21 少女(大島本)


WOTOME


光る源氏の太政大臣時代
三十三歳の夏四月から三十五歳冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in summer at the age of 33 to October in winter at the age of 35

5
第五章 夕霧の物語 幼恋の物語


5  Tale of Yugiri  Childish love in Yugiri and Kumoi-no-kari

5.1
第一段 夕霧と雲居雁の恋の煩悶


5-1  Yugiri and Kumoi-no-kari are worry their love

5.1.1                                                                                                                                                「 いとど文なども通はむことのかたきなめり」と思ふに、いと嘆かしう、 物参りなどしたまへど、さらに参らで、寝たまひぬるやうなれど、心も空にて、人静まるほどに、中障子を引けど、例はことに鎖し固めなどもせぬを、つと鎖して、 人の音もせず。いと心細くおぼえて、障子に寄りかかりてゐたまへるに、 女君も目を覚まして風の音の竹に待ちとられて、うちそよめくに、雁の鳴きわたる声の、ほのかに聞こゆるに 幼き心地にも、とかく思し乱るるにや
 「今後いっそうお手紙などを交わすことは難しいだろう」と考えると、とても嘆かわしく、食事を差し上げても、少しも召し上がらず、お寝みになってしまったふうにしているが、心も落ち着かず、人が寝静まったころに、中障子を引いてみたが、いつもは特に錠など下ろしていないのに、固く錠さして、女房の声も聞こえない。実に心細く思われて、障子に寄りかかっていらっしゃると、女君も目を覚まして、風の音が竹に待ち迎えられて、さらさらと音を立てると、雁が鳴きながら飛んで行く声が、かすかに聞こえるので、子供心にも、あれこれとお思い乱れるのであろうか、
  "Itodo humi nado mo kayoha m koto no kataki na' meri." to omohu ni, ito nagekasiu, mono mawiri nado si tamahe do, sarani mawira de, ne tamahi nuru yau nare do, kokoro mo sora nite, hito sidumaru hodo ni, naka-syauzi wo hike do, rei ha koto ni sasi-katame nado mo se nu wo, tuto sasi te, hito no oto mo se zu. Ito kokoro-bosoku oboye te, syauzi ni yori-kakari te wi tamahe ru ni, Womna-Gimi mo me wo samasi te, kaze no oto no take ni mati-tora re te, uti-soyomeku ni, kari no naki-wataru kowe no, honoka ni kikoyuru ni, wosanaki kokoti ni mo, tokaku obosi midaruru ni ya,
5.1.2  「 雲居の雁もわがごとや
 「雲居の雁もわたしのようなのかしら」
  "Kumo-wi no kari mo waga goto ya?"
5.1.3  と、 独りごちたまふけはひ、若うらうたげなり。
 と、独り言をおっしゃる様子、若々しくかわいらしい。
  to, hitori-goti tamahu kehahi, wakau rautage nari.
5.1.4  いみじう心もとなければ、
 とてももどかしくてならないので、
  Imiziu kokoro-motonakere ba,
5.1.5  「 これ、開けさせたまへ。小侍従やさぶらふ
 「ここを、お開け下さい。小侍従はおりますか」
  "Kore, ake sase tamahe! Ko-Zizyuu ya saburahu?"
5.1.6  とのたまへど、音もせず。 御乳母子なりけり。独り言を聞きたまひけるも恥づかしうて、あいなく御顔も引き入れたまへど、 あはれは知らぬにしもあらぬぞ憎きや。乳母たちなど近く臥して、 うちみじろくも苦しければかたみに音もせず
 とおっしゃるが、返事がない。乳母子だったのである。独り言をお聞きになったのも恥ずかしくて、わけなく顔を衾の中にお入れなさったが、恋心は知らないでもないとは憎いことよ。乳母たちが近くに臥せっていて、起きていることに気づかれるのもつらいので、お互いに音を立てない。
  to notamahe do, oto mo se zu. Ohom-menoto-go nari keri. Hitori-goto wo kiki tamahi keru mo hadukasiu te, ainaku ohom-kaho mo hiki-ire tamahe do, ahare ha sira nu ni simo ara nu zo nikuki ya! Menoto-tati nado tikaku husi te, uti-miziroku mo kurusikere ba, katamini oto mo se zu.
5.1.7  「 さ夜中に友呼びわたる雁が音に
 「真夜中に友を呼びながら飛んでいく雁の声に
    "Sa-yonaka ni tomo yobi-wataru kari-ga-ne ni
5.1.8   うたて吹き添ふ荻の上風
  さらに悲しく吹き加わる荻の上を吹く風よ
    utate huki-sohu ogi no uha-kaze
5.1.9  「 身にもしみけるかな」と 思ひ続けて、宮の御前に帰りて嘆きがちなるも、「 御目覚めてや聞かせたまふらむ」とつつましく、みじろき臥したまへり。
 「身にしみて感じられることだ」と思い続けて、大宮の御前に帰って嘆きがちでいらっしゃるのも、「お目覚めになってお聞きになろうか」と憚られて、もじもじしながら臥せった。
  "Mi ni mo simi keru kana!" to omohi tuduke te, Miya no o-mahe ni kaheri te nageki-gati naru mo, "Ohom-me same te ya kika se tamahu ram?" to tutumasiku, miziroki husi tamahe ri.
5.1.10   あいなくもの恥づかしうてわが御方にとく出でて、御文書きたまへれど、小侍従もえ逢ひたまはず、 かの御方ざまにもえ行かず、胸つぶれておぼえたまふ。
 むやみに何となく恥ずかしい気がして、ご自分のお部屋に早く出て、お手紙をお書きになったが、小侍従にも会うことがおできになれず、あの姫君の方にも行くことがおできになれず、たまらない思いでいらっしゃる。
  Ainaku mono-hadukasiu te, waga ohom-kata ni toku ide te, ohom-humi kaki tamahe re do, Ko-Zizyuu mo e ahi tamaha zu, kano ohom-kata zama ni mo e yuka zu, mune tubure te oboye tamahu.
5.1.11   女はた騒がれたまひしことのみ恥づかしうて、「 わが身やいかがあらむ、人やいかが思はむ」とも深く思し入れず、をかしうらうげにて、 うち語らふさまなどを、疎ましとも思ひ離れたまはざりけり。
 女は女でまた、騒がれなさったことばかり恥ずかしくて、「自分の身はどうなるのだろう、世間の人はどのように思うだろう」とも深くお考えにならず、美しくかわいらしくて、ちょっと噂していることにも、嫌な話だとお突き放しになることもないのであった。
  Womna hata, sawaga re tamahi si koto nomi hadukasiu te, "Waga mi ya ikaga ara m? Hito ya ikaga omoha m?" tomo hukaku obosi ire zu, wokasiu rautage nite, uti-katarahu sama nado wo, utomasi tomo omohi hanare tamaha zari keri.
5.1.12  また、かう騒がるべき こととも思さざりけるを、御後見どもも いみじうあはめきこゆれば、え言も通はしたまはず。 おとなびたる人や、さるべき隙をも作り出づらむ男君も、今すこしものはかなき年のほどにて、ただいと口惜しとのみ思ふ。
 また、このように騒がれねばならないことともお思いでなかったのを、御後見人たちがひどく注意するので、文通をすることもおできになれない。大人であったら、しかるべき機会を作るであろうが、男君も、まだ少々頼りない年頃なので、ただたいそう残念だとばかり思っている。
  Mata, kau sawaga ru beki koto tomo obosa zari keru wo, ohom-usiromi-domo mo imiziu ahame kikoyure ba, e koto mo kayohasi tamaha zu. Otonabi taru hito ya, saru-beki hima wo mo tukuri-idu ram, Wotoko-Gimi mo, ima-sukosi mono-hakanaki tosi no hodo nite, tada ito kutiwosi to nomi omohu.
注釈226いとど文なども通はむことのかたきなめり夕霧の心中。5.1.1
注釈227物参り食事、ここでは夕飯をいう。5.1.1
注釈228人の音もせず女房のいる物音。5.1.1
注釈229女君も目を覚まして雲居雁、「女君」の呼称は恋の場面。5.1.1
注釈230風の音の竹に待ちとられてうちそよめくに雁の鳴きわたる声のほのかに聞こゆるに「風の竹に生る夜、窓の間に臥せり、月の松を照らす時、台の上に行く」(和漢朗詠集巻上、夏夜・白氏文集巻十九、贈駕部呉郎中七兄)による。5.1.1
注釈231幼き心地にもとかく思し乱るるにや語り手の作中人物の心中を忖度した挿入句。5.1.1
注釈232雲居の雁もわがごとや雲居雁の詞。その呼称の由来となる。「霧深く雲居の雁もわがごとや晴れせずものは悲しかるらむ」(源氏釈所引、出典未詳)による。『奥入』は「霧深き」「晴れせずものの」とある。5.1.2
注釈233これ開けさせたまへ小侍従やさぶらふ夕霧の詞。5.1.5
注釈234御乳母子なりけり『集成』は「草子地による注釈」と注す。5.1.6
注釈235あはれは知らぬにしもあらぬぞ憎きや『集成』は「無邪気な雲居の雁にもいっぱしの恋心があることをやや冗談めかしていう草子地」。『完訳』は「語り手の評。もう無邪気な子供でないとする。「あはれ」は恋心」と注す。5.1.6
注釈236うちみじろくも苦しければ「みじろく」の主語は乳母と夕霧雲居雁の両義。5.1.6
注釈237かたみに音もせず主語は夕霧と雲居雁。5.1.6
注釈238さ夜中に友呼びわたる雁が音にうたて吹き添ふ荻の上風夕霧の独詠歌。5.1.7
注釈239身にもしみけるかな夕霧の心中。「吹きくれば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな」(古今六帖一、秋の風)を踏まえる。5.1.9
注釈240御目覚めてや聞かせたまふらむ夕霧の心中。5.1.9
注釈241あいなくもの恥づかしうて翌朝の夕霧。5.1.10
注釈242わが御方にとく出でて大宮の御前付近の寝所から自分の部屋の方に早く帰っての意。5.1.10
注釈243かの御方ざまにもえ行かず雲居雁の部屋をさす。5.1.10
注釈244女はた「女君」の呼称から「女」と呼称。恋の場面が一層に盛り上がったことを意味する。5.1.11
注釈245騒がれたまひしことのみ恥づかしうて『完訳』は「「のみ」に注意。内大臣らに騒がれた、そのことだけに執する」と注す。「れ」受身の助動詞。副助詞「のみ」限定・強調のニュアンスを添える。5.1.11
注釈246わが身やいかがあらむ人やいかが思はむ語り手が雲居雁の心中を忖度した文章。5.1.11
注釈247うち語らふさまなどを『集成』は「女房たちが」。『完訳』は「乳母らが」と注す。5.1.11
注釈248いみじうあはめきこゆれば『集成』は「「あはむ」は、軽蔑的に非難する意」と注す。5.1.12
注釈249おとなびたる人やさるべき隙をも作り出づらむ挿入句。語り手の推測。5.1.12
注釈250男君も今すこしものはかなき年のほどにて雲居雁十四歳、夕霧十二歳。5.1.12
出典8 風の音の竹に 風生竹夜窓間臥 月照平沙夏夜霜 和漢朗詠-一五一 白居易 5.1.1
出典9 雲居の雁もわがごとや 霧深く雲居の雁も我がことや晴れせずものは悲しかるらむ 源氏釈所引、出典未詳 5.1.2
出典10 身にもしみけるかな 吹きよれば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな 古今六帖一-四二三 5.1.9
校訂40 独りごち 独りごち--ひとりう(う/$こ)ち 5.1.3
校訂41 思ひ 思ひ--おもひて(て/$<朱>) 5.1.9
校訂42 こととも こととも--こと(と/+と)も 5.1.12
5.2
第二段 内大臣、弘徽殿女御を退出させる


5-2  Naidaijin forces Kokiden-nyogo to comeback his home

5.2.1  大臣は、そのままに参りたまはず、宮をいとつらしと思ひきこえたまふ。北の方には、かかることなむと、けしきも見せたてまつりたまはず、ただおほかた、いとむつかしき御けしきにて、
 内大臣は、あれ以来参上なさらず、大宮をひどいとお思い申していらっしゃる。北の方には、このようなことがあったとは、そぶりにもお見せ申されず、ただ何かにつけて、とても不機嫌なご様子で、
  Otodo ha, sono mama mawiri tamaha zu, Miya wo ito turasi to omohi kikoye tamahu. Kitanokata ni ha, kakaru koto nam to, kesiki mo mise tatematuri tamaha zu, tada ohokata, ito mutukasiki mi-kesiki nite,
5.2.2  「 中宮のよそほひことにて参りたまへるに、 女御の世の中思ひしめりてものしたまふを、心苦しう胸いたきに、まかでさせたてまつりて、心やすくうち休ませたてまつらむ。さすがに、 主上につとさぶらはせたまひて、夜昼おはしますめれば、 ある人びとも 心ゆるびせず、苦しうのみわぶめるに」
 「中宮が格別に威儀を整えて参内なさったのに対して、わが女御が将来を悲嘆していらっしゃるのが、気の毒に胸が痛いので、里に退出おさせ申して、気楽に休ませて上げましょう。立后しなかったとはいえ、主上のお側にずっと伺候なさって、昼夜おいでのようですから、仕えている女房たちも気楽になれず、苦しがってばかりいるようですから」
  "Tyuuguu no yosohohi koto nite mawiri tamahe ru ni, Nyougo no yononaka omohi simeri te monosi tamahu wo, kokoro-gurusiu mune itaki ni, makade sase tatematuri te, kokoro-yasuku uti yasuma se tatematura m. Sasuga ni, Uhe ni tuto saburaha se tamahi te, yoru hiru ohasimasu mere ba, aru hito-bito mo kokoro-yurubi se zu, kurusiu nomi wabu meru ni."
5.2.3  とのたまひて、にはかにまかでさせたてまつりたまふ。御暇も許されがたきを、 うちむつかりたまて、主上はしぶしぶに思し召したるを、しひて御迎へしたまふ。
 とおっしゃって、急に里にご退出させ申し上げなさる。お許しは難しかったが、無理をおっしゃって、主上はしぶしぶでおありであったのを、むりやりお迎えなさる。
  to notamahi te, nihaka ni makade sase tatematuri tamahu. Ohom-itoma mo yurusa re gataki wo, uti-mutukari tama' te, Uhe ha, sibu-sibu ni obosimesi taru wo, sihite ohom-mukahe si tamahu.
5.2.4  「 つれづれに思されむを姫君渡して、もろともに遊びなどしたまへ。宮に預けたてまつりたる、うしろやすけれど、 いとさくじりおよすけたる人立ちまじりて、おのづから気近きも、あいなきほどになりにたればなむ」
 「所在なくていらっしゃるでしょうから、姫君を迎えて、一緒に遊びなどなさい。大宮にお預け申しているのは、安心なのですが、たいそう小賢しくませた人が一緒なので、自然と親しくなるのも、困った年頃になったので」
  "Turedure ni obosa re m wo, Hime-Gimi watasi te, morotomoni asobi nado si tamahe. Miya ni aduke tatematuri taru, usiroyasukere do, ito sakuziri oyosuke taru hito tati-maziri te, onodukara kedikaki mo, ainaki hodo ni nari ni tare ba nam."
5.2.5  と聞こえたまひて、にはかに渡しきこえたまふ。
 とお申し上げなさって、急にお引き取りになさる。
  to kikoye tamahi te, nihaka ni watasi kikoye tamahu.
5.2.6  宮、いとあへなしと思して、
 大宮は、とても気落ちなさって、
  Miya, ito ahenasi to obosi te,
5.2.7  「ひとりものせられし女亡くなりたまひて後、いとさうざうしく心細かりしに、うれしうこの君を得て、生ける限りのかしづきものと思ひて、明け暮れにつけて、老いのむつかしさも慰めむとこそ思ひつれ、思ひのほかに隔てありて思しなすも、つらく」
 「一人いらした女の子がお亡くなりになって以来、とても寂しく心細かったのが、うれしいことにこの姫君を得て、生きている間中お世話できる相手と思って、朝な夕なに、老後の憂さつらさの慰めにしようと思っていましたが、心外にも心隔てを置いてお思いになるのも、つらく思われます」
  "Hitori monose rare si musume nakunari tamahi te noti, ito sauzausiku kokoro-bosokari si ni, uresiu kono Kimi e te, ike ru kagiri no kasiduki mono to omohi te, akekure, ni tuke te, oyi no mutukasisa mo nagusame m to koso omohi ture, omohi no hoka ni hedate ari te obosi-nasu mo, turaku."
5.2.8  など聞こえたまへば、うちかしこまりて、
 などとお申し上げなさると、恐縮して、
  nado kikoye tamahe ba, uti-kasikomari te,
5.2.9  「 心に飽かず思うたまへらるることは、しかなむ思うたまへらるるとばかり聞こえさせしになむ。深く隔て思ひたまふることは、 いかでかはべらむ
 「心中に不満に存じられますことは、そのように存じられますと申し上げただけでございます。深く隔意もってお思い申し上げることはどうしていたしましょう。
  "Kokoro ni aka zu omou tamahe raruru koto ha, sika nam omou tamahe raruru to bakari kikoye sase si ni nam. Hukaku hedate omohi tamahuru koto ha, ikadeka habera m.
5.2.10  内裏にさぶらふが、 世の中恨めしげにて、このころまかでてはべるに、いとつれづれに思ひて屈しはべれば、心苦しう見たまふるを、もろともに遊びわざをもして慰めよと思うたまへてなむ、あからさまにものしはべる」とて、「育み、人となさせたまへるを、おろかにはよも思ひきこえさせじ」
 宮中に仕えております姫君が、ご寵愛が恨めしい様子で、最近退出おりますが、とても所在なく沈んでおりますので、気の毒に存じますので、一緒に遊びなどをして慰めようと存じまして、ほんの一時引き取るのでございます」と言って、「お育てくださり、一人前にしてくださったのを、けっしていいかげんにはお思い申しておりません」
  Uti ni saburahu ga, yononaka uramesige ni te, kono-koro makade te haberu ni, ito turedure ni omohi te kut'-si habere ba, kokoro-gurusiu mi tamahuru wo, morotomoni asobi-waza wo mo si te nagusame yo to omou tamahe te nam, akarasama ni monosi haberu." tote, "Hagukumi, hito to nasa se tamahe ru wo, oroka ni ha yo mo omohi kikoye sase zi."
5.2.11  と申したまへば、 かう思し立ちにたれば、止めきこえさせたまふとも、思し返すべき御心ならぬに、いと飽かず口惜しう思されて、
 と申し上げなさると、このようにお思いたちになった以上は、引き止めようとなさっても、お考え直されるご性質ではないので、大変に残念にお思いになって、
  to mausi tamahe ba, kau obosi-tati ni tare ba, todome kikoye sase tamahu to mo, obosi-kahesu beki mi-kokoro nara nu ni, ito aka zu kutiwosiu obosa re te,
5.2.12  「 人の心こそ憂きものはあれ。とかく 幼き心どもにも、われに隔てて疎ましかりける ことよまた、さもこそあらめ、大臣の、ものの心を深う知りたまひながら、われを怨じて、かく率て渡したまふこと。 かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ
 「人の心とは嫌なものです。あれこれにつけ幼い子どもたちも、わたしに隠し事をして嫌なことですよ。また一方で、子どもとはそのようなものでしょうが、内大臣が、思慮分別がおありになりながら、わたしを恨んで、このように連れて行っておしまいになるとは。あちらでは、ここよりも安心なことはあるまいに」
  "Hito no kokoro koso uki mono ha are! Tokaku wosanaki kokoro-domo ni mo, ware ni hedate te utomasikari keru koto yo! Mata, samo koso ara me, Otodo no, mono no kokoro wo hukau siri tamahi nagara, ware wo wen-zi te, kaku wi te watasi tamahu koto. Kasiko nite, kore yori usiroyasuki koto mo ara zi."
5.2.13  と、うち泣きつつのたまふ。
 と、泣きながらおっしゃる。
  to, uti-naki tutu notamahu.
注釈251中宮のよそほひことにて以下「わぶめるに」まで、内大臣の詞。前斎宮女御、秋好中宮をいう。『集成』は「いったん里邸に下がって、立后の宣命を受け、皇后としての威儀を整えて、あらためて宮中に入る」と注す。5.2.2
注釈252女御の世の中思ひしめりて『集成』は「弘徽殿の女御が、将来を悲観していらっしゃるのが」。『完訳』は「こちらの女御が主上との御仲を悲観しておいでなのが」と訳す。5.2.2
注釈253ある人びとも仕えている女房もの意。5.2.2
注釈254うちむつかりたまて『完訳』は「内大臣は不機嫌な態度をお見せになって」と訳す。5.2.3
注釈255つれづれに思されむを以下「なりにたればなむ」まで、内大臣の詞。5.2.4
注釈256姫君渡して雲居雁を大宮の三条宮邸から弘徽殿女御の里下がりしているあちらの二条邸に移しての意。5.2.4
注釈257いとさくじりおよすけたる人立ちまじりて『完訳』は「「人」は暗に夕霧。このあたり、内大臣の苦々しい口調」と注す。5.2.4
注釈258心に飽かず思うたまへらるることは以下「よも思ひきこえさせじ」まで、内大臣の詞。『集成』は「大宮の「思ひのほかに隔てありて--」という言葉に対して、心に隔てがないゆえ、思うところを率直に言ったのだと反論する」。『完訳』は「内大臣らしい発言」と注す。5.2.9
注釈259いかでかはべらむ反語表現。5.2.9
注釈260世の中恨めしげにて帝との夫婦仲が思わしくない様子。5.2.10
注釈261かう思し立ちにたれば止めきこえさせたまふとも思し返すべき御心ならぬに内大臣の性格。きっぱりとした性格で、いったん決心したら母親が制止しても思い直すことはしない性分。5.2.11
注釈262人の心こそ憂きものはあれ以下「うしろやすきこともあらじ」まで、大宮の詞。5.2.12
注釈263幼き心どもにも孫の夕霧と雲居雁をさす。5.2.12
注釈264また、さもこそあらめ係結び、逆接用法。『集成』は「しかしまた、それはそれで(子供だから)仕方がないとしても」と訳す。5.2.12
注釈265かしこにてこれよりうしろやすきこともあらじ継母のもとに引き取られることになるからである。5.2.12
校訂43 主上に 主上に--うへと(と/$に<朱>) 5.2.2
校訂44 心ゆるび 心ゆるび--*心ゆるゐ 5.2.2
校訂45 ことよ ことよ--ことに(に/$よ<朱>) 5.2.12
5.3
第三段 夕霧、大宮邸に参上


5-3  Yugiri comes to his grandmother's residence

5.3.1  折しも冠者の君参りたまへり。「もしいささかの隙もや」と、このころはしげうほのめきたまふなりけり。内大臣の御車のあれば、心の鬼にはしたなくて、やをら隠れて、 わが御方に入りゐたまへり
 ちょうど折しも冠者の君が参上なさった。「もしやちょっとした隙でもありやしないか」と、最近は頻繁にお顔を出しになられるのであった。内大臣のお車があるので、気がとがめて具合悪いので、こっそり隠れて、ご自分のお部屋にお入りになった。
  Wori simo Kwanzya-no-Kimi mawiri tamahe ri. "Mosi isasaka no hima mo ya?" to, kono-koro ha sigeu honomeki tamahu nari keri. Uti-no-Otodo no mi-kuruma no are ba, kokoro-no-oni ni hasitanaku te, yawora kakure te, waga ohom-kata ni iri wi tamahe ri.
5.3.2  内大殿の君達、 左少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などいふも、皆ここには参り集ひたれど、御簾の内は許したまはず。
 内大臣の若公達の、左近少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などと言った人々も、皆ここには参集なさったが、御簾の内に入ることはお許しにならない。
  Uti-no-Ohotono no kimdati, Sa-Seusyau, Seunagon, Hyauwe-no-Suke, Zizyuu, Taihu nado ihu mo, mina koko ni ha mawiri tudohi tare do, mi-su no uti ha yurusi tamaha zu.
5.3.3   左兵衛督、権中納言なども、異御腹なれど、故殿の御もてなしのままに、今も参り仕うまつりたまふことねむごろなれば、その御子どももさまざま参りたまへど、この君に似るにほひなく見ゆ。
 左兵衛督、権中納言なども、異腹の兄弟であるが、故大殿のご待遇によって、今でも参上して御用を承ることが親密なので、その子どもたちもそれぞれ参上なさるが、この冠者の君に似た美しい人はいないように見える。
  Sa-Hyauwe-no-Kami, Gon-Tyuunagon nado mo, koto-ohom-hara nare do, ko-Tono no ohom-motenasi no mama ni, ima mo mawiri tukau-maturi tamahu koto nemgoro nare ba, sono mi-ko-domo mo sama-zama mawiri tamahe do, kono Kimi ni niru nihohi naku miyu.
5.3.4  大宮の御心ざしも、なずらひなく思したるを、ただこの姫君をぞ、気近うらうたきものと思しかしづきて、御かたはらさけず、うつくしきものに思したりつるを、かくて渡りたまひなむが、いとさうざうしきことを思す。
 大宮のご愛情も、この上なくお思いであったが、ただこの姫君を、身近にかわいい者とお思いになってお世話なさって、いつもお側にお置きになって、かわいがっていらっしゃったのに、このようにしてお引き移りになるのが、とても寂しいこととお思いになる。
  Oho-Miya no mi-kokorozasi mo, nazurahi naku obosi taru wo, tada kono Hime-Gimi wo zo, kedikau rautaki mono to obosi kasiduki te, ohom-katahara sake zu, utukusiki mono ni obosi tari turu wo, kaku te watari tamahi na m ga, ito sauzausiki koto wo obosu.
5.3.5  殿は、
 内大臣殿は、
  Tono ha,
5.3.6  「 今のほどに、内裏に参りはべりて、夕つ方迎へに参りはべらむ
 「今の間に、内裏に参上しまして、夕方に迎えに参りましょう」
  "Ima no hodo ni, Uti ni mawiri haberi te, yuhu-tu-kata mukahe ni mawiri habera m."
5.3.7  とて、出でたまひぬ。
 と言って、お出になった。
  tote, ide tamahi nu.
5.3.8  「 いふかひなきことを、なだらかに言ひなして、 さてもやあらまし」と思せど、なほ、いと心やましければ、「 人の御ほどのすこしものものしくなりなむに、かたはならず見なして、そのほど、心ざしの深さ浅さのおもむきをも見定めて、許すとも、 ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ。制し諌むとも、一所にては、幼き心のままに、見苦しうこそあらめ。宮も、よもあながちに制したまふことあらじ」
 「今さら言っても始まらないことだが、穏便に言いなして、二人の仲を許してやろうか」とお思いになるが、やはりとても面白くないので、「ご身分がもう少し一人前になったら、不満足な地位でないと見做して、その時に、愛情が深いか浅いかの状態も見極めて、許すにしても、改まった結婚という形式を踏んで婿として迎えよう。厳しく言っても、一緒にいては、子どものことだから、見苦しいことをしよう。大宮も、まさかむやみにお諌めになることはあるまい」
  "Ihukahinaki koto wo, nadaraka ni ihi-nasi te, sate mo ya ara masi." to obose do, naho, ito kokoro-yamasikere ba, "Hito no ohom-hodo no sukosi mono-monosiku nari na m ni, kataha nara zu mi-nasi te, sono hodo, kokorozasi no hukasa asasa no omomuki wo mo mi-sadame te, yurusu to mo, kotosara naru yau ni motenasi te koso ara me. Sei-si isamu tomo, hito-tokoro nite ha, wosanaki kokoro no mama ni, migurusiu koso ara me. Miya mo, yo mo anagati ni sei-si tamahu koto ara zi."
5.3.9  と思せば、女御の御つれづれにことつけて、 ここにもかしこにも おいらかに言ひなして、渡したまふなりけり。
 とお思いになると、弘徽殿女御が寂しがっているのにかこつけて、こちらにもあちらにも穏やかに話して、お連れになるのであった。
  to obose ba, Nyougo no ohom-turedure ni kototuke te, koko ni mo kasiko ni mo oyiraka ni ihi-nasi te, watasi tamahu nari keri.
注釈266わが御方に入りゐたまへり大宮邸にある夕霧の部屋。5.3.1
注釈267左少将少納言兵衛佐侍従大夫内大臣の子息たち。それぞれ、左少将は正五位下、少納言は従五位下、兵衛佐は従五位上、侍従は従五位下相当官。大夫は五位の意だから従五位下、官職の有無は不明。5.3.2
注釈268左兵衛督権中納言なども異御腹なれど故殿の御もてなしのままに内大臣の異母兄弟たち。左兵衛督は従五位上、権中納言は従三位相当官。なお、「左兵衛督」は大島本の独自異文。他の青表紙本の多くは「左衛門督」とある。5.3.3
注釈269今のほどに内裏に参りはべりて夕つ方迎へに参りはべらむ内大臣の詞。5.3.6
注釈270いふかひなきことを以下「さてもやあらまし」まで、内大臣の心中。5.3.8
注釈271さてもやあらまし夕霧と雲居雁の結婚を許すことをさす。5.3.8
注釈272人の御ほどの以下「制したまふことあらじ」まで、内大臣の心中。5.3.8
注釈273ことさらなるやうにもてなして改まった結婚という形式をふんでの意。体裁や外見を重んじる内大臣の発想。5.3.8
注釈274ここにもかしこにも大宮にも北の方にも。5.3.9
校訂46 ここ ここ--こえ(え/$こ<朱>) 5.3.9
5.4
第四段 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬


5-4  Yugiri meets with Kumoi-no-kari in a short time

5.4.1  宮の御文にて、
 大宮のお手紙で、
  Miya no ohom-humi nite,
5.4.2  「 大臣こそ、恨みもしたまはめ、君は、さりとも心ざしのほども知りたまふらむ。 渡りて見えたまへ」
 「内大臣は、お恨みでしょうが、あなたは、こうはなってもわたしの気持ちはわかっていただけるでしょう。いらっしゃってお顔をお見せください」
  "Otodo koso, urami mo si tamaha me, Kimi ha, saritomo kokorozasi no hodo mo siri tamahu ram. Watari te miye tamahe."
5.4.3  と聞こえたまへれば、いとをかしげにひきつくろひて渡りたまへり。十四になむおはしける。かたなりに見えたまへど、いと子めかしう、しめやかに、うつくしきさましたまへり。
 と差し上げなさると、とても美しく装束を整えていらっしゃった。十四歳でいらっしゃった。まだ十分に大人にはお見えでないが、とてもおっとりとしていらして、しとやかで、美しい姿態をしていらっしゃった。
  to kikoye tamahe re ba, ito wokasige ni hiki-tukurohi te watari tamahe ri. Zihu-si ni nam ohasi keru. Katanari ni miye tamahe do, ito komekasiu, simeyaka ni, utukusiki sama si tamahe ri.
5.4.4  「 かたはらさけたてまつらず、明け暮れのもてあそびものに思ひきこえつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残りすくなき齢のほどにて、御ありさまを見果つまじきことと、 命をこそ思ひつれ、今さらに見捨てて移ろひたまふや、いづちならむと思へば、 いとこそあはれなれ
 「いままでお側をお離し申さず、明け暮れの話相手とお思い申していたのに、とても寂しいことですね。残り少ない晩年に、あなたのご将来を見届けることができないことは、寿命と思いますが、今のうちから見捨ててお移りになる先が、どこかしらと思うと、とても不憫でなりません」
  "Katahara sake tatematura zu, akekure no mote-asobi mono ni omohi kikoye turu wo, ito sauzausiku mo aru beki kana! Nokori sukunaki yohahi no hodo nite, ohom-arisama wo mi-hatu maziki koto to, inoti wo koso omohi ture, imasara ni mi-sute te uturohi tamahu ya, iduti nara m to omohe ba, ito koso ahare nare."
5.4.5  とて泣きたまふ。姫君は、 恥づかしきことを思せば、顔ももたげたまはで、ただ泣きにのみ泣きたまふ。男君の御乳母、宰相の君出で来て、
 と言ってお泣きになる。姫君は、恥ずかしいこととお思いになると、顔もお上げにならず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。男君の御乳母の、宰相の君が出て来て、
  tote naki tamahu. Heme-Gimi ha, hadukasiki koto wo obose ba, kaho mo motage tamaha de, tada naki ni nomi naki tamahu. Wotoko-Gimi no ohom-menoto, Saisyau-no-Kimi ide-ki te,
5.4.6  「 同じ君とこそ頼みきこえさせつれ、口惜しくかく 渡らせたまふこと。 殿はことざまに思しなることおはしますとも、さやうに思しなびかせたまふな」
 「同じご主人様とお頼り申しておりましたが、残念にもこのようにお移りあそばすとは。内大臣殿は別にお考えになるところがおありでも、そのようにお思いあそばしますな」
  "Onazi Kimi to koso tanomi kikoye sase ture, kutiwosiku kaku watara se tamahu koto. Tono ha koto-zama ni obosi naru koto ohasimasu tomo, sayau ni obosi-nabika se tamahu na."
5.4.7  など、ささめき聞こゆれば、いよいよ恥づかしと思して、物ものたまはず。
 などと、ひそひそと申し上げると、いっそう恥ずかしくお思いになって、何ともおっしゃらない。
  nado, sasameki kikoyure ba, iyo-iyo hadukasi to obosi te, mono mo notamaha zu.
5.4.8  「 いで、むつかしきことな聞こえられそ。人の宿世宿世、いと定めがたく」
 「いえもう、厄介なことは申し上げなさいますな。人の運命はそれぞれで、とても先のことは分からないもので」
  "Ide, mutukasiki koto na kikoye rare so. Hito no sukuse mi-sukuse, ito sadame gataku."
5.4.9  とのたまふ。
 とおっしゃる。
  to notamahu.
5.4.10  「 いでや、ものげなしとあなづりきこえさせ たまふにはべるめりかし。さりとも、げに、わが君人に劣りきこえさせたまふと、聞こしめし合はせよ」
 「いえいえ、一人前でないとお侮り申していらっしゃるのでしょう。今はそうですが、わたくしどもの若君が人にお劣り申していらっしゃるかどうか、どなたにでもお聞き合わせくださいませ」
  "Ideya! Monogenasi to anaduri kikoye sase tamahu ni haberu meri kasi. Saritomo, geni, waga-Kimi hito ni otori kikoye sase tamahu to, kikosimesi ahase yo!"
5.4.11  と、なま心やましきままに言ふ。
 と、癪にさわるのにまかせて言う。
  to, nama-kokoro-yamasiki mama ni ihu.
5.4.12   冠者の君、物のうしろに入りゐて見たまふに、人の咎めむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おし拭ひつつおはするけしきを、御乳母、いと心苦しう見て、宮にとかく聞こえたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、 対面せさせたまへり。
 冠者の君は、物陰に入って御覧になると、人が見咎めるのも、何でもない時は苦しいだけであったが、とても心細くて、涙を拭いながらいらっしゃる様子を、御乳母が、とても気の毒に見て、大宮にいろいろとご相談申し上げて、夕暮の人の出入りに紛れて、対面させなさった。
  Kwanzya-no-Kimi, mono no usiro ni iri wi te mi tamahu ni, hito no togame m mo, yorosiki toki koso kurusikari kere, ito kokoro-bosoku te, namida osi-nogohi tutu ohasuru kesiki wo, ohom-Menoto, ito kokoro-gurusiu mi te, Miya ni tokaku kikoye tabakari te, yuhu-magure no hito no mayohi ni, taimen se sase tamahe ri.
5.4.13  かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、物も言はで泣きたまふ。
 お互いに何となく恥ずかしく胸がどきどきして、何も言わないでお泣きになる。
  Katamini mono-hadukasiku mune tubure te, mono mo iha de naki tamahu.
5.4.14  「 大臣の御心のいとつらければ、さはれ、思ひやみなむと思へど、恋しうおはせむこそわりなかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日ごろ、よそに隔てつらむ」
 「内大臣のお気持ちがとてもつらいので、ままよ、いっそ諦めようと思いますが、恋しくいらっしゃてたまらないです。どうして、少しお逢いできそうな折々があったころは、離れて過ごしていたのでしょう」
  "Otodo no mi-kokoro no ito turakere ba, sahare, omohi-yami na m to omohe do, kohisiu ohase m koso warinakaru bekere. Nado te, sukosi hima ari nu bekari turu hi-goro, yoso ni hedate tura m?"
5.4.15  とのたまふさまも、いと若うあはれげなれば、
 とおっしゃる様子も、たいそう若々しく痛々しげなので、
  to notamahu sama mo, ito wakau aharege nare ba,
5.4.16  「 まろも、さこそはあらめ
 「わたしも、あなたと同じ思いです」
  "Maro mo, sa koso ha ara me."
5.4.17  とのたまふ。
 とおっしゃる。
  to notamahu.
5.4.18  「 恋しとは思しなむや
 「恋しいと思ってくださるでしょうか」
  "Kohisi to ha obosi na m ya?"
5.4.19  とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも、幼げなり。
 とおっしゃると、ちょっとうなずきなさる様子も、幼い感じである。
  to notamahe ba, sukosi unaduki tamahu sama mo, wosanage nari.
注釈275大臣こそ以下「見えたまへ」まで、大宮から雲居雁への手紙。5.4.2
注釈276かたはらさけたてまつらず以下「いとこそあはれなれ」まで、大宮の詞。5.4.4
注釈277命をこそ思ひつれ「こそ--つれ」係結び、逆接用法。「思ひ」は嘆く、悲しむ、意。5.4.4
注釈278いとこそあはれなれ『集成』は「自分の存命仲に引き離されて行く先が、継母のもとであることをあわれむ」と注す。5.4.4
注釈279恥づかしきことを思せば夕霧との関係をさす。5.4.5
注釈280同じ君とこそ以下「思しなびかせたまふな」まで、宰相君の詞。5.4.6
注釈281殿はことざまに思しなることおはしますとも「殿」は内大臣をさし、「ことざま」は夕霧以外との縁組をさす。5.4.6
注釈282いでむつかしきこと以下「定めがたく」まで、大宮の詞。5.4.8
注釈283いでや以下「聞こしめし合はせよ」まで、宰相君の詞。5.4.10
注釈284冠者の君物のうしろに入りゐて見たまふに『完訳』は「雲居雁を見ようと物陰に忍ぶ」と注す。5.4.12
注釈285大臣の御心の以下「よそに隔てつらむ」まで、夕霧の詞。5.4.14
注釈286まろもさこそはあらめ雲居雁の詞。『集成』は「親しい者同士の間で使う一人称」と注す。5.4.16
注釈287恋しとは思しなむや夕霧の詞。5.4.18
校訂47 渡りて 渡りて--わたり(り/+て<朱>) 5.4.2
校訂48 渡らせ 渡らせ--わた(た/+ら)せ 5.4.6
校訂49 たまふに たまふに--給に(に/$と<朱>) 5.4.10
校訂50 対面 対面--こ(こ/$た<朱>)いめむ 5.4.12
5.5
第五段 乳母、夕霧の六位を蔑む


5-5  Her nurse despises his low status

5.5.1  御殿油参り、殿まかでたまふけはひ、こちたく追ひののしる 御前駆の声に、人びと、
 御殿油をお点けし、内大臣が宮中から退出なさって来た様子で、ものものしく大声を上げて先払いする声に、女房たちが、
  Oho-tonabura mawiri, Tono makade tamahu kehahi, kotitaku ohi-nonosiru ohom-saki no kowe ni, hito-bito,
5.5.2  「 そそや
 「それそれ、お帰りだ」
  "Soso ya!"
5.5.3  など懼ぢ騒げば、 いと恐ろしと思してわななきたまふ。 さも騒がればと、ひたぶる心に、許しきこえたまはず御乳母参りてもとめたてまつるに、けしきを見て、
 などと慌てるので、とても恐ろしくお思いになって震えていらっしゃる。そんなにやかましく言われるなら言われても構わないと、一途な心で、姫君をお放し申されない。姫君の乳母が参ってお捜し申して、その様子を見て、
  nado odi sawage ba, ito osorosi to obosi te wananaki tamahu. Samo sawaga re ba to, hitaburu kokoro ni, yurusi kikoye tamaha zu. Ohom-Menoto mawiri motome tatematuru ni, kesiki wo mi te,
5.5.4  「 あな、心づきなや。げに、宮知らせたまはぬことにはあらざりけり」
 「まあ、いやだわ。なるほど、大宮は御存知ないことではなかったのだわ」
  "Ana, kokorodukina' ya! Geni, Miya sira se tamaha nu koto ni ha ara zari keri."
5.5.5  と思ふに、いとつらく、
 と思うと、実に恨めしくなって、
  to omohu ni, ito turaku,
5.5.6  「 いでや、憂かりける世かな 殿の思しのたまふことは、さらにも聞こえず、大納言殿にもいかに聞かせたまはむ。めでたくとも、もののはじめの六位宿世よ」
 「何とも、情けないことですわ。内大臣殿がおっしゃることは、申すまでもなく、大納言殿にもどのようにお聞きになることでしょう。結構な方であっても、初婚の相手が六位風情との御縁では」
  "Ide ya, ukari keru yo kana! Tono no obosi notamahu koto ha, sarani mo kikoye zu, Dainagon-dono ni mo ikani kika se tamaha m? Medetaku to mo, mono no hazime no roku-wi sukuse yo!"
5.5.7  と、つぶやくもほの聞こゆ。ただこの屏風のうしろに 尋ね来て、嘆くなりけり。
 と、つぶやいているのがかすかに聞こえる。ちょうどこの屏風のすぐ背後に捜しに来て、嘆くのであった。
  to, tubuyaku mo hono-kikoyu. Tada kono byaubu no usiro ni tadune-ki te, nageku nari keri.
5.5.8  男君、「 我をば位なしとて、はしたなむるなりけり」と思すに、世の中恨めしければ、あはれもすこしさむる心地して、めざまし。
 男君は、「自分のことを位がないと軽蔑しているのだ」とお思いになると、こんな二人の仲がたまらなくなって、愛情も少しさめる感じがして、許しがたい。
  Wotoko-Gimi, "Ware wo ba kurawi nasi tote, hasitanamuru nari keri." to obosu ni, yononaka uramesikere ba, ahare mo sukosi samuru kokoti si te, mezamasi.
5.5.9  「 かれ聞きたまへ
 「あれをお聞きなさい。
  "Kare kiki tamahe.
5.5.10    くれなゐの涙に深き袖の色を
  真っ赤な血の涙を流して恋い慕っているわたしを
    Kurenawi no namida ni hukaki sode no iro wo
5.5.11   浅緑にや言ひしをるべき
  浅緑の袖の色だと言ってけなしてよいものでしょうか
    asamidori ni ya ihi siworu beki
5.5.12  恥づかし」
 恥ずかしい」
  hadukasi."
5.5.13  とのたまへば、
 とおっしゃると、
  to notamahe ba,
5.5.14  「 いろいろに身の憂きほどの知らるるは
 「色々とわが身の不運が思い知らされますのは
    "Iroiro ni mi no uki hodo no sira ruru ha
5.5.15   いかに染めける中の衣ぞ
  どのような因縁の二人なのでしょう
    ikani some keru naka no koromo zo
5.5.16  と、物のたまひ果てぬに、殿入りたまへば、わりなくて 渡りたまひぬ
 と、言い終わらないうちに、殿がお入りになっていらしたので、しかたなくお戻りになった。
  to, mono notamahi hate nu ni, Tono iri tamahe ba, warinaku te watari tamahi nu.
5.5.17  男君は、立ちとまりたる心地も、いと人悪く、胸ふたがりて、わが御方に臥したまひぬ。
 男君は、後に残された気持ちも、とても体裁が悪く、胸が一杯になって、ご自分のお部屋で横におなりになった。
  Wotoko-Gimi ha, tati-tomari taru kokoti mo, ito hito-waruku, mune hutagari te, waga ohom-kata ni husi tamahi nu.
5.5.18   御車三つばかりにて、忍びやかに急ぎ出でたまふけはひを聞くも、静心なければ、宮の御前より、「参りたまへ」とあれど、寝たるやうにて動きもしたまはず。
 お車は三輌ほどで、ひっそりと急いでお出になる様子を聞くのも、落ち着かないので、大宮の御前から「いらっしゃい」とあるが、寝ている様子をして身動きもなさらない。
  Mi-kuruma mi-tu bakari nite, sinobiyaka ni isogi ide tamahu kehahi wo kiku mo, sidu-kokoro nakere ba, Miya no o-mahe yori, "Mawiri tamahe." to are do, ne taru yau nite ugoki mo si tamaha zu.
5.5.19  涙のみ止まらねば、嘆きあかして、霜のいと白きに急ぎ出でたまふ。うちはれたるまみも、人に見えむが恥づかしきに、宮 はた、召しまつはすべかめれば、 心やすき所にとて、急ぎ出でたまふなりけり。
 涙ばかりが止まらないので、嘆きながら夜を明かして、霜がたいそう白いころに急いでお帰りになる。泣き腫らした目許も、人に見られるのが恥ずかしいので、大宮もまた、お召しになって放さないだろうから、気楽な所でと思って、急いでお帰りになったのであった。
  Namida nomi tomara ne ba, nageki-akasi te, simo no ito siroki ni isogi ide tamahu. Uti-hare taru mami mo, hito ni miye m ga hadukasiki ni, Miya hata, mesi matuhasu beka' mere ba, kokoro-yasuki tokoro ni tote, isogi ide tamahu nari keri.
5.5.20  道のほど、人やりならず、心細く思ひ続くるに、 空のけしきもいたう雲りて、まだ暗かりけり
 その道中は、誰のせいからでなく、心細く思い続けると、空の様子までもたいそう曇って、まだ暗いのであった。
  Miti no hodo, hitoyari-nara-zu, kokoro-bosoku omohi-tudukuru ni, sora no kesiki mo itau kumori te, mada kurakari keri.
5.5.21  「 霜氷うたてむすべる明けぐれの
 「霜や氷が嫌に張り詰めた明け方の
    "Simo kohori utate musube ru akegure no
5.5.22   空かきくらし降る涙かな
  空を真暗にして降る涙の雨だなあ
    sora kaki-kurasi huru namida kana
注釈288そそや女房の声。5.5.2
注釈289いと恐ろしと思して主語は雲居雁。5.5.3
注釈290さも騒がればと、ひたぶる心に、許しきこえたまはず主語は夕霧。5.5.3
注釈291御乳母参りて雲居雁の乳母。5.5.3
注釈292あな心づきなや以下「あらざりけり」まで、雲居雁の乳母の心中。5.5.4
注釈293いでや憂かりける世かな以下「六位宿世よ」まで、雲居雁の乳母の詞。5.5.6
注釈294殿の思しのたまふことは内大臣が腹立ち叱ること。5.5.6
注釈295我をば位なしとてはしたなむるなりけり夕霧の心中。5.5.8
注釈296かれ聞きたまへ以下「恥づかし」まで、夕霧の詞と歌。5.5.9
注釈297くれなゐの涙に深き袖の色を浅緑にや言ひしをるべき「浅緑」は六位の色。「紅」と「浅緑」の色彩の対比。5.5.10
注釈298いろいろに身の憂きほどの知らるるはいかに染めける中の衣ぞ雲居雁の返歌。夕霧の「紅」「浅緑」や「袖」の語句を受けて「色々」「染め」「衣」の語句を詠み込んで返した。5.5.14
注釈299渡りたまひぬ雲居雁が自分の部屋に戻ったという意。5.5.16
注釈300御車三つばかりにて忍びやかに急ぎ出でたまふけはひ後に真木柱姫君が母方の実家に引き取られて行く場面も車三台ほどで迎えに来る(真木柱)。5.5.18
注釈301心やすき所にとて二条東院の自分の部屋。5.5.19
注釈302空のけしきもいたう雲りて、まだ暗かりけり『完訳』は「次の歌を先取りした心象風景」と注す。5.5.20
注釈303霜氷うたてむすべる明けぐれの空かきくらし降る涙かな夕霧の独詠歌。『集成』は「夕霧心中の独詠。「霜氷」は、凍てついた霜をいう歌語」と注す。5.5.21
校訂51 御前駆 御前駆--御ま(ま/$さ<朱>)き 5.5.1
校訂52 憂かり 憂かり--うか(うか/$うか<朱>)り 5.5.6
校訂53 尋ね来て 尋ね来て--たつねき(き/$<朱>)きて 5.5.7
校訂54 はた はた--はた(はた/$はた<朱>) 5.5.19
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