21 少女(大島本)


WOTOME


光る源氏の太政大臣時代
三十三歳の夏四月から三十五歳冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in summer at the age of 33 to October in winter at the age of 35

1
第一章 朝顔姫君の物語 藤壷代償の恋の諦め


1  Tale of Asagao  Abandonment on Asagao for substitution of Fujitsubo

1.1
第一段 故藤壷の一周忌明ける


1-1  One year passed since the death of Fujitsubo

1.1.1   年変はりて宮の御果ても過ぎぬれば、世の中色改まりて、更衣のほどなども 今めかしきを、まして祭のころは、おほかたの空のけしき 心地よげなるに 前斎院はつれづれと眺めたまふを、前なる桂の下風、なつかしきにつけても、若き人びとは思ひ出づることども あるに大殿より
 年が変わって、宮の御一周忌も過ぎたので、世の人々の喪服が平常に戻って、衣更のころなどもはなやかであるが、それ以上に賀茂祭のころは、おおよその空模様も気分がよいのに、前斎院は所在なげに物思いに耽っていらっしゃるが、庭先の桂の木の下を吹く風、慕わしく感じられるにつけても、若い女房たちは思い出されることが多いところに、大殿から、
  Tosi kahari te, Miya no ohom-hate mo sugi nure ba, yononaka iro aratamari te, koromo-gahe no hodo nado mo imamekasiki wo, masite maturi no koro ha, ohokata no sora no kesiki kokoti-yoge naru ni, zen-Saiwin ha ture-dure to nagame tamahu wo, mahe naru katura no sita-kaze, natukasiki ni tuke te mo, wakaki hito-bito ha omohi-iduru koto-domo aru ni, Oho-Tono yori,
1.1.2  「 御禊の日は、いかにのどやかに思さるらむ
 「御禊の日は、どのようにのんびりとお過ごしになりましたか」
  "Misogi no hi ha, ikani nodoyaka ni obosa ru ram."
1.1.3  と、 訪らひきこえさせたまへり
 と、お見舞い申し上げなさった。
  to, toburahi kikoye sase tamahe ri.
1.1.4  「 今日は
 「今日は、
  "Kehu ha,
1.1.5    かけきやは川瀬の波もたちかへり
  思いもかけませんでした
    Kakeki ya ha kahase no nami ni tati-kaheri
1.1.6   君が禊の藤のやつれを
  再びあなたが禊をなさろうとは
    kimi ga misogi no hudi no yature wo
1.1.7  紫の紙、 立文すくよかにて、藤の花につけたまへり。折のあはれなれば、御返りあり。
 紫色の紙、立て文にきちんとして、藤の花におつけになっていた。季節柄、感動をおぼえて、お返事がある。
  Murasaki no kami, tate-bumi sukuyoka ni te, hudi no hana ni tuke tamahe ri. Wori no ahare nare ba, ohom-kaheri ari.
1.1.8  「 藤衣着しは昨日と思ふまに
 「喪服を着たのはつい昨日のことと思っておりましたのに
    "Hudi-goromo ki si ha kinohu to omohu ma ni
1.1.9   今日は禊の 瀬にかはる世を
  もう今日はそれを脱ぐ禊をするとは、何と移り変わりの早い世の中ですこと
    kehu ha misogi no se ni kaharu yo wo
1.1.10  はかなく」
 はかなくて」
  hakanaku."
1.1.11  とばかりあるを、例の、御目止めたまひて見おはす。
 とだけあるのを、例によって、お目を凝らして御覧になっていらっしゃる。
  to bakari aru wo, rei no, ohom-me tome tamahi te mi ohasu.
1.1.12  御服直しのほどなどにも、宣旨のもとに、所狭きまで、思しやれることどもあるを、 院は見苦しきことに思しのたまへど、
 喪服をお脱ぎになるころにも、宣旨のもとに、置き所もないほど、お心づかいの品々が届けられたのを、院は見苦しいこととお思いになりお口になさるが、
  Ohom-buku-nahosi no hodo nado ni mo, Senzi no moto ni, tokoroseki made, obosi-yare ru koto-domo aru wo, Win ha mi-gurusiki koto ni obosi notamahe do,
1.1.13  「 をかしやかに、けしきばめる御文などの あらばこそ、とかくも聞こえ返さめ、年ごろも、おほやけざまの折々の御訪らひなどは聞こえならはしたまひて、いとまめやかなれば、 いかがは聞こえも紛らはすべからむ
 「意味ありげな、色めかしいお手紙ならば、何とか申し上げてご辞退するのですが、長年、表向きの折々のお見舞いなどはお馴れ申し上げになっていて、とても真面目な内容なので、どのように言い紛らわしてお断り申したらよいだろうか」
  "Wokasi-yaka ni, kesikibame ru ohom-humi nado no ara ba koso, tokaku mo kikoye kahesa me, tosi-goro mo, ohoyake-zama no wori-wori no ohom-toburahi nado ha kikoye narahasi tamahi te, ito mameyaka nare ba, ikaga ha kikoye mo magirahasu bekara m?"
1.1.14   と、もてわづらふべし
 と、困っているようである。
  to, mote-wadurahu besi.
注釈1年変はりて前の「朝顔」巻の翌年、源氏三十三歳の正月。1.1.1
注釈2宮の御果ても過ぎぬれば藤壷の一周忌をさす。崩御は前年三月。1.1.1
注釈3今めかしきを『集成』は「はなやいだ気分だが」。『完訳』は「目新しくはなやかな趣きであるが」と訳す。1.1.1
注釈4心地よげなるに接続助詞「に」逆接の意。1.1.1
注釈5前斎院はつれづれと眺めたまふを、前なる朝顔姫君は父桃園式部卿宮の死去を悲しんでいる。
【眺めたまふを、前なる】−なかめ給ふおまへなる明−なかめ給おまへなる証 『集成』は「ながめたまふ。御前なる」と整定。藤原定家は格助詞「を」はかならず「を」と表記する。
1.1.1
注釈6あるに格助詞「に」時間の意。1.1.1
注釈7大殿より源氏をさす。1.1.1
注釈8御禊の日は、いかにのどやかに思さるらむ源氏の消息文の一部。1.1.2
注釈9訪らひきこえさせたまへり「きこえさせ」謙譲の補助動詞、朝顔に対する敬意。「たまへ」尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意。1.1.3
注釈10今日は以下、和歌の終わりまで、源氏の消息文。1.1.4
注釈11かけきやは川瀬の波もたちかへり君が禊の藤のやつれを源氏から朝顔姫君への贈歌。「き」過去助動詞、終止形。「やは」連語、反語表現。「藤」(藤衣=喪服)と「淵」の掛詞。「淵」「河瀬の波」「禊」は縁語。1.1.5
注釈12立文すくよかにて恋文の体裁ではない普通の手紙の体裁。1.1.7
注釈13藤衣着しは昨日と思ふまに今日は禊の瀬にかはる世を朝顔の返歌。「藤のやつれ」を受けて「藤衣」と返し、「禊」「瀬」はそのまま用いて返す。「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今集雑下、九三三、読人しらず)「飛鳥川淵にもあらぬ我が宿も瀬にかはりゆくものにぞありける」(古今集雑下、九九三、伊勢)を踏まえる。無常をいう。1.1.8
注釈14院は前斎院の意。朝顔をさす。1.1.12
注釈15をかしやかにけしきばめる御文などの『完訳』は「懸想文めく思わせぶりの手紙なら」と注す。以下「紛らはすべからむ」まで、宣旨の心中。1.1.13
注釈16あらばこそ係助詞「こそ」は「聞こえ返さめ」已然形に係る、逆接用法。1.1.13
注釈17いかがは聞こえも紛らはすべからむ反語表現。1.1.13
注釈18ともてわづらふべし推量助動詞「べし」は語り手の推量。宣旨の心中を忖度。以下の物語展開を興味深々たるものにする表現効果。1.1.14
出典1 瀬にかはる世を 世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬となる 古今集雑下-九三三 読人しらず 1.1.9
校訂1 心地よげ 心地よげ--心ちよ(よ/$よ)け 1.1.1
1.2
第二段 源氏、朝顔姫君を諦める


1-2  Genji gave up Asagao for substitution of Fujitsubo

1.2.1   女五の宮の御方にも、かやうに折過ぐさず聞こえたまへば、いとあはれに、
 女五の宮の御方にも、このように機会を逃さずお見舞い申し上げるので、とても感心して、
  Womna-Go-no-Miya no ohom-kata ni mo, kayau ni wori sugusa zu kikoye tamahe ba, ito ahare ni,
1.2.2  「 この君の、昨日今日の稚児と思ひしを、かくおとなびて、訪らひたまふこと。容貌のいともきよらなるに添へて、心さへこそ人にはことに生ひ出でたまへれ」
 「この君が、昨日今日までは子供と思っていましたのに、このように成人されて、お見舞いくださるとは。容貌のとても美しいのに加えて、気立てまでが人並み以上にすぐれていらっしゃいます」
  "Kono Kimi no, kinohu kehu no tigo to omohi si wo, kaku otonabi te, toburahi tamahu koto. Katati no ito mo kiyora naru ni sohe te, kokoro sahe koso hito ni ha koto ni ohi-ide tamahe re!"
1.2.3  と、ほめきこえたまふを、若き人びとは笑ひきこゆ。
 とお褒め申し上げるのを、若い女房たちは苦笑申し上げる。
  to, home kikoye tamahu wo, wakaki hito-bito ha warahi kikoyu.
1.2.4   こなたにも対面したまふ折は
 こちらの方にもお目にかかりなさる時には、
  Konata ni mo taimen si tamahu wori ha,
1.2.5  「 この大臣の、かくいとねむごろに聞こえたまふめるを、 何か、今始めたる御心ざしにもあらず故宮も筋異になりたまひて、え見たてまつりたまはぬ嘆きをしたまひては、 思ひ立ちしことをあながちにもて離れたまひしことなど、のたまひ出でつつ、悔しげにこそ思したりし折々ありしか。
 「この大臣が、このように心をこめてお手紙を差し上げなさるようですが、どうしてか、今に始まった軽いお気持ちではありません。亡くなられた宮も、その関係が違ってしまわれて、お世話申し上げることができなくなったとお嘆きになっては、考えていたことを無理にお断りになったことだなどと、おっしゃっては、後悔していらっしゃったことがよくありました。
  "Kono Otodo no, kaku ito nengoro ni kikoye tamahu meru wo, nani ka, ima hazime taru mi-kokorozasi ni mo ara zu. Ko-Miya mo, sudi koto ni nari tamahi te, e mi tatematuri tamaha nu nageki wo si tamahi te ha, omohi-tati si koto wo anagati ni mote-hanare tamahi si koto nado, notamahi-ide tutu, kuyasige ni koso obosi tari si wori-wori ari sika.
1.2.6  されど、 故大殿の姫君ものせられし限りは、 三の宮の思ひたまはむことのいとほしさに、とかく言添へきこゆることもなかりしなり。今は、その やむごとなくえさらぬ筋にてものせられし人さへ、亡くなられにしかば、げに、 などてかは、さやうにておはせましも悪しかるまじとうちおぼえはべるにも、さらがへりてかくねむごろに聞こえたまふも、 さるべきにもあらむとなむ思ひはべる」
 けれども、故大殿の姫君がいらっしゃった間は、三の宮がお気になさるのが気の毒さに、あれこれと言葉を添えることもなかったのです。今では、そのれっきとした奥方でいらした方まで、お亡くなりになってしまったので、ほんとに、どうしてご意向どおりになられたとしても悪くはあるまいと思われますにつけても、昔に戻ってこのように熱心におっしゃていただけるのも、そうなるはずであったのだろうと存じます」
  Saredo, ko-Ohotono no Hime-Gimi monose rare si kagiri ha, Sam-no-Miya no omohi tamaha m koto no itohosisa ni, tokaku koto sohe kikoyuru koto mo nakari si nari. Ima ha, sono yamgotonaku e sara nu sudi nite monose rare si hito sahe, nakunara re ni sika ba, geni, nadote ka ha, sayau nite ohase masi mo asikaru mazi to uti-oboye haberu ni mo, saragaheri te kaku nemgoro ni kikoye tamahu mo, saru-beki ni mo ara m to nam omohi haberu."
1.2.7  など、いと古代に聞こえたまふを、心づきなしと思して、
 などと、いかにも古風に申し上げなさるのを、気にそまぬとお思いになって、
  nado, ito kotai ni kikoye tamahu wo, kokorodukinasi to obosi te,
1.2.8  「 故宮にも、しか心ごはきものに思はれたてまつりて過ぎはべりにしを、今さらに、また世になびきはべらむも、いとつきなきことになむ」
 「亡き父宮からも、そのように強情な者と思われてまいりましたが、今さらに、改めて結婚しようというのも、ひどくおかしなことでございます」
  "Ko-Miya ni mo, sika kokoro-gohaki mono ni omoha re tatematuri te sugi haberi ni si wo, imasara ni, mata yo ni nabiki habera m mo, ito tukinaki koto ni nam."
1.2.9  と聞こえたまひて、恥づかしげなる御けしきなれば、 しひてもえ聞こえおもむけたまはず
 と申し上げなさって、気恥ずかしくなるようなきっぱりとしたご様子なので、無理にもお勧め申し上げることもできない。
  to kikoye tamahi te, hadukasige naru mi-kesiki nare ba, sihite mo e omomuke tamaha zu.
1.2.10  宮人も、上下、みな心かけきこえたれば、 世の中いとうしろめたくのみ思さるれどかの御みづからは、わが心を尽くし、あはれを見えきこえて、人の御けしきのうちもゆるばむほどを こそ待ちわたりたまへ、さやうにあながちなるさまに、御心破りきこえむなどは、 思さざるべし。
 宮家に仕える人たちも、上下の女房たち、皆が心をお寄せ申していたので、縁談事を不安にばかりお思いになるが、かの当のご自身は、心のありったけを傾けて、愛情をお見せ申して、相手のお気持ちが揺らぐのをじっと待っていらっしゃるが、そのように無理してまで、お心を傷つけようなどとは、お考えにならないのであろう。
  Miya-bito mo, kami-simo, mina kokoro-kake kikoye tare ba, yononaka ito usirometaku nomi obosa rure do, kano ohom-midukara ha, waga kokoro wo tukusi, ahare wo miye kikoye te, hito no mi-kesiki no uti mo yuruba m hodo wo koso mati-watari tamahe, sayau ni anagati naru sama ni, mi-kokoro yaburi kikoye m nado ha, obosa zaru besi.
注釈19女五の宮の御方にも桃園式部卿宮の妹、朝顔の叔母。桃園式部卿宮邸に朝顔と同居。1.2.1
注釈20この君の以下「生ひ出でたまへれ」まで、女五宮の詞。1.2.2
注釈21こなたにも対面したまふ折は女五宮が朝顔の君に。1.2.4
注釈22この大臣の以下「となむ思ひはべる」まで、女五宮の詞。1.2.5
注釈23何か今始めたる御心ざしにもあらず「何か」は「あらず」に係る、反語表現。1.2.5
注釈24故宮も桃園式部卿宮をさす。1.2.5
注釈25筋異になりたまひてえ見たてまつりたまはぬ嘆きを「筋異になりたまひて」は多義的内容を含む表現。『集成』は「(あなたが)斎院という神に仕える特別のご身分になられて、源氏を婿君としてお世話できないことをお悔みになっては」。『完訳』は「あのお方が他家の婿におなりになったので、こちらではお世話申すこともできなくなったとお嘆きになっては」と訳す。1.2.5
注釈26思ひ立ちしことをあながちにもて離れたまひしことなど桃園式部卿宮の詞を引用。桃園式部卿宮が源氏を婿にと思っていたのを朝顔が強情に断ったという。1.2.5
注釈27故大殿の姫君葵の上をさす。1.2.6
注釈28三の宮の思ひたまはむこと葵の上の母、五の宮の姉に当たる。1.2.6
注釈29やむごとなくえさらぬ筋にてものせられし人さへ亡くなられにしかば『集成』は「れっきとした正室で、のっぴきならぬ間柄でいらした方も。「えさらぬ」は、葵の上の母大宮が源氏の叔母であるという近い姻戚関係をいう」。『完訳』は「重々しく正妻の座にあった人、葵の上。「さへ」は、父式部卿宮はもちろん、葵の上までも、の気持」と注す。1.2.6
注釈30などてかはさやうにておはせましも悪しかるまじと「などてかは」は「悪しからまじ」に係る反語表現。「さやうにて」は式部卿宮の意向、すなわち源氏との結婚をさす。1.2.6
注釈31さるべきにもあらむと前世からの因縁であろう、という。1.2.6
注釈32故宮にも以下「ことになむ」まで、朝顔の君の詞。1.2.8
注釈33しひてもえ聞こえおもむけたまはず主語は女五の宮。1.2.9
注釈34世の中いとうしろめたくのみ思さるれど『集成』は「(前斎院は、女房たちがいつ源氏を手引きするかもしれないと)毎日ご心配でいらっしゃるが。「世の中」は、男女の仲。源氏との関係をいう」と注す。1.2.10
注釈35かの御みづからはわが心を尽くし源氏をさす。『集成』は「以下、草子地。前斎院側に立っているので「かの御みづからは」という」と注す。1.2.10
注釈36こそ待ちわたりたまへ係助詞「こそ」--「たまへ」已然形は、逆接用法。1.2.10
校訂2 思さざる 思さざる--おほさ(さ/+さ)る 1.2.10
Last updated 8/5/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/5/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 8/5/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/29/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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