3.3.24
注釈259梢をも目とどめて隠るるまでぞ返り見たまひける『源氏釈』は「君が住む宿の梢を行くゆくと隠るるまでに返り見しはや」(拾遺集別、三五一 、菅原道真)を引歌として指摘。現行の注釈書でも指摘する。3.3.24
注釈260君が住むゆゑにはあらで前掲「拾遺集」歌の語句を引く。ここでは夫の鬚黒をさす。3.3.24
注釈261いかでか偲びどころなくはあらむ語り手の感情移入のこもった表現。3.3.24
出典2 梢をも目とどめ 君が住む宿の梢の行く行くと隠るるまでに顧みしはや 拾遺集別-三五一 菅原道真 3.3.24
校訂20 桧皮色 桧皮色--ひは(は/$<朱>)わた色 3.3.8
3.4
第四段 式部卿宮家の悲憤慷慨


3-4  Shikibukyo and his wife are indignant with a behavior of Higekuro

3.4.1  宮には待ち取り、いみじう思したり。母北の方、泣き騷ぎたまひて、
 宮邸では待ち受けて、たいそうお悲しみである。母の北の方、泣き騷ぎなさって、
  Miya ni ha mati-tori, imiziu obosi tari. Haha-Kitanokata, naki-sawagi tamahi te,
3.4.2  「 太政大臣を、めでたきよすがと 思ひきこえたまへれど 、いかばかりの昔の仇敵にかおはしけむとこそ思ほゆれ。
 「太政大臣を、結構なご親戚とお思い申し上げていらっしゃるが、どれほどの昔からの仇敵でいらっしゃったのだろうと思われます。
  "Ohoki-Otodo wo, medetaki yosuga to omohi kikoye tamahe re do, ika-bakari no mukasi no ata-kataki ni ka ohasi kem to koso omohoyure.
3.4.3   女御をも、ことに触れ、はしたなくもてなしたまひしかど、それは、 御仲の恨み解けざりしほど、思ひ知れとにこそはありけめと思しのたまひ、世の人も言ひなししだに、なほ、さやはあるべき。
 女御にも、何かにつけて、冷淡なお仕打ちをなさったが、それは、お二人の間の恨み事が解けなかったころ、思い知れということであったであろうと、思ったりおっしゃったりもし、世間の人もそう言っていたのでさえ、やはり、そあってよいことでしょうか。
  Nyougo wo mo, koto ni hure, hasitanaku motenasi tamahi sika do, sore ha, ohom-naka no urami toke zari si hodo, omohi sire to ni koso ha ari keme to obosi notamahi, yo no hito mo ihi-nasi si dani, naho, sa ya ha aru beki.
3.4.4   人一人を思ひかしづきたまはむゆゑは、ほとりまでもにほふ例こそあれど、心得ざりしを、まして、かく 末に、すずろなる継子かしづきをしておのれ古したまへるいとほしみに実法なる人ゆるぎどころあるまじきをとて、取り寄せもてかしづきたまふは、いかがつらからぬ」
 一人を大切になさるのであれば、その周辺までもお蔭を蒙るという例はあるものだと、納得行きませんでしたが、まして、このような晩年になって、わけの分からない継子の世話をして、自分が飽きたのを気の毒に思って、律儀者で浮気しそうのない人をと思って、婿に迎えて大切になさるのは、どうして辛くないことでしょうか」
  Hito-hitori wo omohi kasiduki tamaha m yuwe ha, hotori made nihohu tamesi koso are do, kokoro-e zari si wo, masite, kaku suwe ni, suzuro naru mamako-kasiduki wo si te, onore hurusi tamahe ru itohosimi ni, zihohu naru hito no yurugi dokoro aru maziki wo tote, tori-yose te mote-kasiduki tamahu ha, ikaga turakara nu?"
3.4.5  と、言ひ続けののしりたまへば、宮は、
 と、大声で言い続けなさるので、宮は、
  to, ihi-tuduke nonosiri tamahe ba, Miya ha,
3.4.6  「 あな、聞きにくや。世に難つけられたまはぬ大臣を、口にまかせてなおとしめたまひそ。かしこき人は、思ひおき、かかる報いもがなと、思ふことこそはものせられけめ。さ思はるるわが身の不幸なるにこそはあらめ。
 「ああ、聞き苦しい。世間から非難されることのおありでない大臣を、口から出任せに悪くおっしゃるものではありませんよ。賢明な方は、かねてから考えていて、このような報復をしようと、思うことがおありだったのだろう。そのように思われるわが身の不幸なのだろう。
  "Ana, kiki niku ya! Yo ni nan tuke rare tamaha nu Otodo wo, kuti ni makase te na otosime tamahi so. Kasikoki hito ha, omohi-oki, kakaru mukuyi mo gana to, omohu koto koso ha monose rare keme. Sa omoha ruru waga-mi no hukau naru ni koso ha ara me.
3.4.7  つれなうて、 皆かの沈みたまひし世の報いは、浮かべ沈め、いとかしこくこそは思ひわたいたまふめれ。おのれ一人をば、さるべきゆかりと思ひてこそは、 一年も、さる世の響きに、家よりあまることどももありしか。それをこの生の面目にてやみぬべきなめり」
 なにげないふうで、すべてあの苦しみなさった報復は、引き上げたり落としたり、たいそう賢く考えていらっしゃるようだ。わたし一人は、しかるべき親戚だと思って、先年も、あのような世間の評判になるほどに、わが家には過ぎたお祝賀があった。そのことを生涯の名誉と思って、満足すべきなのだろう」
  Turenau te, mina kano sidumi tamahi si yo no mukuyi ha, ukabe sidume, ito kasikoku koso ha omohi watai tamahu mere. Onore hitori wo ba, saru-beki yukari to omohi te koso ha, hitotose mo, saru yo no hibiki ni, ihe yori amaru koto-domo mo ari sika. Sore wo kono syau no meiboku ni te yami nu beki na' meri."
3.4.8  とのたまふに、いよいよ腹立ちて、まがまがしきことなどを言ひ散らしたまふ。 この大北の方ぞ、さがな者なりける
 とおっしゃると、ますます腹が立って、不吉な言葉を言い散らしなさる。この大北の方は、性悪な人だったのである。
  to notamahu ni, iyo-iyo hara-dati te, maga-magasiki koto nado wo ihi-tirasi tamahu. Kono Oho-Kitanokata zo, sagana mono nari keru.
3.4.9   大将の君かく渡りたまひにけるを聞きて、
 大将の君は、このようにお移りになってしまったことを聞いて、
  Daisyau-no-Kimi, kaku watari tamahi ni keru wo kiki te,
3.4.10  「 いとあやしう、若々しき仲らひのやうに、ふすべ顔にてものしたまひけるかな。正身は、しかひききりに際々しき心もなきものを、宮のかく軽々しうおはする」
 「まことに妙な、年若い夫婦のように、やきもちを焼いたようなことをなさったものだなあ。ご本人には、そのようなせっかちできっぱりした性分もないのに、宮があのように軽率でいらっしゃる」
  "Ito ayasiu, waka-wakasiki nakarahi no yau ni, husube-gaho ni te monosi tamahi keru kana! Syauzimi ha, sika hikikiri ni kiha-gihasiki kokoro mo naki mono wo, Miya no kaku karu-garusiu ohasuru."
3.4.11  と思ひて、君達もあり、人目もいとほしきに、思ひ乱れて、 尚侍の君に
 と思って、御子息もあり、世間体も悪いので、いろいろと思案に困って、尚侍の君に、
  to omohi te, Kim-dati mo ari, hito-me mo itohosiki ni, omohi-midare te, Kam-no-Kimi ni,
3.4.12  「 かくあやしきことなむはべる。 なかなか心やすくは思ひたまへなせどさて片隅に隠ろへてもありぬべき人の心やすさを、おだしう思ひたまへつるに、にはかにかの宮ものしたまふならむ。 人の聞き見ることも情けなきを、うちほのめきて、参り来なむ」
 「こんな妙なことがございましたようです。かえって気楽に存じられますが、そのまま邸の片隅に引っ込んでいてもよい気楽な人と、安心しておりましたのに、急にあの宮がなさったのでしょう。世間が見たり聞いたりことも薄情なので、ちょっと顔を出して、すぐに戻ってまいりましょう」
  "Kaku ayasiki koto nam haberu. Naka-naka kokoro-yasuku ha omohi tamahe nase do, sate katasumi ni kakurohe te mo ari nu beki hito no kokoro-yasusa wo, odasiu omohi tamahe turu ni, nihaka ni kano Miya monosi tamahu nara m. Hito no kiki miru koto mo nasake naki wo, uti-honomeki te, mawiri ki na m."
3.4.13  とて出でたまふ。
 と言って、お出になる。
  tote ide tamahu.
3.4.14  よき上の御衣、柳の下襲、青鈍の綺の指貫着たまひて、引きつくろひたまへる、 いとものものし。「 などかは似げなからむ」と、人びとは見たてまつるを、尚侍の君は、 かかることどもを聞きたまふにつけても、身の心づきなう思し知らるれば、見もやりたまはず。
 立派な袍のお召物に、柳の下襲、青鈍色の綺の指貫をお召しになって、身なりを整えていらっしゃる、まことに堂々としている。「どうして不似合いなところがあろうか」と、女房たちは拝見するが、尚侍の君は、このようなことをお聞きになるにつけても、わが身が情けなく思わずにはいらっしゃれないので、見向きもなさらない。
  Yoki uhe no ohom-zo, yanagi no sita-gasane, awonibi no ki no sasinuki ki tamahi te, hiki-tukurohi tamahe ru, ito mono-monosi. "Nado ka ha nigenakara m." to, hito-bito ha mi tatematuru wo, Kam-no-Kimi ha, kakaru koto-domo wo kiki tamahu ni tuke te mo, mi no kokoroduki nau obosi sira rure ba, mi mo yari tamaha zu.
注釈262太政大臣を以下「いかがつらからぬ」まで、大北の方の詞。3.4.2
注釈263思ひきこえたまへれどあなたはお思い申し上げていらっしゃいますが、の意。大北の方の夫式部卿宮への皮肉。3.4.2
注釈264女御をもことに触れ大北の方の姫君、王女御をさす。「澪標」巻に初出。入内して女御となるが、源氏方の養女として入内した前斎宮が「少女」巻で中宮に立ち、立后が叶わなかった。3.4.3
注釈265御仲の恨み源氏の須磨流謫前後に式部卿宮が源氏に対して冷淡な態度をとったことへの恨み。3.4.3
注釈266人一人を思ひかしづきたまはむゆゑはほとりまでも源氏が紫の上を大事にするからには、その親類縁者までも厚遇してよい、の意。3.4.4
注釈267末にすずろなる継子かしづきをして源氏が晩年の今頃になってから玉鬘の世話をして、の意。3.4.4
注釈268おのれ古したまへるいとほしみに「古し」「いとをしみ」は、自分が玉鬘を愛人として長い間付き合ってきたのに飽きて、そのことを気の毒に思っての意。大北の方は、源氏と玉鬘の関係をこのように理解している。3.4.4
注釈269実法なる人鬚黒をさす。3.4.4
注釈270あな聞きにくや以下「やみぬべきなめり」まで、式部卿宮の詞。3.4.6
注釈271皆かの沈みたまひし世の報いは源氏の須磨退去の不遇当時に疎遠にしたことをさす。3.4.7
注釈272一年もさる世の響きに家よりあまることどももありしか式部卿宮の五十賀を新築の六条院で祝ってくれたことをいう。「少女」巻(第七章三段)に見える。3.4.7
注釈273この大北の方ぞさがな者なりける語り手の大北の方に対する人物批評。『孟津抄』は「草子地」と指摘。『集成』も「草子地」と指摘。『完訳』は「語り手の評言。継子物語の性悪の継母像として語り収める」と指摘する。3.4.8
注釈274大将の君場面は六条院の玉鬘のもとに変わる。3.4.9
注釈275かく渡りたまひにける北の方が実家に移ってしまったこと。3.4.9
注釈276いとあやしう以下「おはする」まで鬚黒の心。3.4.10
注釈277尚侍の君に玉鬘。3.4.11
注釈278かくあやしきことなむ以下「参り来なむ」まで、鬚黒の玉鬘への詞。3.4.12
注釈279なかなか心やすくは思ひたまへなせど北の方が実家に帰ってくれて、かえって気が楽になったとは思ってみるが。「たまへ」は鬚黒が自分自身「思う」謙譲表現である。3.4.12
注釈280さて片隅にそのまま北の方が鬚黒の邸にいて。3.4.12
注釈281人の聞き見ることも世間の人が鬚黒の態度を聞いたり見たりすることも。3.4.12
注釈282いとものものし女房の目と一体化した語り手の評言。3.4.14
注釈283などかは似げなからむ反語表現。鬚黒の堂々とした姿と玉鬘の美しさが似つかわしい。3.4.14
注釈284かかることども鬚黒の話。主として北の方や式部卿宮のことをさす。3.4.14
校訂21 たまへれど たまへれど--給つ(つ/$へ<朱>)れと 3.4.2
校訂22 ゆるぎ ゆるぎ--*ゆき 3.4.4
3.5
第五段 鬚黒、式部卿宮家を訪問


3-5  Higekuro visits to Shikibukyo

3.5.1   宮に恨み聞こえむとて、参うでたまふままに、まづ、殿におはしたれば、木工の君など出で来て、ありしさま語りきこゆ。姫君の御ありさま聞きたまひて、男々しく念じたまへど、ほろほろとこぼるる御けしき、 いとあはれなり
 宮に苦情を申し上げようと思って、参上なさるついでに、先に、自邸にいらっしゃると、木工の君などが出てきて、その時の様子をお話し申し上げる。姫君のご様子をお聞きになって、男らしく堪えていらっしゃるが、ぽろぽろと涙がこぼれるご様子、たいそうお気の毒である。
  Miya ni urami kikoye m tote, maude tamahu mama ni, madu, tono ni ohasi tare ba, Moku-no-Kimi nado ki te, ari si sama katari kikoyu. Hime-Gimi no ohom-arisama kiki tamahi te, wowosiku nen-zi tamahe do, horo-horo to koboruru mi-kesiki, ito ahare nari.
3.5.2  「 さても、世の人にも似ず、あやしきことどもを見過ぐすここらの年ごろの心ざしを、 見知りたまはずありけるかないと思ひのままならむ人は、今までも 立ちとまるべくやはある。よし、かの正身は、とてもかくても、いたづら人と見えたまへば、 同じことなり。幼き人びとも、 いかやうにもてなしたまはむとすらむ
 「それにしても、世間の人と違い、おかしな振る舞いの数々を大目に見てきた長年の気持ちを、ご理解なさらなかったのかな。ひどくわがままな人は、今までも一緒にいただろうか。まあよい、あの本人は、どうなったところで、廃人にお見えになるから、同じことだ。子どもたちも、どうなさろうというのだろうか」
  "Sate mo, yo no hito ni mo ni zu, ayasiki koto-domo wo mi-sugusu kokora no tosi-goro no kokorozasi wo, mi-siri tamaha zu ari keru kana! Ito omohi no mama nara m hito ha, ima made mo tati-tomaru beku ya ha aru? Yosi, kano syauzimi ha, totemo-kakutemo, itadura-bito to miye tamahe ba, onazi koto nari. Wosanaki hito-bito mo, ikayau ni motenasi tamaha m to su ram?"
3.5.3  と、うち嘆きつつ、 かの真木柱を見たまふに、手も幼けれど、心ばへのあはれに恋しきままに、 道すがら涙おしのごひつつ 参うでたまへれば 対面したまふべくもあらず
 と、嘆息しながら、あの真木の柱を御覧になると、筆跡も幼稚だが、気立てがしみじみといじらしくて、道すがら、涙を押し拭い押し拭い参上なさると、お会いになれるはずもない。
  to, uti-nageki tutu, kano maki-basira wo mi tamahu ni, te mo wosanakere do, kokorobahe no ahare ni kohisiki mama ni, miti-sugara namida osi-nogohi tutu maude tamahe re ba, taimen si tamahu beku mo ara zu.
3.5.4  「 何か。ただ時に移る心の、今はじめて変はりたまふにもあらず。年ごろ思ひうかれたまふさま、聞きわたりても久しくなりぬるを、いづくをまた思ひ直るべき 折とか待たむ。いとどひがひがしきさまのみこそ見え果てたまはめ」
 「何の。ただ時勢におもねる心が、今初めてお変わりになったのではない。年来うつつを抜かしていらっしゃる様子を、長いこと聞いてはいたが、いつを再び改心する時かと待てようか。ますます、奇妙な姿を現すばかりで終わることにおなりになろう」
  "Nani ka? Tada toki ni uturu kokoro no, ima hazime te kahari tamahu ni mo ara zu. Tosi-goro omohi uka re tamahu sama, kiki-watari te mo hisasiku nari nuru wo, iduku wo mata omohi-nahoru beki wori to ka mata m? Itodo higa-higasiki sama nomi koso miye hate tamaha me."
3.5.5  と 諌め申したまふ、ことわりなり
 とご意見申される、もっともなことである。
  to isame mausi tamahu, kotowari nari.
3.5.6  「 いと、若々しき心地もしはべるかな。思ほし捨つまじき人びともはべればと、のどかに思ひはべりける心のおこたりを、かへすがへす聞こえてもやるかたなし。今はただ、なだらかに御覧じ許して、 罪さりどころなう、世人にもことわらせて こそかやうにももてないたまはめ」
 「まったく、大人げない気がしますな。お見捨てになるはずもない子供たちもいますのでと、のんきに構えておりましたわたしの不行届を、繰り返しお詫び申しても、お詫びの申しようがありません。今はただ、穏便に大目に見て下さって、罪は免れがたく、世間の人にも分からせた上で、このようにもなさるのがよい」
  "Ito, waka-wakasiki kokoti mo si haberu kana! Omohosi sutu maziki hito-bito mo habere ba to, nodoka ni omohi haberi keru kokoro no okotari wo, kahesu-gahesu kikoye te mo yaru kata nasi. Ima ha tada, nadaraka ni go-ran-zi yurusi te, tumi sari-dokoro nau, yo-hito ni mo kotowara se te koso, kayau ni mo motenai tamaha me."
3.5.7  など、聞こえわづらひておはす。「 姫君をだに見たてまつらむ」と聞こえ たまへれど出だしたてまつるべくもあらず
 などと、説得申すのに苦慮していらっしゃる。「せめて姫君にだけでもお会いしたい」と申し上げなさっているが、お出し申すはずもない。
  nado, kikoye wadurahi te ohasu. "Hime-Gimi wo dani mi tatematura m." to kikoye tamahe re do, idasi tatematuru beku mo ara zu.
3.5.8  男君たち、十なるは、殿上したまふ。いとうつくし。人にほめられて、容貌などようはあらねど、いとらうらうじう、ものの心やうやう知りたまへり。
 男の子たち、十歳になるのは、童殿上なさっている。とてもかわいらしい。人からほめられて、器量など優れてはいないが、たいそう利発で、物の道理をだんだんお分りになっていらした。
  Wotoko-Gimi tati, towo naru ha, Tenzyau si tamahu. Ito utukusi. Hito ni home rare te, katati nado you ha ara ne do, ito rau-rauziu, mono no kokoro yau-yau siri tamahe ri.
3.5.9  次の君は、八つばかりにて、いとらうたげに、姫君にもおぼえたれば、かき撫でつつ、
 次の君は、八歳ほどで、とても可憐で、姫君にも似ているので、撫でながら、
  Tugi no Kimi ha, ya-tu bakari ni te, ito rautage ni, Hime-Gimi ni mo oboye tare ba, kaki-nade tutu,
3.5.10  「 あこをこそは、恋しき御形見にも見るべかめれ」
 「おまえを恋しい姫君のお形見と思って見ることにしよう」
  "Ako wo koso ha, kohisiki ohom-katami ni mo miru beka' mere."
3.5.11  など、うち泣きて語らひたまふ。 宮にも、御けしき賜はらせたまへど
 などと、涙を流してお話しなさる。宮にも、ご内意を伺ったが、
  nado, uti-naki te katarahi tamahu. Miya ni mo, mi-kesiki tamahara se tamahe do,
3.5.12  「 風邪おこりて、ためらひはべるほどにて」
 「風邪がひどくて、養生しております時なので」
  "Kaze okori te, tamerahi haberu hodo ni te."
3.5.13  とあれば、はしたなくて出でたまひぬ。
 と言うので、不体裁な思いで退出なさった。
  to are ba, hasitanaku te ide tamahi nu.
注釈285宮に恨み聞こえむとて以下、場面が変わって、鬚黒の自邸を舞台となる。3.5.1
注釈286いとあはれなり語り手の感情移入の表現。『評釈』は「大将の涙を見ると、木工も、許す気になったことであろう。「いとあはれなり」は、作者が読者に報告するだけのことばではない」と指摘。3.5.1
注釈287さても世の人にも似ず以下「たまはむとすらむ」まで鬚黒の詞。3.5.2
注釈288見知りたまはずありけるかな北の方はおわかりではなかったのだな。3.5.2
注釈289いと思ひのままならむ人鬚黒が自分自身のことをいうが、自分はそのようなわがままな人ではないの意。3.5.2
注釈290立ちとまるべくやはある「べく」(推量の助動詞、可能)「や」(係助詞、反語)。とどまっていられるものであろうか、そんなことはできないの意。3.5.2
注釈291同じことなり邸に残るも実家に帰るも同じことである意。3.5.2
注釈292いかやうにもてなしたまはむとすらむ北の方は幼い子供たちまでどのように巻き添えにしようとなさるのだろうか。3.5.2
注釈293かの真木柱を姫君が歌を詠み残して挟んでいった真木柱。3.5.3
注釈294道すがら場面は鬚黒邸から式部卿宮邸に向かう道中に変わる。3.5.3
注釈295参うでたまへれば鬚黒が式部卿宮邸に参上なさると。3.5.3
注釈296対面したまふべくもあらず北の方にお会いなされるはずもない。「べくもあらず」は語り手の感情がこめられた表現。『完訳』は「北の方の固い覚悟による」と解す。3.5.3
注釈297何かただ時に移る心の以下「見え果てたまはめ」まで、式部卿宮の娘北の方への諌めの詞。「何か」の下には「会はむ」などの語句が省略されている。「か」(係助詞、反語)。どうしてお会うことがあろうか、会う必要はないの意。<BR/>【時に移る心の】−式部卿宮は鬚黒を、源氏におもねって玉鬘と結婚したと解釈する。3.5.4
注釈298折とか待たむ「か」(係助詞、反語)。心の改まる時と待とうか、そのような時はないの意。3.5.4
注釈299諌め申したまふことわりなり式部卿宮が諌めるのも当然であるとする語り手の評言。『明星抄』は「いさめ申給」以下に「草子地也」と指摘。『評釈』は「ことはりなり」に「もっともな判断と、語り手も、作者も、同意する」と指摘する。3.5.5
注釈300いと若々しき心地も以下「もてないたまはめ」まで、鬚黒の詞。北の方に申し上げている内容である。3.5.6
注釈301罪さりどころなうわたしの罪は免れ難い、弁解の余地がないの意。3.5.6
注釈302かやうに実家に戻ることをさす。3.5.6
注釈303姫君をだに見たてまつらむ鬚黒の詞。せめて姫君にだけでもお会い申したい。3.5.7
注釈304出だしたてまつるべくもあらず北の方が姫君を鬚黒の前にお出しするはずもない。「べくもあらず」という言い回しは、語り手の判断をも言い込めた表現。3.5.7
注釈305あこをこそは以下「見るべかめれ」まで、鬚黒の詞。二郎君を目の前にして、これからおまえをかわいがって行くことになるのだろうというニュアンス。3.5.10
注釈306宮にも御けしき賜はらせたまへど鬚黒は式部卿宮にも面会の御意向をお伺いになるが、の意。3.5.11
注釈307風邪おこりて以下「ほどにて」まで、式部卿宮の謝絶の詞。3.5.12
校訂23 たまへれば たまへれば--給つ(つ/$へ<朱>)れは 3.5.3
校訂24 こそ こそ--こう(う/$<朱>)そ 3.5.6
校訂25 たまへれど たまへれど--給つ(つ/$へ<朱>)れと 3.5.7
3.6
第六段 鬚黒、男子二人を連れ帰る


3-6  Higekuro takes two sons back with him

3.6.1  小君達をば車に乗せて、語らひおはす。 六条殿には、え率ておはせねば、殿にとどめて、
 幼い男の子たちを車に乗せて、親しく話しながらお帰りになる。六条殿には連れて行くことがおできになれないので、邸に残して、
  Ko-Kimdati wo ba kuruma ni nose te, katarahi ohasu. Rokudeu-dono ni ha, e wi te ohase ne ba, tono ni todome te,
3.6.2  「 なほ、ここにあれ。来て 見むにも心やすかるべく」
 「やはり、ここにいなさい。会いに来るのにも安心して来られるであろうから」
  "Naho, koko ni are. Ki te mi m ni mo kokoro-yasukaru beku."
3.6.3  とのたまふ。 うち眺めて、いと心細げに 見送りたるさまども、いとあはれなるに、もの思ひ加はりぬる心地すれど、 女君の御さまの、見るかひありてめでたきに、 ひがひがしき御さまを思ひ比ぶるにも、こよなくて、よろづを慰めたまふ。
 とおっしゃる。悲しみにくれて、たいそう心細そうに見送っていらっしゃる様子、たいそうかわいそうなので、心配の種が増えたような気がするが、女君のご様子が、見がいがあって立派なので、気違いじみたご様子と比べると、格段の相違で、すべてお慰めになる。
  to notamahu. Uti-nagame te, ito kokoro-bosoge ni mi-okuri taru sama-domo, ito ahare naru ni, mono-omohi kuhahari nuru kokoti sure do, Womna-Gimi no ohom-sama, miru kahi ari te medetaki ni, higa-higasiki ohom-sama wo omohi-kuraburu ni mo, koyonaku te, yorodu wo nagusame tamahu.
3.6.4  うち絶えて訪れもせず、はしたなかりしにことづけ顔なるを、宮には、いみじうめざましがり嘆きたまふ。
 さっぱり途絶えてお便りもせず、体裁の悪かったことを口実にしているふうなのを、宮におかれて、ひどく不愉快にお嘆きになる。
  Uti-taye te otodure mo se zu, hasitanakarisi ni kotoduke-gaho naru wo, Miya ni ha, imiziu mezamasigari nageki tamahu.
3.6.5   春の上も聞きたまひて、
 春の上もお聞きになって、
  Haru-no-Uhe mo kiki tamahi te,
3.6.6  「 ここにさへ、恨みらるるゆゑになるが苦しきこと」
 「わたしまで、恨まれる原因になるのがつらいこと」
  "Koko ni sahe, urami raruru yuwe ni naru ga kurusiki koto."
3.6.7  と嘆きたまふを、 大臣の君、いとほしと思して、
 とお嘆きになるので、大臣の君は、気の毒だとお思いになって、
  to nageki tamahu wo, Otodo-no-Kimi, itohosi to obosi te,
3.6.8  「 難きことなり。おのが心ひとつにもあらぬ 人のゆかりに、内裏にも心おきたるさまに 思したなり。兵部卿宮なども、怨じたまふと聞きしを、さいへど、思ひやり深うおはする人にて、 聞きあきらめ、恨み解けたまひにたなり。おのづから 人の仲らひは、忍ぶることと思へど、隠れなきものなれば、 しか思ふべき罪もなし、となむ思ひはべる」
 「難しいことだ。自分の一存だけではどうすることもできない人の関係で、帝におかせられても、こだわりをお持ちになっていらっしゃるようだ。兵部卿宮なども、お恨みになっていらっしゃると聞いたが、そうは言っても、思慮深くいらっしゃる方なので、事情を知って、恨みもお解けになったようだ。自然と、男女の関係は、人目を忍んでいると思っても、隠すことのできないものだから、そんなに苦にするほどの責任もない、と思っております」
  "Kataki koto nari. Onoga kokoro hitotu ni mo ara nu hito no yukari ni, Uti ni mo kokoro-oki taru sama ni obosi ta' nari. Hyaubukyau-no-Miya nado mo, en-zi tamahu to kiki si wo, sa ihe do, omohi-yari hukau ohasuru hito ni te, kiki akirame, urami toke tamahi ni ta' nari. Onodukara hito no nakarahi ha, sinoburu koto to omohe do, kakure naki mono nare ba, sika omohu beki tumi mo nasi, to nam omohi haberu."
3.6.9  とのたまふ。
 とおっしゃる。
  to notamahu.
注釈308六条殿にはえ率ておはせねば玉鬘のいる六条院には子供たちを連れて行くことができないので。鬚黒の生活の中心は今や六条院の玉鬘の所に移っている。3.6.1
注釈309なほここにあれ以下「心やすかるべく」まで、鬚黒の詞。「ここ」は鬚黒の自邸をさす。3.6.2
注釈310うち眺めて子供たち二人が物思いに沈んで。3.6.3
注釈311見送り鬚黒を見送る。鬚黒は子供たちを残して六条院へ出掛ける。3.6.3
注釈312女君玉鬘。3.6.3
注釈313ひがひがしき御さま北の方の気違いじみた御様子。3.6.3
注釈314春の上紫の上をいう。この呼称は「胡蝶」「常夏」の巻に見えた。3.6.5
注釈315ここにさへ以下「苦しきこと」まで、紫の上の詞。3.6.6
注釈316大臣の君源氏をいう。3.6.7
注釈317難きことなり以下「となむ思ひはべる」まで、源氏の紫の上への詞。3.6.8
注釈318人のゆかり玉鬘との関係をさす。3.6.8
注釈319思したなり「た」(完了の助動詞、存続の意。連体形「たる」の「る」が撥音便化し、無表記された形)「なり」(伝聞推定の助動詞)。下文の「恨み解けたまひにたなり」も同じ。お思いになっているようだ。3.6.8
注釈320聞きあきらめ式部卿宮は鬚黒と玉鬘との結婚が源氏のしわざではないと知る。3.6.8
注釈321人の仲らひ男女関係をさしていう。3.6.8
注釈322しか思ふべき罪もなしそんなに苦にする責任はない。男女関係は自然と明らかになってくるものであるからという考えによる。3.6.8
校訂26 見むにも 見むにも--み(み/=んイ<朱>)にも 3.6.2
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渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
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渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
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by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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