29 行幸(大島本)


MIYUKI


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳十二月から三十七歳二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from December at the age of 36 to February at the age of 37

1
第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸


1  Tale of Tamakazura  Mikado goes to Ohoharano at the west of Kyoto

1.1
第一段 大原野行幸


1-1  Mikado goes to Ohoharano

1.1.1   かく思しいたらぬことなくいかでよからむことはと、思し扱ひたまへど、 この音無の滝こそ、うたていとほしく 南の上の御推し量りごとにかなひて、軽々しかるべき御名なれ。 かの大臣、何ごとにつけても、きはぎはしう、すこしもかたはなるさまのことを、思し忍ばずなどものしたまふ御心ざまを、「 さて思ひ隈なく、けざやかなる御もてなしなどのあらむにつけては、をこがましうもや」など、思し返さふ。
 このようにお考えの行き届かないことなく、何とかよい案はないかと、ご思案なさるが、あの音無の滝ではないが、嫌で気の毒なことなので、南の上のご想像通り、身分にふさわしくないご醜聞である。あの内大臣が、何ごとにつけても、はっきりさせ、少しでも中途半端なことを、我慢できずにいらっしゃるようなご気性なので、「そうなったら誰はばからず、はっきりとしたお婿扱いなどなされたりしたら、世間の物笑いになるのではないか」などと、お考え直しなさる。
  Kaku obosi-iatara nu koto naku, ikade yokara m koto ha to, obosi atukahi tamahe do, kono Otonasi-no-taki koso, utate itohosiku, Minami-no-Uhe no ohom-osihakari goto ni kanahi te, karu-garusikaru beki ohom-na nare. Kano Otodo, nani-goto ni tuke te mo, kiha-gihasiu, sukosi mo kataha naru sama no koto wo, obosi-sinoba zu nado monosi tamahu mi-kokoro-zama wo, "Sate omohi-guma-naku, kezayaka naru ohom-motenasi nado no ara m ni tuke te ha, wokogamasiu mo ya." nado, obosi-kahesahu.
1.1.2   その師走に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも、御方々引き出でつつ見たまふ。 卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ。桂川のもとまで、物見車隙なし。
 その年の十二月に、大原野の行幸とあって、世の中の人は一人残らず見物に騒ぐのを、六条院からも御夫人方が引き連ねて御覧になる。卯の刻に御出発になって、朱雀大路から五条大路を西の方に折れなさる。桂川の所まで、見物の車がびっしり続いている。
  Sono Sihasu ni, Ohohara-no no gyaugau tote, yo ni nokoru hito naku mi-sawagu wo, Rokudeu-no-win yori mo, ohom-kata-gata hiki-ide tutu mi tamahu. U-no-toki ni ide tamau te, Syuzyaku yori Godeu-no-ohodi wo, nisi-zama ni wore tamahu. Katura-gaha no moto made, mono-mi-guruma hima nasi.
1.1.3  行幸といへど、かならずかうしもあらぬを、今日は親王たち、上達部も、皆心ことに、御馬鞍をととのへ、随身、馬副の容貌丈だち、装束を飾りたまうつつ、めづらかにをかし。左右大臣、内大臣、納言より下はた、まして残らず仕うまつりたまへり。 青色の袍、葡萄染の下襲を、殿上人、五位六位まで着たり。
 行幸といっても、かならずしもこんなにではないのだが、今日は親王たちや、上達部も、皆特別に気をつかって、御馬や鞍を整え、随身、馬副人の器量や背丈、衣装をお飾りお飾りになっては、見事で美しい。左右の大臣、内大臣、大納言以下、いうまでもなく一人残らず行幸に供奉なさった。麹塵の袍に、葡萄染の下襲を、殿上人から五位六位までの人々が着ていた。
  Gyaugau to ihe do, kanarazu kau simo ara nu wo, kehu ha Miko-tati, Kamdatime mo, mina kokoro koto ni, ohom-muma kura wo totonohe, zuizin muma-zohi no katati take-dati, syauzoku wo kazari tamau tutu, meduraka ni wokasi. Sa-iu-no-Otodo, Uti-no-Otodo, Nahugon yori simo hata, masite nokora zu tukau-maturi tamahe ri. Awo-iro no uhe-no-kinu, ebi-zome no sita-gasane wo, Tenzyau-bito, go-wi roku-wi made ki tari.
1.1.4  雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶なり。親王たち、上達部なども、鷹にかかづらひたまへるは、めづらしき狩の御よそひどもをまうけたまふ。近衛の鷹飼どもは、まして世に目馴れぬ 摺衣を乱れ着つつ、けしきことなり。めづらしうをかしきことに競ひ出でつつ、その人ともなく、かすかなる足弱き車など、輪を押しひしがれ、あはれげなるもあり。 浮橋のもとなどにも、好ましう立ちさまよふよき車多かり。
 雪がほんの少し降って、道中の空までが優美に見えた。親王たち、上達部なども、鷹狩に携わっていらっしゃる方は、見事な狩のご装束類を用意なさっている。近衛の鷹飼どもは、それ以上に見たことのない摺衣を思い思いに着て、その様子は格別である。素晴らしく美しい見物をと競って出て来ては、大した身分でもなく、お粗末な脚の弱い車など、車輪を押しつぶされて、気の毒なのもある。舟橋の辺りなどにも優美にあちこちする立派な車が多かった。
  Yuki tada isasaka dutu uti-tiri te, miti no sora sahe en nari. Miko-tati, Kamdatime nado mo, taka ni kakadurahi tamahe ru ha, medurasiki kari no ohom-yosohi-domo wo mauke tamahu. Konowe no taka-gahi-domo ha, masite yo ni me nare nu suri-goromo wo midare ki tutu, kesiki koto nari. Medurasiu wokasiki koto ni kihohi-ide tutu, sono hito to mo naku, kasuka naru asi yowaki kuruma nado, wa wo osi-hisiga re, aharege naru mo ari. Uki-hasi no moto nado ni mo, konomasiu tati samayohu yoki kuruma ohokari.
注釈1かく思しいたらぬことなく主語は源氏。「かく」は下文の内容をさす。1.1.1
注釈2いかでよからむことは源氏の心中。『完訳』は「玉鬘の将来によかれと思う方途をと。自らの恋の関係を持続させたい気持もこもっていよう」と注す。1.1.1
注釈3この音無の滝こそ、うたていとほしく「とにかくに人目つつみをせきかねて下に流るる音無しの滝」(源氏釈所引、出典未詳)。『完訳』は「語り手の、玉鬘への同情の評」と注す。係助詞「こそ」は「御名なれ」に係る。1.1.1
注釈4南の上紫の上をさす。1.1.1
注釈5かの大臣内大臣をさす。1.1.1
注釈6さて思ひ隈なく以下「をこがましうもや」まで、源氏の心中。地の文から自然と心中文になる。1.1.1
注釈7その師走に大原野の行幸とて大原野神社は藤原氏の氏神。醍醐天皇の延長六年(九二八)十二月五日の大原野行幸がその準拠とされる。『新大系』は「「野の行幸」で、大原野神社への行幸ではない」と注す。1.1.2
注釈8卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ『李部王記』延長六年十二月五日の大原野行幸の記事に一致する。1.1.2
注釈9青色の袍麹塵の袍。天皇の日常着だが、晴れの儀式には天皇は赤色の袍を召し、諸臣が麹塵の袍を着る。1.1.3
注釈10摺衣を乱れ着つつ「春日野の若紫の摺衣しのぶの乱れ限り知られず」(伊勢物語一段)。1.1.4
注釈11浮橋のもとなど舟の上に板を渡して橋としたもの。『李部王記』の大原野行幸の記事に同じ。1.1.4
出典1 音無の滝 とにかくに人目堤を堰きかねて下に流るる音無の滝 源氏釈所引-出典未詳 1.1.1
1.2
第二段 玉鬘、行幸を見物


1-2  Tamakazura goes sightseeing Mikado's parade to Ohoharano

1.2.1   西の対の姫君も立ち出でたまへり。そこばく挑み尽くしたまへる人の御容貌ありさまを見たまふに、 帝の、赤色の御衣たてまつりて、うるはしう動きなき御かたはらめに、なずらひきこゆべき人なし。
 西の対の姫君もお出かけになった。大勢の我こそはと綺羅を尽くしていらっしゃる方々のご器量や様子を御覧になると、帝が赤色の御衣をお召しになって、凛々しく微動だになさらない御横顔に、ご比肩申し上げる人もいない。
  Nisi-no-tai no Hime-Gimi mo tati-ide tamahe ri. Sokobaku idomi-tukusi tamahe ru hito no ohom-katati arisama wo mi tamahu ni, Mikado no, aka-iro no ohom-zo tatematuri te, uruhasiu ugoki naki ohom-katahara-me ni, nazurahi kikoyu beki hito nasi.
1.2.2   わが父大臣を、人知れず目をつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、盛りにはものしたまへど、限りありかし。いと人にすぐれたるただ人と見えて、御輿のうちよりほかに、目移るべくもあらず。
 わが父内大臣を、こっそりとお気をつけて拝見なさったが、派手で美しく、男盛りでいらっしゃるが、限界があった。たいそう人よりは優れた臣下と見えて、御輿の中以外の人には、目が移りそうもない。
  Waga titi-Otodo wo, hito-sire-zu me wo tuke tatematuri tamahe do, kira-kirasiu mono-kiyoge ni, sakari ni ha monosi tamahe do, kagiri ari kasi. Ito hito ni sugure taru tada-udo to miye te, mi-kosi no uti yori hoka ni, me uturu beku mo ara zu.
1.2.3  まして、容貌ありや、をかしやなど、若き御達の消えかへり心うつす 中少将、何くれの殿上人やうの人は、何にもあらず消えわたれるは、 さらに類ひなうおはしますなりけり。源氏の大臣の御顔ざまは、異ものとも見えたまはぬを、思ひなしの 今すこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり
 ましてや、美男だとか、素敵な方よなどと、若い女房たちが死ぬほど慕っている中将、少将、何とかいう殿上人などの人は、何ほどのこともなく眼中にないのは、まったく群を抜いていらっしゃるからなのであった。源氏の太政大臣のお顔の様子は、別人とはお見えにならないが、気のせいかもう少し威厳があって、恐れ多く立派である。
  Masite, katati ari ya, wokasi ya nado, wakaki go-tati no kiye-kaheri kokoro utusu Tyuu-Seusyau, nanikure no Tenzyau-bito yau no hito ha, nani ni mo ara zu kiye watare ru ha, sarani taguhi nau ohasimasu nari keri. Genzi-no-Otodo no ohom-kaho-zama ha, koto-mono to mo miye tamaha nu wo, omohi-nasi no ima sukosi itukasiu, katazikenaku medetaki nari.
1.2.4   さは、かかる類ひはおはしがたかりけりあてなる人は、皆ものきよげにけはひ異なべいものとのみ、大臣、中将などの御にほひに目馴れたまへるを、 出で消えどものかたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず、口惜しうぞ圧されたるや。
 そうしてみると、このような方はいらっしゃりにくいのであった。身分の高い人は、皆美しく感じも格別よいはずのものとばかり、大臣や、中将などのお美しさに見慣れていたので、見劣りした者たちでまともな者はないのであろうか、同じ人の目鼻とも見えず、悔しいほど圧倒されていることだ。
  Saha, kakaru taguhi ha ohasi gatakari keri. Ate naru hito ha, mina mono-kiyoge ni kehahi koto na' bei mono to nomi, Otodo, Tyuuzyau nado no ohom-nihohi ni me-nare tamahe ru wo, ide-giye-domo no kataha naru ni ya ara m, onazi me-hana to mo miye zu, kutiwosiu zo osa re taru ya!
1.2.5   兵部卿宮もおはす右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日のよそひいとなまめきて、やなぐひなど負ひて、仕うまつりたまへり。色黒く鬚がちに見えて、 いと心づきなしいかでかは女のつくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。いとわりなきことを、若き御心地には、見おとしたまうてけり。
 兵部卿宮もいらっしゃる。右大将が、あれほど重々しく気取っているのも、今日の衣装がたいそう優美で、やなぐいなどを背負って供奉なさっていた。色黒く鬚が多い感じに見えて、とても好感がもてない。どうして、女性の化粧した顔の色に男が似たりしようか。とても無理なことを、お若い方の考えとて、軽蔑なさったのであった。
  Hyaubukyau-no-Miya mo ohasu. U-Daisyau no, sa-bakari omorika ni yosimeku mo, kehu no yosohi ito namameki te, yanaguhi nado ohi te, tukau-maturi tamahe ri. Iro kuroku hige-gati ni miye te, ito kokoro-duki nasi. Ikadekaha, womna no tukurohi-tate taru kaho no iro-ahi ni ha ni tara m? Ito warinaki koto wo, wakaki mi-kokoti ni ha, mi-otosi tamau te keri.
1.2.6  大臣の君の思し寄りてのたまふことを、「 いかがはあらむ、宮仕へは、心にもあらで、見苦しきありさまにや」と思ひつつみたまふを、「 馴れ馴れしき筋などをばもて離れて、おほかたに仕うまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかし」とぞ、思ひ寄りたまうける。
 大臣の君がお考えになっておっしゃっることを、「どうしたものか、宮仕えは、不本意なことで見苦しいことではないかしら」と躊躇していらっしゃったが、「帝の寵愛ということを離れて、一般の宮仕えしてお目通りするならば、きっと結構なことであろう」という、お気持ちになった。
  Otodo-no-Kimi no obosi-yori te notamahu koto wo, "Ikaga ha ara m, Miya-dukahe ha, kokoro ni mo ara de, mi-gurusiki arisama ni ya?" to omohi-tutumi tamahu wo, "Nare-naresiki sudi nado wo ba mote-hanare te, ohokata ni tukau-maturi go-ran-ze rare m ha, wokasiu mo ari na m kasi." to zo, omohi-yori tamau keru.
注釈12西の対の姫君も玉鬘をいう。1.2.1
注釈13帝の赤色の御衣たてまつりてうるはしう動きなき御かたはらめに「人主の躰は山岳の如し、高峻にして動かず」(帝範)。1.2.1
注釈14わが父大臣を玉鬘の視点に立っての叙述。1.2.2
注釈15中少将何くれの殿上人やうの人『集成』は「中将、少将。ともに近衛府の次官。多く名門の子弟の容姿端麗な者が選ばれる。今日の護衛として帝のお側近くに供奉している」。『完訳』は「中将は柏木、少将は弁少将。ともに内大臣の子息。二人は弓箭を帯して左右の列に分れて行進」と注す。1.2.3
注釈16さらに類ひなうおはしますなりけり冷泉帝をさす。1.2.3
注釈17今すこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり思いなしかか、源氏より帝の方が威厳もあり畏れ多くも見える。1.2.3
注釈18さはかかる類ひはおはしがたかりけり『集成』は「帝に心ひかれた玉鬘の心中と草子地が一体になった書き方」と注す。1.2.4
注釈19あてなる人は皆以下、玉鬘の視点を通しての叙述。1.2.4
注釈20出で消えどものかたはなるにやあらむ語り手の推測を交えた挿入句。1.2.4
注釈21兵部卿宮もおはす蛍兵部卿宮をさす。1.2.5
注釈22右大将のさばかり鬚黒大将をさす。1.2.5
注釈23いと心づきなし『集成』は「玉鬘の思い」と注す。1.2.5
注釈24いかでかは『集成』は「以下「見おとしたまうけり」まで、草子地」。『完訳』は「男の顔は女の化粧した顔とは異なるとして、語り手が玉鬘の感想を批判。鬚黒の雄々しさを刻印」と注す。1.2.5
注釈25いかがはあらむ以下「ありさまにや」まで、玉鬘の心中。1.2.6
注釈26馴れ馴れしき筋などをば以下「ありなむかし」まで、玉鬘の心中。『完訳』は「男女の情愛、帝寵。それと無関係な宮仕えをと思う。この願望は、おのずと源氏の希望と重なる」と注す。1.2.6
校訂1 女の 女の--(/+女の<朱>) 1.2.5
1.3
第三段 行幸、大原野に到着


1-3  The parade arrives in Ohoharano

1.3.1  かうて、 野におはしまし着きて、御輿とどめ、上達部の平張にもの参り、御装束ども、直衣、狩のよそひなどに改めたまふほどに、 六条院より、御酒、御くだものなどたてまつらせたまへり。今日仕うまつり たまふべく、かねて御けしきありけれど、御物忌のよしを奏せさせたまへりけるなりけり。
 こうして、大原野に御到着あそばして、御輿を止め、上達部の平張の中で食事を召し上がり、御衣装を直衣や、狩衣の装束に改めたりなさる時に、六条院からお酒やお菓子類などが献上された。今日供奉なさる予定だと、前もってご沙汰があったのだが、御物忌の理由を奏上なさったのであった。
  Kau te, no ni ohasimasi tuki te, mi-kosi todome, Kamdatime no hirabari ni mono mawiri, ohom-syauzoku-domo, nahosi, kari no yosohi nado ni aratame tamahu hodo ni, Rokudeu-no-Win yori, ohom-mi-ki, ohom-kudamono nado tatematura se tamahe ri. Kehu tukau-maturi tamahu beku, kanete mi-kesiki ari kere do, ohom-monoimi no yosi wo sou-se sase tamahe ri keru nari keri.
1.3.2  蔵人の 左衛門尉御使にて雉一枝たてまつらせたまふ仰せ言には何とかや、さやうの折のことまねぶに、わづらはしくなむ
 蔵人で左衛門尉を御使者として、雉をつけた一枝を献上あそばしなさった。仰せ言にはどのようにあったか、そのような時のことを語るのは、わずらわしいことなので。
  Kuraudo no Sawemon-no-Zeu wo ohom-tukahi nite, kizi hito-eda tatematura se tamahu. Ohose-goto ni ha nani to ka ya, sayau no wori no koto manebu ni, wadurahasiku nam.
1.3.3  「 雪深き小塩山にたつ雉の
 「雪の深い小塩山に飛び立つ雉のように
    "Yuki hukaki Wosiho-no-yama ni tatu kizi no
1.3.4   古き跡をも今日は尋ねよ
  古例に従って今日はいらっしゃればよかったのに
    huruki ato wo mo kehu ha tadune yo
1.3.5   太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ。大臣、御使をかしこまりもてなさせたまふ。
 太政大臣が、このような野の行幸に供奉なさった先例があったのであろうか。大臣は、御使者を恐縮しておもてなしなさる。
  Ohoki-Otodo no, kakaru no no Gyaugau ni tukau-maturi tamahe ru tamesi nado ya ari kem? Otodo, ohom-tukahi wo kasikomari motenasa se tamahu.
1.3.6  「 小塩山深雪積もれる松原に
 「小塩山に深雪が積もった松原に
    "Wosiho-yama mi-yuki tumore ru matubara ni
1.3.7   今日ばかりなる跡やなからむ
  今日ほどの盛儀は先例がないでしょう
    kehu bakari naru ato ya nakara m
1.3.8  と、 そのころほひ聞きしことの、そばそば思ひ出でらるるは、ひがことにやあらむ
 と、その当時に伝え聞いたことで、ところどころ思い出されるのは、聞き間違いがあるかもしれない。
  to, sono-korohohi kiki si koto no, soba-soba omohi-ide raruru ha, higa-koto ni ya ara m?
注釈27野に大原野に。1.3.1
注釈28六条院より御酒御くだものなどたてまつらせたまへり源氏から。なお。『李部王記』のその日の記事にも「六条院」(宇多法皇カ)から酒や炭などが献上されたことが記されている。1.3.1
注釈29御使にて帝から源氏への返礼の使者。1.3.2
注釈30雉一枝たてまつらせたまふ『九条右大臣集』(藤原師輔)に、朱雀院の野の行幸に不参して雉一双を賜った例が見られる。雉の一双を左右の枝に上下して付けるのが作法という(河海抄)。1.3.2
注釈31仰せ言には何とかやさやうの折のことまねぶにわづらはしくなむ『集成』は「帝の仰せ言には何とあったか、このような場合のことをお話しするのは、女の身に憚りが多いので(やめておきます)。歌以外は省略することをことわる草子地」。『完訳』は「その仰せ言には何とあったか、そのような折のことをつぶさに記しとどめるのもわずらわしいことで--」「女が朝廷儀式の詳細を語るのを避けるための、語り手の省筆」と注す。1.3.2
注釈32雪深き小塩山にたつ雉の古き跡をも今日は尋ねよ帝から源氏への贈歌。『集成』は「源氏の不参を残念がられた歌」と注す。1.3.3
注釈33太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ仁和二年(八八六)十二月十四日の光孝天皇の芹川行幸に太政大臣藤原基経が供奉した例がある(河海抄)。1.3.5
注釈34小塩山深雪積もれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ「行幸」「み雪」の掛詞。「や」間投助詞、詠嘆の意。今日ほどの盛儀はないことでしょう、の意。1.3.6
注釈35そのころほひ聞きしことのそばそば思ひ出でらるるはひがことにやあらむ『集成』は「語り手の女房の言葉をそのまま伝えた体の草子地」。『完訳』は「以下も、源氏の本心にふれまいとする語り手の言辞」と注す。1.3.8
校訂2 たまふべく たまふべく--給へて(て/$く<朱>) 1.3.1
校訂3 左衛門尉 左衛門尉--(右/$左<朱>)衛門のせう 1.3.2
1.4
第四段 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める


1-4  Genji advises Tamakazura to work under Mikado

1.4.1  またの日、大臣、西の対に、
 翌日、大臣は、西の対に、
  Mata-no-hi, Otodo, Nisi-no-tai ni,
1.4.2  「 昨日、主上は見たてまつりたまひきや。 かのことは、思しなびきぬらむや」
 「昨日、主上は拝見なさいましたか。あの件は、その気におなりになりましたか」
  "Kinohu, Uhe ha mi tatematuri tamahi ki ya? Kano koto ha, obosi-nabiki nu ram ya?"
1.4.3  と聞こえたまへり。白き色紙に、いとうちとけたる文、こまかにけしきばみてもあらぬが、をかしきを見たまうて、
 と申し上げなさった。白い色紙に、たいそう親しげな手紙で、こまごまと色めいたことも含まれてないのが、素晴らしいのを御覧になって、
  to kikoye tamahe ri. Siroki siki-si ni, ito utitoke taru humi, komaka ni kesikibami te mo ara nu ga, wokasiki wo mi tamau te,
1.4.4  「あいなのことや」
 「いやなことを」
  "Aina no koto ya!"
1.4.5  と笑ひたまふものから、「 よくも推し量らせたまふものかな」と思す。御返りに、
 とお笑いなさるものの、「よくも人の心を見抜いていらっしゃるわ」とお思いになる。お返事には、
  to warahi tamahu monokara, "Yoku mo osihakara se tamahu mono kana!" to obosu. Ohom-kaheri ni,
1.4.6  「 昨日は
 「昨日は、
  "Kinohu ha,
1.4.7   うち きらし朝ぐもりせし行幸には
  雪が散らついて朝の間の行幸では
    Uti-kirasi asa-gumori se si miyuki ni ha
1.4.8  さやかに空の光やは見し
  はっきりと日の光は見えませんでした
    sayaka ni sora no hikari ya ha mi si
1.4.9   おぼつかなき御ことどもになむ
 はっきりしない御ことばかりで」
  Obotukanaki ohom-koto-domo ni nam."
1.4.10  とあるを、 上も見たまふ
 とあるのを、紫の上も御覧になる。
  to aru wo, Uhe mo mi tamahu.
1.4.11  「 ささのことを そそのかししかど中宮かくておはすここながらのおぼえには、便なかるべしかの大臣に知られても女御かくてまたさぶらひたまへばなど、 思ひ乱るめりし筋なり若人の、さも馴れ仕うまつらむに、憚る思ひなからむは、主上をほの見たてまつりて、えかけ離れて思ふはあらじ」
 「しかじかのことを勧めたのですが、中宮がああしていらっしゃるし、わたしの娘という扱いのままでは不都合であろう。あの内大臣に知られても、弘徽殿の女御がまたあのようにいらっしゃるのだからなどと、思い悩んでいたことです。若い女性で、そのように親しくお仕えするのに、何も遠慮する必要がないのは、主上をちらとでも拝見して、宮仕えを考えない者はないでしょう」
  "Sasa no koto wo sosonokasi sika do, Tyuuguu kaku te ohasu, koko nagara no oboye ni ha, bin nakaru besi. Kano Otodo ni sira re te mo, Nyougo kaku te mata saburahi tamahe ba nado, omohi-midaru meri si sudi nari. Wakaudo no, samo nare tukau-matura m ni, habakaru omohi nakara m ha, Uhe wo hono-mi tatematuri te, e kake-hanare te omohu ha ara zi."
1.4.12  とのたまへば、
 とおっしゃると、
  to notamahe ba,
1.4.13  「 あな、うたて。めでたしと見たてまつるとも、心もて宮仕ひ思ひ立たむこそ、いとさし過ぎたる心ならめ」
 「あら、嫌ですわ。いくら御立派だと拝見しても、自分から進んで宮仕えを考えるなんて、とても出過ぎた考えでしょう」
  "Ana, utate! Medetasi to mi tatematuru tomo, kokoro mote miya-dukahi omohi-tata m koso, ito sasi-sugi taru kokoro nara me."
1.4.14  とて、笑ひたまふ。
 と言って、お笑いになる。
  tote, warahi tamahu.
1.4.15  「 いで、そこにしもぞ、めできこえたまはむ
 「さあ、そういうあなたこそ、きっと熱心になることでしょう」
  "Ide, soko ni simo zo, mede kikoye tamaha m."
1.4.16  などのたまうて、また御返り、
 などとおっしゃって、改めてお返事に、
  nado notamau te, mata ohom-kaheri,
1.4.17  「 あかねさす光は空に曇らぬを
 「日の光は曇りなく輝いていましたのに
    "Akane-sasu hikari ha sora ni kumora nu wo
1.4.18   などて行幸に目をきらしけむ
  どうして行幸の日に雪のために目を曇らせたのでしょう
    nadote miyuki ni me wo kirasi kem
1.4.19   なほ、思し立て
 やはり、ご決心なさい」
  Naho, obosi-tate."
1.4.20  など、絶えず勧めたまふ。
 などと、ひっきりなしにお勧めになる。
  nado, taye zu susume tamahu.
注釈36昨日主上は以下「なびきぬらむや」まで、源氏の詞。1.4.2
注釈37かのことは宮仕えの件をさす。1.4.2
注釈38よくも推し量らせたまふものかな玉鬘の心中。1.4.5
注釈39昨日は以下「御ことどもになむ」まで、玉鬘の返事。1.4.6
注釈40うちきらし朝ぐもりせし行幸にはさやかに空の光やは見し玉鬘の和歌。「光」は帝の姿を譬喩する。「やは」反語表現。1.4.7
注釈41おぼつかなき御ことどもになむ歌に添えた言葉。接尾語「ども」複数は帝の顔や宮仕えのことを意味する。1.4.9
注釈42上も見たまふ紫の上をさす。1.4.10
注釈43ささのことを以下「思ふにはあらじ」まで、源氏の詞。指示代名詞「ささ」は、宮仕えのことをさす。1.4.11
注釈44中宮かくておはす秋好中宮をさす。1.4.11
注釈45ここながらのおぼえには、便なかるべし『完訳』は「源氏の娘という扱いでは。養女の中宮と競うのが不都合」と注す。1.4.11
注釈46かの大臣に知られても内大臣をさす。「知られ」の「れ」は受身の助動詞。1.4.11
注釈47女御かくてまたさぶらひたまへば弘徽殿女御をさす。玉鬘の姉妹に当たる。1.4.11
注釈48思ひ乱るめりし筋なり主語は玉鬘。推量の助動詞「めり」の主体は源氏。「し」過去の助動詞。源氏の観察体験にもとづくニュアンス。1.4.11
注釈49若人の若い女性一般をいう。1.4.11
注釈50あなうたて以下「心ならめ」まで、紫の上の詞。1.4.13
注釈51いで、そこにしもぞ、めできこえたまはむ源氏の詞。「そこ」は二人称、紫の上をさす。1.4.15
注釈52あかねさす光は空に曇らぬをなどて行幸に目をきらしけむ源氏の返歌。「きらす」「みゆき」「空の光」の語句を受けて返す。「あかねさす」は「光」の枕詞。「みゆき」に「行幸」と「み雪」の意を掛ける。1.4.17
注釈53なほ思し立て歌に添えた言葉。1.4.19
校訂4 きらし きらし--*きえし 1.4.7
校訂5 そそのかししかど そそのかししかど--*そゝのかしかと 1.4.11
1.5
第五段 玉鬘、裳着の準備


1-5  Genji prepares the ceremony for Tamakazura to grow up to be a woman

1.5.1  「 とてもかうても、まづ 御裳着のことをこそは」と思して、その御まうけの御調度の、こまかなるきよらども加へさせたまひ、何くれの儀式を、御心にはいとも 思ほさぬことをだに、おのづからよだけくいかめしくなるを、まして、「 内の大臣にも、やがて このついでにや知らせたてまつりてまし」と思し寄れば、いと めでたくなむ。「 年返りて、二月に」と思す
 「何はともあれ、まずは御裳着の儀式を」とお思いになって、そのご用意の御調度類の、精巧で立派な品々をお加えになり、どういった儀式であれ、ご自分では大して考えていらっしゃらないことでも、自然と大げさに立派になるのを、まして、「内大臣にも、このまま儀式の機会にお知らせ申そうか」とお考え寄りになったので、たいそう立派である。「年が明けて、二月に」とお考えになる。
  "Totemo-kautemo, madu ohom-mogi no koto wo koso ha." to obosi te, sono ohom-mauke no ohom-teudo no, komaka naru kiyora-domo kuhahe sase tamahi, nanikure no gisiki wo, mi-kokoro ni ha ito mo omohosa nu koto wo dani, onodukara yodakeku ikamesiku naru wo, masite, "Uti-no-Otodo ni mo, yagate kono tuide ni ya sirase tatematuri te masi?" to obosi-yore ba, ito medetaku nam. "Tosi-kaheri te, Kisaragi ni." to obosu.
1.5.2  「 女は、聞こえ高く、名隠したまふべきほどならぬも、人の御女とて、籠もりおはするほどは、かならずしも、氏神の御つとめなど、あらはならぬほどなれば こそ、年月はまぎれ過ぐしたまへ、この、もし 思し寄ることもあらむには、 春日の神の御心違ひぬべきも、つひには隠れてやむまじきものから、あぢきなく、わざとがましき後の名まで、うたたあるべし。なほなほしき人の際こそ、今様とては、氏改むることのたはやすきもあれ」など思しめぐらすに、「 親子の御契り、絶ゆべきやうなし。同じくは、わが心許してを、知らせたてまつらむ」
 「女性というものは、評判が高く、名をお隠しできる年頃ではなくとも、誰かの姫君として、深窓にこもっていらっしゃる間は、必ずしも氏神への参詣なども、表立ってしないので、今までは分からないように過ごしていらっしゃったが、この、もし今考えていることが実現したら、春日明神の御心に背いてしまうし、結局は隠しおおせるものではないから、つまらないことに、格別の計略があったことのように後々まで取り沙汰されては、おもしろからぬことだろう。並の人の身分なら、当世ふうとしては、氏を改めることも簡単なものだが」などとご思案なさるが、「親子のご縁は、絶えるようなことはないものだ。同じことなら、こちらから進んで、お知らせ申そう」
  "Womna ha, kikoye takaku, na kakusi tamahu beki hodo nara nu mo, hito no ohom-musume tote, komori ohasuru hodo ha, kanarazu-simo, Udi-gami no ohom-tutome nado, araha nara nu hodo nare ba koso, tosi-tuki ha magire sugusi tamahe, kono, mosi obosi-yoru koto mo ara m ni ha, Kasuga-no-Kami no mi-kokoro tagahi nu beki mo, tuhi ni ha kakure te yamu maziki monokara, adikinaku, wazatogamasiki noti no na made, utata aru besi. Naho-nahosiki hito no kiha koso, imayau tote ha, udi aratamuru koto no tahayasuki mo are." nado obosi megurasu ni, "Oyako no ohom-tigiri, tayu beki yau nasi. Onaziku ha, waga kokoro yurusi te wo, sirase tatematura m."
1.5.3  など思し定めて、この御腰結には、かの大臣をなむ、御消息聞こえたまうければ、 大宮、去年の冬つ方より悩みたまふこと、さらにおこたりたまはねば、かかるに合はせて、便なかるべきよし、聞こえたまへり。
 などとご決心なさって、この儀式の御腰結役には、その内大臣をと、お手紙を差し上げなさったところ、大宮が、去年の冬頃から病気をなさっていたが、一向によくおなりにならないので、このような場合では、都合がつかない旨を、お返事申された。
  nado, obosi-sadame te, kono ohom-kosiyuhi ni ha, kano Otodo wo nam, ohom-seusoko kikoye tamau kere ba, Oho-Miya, kozo no huyu-tu-kata yori nayami tamahu koto, sarani okotari tamaha ne ba, kakaru ni ahase te, bin nakaru beki yosi, kikoye tamahe ri.
1.5.4  中将の君も、夜昼、三条にぞさぶらひたまひて、心の隙なくものしたまうて、折悪しきを、 いかにせましと思す。
 中将の君も、昼夜、三条宮邸に伺候なさっていて、心に余裕もなくいらっしゃるので、時機が悪いのを、どうしたものか、とお考えになる。
  Tyuuzyau-no-Kimi mo, yoru hiru, Samdeu ni zo saburahi tamahi te, kokoro no hima naku monosi tamau te, wori asiki wo, ikani se masi to obosu.
1.5.5  「 世も、いと定めなし。宮も亡せさせたまはば、御服 あるべきを知らず顔にてものしたまはむ、罪深きこと多からむ。おはする世に、このこと表はしてむ」
 「世の中も、まことに無常なものだ。大宮がお亡くなりにあそばしたら、御喪に服さなければならないのに、知らない顔をしていらっしゃったら、罪深いことが多かろう。生きていらっしゃるうちに、このことを打ち明けよう」
  "Yo mo, ito sadame nasi. Miya mo use sase tamaha ba, ohom-buku aru beki wo, sira-zu-gaho ni te monosi tamaha m, tumi hukaki koto ohokara m. Ohasuru yo ni, kono koto arahasi te m."
1.5.6  と思し取りて、三条の宮に、御訪らひがてら渡りたまふ。
 とお考えになって、三条宮邸に、お見舞いかたがたお出かけになる。
  to obosi-tori te, Samdeu-no-miya ni, ohom-toburahi gatera watari tamahu.
注釈54とてもかうても以下「こそは」まで、源氏の心中。1.5.1
注釈55御裳着のことを玉鬘は女の成人式である裳着の儀式をまだ挙げてなかった。1.5.1
注釈56内の大臣にも以下「知らせたてまつりてまし」まで、源氏の心中。1.5.1
注釈57このついでにや玉鬘の裳着の儀式の折をさす。係助詞「や」は推量の助動詞「まし」に係る。1.5.1
注釈58年返りて二月にと思す源氏は玉鬘の裳着を明年二月に予定。1.5.1
注釈59女は聞こえ高く以下「たはやすきもあれ」まで、源氏の心中。1.5.2
注釈60こそ年月はまぎれ過ぐしたまへ係助詞「こそ」は「たまへ」已然形に係るが、逆接で文脈を続ける。1.5.2
注釈61思し寄ること玉鬘の尚侍としての出仕をさす。1.5.2
注釈62春日の神の御心違ひぬべきも源氏の娘として出仕したら、藤原氏の氏神である春日の神慮に背くことになろう、の意。1.5.2
注釈63親子の御契り以下「知らせたてまつらむ」まで、源氏の心中。1.5.2
注釈64大宮去年の冬つ方より内大臣の母。また源氏の妻故葵の上の母。夕霧には祖母にあたる。昨冬より病気。1.5.3
注釈65いかにせまし源氏の心中。1.5.4
注釈66世もいと定めなし以下「表はしてむ」まで、源氏の心中。1.5.5
注釈67あるべきを接続助詞「を」逆接の意。1.5.5
注釈68知らず顔にてものしたまはむ罪深き主語は玉鬘。「たまふ」尊敬の補助動詞が付く。大宮は玉鬘の祖母でもある。父方の祖母の服喪期間は五か月。1.5.5
校訂6 思ほさぬ 思ほさぬ--お(お/+も)ほさぬ 1.5.1
校訂7 内の大臣にも 内の大臣にも--うちのおとゝ(ゝ/+に<朱>)も 1.5.1
校訂8 めでたく めでたく--めてたう所せきまて(う所せきまて/$く<朱>) 1.5.1
Last updated 9/11/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-3)
Last updated 9/10/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 9/10/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/11/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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