21 少女(大島本)


WOTOME


光る源氏の太政大臣時代
三十三歳の夏四月から三十五歳冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in summer at the age of 33 to October in winter at the age of 35

2
第二章 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語


2  Tale of Yugiri  Genji's education on his son

2.1
第一段 子息夕霧の元服と教育論


2-1  Yugiri grows up and on education

2.1.1   大殿腹の若君の御元服のこと、思しいそぐを、二条の院にてと思せど、大宮のいとゆかしげに思したるもことわりに心苦しければ、なほやがて かの殿にてせさせたてまつりたまふ。
 大殿腹の若君のご元服のこと、ご準備をなさるが、二条院でとお考えになるが、大宮がとても見たがっていっらしゃったのもごもっともに気の毒なので、やはりそのままあちらの殿で式を挙げさせ申し上げなさる。
  Ohotono-bara no Waka-Gimi no ohom-genpuku no koto, obosi-isogu wo, Nideu-no-win nite to obose do, Oho-Miya no ito yukasige ni obosi taru mo kotowari ni kokoro-kurusikere ba, naho yagate kano tono nite se sase tatematuri tamahu.
2.1.2   右大将をはじめきこえて、御伯父の殿ばら、みな上達部のやむごとなき御おぼえことにてのみものしたまへば、 主人方にも、我も我もと、さるべきことどもは、とりどりに仕うまつりたまふ。おほかた世ゆすりて、所狭き御いそぎの勢なり。
 右大将をはじめとして、御伯父の殿方は、みな上達部で高貴なご信望厚い方々ばかりでいらっしゃるので、主人方でも、我も我もとしかるべき事柄は、競い合ってそれぞれがお仕え申し上げなさる。だいたい世間でも大騒ぎをして、大変な準備のしようである。
  U-Daisyau wo hazime kikoye te, ohom-wodi no tono-bara, mina kamdatime no yamgotonaki ohom-oboye koto nite nomi monosi tamahe ba, aruzi-gata ni mo, ware mo ware mo to, saru-beki koto-domo ha, tori-dori ni tukau-maturi tamahu. Ohokata yo yusuri te, tokoroseki ohom-isogi no ikihohi nari.
2.1.3   四位になしてむと思し、世人も、さぞあらむと思へるを、
 四位につけようとお思いになり、世間の人々もきっとそうであろうと思っていたが、
  Si-wi ni nasi te m to obosi, yohito mo, sa zo ara m to omohe ru wo,
2.1.4  「 まだいときびはなるほどを、わが心にまかせたる世にて、しかゆくりなからむも、なかなか目馴れたることなり」
 「まだたいそう若いのに、自分の思いのままになる世だからといって、そのように急に位につけるのは、かえって月並なことだ」
  "Mada ito kibiha naru hodo wo, waga kokoro ni makase taru yo ni te, sika yukuri-nakara m mo, naka-naka me nare taru koto nari."
2.1.5  と思しとどめつ。
 とお止めになった。
  to obosi todome tu.
2.1.6   浅葱にて 殿上に帰りたまふを、大宮は、飽かずあさましきことと思したるぞ、ことわりにいとほしかりける。
 浅葱の服で殿上の間にお戻りになるのを、大宮は、ご不満でとんでもないこととお思いになったのは、無理もなく、お気の毒なことであった。
  Asagi nite Tenzyau ni kaheri tamahu wo, Oho-Miya ha, akazu asamasiki koto to obosi taru zo, kotowari ni itohosikari keru.
2.1.7   御対面ありてこのこと聞こえたまふに
 ご対面なさって、このことをお話し申し上げなさると、
  Ohom-taimen ari te, kono koto kikoye tamahu ni,
2.1.8  「 ただ今、かうあながちにしも、まだきに老いつかすまじうはべれど、思ふやうはべりて、大学の道にしばしならはさむの本意はべるにより、今二、三年を いたづらの年に思ひなして、おのづから朝廷にも仕うまつりぬべきほどにならば、今、人となりはべりなむ。
 「今のうちは、このように無理をしてまで、まだ若年なので大人扱いする必要はございませんが、考えていることがございまして、大学の道に暫くの間勉強させようという希望がございますゆえ、もう二、三年間を無駄に過ごしたと思って、いずれ朝廷にもお仕え申せるようになりましたら、そのうちに、一人前になりましょう。
  "Tada ima, kau anagati ni simo, madaki ni oyi-tukasu maziu habere do, omohu yau haberi te, Daigaku no miti ni sibasi narahasa m no ho'i haberu ni yori, ima ni, sam-nen wo itadura no tosi ni omohi-nasi te, onodukara Ohoyake ni mo tukau-maturi nu beki hodo ni nara ba, ima, hito to nari haberi na m.
2.1.9   みづからは、九重のうちに生ひ出ではべりて、世の中のありさまも知りはべらず、夜昼、御前にさぶらひて、わづかになむはかなき書なども習ひはべりし。ただ、かしこき御手より伝へはべりしだに、何ごとも 広き心を知らぬほどは、文の才をまねぶにも、琴笛の調べにも、音耐へず、及ばぬところの多くなむはべりける。
 自分は、宮中に成長致しまして、世の中の様子を存じませんで、昼夜、御帝の前に伺候致して、ほんのちょっと学問を習いました。ただ、畏れ多くも直接に教えていただきましたのさえ、どのようなことも広い知識を知らないうちは、詩文を勉強するにも、琴や笛の調べにしても、音色が十分でなく、及ばないところが多いものでございました。
  Midukara ha, kokonohe no uti ni ohi-ide haberi te, yononaka no arisama mo siri habera zu, yoru hiru, o-mahe ni saburahi te, waduka ni nam hakanaki humi nado mo narahi haberi si. Tada, kasikoki mi-te yori tutahe haberi si dani, nani-goto mo hiroki kokoro wo sira nu hodo ha, humi no zae wo manebu ni mo, koto hue no sirabe ni mo, ne tahe zu, oyoba nu tokoro no ohoku nam haberi keru.
2.1.10  はかなき親に、かしこき子のまさる例は、いとかたきことになむはべれば、まして、次々伝はりつつ、隔たりゆかむほどの行く先、いとうしろめたなきによりなむ、思ひたまへおきてはべる。
 つまらない親に、賢い子が勝るという話は、とても難しいことでございますので、まして、次々と子孫に伝わっていき、離れてゆく先は、とても不安に思えますので、決めましたことでございます。
  Hakanaki oya ni, kasikoki ko no masaru tamesi ha, ito kataki koto ni nam habere ba, masite, tugi-tugi tutahari tutu, hedatari-yuka m hodo no yuku-saki, ito usirometanaki ni yori nam, omohi tamahe oki te haberu.
2.1.11  高き家の子として、官位爵位心にかなひ、世の中盛りにおごりならひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵に昇りぬれば、時に従ふ世人の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、けしきとりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえて、 やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世衰ふる末には、人に軽めあなづらるるに、取るところなきことになむはべる。
 高貴な家の子弟として、官位爵位が心にかない、世の中の栄華におごる癖がついてしまいますと、学問などで苦労するようなことは、とても縁遠いことのように思うようです。遊び事や音楽ばかりを好んで、思いのままの官爵に昇ってしまうと、時勢に従う世の人が、内心ではばかにしながら、追従し、機嫌をとりながら従っているうちは、自然とひとかどの人物らしく立派なようですが、時勢が移り、頼む人に先立たれて、運勢が衰えた末には、人に軽んじらればかにされて、取り柄とするところがないものでございます。
  Takaki ihe-no-ko to si te, tukasa kauburi kokoro ni kanahi, yononaka sakari ni ogori narahi nure ba, gakumon nado ni mi wo kurusime m koto ha, ito tohoku nam oboyu beka' meru. Tahabure asobi wo konomi te, kokoro no mama naru kwansyaku ni nobori nure ba, toki ni sitagahu yo-hito no, sita ni ha hanamaziroki wo si tutu, tuisyo-si, kesiki-tori tutu sitagahu hodo ha, onodukara hito to oboye te, yamgotonaki yau nare do, toki uturi, saru-beki hito ni tati-okure te, yo otorohuru suwe ni ha, hito ni karume anadura ruru ni, toru tokoro naki koto ni nam haberu.
2.1.12   なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。さしあたりては、心もとなきやうにはべれども、つひの世の重鎮となるべき心おきてを習ひなば、はべらずなりなむ後も、うしろやすかるべきによりなむ。ただ今は、はかばかしからずながらも、かくて 育みはべらば、せまりたる大学の衆とて、笑ひあなづる人もよもはべらじと思うたまふる」
 やはり、学問を基礎にしてこそ、政治家としての心の働きが世間に認められるところもしっかりしたものでございましょう。当分の間は、不安なようでございますが、将来の世の重鎮となるべき心構えを学んだならば、わたしが亡くなった後も、安心できようと存じてです。ただ今のところは、ぱっとしなくても、このように育てていきましたら、貧乏な大学生だといって、ばかにして笑う者もけっしてありますまいと存じます」
  Naho, zae wo moto to si te koso, yamato-damasihi no yo ni motiwi raruru kata mo tuyou habera me. Sasiatari te ha, kokoro-motonaki yau ni habere domo, tuhi no yo no omosi to naru beki kokoro-okite wo narahi na ba, habera zu nari na m noti mo, usiroyasukaru beki ni yori nam. Tada ima ha, haka-bakasikara zu nagara mo, kakute hagukumi habera ba, semari taru Daigaku-no-syuu tote, warahi anaduru hito mo yo mo habera zi to omou tamahuru."
2.1.13  など、聞こえ知らせたまへば、うち嘆きたまひて、
 などと、わけをお話し申し上げになると、ほっと吐息をおつきになって、
  nado, kikoye sirase tamahe ba, uti-nageki tamahi te,
2.1.14  「 げに、かくも思し寄るべかりけることを。この大将なども、あまり引き違へたる御ことなりと、かたぶけはべるめるを、この幼心地にも、いと口惜しく、大将、左衛門の督の子どもなどを、我よりは下臈と思ひおとしたりしだに、皆おのおの加階し昇りつつ、 およすげあへるに、浅葱をいとからしと思はれたるに、心苦しくはべるなり」
 「なるほど、そこまでお考えになって当然でしたことを。ここの大将なども、あまりに例に外れたご処置だと、不審がっておりましたようですが、この子供心にも、とても残念がって、大将や、左衛門督の子どもなどを、自分よりは身分が下だと見くびっていたのさえ、皆それぞれ位が上がり上がりし、一人前になったのに、浅葱をとてもつらいと思っていられるので、気の毒なのでございます」
  "Geni, kaku mo obosi-yoru bekari keru koto wo! Kono Daisyau nado mo, amari hiki-tagahe taru ohom-koto nari to, katabuke haberu meru wo, kono wosana-gokoti ni mo, ito kutiwosiku, Daisyau, Sawemon-no-Kami no kodomo nado wo, ware yori gerau to omohi-otosi tari si dani, mina ono-ono kakai si nobori tutu, oyosuge-ahe ru ni, asagi wo ito karasi to omoha re taru ni, kokoro-gurusiku haberu nari."
2.1.15  と聞こえたまへば、うち笑みひたまひて、
 と申し上げなさると、ちょっとお笑いになって、
  to kikoye tamahe ba, uti-warahi tamahi te,
2.1.16  「 いとおよすげても恨みはべるななりな。いとはかなしや。この人のほどよ」
 「たいそう一人前になって不平を申しているようですね。ほんとうにたわいないことよ。あの年頃ではね」
  "Ito oyosuge te mo urami haberu na nari na! Ito hakanasi ya! Kono hito no hodo yo!"
2.1.17  とて、いとうつくしと思したり。
 と言って、とてもかわいいとお思いであった。
  tote, ito utukusi to obosi tari.
2.1.18  「 学問などして、すこしものの心得はべらば、その恨みはおのづから解けはべりなむ」
 「学問などをして、もう少し物の道理がわかったならば、そんな恨みは自然となくなってしまうでしょう」
  "Gakumon nado si te, sukosi mono no kokoro-e habera ba, sono urami ha onodukara toke haberi na m."
2.1.19  と聞こえたまふ。
 とお申し上げになる。
  to kikoye tamahu.
注釈37大殿腹の若君の御元服のこと葵の上の生んだ夕霧。十二歳。「大殿腹」は太政大臣の姫君(葵の上)の生んだの意。2.1.1
注釈38かの殿にて三条宮邸をさす。2.1.1
注釈39右大将もとの頭中将をさす。「薄雲」巻で、大納言兼右大将になっている。2.1.2
注釈40主人方にも主催者方、すなわち右大将側をいう。2.1.2
注釈41四位になしてむ源氏の心中。『集成』は「親王の子は従四位下に叙する規定であるが、一世の源氏の子の場合は従五位下が通例である。源氏の場合は親王に准じたものか」と注す。2.1.3
注釈42まだいときびはなるほどを以下「目馴れたることなり」まで、源氏の心中。2.1.4
注釈43浅葱にて六位の浅緑色の袍姿。2.1.6
注釈44殿上に帰りたまふを三条宮邸で元服の式を済ませて、六位の袍姿で清涼殿の殿上間に還る。すでに童殿上していたので「帰り」といったもの。2.1.6
注釈45御対面ありて『集成』は「大宮が源氏にお会いになって」と訳す。2.1.7
注釈46このこと聞こえたまふに主語は大宮。2.1.7
注釈47ただ今以下「と思うたまへる」まで、源氏の詞。2.1.8
注釈48いたづらの年に思ひなして『完訳』は「学生のうちは昇進しない」と注す。2.1.8
注釈49みづからは九重のうちに生ひ出ではべりて源氏、自らの体験を語る。2.1.9
注釈50広き心を知らぬほどは『集成』は「いろいろな経験を積まぬうちは」。『完訳』は「何事をも広い教養を積まないうちは」と訳す。2.1.9
注釈51なほ才をもととしてこそ大和魂の世に用ゐらるる方も『集成』は「やはり、学問という基礎があってこそ、政治家としての臨機の力量が世間に重んじられることも、一層強みがございましょう。「大和魂」は、「才」が、儒学(政治学)の知識であるのに対して、わが国の実情に応じた政治的判断や行政能力をいう」と注す。2.1.12
注釈52育みはべらば主語は源氏。源氏がこのようにして夕霧の育てていったらの意。2.1.12
注釈53げに、かくも思し寄るべかりけることを以下「心苦しくはべるなり」まで、大宮の詞。2.1.14
注釈54およすげ『河海抄』に「け」に濁符がある。2.1.14
注釈55いとおよすげても以下「人のほどよ」まで、源氏の詞。「も」は係助詞、強調の意。接続助詞、逆接の意もあるが、とらない。2.1.16
注釈56学問などして以下「解けはべりなむ」まで、源氏の詞。大宮に言う。2.1.18
校訂3 やむごとなき やむごとなき--(/+やむこと<朱>)なき 2.1.11
2.2
第二段 大学寮入学の準備


2-2  Prepalation for the entrance into Daigaku-ryo

2.2.1  字つくることは、東の院にてしたまふ。東の対をしつらはれたり。上達部、殿上人、珍しくいぶかしきことにして、我も我もと集ひ参りたまへり。 博士どももなかなか臆しぬべし
 字をつける儀式は、東の院でなさる。東の対を準備なさった。上達部、殿上人、めったにないことで見たいものだと思って、我も我もと参集なさった。博士たちもかえって気後れしてしまいそうである。
  Azana tukuru koto ha, Himgasi-no-win nite si tamahu. Himgasi-no-tai wo situraha re tari. Kamdatime, Tenzyau-bito, medurasiku ibukasiki koto ni si te, ware mo ware mo to tudohi mawiri tamahe ri. Hakase-domo mo naka-naka oku-si nu besi.
2.2.2  「 憚るところなく、例あらむにまかせて、なだむることなく、厳しう行なへ」
 「遠慮することなく、慣例のとおりに従って、手加減せずに、厳格に行いなさい」
  "Habakaru tokoro naku, rei ara m ni makase te, nadamuru koto naku, kibisiu okonahe."
2.2.3  と仰せたまへば、しひてつれなく思ひなして、家より他に求めたる装束どもの、うちあはず、かたくなしき姿などをも恥なく、面もち、声づかひ、むべむべしくもてなしつつ、座に着き並びたる作法よりはじめ、見も知らぬさまどもなり。
 とお命じになると、無理に平静をよそおって、他人の家から調達した衣装類が、身につかず、不恰好な姿などにもかまいなく、表情、声づかいが、もっともらしくしては、席について並んでいる作法をはじめとして、見たこともない様子である。
  to ohose tamahe ba, sihite turenaku omohi-nasi te, ihe yori hoka ni motome taru syauzoku-domo no, uti-aha zu, katakunasiki sugata nado wo mo hadi naku, omomoti, kowa-dukahi, mube-mubesiku motenasi tutu, za ni tuki narabi taru sahohu yori hazime, mi mo sira nu sama domo nari.
2.2.4  若き君達は、え堪へずほほ笑まれぬ。さるは、もの笑ひなどすまじく、過ぐしつつ静まれる限りをと、選り出だして、瓶子なども取らせたまへるに、筋異なりけるまじらひにて、右大将、民部卿などの、おほなおほな土器とりたまへるを、あさましく咎め出でつつおろす。
 若い君達は、我慢しきれず笑ってしまった。一方では、笑ったりなどしないような、年もいった落ち着いた人だけをと、選び出して、お酌などもおさせになるが、いつもと違った席なので、右大将や、民部卿などが、一所懸命に杯をお持ちになっているのを、あきれるばかり文句を言い言い叱りつける。
  Wakaki kimdati ha, e tahe zu hohowema re nu. Saruha, mono-warahi nado su maziku, sugusi tutu sidumare ru kagiri wo to, eri-idasi te, heisi nado mo tora se tamahe ru ni, sudi koto nari keru mazirahi nite, U-Daisyau, Minbu-Kyau nado no, ohona-ohona kaharake tori tamahe ru wo, asamasiku togame ide tutu orosu.
2.2.5  「 おほし、垣下あるじ、はなはだ非常に はべりたうぶ。かくばかりの しるしとあるなにがしを知らずしてや、朝廷には仕うまつりたうぶ。はなはだをこなり」
 「おおよそ、宴席の相伴役は、はなはだ不作法でござる。これほど著名な誰それを知らなくて、朝廷にはお仕えしている。はなはだばかである」
  "Ohosi, kaimoto aruzi, hanahada hizyau ni haberi taubu. Kaku bakari no sirusi to aru nanigasi wo sira zu si te ya, Ohoyake ni ha tukau-maturi taubu. Hanahada woko nari."
2.2.6  など言ふに、人びと皆ほころびて笑ひぬれば、また、
 などと言うと、人々がみな堪えきれず笑ってしまったので、再び、
  nado ihu ni, hito-bito mina hokorobi te warahi nure ba, mata,
2.2.7  「 鳴り高し。鳴り止まむ。はなはだ非常なり。座を引きて立ちたうびなむ」
 「うるさい。お静かに。はなはだ不作法である。退席していただきましょう」
  "Nari takasi. Nari yama m. Hanahada hizyau nari. Za wo hiki te tati taubi na m."
2.2.8  など、おどし言ふも、いとをかし。
 などと、脅して言うのも、まことにおかしい。
  nado, odosi ihu mo, ito wokasi.
2.2.9  見ならひたまはぬ人びとは、珍しく興ありと思ひ、この道より出で立ちたまへる上達部などは、したり顔にうちほほ笑みなどしつつ、 かかる方ざまを思し好みて、心ざしたまふがめでたきことと、いとど限りなく思ひきこえたまへり。
 見慣れていらっしゃらない方々は、珍しく興味深いことと思い、この大学寮ご出身の上達部などは、得意顔に微笑みながら、このような道をご愛好されて、大学に入学させなさったのが結構なことだと、ますますこのうえなく敬服申し上げていらっしゃった。
  Mi-narahi tamaha nu hito-bito ha, medurasiku kyou-ari to omohi, kono miti yori ide-tati tamahe ru Kamdatime nado ha, sitari-gaho ni uti-hohowemi nado si tutu, kakaru kata zama wo obosi konomi te, kokorozasi tamahu ga medetaki koto to, itodo kagiri naku omohi kikoye tamahe ri.
2.2.10  いささかもの言ふをも制す。無礼げなりとても咎む。かしかましうののしりをる 顔どもも、夜に入りては、なかなか今すこし掲焉なる火影に、 猿楽がましくわびしげに、人悪ろげなるなど、さまざまに、げにいとなべてならず、さまことなるわざなりけり。
 少し私語を言っても制止する。無礼な態度であると言っても叱る。騒がしく叱っている博士たちの顔が、夜に入ってからは、かえって一段と明るくなった燈火の中で、滑稽じみて貧相で、不体裁な様子などが、何から何まで、なるほど実に普通でなく、変わった様子であった。
  Isasaka mono ihu wo mo sei su. Namege nari tote mo togamu. Kasikamasiu nonosiri woru kaho domo mo, yoru ni iri te ha, naka-naka ima sukosi ketien naru hokage ni, sarugau gamasiku wabisige ni, hito-waroge naru nado, sama-zama ni, geni ito nabete nara zu, sama koto naru waza nari keri.
2.2.11  大臣は、
 大臣は、
  Otodo ha,
2.2.12  「 いとあざれ、かたくななる身にて、 けうさうしまどはかされなむ」
 「とてもだらしなく、頑固な者なので、やかましく叱られてまごつくだろう」
  "Ito azare, katakuna naru mi ni te, keusausi madohakasa re na m."
2.2.13  とのたまひて、御簾のうちに隠れてぞ御覧じける。
 とおっしゃって、御簾の内に隠れて御覧になっていたのであった。
  to notamahi te, mi-su no uti ni kakure te zo go-ran-zi keru.
2.2.14  数定まれる座に着きあまりて、帰りまかづる大学の衆どもあるを聞こしめして、釣殿の方に召しとどめて、ことに物など賜はせけり。
 用意された席が足りなくて、帰ろうとする大学寮の学生たちがいるのをお聞きになって、釣殿の方にお呼び止めになって、特別に賜物をなさった。
  Kazu sadamare ru za ni tuki amari te, kaheri makaduru Daigaku-no-syuu-domo aru wo kikosimesi te, Turidono no kata ni mesi todome te, koto ni mono nado tamaha se keri.
注釈57博士どももなかなか臆しぬべし文章博士、定員は一名。「ども」は複数を表す接尾語。『集成』は「「ども」とあるのは、そのほか詩文にすぐれた儒者が参加しているからであろう」と注す。「臆しぬべし」は語り手の推測。2.2.1
注釈58憚るところなく以下「行へ」まで、源氏の詞。間接話法で引用であろう。2.2.2
注釈59おほし垣下あるじ以下「をこなり」まで、博士どもの詞。『集成』「「凡し」。総じての意。大学内で用いられた特殊の語であろう」。『完訳』「「凡そ」の転。「はなはだ」「非常」も漢文訓読調。儒者らしい語」と注す。2.2.5
注釈60はべりたうぶ『集成』は「「はべりたまふ」と同じ。一座に対して、話者自身を卑下して「はべり」と言い、一方右大将たちに話者の敬意をあらわして「たうぶ」と言う。この物語では、博士や僧たちが使っているが、用例は稀である」。『完訳』は「古風なかたくるしい語感。ここは尊敬語」と注す。2.2.5
注釈61しるしとある『完訳』は「著名な。これも漢文訓読調」と注す。2.2.5
注釈62鳴り高し以下「立ちたうびなむ」まで、博士どもの詞。『完訳』は「儒者が学生を静める際の用語。風俗歌にもみえる」と注す。2.2.7
注釈63かかる方ざまを思し好みて主語は源氏。2.2.9
注釈64猿楽がましく『完訳』は「「猿楽」は当時の滑稽な物まねの演芸。儒者の道化じみた姿」と注す。2.2.10
注釈65いとあざれ以下「まどはかされなむ」まで、源氏の詞。2.2.12
校訂4 顔どもも 顔どもも--かほともの(の/$も<朱>) 2.2.10
校訂5 けうさうし けうさうし--け(け/+う)さうし 2.2.12
2.3
第三段 響宴と詩作の会


2-3  A banqet and making Kan-shi

2.3.1  事果ててまかづる 博士、才人ども召して、またまた詩文作らせたまふ。上達部、殿上人も、さるべき限りをば、皆とどめさぶらはせたまふ。博士の人びとは、 四韻、ただの人は、大臣をはじめたてまつりて、絶句作りたまふ。興ある題の文字選りて、文章博士たてまつる。短きころの夜なれば、明け果ててぞ講ずる。左中弁、講師仕うまつる。容貌いときよげなる人の、声づかひものものしく、神さびて読み上げたるほど、いとおもしろし。おぼえ心ことなる 博士なりけり
 式が終わって退出する博士、文人たちをお召しになって、また再び詩文をお作らせになる。上達部や、殿上人も、その方面に堪能な人ばかりは、みなお残らせになる。博士たちは、律詩、普通の人は、大臣をはじめとして、絶句をお作りになる。興趣ある題の文字を選んで、文章博士が奉る。夏の短いころの夜なので、すっかり明けて披講される。左中弁が、講師をお勤めした。容貌もたいそうきれいで、声の調子も堂々として、荘厳な感じに読み上げたところは、たいそう趣がある。世の信望が格別高い学者なのであった。
  Koto hate te makaduru Hakase, Saizin-domo mesi te, mata mata humi tukura se tamahu. Kamdatime, Tenzyau-bito mo, saru-beki kagiri wo ba, mina todome saburaha se tamahu. Hakase no hito-bito ha, si-win, tada no hito ha, Otodo wo hazime tatematuri te, zekku tukuri tamahu. Kyou aru dai no mozi eri te, Monzyau-no-Hakase tatematuru. Mizikaki koro no yoru nare ba, ake-hate te zo kau-zuru. Sa-Tyuuben, kauzi tukau-maturu. Katati ito kiyoge naru hito no, kowa-dukahi mono-monosiku, kamsabi te yomi-age taru hodo, ito omosirosi. Oboye kokoro koto naru hakase nari keri.
2.3.2   かかる高き家に生まれたまひて、世界の栄花にのみ戯れたまふべき御身をもちて、 窓の螢をむつび、枝の雪を馴らしたまふ心ざしのすぐれたるよしを、よろづのことによそへなずらへて、心々に作り集めたる句ごとにおもしろく、「 唐土にも持て渡り伝へまほしげなる夜の詩文どもなり」となむ、そのころ世にめでゆすりける。
 このような高貴な家柄にお生まれになって、この世の栄華をひたすら楽しまれてよいお身の上でありながら、窓の螢を友とし、枝の雪にお親しみになる学問への熱心さを、思いつく限りの故事をたとえに引いて、それぞれが作り集めた句がそれぞれに素晴らしく、「唐土にも持って行って伝えたいほどの世の名詩である」と、当時世間では褒めたたえるのであった。
  Kakaru takaki ihe ni umare tamahi te, sekai no eigwa ni nomi tahabure tamahu beki ohom-mi wo moti te, mado no hotaru wo mutubi, eda no yuki wo narasi tamahu kokorozasi no sugure taru yosi wo, yorodu no koto ni yosohe nazurahe te, kokoro-gokoro ni tukuri atume taru ku-goto ni omosiroku, "Morokosi ni mo mote-watari tutahe mahosige naru yo no humi-domo nari." to nam, sono-koro yo ni mede yusuri keru.
2.3.3  大臣の 御はさらなり。親めきあはれなることさへすぐれたるを、涙おとして誦じ騷ぎしかど、 女のえ知らぬことまねぶは憎きことをと、うたてあれば漏らしつ。
 大臣のお作は言うまでもない。親らしい情愛のこもった点までも素晴らしかったので、涙を流して朗誦しもてはやしたが、女の身では知らないことを口にするのは生意気だと言われそうなので、嫌なので書き止めなかった。
  Otodo no ohom ha saranari. Oya-meki ahare naru koto sahe sugure taru wo, namida otosi te zyu-zi sawagi sika do, womna no e sira nu koto manebu ha nikuki koto wo to, utate are ba morasi tu.
注釈66博士才人ども文章博士や詩文の才ある学者たち。2.3.1
注釈67四韻五言律詩をいう。2.3.1
注釈68博士なりけり『集成』は「ここは碩学の意」と注す。2.3.1
注釈69かかる高き家に『集成』は「以下「すぐれたるよし」まで、当夜の人々の、夕霧を称賛した詩の内容を概括したもの」と注す。2.3.2
注釈70窓の螢をむつび枝の雪を馴らし『晋書』と『孫氏世録』を出典とする故事。『蒙求』「孫康映雪車胤聚螢」にある。『源氏釈』が初指摘。2.3.2
注釈71唐土にも持て渡り伝へまほしげなる夜の詩文どもなり世間の風評。間接話法で引用。2.3.2
注釈72女のえ知らぬことまねぶは『集成』は「草子地」。『完訳』は「漢詩文は女の関知しえないこととして、省筆する語り手の言葉」と注す。2.3.3
出典2 窓の螢をむつび、枝の雪を馴らし 康家貧無油 常映雪読書--、車胤--家貧不常得油 夏月則練嚢盛数十蛍火 以照書 蒙求-孫康映雪 車胤聚蛍 2.3.2
校訂6 御は 御は--御わ(わ/$は<朱>) 2.3.3
2.4
第四段 夕霧の勉学生活


2-4  Yugiri's studying life

2.4.1  うち続き、入学といふことせさせたまひて、やがて、この院のうちに御曹司作りて、まめやかに才深き師に預けきこえたまひてぞ、学問せさせたてまつりたまひける。
 引き続いて、入学の礼ということをおさせになって、そのまま、この院の中にお部屋を設けて、本当に造詣の深い先生にお預け申されて、学問をおさせ申し上げなさった。
  Uti-tuduki, nihugaku to ihu koto se sase tamahi te, yagate, kono Win no uti ni mi-zausi tukuri te, mameyaka ni zae hukaki si ni aduke kikoye tamahi te zo, gakumon se sase tatematuri tamahi keru.
2.4.2  大宮の御もとにも、をさをさ参うでたまはず。 夜昼うつくしみて、なほ稚児のやうにのみもてなしきこえ たまへれば、かしこにては、えもの習ひたまはじとて、静かなる所に籠めたてまつりたまへるなりけり。
 大宮のところにも、めったにお出かけにならない。昼夜かわいがりなさって、いつまでも子供のようにばかりお扱い申していらっしゃるので、あちらでは、勉強もおできになれまいと考えて、静かな場所にお閉じこめ申し上げなさったのであった。
  Ohomiya no ohom-moto ni mo, wosa-wosa maude tamaha zu. Yoru hiru utukusimi te, naho tigo no yau ni nomi motenasi kikoye tamahe re ba, kasiko nite ha, e mono narahi tamaha zi tote, siduka naru tokoro ni kome tatematuri tamahe ru nari keri.
2.4.3  「 一月に三度ばかりを参りたまへ
 「一月に三日ぐらいは参りなさい」
  "Hito-tuki ni mi-tabi bakari wo mawiri tamahe."
2.4.4  とぞ、許しきこえたまひける。
 と、お許し申し上げなさのであった。
  to zo, yurusi kikoye tamahi keru.
2.4.5  つと籠もりゐたまひて、いぶせきままに、殿を、
 じっとお籠もりになって、気持ちの晴れないまま、殿を、
  Tuto komori-wi tamahi te, ibuseki mama ni, Tono wo,
2.4.6  「 つらくもおはしますかな。かく苦しからでも、高き位に昇り、世に用ゐらるる人はなくやはある」
 「ひどい方でいらっしゃるなあ。こんなに苦しまなくても、高い地位に上り、世間に重んじられる人もいるではないか」
  "Turaku mo ohasimasu kana! Kaku kurusikara de mo, takaki kurawi ni nobori, yo ni motiwi raruru hito ha naku ya ha aru?"
2.4.7  と思ひきこえたまへど、おほかたの人がら、まめやかに、あだめきたるところなくおはすれば、いとよく念じて、
 とお恨み申し上げなさるが、いったい性格が、真面目で、浮ついたところがなくていらっしゃるので、よく我慢して、
  to omohi kikoye tamahe do, ohokata no hitogara, mameyaka ni, adameki taru tokoro naku ohasure ba, ito yoku nen-zi te,
2.4.8  「 いかでさるべき書どもとく読み果てて、交じらひもし、世にも出でたらむ」
 「何とかして必要な漢籍類を早く読み終えて、官途にもついて、出世しよう」
  "Ikade saru beki humi-domo toku yomi-hate te, mazirahi mo si, yo ni mo ide tara m."
2.4.9  と思ひて、 ただ四、五月のうちに、『史記』などいふ書、読み果てたまひてけり
 と思って、わずか四、五か月のうちに、『史記』などという書物、読み了えておしまいになった。
  to omohi te, tada si, go-gwati no uti ni, Siki nado ihu humi, yomi-hate tamahi te keri.
注釈73夜昼うつくしみて以下、大宮から夕霧を遠ざけた理由を語る。2.4.2
注釈74一月に三度ばかりを参りたまへ源氏の詞、間接的話法で引用。令制でも官人には十日に一日の休暇が許されている。2.4.3
注釈75つらくもおはしますかな以下「人はなくやはある」まで、夕霧の心中。2.4.6
注釈76いかでさるべき以下「世にも出でたらむ」まで、夕霧の心中。『集成』は「『史記』『漢書』『後漢書』の三史と『文選』などが紀伝道のテキストであった」と注す。「帚木」巻に「三史五経の道々しき」とあった。2.4.8
注釈77ただ四五月のうちに史記などいふ書読み果てたまひてけり『史記』百三十巻、大著である。それを四、五月で読破とは夕霧の猛勉強ぶりを表す。2.4.9
校訂7 たまへれば たまへれば--給つ(つ/$へ<朱>)れは 2.4.2
2.5
第五段 大学寮試験の予備試験


2-5  A preliminary examinatin

2.5.1  今は 寮試受けさせむとて、まづ 我が御前にて試みさせたまふ
 今では寮試を受けさせようとなさって、まずご自分の前で試験をさせなさる。
  Ima ha Reusi uke sase m tote, madu waga o-mahe nite kokoromi sase tamahu.
2.5.2  例の、大将、左大弁、式部大輔、左中弁などばかりして、御師の大内記を召して、『史記』の難き巻々、寮試受けむに、博士の かへさふべきふしぶしを引き出でて、一わたり読ませたてまつりたまふに、至らぬ句もなく、かたがたに通はし読みたまへる さま、爪じるし残らず、あさましきまでありがたければ、
 いつものとおり、大将、左大弁、式部大輔、左中弁などばかり招いて、先生の大内記を呼んで、『史記』の難しい巻々を、寮試を受けるのに、博士が反問しそうなところどころを取り出して、ひととおりお読ませ申し上げなさると、不明な箇所もなく、諸説にわたって読み解かれるさまは、爪印もつかず、あきれるほどよくできるので、
  Rei no, Daisyau, Sa-Daiben, Sikibu-no-Taihu, Sa-Tyuuben nado bakari si te, ohom-Si no Dai-Naiki wo mesi te, Siki no kataki maki-maki, Reusi uke m ni, Hakase no kahesahu beki husi-busi wo hiki-ide te, hito-watari yoma se tatematuri tamahu ni, itara nu ku mo naku, kata-gata ni kayoha si yomi tamahe ru sama, tuma-zirusi nokora zu, asamasiki made arigatakere ba,
2.5.3  「 さるべきにこそおはしけれ
 「お生まれが違っていらっしゃるのだ」
  "Saru-beki ni koso ohasikere!"
2.5.4  と、誰も誰も、涙落としたまふ。大将は、まして、
 と、皆が皆、涙を流しなさる。大将は、誰にもまして、
  to, tare mo tare mo, namida otosi tamahu. Daisyau ha, masite,
2.5.5  「 故大臣おはせましかば
 「亡くなった大臣が生きていらっしゃったら」
  "Ko-Otodo ohase masika ba."
2.5.6  と、聞こえ出でて泣きたまふ。殿も、え心強うもてなしたまはず、
 と、口に出されて、お泣きになる。殿も、我慢がおできになれず、
  to, kikoye-ide te naki tamahu. Tono mo, e kokoro-duyou motenasi tamaha zu,
2.5.7  「 人のうへにて、かたくななりと見聞きはべりしを、子のおとなぶるに、親の立ちかはり痴れゆくことは、いくばくならぬ齢ながら、かかる世にこそはべりけれ」
 「他人のことで、愚かで見苦しいと見聞きしておりましたが、子が大きくなっていく一方で、親が代わって愚かになっていくことは、たいした年齢ではありませんが、世の中とはこうしたものなのだなあ」
  "Hito no uhe nite, katakuna nari to mi kiki haberi si wo, ko no otonaburu ni, oya no tati-kahari sire-yuku koto ha, ikubaku nara nu yohahi nagara, kakaru yo ni koso haberi kere."
2.5.8  などのたまひて、おし拭ひたまふを見る 御師の心地、うれしく面目ありと思へり。
 などとおっしゃって、涙をお拭いになるのを見る先生の気持ち、嬉しく面目をほどこしたと思った。
  nado notamahi te, osi-nogohi tamahu wo miru ohom-Si no kokoti, uresiku meiboku ari to omohe ri.
2.5.9  大将、盃さしたまへば、いたう酔ひ痴れてをる顔つき、いと痩せ痩せなり。
 大将が、杯をおさしになると、たいそう酔っぱらっている顔つきは、とても痩せ細っている。
  Daisyau, sakaduki sasi tamahe ba, itau wehi-sire te woru kahotuki, ito yase-yase nari.
2.5.10  世のひがものにて、才のほどよりは用ゐられず、 すげなくて身貧しくなむありけるを、御覧じ得るところありて、かくとりわき召し寄せたるなりけり。
 大変な変わり者で、学問のわりには登用されず、顧みられなくて貧乏でいたのであったが、お目に止まるところがあって、このように特別に召し出したのであった。
  Yo no higa-mono nite, zae no hodo yori ha motiwi rare zu, sugenaku te mi madusiku nam ari keru wo, go-ran-zi uru tokoro ari te, kaku toriwaki mesi-yose taru nari keri.
2.5.11  身に余るまで御顧みを賜はりて、 この君の御徳に、たちまちに身を変へたると思へば、 まして行く先は、並ぶ人なきおぼえにぞあらむかし
 身に余るほどのご愛顧を頂戴して、この若君のおかげで、急に生まれ変わったようになったと思うと、今にまして将来は、並ぶ者もない声望を得るであろうよ。
  Mi ni amaru made ohom-kaherimi wo tamahari te, kono Kimi no ohom-toku ni, tatimati ni mi wo kahe taru to omohe ba, masite yuku-saki ha, narabu hito naki oboye ni zo ara m kasi.
注釈78寮試受けさせむとて大学寮の試験。合格すると擬文章生になる。三史のうち、一史の五条を読ませ、三条以上に通じた者を合格とする。2.5.1
注釈79我が御前にて試みさせたまふ源氏の御前での模擬試験。2.5.1
注釈80かへさふべきふしぶしを『集成』は「反問しそうな大事な箇所を」。『完訳』は「繰り返し質問しそうな箇所を」と訳す。2.5.2
注釈81さるべきにこそおはしけれ世間の噂。間接話法であろう。2.5.3
注釈82故大臣おはせましかば右大将(もとの頭中将)の詞。間接話法であろう。父太政大臣は「薄雲」巻に薨去。2.5.5
注釈83人のうへにて以下「世にこそはべりけれ」まで、源氏の詞。2.5.7
注釈84御師の心地夕霧の先生、大内記をいう。2.5.8
注釈85すげなくて『集成』は「顧みられなくて」。『完訳』は「人付合いが下手で」と訳す。2.5.10
注釈86この君の御徳にたちまちに身を変へたる大内記の心中、間接話法。「この君」は夕霧をさす。2.5.11
注釈87まして行く先は、並ぶ人なきおぼえにぞあらむかし「まして」「ぞ」「かし」は語り手の語気。2.5.11
校訂8 試みさせ 試みさせ--試(試/+させ) 2.5.1
校訂9 さま さま--さ(さ/$さ<朱>)ま 2.5.2
2.6
第六段 試験の当日


2-6  On the day of regular examination in Daigaku-ryo

2.6.1   大学に参りたまふ日は、寮門に、上達部の御車ども数知らず集ひたり。おほかた世に 残りたるあらじと見えたるに、またなくもてかしづかれて、つくろはれ入りたまへる冠者の君の御さま、げに、かかる交じらひには堪へず、あてにうつくしげなり。
 大学寮に参上なさる日は、寮の門前に、上達部のお車が数知れないくらい集まっていた。おおよそ世間にこれを見ないで残っている人はあるまいと思われたが、この上なく大切に扱われて、労られながら入ってこられる冠者の君のご様子、なるほど、このような生活には耐えられないくらい上品でかわいらしい感じである。
  Daigaku ni mawiri tamahu hi ha, Reumon ni, Kamdatime no mi-kuruma-domo kazu sira zu tudohi tari. Ohokata yo ni nokori taru ara zi to miye taru ni, matanaku mote-kasidukare te, tukurohare iri tamahe ru Kwanzya-no-Kimi no ohom-sama, geni, kakaru mazirahi ni ha tahe zu, ate ni utukusige nari.
2.6.2  例の、あやしき者どもの立ちまじりつつ来ゐたる 座の末をからしと思すぞ、いと ことわりなるや
 例によって、賤しい者たちが集まって来ている席の末に座るのをつらいとお思いになるのは、もっともなことである。
  Rei no, ayasiki mono-domo no tati-maziri tutu ki wi taru za no suwe wo karasi to obosu zo, ito kotowari naru ya!
2.6.3  ここにてもまた、おろしののしる者どもありて、めざましけれど、すこしも臆せず読み果てたまひつ。
 ここでも同様に、大声で叱る者がいて、目障りであるが、少しも気後れせずに最後までお読みになった。
  Koko ni te mo mata, orosi nonosiru mono-domo ari te, mezamasikere do, sukosi mo oku-se zu, yomi-hate tamahi tu.
2.6.4   昔おぼえて大学の栄ゆるころなれば、上中下の人、我も我もと、この道に志し集れば、いよいよ、世の中に、才ありはかばかしき人多くなむありける。 文人擬生などいふなることどもよりうちはじめ、すがすがしう果てたまへれば、ひとへに心に入れて、師も弟子も、いとど励みましたまふ。
 昔が思い出される大学の盛んな時代なので、上中下の人は、我も我もと、この道を志望し集まってくるので、ますます、世の中に、学問があり有能な人が多くなったのであった。擬文章生などとかいう試験をはじめとして、すらすらと合格なさったので、ひたすら学問に心を入れて、先生も弟子も、いっそうお励みになる。
  Mukasi oboye te Daigaku no sakayuru koro nare ba, kami naka simo no hito, ware mo ware mo to, kono miti ni kokorozasi atumare ba, iyo-iyo, yo-no-naka ni, zae ari haka-bakasiki hito ohoku nam ari keru. Monnin-Gisyau nado ihu naru koto-domo yori uti-hazime, suga-sugasiu hate tamahe re ba, hitohe ni kokoro ni ire te, simo desi mo, itodo hagemi masi tamahu.
2.6.5   殿にも、文作りしげく、博士、才人ども所得たり。すべて 何ごとにつけても、道々の人の才のほど現はるる世になむありける
 殿でも、作文の会を頻繁に催し、博士、文人たちも得意である。すべてどのようなことにつけても、それぞれの道に努める人の才能が発揮される時代なのだった。
  Tono ni mo, humi tukuri sigeku, hakase, saizin-domo tokoro e tari. Subete nani-goto ni tuke te mo, miti-miti no hito no zae no hodo araharuru yo ni nam ari keru.
注釈88大学に参りたまふ日は寮試を受けるために大学に行く日のこと。2.6.1
注釈89座の末を『集成』は「大学における席次は長幼の序による。学生は十三歳から十六歳までの者から選んだが、夕霧は今十二歳で、最年少である」と注す。2.6.2
注釈90ことわりなるや語り手の同情の弁。2.6.2
注釈91昔おぼえて大学の栄ゆるころなれば平安時代初期、大学寮が重んじられていた時代をさす。2.6.4
注釈92文人擬生文人擬生で一語。寮試に合格した擬文章生をいう。2.6.4
注釈93殿にも源氏の邸宅、二条院をさす。2.6.5
注釈94何ごとにつけても道々の人の才のほど現はるる世になむありける『集成』は「詩文に限らず、万事それぞれの道に励む人の才能のほどが発揮される時代であった。源氏の政道輔佐よろしく、万人所を得る聖代の様相」と注す。2.6.5
校訂10 残りたる 残りたる--のこりたる人(人/$<朱>) 2.6.1
Last updated 8/5/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/5/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 8/5/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/29/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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