24 胡蝶(大島本)


KOTEHU


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の春三月から四月の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from March to April at the age of 36

3
第三章 玉鬘の物語 夏の雨と養父の恋慕の物語


3  Tale of Tamakazura  A love of stepfather and daughter in summer rainy days

3.1
第一段 源氏、玉鬘と和歌を贈答


3-1  Genji and Tamakazura compose and exchange waka

3.1.1   御前近き呉竹の、いと若やかに生ひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、立ちとまりたまうて、
 お庭先の呉竹が、たいそう若々しく伸びてきて、風になびく様子が愛らしいので、お立ち止まりになって、
  O-mahe tikaki kuretake no, ito wakayaka ni ohi-tati te, uti-nabiku sama no natukasiki ni, tati-tomari tamau te,
3.1.2  「 ませのうちに根深く植ゑし竹の子の
 「邸の奥で大切に育てた娘も
    "Mase no uti ni ne-bukaku uwe si take-no-ko no
3.1.3   おのが世々にや生ひわかるべき
  それぞれ結婚して出て行くわけか
    onoga yo-yo ni ya ohi wakaru beki
3.1.4   思へば恨めしかべいことぞかし
 思えば恨めしいことだ」
  omohe ba uramesika' bei koto zo kasi."
3.1.5  と、御簾を引き上げて聞こえたまへば、ゐざり出でて、
 と、御簾を引き上げて申し上げなさると、膝行して出て来て、
  to, mi-su hiki-age te kikoye tamahe ba, wizari-ide te,
3.1.6  「 今さらにいかならむ世か若竹の
 「今さらどんな場合にわたしの
    "Ima-sara ni ika nara m yo ka waka-take no
3.1.7   生ひ始めけむ根をば尋ねむ
  実の親を探したりしましょうか
    ohi hazime kem ne wo ba tadune m
3.1.8   なかなかにこそはべらめ
 かえって困りますことでしょう」
  Naka-naka ni koso habera me."
3.1.9  と聞こえたまふを、いとあはれと思しけり。 さるは、心のうちにはさも思はずかしいかならむ折聞こえ出でむとすらむと、心もとなくあはれなれど、 この大臣の御心ばへのいとありがたきを、
 とお答えなさるのを、たいそういじらしいとお思いになった。実のところ、心中ではそうは思っていないのである。どのような機会におっしゃって下さるのだろうかと、気がかりで胸の痛くなる思いでいたが、この大臣のお心のとても並々でないのを、
  to kikoye tamahu wo, ito ahare to obosi keri. Saruha, kokoro no uti ni ha samo omoha zu kasi. Ika nara m wori kikoye-ide m to su ram to, kokoro-motonaku ahare nare do, kono Otodo no mi-kokorobahe no ito arigataki wo,
3.1.10  「 親と聞こゆとも、もとより見馴れたまはぬは、えかうしもこまやかならずや」
 「実の親と申し上げても、小さい時からお側にいなかった者は、とてもこんなにまで心をかけて下さらないのでは」
  "Oya to kikoyu tomo, motoyori mi-nare tamaha nu ha, e kau simo komayaka nara zu ya?"
3.1.11  と、昔物語を見たまふにも、やうやう人のありさま、世の中のあるやうを見知りたまへば、いとつつましう、 心と知られたてまつらむことはかたかるべう、思す。
 と、昔物語をお読みになっても、だんだんと人の様子や、世間の有様がお分かりになって来ると、たいそう気がねして、自分から進んで実の親に知っていただくことは難しいだろう、とお思いになる。
  to, mukasi-monogatari wo mi tamahu ni mo, yau-yau hito no arisama, yononaka no aru-yau wo mi-siri tamahe ba, ito tutumasiu, kokoro to sira re tatematura m koto ha katakaru beu, obosu.
注釈157御前近き呉竹の、いと若やかに生ひたちて、うちなびくさまのなつかしきに夏の町の御殿の西の対。『完訳』は「源氏は若やかな呉竹に、五条の夕顔の家の呉竹を想起。夕顔と玉鬘のイメージが重なる。源氏の詠歌のゆえん」と注す。3.1.1
注釈158ませのうちに根深く植ゑし竹の子のおのが世々にや生ひわかるべき源氏から玉鬘への贈歌。「ませ」は六条院、「竹の子」は玉鬘を喩える。「世(男女の仲)」と「(竹の)節(よ)」の掛詞。「節」は「竹」の縁語。大切に育てた娘もやがて成長した後には結婚して他人の妻になってしまうことへの哀惜の気持ちを詠む。3.1.2
注釈159思へば恨めしかべいことぞかし歌に添えた言葉。3.1.4
注釈160今さらにいかならむ世か若竹の生ひ始めけむ根をば尋ねむ玉鬘の返歌。「根深し」「竹の子」「世」の語句を受けて、「世」「若竹」「根」と詠み込む。「若竹」は自分を、「根」は実の父親を譬喩し、今さら実の親を探して出ていったりしません、と応える。『集成』は「源氏の歌に「おのが世々にや--」とあったのを、実父の方に行く意に受け取ったもの」と注す。3.1.6
注釈161なかなかにこそはべらめかえって今以上に不都合になる。3.1.8
注釈162さるは心のうちにはさも思はずかし『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の断定的な評言が、かえって玉鬘の心の複雑さに注目させる。後続の心情叙述とも連動」と注す。3.1.9
注釈163いかならむ折聞こえ出でむとすら玉鬘の心中。3.1.9
注釈164この大臣の御心ばへの源氏をさす。3.1.9
注釈165親と聞こゆとも以下「こまやかならずや」まで、玉鬘の心中。3.1.10
注釈166心と知られたてまつらむことはかたかるべう玉鬘の心中を地の文で叙述した表現。3.1.11
3.2
第二段 源氏、紫の上に玉鬘を語る


3-2  Genji talks about Tamakazura

3.2.1   殿は、いとどらうたしと思ひきこえたまふ。 上にも語り申したまふ。
 殿は、ますますかわいいとお思い申し上げなさる。上にもお話し申し上げなさる。
  Tono ha, itodo rautasi to omohi kikoye tamahu. Uhe ni mo katari mausi tamahu.
3.2.2  「 あやしうなつかしき人のありさまにもあるかな。かのいにしへのは、 あまりはるけどころなくぞありし。この君は、もののありさまも見知りぬべく、気近き心ざま添ひて、うしろめたからずこそ見ゆれ」
 「不思議に人の心を惹きつける人柄であるよ。あの亡くなった人は、あまりにも気がはれるところがなかった。この君は、ものの道理もよく理解できて、人なつこい性格もあって、心配なく思われます」
  "Ayasiu natukasiki hito no arisama ni mo aru kana! Kano inisihe no ha, amari haruke-dokoro naku zo ari si. Kono Kimi ha, mono no arisama mo mi-siri nu beku, kedikaki kokoro-zama sohi te, usirometakara zu koso miyure."
3.2.3  など、ほめたまふ。 ただにしも思すまじき御心ざまを見知りたまへれば、思し寄りて、
 などと、お褒めになる。ただではすみそうにないお癖をご存知でいらっしゃるので、思い当たりなさって、
  nado, home tamahu. Tada ni simo obosu maziki mi-kokoro-zama wo mi-siri tamahe re ba, obosi-yori te,
3.2.4  「 ものの心得つべくはものしたまふめるをうらなくしもうちとけ、頼みきこえたまふらむこそ、心苦しけれ」
 「分別がおありでいらっしゃるらしいのに、すっかり気を許して、ご信頼申し上げていらっしゃるというのは、気の毒ですわ」
  "Mono no kokoro-e tu beku ha monosi tamahu meru wo, uranaku simo utitoke, tanomi kikoye tamahu ram koso, kokoro-gurusikere."
3.2.5  とのたまへば、
 とおっしゃると、
  to notamahe ba,
3.2.6  「 など、頼もしげなくやはあるべき
 「どうして、頼りにならないことがありましょうか」
  "Nado tanomosige naku ya ha aru beki?"
3.2.7  と聞こえたまへば、
 とお答えなさるので、
  to kikoye tamahe ba,
3.2.8  「 いでや、われにても、また忍びがたう、もの思はしき折々ありし御心ざまの、思ひ出でらるるふしぶしなくやは」
 「さあどうでしょうか、わたしでさえも、堪えきれずに、悩んだ折々があったお心が、思い出される節々がないではございませんでした」
  "Ide ya, ware ni te mo, mata sinobi-gatau, mono-omohasiki wori-wori ari si mi-kokoro-zama no, omohi-ide raruru husi-busi naku ya ha?"
3.2.9  と、ほほ笑みて聞こえたまへば、「 あな、心疾」とおぼいて、
 と、微笑して申し上げなさると、「まあ、察しの早いことよ」と思われなさって、
  to, hohowemi te kikoye tamahe ba, "Ana, kokoro-to!" to oboi te,
3.2.10  「 うたても思し寄るかないと見知らずしもあらじ
 「嫌なことを邪推なさいますなあ。とても気づかずにはいない人ですよ」
  "Utate mo obosi-yoru kana! Ito mi-sira zu simo ara zi."
3.2.11  とて、わづらはしければ、のたまひさして、心のうちに、「 人のかう推し量りたまふにも、いかがはあべからむ」と思し乱れ、かつは、ひがひがしう、けしからぬ我が心のほども、思ひ知られたまうけり。
 と言って、厄介なので、言いさしなさって、心の中で、「上がこのように推量なさるのも、どうしたらよいものだろうか」とお悩みになり、また一方では、道に外れたよからぬ自分の心の程も、お分かりになるのであった。
  tote, wadurahasikere ba, notamahi-sasi te, kokoro no uti ni, "Hito no kau osi-hakari tamahu ni mo, iakaga ha a' bekara m?" to obosi-midare, katu ha, higa-higasiu, kesikara nu waga kokoro no hodo mo, omohi-sira re tamau keri.
3.2.12  心にかかれるままに、しばしば渡りたまひつつ見たてまつりたまふ。
 気にかかるままに、頻繁にお越しになってはお目にかかりなさる。
  Kokoro ni kakare ru mama ni, siba-siba watari tamahi tutu mi tatematuri tamahu.
注釈167殿は源氏をさす。3.2.1
注釈168上にも紫の上をさす。3.2.1
注釈169あやしうなつかしき以下「こそ見ゆれ」まで、源氏の詞。紫の上の前で夕顔と玉鬘を比較して語る。3.2.2
注釈170あまりはるけどころなく『集成』は「あまりにもはれやかなところがありませんでした。「はるく」は物思いを晴らすこと」と注す。3.2.2
注釈171ただにしも思すまじき御心ざまを見知りたまへれば語り手の意見と紫の上の観察がやや重なったような視点で語られている文章。3.2.3
注釈172ものの心得つべくはものしたまふめるを以下「心苦しけれ」まで、紫の上の詞。「ものしたまふ」の主語は玉鬘。「める」推量の助動詞、紫の上の主観的推量のニュアンス。「を」接続助詞、逆接の意。3.2.4
注釈173うらなくしもうちとけ頼みきこえたまふらむ玉鬘が源氏を。3.2.4
注釈174など頼もしげなくやはあるべき源氏の詞。連語「やは」--「べき」反語表現。3.2.6
注釈175いでやわれにても以下「ふしぶしなくやは」まで、紫の上の詞。連語「はや」反語表現。下に「ある」などの語句が省略。余意表情の効果表現。3.2.8
注釈176あな心疾源氏の心中。3.2.9
注釈177うたても思し寄るかな以下「しもあらじ」まで、源氏の詞。3.2.10
注釈178いと見知らずしもあらじ主語は玉鬘。『集成』は「(万一、私に好色心でもあれば)玉鬘は、とても見抜かずにおかないでしょう」と訳す。3.2.10
注釈179人のかう以下「いかがはあべからむ」まで、源氏の心中。「人」は紫の上をさす。3.2.11
3.3
第三段 源氏、玉鬘を訪問し恋情を訴える


3-3  Genji tells his love to Tamakazura

3.3.1   雨のうち降りたる名残の、いとものしめやかなる夕つ方、御前の若楓、柏木などの、青やかに茂りあひたるが、何となく心地よげなる空を見い出したまひて、
 雨が少し降った後の、とてもしっとりした夕方、お庭先の若い楓や、柏木などが、青々と茂っているのが、何となく気持ちよさそうな空をお覗きになって、
  Ame no uti-huri taru nagori no, ito mono-simeyaka naru yuhu-tu-kata, o-mahe no waka-kaede, kasihagi nado no, awoyaka ni sigeri-ahi taru ga, nani to naku kokoti-yoge naru sora wo mi-idasi tamahi te,
3.3.2  「 和してまた清し
 「和して且た清し」
  "Wasi te mata kiyosi"
3.3.3  とうち誦じたまうて、まづ、この姫君の御さまの、 匂ひやかげさを思し出でられて、例の、忍びやかに渡りたまへり。
 とお口ずさみなさって、まずは、この姫君のご様子の、つややかな美しさをお思い出しになられて、いつものように、ひっそりとお越しになった。
  to uti-zyu-zi tamau te, madu, kono Hime-Gimi no ohom-sama no, nihohiyakagesa wo obosi-ide rare te, rei no, sinobiyaka ni watari tamahe ri.
3.3.4   手習などして、うちとけたまへりけるを、 起き上がりたまひて、恥ぢらひたまへる顔の色あひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、 ふと昔思し出でらるるにも、忍びがたくて、
 手習いなどをして、くつろいでいらっしゃったが、起き上がりなさって、恥ずかしがっていらっしゃる顔の色の具合、とても美しい。物柔らかな感じが、ふと昔の母君を思い出さずにはいらっしゃれないのも、堪えきれなくて、
  Tenarahi nado si te, utitoke tamahe ri keru wo, okiagari tamahi te, hadirahi tamahe ru kaho no iro-ahi, ito wokasi. Nagoyaka naru kehahi no, huto mukasi obosi-ide raruru ni mo, sinobi-gataku te,
3.3.5  「 見そめたてまつりしは、いとかうしもおぼえたまはずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるる折々こそあれ。あはれなるわざなりけり。 中将の、さらに昔ざまの匂ひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人もものしたまうけるよ」
 「初めてお会いした時は、とてもこんなにも似ていらっしゃるまいと思っていましたが、不思議と、まるでその人かと間違えられる時々が何度もありました。感慨無量です。中将が、少しも昔の母君の美しさに似ていないのに見慣れて、そんなにも親子は似ないものと思っていたが、このような方もいらっしゃったのですね」
  "Mi-some tatematuri si ha, ito kau simo oboye tamaha zu to omohi si wo, ayasiu, tada sore ka to omohi magahe raruru wori koso are. Ahare naru waza nari keri. Tyuuzyau no, sara ni mukasi zama no nihohi ni mo miye nu narahi ni, sasimo ni nu mono to omohu ni, kakaru hito mo monosi tamau keru yo!"
3.3.6  とて、涙ぐみたまへり。箱の蓋なる御果物の中に、橘のあるをまさぐりて、
 とおっしゃって、涙ぐんでいらっしゃった。箱の蓋にある果物の中に、橘の実があるのをいじりながら、
  tote, namida-gumi tamahe ri. Hako no huta naru ohom-kudamono no naka ni, tatibana no aru wo masaguri te,
3.3.7  「 橘の薫りし袖によそふれば
 「あなたを昔懐かしい母君と比べてみますと
    "Tatibana no kawori si sode ni yosohure ba
3.3.8   変はれる身とも思ほえぬかな
  とても別の人とは思われません
    kahare ru mi to mo omohoye nu kana
3.3.9   世とともの心にかけて忘れがたきに、慰むことなくて過ぎつる年ごろを、 かくて見たてまつるは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思し疎むななよ」
 いつになっても心の中から忘れられないので、慰めることなくて過ごしてきた歳月だが、こうしてお世話できるのは夢かとばかり思ってみますが、やはり堪えることができません。お嫌いにならないでくださいよ」
  Yo to tomo no kokoro ni kake te wasure gataki ni, nagusamu koto naku te sugi turu tosi-goro wo, kaku te mi tatematuru ha, yume ni ya to nomi omohi-nasu wo, naho e koso sinobu mazikere. Obosi utomu na yo!"
3.3.10  とて、御手をとらへたまへれば、 女、かやうにもならひたまざりつるを、いとうたておぼゆれど、 おほどかなるさまにてものしたまふ。
 と言って、お手を握りなさるので、女は、このようなことに経験がおありではなかったので、とても不愉快に思われたが、おっとりとした態度でいらっしゃる。
  tote, mi-te wo torahe tamahe re ba, Womna, kayau ni mo narahi tamaha zari turu wo, ito utate oboyure do, ohodoka naru sama ni te monosi tamahu.
3.3.11  「 袖の香をよそふるからに橘の
 「懐かしい母君とそっくりだと思っていただくと
    "Sode no ka wo yosohuru kara ni tatibana no
3.3.12   身さへはかなくなりもこそすれ
  わたしの身までが同じようにはかなくなってしまうかも知れません
    mi sahe hakanaku nari mo koso sure
3.3.13   むつかしと思ひてうつぶしたまへるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥えたまへる、身なり、肌つきのこまやかにうつくしげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふ心地したまて、今日はすこし思ふこと聞こえ知らせたまひける。
 困ったと思ってうつ伏していらっしゃる姿、たいそう魅力的で、手つきのふっくらと肥っていらっしゃって、からだつき、肌つきがきめこまやかでかわいらしいので、かえって物思いの種になりそうな心地がなさって、今日は少し思っている気持ちをお耳に入れなさった。
  Mutukasi to omohi te utubusi tamahe ru sama, imiziu natukasiu, tetuki no tubu-tubu to koye tamahe ru, minari, hadatuki no komayaka ni utukusige naru ni, naka-naka naru mono-omohi sohu kokoti si tama' te, kehu ha sukosi omohu koto kikoye sira se tamahi keru.
3.3.14  女は、心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるけしきもしるけれど、
 女は、つらくて、どうしようかしらと思われて、ぶるぶる震えている様子もはっきり分かるが、
  Womna ha, kokoro-uku, ikani se m to oboye te, wananaka ru kesiki mo sirukere do,
3.3.15  「 何か、かく疎ましとは思いたる。 いとよくも隠して、人に咎めらるべくもあらぬ心のほどぞよ。さりげなくてをもて隠したまへ。浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にたぐひあるまじき心地なむするを、この訪づれきこゆる人びとには、思し落とすべくやはある。 いとかう深き心ある人は、世にありがたかるべきわざなれば、 うしろめたくのみこそ
 「どうして、そんなにお嫌いになるのですか。うまくうわべをつくろって、誰にも非難されないように配慮しているのですよ。何でもないようにお振る舞いなさい。いいかげんにはお思い申していません思いの上に、さらに新たな思いが加わりそうなので、世に類のないような心地がしますのに、この懸想文を差し上げる人々よりも、軽くお見下しになってよいものでしょうか。とてもこんなに深い愛情がある人は、世間にはいないはずなので、気がかりでなりません」
  "Nanika, kaku utomasi to ha oboi taru. Ito yoku mote kakusi te, hito ni togame raru beku mo ara nu kokoro no hodo zo yo! Sarigenaku te wo mote-kakusi tamahe. Asaku mo omohi kikoye sase nu kokorozasi ni, mata sohu bekere ba, yo ni taguhi aru maziki kokoti nam suru wo, kono otodure kikoyuru hito-bito ni ha, obosi otosu beku ya ha aru. Ito kau hukaki kokoro aru hito ha, yo ni arigatakaru beki waza nare ba, usirometaku nomi koso."
3.3.16  とのたまふ。 いとさかしらなる御親心なりかし
 とおっしゃる。実にさしでがましい親心である。
  to notamahu. Ito sakasira naru ohom-oya-gokoro nari kasi.
注釈180雨のうち降りたる名残の、いとものしめやかなる夕つ方、御前の若楓、柏木などの、青やかに茂りあひたるが、何となく心地よげなる空を四月の雨の後。ここは六条院春の町の源氏の住む庭先。若楓・柏木などが植えられている。3.3.1
注釈181和してまた清しとうち誦じたまうて「四月の天気和して且た清し緑槐陰合うて砂堤平かなり」(白氏文集巻十九、贈駕部呉郎仲七兄)。主語は源氏。3.3.2
注釈182手習などして主語は玉鬘。3.3.4
注釈183起き上がりたまひて『集成』は「俯いて書いていた上体を起したのである」と注す。3.3.4
注釈184ふと昔思し出でらるる「昔」は亡き夕顔をさす。「らるる」自発の助動詞。3.3.4
注釈185見そめたてまつりしは以下「ものしたまうけるよ」まで、源氏の詞。3.3.5
注釈186中将のさらに昔ざまの匂ひにも見えぬならひに夕霧は母葵の上には似ていないことをいう。「昔の匂ひ」とは故葵の上の美しさ、の意。3.3.5
注釈187橘の薫りし袖によそふれば変はれる身とも思ほえぬかな源氏から玉鬘への贈歌。「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今集夏、一三九、読人しらず)を踏まえる。3.3.7
注釈188世とともの以下「思し疎むなよ」まで、歌に続けた源氏の詞。3.3.9
注釈189かくて見たてまつるは『集成』は「こうしてお会いするのは」。『完訳』は「今こうしてお世話してさしあげるのは」と訳す。3.3.9
注釈190女、かやうにもならひたまざりつるを『集成』は「「女」は、娘分だった玉鬘が、ここで、恋の相手になっていることを示す」と注す。「を」接続助詞、弱い順接の意。3.3.10
注釈191袖の香をよそふるからに橘の身さへはかなくなりもこそすれ玉鬘の返歌。「橘」「香」「袖」「よそふ」「身」の語句を受けて返す。「五月待つ」の歌を踏まえ、「み」には「身」と「実」を掛ける。「もこそすれ」懸念の気持ちを表す。母君同様に短命になるかもしれません、とうまく切り返す。3.3.11
注釈192むつかしと思ひて『集成』は「面倒に思って」。『完訳』は「恐ろしいことになったと思って」と訳す。3.3.13
注釈193何か、かく以下「うしろめたくこそ」まで、源氏の詞。3.3.15
注釈194いとよくも隠して主語は源氏。3.3.15
注釈195いとかう深き心ある人自分すなわち源氏自身をいう。3.3.15
注釈196うしろめたくのみこそ他人にあなたを託すのは不安だ、の意。「こそ」の下に「はべれ」などの語句が省略されている。3.3.15
注釈197いとさかしらなる御親心なりかし『集成』は「草子地」。『完訳』は「好色心の混じる親心への、語り手の評言」と注す。3.3.16
出典8 和してまた清し 四月天気和且清 緑槐陰合沙堤平 白氏文集巻一九-一二八〇 3.3.2
出典9 橘の薫りし袖に 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 古今集夏-一三九 読人しらず 3.3.7
出典10 袖の香をよそふる 橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどまして常磐木 古今六帖六-四二五〇 3.3.11
校訂12 匂ひやかげさ 匂ひやかげさ--にほひや(や/+か<朱>)けさ 3.3.3
校訂13 おほどか おほどか--おほ(ほ/+と)か 3.3.10
3.4
第四段 源氏、自制して帰る


3-4  Genji returns to his room without sexul action

3.4.1   雨はやみて、風の竹に生るほど、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに 、人びとは、 こまやかなる御物語にかしこまりおきて、気近くもさぶらはず。
 雨はやんで、風の音が竹林の中から生じるころ、ぱあっと明るく照らし出した月の光、美しい夜の様子もしっとりとした感じなので、女房たちは、こまやかなお語らいに遠慮して、お近くには伺候していない。
  Ame ha yami te, kaze no take ni naru hodo, hanayaka ni sasi-ide taru tukikage, wokasiki yo no sama mo simeyaka naru ni, hito-bito ha, komayaka naru ohom-monogatari ni kasikomari oki te, ke-dikaku mo saburaha zu.
3.4.2   常に見たてまつりたまふ御仲なれど、かくよき折しもありがたければ、言に出でたまへるついでの、 御ひたぶる心にやなつかしいほどなる御衣どものけはひは、いとよう紛らはしすべしたまひて、 近やかに臥したまへば、いと心憂く、 人の思はむこともめづらかに、いみじうおぼゆ
 いつもお目にかかっていらっしゃるお二方であるが、このようによい機会はめったにないので、言葉にお出しになったついでの、抑えきれないお思いからであろうか、柔らかいお召し物のきぬずれの音は、とても上手にごまかしてお脱ぎになって、お側に臥せりなさるので、とてもつらくて、女房の思うことも奇妙に、たまらなく思われる。
  Tune ni mi tatematuri tamahu ohom-naka nare do, kaku yoki wori simo arigatakere ba, koto ni ide tamahe ru tuide no, ohom-hitaburu kokoro ni ya, natukasii hodo naru ohom-zo-domo no kehahi ha, ito you magirahasi subesi tamahi te, tikayaka ni husi tamahe ba, ito kokoro-uku, hito no omoha m koto mo meduraka ni, imiziu oboyu.
3.4.3  「 まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ちたまふとも、かくざまの憂きことはあらましや」と悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御けしきなれば、
 「実の親のもとであったならば、冷たくお扱いになろうとも、このようなつらいことはあろうか」と悲しくなって、隠そうとしても涙がこぼれ出しこぼれ出し、とても気の毒な様子なので、
  "Makoto no oya no ohom-atari nara masika ba, oroka ni ha mi-hanati tamahu tomo, kaku zama no uki koto ha ara masi ya?" to kanasiki ni, tutumu to sure do kobore-ide tutu, ito kokoro-gurusiki mi-kesiki nare ba,
3.4.4  「 かう思すこそつらけれもて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、皆許すわざなめるをかく年経ぬる睦ましさに、 かばかり見えたてまつるや何の疎ましかるべきぞ。これよりあながちなる心は、よも見せたてまつらじ。おぼろけに忍ぶるにあまるほどを、慰むるぞや」
 「そのようにお嫌がりになるのがつらいのです。全然見知らない男性でさえ、男女の仲の道理として、みな身を任せるもののようですのに、このように年月を過ごして来た仲の睦まじさから、この程度のことを致すのに、何と嫌なことがありましょうか。これ以上の無体な気持ちは、けっして致しません。一方ならぬ堪えても堪えきれない気持ちを、晴らすだけなのですよ」
  "Kau obosu koso turakere. Mote-hanare sira nu hito dani, yo no kotowari ni te, mina yurusu waza na' meru wo, kaku tosi he nuru mutumasisa ni, kabakari miye tatematuru ya, nani no utomasikaru beki zo. Kore yori anagati naru kokoro ha, yomo mise tatematura zi. Oboroke ni sinoburu ni amaru hodo wo, nagusamuru zo ya!"
3.4.5  とて、あはれげになつかしう聞こえたまふこと多かり。まして、かやうなるけはひは、ただ昔の心地して、いみじうあはれなり。
 と言って、しみじみとやさしくお話し申し上げなさることが多かった。まして、このような時の気持ちは、まるで昔の時と同じ心地がして、たいそう感慨無量である。
  tote, aharege ni natukasiu kikoye tamahu koto ohokari. Masite, kayau naru kehahi ha, tada mukasi no kokoti si te, imiziu ahare nari.
3.4.6   わが御心ながらも、「ゆくりかにあはつけきこと」と思し知らるれば、いとよく思し返しつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜も更かさで出でたまひぬ。
 ご自分ながらも、「だしぬけで軽率なこと」と思わずにはいらっしゃれないので、まことによく反省なさっては、女房も変に思うにちがいないので、ひどく夜を更かさないでお帰りになった。
  Waga mi-kokoro nagara mo, yukurika ni ahatukeki koto to obosi-sira rure ba, ito yoku obosi kahesi tutu hito mo ayasi to omohu bekere ba, itau yo mo hukasa de ide tamahi nu.
3.4.7  「 思ひ疎みたまはば、いと心憂くこそあるべけれ。よその人は、かうほれぼれしうは あらぬものぞよ。限りなく、そこひ知らぬ心ざしなれば、人の咎むべきさまにはよもあらじ。ただ昔恋しき慰めに、はかなきことをも聞こえむ。同じ心に応へなどしたまへ」
 「お厭いなら、とてもつらいことでしょう。他の人は、こんなに夢中にはなりませんよ。限りなく、底深い愛情なので、人が変に思うようなことはけっしてしません。ただ亡き母君が恋しく思われる気持ちの慰めに、ちょとしたことでもお話し申したい。そのおつもりでお返事などをして下さい」
  "Omohi utomi tamaha ba, ito kokoro-uku koso aru bekere. Yoso no hito ha, kau hore-boresiu ha ara nu mono zo yo. Kagiri naku, soko hi sira nu kokorozasi nare ba, hito no togamu beki sama ni ha yo mo ara zi. Tada mukasi kohisiki nagusame ni, hakanaki koto wo mo kikoye m. Onazi kokoro ni irahe nado si tamahe."
3.4.8  と、いとこまかに聞こえたまへど、我にもあらぬさまして、いといと憂しと思いたれば、
 と、たいそう情愛深く申し上げなさるが、度を失ったような状態で、とてもとてもつらいとお思いになっていたので、
  to, ito komakani kikoye tamahe do, ware ni mo ara nu sama si te, ito ito usi to oboi tare ba,
3.4.9  「 いとさばかりには見たてまつらぬ御心ばへを、いとこよなくも憎みたまふべかめるかな」
 「とてもそれ程までとは存じませんでしたお気持ちを、これはまたこんなにもお憎みのようですね」
  "Ito sabakari ni ha mi tatematura nu mi-kokoro-bahe wo, ito koyonaku mo nikumi tamahu beka' meru kana!"
3.4.10  と嘆きたまひて、
 と嘆息なさって、
  to nageki tamahi te,
3.4.11  「 ゆめ、けしきなくてを
 「けっして、人に気づかれないように」
  "Yume, kesiki naku te wo!"
3.4.12  とて、出でたまひぬ。
 とおっしゃって、お帰りになった。
  tote, ide tamahi nu.
3.4.13  女君も、 御年こそ過ぐしたまひにたるほどなれ、世の中を知りたまはぬなかにも、 すこしうち世馴れたる人のありさまをだに見知りたまはねばこれより気近きさまにも思し寄らず、「 思ひの外にもありける世かな」と、嘆かしきに、いとけしきも悪しければ、人びと、 御心地悩ましげに見えたまふと、もて悩みきこゆ。
 女君も、お年こそはおとりになっていらっしゃるが、男女の仲をご存知でない人の中でも、いくらかでも男女の仲を経験したような人の様子さえご存知ないので、これより親しくなるようなことはお思いにもならず、「まったく思ってもみない運命の身の上であるよ」と、嘆いていると、とても気分も悪いので、女房たち、ご気分が悪そうでいらっしゃると、お困り申している。
  Womna-Gimi mo, ohom-tosi koso sugusi tamahi ni taru hodo nare, yononaka wo siri tamaha nu naka ni mo, sukosi uti yonare taru hito no arisama wo dani mi-siri tamaha ne ba, kore yori kedikaki sama ni mo obosi-yora zu, "Omohi no hoka ni mo ari keru yo kana!" to, nagekasiki ni, ito kesiki mo asikere ba, hito-bito, mi-kokoti nayamasige ni miye tamahu to, mote-nayami kikoyu.
3.4.14  「 殿の御けしきの、こまやかに、かたじけなくもおはしますかな。まことの御親と聞こゆとも、 さらにかばかり思し寄らぬことなくは、もてなしきこえたまはじ」
 「殿のお心づかいが、行き届いて、もったいなくもいらっしゃいますこと。実のお父上でいらっしゃっても、まったくこれ程までお気づきなさらないことはなく、至れり尽くせりお世話なさることはありますまい」
  "Tono no mi-kesiki no, komayaka ni, katazikenaku mo ohasimasu kana! Makoto no ohom-oya to kikoyu to mo, sarani kabakari obosi-yora nu koto naku ha, motenasi kikoye tamaha zi."
3.4.15  など、兵部なども、忍びて聞こゆるにつけて、いとど思はずに、心づきなき御心のありさまを、疎ましう思ひ果てたまふにも、身ぞ心憂かりける。
 などと、兵部なども、そっと申し上げるにつけても、ますます心外で、不愉快なお心の程を、すっかり疎ましくお思いなさるにつけても、わが身の上が情けなく思われるのであった。
  nado, Hyaubu nado mo, sinobi te kikoyuru ni tuke te, itodo omoha zu ni, kokoro-duki-naki mi-kokoro no arisama wo, utomasiu omohi-hate tamahu ni mo, mi zo kokoro-ukari keru.
注釈198雨はやみて風の竹に生るほどはなやかにさし出でたる月影をかしき夜のさまもしめやかなるに「風の竹に生る夜窓の間に臥せり月の松を照らす時台の上に行く」(白氏文集巻十九、贈駕部呉郎中七兄)による表現。「なる」は「生る」と「鳴る」の両義を掛ける。集成・完訳・新大系など「竹に鳴る」の表記を充てる。3.4.1
注釈199こまやかなる御物語にかしこまりおきて源氏と玉鬘との語らい。「御」の敬語があることに注意。3.4.1
注釈200常に見たてまつりたまふ御仲なれど『集成』は「几帳などを隔てず、直接対面することをいう」と注す。3.4.2
注釈201御ひたぶる心にや語り手の源氏の心中を忖度した挿入句。3.4.2
注釈202なつかしいほどなる御衣どものけはひは源氏の直衣である。3.4.2
注釈203近やかに臥したまへば主語は源氏。3.4.2
注釈204人の思はむこともめづらかにいみじうおぼゆ主語は玉鬘。「人」は女房たちをさす。3.4.2
注釈205まことの親の御あたりならましかば以下「あらましや」まで玉鬘の心中。「ましかば--まし」反実仮想の構文。「や」係助詞、反語の意。3.4.3
注釈206かう思すこそつらけれ以下「慰むるぞや」まで、源氏の詞。3.4.4
注釈207もて離れ知らぬ人だに世のことわりにて皆許すわざなめるを『集成』は「全然見知らぬ男にでも、男女の仲の道理として」。『完訳』は「相手がまるで赤の他人の場合であっても、それが世間の道理というもので、女はみな身をまかせるもののようですのに」と訳す。3.4.4
注釈208かく年経ぬる睦ましさ玉鬘は六条院に入って六か月であるが、年を越しあしかけ二年になるので、源氏は「年経ぬる」という誇張表現をしている。3.4.4
注釈209かばかり見えたてまつるや『完訳』は「添い寝程度のこと」と注す。「や」間投助詞、詠嘆の意。3.4.4
注釈210何の疎ましかるべきぞ反語表現。3.4.4
注釈211わが御心ながらも源氏の心をさす。3.4.6
注釈212思ひ疎みたまはば以下「応へなどしたまへ」まで、源氏の詞。3.4.7
注釈213あらぬものぞよ「よ」(間投助詞)、相手にやさしく言い含める気持ちを表す。3.4.7
注釈214いとさばかりに以下「たまふべかめるかな」まで、源氏の詞。『集成』は「これほどつれないお気持とは思っていませんでしたのに」。『完訳』は「ほんとうにこうまでわたしをお嫌いでいらっしゃるとは存じませんでした」と訳す。3.4.9
注釈215ゆめけしきなくてを源氏の詞。3.4.11
注釈216御年こそ過ぐしたまひにたるほどなれ玉鬘二十二歳。係結び「こそ--なれ」逆接用法。3.4.13
注釈217すこしうち世馴れたる人のありさまをだに見知りたまはねば『集成』は「いくらかでも男女の仲を経験した人の様子というものをご存じないので、(男女の睦びが)これ以上うちとけた関係であろうとはお気づきにもならない。普通なら、世馴れた女房の素振りからそれと気づくはず、という趣」と注す。3.4.13
注釈218これより気近きさまにも思し寄らず『完訳』は「初心の処女らしい反応」と注す。3.4.13
注釈219思ひの外にもありける世かな玉鬘の心中。「世」は身の上、の意。3.4.13
注釈220御心地悩ましげに見えたまふ玉鬘の気分が。3.4.13
注釈221殿の御けしきの以下「きこえたまはじ」まで、玉鬘の乳母子の兵部の君の詞。3.4.14
注釈222さらにかばかり副詞「さらに」は「もてなしきこえたまはじ」に係る。3.4.14
出典11 風の竹に生るほど 風生竹夜窓間臥 月照待時台上行 白氏文集巻一九-一二八〇 3.4.1
3.5
第五段 苦悩する玉鬘


3-5  Tamakazura is troubled with her stepfather's love

3.5.1   またの朝、御文とくあり。悩ましがりて臥したまへれど、人びと御硯など参りて、「 御返りとく」と聞こゆれば、しぶしぶに見たまふ。 白き紙の、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書いたまへり。
 翌朝、お手紙が早々にあった。気分が悪くて臥せっていらっしゃったが、女房たちがお硯などを差し上げて、「お返事を早く」とご催促申し上げるので、しぶしぶと御覧になる。白い紙で、表面は穏やかに、生真面目で、とても立派にお書きになってあった。
  Mata no asita, ohom-humi toku ari. Nayamasigari te husi tamahe re do, hito-bito ohom-suzuri nado mawiri te, "Ohom-kaheri toku." to kikoyure ba, sibu-sibu ni mi tamahu. Siroki kami no, uhabe ha oiraka ni, suku-sukusiki ni, ito medetau kai tamahe ri.
3.5.2  「 たぐひなかりし御けしきこそ、つらきしも 忘れがたういかに人見たてまつりけむ
 「またとないご様子は、つらくもまた忘れ難くて。どのように女房たちはお思い申したでしょう。
  "Taguhi nakari si mi-kesiki koso, turaki simo wasure-gatau. Ikani hito mi tatematuri kem?
3.5.3    うちとけて寝も見ぬものを若草の
  気を許しあって共寝をしたのでもないのに
    Utitoke te ne mo mi nu mono wo waka-kusa no
3.5.4   ことあり顔にむすぼほるらむ
  どうしてあなたは意味ありげな顔をして思い悩んでいらっしゃるのでしょう
    koto-ari-gaho ni musubohoru ram
3.5.5  幼くこそものしたまひけれ」
 子供っぽくいらっしゃいますよ」
  Wosanaku koso monosi tamahi kere."
3.5.6  と、さすがに親がりたる御言葉も、 いと憎しと見たまひて、御返り事聞こえざらむも、人目あやしければ、 ふくよかなる陸奥紙に、ただ、
 と、それでも親めいたお言葉づかいも、とても憎らしいと御覧になって、お返事を差し上げないようなのも、傍目に不審がろうから、厚ぼったい陸奥紙に、ただ、
  to, sasuga ni oya-gari taru ohom-kotoba mo, ito nikusi to mi tamahi te, ohom-kaheri-goto kikoye zara m mo, hito-me ayasikere ba, hukuyoka naru Mitinokuni-gami ni, tada,
3.5.7  「 うけたまはりぬ。乱り心地の悪しうはべれば、聞こえさせぬ」
 「頂戴致しました。気分が悪うございますので、お返事は失礼致します」
  "Uketamahari nu. Midari-gokoti no asiu habere ba, kikoye sase nu."
3.5.8  とのみあるに、「 かやうのけしきは、さすがにすくよかなり」とほほ笑みて、恨みどころある心地したまふ、 うたてある心かな
 とだけあったので、「こういうやりかたは、さすがにしっかりしたものだ」とにっこりして、口説きがいのある気持ちがなさるのも、困ったお心であるよ。
  to nomi aru ni, "Kayau no kesiki ha, sasuga ni sukuyoka nari." to hohowemi te, urami-dokoro aru kokoti si tamahu, utate aru kokoro kana!
3.5.9   色に出でたまひてのちは、「 太田の松の」と 思はせたることなく、むつかしう聞こえたまふこと多かれば、いとど所狭き心地して、おきどころなきもの思ひつきて、いと悩ましうさへしたまふ。
 いったん口に出してしまった後は、「太田の松のように」と思わせることもなく、うるさく申し上げなさることが多いので、ますます身の置き所のない感じがして、どうしてよいか分からない物思いの種となって、ほんとうに気を病むまでにおなりになる。
  Iro ni ide tamahi te noti ha, Ohota no matu no to omohase taru koto naku, mutukasiu kikoye tamahu koto ohokare ba, itodo tokoroseki kokoti si te, oki-dokoro naki mono-omohi tuki te, ito nayamasiu sahe si tamahu.
3.5.10  かくて、ことの心知る人は少なうて、疎きも親しきも、むげの親ざまに 思ひきこえたるを
 こうして、真相を知っている人は少なくて、他人も身内も、まったく実の親のようにお思い申し上げているので、
  Kakute, koto no kokoro siru hito ha sukunau te, utoki mo sitasiki mo, muge no oya-zama ni omohi kikoye taru wo,
3.5.11  「 かうやうのけしきの漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな。父大臣などの尋ね知りたまふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待ち聞き思さむこと」
 「こんな事情が少しでも世間に漏れたら、ひどく世間の物笑いになり、情けない評判が立つだろうな。父大臣などがお尋ね当てて下さっても、親身な気持ちで扱っても下さるまいだろうから、他人が思う以上に浮ついたようだと、待ち受けてお思いになるだろうこと」
  "Kau yau no kesiki no mori-ide ba, imiziu hito-warahare ni, ukina ni mo aru beki kana! Titi-Otodo nado no tadune siri tamahu ni te mo, mame-mamesiki mi-kokorobahe ni mo ara zara m mono kara, masite ito ahatukeu, mati kiki obosa m koto."
3.5.12  と、よろづにやすげなう思し乱る。
 と、いろいろと心配になりお悩みになる。
  to, yorodu ni yasuge nau obosi midaru.
3.5.13   宮、大将などは、殿の御けしき、もて離れぬさまに伝へ聞きたまうて、いとねむごろに聞こえたまふ。 この岩漏る中将も大臣の御許しを見てこそ、かたよりにほの聞きて、まことの筋をば知らず、ただひとへにうれしくて、おりたち恨みきこえまどひありくめり。
 宮、大将などは、殿のご意向が、相手にしていなくはないと伝え聞きなさって、とても熱心に求婚申し上げなさる。あの岩漏る中将も、大臣がお認めになっていると、小耳にはさんで、ほんとうの事を知らないで、ただ一途に嬉しくなって、身を入れて熱心に恋の恨みを訴え申してうろうろしているようである。
  Miya, Daisyau nado ha, Tono no mi-kesiki, mote-hanare nu sama ni tutahe kiki tamau te, ito nemgoro ni kikoye tamahu. Kono Ihamoru-Tyuuzyau mo, Otodo no ohom-yurusi wo mi te koso, katayori ni hono-kiki te, makoto no sudi wo ba sira zu, tada hitohe ni uresiku te, oritati urami kikoye madohi ariku meri.
注釈223またの朝御文とくあり後朝の文の体である。3.5.1
注釈224御返りとく女房たちの催促の詞。3.5.1
注釈225白き紙のうはべはおいらかにすくすくしきに白の料紙。表面的には親子の間の手紙といった体裁。恋文には色彩鮮やかな薄様の料紙を用いる。3.5.1
注釈226たぐひなかりし以下「ものしたまひけれ」まで、源氏の文。『集成』は「またとない昨夜の無情なお仕打ちは」。『完訳』「源氏を拒んだ玉鬘の昨夜の態度は」と訳す。3.5.2
注釈227忘れがたう下に述語が省略されている。余意余情効果がある。3.5.2
注釈228いかに人見たてまつりけむ『集成』は「どんなふうに女房たちもお思い申したでしょう。かえって疑いをもったのではないか、の意」と注す。3.5.2
注釈229うちとけて寝も見ぬものを若草のことあり顔にむすぼほるらむ源氏から玉鬘への贈歌。「うら若み寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ」(伊勢物語四十九段)を踏まえる。玉鬘を「若草」に喩える。「寝」と「根」は掛詞。「根」は「若草」の縁語。3.5.3
注釈230いと憎し玉鬘の心中。3.5.6
注釈231ふくよかなる陸奥紙に玉鬘の返書の料紙、陸奥紙を使用する。恋文以外の普通の場合に用いる紙。3.5.6
注釈232うけたまはりぬ以下「聞こえさせぬ」まで、玉鬘の返書。簡略を極めた内容。3.5.7
注釈233かやうのけしきはさすがにすくよかなり玉鬘の返書を見た源氏の感想。『集成』は「しっかりしていると」。『完訳』は「聰明で分別ある娘とはいえ、一本調子でかたくるしい」と注す。3.5.8
注釈234うたてある心かな『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の評言。相手の女の冷淡さにかえって熱心になる源氏を、困ったものと評す」と注す。3.5.8
注釈235色に出でたまひてのちは『集成』「「色に出づ」は歌語」。『完訳』「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまでに」(拾遺集恋一、六二二、平兼盛)を引歌として指摘。3.5.9
注釈236太田の松のと「恋ひわびぬ太田の松のおほかたは色に出でてや逢はむといはまし」(躬恒集、三五八)。3.5.9
注釈237思はせたることなく『集成』は「(もういっそはっきり言ってしまおうか)と、ためらっていると思わせることなく」。『完訳』は「思わせぶりどころではなく」と訳す。3.5.9
注釈238思ひきこえたるを接続助詞「を」、『集成』は逆接の意に「お思い申しているのに」、『完訳』は順接の意に「お思い申しているので」と訳す。3.5.10
注釈239かうやうのけしきの以下「待ち聞き思さむこと」まで、玉鬘の心中。『完訳』は「「待ち聞く」は、風評を確かめるべく、待ち受けて聞く意」と注す。3.5.11
注釈240宮大将などは蛍兵部卿宮と鬚黒右大将。3.5.13
注釈241この岩漏る中将も柏木をさす。3.5.13
注釈242大臣の御許しを見てこそかたよりにほの聞きて『集成』は「源氏がお認めになっているということを。次の「みてこそかたよりに」は解しがたい。宣長は「みるこがたより」の誤写とする」と注す。「みるこ」は女童の名前である。河内本「みてこそかたよりに」の句ナシ。3.5.13
出典12 うちとけて寝も見ぬものを若草の うら若み寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ 伊勢物語四九段-九〇 3.5.3
初草のなど珍しき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな 伊勢物語四九段-九一
出典13 色に出でたまひてのちは 忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで 拾遺集恋一-六二二 平兼盛 3.5.9
出典14 太田の松の 恋ひわびぬ太田の松のおほかたは色に出でてや逢はむといはまし 躬恒集-三五八 3.5.9
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渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
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渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 8/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
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by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
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