31 真木柱(大島本)


MAKIBASIRA


光る源氏の太政大臣時代
三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from October at the age of 37 to November at the age of 38

2
第二章 鬚黒大将家の物語 北の方、乱心騒動


2  Tale of Higekuro's  Kitanokata pours ashes to Higekuro

2.1
第一段 鬚黒の北の方の嘆き


2-1  Higekuro's wife grieved over her husband's fickleness

2.1.1   内裏へ参りたまはむことを、やすからぬことに大将思せどそのついでにやまかでさせたてまつらむの御心つきたまひて、ただあからさまのほどを 許しきこえたまふ。かく 忍び隠ろへたまふ御ふるまひも、 ならひたまはぬ心地に苦しければ、わが殿のうち修理ししつらひて、年ごろは荒らし埋もれ、うち捨てたまへりつる御しつらひ、よろづの 儀式を改めいそぎたまふ。
 宮中に参内なさることを、心配なことと大将はお思いになるが、その機会に、そのまま退出おさせ申そうかとのお考えを思いつかれて、ただちょっとの暇のお許しを申し上げなさる。このように人目を忍んでお通いになることも、お慣れにならない感じで辛いので、ご自分の邸内の修理し整えて、長年荒れさせ埋もれ、放って置かれたお部屋飾り、すべての飾りつけを立派にしてご準備なさる。
  Uti he mawiri tamaha m koto wo, yasukara nu koto ni Daisyau obose do, sono tuide ni ya, makade sase tatematura m no mi-kokoro tuki tamahi te, tada akarasama no hodo wo yurusi kikoye tamahu. Kaku sinobi kakurohe tamahu ohom-hurumahi mo, narahi tamaha nu kokoti ni kurusikere ba, waga tono no uti syuri-si siturahi te, tosi-goro ha arasi udumore, uti-sute tamahe ri turu ohom-siturahi, yorodu no gisiki wo aratame isogi tamahu.
2.1.2  北の方の思し嘆くらむ御心も知りたまはず、かなしうしたまひし君達をも、目にもとめたまはず、 なよびかに情け情けしき心うちまじりたる人こそ、とざまかうざまにつけても、人のため恥がましからむことをば、推し量り思ふところもありけれ、ひたおもむきにすくみたまへる御心にて、人の御心動きぬべきこと多かり。
 北の方がお嘆きになろうお気持ちもお考えにならず、かわいがっていらっしゃったお子たちにも、お目もくれなさらず、やさしく情け深い気持ちのある人ならば、何かのことにつけても、女にとって恥になるようなことには、考え及ぶところもあろうが、一徹で融通のきかないご性分なので、人のお気に障るようなことが多いのであった。
  Kitanokata no obosi nageku ram mi-kokoro mo siri tamaha zu, kanasiu si tamahi si Kimi-tati wo mo, me ni mo tome tamaha zu, nayobika ni nasake-nasakesiki kokoro uti-maziri taru hito koso, to-zama kau-zama ni tuke te mo, hito no tame hadi-gamasikara m koto woba osihakari omohu tokoro mo ari kere, hita-omomuki ni sukumi tamahe ru mi-kokoro ni te, hito no mi-kokoro ugoki nu beki koto ohokari.
2.1.3   女君、人に劣りたまふべきことなし。人の御本性も、さるやむごとなき父親王の、いみじうかしづきたてまつりたまへるおぼえ、世に軽からず、御容貌なども、いとようおはしけるを、あやしう、執念き御もののけにわづらひたまひて、この年ごろ、人にも似たまはず、うつし心なき折々多くものしたまひて、御仲もあくがれてほど経にけれど、やむごとなきものとは、 また並ぶ人なく思ひきこえたまへるを、めづらしう御心移る方の、なのめにだにあらず、 人にすぐれたまへる御ありさまよりも、かの疑ひおきて、皆人の 推し量りしことさへ、心きよくて 過ぐいたまひけるなどを、 ありがたうあはれと、思ひましきこえたまふも、 ことわりになむ
 女君は、人にひけをお取りになるようなところはない。お人柄も、あのような高貴な父親王がたいそう大切にお育て申された世間の評判、けっして軽々しくなく、ご器量なども、たいそう素晴らしくいらっしゃったが、妙に、しつこい物の怪をお患いになって、ここ数年来、普通の人とはお変わりになって、正気のない時々が多くおありになって、ご夫婦仲も疎遠になって長くなったが、れっきとした本妻としては、また並ぶ人もなくお思い申し上げていらっしゃったが、珍しくお心惹かれる方が、一通りどころの方でなく、人より勝れていらっしゃるご様子よりも、あの疑いを持って皆が想像していたことさえ、潔白の身でお過ごしになっていらしたことなどを、めったにない立派な態度だと、ますます深くお思い申し上げなさるのも、もっともなことである。
  Womna-Gimi, hito ni otori tamahu beki koto nasi. Hito no go-honzyau mo, saru yamgotonaki titi-Miko no, imiziu kasiduki tatematuri tamahe ru oboye, yo ni karokara zu, ohom-katati nado mo, ito you ohasi keru wo, ayasiu, sihuneki ohom-mononoke ni wadurahi tamahi te, kono tosi-goro, hito ni mo ni tamaha zu, utusi-gokoro naki wori-wori ohoku monosi tamahi te, ohom-naka mo akugare te hodo he ni kere do, yamgotonaki mono to ha, mata narabu hito naku omohi kikoye tamahe ru wo, medurasiu mi-kokoro uturu kata no, nanome ni dani ara zu, hito ni sugure tamahe ru ohom-arisama yori mo, kano utagahi oki te, mina-hito no osihakari si koto sahe, kokoro-kiyoku te sugui tamahi keru nado wo, arigatau ahare to, omohi-masi kikoye tamahu mo, kotowari ni nam.
2.1.4  式部卿宮聞こし召して、
 式部卿宮がお聞きになって、
  Sikibukyau-no-Miya kikosimesi te,
2.1.5  「 今は、しか今めかしき人を渡して、もてかしづかむ片隅に、人悪ろくて添ひものしたまはむも、人聞きやさしかる べし。おのがあらむこなたは、いと人笑へなるさまに 従ひなびかでも、ものしたまひなむ」
 「今は、あのような若い女を迎えて、大切にするだろう片隅で、みっともなく連れ添っていらっしゃるのも、外聞も痩せるほど恥ずかしいだろう。自分が生きているうちは、まことに世間に恥をさらして言いなりにならなくても、お過ごしになられよう」
  "Ima ha, sika imamekasiki hito wo watasi te, mote-kasiduka m katasumi ni, hito-waroku te sohi monosi tamaha m mo, hito-giki yasasikaru besi. Onoga ara m konata ha, ito hito-warahe naru sama ni sitagahi nabika de mo, monosi tamahi na m."
2.1.6  とのたまひて、宮の東の対を払ひしつらひて、「渡したてまつらむ」と思しのたまふを、「 親の御あたりといひながら今は限りの身にて、たち返り見えたてまつらむこと」と、思ひ乱れたまふに、いとど御心地もあやまりて、うちはへ臥しわづらひたまふ。
 とおっしゃって、宮邸の東の対を掃除し整えて、「お迎え申そう」とお考えになっておっしゃるのを、「親の御家と言っても、夫に捨てられた身の上で、再び実家に戻ってお顔を合わせ申すのも」と、思い悩みなさると、ますますご気分も悪くなって、ずっと病床にお臥せりになる。
  to notamahi te, Miya no himgasi-no-tai wo harahi siturahi te, "Watasi tatematura m." to obosi notamahu wo, "Oya no ohom-atari to ihi nagara, ima ha kagiri no mi ni te, tati-kaheri miye tatematura m koto." to, omohi midare tamahu ni, itodo mi-kokoti mo ayamari te, uti-hahe husi wadurahi tamahu.
2.1.7   本性は、いと静かに心よく、子めきたまへる人の、 時々、心あやまりして、人に疎まれぬべきことなむ、うち混じりたまひける。
 生まれつきは、たいそう静かで気立てもよく、おっとりとしていらっしゃる方で、時々、気がおかしくなって、人から嫌われてしまうようなことが、時たまおありなのであった。
  Honzyau ha, ito siduka ni kokoro-yoku, komeki tamahe ru hito no, toki-doki, kokoro-ayamari si te, hito ni utoma re nu beki koto nam, uti-maziri tamahi keru.
注釈74内裏へ参りたまはむことをやすからぬことに大将思せど以下の段、場面変わって、視点を鬚黒の立場において語る。2.1.1
注釈75そのついでにや玉鬘が出仕した機会をさす。2.1.1
注釈76まかでさせたてまつらむ宮中から鬚黒の自邸に退出おさせ申そう、の意。2.1.1
注釈77許しきこえたまふ「許し」は名詞、許可の意。鬚黒は源氏にお許しを願い申し上げなさる、意。2.1.1
注釈78忍び隠ろへたまふ御ふるまひ夫婦でありながら鬚黒が人目を忍んで玉鬘のもとにお通いになることをいう。2.1.1
注釈79ならひたまはぬ心地経験のないこと。鬚黒の堅物らしい性格を示す。2.1.1
注釈80儀式を改め格式を立派に改めて、の意。2.1.1
注釈81なよびかに以下「思ふところもありけれ」まで、挿入句。2.1.2
注釈82女君人に劣りたまふべきことなし鬚黒の北の方は、父は式部卿宮、藤壷中宮の姪、源氏の紫の上とは異母姉妹。『紹巴抄』は「女君」以下「ことわりになむ」までを「双地」と指摘する。以下、文体がやや変化する。2.1.3
注釈83また並ぶ人なく思ひきこえたまへるを鬚黒がれっきとした北の方としてお思い申し上げていらしたが。2.1.3
注釈84人にすぐれたまへる御ありさまよりも『万水一露』は「草地に批判したる詞成へし」と指摘する。2.1.3
注釈85推し量りしことさへ過去の助動詞「し」は直接体験した出来事をいう。鬚黒の心に即して語り手が語っている。2.1.3
注釈86ありがたうあはれと『孟津抄』は「草子地也」と指摘する。2.1.3
注釈87ことわりになむ『岷江入楚』は「草子の地なるへし」と指摘する。もっともなことである、という批評判断は語り手の感想である。以上、客観的物語の地の文から次第に語り手中心の文体に変化してきた。2.1.3
注釈88今はしか以下「ものしたまひなむ」まで、式部卿宮の詞。2.1.5
注釈89従ひなびかでも鬚黒の言いなりにならなくても。2.1.5
注釈90親の御あたりといひながら以下「見えたてまつらむこと」まで、北の方の心。2.1.6
注釈91今は限りの身『集成』は「夫に捨てられた身の上」と解し、『完訳』は「ひとたび人の妻となった身の上」と解す。2.1.6
注釈92本性は以下「うち混じりたまひける」まで、語り手の説明的文章が挿入される。2.1.7
注釈93時々心あやまりして物の怪の発作によって気がおかしくなること。2.1.7
校訂10 過ぐい 過ぐい--すく(く/&く、=すイ<朱>)い 2.1.3
校訂11 べし べし--つ(つ/$へ<朱>)し 2.1.5
2.2
第二段 鬚黒、北の方を慰める(一)


2-2  Higekuro gives comfort to his wife(1)

2.2.1  住まひなどの、あやしうしどけなく、もののきよらもなくやつして、いと埋れいたくもてなしたまへるを、 玉を磨ける目移しに、心もとまらねど、年ごろの心ざしひき替ふるものならねば、心には、いとあはれと思ひきこえたまふ。
 お住まいなどが、とんでもなく乱雑で、綺麗さもなく汚れて、たいそう塞ぎ込んでいらっしゃるのを、玉を磨いたような所を見て来た目には、気に入らないが、長年連れ添ってきた愛情が急に変わるものでもないので、心中では、たいそう気の毒にとお思い申し上げる。
  Sumahi nado no, ayasiu sidokenaku, mono no kiyora mo naku yatusi te, ito mumore itaku motenasi tamahe ru wo, tama wo migake ru me utusi ni, kokoro mo tomara ne do, tosi-goro no kokorozasi hiki-kahuru mono nara ne ba, kokoro ni ha, ito ahare to omohi kikoye tamahu.
2.2.2  「 昨日今日の、いと浅はかなる人の御仲らひだに、 よろしき際になれば、皆思ひのどむる方ありてこそ見果つなれ。いと身も苦しげにもてなし たまひつれば、聞こゆべきこともうち出で聞こえにくくなむ。
 「昨日今日の、たいそう浅い夫婦仲でさえ、悪くはない身分の人となれば、皆我慢することがあって添い遂げるものだ。たいそう身体も苦しそうにしていらっしゃったので、申し上げなければならないこともお話し申し上げにくくてね。
  "Kinohu kehu no, ito asahaka naru hito no ohom-nakarahi dani, yorosiki kiha nare ba, mina omohi nodomuru kata ari te koso mi-hatu nare. Ito mi mo kurusige ni motenasi tamahi ture ba, kikoyu beki koto mo uti-ide kikoye nikuku nam.
2.2.3  年ごろ契りきこゆることにはあらずや。 世の人にも似ぬ御ありさまを、見たてまつり果てむとこそは、ここら思ひしづめつつ過ぐし来るに、えさしもあり果つまじき御心おきてに、思し疎むな。
 長年添い遂げ申して来た仲ではありませんか。世間の人と違ったご様子を、最後までお世話申そうと、ずいぶんと我慢して過ごして来たのに、とてもそうは行かないようなお考えで、お嫌いなさるのですね。
  Tosi-goro tigiri kikoyuru koto ni ha ara zu ya? Yo no hito ni mo ni nu ohom-arisama wo, mi tatematuri-hate m koso ha, kokora omohi-sidume tutu sugusi kuru ni, e sasimo ari hatu maziki mi-kokoro-okite ni, obosi utomu na.
2.2.4   幼き人びともはべれば、とざまかうざまにつけて、おろかにはあらじと聞こえわたるを、女の御心の乱りがはしきままに、かく恨みわたりたまふ。ひとわたり見果てたまはぬほど、さもありぬべきことなれど、まかせてこそ、今しばし御覧じ果てめ。
 幼い子どもたちもいますので、何かにつけて、いいかげんにはしまいとずっと存じ上げてきたのに、女心の考えなさから、このように恨み続けていらっしゃる。最後まで見届けないうちは、そうかも知れないことですが、信頼してこそ、もう少し御覧になっていてください。
  Wosanaki hito-bito mo habere ba, tozama-kauzama ni tuke te, oroka ni ha ara zi to kikoye wataru wo, womna no mi-kokoro no midari-gahasiki mama ni, kaku urami watari tamhu. Hito-watari mi-hate tamaha nu hodo, samo ari nu beki koto nare do, makase te koso, ima sibasi go-ran-zi hate me.
2.2.5  宮の聞こし召し疎みて、さはやかにふと渡したてまつりてむと思しのたまふなむ、かへりていと軽々しき。まことに思しおきつることにやあらむ、しばし勘事したまふべきにやあらむ」
 式部卿宮がお聞きになりお疎みになって、はっきりとすぐにお迎え申そうとお考えになっておっしゃっているのが、かえってたいそう軽率です。ほんとうに決心なさったことなのか、暫く懲らしめなさろうというのでしょうか」
  Miya no kikosimesi utomi te, sahayaka ni huto watasi tatematuri te m to obosi notamahu nam, kaherite ito karu-garusiki. Makoto ni obosi-oki turu koto ni ya ara m, sibasi kauzi si tamahu beki ni ya ara m."
2.2.6  と、 うち笑ひてのたまへるいとねたげに心やまし
 と、ちょっと笑っておっしゃる、たいそう憎らしくおもしろくない。
  to, uti-warahi te notamahe ru, ito netage ni kokoro-yamasi.
注釈94玉を磨ける目移しに玉を磨いたように素晴らしい玉鬘の邸を見て来た目には、の意。「磨く」には、「玉を磨く」(素晴らしい)意と「目を磨く」(鑑識眼を高める)の両意が掛けられた表現であろう。2.2.1
注釈95昨日今日の以下「たまふべきにやあらむ」まで、鬚黒の北の方への慰めの詞。2.2.2
注釈96よろしき際になれば皆思ひのどむる方ありてこそ見果つなれある程度の身分ある貴族の夫婦となると、みなお互いに我慢し合って最後まで添い遂げるもののようだ。「なれ」(伝聞推定の助動詞)。鬚黒の忠告は当時の貴族の夫婦生活をいうものか。2.2.2
注釈97世の人にも似ぬ御ありさま世間の人と違った御病気の様子。2.2.3
注釈98幼き人びともはべれば後文によれば、姫君一人、男君二人と見える。2.2.4
注釈99うち笑ひてのたまへる冗談めかした笑い。2.2.6
注釈100いとねたげに心やまし『集成』は「北の方の心を書いたもの」とある。語り手が北の方の立場になって気持ちを語ったところ。2.2.6
校訂12 たまひつれば たまひつれば--給へ(へ/$つ<朱>)れは 2.2.2
2.3
第三段 鬚黒、北の方を慰める(二)


2-3  Higekuro gives comfort to his wife(2)

2.3.1   御召人だちて、仕うまつり馴れたる 木工の君、中将の御許などいふ 人びとだに、ほどにつけつつ、「やすからずつらし」と思ひきこえたるを、北の方は、うつし心ものしたまふほどにて、いとなつかしううち泣きてゐたまへり。
 殿の召人といったふうで、親しく仕えている木工の君、中将の御許などという女房たちでさえ、身分相応につけて、「おもしろくなく辛い」と思い申し上げているのだから、まして北の方は、正気でいらっしゃる時なので、たいそうしおらしく泣いていらっしゃった。
  Ohom-mesiudo-dati te tukaumaturi nare taru Moku-no-Kimi, Tyuuzyau-no-Omoto nado ihu hito-bito dani, hodo ni tuke tutu, "Yasukara zu turasi." to omohi kikoye taru wo, Kitanokata ha, utusi-gokoro monosi tamahu hodo nite, ito natukasiu uti-naki te wi tamahe ri.
2.3.2  「 みづからを、ほけたり、ひがひがし、とのたまひ、恥ぢしむるは、ことわりなることになむ。 宮の御ことをさへ取り混ぜのたまふぞ、 漏り聞きたまはむはいとほしう、憂き身のゆかり 軽々しきやうなる。 耳馴れにてはべれば、今はじめていかにもものを思ひはべらず」
 「わたしを、惚けている、僻んでいる、とおっしゃって、馬鹿にするのは、けっこうなことです。父宮のことまでを引き合いに出しておっしゃるのは、もし、お耳に入ったらお気の毒だし、つたないわが身の縁から軽々しいようです。耳馴れていますから、今さら何とも思いません」
  "Midukara wo, hoke tari, higa-higasi, to notamahi, hadi simuru ha, kotowari naru koto ni nam. Miya no ohom-koto wo sahe tori-maze notamahu zo, mori kiki tamaha m ha itohosiu, uki-mi no yukari karu-garusiki yau naru. Mimi-nare ni te habere ba, ima hazime te ikani mo mono wo omohi habera zu."
2.3.3  とて、うち背きたまへる、 らうたげなり
 と言って、横を向いていらっしゃる、いじらしい。
  tote, uti-somuki tamahe ru, rautage nari.
2.3.4  いとささやかなる人の、常の御悩みに痩せ衰へ、ひはづにて、髪いとけうらにて長かりけるが、わけたるやうに落ち細りて、削ることもをさをさしたまはず、涙にまつはれたるは、 いとあはれなり
 たいそう小柄な人で、いつものご病気で痩せ衰え、ひ弱で、髪はとても清らかに長かったが、半分にしたように抜け落ちて細くなって、櫛梳ることもほとんどなさらず、涙で固まっているのは、とてもお気の毒である。
  Ito sasayaka naru hito no, tune no ohom-nayami ni yase otorohe, hihadu ni te, kami ito keura ni te nagakari keru ga, wake taru yau ni oti hosori te, keduru koto mo wosa-wosa si tamaha zu, namida ni matuhare taru ha, ito ahare nari.
2.3.5  こまかに匂へるところはなくて、父宮に似たてまつりて、なまめいたる 容貌したまへるを、もてやつしたまへれば、 いづこのはなやかなるけはひかはあらむ
 つややかに美しいところはなくて、父宮にお似申して、優美な器量をなさっていたが、身なりを構わないでいられるので、どこに華やかな感じがあろうか。
  Komaka ni nihohe ru tokoro ha naku te, Titi-Miya ni ni tatematuri te, namamei taru katati si tamahe ru wo, mote-yatusi tamahe re ba, iduko no hanayaka naru kehahi ka ha ara m.
2.3.6  「 宮の御ことを軽くはいかが聞こゆる。恐ろしう、人聞きかたはになのたまひなしそ」とこしらへて、
 「宮の御事を、軽んじたりどうして思い申そう。恐ろしい、人聞きの悪いおっしゃりようをなさいますな」となだめて、
  "Miya no ohom-koto wo, karoku ha ikaga kikoyuru. Osorosiu, hito-giki kataha ni na notamahi nasi so." to kosirahe te,
2.3.7  「 かの通ひはべる所の、いとまばゆき 玉の台に、うひうひしう、きすくなるさまにて出で入るほども、かたがたに 人目たつらむと、かたはらいたければ、 心やすく移ろはしてむと思ひはべるなり。
 「あの通っております所の、たいそう眩しい玉の御殿に、もの馴れない、生真面目な恰好で出入りしているのも、あれこれ人目に立つだろうと、気がひけるので、気楽に迎えてしまおうと考えているのです。
  "Kano kayohi haberu tokoro no, ito mabayuki tama no utena ni, uhi-uhisiu, kisuku naru sama ni te ide iru hodo mo, kata-gata ni hitome tatu ram to, katahara-itakere ba, kokoro-yasuku uturohasi te m to omohi haberu nari.
2.3.8   太政大臣の、さる世にたぐひなき御おぼえをば、さらにも聞こえず、心恥づかしう、いたり深うおはすめる御あたりに、 憎げなること漏り聞こえば、 いとなむいとほしう、かたじけなかるべき
 太政大臣が、ああした世に比べるものもないご声望を、今さら申し上げるまでもなく、恥ずかしくなるほど、行き届いていらっしゃるお邸に、よくない噂が漏れ聞こえては、たいそうお気の毒であるし、恐れ多いことでしょう。
  Ohoki-Otodo no, saru yo ni taguhi naki ohom-oboye wo ba, sara ni mo kikoye zu, kokoro-hadukasiu, itari hukau ohasu meru ohom-atari ni, nikuge naru koto mori-kikoye ba, ito nam itohosiu, katazikenakaru beki.
2.3.9  なだらかにて、御仲よくて、語らひてものしたまへ。宮に渡りたまへりとも、忘るることははべらじ。とてもかうても、今さらに心ざしの隔たることはあるまじけれど、 世の聞こえ人笑へに、 まろがためにも軽々しうなむはべるべきを、年ごろの契り違へず、かたみに後見むと、思せ」
 穏やかにして、お二人仲を好くして、親しく付き合ってください。宮邸にお渡りになっても、忘れることはございませんでしょう。いずれにせよ、今さらわたしの気持ちが遠ざかることはあるはずはないのですが、世間の噂や物笑いに、わたしにとっても軽々しいことでございましょうから、長年の約束を違えず、お互いに力になり合おうと、お考えください」
  Nadaraka ni te, ohom-naka yoku te, katarahi te monosi tamahe. Miya ni watari tamahe ri tomo, wasururu koto ha habera zi. Totemo-kautemo, imasara ni kokorozasi no hedataru koto ha aru mazikere do, yo no kikoye hito-warahe ni, maro ga tame ni mo karo-garosiu nam haberu beki wo, tosi-goro no tigiri tagahe zu, katamini usiromi m to, obose."
2.3.10  と、こしらへ聞こえたまへば、
 と、とりなし申し上げなさると、
  to, kosirahe kikoye tamahe ba,
2.3.11  「 人の御つらさは、ともかくも知りきこえず。 世の人にも似ぬ身の憂きをなむ、宮にも思し嘆きて、今さらに人笑へなることと、御心を 乱りたまふなれば、いとほしう、いかでか見えたてまつらむ、となむ。
 「あなたのお仕打ちは、どうこうと申しません。世間の人と違った身の病を、父宮におかれてもお嘆きになって、今さら物笑いになることと、お心を痛めていらっしゃるとのことなので、お気の毒で、どうしてお目にかかれましょう、と思うのです。
  "Hito no ohom-turasa ha, tomo-kakumo siri kikoye zu. Yo no hito ni mo ni nu mi no uki wo nam, Miaya ni mo obosi nageki te, imasara ni hito warahe naru koto to, mi-kokoro wo midari tamahu nare ba, itohosiu, ikadeka miye tatematura m, to nam.
2.3.12   大殿の北の方と聞こゆるも、 異人にやはものしたまふかれは、知らぬさまにて生ひ出でたまへる人の、末の世に、かく人の 親だちもてないたまふつらさをなむ、 思ほしのたまふなれどここにはともかくも思はずや。 もてないたまはむさまを見るばかり」
 大殿の北の方と申し上げる方も、他人でいらっしゃいましょうか。あの方は、知らない状態で成長なさった方で、後になって、このように人の親のように振る舞っていらっしゃる辛さを考えて、お口になさるようですが、わたしの方では何とも思っていませんわ。なさりよう見ているばかりです」
  Oho-tono no Kita-no-kata to kikoyuru mo, koto-bito ni ya ha monosi tamahu. Kare ha, sira nu sama ni te ohi-ide tamahe ru hito no, suwe no yo ni, kaku hito no oya-dati motenai tamahu turasa wo nam, omohosi notamahu nare do, koko ni ha tomo-kaku mo omoha zu ya! Motenai tamaha m sama wo miru bakari."
2.3.13  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
  to notamahe ba,
2.3.14  「 いとようのたまふを、例の御心違ひにや、苦しきことも出で来む。 大殿の北の方の知りたまふことにもはべらず。いつき女のやうにてものしたまへば、 かく思ひ落とされたる人の上 までは 知りたまひなむや。人の御親げなくこそ ものしたまふべかめれかかることの聞こえあらば、いとど苦しかるべきこと」
 「たいそう良いことをおっしゃるが、いつものご乱心では、困ったことも起こるでしょう。大殿の北の方がご存知になることでもございません。箱入り娘のようでいらっしゃっるので、このように軽蔑された人の身の上まではご存知のはずがありません。あの人の親らしくなくおいでのようです。このようなことが耳に入ったら、ますます困ることでしょう」
  "Ito you notamahu wo, rei no mi-kokoro-tagahi ni ya, kurusiki koto mo ide-ko m. Oho-tono no Kitanokata no siri tamahu koto ni mo habera zu. Ituki musume no yau ni te monosi tamahe ba, kaku omohi-otosa re taru hito no uhe made ha siri tamahi na m ya? Hito no ohom-oyage naku koso monosi tamahu beka' mere. Kakaru koto no kikoye ara ba, itodo kurusikaru beki koto."
2.3.15  など、日一日 入りゐて、語らひ申したまふ。
 などと、一日中お側で、お慰め申し上げなさる。
  nado, hi-hito-hi iri wi te, katarahi mausi tamahu.
注釈101御召人だちて妻に準じる待遇の鬚黒の女房。2.3.1
注釈102木工の君中将の御許女房名。2.3.1
注釈103人びとだに女房たちでさえ〜であるのだから、まして北の方は。2.3.1
注釈104みづからを以下「思ひはべらず」まで、北の方の詞。2.3.2
注釈105宮の御ことを父兵部卿宮の悪口。2.3.2
注釈106漏り聞きたまはむは兵部卿宮が悪口を漏れ聞きなさったら。推量の助動詞「む」は仮定の意。2.3.2
注釈107軽々しき皇族の身にとって軽々しい、すなわち、傷がつくようだの意。2.3.2
注釈108耳馴れ自分への悪口は聞き馴れている。2.3.2
注釈109らうたげなり語り手の、北の方をいじらしいという評言。以下、北の方の若かったころの美貌が語られる。2.3.3
注釈110いとあはれなり語り手の、北の方をとてもかわいそうだどいう評言。2.3.4
注釈111いづこのはなやかなるけはひかはあらむ反語表現。どこにも派手やかなところはない、という語り手の感想。以上、北の方への解説が終わり、再び物語の現時点に戻る。2.3.5
注釈112宮の御ことを以下「なのたまひなしそ」まで、鬚黒の北の方への慰めの詞。下に「こしらへて」とある。2.3.6
注釈113軽くは軽んじる、ないがしろにするの意。2.3.6
注釈114かの通ひはべる所の以下「かたみに後見むと思せ」まで、引き続き、鬚黒の北の方への慰めの詞。同じく下に「こしらへ聞こえたまへば」とある。<BR/>【かの通ひはべる所】−六条院をいう。2.3.7
注釈115玉の台六条院をいう。歌語的表現をした。2.3.7
注釈116人目たつらむ眩しいほどの六条院に不格好なさまをして通っていたのでは人目にたって見苦しいとする、鬚黒自身認めており、またその解消策として玉鬘の迎えとりを持ち出す。2.3.7
注釈117心やすく移ろはしてむ気安く玉鬘を自分の邸に迎えてしまおうと。2.3.7
注釈118太政大臣源氏を「太政大臣」と呼ぶ。以下、その権勢をかさに着たものものしい言い方をする。2.3.8
注釈119憎げなること北の方と玉鬘との不和の噂。2.3.8
注釈120いとなむいとほしうかたじけなかるべき『集成』では「まことに不都合千万で、申しわけないことでしょう」と解し、『完訳』では「あなたにはまったく気の毒なことだし、大臣にも畏れ多いことになりましょう」と解す。2.3.8
注釈121世の聞こえ人笑へ『完訳』は「家の体面をつぶし、北の方も身を滅ぼす危惧」と解す。2.3.9
注釈122まろがためにも係助詞「も」同類の意。あなたはもちろんのこと、わたにとっても。2.3.9
注釈123人の御つらさは以下「見るばかり」まで、北の方の詞。2.3.11
注釈124世の人にも似ぬ身の憂き世間の人と違った身の不運、病い持ち。2.3.11
注釈125乱りたまふなれば「なれ」(伝聞推定の助動詞)。お心を砕いていらっしゃるというので。2.3.11
注釈126大殿の北の方六条院の北の方、すなわち紫の上をさしてこう呼ぶ。2.3.12
注釈127異人にやはものしたまふ反語表現。鬚黒の北の方と紫の上は異腹の姉妹である。2.3.12
注釈128かれは紫の上をさす。以下「つらさをなむ」まで、北の方が父宮の詞を間接的にいったもの。2.3.12
注釈129親だち紫の上が玉鬘の親代わりとなって結婚の世話をすることをいう。2.3.12
注釈130思ほしのたまふなれど「なれ」(伝聞推定の助動詞)。父宮はおっしゃるようだが。2.3.12
注釈131ここにはわたしには。2.3.12
注釈132もてないたまはむさま『集成』は「どうしようと紫の上の勝手で、私は構わない」と解し、『完訳』は「あなたのなさることを」と解す。2.3.12
注釈133いとようのたまふを以下「苦しかるべきこと」まで、鬚黒の詞。2.3.14
注釈134大殿の北の方の知りたまふことにもはべらず「知る」は単に知っているという意でなく、関知し指図する意。紫の上が関知し指図したことではありません。2.3.14
注釈135かく思ひ落とされたる人玉鬘をさす。自分の結婚相手を卑下した言い方。2.3.14
注釈136知りたまひなむや係助詞「や」は反語。関知していらっしゃろうか、そんなことはない。2.3.14
注釈137ものしたまふべかめれ「べか」(推量の助動詞、推量)「めれ」(推量の助動詞、視界内推量)、鬚黒の体験から判断して「〜でいらっしゃるようだ」。2.3.14
注釈138かかることの聞こえ紫の上が玉鬘の結婚を指図しているという非難。2.3.14
注釈139入りゐて北の方の部屋に入って座り続けて。2.3.15
校訂13 みづからを みづからを--身つからは(は/#を) 2.3.2
校訂14 容貌 容貌--かたち(ち/$ち<朱>) 2.3.5
校訂15 までは までは--さ(さ/$ま<朱>)ては 2.3.14
2.4
第四段 鬚黒、玉鬘のもとへ出かけようとする


2-4  Higekuro wants to go to Tamakazura

2.4.1  暮れぬれば、心も空に浮きたちて、いかで出でなむと思ほすに、 雪かきたれて降るかかる空にふり出でむも人目いとほしう、この御 けしきも、憎げに ふすべ恨みなどしたまはば、なかなかことつけて、われも 迎へ火つくりてあるべきを、いとおいらかに、つれなうもてなしたまへるさまの、いと心苦しければ、いかにせむ、と思ひ乱れつつ、格子などもさながら、端近ううち眺めてゐたまへり。
 日が暮れたので、気もそぞろになって、何とか出かけたいとお思いになるが、雪がまっくらにして降っている。このような天候にあえて出かけるのも、人目に立ってお気の毒であるし、このご様子も憎らしく嫉妬して恨みなどなさるならば、かえってそれを口実にして、自分も対抗して出て行くのだが、たいそうおっとりと、気にかけていらっしゃらない様子が、たいそうお気の毒なので、どうしようか、と迷いながら、格子なども上げたまま、端近くに物思いに耽っていらっしゃった。
  Kure nure ba, kokoro mo sora ni uki-tati te, ikade ide nam to omohosu ni, yuki kaki-tare te huru. Kakaru sora ni huri-ide m mo, hito-me itohosiu, kono mi-kesiki mo, nikuge ni husube urami nado si tamaha ba, naka-naka kototuke te, ware mo mukahebi tukuri te aru beki wo, ito oiraka ni, turenau motenasi tamahe ru sama no, ito kokoro-kurusikere ba, ikani se m, to omohi midare tutu, kausi nado mo sanagara, hasi tikau uti-nagame te wi tamahe ri.
2.4.2  北の方けしきを見て、
 北の方がその様子を見て、
  Kitanokata kesiki wo mi te,
2.4.3  「 あやにくなめる雪を、いかで分けたまはむとすらむ。夜も更けぬめりや」
 「あいにくな雪ですが、どう踏み分けてお出かけなさろうとするのでしょう。夜も更けたようですわ」
  "Ayaniku na' meru yuki wo, ika de wake tamaha m to su ram. Yo mo huke nu meri ya?"
2.4.4  とそそのかしたまふ。「 今は限り、とどむとも」と思ひめぐらしたまへるけしき、いとあはれなり。
 とお促しになる。「今はもうおしまいだ、引き止めたところで」と思案なさっている様子、まことに不憫である。
  to sosonokasi tamahu. "Ima ha kagiri, todomu to mo." to omohi-megurasi tamahe ru kesiki, ito ahare nari.
2.4.5  「 かかるには、いかでか
 「このような雪では、どうして出かけられようか」
  "Kakaru ni ha, ikade ka."
2.4.6  とのたまふものから、
 とおっしゃる一方で、
  to notamahu monokara,
2.4.7  「 なほ、このころばかり。心のほどを知らで、とかく人の言ひなし、 大臣たちも、左右に聞き思さむことを憚りてなむ、とだえあらむはいとほしき。思ひしづめて、なほ見果てたまへ。ここになど渡しては、心やすくはべりなむ。かく世の常なる御けしき見えたまふ時は、ほかざまに分くる心も失せてなむ、あはれに思ひきこゆる」
 「やはり、ここ当分の間だけは。わたしの気持ちを知らないで、何かと人が噂し、大臣たちもあれこれとお耳になさろうことを憚って、途絶えを置くのは気の毒です。落ち着いて、やはりわたしの気持ちをお見届けください。こちらになど迎えたら、気がねもなくなるでしょう。このように普通のご様子をしていらっしゃる時は、他の女に心を移すこともなくなって、いとおしくお思い申し上げます」
  "Naho, kono-koro bakari. Kokoro no hodo wo sira de, tokaku hito no ihi-nasi, Otodo-tati mo, hidari migi ni kiki obosa m koto wo habakari te nam, todaye ara m ha itohosiki. Omohi-sidume te, naho mi-hate tamahe. Koko ni nado watasi te ha, kokoro-yasuku haberi na m. Kaku yo no tune naru mi-kesiki miye tamahu toki ha, hoka-zama ni wakuru kokoro mo use te nam, ahare ni omohi kikoyuru."
2.4.8  など、語らひたまへば、
 などと、お慰めなさると、
  nado, katarahi tamahe ba,
2.4.9  「 立ちとまりたまひても、御心のほかならむは、なかなか苦しうこそあるべけれ。よそにても、思ひだにおこせたまはば、 袖の氷も 解けなむかし
 「お止まりになっても、お心が他に行っているのなら、かえってつらいことでございましょう。他の所にいても、せめて思い出してくだされば、涙に濡れた袖の氷もきっと解けることでしょう」
  "Tati-tomari tamahi te mo, mi-kokoro no hoka nara m ha, naka-naka kurusiu koso aru bekere. Yoso ni te mo, omohi dani okose tamaha ba, sode no kohori mo toke na m kasi."
2.4.10  など、なごやかに言ひゐたまへり。
 などと、穏やかにおっしゃっていられる。
  nado, nagoyaka ni ihi wi tamaheri.
注釈140雪かきたれて降る前に「霜月になりぬ」とあった。季節は冬である。雪が空をまっくらにして降る様子が描写される。2.4.1
注釈141かかる空にふり出でむも「ふり」は「雪」の縁語。「雪が降る」と「振り出す」の両意をこめた掛け詞的表現。以下、鬚黒の心情に添った語りとなる。言葉遊び的表現が見られる。2.4.1
注釈142人目いとほしうひどい雪の中をわざわざ出掛けて行ったとあっては、人目に立って北の方にも気の毒である。2.4.1
注釈143ふすべ下文の「火」の縁語。2.4.1
注釈144迎へ火『日本書紀』巻第七に倭建命が相模野で迎え火をつけて難を逃れた故事がある。こちらから対抗して。2.4.1
注釈145けしき物思いにふけっている鬚黒の様子。2.4.1
注釈146あやにくなめる以下「更けぬめりや」まで、北の方の詞。2.4.3
注釈147今は限りとどむとも北の方の心。「いかならむ」などの語句が省略されている。鬚黒の気持ちはもう元には戻るまいという諦めの気持ち。2.4.4
注釈148かかるにはいかでか鬚黒の詞。「え出でむ」などの語句が省略されている。このようにひどい雪ではどうして出掛けられようかの意。2.4.5
注釈149なほこのころばかり以下「思ひきこゆる」まで、引き続き鬚黒の詞。結婚したばかりのころ。文はここで、いったん切れる。この語を受ける述語はない。2.4.7
注釈150大臣たち源氏太政大臣や内大臣。2.4.7
注釈151立ちとまりたまひても以下「解けなむかし」まで、北の方の詞。2.4.9
注釈152袖の氷も『奥入』は「思ひつゝねなくに明くる冬の夜の袖の氷はとけずもあるかな」(後撰集冬。四八二、読人しらず)<あの人を思いながら泣き明かした冬の夜は涙に濡れて凍った袖も解けないままであることよ>を指摘し、現在の注釈書でも指摘する。2.4.9
注釈153解けなむかしきっと解けましょう。「な」(完了の助動詞、確述)「む」(推量の助動詞)。2.4.9
出典1 袖の氷も解けなむ 思ひつつ寝泣くに明くる冬の夜の袖の氷は解けずもあるかな 後撰集冬-四八一 読人しらず 2.4.9
2.5
第五段 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける


2-5  Kitanokata pours ashes to Higekuro

2.5.1  御火取り召して、いよいよ 焚きしめさせたてまつりたまふ。みづからは、萎えたる御衣ども、うちとけたる御姿、いとど細う、か弱げなり。しめりておはする、 いと心苦し。御目のいたう泣き腫れたるぞ、 すこしものしけれどいとあはれと見る時は、罪なう思して、
 御香炉を取り寄せて、ますます香をたきしめさせてお上げになる。自分自身は、皺になったお召物類で、身なりを構わないお姿が、ますますほっそりとか弱げである。沈んでいらっしゃるのは、たいそうお気の毒である。お目をたいそう泣き腫らしているのは、少し疎ましいが、しみじみといとおしいと見る時は、咎める気もお消えになって、
  Ohom-hitori mesi te, iyo-iyo taki-sime sase tatematuri tamahu. Midukara ha, naye taru ohom-zo-domo, utitoke taru ohom-sugata, itodo hosou, ka-yowage nari. Simeri te ohasuru, ito kokoro-gurusi. Ohom-me no itau naki-hare taru zo, sukosi monosikere do, ito ahare to miru toki ha, tumi nau obosi te,
2.5.2  「 いかで過ぐしつる年月ぞ」と、「 名残なう移ろふ心のいと軽きぞや」とは 思ふ思ふ、なほ心懸想は進みてそら嘆きをうちしつつ、なほ装束したまひて、小さき火取り取り寄せて、袖に引き入れて しめゐたまへり。
 「どうして今まで疎遠にしてきたのか」と、「すっかり心変わりした自分が何とも軽薄だ」とは思いながらも、やはり気持ちははやって、溜息をつきながら、やはりお召物を整えなさって、小さい香炉を取り寄せて、袖に入れてたきしめていらっしゃった。
  "Ikade sugusi turu tosi-tuki zo." to, "Nagori nau uturohu kokoro no ito karoki zo ya!" to ha omohu omohu, naho kokoro-gesau ha susumi te, sora-nageki wo uti si tutu, naho syauzoku si tamahi te, tihisaki hitori tori-yose te, sode ni hiki-ire te sime wi tamahe ri.
2.5.3   なつかしきほどに萎えたる御装束に、 容貌もかの並びなき御光にこそ 圧さるれど、いとあざやかに男々しきさまして、ただ人と見えず、心恥づかしげなり。
 やさしいほどに着馴れたお召物で、器量も、あの並ぶ人のないお方には圧倒されるが、たいそうすっきりした男性らしい感じで、普通の人とは見えず、気おくれするほど立派である。
  Natukasiki hodo ni naye taru ohom-syauzoku ni, katati mo, kano narabi naki ohom-hikari ni koso osa rure do, ito azayaka ni wowosiki sama si te, tadaudo to miye zu, kokoro-hadukasige nari.
2.5.4   に、人びと声して、
 侍所で、供人たちが声立てて、
  Saburahi ni, hito-bito kowe si te,
2.5.5  「 雪すこし隙あり。夜は更けぬらむかし
 「雪が小止みです。夜が更けてしまいましょう」
  "Yuki sukosi hima ari. Yo ha huke nura m kasi."
2.5.6  など、 さすがにまほにはあらで、そそのかしきこえて、声づくりあへり。
 などと、それでもあらわには言わないで、お促し申して、咳払いをし合っている。
  nado, sasuga ni maho ni ha ara de, sosonokasi kikoye te, kowa-dukuri ahe ri.
2.5.7   中将、木工など、「 あはれの世や」などうち嘆きつつ、語らひて臥したるに、 正身は、いみじう思ひしづめて、らうたげに寄り臥したまへりと見るほどに、にはかに起き上がりて、大きなる籠の下なりつる火取りを取り寄せて、殿の後ろに寄りて、さと沃かけたまふほど、人の ややみあふるほどもなう、あさましきに、 あきれてものしたまふ
 中将の君や、木工の君などは、「おいたわしいことだわ」などと嘆きながら、話し合って臥しているが、ご本人は、ひどく落ち着いていじらしく寄りかかっていらっしゃる、と見るうちに、急に起き上がって、大きな籠の下にあった香炉を取り寄せて、殿の後ろに近寄って、さっと浴びせかけなさる間、人の制止する間もなく、不意のことなので、呆然としていらっしゃる。
  Tyuuzyau, Moku nado, "Ahare no yo ya!" nado uti-nageki tutu, katarahi te husi taru ni, sauzimi ha, imiziu omohi sidume te, rautage ni yorihusi tamahe ri to miru hodo ni, nihaka ni okiagari te, ohoki naru ko no sita nari turu hitori wo tori-yose te, Tono no usiro ni yori te, sato ikake tamahu hodo, hito no yayami-ahuru hodo mo nau, asamasiki ni, akire te monosi tamahu.
2.5.8   さるこまかなる灰の、目鼻にも入りて、おぼほれてものもおぼえず。払ひ捨てたまへど、立ち満ちたれば、御衣ども脱ぎたまひつ。
 あのような細かい灰が、目や鼻にも入って、ぼうっとして何も分からない。払い除けなさるが、立ちこめているので、お召物をお脱ぎになった。
  Saru komaka naru hahi no, me hana ni mo iri te, obohore te mono mo oboye zu. Harahi sute tamahe do, tati-miti tare ba, ohom-zo-domo nugi tamahi tu.
2.5.9   うつし心にてかくしたまふぞと思はば、またかへりみすべくもあらずあさましけれど、
 正気でこのようなことをなさると思ったら、二度と見向く気にもなれず驚くほかないが、
  Utusi-gokoro ni te kaku si tamahu zo to omoha ba, mata kaheri-mi su beku mo ara zu asamasikere do,
2.5.10  「 例の御もののけの、人に疎ませむとするわざ」
 「例の物の怪が、人から嫌われるようにしようとしていることだ」
  "Rei no ohom-mononoke no, hito ni utoma se m to suru waza."
2.5.11  と、御前なる人びとも、いとほしう見たてまつる。
 と、お側の女房たちもお気の毒に拝し上げる。
  to, o-mahe naru hito-bito mo, itohosiu mi tatematuru.
2.5.12  立ち騷ぎて、御衣どもたてまつり替へなどすれど、そこらの灰の、鬢のわたりにも立ちのぼり、よろづの所に満ちたる心地すれば、 きよらを尽くしたまふわたりに、さながら参うでたまふべきにもあらず。
 大騒ぎになって、お召物をお召し替えなどするが、たくさんの灰が鬢のあたりにも舞い上がり、すべての所にいっぱいの気がするので、善美を尽くしていらっしゃる所に、このまま参上なさることはできない。
  Tati-sawagi te, ohom-zo-domo tatematuri-kahe nado sure do, sokora no hahi no, bin no watari ni mo tati-nobori, yorodu no tokoro ni miti taru kokoti sure ba, kiyora wo tukusi tamahu watari ni, sanagara maude tamahu beki ni mo ara zu.
2.5.13  「 心違ひとはいひながら、なほめづらしう、見知らぬ人の御ありさまなりや」と 爪弾きせられ、疎ましうなりて、 あはれと思ひつる心も残らねど、「 このころ、荒立てては、いみじきこと出で来なむ」と思ししづめて、夜中になりぬれど、僧など召して、加持参り騒ぐ。 呼ばひののしりたまふ声など、思ひ疎みたまはむにことわりなり。
 「気が違っているとはいっても、やはり珍しい、見たこともないご様子だ」と愛想も尽き、疎ましくなって、いとしいと思っていた気持ちも消え失せたが、「今、事を荒立てたら、大変なことになるだろう」と心を鎮めて、夜中になったが、僧などを呼んで、加持をさせる騷ぎとなる。わめき叫んでいらっしゃる声など、お嫌いになるのもごもっともである。
  "Kokoro-tagahi to ha ihi nagara, naho medurasiu, mi-sira nu hito no ohom-arisama nari ya!" to, tuma-haziki se rare, utomasiu nari te, ahare to omohi turu kokoro mo nokora ne do, "Kono-koro, ara-date te ha, imiziki koto ide-ki na m." to obosi-sidume te, yonaka ni nari nure do, sou nado mesi te, kadi mawiri sawagu. Yobahi nonosiri tamahu kowe nado, omohi-utomi tamaha m ni kotowari nari.
注釈154焚きしめさせたてまつりたまふ北の方が女房をして鬚黒の衣装に香をたきこめさせ申し上げなさる。2.5.1
注釈155いと心苦し語り手の北の方に対する同情の句。2.5.1
注釈156すこしものしけれど鬚黒と語り手の感情が重なったような表現。2.5.1
注釈157いとあはれ鬚黒の心。鬚黒が北の方をたいそういとおしいと思う。2.5.1
注釈158いかで過ぐしつる年月ぞ鬚黒の感想。『集成』は「どうして今まで長の年月、疎遠に過してきたのか」と訳し、『完訳』は「よくもこの長い年月いっしょに過してきたものよ」と訳す。前者は鬚黒の反省、後悔と解し、後者は鬚黒が北の方との仲を不思議に思っているところと解す。「いかで」は疑問であるとともに反語でもあろう。2.5.2
注釈159名残なう移ろふ心のいと軽きぞや引き続き、鬚黒の反省、後悔。2.5.2
注釈160思ふ思ふなほ心懸想は進みて「思ふ思ふ」「なほ」というように、その反面ではやはり玉鬘を思う気持ちははやって、という複雑な心理を捉えて語る。2.5.2
注釈161そら嘆きをうちしつつ嘘の嘆息を何度もして見せる。あなたを置いて出掛けるのは億劫だというポーズである。2.5.2
注釈162なつかしきほどに鬚黒の様子について語る。2.5.3
注釈163容貌も『万水一露』は「草子の批判の詞也」と指摘する。「心恥づかしげなり」は語り手の評言ともいえよう。2.5.3
注釈164かの並びなき御光源氏の美しさを譬喩していう。2.5.3
注釈165名詞。侍所のこと、供人の詰所。2.5.4
注釈166雪すこし隙あり夜は更けぬらむかし供人の声。「ぬ」(完了の助動詞、確述)「らむ」(推量の助動詞、視界外推量)「かし」(終助詞、強調)。夜が更けてしまいましょうの意。2.5.5
注釈167さすがにまほにはあらで供人たちの北の方への遠慮した態度動作。2.5.6
注釈168中将木工など召人の中将の御許や木工の君など。2.5.7
注釈169あはれの世や中将の御許や木工の君など感慨。北の方への同情。「世」は鬚黒と北の方の夫婦仲をいう。2.5.7
注釈170正身は以下「あきれてものしたまふ」まで北の方の一連の動作。その間の緩急の行動が「〜と見るほどに、〜て、〜ほど、〜のほどもなう、〜に」という語りの口調の上に巧みに語られている。2.5.7
注釈171ややみあふる『集成』は「「ややみ」「あふる」と複合動詞と見るべきであろうが、語義不詳。「ややむ」は驚きあるいは呼び掛けの語「やや」を活用させたものか。「あふる」は煽るか。「やや見敢ふる」と見るのは無理であろう」と注す。『完訳』は「「見敢ふ」で見届ける意。人の目にもとまらぬ瞬時の出来事」と注す。2.5.7
注釈172あきれてものしたまふ鬚黒の態度。すでに灰を浴びせ掛けられて茫然自失しているさま。2.5.7
注釈173さるこまかなる以下、その様子を細かく具体的に語る。2.5.8
注釈174うつし心にてかくしたまふぞと思はば鬚黒の気持ちに添って語る。2.5.9
注釈175例の御もののけの以下「するわざ」まで、鬚黒の感想であるとともに、「御前なる人びとも」とあるように女房たちの感想へと移る。2.5.10
注釈176きよらを尽くしたまふわたり六条院の玉鬘の所を指していう。2.5.12
注釈177心違ひとはいひながら以下「さまなりや」まで、鬚黒の気持ち。2.5.13
注釈178爪弾きせられ「られ」(自発の助動詞)。自然と〜とういう気持ちになって。2.5.13
注釈179あはれと思ひつる心『集成』は「いとしいと思っていた気持」と解し、『完訳』は「憐憫」と注し「いじらしいと思っていた気持」と訳すが、憐憫よりも愛情であろう。2.5.13
注釈180このころ荒立ててはいみじきこと出で来なむ鬚黒の心。この時期に事を荒立てては源氏方からも式部卿宮方からも厄介な事が出てこようという懸念。2.5.13
注釈181呼ばひののしりたまふ声など北の方に乗り移った物の怪の声。2.5.13
校訂16 しめゐ しめゐ--*しゐ 2.5.2
校訂17 圧さるれ 圧さるれ--おさな(な/$る<朱>)れ 2.5.3
2.6
第六段 鬚黒、玉鬘に手紙だけを贈る


2-6  Higekuro sends a letter to Tamakazura

2.6.1   夜一夜、打たれ引かれ、泣きまどひ明かしたまひて、すこしうち休みたまへるほどに、 かしこへ御文たてまつれたまふ。
 一晩中、打たれたり引かれたり、泣きわめいて夜をお明かしになって、少しお静かになっているころに、あちらへお手紙を差し上げなさる。
  Yo-hito-yo, utare hikare, naki madohi akasi tamahi te, sukosi uti-yasumi tamahe ru hodo ni, kasiko he ohom-humi tatemature tamahu.
2.6.2  「 昨夜、にはかに消え入る人のはべしにより、雪のけしきも ふり出でがたく、やすらひはべしに、 身さへ冷えてなむ。御心をばさるものにて、人いかに取りなしはべりけむ」
 「昨夜、急に意識を失った人が出まして、雪の降り具合も出掛けにくく、ためらっておりましたところ、身体までが冷えてしまいました。あなたのお気持ちはもちろんのこと、周囲の人はどのように取り沙汰したことでございましょう」
  "Yobe, nihaka ni kiye-iru hito no haberi si ni yori, yuki no kesiki mo huri-ide gataku, yasurahi habesi ni, mi sahe hiye te nam. Mi-kokoro wo ba saru mono ni te, hito ikani torinasi haberi kem?"
2.6.3  と、きすくに書きたまへり。
 と、生真面目にお書きになっている。
  to, kisuku ni kaki tamahe ri.
2.6.4  「 心さへ空に乱れし雪もよに
 「心までが中空に思い乱れましたこの雪に
    "Kokoro sahe sora ni midare si yuki-moyo ni
2.6.5   ひとり冴えつる片敷の袖
  独り冷たい片袖を敷いて寝ました
    hitori saye turu katasiki no sode
2.6.6   堪へがたくこそ
 耐えられませんでした」
  tahe gataku koso."
2.6.7  と、 白き薄様に、つつやかに書い たまへれどことにをかしきところもなし。手はいときよげなり。才かしこくなどぞものしたまひける。
 と、白い薄様に、重々しくお書きになっているが、格別風情のあるところもない。筆跡はたいそうみごとである。漢学の才能は高くいらっしゃるのであった。
  to, siroki usu-yau ni, tutuyaka ni kai tamahe re do, koto ni wokasiki tokoro mo nasi. Te ha ito kiyoge nari. Zae kasikoku nado zo monosi tamahi keru.
2.6.8   尚侍の君、夜がれを何とも思されぬに、 かく心ときめきしたまへるを、見も入れたまはねば、御返りなし。 、胸つぶれて、思ひ暮らしたまふ。
 尚侍の君は、夜離れを何ともお思いなさらないので、このように心はやっていらっしゃるのを、御覧にもならないので、お返事もない。男は、落胆して、一日中物思いをなさる。
  Kam-no-Kimi, yogare wo nani to mo obosa re nu ni, kaku kokoro-tokimeki si tamahe ru wo, mi mo ire tamaha ne ba, ohom-kaheri nasi. Wotoko, mune tubure te, omohi kurasi tamahu.
2.6.9  北の方は、なほいと苦しげにしたまへば、御修法など始めさせたまふ。 心のうちにも、「 このころばかりだに、ことなく、うつし心にあらせたまへ」と念じたまふ。「 まことの心ばへのあはれなるを見ず知らずは、かうまで思ひ過ぐすべくもなきけ疎さかな」と、思ひゐたまへり。
 北の方は、依然としてたいそう苦しそうになさっているので、御修法などを始めさせなさる。心の中でも、「せめてもう暫くの間だけでも、何事もなく、正気でいらっしゃってください」とお祈りになる。「ほんとうの気立てが優しいのを知らなかったら、こんなにまで我慢できない気味悪さだ」と、思っていらっしゃった。
  Kitanokata ha, naho ito kurusige ni si tamahe ba, mi-syuhohu nado hazime sase tamahu. Kokoro no uti ni mo, "Kono-koro bakari dani, koto naku, utusi-gokoro ni ara se tamahe." to nen-zi tamahu. "Makoto no kokorobahe no ahare naru wo mi zu sira zu ha, kau made omohi-sugusu beku mo naki ke-utosa kana!" to, omohi wi tamahe ri.
注釈182夜一夜打たれ引かれ泣きまどひ北の方が僧から打たれたり引き回されたり、また北の方自身泣き叫んだりしている様子。2.6.1
注釈183かしこへ鬚黒は玉鬘のもとへ。2.6.1
注釈184昨夜にはかに消え入る人のはべしにより以下「とりなしはべりけむ」まで、鬚黒の文。北の方が物の怪に苦しめられて、と言わずに、漠然と昨夜急に瀕死の状態に陥った人が生じてと、言い訳をしている。2.6.2
注釈185ふり出でがたく「ふり」は雪の縁語。また「降る」と「振る」の掛詞的表現。2.6.2
注釈186身さへ心はもちろん身体までがの意。2.6.2
注釈187心さへ空に乱れし雪もよにひとり冴えつる片敷の袖鬚黒から玉鬘への贈歌。空模様ばかりでなく心までが。2.6.4
注釈188堪へがたくこそ歌に添えた言葉。2.6.6
注釈189白き薄様に雪にあわせて白の薄様の紙を選んだ。2.6.7
注釈190ことにをかしきところもなし語り手の鬚黒の手紙に対する評言。以下「ものしたまひける」まで、鬚黒についての評言が続く。2.6.7
注釈191尚侍の君玉鬘。2.6.8
注釈192かく心ときめきしたまへるを鬚黒がはらはらしてお書きになった手紙を。「を」は下の「見も入れたまはねば」の目的格を表すとともに、内容的には逆接的に繋がっていくので、逆接の接続助詞とも見られる。両義性をもった用法である。2.6.8
注釈193鬚黒を「男」と呼ぶことに注意。男と女の場面。2.6.8
注釈194心のうちにも鬚黒の心をいう。2.6.9
注釈195このころばかりだに以下「あらせたまへ」まで、鬚黒の心。仏への祈り。2.6.9
注釈196まことの心ばへの以下「け疎さかな」まで、鬚黒の心。2.6.9
校訂18 たまへれど たまへれど--(/+給)へれと 2.6.7
2.7
第七段 翌日、鬚黒、玉鬘を訪う


2-7  Higekuro visits to Tamakazura the next day

2.7.1   暮るれば、例の、急ぎ出でたまふ。御装束のことなども、めやすくしなしたまはず、 世にあやしう、うちあはぬさまにのみむつかりたまふを、あざやかなる御直衣なども、え取りあへたまはで、いと見苦し。
 日が暮れると、いつものように急いでお出かけになる。お召物のことなども、体裁よく整えなさらず、まことに奇妙で身にそぐわないとばかり不機嫌でいらっしゃるが、立派な御直衣などは、間に合わせることがおできになれず、たいそう見苦しい。
  Kurure ba, rei no, isogi ide tamahu. Ohom-syauzoku no koto nado mo, meyasuku si-nasi tamaha zu, yo ni ayasiu, uti-aha nu sama ni nomi mutukari tamahu wo, azayaka naru ohom-nahosi nado mo, e tori-ahe tamaha de, ito migurusi.
2.7.2  昨夜のは、焼けとほりて、疎ましげに焦れたるにほひなども、ことやうなり。御衣どもに移り香もしみたり。ふすべられけるほどあらはに、人も倦じたまひぬべければ、脱ぎ替へて、御湯殿など、いたうつくろひたまふ。
 昨夜のは、焼け穴があいて、気味悪く焦げた匂いがするのも異様である。御下着にまでその匂いが染みていた。嫉妬された跡がはっきりして、相手もお嫌いになるに違いないので、脱ぎ替えて、御湯殿などで、たいそう身繕いをなさる。
  Yobe no ha, yake-tohori te, utomasige ni kogare taru nihohi nado mo, koto yau nari. Ohom-zo-domo ni uturi-ga mo simi tari. Husube rare keru hodo araha ni, hito mo u-zi tamahi nu bekere ba, nugi-kahe te, ohom-yu-dono nado, itau tukurohi tamahu.
2.7.3  木工の君、御薫物しつつ、
 木工の君、お召物に香をたきしめながら、
  Moku-no-Kimi, ohom-takimono si tutu,
2.7.4  「 ひとりゐて焦がるる胸の苦しきに
 「北の方が独り残されて、思い焦がれる胸の苦しさが
    "Hitori wi te kogaruru mune no kurusiki ni
2.7.5   思ひあまれる炎とぞ見じ
  思い余って炎となったその跡と拝見しました
    omohi amare ru honoho to zo mi si
2.7.6  名残なき御もてなしは、見たてまつる人だに、ただにやは」
 すっかり変わったお仕打ちは、お側で拝見する者でさえも、平気でいられましょうか」
  Nagori naki ohom-motenasi ha, mi tatematuru hito dani, tada ni ya ha."
2.7.7  と、口おほひてゐたる、まみ、いといたし。されど、「 いかなる心にて、かやうの人にものを言ひけむ」などのみぞおぼえたまひける。 情けなきことよ
 と、口もとをおおっている、目もとは、たいそう魅力的である。けれども、「どのような気持ちからこのような女に情けをかけたのだろう」などとだけ思われなさるのであった。薄情なことであるよ。
  to, kuti-ohohi te wi taru, mami, ito itasi. Saredo, "Ika naru kokoro ni te, kayau no hito ni mono wo ihi kem?" nado nomi zo oboye tamahi keru. Nasake naki koto yo!
2.7.8  「 憂きことを思ひ騒げばさまざまに
 「嫌なことを思って心が騒ぐので、あれこれと
    "Uki koto wo omohi sawage ba sama-zama ni
2.7.9   くゆる煙ぞいとど立ちそふ
  後悔の炎がますます立つのだ
    kuyuru keburi zo itodo tati-sohu
2.7.10   いとことのほかなることどもの、もし聞こえあらば、 中間になりぬべき身なめり」
 まったくとんでもない事が、もし先方の耳に入ったら、宙ぶらりな身の上となるだろう」
  Ito koto no hoka naru koto-domo no, mosi kikoye ara ba, tyuugen ni nari nu beki mi na' meri."
2.7.11  と、うち嘆きて出でたまひぬ。
 と、溜息ついてお出かけになった。
  to, uti-nageki te ide tamahi nu.
2.7.12  一夜ばかりの隔てだに、まためづらしう、をかしさまさりておぼえたまふありさまに、 いとど心を分くべくもあらずおぼえて心憂ければ久しう籠もりゐたまへり
 一夜会わなかっただけなのに、改めて珍しいほどに、美しさが増して見えなさるご様子に、ますます心を他の女に分けることもできないように思われて、憂鬱なので、長い間居続けていらっしゃった。
  Hito-yo bakari no hedate dani, mata medurasiu, wokasisa masari te oboye tamahu arisama ni, itodo kokoro wo waku beku mo ara zu oboye te, kokoro-ukere ba, hisasiu komori wi tamahe ri.
注釈197暮るれば例の「例の」とあることによって、日が暮れると鬚黒は玉鬘のもとへ出掛けて行くことが習慣化していることが知られる。2.7.1
注釈198世にあやしううちあはぬさまにのみむつかりたまふを鬚黒の身につかない風流事を自分自身でも認め不快がっている。2.7.1
注釈199ひとりゐて焦がるる胸の苦しきに思ひあまれる炎とぞ見じ木工の君の贈歌。「ひとり」に「独り」と「火取り」を掛ける。「焦がるる」「炎」は「火」の縁語。「思ひ」の「ひ」に「火」を掛ける。2.7.4
注釈200いかなる心にて以下「言ひけむ」まで鬚黒の心。2.7.7
注釈201情けなきことよ『細流抄』は「草子地の評也」と注し、『評釈』は「木工の君がそう思い、この物語を読み上げる女房がそう思い、男心と秋の空、と、物語の読者たる女性は思う」と解説する。『全集』『集成』『完訳』等も「草子地」と注す。鬚黒の木工の君に対する態度を薄情なことだという語り手の評言。2.7.7
注釈202憂きことを思ひ騒げばさまざまにくゆる煙ぞいとど立ちそふ鬚黒の返歌。「思ひ」の「ひ」に「火」を掛け、「くゆる」に「燻る」と「悔ゆる」を掛ける。「燻る煙」は「火」の縁語。2.7.8
注釈203いとことの以下「身なめり」まで鬚黒の詞が歌の後に続く。2.7.10
注釈204中間になりぬべきどっちつかずの状態。北の方は式部卿宮に引き取られ、玉鬘は源氏方から仲を裂かれるような状態。2.7.10
注釈205いとど心を分くべくもあらずおぼえて玉鬘のことを思うとますます他の女性に愛情を分けることはできないように思われて。2.7.12
注釈206心憂ければ北の方のことを思うと憂鬱なので。2.7.12
注釈207久しう籠もりゐたまへり鬚黒が六条院の玉鬘のもとに。2.7.12
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/15/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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