31 真木柱(大島本)


MAKIBASIRA


光る源氏の太政大臣時代
三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from October at the age of 37 to November at the age of 38

1
第一章 玉鬘の物語 玉鬘、鬚黒大将と結婚


1  Tale of Tamakazura  Tamakazura gets married to Higekuro

1.1
第一段 鬚黒、玉鬘を得る


1-1  Higekuro married to Tamakazura on October

1.1.1  「 内裏に聞こし召さむこともかしこし。しばし人にあまねく漏らさじ」と 諌めきこえたまへどさしもえつつみあへたまはずほど経れどいささかうちとけたる御けしきもなく、「 思はずに憂き宿世なりけり」と、思ひ入りたまへるさまのたゆみなきを、「 いみじうつらし」と思へど、おぼろけならぬ契りのほど、あはれにうれしく 思ふ
 「帝がお聞きあそばすことも恐れ多い。少しの間は広く世間には知らせまい」とご注意申し上げなさるが、そう隠してもお隠しきれになれない。何日かたったが、少しもお心を開くご様子もなく、「思いの他の不運な身の上だわ」と、思い詰めていらっしゃる様子がいつまでも続くので、「ひどく恨めしい」と思うが、浅からぬご縁、しみじみと嬉しく思う。
  "Uti ni kikosimesa m koto mo kasikosi. Sibasi hito ni amaneku morasa zi." to isame kikoye tamahe do, sasimo e tutumi-ahe tamaha zu. Hodo hure do, isasaka utitoke taru mi-kesiki mo naku, "Omoha zu ni uki sukuse nari keri." to, omohi-iri tamahe ru sama no tayumi naki wo, "Imiziu turasi." to omohe do, oboroke nara nu tigiri no hodo, ahare ni uresiku omohu.
1.1.2   見るままにめでたく、思ふさまなる御容貌、ありさまを、「 よそのものに見果ててやみなましよ」と思ふだに胸つぶれて、 石山の仏をも、 弁の御許をも、並べて預かまほしう思へど、 女君の、深くものしと疎みにければ、 え交じらはで籠もりゐにけり
 見れば見るほどにご立派で、理想的なご器量、様子を、「他人のものにしてしまうところであったよ」と思うだけでも胸がどきどきして、石山寺の観音も、弁の御許も並べて拝みたく思うが、女君がほんとうに不愉快だと嫌ったので、出仕もせずに自宅に引き籠もっているのであった。
  Miru mama ni medetaku, omohu sama naru ohom-katati, arisama wo, "Yoso no mono ni mi-hate te yami na masi yo!" to omohu dani mune tubure te, Isiyama no Hotoke wo mo, Ben-no-Omoto wo mo, narabe te itadaka mahosiu omohe do, Omna-Gimi no, hukaku monosi to utomi ni kere ba, e maziraha de komori wi ni keri.
1.1.3   げに、そこら心苦しげなることどもを、とりどりに見しかど、心浅き人のためにぞ、寺の験も現はれける
 なるほど、たくさんお気の毒な例を、いろいろと見て来たが、思慮の浅い人のために、お寺の霊験が現れたのであった。
  Geni, sokora kokoro-gurusige naru koto-domo wo, tori-dori ni mi sika do, kokoro-asaki hito no tame ni zo, Tera no gen mo araha re keru.
1.1.4  大臣も、「心ゆかず口惜し」と思せど、いふかひなきことにて、「 誰れも誰れもかく許しそめたまへることなれば引き返し許さぬけしきを見せむも、人のためいとほしう、あいなし」と思して、儀式いと二なくもてかしづきたまふ。
 大臣も「不満足で残念だ」とお思いになるが、今さら言ってもしかたのないことなので、「誰も彼もこのようにご承知なさったことなので、今さら態度を変えるのも、相手のためにたいそうお気の毒であり、筋違いである」とお考えになって、結婚の儀式をたいそうまたとなく立派にお世話なさる。
  Otodo mo, "Kokoro-yuka zu kutiwosi." to obose do, ihukahinaki koto ni te, "Tare mo tare mo kaku yurusi some tamahe ru koto nare ba, hiki-kahesi yurusa nu kesiki wo mise m mo, hito no tame itohosiu, ainasi." to obosi te, gisiki ito ni-naku mote kasiduki tamahu.
1.1.5   いつしかと、わが殿に渡いたてまつらむことを思ひいそぎたまへど、 軽々しくふとうちとけ渡りたまはむに、かしこに待ち取りて、 よくも思ふまじき人ものしたまふなるが、いとほしさに ことづけたまひて
 一日も早く、自分の邸にお迎え申し上げることをご準備なさるが、軽率にひょいとお移りなさる場合、あちらに待ち受けて、きっと好ましく思うはずのない人がいらっしゃるらしいのが、気の毒なことにかこつけなさって、
  Itusika to, waga tono ni watai tatematura m koto wo omohi isogi tamahe do, karu-garusiku huto utitoke watari tamaha m ni, kasiko ni mati-tori te, yoku mo omohu maziki hito no monosi tamahu naru ga, itohosisa ni kotoduke tamahi te,
1.1.6  「 なほ、心のどかに、なだらかなるさまにて、音なく、いづ方にも、人のそしり恨みなかるべくをもてなしたまへ」
 「やはり、ゆっくりと、波風を立てないようにして、騒がれないで、どこからも人の非難や妬みを受けないよう、お振る舞いなさい」
  "Naho, kokoro nodoka ni, nadaraka naru sama ni te, oto naku, idu-kata ni mo, hito no sosiri urami nakaru beku wo motenasi tamahe."
1.1.7  とぞ聞こえたまふ。
 とお申し上げなさる。
  to zo kikoye tamahu.
注釈1内裏に聞こし召さむこと以下「漏らさじ」まで、源氏の鬚黒大将に注意する詞である。しかし、源氏の心ともとれるような表現。「漏らさ」「じ」(打消推量の助動詞)は、自分自身に向かって戒めているような表現である。『完訳』は「源氏自身の無念さもこもるか」と指摘する。十月に尚侍として出仕することが予定されていた(「藤袴」第一章七段)。その前に鬚黒大将が玉鬘に通じてしまったことをさす。1.1.1
注釈2諌めきこえたまへど源氏が鬚黒大将にお諌め申し上げなさるが。1.1.1
注釈3さしもえつつみあへたまはず鬚黒大将は源氏が忠告するようにお隠し通しになれない。1.1.1
注釈4ほど経れど鬚黒大将が玉鬘のもとに通うようになって暫くしたが。1.1.1
注釈5いささかうちとけたる御けしきもなく玉鬘の鬚黒大将に対する態度には少しも気を許した御様子もなく。1.1.1
注釈6思はずに憂き宿世なりけり玉鬘の感慨。鬚黒大将との結婚を「憂き宿世」と感想する。1.1.1
注釈7いみじうつらしと思へど鬚黒大将はひどく辛いと思うが。1.1.1
注釈8見るままにめでたく以下、鬚黒の目を通して語られる。「よそものに見果ててやみなましよ」は鬚黒大将の心中。「見るままにめでたく」というように、文末が過去の助動詞「けり」で結ばれる。以下「あらはれける」までの段、語り手が鬚黒の気持ちに添って、またその周辺から語った内容である。1.1.2
注釈9よそのものに見果ててやみなましよ他人の妻としてしまうところであったよ。「まし」は反実仮想の助動詞。1.1.2
注釈10石山の仏滋賀県大津市にある石山寺。本尊は如意輪観音像。当時霊験あらたかな観音として女性の信仰を多くあつめた。ここは男性の鬚黒大将が熱心に祈願した。1.1.2
注釈11弁の御許玉鬘付きの女房で、「藤袴」巻に登場。鬚黒と玉鬘の結婚に一役果たしたらしい。1.1.2
注釈12女君玉鬘。1.1.2
注釈13え交じらはで籠もりゐにけり弁は他の女房に混じって出仕することもできず、里に謹慎しているのであった。1.1.2
注釈14げにそこら心苦しげなることどもをとりどりに見しかど心浅き人のためにぞ寺の験も現はれける『一葉抄』が「双紙の言葉也」と指摘。『評釈』では「女房の感想これは、そのとき傍観している女房のことばと考える」。『全集』は「語り手のことば」。『集成』は「草子地」。『完訳』は「玉鬘の意外な結婚への、語り手の評言」と指摘する。「げに」「とりどりに見しかど」(過去の助動詞「しか」は直接体験を意味する)という語句は、登場人物らの傍らで見ていた者の感想を表現したものである。物語の伝承者とその筆記編集者が一体化している。1.1.3
注釈15誰れも誰れもかく許しそめたまへることなれば尊敬語「たまへ」があるので、内大臣や源氏自身をさす。源氏の心内文中に語り手の源氏に対する敬意が紛れ込んだ語法。1.1.4
注釈16いつしかと鬚黒の心に添って語る。1.1.5
注釈17軽々しく以下、視点が源氏の心に移る。1.1.5
注釈18よくも思ふまじき人鬚黒の北の方。1.1.5
注釈19ものしたまふなるが「なる」(伝聞推定の助動詞)。いらっしゃというふうに聞いているのが。1.1.5
注釈20ことづけたまひて源氏はかこつけなさって。1.1.5
注釈21なほ心のどかに以下「もてなしたまへ」まで、源氏の玉鬘への忠告の詞。1.1.6
校訂1 思ふ 思ふ--思ひ(ひ/$<朱>) 1.1.1
校訂2 引き返し 引き返し--ひきかつ(つ/$へ<朱>)し 1.1.4
1.2
第二段 内大臣、源氏に感謝


1-2  Nai-Daijin thanks Genji for his consideration to Tamakazura

1.2.1   父大臣は、
 父内大臣は、
  Titi-Otodo ha,
1.2.2  「 なかなかめやすかめり。ことにこまかなる後見なき人の、なまほの好いたる宮仕へに出で立ちて、苦しげにやあらむとぞ、 うしろめたかりし。心ざしはありながら、 女御かくてものしたまふをおきて、 いかがもてなさまし
 「かえって無難であろう。格別親身に世話してくれる後見のない人が、なまじっかの色めいた宮仕えに出ては、辛いことであろうと、不安に思っていた。大切にしたい気持ちはあるが、女御がこのようにいらっしゃるのを差し置いて、どうして世話できようか」
  "Naka-naka meyasuka' meri. Koto ni komaka naru usiromi naki hito no, nama hono sui taru Miya-dukahe ni ide-tati te, kurusige ni ya ara m to zo, usirometakari si. Kokorozasi ha ari nagara, Nyougo kakute monosi tamahu wo oki te, ikaga motenasa masi."
1.2.3  など、忍びてのたまひけり。 げに、帝と聞こゆとも、人に思し落とし、はかなきほどに見えたてまつりたまひて、ものものしくももてなしたまはずは、あはつけきやうにもあべかりけり
 などと、内々におっしゃっているのであった。なるほど、帝だと申しても、人より軽くおぼし召し、時たまお目にかかりなさって、堂々としたお扱いをなさらなかったら、軽率な出仕ということになりかねないのであった。
  nado, sinobi te notamahi keri. Geni, Mikado to kikoyu to mo, hito ni obosi otosi, hakanaki hodo ni miye tatematuri tamahi te, mono-monosiku mo motenasi tamaha zu ha, ahatukeki yau ni mo a' bekari keri.
1.2.4   三日の夜の御消息ども、 聞こえ交はしたまひけるけしきを 伝へ聞きたまひてなむ、 この大臣の君の御心を、「 あはれにかたじけなく、ありがたし」とは思ひきこえたまひける。
 三日の夜のお手紙を、取り交わしなさった様子を伝え聞きなさって、こちらの大臣のお気持ちを、「ほんとうにもったいなく、ありがたい」と感謝申し上げなさるのであった。
  Mi-ka no yo no ohom-seusoko-domo, kikoye kahasi tamahi keru kesiki wo tutahe kiki tamahi te nam, kono Otodo-no-Kimi no mi-kokoro wo, "Ahare ni katazikenaku, arigatasi." to ha omohi kikoye tamahi keru.
1.2.5   かう忍びたまふ御仲らひのことなれど、おのづから、人のをかしきことに語り伝へつつ、次々に聞き洩らしつつ、ありがたき世語りにぞささめきける。内裏にも聞こし召してけり。
 このように隠れたご関係であるが、自然と、世間の人がおもしろい話として語り伝えては、次から次へと漏れ聞いて、めったにない世間話として言いはやすのであった。帝におかれてもお聞きあそばしたのであった。
  Kau sinobi tamahu ohom-nakarahi no koto nare do, onodukara, hito no wokasiki koto ni katari tutahe tutu, tugi-tugi ni kiki-morasi tutu, arigataki yo-gatari ni zo sasameki keru. Uti ni mo kikosimesi te keri.
1.2.6  「 口惜しう、宿世異なりける人なれど、 さ思しし本意もあるを。宮仕へなど、かけかけしき筋ならば こそは、思ひ絶えたまはめ
 「残念にも、縁のなかった人であるが、あのように望んでいられた願いもあるのだから。宮仕えなど、妃の一人としてでは、お諦めになるのもよかろうが」
  "Kutiwosiu, sukuse koto nari keru hito nare do, sa obosi si ho'i mo aru wo. Miyadukahe nado, kake-kakesiki sudi nara ba koso ha, omohi taye tamaha me."
1.2.7   などのたまはせけり
 などと仰せられるのであった。
  nado notamahase keri.
注釈22父大臣玉鬘の父大臣、すなわち内大臣。以下の段、「思ひきこえたまひける」まで、文末が過去の助動詞「けり」で結ばれる。語り手が物語の時間を結婚の三日夜の過去に遡らせ、その折の内大臣に関する態度について補足説明を挿入したような内容である。1.2.1
注釈23なかなか以下「いかがもてなさまし」まで、内大臣の詞。なまじ宮仕えするよりは結婚したほうが無難なようである。「めり」(推量の助動詞、視界内推量)は内大臣が自らの経験の中で判断したニュアンス。1.2.2
注釈24うしろめたかりし「し」(過去の助動詞)は内大臣自身不安に思っていた、というニュアンス。1.2.2
注釈25女御かくてものしたまふを弘徽殿女御をさす。「澪標」巻に入内。内大臣と右大臣の娘四の君との間の姫君。1.2.2
注釈26いかがもてなさまし反語表現。どのようにお世話できようか、しようがない。1.2.2
注釈27げに、帝と聞こゆとも、人に思し落とし、はかなきほどに見えたてまつりたまひて、ものものしくももてなしたまはずは、あはつけきやうにもあべかりけり『休聞抄』は「双ノ地也又玉鬘の心也」と指摘。『全書』は「草子地」と指摘。『評釈』は「内大臣の考えを、作者は、「げに」と、賛成する」といい、『全集』『集成』は「草子地」という言い方で、『完訳』は「語り手」という言い方で指摘する。「なるほど」は内大臣の詞を受け、語り手がそれに賛成の意を表した口ぶり、また「あべかりけり」も語り手の推察である。1.2.3
注釈28聞こえ交はしたまひける親代わりの源氏と婿の鬚黒大将との間でやりとりなさった。1.2.4
注釈29伝へ聞きたまひて実の父親の内大臣が伝え聞きなさって。1.2.4
注釈30この大臣の君源氏。1.2.4
注釈31あはれにかたじけなくありがたし内大臣の源氏に対する感謝の気持ち。1.2.4
注釈32かう忍びたまふ御仲らひのことなれど「かう」は以上の経緯を語った内容をさす。さらに角度を変えて、世間の人々の様子、さらに帝へと及んでいく。文末は過去の助動詞「けり」で結ばれている。『湖月抄』は「草子地也」と指摘する。1.2.5
注釈33口惜しう以下「思ひ絶えたまはめ」まで帝の独り言。1.2.6
注釈34さ思しし本意尚侍の君としての宮仕えをさす。1.2.6
注釈35こそは思ひ絶えたまはめ「こそ--め」の係結び。文末であるが、文意は逆接的または反語的表現である。断念なさるのもよいだろうが、入内するのではないから、何構うまい、という意である。下に「内侍所にも」(第三段)とあるように、帝のこのことばによって、玉鬘の尚侍としての出仕が決定したことを暗示している。1.2.6
注釈36などのたまはせけり以上、過去の助動詞「けり」で語られてきた段が終了し、以下は物語の現在時間に添って語られる。1.2.7
校訂3 三日 三日--三る(る/$日<朱>) 1.2.4
校訂4 絶え 絶え--たへ(へ/$え<朱>) 1.2.6
1.3
第三段 玉鬘、宮仕えと結婚の新生活


1-3  Tamakazura's new life on working under Mikado and married life

1.3.1   霜月になりぬ。神事などしげく、内侍所にもこと多かるころにて、女官ども、内侍ども 参りつつ、今めかしう人騒がしきに、大将殿、昼もいと隠ろへたるさまにもてなして、籠もりおはするを、いと心づきなく、尚侍の君は思したり。
 十一月になった。神事などが多く、内侍所にも仕事の多いころなので、女官連中、内侍連中が参上しては、はなやかに騒々しいので、大将殿は、昼もたいそう隠れたようにして籠もっていらっしゃるのを、たいそう気にくわなく、尚侍の君はお思いになっていた。
  Simotuki ni nari nu. Kami-waza nado sigeku, Naisi-dokoro ni mo koto ohokaru koro ni te, Nyokwan-domo Naisi-domo mawiri tutu, imamekasiu hito sawagasiki ni, Daisyau-dono, hiru mo ito kakurohe taru sama ni motenasi te, komori ohasuru wo, ito kokorodukinaku, Kam-no-Kimi ha obosi tari.
1.3.2   宮などは、まいていみじう口惜しと思す。 兵衛督は、 妹の北の方の御ことをさへ、人笑へに思ひ嘆きて、とり重ねもの思ほしけれど、「をこがましう、恨み寄りても、今はかひなし」と思ひ返す。
 兵部卿宮などは、それ以上に残念にお思いになる。兵衛督は、妹の北の方の事までを外聞が悪いと嘆いて、重ね重ね憂鬱であったが、「馬鹿らしく、恨んでみても今はどうにもならない」と考え直す。
  Miya nado ha, maite imiziu kutiwosi to obosu. Hyauwe-no-Kami ha, imouto no Kita-no-kata no ohom-koto wo sahe, hito-warahe ni omohi nageki te, tori-kasane mono omohosi kere do, "Wokogamasiu, urami yori te mo, ima ha kahi nasi." to omohi-kahesu.
1.3.3   大将は、名に立てるまめ人の、年ごろいささか乱れたるふるまひなくて過ぐしたまへる、名残なく心ゆきて、あらざりしさまに好ましう、宵暁のうち忍びたまへる出で入りも、艶にしなしたまへるを、をかしと人びと見たてまつる。
 大将は、有名な堅物で、長年少しも浮気沙汰もなくて過ごしてこられたのが、すっかり変わってご満悦で、別人のようなご様子で、夜や早朝の人目を忍んでいらっしゃる出入りも、恋人らしく振る舞っていらっしゃるのを、おもしろいと女房たちは拝する。
  Daisyau ha, na ni tate ru mame-bito no, tosi-goro isasaka midare taru hurumahi naku te sugusi tamahe ru, nagori naku kokoro-yuki te, ara zari si sama ni konomasiu, yohi akatuki no uti-sinobi tamahe ru ide-iri mo, en ni si-nasi tamahe ru wo, wokasi to hito-bito mi tatematuru.
1.3.4   女は、わららかににぎははしくもてなしたまふ本性も、もて隠して、いといたう思ひ結ぼほれ、心もて あらぬさまはしるきことなれど、「大臣の思すらむこと、宮の御心ざまの、心深う、情け情けしうおはせし」などを思ひ出でたまふに、「恥づかしう、口惜しう」のみ思ほすに、もの心づきなき御けしき絶えず。
 女は、陽気にはなやかにお振る舞いなさるご性分も表に出さず、とてもひどくふさぎ込んで、自分から求めて一緒になったのでないことは誰の目からも明らかであるが、「大臣がどうお思いであろうか、兵部卿宮のお気持ちの深くやさしくいらっしゃったこと」などを思い出しなさると、「恥ずかしく、残念だ」とばかりお思いになると、何かと気に入らないご様子が絶えない。
  Womna ha, wararaka ni nigihahasiku motenasi tamahu honzyau mo, mote kakusi te, ito itau omohi musubohore, kokoro mote ara nu sama ha siruki koto nare do, "Otodo no obosu ram koto, Miya no mi-kokoro-zama no, kokoro hukau, nasake-nasake-siu ohase si." nado wo omohi-ide tamahu ni, "Hadukasiu, kutiwosiu." nomi omohosu ni, mono-kokoroduki-naki mi-kesiki taye zu.
注釈37霜月になりぬ新年立では源氏三十七年十一月。1.3.1
注釈38参りつつ女官や内侍司の人々が六条院に尚侍の玉鬘の決裁を仰ぎに参上する。接尾語「つつ」は同じ行動が繰り返しなされる意。1.3.1
注釈39宮などは蛍兵部卿宮。1.3.2
注釈40兵衛督左兵衛督。紫の上の異母兄弟。式部卿宮の息子。その姉妹が鬚黒の北の方になっている。「藤袴」巻に初出の玉鬘求婚者の一人。1.3.2
注釈41妹の北の方の御ことをさへ「さへ」には、玉鬘への求婚争いに敗れ、その上、姉妹の北の方が夫の鬚黒から顧みられなくなったことまで。1.3.2
注釈42大将は名に立てるまめ人の鬚黒大将の堅物なる人物像。1.3.3
注釈43女はわららかににぎははしくもてなしたまふ本性も玉鬘の山吹の花のように明るく朗らかで何の屈託もなくはなやかな性格。1.3.4
校訂5 あらぬ あらぬ--*あかぬ 1.3.4
1.4
第四段 源氏、玉鬘と和歌を詠み交す


1-4  Genji changes waka with Tamakazura and tells his affection for her

1.4.1   殿もいとほしう人びとも思ひ疑ひける筋を、心きよくあらはしたまひて、「 わが心ながら、うちつけにねぢけたることは好まずかし」と、昔よりのことも思し出でて、紫の上にも、
 殿も、気の毒だと女房たちも疑っていたことに、潔白であることを証明なさって、「自分の心中でも、その場限りの間違ったことは好まないのだ」と、昔からのこともお思い出しになって、紫の上にも、
  Tono mo, itohosiu hito-bito mo omohi utagahi keru sudi wo, kokoro-kiyoku arahasi tamahi te, "Waga kokoro nagara, utituke ni nedike taru koto ha konoma zu kasi." to, mukasi yori no koto mo obosi-ide te, Murasaki-no-Uhe ni mo,
1.4.2  「思し疑ひたりしよ」
 「お疑いでしたね」
  "Obosi utagahi tari si yo."
1.4.3  など聞こえたまふ。「 今さらに人の心癖もこそ」と思しながら、ものの苦しう思されし時、「 さてもや」と、 思し寄りたまひしことなれば、なほ思しも絶えず。
 などと申し上げなさる。「今さら、厄介な癖が出ても困る」とお思いになる一方で、何かたまらなくお思いになった時、「いっそ自分の物にしてしまおうか」と、お考えになったこともあるので、やはりご愛情も切れない。
  nado kikoye tamahu. "Imasara ni hito no kokoro-guse mo koso." to obosi nagara, mono no kurusiu obosa re si toki, "Sate mo ya?" to, obosi-yori tamahi si koto nare ba, naho obosi mo taye zu.
1.4.4   大将のおはせぬ昼つ方渡りたまへり。女君、あやしう悩ましげにのみもてないたまひて、すくよかなる折もなくしをれたまへるを、かくて渡りたまへれば、すこし起き上がりたまひて、御几帳にはた隠れておはす。
 大将のおいでにならない昼ころ、お渡りになった。女君は、不思議なほど悩ましそうにばかりお振る舞いになって、さわやかな気分の時もなく萎れていらっしゃったが、このようにしてお越しになると、少し起き上がりなさって、御几帳に隠れてお座りになる。
  Daisyau no ohase nu hiru tu kata watari tamahe ri. Womna-Gimi, ayasiu nayamasige ni nomi motenai tamahi te, sukuyoka naru wori mo naku siwore tamahe ru wo, kaku te watari tamahe re ba, sukosi oki-agari tamahi te, mi-kityau ni hata kakure te ohasu.
1.4.5  殿も、用意ことに、すこしけけしきさまにもてないたまひて、おほかたの ことどもなど聞こえたまふ。すくよかなる 世の常の人にならひては、まして言ふ方なき 御けはひありさま見知りたまふにも思ひのほかなる身の、置きどころなく恥づかしきにも、涙ぞこぼれける。
 殿も、改まった態度で、少し他人行儀にお振る舞いになって、世間一般の話などを申し上げなさる。真面目な普通の人を夫として迎えるようになってからは、今まで以上に言いようのないご様子や有様をお分りになるにつけ、意外な運命の身の、置き所もないような恥ずかしさにも、涙がこぼれるのであった。
  Tono mo, youi koto ni, sukosi kekesiki sama ni motenai tamahi te, ohokata no koto-domo nado kikoye tamahu. Sukuyoka naru yo no tune no hito ni narahi te ha, masite ihu kata naki ohom-kehahi arisama wo mi-siri tamahu ni mo, omohi no hoka naru mi no, oki-dokoro naku hadukasiki ni mo, namida zo kobore keru.
1.4.6  やうやう、こまやかなる御物語になりて、近き御脇息に寄りかかりて、すこしのぞきつつ、聞こえたまふ。 いとをかしげに面痩せ たまへるさまの、見まほしう、 らうたいことの添ひたまへるにつけても、「 よそに見放つも、あまりなる心のすさびぞかし」と 口惜し
 だんだんと、情のこもったお話になって、近くにある御脇息に寄り掛かって、少し覗き見しながら、お話し申し上げになさる。たいそう美しげに面やつれしておいでの様子が、見飽きず、いじらしさがお加わりになっているにつけても、「他人に手放してしまうのも、あまりな気まぐれだな」と残念である。
  Yau-yau, komayaka naru ohom-monogatari ni nari te, tikaki ohom-kehusoku ni yori-kakari te, sukosi nozoki tutu, kikoye tamahu. Ito wokasige ni omo-yase tamahe ru sama no, mi-mahosiu, rautai koto no sohi tamahe ru ni tuke te mo, "Yoso ni mi-hanatu mo, amari naru kokoro no susabi zo kasi." to kutiwosi.
1.4.7  「 おりたちて汲みは見ねども渡り川
 「あなたと立ち入った深い関係はありませんでしたが、三途の川を渡る時、
    "Ori-tati te kumi ha mi ne domo watari-gaha
1.4.8   人の瀬とはた契らざりしを
  他の男に背負われて渡るようにはお約束しなかったはずなのに
    hito no se to hata tigira zari si wo
1.4.9   思ひのほかなりや
 思ってもみなかったことです」
  Omohi no hoka nari ya!"
1.4.10  とて、鼻うちかみたまふけはひ、 なつかしうあはれなり
 と言って、鼻をおかみになる様子、やさしく心を打つ風情である。
  tote, hana uti-kami tamahu kehahi, natukasiu ahare nari.
1.4.11  女は顔を隠して、
 女は顔を隠して、
  Womna ha kaho wo kakusi te,
1.4.12  「 みつせ川渡らぬさきにいかでなほ
 「三途の川を渡らない前に何とかしてやはり
    "Mituse-gaha watara nu saki ni ikade naho
1.4.13   涙の澪の泡と消えなむ
  涙の流れに浮かぶ泡のように消えてしまいたいものです
    namida no miwo no awa to kiye nam
1.4.14  「 心幼なの御消えどころや。さても、かの瀬は避き道なかなるを、御手の先ばかりは、引き助けきこえてむや」と、ほほ笑みたまひて、「 まめやかには、思し知ることもあらむかし。 世になき痴れ痴れしさも、またうしろやすさも、この世にたぐひなきほどを、 さりともとなむ、頼もしき
 「幼稚なお考えですね。それにしても、あの三途の川の瀬は避けることのできない道だそうですから、お手先だけは、引いてお助け申しましょうか」と、ほほ笑みなさって、「真面目な話、お分かりになることもあるでしょう。世間にまたといない馬鹿さ加減も、また一方で安心できるのも、この世に類のないくらいなのを、いくら何でもと、頼もしく思っています」
  "Kokoro-wosana no ohom-kiye dokoro ya! Satemo, kano se ha yoki-miti naka naru wo, ohom-te no saki bakari ha, hiki-tasuke kikoye te m ya?" to, hohowemi tamahi te, "Mameyaka ni ha, obosi-siru koto mo ara m kasi. Yo ni naki sire-ziresisa mo, mata usiroyasusa mo, konoyo ni taguhi naki hodo wo, saritomo to nam, tanomosiki."
1.4.15  と聞こえたまふを、いとわりなう、聞き苦しと思いたれば、いとほしうて、のたまひ紛らはしつつ、
 と申し上げなさるのを、ほんとうにどうすることもできず、聞き苦しいとお思いでいらっしゃるので、お気の毒になって、話をおそらしになりながら、
  to kikoye tamahu wo, ito warinau, kiki-gurusi to oboi tare ba, itohosiu te, notamahi magirahasi tutu,
1.4.16  「 内裏にのたまはすることなむいとほしきを、なほ、あからさまに参らせたてまつらむ。 おのがものと領じ果てては、 さやうの御交じらひもかたげなめる世なめり。 思ひそめきこえし心は違ふさまなめれど二条の大臣は、心ゆきたまふなれば、心やすくなむ」
 「帝が仰せになることがお気の毒なので、やはり、ちょっとでも出仕おさせ申しましょう。自分の物と家の中に閉じ込めてしまってからでは、そのようなお勤めもできにくいお身の上となりましょう。当初の考えとは違ったかっこうですが、二条の大臣は、ご満足のようなので、安心です」
  "Uti ni notamaha suru koto nam itohosiki wo, naho, akarasama ni mawira se tatematura m. Onoga mono to ryau-zi hate te ha, sayau no ohom-mazirahi mo katage na' meru yo na' meri. Omohi some kikoye si kokoro ha tagahu sama na' mere do, Nideu-no-Otodo ha, kokoro-yuki tamahu nare ba, kokoro-yasuku nam."
1.4.17  など、こまかに聞こえたまふ。あはれにも恥づかしくも聞きたまふこと多かれど、ただ涙にまつはれておはす。いとかう思したるさまの心苦しければ、思すさまにも乱れたまはず、ただ、 あるべきやう、御心づかひを教へきこえたまふ。 かしこに渡りたまはむことを、 とみにも許しきこえたまふまじき御けしきなり
 などと、こまごまとお話し申し上げなさる。ありがたくも気恥ずかしくもお聞きになることが多いけれど、ただ涙に濡れていらっしゃる。たいそうこんなにまで悩んでおいでの様子がお気の毒なので、お思いのままに無体な振る舞いはなさらず、ただ、心得や、ご注意をお教え申し上げなさる。あちらにお移りになることを、直ぐにはお許し申し上げなさらないご様子である。
  nado, komaka ni kikoye tamahu. Ahare ni mo hadukasiku mo kiki tamahu koto ohokare do, tada namida ni matuhare te ohasu. Ito kau obosi taru sama no kokoro-gurusikere ba, obosu sama ni mo midare tamaha zu, tada aru beki yau, mi-kokoro-dukahi wo wosihe kikoye tamahu. Kasiko ni watari tamaha m koto wo, tomi ni mo yurusi kikoye tamahu maziki mi-kesiki nari.
注釈44殿も「心きよくあらはしたまひて」に繋る。1.4.1
注釈45いとほしう以下「疑ひける筋を」まで挿入句。源氏は玉鬘を愛人にしようとしたのではないかという疑い。1.4.1
注釈46わが心ながらうちつけにねぢけたることは好まずかし源氏の心。1.4.1
注釈47今さらに人の心癖もこそ源氏の心を語り手が語る。1.4.3
注釈48さてもや源氏の心を語り手が語る。「さ」は玉鬘を自分の愛人にすることをさす。1.4.3
注釈49思し寄りたまひしことなれば語り手は源氏の側近くから観察して語る。1.4.3
注釈50大将のおはせぬ昼つ方源氏、玉鬘の夫の鬚黒のいない間に訪れ思いを訴える。1.4.4
注釈51世の常の人にならひては普通の人、鬚黒との結婚生活に馴れて。源氏は「世の常の人」ではなかった、という反対の意のニュアンスが込められる。1.4.5
注釈52御けはひありさま源氏の御様子や態度。1.4.5
注釈53見知りたまふにも玉鬘が源氏の素晴らしさをお分かりになるにつけても。1.4.5
注釈54思ひのほかなる身玉鬘は鬚黒との結婚を思いの外のことだったと感じ取っている。1.4.5
注釈55らうたいことの添ひたまへる結婚生活後の玉鬘に表れた変化。1.4.6
注釈56よそに見放つもあまりなる心のすさびぞかし源氏の心。1.4.6
注釈57口惜し語り手が源氏の心中を忖度した表現。1.4.6
注釈58おりたちて汲みは見ねども渡り川人の瀬とはた契らざりしを源氏から玉鬘への贈歌。「汲み」「瀬」は「川」の縁語。「せ」は「瀬」と「背」との掛詞。女は初めて逢った男に背負われて三途の川を渡る、という俗信をふまえる。1.4.7
注釈59思ひのほかなりや玉鬘が鬚黒のものとなってしまい、永遠に自分のもとから離れて行ってしまったという感慨。1.4.9
注釈60なつかしうあはれなり語り手の感想をこめた評言。1.4.10
注釈61みつせ川渡らぬさきにいかでなほ涙の澪の泡と消えなむ玉鬘から源氏への返歌。「渡り川」を「みつせ川」と言い換えて返す。人は死んだら、三途の川を渡らねばならないものであるのに、その前に死んでしまいたいとは理屈にあわない歌であるが、その理不尽な気持ちを詠んでこたえた。1.4.12
注釈62心幼なの御消えどころや以下「きこえてむや」まで、源氏の詞。1.4.14
注釈63まめやかには以下「頼もしき」まで、源氏の詞。1.4.14
注釈64世になき痴れ痴れしさ機会がありながらも自分の妻妾の一人にしなかった迂闊さをさして、自嘲ぎみにいう。1.4.14
注釈65さりともとなむ、頼もしき執拗な物言い。源氏の執拗な未練が言葉に出る。1.4.14
注釈66内裏にのたまはすることなむ帝の「口惜しう宿世異なりける人なれど思しし本意もあるを。宮仕へなど、かけかけしき筋ならばこそは、思ひ絶えたまはめ」(第一章二段)という言葉をさす。以下「心やすくなむ」まで、源氏の詞。1.4.16
注釈67おのがもの公人である尚侍を私物化してしまう。1.4.16
注釈68さやうの御交じらひ尚侍として出仕して他の内侍司の官人たちと付き合うこと。1.4.16
注釈69思ひそめきこえし心は違ふさまなめれど源氏は最初、玉鬘を尚侍として出仕させることを考えていた。しかし、鬚黒と結婚してしまったために、尚侍定員二名のうち、実務官としての尚侍になってしまったことをいう。1.4.16
注釈70二条の大臣内大臣をさす。会話の中では、このように呼ぶ。二条に邸があった。1.4.16
注釈71あるべきやう尚侍としての心得をいう。1.4.17
注釈72かしこに渡りたまはむこと鬚黒大将邸にお移りになること。1.4.17
注釈73とみにも許しきこえたまふまじき御けしきなり「まじき」(打消推量の助動詞、推量)、「なり」(断定の助動詞)は、語り手の推量と断定である。以上、源氏と玉鬘との対座の場面が終了する。1.4.17
校訂6 ことども ことども--こと(と/+と<朱>)も 1.4.5
校訂7 いと いと--は(は/$い<朱>)と 1.4.6
校訂8 たまへる たまへる--給つ(つ/$へ<朱>)う 1.4.6
校訂9 なりや なりや--なれ(れ/$り<朱>)や 1.4.9
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/15/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって8/29/2005に自動出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 2.00: Copyrighy (c) 2003,2005 宮脇文経