25 蛍(大島本)


HOTARU


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の五月雨期の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, rainy days in May at the age of 36

3
第三章 光る源氏の物語 光る源氏の物語論


3  Tale of Hikaru-Genji  On monogatari by Hikaru-Genji

3.1
第一段 玉鬘ら六条院の女性たち、物語に熱中


3-1  Tamakazura and the other women in Rokujoin are crazy about reading monogatari

3.1.1  長雨例の年よりもいたくして、 晴るる方なくつれづれなれば、御方々、 絵物語などのすさびにて、明かし暮らしたまふ。明石の御方は、さやうのことをもよしありてしなしたまひて、姫君の御方にたてまつりたまふ。
 長雨が例年よりもひどく降って、晴れる間もなく所在ないので、御方々は、絵や物語などを遊び事にして、毎日お暮らしになっていらっしゃる。明石の御方は、そのようなことも優雅な趣向を凝らして仕立てなさって、姫君の御方に差し上げなさる。
  Nagaame rei no tosi yori mo itaku si te, haruru kata naku turedure nare ba, ohom-kata-gata, we monogatari nado no susabi ni te, akasi-kurasi tamahu. Akasi-no-Ohomkata ha, sayau no koto wo mo yosi ari te si nasi tamahi te, Hime-Gimi no Ohom-kata ni tatematuri tamahu.
3.1.2   西の対には、ましてめづらしくおぼえたまふことの筋なれば、明け暮れ書き読みいとなみおはす。 つきなからぬ若人あまたあり。さまざまにめづらかなる人の上などを、真にや偽りにや、言ひ集めたるなかにも、「 わがありさまのやうなるはなかりけり」と見たまふ。
 西の対では、まして珍しく思われなさることの遊び事なので、毎日写したり読んだりしていらっしゃる。そのうってつけの若い女房たちが大勢いる。いろいろと珍しい人の身の上などを、本当のことか嘘のことかと、たくさんある物語の中でも、「自分の身の上と同じようなのはなかった」と御覧になる。
  Nisi-no-tai ni ha, masite medurasiku oboye tamahu koto no sudi nare ba, ake-kure kaki yomi itonami ohasu. Tukinakara nu wakaudo amata ari. Sama-zama ni meduraka naru hito no uhe nado wo, makoto ni ya ituhari ni ya, ihi-atume taru naka ni mo, "Waga arisama no yau naru ha nakari keri!" to mi tamahu.
3.1.3  『住吉』の姫君の、 さしあたりけむ折はさるものにて、今の世のおぼえも なほ心ことなめるに、主計頭が、ほとほとしかりけむなどぞ、かの監がゆゆしさを思しなずらへたまふ。
 『住吉物語』の姫君が、物語中での評判もさることながら、現実での評判もやはり格別のようだが、主計頭が、もう少しで奪うところであったことなどを、あの監の恐しさと思い比べて御覧になる。
  Sumiyosino Hime-Gimi no, sasi-atari kem wori ha saru mono ni te, ima no yo no oboye mo naho kokoro koto na' meru ni, Kazohe-no-Kami ga, hoto-hotosikari kem nado zo, kano Gen ga yuyusisa wo obosi-nazurahe tamahu.
3.1.4  殿も、こなたかなたにかかるものどもの散りつつ、御目に離れねば、
 殿も、あちらこちらでこのような絵物語が散らかっていて、お目につくので、
  Tono mo, konata kanata ni kakaru mono-domo no tiri tutu, ohom-me ni hanare ne ba,
3.1.5  「 あな、むつかし。女こそ、ものうるさがらず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。ここらのなかに、真はいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられたまひて、暑かはしき 五月雨の、髪の乱るるも知らで、書きたまふよ」
 「ああ、困ったものだ。女性というものは、面倒がりもせず、人にだまされようとして生まれついたものですね。たくさんの中にも真実は少ないだろうに、そうとは知りながら、このようなつまらない話にうつつをぬかし、だまされなさって、蒸し暑い五月雨の、髪の乱れるのも気にしないで、お写しになることよ」
  "Ana, mutukasi! Womna koso, mono urusagara zu, hito ni azamuka re m to uma re taru mono nare. Kokora no naka ni, makoto ha ito sukunakara m wo, katu siru-siru, kakaru suzuro-goto ni kokoro wo utusi, hakara re tamahi te, atukahasiki samidare no, kami no midaruru mo sira de, kaki tamahu yo."
3.1.6  とて、笑ひたまふものから、また、
 と言って、お笑いになる一方で、また、
  tote, warahi tamahu mono kara, mata,
3.1.7  「 かかる世の古言ならでは、げに、何をか紛るることなきつれづれを 慰めまし。さても、この 偽りどものなかに、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしく続けたる、はた、はかなしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫君のもの思へる見るに、 かた心つくかし
 「このような古物語でなくては、なるほど、どうして気の紛らしようのない退屈さを慰めることができようか。それにしても、この虚構の物語の中に、なるほどそうもあろうかと人情を見せ、もっともらしく書き綴ったのは、それはそれで、たわいもないこととは知りながらも、無性に興をそそられて、かわいらしい姫君が物思いに沈んでいるのを見ると、何程か心引かれるものです。
  "Kakaru yo no huru-koto nara de ha, geni, nani wo ka magiruru koto naki turedure wo nagusame masi. Sate mo, kono ituhari-domo no naka ni, geni sa mo ara m to ahare wo mise, tuki-dukisiku tuduke taru, hata, hakanasi-goto to siri nagara, itadura ni kokoro ugoki, rautage naru Hime-Gimi no mono omohe ru miru ni, kata-kokoro tuku kasi.
3.1.8  また、 いとあるあじきことかなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目おどろきて、静かにまた聞くたびぞ、憎けれど、ふとをかしき節、あらはなるなどもあるべし。
 また、けっしてありそうにないことだと思いながらも、大げさに誇張して書いてあるところに目を見張る思いがして、落ち着いて再び聞く時には、憎らしく思うが、とっさには面白いところなどがきっとあるのでしょう。
  Mata, ito arumaziki koto kana to miru miru, odoro-odorosiku torinasi keru ga me odoroki te, siduka ni mata kiku tabi zo, nikukere do, huto wokasiki husi, araha naru nado mo aru besi.
3.1.9  このころ、 幼き人の女房などに時々読まするを立ち聞けば、ものよく言ふものの世にあるべきかな。 虚言をよくしなれたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれど、さしもあらじや」
 最近、幼い姫が女房などに時々読ませているのを立ち聞きすると、何と口のうまい者がいるものですね。根も葉もない嘘をつき馴れた者の口から言い出すのだろうと思われますが、そうではないありませんか」
  Kono-koro, wosanaki hito no nyoubau nado ni toki-doki yoma suru wo tati-kike ba, mono yoku ihu mono no yo ni aru beki kana! Soragoto wo yoku si nare taru kuti-tuki yori zo, ihi-idasu ram to oboyure do, sasimo ara zi ya?"
3.1.10  とのたまへば、
 とおっしゃると、
  to notamahe ba,
3.1.11  「 げに、偽り馴れたる人や、さまざまにさも汲みはべらむ。ただ いと真のこととこそ思うたまへられけれ」
 「おっしゃるとおり、嘘をつくことに馴れた人は、いろいろとそのようにご想像なさるでしょう。ただどうしても真実のことと思われるのです」
  "Geni, ituhari nare taru hito ya, sama-zama ni samo kumi habera m. Tada ito makoto no koto to koso omou tamahe rare kere!"
3.1.12  とて、硯をおしやりたまへば、
 と言って、硯を押しやりなさるので、
  tote, suduri wo osi-yari tamahe ba,
3.1.13  「 こちなくも聞こえ落としてけるかな。神代より世にあることを、 記しおきけるななり。『 日本紀』などは、ただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ」
 「失礼にもけなしてしまいましたね。神代から世の中にあることを、書き記したものだそうだ。『日本紀』などは、ほんの一面にしか過ぎません。物語にこそ道理にかなった詳細な事柄は書いてあるのでしょう」
  "Kotinaku mo kikoye otosi te keru kana! Kamiyo yori yo ni aru koto wo, sirusi-oki keru na' nari. Nihonginado ha, tada katasoba zo kasi. Korera ni koso miti-mitisiku kuhasiki koto ha ara me."
3.1.14  とて、笑ひたまふ。
 と言って、お笑いになる。
  tote, warahi tamahu.
注釈124晴るる方なく『集成』は「空も心も」と注す。五月雨時期の景情一致、心象風景の描写。3.1.1
注釈125絵物語『集成』は「絵物語(挿絵のついた物語)」。『完訳』は「絵や物語。一説に、絵物語」と注す。3.1.1
注釈126西の対にはまして玉鬘をさす。筑紫の田舎育ちゆえに絵や物語に対して一層の興味と関心をしめす。3.1.2
注釈127つきなからぬ若人あまたあり『集成』は「(物語の蒐集、書写、挿絵かきなどに)うってつけの若い女房は大勢いる」と注す。3.1.2
注釈128わがありさまのやうなるはなかりけり玉鬘の心中。3.1.2
注釈129さしあたりけむ折はさるものにて『集成』は「その当時の評判のすばらしかったことは当然として」。『完訳』は「いろいろなめにあったその時の話は話として」「玉鬘が物語の世界と現実の世界をやや混同するところを、次に源氏がからかう」と注す。3.1.3
注釈130なほ心ことなめるに推量の助動詞「めり」の主観的推量は語り手の玉鬘の心中に即した叙述。3.1.3
注釈131あなむつかし以下「書きたまふよ」まで、源氏の詞。3.1.5
注釈132五月雨の、髪「ほととぎすをち返り鳴けうなゐ子がうち垂れ髪の五月雨の空」(拾遺集夏、一一六、躬恒)。3.1.5
注釈133かかる世の古言ならでは以下「さしもあらじや」まで、源氏の詞。3.1.7
注釈134慰めまし推量の助動詞「まし」反実仮想の意。3.1.7
注釈135偽りども『完訳』は「女たちの理解に即して「いつはり」としたが、文意からは「そらごと」とあるべき。作り事が、人を勘当させる真実味や説得力をはらみうる、虚構の真実をいう」と注す。3.1.7
注釈136かた心つくかし『集成』は「多少とも心がひかれるものですよ。以上、主人公が物思いに沈むといった情緒的な場面。物語の一つの要素である」と注す。3.1.7
注釈137いとあるあじきことかなと『集成』は「以下、奇抜な人目を驚かすような物語の趣向。伝奇的な要素。これも物語の持つもう一つの要素である」と注す。3.1.8
注釈138幼き人の女房などに時々読まするを立ち聞けば明石姫君をさす。格助詞「の」主格を表す。当時の物語の観賞法が窺える。3.1.9
注釈139虚言をよくしなれたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれど『集成』は「根も葉もない嘘をつきなれた口から言い出すのであろうとおもわれますが」。『完訳』は「こんな物語も、さぞかし巧みにありもせぬ作り事を言いなれた人の、口からの出まかせなのだろうと思うのですが」と訳す。3.1.9
注釈140げに偽り馴れたる人や以下「お思うたまへられけれ」まで、玉鬘の詞。「たまへ」謙譲の補助動詞。「られ」自発の助動詞。「けれ」過去の助動詞、詠嘆の意。3.1.11
注釈141こちなくも以下「詳しきことはあらめ」まで、源氏の詞。3.1.13
注釈142記しおきけるななり「な」断定の助動詞、連体形。「なり」伝聞推定の助動詞。『集成』は「伝承の記録という意味では国史と変らない、むしろ国史よりも委しいと次に言う」と注す。3.1.13
注釈143日本紀などはただかたそばぞかし『集成』は「『日本書紀』。わが国最初の正史」「ほんの片端にすぎないものです」。『完訳』は「六国史など官製国史の総称」「日本紀などはほんの一面にすぎないものです」と注す。3.1.13
出典7 五月雨の、髪の乱るる ほととぎすをち返り鳴けうなゐ子がうち垂れ髪の五月雨の空 拾遺集夏-一一六 凡河内躬恒 3.1.5
校訂7 いと いと--(/+いと) 3.1.11
3.2
第二段 源氏、玉鬘に物語について論じる


3-2  Genji estimates the value of monogatari to Tamakazura

3.2.1  「 その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、善きも悪しきも、世に経る人のありさまの、 見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節々を、心に籠めがたくて、言ひおき初めたるなり。 善きさまに言ふとては、善きことの限り選り出でて、人に従はむとては、また悪しきさまの珍しきことを取り集めたる、皆かたがたにつけたる、この世の他のことならずかし。
 「誰それの話といって、事実どおりに物語ることはありません。善いことも悪いことも、この世に生きている人のことで、見飽きず、聞き流せないことを、後世に語り伝えたい事柄を、心の中に籠めておくことができず、語り伝え初めたものです。善いように言おうとするあまりには、善いことばかりを選び出して、読者におもねろうとしては、また悪いことでありそうにもないことを書き連ねているのは、皆それぞれのことで、この世の他のことではないのですよ。
  "Sono hito no uhe tote, ari no mama ni ihi-iduru koto koso nakere, yoki mo asiki mo, yo ni huru hito no arisama no, miru ni mo aka zu, kiku ni mo amaru koto wo, noti no yo ni mo ihi-tutahe sase mahosiki husi-busi wo, kokoro ni kome-gataku te, ihi-oki hazime taru nari. Yoki sama ni ihu tote ha, yoki koto no kagiri eri-ide te, hito ni sitagaha m tote ha, mata asiki sama no medurasiki koto wo tori-atume taru, mina kata-gata ni tuke taru, konoyo no koto nara zu kasi.
3.2.2   人の朝廷の才、作りやう変はる、同じ大和の国のことなれば、昔今のに変はるべし、 深きこと浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるに虚言と言ひ果てむも、ことの心違ひてなむありける。
 異朝の作品は、記述のしかたが変わっているが、同じ日本の国のことなので、昔と今との相違がありましょうし、深いものと浅いものとの違いがありましょうが、一途に作り話だと言い切ってしまうのも、実情にそぐわないことです。
  Hito no mikado no zae, tukuri yau kaharu, onazi Yamato-no-kuni no koto nare ba, mukasi ima no ni kaharu besi, hukaki koto asaki koto no kedime koso ara me, hitaburu ni sora-goto to ihi-hate m mo, koto no kokoro tagahi te nam ari keru.
3.2.3  仏の、いとうるはしき心にて説きおきたまへる御法も、方便といふことありて、悟りなきものは、ここかしこ違ふ疑ひを置きつべくなむ。『方等経』の中に多かれど、言ひもてゆけば、ひとつ旨にありて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人の善き悪しきばかりのことは変はりける。
 仏教で、まことに立派なお心で説きおかれた御法文も、方便ということがあって、分からない者は、あちこちで矛盾するという疑問を持つに違いありません。『方等経』の中に多いが、詮じつめていくと、同一の主旨に落ち着いて、菩提と煩悩との相違とは、物語の、善人と悪人との相違程度に過ぎません。
  Hotoke no, ito uruhasiki kokoro ni te toki-oki tamahe ru mi-nori mo, hauben to ihu koto ari te, satori naki mono ha, koko-kasiko tagahu utagahi wo oki tu beku nam. Haudou-kyau no naka ni ohokare do, ihi mote yuke ba, hitotu mune ni ari te, bodai to bonnau to no hedatari nam, kono, hito no yoki asiki bakari no koto ha kahari keru.
3.2.4  よく言へば、すべて何ごとも空しからずなりぬや」
 よく解釈すれば、全て何事も無駄でないことはなくなってしまうものですね」
  Yoku ihe ba, subete nanigoto mo munasikara zu nari nu ya?"
3.2.5  と、物語をいとわざとのことにのたまひなしつ。
 と、物語を実にことさらに大したもののようにおっしゃった。
  to, monogatari wo ito wazato no koto ni notamahi-nasi tu.
3.2.6  「 さて、かかる古言の中にまろがやうに実法なる痴者の物語はありや。いみじく気遠きものの姫君も、御心のやうにつれなく、 そらおぼめきしたるは世にあらじな。いざ、たぐひなき物語にして、世に伝へさせむ」
 「ところで、このような昔物語の中に、わたしのような律儀な愚か者の物語はありませんか。ひどく親しみにくい物語の姫君も、あなたのお心のように冷淡で、そらとぼけている人はまたとありますまいな。さあ、二人の仲を世にも珍しい物語にして、世間に語り伝えさせましょう」
  "Sate, kakaru hurukoto no naka ni, maro ga yau ni zihohu naru sire-mono no monogatari ha ari ya? Imiziku ke-dohoki mono-no-himegimi mo, mi-kokoro no yau ni turenaku, sora-obomeki si taru ha yo ni ara zi na! Iza, taguhinaki monogatari si te, yo ni tutahe sase m."
3.2.7  と、さし寄りて聞こえたまへば、顔を引き入れて、
 と、近づいて申し上げなさるので、顔を引き入れて、
  to, sasi-yori te kikoye tamahe ba, kaho wo hiki-ire te,
3.2.8  「 さらずともかく珍かなることは、世語りにこそはなりはべりぬべかめれ」
 「そうでなくても、このように珍しいことは、世間の噂になってしまいそうなことでございます」
  "Sarazu-tomo, kaku meduraka naru koto ha, yo-gatari ni koso ha nari haberi nu beka' mere."
3.2.9  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
  to notamahe ba,
3.2.10  「 珍かにやおぼえたまふ。げにこそ、またなき心地すれ
 「珍しくお思いですか。なるほど、またとない気持ちがします」
  "Meduraka ni ya oboye tamahu. Geni koso, matanaki kokoti sure."
3.2.11  とて、寄りゐたまへるさま、 いとあざれたり
 と言って、寄り添っていらっしゃる態度は、たいそうふざけている。
  tote, yori-wi tamahe ru sama, ito azare tari.
3.2.12  「 思ひあまり昔の跡を訪ぬれど
 「思いあまって昔の本を捜してみましたが
    "Omohi amari mukasi no ato wo tadunure do
3.2.13   親に背ける子ぞたぐひなき
  親に背いた子供の例はありませんでしたよ
    oya ni somuke ru ko zo taguhi naki
3.2.14   不孝なるは、仏の道にもいみじくこそ言ひたれ」
 親不孝なのは、仏の道でも厳しく戒めています」
  Hukeu naru ha, Hotoke no miti ni mo imiziku koso ihi tare."
3.2.15  とのたまへど、顔ももたげたまはねば、 御髪をかきやりつつ、いみじく怨みたまへば、からうして、
 とおっしゃるが、顔もお上げにならないので、お髪を撫でながら、ひどくお恨みなさるので、やっとのことで、
  to notamahe do, kaho mo motage tamaha ne ba, mi-gusi kaki-yari tutu, imiziku urami tamahe ba, karausite,
3.2.16  「 古き跡を訪ぬれどげになかりけり
 「昔の本を捜して読んでみましたが、おっしゃるとおり
    "Huruki ato wo tadunure do geni nakari keri
3.2.17   この世にかかる親の心は
  ありませんでした。この世にこのような親心の人は
    kono yo ni kakaru oya no kokoro ha
3.2.18  と聞こえたまふも、 心恥づかしければ、いといたくも乱れたまはず。
 とお申し上げなさるにつけても、気恥ずかしいので、そうひどくもお戯れにならない。
  to kikoye tamahu mo, kokoro-hadukasiker ba, ito itaku mo midare tamaha zu.
3.2.19   かくして、いかなるべき御ありさまならむ
 こうして、どうなって行くお二方の仲なのであろう。
  Kaku si te, ika naru beki mi-arisama nara m?
注釈144その人の上とて以下「空しからずなりぬや」まで、源氏の詞。『集成』は「以下、物語の細論。物語には誇張はあるが、この世の人間の姿を伝える点では国史と変らないという主旨を展開する」と注す。3.2.1
注釈145見るにも飽かず聞くにもあまることを『完訳』は「人を感動させてやまぬ内容をいう」と注す。3.2.1
注釈146善きさまに言ふとては以下、物語の誇張表現についていう。3.2.1
注釈147人の朝廷の才、作りやう変はる、同じ大和の国のことなれば『集成』は「異朝(中国の朝廷)では、学問(歴史についての考え)も記述の体裁もわが国と違います。この一句、解しがたく、異文も多く、諸説も多い」「(国史と物語とでは)同じ日本の国のことですから、昔からの国史と今出来の物語とでは違いがあるはずですし」。『完訳』は「異朝の物語でさえも--国が違うから書き方は変っているが、また日本の物語でも同じ国のことだから、昔のは今のと違っていて当然ですし」と注す。3.2.2
注釈148深きこと浅きことのけぢめこそあらめ『集成』は「意味深い国史と浅はかな物語という差はありましょうが」。『完訳』は「その内容に深い浅いの相違はあるでしょうが」と訳す。3.2.2
注釈149さてかかる古言の中に以下「世に伝へさせむ」まで、源氏の詞。3.2.6
注釈150まろがやうに実法なる痴者の物語はありや『完訳』は「源氏は、自ら誠実を尽すが女に顧みられぬ男として、玉鬘へ哀訴」と注す。3.2.6
注釈151さらずとも以下「はべりぬべかめれ」まで、玉鬘の詞。3.2.8
注釈152かく珍かなることは父親が娘に言い寄ることをさす。3.2.8
注釈153珍かにやおぼえたまふ。げにこそ、またなき心地すれ源氏の詞。『集成』は「(私も)ほんとにこれほどまでにひとを思ったことはありません。玉鬘の言葉をそらして、からんでゆく」。『完訳』は「いかにもあなたのように冷淡な娘はまたとないような気がいたします」「玉鬘の「めづらか」に納得するかにみせ、「またなき心地」に親に冷淡な、の意をこめて歌に続ける」と注す。3.2.10
注釈154いとあざれたり語り手の批評の文。3.2.11
注釈155思ひあまり昔の跡を訪ぬれど親に背ける子ぞたぐひなき源氏から玉鬘への贈歌。3.2.12
注釈156不孝なるは以下「いみじくこそ言ひけれ」まで、歌に続けた源氏の詞。3.2.14
注釈157御髪をかきやりつつ源氏が玉鬘の御髪を。3.2.15
注釈158古き跡を訪ぬれどげになかりけりこの世にかかる親の心は玉鬘の返歌。「昔」を「古き」に変え、「跡」「訪ぬ」「親」の語句はそのまま受けて返す。3.2.16
注釈159心恥づかしければ以下、主語は源氏。3.2.18
注釈160かくしていかなるべき御ありさまならむ語り手の弁。『集成』は「草子地」。『完訳』は「物語の後続に、読者の期待をつなぐ語り手の弁」と注す。3.2.19
校訂8 そらおぼめき そらおぼめき--そ(そ/+ら)おほめき 3.2.6
3.3
第三段 源氏、紫の上に物語について述べる


3-3  Genji advises to Murasaki on readingmonogatari

3.3.1  紫の上も、姫君の御あつらへにことつけて、物語は捨てがたく思したり。『 くまのの物語』の絵にてあるを、
 紫の上も、姫君のご注文にかこつけて、物語は捨てがたく思っていらっしゃった。『くまのの物語』の絵の箇所を、
  Murasaki-no-Uhe mo, Hime-Gimi no ohom-aturahe ni kototuke te, monogatari ha sute-gataku obosi tari. Kumano-no-monogatari no we ni te aru wo,
3.3.2  「いと よく描きたる絵かな
 「とてもよく描いた絵だわ」
  "Ito yoku kaki taru we kana!"
3.3.3  とて御覧ず。小さき女君の、何心もなくて昼寝したまへるところを、昔のありさま思し出でて、女君は見たまふ。
 と御覧になる。小さい女君が、あどけなく昼寝をしていらっしゃる所を、昔の様子をご回想なさって、女君は御覧になる。
  tote go-ran-zu. Tihisaki womna-gimi no, nani-gokoro mo naku te hirune si tamahe ru tokoro wo, mukasi no arisama obosi-ide te, Womna-Gimi ha mi tamahu.
3.3.4  「 かかる童どちだに、いかにされたりけり。まろこそ、なほ 例にしつべく、心のどけさは人に似ざりけれ」
 「このような子供どうしでさえ、なんとませたことなのでしょう。わたしなど、やはり語り草になるほど、気の長さは誰にも負けませんね」
  "Kakaru waraha-doti dani, ikani sare tari keri. Maro koso, naho tamesi ni si tu beku, kokoro-nodokesa ha hito ni ni zari kere!"
3.3.5  と聞こえ出でたまへり。 げに、たぐひ多からぬことどもは、好み集めたまへりけりかし
 と申し上げなさる。なるほど、世間に例の多くない恋愛を、数々なさってこられたことよ。
  to kikoye-ide tamahe ri. Geni, taguhi ohokara nu koto-domo ha, konomi atume tamahe ri keri kasi.
3.3.6  「 姫君の御前にて、この世馴れたる物語など、な読み聞かせたまひそ。みそか心つきたるものの娘などは、をかしとにはあらねど、かかること世にはありけりと、見馴れたまはむぞ、ゆゆしきや」
 「姫君の御前で、この色恋沙汰の物語など、読み聞かせなさいますな。秘め事をする物語の娘などは、おもしろいと思わぬまでも、このようなことが世間にはあるのものだと、当たり前のように思われるのが、困ったことなのですよ」
  "Hime-Gimi no o-mahe ni te, kono yo nare taru monogatari nado, na yomi-kikase tamahi so. Misoka-gokoro tuki taru mono no musume nado ha, wokasi to ni ha ara ne do, kakaru koto yo ni ha ari keri to, mi-nare tamaha m zo, yuyusiki ya!"
3.3.7  とのたまふも、 こよなしと、対の御方聞きたまはば、心置きたまひつべくなむ
 とおっしゃるにつけても、格段に違うと、対の御方がお聞きになったら、きっとひがまれよう。
  to notamahu mo, koyonasi to, Tai-no-Ohomkata kiki tamaha ba, kokoro-oki tamahi tu beku nam.
3.3.8  上、
 紫の上は、
  Uhe,
3.3.9  「 心浅げなる人まねどもは、見るにもかたはらいたくこそ。『宇津保』の 藤原君の女こそ、いと重りかにはかばかしき人にて、過ちなかめれど、すくよかに言ひ出でたる こともしわざも、女しきところなかめるぞ、 一様なめる
 「軽率な物語の人の物真似の類は、見ていてもたまりません。『宇津保物語』の藤原の君の娘は、とても思慮深くしっかりした人で、間違いはないようですが、そっけない返事もそぶりも、女性らしいところがないようなのが、同じようですね」
  "Kokoro-asage naru hito-mane domo ha, miru ni mo kataharaitaku koso. Utuhono Hudihara-Gimi no musume koso, ito omorika ni haka-bakasiki hito nite, ayamati naka' mere do, sukuyoka ni ihi-ide taru koto mo siwaza mo, womna-siki tokoro naka' meru zo, hitoyau na' meru."
3.3.10  とのたまへば、
 と、おっしゃると、
  to notamahe ba,
3.3.11  「 うつつの人も、さぞあるべかめる。人びとしく立てたる趣きことにて、 よきほどにかまへぬや。よしなからぬ 親の、心とどめて生ほしたてたる人の、子めかしきを生けるしるしにて、後れたること多かるは、何わざしてかしづきしぞと、親のしわざさへ思ひやらるるこそ、いとほしけれ。
 「実際の人も、そういうもののようです。一人前にそれぞれ主義主張を異にして、加減というものを知りません。悪くはない親が、気をつかって育てた娘が、無邪気さだけがただ一つのとりえで、劣ったところが多いのは、いったいどんなふうにして育ててきたのかと、親の育て方までが想像されるのは、気の毒です。
  "Ututu no hito mo, sa zo aru beka' meru. Hito-bitosiku tate taru omomuki koto ni te, yoki hodo ni kamahe nu ya! Yosi nakara nu oya no, kokoro-todome te ohosi-tate taru hito no, ko-mekasiki wo ikeru sirusi nite, okure taru koto ohokaru ha, nani-waza si te kasiduki si zo to, oya no siwaza sahe omohi-yara ruru koso, itohosikere.
3.3.12  げに、さいへど、その人のけはひよと見えたるは、かひあり、おもだたしかし。言葉の限りまばゆくほめおきたるに、し出でたるわざ、言ひ出でたることのなかに、げにと見え聞こゆることなき、いと見劣りするわざなり。
 なるほど、そうは言っても、身分にふさわしい感じがすると思えるのは、育てがいもあり、名誉なことです。口をきわめて気恥ずかしいほど誉めていたのに、しでかしたことや、口に出した言葉の中に、なるほどと見えたり聞こえたりすることがないのは、まことに見劣りがするものです。
  Geni, sa ihe do, sono hito no kehahi yo to miye taru ha, kahi ari, omodatasi kasi. Kotoba no kagiri mabayuku home-oki taru ni, si-ide taru waza, ihi-ide taru koto no naka ni, geni to miye kikoyuru koto naki, ito mi-otori suru waza nari.
3.3.13   すべて、善からぬ人に、いかで人ほめさせじ
 だいたい、つまらない人には、どうか娘を誉めさせたくないものです」
  Subete, yokara nu hito ni, ikade hito home sase zi."
3.3.14  など、ただ「この姫君の、点つかれたまふまじく」と、よろづに思しのたまふ。
 などと、ひたすら「この姫君が非難されないように」と、あれやこれやといろいろ考えておっしゃる。
  nado, tada "Kono Hime-Gimi no, ten-tuka re tamahu maziku." to, yorodu ni obosi notamahu.
3.3.15  継母の腹ぎたなき昔物語も多かるを、 このころ、「 心見えに心づきなし」と思せば、いみじく選りつつなむ、書きととのへさせ、絵などにも描かせたまひける。
 継母の意地悪な昔物語も多いが、最近は、「心が見透かされ底意地悪い」と思われなさるので、厳しく選んでは選んでは、清書させたり、絵などにもお描かせなさるのだった。
  Mamahaha no hara-gitanaki mukasi-monogatari mo ohokaru wo, kono-koro, "Kokoro-miye ni kokoro-duki-nasi." to obose ba, imiziku eri tutu nam, kaki-totonohe sase, we nado ni mo kaka se tamahi keru.
注釈161くまのの物語河内本と別本は「こまののものかたり」あるいは「こまのものかたり」とある。『枕草子』には「こまのの物語」と見える。3.3.1
注釈162よく描きたる絵かな紫の上の感想。3.3.2
注釈163かかる童どちだに以下「人に似ざりけれ」まで、源氏の詞。3.3.4
注釈164例にしつべく『完訳』は「好色の経験がないとする冗談」と注す。3.3.4
注釈165げにたぐひ多からぬことどもは好み集めたまへりけりかし語り手の批評。『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の評。「源氏の「なほ例に--」を、類例の少ない好色事の意に解して、皮肉る」と注す。3.3.5
注釈166姫君の御前にて以下「ゆゆしきや」まで、源氏の詞。3.3.6
注釈167こよなしと対の御方聞きたまはば心置きたまひつべくなむ『完訳』は「以下、語り手の推測。玉鬘がこれを知れば、源氏の姫君への処遇は段違いだ、とひがまれよう」と注す。3.3.7
注釈168心浅げなる人まねどもは以下「一様なめる」まで、紫の上の詞。3.3.9
注釈169藤原君の女こそ『集成』は「ふじはらぎみ」「幼名としては「の」を入れないのが慣例であるから、本来は底本(大島本)のように「の」のない表記が正しいであろう。『完訳』は「藤原の君」と校訂。3.3.9
注釈170一様なめる『集成』は「どうにも一本調子にすぎるように思われます。お手本にならない人物だという批評」。『完訳』は「「心浅げなる人まねども」と同様、魅力に欠ける」と注す。3.3.9
注釈171うつつの人も以下「人ほめさせじ」まで、源氏の詞。3.3.11
注釈172よきほどにかまへぬや終助詞「や」詠嘆の意。3.3.11
注釈173親の心とどめて格助詞「の」主格を表す。3.3.11
注釈174すべて、善からぬ人に、いかで人ほめさせじ『集成』は「下手の人間に下手な評判は立ててもらいたくないという気持」と注す。3.3.13
注釈175心見えに心づきなし『集成』は「そういう継母の心底がよく分って、気に入らぬとお思いになるので。紫の上の間柄を考慮した、姫君への教育的な配慮」と注す。3.3.15
校訂9 ことも ことも--(/+事も<朱>) 3.3.9
校訂10 このころ このころ--(/+此比<朱>) 3.3.15
3.4
第四段 源氏、子息夕霧を思う


3-4  Genji considers his education policy for his son

3.4.1  中将の君を、 こなたには気遠くもてなしきこえたまへれど、姫君の御方には、さしもさし放ちきこえたまはずならはしたまふ。
 中将の君を、こちらにはお近づけ申さないようにしていらっしゃったが、姫君の御方には、そんなにも遠ざけ申しなさらず、親しくさせていらっしゃる。
  Tyuuzyau-no-Kimi wo, konata ni ha ke-dohoku motenasi kikoye tamahe re do, Hime-Gimi no ohom-kata ni ha, sasimo sasi-hanati kikoye tamaha zu narahasi tamahu.
3.4.2  「 わが世のほどは、とてもかくても同じことなれど、なからむ世を思ひやるに、なほ見つき、思ひしみぬることどもこそ、取り分きてはおぼゆべけれ」
 「自分が生きている間は、どちらにせよ同じことだが、死んだ後を想像すると、やはり平生から、馴染んでおいた方が、格別親しく思内側われるに違いない」
  "Waga yo no hodo ha, tote mo kaku te mo onazi koto nare do, nakara m yo wo omohi-yaru ni, naho mi-tuki, omohi-simi nuru koto-domo koso, tori-waki te ha oboyu bekere."
3.4.3  とて、南面の 御簾の内は許したまへり台盤所、女房のなかは許したまはず。あまたおはせぬ御仲らひにて、 いとやむごとなくかしづききこえたまへり
 と考えて、南面の御簾の内側に入ることはお許しになっていた。台盤所、女房の中はお許しにならない。何人もいらっしゃらないお子たちの間柄なので、とても大切にお世話申し上げていらっしゃった。
  tote, minami-omote no mi-su no uti ha yurusi tamahe ri. Daiban-dokoro, nyoubau no naka ha yurusi tamaha zu. Amata ohase nu ohom-nakarahi nite, ito yamgotonaku kasiduki kikoye tamahe ri.
3.4.4  おほかたの心もちゐなども、いとものものしく、まめやかにものしたまふ君なれば、 うしろやすく思し譲れりまだいはけたる御雛遊びなどのけはひの見ゆればかの人の、もろともに遊びて過ぐしし年月の、まづ思ひ出でらるれば、雛の殿の宮仕へ、いとよくしたまひて、折々にうちしほたれたまひけり。
 だいたいの性格なども、たいそう慎重で、真面目でいらっしゃる君なので、安心してお任せになっていらっしゃった。まだ幼いお人形遊びなどの様子が見えるので、あの人が、一緒に遊んで過ごした昔の月日が、真先に思い出されるので、人形の殿の宮仕を、とても熱心になさりながら、時々は涙ぐんでいらっしゃるのであった。
  Ohokata no kokoro-motiwi nado mo, ito mono-monosiku, mameyaka ni monosi tamahu Kimi nare ba, usiro-yasuku obosi yudure ri. Mada ihaketaru ohom-hihina-asobi nado no kehahi no miyure ba, kano hito no, morotomoni asobi te sugusi si tosi-tuki no, madu omohi-ide rarure ba, hihina no tono no miya-dukahe, ito yoku si tamahi te, wori-wori ni uti-sihore tamahi keri.
3.4.5   さもありぬべきあたりには、はかなしごとものたまひ触るるはあまたあれど、 頼みかくべくもしなさずさる方になどかは見ざらむと、心とまりぬべきをも、強ひてなほざりごとにしなして、 なほ「かの、緑の袖を見え直してしがな」と思ふ心のみぞ、やむごとなき節にはとまりける。
 そうしてもよさそうなあたりには、軽い気持ちで言い寄ったりなさる女は大勢いるが、望みを懸けてくるようには仕向けない。愛人にしてもよさそうだと、思い寄られそうな女も、無理に一時の浮気沙汰にして、やはり「あの、緑の袖よと馬鹿にされたのを見返してやりたいものだ」と思う気持ちだけが、重大事として忘れられないのであった。
  Samo ari nu beki atari ni ha, hakanasi-goto mo notamahi hururu ha amata are do, tanomi kaku beku mo si nasa zu. Saru kata ni nadoka ha mi zara m to, kokoro-tomari nu beki wo mo, sihite nahozari-goto ni si-nasi te, naho "Kano, midori no sode wo miye-nahosi te si gana!" to omohu kokoro nomi zo, yamgotonaki husi ni ha tomari keru.
3.4.6  あながちになどかかづらひまどはば、倒ふるる方に許したまひもしつべかめれど、「 つらしと思ひし折々、いかで人にもことわらせたてまつらむ」と思ひおきし、忘れがたくて、正身ばかりには、おろかならぬあはれを尽くし見せて、 おほかたには焦られ思へらず
 無理にでも何とかつきまとったならば、根負けしてお許しになるかも知れないが、「つらいと思った折々のことを、何とか内大臣にもお分りになっていただこう」と考えていたこと、忘れられないので、ご本人に対してだけは、並々ならぬ愛情の限りを表して、表面では恋い焦がれているようには見せない。
  Anagati ni nado kakadurahi madoha ba, tahururu kata ni yurusi tamahi mo si tu beka' mere do, "Turasi to omohi si wori-wori, ikade hito ni mo kotowara se tatematura m." to omohi-oki si, wasure-gataku te, syauzimi bakari ni ha, oroka nara nu ahare wo tukusi mise te, ohokata ni ha ira re omohe ra zu.
3.4.7  兄の君達なども、なまねたしなどのみ思ふこと多かり。対の姫君の御ありさまを、 右中将は、いと深く思ひしみて、言ひ寄るたよりもいとはかなければ、 この君をぞかこち寄りけれど、
 ご兄弟の公達なども、小憎らしいなどとばかり思う事が多かった。対の姫君のご様子を、右中将は、たいそう深く思いつめて、言い寄る手引きもたいそう頼りなかったので、この中将の君に泣きついて来たが、
  Seuto no kim-dati nado mo, nama netasi nado nomi omohu koto ohokari. Tai-no-Himegimi no mi-arisama wo, Migi-no-Tyuuzyau ha, ito hukaku omohi-simi te, ihi-yoru tayori mo ito hakanakere ba, kono Kimi wo zo kakoti yori kere do,
3.4.8  「 人の上にては、もどかしきわざなりけり
 「他人事となると、感心できないことですね」
  "Hito no uhe ni te ha, modokasiki waza nari keri."
3.4.9  と、つれなくいらへてぞものしたまひける。昔の父大臣たちの御仲らひに似たり。
 と素っ気なく答えていらっしゃるのだった。その昔の父大臣たちの御仲に似ていた。
  to, turenaku irahe te zo monosi tamahi keru. Mukasi no titi-Otodo-tati no ohom-nakarahi ni ni tari.
注釈176こなたには紫の上方をさす。3.4.1
注釈177わが世のほどは以下「おぼゆべけれ」まで、源氏の心中。3.4.2
注釈178御簾の内は許したまへり御簾の内側(南の廂間)に出入りすることは許していたの意。3.4.3
注釈179台盤所、女房のなかは許したまはず紫の上付きの女房の詰所への入室及びそれらの人との接触は禁じた。3.4.3
注釈180いとやむごとなくかしづききこえたまへり主語について、『集成』は源氏と解し、『完訳』は夕霧と解す。3.4.3
注釈181うしろやすく思し譲れり源氏は夕霧に明石姫君の相手を安心して任せていたの意。3.4.4
注釈182まだいはけたる御雛遊びなどのけはひの見ゆれば明石姫君八歳。3.4.4
注釈183かの人のもろともに雲居雁をさす。格助詞「の」主格を表す。3.4.4
注釈184さもありぬべきあたりには『完訳』は「恋の相手にしてもよさそうな」と注す。3.4.5
注釈185頼みかくべくもしなさず夕霧は相手の女に期待を抱かせるようには仕向けない意。3.4.5
注釈186さる方になどかは見ざらむと『集成』は「夫人あるいは愛人として世話してもよいなと」。『完訳』は「中には、この女なら自分の思い人としてもどこが悪かろうと」と訳す。3.4.5
注釈187なほかの緑の袖を見え直してしがな夕霧の心中。「緑の袖」はかつて夕霧が六位であった時に雲居雁の乳母から「六位宿世」と軽蔑されたことをさす(「少女」第五章五段)。3.4.5
注釈188つらしと思ひし折々以下「たてまつらむ」まで、夕霧の心中。3.4.6
注釈189おほかたには焦られ思へらず『集成』は「表向きはあせらずおっとり構えている」。『完訳』は「大方の人々には焦ったところを見せようとはしない」と訳す。3.4.6
注釈190右中将柏木。3.4.7
注釈191この君をぞ夕霧をさす。3.4.7
注釈192人の上にてはもどかしきわざなりけり夕霧の詞。3.4.8
3.5
第五段 内大臣、娘たちを思う


3-5  Naidaiji considers his education policy for his daughters

3.5.1  内の大臣は、御子ども腹々いと多かるに、 その生ひ出でたるおぼえ人柄に従ひつつ心にまかせたるやうなるおぼえ、御勢にて 、皆なし立てたまふ。女はあまたもおはせぬを、 女御も、かく思ししことのとどこほりたまひ姫君も、かくこと違ふさまにてものしたまへば、いと口惜しと思す。
 内大臣は、お子様方が夫人たちに大勢いたが、その母方の血筋の良さや、子供の性質に応じて、思いどおりのような世間の声望や、御権勢に任せて、皆一人前に引き立てなさる。女の子はたくさんはいないが、女御も、あのようにご期待していたこともうまくゆかず、姫君も、またあのように思惑と違うようなことでいらっしゃるので、とても残念だとお思いになる。
  Uti-no-Otodo ha, mi-ko-domo hara-bara ito ohokaru ni, sono ohi-ide taru oboye, hitogara ni sitagahi tutu, kokoro ni makase taru yau naru oboye, ohom-ikihohi ni te, mina nasi tate tamahu. Womna ha amata mo ohase nu wo, Nyougo mo, kaku obosi si koto no todokohori tamahi, Hime-Gimi mo, kaku koto tagahu sama ni te monosi tamahe ba, ito kutiwosi to obosu.
3.5.2   かの撫子を忘れたまはず、 ものの折にも語り出でたまひしことなれば
 あの撫子のことがお忘れになれず、何かのついでにもお口になさったことなので、
  Kano nadesiko wo wasure tamaha zu, mono no wori ni mo katari-ide tamahi si koto nare ba,
3.5.3  「 いかになりにけむ。ものはかなかりける親の心に引かれて、らうたげなりし人を、行方知らず なりにたること。すべて女子といはむものなむ、いかにもいかにも目放つまじかりける。さかしらにわが子と言ひて、あやしきさまにてはふれやすらむ。とてもかくても、聞こえ出で来ば」
 「どうなったのだろう。頼りない親の心のままに、かわいらしかった子を、行く方不明にしてしまったことよ。だいたい女の子というものは、どんなことがあっても目を放してはならないものであった。勝手に自分の子供と名乗って、みじめな境遇でさまよっているのだろうか。どのような恰好でいるにせよ、噂が聞こえて来たならば」
  "Ikani nari ni kem? Mono hakanakari keru oya no kokoro ni hika re te, rautage nari si hito wo, yukuhe sira zu nari ni taru koto. Subete womnago to iha m mono nam, ikani mo ikani mo me hanatu mazikari keru. Sakasira ni waga ko to ihi te, ayasiki sama ni te hahure ya su ram? Totemo-kakutemo, kikoye-ide ba."
3.5.4  と、あはれに思しわたる。 君達にも
 と、しみじみとずっと思い続けていらっしゃる。ご子息たちにも、
  to, ahare ni obosi wataru. Kimi-tati ni mo,
3.5.5  「 もし、さやうなる名のりする人あらば、耳とどめよ。 心のすさびにまかせて、さるまじきことも多かりしなかに、 これは、いとしか、おしなべての際にも思はざりし人の、はかなき もの倦むじをして、かく少なかりける もののくさはひ一つを、失ひたることの口惜しきこと」
 「もし、そのように名乗り出る人があったら、聞き逃すな。気紛れから、感心できない女性関係も多かった中で、あの人は、とても並々の愛人程度とは思われなかった人で、ちょっとした愛想づかしをして、このように少なかった娘一人を、行方不明にしてしまったことの残念なことよ」
  "Mosi, sayau naru nanori suru hito ara ba, mimi todome yo. Kokoro no susabi ni makase te, sarumaziki koto mo ohokari si naka ni, kore ha, ito sika, osinabete no kiha ni mo omoha zari si hito no, hakanaki mono-um-zi wo si te, kaku sukunakari keru mono no kusahahi hitotu wo, usinahi taru koto no kutiwosiki koto."
3.5.6  と、常にのたまひ出づ。中ごろなどはさしもあらず、うち忘れたまひけるを、 人の、さまざまにつけて、女子かしづきたまへるたぐひどもに、わが思ほすにしもかなはぬが、いと心憂く、本意なく思すなりけり。
 と、いつもお口に出される。ひところなどは、そんなにでもなく、ついお忘れになっていたが、他人が、さまざまに娘を大切になさっている例が多いので、ご自分のお思いどおりにならないのが、とても情けなく、残念にお思いになるのであった。
  to, tune ni notamahi-idu. Naka-goro nado ha sasimo ara zu, uti-wasure tamahi keru wo, hito no, sama-zama ni tuke te, womnago kasiduki tamahe ru taguhi-domo ni, waga omohosu ni simo kanaha nu ga, ito kokoro-uku, ho'i-naku obosu nari keri.
3.5.7  夢見たまひて、いとよく合はする者召して、合はせたまひけるに、
 夢を御覧になって、たいそうよく占う者を召して、夢の意味をお解かせになったところ、
  Yume mi tamahi te, ito yoku ahasuru mono mesi te, ahase tamahi keru ni,
3.5.8  「 もし、年ごろ御心に知られたまはぬ御子を、人のものになして、聞こしめし出づることや」
 「もしや、長年あなた様に知られずにいらっしゃるお子様を、他人の子として、お耳にあそばすことはございませんか」
  "Mosi, tosi-goro mi-kokoro ni sira re tamah nu mi-ko wo, hito no mono ni nasi te, kikosimesi-iduru koto ya?"
3.5.9  と聞こえたりければ、
 と申し上げたので、
  to kikoye tari kere ba,
3.5.10  「 女子の人の子になることは、をさをさなしかし。いかなることにかあらむ」
 「女の子が他人の養女となることは、めったにないことだ。どのようなことだろうか」
  "Womnago no hito no ko ni naru koto ha, wosa-wosa nasi kasi. Ika naru koto ni ka ara m?"
3.5.11  など、このころぞ、 思しのたまふべかめる
 などと、このころになって、お考えになったりおっしゃっているようである。
  nado, kono-koro zo, obosi notamahu beka' meru.
注釈193その生ひ出でたるおぼえ『集成』は「母方の身分による声望や」と訳す。3.5.1
注釈194人柄に従ひつつ子供本人の性質に応じて。3.5.1
注釈195心にまかせたるやうなるおぼえ、 御勢にて『集成』は「子供たちそれぞれ思い通りというに近い声望や権勢の身の上で」。『完訳』は「それに大臣の何事も思いどおりになる声望や御権勢にまかせて」と訳す。3.5.1
注釈196女御も、かく思ししことのとどこほりたまひ弘徽殿女御、「澪標」巻で冷泉帝に逸早く入内して、后の地位を望んでいたが、「少女」巻で、後から入内した源氏の養女梅壷女御に立后されたことをさす。3.5.1
注釈197姫君もかくこと違ふさまに雲居雁を春宮妃にと志していたにもかかわらず、夕霧との恋仲になってしまったことをさす。3.5.1
注釈198かの撫子を夕顔との間にできた遺児、玉鬘をさす。3.5.2
注釈199ものの折にも語り出でたまひしことなれば「帚木」巻の「雨夜の品定め」の段で頭中将が常夏の女について語ったことをさす。3.5.2
注釈200いかになりにけむ以下「聞こえ出で来ば」まで、内大臣の心中。3.5.3
注釈201君達にも内大臣の御子息たち。3.5.4
注釈202もしさやうなる名のりする人あらば以下「口惜しきこと」まで、内大臣の詞。3.5.5
注釈203心のすさびにまかせて内大臣の若いころの女遊びをさす。3.5.5
注釈204これはいとしかおしなべての際にも思はざりし人の夫人の一人に数える待遇を考えていたことをいう。3.5.5
注釈205もの倦むじをして下に、姿を隠したの意が省略されている。3.5.5
注釈206もののくさはひ大切に世話すべき種としての娘の意。3.5.5
注釈207人のさまざまにつけて『集成』は「源氏などが、あれこれと」。『完訳』は「他の人々がさまざまに」と訳す。3.5.6
注釈208もし年ごろ御心に以下「聞こし召し出づることや」まで、夢解きの詞。3.5.8
注釈209女子の人の子になることは以下「いかなることにかあらむ」まで、内大臣の詞。3.5.10
注釈210思しのたまふべかめる語り手の主観的推量のニュアンスでこの巻を語り収める。3.5.11
校訂11 御勢 御勢--(/+御<朱>)いきほひ 3.5.1
校訂12 なりに なりに--なり(り/+に) 3.5.3
Last updated 8/20/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/20/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 8/20/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/5/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
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