29 行幸(大島本)


MIYUKI


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳十二月から三十七歳二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from December at the age of 36 to February at the age of 37

3
第三章 玉鬘の物語 裳着の物語


3  Tale of Tamakazura  She grows up to be a woman

3.1
第一段 内大臣、源氏の意向に従う


3-1  Nai-Daijin obeys Genji's mind

3.1.1   大臣、うちつけにいといぶかしう、心もとなうおぼえたまへど
 内大臣は、さっそくとても見たくなって、早く会いたくお思いになるが、
  Otodo, utituke ni ito ibukasiu, kokoro-motonau oboye tamahe do,
3.1.2  「 ふと、しか受けとり、親がらむも便なからむ。 尋ね得たまへらむ初めを思ふに、 定めて心きよう見放ちたまはじ。やむごとなき方々を憚りて、うけばりてその際にはもてなさず、さすがにわづらはしう、ものの聞こえを思ひて、 かく明かしたまふなめり
 「さっと、そのように迎え取って、親らしくするのも不都合だろう。捜し出して手にお入れになった当初のことを想像すると、きっと潔白なまま放っておかれることはあるまい。れっきとした夫人方の手前を遠慮して、はっきりと愛人としては扱わず、そうはいっても面倒なことで、世間の評判を思って、このように打ち明けたのだろう」
  "Huto, sika uketori, oya-gara m mo bin nakara m. Tadune-e tamahe ram hazime wo omohu ni, sadame te kokoro-giyou mi-hanati tamaha zi. Yamgotonaki kata-gata wo habakari te, ukebari te sono kiha ni ha motenasa zu, sasuga ni wadurahasiu, mono no kikoye wo omohi te, kaku akasi tamahu na' meri."
3.1.3  と思すは、口惜しけれど、
 とお思いになるのは、残念だけれども、
  to obosu ha, kutiwosikere do,
3.1.4  「 それを疵とすべきことかは。ことさらにも、かの御あたりに触ればはせむに、などかおぼえの劣らむ。宮仕へざまにおもむきたまへらば、 女御などの思さむこともあぢきなし」と思せど、「 ともかくも思ひ寄りのたまはむおきてを違ふべきことかは」
 「そのことを瑕としなくてはならないことだろうか。こちらから進んで、あちらのお側に差し上げたとしても、どうして評判の悪いことがあろうか。宮仕えなさるようなことになったら、女御などがどうお思いになることも、おもしろくないことだ」とお考えになるが、「どちらにせよ、ご決定されおっしゃったことに背くことができようか」
  "Sore wo kizu to subeki koto ka ha? Kotosara ni mo, kano ohom-atari ni hurebaha se m ni, nado ka oboye no otora m? Miya-dukahe-zama ni omomuki tamahe ra ba, Nyougo nado no obosa m koto mo adikinasi." to obose do, "To-mo kaku-mo, omohi-yori notamaha m okite wo tagahu beki koto ka ha."
3.1.5  と、よろづに思しけり。
 と、いろいろとお考えになるのであった。
  to, yorodu ni obosi keri.
3.1.6  かくのたまふは、二月朔日ころなりけり。十六日、彼岸の初めにて、いと吉き日なりけり。近うまた吉き日なしと 勘へ申しけるうちによろしうおはしませば、いそぎ立ちたまうて、 例の渡りたまうても、大臣に申しあらはししさまなど、いとこまかに あべきことども 教へきこえたまへば
 このようなお話があったのは、二月上旬のことであった。十六日が彼岸の入りで、たいそう吉い日であった。近くにまた吉い日はないと占い申した上に、宮も少しおよろしかったので、急いでご準備なさって、いつものようにお越しになっても、内大臣にお打ち明けになった様子などを、たいそう詳細に、当日の心得などをお教え申し上げなさると、
  Kaku notamahu ha, Kisaragi no tuitati-goro nari keri. Zihu-roku-niti, higan no hazime ni te, ito yoki hi nari keri. Tikau mata yoki hi nasi to kamgahe mausi keru uti ni, Miya yorosiu ohasimase ba, isogi-tati tamau te, rei no watari tamau te mo, Otodo ni mausi arahasi si sama nado, ito komaka ni a' beki koto-domo wosihe kikoye tamahe ba,
3.1.7  「 あはれなる御心は、親と聞こえながらも、ありがたからむを」
 「行き届いたお心づかいは、実の親と申しても、これほどのことはあるまい」
  "Ahare naru mi-kokoro ha, oya to kikoye nagara mo, arigatakara m wo."
3.1.8  と思すものから、いとなむうれしかりける。
 とお思いになるものの、とても嬉しくお思いになるのであった。
  to obosu monokara, ito nam uresikari keru.
3.1.9  かくて後は、中将の君にも、忍びてかかることの心のたまひ知らせけり。
 こうして以後は、中将の君にも、こっそりとこのような事実をお知らせなさったのであった。
  Kakute noti ha, Tyuuzyau-no-Kimi ni mo, sinobi te kakaru koto no kokoro notamahi sirase keri.
3.1.10  「 あやしのことどもや。むべなりけり
 「妙なことばかりだ。知ってみればもっともなことだ」
  "Ayasi no koto-domo ya! Mube nari keri."
3.1.11  と、思ひあはすることどもあるに、 かのつれなき人の御ありさまよりも、なほもあらず思ひ出でられて、「 思ひ寄らざりけることよ」と、しれじれしき心地す。されど、「 あるまじう、ねじけたるべきほどなりけり 」と、思ひ返すことこそは、 ありがたきまめまめしさなめれ
 と、合点のゆくことがあるが、あの冷淡な姫君のご様子よりも、さらにたまらなく思い出されて、「思いも寄らないことだった」と、ばかばかしい気がする。けれども、「あってはならないこと。筋違いなことだ」と、反省することは、珍しいくらいの誠実さのようである。
  to, omohi ahasuru koto-domo aru ni, kano turenaki hito no mi-arisama yori mo, naho mo ara zu omohi-ide rare te, "Omohi-yora zari keru koto yo!" to, sire-ziresiki kokoti su. Saredo, "Arumaziu, nezike taru beki hodo nari keri." to, omohi-kahesu koto koso ha, arigataki mame-mamesisa na' mere.
注釈175大臣うちつけにいといぶかしう心もとなうおぼえたまへど『集成』は「内大臣は、もう早速(玉鬘が)どんな娘か、早く会いたいと思われなさるのだが」。『完訳』は「内大臣は、突然のことなので、どうも納得がいかず、またもどかしいお気持になられるけれども」と訳す。3.1.1
注釈176ふとしか受けとり以下「かく明かしたまふなめり」まで、内大臣の心中。3.1.2
注釈177尋ね得たまへらむ初めを主語は源氏。「たまへ」尊敬の補助動詞、已然形。「らむ」推量の助動詞、視界外推量のニュアンス。3.1.2
注釈178定めて心きよう見放ちたまはじ『完訳』は「源氏と玉鬘の愛人関係を直感」と注す。3.1.2
注釈179かく明かしたまふなめり『完訳』は「隠し通せぬ厄介さ。以下、内大臣は、今になって玉鬘の件を打ち明ける源氏の心を見抜く」と注す。3.1.2
注釈180それを疵とすべきことかは以下「あぢきなし」まで、内大臣の心中。「かは」反語表現。『完訳』は「内大臣は源氏を最高の権勢家として、玉鬘との妻妾関係を悪くないと見る」と注す。3.1.4
注釈181女御などの思さむこともあぢきなし弘徽殿女御と玉鬘は異母姉妹、二人が帝の寵愛を争うことを懸念。3.1.4
注釈182ともかくも以下「違ふべきことかは」まで、内大臣の心中。3.1.4
注釈183思ひ寄りのたまはむおきてを主語は源氏。3.1.4
注釈184勘へ申しけるうちに陰陽師の勘申。吉日を占う。3.1.6
注釈185例の渡りたまうても源氏が玉鬘のもとに。3.1.6
注釈186あべきことども御裳着の日に関する心得。3.1.6
注釈187教へきこえたまへば源氏が玉鬘に。3.1.6
注釈188あはれなる御心は以下「ありがたからむを」まで、玉鬘の心中。源氏に対する感謝の気持ち。3.1.7
注釈189あやしのことどもやむべなりけり夕霧の心中文。「野分」巻の源氏と玉鬘の態度などをさす。3.1.10
注釈190かのつれなき人雲居雁をさす。3.1.11
注釈191思ひ寄らざりけることよ夕霧の心中。3.1.11
注釈192あるまじう、ねじけたるべきほどなりけり夕霧の心中。『集成』は「(たとい実の姉妹でないにしても、雲居の雁がありながら玉鬘に思いを寄せるのは)してはならない、間違ったことなのだと」と訳す。3.1.11
注釈193ありがたきまめまめしさなめれ『完訳』は「無類の律儀者とする語り手評」と注す。3.1.11
校訂15 宮--(/+宮<朱>) 3.1.6
校訂16 ねじけ ねじけ--ねちき(き/$け<朱>) 3.1.11
3.2
第二段 二月十六日、玉鬘の裳着の儀


3-2  The ceremony of growing up to be a woman is hold February 16

3.2.1  かくてその日になりて、三条の宮より、忍びやかに御使あり。御櫛の筥など、にはかなれど、ことどもいときよらにしたまうて、御文には、
 こうしてその当日となって、三条宮からも、こっそりとお使いがある。御櫛の箱など、急なことであるが、種々の品々をたいそう見事に仕立てなさって、お手紙には、
  Kakute sono hi ni nari te, Samdeu-no-Miya yori, sinobiyaka ni ohom-tukahi ari. Mi-kusi no hako nado, nihaka nare do, koto-domo ito kiyora ni si tamau te, ohom-humi ni ha,
3.2.2  「 聞こえむにもいまいましきありさまを、今日は忍びこめはべれど、 さるかたにても、長き例ばかりを思し許すべうや、 とてなむ。あはれにうけたまはり、 あきらめたる筋をかけきこえむも、いかが。御けしきに従ひてなむ。
 「お手紙を差し上げるにも、憚れる尼姿のため、今日は引き籠もっておりますが、それに致しましても、長生きの例にあやかって戴くということで、お許し下さるだろうかと存じまして。しみじみと感動してお聞き致しまして、はっきりしました事情を申し上げるのも、どうかと存じまして。あなたのお気持ち次第で。
  "Kikoye m ni mo, ima-imasiki arisama wo, kehu ha sinobi kome habere do, saru kata ni te mo, nagaki tamesi bakari wo obosi yurusu beu ya, tote nam. Ahare ni uketamahari, akirame taru sudi wo kake kikoye m mo, ikaga? Mi-kesiki ni sitagahi te nam.
3.2.3    ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥
  どちらの方から言いましてもあなたはわたしにとって
    Huta-kata ni ihi-mote yuke ba tama-kusige
3.2.4   わが身はなれぬ懸子なりけり
  切っても切れない孫に当たる方なのですね
    waga mi ha nare nu kakego nari keri
3.2.5  と、いと古めかしうわななきたまへるを、殿もこなたにおはしまして、 ことども御覧じ定むるほどなれば、見たまうて、
 と、たいそう古風に震えてお書きになっているのを、殿もこちらにいらっしゃって、準備をお命じになっている時なので、御覧になって、
  to, ito hurumekasiu wananaki tamahe ru wo, Tono mo konata ni ohasimasi te, koto-domo go-ran-zi sadamuru hodo nare ba, mi tamau te,
3.2.6  「 古代なる御文書きなれどいたしや、この御手よ。昔は上手にものしたまけるを、年に添へて、あやしく老いゆくものにこそありけれ。いとからく御手ふるひにけり」
 「古風なご文面だが、大したものだ、このご筆跡は。昔はお上手でいらっしゃったが、年を取るに従って、奇妙に筆跡も年寄じみて行くものですね。たいそう痛々しいほどお手が震えていらっしゃるなあ」
  "Kotai naru ohom-humi-gaki nare do, itasi ya, kono ohom-te yo! Mukasi ha zyauzu ni monosi tamahi keru wo, tosi ni sohe te, ayasiku oyi yuku mono ni koso ari kere. Ito karaku ohom-te huruhi ni keri."
3.2.7  など、うち返し見たまうて、
 などと、繰り返し御覧になって、
  nado, uti-kahesi mi tamau te,
3.2.8  「 よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。 三十一字の中に、異文字は少なく添へたることのかたきなり
 「よくもこれほど玉くしげに引っ掛けた歌だ。三十一文字の中に、無縁な文字を少ししか使わずに詠むということは難しいことだ」
  "Yoku mo tama-kusige ni matuha re taru kana! Miso-hito-mozi no naka ni, koto-mozi ha sukunaku sohe taru koto no kataki nari."
3.2.9  と、 忍びて笑ひたまふ
と、そっとお笑いになる。
  to, sinobi te warahi tamahu.
注釈194聞こえむにも以下「懸子なりけり」まで、大宮の手紙文。3.2.2
注釈195いまいましきありさまを尼姿であることをいう。「を」接続助詞、原因理由を表す順接の意。3.2.2
注釈196さるかたにても尼姿であることをさす。3.2.2
注釈197とてなむ下に「聞こゆる」などの語句が省略。3.2.2
注釈198あきらめたる筋をかけきこえむもいかが『集成』は「玉鬘が孫と分ってうれしく思っていることを、相手の気持も知らずに言うのは遠慮される、の意。大宮の謙遜の言葉」。「いかが」の下に「あらむ」などの語句が省略。3.2.2
注釈199ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥わが身はなれぬ懸子なりけり大宮から玉鬘への贈歌。孫への親愛感を示す歌。「二方」は内大臣の実の娘と娘婿の源氏の養女という立場をさす。「玉櫛笥」は歌語。「懸子」に「子」を響かす。「二方」に「蓋」を掛け、「身」「懸子」は「玉櫛笥」の縁語。『完訳』は「先立つ文面の、抑えた遠慮深さと対照的」と注す。3.2.3
注釈200古代なる御文書きなれど以下「御手ふるひにけり」まで、源氏の詞。『完訳』は「古風な筆跡。一説には、掛詞。縁語を多用した古風な詠みぶり」と注す。3.2.6
注釈201いたしや『集成』は「大したものだ」。『完訳』は「おいたわしいことですね」と訳す。3.2.6
注釈202よくも玉櫛笥に以下「ことのかたきなり」まで、源氏の詞。3.2.8
注釈203三十一字の中に異文字は少なく添へたることのかたきなり『集成』は「一首のうちに、玉櫛笥に縁のない言葉を少ししか使わずに詠むというのが大変なのだ。暗にからかった言葉」と注す。3.2.8
注釈204忍びて笑ひたまふ『完訳』は「「忍びて笑」うのは、本心では揶揄。後続の、末摘花の「唐衣」に執する表現ともかかわっている」と注す。3.2.9
校訂17 ことども ことども--ことし(し/$と<朱>)も 3.2.5
3.3
第三段 玉鬘の裳着への祝儀の品々


3-3  A messenger of Cyugu comes to Rkujo-in to celebrate Tamakazura having many presents

3.3.1  中宮より、 白き御裳、唐衣、御装束、御髪上の具など、いと二なくて、例の、壷どもに、唐の薫物、心ことに香り深くてたてまつりたまへり。
 中宮から、白い御裳、唐衣、御装束、御髪上の道具など、たいそうまたとない立派さで、例によって、数々の壷に、唐の薫物、格別に香り深いのを差し上げなさった。
  Tyuuguu yori, siroki ohom-mo, karaginu, ohom-syauzoku, mi-gusi-age no gu nado, ito ni naku te, rei no, tubo-domo ni, kara no taki-mono, kokoro koto ni kawori hukaku te tatematuri tamahe ri.
3.3.2   御方々、皆心々に、御装束、人々の料に、櫛扇まで、とりどりにし出でたまへるありさま、劣りまさらず、さまざまにつけて、 かばかりの御心ばせどもに、挑み尽くし たまへれば、をかしう見ゆるを、 東の院の人びとも、かかる御いそぎは聞きたまうけれども、訪らひきこえたまふべき数ならねば、ただ聞き過ぐしたるに、 常陸の宮の御方、あやしうものうるはしう、さるべきことの折過ぐさぬ古代の御心にて、 いかでかこの御いそぎを、よそのこととは聞き過ぐさむ、と思して、形のごとなむし出でたまうける。
 ご夫人方は、みな思い思いに、御装束、女房の衣装に、櫛や扇まで、それぞれにご用意なさった出来映えは、優るとも劣らない、それぞれにつけて、あれほどの方々が互いに、競争でご趣向を凝らしてお作りになったので、素晴らしく見えるが、東の院の人々も、このようなご準備はお聞きになっていたが、お祝い申し上げるような人数には入らないので、ただ聞き流していたが、常陸の宮の御方、妙に折目正しくて、なすべき時にはしないではいられない昔気質でいらして、どうしてこのようなご準備を、他人事として聞き過していられようか、とお思いになって、きまり通りご用意なさったのであった。
  Ohom-kata-gata, mina kokoro-gokoro ni, ohom-syauzoku, hito-bito no reu ni, kusi ahugi made, tori-dori ni si ide tamahe ru arisama, otori masara zu, sama-zama ni tuke te, kabakari no mi-kokorobase-domo ni, idomi-tukusi tamahe re ba, wokasiu miyuru wo, Himgasi-no-win no hito-bito mo, kakaru ohom-isogi ha kiki tamau kere domo, toburahi kikoye tamahu beki kazu nara ne ba, tada kiki-sugusi taru ni, Hitati-no-Miya-no-Ohomkata, ayasiu mono-uruhasiu, saru-beki koto no wori sugusa nu kotai no mi-kokoro nite, ikade ka kono ohom-isogi wo, yoso no koto to ha kiki-sugusa m, to obosi te, kata no goto nam si ide tamau keru.
3.3.3   あはれなる御心ざしなりかし青鈍の細長一襲、落栗とかや、何とかや、昔の人のめでたうしける袷の袴一具、紫の しらきり見ゆる霰地の御小袿と、よき衣筥に入れて、包いとうるはしうて、たてまつれたまへり。
 殊勝なお心掛けである。青鈍色の細長を一襲、落栗色とか、何とかいう、昔の人が珍重した袷の袴を一具、紫色の白っぽく見える霰地の御小袿とを、結構な衣装箱に入れて、包み方をまことに立派にして、差し上げなさった。
  Ahare naru mi-kokorozasi nari kasi. Awo-nibi no hoso-naga hito-kasane, oti-guri to ka ya, nani to ka ya, mukasi no hito no medetau si keru ahase no hakama iti-gu, murasaki no sirakiri miyuru arare-di no ohom-koutiki to, yoki koromo-bako ni ire te, tutumi ito uruhasiu te, tatemature tamahe ri.
3.3.4  御文には、
 お手紙には、
  Ohom-humi ni ha,
3.3.5  「 知らせたまふべき数にもはべらねば、つつましけれど、かかる折は思たまへ忍びがたくなむ。これ、いとあやしけれど、人にも賜はせよ」
 「お見知り戴くような数にも入らない者でございませんので、遠慮致しておりましたが、このような時は知らないふりもできにくうございまして。これは、とてもつまらない物ですが、女房たちにでもお与え下さい」
  "Sira se tamahu beki kazu ni mo habera ne ba, tutumasikere do, kakaru wori ha omo' tamahe sinobi-gataku nam. Kore, ito ayasikere do, hito ni mo tamaha se yo."
3.3.6  と、 おいらかなり。殿、御覧じつけて、いとあさましう、例の、と思すに、御顔赤みぬ。
 と、おっとり書いてある。殿が、御覧になって、たいそうあきれて、例によって、とお思いになると、お顔が赤くなった。
  to, oiraka nari. Tono go-ran-zi tuke te, ito asamasiu, rei no, to obosu ni, ohom-kaho akami nu.
3.3.7  「 あやしき古人にこそあれ。かくものづつみしたる人は、引き入り沈み入りたるこそよけれ。さすがに恥ぢがましや」とて、「 返りことはつかはせ。はしたなく思ひなむ。父親王の、いとかなしうしたまひける、思ひ出づれば、人に落さむはいと心苦しき人なり」
 「妙に昔気質の人だ。ああした内気な人は、引っ込んでいて出て来ない方がよいのに。やはり体裁の悪いものです」と言って、「返事はおやりなさい。きまり悪く思うでしょう。父親王が、たいそう大切になさっていたのを、思い出すと、他人より軽く扱うのはたいそう気の毒な方です」
  "Ayasiki huru-bito ni koso are. Kaku mono-dutumi si taru hito ha, hiki-iri sidumi-iri taru koso yokere. Sasuga ni hadi-gamasi ya!" tote, "Kaheri-goto ha tukahase. Hasitanaku omohi nam. Titi-Miko no, ito kanasiu si tamahi keru, omohi-idure ba, hito ni otosa m ha ito kokoro-gurusiki hito nari."
3.3.8  と聞こえたまふ。御小袿の袂に、例の、同じ筋の歌ありけり。
 と申し上げなさる。御小袿の袂に、例によって、同じ趣向の歌があるのであった。
  to kikoye tamahu. Ohom-ko-utiki no tamoto ni, rei no, onazi sudi no uta ari keri.
3.3.9  「 わが身こそ恨みられけれ唐衣
 「わたし自身が恨めしく思われます
    "Waga mi koso urami rare kere kara-goromo
3.3.10   君が袂に馴れずと思へば
  あなたのお側にいつもいることができないと思いますと
    kimi ga tamoto ni nare zu to omohe ba
3.3.11  御手は、 昔だにありしを、いとわりなうしじかみ、彫深う、強う、堅う書きたまへり。大臣、憎きものの、をかしさをばえ念じたまはで、
 ご筆跡は、昔でさえそうであったのに、たいそうひどくちぢかんで、彫り込んだように深く、強く、固くお書きになっていた。大臣は、憎く思うものの、おかしいのを堪えきれないで、
  Ohom-te ha, mukasi dani ari si wo, ito warinau sizikami, weri hukau, tuyou, katau kaki tamahe ri. Otodo, nikuki mono no, wokasisa wo ba e nen-zi tamaha de,
3.3.12  「 この歌詠みつらむほどこそ。まして 今は力なくて、所狭かりけむ」
 「この歌を詠むのにはどんなに大変だったろう。まして今は昔以上に助ける人もいなくて、思い通りに行かなかったことだろう」
  "Kono uta yomi tu ram hodo koso. Masite ima ha tikara naku te, tokorosekari kem."
3.3.13  と、いとほしがりたまふ。
 と、お気の毒にお思いになる。
  to, itohosigari tamahu.
3.3.14  「 いで、この返りこと、騒がしうとも、われせむ」
 「どれ、この返事は、忙しくても、わたしがしよう」
  "Ide, kono kaheri-goto, sawagasiu tomo, ware se m."
3.3.15  とのたまひて、
 とおっしゃって、
  to notamahi te,
3.3.16  「 あやしう、人の思ひ寄るまじき御心ばへこそ、あらでもありぬべけれ」
 「妙な、誰も気のつかないようなお心づかいは、なさらなくてもよいことですのに」
  "Ayasiu, hito no omohi-yoru maziki mi-kokorobahe koso, ara de mo ari nu bekere."
3.3.17  と、憎さに書きたまうて、
 と、憎らしさのあまりにお書きになって、
  to, nikusa ni kaki tamau te,
3.3.18  「 唐衣また唐衣唐衣
 「唐衣、また唐衣、唐衣
    "Karagoromo mata karagoromo karagoromo
3.3.19   かへすがへすも唐衣なる
  いつもいつも唐衣とおっしゃいますね
    kahesu-gahesu mo karagoromo naru
3.3.20  とて、
 と書いて、
  tote,
3.3.21  「 いとまめやかに、かの人の立てて好む筋なれば、ものしてはべるなり」
 「たいそうまじめに、あの人が特に好む趣向ですから、書いたのです」
  "Ito mameyaka ni, kano hito no tate te konomu sudi nare ba, monosi te haberu nari."
3.3.22  とて、見せたてまつりたまへば、君、いとにほひやかに笑ひたまひて、
 と言って、お見せなさると、姫君は、たいそう顔を赤らめてお笑いになって、
  tote, mise tatematuri tamahe ba, Kimi, ito nihohiyaka ni warahi tamahi te,
3.3.23  「 あな、いとほし。弄じたるやうにもはべるかな
 「まあ、お気の毒なこと。からかったように見えますわ」
  "Ana, itohosi. Rou-zi taru yau ni mo haberu kana!"
3.3.24  と、苦しがりたまふ。 ようなしごといと多かりや
 と、気の毒がりなさる。つまらない話が多かったことよ。
  to, kurusigari tamahu. You nasi goto ito ohokari ya!
注釈205白き御裳唐衣『集成』は「「裳」「唐衣」は、婦人の正装の時着用する。白い裳、唐衣は儀式用。裳着のためにと特に賜るのである」と注す。3.3.1
注釈206御方々皆心々に六条院の御夫人方。3.3.2
注釈207かばかりの御心ばせどもに『集成』は「源氏の寵を受けるほどのご婦人たちがご趣向を凝らして、競争でなさったものだから」と注す。3.3.2
注釈208東の院の人びとも二条東院の人々。末摘花や空蝉たち。3.3.2
注釈209常陸の宮の御方『完訳』は「この格式ばった呼称が、後の滑稽味を効果的にする」と注す。3.3.2
注釈210いかでかこの以下「聞き過ぐさむ」まで、末摘花の心中。3.3.2
注釈211あはれなる御心ざしなりかし『集成』は「殊勝なお心がけではある。諧謔気味に、その出過ぎた態度を皮肉った草子地」。『完訳』は「語り手の評。末摘花の出過ぎた無用の行為を嘲弄する」と注す。3.3.3
注釈212青鈍の細長『集成』は「多く喪中、または僧尼が着用し、祝儀には適切でない」。『完訳』は「祝儀に凶事用の「青鈍」とは無神経。「細長」は女のふだん着」と注す。3.3.3
注釈213知らせたまふべき以下「人にも賜はせよ」まで、末摘花の手紙。主語は玉鬘。玉鬘にお見知りいただくようなものではございませんが、の意。3.3.5
注釈214おいらかなり『完訳』は「「御文には」から続く。文面の限りでは穏やかだが、の心」と注す。3.3.6
注釈215あやしき古人にこそあれ以下「恥ぢがましや」まで、源氏の詞。3.3.7
注釈216返りことはつかはせ以下「心苦しき人なり」まで、源氏の詞。『完訳』は「末摘花が返書を得られなかったら間のわるい思いをするだろう。彼女への憐憫に転ずる源氏は、同情すべき末摘花だから庇護してきたのだと、わが不面目を弁明」と注す。3.3.7
注釈217わが身こそ恨みられけれ唐衣君が袂に馴れずと思へば末摘花から玉鬘への贈歌。『完訳』は「顧みない恋人を恨む発想で、祝儀には場違いの表現」と注す。3.3.9
注釈218昔だにありしを昔でさえそうであったとは、下文の「しじかみ彫深う強う堅う」をさす。3.3.11
注釈219この歌詠みつらむほどこそ以下「ところ狭かりけむ」まで、源氏の詞。3.3.12
注釈220今は力なくて手助けしてくれる人、の意。かつては侍従などがいた。3.3.12
注釈221いでこの返りこと以下「われせむ」まで、源氏の詞。3.3.14
注釈222あやしう以下「ありぬべけれ」まで、源氏の詞。3.3.16
注釈223唐衣また唐衣唐衣かへすがへすも唐衣なる源氏の返歌。「唐衣」と「返す」は縁語。『完訳』は「末摘花を、「憎さ」ゆえに愚弄した歌。「唐衣日もゆふぐれになる時は返す返すぞ人は恋しき」(古今・恋一 読人しらず)の名高い歌があるだけに、奇妙な歌ながら一応の体をなしている」と注す。3.3.18
注釈224いとまめやかに以下「はべるなり」まで、源氏の詞。3.3.21
注釈225あないとほし弄じたるやうにもはべるかな玉鬘の詞。3.3.23
注釈226ようなしごといと多かりや『集成』は「「ようなし」は、用無し。末摘花が登場する滑稽な一段はこれにておしまい、といった気持の草子地」。『完訳』は「語り手の言辞。不用な話をはさんだとして、物語の本流に戻る。玉鬘の裳着を控え、幕間狂言のような末摘花の登場」と注す。3.3.24
校訂18 たまへれば たまへれば--たまつ(つ/$へ<朱>)れは 3.3.2
校訂19 しらきり しらきり--しか(か/$ら<朱>)きり 3.3.3
3.4
第四段 内大臣、腰結に役を勤める


3-4  Nai-Daijin plays the part of koshiyui

3.4.1  内大臣は、さしも急がれたまふまじき御心なれど、 めづらかに聞きたまうし後は、いつしかと御心にかかりたれば、疾く参りたまへり。
 内大臣は、大してお急ぎにならない気持ちであったが、珍しい話をお聞きになって後は、早く会いたいとお心にかかっていたので、早く参上なさった。
  Uti-no-Otodo ha, sasimo isoga re tamahu maziki mi-kokoro nare do, meduraka ni kiki tamau si noti ha, itusika to mi-kokoro ni kakari tare ba, toku mawiri tamahe ri.
3.4.2  儀式など、あべい限りにまた過ぎて、めづらしきさまにしなさせたまへり。「 げにわざと御心とどめたまうけること」と見たまふも、かたじけなきものから、やう変はりて思さる。
 裳着の儀式などは、しきたり通りのことに更に事を加えて、目新しい趣向を凝らしてなさった。「なるほど特にお心を留めていらっしゃることだ」と御覧になるのも、もったいないと思う一方で、風変わりだと思わずにはいらっしゃれない。
  Gisiki nado, a' bei kagiri ni mata sugi te, medurasiki sama ni si-nasa se tamahe ri. "Geni wazato mi-kokoro todome tamau keru koto." to mi tamahu mo, katazikenaki mono-kara, yau kahari te obosa ru.
3.4.3  亥の時にて、 入れたてまつりたまふ。例の御まうけをばさるものにて、内の御座いと二なくしつらはせたまうて、御肴参らせたまふ。 御殿油、例のかかる所よりは、すこし光見せて、をかしきほどにもてなしきこえたまへり。
 亥の刻になって、御簾の中にお入れなさる。慣例通りの設備はもとよりのこと、御簾の中のお席をまたとないほど立派に整えなさって、御酒肴を差し上げなさる。御殿油は、慣例の儀式の明るさよりも、少し明るくして、気を利かせてお持てなしなさった。
  Wi no toki ni te, ire tatematuri tamahu. Rei no ohom-mauke wo ba saru mono nite, uti no o-masi ito ni naku situraha se tamau te, mi-sakana mawira se tamahu. Ohom-tonoabura, rei no kakaru tokoro yori ha, sukosi hikari mise te, wokasiki hodo ni motenasi kikoye tamahe ri.
3.4.4   いみじうゆかしう思ひきこえたまへど今宵はいとゆくりかなべければ、引き結びたまふほど、え忍びたまはぬけしきなり。
 たいそうはっきりとお顔を見たいとお思いになるが、今夜はとても唐突なことなので、お結びになる時、お堪えきれない様子である。
  Imiziu yukasiu omohi kikoye tamahe do, koyohi ha ito yukurika na' bekere ba, hiki-musubi tamahu hodo, e sinobi tamaha nu kesiki nari.
3.4.5  主人の大臣、
 主人の大臣、
  Aruzi no Otodo,
3.4.6  「今宵は、 いにしへざまのことはかけはべらねば、 何のあやめも分かせたまふまじくなむ。心知らぬ人目を飾りて、なほ世の常の作法に」
 「今夜は、昔のことは何も話しませんから、何の詳細もお分りなさらないでしょう。事情を知らない人の目を繕って、やはり普通通りの作法で」
  "Koyohi ha, inisihe-zama no koto ha kake habera ne ba, nani no ayame mo waka se tamahu maziku nam. Kokoro sira nu hito-me wo kazari te, naho yo no tune no sahohu ni."
3.4.7  と聞こえたまふ。
 とお申し上げなさる。
  to kikoye tamahu.
3.4.8  「 げに、さらに聞こえさせやるべき方はべらずなむ
 「おっしゃる通り、まったく何とも申し上げようもございません」
  "Geni, sarani kikoye sase yaru beki kata habera zu nam."
3.4.9  御土器参る ほどに
 お杯をお口になさる時、
  Ohom-kaharake mawiru hodo ni,
3.4.10  「 限りなきかしこまりをば、世に例なきことと聞こえさせながら、今までかく忍びこめさせたまひける恨みも、いかが添へはべらざらむ」
 「言葉に尽くせないお礼の気持ちは、世間にまたとないご厚意と感謝申し上げますが、今までこのようにお隠しになっていらっしゃった恨み言も、どうして申し添えずにいられましょう」
  "Kagirinaki kasikomari wo ba, yo ni tamesi naki koto to kikoye sase nagara, ima made kaku sinobi kome sase tamahi keru urami mo, ikaga sohe habera zara m."
3.4.11  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
  to kikoye tamahu.
3.4.12  「 恨めしや沖つ玉藻をかづくまで
 「恨めしいことですよ。玉裳を着る
    "Uramesi ya oki tu tamamo wo kaduku made
3.4.13   磯がくれける海人の心よ
  今日まで隠れていた人の心が
    iso-gakure keru ama no kokoro yo
3.4.14  とて、なほつつみもあへず しほたれたまふ。姫君は、いと恥づかしき御さまどものさし集ひ、つつましさに、え聞こえたまはねば、 殿
 と言って、やはり隠し切れず涙をお流しになる。姫君は、とても立派なお二方が集まっており、気恥ずかしさに、お答え申し上げることがおできになれないので、殿が、
  tote, naho tutumi mo ahe zu sihotare tamahu. Hime-Gimi ha, ito hadukasiki ohom-sama-domo no sasi-tudohi, tutumasisa ni, e kikoye tamaha ne ba, Tono,
3.4.15  「 よるべなみかかる渚にうち寄せて
 「寄る辺がないので、このようなわたしの所に身を寄せて
    "Yorube nami kakaru nagisa ni uti-yose te
3.4.16   海人も尋ねぬ藻屑とぞ見し
  誰にも捜してもらえない気の毒な子だと思っておりました
    ama mo tadune nu mokuzu to zo mi si
3.4.17   いとわりなき御うちつけごとになむ
 何とも無体なだしぬけのお言葉です」
  Ito warinaki ohom-utituke-goto ni nam."
3.4.18  と聞こえたまへば、
 と、お答え申し上げなさると、
  to kikoye tamahe ba,
3.4.19  「 いとことわりになむ
 「まことにごもっともです」
  "Ito kotowari ni nam."
3.4.20  と、聞こえやる方なくて、出でたまひぬ。
 と、それ以上申し上げる言葉もなくて、退出なさった。
  to, kikoye-yaru kata naku te, ide tamahi nu.
注釈227めづらかに聞きたまうし後は玉鬘が実の娘と知った後。3.4.1
注釈228げにわざと御心とどめたまうけること内大臣の心中。「御心とどめ」の主語は源氏。3.4.2
注釈229入れたてまつりたまふ源氏が内大臣を御簾の内に。3.4.3
注釈230御殿油、例のかかる所よりは、すこし光見せて『完訳』は「父娘対面のために明るくした。薄明に玉鬘が映える。以前の螢の光に照らした趣向に類似」と注す。3.4.3
注釈231いみじうゆかしう思ひきこえたまへど内大臣は玉鬘の素顔を見たく思う。しかし玉鬘はこのような儀式の折には扇で顔を隠している。3.4.4
注釈232今宵は以下「世の常の作法に」まで、源氏の詞。3.4.4
注釈233いにしへざまのこと亡き夕顔に関すること。祝儀の場なので忌んだ。3.4.6
注釈234何のあやめも分かせたまふまじくなむ主語は、あなた内大臣。「せたまふ」は二重敬語。3.4.6
注釈235げにさらに聞こえさせやるべき方はべらずなむ内大臣の詞。3.4.8
注釈236限りなきかしこまりをば以下「いかが添へはべらざらむ」まで、内大臣の詞。3.4.10
注釈237恨めしや沖つ玉藻をかづくまで磯がくれける海人の心よ内大臣の贈歌。「浦」「恨」、「藻」「裳」、「潜く」「被く」の掛詞。「浦」「沖」「藻」「潜く」「磯」「海人」は海に関する縁語。『完訳』は「玉鬘を「海人」に見たてて、今まで名のらなかった不満を言う。源氏への恨みも、この儀礼的な贈答歌に託すほかない」と注す。3.4.12
注釈238しほたれたまふ和歌中の「海」に関する縁語による表現。3.4.14
注釈239殿源氏が玉鬘に代わって返歌する。『完訳』は「源氏が代作。もともと内大臣の歌の真意は源氏に対してのもの」と注す。3.4.14
注釈240よるべなみかかる渚にうち寄せて海人も尋ねぬ藻屑とぞ見し源氏の返歌。「寄る辺無み」「寄るべ波」の掛詞。「藻屑」に「裳」を響かす。「寄る」「波」「渚」「寄せ」「海人」「藻屑」は海に関する縁語。内大臣を「海人」に、玉鬘を「藻屑」に喩える。自分源氏は「渚」に喩えている。『集成』は「「かかる渚」は、源氏の卑下の言葉」。『完訳』は「実父内大臣の無責任を難じて自分の恩恵の広大さを主張する」と注す。3.4.15
注釈241いとわりなき御うちつけごとになむ歌に添えた源氏の詞。3.4.17
注釈242いとことわりになむ内大臣の詞。係助詞「なむ」の下に「はべる」などの語句が省略。3.4.19
校訂20 ほどに ほどに--ほと(と/+に<朱>) 3.4.9
3.5
第五段 祝賀者、多数参上


3-5  Many men come to Rokujo-in to celebrate Tamakazura

3.5.1   親王たち、次々、人びと残るなく集ひたまへり。御懸想人もあまた混じりたまへれば、この大臣、かく入りおはしてほど経るを、 いかなることにかと疑ひたまへり
 親王たちや、次々の、人々が残らずお祝いに参上なさった。思いを寄せている方々も大勢混じっていらっしゃったので、この内大臣が、このように中にお入りになって暫く時間がたつので、どうしたことか、とお疑いになっていた。
  Miko-tati, tugi-tugi, hito-bito nokoru naku tudohi tamahe ri. Ohom-kesaubito mo amata maziri tamahe re ba, kono Otodo, kaku iri ohasi te hodo huru wo, ika naru koto ni ka to utagahi tamahe ri.
3.5.2   かの殿の君達、中将、弁の君ばかりぞ、ほの知りたまへりける。人知れず思ひしことを、からうも、うれしうも思ひなりたまふ。弁は、
 あの殿のご子息の中将や、弁の君だけは、かすかにご存知だったのであった。密かに思いを懸けていたことを、辛いこととも、また嬉しいこととも、お思いになる。弁の君は、
  Kano Tono no Kim-dati, Tyuuzyau, Ben-no-Kimi bakari zo, hono-siri tamahe ri keru. Hito-sire-zu omohi si koto wo, karau mo, uresiu mo, omohi nari tamahu. Ben ha,
3.5.3  「 よくぞうち出でざりける」とささめきて、「 さま異なる大臣の御好みどもなめり。中宮の御類ひに仕立てたまはむとや思すらむ」
 「よくもまあ告白しなかった」と小声で言って、「一風変わった大臣のお好みのようだ。中宮とご同様に入内させなさろうとお考えなのだろう」
  "Yoku zo uti-ide zari keru." to sasameki te, "Sama koto naru Otodo no ohom-konomi-domo na' meri. Tyuuguu no ohom-taguhi ni sitate tamaha m to ya obosu ram?"
3.5.4  など、おのおの言ふよしを聞きたまへど、
 などと、めいめい言っているのをお聞きになるが、
  nado, ono-ono ihu yosi wo kiki tamahe do,
3.5.5  「 なほ、しばしは御心づかひしたまうて、世にそしりなきさまにもてなさせたまへ。 何ごとも、心やすきほどの人こそ、乱りがはしう、ともかくもはべべかめれ、こなたをもそなたをも、 さまざま人の聞こえ悩まさむ、 ただならむよりはあぢきなきを、なだらかに、 やうやう人目をも馴らすなむ、よきことにははべるべき」
 「やはり、暫くの間はご注意なさって、世間から非難されないようにお扱い下さい。何事も、気楽な身分の人には、みだらなことがままあるでしょうが、こちらもそちらも、いろいろな人が噂して悩まされようなことがあっては、普通の身分の人よりも困ることですから、穏やかに、だんだんと世間の目が馴れて行くようにするのが、良いことでございましょう」
  "Naho, sibasi mi-kokoro-dukahi si tamau te, yo ni sosiri naki sama ni motenasa se tamahe. Nani-goto mo, kokoro-yasuki hodo no hito koso, midari-gahasiu, tomokaku mo habe' bekamere, konata wo mo sonata wo mo, sama-zama hito no kikoye nayamasa m, tada nara m yori ha adikinaki wo, nadaraka ni, yau-yau hito-me wo mo narasu nam, yoki koto ni ha haberu beki."
3.5.6  と申したまへば、
 と申し上げなさると、
  to mausi tamahe ba,
3.5.7  「 ただ御もてなしになむ従ひはべるべき。かうまで御覧ぜられ、ありがたき御育みに隠ろへはべりけるも、 前の世の契りおろかならじ
 「ただあなた様のなされように従いましょう。こんなにまでお世話いただき、またとないご養育によって守られておりましたのも、前世の因縁が特別であったのでしょう」
  "Tada ohom-motenasi ni nam sitagahi haberu beki. Kau made go-ran-ze rare, arigataki ohom-hagukumi ni kakurohe haberi keru mo, saki no yo no tigiri oroka nara zi."
3.5.8  と申したまふ。
 とお答えなさる。
  to mausi tamahu.
3.5.9  御贈物など、さらにもいはず、すべて引出物、禄ども、品々につけて、例あること限りあれど、またこと加へ、 二なくせさせたまへり。大宮の御悩みにことづけたまうし名残もあれば、ことことしき御遊びなどはなし。
 御贈物などは、言うまでもなく、すべて引出物や、禄などは、身分に応じて、通常の例では限りがあるが、それに更に加えて、またとないほど盛大におさせになった。大宮のご病気を理由に断りなさった事情もあるので、大げさな音楽会などはなかった。
  Ohom-okurimono nado, sarani mo iha zu, subete hikiide-mono, roku-domo, sina-zina ni tuke te, rei aru koto kagiri are do, mata koto kuhahe, ni naku se sase tamahe ri. Oho-Miya no ohom-nayami ni koto-duke tamau si nagori mo are ba, koto-kotosiki ohom-asobi nado ha nasi.
3.5.10  兵部卿宮、
 兵部卿宮は、
  Hyaubukyau-no-Miya,
3.5.11  「 今はことづけやりたまふべき滞りもなきを」
 「今はもうお断りになる支障も何もないでしょうから」
  "Ima ha kotoduke yari tamahu beki todokohori mo naki wo."
3.5.12  と、おりたち聞こえたまへど、
 と、身を入れてお願い申し上げなさるが、
  to, oritati kikoye tamahe do,
3.5.13  「 内裏より御けしきあることかへさひ奏し、またまた仰せ言に従ひてなむ、 異ざものことは、ともかくも思ひ定むべき」
 「帝から御内意があったことを、ご辞退申し上げ、また再びお言葉に従いまして、他の話は、その後にでも決めましょう」
  "Uti yori mi-kesiki aru koto, kahesahi sou-si, mata-mata ohose-goto ni sitagahi te nam, koto-zama no koto ha, tomokaku mo omohi sadamu beki."
3.5.14  とぞ聞こえさせたまひける。
 とお返事申し上げなさった。
  to zo kikoye sase tamahi keru.
3.5.15  父大臣は、
 父内大臣は、
  Titi-Otodo ha,
3.5.16  「 ほのかなりしさまを、いかでさやかにまた見む。なまかたほなること 見えたまはば、かうまでことことしう もてなし思さじ
 「かすかに見た様子を、何とかはっきりと再び見たいものだ。少しでも不具なところがおありならば、こんなにまで大げさに大事にお世話なさるまい」
  "Honoka nari si sama wo, ikade sayaka ni mata mi m. Nama-kataho naru koto miye tamaha ba, kau made koto-kotosiu motenasi obosa zi."
3.5.17  など、なかなか心もとなう恋しう思ひきこえたまふ。
 などと、かえって焦れったく恋しく思い申し上げなさる。
  nado, naka-naka kokoro-motonau kohisiu omohi kikoye tamahu.
3.5.18  今ぞ、 かの御夢も、まことに思しあはせける。 女御ばかりには、さだかなることのさまを聞こえたまうけり
 今になって、あの御夢も、本当にお分かりになったのであった。弘徽殿女御だけには、はっきりと事情をお話し申し上げなさったのであった。
  Ima zo, kano ohom-yume mo, makoto ni obosi-ahase keru. Nyougo bakari ni ha, sadaka naru koto no sama wo kikoye tamau keri.
注釈243親王たち蛍兵部卿親王たち。3.5.1
注釈244いかなることにかと疑ひたまへり『完訳』は「裳着は結婚を前提に行れることが多い。求婚者たちは、腰結役の内大臣が簾中に長居しただけでも、結婚に関連あるかと気を揉む」と注す。3.5.1
注釈245かの殿の君達中将弁の君ばかりぞほの知りたまへりける内大臣の子息の中将(柏木)やその弟の弁少将(紅梅大納言)だけが真相をうすうす父大臣から漏れ聞き知っていた、という意。3.5.2
注釈246よくぞうち出でざりける弁少将の詞。『完訳』は「弁の君は玉鬘に恋を打ち明けていない。恥から逃れ得たと安堵」と注す。3.5.3
注釈247さま異なる大臣の以下「仕立てたまはむとや思すらむ」まで君達の詞。下に「などおのおの言ふ」とあるので、複数とみる。3.5.3
注釈248なほしばしは御心づかひしたまうて以下「よきことにははべるべき」まで、源氏の詞。「御心づかひしたまうて」の主語は内大臣。『完訳』は「以下簾内での密話」と注す。3.5.5
注釈249何ごとも心やすきほどの人こそ乱りがはしうともかくもはべべかめれ『集成』は「何事にも気楽な身分の者なら、きちんとしないことが、何かとあってもいいでしょうが」。『完訳』は「気楽な身分の者なら、みだらなことも、とかく許されよう。一人の女と二人の男の仲をいうか」と注す。「こそ」--「めれ」係結び、逆接用法。3.5.5
注釈250ただならむよりは普通の身分の人よりも、の意。3.5.5
注釈251やうやう人目をも馴らすなむ『完訳』は「玉鬘が内大臣の娘であることが自然に世間に知られていくように、時間をかけて事を運ぶのが」と注す。3.5.5
注釈252ただ御もてなしになむ以下「おろかならじ」まで、内大臣の詞。3.5.7
注釈253前の世の契りおろかならじ『完訳』は「内大臣は、源氏の心を奇特とたたえつつも、同時に不満を己が運命と甘受するほかない」と注す。3.5.7
注釈254二なくせさせたまへり「させたまへり」二重敬語。源氏に対する敬意。3.5.9
注釈255今は以下「とどこほりなきを」まで、蛍兵部卿宮の詞。3.5.11
注釈256内裏より御けしきあること以下「思ひさだむべき」まで、源氏の詞。玉鬘の尚侍としての出仕。3.5.13
注釈257かへさひ奏し『完訳』は「一度辞退するのが謙譲の作法」と注す。3.5.13
注釈258異ざものことは、ともかくも思ひ定むべ玉鬘の結婚については出仕後に決めよう、の意。3.5.13
注釈259ほのかなりしさまを以下「もてなし思さじ」まで、内大臣の心中。3.5.16
注釈260見えたまはば玉鬘に対する敬意。3.5.16
注釈261もてなし思さじ主語は源氏。3.5.16
注釈262かの御夢も「蛍」巻(第三章五段)に語られていた夢。3.5.18
注釈263女御ばかりには、さだかなることのさまを聞こえたまうけり弘徽殿女御だけには玉鬘の尚侍としての出仕のことを伝える。3.5.18
校訂21 さまざま さまざま--さま/\の(の/$<朱>) 3.5.5
3.6
第六段 近江の君、玉鬘を羨む


3-6  Ohmi-no-Kimi is envious of Tamakazura's employment

3.6.1   世の人聞きに、「しばしこのこと出ださじ」と、切に籠めたまへど、口さがなきものは世の人なりけり。自然に言ひ漏らしつつ、やうやう聞こえ出で来るを、 かのさがな者の君聞きて、女御の御前に、中将、少将 さぶらひたまふに出で来て
 世間の人の口の端のために、「暫くの間はこのことを上らないように」と、特にお隠しになっていたが、おしゃべりなのは世間の人であった。自然と噂が流れ流れて、だんだんと評判になって来たのを、あの困り者の姫君が聞いて、女御の御前に、中将や、少将が伺候していらっしゃる所に出て来て、
  Yo no hito-giki ni, "Sibasi kono koto idasa zi." to, seti ni kome tamahe do, kuti saganaki mono ha yo no hito nari keri. Zinen ni ihi-morasi tutu, yau-yau kikoye ide kuru wo, kano sagana mono no Kimi kiki te, Nyougo no o-mahe ni, Tyuuzyau, Seusyau saburahi tamahu ni ide-ki te,
3.6.2  「 殿は、御女まうけたまふべかなり。あな、めでたや。いかなる人、 二方にもてなさるらむ。聞けば、 かれも劣り腹なり
 「殿は、姫君をお迎えあそばすそうですね。まあ、おめでたいこと。どのような方が、お二方に大切にされるのでしょう。聞けば、その人も賤しいお生まれですね」
  "Tono ha, ohom-musume mauke tamahu beka' nari. Ana, medeta ya! Ika naru hito, huta-kata ni motenasa ru ram? Kike ba, kare mo otori-bara nari."
3.6.3  と、あふなげにのたまへば、女御、かたはらいたしと思して、ものものたまはず。中将、
 と、無遠慮におっしゃるので、女御は、はらはらなさって、何ともおっしゃらない。中将が、
  to, ahunage ni notamahe ba, Nyougo, kataharaitasi to obosi te, mono mo notamaha zu. Tyuuzyau,
3.6.4  「 しか、かしづかるべきゆゑこそものしたまふらめ。さても、誰が言ひしことを、かくゆくりなくうち出でたまふぞ。もの言ひただならぬ女房 などこそ、耳とどむれ」
 「そのように、大切にされるわけがおありなのでしょう。それにしても、誰が言ったことを、このように唐突におっしゃるのですか。口うるさい女房たちが、耳にしたらたいへんだ」
  "Sika, kasiduka ru beki yuwe koso monosi tamahu rame. Sate mo, taga ihi si koto wo, kaku yukuri-naku uti-ide tamahu zo. Mono-ihi tada-nara-nu nyoubau nado koso, mimi todomure."
3.6.5  とのたまへば、
 とおっしゃると、
  to notamahe ba,
3.6.6  「 あなかま。皆聞きてはべり。 尚侍になるべかなり宮仕へにと急ぎ出で立ちはべりしことはさやうの御かへりみもやとてこそ、 なべての女房たちだに仕うまつらぬことまで、おりたち仕うまつれ。御前のつらくおはしますなり」
 「おだまり。すっかり聞いております。尚侍になるのだそうですね。宮仕えにと心づもりして出て参りましたのは、そのようなお情けもあろうかと思ってなので、普通の女房たちですら致さぬようなことまで、進んで致しました。女御様がひどくていらっしゃるのです」
  "Ana kama! Mina kiki te haberi. Naisi-no-Kami ni naru beka' nari. Miyadukahe ni to isogi ide-tati haberi si koto ha, sayau no ohom-kaherimi mo ya tote koso, nabete no nyoubau-tati dani tukau-matura nu koto made, ori-tati tukau-mature. O-mahe no turaku ohasimasu nari."
3.6.7  と、恨みかくれば、皆 ほほ笑みて
 と、恨み言をいうので、みなにやにやして、
  to, urami-kakure ba, mina hohowemi te,
3.6.8  「 尚侍あかば、なにがしこそ 望まむと思ふを、非道にも思しかけけるかな」
 「尚侍に欠員ができたら、わたしこそが願い出ようと思っていたのに、無茶苦茶なことをお考えですね」
  "Naisi-no-Kami aka ba, nanigasi koso nozoma m to omohu wo, hidau ni mo obosi kake keru kana!"
3.6.9  などのたまふに、腹立ちて、
 などとおっしゃるので、腹を立てて、
  nado notamahu ni, hara-dati te,
3.6.10  「 めでたき御仲に数ならぬ人は、混じるまじかりけり。中将の君ぞつらくおはする。 さかしらに迎へたまひて、軽めあざけりたまふ。 せうせうの人は、え立てるまじき殿の内かな。あな、かしこ。あな、かしこ」
 「立派なご兄姉の中に、人数にも入らない者は、仲間入りすべきではなかったのだわ。中将の君はひどくていらっしゃる。自分からかってにお迎えになって、軽蔑し馬鹿になさる。普通の人では、とても住んでいられない御殿の中ですわ。ああ、恐い。ああ、恐い」
  "Medetaki ohom-naka ni, kazu nara nu hito ha, maziru mazikari keri. Tyuuzyau-no-Kimi zo turaku ohasuru. Sakasira ni mukahe tamahi te, karome azakeri tamahu. Seu-seu no hito ha, e tate ru maziki tono no uti kana! Ana, kasiko! Ana, kasiko!"
3.6.11  と、後へざまにゐざり退きて、見おこせたまふ。憎げもなけれど、いと腹悪しげに目尻引き上げたり。
 と、後ろの方へいざり下がって、睨んでいらっしゃる。憎らしくもないが、たいそう意地悪そうに目尻をつり上げている。
  to, sirihe-zama ni wizari sizoki te, mi-okose tamahu. Nikuge mo nakere do, ito hara-asige ni maziri hiki-age tari.
3.6.12  中将は、 かく言ふにつけても、「 げにし過ちたること」と思へば、まめやかにてものしたまふ。少将は、
 中将は、このように言うのを聞くにつけ、「まったく失敗したことだ」と思うので、まじめな顔をしていらっしゃる。少将は、
  Tyuuzyau ha, kaku ihu ni tuke te mo, "Geni si ayamati taru koto." to omohe ba, mameyaka ni te monosi tamahu. Seusyau ha,
3.6.13  「 かかる方にても、類ひなき御ありさまを、 おろかにはよも思さじ。御心しづめたまうてこそ。 堅き巌も沫雪になしたまうつべき御けしきなれば、いとよう思ひかなひたまふ時もありなむ」
 「こちらの宮仕えでも、またとないようなご精勤ぶりを、いいかげんにはお思いでないでしょう。お気持ちをお鎮めになって下さい。固い岩も沫雪のように蹴散らかしてしまいそうなお元気ですから、きっと願いの叶う時もありましょう」
  "Kakaru kata ni te mo, taguhi naki mi-arisama wo, oroka ni ha yo mo obosa zi. Mi-kokoro sidume tamau te koso. Kataki ihaho mo awa-yuki ni nasi tamau tu beki ohom-kesiki nare ba, ito you omohi kanahi tamahu toki mo ari nam."
3.6.14  と、ほほ笑みて言ひゐたまへり。中将も、
 と、にやにやして言っていらっしゃる。中将も、
  to, hohowemi te ihi-wi tamahe ri. Tyuuzyau mo,
3.6.15  「 天の岩門鎖し籠もりたまひなむや、めやすく」
 「天の岩戸を閉じて引っ込んでいらっしゃるのが、無難でしょうね」
  "Ama-no-ihato sasi-komori tamahi na m ya, meyasuku."
3.6.16  とて、立ちぬれば、ほろほろと泣きて、
 と言って、立ってしまったので、ぽろぽろと涙をこぼして、
  tote, tati nure ba, horo-horo to naki te,
3.6.17  「 この君達さへ、皆すげなくしたまふに、ただ御前の御心のあはれにおはしませば、さぶらふなり」
 「わたしの兄弟たちまでが、みな冷たくあしらわれるのに、ただ女御様のお気持ちだけが優しくいらっしゃるので、お仕えしているのです」
  "Kono kimi-tati sahe, mina sugenaku si tamahu ni, tada o-mahe no ahare ni ohasimase ba, saburahu nari."
3.6.18  とて、いとかやすく、いそしく、下臈童女などの仕うまつりたらぬ雑役をも、立ち走り、やすく惑ひありきつつ、心ざしを尽くして宮仕へしありきて、
 と言って、とても簡単に、精を出して、下働きの女房や童女などが行き届かない雑用などをも、走り回り、気軽にあちこち歩き回っては、真心をこめて宮仕えして、
  tote, ito kayasuku, isosiku, gerahu warahabe nado no tukau-maturi tara nu zahuyaku wo mo, tati-hasiri, yasuku madohi ariki tutu, kokorozasi wo tukusi te miya-dukahe si ariki te,
3.6.19  「 尚侍に、おれを、申しなしたまへ
 「尚侍に、わたしを、推薦して下さい」
  "Naisi-no-Kami ni, ore wo, mausi-nasi tamahe."
3.6.20  と責めきこゆれば、 あさましう、「いかに思ひて言ふことならむ」と思すに、ものも言はれたまはず。
 とお責め申すので、あきれて、「どんなつもりで言っているのだろう」とお思いになると、何ともおっしゃれない。
  to seme kikoyure ba, asamasiu, "Ikani omohi te ihu koto nara m?" to obosu ni, mono mo iha re tamaha zu.
注釈264世の人聞きにしばしこのこと出ださじと切に籠めたまへど源氏・内大臣いづれとも特定できない、二人の心中。3.6.1
注釈265かのさがな者の君聞きて近江君が聞いて、の意。3.6.1
注釈266さぶらひたまふに出で来て格助詞「に」場所を表す。「出で来て」の主語は近江の君。3.6.1
注釈267殿は御女まうけたまふべかなり以下「かれも劣り腹なり」まで、近江の君の詞。「べかなり」は「べかる」の撥音便化がさらに無表記の形、「なり」伝聞推定の助動詞。3.6.2
注釈268二方に内大臣と源氏に。3.6.2
注釈269かれも劣り腹なり係助詞「も」は同類を表す。自分も玉鬘も身分の低い母親から生れた娘だ、の意。3.6.2
注釈270しかかしづかるべきゆゑこそものしたまふらめ以下「耳とどむれ」まで、中将(柏木)の詞。<BR/>【こそものしたまふらめ】−『完訳』は「言外に、しかしあなたには大事にされる理由がない、の意」と注す。3.6.4
注釈271あなかま以下「おはしますなり」まで、近江の君の詞。3.6.6
注釈272尚侍になるべかなり「べかなり」は「べかるなり」の撥音便化がさらに無表記された形。「なり」は伝聞推定の助動詞。3.6.6
注釈273宮仕へにと急ぎ出で立ちはべりしことは主語は自分近江の君。3.6.6
注釈274さやうの御かへりみもやとて『集成』は「尚侍に推薦でもして頂けようかと期待して」と注す。3.6.6
注釈275なべての女房たちだに仕うまつらぬことまで『完訳』は「便器掃除や水汲みん下使いをも辞さぬ覚悟」と注す。3.6.6
注釈276尚侍あかばなにがしこそ以下「思しかけけるかな」まで、子息たちの詞。『完訳』は「女の職掌の尚侍に男も志願したいとは、愚弄の言葉である」と注す。3.6.8
注釈277めでたき御仲に以下「あなかしこあなかしこ」まで、近江の君の詞。3.6.10
注釈278数ならぬ人は混じるまじかりけり「数ならぬ人」は謙遜の言葉。「まじかり」は三人称に付いた形で、不可能の推量の意を表す。3.6.10
注釈279さかしらに迎へたまひて中将(柏木)が近江の君を探し出して迎えたことは、「常夏」巻(第一章二段)に語られている。3.6.10
注釈280せうせうの人は『集成』は「「せうせう」は、「少々」。漢語で、女性の用語としてふさわしくない」。『完訳』は「感情の高ぶりとともに短文となり最後は感嘆詞」と注す。3.6.10
注釈281かく言ふにつけても主語は近江の君。3.6.12
注釈282げにし過ちたること柏木の心中。3.6.12
注釈283かかる方にても以下「時もありなむ」まで、弁少将の詞。3.6.13
注釈284おろかにはよも思さじ主語は弘徽殿女御。3.6.13
注釈285堅き巌も沫雪になしたまうつべき御けしきなれば天照大神が素戔鳴尊の行為に怒って「堅庭を踏みて股に陥き、沫雪のごとくに蹴散かし」(日本書紀、神代上)にあることに基づく。3.6.13
注釈286天の岩門以下「めやすく」まで、柏木の詞。「めやすく」の下に「あらむ」などの語句が省略。3.6.15
注釈287この君達さへ以下「さぶらふなり」まで、近江の君の詞。3.6.17
注釈288尚侍におれを申しなしたまへ近江の君の詞。『集成』は「「「おれ」は、この当時、相手を低く見ていう二人称。転じて、一人称。普通は使わない言葉であろう」と注す。3.6.19
注釈289あさましういかに思ひて言ふことならむ弘徽殿女御の心中。3.6.20
校訂22 など など--なとも(も/$<朱>) 3.6.4
校訂23 ほほ笑みて ほほ笑みて--ほお(お/$ほ<朱>)ゑみて 3.6.7
校訂24 あかば あかば--ある(る/$か<朱>)は 3.6.8
3.7
第七段 内大臣、近江の君を愚弄


3-7  Nai-Daijin makes fun of Ohmi-no-Kimi

3.7.1  大臣、この望みを聞きたまひて、いとはなやかにうち笑ひたまひて、女御の御方に参りたまへるついでに、
 内大臣、この願いをお聞きになって、たいそう陽気にお笑いになって、女御の御方に参上なさった折に、
  Otodo, kono nozomi wo kiki tamahi te, ito hanayaka ni uti warahi tamahi te, Nyougo-no-Ohomkata ni mawiri tamahe ru tuide ni,
3.7.2  「 いづら、この、近江の君。こなたに
 「どこですか、これ、近江の君。こちらに」
  "Idura, kono, Ahumi-no-Kimi? Konata ni."
3.7.3  と召せば、
 とお呼びになると、
  to mese ba,
3.7.4  「
 「はあい」
  "Wo!"
3.7.5  と、いとけざやかに聞こえて、出で来たり。
 と、とてもはっきりと答えて、出て来た。
  to, ito kezayaka ni kikoye te, ide-kitari.
3.7.6  「 いと、仕へたる御けはひ、公人にて、げにいかにあひたらむ。尚侍のことは、などか、おのれに疾くはものせざりし」
 「たいそう、よくお仕えしているご様子は、お役人としても、なるほどどんなにか適任であろう。尚侍のことは、どうして、わたしに早く言わなかったのですか」
  "Ito, tukahe taru ohom-kehahi, ohoyake-bito nite, geni ikani ahi tara m? Naisi-no-Kami no koto ha, nadoka, onore ni toku ha monose zari si?"
3.7.7  と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしと思ひて、
 と、たいそう真面目な態度でおっしゃるので、とても嬉しく思って、
  to, ito mameyaka ni te notamahe ba, ito uresi to omohi te,
3.7.8  「 さも、御けしき賜はらまほしうはべりしかど、この女御殿など、おのづから伝へ聞こえさせ たまひてむと、 頼みふくれて なむさぶらひつるを、なるべき人ものしたまふやうに 聞きたまふれば、 夢に富したる心地しはべりてなむ、胸に手を置きたるやうにはべる
 「そのように、ご内意をいただきとうございましたが、こちらの女御様が、自然とお伝え申し上げなさるだろうと、精一杯期待しておりましたのに、なる予定の人がいらっしゃるようにうかがいましたので、夢の中で金持になったような気がしまして、胸に手を置いたようでございます」
  "Samo, mi-kesiki tamahara mahosiu haberi sika do, kono Nyougo-dono nado, onodukara tutahe kikoye sase tamahi te m to, tanomi hukure te nam saburahi turu wo, naru beki hito monosi tamahu yau ni kiki tamahure ba, yume ni tomi si taru kokoti si haberi te nam, mune ni te wo oki taru yau ni haberu."
3.7.9  と申したまふ。舌ぶりいとものさはやかなり。笑みたまひぬべきを念じて、
 とお答えなさる。その弁舌はまことにはきはきしたものである。笑ってしまいそうになるのを堪えて、
  to mausi tamahu. Sita-buri ito mono-sahayaka nari. Wemi tamahi nu beki wo nen-zi te,
3.7.10  「 いとあやしう、おぼつかなき御癖なりや。さも思し のたまはましかば、まづ人の先に奏してまし。 太政大臣の御女、やむごとなくとも、ここに切に申さむことは、 聞こし召さぬやうあらざらまし。今にても、申し文を取り作りて、 びびしう書き出だされよ。 長歌などの心ばへあらむを御覧ぜむには、捨てさせたまはじ。主上は、そのうちに情け捨てずおはしませば」
 「たいそう変った、はっきりしないお癖だね。そのようにもおっしゃってくださったら、まず誰より先に奏上したでしょうに。太政大臣の姫君、どんなにご身分が高かろうとも、わたしが熱心にお願い申し上げることは、お聞き入れなさらぬことはありますまい。今からでも、申文をきちんと作って、立派に書き上げなさい。長歌などの趣向のあるのを御覧あそばしたら、きっとお捨て去りなさることはありますまい。主上は、とりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」
  "Ito ayasiu, obotukanaki ohom-kuse nari ya! Samo obosi notamaha masika ba, madu hito no saki ni sou-si te masi. Ohoki-Otodo no ohom-musume, yamgotonaku tomo, koko ni seti ni mausa m koto ha, kikosi-mesa nu yau ara zara masi. Ima ni te mo, mausi-bumi wo tukuri te, bibisiu kaki-idasa re yo. Nagauta nado no kokoro-bahe ara m wo go-ran-ze m ni ha, sute sase tamaha zi. Uhe ha, sono uti ni nasake sute zu ohasimase ba."
3.7.11  など、いとようすかしたまふ。 人の親げなく、かたはなりや
 などと、たいそううまくおだましになる。人の親らしくない、見苦しいことであるよ。
  nado, ito you sukasi tamahu. Hito no oyage-naku, kataha nari ya!
3.7.12  「 大和歌は悪し悪しも続けはべりなむ。 むねむねしき方のことはた、殿より申させたまはば、 つま声のやうにて、御徳をもかうぶりはべらむ」
 「和歌は、下手ながら何とか作れましょう。表向きのことの方は、殿様からお申し上げ下されば、それに言葉を添えるようにして、お蔭を頂戴しましょう」
  "Yamato-uta ha, asi-asi mo tuduke haberi na m. Mune-munesiki kata no koto hata, Tono yori mausa se tamaha ba, tuma-gowe no yau ni te, ohom-toku wo mo kauburi habera m."
3.7.13  とて、手を押しすりて聞こえゐたり。御几帳のうしろなどにて聞く女房、死ぬべくおぼゆ。もの笑ひに堪へぬは、すべり出でてなむ、慰めける。女御も御面赤みて、わりなう見苦しと思したり。殿も、
 と言って、両手を擦り合わせて申し上げていた。御几帳の後ろなどにいて聞いている女房は、死にそうなほどおかしく思う。おかしさに我慢できない者は、すべり出して、ほっと息をつくのであった。女御もお顔が赤くなって、とても見苦しいと思っておいでであった。殿も、
  tote, te wo osi-suri te kikoye wi tari. Mi-kityau no usiro nado ni te kiku nyoubau, sinu beku oboyu. Mono-warahi ni tahe nu ha, suberi-ide te nam, nagusame keru. Nyougo mo ohom-omote akami te, warinau migurusi to obosi tari. Tono mo,
3.7.14  「 ものむつかしき折は、近江の君見るこそ、よろづ紛るれ」
 「気分のむしゃくしゃする時は、近江の君を見ることによって、何かと気が紛れる」
  "Mono-mutukasiki wori ha, Ahumi-no-Kimi miru koso, yorodu magirure."
3.7.15  とて、ただ笑ひ種につくりたまへど、世人は、
 と言って、ただ笑い者にしていらっしゃるが、世間の人は、
  tote, tada warahi-gusa ni tukuri tamahe do, yohito ha,
3.7.16  「 恥ぢがてら、はしたなめたまふ
 「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」
  "Hadi gatera, hasitaname tamahu."
3.7.17  など、さまざま言ひけり。
 などと、いろいろと言うのであった。
  nado, sama-zama ihi keri.
注釈290いづらこの近江の君こなたに内大臣の詞。『集成』は「「この」は、強めの気持で発している」と注す。「近江の君」という呼称のしかたは、女房名のような呼び方である。3.7.2
注釈291をといとけざやかに『集成』は「はい。女の応答の言葉。『類聚名義抄』に「吁」に「ヲオ」の訓があり、「女答詞」とある」。『新大系』は「「人の召し侍る御いらへに、男は「よ」と申、女は「を」と申なり」(なよたけの物語)」と注す。3.7.4
注釈292いと仕へたる御けはひ以下「ものせざりし」まで、内大臣の詞。3.7.6
注釈293さも御けしき賜はらまほしう以下「置きたるやうにはべる」まで、近江の君の詞。3.7.8
注釈294頼みふくれて『集成』は「「頼みふくる」は、「頼み脹る」。下賎な言葉づかいであろう」と注す。3.7.8
注釈295夢に富したる心地しはべりてなむ胸に手を置きたるやうにはべる『集成』は「夢醒めてはっと気づくさまをいうか」。『完訳』は「これも下賎な言葉」と注す。3.7.8
注釈296いとあやしう以下「捨てずおはしませば」まで、内大臣の詞。3.7.10
注釈297のたまはましかば「ましかば--奏してまし」反実仮想の構文。3.7.10
注釈298太政大臣の御女玉鬘をいう。『集成』は「太政大臣(源氏)の娘という建前で押している」。『完訳』は「以下、源氏などものともしないとする物言いに、近江の君は感心。内大臣は内心に底流する源氏への不満を、彼女の愚弄に慰める」と注す。3.7.10
注釈299聞こし召さぬやう主語は帝。3.7.10
注釈300びびしう『集成』は「「びびし」は「便々し」で、似つかわしい、ふさわしい、の意」と注す。『完訳』は「美々しう」と宛てる。3.7.10
注釈301長歌などの心ばへあらむを『完訳』は「女子は漢文の申文は書かない。長歌で代用せよ、と現実的に言う」と注す。3.7.10
注釈302人の親げなくかたはなりや『集成』は「(仮にも娘を愚弄するとは)人の親らしくもなく、見苦しいことです。草子地」。『完訳』は「愚弄を難ずる語り手の評言」と注す。3.7.11
注釈303大和歌は以下「かうぶりはべらむ」まで、近江の君の詞。3.7.12
注釈304むねむねしき方のこと『集成』は「漢文体の公文書の方は」。『完訳』は「公的な申請」と注す。3.7.12
注釈305つま声のやうにて「つま声」は未詳の語句。『完訳』は「これも下賎の言葉か」と注す。3.7.12
注釈306ものむつかしき以下「よろづ紛るれ」まで、内大臣の詞。3.7.14
注釈307恥ぢがてらはしたなめたまふ世人の噂。3.7.16
校訂25 たまひてむ たまひてむ--給てな(な/$)む 3.7.8
校訂26 頼み 頼み--なと(なと/$)たのみ 3.7.8
校訂27 聞き 聞き--き(き/+き<朱>) 3.7.8
校訂28 悪し悪しも 悪し悪しも--あしし(し<後>/$<朱>+/\<朱>)も 3.7.12
Last updated 9/11/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 9/10/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 9/10/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/11/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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