25 蛍(大島本)


HOTARU


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の五月雨期の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, rainy days in May at the age of 36

2
第二章 光る源氏の物語 夏の町の物語


2  Tale of Gikaru-Genji  Events of May 5 on Rokujoin

2.1
第一段 五月五日端午の節句、源氏、玉鬘を訪問


2-1  Genji visits Tamakazura at May 5

2.1.1   五日には、馬場の御殿に出でたまひけるついでに、渡りたまへり。
 五日には、馬場殿にお出ましになった機会に、お越しになった。
  Itu-ka ni ha, Mumaba-no-otodo ni ide tamahi keru tuide ni, watari tamahe ri.
2.1.2  「 いかにぞや。宮は夜や更かしたまひし。いたくも馴らしきこえじ。わづらはしき気添ひたまへる人ぞや。人の心破り、ものの過ちすまじき人は、かたくこそありけれ」
 「どうでしたか。宮は夜更けまでいらっしゃいましたか。あまりお近づけ申さないように。やっかいなお癖がおありの方ですよ。女の心を傷つけたり、何かの間違いをしないような男は、めったにいないものですよ」
  "Ikani zo ya? Miya ha yo ya hukasi tamahi si? Itaku mo narasi kikoye zi. Wadurahasiki ke sohi tamahe ru hito zo ya! Hito no kokoro yaburi, mono no ayamati su maziki hito ha, kataku koso ari kere!"
2.1.3  など、 活けみ殺しみ戒めおはする御さま、尽きせず若くきよげに見えたまふ。艶も色もこぼるばかりなる御衣に、直衣はかなく重なれるあはひも、 いづこに加はれるきよらにかあらむ、この世の人の染め出だしたると見えず、常の色も変へぬ文目も、今日はめづらかに、をかしくおぼゆる薫りなども、「 思ふことなくは、をかしかりぬべき御ありさまかな」と姫君思す。
 などと、誉めたりけなしたりしながら注意していらっしゃるご様子は、どこまでも若々しく美しくお見えになる。光沢も色彩もこぼれるほどの御衣に、お直衣が無造作に重ね着されている色合いも、どこに普通と違う美しさがあるのであろうか、この世の人が染め出したものとも見えず、普通の直衣の色模様も、今日は特に珍しく見事に見え、素晴らしく思われる薫りなども、「物思いがなければ、どんなに素晴らしく思われるにちがいないお姿だろう」と姫君はお思いになる。
  nado, ike-mi-korosi-mi ohasuru ohom-sama, tuki se zu wakaku kiyoge ni miye tamahu. Tuya mo iro mo koboru bakari naru mi-zo ni, nahosi hakanaku kasanare ru ahahi mo, iduko ni kuhaha re ru kiyora ni ka ara m, kono yo no hito no some-idasi taru to miye zu, tune no iro mo kahe nu ayame mo, kehu ha meduraka ni, wokasiku oboyuru kawori nado mo, "Omohu koto naku ha, wokasikari nu beki mi-arisama kana!" to Hime-Gimi obosu.
2.1.4  宮より御文あり。白き薄様にて、御手はいとよしありて書きなしたまへり。 見るほどこそをかしかりけれ、まねび出づれば、ことなることなしや
 宮からお手紙がある。白い薄様で、ご筆跡はとても優雅にお書きになっていらっしゃる。見ていた時には素晴らしかったが、こう口にすると、たいしたことはないものだ。
  Miya yori ohom-humi ari. Siroki usuyau ni te, ohom-te ha ito yosi ari te kaki-nasi tamahe ri. Miru hodo koso wokasikere, manebi idure ba, koto naru koto nasi ya!
2.1.5  「 今日さへや引く人もなき水隠れに
 「今日までも引く人もない水の中に隠れて生えている菖蒲の根のように
    "Kehu sahe ya hiku hito mo naki mi-gakure ni
2.1.6   生ふる菖蒲の根のみ泣かれむ
  相手にされないわたしはただ声を上げて泣くだけなのでしょうか
    ohuru ayame no ne nomi naka re m
2.1.7   例にも引き出でつべき 根に結びつけたまへれば、「 今日の御返り」などそそのかしおきて、出でたまひぬ。 これかれも、「なほ」と聞こゆれば、 御心にもいかが思しけむ
 話題にもなりそうな長い菖蒲の根に文を結んでいらっしゃったので、「今日のお返事を」などとお勧めしておいて、お出になった。誰彼も「やはり、ご返事を」と申し上げるので、ご自身どう思われたであろうか、
  Tamesi ni mo hiki-ide tu beki ne ni musubi tuke tamahe re ba, "Kehu no ohom-kaheri." nado sosonokasi oki te, ide tamahi nu. Kore kare mo, "Naho." to kikoyure ba, mi-kokoro ni mo ikaga obosi kem?
2.1.8  「 あらはれていとど浅くも見ゆるかな
 「きれいに見せていただきましてますます浅く見えました
    "Arahare te itodo asaku mo miyuru kana
2.1.9   菖蒲もわかず泣かれける根の
  わけもなく泣かれるとおっしゃるあなたのお気持ちは
    ayame mo waka zu naka re keru ne no
2.1.10   若々しく
 お年に似合わないこと」
  Waka-wakasiku."
2.1.11  とばかり、ほのかにぞあめる。「 手を今すこしゆゑづけたらば」と、宮は好ましき御心に、 いささか飽かぬことと見たまひけむかし
 とだけ、薄墨で書いてあるようである。「筆跡がもう少し立派だったら」と、宮は風流好みのお心から、少しもの足りないことと御覧になったことであろうよ。
  to bakari, honoka ni zo a' meru. "Te wo ima sukosi yuwe duke tara ba." to, Miya ha konomasiki mi-kokoro ni, isasaka aka nu koto mi tamahi kem kasi.
2.1.12  楽玉など、えならぬさまにて、所々より多かり。思し沈みつる年ごろの名残なき御ありさまにて、心ゆるびたまふことも 多かるに、「 同じくは、人の疵つくばかりのことなくてもやみにしがな」と、 いかが思さざらむ
 薬玉などを、実に趣向を凝らして、あちこちから多くあった。おつらい思いをして来た長年の苦労もすっかりなくなったお暮らしぶりで、お気持ちにゆとりのおできになることも多かったので、「同じことなら、あちらが傷つくようなことのないようにして終わりにしたいものだ」と、どうしてお思いにならないことがあろうか。
  Kusu-dama nado, e nara nu sama ni te, tokoro-dokoro yori ohokari. Obosi-sidumi turu tosi-goro no nagori naki mi-arisama ni te, kokoro-yurubi tamahu koto mo ohokaru ni, "Onaziku ha, hito no kizu tuku bakari no koto naku te mo yami ni si gana!" to, ikaga obosa zara m?
注釈64五日には馬場の御殿に五月五日、端午の節句。2.1.1
注釈65いかにぞや以下「かたくこそありけれ」まで、源氏の詞。2.1.2
注釈66活けみ殺しみ戒めおはする御さま『集成』は「手綱をゆるめたりしめたりといった具合に、玉鬘に注意していられるご様子は。前には宮を近づけるようなことを言い、今は危険な人だという」。『完訳』は「さきには宮をお近づけになるようおっしゃったかと思うと、今度はこれに水をさすといったおっしゃりかたをしてご注意をお与えになる大臣のご様子は」と訳す。2.1.3
注釈67いづこに加はれるきよらにかあらむ語り手の挿入句。2.1.3
注釈68思ふことなくはをかしかりぬべき御ありさまかな玉鬘の心中。源氏からの厄介な懸想が悩みの種。2.1.3
注釈69見るほどこそをかしかりけれまねび出づればことなることなしや語り手の弁。『集成』は「草子地。その場にいた女房が語り伝える体。次の歌の批評である」。『完訳』は「語り手が宮の歌を平凡と評す」と注す。2.1.4
注釈70今日さへや引く人もなき水隠れに生ふる菖蒲の根のみ泣かれむ蛍宮から玉鬘への贈歌。「根」と「音」、「流れ」と「泣かれ」の掛詞。「水隠れて生ふる五月のあやめ草長きためしに人は引かなむ」(古今六帖一、菖蒲草、一〇〇)。2.1.5
注釈71今日の御返り源氏の詞。2.1.7
注釈72これかれも周囲の女房をさす。2.1.7
注釈73御心にもいかが思しけむ語り手の玉鬘の心中を忖度した挿入句。『完訳』は「語り手の玉鬘の心への疑問」と注す。2.1.7
注釈74あらはれていとど浅くも見ゆるかな菖蒲もわかず泣かれける根の玉鬘の返歌。「菖蒲」「根」「泣く」の語句を受けて返す。「洗はれて」と「現れて」、「文目」と「菖蒲」、「泣かれ」と「流れ」、「音」と「根」の掛詞。「洗ふ」は「水」の縁語。「現れて」は「水隠れに」の対語。2.1.8
注釈75若々しく歌に添えた言葉。『集成』は「お年に似合わぬなさりようですこと」と訳す。2.1.10
注釈76手を今すこしゆゑづけたらば蛍宮の感想。筆跡がもうすこし良かったらなあ、という気持ち。2.1.11
注釈77いささか飽かぬことと見たまひけむかし語り手の推測。2.1.11
注釈78多かるに接続助詞「に」順接の意。2.1.12
注釈79同じくは以下「やみにしがな」まで、玉鬘の心中。「人」は源氏をさす。2.1.12
注釈80いかが思さざらむ語り手が玉鬘の心中を忖度した文章。反語表現。2.1.12
出典4 例にも引き出で 水隠れて生ふる五月のあやめ草長きためしに人は引かなむ 続古今集夏-二二九 紀貫之 2.1.7
校訂5 根に 根に--(/+ね)に 2.1.7
2.2
第二段 六条院馬場殿の騎射


2-2  A event of Shooting arrows in Rokujoin

2.2.1  殿は、東の御方にもさしのぞきたまひて、
 殿は、東の御方にもお立ち寄りになって、
  Tono ha, Homgasi-no-Ohomkata ni mo sasi-nozoki tamahi te,
2.2.2  「 中将の、今日の司の手結ひのついでに、男ども引き連れてものすべきさまに言ひしを、 さる心したまへ。まだ明きほどに来なむものぞ。あやしく、ここにはわざとならず忍ぶることをも、 この親王たちの聞きつけて、訪らひものしたまへば、おのづからことことしくなむあるを、 用意したまへ
「中将が、今日の左近衛府の競射の折に、男たちを引き連れて来るようなことを言っていたが、そのおつもりでいて下さい。まだ明るいうちにきっと来るでしょうよ。不思議と、こちらでは目立たないようにする内輪の催しも、この親王たちが聞きつけて、見物にいらっしゃるので、自然と大げさになりますから、お心づもりなさい」
  "Tyuuzyau no, kehu no Tukasa no tetugahi no tuide ni, wonoko-domo hiki-ture te monosu beki sama ni ihi si wo, saru kokoro si tamahe. Mada akaki hodo ni ki na m mono zo. Ayasiku, koko ni ha, wazato nara zu sinoburu koto wo mo, kono Miko-tati no kiki-tuke te, toburahi monosi tamahe ba, onodukara koto-kotosiku nam aru wo, youi si tamahe."
2.2.3  など聞こえたまふ。
 などと申し上げなさる。
  nado kikoye tamahe.
2.2.4  馬場の御殿は、 こなたの廊より見通すほど遠からず。
 馬場の御殿は、こちらの渡廊から見渡す距離もさほど遠くない。
  Mumaba-no-otodo ha, konata no rau yori mi-tohosu hodo tohokara zu.
2.2.5  「 若き人びと、渡殿の戸開けて物見よや。左の司に、いとよしある官人多かるころなり。せうせうの殿上人に劣るまじ」
 「若い女房たち、渡殿の戸を開けて見物をしなさいよ。左近衛府に、たいそう素晴らしい官人が多い時だ。なまじっかの殿上人には負けまい」
  "Wakaki hito-bito, wata-dono no to ake te mono mi yo ya! Hidari-no-Tukasa ni, ito yosi aru kwanzin ohokaru koro nari. Seu-seu no Tenzyau-bito ni otoru mazi."
2.2.6  とのたまへば、物見むことをいとをかしと思へり。
 とおっしゃるので、見物することをとても興味深く思っていた。
  to notamahe ba, mono mi m koto wo ito wokasi to omohe ri.
2.2.7   対の御方よりも、童女など、物見に渡り来て、廊の戸口に御簾青やかに掛けわたして、今めきたる 裾濃の御几帳ども立てわたし、童、下仕へなどさまよふ。 菖蒲襲の衵二藍の羅の汗衫着たる童女ぞ、 西の対のなめる
 対の御方からも、童女など、見物にやって来て、渡廊の戸口に御簾を青々と懸け渡して、当世風の裾濃の御几帳をいくつも立て並べ、童女や下仕などがあちこちしている。菖蒲襲の袙、二藍の羅の汗衫を着ている童女は、西の対のであろう。
  Tai-no-Ohomkata yori mo, warahabe nado, mono-mi ni watari ki te, rau no to-guti ni mi-su awoyaka ni kake-watasi te, imameki taru susogo no mi-kityau-domo tate-watasi, waraha, simo-dukahe nado samayohu. Syaubu-gasane no akome, hutaawi no usumono no kazami ki taru warahabe zo, nisi-no-tai no na' meru.
2.2.8  好ましく馴れたる限り四人、下仕へは、 楝の裾濃の裳撫子の若葉の色したる唐衣、今日のよそひどもなり。
 感じのいい物馴れた者ばかり四人、下仕え人は、楝の裾濃の裳、撫子の若葉色をした唐衣で、いずれも端午の日の装いである。
  Konomasiku nare taru kagiri yo-tari, simo-dukahe ha, ahuti no susogo no mo, nadesiko no wakaba no iro si taru karaginu, kehu no yosohi-domo nari.
2.2.9   こなたのは濃き一襲に、 撫子襲の汗衫などおほどかにて、おのおの挑み顔なるもてなし、見所あり。
 こちらの童女は、濃い単衣襲に、撫子襲の汗衫などをおっとりと着て、それぞれが競い合っている振る舞い、見ていておもしろい。
  Konata no ha, koki hito-gasane ni, nadesiko-gasane no kazami nado ohodoka ni te, ono-ono idomi-gaho naru motenasi, mi-dokoro ari.
2.2.10  若やかなる殿上人などは、 目をたててけしきばむ未の時に、馬場の御殿に出でたまひてげに親王たちおはし集ひたり。 手結ひの公事にはさま変りて、次将たちかき連れ参りて、さまことに今めかしく遊び暮らしたまふ。
 若い殿上人などは、目をつけては流し目を送る。未の刻に、馬場殿にお出になると、なるほど親王たちがお集まりになっていた。競技も公式のそれとは趣が異なって、中将少将たちが連れ立って参加して、風変りに派手な趣向を凝らして、一日中お遊びになる。
  Wakayaka naru Tenzyau-bito nado ha, me wo tate te kesikibamu. Hituzi no toki ni, mumaba-no-otodo ni ide tamahi te, geni Miko-tati ohasi tudohi tari. Tetugahi no ohoyake-goto ni ha sama kahari te, Suke-tati kaki-ture mawiri te, sama koto ni imamekasiku asobi-kurasi tamahu.
2.2.11  女は、何のあやめも知らぬことなれど、舎人どもさへ艶なる装束を尽くして、 身を投げたる手まどはしなどを見るぞ、をかしかりける。
 女性には、何も分からないことであるが、舎人連中までが優美な装束を着飾って、懸命に競技をしている姿などを見るのはおもしろいことであった。
  Womna ha, nani no ayame mo sira nu koto nare do, Toneri-domo sahe en-naru syauzoku wo tukusi te, mi wo nage taru te-madohasi nado wo miru zo, wokasikari keru.
2.2.12  南の町も通して、はるばるとあれば、あなたにもかやうの若き人どもは見けり。「打毬楽」「落蹲」など遊びて、勝ち負けの乱声どもののしるも、夜に入り果てて、何事も見えずなりぬ果てぬ。舎人どもの禄、品々賜はる。いたく更けて、人びと皆あかれたまひぬ。
 南の町まで通して、ずっと続いているので、あちらでもこのような若い女房たちは見ていた。「打毬楽」「落蹲」などを奏でて、勝ち負けに大騒ぎをするのも、夜になってしまって、何も見えなくなってしまった。舎人連中が禄を、位階に応じてに頂戴する。たいそう夜が更けてから、人々は皆お帰りになった。
  Minami-no-mati mo tohosi te, haru-baru to are ba, anata ni mo kayau no wakaki hito-domo ha mi keri. Dakyu-raku Rakuson nado asobi te, kati-make no ranzyau-domo nonosiru mo, yo ni iri-hate te, nani-goto mo miye zu nari hate nu. Toneri-domo no roku, sina-zina tamaha ru. Itaku huke te, hito-bito mina akare tamahi nu.
注釈81中将の今日の司の以下「用意したまへ」まで、源氏の詞。「中将の」の格助詞「の」は主格を表す。2.2.2
注釈82さる心したまへ近衛府の官人たちが多数夏の町に来るので、楽しみにまた注意もして下さいという意。2.2.2
注釈83この親王たち蛍宮たち。2.2.2
注釈84用意したまへ『集成』は「お心づかい下さい」。『完訳』は「支度をしておいてください」と訳す。2.2.2
注釈85こなたの廊より夏の町の渡廊からの意。2.2.4
注釈86若き人びと以下「劣るまじ」まで、源氏の詞。「若き人びと」は女房をさす。2.2.5
注釈87対の御方よりも西の対の御方、玉鬘をさす。2.2.7
注釈88裾濃の御几帳ども御几帳の上は白く下にいくほど紫または紺に濃く染めたもの。2.2.7
注釈89菖蒲襲の衵以下、玉鬘方の童女の装束。「菖蒲襲」は表青、裏紅梅または白の襲。「衵」は童女の表着。2.2.7
注釈90二藍の羅の汗衫紅と藍の中間色、また二度染の薄紫色の童女の表着。「汗衫」は女房の唐衣と裳に相当する童女の晴着。2.2.7
注釈91西の対のなめる推量の助動詞「めり」は語り手の推量。2.2.7
注釈92楝の裾濃の裳以下、下仕えの女房の装束。下にいくほど濃く染めた楝の花の色に似た薄紫色の裳、また表紫、裏薄紫色の裳。2.2.8
注釈93撫子の若葉の色したる唐衣薄萌黄色の唐衣。裳、唐衣を付けた正装。2.2.8
注釈94こなたのは花散里方の童女の装束、玉鬘方と対照的。2.2.9
注釈95濃き一襲濃い紫色の単襲。2.2.9
注釈96撫子襲の汗衫表紅梅、裏青の汗衫。2.2.9
注釈97目をたててけしきばむ目をつけて流し目を送る、意。2.2.10
注釈98未の時に馬場の御殿に出でたまひて主語は源氏。午後二時ころに馬場殿にお出になる。2.2.10
注釈99げに先に源氏が言っていたことを受ける。2.2.10
注釈100手結ひの格助詞「の」主格を表す。2.2.10
注釈101身を投げたる手まどはしなどを見るぞ『集成』は「我を忘れてうろたえる姿などを見るのは」。『完訳』は「懸命の秘術を尽くしているのを見ることは」と訳す。2.2.11
校訂6 こなたのは こなたのは--こなたの(の/+は<朱>) 2.2.9
2.3
第三段 源氏、花散里のもとに泊まる


2-3  Genji visits and stays with Hanachirusato

2.3.1   大臣は、こなたに大殿籠もりぬ。物語など聞こえたまひて、
 大臣は、こちらでお寝みになった。お話などを申し上げなさって、
  Otodo ha, konata ni ohotono-gomori nu. Monogatari nado kikoye tamahi te,
2.3.2  「 兵部卿宮の、人よりはこよなくものしたまふかな。容貌などはすぐれねど、用意けしきなど、よしあり、愛敬づきたる君なり。忍びて見たまひつや。 よしといへど、なほこそあれ
 「兵部卿宮が、誰よりも格別に優れていらっしゃいますね。容貌などはそれほどでもないが、心配りや態度などが優雅で、魅力的なお方です。こっそりと御覧になりましたか。立派だと言うが、まだ物足りないところがあるね」
  "Hyaubukyau-no-Miya no, hito yori ha koyonaku monosi tamahu kana! Katati nado ha sugure ne do, youi kesiki nado, yosi ari, aigyau-duki taru Kimi nari. Sinobi te mi tamahi tu ya? Yosi to ihe do, naho koso are."
2.3.3  とのたまふ。
 とおっしゃる。
  to notamahu.
2.3.4  「 御弟にこそものしたまへどねびまさりてぞ見えたまひける。年ごろ、かく折過ぐさず 渡り、睦びきこえたまふと聞きはべれど、昔の内裏わたりにてほの見たてまつりしのち、おぼつかなしかし。いとよくこそ、容貌などねびまさりたまひにけれ。 帥の親王よくものしたまふめれど、けはひ劣りて、 大君けしきにぞものしたまひける
 「弟君ではいらっしゃいますが、大人びてお見えになりました。ここ何年か、このように機会あるごとにおいでになっては、お親しみ申し上げなさっていらっしゃるとうかがっておりますが、昔の宮中あたりでちらっと拝見してから後、よくわかりません。たいそうご立派に、ご容貌など成長なさいました。帥の親王が素晴らしくいらっしゃるようですが、感じが劣って、王族程度でいらっしゃいました」
  "Ohom-otouto ni koso monosi tamahe do, nebi masari te zo miye tamahi keru. Tosi-goro, kaku wori sugusa zu watari, mutubi kikoye tamahu to kiki habere do, mukasi no Uti watari nite hono mi tatematuri si noti, obotukanasi kasi. Ito yoku koso, katati nado nebi masari tamahi ni kere. Soti-no-Miko yoku monosi tamahu mere do, kehahi otori te, ohokimi-kesiki ni zo monosi tamahi keru."
2.3.5  とのたまへば、「 ふと見知りたまひにけり」と思せど、 ほほ笑みてなほあるを、良しとも悪しともかけたまはず
 とおっしゃるので、「一目でお見抜きだ」とお思いになるが、にっこりして、その他の人々については、良いとも悪いとも批評なさらない。
  to notamahe ba, "Huto mi-siri tamahi ni keri." to obose do, hohowemi te, naho aru wo, yosi to mo asi to mo kake tamaha zu.
2.3.6   人の上を難つけ、落としめざまのこと言ふ人をば、いとほしきものにしたまへば、
 人のことに欠点を見つけ、非難するような人を、困った者だと思っていらっしゃるので、
  Hito no uhe wo nan tuke, otosime-zama no koto ihu hito wo ba, itohosiki mono ni si tamahe ba,
2.3.7  「 右大将などをだに、心にくき人にすめるを、何ばかりかはある。 近きよすがにて見むは、飽かぬことにやあらむ」
 「右大将などをさえ、立派な人だと言っているようだが、何のたいしたことがあろうか。婿として見たら、きっと物足りないことであろう」
  "U-Daisyau nado wo dani, kokoro-nikuki hito ni sume ru wo, nani bakari ka ha aru? Tikaki yosuga ni te mi m ha, aka nu koto ni ya ara m."
2.3.8  と、見たまへど、言に表はしてものたまはず。
 と、お思いだが、口に出してはおっしゃらない。
  to, mi tamahe do, koto ni arahasi te mo notamaha zu.
2.3.9   今はただおほかたの御睦びにて、御座なども異々にて大殿籠もる。「 などてかく離れそめしぞ」と、殿は苦しがりたまふ。 おほかた、何やかやともそばみきこえたまはで、年ごろかく折ふしにつけたる御遊びどもを、人伝てに見聞きたまひけるに、今日めづらしかりつることばかりをぞ、この町のおぼえきらきらしと思したる。
 今はただ一通りのご夫婦仲で、お寝床なども別々にお寝みになる。「どうしてこのよう疎々しい仲になってしまったのだろう」と、殿は苦痛にお思いになる。だいたい、何のかのと嫉妬申し上げなさらず、長年このような折節につけた遊び事を、人づてにお聞きになっていらっしゃったのだが、今日は珍しくこちらであったことだけで、自分の町の晴れがましい名誉とお思いでいらっしゃった。
  Ima ha tada ohokata no ohom-mutubi ni te, o-masi nado mo koto-goto ni te ohotono-gomoru. "Nado te kaku hanare somesi zo?" to, Tono ha kurusigari tamahu. Ohokata, naniya-kaya to mo sobami kikoye tamaha de, tosi-goro kaku worihusi ni tuke taru ohom-asobi-domo wo, hitodute ni mi-kiki tamahi keru ni, kehu medurasikari turu koto bakari wo zo, kono mati no oboye kira-kirasi to obosi taru.
2.3.10  「その 駒もすさめぬ草と名に立てる
 「馬も食べない草として有名な水際の菖蒲のようなわたしを
    "Sono koma mo susame nu kusa to na ni tate ru
2.3.11   汀の菖蒲今日や引きつる
  今日は節句なので、引き立てて下さったのでしょうか
    migiha no ayame kehu ya hiki turu
2.3.12  とおほどかに聞こえたまふ。何ばかりのことにもあらねど、あはれと思したり。
 とおっとりと申し上げなさる。たいしたことではないが、しみじみとお感じになった。
  to ohodoka ni kikoye tamahu. Nani bakari no koto ni mo ara ne do, ahare to obosi tari.
2.3.13  「鳰鳥に影をならぶる 若駒
 「鳰鳥のようにいつも一緒にいる若駒のわたしは
    "Niho-dori ni kage wo naraburu waka-koma ha
2.3.14   いつか菖蒲に引き別るべき
  いつ菖蒲のあなたに別れたりしましょうか
    ituka ayame ni hiki-wakaru beki
2.3.15   あいだちなき御ことどもなりや
 遠慮のないお二人の歌であること。
  Ahidatinaki ohom-koto-domo nari ya!
2.3.16  「 朝夕の隔てあるやうなれど、かくて見たてまつるは、心やすくこそあれ」
 「いつも離れているようですが、こうしてお目にかかりますのは、心が休まります」
  "Asa-yuhu no hedate aru yau nare do, kakute mi tatematuru ha, kokoro-yasuku koso are."
2.3.17  戯れごとなれど、のどやかにおはする人ざまなれば、静まりて聞こえなしたまふ。
 と、冗談を言うが、のんびりとしていらっしゃるお人柄なので、しんみりとした口ぶりで申し上げなさる。
  Tahabure-goto nare do, nodoyaka ni ohasuru hito-zama nare ba, sidumari te kikoye-nasi tamahu.
2.3.18  床をば譲りきこえたまひて、御几帳引き隔てて大殿籠もる。 気近くなどあらむ筋をば、いと似げなかるべき筋に、思ひ離れ果てきこえたまへれば、あながちにも聞こえたまはず。
 御帳台はお譲り申し上げなさって、御几帳を隔ててお寝みになる。共寝をするというようなことを、たいそう似つかわしくないことと、すっかりお諦め申していらっしゃるので、無理にお誘い申し上げなさらない。
  Yuka wo ba yuduri kikoye tamahi te, mi-kityau hiki-hedate te ohotono-gomoru. Ke-dikaku nado ara m sudi wo ba, ito nigenakaru beki sudi ni, omohi-hanare-hate kikoye tamahe re ba, anagati ni mo kikoye tamaha zu.
注釈102大臣はこなたに大殿籠もりぬ源氏は花散里のもとに泊まる。久し振りのことである。2.3.1
注釈103兵部卿宮の以下「なほこそあれ」まで、源氏の詞。2.3.2
注釈104よしといへどなほこそあれ『集成』は「人はほめますが、たいしたことはありません。「なほあり」は、平凡だの意。言葉の裏に源氏のわれぼめの気持がある」と注す。2.3.2
注釈105御弟にこそものしたまへど以下「ものしたまひける」まで、花散里の詞。2.3.4
注釈106ねびまさりてぞ見えたまひける『完訳』は「源氏より老けて見える、の意。源氏の若さを賞賛。宮は年齢不詳」と注す。2.3.4
注釈107渡り睦びきこえたまふと蛍宮が六条院に。2.3.4
注釈108帥の親王よくものしたまふめれど桐壷院の皇子、源氏や蛍宮たちの弟宮。ここだけに登場する人物。2.3.4
注釈109大君けしきにぞものしたまひける『集成』は「諸王くらいの風格でいらっしゃいます。「大君」は親王宣下のない皇子、皇孫の意」と注す。2.3.4
注釈110ふと見知りたまひにけり源氏の心中。花散里の眼力に感服。2.3.5
注釈111ほほ笑みて主語は花散里。2.3.5
注釈112なほあるを良しとも悪しともかけたまはず『集成』は「取り柄のない人については、よいとも悪いとも批評がましいことはお口になさらない」と訳す。2.3.5
注釈113人の上を以下の文の主語は源氏。2.3.6
注釈114右大将などをだに心にくき人にすめるを以下「飽かぬことにやあらむ」まで、源氏の心中。「右大将」は鬚黒大将、玉鬘の求婚者の一人。2.3.7
注釈115近きよすがにて見むは近い縁者、すなわち婿として見たら、の意。2.3.7
注釈116今はただおほかたの御睦びにて御座なども異々にて大殿籠もる源氏と花散里の夫婦生活。2.3.9
注釈117などてかく離れそめしぞ源氏の心中。夫婦の契りの無くなったことをうらむ気持ち。2.3.9
注釈118おほかた何やかやとも以下、花散里の性格。2.3.9
注釈119その駒もすさめぬ草と名に立てる汀の菖蒲今日や引きつる花散里から源氏への贈歌。「香をとめてとふ人あるを菖蒲草あやしく人のすさめざりけり」(後拾遺集夏、二一〇、恵慶法師)を引歌とする。『完訳』は「「あやめ」は自分。「駒もすさめぬ」は、男に顧みられぬ女の嘆きの類型表現」と注す。2.3.10
注釈120鳰鳥に影をならぶる 若駒はいつか菖蒲に引き別るべき源氏の返歌。「駒」「菖蒲」「引き」を受けて返す。「引き」は「菖蒲」の縁語。「若駒とけふに逢ひくるあやめ草おひおくるるや負くるなるらむ」(和漢朗詠集上、端午、一五七)を引歌とする。『完訳』は「「若駒」が自分。「あやめ」が花散里。仲のよい「にほどり」に、二人の仲を擬える」と注す。2.3.13
注釈121あいだちなき御ことどもなりや語り手の揶揄。『集成』は「夫婦仲のことを遠慮なく詠んだ、色気のない歌だという揶揄気味の草子地」と注す。2.3.15
注釈122朝夕の隔てあるやうなれど以下「こそあれ」まで、源氏の詞。2.3.16
注釈123気近くなどあらむ筋をば共寝をすることをさす。2.3.18
出典5 駒もすさめぬ草 香を求めて訪ふ人あるをあやめ草あやしく駒のすさめざりける 後拾遺集夏-二一〇 恵慶 2.3.10
出典6 若駒 若駒と今日に逢ひくるあやめ草おひおくるるや負くるなるらむ 頼基集-三〇 2.3.13
Last updated 8/20/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/20/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 8/20/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/5/2002
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by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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